一昨日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。 そして、ありがとうございました。
今回の定例会は関東や北陸からも数組の仲間が、それぞれ子連れで参加してくれました。 乳幼児を育てている仲間が勢ぞろいでした。 子どもたちが勢ぞろいしたのは初めてのことでした!
今回の定例会、向こう岸に最も近い位置に橋頭保を築くという目的意識が強くありました。 「橋頭保」のことを、「橋を支える橋桁のようなもの」と説明しましたが、少し違っていたようです。 正しくは、 1 橋のたもとに構築する陣地。 2 渡河や上陸作戦のとき、上陸地点に確保し、その後の作戦の足場とする拠点。 3 事に着手する足がかり。よりどころ。「進出の―とする支店」 ということです。
私が言った、「向こう岸に最も近い位置に橋頭保を築く」というのは、「霊界・霊的意識・エネルギーに最も近い(その要素が最も大きい)ところで、それらと生身の人間としての意識や言動を実際的に融合させる拠点を築く」という意味でした。
そのためには現状において摂理に適っているかや、人としてどうかなどということは別にして、エーテルエネルギーを極めて地上的(自分として)に集中的に大量に使っている(と思われる)人も含めて、大きく共鳴したいと思いました。
そしてその上で、霊としての意識をしっかりと確保し、それをベースに地上の日々を生きる、あるいは日々の自分を点検・改善していく強い意志と確かな認識を確立・共有したかったのです。
冒頭の(質や理屈抜きの)共鳴の時にはとてもいい感じでしたが、定例会メッセージを輪読した後や、私やさきさんが話した後での共鳴はいつになくバラバラでうまくいきませんでした。
私もだんだん力が入ってきて、特に後半は皆さん方の魂を刺激して意識を動かすために全力で話していたようです。 「今日のヌマさんはいつもと違っているけど、何かあったのですか?」と数人の人からさきさんは訊かれたそうです。
後半で二人一組になってエネルギーを注ぎ合ってからは(特に一番最後は)、前半のノイズが嘘のように払拭されて、力強い共鳴場が現出されていました。
それで、前半は「仲間たちよ(本当はこの野郎)、もっと本気を出せよ!」という感じだった私も、「お〜、さすが悠々塾に集う仲間たちだ!」という感動に変わって、今回の定例会の目的が達成されたことを確信しました。
体調に異変をきたした人や、いつもとは違う感覚を実感した人も何人もおられたようです。 大量の澱が排出されたことを示すサインだったのか、翌日はトイレのちょっとしたトラブルで悪臭が漂い、宿泊組の皆さんには不快な思いをさせてしまいました。
あの定例会に参加したからといって、すぐに顕在意識のベースや日々の言動が変化するかどうかは分かりません。 しかし、些細なことでも何かあるたびに、あるいは特に何もなくても、「地上人生は地上という舞台で、霊としての自分が演じる一時(いっとき)の極めて限定的な芝居に過ぎない」ということを思い起こしていただきたいのです。
金銭物質はもちろんのこと、病や執着や悲しみや苦しみや怒りや許しがたさなども含めて、全てはその舞台で霊としての輝き・喜びを表現するための、喜びに反転させるための小道具や条件設定に過ぎないのです。
全ての人間の魂は光の霊界から目的をもって、シナリオを理解した上で人間として地上という舞台に再生しています。 であるならば、どんなに自分にとって不都合な人でも、実はありがたい共演者なのです。 あるいはどんな悪性の病原菌やガン細胞でも、いのちはひとつらなりの舞台の共演者や小道具であり、みんな含めて「心からのありがとう」なのです。
生身の人間としての思いはなかなか無いものにはできませんし、無理に不自然にそうする必要もありません。 地上という舞台に生き、その舞台を演じる人間として、リアルにさまざまな思いを表現すればよいのです。 ただ、今の自分が生きている地上という舞台が決して全てではなく、自分も相手もその本質は霊であり、幕が下りたら霊界に戻って和やかに再会するのだ、ということを忘れてはなりません。 それを忘れてしまえば、自分が演じている役柄が本当の自分自身だと勘違いしてしまう役者のようなものです。 地上という迷路に深く迷い込んで、死後も地縛霊として地上に留まったり、幽界や暗黒界に落ちていくことになってしまうのです。
地上人生という有限の舞台で自分がいかに感動の舞台を作り上げていくかは、その舞台で自分がいかにして自分の陰りを光(喜び)に変えるか、同時に人の陰りをいかにして光(喜び)に変えるお手伝いをするかに懸っているのです。 喜びを広げ、全てを喜びに反転させることです。
十年一日のごとく、地上限定で自分なりの重い感情やに囚われ、喜びに逆行する自己中心の台詞ばかりが飛び交うような退屈で救いのない芝居はもうやめましょう。 主役の自分が意識や言動を切り替えなければ、舞台も変わらないのです。
地上の人間としての自分だけでなく、地上に生きる霊としての自分の意識にもリアリティをもてるかどうか? そして、霊としての意識で地上の自分を誘導していくことができるかどうか? つまり、霊主体従の生き方、そういう舞台を作っていけるかどうかです。
それが自分や共演者の幸せになり、地上界の浄化にもつながるのです。
しかし、それでもクソ面白くもない文句たらたら、感情どろどろの芝居を続けたい人は、気が済むまでやってみればよいのです。 それもその人の選択による地上人生ですし、いずれにしてもたかが地上人生です。
シルバーバーチもよく言っているように、「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、無理やり水を飲ませることはできない」のです。
定例会での霊的意識の高まりを定例会の場だけのものにせずに、日々の自分言動や生き方にこそ反映させていただきたいのです。 そうでなければ、マルクスが「宗教はアヘンだ」と言ったように、悠々塾も現状を補完するだけのまやかしの存在になってしまいます。
ありのままの自分でホッとできる場は必要ですし、和やかに仲良くできる仲間がいてくれることも、とても大きな喜びです。 しかし、悠々塾は息抜きの場のみではなく、仲良しクラブが目的でもありません。
何よりも、地上界浄化・地上人類の霊性進化の一翼を担う、自由意志によって集うグループであり、澱の蓄積によってもう限界に達し、今や大破綻を起こそうとしている地上界に霊的エネルギーの風穴を開けるための、重層多様なエネルギーの共鳴場です。
少なくとも私はそういう認識で今までこの場を主宰してきました。 仲間の皆さんとの温度差を感じることも少なくありませんでしたが、少しずつでも私の願いが浸透し、いつかはそれぞれの持ち味の中でポジティブに共鳴していく。 そして必ず現状を健やかな喜びに変えていくエネルギーが形を成していくに違いないと信じてきました。
もしもそうはならなくても、私のような人間を信頼してくれて、さまざまに協力していただき、しかも楽しく和やかに関わってくれる多くの仲間たちや家族を得たことは私個人の人生での掛け替えのない宝物です。 全くもって、もったいないほどの宝物です。
なので、個人としてはすでに感謝の喜びに尽きているのですが、それとは別に、やはり担った役割を成就させたいという強烈な思いは強まり続けています。 だからこそ、「いつかは必ず」と信じてきました。 決して難しいことではなく、今までの自分の生き方や慣れ切った癖を手放す意識と意欲を高め、今までの自分の思い方ややり方に流されている自分を解放し、本来の意識や生き方に切り替えて、結果的に自分も周囲の人も幸せになっていくのだから、いつかは必ずスイッチをオンにして、その喜びの回路を全開にしてくれると思ってきました。
そして、まさに「時は今」、という強烈な直観と実感があるのです。 もしもその直感が私のミスキャッチであったとしても、私の実感が思い込みであったとしても、誰に迷惑がかかるわけでもなく、それぞれの人がこの地上で健やかな喜びを手にして幸せに生き直していくことにつながることに変わりはありません。
これからの人生でもたらされるさまざまな出来事に際しても、悲しみ・苦しみを和らげ、そこから新たな喜びを見出していけるようになるでしょう。 霊的意識をベースにして日々を生きたとしても、何のリスクも損も発生しないのです。 むしろ、自分の地上人生が想像をはるかに超える喜びの舞台に変容するのです。 どうぞ、「時は今」と意を決して、喜びに満ちた新しい自分の地上人生と地上界に向かって、スイッチをオンにして霊的エネルギーの回路を全開にしていただけますように。
そして、もしも今すぐにはそうなれなくても、そういう自分を否定しないで、自分の魂がいつかは顕現することを信じて、共に歩んでいただけますように。
思いつくままに長く書いてしまいました。
皆さんからの自由なコメントをお待ちします。 私に迎合する必要は全くありません。 ありのままの意識や思いの表現こそ、次につながる重要な台詞なのです。 |
18/07/2016(月) 16:08:16
No.14943 さき |
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ぬまさん、まゆみさん、みなさん 定例会ありがとうございました。お疲れ様でした! 大人数で子どもたちが勢ぞろいの定例会でしたね! 初対面のお子さんにも会えて嬉しかったです! 遠方からもありがとうございました!
今回の定例会のメッセージの圧倒的なパワーに心、魂が揺さぶられました。 皆さんが事前に読んできて下さって、それぞれに揺さぶられるポイントがあったのではないでしょうか。 それが理屈でない今回の定例会の共鳴場をつくったと思います。 定例会でも言ったけど、こうしてこの場に、この内容を共有できる人たちがいる!これだけの仲間が集ってこの内容を響かせあえる!というのはそれ自体すごいことだと思ってます。 共鳴した時にみんな共演者なんだよねと、ちょっとウルウルしました。
ぬまさんが言ってた 地上の人間としての気持ちをないものにすることはないけど 大事な場面で、何を選択実行するのか。 その時に、(自分は魂で今生で)いつかは終わる役をやっているにすぎないんだってことを忘れないようにって話。 地上人生は芝居のようなものだってこと。 だんだん自分の感覚として、なるほどなと感じています。 自分のシナリオを全うしたいです。
せっかくの連休だしなーと思って、今日は天の橋立をまわって、真名井神社にも寄って帰ってきました。 海がすごく気持ちよかったです! いのちはひとつらなり。 みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫。 |
18/07/2016(月) 23:09:28
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No.14944 ホープ |
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お早うございます。定例会,参加出来ず本当に残念でした。 掲示板にあるように「時は今」の感を強く感じています。 飯沼さんからのメッセージにただならぬ雰囲気が伝わっており、いよいよ「本気」を出す時を実感します。 崩壊に向かっている世の中で、しかも”今迄の通り”を推し進めようとする大きなエネルギーの中で どの様に自分を演じきれるのか? これまでの刷り込ンできた小さな自分の意識を開放して”魂の意識”を表現していくためには自分の”何”を超えたいのかを思っています。 |
19/07/2016(火) 11:16:02
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No.14945 飯沼正晴 |
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さきさん、、ホープさん、コメントありがとうございます。
さきさんが天橋立に行ったことですし、天と地をつなぎましょう。
私たち人間は、どうしても地上の自分に囚われてしまいます。 しかし何度も言いますが、私たちがこうして地上に生きているのは、魂が宿っているからです。 肉体の機能が停止すれば、魂は霊界に戻るのです。
自分の死を死ぬほど恐れても、誰もがいつかは必ず死を迎えて、ほとんどの人は死後に大きな喜びと解放を体験します。 自分の愛する人の死を死ぬほど恐れても、誰もがいつかは死を迎えて、ほとんどの人は死語に大きな喜びと解放を体験し、先に霊界に戻った人(先に死んだ人)とも喜びの再会をするのです。
地上の自分としての感情を否定したりないものにする必要は全くありませんが、しかしそこに溺れこんでしまえば、それは幽界に生きているのです。
光に霊界も幽界も暗黒界も、死んでから行くのではなく、地上に生きている今も本人が選択しながら生きているのです。
生身の人間ですから時には地上的な利害損得勘定や自分なりの感情に溺れてしまうこともあるでしょう。 そういう時はできるだけ早く、その境涯から意識・心を引き上げることが大切です。
自分に溺れてしまわないためにも、「客観的な視点」が必要でしょう。
ひとつは、霊としての視点です。 死についての真実や、地上での試練はそれを喜びに変えるためのものであるという認識。 「今、自分は地上という舞台で霊としての表現(言動)をしているのか、それとも利害損得や自分なりの感情に執着しているのか?」という視点です。
あるいは、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫(絶対安心)」という例としての輝きを表現できているのかどうか?」という視点です。
もう一つの視点は、「今の自分は他の人から見たらどういうふうに見えているのだろう?」という視点でしょう。 「地上人生という舞台で自分が演じている(表現している)姿は、他の人(観客)からはどう見えているのか?」ということも、自分自身の点検には有効です。(もちろん、観客に全て迎合するという意味ではなく)
この二つの視点をしっかりと持てば、利害損得や自分なりの感情に執着して溺れこんでしまうことは少なくなると思います。 そういう自分を自分で認識すれば、みっともなくていつまでもそんな姿を晒すことが恥ずかしくなるからです。
そして、自分が今なすべきこと、地上人生という舞台で表現すべきことに焦点が合えば、まさに全身全霊でそれを言動にして表現すればよいのです。 その時には無限のエーテルエネルギーを思う存分使って、実際に表現するのです。 それが地上で自分らしい喜び、自分らしい幸せな現実を作り上げるコツだと思います。
恐れている間は、それを超えるための試練がもたらされるのですが、恐れや不安を越えて喜びや安心に意識が到達すれば、もう試練がもたらされる必要もないのです。 もしも何かが起きたとしても、霊としての意識によって、それを喜びに着地させることができるのです。
幕が下りるまでのしばしの間、喜びの連鎖、感動の連鎖のような舞台が展開するのです。 その舞台を観ている人たちにも、感動と喜びの大きな影響を与え、その人たちの人生をも喜びに変えていけるのです。
超えるべきは、地上的利害損得や自分なりの感情・気持ちに執着している自分、ということだと思います。 |
19/07/2016(火) 15:59:18
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No.14946 春が来る |
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定例会に参加させていただき、ありがとうございました。
久し振りに参加させていただき、改めて皆さんの温かさを感じました。
とりわけ、実習でペアになっていただいたSさんの優しさと温かさが心に沁みました。本当にありがとうございました。
お料理の準備の為に「5時頃、起きてはるんですか?」と聞いた私に照れる様に笑いながら「もう少し早く・・・」と言われたまゆみさん。お料理、とっても美味しかったです。お疲れが出ませんように。それから、飯沼さんの作られたトマト。味が濃くてとても美味しかったです。
まだまだ未熟な私ですが、ここからでも前に進んで行きたいと思います。 悠々塾で、また、ご一緒に学ばせてください。 よろしくお願いいたします。 |
19/07/2016(火) 21:36:52
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No.14947 エーチャン |
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定例会ありがとうございました。
最初にお詫びしなければなりません。一部で居眠りしていたのに、二部でヌマさんからそれを指摘されると、私は「寝ていない、寝ていない」と意固地に言い続けました。私としては寝ていた記憶が無いのですが、実を言うと今までも別の集会等で、自分では寝ていたとは思わないのに、「寝ていた」と指摘されることが何回かありました。
「多分今回も寝ていたのだろう、ヌマさんが言うから間違いないだろう」、と薄々思いながら、私の昔からの悪い癖の一つである、意固地になってしまう面が出てしまいました。実にに情けない話で、ヌマさんにとっても不快だったと思います。本当に「申し訳ありませんでした。
今回の定例会のメッセージを読みながら、
「自分が本当にしたいことに正面から挑むこともせず、意識や言動を逸らせ、波風が立つのを避けるために心を卑屈にして、当たり障りのない笑顔を見せて誤魔化しています。
「自分にはできない」という決めつけと、「自分にはできないんじゃないか?」という不安のために、できることすらしようとしません。」
といった部分は間違いなく自分に当てはまるなと思いました。(他にも当てはまる部分はあると思います。)
世界の情勢をみていても、暴力の連鎖が広がってきていて、あっという間に混沌が深まっていくような感じがします。こういう中で、いつまでも、うじうじしている自分が情けない、絶対に現状を乗り越えます。
全力を出す! 改めて決意します。 |
19/07/2016(火) 22:03:37
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No.14948 のものも |
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>恐れている間は、それを超えるための試練がもたらされるのですが、恐れや不安を越えて喜びや安心に意識が到達すれば、もう試練がもたらされる必要もないのです。 もしも何かが起きたとしても、霊としての意識によって、それを喜びに着地させることができるのです。
最近、私はもうあとの人生は喜びしかないだろうと思いながら生きています。 何かあったとしても、喜びに着地出来るだろうと思っています。
この数十人だけの皆が本気を出せれば、風穴が開くと思うとワクワクします。絶対実現させたいです! (ご心配おかけしました。回復しましたよ〜。朝のカレーライス食べ損ねた事を悔やみつつ、また共鳴しましょうね〜) |
19/07/2016(火) 22:25:27
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No.14949 飯沼正晴 |
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☆春が来るさん、エーちゃん、のものもさん、コメントありがとうございます。
お一人お一人に返信できませんが、ご容赦ください。 また改めて投稿したいと思います。(返信ではなく)
と言いながら、エーちゃんには補足コメントしておきます。 今回はいつもよりも眠っている人が多かったような気がしました。
ずっと以前に克が受けたメッセージでは、「その場のエネルギーに共鳴してはいるものの共鳴しきれずにノイズが生じれば眠くなる」ということでした。
私は講演会などに行くと大抵は眠りこけているので、自分が話している時に寝ている人がいても不快にはなりません。 共鳴の時に最大のエネルギーを発して、大きく同調してもらえれば十分です。
皆さんの前でエネルギーを込めて話していると、微妙に共鳴しきれずノイズが生じて眠くなっている人と、単に眠っているだけの人の違いは感じるものです。
エーちゃんは微妙に共鳴しきれずに眠くなっていたように感じました。 今回はそういう人が多かったように思います。 |
19/07/2016(火) 22:48:39
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No.14950 飯沼正晴 |
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いまのところ、9月定例会も第3土曜日、9月17日の予定です。 3連休の初日です。 私事ですが、藍子さんの出産予定日が9月半ばで、それとの兼ね合いもあっていろいろ思案中です。
近日中に確定して、また改めてお知らせいたします。 |
19/07/2016(火) 23:47:29
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No.14951 しのしの |
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定例会、お疲れ様でした。
またゆっくり書き込もうと思いますが、まだ起こっていない不安やおそれなどなど、見えない敵と戦うことをやめます。 |
20/07/2016(水) 12:44:15
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No.14952 あきら&ひとみ |
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先日の定例会お疲れ様でした。
地上人生は霊としての自分を演じるという話もそうですが、霊としての比重の話?たとえ51対49でも最後は霊としての判断をしてほしいって話、納得しながら聞いてました。 というか、これまでみんなとここで学んできたので、何かあったときはそういう姿勢が身についてきてはいました。 その比重がもっと大きくなるように過ごしていきます。
あきら
ヌマさん、さきさん、まゆみさん、そして定例会に参加されたみなさんお疲れさまでした。
今回の克子さんの定例会に向けてのメッセージ、そしてヌマのお話し、耳が痛くそしてもう逃げてはダメだ!って思いました。 頑張ろうって言いながら、自分の苦手な事がくるとやっぱり遠回りしたり、避けたりしている自分がやっぱりいます。
メッセージの中の「十年一日のごとく、同じ意識、同じ心の状態で地上的年齢だけを重ねています。」
まさに私の事だ!わぁ〜しっかり見られているって思いました…。 自分の気持ち、ちゃんと表現していこうって思いました。 あきらにも一緒に苦手な事していこう!って伝えました。 舞台を変えていくぞ〜!
ひとみ |
22/07/2016(金) 00:34:07
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No.14953 鉄ママ |
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定例会ではありがとうございました。 久しぶりの参加でしたが、久しぶりといった感覚がありませんでした。 みなさんありがとうございます。
あれから、柳川に定例会での話や実習内容を話し、2人でエネルギーの共鳴、通し合いをしました。 昨日は、柳川と鉄、ふうちゃんと私でやりました。 泰は、仕事から帰ってから寝ていたので起こしたのですが、爆睡していました。 私の勘違いがあり、途中鉄に ママは何を聞いていた? と叱られました。 エーテルエネルギーを取り込む時に、カリスマ といった言葉が浮かびました。 私は、カリスマという言葉にこれまでどこか抵抗がありました。 何か、高飛車で偉そうな感じがしていました。 ここしばらく、小さいころの自分を振り返っていました。 私は2月生まれで小学校低学年までは、前から二番目くらいに小さかったのですが、私は周りのクラスメートよりほとんど一年小さいことに気がつきもしないくらいチャキチャキで、リーダー格でした。 何をするのも迷いがなかったように思います。 叱られたり、否定されたり、いつからか目立つことを避けてきました。 私のことが大好き、とか姉御肌だね、とか言われるのが嫌でした。 あなたの勘違いじゃない?くらいに思うのです。
カリスマ性の意味を調べてみると、 ”人の心を引き付ける強い力があること。多くの人から支持されること。 とありました。 hoyanoに関しても、他と比べてグズグズ思う私がいます。 小さいころの私なら、それもこれも全部のみ込む勢いだったと思うのです。
私のシナリオ、舞台、霊主体従、大きく得て、大きく与えていきます。 |
22/07/2016(金) 11:19:49
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No.14954 飯沼正晴 |
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しのしのさん、あきら&ひとみさん、鉄ママさん、
コメントありがとうございます。 個別の返信はできませんが、後ほど改めて投稿します。 |
22/07/2016(金) 14:16:55
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