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No.13917 飯沼正晴  E-mail
☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
        

☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆

            ――  霊界の克との対話  ――



飯沼)こんにちは。いつもお世話になっております。

克子)はい、こんにちは。こちらこそ、お世話になっています(笑)


飯)もうすぐ11月定例会だ。
今回は「納会」ということで、仲間たちと一緒にゆっくりと楽しく過ごしたいと思っています。
ふと思いついて提案した「何なりと3分間(以上)」の企画(?)が事前からなかなかの反響のようだ(笑)
中には「すでに今からストレスなので、今回の定例会は不参加にします」という人もいるし・・・。

まあ、悠々塾の仲間たちの多くが「引っ込み思案症候群」であることは分かっていたが、「ストレスだから不参加」というのにはかなり驚いた。
人前で話をしたり、何か出し物をすることがとっても苦手な人でも、最終的には「嫌だけど、参加しよう」というところに着地してくれるとばかり思っていたからね。

僕自身が以前は人前で何かすることが大の苦手で、妙に頑なになったりしていたから、そういう人の気持ちはとてもよく分かるのだけど、でもやっぱり自分を開いた方がはるかに楽しいし、楽になるということもよく知っている。

克)はい。
定例会への参加・不参加ももちろん自由意志ですし、「何なりと3分間(以上)」ということにしても強制ではないはずです。
ですから「今回は不参加」であっても、「参加はするがスピーチや出し物はしない」ということでも構わないわけです。
しかしながら、わずか3分間であっても、自分が主人公になって自分を表現するということは、その人自身にとっても大きな意味があります。

それだけではなく、自分の殻を破って皆の前で自分を表現する意志と意欲のエネルギーが共鳴すれば、悠々塾という共鳴場のエネルギーは格段にパワーアップするのです。
それが悠々塾のこれからの働き、悠々塾につながる仲間たち一人ひとりの貢献の力と幸せにも大きく反映されていくでしょう。

「(悠々塾という)共鳴場に、自分なんていてもいなくても構わないのだろう」と思っている人もいるようですが、決してそうではありません。

もしもそうであれば、悠々塾との出会いは計らわれていなかったでしょうし、出会ったとしてもご縁が続くことはなかったでしょう。
「地上界の浄化・地上人生の霊性進化」という大きなプロジェクトの一翼を担う悠々塾の働きに必要だからこそ、出会いに導かれ、ご縁が続いているのです。
それは決して偶然のことではなく、今回のプロジェクトを霊界側から導き、支援する大霊団と皆さん方の守護霊様や指導霊様たちが連絡を取り合ってのことです。

定例会の常連さんたちだけでなく、距離的な条件などで定例会に参加できない人も、もう少し外側で共感を持っている人も、皆さんが同じように必要とされているのです。

今の悠々塾が担っている分野の扉を開く役割においては、頭数(あたまかず)はさほど問題ではありません。
しかし、多様なエネルギーは何としても必要なのです。
悠々塾につながる皆さん方に、「自分も主人公なのだ」という確固たる認識を持っていただきたくお願いいたします。
そして、その気になれば参加できるのであれば、今回の定例会に参加してくださいますように。(しかし同時に、どんなつながり方でも構わないのですとお伝えいたします)

「何なりと3分間(以上)」は些細なことではありますが、そういうことを提示・提案されて、その意味も理解できるはずですから、そこでどう心を動かしていくのか、実際的にどう選択していくのかは、その人の今までとこれからの地上人生そのものを表しているとすら言えるのです。
こういう言い方をすれば、さらに大そうな感じを与えてしまいますね。

しかし、あなたも書いたように、何かがもたらされた時に心(エネルギー)を閉ざしていくのか、あるいは開いていくのかは、その人の人生を形作っていく上でのとても大きな要素なのです。
心を閉ざしていくということはつながりを避けていくことであり、心を開くということはつながりを広げていくことでもあります。(言葉や行為という形で表すことが全てではありませんが、形にしようという意欲が地上的な力を高めるのです)
もちろん、どちらが良いとか悪いとかではありませんし、どういう心で生きようがそれはその人の自由ですが、そういうエネルギーの集積が自分の地上人生を形作っているわけです。

「何なりと3分間(以上)」のことに限らず、はっきりと意識していないところ(無意識)においても、地上人生は選択の連続であり、積み重ねです。
無意識の層に組み込まれていれば自動設定として作動しますが、それもまた選択として現実を作っているのです。
自分の選択の結果を自分が引き受けるということです。

現実を変えたいと思うのであれば、顕在意識における心の動かし方を変えると同時に無意識の層の設定を解除することが必要です。
無意識の層の設定が解除されたら顕在意識も変わり、現実も変わるのです。

しかし現実を否定することはネガティブなエネルギー(意識)を増幅させることであり、それに見合った現実がもたらされます。
いかなる現実であれ、すべては摂理の顕現であり「完全」の一環であるのです。
摂理のすべてを人間が理解できるものではありません。
それを踏まえたうえで、地上の人間としての希望や願いの実現を疑うことなく、躊躇なく求めればよろしいのです。

今回の「何なりと3分間(以上)」を、そういう機会にしようとする意志と意欲は自他にさらなる喜びをもたらすことになるでしょう。


飯)はい、分かりました。
僕の本音を言えば、全く自然発生的なものは別にして、今回のように半ば強制的な「提案」があった時に、皆が一様に同じ方向に揃うのではなく、多少のバラバラ感がある方が僕は好きなんだと思う。
そういう不揃いの傾向やエネルギーが大きなスケールで共鳴した方が面白いし、悠々塾というのはそういう場だと思っているからね。


話は変わるが、「今まで休日になれば必ずギャンブルに行っていた夫が、なぜか最近は行かなくなった」という話を聞いた。
別の人からは、「夫が今まで休日に通っていたギャンブルにあまり行かなくなって、(もともと得意だった)ギャンブル性の薄い自分の技術が勝敗を左右するゲーム(競技)にはまり込んでいる」とう話も伝わってきている。

僕も20年以上前にパチンコにはまっていた時期があった(笑)
見えないエネルギーやヒーリングの世界に足を踏み入れてからもしばらくの間はやめることができなかった。
パチンコに行きはじめたのは高校生の頃で、学校をさぼって入ったのが最初だった(笑)
学生時代に住んでいたのが東京の山谷に近い南千住で、駅前のパチンコ屋は10円から球が買えたからたまに(数個のハイライトを稼ぎに)行ってはいたが、さほど興味も持てなかった。

それからも20年近くは全く行っていなかったのに、何かの折に誰かと行った時にいきなり「大当たり(777)」が出て、それがどういうことかも分からないでいると店員さんが笑いながら球を入れる箱を持ってきてくれた(笑)
僕が学生の頃のパチンコは、せいぜいチューリップが開くという慎ましいものだったからね(笑)

それからごくたまに行くようになったのだが、僕の場合、怒りや何かで激しく気持ちが高ぶった時には必ず大勝ちするということがあって、そういう現象が起きることを確かめたいという気持ちもあったが、そのうちにはまり込んでしまったようだ。

スピリチュアリズムを知り、「シルバーバーチの霊訓」などを読み込むようになってからは、「早くやめなければいけない」と思ったがすぐにはやめられず、有機野菜の配達に出た帰りにはパチンコ屋に入るという時期があった。

でも、そのうちにパチンコに行こうと思えば右手の親指の付け根が大きく腫れ上がって、熱を持って痛みもかなり出るようになって、そのほかにも「導き」としか思えないようなことがいくつか重なったことでスッパリやめてしまった。
それからは全く興味がなくなった。


克)はい。いろいろ霊団の方々にお世話をかけてきましたね(笑)
軽い楽しみでのギャンブルの域を超えて、多大な時間を費やすことが習慣化するほどギャンブルにはまる人の場合、「自分に対する自信のなさ」というものがあります。

そういう人の多くは、単に自信がないのではなく、「本当は心のどこかで自分という存在に自信を感じているのに、世間的・人との関わりの中ではそうはなっていない」という場合が少なくありません。
単に「射幸心にかられて」というだけでなく、本人は気づいていなくても「自分の力を発揮したい。自分の力を試したい」という欲求に動かされているのです。

ですから、ありのままの自分に自信を持てるようになれば、あるいはもっと別のことで自分の力を発揮したいと思うようになれば、興味が薄れていくことが多いのです。(憑依霊の強い影響がある場合はそうはいきませんが)

「今まで休日に通っていたギャンブルにあまり行かなくなって、(もともと得意だった)ギャンブル性の薄い自分の技術が勝敗を左右するゲーム(競技)にはまり込んでいる」という人の場合は、なんらかのきっかけで自分に対する自信が弱まり、それを埋めるために「確実に自分の力を発揮できるゲーム(競技)に移行していると言えるかもしれません。

競技というからには人と一緒に楽しむものでしょうから、それまでの関わりに何らかの疎外感を抱いたことも原因として考えられるでしょう。
いずれにしても、それぐらいに熱心(?)になるには、何らかの理由があるのです。


飯)なるほど、というか、僕もそうじゃないかと思っていましたよ。
まあ、もしもその本人がこれを読んでも自分の心のこととして思い当たらないかもしれないけど、今はそれで構わないと思う。
僕自身のことを思い返しても、必ず導きと計らいはもたらされるのだし、それがどんな計らいとしてもたらされたとしても「自分の選択の結果を自分が引き受ける」ということで構わないのだから。

大本神諭に「身魂の審判(あらため)を致して神が網を掛けるぞよ。網掛けたら神は離さぬぞよ」という一節があり、「ひふみ神示」にも同じような文言がある。
この場合の「神」という言葉がどういう存在のことを指しているのかは別にして、私たちは大いなる光の霊界に属す魂の意志に基づいて、この地上に生きているのだ。

その魂の意志に背くことも含めて、地上の人間の自由意志ではあるが、そういう自分の選択の結果を自分が引き受けることは、地上の人間にとってはなかなか大変なことのように思う。
今年も残り少なくなってきたが、世界の大きな崩壊の予兆が感じられる中で、魂の意志によって悠々塾という場につながっていることを、これを読むすべての人に心でしっかりと受け止めてほしいと思います。


さて、また話を変えますよ。
僕はつい先日、なんだかものすごいエネルギーの夢を見た。

宇宙空間に浮かぶ巨大な宇宙船のようなものに僕は乗っていた。
その宇宙船のようなものは透明で、大勢の人たち(仲間たち)が一緒に乗っていた。

僕は宇宙船の中で、指令室のような部屋から届けられた大判の大学ノートのようなものを示されて、ページをめくった。
見開きのページには世界地図が描かれていて、「地上人類の(霊性)進化の足跡」を示す矢印がいくつも記入されている。(アフリカで誕生した人類が世界各地に分布していった経路を、世界地図にいくつもの矢印で示した図を見たことがあるが、そういう感じのものだった)

矢印の一本の先は日本を示しているようで、僕は任務を帯びてその地に赴くようだった。
それを知った時、僕は気乗りがしなくて、むしろ「なんで、私が? 嫌だなぁ・・・」という感じで、宇宙船の仲間たちと話していた。
しかし、意を決して、でもあくまでも渋々の様子で引き受けることになった。

宇宙船の仲間たちからは、同情と共感を十分に含んだ期待や激励を向けられている。
僕はなんだか冴えない気分のままで宇宙船を出た。(ドアなどはなくて、宇宙船の透明な壁からそのまま外に出られた)

外に出た僕は何を思ったのか、宇宙船の外側に固定されている鉄パイプ(?)のような棒を両手で握って、器械体操の鉄棒選手のようなパフォーマンスをたっぷりとして見せる。(無重力の宇宙空間でなぜこんなことができるのかと、夢の中なのに僕は思っている)
宇宙船の中からそのパフォーマンスを見ていた仲間たちは大爆笑・大喝采で、「さすがはあいつだ」「あの余裕なら間違いない。大丈夫だ!」という感嘆と称賛が僕にも聞こえてきている。

最後に僕は鉄棒の「大車輪」を連続でして見せて、そのままの勢いで手を放し、宇宙空間に飛び出して地球へと向かう。
まだ何も見えない宇宙空間をものすごい勢いで僕は進み、やがて地球が見えてくる。
それでもやはりものすごい勢いで地球に近づいていく(地球が迫ってくる)のだが、その勢いが今も感覚に残るほどのリアリティがあった。

場面が変わって、僕は自分が育った神戸の家の2階の自分の部屋にいる。
よれよれの上着とよれよれのズボンをはいた青年の僕は、自分の部屋に座り込んでじっとうつむいている。

長くなるので割愛するが、そのあとも僕はよれよれの格好のままで家を出ていこうとして、トイレに行ったら汚物が便器のぎりぎりのところまであふれそうになっていて、「何とかしなければだけど、こんなことに手間取っているわけにはいかない」と、小さなビンに入った液体を数滴汚物に垂らして、「とりあえずこれで大丈夫だろう」と家を出る。
外に出たら、駅の出口から出てきた人々が、何事もなくごくごく普通に行きかっている。
僕はよれよれの格好のままで人々と反対方向に歩いていく。

いろいろありながらかなり遠くまで移動し、正装すべき国連総会のような大きな会議場に行くにもよれよれの服を着替えることを忘れていた。
みすぼらしい格好で会議場に入った僕は、まるでゲストに呼ばれた難民のように、座席も与えられずにステージの下のスペースの床に座っていた。(寝転がったりもしていた)
それなのに、議長役の人物やひな壇に並んでいる面々とは顔見知りか、むしろ僕の方が格上のようで、「なんだ、お前が(こんなくだらないことを)やってるのか?」みたいに声をかけている。

というような夢で、目が覚めてからもダメージが残ってしばらくは動けず、実際に経験したかのように鮮明な感覚だった。


克)はい、夢とはいえお疲れさまでした。
全部ではありませんが、夢というよりはあなたが地上に赴くときのことを追体験したということでもあります。
ですから、リアリティが半端じゃなかったのも当然です(笑)
いろいろと差し障りがあるのでここでは夢の意味を全部は解説しませんが、気が進まない重要な役割を担って任地に赴くときに、宇宙船の仲間たちに見せたパフォーマンスというのかおふざけがあなたの持ち味・真骨頂であることを思い出していただく必要がありました。

地上のあなたもユーモアのセンスはあって冗談を言うのも好きですが、その一方であなたにはある種の厭世観がつきまとっていました。
そういう厭世観が引き寄せるものを夢でも見て、実際にも今までいくつも経験させられたのですから、今はもうそれを払拭して、もっと楽しさの持つエネルギーを自由に表現していくようにということでもあります。

あなたが書いた部分で言えば、出世・昇進によって自己確認ができてそれが嬉しい人たちも大勢いるのですし、その逆に出世・昇進の流れやシステムから外れているがゆえに自分の存在に自信が持てない人たちはもっと大勢いるのです。
そういう価値観・人生観に、違和感ではなく温かい共感を持ってこそつながりは形成されるのです。

とすればよれよれの服の意味も分かりますね?

意味は一通りではありませんが、あなたのようにありのままの自分に(無意識の)自信を持って生きることができる人間は少ないのです。
あなたは自分では全くそうは思っていないようですが、あなたは実は確固たる自信に裏打ちされて生きてきたのです。
それはあなたが唯物論者であったころから、実は一般の人たちよりも強く自分の魂につながっていたからでもありますし、別の言い方をすればあなたの魂のエネルギーはそれほどまでに強大だったということでもあります。


飯)はいよ。分かったからもういいですよ。
夢の翌日だったか、両手の肘の関節がわなわなする感じになって、胸のあたりもザワザワというかサワサワした感覚があった。
しばらくの間そういう違和感が続いたのだけど、それが治まってからは何だか気持ちが軽くて楽しさが増している気がする。
これはちょっと自分でも不思議な感じですよ。

克)はい、それはよかったです(笑)
そういう気分で、都会の雑踏も賑やかさや華やかさとして楽しんでくださいね。
そういう中に身を置くことが楽しみであり、何よりのリフレッシュである人たちも大勢いるのです。
そういう人たちの日常や心や願いを思いながら、あなたもまたその一員になって楽しむことも意味のあることですよ。

飯)へーい、分かりやした。
僕も今年は年末の都会の賑わいを楽しむつもりでいます。(ほんとかなぁ?)

まあ、ともかく受信できてよかったです。
今回はなぜか受信モードになれなかったからね。

克)はい。
あなたが思っている以上にエネルギーの組み換えが進んでいますからね。
いろんなラインのエネルギーが交雑すれば受信はしにくくなります。
でも、あなたは気づいていませんが、「何なりと3分間」は私がインスピレーションでお伝えしたのですよ(笑)
嫌がっている人もいますが、どうぞ私に免じて、どんなことでも構わないので「3分間(以上)、自分が主役になってやろう」と思ってくださいね。

飯)なるほどね。
定例会のお知らせを書いていたら突然に思いついたからね〜。
いつもいろいろありがとう。

克)はーい、それではまた!
(2015.11.25)

25/11/2015(水) 18:13:24


No.13918  飯沼正晴 E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
ほとんどを今日の午後に一気に受信して、ざっと読み返しただけでアップしました。
入力ミスなどもあり、少し手直ししました。

「何なりと3分間(以上)」は無理強いはしませんが、今回の「愛は時空を超えて」も読んで、ポジティブに意識を動かしていきましょう。

自分の殻を破るためのパフォーマンスはとても大きな意味があると思いますが、全員がそうしなければならないということではありません。
何かについて自分の考えや思いを話すということでも構わないのです。
特技を披露することももちろんOKです。
文字通り、「何なりと」です。

あきどんさんのダンナさんは、午後4時ごろに篠山に到着されるようです。
なので、エネルギーの共鳴と乾杯のあとで始めれば、だいたいその頃までには終わっているかなという気がします。

「何なりと3分間(以上)」のコーナーの進行役、祐造さんにお願いしたいと思うのですが、祐造さんどうでしょうか?

26/11/2015(木) 00:09:41

No.13919  祐造
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
飯沼さん
愛は時空を超えて130の受信、ありがとうございます。
「なんなりと3分間」、思ったより大きな意味がありそうですね。
みんなみんなで「自他にさらなる喜びをもたらす機会」にしていきましょう!

あきどんさん&だんなさんが参加されるそうで、楽しみです。
北海道と九州からって、すごいですね。
遠いところ、ありがとうございます。

進行役ですか…。
なんで僕なんだろうか?  
と考えてもわからないので、まぁいいか。
僕は今回お酒も飲むつもりですので、何を言い出すかわかりませんが、「それでもいいと星は言う」のであれば、やらせていただきますぅ〜。

26/11/2015(木) 01:41:43

No.13920  飯沼正晴 E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
祐造さん、よろしくお願いします。
もちろん、お酒を飲みながらで構いません。
「それでもいいと金星木星さんが言う」かどうかは知りませんが、たぶん大丈夫でしょう(笑)

緻密な思いつき(どっちだ?)で進行役を祐造さんにお願いしようと思いました。
人前で話すのが苦手な人もいるので、進行役が「言うぞぅ」さんなら話やすくなるかと思って・・・?

26/11/2015(木) 11:34:20

No.13921  はる
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
お久しぶりです。
1年ぶりですが、定例会参加したいと思います。
雪が降らなければいいのですが・・・

人前で何かするのは苦手ですが、楽しい雰囲気になりそうですね。

26/11/2015(木) 18:43:32

No.13922  飯沼正晴 E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
はるさん、お久しぶりです!

定例会(納会)、お待ちしています。
一緒にワサワサ、楽しみましょう!

26/11/2015(木) 23:11:51

No.13923  祐造
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆ 引用
「緻密な思いつき」、、、飯沼さんの持ち味ですね。
その意図をいつも全然理解できないのが、悲しき持ち味の僕(汗;)ですが、まずは楽しくやりましょうか。
よろしくお願いします。

はるさん、お久しぶりです!
楽しみです。

27/11/2015(金) 01:44:03


No.13905 飯沼正晴  E-mail
定例会のことなど・・・ 引用
11月の定例会(納会)で、「何なりと3分間(以上)」をやるのですが、ぼつぼつ反応が聞こえてきています。

「自分にはできないので、今回の定例会は不参加にします」という人もいれば、「自分にできることをしたのでは殻を破ることにならないので、自分が一番苦手なこと(苦手だと思っていること)にチャレンジする」という人も複数いるそうです!

「たかが3分間。されど3分間(以上)」ということでしょうか・・・?

思った以上に「何なりと3分間(以上)」の意味は大きいようです。

「自分にできることをしたのでは殻を破ることにならないので、自分が一番苦手なこと(苦手だと思っていること)にチャレンジする」という人は、その3分間(以上)が今までの人生の枠を打ち破る大きな機会になり、新しい喜びへの扉を開くスイッチがオンになるのでしょう。

変化(進化)したエネルギーによって(たとえ3分間であっても)地上的な形として表現するのですから、実はその意味はとっても大きいのです。
その意味が大きいからこそ、たった3分間のことで定例会の参加をやめたり、どうしようかと躊躇困惑している人もいるでしょう。

そういえば、今回参加のちづもさんも何年も前に定例会の2部でヘンなダンス(笑)を披露したことでエネルギー的変化が始まり、その後どんどん幸せが形になっていったように思います。

「何なりと3分間(以上)」に抵抗感が強い人や参加を躊躇している人たちに参加を無理強いするつもりはありません。
でもせっかくの機会ですから、その機会を生かすことを形にしてみたらどうでしょうか?
「何なりと3分間(以上)」ですから、皆がびっくりするようなことをする人もいれば、ごくごくありきたりのことをする人がいても全く構わないのです。
大事なことは少しでも自分の殻を破る方向に、実際に動いていくということですから。

ちなみに私は隠し芸など何もなく、以前は人前で歌うこと(カラオケ)なども絶対嫌、若い頃はよく宿泊したユースホステルなどのミーティング(主にゲームをします)なども絶対に参加しないという人間でした。
なので、「何なりと3分間(以上)」を真剣に嫌がる人の気持ちもとてもよく分かるのです。
でもそれ以上に、そういう自分が解放されて楽になっていく喜びも分かるのです。

こんな書き方をしたら、余計に「何なりと3分間(以上)」がとても重いもののように感じるのかもしれませんね。
どうせ心を動かすのなら、凝縮の方向に重く考えるのではなく、解放の方向でいきましょう。


ということで話は変わって、
今回の定例会は飲み食いの時間が長いので、まゆみさんの負担軽減
を考えて、取り寄せ食品もかなり多くなります。

今年最後の定例会で、皆さんと一緒に過ごせることを楽しみにしています。
皆さんとの共鳴によって、悠々塾という場のエネルギーのみならず、テーマの成就に向けて私自身のエネルギーも進化するのではないかという思いもあります。

どうぞ、顔を見せてくださいね〜!
。。。。。

またまた「何なりと3分間(以上)」の件に戻りますが、
私はまだ何も考えていません。
定例会までに「愛は時空を超えて」の受信をしておきたいのですが、なぜか全く受信のモードに入れなくて困っているところです。

「まず隗より始めよ」ということで、皆さんに「何なりと3分間(以上)」を強制的に提案している者として、ペナルティを背負おうと思いました。
「ヌマにこんなことをせてみたい」ということがあれば、どうぞ何なりとコメント欄に書いてください。(個人メールではなく)
できる限りチャレンジしてみます。

上のコメントを書いていて、かなり重症の「引っ込み思案症候群」の人が多い悠々塾の仲間たちには、「何なりと3分間(以上)」が思っている以上に自分の殻を破る大事な機会なのだと思いました。
(しかし、そこまでの引っ込み思案症候群だとは、びっくりポンです)

引っ込み思案の共鳴が解体されて、積極的に自分を開いていく喜びの共鳴に移行できれば、悠々塾という場のエネルギーはさらに大きく進化するような気がしてきました。

私は何の芸もないのですが、今は人前で歌を歌うことも話をすることもどうしても嫌だということもなくなりました。
カラオケなんて歌詞さえ分かれば何十曲でも歌いますし、原稿もメモもなしに何時間でも話し続けます。

そういう私が、重い抵抗感を感じている人が少なくないことを知りながら、「何なりと3分間(以上)」を強制的に提案しているのですから、私は通り一遍のことではなく、何なりと注文されたことをして見せようと思いました。

今、「何なりと3分間(以上)」に強い抵抗感のある人は、私のそういう思い(まさに覚悟ですよ・笑)を受け取ってもらえたら嬉しいです。

23/11/2015(月) 16:04:55


No.13906  恵美子
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
今回は参加できそうにないのですが、、、、
みなさんのはじける様子みてみたいです。
一度味わったらきっとくせになりますよ(笑)

私は長年、保育士をしていたこともあり、合わせて人が喜ぶことを考えるのが大好きでした。寸劇や手品が得意分野、なので苦手なことを、、、、さてと、、、チンドンや大道芸にも興味深々、、、
皆さん、おおいに楽しんでくださいな。


ここで少し報告です。

恵太くんが20日、大阪の医師の診察をうけました。
ちいさんが調べてくれていた”、腕神経叢損傷”ということでした。外傷はなく、ウイルスが入って、たまたま腕神経の束に入り込んだようで、乳児ではほとんど症例がないそうです。
手首と指先は動いているので、5本の神経の内3本がダメージを受けているということでした。
治療としては様子をみながらステロイドの投与になるようです。
こはるさんの担当の医師と医療センターの医師とで連携を取りながらやっていくようです。
今回,関わって下さった医師はお互い知り合いで、信頼関係がとてもしっかりしていたことが患者やその家族にとっては心強いものでした。
まだ、いつ治るかということも見えない情況なのですが、今できることはした、ということで、みんなが落ち着きを取り戻しています。

私にとっても、錆び落としの機会となりました。
それぞれが自分と向き合う時間でもありました。
恵太さんにありがとう!ですね。

これまでの応援ありがとうございました。
あらためて、これからも応援よろしくお願いします。

23/11/2015(月) 19:58:45

No.13907  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
恵美子さん、お知らせありがとうございます。

皆さん、頑張って自分の殻を破る機会に挑んでくれるだろうと思っていましたが、すでに「その3分間のことを思うだけで、すでに今からストレスだから」と不参加の仲間も現れています。
3分間、何なりと話をするだけでも構わないのですから、「不参加」ということまでにはならないと思っていたので・・・。
これはかなりびっくりポンで(ほんとはかなりショックでした)、上のような大袈裟な投稿になりました。

しかし、恵美子さんは昔っから何でもできる人ですね〜。

私などは、「(自分は何も・特に世間的なことがまともに)できない人間だ」ということが自分の中での基準になっているのですが、恵美子さんのような人は「できる」ということが基準になっているのかもしれませんね。
しかも恵美子さんの場合は、「(できない人を)受け止める」ということも相当に「できる」ので、そういう人が自分の枠を理屈抜きで打ち破るのって案外難しいのかもしれませんね〜。


恵太くん、神経根が抜けてしまっているのでなくて良かったです。
抜けてしまっている神経根を元に戻すよりも、神経の炎症を解消する方がやはり容易なような気がします。

メールにも書きましたが、恵太くんは時期が来れば必ず回復すると思います。(こんなことを軽く言うべきじゃないのかもしれませんが、はじめっからそんな気がしています)
遠隔ヒーリング、続けますね〜。

23/11/2015(月) 22:23:13

No.13908  エーチャン
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
恵美子さん


恵太君の症状了解です。ご家族にとっても負担が大きいと思いますが、ご無理をなさいませんように、恵太君とご家族へ引き続きエネルギーを送ります。こうやってエネルギーを送ることが出来るというのも、実にありがたいことのように思います。


飯沼さん


長かった停滞からようやく回復してきたような感じです。でも今朝の夢ではトイレに行く夢が多かったようで、まだもう一踏ん張り、といったところかもしれません。

私の場合、今でも「自分に都合良く、嫌な目に遭わないように」という思いが涌きでることがあります。でも当たり前のことですが、「繋がりを遮断して自分だけの幸せを掴む、自分だけが都合良くいくなどということはありえない、人の役に立つために自分の出来ることをしていく、それが自分の幸せへの一番の近道なのだ」と、自分(地上的自我)を納得させています。



私の出し物はだんだん固まってきていて、一部と二部、そしてその間にはリラックスタイムを設けるという堂々の本格的構成ですので、乞うご期待を!笑い転げてもらえるようにがんばります!

実を言うと、最初は半ば以上本気で3分間ひたすら「恥ずかしい」を連呼するという荒技をしようかとも思っていましたが、そういうことをやること自体がすっごく恥ずかしいと思うので止めることにしました!

23/11/2015(月) 23:39:17

No.13909  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
エーちゃん、停滞から脱却傾向のようでよかったです!

地上的自我というものは誰にもあり、なかなか厄介なものではあります。
まあ、地上的自我というのは自分の意識全体の子供の部分ですから、愛しく思いながら、より高次の自分の意識で言い聞かせてやるしかないのですよね。

「何なりと3分間(以上)」の出し物を練っているのですね〜。
これまたびっくりポンポンです(笑)

エーちゃんのことだから、聖書の朗読でもするのかと思ってました(なわけないか・笑)
まあ、本気で3分間も「恥ずかしい」と連呼する案が消えて良かったというか、助かりました。
そんなことされたら近所の人に警察を呼ばれてしまいますからね〜

それでは定例会でゆっくり飲みましょう。

24/11/2015(火) 00:17:35

No.13910  恵美子
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
>そういう人が自分の枠を理屈抜きで打ち破るのって案外難しいのかもしれませんね〜

もともとからだで表現することが好きなのかな〜
次の時代にはダンスサー?になりたいかなあ〜(大笑)

ところで、、、
今回、恵太くんのことがあって息子家族といる時間が多かったのですが、、そこで気づいたことがありました。
お嫁さんの夢ちゃんは、ほとんど私とは真逆?に近いのですが、、
その彼女を受け入れていく中で、私自身が持ち合わせているものをおおらかに出し惜しみせずに、それも私自身が楽しんで表現していくことで、その場に居る人みんなが嬉しく、いい場になるんだと実感しました。そんな時間が度々ありました。

随分前にもらったメッセージにそんなことも伝えられていたのですが、いまひとつ分からないでいました。

このことは、先日ゆりかさんと話していたときにも話題になっていたことでもありました。
自分の持ち味をおおらかに、喜んで使っていったらいいんだと思いました。

皆さん、人の目を気にせず、自分の世界にどっぷりひたって楽しみましょう。

恵太くん、
きっと回復します。
なんの根拠もないのですが、もう回復してる感じがあるのです。

24/11/2015(火) 09:12:26

No.13911  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
恵美子さん、ダンスを披露しに定例会に来たらどうですか?

なんだったら私の枠もお譲りしますよ(もちろん無料で・笑)

>その彼女を受け入れていく中で、私自身が持ち合わせているものをおおらかに出し惜しみせずに、それも私自身が楽しんで表現していくことで、その場に居る人みんなが嬉しく、いい場になるんだと実感しました。そんな時間が度々ありました。

>自分の持ち味をおおらかに、喜んで使っていったらいいんだと思いました。


まさにまさにその通りですね〜!

何らかの基準を設定して自分や人を評価・批判することはとっても窮屈なことですからね〜。

評価というものがもっと無条件での輝きや存在に対しての喜びに変わり、批判が願いという喜びに変わっていけば、自分を含めた皆が嬉しく解放されていくのでしょうね。

>皆さん、人の目を気にせず、自分の世界にどっぷりひたって楽しみましょう。

27日の定例会は、「どんな自分であっても仲間たちに喜んでもらえている」ということを実感できる日になると思います。

話が変わりますが、9月の定例会で恵美子さんが心春ちゃんの報告をしてくれて、久しぶりにあきどんさんが参加してくれました。
そのあとで恵太くんの症状が出て、あきどんさんが乳がんの診断を受け、皆でヒーリングエネルギーを送ったのに、今のところ効果が表れていない。

特に今年に入ってからは、皆でヒーリングエネルギーを送った場合、ほとんどすべてが劇的・奇跡的な治癒・改善してきました。
恵太くんやあきどんさんにヒーリングの効果が表れていないということは、私たちがもっとエネルギーを解放してパワーアップしていく時期であることを示されているのだと思います。

27日は皆で楽しみながら、今までとは違うエネルギー回路を開き、それが自然に共鳴するんじゃないかと思っています。

ついでにもうひとつ。
私は昨夜ものすごい夢を見ました。
内容もエネルギー的にもリアリティがあって、しかもそのエネルギーもすごかったので、かなりのダメージが残ってなかなか起きることができませんでした。
今も頭の中で何かが(エネルギーが)ダイナミックに組み変わり続けている感じがしています。

時間がないし、夢の内容はまたいずれ。

24/11/2015(火) 12:02:10

No.13912  あきどん
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
こんばんは

皆さんいつもありがとうございます。
私も、定例会に、急遽、参加させていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。

飯沼さんへの、リクエスト、ちょっと思いついたのが、
なぜか、どじょうすくいの踊り(笑)、と、歌です。

24/11/2015(火) 21:48:17

No.13913  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
あ〜きどんさん、こんばんは。

ドジョウすくいはともかくとして(ドジョウすくいの歌とか知りませんし)、

そんなことより、定例会にダンナさんも当日に北海道から駆けつけて、一緒に参加してくれることになったことをどうしてオープンにしないのでしょうね〜?

やっぱ、そこらあたりにナニかありそうですね。

24/11/2015(火) 22:18:11

No.13914  あきどん
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
そうですか。ナニかありそうですかね・・・宿題ですね。

24/11/2015(火) 22:53:26

No.13915  さき
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
今回の定例会ずっと楽しみにしていました。
癒しの講座はないですがこの3年間イメージしてきたマスターキーのエネルギーへの大事なステップだと思っています。
この間続けてきた、いのちはひとつらなりの共鳴のなかで
理屈抜きの喜びを共鳴させたいなー。

何なりと3分も、
ぬまさんがいてその後ろにみんながいるんじゃなくて
一人一人が主役だってこと。
それぞれに個性的で傾向や色合いも違う一人一人が
この場の共鳴をつくっているんだよって。
みんながいるから、この場があるんだよって。
感じあえたらいいなって思います。

この場があるから今の自分がいます。
家族でも親族でもないし仕事や生業のつながりでもないけど
この場のつながり抜きに自分はないよなーと思います。
出会えたこと、みんながいてくれることにありがとう、です。
かげりも至らなさも抱えながら躓いたり失敗したりしながら
葛藤しながら、いきつもどりつしながら、
かげりを光にと、皆の喜びの方へと
一緒に歩んできた仲間の皆さんにありがとうです。

何なり3分が大層なことになってますが
何かしゃべるのもよし、この機会に何か披露するのもよし、
気合いれるもよし、なんとか乗り切るのもよしで
楽しくやりましょうね。
みなさんがいてくれることが嬉しいんだから。
それだけでOK,十分です。

ぬまさん↓
>27日の定例会は、「どんな自分であっても仲間たちに喜んでもらえている」ということを実感できる日になると思います。

はーいです。
ドジョウすくい頑張って下さい。

あきどんさん
旦那さまと一緒に来られることになってよかったです!
楽しみにしています。
続けてエネルギー送ります。

恵美子さん
恵美子さんの言葉にパワーをいただきました。
恵太くんの報告ありがとうございます。
信頼できる医師に出会えたことは本当に心強いと思います。
今日を笑顔ですごせるように、
エネルギー送ります。

25/11/2015(水) 07:35:30

No.13916  飯沼正晴 E-mail
Re: 定例会のことなど・・・ 引用
>何なり3分が大層なことになってますが
何かしゃべるのもよし、この機会に何か披露するのもよし、
気合いれるもよし、なんとか乗り切るのもよしで
楽しくやりましょうね。
みなさんがいてくれることが嬉しいんだから。
それだけでOK,十分です。<

ハーイ、私もそう思います。
隠し芸大会じゃないので(もちろん隠し芸もアリですが)、とにかく何なりと3分間以上、自分を表現して主人公になってもらいたいのです。、

>ドジョウすくい頑張って下さい。<

実は昨夜、ドジョウすくいの動画を調べてみたのですが、音楽も衣装も小道具もないドジョウすくいはシラケること間違いなしなので、やめておきましょう。
今のアタシは、あれぐらいのことは平気でできますわよ(笑)
そういえば、「女装してドジョウすくいやって!」というメールを送ってきたフトドキ者がいますが、やーだよ。(そんなことしたら、文字通り「隠しゲイ」になってしまうじゃないのよっ)

それと、あきどんさんのダンナさんが3時ごろに到着されるそうなので、「何なりと3分間(以上)」をいつごろから始めましょうかね?
なんだかんだで2時間ぐらいは要しそうだし、場合によっては前半・後半に分けるかもしれません。
そのあたりを決めたうえで、明日にも進行役をお願いしたい人に連絡するので、お願いしますね〜。

25/11/2015(水) 10:53:12


No.13890 飯沼正晴  E-mail
お知らせです 引用

☆☆ 2015年11月定例会 ☆☆ 
 
日時 11月28日(土曜日)

午後2時からお時間の許す限り(イッシン ミニライブはあり)
参加費・2500円

今回は納会です。(エネルギーの共鳴はします)

「何なりと3分間(以上)」ということで、それぞれの方にスピーチでも隠し芸でもお願いいたします。
「引っ込み思案症候群」を打破して、自分を開く機会にしたいのです。
とにかく楽しくやりましょう。

どなたでもお気軽にご参加ください。
準備の都合があるので、常連さんで今回は不参加の方、初めての方や久しぶりにご参加の方は早めにお知らせいただけるとありがたいです。
    
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)
。。。。。。。。。。。。。

☆☆2015年12月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
12月13日(日) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
12月15日(火) 午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、11月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)
。。。。。。。。。。。。。

18/11/2015(水) 09:21:34


No.13891  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
10月とはうって変わって、今月は雨が多いですね。
まあ、関西での話ではありますが。

畑の方も順調で、タマネギ定植やエンドウ類の播種も終わって、今年の作業もおおよそ完了です。
今年は有機肥料をそれなりに施しているので、秋冬野菜の生育の順調で、定例会ではうちの野菜をたくさん食べていただけそうです。

タマネギは1000本程度植えたのですが、自分で全部の苗を作ったのは初めてでした。
ちょっと工夫すれば、簡単に苗も作れるものです。
イチゴも80株ほどは自家育苗しました。

有機農業を生業にしていた頃は1万本近くのタマネギを植えていたのですが、苗代に悩みながら購入していました。
あのころ、もう少し気持ちに余裕があれば、いろいろ工夫してもっとうまくいったのだろうと、今さらですが反省することが多々あります。
結局は生活や作業に追われて、自分自身が浮足立っていたのだと思います。

農作業に限らず、何かにつけてピンチになれば浮足立ってしまうことはあると思いますが、そういう時こそ意識を自由にしてじっくりと構えることがその後の展開を変えていくコツなのでしょうね。

今年は大部分を黒マルチ栽培にしたので、除草の手間が省けて助かっています。
十分に時間を確保して、ヒーリングエネルギーのテーマの成就に向かいます。

私は相変わらずの状態のようではありますが、新しい意識(量子意識とでもいうのでしょうか?)にリアリティが高まっています。
いろんなことが理屈抜きで「わかる」ようになってきている気がします。

昨夜は久しぶりに夢に克が登場していました。
浴室の中央に大きな洗濯機があり、服も体もそこで洗濯することになったのですが、克はその洗濯機の世話係をしていました。
私がその部屋に行ったとき、その部屋には「使用中」の札がかかっていて、前で待っていると部屋の中からみやっちが出てきました。
みやっちさんもお洗濯の時期のようです(笑)

あの感じは、みやっちの他にもお洗濯の時期の人が何人もいるようでした。


2カ月余り前から、何となくエネルギー的に停滞感があって、ちょうどその頃から両方の足の裏に魚の目ができました。
63年間の人生で初めてのことでした。
歩き方や床の硬さによってはかなり痛かったのですが、最近急に魚の目が消えてしまいました。

そういえば誰かさんも、結婚してから魚の目ができて、離婚したらすぐに治ってしまったということがあったそうなので、やはり「停滞」と関連があるのかもしれません。

停滞の時期が過ぎつつあるようで、「意識が現実を作りあげている」ということに、今まで以上にリアリティを感じています。
いろいろとお伝えしたいこともあるので、また追々にメモとして書いていきます。

地上的自我というものは地上の人間にとってかなり根深く、切り替えにくいものであるでしょう。
しかし、それを否定せず、無いものにするのでもなく、「在るものは在る」で構わないのです。
地上的自我の土俵で葛藤すればするほど、その土俵に根をおろすことになってしまいます。

「在るものは在る」として表現して(吐き出して)いけばよいのです。
そうしながらも、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」と何度も意識に刷り込むことです。

そして、「小我(自分なりの地上的な気持ち)は在るし、それはそれで構わないのだけれど、自分がどう思おうが自分の大我(魂の意識・究極最大の潜在意識)によって、小我と大我の兼ね合いのなかで、現実は作り上げられているのだ。それが摂理であり、法則なのだ」ということを認識して、受け入れていくことです。

大我と小我、霊としての意識と地上的自我を別個のものとして切り離してしまわないことです。
切り離してしまえば、地上的自我の深みに沈み込み、地上的にも試練が続きます。

自分が寒いのが嫌いであれ暑いのが嫌いであれ、寒い冬は来るのですし、暑い夏も来るのです。
もたらされるべくしてもたらされるものは抗いようもなく、自分の気持ちをどう沿わせていくのかが試練がもたらされる意味であるのです。

いつも言うことですが、これは忍従に甘んじるということではなく、現状に対する否定や不安があれば、現状を嬉しい方向に変えるにあたってのエネルギーが減じられてしまうということです。

大我(霊的自我)には否定も恐れも不安も存在していないのです。
小我(地上的自我)にこびりついている否定や恐れや不安をも否定せずにありのまま大我とつなげれば、大我のエネルギーの方が絶対的に大きいのですから、小我のエネルギーも自ずと流れが変わっていくのです。

大我と小我、霊としての意識と地上的自我を別個のものとして切り離してしまわないことです

意識の回路のスイッチをオフにするとエネルギーも遮断されてしまいます。
だからこそ、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」と何度も唱えて、意識に刷り込むことです。

自分の意識や眼差しが今の自分の現実を引き寄せているのですから、自分の意識や眼差しの変化によって、現状は大きく変えていくことができるのです。

ここしばらくは同じことばかり言っていますが、私の中でのリアリティがどんどん高まっています。
皆さんも読み流すのではなく、本気になって意識に刷り込んでいくことで、必ずそのエネルギーを使いこなすことができるはずです。

18/11/2015(水) 11:13:11

No.13892  さき
Re: お知らせです 引用
ぬまさん、定例会・納会、もうすぐですね。
また篠山で皆さんと合えるのを楽しみにしています。
克子さんが洗濯係、笑っちゃいました。

>「引っ込み思案症候群」を打破して、自分を開く機会にしたいのです。

お〜、とひとり歓声。

今さらというか、あらためてというか、この頃
「いてくれるだけでいい」って大事やなと思っています。
(あなたがいてくれるだけいい)
その思いを通いあわせていけたらと。
あなたがそこに在ること、いてくれること、それだけいい。
なのですが、
自分の存在に自信が持てなくて
その不安や心配や怖れを自分のなかで膨らませてしまう。
不自然に自分を縮めたり、過剰になったり、
ねじれたり、歪めたり、変に突出したり、固めたり、
ありますよね。
地上ってそれがかげりの連鎖で増幅して膨らんでいると感じます。

「いてくれるだけでいい」
「今あなたがいてくれることが嬉しい」

この地上に、その思い、そのエネルギーを膨らませていきたいです。
みんなそれぞれの傾向や持ち味やエネルギーがあって、
一人ひとりみんなが主役です。
それぞれに違うみんながいるから
悠々塾っていうこのエネルギー場がある、出来ている。

(自分の)存在を喜び
霊としての意識を忘れずにいたいです。

その思いを皆さんと共有したいです。
いてくれるだけでいい、
そのエネルギーをこの地上に膨らませていきたいです。
納会で皆さんに会えるのを楽しみにしています。

ぬまさんの言葉
↓↓

>農作業に限らず、何かにつけてピンチになれば浮足立ってしまうことはあると思いますが、そういう時こそ意識を自由にしてじっくりと構えることがその後の展開を変えていくコツなのでしょうね。

>自分の意識や眼差しが今の自分の現実を引き寄せているのですから、自分の意識や眼差しの変化によって、現状は大きく変えていくことができるのです。

↑↑
そうだよなーと思いながら読みました。

いのちはひとつらなり。
みんな大好き。ありがとう。

あなたがいてくれることが嬉しい。
地上でいちばんいてほしかった。娘を思いながら。
みんな大好きです。

19/11/2015(木) 08:00:35

No.13893  恵美子
Re: お知らせです 引用
>自分の意識や眼差しが今の自分の現実を引き寄せているのですから、自分の意識や眼差しの変化によって、現状は大きく変えていくことができるのです。

>いてくれるだけでいい、
 今あなたがいてくれることが嬉しい

もたらされる言葉が身にしみます。
ゆりかさんに会って話した後、吐き出し?がありました。
自分でも驚いてしまうくらいにありました。
頑張りすぎたがゆえのものでもありましたが、わが身を労うことでもありました。まだまだあるんでしょうね。

ぬまさんの夢の話、
克子さんが洗濯係とはね、、、大うけでした。
自分の順番が来たときの克子さんとのやりとりを思い浮かべてました。

今日から息子達のところです。
>いてくれるだけでいい、
 あなたがいてくれることが嬉しい

そして”いのちはひとつらなり、みんなだいすきありがとう、なにがあってもだいじょうぶ”
このことがあればいいんだと思う。

19/11/2015(木) 08:59:23

No.13894  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
さきさん、恵美子さん、コメントありがとうございます。

「いてくれるだけでいい」「今、あなたがいてくれることが嬉しい」というのは、存在に対する無条件の祝福であり、地上的自我の最高レベル級の意識なのだと思います。

やはり通常の地上的自我では、「(自分の思うような状態で)いてほしい」という場合が多いわけで、自分の思うようにならない中で無条件に存在を喜び、もたらされていることを喜ぶということができれば、すでに悟りの域で生きているということになります。。

でも、魂の意識というところでは、今まさに誰かを否定し、「あんなヤツはいなくなればいい」と強く思っている人であっても、皆が一人残らず「いてくれるだけでいい]と思い、「今、あなたがいてくれることが嬉しい」のですよね。

ですから、地上的自我の意識を無いものにしたり、地上的自我にとらわれている自分を否定するのではなく、「今の自分はこういう状態だけど、本当は〜〜なんだよね」というふうに、大我の意識とつながっていくことだと思います。

意識の回路のスイッチをオフにするとエネルギーも遮断されてしまいます。

ともすれば逆流の渦を巻いてしまう地上的自我と、無限のエネルギー源につながる魂の意識をつなぐ接点が、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」という言葉でありエネルギーなのです。

その接点にリアリティを持ちながら、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」と唱えていくことで、地上的自我の土俵で葛藤することなく、無限の健やかさのエネルギーを引き入れることができるのです。

魂の意識(大我)を右回りの大きな円だとすれば、地上的自我(小我)は左回りの小さな円です。
二つの円がつながっていなければ、それぞれがそれぞれの回転をしていきます。
「○。」のような感じです。

しかし、∞のように二つの円がつながっていれば、反対方向の流れでありながらエネルギーは循環します。
実際には大我のエネルギーの方が圧倒的に大きく強いのですから、小我の円の逆流は大我のエネルギーによって浄化されていくのです。

当然のことながら大我の円(エネルギー領域)と小我の円(エネルギー領域)は初めから接点を持ってつながって(重なって)いるのですが、地上人類の価値観や意識の逆流の積み重ねによって、同調点・接点が錆びついてエネルギーの循環が阻害されている状態なのでしょう。

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」という言葉とエネルギーが、その接点(スイッチ)を復活させるのです。

イメージしていただくための喩えですが、分かってもらえるでしょうか?

今は悠々塾につながる皆さん方の大我のエネルギーとリアルにつながる「接点(スイッチ)」にこびり付いた錆(サビ)を洗い流す時期のようで、克も洗濯係として手伝ってくれているのでしょう。

なんとなく分かってもらえますか?

20/11/2015(金) 00:09:38

No.13895  ゆりか
Re: お知らせです 引用
すっご〜くわかりやすい説明でした。。

ありがとうございま〜す!!

20/11/2015(金) 00:33:46

No.13896  まゆみ
Re: お知らせです 引用
よくわかります。
「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」を毎日唱えることでいろんなイメージがわいてきます。
大いなる存在を意識することでいろんなイメージが湧いてきます。
いつもつながっていることができればいいのですが、なかなかそうはいかないものですね。
だから洗濯しなければ・・・
錆びつきがひどくなってしまう。
私の場合こうして書き込みするのも洗濯かなと思います。
ありのままで大丈夫だよと自分に言い聞かせながら、
喜びの世界はこんなにすばらしいんだよという気持ちを開放したい。
洗濯ですね。
さて今度の定例会、どこから洗濯しようかな〜

20/11/2015(金) 07:09:42

No.13897  さいこ
Re: お知らせです 引用
よく分かります。
停滞中で何となくすっきりしないのですが、「いのちはひとつらなり みんな大好き ありがとう」は毎日ふと思ったときに、ぶつぶつと唱えています。
ここ最近は気持ちが入ってなくて、「こんなんでもいいんかなぁ…と」かおもったりしていますが、私の心の中に何となくですが「あぁ〜何があっても大丈夫なんやなぁ〜」という気持ちが根ざしているように感じています。

20/11/2015(金) 10:29:36

No.13898  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
ゆりかさん、まゆみさん、さいこさん、コメントありがとうございます。

>その接点にリアリティを持ちながら、「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」と唱えていくことで、地上的自我の土俵で葛藤することなく、無限の健やかさのエネルギーを引き入れることができるのです。<

と書きましたが、もちろん自らの意志と意欲で自分の地上的自我を解放していければよいのです。
しかし実際には、そこに焦点を当てると小さな土俵がさらに縮小(凝縮)してきて、身動きがつかなくなってしまう場合が少なくありません。

なので、潜在意識を解放することで顕在意識や地上的自我も解放していく方が近道のようです。

初めのころは「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」という言葉に対しても違和感や抵抗感がある人も少なくなかったので、どちらかといえば「軽い気持ちで唱えましょう」という伝え方をしてきました。

多くの人はもうそういう時期は過ぎたように思うので、これからは瞑想するように、高次元の意識に融合するように、あるいは「大我と小我のエネルギー領域の接点(スイッチ)にこびり付いた錆を削ぎ落とすように」意識を高めて唱えていきましょう。

高い次元のエネルギーとの融合が始まれば、必ず絶対的な無条件の喜びが実感できるようになります。
今までの自分がいかに小さなことに囚われていたのかが自然に分かります。
もちろんそこに到達する前に停滞感に落ち込むこともあるでしょうし、何らかの排出の症状や現象が表れることもあるかもしれません。

しかし、本気になって続けていれば、誰もが必ずより高次のエネルギーにつながり、融合していけるのです。
決して力む必要はなく、力みはむしろ逆効果になるのですが、それでも心を鎮めてそれなりに本気になってこそ、意志と意欲を高めてこそ分厚い膜の透過性も高まるのです。

余談ですが、私はテーマのことを意識しながらそこに凝集しないために、寝っ転がってテレビを観ていることがあります。
サスペンスドラマなどは、実は顕在意識の表層をそちらに向けるには適しているのです。(私にとってはですが・笑)
ところが、ストーリーも何もほとんど覚えていなくて、たまたま以前に見たドラマの再放送を観ていても最後の方まで気がつかないことがほとんどです。

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」を唱えるにあたっても、意識の表層で唱えていたのでは、「ほとんど何も残っていない」という可能性もあるのでしょう。

その言葉に抵抗感がある間は軽いジャブのように意識の表層で唱えることの方が摩擦を生じないとも言えるわけですが、抵抗感がなくなればそれなりのリアリティ(意志と意欲)を持って唱えることをお勧めします。

より高次のエネルギーにつながり融合した人たちのエネルギーが共鳴して融合すれば、多くの病は治り、多くの病も治せるのです。

別個に分かたれているものをひとつにした時、そのエネルギーは今の地上の人間の予測や想像をはるかに超えているものになるはずです。
「幸せ・不幸せ」「味方・敵」「好き・嫌い」「運・不運」「病・健康」「自分・他人」「心・体(物質)」・・・などの二元相対を超えて、無条件絶対の喜びを実感して生きることができるのです。
同じように人も幸せにすることができるのです。

これからは心を鎮めて瞑想するように、あるいは「大我と小我のエネルギー領域の接点(スイッチ)にこびり付いた錆を削ぎ落とすように」というような意識を高めて唱えていきましょう。
「魂の意識に融合するように」でも何でも構わないわけです。
。。。。。。。。

☆トマスによる福音書より

106 イエスは言われた。“もしあなたが二つのものを一つとするならば、あなたがたは人の子らとなるであろう。そして、あなたがたが、「山よ、移れ」と言うならば、山は移るであろう”

(飯沼・補足=イエスは自分のことを指して「人の子」と言うことが多かったようですが、この場合の「人の子(ら)」という言葉はメシア(救世主)という意味に解釈するのが妥当でしょう。あるいは「真の神の子」という解釈もできると思います)

20/11/2015(金) 22:21:14

No.13899  ちぃ
Re: お知らせです 引用
分かりやすくご説明していただきありがとうございます。
私も停滞中であります。
久しぶりにどっぷり浸かってしまい、いのちはひとつらなりを唱えつつも、
どんどこ固まっていってしまい、気持ちのところで動けなくなっていました。
今月の悠々通信の原稿を書かせていただいたのですが、
そのおかげでようやく『在るもの』に気付かせていただき、
吐き出せていただいたことで、気持ちが随分と楽になりました。
私もお洗濯したいです!
定例会での何なりと3分間、緊張しますが楽しみです!

>これからは心を鎮めて瞑想するように、あるいは「大我と小我のエネルギー領域の接点(スイッチ)にこびり付いた錆を削ぎ落とすように」というような意識を高めて唱えていきましょう。
>「魂の意識に融合するように」でも何でも構わないわけです。


>しかし、本気になって続けていれば、誰もが必ずより高次のエネルギーにつながり、融合していけるのです。
>決して力む必要はなく、力みはむしろ逆効果になるのですが、それでも心を鎮めてそれなりに本気になってこそ、意志と意欲を高めてこそ分厚い膜の透過性も高まるのです。


はい。唱えていきます!

21/11/2015(土) 00:11:20

No.13900  にぃ
Re: お知らせです 引用
>「何なりと3分間(以上)」ということで、それぞれの方にスピーチでも隠し芸でもお願いいたします。

1分じゃダメですか?
何なら3秒で!

21/11/2015(土) 00:42:04

No.13901  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
ちぃさん、コメントありがとうございます。
やはり停滞傾向の人が多いというか、多かったのですね。

共鳴のエネルギーの次の段階に向けて、「停滞→意志と意欲を高めて再始動」の時期のような気がします。

まあ、一斉にというわけではないでしょうし、バラつきがありながらの共鳴の方が魅力的です。

>1分じゃダメですか?
何なら3秒で! <

さすがにぃクン、良い質問ですね〜(どこがだよ?・笑)
質問への回答は「ダメです」もしくは「ダメに決まってるだろ?」です。

3秒なら、「イチ、ニ、サン」と言って終わるフトドキ者が現れそうですし、1分間なら、「あ!」と言ってそのあとは沈黙で、軽く笑いを取って終われます。

ちなみに、今回は黙秘権の行使は認めませんので、3分間黙り通すのもダメですよ〜。

今回の定例会は、前半はカラオケ大会にしようかとも思ったのですが、篠山のカラオケ屋さんは駅からかなり遠いのと、カラオケが好きじゃない人もいるでしょうし(そもそも昔の私ならカラオケをすると聞いたら絶対に行かないタイプだったので)、「何なりと3分間(以上)」ということにしました。

「うわー、どうしよう。嫌だ、困った」と思っている人もいるかもしれませんが、そういう人こそ思い切った表現にチャレンジしてみましょう。
「人にどう思われるか?」が気になる人は、自分から思いっきり変に思われてみましょうよ。
何かにつけて「かわす癖」を身につけている人も、おバカなことでも大真面目なことでも正面から自分をぶつけて、切り替えの機会にしてしまいましょう。

もしかすればイッシン家のカラオケの機械をテレビに接続できるかもしれません。
近日中にお知らせします。
接続が無理な場合はアカペラで歌ってもいいと思いますよ〜。

というわけで、皆さん頑張るように。
引っ込み思案の私は当日は主催者・見届け役ということで、見学させていただきま〜す(笑)

21/11/2015(土) 10:19:30

No.13902  にぃ
Re: お知らせです 引用
嫌だ〜!
自分も見届けます。

21/11/2015(土) 11:28:34

No.13903  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
受け狙いの冗談に食いついてくるとは、にぃクンよっぽど楽しみにしているんだね〜(笑)
それともヒマか、両方かな?

これでにぃクンの出し物に皆さんの注目が集中すること、間違いなし!

21/11/2015(土) 12:49:10

No.13904  飯沼正晴 E-mail
Re: お知らせです 引用
イッシン家のカラオケ機械を定例会で使うのは無理のようです。
接続ができないそうです。
なので、歌う人はアカペラでお願いしますね〜。

普段参加していない人も、全く初めての人も遠慮なくおいでください。
今回は納会で飲み会ですが、序列などない理屈抜きの心のつながり、共鳴のエネルギーが悠々塾の最大無比の強みであり真髄だと思っています。
長時間になりますから、時には揉めたりごちゃごちゃすることがあっても、そういうことも含めて大きな共鳴場になると思います。
羽目を外してというか、自分の枠を壊してしまうぐらいにワーワー・キャーキャーやりましょう(笑)

準備の都合があるので、常連さんで今回は不参加の方、初めての方や久しぶりにご参加の方は早めにお知らせいただけるとありがたいです。
  

21/11/2015(土) 16:21:00


No.13877 飯沼正晴  E-mail
新しいスレッドにします 引用

前のスレッドにさきさんへの返信をしようと思いましたが、パソコンが新しくなったのでスレッドも新しくします(笑)

前も書きましたが、歴史をたどれば、庶民のいのちや人生が踏みにじられなかった時代なんて、ほとんどなかったのだと思います。
意外なことに、圧倒的な幕府の強さと幕藩体制というある程度の地上分権、鎖国政策によって自己完結的な経済・社会だった江戸時代は、実はそれなりにバランスが形成されていたように思います。
しかし、「金儲けこそ全て」の植民地主義・利権拡大主義の欧米の影響のもとで実現した明治維新以降は、日本も近代文明化の掛け声の中で露骨で暴力的な利益至上主義の道を進んできたのでしょう。

庶民のいのちや人生が踏みにじられる中で、自分たち自身が踏みにじられながらも踏みにじる側の者たちと戦い、踏みにじられる者たちに寄り添った人たちは大勢いました。
しかし、今も「庶民の人生やいのちは軽んじられる、平気で踏みにじられるこの地上の現実」は続き、さらに冷酷にシステム化されて強化されています。

「世間並み(負け組ではない)」という奇妙な価値基準で庶民を縛り、「世間並みの確保」という椅子取りゲームに誘い込んでいるのです。
その数千万人の椅子取りゲームに巻き込まれた者たちは、自分の意思を確保することに意識のほとんどがが向いてしまい、脱落していく隣人たちへの共感よりも「自分が脱落しなくてよかった」と思うようになっていくのでしょう。

しかも、椅子の数は巧妙にどんどん減らされているのですが数千万人もの椅子取りゲームですから、自分の椅子を確保しようと必死になっている人には分からないし、分かったとしてもそんなことよりもとにかく自分の椅子を確保することしか考えられないのでしょう。

そういう仕組みは庶民の一人ひとりだけでなく、もっと上層部にいる人たちや、企業というレベルでも機能しているような気がします。
今の世の中は、自己保身・自己保全の椅子取りゲームが「入れ子状態」になっているように思います。

いのちに根差した心を破壊しながらの競争社会・利益優先社会は必ず破綻するのですし、その時期はどんどん迫ってきているのですが、そこでもまた真っ先にひどい目に合うのが私たち庶民であるわけです。


「そういう予見を持っている者として、どうしていくのか?」ということも考えながら、私は生きてきたように思います。

パソコンが新しくなったせいか、変な投稿になってしまいました(笑)
中途半端なままですが、ここまでにして送信します。
読者の皆さんには、「自分には関係ない」とか、「自分が何かを言う(書く)ようなことではない」と決めつけずに、何なりとコメントしてもらえたら嬉しいです。

11/11/2015(水) 14:46:00


No.13878  エーチャン
Re: 新しいスレッドにします 引用
椅子取りゲームという取り合い・奪い合いがおもしろくて仕方ない、愉快、楽しいなんて人は極めて少数だと思います。みんなで分かち合って楽しむ方がいい、と考える人の方が過半数どころか圧倒的多数だと思います。


停滞気味なので、この程度しか書けません、ということで失礼します。

11/11/2015(水) 22:28:01

No.13879  さき
Re: 新しいスレッドにします 引用
>自分が脱落しなくてよかった

というのも庶民の心情としてわかりますよね。
格差広がる世界の数パーセントに入りたいとまでは思わないけど
安心して暮らしたい
という庶民のあたりまえの願いが経済優先、強い者勝ちの仕組みにからめとられていくことが悔しいです。

いのちはひとつらなり
誰かのいのちが踏みにじられることは
自分のいのちが踏みにじられることでもあるんだと思います。
自分もみんなも喜べる方がいいよねー
イス取りゲームから脱落しても、
隣人どおし仲間どおしで支えあっていけば生きていけるよねって、
みんながそう思えるといいなと思います。
そこにつながれば誰もがいのちの喜びを実感できる。
そんなエネルギーを発していきたい、
そんな役割をはたしていきたいと思います。
この場につながる皆さんと一緒に〜。

11/11/2015(水) 23:06:29

No.13880  ゆりか
Re: 新しいスレッドにします 引用
>「そういう予見を持っている者として、どうしていくのか?」ということも考えながら、私は生きてきたように思います。

   ↑

「そういう予見を受け入れたものとして、今の自分にできることは何か?」ということを自分に突きつけながら、私は生きてきたように思います。
そして、長い事自分の中から湧いてくる暗い気持ち(不安・恐怖・地上的な自我欲など)を無にしようと、戦い続けてきたように思います。
自分の肉体・感覚・感情・理性・全てで、自分の心をすべて受け入れることは、とてもむつかしいことでした。

でも、私達は霊としてのいのちの永遠性を知っている。。。
そして、今肉体を持って共に地上に生きて(生かされて)いる全員が、本人が意識していようがしていないに拘わらず、全ての魂は今肉体を持って息をしていること・食べること・衣服をまとえること・など日常生活の中で当たり前だと思っているどんなことでも喜びなんだと知っている。。。
人類共通の地上的自我の普遍的な意識も、霊としての普遍的な意識も知っているの。。。
今地上に生きているという事は、地上的な意識を霊としての意識に切り替えていくこと時に使うエネルギー(一言でいえば祝福かな?)を積み重ねていくことなんだと思います。。。

潜在意識にどんな二元的の意識が埋め込まれていようと、一元的意識に切り替えていく意志を手放すことなくお互いに助け合い共鳴しあえば、地上は個も全体も必ず変わっていく。。。

こんなことを、ぬまさん・さきちゃん・エーちゃんさんの投稿を読んで、感じました。言葉足らずの気もしますが、取りあえず投稿します。

いのちはひとつながり、みんな大好きありがとう。何があっても大丈夫!!

12/11/2015(木) 11:22:37

No.13881  さき
Re: 新しいスレッドにします 引用
二元的で不完全で、
翳りもある、歪みもある、
感情が暴走する時もある、
失敗もする、過ちもおかす、
意地を張る時もある、怒りに我を忘れる時もある、
わかってても同じところで躓く、繰り返す、
おろかな存在が
それでも生かされていることに
感謝します

人間ってそういう存在やんな、と思います。
あるものはある
それでいいやんっていうか、
そこからしかはじめられないって思うし

そういう人間やからこそ発することのできる輝きがあるんやから
だからこの地上にいるんやから

みんな好き。
みんな大好き。って思う。

共振ってある。
どれほど歪んでいても、ねじれていても、傷ついていても
人は喜びに反応する、共振する。
より精妙で、よりおおきな喜びの振動に触れたら
共振する。

音叉が共振共鳴するように。
影響を受ける。
影響を与えられる。

みんなみんな
大きな大きな喜びの振動を注がれ見守られている
そのことに気づいたら、気づけたらいいのだけれど。
地上は辛いこと、苦しいこと、泣きたくなることばかりで。
過去世で自分は嘆いたまま地上人生を終えたらしい。

今生ではなぜかこの場に導かれたし。
ちっぽけな人間からみたら無限のエネルギー源がついてるんやし。
その振動を伝える中継点になりたいと思ってます。

13/11/2015(金) 08:10:34

No.13882  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しいスレッドにします 引用
エーちゃん、さきさん、ゆりかさん、コメントありがとうございます。

椅子取りゲームが愉快で楽しいという庶民は少ないでしょうね。
庶民のほとんどの人が「世間並み(の幸せ)」という幻想を刷り込まれて、「世間並みの椅子」を確保することに汲々としているのでしょう。

でも、それはピラミッド型の巨大なビルの1階で行われている椅子取りゲームです。
そこで椅子を失った人は地下に落ちていき、かろうじて椅子を確保できたような人は1階でまた椅子取りゲームを強いられます。
1階での椅子取りゲームに喜びを見出して、積極的に更なる勝利を目指す者は2階に上って、1階よりも見栄えのする椅子取りゲームをする(実はさせられる)のでしょう。

そんなふうに、「入れ子状態になった各種・各層の椅子取りゲーム」によって、ピラミッド型の利権システムが構築されているのだと思います。

それが楽しいと思っている人たちとは棲み分けるしかないわけですが、実際には「世間並みの椅子=幸せ」という刷り込みを解消してこそ、椅子取りゲームからの離脱も棲み分けもできるわけです。

新自由主義経済・金融資本主義の世の真相が隠せなくなり、科学・物質文明というものすら危うくなりかけている今が、変化の時期なのだと思います。(100年に一度ぐらいはあるといわれている強力な太陽風の地球への直撃で、世界的に前代未聞の大停電に陥り、コンピューターの機能は破壊されるそうです。前回のそのような太陽風は100年余り前でしたが、その頃はまだ今のように科学文明・電気文明が発達していなかったので、それほどの被害はなかったようですが、次は間違いなく大変なことになるでしょう)

いわゆる庶民が、「世間並みの椅子」を失うことへの恐れや不安から脱却して、いのちの喜び・心の喜びに基づき、物質を得られないことへの不安ではなく与えられていることを喜び感謝する人生・生活に移行するには、やはり何らかの「確かな喜び」がいるのだと思います。

「椅子取りゲームに汲々として生きるよりも、実はこちらのほうが豊かで安心じゃないか」と思う人たちのエネルギーが一定以上になったときに、社会は実際に変わり始めるように思います。

「椅子取りゲーム」に参加する権利も奪われて一生地下暮らしがほぼ確定している人たちが増え、あるいは「椅子取りゲーム」に心身が拒絶反応を示す人たちが増えている今がその時期だと思います。
「地域単位の椅子取りゲーム」で負けが確定した農山漁村や地方都市は数え切れないのですし。


病や症状や死を恐れて、それへの不安から健康に気をつける生活をしてもさほど効果があるとは思えません。
なぜならば、それは不安の増幅であり、「生きる喜び」ではないからです。
肉体は、「生きる喜び」という心のエネルギーに反応するのだと思います。
大事なことは、「自分は何を喜びとして生きていくのか?」でしょう。

その「生きる喜び」が「無限のエネルギー源」と共振すれば、多くの病は消え去るでしょう。
その人の魂が決めてきたことによってそうならない場合も、病の中でも心すこやかに地上人生を生き、あるいは心すこやかに霊界に戻るのでしょう。

いかなる状況がもたらされても喜びを見失わず、自分に限定しないで他人や他の生命にも快く喜びを広げていくこと。
それがすべての人の魂の意志であり、地上人生の意味なのでしょうね。

実は昨夜、夢の中でレクチャーを受けていたのですが、その内容をはっきりと思い出すことができず、もやもやした感じです。
「状態(現状)を三次元的意識・地上的意識(善・悪、好都合・不都合などの二元相対の意識)で否定的に捉えるのではなく、一元絶対の(進化の)喜びの次元のエネルギーに融合させた上で、そこから改めて地上的喜びの形を引き出す」という、最近のテーマに沿ったレクチャーでしたが、夢の中で何かが分かったというか、何かをつかんだ実感があったのですが・・・。

13/11/2015(金) 11:15:10

No.13883  ゆりか
Re: 新しいスレッドにします 引用
>共振ってある。
どれほど歪んでいても、ねじれていても、傷ついていても
人は喜びに反応する、共振する。
より精妙で、よりおおきな喜びの振動に触れたら
共振する。

音叉が共振共鳴するように。
影響を受ける。
影響を与えられる。

   ↑

さきちゃんの言葉通りやなぁ。。。

天地悠々や掲示板で語られる言葉を心を開いて(喜びの心で安心して)感じながら読むと、その言葉は自分の脳のコンピューターの中に繫がり、必要な時に、ふっと自分の中から湧いてくる感じがあるなぁ。。。

心の中で『いのちはひとつながり、みんな大好きありがとう』と唱えながら人との会話を楽しむようになってからは、いろんな人と共振してる実感が増えて嬉しいなぁ。。。

時空や二元性を超える会話ってこんな感じかなぁ。。。
これってやっぱり、テレパシーなんやないかな。。。

こんな感じで物体や現実は変化し合えるに違いない!!

など、『いのちはひとつながり、みんな大好きありがとう』の言葉の透過性やエネルギーについての湧いてきた思いを、言葉にしてみました。

14/11/2015(土) 11:22:56

No.13884  さき
Re: 新しいスレッドにします 引用
>心の中で『いのちはひとつながり、みんな大好きありがとう』と唱えながら人との会話を楽しむようになってからは、いろんな人と共振してる実感が増えて嬉しいなぁ。。。

時空や二元性を超える会話ってこんな感じかなぁ。。。
これってやっぱり、テレパシーなんやないかな。。。

↑↑↑
ゆりかさん、すごくわかる気がします。
色んな人と関わる時に
共振している感じがわかるんです。
(言葉を交わす交わさないやその内容に関係なく)
勝手な思い込み?と区別つかないので証明のしようのない話でしかありませんが。
共振している時は実感があります。
そうなんやエネルギーって伝わるんやと感じることが増えてます。
(もちろんいつもじゃないけど)
相手が反応するし。相手の対応が変わるし、面白いです。
調子に乗って「揺るがぬ喜び」を伝えたいと思ってます。
私が日々関わる人って職場の利用者さんや職員さんが主ですが。

ぬまさん、調子に乗っておかしくなってたら言って下さいね。

14/11/2015(土) 14:14:57

No.13885  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しいスレッドにします 引用
>ぬまさん、調子に乗っておかしくなってたら言って下さいね。

はいよ。
全然おかしくないし、調子に乗ってるとも思いませんよ〜。

>こんな感じで物体や現実は変化し合えるに違いない!!

など、『いのちはひとつながり、みんな大好きありがとう』の言葉の透過性やエネルギーについての湧いてきた思いを、言葉にしてみました。<

「そうなんだよね」という思いで、とても興味深く読ませてもらっています。

たかが地上人生だけど、されど地上人生でもあり、
たかが自分(自我)だけど、されど自分(自我)でもありますね。

地上人生や自我(自分の思い)は地上に生きている自分にとっては大きく重いものではありますが、その枠の中からしか物事を捉えることができていなければ、あまりにもちっぽけで窮屈な人生ですよね。

結局のところ、内容のいかんに関わらず「自分の思い通りになるかどうか?」が基準になってしまったり・・・。

地上人生というものは、「自分の思い通りにならないことをどう受け止めてどう捉え直し、どんなふうに皆の喜びにしていくのか?」ということを学ぶ場でもあるのだと思います。

自分が「無限のエネルギー源」の喜びに共振していれば、相手の現状がどんなに分厚い自我の膜に閉じ込められているにしても、何らかの喜びの接点さえ確保できれば必ず共振するのでしょう。
どんなに分厚い自我の膜も、実は「無限のエネルギー」の中に存在しているからです。

共振の結果がいつ表れるかにも囚われる必要もないのでしょう。
「無限のエネルギー」は時間の制約を受けないわけですし。
「いつ」という時間に制約されることは、自らの意識を時間に制約された次元の世界に置くことになります。
つまり、時間に制約されるのです。
すぐに願い通りの結果が出なくても、たとえ地上では嬉しい結果が出なくても、自分が発した真実の思いや愛情は消え去ることはなく無駄になることもないのです。
それでもいいと星は言うのです(笑)

そして、地上的自我の意識から解放された結果(?)としてその意識が地上の現実を自由に作っていけるように、時間の制約から解放された意識が時間を超えて地上の現実を作るのでしょう。

何かがもたらされた時に凝縮の方向を強めるのではなく、縮こまった意識のままで対処することでもなく、「地上的自我を解放していくためにもたらされた機会」と認識して、その方向に意識も言動も動かしていこうとすることが、地上的自我にとっても嬉しい現実を引き寄せていくのだと思います。

とても難しいことのように思うかもしれませんが、今までの自分の思い方で処理しようとせずに、意識の動かし方のコツを身につければ自分も相手や周囲も楽になり、結果的にお互いや皆にとっての嬉しい現実に変化していくのでしょう。

三次元の制約・二元相対の葛藤から意識が解放されれば、より高次のエネルギーによって、今の地上の常識を超えて地上的な喜びも現実化できるのです。
それは「自分の思い通りに現実を作っていく」ということではなく、地上界により確かな喜びを顕現させていくことであり、地上界の次元アップに貢献するということになります。
私たち地上人類はそのためにこんな地上世界に赴き、個人・個霊としてもさまざまな試練の中で魂の進化のトレーニングをさせていただいているのでしょう。

もたらされた試練を「ありがたいトレーニングの一環」として受け入れ、喜びとして(少しでも)認識できる意識をもてるかどうか?
そうできるかどうかは地上的現実の展開に大きく作用するでしょう。
本当にそう意識でき、それにふさわしい言動ができれば、試練がもたらされる目的・意味をクリアしたことになるのですから、地上的試練は解消するのです。

そして、そうできなくて試練の重さに苦しんだままであったとしても、いつかはクリアできるのだから大丈夫なのです。
それは自分もそうですし、気になっている誰かについても同じです。

14/11/2015(土) 15:50:32

No.13886  ゆりか
Re: 新しいスレッドにします 引用
さきちゃんへ

>共振している感じがわかるんです。
(言葉を交わす交わさないやその内容に関係なく)
勝手な思い込み?と区別つかないので証明のしようのない話でしかありませんが。
共振している時は実感があります。
相手が反応するし。相手の対応が変わるし、面白いです。

>私が日々関わる人って職場の利用者さんや職員さんが主ですが。

   ↑

『わぁ〜〜感じ方、私といっしょやなぁ。。』って嬉しくて、読みながら『うん、うん、そう、そう』と独り言を呟き頷いていたゆりかさんでした。。

私の母は認知症のお年寄8人の人達とグループホームで生活しています。
我が家から車で10分とういこともあって、ちょこちょこ会いに行くのですが、母や入居されているお年寄りの方々と共に、言葉に込められたエネルギ―を感じ合いながらの会話を楽しませてもらっています。
さきちゃんの言葉を借りれば、『相手が反応するし。相手の対応が変わるし、面白いです。』って感じ。

職員さんとも何やかんやと笑いあいながら手伝えることをさせていただくのですが、いのちはひとつながり。。と心の中で唱だしてからは、顔の表情やアイコンタクトで伝え合えることが多くなり、皆が楽になっているように感じから不思議ですね。


ぬまさんへ

昨日は久しぶりに恵美子さん家にお邪魔して、5時間くらい何やかんやとお喋りしてました。
帰ってきて掲示板を開いたら、二人で話した内容と重なるぬまさんからの投稿がUPされていて、嬉しい『びっくりぽん』やったです。

15/11/2015(日) 04:24:43

No.13887  恵美子
Re: 新しいスレッドにします 引用
いささか停滞気味でした。
(出口が見えているのにトンネルのなかを右往左往しているような
感じ)
そこへ笑顔満載でやってきたゆりかさんのエネルギーは凄くて、圧倒されてしまい、頭くらくら状態でした(笑)
沢山のことを話したのですが、その中心になったのは、”いのちはひとつらなり、みんなだいすきありがとう、なにがあってもだいじょうぶ”のことでした。
”いのちはひとつらなり”の持つ壮大?なエネルギーに触れたような瞬間があって、思いがけない涙もありました。

↑のぬまさんの投稿は私へでしたか?って思います。
もしかして、私たちの話に参加してた?
ほんと、びっくりぽんです。
ゆりかさん、ありがとう。

恵太くんのことがあって、病が回復するようにと願う気持ちは大きく、祈るような日々のなか、もたらされているのはそのことだけではないことに気づかされました。
それは自我を見つめ直す時間でもありました。。
今は、病を通じて、とりはらってもらったものがあります。
感謝の気持ちでいっぱいです。そのことを喜んでいけばいいのだと思えるのです。

恵太君は一週間のステロイド治療での副作用もなく、元気です。
この20日に大阪で診察を受ける予定です。
諸検査の結果もそろそろ分かると思います。

皆さん、これまでの応援ありがとう!
引き続きですが、応援よろしくお願いします。

15/11/2015(日) 10:12:23

No.13888  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しいスレッドにします 引用
ゆりかさん、恵美子さん、コメントありがとうございます。

すぐに思うような形にならない(恵太くんの症状が改善しない)ことを、自分自身の気づきと成長の機会として、もっともっと地上的な喜びを形にして提供していくために、読者の皆さん方も同じ思いでいてくれることを信じて書いています。

私はこの2〜3日、睡眠中にレクチャーを受けているようで、その内容は思い出せないのですが、目が覚めてからもしばらくは頭がぼーっとしています。

せっかくのレクチャーなのに、夢の中での私はリュックいっぱいの自分の洗濯物を洗う場所を探したり、オシッコに行きたくなってトイレを探したりというありさまです。
まだまだ浄化すべき澱がたくさん残っているのでしょうが、あまりの体たらくに自分でも可笑しくなってしまいます。

昨夜は夢の中で、いろんな人が出入りする小さな支所のような場所で、少しお手伝いをさせてもらいながら支所長のようなおじさんのお話を聞かせてもらっていました。
そのおじさんはかなり忙しそうで、しかも私が洗濯やトイレに行くので、なかなか落ち着いて話ができません。

でも、昨夜はそのおじさんが、事務員さんのような女性に「あれを持ってきてあげて」と言ってくれました。
「お洗濯、私もお手伝いしますよ」と明るい笑顔で言うその女性は一枚の写真と折りたたんだ地図を持ってきてくれました。

写真は、なんとも美しい色をした海(沿岸部だけど水平線が開けている)の写真で、小島や岩や砂浜や魚などの海のあらゆる要素が写っていました。
とりあえずは陸地に近い小島に行くようにということにということのようでしたが、その場所がどこなのか全く分かりません。

おじさんはにこやかに「あなたはなかなか熱心に来てくれているので・・・」と言って、折りたたんだ地図を開いてくれました。
その地図は瀬戸内海のような細長い内海が太平洋のような外海とつながっている広い範囲の地図でした。(地図の全部が開示されたわけではありませんが)

地図には1本の曲がりくねった赤い線が引かれてあり、どうやら、「写真に写った美しい海のイメージをしっかり持って、内海も海流があるのでその流れに乗って、いたるところにある小島や岩礁に注意しながら、外海の沿岸部を進む」、ということのようでした。


恵太くんへの遠隔ヒーリング、続けますね〜!

15/11/2015(日) 14:35:31

No.13889  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しいスレッドにします 引用
このスレッドには関係のないことですが・・・。

フランス、パリでのテロが強く非難され、犠牲者への哀悼のニュースが流れています。
私はテロなどの暴力に与する者ではありませんし、テロの犠牲になった人たちへの哀悼の念も強くあります。

しかし、アメリカのでっち上げを根拠にしたイラク空爆で殺された何万人ものイラク人への哀悼や謝罪の報道がなされた記憶がありません。

しかも、イスラム過激派はアメリカなどが裏で作り育てた集団であるとも言われていますし、中東の混乱は間違いなく欧米政府やグローバル企業がもたらしたものです。

誰かの利益・都合に基づいて流布される情報に流されていると、彼らに都合よく洗脳された意識で、彼らの都合に合わせた基準の人生を生きることになるでしょう。
椅子取りゲームもまた然りです。

いのちのつながりに根差した地上人生、地上の日々を生きていきたいものです。

15/11/2015(日) 17:11:11


No.13871 飯沼正晴  E-mail
お久しぶりです 引用
皆さん、回答コメントありがとうございます。
興味深く読ませてもらっています。

「禅問答みたいになってきた」というコメントもありましたが、禅問答(公案)は修行者がまだまだ二元相対の意識世界に囚われていることを認識させるためのもののようです。

今回のクイズも、「正・誤」ということを意識する必要はありません。

「お化け屋敷」については、恐怖や不安という喜びを味わうために自分の意志で入る所でしょう。
お化け屋敷に入っている間はどんなに怖くて不安でも、そこがそういう場所だと知った上でその経験を味わうために入っているのです。
意識が大人になれば、お化け屋敷に入っている時はリアルに怖くても、同時にお化け屋敷というものの仕組みや成り立ちも意識できているので、恐怖・不安と喜び(楽しみ)が融合するのです。
その証拠に、ちっとも怖くないお化け屋敷に入れば、退屈や物足りない気持ちになって、後悔や不満が残るでしょう。

しかし、「どうせ作り物なんだから」と白けていては、せっかくお化け屋敷に入ったのに楽しめません。

地上人生で味わう恐怖や不安もそういうもので、実は恐怖や不安もまた喜びなのだと分ったうえで(その時は自分が破滅するんじゃないかと思っても、その時の恐怖や不安が全てではなく未来永劫に続くわけでもないと分った上で)、次々ともたらされる恐怖や不安を楽しめばよいのです。

むしろ恐怖や不安で動けなくなって、その場に立ち止まり続けることが、恐怖や不安を長引かせるとも言えるでしょう。
順路に沿って進んでいけば、怖いなりにも段々に慣れてくるものですし、いずれは必ず外に出られるのです。

入口・出口という意識も二元相対ですね〜。
入口と出口は分離されているのではなく、お化け屋敷という館(テーマ)においてひとつに重なっているのです。

今の自分がいかに恐怖や不安の状態に置かれているとしても、決してそれが全てではなく、入り口も出口もあるのです。
お化け屋敷に入るという自分の意志や目的もあるのです。
今の状態がどんなに不安で怖ろしいものであっても、それが全てだと思わず(不安や恐怖の一元絶対の意識=幽界や暗黒界に退行せず)、私たちは本来が一元絶対の喜びの世界の住人であり、その喜びをこの地上界に顕現させる役割を担っている存在なのだと思いだすことで今の状態は変わるのです。

恐怖や不安や否定や攻撃などの意識のチャンネルに合わせれば、そういう現実がもたらされる(映し出される)のですし、
二元相対の意識のチャンネルに合わせたままであれば、それにふさわしい現実がもたらされる(映し出される)のです。
一元絶対の喜びの意識が定着すれば、全ては喜びとしての現実がもたらされる(映し出される)のです。

私たちは神の分け御霊を戴いた神の子として、自分の今を喜びとして捉えながら、喜びの中で自分を含めた皆の喜びに向かって成長進化の途を生きているのです。

より高次の一元絶対の意識のエネルギーは、分離・限定された二元相対の意識エネルギーよりもはるかに優位にあるので、まるでマジックのように地上的状態も変えることができるのです。
お化け屋敷も遊園地の中のテーマ館に過ぎません。


>ちなみに「正しい・間違い(正・誤)」というのも二元相対の意識です。
では「正・誤」は一元絶対の意識ではどのようにひとつに融合されるのか?<

というクイズの2問目については、
私は二元相対の地上意識においては、「正しい・間違い(正・誤)」というものは在るのだと思っています。

しかし同時に、あらゆる存在は成長・進化の過程にあるのです。
神という、私たちにはとうてい把握しきれない存在も、完全でありながら進化を続けているようです。
私たちも神という存在の中に属して生きているのです。

極めて限定的で不十分(未熟)である私たちが考え認識する「正しさ」も、成長進化の過程における「正しさ」に過ぎません。
「間違い(誤)」も同じです。

しかし、「間違い(誤)」であると認識しながらもそれを増幅したり、そこに留まることを意志したり、あるいはそういう状況を放置・温存・加担することは成長進化への意図的な逆行であり、単なる未熟さからの「間違い(誤)」とは少し意味合いが変わってきます。

しかし、「分かった上で見守る。棲み分ける」ということもアリでしょう。(分かっている者の側が、お化け屋敷のお化けを退治しようとしたり、否定・拒絶してしまわないことです。
それは結局は「自分の思い通りにならなければ気が済まない」という二元相対の陰影に心を置くことになってしまいます。(ミイラ取りがミイラになってはこの世はまさにいたるところがお化け屋敷状態になってしまいます・笑)


物事がまだ分らない幼児の「間違い(誤)」と、分った上での意識的反抗は同じではありませんが、それもまた成長進化の過程とも言えます。

親が子どもに対して(教師が生徒に対して、上司が部下に対して、先輩が後輩に対して、出来る者・分かっている者が出来ない者・分かっていない者に対してどう関わり、どう指導するのか)、と考えた時、やはり「自分も極めて不十分で間違いも多々ありながら成長進化してきたのだし、今の自分もまだまだ不完全で成長進化の過程にある者だ」という認識で、相手もまた成長進化の中にある者として受容・尊重していくことで、「正・誤」はひとつに癒合されていくのでしょう。
どちらもがさらに成長進化を進めることができるのでしょう。
それを愛とも言うのでしょうね。


私たちが認識できる存在しているものの全てが成長進化の過程にあって、不完全である。
であれば、「正も誤」も不完全な中でのことであるが、それらの全てが神という完全なる生命に属しているのです。
そして神は完全でありながら、さらなる完全に進化している。

「正誤も正邪」もすべては成長進化の喜びの中と心得て、お化け屋敷の恐怖を楽しむように、この世のことを楽しめばよいのでしょう。
そういう意識が定着すれば、自分のテーマパークとしてのお化け屋敷はもう必要ではなくなって、地上人生も変貌するのです。


すみません。
パソコンの調子が悪くて、入力にものすごく手間取りますので、とりあえずこのあたりで投稿します。
浜坂の城山灯台に登って、180度開ける水平線を眺めながら、2日連続で何時間も瞑想し、思索にふけっていました。
何もまとまらなかったのですが、まだ頭がボーっとしています。
このコメントもそういう状態で書いたもので、また書き加えるかもしれません。

理屈じゃなくて感覚のリアリティでつながってもらいたいと思ってクイズにしたのですが、私のこのコメントはまた理屈に戻っていますね(笑)

08/11/2015(日) 13:04:47


No.13872  あおやま
Re: お久しぶりです 引用
問1
お化け屋敷が怖いのは、どこから何が出てくるかわからないから。

問2
大いなる神の計らいのなか。すべて可なり。
いのちはひとつらなり、何があっても大丈夫!
これしかないっしょ。


恵美子さん、あきどんさん、何があっても大丈夫。
出口まであとどれくらいあるのかわからない今はまだ不安の方が大きいかもしれませんが、光に向かって進めばそこに必ず出口はあるのですから。

08/11/2015(日) 13:47:22

No.13873  さき
Re: お久しぶりです 引用
ぬまさん、お帰りなさい。
皆さんのコメントそれぞれに面白くて
なるほどそういう見方もあるよね、とか思いながら
興味深く読ませてもらいました。

私は出来ることなら恐怖も不安も味わいたくありません。
楽しむ気にはならないです。
(そこから出てしまえばスパイスだったと思えるかもしれないけど。)
そこにいる時はやっぱり嫌。二度とゴメンって思うと思う。
自分も嫌だから、他の人も同じように嫌だろうと思ってます。

だから自分もみんなも喜べる遊園地にしていきたいです。
不安や恐怖やその痛みに寄り添いたいです。
(自分も寄り添ってほしいから)
今の地上界はお化け屋敷の部分が大きくなりすぎてて、
不安や恐怖が膨らみすぎてると思うから。
みんなその影響受けちゃうと思うんです。

庶民の人生やいのちは軽んじられる
平気で踏みにじられこの地上の現実に目を向けながら
心翳らせないで喜びの方へ
自分もみんなも幸せになれる方へ
向かっていきたいと思ってます。

切り口が違うかもしれませんが
思ったことコメントします
言葉というのは不完全で
全ては喜びで、元々ひとつの世界を
名付けて切り取って表現するものだから
そこから抜け落ちていくものをすくいあげたいと、
いつもそんな風に感じています

09/11/2015(月) 00:37:04

No.13874  飯沼
Re: お久しぶりです 引用
普段に使っているパソコンが不調で、パソコンサポート店で調べてもらったら、「ハードディスクがダメになっている」とのことでした。
まあ、もう5〜6年は使っているので、買い替えなければ仕方ないかなという感じです。

というわけで急きょ新しいパソコンを購入したのですが、いろんな初期設定は明日以降で、もう一台の小型パソコンも光回線になってからの接続ができていなくて使えません・・・。
これも明日以降に接続してもらうことにして、まゆみさんのパソコンを借りて書き込みしています。


あおやまさん、さきさん、コメントありがとうございます。

さきさんの書いていること、もっともだと思います。
でも歴史を振り返れば、縄文の時代や先住民の社会は別にして、庶民の人生やいのちが軽んじられず、平気で踏みにじられなかった時代が果たしてあったのだろうかとも思います。

だからこそ、私たち地上人類は
心翳らせないで喜びの方へ、自分もみんなも幸せになれる方へ、向かっていくために、意識や価値観をを根底から切り替えていく時期を迎えているのだとも思います。

できることなら恐怖や不安を味わいたくないのは、誰もが同じだと思います。
でも、地上人生にはカルマの解消という課題も目的もあるのですから、「恐怖や不安は味わいたくない」と思っていても、それぞれの地上人生の意味や目的に見合った試練はもたらされるのです。

地上人生の課題の内容はさまざまですが、一言で言えば「過去世で自分を含む皆の喜びとできなかったことを喜びにする」ということでしょう。
喜びとできなかったことの内容もさまざまですが、病を得た時の心情や死への怖れ、金銭・物質の使い方、人との関わり方、人との比較、自分の役立て方・・・などが思い浮かびます。

過去世では、それらの状況がもたらされた時に不十分であったり、心を陰らせてしまったからこそ、今回の地上人生では同じような状況において、健やかな喜びの心を表現するために、私たちはこうしてお化け屋敷のような地上に再生しているのです。

つまり、自分もみんなも喜べる遊園地にしていくためには、絶対安心・絶対的な喜びを知っている霊としての意識や価値観=健やかな喜びの心をこの地上で表現していくことなのでしょう。

しかし、試練の渦中にある人がなかなかそうできないことは、自分のことを思えば分かることなので、その人たちの気持ちに寄り添いながら、絶対安心の健やかな喜びのエネルギーを送って応援させてもらうのです。


私の人生は十分にスリリングだったので、遊園地に行ってスリルを味わいたいとは思いませんが(笑)、
遊園地の絶叫マシンなどにしても、「絶対安心」の保障がなければ誰も乗らないでしょう。
お化け屋敷にしても、「恐いけどほんとは全く大丈夫なのだ」と分かっているから入るわけで、もしも「本物のお化けに憑りつかれるかもしれない」というお化け屋敷があっても、誰も入らないでしょう。

「絶対安心」「大丈夫」ということが分かっていて、それを大前提にしているからこそ、お化け屋敷も絶叫マシンも楽しみや喜びになるのです。

思いもよらない病や試練に直面している人は、そういう余裕が持ちにくいからこそ、周囲の人たちが「絶対安心・大丈夫」のエネルギーを補填して、包み込んでいくのです。

病もトラブルも、それに直面した時に何らかの喜びを見出し、健やかなの喜びの心を膨らませてそれを表現するための材料としてもたらされているという意味もあります。
そうできれば、病やトラブルがもたらされた意味が昇華されて、治癒や嬉しい解決が実現することが多いのです。

私たちヒーラーが、そういうエネルギー(「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」の意識・エネルギー)をさらにしっかりと高めて共鳴させる時期だと思って、何度も同じことを書いています。


それと、病や厳しい試練の中にいる人が「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」という意識やエネルギーを高めることは容易ではありません。
霊的真理を学んでいても容易ではないでしょうから、そういうことに何の関心も持たずに生きてきた人たちにとっては、さらに難しいことでしょう。
病や厳しい試練がもたらされたことによって、健やかな喜びのエネルギー(「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。何があっても大丈夫」)に逆行してしまうことも珍しくないはずです。

私は最近、病や試練の中にある本人の意識の停滞や逆行を問題にするのではなく、当面は逆行したままでもヒーラー側からのエネルギーによってカバーし、本人の潜在意識に作用して健やかな喜びのエネルギーに変換していく方法をいろいろと考えていました。
もちろんそれがスピリチュアルヒーリングの基本なのですが、その作用力を高めるための方法(イメージ)を考えていたのです。

まあ、さほど難しい原理ではないのですが、しかしその作用力を高める(作用点を確立する)ためには、二元相対的な分離思考ではなく「異質に思えるものであっても、高次元においては全てはひとつとして融合されているのだ」ということに意識を向けてほしいと思い、最近の書き込み内容になっています。

もちろん、すぐに二元相対の意識を卒業できるわけでもないでしょうし、今の地上に生きている限りは完全に意識を転換することは難しいでしょう。
しかし、二元相対の分離思考(地上的自我)に凝り固まった意識を少しずつでも解放していくことは、変化の時期を迎えている地上人類の一員としても意味のあることですし、ヒーラーとしても、健やかな幸せを願う個人としても重要なことだと思います。

なので、読者の皆さんには分かりにくいかもしれませんし、違和感もあるかもしれませんが、もうしばらくお付き合いください。

09/11/2015(月) 15:02:38

No.13875  飯沼
Re: お久しぶりです 引用
今、心に留めておいていただきたいことは、

地上的自我やそこから生じた澱(喜びでない思い)を否定せず、
そういう澱を生み出して抱え込んでいる自分も否定せず、
「在るものは在る」として受け入れながら、それに固執しないようにということ。

それと、無限の喜びの構成員として属している自分の魂の意識と今の自分の地上的自我やそこから生じた澱を別個のものとして分離してしまわないことです。

地上的自我やそこから生じた澱(喜びでない思い)がいかに厄介なものであっても、「それも我が心のうち、心の一部」として受け入れていきましょう。
地上的自我や心の澱を、自分の心全体と切り離して考えないことです。

そういうことも含めて、
「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」です。

09/11/2015(月) 15:20:44

No.13876  さき
Re: お久しぶりです 引用
>つまり、自分もみんなも喜べる遊園地にしていくためには、絶対安心・絶対的な喜びを知っている霊としての意識や価値観=健やかな喜びの心をこの地上で表現していくことなのでしょう。

>しかし、試練の渦中にある人がなかなかそうできないことは、自分のことを思えば分かることなので、その人たちの気持ちに寄り添いながら、絶対安心の健やかな喜びのエネルギーを送って応援させてもらうのです。

>私は最近、病や試練の中にある本人の意識の停滞や逆行を問題にするのではなく、当面は逆行したままでもヒーラー側からのエネルギーによってカバーし、本人の潜在意識に作用して健やかな喜びのエネルギーに変換していく方法をいろいろと考えていました。
もちろんそれがスピリチュアルヒーリングの基本なのですが、その作用力を高めるための方法(イメージ)を考えていたのです。

↑↑↑
ぬまさん、なるほどなぁと思いながら読みました。
その人の動きにくい部分に作用してこそ「癒し」ですよね。

かげりも澱も、不安も恐れも停滞も、
「在るものは在る」「全ては喜び」
でありつつ、
それがさらに大きな喜びのなかに融合していくように
心を使っていきたいです。

いのちはひとつらなり。
みんな大好き。ありがとう。

09/11/2015(月) 19:41:23


No.13848 飯沼(まゆみ代理投稿)  
クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
スレッドが長くなって携帯で読めなくなりましたので
クイズの回答コメントやその他の投稿もこの返信欄にお願いします。

05/11/2015(木) 11:05:42


No.13849  しのしの
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問の問題。
私にとって、お化け屋敷って、怖いけれど、入ってみたい。でも入れない。でも気になる。やっとの思いで入ってしまうと、案外楽しめて、出てしまったら、入ってよかったと思えるので、自分が勝手におそれてしまって、身動きできなくなるけれど、思い切ってぶつかってみると、意外とたいしたことがないものでしょうか。

第2問

生きていると、今まで正しいと思っていたことが間違っていたり、間違っていると思っていることが、正しかったりするので、そもそも正しいとか間違っているとかないのかもしれないです。

05/11/2015(木) 12:55:10

No.13851  まゆみ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
こちらのスレッドに続けてコメントよろしくお願いします。

飯沼さんの投稿を再掲します。
クイズが二問あります。

第一問
地上的自我・地上的恐れというものは、遊園地などのお化け屋敷のようなもの。
そのココロは?


思いつきのクイズなので正解はないのかもしれませんが、いろいろ考えをめぐらせてくださいね〜。

クイズの「地上的自我・恐れ」という箇所は「恐れ」だけにした方がいいかもしれませんが、まあ厳密に問題設定するほどのものでもないでしょう。

しかし、祐造さんも書いてくれているように、あきどんさんや恵太クンにヒーリングエネルギーを送らせてもらっている今の私たちには重要な意味を含んでいると思います。

なので、コメントがまだの皆さんも是非よろしくお願いしますね。

ちなみに「正しい・間違い(正・誤)」というのも二元相対の意識です。
では「正・誤」は一元絶対の意識では
どのようにひとつに融合されるのか?

クイズの第2問として追加しましょう。

1問目に回答してくれた人も、またコメントよろしくお願いします。

私はお化け屋敷よりもジェットコースターや絶叫マシンの方がはるかに怖いのですが(笑)、ここではとりあえずお化け屋敷は怖いものということにしておきましょう。


05/11/2015(木) 14:34:46

No.13853  ゆうき
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用

2問目は「どちらでもいい」かな?
正解なら正解。間違っても正解。。。みたいな。。

コインの裏と表、どちらが上を向いていてもコインはコイン。
なので、
どちらが上を向いていようと(コインの価値は変わらないし)
「どちらでもいい」。。。みたいな。。。

そもそも正解という概念(?)すらないのかもしれません。
なんだか禅問答みたいですね。

05/11/2015(木) 15:41:25

No.13854  みんと
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
1問め

 恐怖心にとらわれず道なりに行けば必ず出口がある。
 恐怖の度合いは人それぞれ。

2問め

 正があるから誤がある。その逆も然り。
 正をプラス、誤をマイナスとしたら
 一元絶対はプラマイ0のような世界。
 人の意識で如何様にもなる。

 ※何だかよくわかりまあせんが思いつきのまま。
  余談ですが、子供時代にお化け屋敷に行った時、
  見知らぬ男性が後ろから私の上着をずーっと掴んでました。
  怖かったんですね! 

05/11/2015(木) 15:56:42

No.13855  和也&久美
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第1問は、お化け屋敷は人を怖がらせる仕掛けが随所にちりばめられていますが、お化け屋敷を抜ければ安心が待っています。どんなに怖い仕掛けでも、その先に絶対の安心が待っていることが分かっているから恐怖を越えて進んでいけます。地上的怖れも、ある種のシナリオに沿って課題としてもたらされますが、その先(死後)に絶対の幸せが待っていることが分かっていれば乗り越えられやすいと思います。

第2問は、「間違い」はそもそも「間違い」と表現していいのか分かりませんが、「正」に向かうための必要な道のりであって、常に「正」を含んだもので、広い意味で捉えれば「誤」も「正」のうちであるとも言えるように思います。

              和也

第1問は、お化け屋敷は建物(枠)の中にあって暗いし、お化けになっている人は色んなものを身にまとっている(変装している)ので怖く感じられると思いますが、建物(枠)を取ってしまえば周りの遊園地と同じ光が差し込み、自分と同じ人間がいることに気が付きます。
お化けが身にまとっている色んなものは、人間の弱さから来る翳りや闇と考えてもいいような気がします。
枠をとってしまえば、お化けなどではなく、自分と同じ翳りや闇を持った弱い人間がいることに気が付くということでしょうか。

第2問は、大きな愛で私たちは包み込まれていますが、愛には正も誤もないと思います。
でも学びの途中では、色んな角度で正や誤というようなことを考えることで、学びを進める事ができるように思います。

              久美

05/11/2015(木) 22:47:53

No.13856  みゆき
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第1問は
⒈なくていいもの→お化け屋敷がなくっても楽しめる。
地上的自我、恐れがない方が自分らしく幸せに生きていける。
⒉作り出されたもの→お化け屋敷は人が作ったもの。
地上的自我、恐れも今まで生きて来た環境や経験の中で
自分で作ってきたもの。
作り出されたものなので、本当は恐くないのですが、
恐いと思ってるから恐い。
と思いました。

第2問
正でも誤でもむかっている方向は一緒。
なのですでにひとつになっている、融合していると
思いました。
自分の思いや行動が、正ならそのまま続けていけばいいし、
誤ることで気づいて正の道がわかってそちらにいけるのだし、
誤り続けていたら、自分でほんとにわかるまで何かしら
続くのだし、でも続くのも正の道へ向かうためやし。
どちらもひとつの方向に向いてると思いました。

みなさん、いろんな見方があるんやなぁ、おもしろいです。
自分自身にも当てはめてみます。

05/11/2015(木) 23:25:08

No.13858  Kanda
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
みなさんの答えになるほど〜と思いながら…答えてみます!

1問目
恐れは人間が作り出したもの。おばけ屋敷のおばけも嘘モノ。無くて良いんだけど。でもそれにハマると癖になる。(よくわからないですね 笑)

2問目
正しいも間違いもなくそのことが「ある」ってことかなあ、って思いました。

いのちはひとつらなり みんな大好きありがとう。なにがあっても大丈夫。

この前の飯沼さんの書かれていたこと、何度も何度も読んでいます。
この言葉の中に、こんなにも大きな意味があるのだということがとてもよく理解できました(できたつもり?でしょうか)。大きななかのひとつとして、そして、「私」としてなにがあっても大丈夫。あなたも私も大丈夫と思いながら過ごしていきます。
いつもありがとうございます!!

06/11/2015(金) 10:39:02

No.13859  あきどん
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
1.
恐れは、人が作り出したもの。
お化け屋敷みたいに、3次元で人間が楽しむ?ために?
(なぜか楽しむと書いてしまい、楽しめるか!て一人突っ込み)

病気を診断されても、何とも思わない人もいるんだろうな(少数でしょうが)、て今回考えました。
(本「幸せはガンがくれた―心が治した12人の記録」に登場する一人の方は、告知でまったく、みじんも恐れがなかったと書いてました)。
現象にいい悪いはない、人がそれをいい悪いと判断する、、、のだろうと思います。
物事に対する思い込みや刷り込まれたものなどで。それを払しょくするのに苦労するのが人間でしょうけど。

2.すべてがOK、全てが織り込まれて完成する、融合する。

皆さんの回答を読み、なるほど、そうそうて思いながら読みました。

また皆さんの応援で、安心感が出てきたのか気持ちが落ち着いてきています。ありがとうございます!

06/11/2015(金) 11:48:48

No.13860  ゆりか
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問について

どちらも自分が選択しているもの。選択を変えれば世界は変わる。

恐れ→楽しいことに集中していると感じない
お化け屋敷→お化け屋敷から抜ければ別の世界がある


第2問について

今肉体を持って生きて感じれることは全て喜び!!って言葉でしか表現できないことが悔しいくらいに、全ての経験を愛おしく思える。。
自分の中から『ありがとう、ありがとう』っていうエネルギーがほとばしって溢れだし続けてるよ〜〜
って感じ。。

10月に入ってから、インターネット環境のないところで農作業の出稼ぎをしています。
掲示板は携帯電波があるところで時々読んでいても、書き込みはできなかったのですが、恵太君やあきどんさんには皆さんと共にエネルギーを送らせてもらっています。

数日前に高知に帰ってきて、今日やっと書き込みができて嬉しいです。

『いのちはひとつながり、みんなだいすきありがとう、何があっても大丈夫』
エネルギー、送り続けま〜す。

06/11/2015(金) 12:29:03

No.13861  あきら&ひとみ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問、
お化け屋敷は子供の頃、いつも恐い恐いって言いながら入ってたので、やっぱり大人になった今もその子供の時に思ってた感覚がぬけてないですね。
あまり入りたくないですが、今お化け屋敷に入ったら、思いっきり声出して驚き、日頃のストレス発散させる!
なかなか日常で大声あげることってないですからね!
って、お化け屋敷ですること!みたいになってしまいました・・。

第二問、
私もしのしのさんと同じように思いました。
正も誤もないものだと・・。
まわりの影響や自分の勝手な思い込みで、正と誤りを作ってしまっているのかなぁと。

ひとみ

06/11/2015(金) 15:05:51

No.13862  ゆりか
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第二問について

表現する言葉を変えてみると

ただそういう状態がある。。という事でしょうか。。

06/11/2015(金) 18:29:11

No.13863  エーチャン
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第二問ですが、

要するに、何事もすべて摂理・法則によって動く、原因があって結果が生じる、それがすべて、ということなんでしょうか。ちょっとポイントがずれてしまったような気もしますが...

06/11/2015(金) 18:37:48

No.13864  きんもくせい
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
1問目について
お化け屋敷は確かに怖い。
でも、そのスリルを楽しみたい気持ちもある。
私は、おばけ屋敷で冷たいコンニャクが飛んできたり突然風が吹いたりした時、確かに驚きました。
でも、この仕掛けすごいわ〜〜。と思ってもいました。
人が化けて突然出てきた時、確かに驚きました。
でも、この人、この暗闇にずーっと潜んでいて、よっぽど怖いのでは?
と思い、ご苦労さまありがとうみたいな気持ちになりました。

おばけ屋敷は所詮、人が作ったもの。
それをどう捉えるかで、感じ方が違ってくる。
最後には明るい現実の世界に戻る。

そして楽しかった。
すごい仕掛けやアクトレスに感心する。
或いは二度と行きたくない。
などなど、人に寄って感じ方は違う。
地上的自我や恐れって、自分の感じ方次第で
喜びや感動や感謝に変わるのかな?
だったら、そこにもたらされているものを、恐れず
必ず明るい出口に向かうのだと確信して進めばいいのかな?
と思いました。

2問目について
受容と許しと、そこにある人としての愛かな?
と思います。

ある時、あることを誤りと思っていても、何かのきっかけやその時々の状況によって、実は正しかったんだ。と思ったり、
その逆もあったり。
所詮、今、自分がいる場所、そこでの常識、社会環境などから
正、誤と思ってるだけのことなのだから。
それでも、そこに気持ちを引きずられたとしても、正誤に囚われず、愛に戻ることでしょうか?

06/11/2015(金) 20:58:11

No.13865  みやっち ホームページ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問
自分のイメージや雰囲気によって恐いものにつくられている。
なぜお化け屋敷に行きたがるのか。
なぜ地上的恐れを抱きたがるのか(抱いてしまうのか)。
もしかしたら人は恐いものが好きなのか(安心するのか)。
やりたくないけどやってしまう。
僕は恐いの嫌いです。

第二問
考え方や見方によって正誤は違う。
気分次第でも変わるかもしれない。
正しいことだけが正しいわけじゃない。
(正しいと思っているだけ)。
正しい事だけが存在するわけじゃない。
(誤っていることもたくさんある)
正しいとは思っていても出来ないことがある。
何が正しく何が誤りなのかは誰にもわからない。

06/11/2015(金) 23:51:10

No.13866  あきら&ひとみ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
一問目は地上人生で傷ついたり経験してきたことで自分の中で作り上げてきたもの。潜在意識のものとしてもあるでしょうが。
それを遊園地のお化け屋敷に当てはめてみると、自分の中にお化け屋敷を作り出してしまっているのだから、体の一部分になってしまっている。
だから、何かあるごとにそこに入り込んでしまう。

二問目は一言でいえば「許し」ってことかなと思う。

06/11/2015(金) 23:57:18

No.13867  ぽんた
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問

それを楽しんじゃった人の勝ち。
ちなみにお化け屋敷、私は全然楽しめないので入りません泣

第二問

行けそうで行けない向こう側。
あとちょっとで見えそうだと思う矢先に、はるか彼方に行ってしまう世界。
はああ〜〜〜とため息。

07/11/2015(土) 00:04:44

No.13868  ちぃ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
1問目
作りもの、生身の人間
私は子供の頃からお化け屋敷がとにもかくにも苦手で、
作り物のお化けでもチビりそうなくらい怖いのに、
人間がお化け役をしているお化け屋敷は想像を絶しますゆえ、
何があっても入らないと固く誓っております。
でも皆さんの書き込みを拝見し、必ず出口はあるし、出てしまえばなんてことない。
1人でお化け屋敷の中に居るのを想像するとチビリそうだけれど、
にぃくんやみんなと一緒に居ると思ったら怖くないかもしれないと思いました。
ヌマがジェットコースターに乗ってくれるなら私もお化け屋敷に入ります!!

2問目は難しいなーと思いました。
浮かんだのは『愛』だったのですが、
Kandaさんの
>正しいも間違いもなくそのことが「ある」ってことかなあ、って思いました。
という答えや、さきさんの
>(ひとことで言えば)全ては喜び。
という答えがストンときました!

あきどんさん、恵太くん、引き続き応援しています!
エネルギー送ります!!

07/11/2015(土) 00:06:48

No.13869  エーチャン
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
アニータ・ムアジャーニの「「喜びから人生を生きる」を再読しました。ちょっと間を置いての再読は新鮮で、読む喜びを与えてくれました。

読後感を書こうと思いましたが、つまるところ、飯沼さんがNo.13819の投稿で書かれている次の言葉に尽きるように思います。

引用開始

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫」ということは、

ごくごく小さな存在でしかも不十分な自分もあの人も、神という大いなる生命(大海)の一部でありその構成員であるという意識であり、

自分の地上的自我(好き嫌いの感情)はあるにしても、それを超えてあらゆる人や生命存在に対する祝福であり、

自分の利害や好・不都合や自分の思い通りかどうかも超えて、もたらされること全てに対する感謝であり、

病であろうがなろうが、障がいがあろうがなかろうが、それが治ろるかどうかとか、地上に残るか死んで霊界に戻るかどうかとか、自分が貧困であろうが不運で孤独で不幸であると思っていようが、そういうことの一切を含めて、それらの全てを超えての絶対安心なのです。

臨死体験や気づきによって、一元絶対の喜びにつながったり融合できた人のなかには、末期ガンや難病が治るということも珍しくありません。
二元相対から一元絶対の意識に移行し、そのエネルギーに浸り、取り入れれば、地上での現実も健やかな喜びに変化するのです。

引用終了


一元相対の意識に戻ることが出来れば、何も恐れるものはない、というのがよくわかりました。10年くらい前のシルバーバーチを読み始めた頃、「霊力で解決できない問題はありません」というようなことばに出会い、「本当にそんなことがあるのだろうか、霊力ってどういうものなのか」というような感じだったのですが、今では、その意味がある程度分かるようになった気がします。

ともかく、この「喜びから人生を生きる」を読まれますよう、既に読まれた方も再読されますよう、おすすめしたいと思います。飯沼さんが仰っていることの理解が深まると思います。

07/11/2015(土) 23:37:55

No.13870  にぃ
Re: クイズの回答コメントやその他の投稿はここに 引用
第一問 
 そのココロは?

  どちらも人が作りし物

第2問
  
  どちらも正

 すいません、ボケが思いつかず真面目な答えになりました。

08/11/2015(日) 06:48:55


No.13826 まゆみ(飯沼さんの代理投稿)  
クイズです 引用

地上的自我・地上的恐れというものは、遊園地などのお化け屋敷のようなもの。

そのココロは?

03/11/2015(火) 19:34:14


No.13827  まゆみ(飯沼さんの代理投稿)
Re: クイズです 引用
飯沼さんから


思いつきのクイズですが、皆さん気軽るに回答してみてくださいね〜。

私はパソコンを持ってきたのですが、部屋までワイファイの電波が届かないようです。

1階のロビー(?)まで行かなければネットに接続できません。

私の携帯でもこの掲示板は読めるのですが、スレッドが長くなると読めなくなります。
なので、しばらくは他のテーマのコメントもこのスレッドに入れてもらえたらありがたいです。

03/11/2015(火) 20:10:32

No.13828  まゆみ
Re: クイズです 引用
地上的自我や恐れは自分が作っているものだと思います。
元々はなかったものが潜在意識に埋め込まれていく。

遊園地は楽しいことばかり・・・
恐いと分かっているお化け屋敷に近寄らなければいいだけですよね・・・

そのココロは
お化け屋敷も人間の手で作られたもの


皆さんも回答コメントしてみてくださいね〜

03/11/2015(火) 20:46:23

No.13829  みさお
Re: クイズです 引用
・偽モノ?
・人が作った物?
・出口をでれば、「怖かったなぁ」と何事もなくなる・・?
・感覚だけで結果的には、何も失わない 何も得ない・・?

投稿の為に、考えていたら
あぁ そうっかと思えてきました。
飯沼さんが、繰り返し伝えられてる大事な事なんですね。

03/11/2015(火) 21:44:11

No.13830  ゆうき
Re: クイズです 引用
う〜ん、何度も書き直しています。

そのココロは「必要悪」かな??

遊園地という楽しむことを目的とする施設におけるお化け屋敷。
それは怖いものであればあるほど「楽しむことが出来る」。

地上的自我・地上的恐れという手放したいようなもの。
でもそれも生きる喜びをおおいに味わうことが出来るスパイスのようなもの。

「すべては喜びの中」にあるのだから、お化け屋敷も地上的自我・地上的恐れも否定してないものにするのではなく、
それがあるから面白い!という「必要悪」と捉えてみました。

遊園地はお化け屋敷だけではないし、人生はスパイスだけではない。
でも大きな喜びの中では、お化け屋敷も地上的自我・地上的恐れも必要、、という

なんか、、違うっぽいけど、、、とりあえず。。。

03/11/2015(火) 23:02:45

No.13831  さき
Re: クイズです 引用
あれっ、こんなスレッドが。

出てしまえば恐くない。
みさおちゃんに一票。

04/11/2015(水) 00:04:33

No.13832  祐造
Re: クイズです 引用
「クイズ」ですね。
う〜ん、そのココロは、「実は本物じゃない」 かなぁ〜って思いました。
その後みなさんの回答を読んで、なるほどなぁと。


飯沼さんが「再掲」された文章、最初読んだときに「これはとんでもない大変重要・深淵なことが書かれている」と感じたのですが、でもどういうことかにわかにイメージできませんでした。

プリントして何度も読んでいるのですがね〜。

>今もたらされている「状態」が地上的視点では最悪のもので喜びようがないものに思えたとしても、今の状態も一元絶対の喜びに含まれているのです。<

↑ これを読んで、ちょっとイメージできそうな気がしてきました。

04/11/2015(水) 01:10:27

No.13833  恵美子
Re: クイズです 引用
そのこころは、
遊園地やお祭りにあるお化け屋敷は”セット”かな〜
より豊かなものになる、、、
地上的自我も恐れも、この地上に生きていればある。
そこからどうするか、、、、
ゆうきくんに近いかなあ、、、、

夜中にこれ見つけてしばらく眠れませんでした(笑)
その後見た夢、、、
みなさんと大型バスに乗ってどこかへお出かけでした。
楽しい雰囲気でした。

04/11/2015(水) 08:28:22

No.13835  まゆみ(飯沼さんの代理投稿)
Re: クイズです 引用
皆さん、回答コメントありがとうございます。

興味深く読ませてもらっています。

思いつきのクイズなので正解はないのかもしれませんが、いろいろ考えをめぐらせてくださいね〜。

クイズの「地上的自我・恐れ」という箇所は「恐れ」だけにした方がいいかもしれませんが、まあ厳密に問題設定するほどのものでもないでしょう。

しかし、祐造さんも書いてくれているように、あきどんさんや恵太クンにヒーリングエネルギーを送らせてもらっている今の私たちには重要な意味を含んでいると思います。

なので、コメントがまだの皆さんも是非よろしくお願いしますね。

ちなみに「正しい・間違い(正・誤)」というのも二元相対の意識です。
では「正・誤」は一元絶対の意識では
どのようにひとつに融合されるのか?

クイズの第2問として追加しましょう。

1問目に回答してくれた人も、またコメントよろしくお願いします。

私はお化け屋敷よりもジェットコースターや絶叫マシンの方がはるかに怖いのですが(笑)、ここではとりあえずお化け屋敷は怖いものということにしておきましょう。

04/11/2015(水) 13:21:48

No.13836  まゆみ
Re: クイズです 引用
できれば皆さんの投稿読んで答えたいのですが・・・
一番初めに問題を読んでるので、思いつくまま答えてみたいと思います。
みなさんもコメントよろしくお願いいたしますね。

クイズ第2問

元々これは正しい、これは間違いというものがない。
ありのままで受け入れられている。
正誤がないから人から批判を受けることもない。
人を批判することもない。
目指す?のはより高次のエネルギー(愛と祝福と感謝)なので、そのエネルギーをいつも受け取ろうとする。
その高次のエネルギーを受けると自ずと修正される。

04/11/2015(水) 19:33:34

No.13837  さき
Re: クイズです 引用
せっかくなのでクイズを楽しんで気軽にコメントします。

第2問も質問自体色んなとらえ方がありそうですが、
直観的に 
涙とゆるし または 魂の喜び

先にでた回答をあんまり気にしないで
それぞれの方の切り口やとらえ方で
自由にコメントしてもらえたら面白いですね。

ちなみに私はジェットコースターよりお化け屋敷の方が怖いです。


【追記】第2問
(ひとことで言えば)全ては喜び。

04/11/2015(水) 20:02:17

No.13838  エーチャン
Re: クイズです 引用
とりあえず、第一問の回答です。

今日、回答を考えていてひらめいたのですが、なまはげがありますよね。以前、テレビで見たことがありますが、小さな子どもはなまはげを見て、本当に怖がっています。でも、大人、と言うか小学生でも、もう正体が分かるから怖くないと思います。お化け屋敷も同じようなもの、人間が化けているのが分かれば怖くありません。人間がお化けに扮しているという仕組みというか理屈が分かれば怖くないのです。それが分からなければ、やはり怖いものです。

地上的恐れも同じようなものかもしれません。地上を離れて、理屈が全て分かれば(つまり生きる意味が分かれば)、ああ、何も恐れることは無かったのだと納得できるのではないでしょうか。

長々と書きましたが、結局のところ、まゆみさんの回答と同じと言うことになると思います。

ここから、本題からちょっと離れますが、「生きる意味」ってなんなのでしょう。僕は思うのですが、まさに「いのちはひとつらなり」ということを学ぶためのような気がします。どれほど大きく違っていても、それを分離して考えるのは 間違い(間違いという言い方も間違いかもしれませんが、今の地上ではそういうふうに分離して考えるのが常識になっている、そういう現実があるのもまた、いわば神の多様性の表れ)、いわばひとつのもの(神と言い、いのちと言い、意識といってもいいでしょう)がそれこそ人智を越えた多様性を持ちうると言うこと、その多様性を理解していくのが、独立した、かけがえのない個性を持つ意識としての学びなのではないでしょうか。そういう学びを続けていくなかで、いずれ創造の業にも参画できるようになる気がします。

もちろん、上記のことは意識(いのち)が永遠であることは当然の前提だと思います。

飯沼さんがちょっと前の投稿で、今をよろこぶことの大切さをおっしゃっていました。病やトラブルの状態にある時、今の現実を見るだけでは、よろこべないけれども、大きなスパンで見る、あるいはちょっと便利な言葉を使うと、「永遠の相で時を観ずる」と、すべては喜びに昇華できるのではないでしょうか。実は、これにはあんちょこがあります。以下の通り、書かれています。


「「現状を変えたい」「今の自分の思い方を変えたい」と願うのであれば、「喜び」を軸にした意識に切り替えていくことです。

病や苦難は地上ならではのものなのですから、
「今はとても苦しいけれど、よい経験をさせてもらっている」と受け止め、
「この経験があればこそ、自分はいろんなことに気づくことができた(できる)。こんな経験は地上でしかできないのだから、ありがたいことなのだ」と思ってしまうことです。

今(現状)を否定するのではなく、今を喜びとして意識し直した上で、次の喜びを願うことです。
それが基本条件になるのです。」

上記の引用文は、飯沼さんの投稿No.12559(2014年10月9日)での克子さんからのメッセージから引用したものです。

思いつくままに書いて、全般に分かるづらい文章になってしまいましたが、最後の引用文は良くおわかり頂けると思います。

分かりづらい上に堅苦しい文章になってしまいました。せっかくクイズ形式で気楽に投稿できる雰囲気になっていたのに、ちょっと場違いな感じの投稿になってしまいました。私自身、ちょっと停滞気味であった故もありますが、本当に申し訳ないです。またちょっと、落ち込み気味です。

04/11/2015(水) 21:13:25

No.13839  猫都
Re: クイズです 引用
クイズ1 私の答え☆
地上的自我・地上的恐れというものは、遊園地などのお化け屋敷のようなもの。

そのココロは、偽物・幻・ほんとは無いもの。
この地上には愛と恐れしかなくて、でも愛の反対となるものは恐れではなくて、何もない。
愛は二元相対ではないもの。
かな?

04/11/2015(水) 22:19:39

No.13840  猫都
Re: クイズです 引用
↑第2のクイズの答えでもありました。

04/11/2015(水) 22:24:06

No.13841  藍子 ホームページ
Re: クイズです 引用
第一問
そのココロは、、、

進めば必ず明るい出口がある!


第二問

正と誤はどのように融合されるのか、、

誤も正の一部、正への途中経過としての誤。

考えてたら眠れなくなりますね。

答えもいろいろあるのが楽しいです。

いろんな考え方や答え、知りたいです。

04/11/2015(水) 22:42:22

No.13842  恵美子
Re: クイズです 引用
第1問
そのこころは、、、架空の世界か?

第2問
どのように融合されるのか、、
大いなる愛に解けてしまう。
正も誤もない。

明日になれば答えはまた違うかも〜(笑)

保育所で仕事をしていたとき、夏祭りにお化け屋敷を作ってました。最大の楽しみでした。

04/11/2015(水) 23:45:07

No.13843  祐造
Re: クイズです 引用
第2問ですね。
どちらも坂の途中でしょうか。
永遠に続く霊性進化のスロープの。
その時点での到達点って感じです。

あきどんさん、恵太くん、エネルギー送ってますよ〜!
大丈夫、大丈夫。

05/11/2015(木) 00:49:50

No.13844  オレンジ
Re: クイズです 引用
第1問
まゆみさんと同じになります
お化け屋敷は怖いものと思っている潜在意識
地上的恐れも潜在意識

第2問
判断しないもの
自分は個だと思っているが実は個ではない

05/11/2015(木) 07:30:37

No.13845  藍子 ホームページ
Re: クイズです 引用
第二問の答え、私の書き方だと 正 に優位性があるみたいに捉えられますね、、、

そうでなくて、 正も誤も それでいい、祝福、喜び といった大いなる光に包まれている、という感じです。

みなさん、おはようございます!

05/11/2015(木) 07:42:36

No.13846  なみ
Re: クイズです 引用
おはようございます!

1問目のクイズ
人間がつくったもの
だから、何も恐がることはなくて、スリルを楽しむこともできる
必ず出口がある
お化け屋敷から出てしまえば、自由に楽しむことができる。

2問目のクイズ
うまく説明できないですが、思い浮かんだ言葉は、受容、許し、愛。

皆さんのを読んで、なるほど、そういう考え方もあるんだと、いろんな気づきがあります。

05/11/2015(木) 08:30:43

No.13847  あきえ
Re: クイズです 引用
第1問を読んで、そのココロは?
「何があっても大丈夫」と自分の中で続きました。

お化け屋敷は人間がつくったものだから、怖いと思っても、どこかで安心して、その怖さを楽しんだり、少しの間だけだから怖さを経験しようと思う人もいるだろうと思います。
自分の中にしまいこんだ恐れがあっても、お化け屋敷のようなものだよ、大丈夫だよと思いたいのです。

第2問は、よくわかりませんが、何が正で、何が誤だということもないのであれば、喜び、感謝、祝福の中で、認め合って受け入れていくことかなと思いました。(答えになっていないかもわかりませんが…)

05/11/2015(木) 10:28:17

No.13850  ちづこ
Re: クイズです 引用
第1問は、自分が作り出したもの。本当は楽しい遊園地で、恐れや不安なんてないのに、それをわかっていながらも、自分の作ったお化け屋敷に入っていく感じかなと思いました。

第2問は、正も誤もなくて、愛がベース、愛のイメージを思いました。

05/11/2015(木) 14:02:50


No.13819 飯沼正晴  E-mail
再掲載します 引用
病も悩みもトラブルも、二元相対の意識から生じるものです。

生と死、個(部分)と全体、健康と病、意識と物質(心と肉体)、喜びと悲しみ・苦しみ、安心と怖れ・不安、善と悪、自と他、愛と憎しみ、得と損、等々というように、私たちは二元相対の世界に生きています。
その狭間で私たち人間の心は揺れ動き、さまざまなノイズ・澱を生じて、溜め込んでいくのです。
それが地上のパラダイム(ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や 捉え方」のことです)ですから、私たちはそれが当たり前で唯一の規範・捉え方のように思い込んできました。

しかし、私たちは霊界から地上に赴いた存在です。
そして苦行のような(?)地上人生を終えれば、(ほとんどの人は)また喜びの霊界に戻るのです。

その霊界は二元相対の世界ではありません。
学びの段階や傾向の違いはあっても、一元絶対の世界です。
霊界には死はないので、「生と死」という捉え方もありません。
魂は生き通しなのです。(今の私たちもその魂がこの肉体に宿っているからこうして生きているのです)

霊界は、絶対の生の安心を前提とした、愛のみの世界であり、喜びのみの世界であり、健やかさのみの世界です。
地上にいる間にそれを実感できようができまいが、地上人生の期間の長短や境遇や課題の成否がどうであれ、私たちは時期がくればその喜びのみの霊界に戻って、喜びのみの心で生き続け、学び続けるのです。
その意味では、今回の地上人生が全てではないのです。
(死後も地上に留まって地縛霊となる人もいますし、幽界や暗黒界に堕ちていく人もいますが、悠々塾につながって学んでいる人はそういう境涯に行くはずがありません)

ですから、まさに「(何があっても)大丈夫」なのです。

幽界や暗黒界に堕ちていく人は、それが地上人生における自分の想念と言動の結果なのですし、それもまた個々の都合を超えた摂理の喜びであるのです。
その境涯から這い出ることも不可能ではなく、這い出ることができてもできなくても、やはり大丈夫ということなのでしょう。
棲み分けもまた喜びなのです。

私たちが今、取り除き透過性を高めようとしている強固な枠・分厚い膜とは、一元絶対の喜び(絶対安心や愛もそこに含まれています)の世界と地上的自我を遮蔽しているもののことなのでしょう。
二元相対の一方(喜びでない方)は、実は一元絶対の喜びの陰影にすぎません。
その陰影は私たちが作り上げているのです。

地上的自我の枠の内側と外側も二元的に分離されたものではなく、ひとつであるのです。
地上的自我も摂理の大海に含まれているのですが、共鳴できなければノイズが発生して、それを解消できない場合は澱が蓄積されるということです。
つまり霊としての自分と地上の人間としての自分も本来はひとつに融合されているものなのです。
別のものとして捉えるからノイズが生じるのでしょう。

私たちはそれぞれに地上的自我に捉われてしまった過去世があるからこうして地上に再生し、カルマという負荷を越えてその分厚い膜の透過性を高めようとしているのです。
負荷の内容も重さもそれぞれに違っていますが、地上的自我の膜の透過性を高めるコツは、「今を喜ぶこと」のように思います。

もちろんそれは、苦しい状況に置かれている人たちから意識を逸らし、自己保身のために権力や不正に唯々諾々と従っていくこととは違っています。
しかし、そういう人も実は自分のことを喜べず、自分の苦しさや不安に支配されているから、他の人のことに意識を向ける余裕がないとも言えるでしょう。

本人が分かっていようがいまいが、実は私たちは絶対安心の喜びの大海に存在しているのですから、今の自分を喜ぶことで自ずと大海の喜びとも共鳴していけるのです。
権力や金力などを追い求める人たちは、実は今の自分を喜べていないからこそ、さらに力を自分に集めなくてはいられないのでしょう。
今の自分を喜べれば、人は変わってくるはずだと思います。

思うままに書いたので、話が大きく逸れてしまいました。

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫」ということは、

ごくごく小さな存在でしかも不十分な自分もあの人も、神という大いなる生命(大海)の一部でありその構成員であるという意識であり、

自分の地上的自我(好き嫌いの感情)はあるにしても、それを超えてあらゆる人や生命存在に対する祝福であり、

自分の利害や好・不都合や自分の思い通りかどうかも超えて、もたらされること全てに対する感謝であり、

病であろうがなろうが、障がいがあろうがなかろうが、それが治ろるかどうかとか、地上に残るか死んで霊界に戻るかどうかとか、自分が貧困であろうが不運で孤独で不幸であると思っていようが、そういうことの一切を含めて、それらの全てを超えての絶対安心なのです。

臨死体験や気づきによって、一元絶対の喜びにつながったり融合できた人のなかには、末期ガンや難病が治るということも珍しくありません。
二元相対から一元絶対の意識に移行し、そのエネルギーに浸り、取り入れれば、地上での現実も健やかな喜びに変化するのです。

私たち地上人類は今、二元相対のパラダイムから、一元絶対の喜びのパラダイムへの移行期を迎えているのだと思います。
つまり、意識次元の上昇、地上人類の霊性進化です。
一元絶対の喜びといっても、それは決して一面的なものではなく、まさに多様・多重に織りなされたもにであるからこそ、一元絶対の喜びなのです。

私たち地上人類がそういう移行期を迎えていることは間違いないのですが、だからといってすぐに全員が移行できるものでもないでしょう。
移行したいと思っている自分であっても、やはりなかなかそうできない部分もあるものです。

それも含めて「大丈夫」なのですし、そういう状態の人や自分に対しても、「みんな大好き、ありがとう」でいいのです。
それもまた「いのちはひとつらなり」ということであるのです。

そして、地上的な健やかさや地上的な喜びを強く願い求めることは何ら摂理に反することではありません。
むしろ欲求のエネルギーがあるからこそ地上的な願いは実現するのです。
しかしその地上的願いが、一元絶対の喜びである霊的大河に共鳴できていなければノイズを生じて、地上的喜びすらも実現しにくくなるということでしょう。

つまり、怖れや不安に根差し、不安や怖れを回避したいという願いはいかに強い願いであっても実現しにくいのです。
「喜びでないこと・苦しいこと・嫌なことを回避したい」という動機は、一元絶対の喜びではなくその陰影をベースにしているということで、ポジティブな願いとは違っているからです。
しかしそれでも大丈夫なのです。
「それでもいいと星は言う」のです(←イッシンさんの曲ですが・笑)

思いつくまま投稿欄に直接つらつら書いて長くなりましたが、私の書いたことを参考にして、
「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」という意識・エネルギーを高め、唱えていただければ嬉しいです。

そして、病を得ている人や試練の渦中にある人がなかなかそういう意識になれないことは、自分のことを思えばよく分かると思います。
病の人や試練の渦中に置かれている人が地上的自我の澱を表現・排出できるように、私たちは「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」の意識を自分に根付かせ、おおらかにそのエネルギーを送りましょう。

02/11/2015(月) 21:09:01


No.13820  飯沼正晴 E-mail
Re: 再掲載します 引用
☆ここはポイントです。

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫」ということは、

ごくごく小さな存在でしかも不十分な自分もあの人も、神という大いなる生命(大海)の一部でありその構成員であるという意識であり、

自分の地上的自我(好き嫌いの感情)はあるにしても、それを超えてあらゆる人や生命存在に対する祝福であり、

自分の利害や好・不都合や自分の思い通りかどうかも超えて、もたらされること全てに対する感謝であり、

病であろうがなろうが、障がいがあろうがなかろうが、それが治ろるかどうかとか、地上に残るか死んで霊界に戻るかどうかとか、自分が貧困であろうが不運で孤独で不幸であると思っていようが、そういうことの一切を含めて、それらの全てを超えての絶対安心なのです。

02/11/2015(月) 21:10:39

No.13821  飯沼正晴 E-mail
Re: 再掲載します 引用
さっき、体調不良(排出?)から回復したさきさんと話していて、私の投稿が誤解を与える可能性があることに気づきました。

私は、二元相対の価値観や意識を否定しているわけではありません。
二元相対の意識と一元絶対の意識を比較してどちらが優れているのかと評価するということは、それこそがすなわち二元相対の意識ということになります。

私はそういうつもりはなかったのですが、そういう印象を与えているならば、私の書き方が不十分でした。


私たち地上の人間にとって、地上的自我を完全に無くしてしまうことはできないと思っています。
霊界に戻っても、かなりの学びが進むまでは個霊としての意識で生きるわけですから、生身の人間が地上的自我を完全に無くすることなどできるはずがないのです。
(それができると思っているのは、地上的自我の分厚い膜の中に閉じこもって頭脳で考えることしかできない人でしょう。
そんな、「頭でっかちな井の中の蛙」になろうという話ではありません。)

二元相対の世界(意識)と一元絶対の世界(意識)は分離されているわけではありません。
証明はできませんが、おそらく宇宙は多次元でありながら一元絶対の世界であり、部分的に凝縮したところが二元相対の世界になっているように思います。

例えて言えば、水に浮かぶ氷の塊ようなものです。(うまい例えではありませんが・・・)

私たちの意識も地上的自我が全てではなく、魂の意識もあり、魂は大きな魂・魂の集合体(多様・多重の一元絶対の喜び・愛)の一部であることを認識しています。

本来は魂の意志の優位性の中で健やかに循環しているはずなのです。
地上的自我に生じた澱は、魂にとっての経験という豊かな喜びに昇華され、魂の学びや進化の喜びとなるのです。

その健やかな循環を回復することは、結果的に地上での病やトラブルや悩みを解消することになる場合が多い、ということです。

病を治すために二元相対の意識を超えていくというのは本末転倒ですが、いずれにしても私たち地上人類は二元相対の意識に閉塞されている状態から自らを解放する時期を迎えているのだと思います。

二元相対の意識を卒業するということは、子どもから大人に脱皮するようなものです。
地を這う青虫から、自由に空間を飛ぶ蝶に羽化するようなものです。

ですから、二元相対の意識を否定するのではなく、それは在るもの」、おそらくは地上に生きている限り「残るもの」として認識(受け入れ)ながら、次の段階に移行していけばいいのです。

いろいろ書いていますが、論理や理屈で理解しにくくても全く構わないのです。
しかし、できればしっかりと読んでいただきたいと思います。

「天地悠々」の後記雑記にも書きましたが、

◆行や知識の集積よりも、無限の喜びを湛えた大海のエネルギーで地上的自我の枠(膜)の透過性を高める方が理に適っているように思います。なぜならば、より高次元のエネルギーは極めて精妙なので、地上的自我の枠・膜をものともせずに透過するからです。その作業は地上に生きる私たち人間の共鳴したエネルギーによってこそなされるのだと思います。意志と意欲さえあれば、(顕在)意識がそこまで達していなくても、共鳴している誰かがその意識・エネルギーを獲得していれば、どんな共鳴の回路を使ってもダウンロードできるようです。究極のヒーリングエネルギーの共有・一般化です。

◆そのためにも、地上的自我を否定することなく大海のエネルギーに安定的に融合し、共鳴ということについてももっと広く自由に捉えなおしていきたいと思います。
。。。。。。。。

そういうことにじっくり思いを巡らせるために、明日から数日間、また湯村温泉に滞在します。
浜坂漁港の近くの城山に登って、瞑想したいと思っています。
城山にはたぶん誰も来ないと思います。
前に登った時は日陰もなく、あまりの暑さに早々に山を下りてしまいました。

宿ではインターネットに接続できるようなので、小さなパソコンを持って行きます。

03/11/2015(火) 01:12:09

No.13822  さき
Re: 再掲載します 引用
ぬまさん、おはようございます。
補足ありがとうございます。
すぐコメントできませんがゆっくり読みます。
今日から湯村ですね、気をつけて行って来てください。

土曜日から急に寒気と頭痛とムカつきでてっきり風邪で寝込む勢いでダウンしていたのですが何故だか日曜には回復しました。
疲れが出たのかもしれませんが排出?だったのかなと思います。

地上という二元相対の世界のなかで揺れ動く心
様々なノイズや澱を生じさせため込んだりもするけど
そういう地上界だからこその光や輝きを瞬かせることもできる
その光を顕現するためにこそ
私たちはこの地上に赴いているのだと思います。

神という大いなる生命(大海)の一滴であることを喜び
いのちはひとつらなりの大きな流れにひたりながら
皆の喜びにむかって心を開き心を動かせていきたいです。

いのちはひとつらなり。
みんな大好き。ありがとう。

恵太くん、あきどんさん
引き続きエネルギー送ります。

03/11/2015(火) 08:51:47

No.13823  飯沼正晴 E-mail
Re: 再掲載します 引用
さきさん、ほとんど何も食べられない状態でかなりしんどそうでしたが、体調回復して良かったです。
昨日は仕事を休むのかと思ったら、出勤したようですし、今日はまた活動絡みで出かけるのですね。

いつも言うことですが、休養も働きの内と思ってゆっくり休む火を作ってくださいよ〜。

私の文章、確かにとっつきにくいのかもしれませんね・・・。

私たち人間は過去世において心や生命よりも物質や金銭や形式(制度など)を優先してしまったり、人との違いに心をかげらせて、喜びではない方向に地上的自我を膨らませ、それらが病やトラブルなどとして形を成し、それもまた喜びとできないというようなことがあったので、こうして地上に再生しているのでしょう。

過去世からの宿題ですから、今生でも地上的自我にとっては「嬉しくないこと」がさまざまにもたらされることになっているのです。
そういう状況の中で、地上的自我を無いものにするのではなく、それも「在るもの」として受け入れながら、自分のまわりに満ち満ちていて地上的自我さえもそこに含まれている、より高次元の絶対の祝福や感謝や安心のエネルギーを取り入れて、地上的にも喜びや健やかさを回復する回路を確立するために、さまざまな出来事の中で生きているのだと思います。

しかし、これは搾取や蹂躙や不正に甘んじるということではなく、しかし暴力による戦いでもなく、棲み分けということも含んで相互扶助・共生の新しい社会の原形を模索していくことのように思います。

今もたらされている「状態」が地上的視点では最悪のもので喜びようがないものに思えたとしても、今の状態も一元絶対の喜びに含まれているのです。
なかなか実感できなくても、私たちの潜在意識の奥には絶対の喜びや愛や祝福や感謝そのものである魂の意識が活動しているのです。
地上的自我の分厚い膜の透過性を高めれば、自ずとその絶対の喜びにつながり、絶対の喜びである霊的大気と共鳴し、健やかに循環できるのです。

そのエネルギーこそが私たちを生かし、作っているのだと思えるのです。
そうなれば肉体や物質も地上的に嬉しい方向に変化・変容し、ゆくゆくは地上界そのものも自分を含めた全ての生命にとって喜びに進化していくのでしょう。

喜びの心・喜びの意識が喜びの地上的現実を作っていくのです。

あ、もうすぐ出かけるので、このあたりにします。

03/11/2015(火) 10:20:15

No.13824  みさお
Re: 再掲載します 引用
さきさん たまには何もしない時間、ゆっくりした時間も過ごしてね。
飯沼さん、しっかり読んで又書き込みさせて頂きます。

03/11/2015(火) 18:15:59

No.13825  さき
Re: 再掲載します 引用
ぬまさん、みさおさん
心配かけちゃってすみませーん。
もう元気になりましたが、ゆっくりした時間、休む日もつくります。はい。

03/11/2015(火) 18:54:29


No.13808 飯沼正晴  E-mail
みさおさんからです〈代理投稿します) 引用

あきどんさん、こんにちは
9月定例会で、久しぶりにお会いして、あきどんさんは、とても気を使われる人だなと思いました。

自分が、病気の時に
甘えたら良い
人に頼って等言われましたが、なかなかできないのです。
長年染み付いた自分の癖…
今もまだ変わりたいと思っている途中です。
でも、克子さん、飯沼さん、さきさん、みんなの事は、信じきっていた。
治らないと、これだけ思ってくれたみんなに悪いが
みんなに喜んでもらいたいから、治りたいに変わっていった。
あきどんさんが、治るのがご主人、ご家族、みんなの喜び

定例会で、気を使われる人と思ったと書きましたが、合宿で初めてお会いした時は、
おおらかな人だと思った。
以前の書き込みからも、おおらかさを感じていましたよ。
あきどんさんが、病をきっかけにもっともっと、自由になれますように

私自身も、もっと軽やかになりたいと思ってる一人です。一緒に いのちはひとつらなりみんなだいすき ありがとう
思っていきましょう。
あきどんさん、大好きです。

9月定例会での、恵美子さんの話してくれた心春ちゃんのお話から
今を喜ぶという事を、大切さを感じた。

私は、自分の叔母に対して
なんでこの様になってしまったのか
(認知症状?があります)
という思い方でした。
その他、不安や心配…

でも今は、叔母がいてくれる事が嬉しくて、一緒にいる今が有り難くとても楽しい。
先日一緒に、歯科通院に行った帰り道、シルバーカーで歩く叔母の背中に
いのちは ひとつらなり
と思う。

秋晴れの良いお天気を感じながら、叔母、恵太君、あきどんさんを思い喜びを心で膨らませる。
今という時をかんじる…

またまだ書きたい事が、ありますが又投稿させて頂きます。

31/10/2015(土) 14:25:48


No.13809  飯沼正晴 E-mail
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用

☆恵美子さんからのメールを転載します。


こんにちは、
入院治療を終え、お昼に帰ってきました。

今日からステロイド&ビタミン剤の飲み薬を一週間続けるそうです。その後様子を見ながらの対処療法になるのでしょう。
この療法は大阪の医師とも相談してのことのようです。又リハビリも必要ということで、こはるさんが通っている療育センターの医師が引き受けてくれました。
ウイルス&尿&便の検査結果には数週間かかるそうです。

大阪の医師には11月20日に診察を受けることが決まりました。

いづれにしても、今できることをやっていくしかありません。
多くの医療機関が連携をとってやってくれたと思っています。

みんなが疲労もピークですが、、いい流れの中にあって、大丈夫なんだとはっきり思えるのです。

。。。。。。。。。。。。。

恵美子さんは長男さん宅に泊まり込んでいます。

私も、必ず麻痺は回復すると確信しています。
すぐに回復しないことが意外なぐらいです。

31/10/2015(土) 21:54:10

No.13810  あきどん
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
みさおさん、コメントありがとうございます。とても嬉しいです。

このところ早く目が覚めてしまいまして、掲示板をのぞきました。
昨日はセカンドオピニオンを受け、手術までの段取りを聞きました。聞いてるときは、前の病院で告知を受けたショックよりは全然冷静でしたが、
今後の検査のこととか帰宅して思い返すとちと心が揺れます。
夫が昨夜来てくれました。あさっては帰ります。寝ている間に今書いてますが、
来てくれて有り難いけど、この数日にどうしていいかわからない。どうやって甘えるか。
みさおさんも甘えれない、一緒ですね。。。
合宿ではおおらかと感じていただいたんですか、ありがとうございます。
実は自分でも本来の私はそうなんじゃないかと思います。
ほんとになんかちじこまってますね、今の私は。ていうか、長い間本当の自分を押し込めて苦しい感じが続いているので今回のことになったのでしょう。
ほんとの自分になること、自分らしく生きることが今生の私の目的だとずっと前から克子さんのメッセージで言われています。
本当の自分に戻りたいです。頑張ります。
皆さん応援ありがとうございます。

01/11/2015(日) 06:21:56

No.13811  あきどん
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
春が来るさんの、ひさしぶりのコメント、応援もとても嬉しかったです。ありがとうございます。

01/11/2015(日) 06:30:45

No.13812  みさお
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
あきどんさん
今後の検査のこととか・・
その不安をご主人に話す。不安を打ち明ける。
それでいいと思うよ。
一人で不安や寂しい
不安や寂しさを、打ち明けるのも甘えるという事やよ。

私は家族やまわりに、変な所で気を使って自分の事を言えなかったり・・
最近は、意識して言う様にしてる。
聞いてくれる仲間はいるし、又吐き出せたら楽になったよ。

甘えられないは、しっかりしないととか 相手に悪いなと思ったりして、自分を優先しない様な事もあるよ・・
今のあきどんさんは、自分の気持ちを大事に
不安があって、あたり前やもん。

あきどんさんが雄大な景色の中、のびのびしているイメージがある
私も、もっと自分の気持ちを大事にするようにするね。
あきどんさん、又一緒に合宿にいこう。
みんないるから、大丈夫!

恵美子さん
報告ありがとうございます。
いい流れの中にあって、大丈夫なんだとはっきり思えるのです。
私も、そう思います。
いっぱい霊的エネルギーを吸い込んで、エネルギー送ります。

01/11/2015(日) 09:41:49

No.13813  飯沼正晴 E-mail
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
あきどんさん、ダンナさんが赴任先の北海道から帰ってきてくれたのですね〜。

甘える・甘えられないということも含めて、愛情表現というものは今までの境遇やお互いの雰囲気の中で、何となく身についた癖のようになっていることが多いですからね・・・。
頭で考えるよりも、思い切って行動に表してみるのがいいと思いますよ。
最初は抵抗感があっても、蓋さえ開ければあとは自然にほとばしるようになるんじゃないかな?

まあ、もしもやっぱりそうできなくても大丈夫なのです。

昨夜、あきどんさんや恵太クンやいろんな人にヒーリングエネルギーを送っていて、そう思いました。

病も悩みもトラブルも、二元相対の意識から生じるものです。

生と死、健康と病、意識と物質(心と肉体)、喜びと悲しみ・苦しみ、安心と怖れ・不安、善と悪、自と他、愛と憎しみ、得と損、等々というように、私たちは二元相対の世界に生きています。
その狭間で私たち人間の心は揺れ動き、さまざまなノイズ・澱を生じて、溜め込んでいくのです。
それが地上のパラダイム(ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や 捉え方」のことです)ですから、私たちはそれが当たり前で唯一の規範・捉え方のように思い込んできました。

しかし、私たちは霊界から地上に赴いた存在です。
そして苦行のような(?)地上人生を終えれば、(ほとんどの人は)また喜びの霊界に戻るのです。

その霊界は二元相対の世界ではありません。
学びの段階や傾向の違いはあっても、一元絶対の世界です。
霊界には死はないので、「生と死」という捉え方もありません。
魂は生き通しなのです。(今の私たちもその魂がこの肉体に宿っているからこうして生きているのです)

霊界は、絶対の生の安心を前提とした、愛のみの世界であり、喜びのみの世界であり、健やかさのみの世界です。
地上にいる間にそれを実感できようができまいが、地上人生の期間の長短や境遇や課題の成否がどうであれ、私たちは時期がくればその喜びのみの霊界に戻って、喜びのみの心で生き続け、学び続けるのです。
その意味では、今回の地上人生が全てではないのです。
(死後も地上に留まって地縛霊となる人もいますし、幽界や暗黒界に堕ちていく人もいますが、悠々塾につながって学んでいる人はそういう境涯に行くはずがありません)

ですから、まさに「(何があっても)大丈夫」なのです。

幽界や暗黒界に堕ちていく人は、それが地上人生における自分の想念と言動の結果なのですし、それもまた個々の都合を超えた摂理の喜びであるのです。
その境涯から這い出ることも不可能ではなく、這い出ることができてもできなくても、やはり大丈夫ということなのでしょう。
棲み分けもまた喜びなのです。

私たちが今、取り除き透過性を高めようとしている強固な枠・分厚い膜とは、一元絶対の喜び(絶対安心や愛もそこに含まれています)の世界と地上的自我を遮蔽しているもののことなのでしょう。
二元相対の一方(喜びでない方)は、実は一元絶対の喜びの陰影にすぎません。
その陰影は私たちが作り上げているのです。

地上的自我の枠の内側と外側も二元的に分離されたものではなく、ひとつであるのです。
地上的自我も摂理の大海に含まれているのですが、共鳴できなければノイズが発生して、それを解消できない場合は澱が蓄積されるということです。
つまり霊としての自分と地上の人間としての自分も本来はひとつに融合されているものなのです。
別のものとして捉えるからノイズが生じるのでしょう。

私たちはそれぞれに地上的自我に捉われてしまった過去世があるからこうして地上に再生し、カルマという負荷を越えてその分厚い膜の透過性を高めようとしているのです。
負荷の内容も重さもそれぞれに違っていますが、地上的自我の膜の透過性を高めるコツは、「今を喜ぶこと」のように思います。

もちろんそれは、苦しい状況に置かれている人たちから意識を逸らし、自己保身のために権力や不正に唯々諾々と従っていくこととは違っています。
しかし、そういう人も実は自分のことを喜べず、自分の苦しさや不安に支配されているから、他の人のことに意識を向ける余裕がないとも言えるでしょう。

本人が分かっていようがいまいが、実は私たちは絶対安心の喜びの大海に存在しているのですから、今の自分を喜ぶことで自ずと大海の喜びとも共鳴していけるのです。
権力や金力などを追い求める人たちは、実は今の自分を喜べていないからこそ、さらに力を自分に集めなくてはいられないのでしょう。
今の自分を喜べれば、人は変わってくるはずだと思います。

思うままに書いたので、話が大きく逸れてしまいました。

「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。大丈夫」ということは、

ごくごく小さな存在でしかも不十分な自分もあの人も、神という大いなる生命(大海)の一部でありその構成員であるという意識であり、

自分の地上的自我(好き嫌いの感情)はあるにしても、それを超えてあらゆる人や生命存在に対する祝福であり、

自分の利害や好・不都合や自分の思い通りかどうかも超えて、もたらされること全てに対する感謝であり、

病であろうがなろうが、障がいがあろうがなかろうが、それが治ろるかどうかとか、地上に残るか死んで霊界に戻るかどうかとか、自分が貧困であろうが不運で孤独で不幸であると思っていようが、そういうことの一切を含めて、それらの全てを超えての絶対安心なのです。

臨死体験や気づきによって、一元絶対の喜びにつながったり融合できた人のなかには、末期ガンや難病が治るということも珍しくありません。
二元相対から一元絶対の意識に移行し、そのエネルギーに浸り、取り入れれば、地上での現実も健やかな喜びに変化するのです。

私たち地上人類は今、二元相対のパラダイムから、一元絶対の喜びのパラダイムへの移行期を迎えているのだと思います。
つまり、意識次元の上昇、地上人類の霊性進化です。
一元絶対の喜びといっても、それは決して一面的なものではなく、まさに多様・多重に織りなされたもにであるからこそ、一元絶対の喜びなのです。

私たち地上人類がそういう移行期を迎えていることは間違いないのですが、だからといってすぐに全員が移行できるものでもないでしょう。
移行したいと思っている自分であっても、やはりなかなかそうできない部分もあるものです。

それも含めて「大丈夫」なのですし、そういう状態の人や自分に対しても、「みんな大好き、ありがとう」でいいのです。
それもまた「いのちはひとつらなり」ということであるのです。

そして、地上的な健やかさや地上的な喜びを強く願い求めることは何ら摂理に反することではありません。
むしろ欲求のエネルギーがあるからこそ地上的な願いは実現するのです。
しかしその地上的願いが、一元絶対の喜びである霊的大河に共鳴できていなければノイズを生じて、地上的喜びすらも実現しにくくなるということでしょう。

つまり、怖れや不安に根差し、不安や怖れを回避したいという願いはいかに強い願いであっても実現しにくいのです。
「喜びでないこと・苦しいこと・嫌なことを回避したい」という動機は、一元絶対の喜びではなくその陰影をベースにしているということで、ポジティブな願いとは違っているからです。
しかしそれでも大丈夫なのです。
「それでもいいと星は言う」のです(←イッシンさんの曲ですが・笑)

思いつくまま投稿欄に直接つらつら書いて長くなりましたが、私の書いたことを参考にして、
「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」という意識・エネルギーを高め、唱えていただければ嬉しいです。

そして、病を得ている人や試練の渦中にある人がなかなかそういう意識になれないことは、自分のことを思えばよく分かると思います。
病の人や試練の渦中に置かれている人が地上的自我の澱を表現・排出できるように、私たちは「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう。(何があっても)大丈夫」の意識を自分に根付かせ、おおらかにそのエネルギーを送りましょう。

01/11/2015(日) 11:52:56

No.13814  飯沼正晴 E-mail
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
上の投稿は一気に書いたのですが、読み直してみたら大事なことを書いているように思います。(少しだけ書き加えました)

できればしっかり読んで、共有していただきたいと思います。

質問やご意見など書いてもらえればありがたいです。

01/11/2015(日) 13:22:34

No.13815  恵美子
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
我が家に帰ってきました。

息子家族が安心モードになったので、予定より早く帰らせてもらいました。
ステロイド治療が始まっているのですが、不思議とそのリスクへの不安さえもないのです。

信じられないようなことが突然起きて、その治療法も分からなければ、診察できる医師さえも見つからなかったなかで、もたらされる最悪のリスクに、目の前が真っ暗状態、お嫁さんは不安と恐れに倒れそうでした。そのエネルギーに私自身も共感してしまい、体調を崩す寸前でした。
仕切りなおしは、ぬまさんのメッセージでした。
不安や恐れはあって当然のこと、それはそれとして共感し、
違うラインからのヒーリングを学んできました。
そこに切り替わったとき、からだまでもがエネルギーを吹き返した、そんな力強さを感じました。
そして、いい流れの中にあって大丈夫なんだとはっきり思えたのです。

ぬまさんの↑のメッセージ、何度も読み返しました。
私たちが唱えてきた、”いのちはひとつらなり、なにがあってもだいじょうぶ”の意味の深さをあらためて思います。
そして、私たちがつながる”大いなる生命(大海)のなんと愛に満ちていることか、すべてのことがありがたくおもえます。

あきどんさん、
どんな自分であっても大丈夫!
今が少し喜べなくても、私たちがそれを超える喜びであなたを包むから必ずかならず喜びへ向かうから、、任せてね。

大きな試練を乗り越えたみさおさんの言葉が、心強いですね。

(恵太くんと同じような症状が高知県であと一例報告されたそうです。)

みなさんのヒーリングに感謝、感謝です。
引き続きよろしくお願いします。

01/11/2015(日) 20:00:16

No.13816  ひがし
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
あきどんさん
遅ればせですみません。
病が良くなってくださるよう願っています。
何度か送りましたが引き続きエネルギーを送らせていただきます。


恵美子さん
恵太君に元気になってもらえるよう引き続きエネルギーを送ります。

01/11/2015(日) 20:54:12

No.13817  みやっち&藍子 ホームページ
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
あきどんさん、恵太くんにエネルギー送っています!


ヌマさんの上のメッセージ、何度も読みました。
何度も読まないと意味が深く入ってこなくて、、

二元相対、一元絶対、というのも最初はポッカーンとしてましたが、


二元相対は、究極と究極の線で結ばれているようなもので、0とか100とか数値やレベルで表せられるもので、

一元絶対とは、円のようなものなのかなと思いました。

数値化したり、相反していたり、「もうちょっと」とか「全然違う」とか表現できる世界では、他人と比べたり、自分を評価したりしなかったりですが、

一元絶対の世界では、どうであれそのすべてが円の中で、祝福と喜びで囲われているような、そこに前も後ろもなくて、ものすごくすべてが「よし」な世界なんだろうなと。


自分はまだまだだとか、あの人がどうだ、とか線上で考えてしまいがちな地上人生だけど、本来は、無限の円なのだなあと思うと、過去も未来も現在も、ないものもあるものも、すべてがすごく、、、なんというか、、、言葉が出てきませんが。「すごい」の中にすべてが入り込めるのだ、という気がしました。

いつも唱えてる「いのちはひとつらなり、みんな大好き、ありがとう、なにがあっても大丈夫」もそういうエネルギーだったのか!とあらためて、気づきました。


って、ここまで書きましたが、全然見当違いなこと書いていたら
言ってください。まあ、それもすべて「それでもいいと星は言う」ってことで、、、
言葉にしにくいですけど、自分を喜ぶことが自然と出来そうな気分です。


エネルギーこれからも送りますね!

02/11/2015(月) 19:26:19

No.13818  飯沼正晴 E-mail
Re: みさおさんからです〈代理投稿します) 引用
皆さん、コメントありがとうございます。

あきどんさんはダンナさんに自分の弱いところを出せたでしょうか?
あきどんさんのお人柄はみさおさんが書いた通りのような気がします。

>あきどんさんが雄大な景色の中、のびのびしているイメージがある<

この感じ、分かります。
自然の中ではのびのびできるのに、人間関係では気持ちを縮めるというよりも、平常(心)モードに傾く傾向があるような気がします。
せっかくの機会ですから、ダンナサンの前で弱音も混乱も吐き出してくださいね。

恵美子さん、
恵太くんの状態がまだ変わらないにしても、ご家族が落ち着きを取り戻してきてよかったです。

病や症状は周囲の人たちにとっても、何かの気づきの機会である場合が多いのですが、恵太くんの症状は私たちにとっても何らかの大きな気づきの機会であるように思います。

あきどんさんや恵太くんのことは驚きではありますが、私にとっても気づきの機会だと思っています。
実際、遠隔ヒーリングをしていて、大きな気づきというか、意識やエネルギーの変化が始まっているようです。

藍子さん、コメントありがとう。
あの投稿は皆さんにどんなふうに読んでもらえるのだろうと気になっていました。
とても重要な内容だと思っています。

すぐにはイメージできないかもしれませんが、じっくりと意識を巡らせてくださいよ〜。
東クンはコメントでは触れていませんが、一元絶対の世界を身近に感じている人のように思います。
というか、二元相対の意識に馴染めない人のような気がします。

皆さんからのコメントがないので、新しいスレッドに再掲載して、コメントをお待ちします。

02/11/2015(月) 21:06:28


No.13803 飯沼正晴  E-mail
「天地悠々」後記・雑記 引用
☆今号は、11月2日(月)の発送になります。
ゆうメールになったので、土日は郵便局が休みなもので、遅くなります。
。。。。。。。。。。。

◆「天地悠々」二一六号、お届け致します。

◆今年も残り二ヵ月になりました。歳をとると時間の過ぎるのが早く感じると言いますが、加齢のせいだけとは思えないぐらいに時間が早く過ぎていきます。最近は若い人でも時間が過ぎるのが早く感じるようになったと思う人が増えているという話を何かで読んだことがあります。さもありなんという気もしますが、実際のところはどうなのでしょう?

◆一昨年の春だったと思いますが、私は四国の祖谷の温泉宿で、誰もいない昼間に温泉に足を浸けて軽く瞑想していました。その時、唐突に「全てはすでにそこに在る。あとは人間がどれを選択するかだ」というインスピレーションを受け、篠山に戻ってから大排出の激痛に見舞われました。あの大排出は「全てはすでにそこに在る。あとは人間がどれを選択するかだ」という次元の世界に幾ばくかでも意識がつながったからに違いありません。意識がつながったと言ってもまだあの頃はほんのわずかなものでしたし、ほとんどリアリティもなかったと思います。だからこそ、「なんだか分らないが、ものすごいエネルギーの世界と私たちは重なって生きているのだ」ということを実感したのでした。

◆その年の夏に、若い物理学者が直接ヒーリングに来て、その時に「全てはすでにそこに在る。あとは人間がどれを選択するかだ」というインスピレーションを受けたことを話しました。その物理学者は事もなげに「量子論の世界はそういうもののようですよ」と言ったので、私は改めて量子論の世界に本気で意識を向けることになりました。

◆それと並行してというよりも重なりながら、「(潜在)意識があらゆる現実を作り上げている」ということも、今まで以上に自分の中でリアリティが強くなりました。人間の意識というものは本来は三次元の地上の常識や価値観に縛られるようなチャチなものではないのに、長年の習慣から三次元の枠に凝固させ、しかも不安や否定をベースにしていることが病やトラブルや不幸せの元のエネルギーを生み出し続けているのだということも確信しました。まるでテレビのように、自分が選択した(潜在)意識のチャンネルのままに地上人生の現実が展開していくのでしょう。「全てはすでにそこに在る。あとは人間がどれを選択するかだ」ということはそういうことなのだと思います。

◆もちろん人間にはカルマがありますから、全てがハッピーなサクセスストーリーにはいかないわけですが、それぞれの人が地上に再生するにあたっての「魂の意志」こそが究極の潜在意識なのでしょう。カルマの解消とは、カルマに見合ったさまざまな負荷を背負いながらも、過去世で自他の喜びにできなかったことを喜びとしていく(自他の喜びになるように心を遣い、喜びになるような言動をしていく)ということです。それは人間にとって不可能なほどに難しいことのように思いますが、地上的価値観に縛りつけられている意識を解放すれば、半ば自然にそうなっていくのです。なぜならば、地上的自我の偏狭な枠に意識を閉じ込めておくことの方が、実は極めて不自然なことだからです。

◆自分の魂は個であると同時に、大きな魂(生命)のつながりに含まれているのです。ほとんど無限の喜びを湛えた大洋とそこから派生する波しぶきの一滴のようなものです。一滴の波しぶきの自分が全てだと思い込んでいるうちはなかなか分からなくても、自分という存在は大海の一部として喜びの大海を構成しているのだということに気づけば、天地が逆転するほど意識も変化するのです。価値観も言動も地上的状態・現実も自ずと変化していくのです。それは妄想ではなく、まさに輝く真実であることは、臨死体験などで地上的な自我から意識が解放された人の末期がんや難病が治癒した実例などが証明しています。

◆もちろん誰もが三次元の地上的自我の閉塞した枠から脱却することはできるのですが、そう容易くはないでしょう。だからこそ、さまざまな修行や深い瞑想が必要だとされているのです。そういうことを重ねても、実は地上的自我の閉塞した回路の中で「悟った」ように思いこんでいる、井の中の蛙以下の人も少なからず見受けられます。

◆修行や知識の集積よりも、無限の喜びを湛えた大海のエネルギーで地上的自我の枠(膜)の透過性を高める方が理に適っているように思います。なぜならば、より高次元のエネルギーは極めて精妙なので、地上的自我の枠・膜をものともせずに透過するからです。その作業は地上に生きる私たち人間の共鳴したエネルギーによってこそなされるのだと思います。意志と意欲さえあれば、(顕在)意識がそこまで達していなくても、共鳴している誰かがその意識・エネルギーを獲得していれば、どんな共鳴の回路を使ってもダウンロードできるようです。究極のヒーリングエネルギーの共有・一般化です。

◆そのためにも、地上的自我を否定することなく大海のエネルギーに安定的に融合し、共鳴ということについてももっと広く自由に捉えなおしていきたいと思います。

30/10/2015(金) 15:34:47


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