私は明日から数日間、掲示板への書き込みができなくなると思うので、新しい投稿をしておきます。
この投稿へのコメントや、「自分が(最も)霊性を発揮したと思うこと」や「愛は時空を超えて」を読んでの書き込み、引き続きお待ちします。
以下のメモは、前回のドネ会の時に私が話したことを踏まえて書き加えたものに、さきさんが補足して作り、ドネの事務局ブログ「困った時にはお互いさま」に掲載しました。(こういうメモを作って拡散することはドネ会議で賛同を得ています。) 。。。。。。。。。。
きたい者はみな来るがいい。 ぼくの国ではだれでも パンと家にありつける。 そこは未来の国 一日先の国なのだからね。 さあ 明日国(あしたのくに)へ! ぼくが案内しよう。 (ミヒャエル・エンデ「サーカス物語」より) 。。。。。。。。。。
▼「ドネーションシップわかちあい」は2007年に発足したNPO法人です。
誰も飢えることのない「明日のくに」をめざしています。「手をつなごう!困った時はお互いさま」を合言葉に庶民どうしが互いに助け合うための寄付の仕組みを運営、中間支援をしています。賛同頂いた方の会費や寄付を「庶民の善意」として国内外の貧困、紛争、災害等の現場に届けています。
発足から9年で寄付の総額は1,9622,203円になりました。(国内外の33の団体、活動に寄付を実施)2015年には子どもの貧困が問題になるなかで、子ども食堂等に取り組む5団体に合計200万円の寄付を実施しました。詳細はサイト○ttp:// donationship.org/ のドネーションシッププロジェクトをご覧下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪子ども食堂+α≫ ※最近の会議(2016/10)で、以下のようなことが話し合われました。
▼子ども食堂の枠を超えた、その地域の庶民の拠点になるような場ができないものだろうか?
▼もしもそういう場を作ろうというグループがあれば、ドネとしても積極的に応援させていただきたい。
▼「(子ども)食堂は常設かそれに近い頻度で開設(営業?)する。
▼広く呼びかけて、野菜やレトルト食品・缶詰などの食料品だけでなく、不要になった衣料品や手作り品などを送ってもらう。
▼送ってもらった子供服は無料で提供し、大人の服は安く販売する。
▼家庭菜園の余剰野菜や野菜農家の規格外品などは食堂でも使い、地域の人にも安く販売する。(常時販売できる量を確保できるように呼びかける)
▼家庭菜園の野菜を作りすぎたり、収穫ピークの時期には食べきれないという話はよく聞く。規模にもよるが、数十人の家庭菜園農家(?)の協力があれば、ちょっとした八百屋並みの種類も量も集まるんじゃないか?
▼フードバンクなどに協力をお願いして、すぐに個人消費できそうなものを送ってもらって食堂でも使い、余った食品は店に来た人たちに無料で持ち帰ってもらう。
▼野菜や衣料品などの売り上げは店の維持運営費や専従者の人件費に充てて、自立経営を目指す。(その一方で、金銭的支援をする維持会員を募る)
▼家庭菜園や農家から提供される野菜の送料、衣料品などの送料は着払いにするなどして、協力者の負担を軽減する。(着払いの送料は当面はドネや支援者からの寄付を充てる。行政や運送会社と交渉して、将来的には無料か格安で送れるようにする)
▼子ども限定ではなく、親や地域のお年寄りも集える場ができればいいと思う。
▼そこには今の社会で消えかかっている子どもと地域の大人のつながり、人と人のつながりがよみがえり、お金や商品の束縛を薄くした「明日のくに」の原型になるのではないか?
▼その経営・運営がうまくいけば、同じような場が全国に広がり、格差貧困社会の隙間を縫って、庶民の分かちあい・支えあい・補いあいの経済&ライフシステムが形成されていくのではないだろうか?
▼子ども食堂はどんどん増えているが、常設型の子ども食堂はほとんどないそうだ。食事や衣料品や生活用品などを提供し、いつでも子どもたちや親やお年寄りが集える常設型の場がたくさんできて、地域に定着していけばいいと思う。
▼働く人の4割近くが非正規雇用。競争社会に馴染めず鬱になる人、ブラック企業のいじめ、過労死。 子どもの貧困だけではなく、お年寄り、障がい者、原発事故被災者、、、社会的な弱者がさらに追い詰められる社会になっている。後追いではなく、自分たちとして出来ることはないのか?
▼そういう場ができるのなら、立ち上げ資金や当初の維持運営費などを「ドネーションシップわかちあい」で協力することも考えてはどうか。(もちろん金額にもよりますし、会員、理事会の賛同が得られるなら) というような話です。
▼手を携えてやっていけるグループや個人がいらっしゃれば、どうぞお知らせください。
。。。。。。。。。。。。 NPO法人ドネーションシップわかちあい Eメール yume@donationship.org ○ttp:// donationship.org/ (事務局ブログ →「困った時はお互いさま」で検索して下さい) |
09/12/2016(金) 17:11:25
No.15419 飯沼正晴 |
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もう一つ、上のこととは全く別に、さきさんと個人的に話して盛り上がったことも紹介して、皆さんと共有しておきたいと思います。 (ドネとは全く別の話です。)
もちろん将来的な話ですし、資金がなければ全くできないことなのですし、まあ今の段階では夢物語かもしれませんが、まずはお読みください。
誰もが歳をとり、高齢化に向かいます。 今は夫婦・家族と一緒に暮らしている人でも、いずれは一人になって長い老後を生きることになるかもしれません。 そういうことを踏まえての話です。
共同出資で、どこかの田園都市(?)にエレベーター付きのアパート・マンションか社宅か廃業したホテル(温泉旅館?)を購入する。 ホールというか、共同リビングのようなスペースがあった方がいいので、ホテルか旅館が最適。(アパートやマンションや社宅でも改築することはできる。)
そこに高齢者を中心とした希望者が入居して生活するというごく簡単な話です。
自由で活気のある、開かれた自立的グループホームという感じでしょうか?
お迎えを待つように孤独の中で淡々と老いを生きるのではなく、血縁を超えた大家族・人生の親戚のような関わりの中で共に生き、地上を離れる仲間を見送り、おそらくは時には揉め事も抱えながら、心を交わし合ってごちゃごちゃと賑やかに暮らしていく場を作れないものかということです。
もちろん、介助が必要になった入居者にはヘルパーさんをお願いすることになるでしょう。 でもお互いにちょっとした手助けをしあうことで、スムーズに生活できることも多いと思います。
元気な人は畑で野菜を作り、できれば果物なども栽培して、皆で食べていきます。 果樹園で鶏を放し飼いにして産卵箱を設置すれば、新鮮な卵を毎日食べられるでしょう。
食事(炊事)は元気な人が交代でして一緒に食べてもいいし、一人で作りたい人・食べたい人はそれもできます。 それもヘルパーさんやパートさんにお願いすることもできるでしょう。
何部屋かのゲストルームを常時確保しておきます。
入居者の家族や友人が遊びに来てくれたら、子や孫のいない仲間も和むのではないでしょうか? ゲストルームは血縁者や友人だけでなく、さまざまな事情を抱える(若い)人たちも一定期間滞在できるようにします。
入居者は入居費・運営費として、その場の維持運営(出資金の返済も?)に必要な金額を、それぞれの事情に応じて、できる範囲で拠出します。
可能であれば、そこで何かを作って販売するような経済活動も取り入れます。
「誰でもそこに行けば心を開ける人がいてくれて、自分の居場所がある」というような場所を作りたいのです。
「老いていく自分にもできることがあって、必要とされ、喜ばれ、何もできなくなっても温かく見守られ、世話をしてもらえ、心からのねぎらいと共感に包まれて見送ってもらえる」という場です。
そしてさきさんが一番盛り上がっていたのは、 「そこに行けばどんな病気も治る」という場を作ってしまおう! ということでした。
こんな話をしてから1カ月以上がたちますが、誰にも言いませんでした。 忘れていたわけではないのですが、資金もないのにあまりに荒唐無稽すぎて話す気にならなかったのです。
でも今回の「愛は時空を超えて」で克から伝えられたことを読んで、「子ども食堂+α」のメモとセットでこの掲示板にアップしておこうと思いました。
皆さんの感想や意見を投稿してもらえると嬉しいです。 |
09/12/2016(金) 17:31:33
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No.15420 ゆりか |
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とても嬉しい情報、ありがとう! 10月に皆さんがイメージされた内容に、すっごく嬉しいです。
香川県や高知県だけで無く、岡山県にも、農業で生きていこうとしている仲間は多いので、具体的に話が出来る人たちが目に浮かび、多様な仲間とみんなで一緒に現実を創造した時の事を思うと、「わおー、嬉しい!」って感じになり、少々、テンション上がりすぎやない?って、自制しながら、投稿せずにはいれなかったゆりかさんでしたわ。
自立的グループホーム、大賛成です。 そこに入居して喜びを感じれる人達は、沢山いらっしゃると思います!是非とも、実現したいと思います! ので、実現化の資金になるよう、お金貯めますよ‼ |
09/12/2016(金) 18:53:19
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No.15421 さき |
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明日ドネ会なので準備中です 煮込みハンバーグつくって、 あと豚汁か粕汁をします。
明日のドネ会は地域で30年にわたって子どもたちと野外活動や文化活動をしてきたグループの方にゲストに来ていただきます。 7〜8年前から地域の子どもたちが抱える様々な問題に向き合うなかで「子どもの貧困対策」を活動の柱のひとつに据えてこられました。 ドネでこうした現場の方々と出会い、信頼関係を築いてこれたこと、今回しーちゃん、ねねちゃんが「子どもの貧困」というテーマに関心を持って参加してくれることがすごく嬉しいです。
「今はケガに絆創膏を貼っている状態だけど、 ケガをしない社会を作っていくのが大切」 明日来てくれるゲストの方が前に言っておられた言葉です。 ケガをしない社会を一緒に作っていきたいと思っています。
こんな場をつくろう! いいですね。
皆で夢を広げていきたいです。 ちょっと前の定例会で自分の願いや夢を語りましたよね。 自分の言ったこと忘れていません。
喜びのエネルギーを広げていきます。 「そこに行けば病気が治る」っていう場もつくりたい!!! |
09/12/2016(金) 21:10:13
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No.15422 エーチャン |
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> 共同出資で、どこかの田園都市(?)にエレベーター付きのアパート・マンションか社宅か廃業したホテル(温泉旅館?)を購入する。 > ホールというか、共同リビングのようなスペースがあった方がいいので、ホテルか旅館が最適。(アパートやマンションや社宅でも改築することはできる。) > > そこに高齢者を中心とした希望者が入居して生活するというごく簡単な話です。 >
いいですねえ。
1年以上前になりますが、高校の同級生と40年ぶりくらいに再会、親の介護の話になり、我々が高齢化したときには経済的に施設への入居など絶対に無理、どういう老後になるのだろう、という話になりました。
ヌマさんの投稿を読みながら、心の向きをちょっと変えるだけで視界がぱっと開ける、そんな感じになりました。
単なる夢物語でなく、実際に実現できるのだと思います、100%そう思います。 |
09/12/2016(金) 23:20:30
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No.15423 飯沼正晴 |
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ゆりかさん、さきさん、エーちゃん、コメントありがとう。
?@は、「社会の歪みはいつも弱者がもろに被るのだから、後追いの手当てでは追いつかないし、補完物にされてしまう。 ならばいっそのこと、社会のほころびを逆手にとって、そこから新しい社会の原型に近いものを作ってしまいたい」という、若い頃からの私の発想がありました。
モノを動かすことで利益を生み出す市場の仕組み・都合ではなく、作り手と使い手(生産者と消費者)が直接つながっていくことで、モノは商品から生活の糧に変容して、お金の占める意味合いを薄くしていくことができるんじゃないかと思っています。
?Aについては、まあ思いつきのようなものです。 でも、ほんとはこれも昔から思っていたことでもありました。
バブルの頃、篠山市と氷上郡の境にある鐘が坂トンネルのすぐ近くにホテルがあって、それなりに高級なレストランもありました。 バブルがはじけて、そのホテルも当然のように倒産して放置されていて、いつかそこを買い取って皆で暮らせないものかと思ったこともありました。 そのホテルは今は廃墟になっています。
3・11の原発事故の直後、それなりの人数が避難して生活できる住居はないものかと思って、三田市あたりを車で走ったことがありました。 確かその時だったような気がするのですが、三田市の外れに廃業している温泉旅館を見つけました。 その時に?Aのようなことも思ったのですが、あれこれと忙しくなってそのまま意識から消えていました。
地上人生にはそれぞれのシナリオがあって、それぞれの境遇の中で生きるわけですが、お金の有無や子がいるかどうかや血縁者との関係性で老後の人生が決定されるのではなく、「人生の親戚」のようなつながりの中で暮らし、地上を去る時には「いろいろあったが、いい人生だった。みんな、ありがとう」と皆が思えるような場を作りたいですね。
「そこに行けば病気も治る!」という場を作りたいものです。 |
09/12/2016(金) 23:32:53
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No.15424 あきら&ひとみ |
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ヌマさん、受信お疲れ様でした。 一年の締めくくりにふさわしい克子さんからの言葉。沢山反省点はあるけれど、霊界に戻ったらよしよしと言われるように、頑張らねばと思いました。
書き込みが遅くなってしまったんですが、霊性を発揮したことについてですが・・。 悠々塾に繋がり、死ということについて学ばせてもらってから、亡くなられた方に感謝の気持ちを向けられるようになったと思います。 学ぶ前は、死=怖いっという気持ちが強かったのですが、お別れの式に参加する時は、亡くなられた方やご親族の方にもあったかい気持ちを送っています。 少しお話させてもらうと、今年の1月に父のお兄さんがなくなりました。小さい頃はその家によく泊まりに行ったりしていたんですが、祖父母が亡くなってから、金銭面やいろんな事で私の両親を困らせていたおじさんやその奥さんが好きではなく、だんだんと話もしなくなっていきました。 でも、父親の会社の隣にそのおじさんの家があるので、たまにばったり会ったりはしていました。5年ぐらいに前に奥さんが病気になり、おじさんが家のことやるようになって。 今まで自由にしてきた、おじさんおばさんの埋め合わせなんかなぁって思うようになり、昔の嫌な気持ちも薄れていきました。 その後おばさんは入退院を繰り返していましたが、お家に戻っていた時に他界されました。そして数年後におじさんも病気になりました。それでも度々会社にきていろんな話をしていきました。ご飯がなかなか食べられなかったり、でも今日はお味噌汁飲んだとか・・。そしていつもおじさんは「ありがとう、どうもね〜」って言って帰っていく。何かその姿を見ていたら、もう幼い頃思っていた嫌だという感情はなく、病気が治れのエネルギーを注ぎ続けていたと思います。 そして今年1月におじさんは亡くなりました。亡くなってから聞いたんですが、亡くなる前に病院でメモをしたんでしょう。おじさんはお別れの式にきてほしい人に私と妹の名前を書いてくれていたそうです。すごく嬉しかったし、泣けました。きっと今頃は奥さんにあって喜んでいるだろうなって。 死もまた喜びと心から思えるのは、まだ難しいところもありますが、その事を知り、その気持ちを注ぐことを知れたことは、本当にありがたいことだと思います。
みなさんの書き込みも読ませてもらって、悠々塾の仲間は素敵な人達ばかりだなぁって思いました。 困っている人を助けたり、癒しの気持ちを相手に向けたり、そういう事が自然にできる人達ばかりですよね。 こんな仲間たちと一緒にヌマが書いてくれた、子供食堂や、病気が治るグループホーム?できたら、凄いことだと思いました。 想像が膨らみますし、何だか笑顔になります。わくわくしてきますね。
ひとみ |
10/12/2016(土) 10:46:24
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No.15425 恵美子 |
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「愛は時空を超えて」ありがとうございました。 いつにも増して克子さんが身近に感じられたメッセージでした。 不十分さはありながらも霊性を発揮した生き方を選択してきたのだとあらためて思ったことでした。 今は喜んで動いていくことです。
☆こんな場を作ろう いつ頃からだろうか〜 ぬまさんが書かれたような”場つくり”を漠然と思い描いてました。あ〜それそれそれだよね〜嬉しかったあ〜 私が暮らしている地域に休校になっている小学校と保育所があって、そこを眺めては妄想してました。 あと10年もすれば、ここも限界集落と言われる状態、 成り行きに任せていては何も始まらない。
この国の人々は、もともと支えあいの生き方を当たり前のようにして生活してきたはずだから、、みんなどこかで知っているはず。 お金のある人はお金を〜 からだが空いてる人はからだを〜 歌が歌える人は歌を〜 そんなふうに思うのです。 夢ではなく、、です。
しぃちゃんのこと、嬉しいです。おめでとうです。 |
11/12/2016(日) 10:25:23
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No.15426 のものも |
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スレ違いですが、カウンセリングありがとうございました。 「普通」に憧れてた私で、いまだに「普通」を追い求めてた私は、どうやら「今の私である事」を、喜んでいなかったようです。 これからは「今である私」「今」を喜びたいと思います。 帰りの電車では、キャンディーズの「普通の女の子になります」のフレーズが頭をよぎりました。。
父の事も、どうやら性格が悪くなかったようですし、、。?!?! なんのこっちゃー
まだまだ好きと言う感情はわき上がって来ないのですが、霊界の母が喜んでいて、私が「自慢の娘」である事が、妙に、かなり嬉しいです。 えへへ
皆さんが幸せでありますように。 次の定例会が楽しみです。 |
12/12/2016(月) 09:47:22
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No.15427 のものも |
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付け足しを。 贅沢なくらい、いろいろ手にしてるのに、「普通」にこだわってたと思います。 私自身は幸せを実感出来たので、私は幸せ者だと思います。 本当にありがとうございました! |
12/12/2016(月) 11:14:18
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No.15428 飯沼正晴 |
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★さきさんのパソコンを借りて投稿します。
ひとみさん、恵美子さん、のものもさん、書き込みありがとうございます。
自由な自立的グループホームの実現は、夢物語ではあっても、本気で夢見ていきます。
やはり私は、 >地上人生にはそれぞれのシナリオがあって、それぞれの境遇の中で生きるわけですが、お金の有無や子がいるかどうかや血縁者との関係性で老後の人生が決定されるのではなく、「人生の親戚」のようなつながりの中で暮らし、地上を去る時には「いろいろあったが、いい人生だった。みんな、ありがとう」と皆が思えるような場を作りたいですね。<
と思っているのですから。
『そこに行けば病気も認知症も治る』という場をつくりたいと思います。
土曜日はドネ会で、克の娘たちも夜遅くまで残って、ねねは泊まっていきました。 夜も翌日も、時には涙を流しながらいろんな話が続きました。
私は気持ちの底にずっと沈み込めたままにしていた思いを出す(表現する)ことができて、ボーっとなった後は急に体が軽くなり、ちょっと信じられないような軽い足取りというよりも、実際に走り出したいぐらいに足が軽くなりました。 気持ちのところではたくさんの負目を持っていたようです。
のものもさん、昨日は遠方からお疲れ様でした。 のものもさんもさきさんも号泣でしたね。
実は前日も克の娘たちが「子どもの頃は普通の家庭がいいと思った時もよくあった』というような話をしていました。 でも、普通ではない境遇のなかで、普通の平々凡々とした境遇では身につかなかったであろう心と輝きを獲得して生きている彼女たちと見て、大きく許されたような気持ちになりました。
改めて「どんな境遇であっても、すべては喜びである」と意識し直しました。
それぞれの境遇というものは、今生の課題にふさわしくその人の魂が自らの意志で選んできたものです。 そこで、時には心を陰らせたり過ちを犯しながらも、困難を超えて心の(魂の)輝きを発揮して、健やかな喜びを表現していくことを目標にしているのです。
もしも今の段階ではそうできていなくて、むしろ陰りに埋没しているとしても、それもまた進化向上の一場面であり、必ずいつかは霊性を発揮して生きていけるのです。 進化向上というものこそが絶対の摂理・真理であるのですから、どんな現状であっても(時間の制約を超えて考えれば】すべてが喜びの一表現形なのだと思います。
そう思えれば、諸々の悩みや困難も一気に解消に向かうのでしょう。
のものもさんは筆舌に尽くしがたいほどの困難のなかで、立派に霊性を発揮して生きてきたのですよ! 「普通になりたい」という願いはもう超えて、普通ではない輝きを発揮して生きてきた自分をありのままに喜んでいきましょうね。 |
12/12/2016(月) 12:06:15
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No.15429 ゆみっぺ |
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素敵だと思います。実現出来たら良いなぁではなく、実現出来た!ですね。
どんな人でも、一人ポツンとしていて、楽しい人なんて居ないと思います。誰かに気にかけてもらって、言葉をかけてもらったり、気持ちを向けてもらって、嬉しくない人はいません。まぁ、正直に表現しない人はいると思いますけど。人が集まるとゴタゴタして疲れることも多いと思いますが、縁あって集まった人生の親戚なら、それもまた勉強であり、人生ですね。
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12/12/2016(月) 21:39:03
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No.15430 ちづこ |
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具体的なイメージをもらって、楽しい想像が膨らみます。子どもからお年寄りまでみんなが心からのびのびできて、共に生きる。そんな世の中の先駆けになっていくのだと思いました。
〉「誰でもそこに行けば心を開ける人がいてくれて、自分の居場所がある」というような場所を作りたいのです。
〉「老いていく自分にもできることがあって、必要とされ、喜ばれ、何もできなくなっても温かく見守られ、世話をしてもらえ、心からのねぎらいと共感に包まれて見送ってもらえる」という場です。
本当にステキな場ですね。誰かのことを喜び、自分自身も喜ばれ、喜びがどんどん広がって、ワイワイガヤガヤ、いいですね。ほんとワクワクして嬉しいです。 |
14/12/2016(水) 14:18:44
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