[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード


No.15009 飯沼正晴  E-mail
「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用

恵美子さん、のものもさん、KANDAさん、エーちゃん、まゆみさん、さきさん、コメントありがとうございます。

引き続き、皆さんのコメントをお待ちしています。
この掲示板でもポジティブな共鳴場を確立していきたいと思っています。

2014年の夏に紹介した、「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所)はやはりすごい本です。

2年前に読んだ時にもそう思ったのですが、その時は「私の着眼点や考え方はやはり間違っていなかった!」というところに意識が偏っていたような気がします。

今の時期に落ち着いて読み直せば、改めて確信と大きなヒントを得ることができます。

私は本に付箋を貼るようなことはまずないのですが、この本に関しては付箋だらけになっています。

ぜひ皆さんも読んでいただきたいですし、すでに読んだ人はじっくりと読み直していただきたいと思います。

そして、「ここの部分は共有しておきたい」と思うところを、この掲示板に転載していただきたいのです。
できればコメントを添えて、よろしくお願いします。

私やさきさんも、共有したい部分を転載していこうと思っています。
同じ箇所が重なっても構いません。
数行だけでも構いませんし、長くなっても構いません。

全部を読み切ってからでなくても、読んでいく途中で「ここは共有したい」と思う部分をどんどん転載していってくださいね。

その他のことについての投稿も自由にお願いします。

何度も言いますが、エネルギー的にも現状としても多様な状態の仲間たちとの共鳴場を確立できるかどうかが、崩壊が始まっている地上界の再生への決定的な条件になるのです。

06/08/2016(土) 14:49:35


No.15010  エーチャン
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
ヌマさん、紹介ありがとうございます。

今までヌマさんが掲示板で紹介してくれた本は大体購入していたのですが、この本だけはどういうわけか買っていませんので、急いで注文して読み始めようと思います。

また、感想等折に触れて投稿します。

06/08/2016(土) 16:20:51

No.15011  のものも
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
私も飯沼さんが、勧めてきた本は、買ってたのですが、この本は買っていませんでした。

漠然と、私とは単なる感情を持った地球の細胞なんじゃないかと以前から思ってたのですが、この本を今立ち読みしてみて、やっぱりそうなんじゃないかと思ってます。

本日買いました〜。

06/08/2016(土) 17:21:16

No.15013  みさお
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
その言葉を、脳の中心部に刷り込むように唱えてみる。

やってみました。
今までとは違う感覚です、なんかジーンとする感じがします。
これからも、入眠前に行うのが楽しみです。

自分の話になりますが、今の状況(仕事)でちょっと困った事があるのですが、今までとは違う思え方ができるようになった気がします。
今までは、「なんで、こんな事」「なんで私がと」自分の方からしか見れてなかったなぁと
4月に飯沼さんから宿題を出され、達成できなかった事がずっと
気になっていました。
宿題とは違う物かもしれないけど、今回大きくページをめくりたいと思います。
思えば、「なんで私が」と言うのが私の口癖だったなぁ
カッコ悪いですね。
ほんとに大人になります。
こうやって書かせて貰える事は、有難いし自分が変われる気がしますね。

病についての通信の脳の部分、出版された頃叔母の脳腫瘍の術後で一生懸命読んだのですが、難しく飯沼さんに意味を質問した事が
ありました…
いのちは ひとつらなり みんな大好きありがとう 大丈夫
の言葉を教わり、そして今大事な時期に新たな事を教えてもらえる。ありがとうございます。

思考のすごい力 明日買いにいきます。

06/08/2016(土) 19:03:21

No.15015  祐造
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
「思考のすごい力」の本、僕は読んでませんでした。
さっそくアマゾンで注文しました。
届くのが楽しみです。

「いのちはひとつらなり、…」
脳の中心部に刷り込むように唱えています。
イメージしやすくっていい感じです。
まだ何も変化はありませんが、続けていきます。

06/08/2016(土) 22:16:19

No.15016  飯沼正晴 E-mail
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
エーちゃん、のものもさん、みさおさん、祐造さん、コメントありがとうございます。

リプトン博士によれば、人間の意識エネルギーは顕在意識が5%、潜在意識が95%とのことです。

エーテルエネルギー(その次元での顕現・現実化のエネルギー)もその割合配分で使っているわけですから、「潜在意識を書き換えなければどうにもならない=潜在意識を書き換えればどうにでもなる」ということです。

脳の中心部は脳波で言えばシータ波の領域になるのでしょう。
なので、脳の中心部に「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫(絶対安心)」を刷り込んでいくには、入眠前のうとうとした状態の時が最適だと思います。
あるいは瞑想状態の時など。

そういう状態でなくても、以前にちょっと簡易脳波計で調べたところでは、悠々塾につながる人の多くは普通の状態でもシータ波がかなり高く検出される人が多かったので、入眠時に限定する必要はないと思います。

そして、大脳活性時=ベータ波が高い状態の時であっても、反復継続して唱えていくことで、潜在意識は書き換えられていくはずです。
なぜならば、幼い頃に潜在意識に刷り込まれた意識でも、その後の経験や努力で書き換えられることはよくあるわけですから。

最近は特に、「潜在意識が自動操縦で現実化している」ということの明確な実例を目の当たりにすることが多いのです。
これはやはり霊界側の計らいのように思います。
見方を変えれば、私の意識が引き寄せている実例の情報でもあるのでしょうが。

いずれにしても、悠々塾につながる多様な仲間たちの共鳴によって進んでいきたいと思っています。

07/08/2016(日) 10:55:04

No.15017  オレンジ
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
定例会後変わったことと言えば、今まではエネルギーを送ってあげた方が相手の人にとっていいはず、または状況が今よりはよくなるなるだろうとわかっているのに、どうせ送ってもまた同じことを繰り返すのだからとか、私がそうしても相手が根本から変わるわけないとか思ってエネルギーを送ろうとしなかった人に対して、心からの健やかさを願って送るようになれたことかなと思います。

脳の中心部をイメージして自分に送る時は何かジーンとしたり眠くなったりするのでエネルギーは確かに通っているんだと思います

自分の歪んだ潜在意識も簡単には書き換えられないと思いますが、自分に送った直後相手の人の脳の中心部をイメージして送ったりしています。

「思考のすごい力」掲示板で紹介してもらった時に買っていました
が、全部は読めていませんでした。昨夜から少しずつ読んでます。

07/08/2016(日) 19:31:18

No.15018  ぽんた
Re: 「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著・PHP研究所) 引用
飯沼さんの、潜在意識が自動操縦して起きてしまったことの実例のお話を読んで、
驚愕しました。
こうやって人は自分の無意識に動かされているのですね‥‥

言い方をかえれば、今ここにいる自分は、過去の自分の潜在意識そのものということですね。
うれしいと思うことも、うれしいと思えないことも、あれこれも、
全部今の私のありようは自分で引き寄せた結果なんだ‥‥と、
ひとつひとつ照らし合わせていくと、新たな自分の発見がありそうです。
いい自分も、よくない自分も。

アマゾンで「思考のすごい力」、ポチしました。

08/08/2016(月) 10:28:11


No.15001 飯沼正晴  E-mail
共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
みんとさん、あいやまさん、さきさん、あきえさん、鉄ママさん、みさおさん、コメントありがとうございます!

引き続き、どなたでも、何度でも書き込んでくださいね。


さきさんが書いていること、まさにその通りです。

>潜在意識に刷り込まれた衝撃や感覚や
刷り込んでしまった感情は意識は
自分でも意識してないのに
しっかり自動操縦が設定されたように動き続ける
(それが喜びにつながらないことであってもです)
無意識だから自分でもどうすることもできない
今生の課題につながる設定であれば
それをメインテーマに人生のドラマが展開する
本当は別のチャンネルがあるんだけど
自分ではなかなか切り替えられない

その潜在意識の自動操縦の設定にどうしたら
エネルギーを作用させることができるのか、ですよね。<


潜在意識がまさに無意識に働いて、まるで自動操縦のように人生の現実を引き寄せていくということに、改めて驚愕しています。
特に今年に入ってから、驚愕の実例をいくつも目の当たりにしています。

これは実例というわけではないという前提で書くのですが、実例と思っていただいても構いません。

40歳代のある夫婦(AさんとB子さん)のことです。
B子さんが幼い頃に彼女の父親は事故にあって半身不随の後遺症が残りました。
十分な補償がなかったので、彼女は相当の苦労をして育ち、十分な収入につながる国家資格を得て、その仕事で能力も発揮していました。
Aさんと結婚して、子どもを授かって仕事は辞めましたが、いつでも復帰することができます。

Aさんは都会から農村に移住して農業をしていたのですが、子供ができたことで安定した収入のある大きな会社の小さな出張所に就職しました。
しかし、元々が自由な生き方を願うAさんにとって、会社という組織や利益追求の仕事の仕方は馴染みにくいもので、彼はだんだん疲れてきました。
その業種は忙しい割には給料が低くて、彼は連休の時期にはアルバイトに行ったりもしていました。

彼が農業に戻って家事や子育てを担当して、B子さんが資格を生かして職場復帰するということも可能でした。
その方が収入的にも安定したはずです。
しかし、彼はそうはしませんでした。
B子さんも、「農業などの自営業だと事故が起きた時に十分な補償がないので、会社を辞めないでほしい」と言っていました。
夫が会社を辞めることに反対する妻は多いのでしょうが、その理由が「事故にあった時の補償がないから辞めないで」というのは非常に珍しいと思います。

B子さんは、父親が事故にあって十分な補償が受けられず、家族がとても苦労したということが深い心の傷になって、「事故にあった時には必ず十分な補償を受ける」ということが絶対命題として潜在意識に刷り込まれていたのでしょう。

そして、そういう話が出てしばらくした頃に、Aさんは仕事中に事故を起こして即死してしまいます。
Aさんの仕事はそれほど危険な業種でもなく、死亡事故というのは非常に少ないと思います。
Aさんの事故は、本人の過失が原因でした。
その過失もちょっと考えられないようなもので、しかもその上に不運が重なっての死亡事故になってしまいました。

これはまさに、B子さんの潜在意識が自動操縦で現実化したのだとしか思えないのです。

しかも、全く誰も予期していなかった突然の死亡事故でしたが、B子さんはさほど動揺することもなく、急死の翌日には会社に対して補償の要請をしたのです。
お通夜も済んでいないのに、会社の安全配慮義務(違反)について、かなり調べた上で補償の話を会社側に伝えたのです。
まるで夫がそういう事故にあうことを予見していたかのように。

つまり、「会社に勤めていれば、事故にあった時に十分な補償を受けられるから」が会社を辞めてほしくないことの最大の理由であったB子さんに、夫が事故で死亡するという極めて珍しいことがもたらされたのです。
しかも、夫が急死した翌日にはもう補償の要請を持ち出しているのです。

もちろん労災の補償はおりますし、Aさんは生命保険にも入っていて、すぐに生活に困るような状況ではなかったのです。
夫の死亡の翌日に会社の安全配慮義務のことを調べて話ができるならば、安全配慮義務違反の賠償請求の時効は10年だということも分かっていたはずです。

どう考えても死亡の翌日にそんな話を持ち出す必要はなかったのですが、それもまた潜在意識が自動操縦でもたらした現実なのだと思います。
ちなみにAさんとB子さんは特に夫婦仲が悪かったわけではありません。

B子さんの理性や感情をはるかに超えて、潜在意識が現実として顕現されたのだと思います。
B子さんの潜在意識のみではなく、Aさん本人に蓄積されて潜在意識化していた「地上人生への疲れ」と噛み合ってしまって、そういう現実が引き起こされたのでしょう。


人間の意識に占める割合は、潜在意識が90%で顕在意識(理性やその時々の感情)が10%だといわれています。
つまり、理性やその時その時の感情などにお構いなしに、潜在意識は自動操縦のように機能して現実を引き起こしていくのです。
潜在意識は物事の善悪や自分にとっての好都合・不都合などの判断をしないので、どんな現実でも起こしてしまうのです。


別の人の場合では、幼い頃の環境において、「どんな状況でも辛そうな顔も見せずに、私が支えていくしかない。辛い顔を見せたら大好きなお母さんをさらに傷つけることになるのだし、自分が負けてしまっているかのように周囲の人から見られることは、自分がさらに惨めになって耐えられない。だから私は何が起きても正面から受け止めて、その時に一番力添えが必要な人を支えるために、強く生きていく」と意志して、潜在意識に刷り込んでいきました。
刷り込むというよりは、さまざまなことが反復継続してもたらされる中で、そういう思い方がいつしか潜在意識化したということでしょう。

その人は私生活では人生の大半において、一人で背負うにはあまりにも過酷なことがも次々とたらされ続ける中で、支えるべき人を気丈に健気にしっかりと支え続けてきました。

(しかし、ようやく「やはり自分は辛かった。悲しかった。自分がそうして頑張ってきたからこそ、今生で縁を結んだ人たちを支えることができたのだが、辛さや悲しさを無いものにして頑張るのはやはり、しんどかった」としっかりと認識し、それを自分でも言葉にできたので、潜在意識はエネルギー的にも変化するでしょうし、もたらされている現実にも変化が起きてくるはずです。実際に嬉しい変化はもう起き始めています)


その他にも、最近は実にさまざまな事例を見聞きします。
具体的に紹介するのは控えますが、通常はあり得ないような出来事には、やはり通常はあり得ないようなその人の潜在意識が直接的に関わっていると断言できます。

もちろん、通常はあり得ないような潜在意識を持っている人がもたらされた出来事の原因を作ったなどという意味ではありません。
幼い頃からの心の傷が反復・増幅される中で潜在意識化するのですから、それはもう誰が原因を作ったということではなく、もちろん誰の責任でもありません。

あえて元をたどれば、それはその人たちの過去世から持ち越したカルマということになるのでしょうし、もたらされたことを超えて喜びに着地することや、潜在意識のベースを健やかな喜びに書き換えることを目的としてもたらされたものであるのです。

そして、潜在意識が現実化するということは、決して通常はあり得ないような衝撃的な出来事だけではなく、誰もが無意識のうちに自分の潜在意識によって自分自身の現在・現実を作っているということです。

潜在意識が自動操縦で現実になるといっても、ある程度は顕在意識の影響も受けますし、もたらされる出来事の種類によっては相手役の人の潜在意識も関わっているので、単純には分かりにくい場合もあります。
しかし、「潜在意識が自動操縦のように現実化する」というのは紛れもない事実であり真実であることは間違いありません。


ということは、潜在意識を書き換えなければ、地上人生はどうにもならないのです。
逆からいえば、潜在意識を書き換えれば、地上人生はどうにでもなるのです。

では、自分の潜在意識を書き換え、関わっている人の潜在意識に働きかけるにはどうすればよいのか?
それについては今までもいろいろと提示してきましたが、その実効力に関してはまだまだ不十分でした。
しかし、ようやくにしてその確かな方法を見つけることができたような気がしています!


「病についての通信」の脳のところから少し抜粋します。(一部文章を手直しします)

・人が地上に生きるのは、「地上においてより具体的に喜び(その魂にとってその時テーマとなっていること)を表現して生きること」を意志した、魂の意識があるからである、その魂の意志を“具体的に”表現するために指令を出すのが「脳」なのである。

・この言動のもとになるところは、脳においては“中心部”である。そこに設定した(「設定」とは意志すること)「〜する」「〜しない」という指令が、その言動を引き起こす。この中心部からの指令は、脳の表層での思考や判断とは違い、肉体(言動)への直接的な指示となるために、それに逆らうことができない。
肉体・言動に反映される指示の力の違いは大きく、「分かっている」という”脳の表層での意志“よりも、中心部の、「意識にのぼらない指示」の方が、言動(肉体)において優位を示す。(意識にのぼるというのは、脳の表層においての作用だから)

・この“中心部”は、「表層部において何度も繰り返し意識したことが定着し、中心部に送り込まれ、それを“習慣”として蓄える」働きを担う。それがあるからこそ「考えなくても」そうできる。それが「身につく」ということである。

・もうひとつは、繰り返しによってではなく、強い衝撃があって、そのことから心と体を守るための「反応」が形作られること。その反応が繰り返されれば、「身に染みついた癖」となる。


・身に起こる出来事、人との関わりは全て、魂の意志に従って、「自らのテーマを越え、喜びを表現して地上を生きる」ための計らい・導き、そして魂の意志なのである。

・いずれにしても、なかなか変えようのない部分を抱えるのは、脳においては“中心部”である。そこから出される指令が、肉体・言動により強く作用するのであるから、心と体の健やかさを求める際に、そこにエネルギーを注ぐことが重要な鍵となるのである。

・本来的には、魂の意志が、それにふさわしい考え方・判断・価値観として認識され(理性ー脳の表層部)、感じ・思い(感情ー表層部を経由して、いくつかの器官、偏桃体等)、そして言動を指令する(行動に移す直前、中心部)。その指令は、具体的な反応・動きの指示として各神経を通じて肉体に送られ、肉体を動かす。
このいずれの段階においても、そのエネルギー変換・伝達を阻むものがなければ
、その人は魂の意志のままに考え、思い、行動できることになる。

・魂の意志においては「全てのことが喜び」であるから、次に変換された理性の次元でも、感情に関しても、そこで生ずる活動は全て、その人の各層の喜びとなる。
当然のことながら、発される言葉も、それを行動に移すにおいても、この状態であるならば、もはや「病」は生じようがない。なぜなら、いかなるかげりも生まれないのだから。エネルギーを阻むものがなければかげりは生じず、それは肉体にとっては「健やかなこと」そのもの。
最終的に「癒される」とは、こういったエネルギーの流れの状態がその人の全ての“からだ”において実現することである。

・その人にとっての喜びとは何か。それに素直に従って日々を生きているか。それが、脳が担っている魂の意志の変換と指令にかかっているのである。

・健やかな変換と指令が脳内でなされるにあたって、そこに大きく働きかけるエネルギーは、「自分の心をありのままに表現して生きようとする意志」である。
特に癒し手は、このエネルギーを癒す対象に強く注ぐことが大切であり、自分がそれに従って生きることが求められる。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。

潜在意識が脳の中心部に蓄積されることは、今の科学でも言われています。
しかし、10数年前に克が「病についての通信」を受信したとき、彼女はそのことを全く知りませんでした。
(意外に思う人も多いかもしれませんが、地上の克は「知らないこと」がけっこう多い人でした)
その意味でも、ここに書かれていることは、まぎれもなく霊界からの通信であり、その重要性に今頃になって気づいた次第です。

とりあえず思いついたことを提案します。
以前から、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫(絶対安心)」という言葉を何度も唱えることをお勧めしてきました。
その意識・言葉・行為行動はまさにすべての人間が地上で表現していく、共通の魂の意志であるはずだからです。
そして、その意識を潜在意識に刷り込むことで、全てが喜びに変わっていくはずだという確信があったからです。

これからは、眠りに入る直前や何となくボーっとできる時に、その言葉を脳の中心部に刷り込むように唱えてみてください。
脳の中心部と言ってもイメージしにくいかもしれませんが、私は自分の眉間から下、両耳の穴を結んだ真ん中あたりに、拳(こぶし)ぐらいの大きさの「脳の中心部」をイメージしています。
初めは顕在意識が働きますが、慣れてくれば脳の中心部にその意識や言葉がじんわりと沁み込んでいく実感が出てきます。

それを繰り返したうえで、対象者の脳の中心部をイメージして、自分の脳の中心部と対象者の脳の中心部をつないで(波動的にですが)、「いのちはひとつらなり・・・」という意識やそのほかの意識・エネルギーをじんわりと送っています。
まだまだ始めたばかりですが、人によってはその翌日から「浄化・排出」と思われる症状が表れることもありました。(もちろん一過性の症状です)

本来の潜在意識とは、それぞれの魂の意識であるのですが、誰もが潜在意識に歪みの元を抱えています。
病やトラブルを抱えている人はもちろんのこと、ヒーラー側もやはり歪みの元をなかなか払拭できていないわけです。
そして潜在意識の歪みの元を解消して魂の意識の喜びをベースにしていく作業を、自分一人でするのは相当に困難なことだと思います。

何といっても相手は自分自身でも認識できない潜在意識なのですし、潜在意識の力が90%、顕在意識の力が10%であれば、これは到底太刀打ちできる相手ではありません。
だからこそ、仲間たちとの共鳴によって桁違いに増幅されたエネルギーでしか成就しないことだと思います。
そして、仲間たちとの共鳴のエネルギーによれば、必ず成就するはずだと確信しています。

一人ひとりがある程度の準備をして、次の定例会で大きく共鳴させたいのです。


また補足して書きますが、まずはその提案をします。
ご意見やご質問が感想など、何でも書いてくださいね。

私は昨日から、リプトン博士の「思考のすごい力」を読み直しています。
改めて強烈に気づかされることが多々あります。
私たちは、科学的にも極めて理に適った、「地上人類の進化(霊性の具現化)」という大きなプロジェクトの一翼を担い、果敢にチャレンジしているグループであることは間違いなさそうです。

それぞれの現状がどうであれ、魂の意志と約束によって、こうして地上でつながった仲間たちに違いありません。
そして、そういう仲間たちの意志と共鳴のエネルギーによってしか、地上人類の進化(霊性の具現化)の風穴を開けることはできないのです。
さまざまな試行錯誤を重ねながら、ようやくここまで進んできたのです。
ここを正念場・勝負どころと心得て、共にこの峠を越えてしまいましょう!
全ては一人ひとりの意志と意欲、そして力みにならない程度のそれなりの弛まぬ努力です。

引き続き書き込みをお待ちしています。

03/08/2016(水) 16:03:57


No.15002  恵美子
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
ありがとうございます。
ここ数日、
潜在意識のこと、指令を出している脳の中心部のことに意識を巡らせておりました。
日常のさまざまな場面で、”いのちはひとつらなり”を唱えていました。脳の中心部が”何があっても大丈夫、(絶対安心)が根付くことで、もたらされるすべてのことが喜びとなる。そんなイメージでエネルギーを送っていました。

ヌマさんからも伝えられたことでしたが、、、
私の潜在意識は
私がしっかりして、がんばっていかなければいけない。
そういう現実を引き寄せているというものなのですが、、、
ある時期を境にして、ここまでずっとそうなのでした。
でも、今になって振り返ると、他にやり方があったんじゃないなの?そう思えるのです。
人のためには、自分の体や経済も抜きに動いてしまう。動かずにはおれない自分がいて、自分でも妙?でした。
なんでここまでしてしまうかなあ、、、

自分の有様がよく見えるようになって(笑)
ただいま修正中!

心も体もすべてにいきわたらせます。
”いのちはひとつらなり、みんな大好き、ありがとう。何があっても大丈夫、絶対安心”

ビール片手に、ここを覗き込んでしまいました(失礼)
酔ってはいませんが、思いつくまま書き込みました。

03/08/2016(水) 18:26:28

No.15003  のものも
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
脳の中心部、なんだか、凄い興奮しております私はっ。
今日からやってみます。と言うかもうやってます!
ありがとうございます。
次の定例会の共鳴が、今から楽しみです!

03/08/2016(水) 20:28:13

No.15004  Kanda
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
こんにちは。暑い日が続いていますね。
飯沼さん。いつもありがとうございます。
なかなか書き込みできずにいました。
掲示板の流れにちょっとついていけていませんが、今思ったことを書きました。

自分が思うように現実ができている。と知ったときは「そうなんだ!」と嬉しい気持ちよりも「この代わり映えしない状況は自分が作っているんだ」と、どんと落ち込みました。
こういう思考回路だからそうなるのにです。

若いときの私は理由のない自信があって、今考えると恥ずかしい間違いを犯していました。しかし、自分はできる!という思い込み。自分勝手さが自分を前へ前へと進めてくれていたと思います。
あの頃の自信や怖れない感じ、その後の経験。それを含めて成長に伴い身に付けたちょっとのずるい知恵なんかをいい知恵に転換させて自分の世界を心地良いものにしてみようって思います。
作っているのは自分。波風の立たない日々はそれでいいのだけど、演じている役も多彩になるし、同じ役でも変化します。
そこで選び出す行動や言葉が鍵であり分岐点なんだと思います。
変わらなくては!!という強い思いが逆に柔軟な考えを硬くしているのかもしれないです。自然体になればいいのかという感じです。

きっと今まで飯沼さんや克子さん、みなさんがこの掲示板に書かれたことばかりだと思います。その時に読んで分かったように思っていたけれど、実際に自分が「そうなんだー」と納得しないと自分のものにならないのだなあといつも思います。そこまでが長い!です。私。

「集大成。幸せってなんだろう」
今朝起きて頭に浮かびました。

不幸と思わせることが続いた。それを払拭してくれたのは悠々塾で。
今までいろんな事を学んだと思います。
たくさんのメッセージ。たくさんの事柄。エネルギーを送る。大切な人の死。
どん底から這い上がる。その時はどんなに辛くても今は笑って幸せだと思える。
小さな幸せを感じ取る。

今朝は手の強張りがいつもより全然なくてとても楽な朝です。
ありがとうございます。と伝えます。

私が今一番欲しいものは彼からの「いつもありがとう。頑張ってるけれども無理するなよ」という言葉。いつも思ってくれているのはわかっているけれども、言葉は大切で言葉にして欲しいところがあります。面倒くさい私なんですが私だって褒められたいし感謝されたい。だから私は気持ちをまっすぐに言葉にすることをします。大げさだったりするけれども。でも、彼にそうできているかと思えばそうでもない。似た者同士であります。

誰かのために動く事が活力になります。自分の事は二の次であり自分の事は面倒です。
自己犠牲という言葉はオーバーかもしれませんが、相手が絶対喜んでくれると感じることは少々自分が疲れていても実行します。自己満足と思われても気分が良いし、疲れもどこかへ吹っ飛びます(でも年をとるとなかなか吹っ飛んでくれなくなってきましたが・・)
喜びのエネルギーは甚大です。

ただ単に「思うことが現実となる」と言われたわけではなくて、今まで悠々塾で学んだことをふまえてのことなので。身についていること、思考の流れ。できていないことも多々あるけれど。

今この時期。集大成と思ったのはやはり本気にならなければいけないということだと思います。自分の持ち場でできる限りがんばります。

今朝、息子が仕事のことで悩んでいたので、「わからないことがあれば曖昧にしておかないで相手にうるさいなあと思われてもわかるまで聞いた方がいいよ。私はわかるまでしつこく聞くよ。できない奴と思われても。実際できないんだから。できない母ちゃんでよかったでしょ。できる母ちゃだったら「そんなこともわからないの?」って言うわ」って言ったら「できない母ちゃんだからいいんじゃなくて母さんで良かった」と言って出勤していきました。嬉しい言葉にちょっと泣けました。

これから灼熱の弁当屋に仕事に行ってきます(汗)
帰って来て掲示板じっくり読ませていただきます。

04/08/2016(木) 09:34:03

No.15005  恵美子
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
> とりあえず思いついたことを提案します。
> 以前から、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫(絶対安心)」という言葉を何度も唱えることをお勧めしてきました。
> その意識・言葉・行為行動はまさにすべての人間が地上で表現していく、共通の魂の意志であるはずだからです。
> そして、その意識を潜在意識に刷り込むことで、全てが喜びに変わっていくはずだという確信があったからです。
>
> これからは、眠りに入る直前

自分の眉間から下、両耳の穴を結んだ真ん中あたりに、拳(こぶし)ぐらいの大きさの「脳の中心部」をイメージしています。
> 初めは顕在意識が働きますが、慣れてくれば脳の中心部にその意識や言葉がじんわりと沁み込んでいく実感が出てきます。

早速やってみました。
これまでとは少し違うのですが、じわじわ満たされていく感じがより実感できました。
なんとも暖かく、包み込まれたエネルギーでした。

エネルギーを送る相手によっては、透明人間のように?ひょいっとエネルギーが届く感じがあったりしました。

その後の夢のこと、、、
そのエネルギーは、病も悩みごともなにもかも解決しできるのです。
難解な方程式が一瞬にして解ける、、、あるいはトランプの神経衰弱で札を次々当てていくような感じでした。
何かがきっかけとなり、そのことに気づくのでしょうか。
すごいエネルギーなんだと思いました。
この機を逃してはいけない、そう思って再び眠りにつきました。

その後、一度目覚めて、再び夢、、、
そのエネルギーの入ったカバン?をもって、どこへいけばいいのか分からなくなってしまい、よく知っているはずの東京の山手線で方向も行き先も分からなくなっているのです。
初めにみた夢と後で見た夢が間逆のようで、おかしいですね。

自分の潜在意識を喜びの意識へ切り替えていきたいです。
そして、他のひとたちへのたすけにもなっていきたいです。
きのう送られてきた、悠々通信にあった福島の人たちの苦しみにも
寄り添っていきたいと思うのです。

04/08/2016(木) 09:38:14

No.15006  エーチャン
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
色々言いたいこと、思うことは次々に湧き上がってくるものの、文章にまとめることができません。

私の青春時代の歌の文句ではありませんが、「暗い霧を吹き飛ばしたい」という思いが強くあります。

ヌマさんの提案、地道に続けていきます。

04/08/2016(木) 10:20:30

No.15007  まゆみ
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
ヌマさんが私に、潜在意識に向けてエネルギーを送ってくれた翌日のことです。
(私はエネルギーを送ってくれていること知りませんでした)
寝違いのように首(左側)が痛くて動かすのが大変でした。
でも何とか車に乗って買い物に出たりはできてましたが、横になるのが楽で横になったりもしてました。
寝違いならしばらく痛みは続くと思いますが翌日なんだかすきっとした感じで(少し痛むくらい)、あれっ治ってると普通に動くことができました。
が、その日のお昼頃から今度は右側の首が同じような寝違いのように痛くなって・・・
口を開けて食べるのも痛く大変でした。
が、次の日その痛みは治まってました。(少し頭痛はしましたが・・・)
こんな症状が出たのははじめてでした。
これは寝違いなどではないなと思いました。間違いなく排出でしょう。
痛い思いをして何か変わった実感があるかというと・・・
何もとりたてて変わった感じはなく・・・
(まぁ私の潜在意識は結構やっかいなんだろうと思いながら)
痛い思いをしましたが、排出できたものがあるならばうれしいことだなと思います。
ヌマさんからのエネルギーを強烈に受けたのは間違いないと思います。
他の人でエネルギーを送ってもらって排出のような症状が出た人はないのかなと思いました。
私だから強烈な排出になったというのは考えられますが・・・(まだまだヌマさんに対する抵抗感が根強い??)
とまぁいろいろありますが、

「いのちはひとつらなり」という全て
「みんな大好き」という祝福
「ありがとう」という感謝
「大丈夫」という絶対安心

このキーをしっかりと染み込ませ
この気持ちで喜びを広げて行きます。
魂は知っているのだから、自分を信じて進んで行きます。
潜在意識に「いのちはひとつらなり・・・」と唱えて、全ての人が喜べるステージに進みます。
この願いはみんなの願いだと思います。
その願いを共鳴させれば世界を変えていけるのです。
共鳴してこそ成し遂げられる。

(言葉にすると自分につっこみを入れたくなるほど気恥ずかしい感はあり、つい書き込みをおろそかにしてしまいます。が、今の自分を基準にしない。停滞するときもあれば、つまづくこともある。でもこの気持ちで進んでいることに自信を持ってます)

みなさんの書き込みを読んでてたくさんのエネルギーをもらいます。
みんなで共鳴度を高めましょう!

05/08/2016(金) 07:14:52

No.15008  さき
Re: 共鳴のエネルギーで潜在意識を喜びベースに書き換えよう! 引用
ぬまさん、すぐにコメントできなかったですがちゃんと読んでますよ〜
皆様の投稿にも刺激を受けています。
意志と意欲の高まりを感じます。

ぬまさんが「騙されたと思って3年間は自分についてきてほしい」という話をしてから3年。多分この9月で4年になるのだと思います。
大きな導きと計らいのなかにあることを感じています。
そして、ついにここまで来た。

理屈抜きのヒーリーングエネルギー
マスターキーのエネルギーまであと一歩。
峠を越えることは簡単ではないけど
皆の共鳴が新しい次元を切り拓きます

私も脳の中心部を意識して共鳴してます。
「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。
何があっても大丈夫(絶対安心)」

>これからは、眠りに入る直前や何となくボーっとできる時に、その言葉を脳の中心部に刷り込むように唱えてみてください。
脳の中心部と言ってもイメージしにくいかもしれませんが、私は自分の眉間から下、両耳の穴を結んだ真ん中あたりに、拳(こぶし)ぐらいの大きさの「脳の中心部」をイメージしています。
初めは顕在意識が働きますが、慣れてくれば脳の中心部にその意識や言葉がじんわりと沁み込んでいく実感が出てきます。<

9月の定例会が楽しみです!

05/08/2016(金) 07:49:17


No.14989 飯沼正晴  E-mail
もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
ちづこさん、定例会に参加した者さん(みゆきちゃん)、ゆみっぺさん、恵美子さん、ゆうき君、和也さん、ぽんたさん、コメントありがとうございます。

引き続き、皆さんからの投稿をお待ちします。
繰り返しますが、同じ人が何度書いても構いません。
何度でも書いて、根付かせていってほしいと思います。

みなさんにも読んでもらいたいので、先ほどクライアントさんに書いたメールの一部を以下に転載します。
。。。。。

そのごきょうだいさん(←念のためにここはボカシを入れておきます)はやはり、「自分は母親から愛情を向けてもらえていない」という不満や妬みが、お金をめぐってのところで強く表現されているのだと思います。
それだけではなく、父親に対する反発・反動が、自分の家族に対して強烈に表現されているように思います。

今の状態、今の段階では、すぐにはどうにもならないのかもしれませんね。
しかしこのままいけば、いずれはそのごきょうだいさん自身が人生の寂しさを誤魔化しきれないほどに感じる時がくるでしょうから、その時にどう関わってあげるかですね。(もちろん、その時まで今の舞台の幕が下りなければの話ですが)

感情というものは善悪の判断とは別のところで動くものですし、それが潜在意識化してしまっていれば、なおさらです。
なので周囲の人間は不愉快な思いをさせられ、理不尽な言動に振り回されるわけですが、自分自身の潜在意識が(霊としての)喜びベースになっていれば、さほど苦にならないものです。

むしろ、そうなってこそ相手の潜在意識を動かす(解放する)ことができるようになるのでしょうね。

地上人生のシナリオはあるにはあっても、決して固定されたものではないように思います。

今、舞台で演じられている(展開している)シナリオは、あくまでも今までや今の意識・言動に見合ったレベルのものになるわけです。
しかし、出演者の誰かの意識や言動が大きく変われば、それを踏まえたシナリオが適用される仕組みになっているのではないかと思います。

いずれにしても摂理に照らして舞台の現実が展開されるのですが、摂理というものは実に奥深いもので、決して一面的に固定されているものではないように思うのです。

摂理そのものは不変ですが、しかしそれに基づくシナリオには無数のバージョンが内在しているような気がしています。

私が数年前に四国の祖谷で受けた、「全てはすでにそこに在る。後は人間がどれを選択するかだ」という強烈なインスピレーションの意味はそういうことだと思います。

つまり、地上人生という舞台は、自分の潜在意識を含む全意識や実際の言動によって、いかようにも展開していくのでしょう。

その原理が分かれば、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫(絶対安心)」を自分の潜在意識に定着させ、顕在意識で認識・補強し、それを実際の言動で表現していくことがいかに重要なことなのかも分かります。

自分の地上人生の全てを通じて、自分の地上人生の全てを懸けて、そうしていこうとすることが、自分自身の地上人生の意味なのでしょうね。

29/07/2016(金) 14:24:07


No.14990  猫都
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
投稿おそくなりましたが、定例会ありがとうございました。

克子さんからの定例会に向けてのメッセージを読んで、これはまさしく私のことだと思いました。
過去の苦しみや悲しみ、怒り、恨みなど、ずっと手放せずにいました。
過去の自分を正当化するために、絶対に手放すものか、相手を許すものか、私が正しいのだから当然のことと思ってきました。
そんな思いを抱いても苦しいだけだと分かっても、なかなか手放せずにいました。

でも年を経るごとに、本当の自分からどんどん遠ざかっていくようでした。
本当の自分ってどんなんだろう、わからなくなってしまいました。
人がどんどん怖くなっていって、もう人と関わりたくないと思うようになりました。
何かあると、その渦中から抜け出せず、自分の苦しい思いでいっぱいになっていました。
少しでも良くなるよう行動を起こせばよいのですが、それもぜす、まるでその苦しい思いから生きるエネルギーを得ていたような感じでした。
ちょっと離れて自分を見つめられたらよかったのに、今やっとそのことに気付かせてもらいました。
残りの人生、自分らしく生きたい、無駄にはしたくない。
誰に笑われようと、自分らしさを発揮していく。
「いのちはひとつらなり、みんな大好き、ありがとう。大丈夫、絶対安心」


最後になりましたが、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
残されたご家族の方が、どうか力強く生きていかれますように。

30/07/2016(土) 02:15:54

No.14991  のものも
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
不満や妬みが、お金をめぐってのところで強く表現されているのだと思います。
それだけではなく、父親に対する反発・反動が、自分の家族に対して強烈に表現されているように思います。
以前、夫とうまくいかない時期があって、怒りが収まらなくて、その後多額のお金のトラブルがあって、成る程なぁと言う思いです。

今、その恨みが、どうやって消えたのかは、自分でもわからないけど、嘘のような楽しい毎日を送れている。
仕事の事で夫と苦労してても、「楽しむ事」と同じくらい幸せなことですね。

苦手な父親と関わる程、直接関係のない周りの人やら夫やらと、益々仲良くなれるような感じです。

「私が変わっていく事」で、直接関係のない人達と仲良く出来るので、幸せが連鎖していくのだと思います。

亡くなられて残された家族の事を思うと、胸が痛みます。

30/07/2016(土) 08:06:09

No.14993  エーチャン
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
書こうと思いながら、なかなか書けないという状態が続いています。

でも、皆さんの投稿を読んでいて、すごく励まされます。逃げずに自分の課題に向き合い、超えようと挑んでおられるのがよく分かり、私も同じように頑張ろうと思えてくるのです。自分ひとりではない、悠々塾の仲間もみんな同じように頑張っている、これは私にとって大きな心の支えです。これからも挑み続けます。

みゆきさん(みゆるんさんですね)、大変だったと思います。またご家族にとっても大変辛く、また受け入れることも簡単にはできないと思います。

実は、私が小学生の頃、隣家の叔父さん(多分40代前半くらいだったと思います)が事故で亡くなりました。その奥さんが大声で号泣する姿は50年以上たった今も目に焼き付いています。

ご家族の心が支えられますよう、お祈りいたします。

30/07/2016(土) 09:25:46

No.14994  飯沼正晴 E-mail
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
猫都さん、のものもさん、エーちゃん、コメントありがとうございます。


具体的には書けないのですが、この半年あまり、「潜在意識が現実を作っている」ということについて、強烈な実例をいくつも目の当たりにしてきました。
その極めつけのような驚愕の出来事が数日前にあり、改めて潜在意識が全てを引き寄せているのだと思い知りました。

出来事が衝撃的だっただけでなく、その出来事が舞台の出演者の潜在意識とガッチリと噛み合っているのです。
普通は絶対にそういうことを潜在意識に持っていないだろうというような潜在意識を持った出演者のいる舞台で、その潜在意識がそのまま現実になったとしか考えられない出来事(確率的にはまず絶対にあり得ないような)が起きるわけです。
(誤解を避けるために書いておきますが、それは誰かが誰かの死を望むというような、あり得ないようで実はしばしばある暗黒界的な潜在意識ではありません)

潜在意識の実現力に改めて衝撃を受けました。
潜在意識は病や他の全てのことにも大きく関わっているわけですから、やはりそこへのアプローチ抜きでは地上的にはどうにもならないと思い知ったのです。
ヒーリングでも、おそらくはその人の潜在意識に作用した場合は劇的な治癒・改善がありますが、その一方で全く効果の出ないケースもあります。
かなりの期間、ヒーリングを続けることで徐々に効果が現れる場合も少なくありません。

しかし、潜在意識というものは本人が意識できないわけですし、まさに染みついたものですから、そこに作用することは容易いものではありません。

一昨日の夜から、潜在意識にストレートにヒーリングエネルギーを送りたいと思い、いろいろやっていました。
昨日、さきさんにそのことを伝えると、さきさんから「『病についての通信』の脳についてのところに大きなヒントがあるんじゃないか?」というメールが来て、私も改めて読み直しました。

実は『病についての通信』の脳についてのところは、他のところとは違っていて、書かれていることの意味がよく分からなかったというか、何となく腹に落ちない感じがあったのです。
本にするときに、さきさんから「脳のところは分かりにくいので掲載しない方がいいんじゃない?」という意見が出たほどでした。

しかし、昨日読み直してみたら、まさにドンピシャで「今のために克は受信筆記したのだ!」と思えるほどでした。

潜在意識は善悪や好都合・不都合の判断がなく、ただひたすらその人の潜在意識がその人自身やその人の人生の舞台に実現されていくのです。
「どうして(いつも)こうなってしまうのだろう?」と思うようなことは、全てが潜在意識が現実化したものだといえるでしょう。

潜在意識を喜びベースに切り替え、霊としての意識(魂の意識)にしっかりとつなげると、その人自身の現実もその人の地上人生という舞台もまさに劇的に変わるはずです。

「自分の潜在意識を切り替えて、自分の地上人生という舞台を喜びに転換したい。その力添えがほしい」と思う人は、どうぞ(遠隔)ヒーリングをお申し込みください。

まだまだ途上ですが、どんどんやっていきましょう!

ここからさらにパワーアップしていけると思います。
。。。。。。

☆補足します。

「潜在意識で願えば叶う。潜在意識で引き寄せる」とよく言われています。
それは確かにそうなのですが、しかし潜在意識が現実化するのはそれだけではありません。

うまく言葉で言えないのですが、「潜在意識に刷り込まれている思いに沿って自分の人生の舞台が自動的に(!)展開していく」ということです、

まるでお芝居のように、潜在意識の刷り込みがその人の人生という舞台で次々に現実化するのです。

その歪んだ刷り込みを解消していくことは、すなわちカルマの解消でもあります。

霊としての意識(魂の意識)を潜在意識とつなげれば、元々はそれが優位なのですから、その人の潜在意識は必ず切り替わり、潜在意識が喜びベースになれば、その人の実際の人生も劇的に喜びに変わっていくはずなのです。

30/07/2016(土) 11:09:58

No.14995  みんと
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
皆さんの投稿、読ませてもらってます。

私も同様に、克子さんのメッセージの中に
“これは絶対自分のことだ”とあまりにも意表をつかれる部分があり、反省しきりの毎日です。
日々の生活に追われ忙しいを理由に、根本的なことから逃げていたような気がします。

自分は“霊”であること

なおざりになってました。
年齢ばかり重ねてしまい、本当の意味で成長してないようです。
自分を常に点検し“霊”であることを起点に今さらながらですが
生き直そうと思ってます。

克子さん、飯沼さん
いつも重要なメッセージ本当にありがとうございます。

31/07/2016(日) 08:02:03

No.14996  あおやま
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
「すでに始まっている」ことを肌で感じるようになり、大事な節目を迎えている厳しい状況を実感します。
>何を優先してどこにどれだけのエーテルエネルギーを使っていくのかこそが、今の私たちのテーマでもあるのです。
飯沼さんの「本気」と「熱」が伝わってきます、それだけ切迫しているということだと思います。

米寿を迎えようかという高齢の利用者さんから、「これから世の中大変なことになりますよ、今大事な節目の時、霊主体従でなきゃいけないの。
もう始まっているのよ」とお聞きし、ちょっとトリハダたちました。

定例会でペアでエネルギーを通して下さったYさん、ありがとうございました。穏やかで優しいお顔をしていて、にっこり笑ったかわいいお地蔵さまのようでした。

31/07/2016(日) 14:19:31

No.14997  さき
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
一昨日、飯沼さんから潜在意識の現実化についての衝撃的実例、としか思えない話を聞いて身震いしました。
どう考えてもあり得ないことなのに、それが現実化した。
全身鳥肌が立ちました。

潜在意識に刷り込まれた衝撃や感覚や
刷り込んでしまった感情は意識は
自分でも意識してないのに
しっかり自動操縦が設定されたように動き続ける
(それが喜びにつながらないことであってもです)
無意識だから自分でもどうすることもできない
今生の課題につながる設定であれば
それをメインテーマに人生のドラマが展開する
本当は別のチャンネルがあるんだけど
自分ではなかなか切り替えられない

その潜在意識の自動操縦の設定にどうしたら
エネルギーを作用させることができるのか、ですよね。

ぬまさんから話を聞いて
病の通信の脳についてのメッセージが浮かびました。
冊子にする時に、これだけわかりにくいし私自身もよくわからないし「抜かした方がいいんじゃないか」と提案した経緯があります。
けど数年前に読み直した時に、やっぱりこれは大事な内容なんだと思いかえしたものでした。
脳よ、脳よと思って、今回また読み返したらやっぱり難しいのですが脳の中心部にヒントがあるのは間違いないと思いました。

>霊としての意識(魂の意識)を潜在意識とつなげれば、元々はそれが優位なのですから、その人の潜在意識は必ず切り替わり、潜在意識が喜びベースになれば、その人の実際の人生も劇的に喜びに変わっていくはずなのです。<

そこに作用していきたいです。

31/07/2016(日) 16:04:51

No.14998  あきえ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
定例会から帰ってきてから、なんとなくですが、心にこだわりがなくなってきたように思います。

私は、悪いことがおきるのは全部自分のせいだったのだと思い込んだ時から、以前にも増して泥沼の中にいるような状態が長い間続きました。
自分としては、なりふり構わず頑張ってきたつもりだったので、余計心を閉ざし、物事を否定的に捉えることしかできなかったのだと思います。

自分の未熟さもあって、地上次元のことに囚われていたから、人間としてだけで生きてきたから、そして自分にはわからないまま、潜在意識に刷り込んでしまった歪みや囚われがそうした現実を引き寄せてきたのだと思います。
自分にもたらされた現実・現状は自分の地上人生にとって必要だからこそもたらされるのだということ、自分が引き寄せていたのだということも、悠々塾で学ばせていただいて、いまさらですが良くわかってきました。

>あれこれと考えるのではなく、ましてや自分の現状を否定的に見る(言う)のでもなく、「自分は肉体や重い感情もまといながらこの地上人生という舞台を生きている霊なのだ」と、きっぱりと認識することです。<
そうしていきたいです。

「いのちはひとつらなり、みんな大好き、ありがとう。何があっても、大丈夫。」と唱えていますが、なかなか変われないのは、まだまだ潜在意識に定着していないのだと思います。
自分の潜在意識を切り替えて歪んだ刷り込みを解消したいと思います。
そして、飯沼さんが、言われるように、地上的にも喜びの中で霊としての意識を高めていける、そのような地上人生にしていくことができればどれだけ嬉しいことかと思います。

31/07/2016(日) 22:17:40

No.14999  鉄ママ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
定例会の少し前に泰の遠隔ヒーリングをお願いしていました。
泰の私に対する言動が酷いので、、、といった内容でした。
頭では、泰が小さなころから否定してきた私を思い、酷い言葉を投げつけてきたのだから仕方が無い、と思いながら
それでも、あんまり酷い と思っていました。
どうしたらいいのだろう?と思いながら、結局は自分のことは棚上げにして泰を責め続けました。
長い長い時間です。
泰に軽いハンディがあること。
堀江さんが受信してくれたメッセージに、特別扱いと配慮の違いを母親に分かってもらいたい。確かに他の子供たちと同じではないために、同じ教室で同時に同じことをする時、支障はある。それを埋める意味での配慮は必要であるし、求めていいものなのだ。
とあります。
私は、この頃からずっと 同じではないこと にとらわれていたと思います。
泰に当たり前に出来ることを求めつづけてきました。
泰の弱さに向き合いたくなくて見て見ぬ振りをしてきました。
私のそういった意識は泰を苦しめてきたのだろうと思います。
願ってもいないことを私たちや泰に与えられたのだと思います。
hoyanoのコンセプトからかけ離れた私の意識です。

昨年の今頃、やはり泰の耳のことで遠隔ヒーリングをお願いしました。
その時のやり取りは、私にとって理不尽なもの、として受け取っていました。
なんで私ばかりがこんな風に言われなければいけないのか。
と怒りの中でしかメールの内容を読めていませんでした。
それも今読み返すと、泰のこと、hoyanoのこと、私の目の前にあることから目をそらし、向き合おうとしない姿勢に必死になって気づかせてくれようとする内容でした。
飯沼さん、すみませんでした。ありがとうございます。
自分が引き寄せている現実に向き合おうとせず、人のせいにしてグズグズ同じ場所に留まり続けてきました。
意識を切り替えます。
次のページをめくります。

02/08/2016(火) 02:25:12

No.15000  みさお
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために?A 引用
まず5月定例会で、私へエネルギーを送って下さり
ありがとうございました。
あれから、妹との関係は劇的に変わりました。
私の気持ちが変わったのだと思います。

人それぞれ、違いがあるということを何度も言われてきましたが
そこが、なかなかわからないままきていました…
妹といつものやり取りがあった時に、いつもなら「又!ほんとにもう…」と思うときに、「あっ!これなんだな、ここなんだ」と冷静に見る事から始まりました。

人の気持ちをわかり共に喜びあって生きる

何年も前に克子さんから教えて頂いた、私の生きる目的です。
この言葉が頭にありながら逆の事をしてしまう、それは自分にとっても苦しく不幸な事でした。
先月妹家族をお祭りに誘い一緒にいきました。
姪、甥が小さな頃から連れていっていたお祭り
父も一緒に行った事があり、妹と父の話をしたり一緒に甥を見守ったり甥ももう5年生だけど、小さな子どものようにはしゃいでいました。
お祭り後、食事に向かう為商業ビルを歩いている時に
妹がウインドウを立ち止まってみていました。
以前の私はそんな時に、「みんな歩いてるのに勝手な事をして」
と思い言葉にしていました。(お店が閉まいかけで急いでもいたので)
でも今回は、(今回からは)
「なんか良いものあった?」と声をかけ妹がこちらに来るのを待っていました。
その時の妹の嬉しそうな顔 「ううん良いのないけど、あまり服見ないから見ててん」と
何気ない会話で、同じ歩調で歩く
何年もなかったなぁ
母の事父や祖母、叔母の病気やしんどい思い出
それらの事で、私も違う方を向いてしまっていたけど
これからは、もっと軽やかな気持ちで嬉しい現実を引き寄せれる
ように、人の嬉しい気持ちが現実化できるようになります。

人との違いは、わからなかったのか わかろうとしなかったのか
それより自分の気持ちでいっぱいいっぱいで
そこにもの凄いエネルギーを使っていたのは間違いないです。

 

02/08/2016(火) 09:15:38


No.14992 のものも  
(No Subject) 引用

>不満や妬みが、お金をめぐってのところで強く表現されているのだと思います。
>それだけではなく、父親に対する反発・反動が、自分の家族に対して強烈に表現されているように思います。


>

つけ忘れました。
あと、悠々塾に繋がる人は、自分が変わっていく側の役目があると思いますす。

30/07/2016(土) 08:20:48



No.14971 飯沼正晴  E-mail
もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
ホープさん、なみさん、あきえさん、みさおさん、さいこさん、コメントありがとうございます。

スレッドを新しくしますが、引き続きコメントをお待ちします。
・・・・・・・・・・・

つい先ほどのことです。
定例会に参加した人の会社の同僚(妻子のある30歳代男性)が、仕事先での事故で急死したとの連絡が入りました。

私もその人とは何度か会って話したこともあり、あまりにも突然の訃報に衝撃を受けて呆然としています。
今どき珍しい、とても純朴な好人物でした。
ヒーラーとしての素質もあると感じていて、いずれゆっくりとお酒でも飲みたいと思っていました。

少しの関わりしかなかった私でさえ衝撃を受けているのですから、その人と会社で一緒だった人はどんなにか気持ちが乱れていることかと思います。

地上の人間としての感情を無いものにする必要はありませんし、そんなことはできるものでもないでしょう。

しかし、地上でもたらされることの全ては、自分が霊としての意識を確立し、それを揺るぎないベースにして言動していくためのものであるのです。

このことを受け入れられずに反発したとしても、それが自分としての思いではどうすることもできない摂理・真実なのです。

人間はいつかは必ず死ぬのですし、それがいつなのかは誰にも分かりません。

しかし、いつ地上を去るのかは、その人の地上人生のシナリオに織り込まれている、つまりその人の魂は知っているのです。
当然、地上人生という舞台での共演者たち(周囲の人たち)の魂も、それを知ったうえで地上で出会っているのです。
(しかし、そのシナリオは固定されたものではなく、摂理の整合性の中で変幻自在に書き換えられていくのだろうと私は思っています)

いずれにしても、地上での出来事は、自分自身が霊としての意識を確立して、それをベースに日々を生きていくためにもたらされるのです。

できるならば、地上的にも喜びの中で霊としての意識を高めていける地上人生にしたいものです。
同じことがもたらされても、自分自身の霊としての意識の開発次第で受け止め方も違ってくるのですし、霊としての意識がしっかりと根付けばもたらされる出来事・現実も変わってくるはずです。

ならば、地上の人間として大きく気持ちを乱すことがもたらされた時に、自分の感情に溺れて沈み込むのか、あるいはその時にこそ霊としての意識をしっかりと地固めするのかによって、この先の自分の現実もまた違ってくるのです。

先日来の投稿に私はあえて書くことを控えましたが、悠々塾が地上界浄化・地上人類の霊性進化の雛形のひとつであるならば、ここにつながる皆さん方にもさまざまなことがもたらされていくと感じていました。
「すでに始まっているのだ!」ということを伝えるのに、いつも以上の力がこもったのはそういう理由もありました。

(もちろん、悠々塾につながっているから、さまざまなことがもたらされるということではありません。むしろ、ここにつながっているからこそ苦難を超える意識・エネルギーを得ることもできるのですし、今までのままであればもたらされるはずの苦難を喜びの現実に転換させることもできるのです)

もたらされたことに心を乱し、霊としての意識をさらに遮断していくのであれば、地上的には喜びとは逆の次の出来事をまた引き寄せるのです。

シルバーバーチが何度も伝えているように、心が乱れる出来事がもたらされた時には、「霊的真理にしがみつく」ことです。

全ての人が、いかなる時も、苦しい時こそ、霊としての意識を確立し、それを優先的に日々の言動で表現できますように。
そして、地上に生きる霊として、地上的にも喜びの舞台で生きることができますように。


先日の定例会メッセージを読んで、あるいは参加しての思いを投稿することを呼びかけます。
同じ人が何度書いても構いません。

地上界は(その雛形としての悠々塾につながる私たちは)それぐらい大事な時期・節目を迎えているということを分かっていただきたいのです。

26/07/2016(火) 15:57:26


No.14972  きんもくせい
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
今回の定例会も参加できず残念でしたが、定例会メッセージは何度も読んでいます。

最初に読んだ時は、自分に当てはまるところが随所にあって、
あ〜〜これだこれだ。と思いましたが、同時に、
いい加減変わらなきゃ!
これが私のシナリオなんだ。そのシナリオの中で、私は魂の進化、学びを進めるしかないのだ。
私にもたされた出来事、配剤してくれている人々は、そもそも私が意志して決めてきたシナリオの中でのこと。全てを喜びとするために。
地上のことが全てではない。地上のことは私の魂の学びに必要と、
産まれ変わる前に自分で決めてきたこと。なんですよね。
だったら変わろう。霊界でも通用する生き方に変えよう。
霊として言動していこう。
そう思っています。

ちょっとだけ嬉しいことを書きます。
実は義母が認知症になり、毎月、病院やら介護の手続きやらで義母の所に通っています。
義母とは、価値観が全く合わず、また、義母は人に寄り添うタイプでもなく、その余りに強いエネルギーに、私はずっと緊張と恐怖と違和感で接してきました。
でも、震災後、義父が旅立った辺りから、そうしては居られず、義母に、かなり近づけるようになってきました。
そして、認知症と分かった今、義母がそういう価値観を持たざるおえない理由も分かってきて、そこに寄り添うものの、だからと言って
このままでは義母が何かとトラブルを起こしかねないので、そこを何とか義母が少しでも今の状態を維持して、不安を取り除いて、安心、安全に暮らせるようにと言動するようになりました。
相変わらず頑なさは半端ない義母ではありますが、
とにかく、義母の健康、生命、安心、安全を何より思って、義母が何を言おうと、何を言われようと、そこからブレない言動を心がけています。
義母のパワーは相変わらず強くて疲れるのですが、不思議とその疲れが以前のように苦しくないのです。
むしろ、義母との繋がりが徐々に深まってる感じがあるのです。
なんと、あれほど私に冷たい感じがしていた義母が、私の肩を借りてくれたり。嬉しいです。。。
これまでの自分を思いました。
私自身が、義母のことを、こんな人と決めてしまって、確かに価値観は違うけれど、私も義母を遠ざけていたのかもしれません。
私の人生のシナリオに義母として共演してくれてた義母。
そう心から思えていたら、もっと早くから学ぶことが沢山あったかもしれない。
そして、そんな義母の元で育った旦那ともいろいろありましたが、
今は旦那と共に義母を支えていく喜びを感じています。
旦那には、まあ、いろいろありましたが、それも喜びに着地する為のことだったのだと思います。

さきさんも引用されていた飯沼さんの言葉。
ほんとに、なかなか変われず自分でもまどろっこしい限りの代表ですが、
自分が再生した今回の地上人生で、悠々塾に繋がったこともシナリオの中であるなら、
霊としての意識からブレずに、皆さまと共に喜びの中で、さらなる喜びに向けて進んでいきたいと思います。

26/07/2016(火) 20:29:59

No.14973  藍子
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会おつかれさまでした。
ありがとうございました。

5月の定例会で、エーテルエネルギーは訓練だと聞いて、よーし7月の定例会までそのことばっかり意識して生活してやろう、と思っていたのに、いつのまにかその意識も緩んでしまい、ああ7月定例会が来てしまった!!という感じでした。

当日は子供たちの大集合であまり集中して一部の話を聞くことができなかったですが、書かれてあるメッセージが身につまされて、エネルギーの共鳴もどこかドキドキでした。

人生は舞台であり、自分は主役なんだ、いつの時も忘れずにそのことを覚えておこうと思います。
変わり目に、霊として、主役としての道を選んでゆくように。生活の中に埋もれてしまわず、日常も大事に思いながらも、霊として成長していけるように、しっかり意識します。


突然の訃報、ショックはいかばかりかと想像するだけで心苦しいです。
エネルギーを送り、応援しています。ご家族の方々にもエネルギー送ります。

26/07/2016(火) 20:31:46

No.14974  みやっち
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会、ありがとうございました。

僕も一部共鳴出来なかったのか眠ってしまいました。
思い返すと時々記憶がありません。
すみませんでした。

エーテルエネルギー&顕現エネルギー。
自分の思い方次第だと思います。
自分で勝手に決めつけないようにしたいです。
そして魂の意志に素直に従って言動していきたいです。

突然の訃報にびっくりしました。
誰もがまだ受け入れられないでしょう。
亡くなられた方、周りの方々、ご家族の方々にエネルギー送ります。

26/07/2016(火) 21:54:29

No.14975  オレンジ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会ではお世話になりました。
定例会へのメッセージの中に自分にも当てはまることがあると思いました。

定例会から帰った直後は何があっても嬉しく多少の事は喜び、喜びと思って過ごしていました。が、最近自分の仕事のことで思うようにいかないことに気持ちが沈み、定例会後もまた沈んだりしていました。

今まで通りにしがみつく、今まではこうだったはずなのに。
ところがもう今まで通りではないことに本当に気持ちがついて行けているのだろうか?と思っています。そこの自分の気持ちを切り替えていかないと。

自分の都合のいいように事が運ぶ、結果になる、これが地上にどっぷり浸かった自分としての価値観だと思います。

では、なぜ?何でこうなるの?というところに莫大ななエーテルエネルギーを使っています。

ならばそこから解放されるには地上としての自分の思い癖、欲望、執着をやめ素直に霊として受け入れる、霊としての考えを選択する、霊としての意識がまだ足りないから思うように行かない現実がもたらされるんだと。
地上だけの考えから霊としての考えになるべく切り替わるように日々を生きたいと思います。

26/07/2016(火) 23:27:14

No.14976  ちぃ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会、おつかれさまでした。ありがとうございました。

定例会に向けてのメッセージを拝見し、思い当たることが多々ありましたが、なかでも
>「自分にはできない」という決めつけと、「自分にはできないんじゃないか?」という不安のために、できることすらしようとしません。
というメッセージを読んで、固まりました。
しかも、定例会では何度か眠ってしまいました。すみません。

そして、冊子をなかなか書かずすみません。
役立てる喜びよりも、「自分にはできない」という思いの方がどうしても勝り、
動けなくなっていたというよりも、動こうとしていませんでした。
できない自分を否定するだけでなく、できない自分に安心さえしているところがあります。

大事な節目。
と思えば固まってしまいそうになるのですが、

>「自分はそういう人たちの代表であり、自分が霊としての意識を優先して顕現することで、自分と同じような幾千万の人に見えない影響を及ぼし、そういう人たちを自分でも想像できないような喜びの現実につなげていくのだ」

いのちはひとつらなり。
変わります。

>地上人生という有限の舞台で自分がいかに感動の舞台を作り上げていくかは、その舞台で自分がいかにして自分の陰りを光(喜び)に変えるか、同時に人の陰りをいかにして光(喜び)に変えるお手伝いをするかに懸っているのです。
>喜びを広げ、全てを喜びに反転させることです。


はい。
霊としての意識をしっかり根付かせ、私らしく、皆さんとともに役立っていきながら、
喜びのなかで地上人生を、役柄を、全うしたいと思います。
奇跡を当たり前に起こせるヒーラーになって、感動の舞台を作り上げていきたいです。
心が乱れた時は霊的心理にしがみつきます。
とにかくやります!


突然の訃報にご心痛を思いますと胸が痛みます。
私たちもエネルギーを送ります。

26/07/2016(火) 23:31:48

No.14977  まゆみ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
突然の訃報、本当に心が痛みます。
エネルギーを送ります。
この地上で生きるということを悠々塾で学びました。
私たちは霊として生きています。
喜びを広げることを喜びとして生きています。
メッセージにもあるように、この地上では喜べないことがたくさんあります。
自分の思い癖でつまづいてばかりいるけれど、否定せず受け入れる。
受け入れその感情が通り過ぎるのを待つ。
自分の魂は知っている。
自分を信じて霊として生きます。
日々の暮らしが喜びでありますように。
喜びを広げていきます。

27/07/2016(水) 07:52:06

No.14978  飯沼正晴 E-mail
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
きんもくせいさん、藍子さん、みやっちさん、オレンジさん、ちぃさん、まゆみさん、コメントありがとうございます。

定例会以降の皆さんからの投稿、興味深く読ませてもらっています。

定例会メッセージの冒頭部に思い当たる人が多いようですが、まあ自己評価の低い人が多いのでそういうことになるのかなとも思います。
しかし、もしも自分のことだと思い当たるのなら、そこを切り替えていくように意志と意欲を高めてくださいね。
自己認識を今の自分に甘んじ続けるためのものにはしてほしくありません。
「自分のことだと思った」で留まっていれば、ほとんど意味もないわけですし、それに見合った現実が展開していくわけですから。

「霊としての意識を優位にして地上人生を生きる」ということは、すなわち「霊主体従」ということです。

今までの「体主霊従」の意識や言動を「霊主体従」に切り替えるには、やはり意志と意欲は必要でしょう。
でも、だからといって、力んでもそうなれるものではありません。
硬く考える必要はないのです。
硬く考えることはむしろ自分なりの囚われや制限・制約や否定を強めることにもなりかねません。

「霊主体従」の意識で生きるということは、今までの自分からの解放に他なりません。

あきえさんの投稿にもあったように、
>定例会が終わる頃には、本気になるというよりも、なぜか私は戻るべきところにようやく戻ってこれたという思いが湧いていました。よくはわかりませんが、そこに戻れたことの安堵感と嬉しさがありました。<
という感覚や言葉がぴったりきます。

頭で考えるまでもなく、無理に気持ちを添わせる必要もなく、選択についての迷いや葛藤もなく、ごくごく自然にそういう安堵感や嬉しさが込み上げてくるのです。
霊としての喜びとはそういうもののようです。


そして、今の自分にもたらされている現実・現状は、今生での自分だけでなく過去世を含めた自分自身の意識や言動がもたらしているものであることを、何となくであっても理屈抜きに分かるような気がするのです。

今の舞台の共演者の言動を受け入れられないとか、受け入れるために努力するとかではなく、
そういう状態・状況ですら自分の地上人生にとって必要だからこそもたらされている・自分が引き寄せているという視点も持って、そこで自分がどうしていくかが問われているのです。

「地上人生が全てだと思わずに、ましてや今の場面だけが全てだなどと思わずに、地上人生は自分がそこで霊性を発揮していくこと(利害損得や自分としての感情を超えて喜びを表現していく)をテーマにしたシナリオに基づいた舞台である」とはそういうことです。

自分の感情をどうしていくというレベルではなく、霊としての意識が高まれば、その喜びの中で自ずと大きく受け入れていけるようになるのです。

感情というものはいつも自分の側からのものですから、どうしても意識としてのスケールが狭くなっています。
自分の気持ちにのみ焦点を当てて、相手の気持ちにはほとんど目が向かないということも珍しくありません。
結果的に相手が自分の思い通りになってくれなければ、自分の気持ちが納得しないということもよくあるものです。

自分にも自分としての気持ちがあるのだから、相手にもその人としての気持ちがあるだけの話なのですが、そこが分からなくなってしまうのでしょう。
というよりも、分かろうとしない場合が多いのだと思います。

どうしても相手の気持ちや言動が受け入れられないのなら、棲み分けを考えればいいのです。(自分自身を受け入れられずに否定してしまっている人も少なくないので、そういう場合は棲み分けもできないわけですが。)

いずれにしても、霊としての意識が優位になれば、感情の葛藤というものは自ずと解消するように私は思います。

あれこれと考えるのではなく、ましてや自分の現状を否定的に見る(言う)のでもなく、「自分は肉体や重い感情もまといながらこの地上人生という舞台を生きている霊なのだ」と、きっぱりと認識することです。

自分がいかに自分の感情や損得や都合に囚われようが、いつかは必ずこの舞台の幕は下りるのだし、それは今日かも知れず、明日かも知れないのです。

今の自分が受け入れようが反発しようが目を逸らそうが、いずれはこの地上人生というものが、摂理に基づいた変幻自在なシナリオによる舞台・芝居に過ぎなかったことを知るのです。

舞台の幕が下りた後もそれを受け入れられなければ、その人は地縛霊として地上という舞台に留まるか、幽界や暗黒界に落ちていくことになるのです。

たとえ本来の霊界に戻れたとしても、私たちは不十分で未熟な存在です。
だからこそ、永遠の進化向上の旅を続けているのですし、その一環としてこうしてこの地上に立ち寄っているのです。
それは自分の学びだけでなく、物質次元の地上を次の精妙な普遍の喜びの段階に進化させるという役割も担っています。

その私たちが地上的な損得や都合や自分なりの感情に囚われていれば、霊としての喜びを表現することもできませんし、自分自身が進化向上という絶対命題の抵抗勢力になってしまいます。
それでは地上人生の本当の喜びを味わえるはずがないのです。

地上次元のことに囚われているから、いつも地上次元のことに影響されて、心も現実も不自由なのです。
損得や都合や自分なりの感情に囚われなくなれば、囚われが薄くなれば、ネガティブな影響を受けることも少なくなり、この地上においてポジティブな喜びを現実化していけるのです。

霊としての意識で地上の喜びを形(言動)で表現していく。
そういう自分を喜びながら、その喜びを広げていく。

そうしていけば、間違いなく幸せな地上人生になるのです。
そしてそれは、実はとっても簡単な原理だと思うのです。
。。。。。。。。。。

上の文章はいつものように狭い投稿欄に一気に打ち込んでそのまま送信したので、入力ミスがいくつかありました。
それを訂正していたら、もう少し書きたくなったので書きます。

前にも少し書いたことですが、
役者が自分の演技(言動や醸し出している雰囲気など)が舞台監督や観客からどう見えているのかを意識もしないでやっていれば、それはまさに自分なりであり、独りよがりです。

自分では一生懸命やっているつもりでも、それは自分の中に外部的な視点を持てていないということであり、自分の姿が見えていないということです。

よほど強烈な魅力のある表現者であればまた別ですが、自分の中に外部的な視点を持てていない役者は大きく支持されることはまずないでしょう。

人の顔色を窺いがら言動するという意味ではなく、やはり自分が何らかの影響を与えたいと思う人たち、自分がつながっていきたいと思う人たちに対して、自分の方から開いてつながっていくことが必要なのです。

自分を開かずに孤高を保ちたいのであれば、広く理解されて支持されることを願うことは自己矛盾そのものです。
そこまで極端な話ではなくても、つながっていきたい人たちに対しても自分を閉ざし続けることは「独りよがり」ということです。
(それが「悪い」と言って非難しているのではありません)

通常のコミュニケーションを拒否・躊躇するならば、そういう自分にもたらされる現実もそれに見合ったものになるのは当然だと私は思うのです。
そうではないでしょうか?

地上は、霊としての意識・自分としての意識(気持ち)を言葉や行為や物質で表現する次元の世界であり、それらを霊としての喜びに昇華・融合していく世界です。

引き続き、先日の定例会メッセージを読んで、あるいは参加しての思いを投稿することを呼びかけます。
同じ人が何度書いても構いません。

地上界は(その雛形としての悠々塾につながる私たちは)それぐらい大事な時期・節目を迎えているということを分かっていただきたいのです。

同じようなことをしつこく書いていますが、定例会のあの共鳴をあの場かぎりのものにせず、もっともっと強大にしながら定着させたいのです。

そのために、定例会に参加した人も不参加でもあのメッセージを読んだ人も、何度でも投稿していただきたいと思っています。
投稿してくれた人でも、そのあとの皆さんや私の投稿を読んで新たに思うこともあるでしょう。

何度でも意識や思いを文章にしていくことで、それぞれの中にしっかりとしたエネルギーとして根付いていくのだと思うのです。
決して無理にとは言いませんし、義務や付き合いで投稿してもさほどのエネルギー的意味はないでしょう。
しかし、これだけ私が呼び掛けてもそれに応えないのであれば、その理由を聞いてみたいという気もします。

何を優先して、どこにどれだけのエネルギー(エーテルエネルギー)を使っていくかこそが、今の私たちのテーマでもあるのですから。
「本気になる。本気を出す」とは、どういうことだったのか?

なぜ今、私がここまで言うのかはやがて皆さんにも分かる時がくると思います。
それでは遅いかもしれませんが、しかしそれも含めて「たかが地上人生」なので、大丈夫ですよ。

27/07/2016(水) 11:56:37

No.14979  ちづこ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会ありがとうございました。
1部の途中からで、子どもがいてバタバタでしたが、参加できて嬉しかったです。最後の共鳴では、エネルギーなど感じないわたしですが、涙がぽろぽろ流れました。

書き込みが遅くなってしまいました。日常の忙しなさに流され、心が窮屈だな、すごく疲れた、と感じることが少し前から強くなっていて、地上次元のことに囚われているから、まさにそうだなと思いました。
悠々塾に繋がらせて学ばせてもらい、今もこうして何度も何度も導いてもらっていて、本当にありがたいです。
思いぐせや自分なりの感情への囚われを薄くします。自分を否定せず、霊主体従の意識で生きます。頭でっかちで力みそうですが、いつか自然にできる自分を信じていきます。こうして今あることに感謝し、喜びを広げます。

27/07/2016(水) 14:35:47

No.14980  定例会に参加した者です
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
ぬまさん
昨日は亡くなられた方にエネルギー送っていただき、
書き込みもしていただき
ありがとうございます。
そして、みなさんもエネルギー送っていただき
ありがとうございます。
昨日は、ずっと心臓がどくどくゆって、息もはぁはぁゆって、
身体にも力が入らないし、仕事も手に付きませんでした。
でも、今日はだいぶ落ち着いて、人間ですね。
お腹が空いて、お昼ご飯たべました。
前のわたしだったら、落ち込んで食欲もでず、泣いてばかりいたと思います。
今まで学んできたことや、みなさんのエネルギーのおかげです。
ありがとうございます。
書き込み遅くなってすみません。
仕事中なので、また帰ってから書き込みさせていただきます。

27/07/2016(水) 16:01:50

No.14981  定例会に参加した者です
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
これまでの疲れと不眠とで
そのまま朝まで眠ってしまっていました。すみません。

その方は、スピリチュアリズムを知りませんが、地でそういう生き方をしていました。
衝撃でした。実際にそういう生き方されている人がいるなんて。
こういう生き方をしたいな、こんな風になりたいなと思いました。
その方と出会えたこと、一緒の職場で仕事し、いろんなことを話しさせていただくこと、
すごく幸せに思っていました。
寂しいし悲しいし、どうしようもない気持ち、正直あります。
でも、ISSINさんの「もしも明日」の歌詞の中に
〜ちょっと会えないだけじゃないの〜というのがあります。
そうですよね、少しの間会えないだけですもんね。
悲しんでばかりいられませんね。
今度、その方とお会いした時、恥ずかしくない生き方したいです。
その方に少しでも近づいていけるよう、霊主体従で
日々生きていきます。

28/07/2016(木) 05:45:27

No.14983  ゆみっぺ
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
投稿が遅くなり、すいません。どうしようかなぁ?と考えているうちに時間が経ってしまいました。きんもくせいさんの義母さんの話を読んでいて、そうだよなぁ、自分が遠ざけているんだよなぁと読みながら、涙が出てきました。職場環境が良くないため、改善するように色々申し出てはいますが、自分に関係なければ知らないよ!という意識の壁が大きいです。毎日、残業で帰宅したら、明日のために早く寝ないと!で
横になり気づけば朝!という霊としての意識は、どこかに飛んでしまっています。そして、意識を剃らし始める癖が出てきています。ちっとも進歩してないなぁと思います。たかが地上人生されど…です。何度もメッセージを読み込んで、力まず(つい理屈で考えてしまうことがあるので)へっぽこな代表者ですが、頑張りたいと思います。

28/07/2016(木) 07:54:16

No.14984  恵美子
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
皆さん、お久しぶりです。
定例会へのメッセージ、まさにまさに、、と思いながら読みました。と同時に以前に比べ変化している自分も感じています。

>もたらされることのすべては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために、

この言葉をかみしめ、歩を進めていきます。


恵太さんのこと、
6月17日に大阪の病院で手術を受けました。
検査の時間も含め9時間におよびました。
わき腹の神経を上腕の神経に移植するという手術です。
移植された神経が自分の役割を認識?するのに数ヶ月かかるようなのですが、症例がほとんどないため、分からないことが多いようです。
7月19日、無事退院しました。
ひとまわり大きくなって、表情も豊かに帰ってきました。

迎えに行った日、医師との面会時間は決まっていたのですが、
緊急の手術が入り、2時間待つことになったそうです。
その間、恵太さんの入院暮らしの様子が見えたそうです。
看護師さんや保育士さんは勿論のことですが、入院中の子ども達、その親御さんたちの恵太さんへの熱い思いが伝わってきました。
丸一ヶ月、親子が離れ離れで過ごさなければならなかったこの時間、辛く、苦しい時間でしたから、、、
あたたかな眼差しに包まれていたんだと実感したとき、もう何にもいらない、ほかの事はどうってことじゃない、って思いました。
人の気持ちってありがたいですね。
涙とともに、とてもすがすがしい気持ちでした。
こんな気持ちは初めてです。
この舞台はまだ終わりませんが、必ずやいい舞台にします。

いのちはひとつらなり、みんな大好き、ありがとう。大丈夫。

28/07/2016(木) 08:56:09

No.14985  恵美子
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
補足です、

昨年の10月に恵太さんの麻痺がわかってから今日まで、振り返ってみると、苦しい時間のなかにありながらも、多くの手助けのもと、道が開いていったように思うのです。
なかなか予約の取れない病院、医師への道筋は、心春さんの担当医がすべてやってくれました。
手術についてもトントン拍子に決まり、心配された副作用はなにも起こりませんでした。
そしてこの間、当の本人はすこぶるご機嫌で過ごせた、ということ。

もたらされたことに感謝し、霊としての意識を確立します。

28/07/2016(木) 10:00:15

No.14986  ゆうき
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
定例会おつかれさまでした。
遅くなりました。

事故で急死されたかたは僕も知っていて、、といっても挨拶くらいしかした事がなかったのですが、、突然のことにやはりショックを受けています。
亡くなられた方は、不妊治療の末に授かった一人娘さんがいらして、僕の娘と同じ年です。娘さんは亡くなられた方が大好きで、休みの日にはいつもどこかに出掛られていたそうです。

残されたご家族のことを思うと胸が痛みます。
少しでもその傷が癒えるように、痛みが遠ざかるように、悲しみ、寂しさがなくなるように、、そしていつの日にかこの現実を大きく受け止められるように、エネルギーを送りたいと思います。

僕個人の事になりますが、僕が20代のはじめ頃、仕事の事故でバイト先の先輩を亡くしました。
とても面倒見のいい先輩で、その時は僕はその職場を退職して違う職場で働いていたのであとから聞いた話なのですが、
その先輩は事故にあったその日でその職場をやめ、彼女さんを連れてしばらく海外でサーフィンをして暮らす予定だったそうです。
いくつもの不運が重なって、、、過失と呼べるかわからない、、ただただ不運が重なって、先輩は亡くなりました。

僕はその時「不公平だ」と思いました。世の中には死ぬべき人はもっといるだろう、と、なぜ、先輩だったんだ、と。

あれから、少しばかりは霊的真理を勉強した僕ですが、やはりやりきれない気持ちになりますが。。。

そういう僕だって、明日事故にあうかもしれません。
僕はそういう明日がないかもしれない、今日、今、この時が、、という刹那的というと大袈裟かもしれませんが、「今に懸ける」生き方をしてきたのだろうか?と思うようになりました。

地上と言うこのステージで、僕はもっと輝けると思います。
誰かを羨んだり、比較したり、自分の欠点ばかり並べたり、また今度がある、、自分にはムリだという逃げの姿勢をとることなく、
しっかりと自分を演じきりたいと思いました。

言葉はうまくまとまっていないのですが、何か目覚めたものを感じています。頑張ります。
あと、僕は「振り回されること」を大目にみてしまい、いいように「振り回されている」傾向があるように思います。(そういう役柄のような。。)
まわりに振り回されることなく、自分として、逆に周りを振り回すくらいで生きて生きたい、、と思います。
それはわがままではなくて、自分の信念をストレートにぶつけていきたいと思います。
誰に何を思われようが、関係ない、、と強く思います。

28/07/2016(木) 17:35:38

No.14987  和也
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
何度投稿しても良いと言っていただいているので、また書き込みさせていただきます。

飯沼さんの言葉が胸に響きます。
怖さと自己否定を克服し、躊躇に留まるのでなく、勇気を出して一歩を踏み出すように頑張ろうと思います。
生まれてからずっと続くかげりなので、手強いのかもしれませんが、少しずつでも挑んでいきたいです。

亡くなられた同僚さんのご家族や関わりのあった方々の心中を思うと胸が痛みます。
亡くなられた方と皆さんに、エネルギーを送らせていただきます。

28/07/2016(木) 23:19:35

No.14988  ぽんた
Re: もたらされることの全ては、霊としての意識を確立し、日々の言動にしていくために 引用
みなさん、定例会おつかれさまでした。

定例会には参加できませんでしたが、
克子さんの定例会のメッセージを、書類ににしてデスクトップに置いて、
時間がなくてもすぐ読めるようにして、何度も読んでいます。

昨今、遠くでも近くでも、あちこちで凄惨な事件ばかりで、
それらが実はみんな影響を与えあって連動してきているようで気持ち悪いです。
しかも、それらは、今ここで自分にもたらされている出来事ともつながっていて、
きっと自分とも直でつながっていて、
行為ひとつも、かつてなく慎重になっている自分がいます。
良くも悪くも、ほんとうにいのちはひとつらなりなんだ、ということなのかもしれませんが、
だからこそ、「みんな大好き、ありがとう。大丈夫」のベクトルに、
しがみついていきたいと思いますし、
そうすれば、ほんの少しは私でも何かを変えられるんだと信じます。
そしてどんな時にも胸を張って振り返ることができる人生のシナリオを生きたい。

今年の1月に、大切だった友人のひとりが亡くなりました。
友人と呼ばせていただくのはおこがましいほど素敵な方で、
お年だったので、亡くなること自体はさほど不自然ではなかったのですが、
亡くなり方が不自然というか、
もっと、その方にふさわしく、穏やかに、苦しみのない形でと、
願わずにいられなかった分、どこか納得できず、
理不尽さの気持ちで自分で自分の心を痛めてきてしまいました。

でも、はためからは納得がいかない不幸な亡くなり方だったとしても、
ご本人は納得し、幸せに旅立たれたと考えていけない理由はなにもないし、
きっとそうにちがいないと、最近思えるようになりました。

亡くなられた方と、そのご家族ご友人たちにエネルギーを遅らせていただきます。

思いつくまま書いてしまいました。
バラバラですみません。

28/07/2016(木) 23:44:26


No.14982 さき  
克子さんと一緒に 引用
今月の悠々通信の〜はじめに〜です
昨日は克子さんの地上的には命日でした。
あれから11年。

いま、あらためて言いたいです。
克子さん大好き!
克子さんと出会えてよかった!
克子さんありがとう!

**********
◆はじめに
7月定例会のメッセージに「私が霊界に戻って10年余りが過ぎます」という克子さんの言葉がありました。皆で読んでいる時に克子さんの記憶がよみがえり胸にせまりました。
克子さんの治癒を願って皆でエネルギーの共鳴を続けたこと、長野で克子さんが「みんな大好きだよー」と大きな声で叫んだこと、病院から酸素をつけておこなった定例会のこと。
2005年7月27日のこと。

あれから丸11年になろうとしています。克子さんと飯沼さんが地上で共に働いたのが11年。私たちは同じだけの時間を過ごしてきたことになります。この11年、私たちはどのように生きてきたのか。克子さんが教えてくれたこと、教えられていることから何を学んだのか、どのように進化・成長できたのか。
それぞれに背負っている人生の課題、家族や暮らしや日常に向き合いながら、3・11という天変地異や地上の混沌を目の当たりにしながら、日々選択実行してきたことの全てが今の自分をつくっているのだと思います。

自分はどれくらい本気で、人としてやさしく正しくと、霊的真理に沿って生きようとしてきたろうか。自分の都合や自分なりの思い方で大事な課題から目を逸らせてこなかったろうか。
想像もしなかったような出来事、思いも寄らぬこともあったし、しんどいこと辛いこと苦しいこともあったし、うれしいことや喜びもあった。
悠々塾という共鳴場(母胎)のなかにその全部が溶けこんでいるのだと感じます。

一瞬の輝きが曇ることも失せることもありませんし、抱いたかげりや重たい感情もまたないものにすることはできません。すべてお見通しです。メッキや偽りは通用しないし、あるものはあるし、ないものはない。いずれは皆が霊界に戻り、そのひとつひとつを見ることになります。

同じことなら霊としての心を忘れずにこの地上を生きたいものです。
この地上世界のなかで、霊としての喜びを顕わし、高らかに謳いたいものです。
自らの魂の意志を顕現したいものです。それは無上の喜びです。
その喜びが響きあうこの場は新しい地上界の母胎です。
克子さん飯沼さんに出会えたこと、この悠々塾という共鳴場に出会えたことに感謝します。

いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。
自分を大きく見せる必要もないし、縮める必要もない。
力むことも恐れることもない。
ただ摂理に沿って生きたいです。皆さんとともにこの共鳴のなかで!喜びのなかで!

28/07/2016(木) 07:20:45



No.14959 飯沼正晴  E-mail
定例会以降、最近の私のこと 引用

>皆さんからの自由なコメントをお待ちします。
私に迎合する必要は全くありません。
ありのままの意識や思いの表現こそ、次につながる重要な台詞なのです。<

定例会の翌々日に、私が伝えたかったことや私なりの思いを書いて、上のように呼びかけました。
数人の皆さんからはコメントが入りました。
今までなら、「どうして何も書かない人が多いのだろう?」と思って、あまりの手応えの少なさに一抹の寂しさやちょっとした苛立ちを感じるのですが、今回は全くそうではありません。

しかし、地上的にエーテルエネルギーを使って何を顕現させているかということは、自分が実際に何を優先し、何を後回しにしているかによって明確に分かります。
今回の定例会のテーマは、「霊としての意識を地上に人間としての日々・人生にきっぱりと顕現させる」ということでしたから、そこはもう一度しっかりと認識し、言動で表現してほしいとは思います。

という思いは強くありながらも、今の私は書き込みが少ないことで心を揺らすことには全くなっていないのです。
その理由は一つではありませんが、定例会以降、私自身の心身にとても爽やかな変化が起きているからでもあると思います。
それは全てがうまくいっているからではなく、「あらあら、どうしてこうなるの?」と思うようなことがあっても、妙に爽やかなのです。

定例会以降、「あれ、まだ7月に後半に入ったばかりなんだ」と思うことが、一日に何度もありました。
今までの私は「しなければならないことがいっぱい残っているのに、もう今年も7月下旬になってしまった」という感じ方・思い方だったのですから、その真逆の思い方を一日に何度もしている自分に不思議な気がします。

何度も同じ言葉が口から出て、カレンダーを確認することが続きました。
大袈裟に言えば、「先日64歳になって、ついに認知症が始まったのか?」と思うような感じでした。

でも、とりあえずはそうではなく、「時間の制約が薄くなってきた」ということのようです。
それは時間に追われることが少なくなったということをはるかに超えて、「時間というものの制約から解放されてきている」という感じです。
意識は本来、時間というものに制約されないものなのだということを実感しています。

「愛は時空を超えて」で克から伝えられたように、今まで私の意識に深く刻み込まれていた「不安」が解消されているようです。

それにつれて、肋骨から脇腹にかけての激痛も治まってきています。
これはしばらく前から、就寝時に横になる時と朝起きた時から1〜2時間限定の激痛でしたから日常生活にはさほど影響はなかったのですが、とにかく楽になりました。
朝、起き上がってしまってからは痛みというよりも、なんとも言えないダメージ感でした。
もしかして仮面うつ病かもと思って調べてみましたが、私の場合は全く違っているようでした。
やはり睡眠中に霊界でいろいろとレクチャー(お説教?)を受けていたようです。

それに連動するかのように、体も軽くなっています。(体重はようやく97kg台になった程度なので、体重の問題ではありません)
畑作業でも、夕方とはいえやはり相当に暑いのですが、体がすいすいさっさと動きます。
昨年あたりから膝が固まったように重くて十分に曲がらなくなっていたのですが、これも完全に解消しています。

それだけではなく、畑作業に要する時間も、今までの半分ぐらいになっているのです。(感覚としての話です)
今までの感覚なら2時間以上はかかるはずの作業を終えて時計を見たら、まだ1時間しかたっていない、という感じです。
しかも、疲れも少なくてすぐに解消してしまいます。

うまく言葉にできないのですが、「時間を含む地上的な制約・条件を超えて、喜びの現実がもたらされる」という感じです。

私は元々(少なくとも20年以上前から)血中酸素飽和濃度が低く、90〜94%程度です。
ずっとそれに慣れてきたので特に自覚することもなかったのですが、この数日の軽快さによって以前はやはり息苦しく重かったのだとよく分かります。

心のところでの変化は言葉で説明しにくいのですが、とにかく軽やかで、「申し訳ないが気分がいい」という感じです。(そういうタイトルのフォークソングが昔ありました)

これら心身の顕著な変化は、おそらく定例会の時の共鳴のエネルギーの影響に違いありません。

だとすれば、あの場の共鳴に参加した人たちというよりも、あの共鳴場を作り出した参加者たちや参加していなくても共鳴している人たちにも、必ず大きく健やかな影響が及ぶに違いないと思っています。

今の私は、「囚われるから、縛られるから、重くなるのだ。時間というものも含めた地上的制約から解放されたなら、こんなにも自由で軽やかな心身状態に変化するのだ」という真実を、まさに体感しています。
潜在意識の大元から、意識が解放されて喜びベースが確立してきた実感があるのです。
この意識の状態は、誰もがいつかは必ず到達する健やかなる喜びの境地です。

そして、この状態でエーテルエネルギーを地上の形として顕現させるコツをつかめば、今までよりもはるかにたくさんのこと・大きなことを地上的に現実化することができるに違いないと確信しています。

これは当たり前のことで、霊が霊として生きる霊界では、喜びの意識が喜びの現実を作り、その喜びはさらに膨らんで進化していくのです。
幽界や暗黒界では、悪意やネガティブな感情に囚われ、その境涯では皆がそうであるがゆえに、健やかな喜びなど一切ない現実が作り上げられて、その中で生きているのです。

地上に生きるにあたっても、霊としての喜びの意識を優先させるのか、幽界や暗黒界のようなネガティブな感情や悪意を優先させるのかで、自分自身が生きる境涯・実際の現実を選択して作っているのです。

意識の地上的重しを軽くすれば、つまり囚われや縛りや制約を薄くすれば、喜びベースの意識がそれに見合った現実を作っていくのです。
囚われや縛りや制約が意識に重く横たわっていれば、それが自分の現実を作っていくのです。
そのようにして作られた(自分が作った)現実に、自分自身がまた囚われて心を重くし、意識を歪めて、さらに重く苦しい現実を作ってしまうのです。
恐れや不安や不平・不満、悲しみ・怒り・憎しみ・苛立ち等々の、地上的な喜びでない感情に囚われ、縛られていれば、そのチャンネルのドラマがいつまでも展開するのです。

それは明らかに地上界の霊性進化のエネルギーと摩擦を起こし、その蓄積は地上界というスケールでの再構築の前の大破綻として、誰の目にも明らかになるでしょう。
日本がその雛形であるならば、この日本からそれは始まるのでしょうし、すでに始まっているのです。
今まで通りであろうとする人たちや、今まで通りでしかいられないと思い込んでいる人たちは強烈な苦しみの中で変化を促されることになるでしょう。

(今まで通りの地上的意識・価値観では苦しみとしか思えないようなことがもたらされるという意味です。同じことがもたらされたとしても、霊的意識が優先になっていれば、全く違う受け止め方ができるのです)

もちろん、どういう形で苦しみがもたらされるかは人によって違っているわけですが、個人がいかに今まで通りにしがみついても、大きな摂理の流れに勝てるわけがなく、霊としての意識で地上を生きるという自分のシナリオを棚上げにしたまま地上的な意識や日々の生き方に執着してきた自分の怠慢や愚かさを顧みることすらできずに、地上界浄化の荒波に翻弄されたまま地上を離れ、あるいは地上を離れるよりも苦しい地上人生を強いられる人も少なくないでしょう。

それもまたその人自身が選択した地上人生という舞台のありようなのです。
いかに苦しくても、霊的に見れば、たかが「地上人生という舞台」であり、いつかは必ず全てを喜びにできるのです。

何度も言いますが、役者が舞台での役柄が自分自身の現実の全てだと思い込んでしまえば、敵役の共演者を本気で憎み、本気で傷つけてしまうでしょう。
舞台の一場面に固執し、自分の感情にのめり込んで、舞台が次に進むのを妨げてしまうでしょう。
その役者は舞台の幕が下りた後も地縛霊のように舞台に居残ることになってしまうに違いありません。

人間が自分が地上に生きる霊だということを忘れることは、役者が自分が役者であることを忘れて、その舞台が現実の全てだと思い込むのと同じに危うく、愚かなことなのです。

本人の意志であればそれはそれで構わないわけですが、やはり、地上に生きる霊として生きようとする自分を、この地上の舞台で躊躇なく表現したいものです。
それでこそ、喜びのみの霊界からこの地上に再生してきた甲斐もあろうというものです。

いずれにしても、今の自分がどうであれ、弱い(立場の)人や正直で真っすぐで優しい人や、何らかの基準において能力が高くない人たちがここまで生きにくい世の中になっているのに、多くの人たちはそれに無関心・無頓着を決め込んでいる今の地上界は土台から壊されてしまった方がすっきりするようにも思います。

すでにそこに向けてのカウントダウンが始まっているかのような予兆の中で、悠々塾につながる仲間たちの霊としての意識が覚醒し、誰よりも自分が一番驚くような喜びの変化・変容が連鎖していくことを、私は信じています。

しかし、私たちはもとよりエリート集団ではありません。
自らの魂の意志に基づいて霊界側から選ばれ、つながっているわけですが、それは自分が霊的に優秀だからという理由のみではないでしょう。

何度同じことを言われてもなかなか分からない人、何度同じことを言われてもなかなかその気になれない人、その気になってもなかなかそうはできない人こそが、本当の意味でこの悠々塾の主役です。
なぜならば、そういう人たちは霊としての意識よりも地上の自分としての意識を圧倒的に優位に置いているということであり、その意味ではエーテルエネルギーを地上的に強大に使っているのです。
つまり、そのエーテルエネルギーの使い方を本来の健やかな喜びに変えていけば、地上的にも喜びを現実化していきやすいということでもあります。

大枠において、地上界の浄化・地上人類の霊性進化の成否のカギは、そういう状態の人たちが握っているのであり、これから私たちが働き掛け、癒していくのも無数のそういう人たちです。

「自分はやっぱりなかなか変われなくてダメだ」と思っている人は、「自分はそういう人たちの代表であり、自分が霊としての意識を優先して顕現することで、自分と同じような幾千万の人に見えない影響を及ぼし、そういう人たちを自分でも想像できないような喜びの現実につなげていくのだ」と思ってください。

良くも悪くもというか、共鳴するエネルギーは必ず作用するのです。
それを信じて、私はまだまだ、もっともっとこの地上で進化を続け、その喜びのエネルギーを皆に注いで、地上に生きる霊としての喜びの地上人生が皆の当たり前になるように、自分自身としてもこの舞台を存分に楽しみながら頑張りたいと思います。
意識を地上に埋没させるのではなく、霊として地上の自分を演じ切るのだという余裕の気持ちでやっていきます。

というところで、「これからもよろしく!」です。

24/07/2016(日) 15:21:46


No.14960  さき
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
ぬまさん、昨日電話で話をした時に何かがガラリと大きく動いたことを感じました。
ぬまさんの軽やかさと解放感をビシバシ感じました。
先日の定例会のエネルギー共鳴、凄い意味があったのだと思いました。
ぬまさんのエネルギーに共鳴したいです!

>何度同じことを言われてもなかなか分からない人、何度同じことを言われてもなかなかその気になれない人、その気になってもなかなかそうはできない人こそが、本当の意味でこの悠々塾の主役です。
なぜならば、そういう人たちは霊としての意識よりも地上の人間としての意識を圧倒的に優位に置いているということであり、その意味ではエーテルエネルギーを地上的に強大に使っているのです。
つまり、そのエーテルエネルギーの使い方を変えていけば、地上的にも喜びを現実化していきやすいということでもあります。<

>大枠において、地上界の浄化・地上人類の霊性進化の成否のカギは、そういう状態の人たちが握っているのであり、これから私たちが働き掛けていくのも無数のそういう人たちです。
「自分はやっぱりなかなか変われなくてダメだ」と思っている人は、「自分はそういう人たちの代表であり、自分が霊としての意識を優先して顕現することで、自分と同じような幾千万の人に見えない影響を及ぼし、そういう人たちを自分でも想像できないような喜びの現実につなげていくのだ」と思ってください。<

↑↑
鳥肌です。

地上的な人間の実在や気持ちを決して軽んじるわけじゃない。
けど、
たかが地上人生。
なんだよね。
霊なんだもん。
この真実と感覚が馴染んでこそ
新しい喜びを現実化することができるのでしょう。

地上的な意識や地上的な形に縛られなかったら
(本来)すべてはそこにある。
今あるかたちに制約されることなく
この地上に新しい喜びを顕現することができる。
(霊であり地上の人間だからこそできること)
それが地上に再生したことの意味、
自分の魂が意志したこと。

この悠々塾の共鳴場につながりながら
霊としての意識を顕現していきたいです。
喜びのバイブレーションを発していきたいです。

ぬまさん、これからもよろしくお願いします!

24/07/2016(日) 16:30:41

No.14961  和也&久美
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
先週の定例会では色々学ばせていただき、ありがとうございました。
私も一部の時に途中ウトウトしてしまい、大変失礼しました。
本気度が足りないからに他なりません。

一部でエネルギーの送り方の実習をさせていただき、帰ってからもエネルギーを送っているのですが、具体的なイメージを持つことで対象に向けて集中力を持続できるようになってきています。
ただ、眉間のあたりからと丹田のあたりからの両方に同時に意識を向けるのは、片方に意識が偏りがちになってしまうので、一層の練習が必要です。
エネルギーを感じることはできないので、エネルギーを送れている実感はありませんが、そこには疑念を挟まないことにしています。
これからも日々練習を兼ねて、エネルギーを送っていきます。

1週間くらい前から、母が甥の仕事のことで感情的にグダグダ言っているので、私から母に色々言ったのですが、かえって母は心を頑なにしてしまっています。
私のエーテルエネルギーの使い方が足りないからです。
引き続き粘り強くチャレンジです。

定例会から1週間後の書き込みとなりましたが、私たちは自分たちのペースで書き込みさせていただいていますので、ご理解ください。

                和也


夫も私も家族のことで色々バタバタしていて、ふたり同時に書き込もうとしていたら遅くなってしまいました。

定例会では色々ありがとうございました。
私の家族も大きな変化の時期を迎えており、定例会で何度も言われていたように、霊としての意識で生きていくことの大切さを思いました。
父の病気を機に、家族の自分本位な言動に腹を立てたり、不安や心配で緊張がとれなくなったり・・・。
感情をないものに出来ませんが、自分も相手も本質は霊であることを忘れずに、もっと自分も相手も喜びになるように言動していくことが大切なんだと思いました。

父の病院に付き添って行くと、「相手の幸せが自分の幸せ」というように患者さんの気持ちに寄り添われている看護師さんや事務の方をよく目にします。
色々大変なことがあっても、父の力になれたり、父を通して色んな人たちの輝きに触れさせていただくことはありがたく嬉しいです。

                久美

24/07/2016(日) 18:32:10

No.14962  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
きんちゃん、さきさん、和也&久美さん、コメントありがとうございます。

上の投稿は一気に書いて送信したので変換ミスなどもあり、修正を兼ねて少し書き加えました。

夕方から畑に行きましたが、やはりむちゃくちゃ元気です。

今年はスイカを少し多めに植えました。(7株)
あまり水はけがよいとは言えない畑で、しかも無農薬ですから、スイカ栽培はなかなか難しいものがあります。
昨年も梅雨時期にツル枯れ病が発生して、数個しか収穫できませんでした。

今年も7月に入って急にツル枯れ病が広がって、葉っぱや弦はほとんど枯れてしまったのですが、果実は何とか収穫できています。
何とかというよりも、立派な果実が20個あまり成りました。

ただ、収穫期がほとんど同時期になってしまい、3家族ですでに数個は食べて、今日も6個収穫してきたのですが、まだは畑に10個以上は残っています。。
まあ、美味しいスイカになっていますし、ありがたいことです。

24/07/2016(日) 21:03:39

No.14963  祐造
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
>今の私は、「囚われるから、縛られるから、重くなるのだ。時間というものもも含めた地上的制約から解放されたなら、こんなにも自由で軽やかな心身状態に変化するのだ」という真実を、まさに体感しています。
潜在意識のところから意識が解放されて喜びベースが確立してきた実感があるのです。
この意識の状態は、誰もがいつかは必ず到達する健やかなる喜びの境地です。<

なんだかすごいことが始まっている気がします。
地上に在りながら、半分は霊界の境地に生きている状態ではないでしょうか。
地上天国が成就すると、みんながそのような喜びに満たされるのかと思うと、ワクワクします。


定例会第1部の後半で実習した方法で、HさんとUさんにエネルギーを送らせてもらっています。
和也さんに同感で、二つのことを同時にすると偏ったり、集中力が続かなかったり…、ですが、そのうち慣れていけると思います。

人の役に立てる、人に喜びをもたらすことができる…、そう思うと、ヨシ!って気になります。
みんなで頑張りましょう!

25/07/2016(月) 00:15:18

No.14964  ホープ E-mail
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
いよいよ地上世界がきな臭くなってきました。今世界で起きている事、我が国で行われている低俗で荒っぽい政治を見れば今までの秩序がより野蛮な方向に向かって突き進んでいて、ここに力による支配が極まりつつある感が致しますします。これはもうそれ相応の結果がもたらされることは避けられないと思います。
まさに
>役者が舞台での役柄が自分自身の現実の全てだと思い込んでしまえば、敵役の共演者を本気で憎み、本気で傷つけてしまうでしょう。
舞台の一場面に固執し、自分の感情にのめり込んで、舞台が次に進むのを妨げてしまう・・・の結果であると思います。

そして既に始まっている大きな地上浄化の大波の中でこれから私たちの身辺にもたらされてくるであろう具体的な難問題(とても半端なものではない深刻さであると思いますが)にチャンと向き合えることが出来るのは、”霊としての自分”という根本的意識を置いて他なりません。
究極の喜びである”魂の意識”に向かって刷り込まれた今迄の自分の意識を開放し毎日を生きる努力を続けたいと思います。

25/07/2016(月) 12:24:11

No.14966  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
祐造さん、コメントありがとうございます。

今回は、あの定例会メッセージを読み、定例会に参加して、それぞれの皆さんがどう変わったか、どう変わろうと思ったか、自分はどんなところが変わりにくいのか、あるいはどう思い、どう感じたかなどを自由に書いてもらえれば嬉しいです。

個人的にコメントはしないつもりでしたが、祐造さんは私のことに触れているので、少し書いておきます。

>なんだかすごいことが始まっている気がします。
地上に在りながら、半分は霊界の境地に生きている状態ではないでしょうか。
地上天国が成就すると、みんながそのような喜びに満たされるのかと思うと、ワクワクします。<

確かに、私自身も自分に起きている変化に感動しています。
半分は霊界の境地に生来ているという境地にはまだまだ行っていないのですが、解放されつつあるのは確かだと思います。

地上のことを超越してしまわずに、ありのままに受け止めながらもそれにネガティブな影響を受けることなく、地上的喜びにするために影響を与えていく・地上的喜びとして現実化させる。
そういうことが普通にできてこそ、「地上に在りながら、半分は霊界の境地に生きている状態」だと思っています。

私はまだまだですし、その意味ではまだまだ地上で進化向上する余地がいっぱいあるということだと思っています。

そして、地上天国が成就すると、みんながそのような喜びに満たされるのは確かでしょうが、今のテーマはその先駆けとして自分がどうしていくのかです。
それはそれぞれの皆さんにとって決して軽い話ではなく、だからこそなかなか書けない人が多いのだと思っています。

それと、ヒーリングの方法・手法は、特に前回の定例会のやり方を順守する必要はありません。
極端なことを言えば、私は(地上的)手法などどうでもいいんじゃないかと思っています。(また克から叱られるかもしれませんが)

今回の実習のテーマは、
自分が自分の霊としての意識=エネルギーを最大に高めて、そのエネルギーで対象者の霊としての意識・魂を刺激して、それがその人の精神や肉体に優位になるようにする。
というものでした。

メッセージに書かれていた「二つの作業を同時にする練習」は、
霊的エネルギーを最大にして、それが精神や肉体に実際に顕現・表現されるようにということでしょうから、そこをしっかり踏まえておけばよいのです。

うまくいくとかいかないとか、あまり技術的なところを意識する必要はないと思いますよ。

25/07/2016(月) 13:22:41

No.14967  なみ
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
定例会ではありがとうございました。

私は6月に入ってから、ひどい不安に襲われて、そのうち消えるかなと思っていたんですが、どんどんひどくなって、自分ではどうにもできなくて、そこから抜け出せずにいました。
それが定例会に参加してから、うそのように不安に思うことがなくなって、今もそれが続いています。
何か心がふわふわした感じで、軽くなったような気がします。
皆さんと共鳴したエネルギー、本当にすごいエネルギーだったんだなと改めて思っています。

それから、定例会が始まってから頭痛と吐き気で体調がよくなかったんですが、2部で相手は電話線ですが・・・、一生懸命エネルギーを送りました。すると、エネルギーを送ってから、すっかり体調がよくなってしまいました。
なかなか本気になれず、自分を引っ込めてしまうところがあるので、本気になってエネルギーを出すということが今さらですが、大切なんだと今回気づきました。
定例会の飯沼さんはいつにも増して真剣で、本気モードがすごく伝わってきました。
私も意志、意欲を高めていきたいと思います。

どうしても地上的なこと、自分の気持ちや感情に囚われてしまいがちですが、今回の定例会のメッセージ、飯沼さんのお話を思い出して、霊としての意識を常に忘れずに日々過ごしていきたいと思います。
もう不安に思う自分はやめて、もっと自分を解放していきたい、表現していきたいと思いました。
これからも皆さんと一緒に進んでいきたいです。よろしくお願いします。

25/07/2016(月) 20:00:48

No.14968  あきえ
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
定例会ありがとうございました。

「『仕事や生活に追われ、病を抱えている』という理由・言い訳で、自分自身のことを真摯に振り返ることもせず、だから本当の意味で成長しないままに十年一日のごとく、同じ意識、同じ心の状態で地上的年齢だけを重ねています。」

定例会のメッセージを前日に読んで、どれも私に当てはまるのですが、以前に克子さんの「今からでも遅くはないのです」という言葉に励まされて頑張ったり、でも何かあるとすぐにくじけてしまったりを長年繰り返してきたなあと思っていたら(最近はその言葉に甘えてしまっていたようです)、定例会のメッセージの輪読で、この文章を読むことになり、やっぱりと思いました。

飯沼さんの霊として地上人生を生きるというお話を聞いて、定例会が終わる頃には、本気になるというよりも、なぜか私は戻るべきところにようやく戻ってこれたという思いが湧いていました。よくはわかりませんが、そこに戻れたことの安堵感と嬉しさがありました。

来月の山の日で70歳になります。あと、どのくらい地上人生が残されているかわかりませんが、自分なりの感情、気持ちに執着している自分を越えていきたいと思います。
心配ごとや不安がないわけではありませんが、霊としての意識を持って、残された地上の日々を生きていきたいと思っています。

25/07/2016(月) 21:38:06

No.14969  みさお
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
7月定例会、ありがとうござしました。

定例会から、2〜3日後に自分の思い方の癖が出ることがあり…
起る前から色々心配になる癖です。

回避をする事ばかりに、神経を使いその事で疲れ他の事が疎かになったり余計に、しんどい事を引き寄せてしまう…

一昨日、ふと「これだ、自分のいつもの癖は」と分かりました。
地上的な事に、神経を使ってしまう。
そこに神経を使いだしたら、もの凄いエネルギーを使っているのだ
とわかりました。

いのちは ひとつらなり みんな大好きありがとう 大丈夫
と何回か唱え、自分は霊なのだと思い直しました。

定例会メッセージを、何回も読み私も霊としての意識を
しっかり持ちます。

26/07/2016(火) 09:36:06

No.14970  さいこ
Re: 定例会以降、最近の私のこと 引用
ぬまさん、さきさん、定例会ありがとうございました。
まゆみさん、いつもたくさんの美味しいお料理ありがとうございます。

私も自分の思い方の癖があって、相手に対しての不満や気持ちを溜め込んでしまい、そこには喜びのベースの意識がなくて、自分の気持ちに囚われて悶々としてしまいます。
自分でもそうゆう自分が嫌なのですが、どうしても喜びのベースの意識を持ちたくない、したくないと頑なに思っていました。
こんなんやから、しんどい現実を引き寄せてしまうんやなぁ…と思い至りました。

昨日もそんな思い方の癖がでて、自分の気持ちに悶々としていました。
でも昨日は、定例会で学んだこと、ぬまさんからのアドバイスを思い返して、ちょっと気持ちを切り替えてみようと相手のことを思って「いのちはひとつらなり みんな大好き ありがとう 何があっても大丈夫」と唱えてエネルギーを送ってみました。
まだ、自分の囚われの気持ちの方が大きくて、集中してエネルギーを送れませんでした。
でも、少しでも気持ちが切り替わってエネルギーを送れた事は、ちょっと前進、嬉しいことでした。
まだ、意識をしていないと自分の思い癖が出てしまうのですが、喜びベースの気持ちに切り替えられるように変わっていきたいです。
変わっていきます。

26/07/2016(火) 15:34:58


No.14955 飯沼正晴  E-mail
お知らせです 引用
☆悠々塾の固定電話、復旧しました。

ご不便をおかけしてすみませんでした。
原因は、ルーターへの配線トラブル(断線)でした。

電化製品(やその他諸々)にしばしばは動的影響を及ぼすというなみさんに完全に不通になっていた電話機にエネルギーを通してもらったそうです。
そのことを翌朝に聞いて、携帯から電話を掛けてみたら、雑音はあったもののつながったのです。
でもその時だけで、すぐにまた不通になってしまったので、NTTに修理を依頼して、完全に復旧しました。

それにしても、断線しているのに1度だけでもつながったことにびっくりです。

22/07/2016(金) 14:26:37


No.14956  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用

★9月定例会は17日の第3土曜日です!

☆☆ 2016年9月定例会 ☆☆ 
 
日時 9月17日(土曜日)
第1部 「癒しの講座・ヒーリングの実習」
午後2時から5時
参加費・1200円
        
第2部 「懇親会」 
午後5時半ごろからお時間の許す限り
参加費・1500円

9月は状況次第でまゆみさんが懇親会の準備ができないかもしれません。
その場合は、テイクアウトのオードブルなどで準備させていただきます。
ご了承をお願いします。
    
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)
。。。。。。。。。。。。。

☆☆2016年8月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆
☆京都
8月6日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
8月7日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
8月9日(火)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、7月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

22/07/2016(金) 14:34:21

No.14957  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
引き続き、前スレッドへのコメントをお待ちしています。

22/07/2016(金) 14:35:41

No.14958  キン
Re: お知らせです 引用
定例会お疲れ様でした。
飯沼さん、まゆみさん、さきさん、皆さんありがとうございました!
ただただ皆に会えてその場にいることができて嬉しかったです。

1人だとなかなかエネルギーを送ることに意識を集中することができず、意識が半分浮いたまま日々を何か忙しなく過ごしていて、今回はどうしても皆さんとエネルギーを共鳴したい、エネルギーに集中したい、喜びベースに意識を変えたいと思いました。

藍子さんの喜びベースのエッセンスを受け取り、みゆるんさんとちづちゃんと自己否定のあるあるを笑いで昇華して、皆さんとのエネルギーの共鳴は最後らへんに全身からゴーっとエネルギーが湧き起こりました。

この日を活かし、人生のシナリオを喜びベースで過ごして行くためにも努力というか、それを選択しようとする強い意志を養おうと思いました。


帰って来ても、ずっと続いてる感情の囚われがあって、掲示板を読みながら悶々としてました。

感情に囚われてる時は魂が何かを訴えたがっているのだと思います。何か大切な部分が、何か気づきがあるんだとも思っています。その感情に向き合うと今の精一杯の踏ん張りが利かなくなって崩れ落ちてしまいそうな不安や、乗り越えることができない、 挫けそうな恐れもあったりもしたり。色々ですが…

喜びの中で、時には取り扱いにくい思いがありながらも、一歩一歩前に歩み続けたいと思います。
歩み続けます。
喜びの中に包まれてる舞台の上で魂の意思に従って演じ続けたいです。
皆さんと一緒に。

舞台の最後には、お互い労って恐らくこの上ない喜びの中で祝福されるのだと思ってます。両手を広げて待ってくれてる魂もいるんでしょうね。舞台の後、故郷に帰り肉体を纏わないありのままの姿を感じ会うのも楽しみです。

ありがとうございました!
今度は皆さんとたっぷり交流できたらと思ってます。
その日を楽しみにしてます☆

22/07/2016(金) 23:07:53


No.14942 飯沼正晴  E-mail
一昨日の定例会 引用

一昨日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。


今回の定例会は関東や北陸からも数組の仲間が、それぞれ子連れで参加してくれました。
乳幼児を育てている仲間が勢ぞろいでした。
子どもたちが勢ぞろいしたのは初めてのことでした!

今回の定例会、向こう岸に最も近い位置に橋頭保を築くという目的意識が強くありました。
「橋頭保」のことを、「橋を支える橋桁のようなもの」と説明しましたが、少し違っていたようです。
正しくは、
1 橋のたもとに構築する陣地。
2 渡河や上陸作戦のとき、上陸地点に確保し、その後の作戦の足場とする拠点。
3 事に着手する足がかり。よりどころ。「進出の―とする支店」

ということです。

私が言った、「向こう岸に最も近い位置に橋頭保を築く」というのは、「霊界・霊的意識・エネルギーに最も近い(その要素が最も大きい)ところで、それらと生身の人間としての意識や言動を実際的に融合させる拠点を築く」という意味でした。

そのためには現状において摂理に適っているかや、人としてどうかなどということは別にして、エーテルエネルギーを極めて地上的(自分として)に集中的に大量に使っている(と思われる)人も含めて、大きく共鳴したいと思いました。

そしてその上で、霊としての意識をしっかりと確保し、それをベースに地上の日々を生きる、あるいは日々の自分を点検・改善していく強い意志と確かな認識を確立・共有したかったのです。


冒頭の(質や理屈抜きの)共鳴の時にはとてもいい感じでしたが、定例会メッセージを輪読した後や、私やさきさんが話した後での共鳴はいつになくバラバラでうまくいきませんでした。

私もだんだん力が入ってきて、特に後半は皆さん方の魂を刺激して意識を動かすために全力で話していたようです。
「今日のヌマさんはいつもと違っているけど、何かあったのですか?」と数人の人からさきさんは訊かれたそうです。

後半で二人一組になってエネルギーを注ぎ合ってからは(特に一番最後は)、前半のノイズが嘘のように払拭されて、力強い共鳴場が現出されていました。

それで、前半は「仲間たちよ(本当はこの野郎)、もっと本気を出せよ!」という感じだった私も、「お〜、さすが悠々塾に集う仲間たちだ!」という感動に変わって、今回の定例会の目的が達成されたことを確信しました。

体調に異変をきたした人や、いつもとは違う感覚を実感した人も何人もおられたようです。
大量の澱が排出されたことを示すサインだったのか、翌日はトイレのちょっとしたトラブルで悪臭が漂い、宿泊組の皆さんには不快な思いをさせてしまいました。

あの定例会に参加したからといって、すぐに顕在意識のベースや日々の言動が変化するかどうかは分かりません。
しかし、些細なことでも何かあるたびに、あるいは特に何もなくても、「地上人生は地上という舞台で、霊としての自分が演じる一時(いっとき)の極めて限定的な芝居に過ぎない」ということを思い起こしていただきたいのです。

金銭物質はもちろんのこと、病や執着や悲しみや苦しみや怒りや許しがたさなども含めて、全てはその舞台で霊としての輝き・喜びを表現するための、喜びに反転させるための小道具や条件設定に過ぎないのです。

全ての人間の魂は光の霊界から目的をもって、シナリオを理解した上で人間として地上という舞台に再生しています。
であるならば、どんなに自分にとって不都合な人でも、実はありがたい共演者なのです。
あるいはどんな悪性の病原菌やガン細胞でも、いのちはひとつらなりの舞台の共演者や小道具であり、みんな含めて「心からのありがとう」なのです。

生身の人間としての思いはなかなか無いものにはできませんし、無理に不自然にそうする必要もありません。
地上という舞台に生き、その舞台を演じる人間として、リアルにさまざまな思いを表現すればよいのです。
ただ、今の自分が生きている地上という舞台が決して全てではなく、自分も相手もその本質は霊であり、幕が下りたら霊界に戻って和やかに再会するのだ、ということを忘れてはなりません。
それを忘れてしまえば、自分が演じている役柄が本当の自分自身だと勘違いしてしまう役者のようなものです。
地上という迷路に深く迷い込んで、死後も地縛霊として地上に留まったり、幽界や暗黒界に落ちていくことになってしまうのです。

地上人生という有限の舞台で自分がいかに感動の舞台を作り上げていくかは、その舞台で自分がいかにして自分の陰りを光(喜び)に変えるか、同時に人の陰りをいかにして光(喜び)に変えるお手伝いをするかに懸っているのです。
喜びを広げ、全てを喜びに反転させることです。

十年一日のごとく、地上限定で自分なりの重い感情やに囚われ、喜びに逆行する自己中心の台詞ばかりが飛び交うような退屈で救いのない芝居はもうやめましょう。
主役の自分が意識や言動を切り替えなければ、舞台も変わらないのです。

地上の人間としての自分だけでなく、地上に生きる霊としての自分の意識にもリアリティをもてるかどうか?
そして、霊としての意識で地上の自分を誘導していくことができるかどうか?
つまり、霊主体従の生き方、そういう舞台を作っていけるかどうかです。

それが自分や共演者の幸せになり、地上界の浄化にもつながるのです。

しかし、それでもクソ面白くもない文句たらたら、感情どろどろの芝居を続けたい人は、気が済むまでやってみればよいのです。
それもその人の選択による地上人生ですし、いずれにしてもたかが地上人生です。


シルバーバーチもよく言っているように、「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、無理やり水を飲ませることはできない」のです。

定例会での霊的意識の高まりを定例会の場だけのものにせずに、日々の自分言動や生き方にこそ反映させていただきたいのです。
そうでなければ、マルクスが「宗教はアヘンだ」と言ったように、悠々塾も現状を補完するだけのまやかしの存在になってしまいます。

ありのままの自分でホッとできる場は必要ですし、和やかに仲良くできる仲間がいてくれることも、とても大きな喜びです。
しかし、悠々塾は息抜きの場のみではなく、仲良しクラブが目的でもありません。

何よりも、地上界浄化・地上人類の霊性進化の一翼を担う、自由意志によって集うグループであり、澱の蓄積によってもう限界に達し、今や大破綻を起こそうとしている地上界に霊的エネルギーの風穴を開けるための、重層多様なエネルギーの共鳴場です。

少なくとも私はそういう認識で今までこの場を主宰してきました。
仲間の皆さんとの温度差を感じることも少なくありませんでしたが、少しずつでも私の願いが浸透し、いつかはそれぞれの持ち味の中でポジティブに共鳴していく。
そして必ず現状を健やかな喜びに変えていくエネルギーが形を成していくに違いないと信じてきました。

もしもそうはならなくても、私のような人間を信頼してくれて、さまざまに協力していただき、しかも楽しく和やかに関わってくれる多くの仲間たちや家族を得たことは私個人の人生での掛け替えのない宝物です。
全くもって、もったいないほどの宝物です。

なので、個人としてはすでに感謝の喜びに尽きているのですが、それとは別に、やはり担った役割を成就させたいという強烈な思いは強まり続けています。
だからこそ、「いつかは必ず」と信じてきました。
決して難しいことではなく、今までの自分の生き方や慣れ切った癖を手放す意識と意欲を高め、今までの自分の思い方ややり方に流されている自分を解放し、本来の意識や生き方に切り替えて、結果的に自分も周囲の人も幸せになっていくのだから、いつかは必ずスイッチをオンにして、その喜びの回路を全開にしてくれると思ってきました。

そして、まさに「時は今」、という強烈な直観と実感があるのです。
もしもその直感が私のミスキャッチであったとしても、私の実感が思い込みであったとしても、誰に迷惑がかかるわけでもなく、それぞれの人がこの地上で健やかな喜びを手にして幸せに生き直していくことにつながることに変わりはありません。

これからの人生でもたらされるさまざまな出来事に際しても、悲しみ・苦しみを和らげ、そこから新たな喜びを見出していけるようになるでしょう。
霊的意識をベースにして日々を生きたとしても、何のリスクも損も発生しないのです。
むしろ、自分の地上人生が想像をはるかに超える喜びの舞台に変容するのです。
どうぞ、「時は今」と意を決して、喜びに満ちた新しい自分の地上人生と地上界に向かって、スイッチをオンにして霊的エネルギーの回路を全開にしていただけますように。

そして、もしも今すぐにはそうなれなくても、そういう自分を否定しないで、自分の魂がいつかは顕現することを信じて、共に歩んでいただけますように。

思いつくままに長く書いてしまいました。

皆さんからの自由なコメントをお待ちします。
私に迎合する必要は全くありません。
ありのままの意識や思いの表現こそ、次につながる重要な台詞なのです。

18/07/2016(月) 16:08:16


No.14943  さき
Re: 一昨日の定例会 引用
ぬまさん、まゆみさん、みなさん
定例会ありがとうございました。お疲れ様でした!
大人数で子どもたちが勢ぞろいの定例会でしたね!
初対面のお子さんにも会えて嬉しかったです!
遠方からもありがとうございました!

今回の定例会のメッセージの圧倒的なパワーに心、魂が揺さぶられました。
皆さんが事前に読んできて下さって、それぞれに揺さぶられるポイントがあったのではないでしょうか。
それが理屈でない今回の定例会の共鳴場をつくったと思います。
定例会でも言ったけど、こうしてこの場に、この内容を共有できる人たちがいる!これだけの仲間が集ってこの内容を響かせあえる!というのはそれ自体すごいことだと思ってます。
共鳴した時にみんな共演者なんだよねと、ちょっとウルウルしました。

ぬまさんが言ってた
地上の人間としての気持ちをないものにすることはないけど
大事な場面で、何を選択実行するのか。
その時に、(自分は魂で今生で)いつかは終わる役をやっているにすぎないんだってことを忘れないようにって話。
地上人生は芝居のようなものだってこと。
だんだん自分の感覚として、なるほどなと感じています。
自分のシナリオを全うしたいです。

せっかくの連休だしなーと思って、今日は天の橋立をまわって、真名井神社にも寄って帰ってきました。
海がすごく気持ちよかったです!
いのちはひとつらなり。
みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫。

18/07/2016(月) 23:09:28

No.14944  ホープ E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用
お早うございます。定例会,参加出来ず本当に残念でした。
掲示板にあるように「時は今」の感を強く感じています。
飯沼さんからのメッセージにただならぬ雰囲気が伝わっており、いよいよ「本気」を出す時を実感します。
崩壊に向かっている世の中で、しかも”今迄の通り”を推し進めようとする大きなエネルギーの中で
どの様に自分を演じきれるのか?
これまでの刷り込ンできた小さな自分の意識を開放して”魂の意識”を表現していくためには自分の”何”を超えたいのかを思っています。

19/07/2016(火) 11:16:02

No.14945  飯沼正晴 E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用
さきさん、、ホープさん、コメントありがとうございます。

さきさんが天橋立に行ったことですし、天と地をつなぎましょう。

私たち人間は、どうしても地上の自分に囚われてしまいます。
しかし何度も言いますが、私たちがこうして地上に生きているのは、魂が宿っているからです。
肉体の機能が停止すれば、魂は霊界に戻るのです。

自分の死を死ぬほど恐れても、誰もがいつかは必ず死を迎えて、ほとんどの人は死後に大きな喜びと解放を体験します。
自分の愛する人の死を死ぬほど恐れても、誰もがいつかは死を迎えて、ほとんどの人は死語に大きな喜びと解放を体験し、先に霊界に戻った人(先に死んだ人)とも喜びの再会をするのです。

地上の自分としての感情を否定したりないものにする必要は全くありませんが、しかしそこに溺れこんでしまえば、それは幽界に生きているのです。

光に霊界も幽界も暗黒界も、死んでから行くのではなく、地上に生きている今も本人が選択しながら生きているのです。

生身の人間ですから時には地上的な利害損得勘定や自分なりの感情に溺れてしまうこともあるでしょう。
そういう時はできるだけ早く、その境涯から意識・心を引き上げることが大切です。

自分に溺れてしまわないためにも、「客観的な視点」が必要でしょう。

ひとつは、霊としての視点です。
死についての真実や、地上での試練はそれを喜びに変えるためのものであるという認識。
「今、自分は地上という舞台で霊としての表現(言動)をしているのか、それとも利害損得や自分なりの感情に執着しているのか?」という視点です。

あるいは、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫(絶対安心)」という例としての輝きを表現できているのかどうか?」という視点です。

もう一つの視点は、「今の自分は他の人から見たらどういうふうに見えているのだろう?」という視点でしょう。
「地上人生という舞台で自分が演じている(表現している)姿は、他の人(観客)からはどう見えているのか?」ということも、自分自身の点検には有効です。(もちろん、観客に全て迎合するという意味ではなく)

この二つの視点をしっかりと持てば、利害損得や自分なりの感情に執着して溺れこんでしまうことは少なくなると思います。
そういう自分を自分で認識すれば、みっともなくていつまでもそんな姿を晒すことが恥ずかしくなるからです。

そして、自分が今なすべきこと、地上人生という舞台で表現すべきことに焦点が合えば、まさに全身全霊でそれを言動にして表現すればよいのです。
その時には無限のエーテルエネルギーを思う存分使って、実際に表現するのです。
それが地上で自分らしい喜び、自分らしい幸せな現実を作り上げるコツだと思います。

恐れている間は、それを超えるための試練がもたらされるのですが、恐れや不安を越えて喜びや安心に意識が到達すれば、もう試練がもたらされる必要もないのです。
もしも何かが起きたとしても、霊としての意識によって、それを喜びに着地させることができるのです。

幕が下りるまでのしばしの間、喜びの連鎖、感動の連鎖のような舞台が展開するのです。
その舞台を観ている人たちにも、感動と喜びの大きな影響を与え、その人たちの人生をも喜びに変えていけるのです。

超えるべきは、地上的利害損得や自分なりの感情・気持ちに執着している自分、ということだと思います。

19/07/2016(火) 15:59:18

No.14946  春が来る
Re: 一昨日の定例会 引用
定例会に参加させていただき、ありがとうございました。

久し振りに参加させていただき、改めて皆さんの温かさを感じました。

とりわけ、実習でペアになっていただいたSさんの優しさと温かさが心に沁みました。本当にありがとうございました。

お料理の準備の為に「5時頃、起きてはるんですか?」と聞いた私に照れる様に笑いながら「もう少し早く・・・」と言われたまゆみさん。お料理、とっても美味しかったです。お疲れが出ませんように。それから、飯沼さんの作られたトマト。味が濃くてとても美味しかったです。

まだまだ未熟な私ですが、ここからでも前に進んで行きたいと思います。
悠々塾で、また、ご一緒に学ばせてください。
よろしくお願いいたします。

19/07/2016(火) 21:36:52

No.14947  エーチャン
Re: 一昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。

最初にお詫びしなければなりません。一部で居眠りしていたのに、二部でヌマさんからそれを指摘されると、私は「寝ていない、寝ていない」と意固地に言い続けました。私としては寝ていた記憶が無いのですが、実を言うと今までも別の集会等で、自分では寝ていたとは思わないのに、「寝ていた」と指摘されることが何回かありました。

「多分今回も寝ていたのだろう、ヌマさんが言うから間違いないだろう」、と薄々思いながら、私の昔からの悪い癖の一つである、意固地になってしまう面が出てしまいました。実にに情けない話で、ヌマさんにとっても不快だったと思います。本当に「申し訳ありませんでした。

今回の定例会のメッセージを読みながら、

「自分が本当にしたいことに正面から挑むこともせず、意識や言動を逸らせ、波風が立つのを避けるために心を卑屈にして、当たり障りのない笑顔を見せて誤魔化しています。

「自分にはできない」という決めつけと、「自分にはできないんじゃないか?」という不安のために、できることすらしようとしません。」

といった部分は間違いなく自分に当てはまるなと思いました。(他にも当てはまる部分はあると思います。)

世界の情勢をみていても、暴力の連鎖が広がってきていて、あっという間に混沌が深まっていくような感じがします。こういう中で、いつまでも、うじうじしている自分が情けない、絶対に現状を乗り越えます。

全力を出す! 改めて決意します。

19/07/2016(火) 22:03:37

No.14948  のものも
Re: 一昨日の定例会 引用

>恐れている間は、それを超えるための試練がもたらされるのですが、恐れや不安を越えて喜びや安心に意識が到達すれば、もう試練がもたらされる必要もないのです。
もしも何かが起きたとしても、霊としての意識によって、それを喜びに着地させることができるのです。

最近、私はもうあとの人生は喜びしかないだろうと思いながら生きています。
何かあったとしても、喜びに着地出来るだろうと思っています。

この数十人だけの皆が本気を出せれば、風穴が開くと思うとワクワクします。絶対実現させたいです!
(ご心配おかけしました。回復しましたよ〜。朝のカレーライス食べ損ねた事を悔やみつつ、また共鳴しましょうね〜)

19/07/2016(火) 22:25:27

No.14949  飯沼正晴 E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用
☆春が来るさん、エーちゃん、のものもさん、コメントありがとうございます。

お一人お一人に返信できませんが、ご容赦ください。
また改めて投稿したいと思います。(返信ではなく)

と言いながら、エーちゃんには補足コメントしておきます。
今回はいつもよりも眠っている人が多かったような気がしました。

ずっと以前に克が受けたメッセージでは、「その場のエネルギーに共鳴してはいるものの共鳴しきれずにノイズが生じれば眠くなる」ということでした。

私は講演会などに行くと大抵は眠りこけているので、自分が話している時に寝ている人がいても不快にはなりません。
共鳴の時に最大のエネルギーを発して、大きく同調してもらえれば十分です。

皆さんの前でエネルギーを込めて話していると、微妙に共鳴しきれずノイズが生じて眠くなっている人と、単に眠っているだけの人の違いは感じるものです。

エーちゃんは微妙に共鳴しきれずに眠くなっていたように感じました。
今回はそういう人が多かったように思います。

19/07/2016(火) 22:48:39

No.14950  飯沼正晴 E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用

いまのところ、9月定例会も第3土曜日、9月17日の予定です。
3連休の初日です。
私事ですが、藍子さんの出産予定日が9月半ばで、それとの兼ね合いもあっていろいろ思案中です。

近日中に確定して、また改めてお知らせいたします。

19/07/2016(火) 23:47:29

No.14951  しのしの
Re: 一昨日の定例会 引用
定例会、お疲れ様でした。

またゆっくり書き込もうと思いますが、まだ起こっていない不安やおそれなどなど、見えない敵と戦うことをやめます。

20/07/2016(水) 12:44:15

No.14952  あきら&ひとみ
Re: 一昨日の定例会 引用
先日の定例会お疲れ様でした。

地上人生は霊としての自分を演じるという話もそうですが、霊としての比重の話?たとえ51対49でも最後は霊としての判断をしてほしいって話、納得しながら聞いてました。
というか、これまでみんなとここで学んできたので、何かあったときはそういう姿勢が身についてきてはいました。
その比重がもっと大きくなるように過ごしていきます。

                 あきら


ヌマさん、さきさん、まゆみさん、そして定例会に参加されたみなさんお疲れさまでした。

今回の克子さんの定例会に向けてのメッセージ、そしてヌマのお話し、耳が痛くそしてもう逃げてはダメだ!って思いました。
頑張ろうって言いながら、自分の苦手な事がくるとやっぱり遠回りしたり、避けたりしている自分がやっぱりいます。

メッセージの中の「十年一日のごとく、同じ意識、同じ心の状態で地上的年齢だけを重ねています。」

まさに私の事だ!わぁ〜しっかり見られているって思いました…。
自分の気持ち、ちゃんと表現していこうって思いました。
あきらにも一緒に苦手な事していこう!って伝えました。
舞台を変えていくぞ〜!

                 ひとみ 

22/07/2016(金) 00:34:07

No.14953  鉄ママ
Re: 一昨日の定例会 引用
定例会ではありがとうございました。
久しぶりの参加でしたが、久しぶりといった感覚がありませんでした。
みなさんありがとうございます。

あれから、柳川に定例会での話や実習内容を話し、2人でエネルギーの共鳴、通し合いをしました。
昨日は、柳川と鉄、ふうちゃんと私でやりました。
泰は、仕事から帰ってから寝ていたので起こしたのですが、爆睡していました。
私の勘違いがあり、途中鉄に ママは何を聞いていた?
と叱られました。
エーテルエネルギーを取り込む時に、カリスマ といった言葉が浮かびました。
私は、カリスマという言葉にこれまでどこか抵抗がありました。
何か、高飛車で偉そうな感じがしていました。
ここしばらく、小さいころの自分を振り返っていました。
私は2月生まれで小学校低学年までは、前から二番目くらいに小さかったのですが、私は周りのクラスメートよりほとんど一年小さいことに気がつきもしないくらいチャキチャキで、リーダー格でした。
何をするのも迷いがなかったように思います。
叱られたり、否定されたり、いつからか目立つことを避けてきました。
私のことが大好き、とか姉御肌だね、とか言われるのが嫌でした。
あなたの勘違いじゃない?くらいに思うのです。

カリスマ性の意味を調べてみると、
”人の心を引き付ける強い力があること。多くの人から支持されること。
とありました。
hoyanoに関しても、他と比べてグズグズ思う私がいます。
小さいころの私なら、それもこれも全部のみ込む勢いだったと思うのです。

私のシナリオ、舞台、霊主体従、大きく得て、大きく与えていきます。

22/07/2016(金) 11:19:49

No.14954  飯沼正晴 E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用
しのしのさん、あきら&ひとみさん、鉄ママさん、

コメントありがとうございます。
個別の返信はできませんが、後ほど改めて投稿します。

22/07/2016(金) 14:16:55


No.14939 飯沼正晴  E-mail
2016年7月定例会に向けてのメッセージ 引用

☆2016年7月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

私が霊界に戻って10年余りが過ぎます。
と言っても、それはあくまでも地上の年月であり、時間というものがない霊界では地上とは全く感覚が違っています。

地上の皆さん方の多くは自分が主人公でありながら、自分の人生に振り回されています。

予期せぬ出来事に心を乱し、自分や近親者の死を恐れ、起きてもいないことへの不安や心配に心を占領されています。

肉体の病を得たことで、心まで健やかさを失い、喜びよりも苦しみに意識の重心を移して、自らが肉体の治癒力を妨害しています。

金銭・物質やそれにつながる社会的地位や立場に固執し、与えることを嫌がり、失うことを恐れています。

人との比較に心を陰らせ、自分らしい輝きや自分らしく生きる喜びを封印してしまっています。

うまくいかないことを嘆き、腹を立て、自分を責めて否定し、他の誰かのせいにしてさらに不調和や不快感を増幅させています。

自分の大変さや苦しさ・寂しさばかりに意識が向き、自分のことしか思えなくなって、さらに大変さや苦しさ・寂しさを自分に引き寄せています。

職場や家庭や恋愛に関しても、相手が自分の思い通りにならなければ面白くなさを募らせ、怒り、憎んだりもしています。

その一方では、喜びを響かせ合ってさらに喜びを膨らませていくことには消極的だったり抵抗感を示します

「ひどい目にあわされた。裏切られた」という恨みをいつまでも手放すことができず、さらに幸せを遠ざける人生を選んでいます。

自分が本当にしたいことに正面から挑むこともせず、意識や言動を逸らせ、波風が立つのを避けるために心を卑屈にして、当たり障りのない笑顔を見せて誤魔化しています。

「自分にはできない」という決めつけと、「自分にはできないんじゃないか?」という不安のために、できることすらしようとしません。

「仕事や生活に追われ、病を抱えている」という理由・言い訳で、自分自身のことを真摯に振り返ることもせず、だから本当の意味で成長しないままに十年一日のごとく、同じ意識、同じ心の状態で地上的年齢だけを重ねています。

「どうして自分の人生はこんなにも不幸せで、面白くないのだろう・・・?」という愚痴や嘆きを最大の友として生きている人も少なくありません。


しかし、地上的死を経てこちらに戻れば誰にでも分かることですが、地上人生にはそれぞれのテーマに見合ったシナリオがあるのです。
金銭物質や社会的地位や自分なりの感情などに囚われていればそのシナリオは全く分からず(つまりその人にとっては無いのと同じですが)、地上人生の苦難や困難に向き合い、それを越えながら自らの霊性を開発していけば、地上に生きている間でもシナリオの存在は感じ取ることができるものです。

どういう地上人生であったとしても、本来の霊界に戻ればシナリオの全てが分かり、なぜそのようなシナリオが書かれたかについても分かるのです。

そして、地上で愛や憎しみ、あるいは利害損得などで濃密に関わった者たちともやがては霊界で再会し、まるで長期公演の舞台の千秋楽が終わった夜の役者たちのように、お互いをねぎらいながら地上人生という舞台の話に花を咲かせる(意識を交わし合う)のです。
幼くして地上を去った我が子も死別した伴侶や恋人も駆けつけ、死別の時に悲しみに悶絶したことが嘘のように再会の喜びに満たされ、各々の地上人生のシナリオの意味について語り合うのです。

親子・肉親であれ、夫婦であれ、敵として激しく対立した者であれ、家庭や恋愛を破壊して自分をあんなにも惨めな気持ちにさせた許せない浮気相手ですらも、お互いに自分という魂の進化・学びに必要であったからこそ、シナリオによってその役柄を演じてくれた舞台の登場人物であったことに心から納得するのです。

もちろん地上の人間の未熟さからの過ちやシナリオからの逸脱も多々あるものです。
しかしそれも含めてさらに高次のシナリオがあり、そのテーマは一貫しているのです。

(次の地上人生の舞台では、今回の舞台を踏まえて、それぞれの役柄が入れ替わることもあるのです。母が子になり、子が夫(妻)や恋人になることも珍しくありません。要するに地上人生というものは決して絶対的なものではなく、地上における霊性の開発・発揮こそが絶対的命題なのです。)

今がどんなに苦しい人でも、重篤な病の床にあって死を怖れながら死に向かっている人でも、幽界や暗黒界に行った者以外は、誰もが必ずそういう喜びに満たされるのです。

もちろんどんな物的財産も恨みも憎しみも悲しさも霊界に持っていくことはできず、どんな病も霊界にまで持ち越すことはありません。
貧困も飢えもなく、食べる必要すらないのです。
必要なものは全て自分の意念・意識で作り出せ、それぞれが自分にふさわしい住居や環境を作って生きていますが、段々に意識のみの喜びに関心が向いて、喜びの中でどこまでも進化成長の生を生きていくのです。

地上のことが全てであるかのように思い、地上のことに心を奪われて生きている人間にはまるで無関係の別世界のように思えるかもしれませんが、そうではありません。
全ての人が人間として地上に生きているのは魂が宿っているからであり、その魂は地上人生のシナリオをはっきりと認識しているのですし、遠からず(地上人生を終えれば)それこそが自分自身の揺るぎない現実になるのです。

やがては死後の世界のことではなく、全ての人間がそういう意識と言動で地上人生を生きることになります。
それこそが地上人類の霊性進化であり、地上天国の到来です。
誰もが、つまりあなた自身も、そのためにこそ今こうして地上に生きているのです。

地上的な重くて粗い波動に取り込まれている状態から解放されたならば、魂の意識が精神(理性・感情・感覚)はもちろんのこと肉体や言動にまで行き渡り、全ての層の体も言動をも健やかに活性化するのです。
つまり、心の病も肉体の病も治るのですし、厄介な自分なりの思い癖も直ります。

治る(直る)だけでなく、治す(直す)こともできるのです。
治る(直る)というよりも、魂の意識・エネルギーによって、それら地上ならではの偏りや陰りは無意味化されて昇華・解消されるのです。

そして、全ての人間の地上人生という舞台・お芝居のテーマは、「過去世や今生での役割にふさわしく設定された舞台で、霊としての意識や言動を表現していく。魂の輝きを発揮・発現させていく」というものです。


長くなりましたが、今回は、
「地上の人生は決して絶対的なものではなく、それぞれの登場人物の過去世と今生での目的を踏まえたシナリオによるお芝居のようなものである。であれば、主役(同時に共演者)として舞台に上がっている自分が変わることで舞台は一変し、シナリオは次のページに進むことができるのだ。自分も共演者たちも、また別の舞台に上がっている人たちも、地上人生という舞台をどう演じ切るのか、どう生きるのか、それはその魂が知っている。

今日、ここに集う者たちがそれぞれの魂の意識・エネルギーを共鳴させることによって、ほとんど忘れていた本来のシナリオを思い出し、それを精神や肉体や言動にまで顕現させるのだ。

エーテルエネルギーは顕現のエネルギー。
それを躊躇も遠慮もなく無限に取り入れ、仲間たちと共にいる喜びの中で大きく細やかに共鳴させて、魂の意識・エネルギーをきっぱりと精神や肉体や言動に顕現させるのだ。」

『いのちはひとつらなり。みんな、大好き。ありがとう。大丈夫(絶対安心)』
。。。。。。。。。。。

◆実習

当日配布のプリントに記載します。

14/07/2016(木) 23:48:45


No.14941  飯沼正晴 E-mail
Re: 2016年7月定例会に向けてのメッセージ 引用
その気があればで構わないので、しっかりと読み込んで定例会においでください。

その気がない人は定例会で料理します。(料理させるんじゃないですよ)

15/07/2016(金) 09:10:12

全3961件 [ ページ : << 1 ... 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 ... 397 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

Rocket Board Type-X Rocket BBS