☆☆ 愛は時空を超えて130 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)こんにちは。いつもお世話になっております。
克子)はい、こんにちは。こちらこそ、お世話になっています(笑)
飯)もうすぐ11月定例会だ。 今回は「納会」ということで、仲間たちと一緒にゆっくりと楽しく過ごしたいと思っています。 ふと思いついて提案した「何なりと3分間(以上)」の企画(?)が事前からなかなかの反響のようだ(笑) 中には「すでに今からストレスなので、今回の定例会は不参加にします」という人もいるし・・・。
まあ、悠々塾の仲間たちの多くが「引っ込み思案症候群」であることは分かっていたが、「ストレスだから不参加」というのにはかなり驚いた。 人前で話をしたり、何か出し物をすることがとっても苦手な人でも、最終的には「嫌だけど、参加しよう」というところに着地してくれるとばかり思っていたからね。
僕自身が以前は人前で何かすることが大の苦手で、妙に頑なになったりしていたから、そういう人の気持ちはとてもよく分かるのだけど、でもやっぱり自分を開いた方がはるかに楽しいし、楽になるということもよく知っている。
克)はい。 定例会への参加・不参加ももちろん自由意志ですし、「何なりと3分間(以上)」ということにしても強制ではないはずです。 ですから「今回は不参加」であっても、「参加はするがスピーチや出し物はしない」ということでも構わないわけです。 しかしながら、わずか3分間であっても、自分が主人公になって自分を表現するということは、その人自身にとっても大きな意味があります。
それだけではなく、自分の殻を破って皆の前で自分を表現する意志と意欲のエネルギーが共鳴すれば、悠々塾という共鳴場のエネルギーは格段にパワーアップするのです。 それが悠々塾のこれからの働き、悠々塾につながる仲間たち一人ひとりの貢献の力と幸せにも大きく反映されていくでしょう。
「(悠々塾という)共鳴場に、自分なんていてもいなくても構わないのだろう」と思っている人もいるようですが、決してそうではありません。
もしもそうであれば、悠々塾との出会いは計らわれていなかったでしょうし、出会ったとしてもご縁が続くことはなかったでしょう。 「地上界の浄化・地上人生の霊性進化」という大きなプロジェクトの一翼を担う悠々塾の働きに必要だからこそ、出会いに導かれ、ご縁が続いているのです。 それは決して偶然のことではなく、今回のプロジェクトを霊界側から導き、支援する大霊団と皆さん方の守護霊様や指導霊様たちが連絡を取り合ってのことです。
定例会の常連さんたちだけでなく、距離的な条件などで定例会に参加できない人も、もう少し外側で共感を持っている人も、皆さんが同じように必要とされているのです。
今の悠々塾が担っている分野の扉を開く役割においては、頭数(あたまかず)はさほど問題ではありません。 しかし、多様なエネルギーは何としても必要なのです。 悠々塾につながる皆さん方に、「自分も主人公なのだ」という確固たる認識を持っていただきたくお願いいたします。 そして、その気になれば参加できるのであれば、今回の定例会に参加してくださいますように。(しかし同時に、どんなつながり方でも構わないのですとお伝えいたします)
「何なりと3分間(以上)」は些細なことではありますが、そういうことを提示・提案されて、その意味も理解できるはずですから、そこでどう心を動かしていくのか、実際的にどう選択していくのかは、その人の今までとこれからの地上人生そのものを表しているとすら言えるのです。 こういう言い方をすれば、さらに大そうな感じを与えてしまいますね。
しかし、あなたも書いたように、何かがもたらされた時に心(エネルギー)を閉ざしていくのか、あるいは開いていくのかは、その人の人生を形作っていく上でのとても大きな要素なのです。 心を閉ざしていくということはつながりを避けていくことであり、心を開くということはつながりを広げていくことでもあります。(言葉や行為という形で表すことが全てではありませんが、形にしようという意欲が地上的な力を高めるのです) もちろん、どちらが良いとか悪いとかではありませんし、どういう心で生きようがそれはその人の自由ですが、そういうエネルギーの集積が自分の地上人生を形作っているわけです。
「何なりと3分間(以上)」のことに限らず、はっきりと意識していないところ(無意識)においても、地上人生は選択の連続であり、積み重ねです。 無意識の層に組み込まれていれば自動設定として作動しますが、それもまた選択として現実を作っているのです。 自分の選択の結果を自分が引き受けるということです。
現実を変えたいと思うのであれば、顕在意識における心の動かし方を変えると同時に無意識の層の設定を解除することが必要です。 無意識の層の設定が解除されたら顕在意識も変わり、現実も変わるのです。
しかし現実を否定することはネガティブなエネルギー(意識)を増幅させることであり、それに見合った現実がもたらされます。 いかなる現実であれ、すべては摂理の顕現であり「完全」の一環であるのです。 摂理のすべてを人間が理解できるものではありません。 それを踏まえたうえで、地上の人間としての希望や願いの実現を疑うことなく、躊躇なく求めればよろしいのです。
今回の「何なりと3分間(以上)」を、そういう機会にしようとする意志と意欲は自他にさらなる喜びをもたらすことになるでしょう。
飯)はい、分かりました。 僕の本音を言えば、全く自然発生的なものは別にして、今回のように半ば強制的な「提案」があった時に、皆が一様に同じ方向に揃うのではなく、多少のバラバラ感がある方が僕は好きなんだと思う。 そういう不揃いの傾向やエネルギーが大きなスケールで共鳴した方が面白いし、悠々塾というのはそういう場だと思っているからね。
話は変わるが、「今まで休日になれば必ずギャンブルに行っていた夫が、なぜか最近は行かなくなった」という話を聞いた。 別の人からは、「夫が今まで休日に通っていたギャンブルにあまり行かなくなって、(もともと得意だった)ギャンブル性の薄い自分の技術が勝敗を左右するゲーム(競技)にはまり込んでいる」とう話も伝わってきている。
僕も20年以上前にパチンコにはまっていた時期があった(笑) 見えないエネルギーやヒーリングの世界に足を踏み入れてからもしばらくの間はやめることができなかった。 パチンコに行きはじめたのは高校生の頃で、学校をさぼって入ったのが最初だった(笑) 学生時代に住んでいたのが東京の山谷に近い南千住で、駅前のパチンコ屋は10円から球が買えたからたまに(数個のハイライトを稼ぎに)行ってはいたが、さほど興味も持てなかった。
それからも20年近くは全く行っていなかったのに、何かの折に誰かと行った時にいきなり「大当たり(777)」が出て、それがどういうことかも分からないでいると店員さんが笑いながら球を入れる箱を持ってきてくれた(笑) 僕が学生の頃のパチンコは、せいぜいチューリップが開くという慎ましいものだったからね(笑)
それからごくたまに行くようになったのだが、僕の場合、怒りや何かで激しく気持ちが高ぶった時には必ず大勝ちするということがあって、そういう現象が起きることを確かめたいという気持ちもあったが、そのうちにはまり込んでしまったようだ。
スピリチュアリズムを知り、「シルバーバーチの霊訓」などを読み込むようになってからは、「早くやめなければいけない」と思ったがすぐにはやめられず、有機野菜の配達に出た帰りにはパチンコ屋に入るという時期があった。
でも、そのうちにパチンコに行こうと思えば右手の親指の付け根が大きく腫れ上がって、熱を持って痛みもかなり出るようになって、そのほかにも「導き」としか思えないようなことがいくつか重なったことでスッパリやめてしまった。 それからは全く興味がなくなった。
克)はい。いろいろ霊団の方々にお世話をかけてきましたね(笑) 軽い楽しみでのギャンブルの域を超えて、多大な時間を費やすことが習慣化するほどギャンブルにはまる人の場合、「自分に対する自信のなさ」というものがあります。
そういう人の多くは、単に自信がないのではなく、「本当は心のどこかで自分という存在に自信を感じているのに、世間的・人との関わりの中ではそうはなっていない」という場合が少なくありません。 単に「射幸心にかられて」というだけでなく、本人は気づいていなくても「自分の力を発揮したい。自分の力を試したい」という欲求に動かされているのです。
ですから、ありのままの自分に自信を持てるようになれば、あるいはもっと別のことで自分の力を発揮したいと思うようになれば、興味が薄れていくことが多いのです。(憑依霊の強い影響がある場合はそうはいきませんが)
「今まで休日に通っていたギャンブルにあまり行かなくなって、(もともと得意だった)ギャンブル性の薄い自分の技術が勝敗を左右するゲーム(競技)にはまり込んでいる」という人の場合は、なんらかのきっかけで自分に対する自信が弱まり、それを埋めるために「確実に自分の力を発揮できるゲーム(競技)に移行していると言えるかもしれません。
競技というからには人と一緒に楽しむものでしょうから、それまでの関わりに何らかの疎外感を抱いたことも原因として考えられるでしょう。 いずれにしても、それぐらいに熱心(?)になるには、何らかの理由があるのです。
飯)なるほど、というか、僕もそうじゃないかと思っていましたよ。 まあ、もしもその本人がこれを読んでも自分の心のこととして思い当たらないかもしれないけど、今はそれで構わないと思う。 僕自身のことを思い返しても、必ず導きと計らいはもたらされるのだし、それがどんな計らいとしてもたらされたとしても「自分の選択の結果を自分が引き受ける」ということで構わないのだから。
大本神諭に「身魂の審判(あらため)を致して神が網を掛けるぞよ。網掛けたら神は離さぬぞよ」という一節があり、「ひふみ神示」にも同じような文言がある。 この場合の「神」という言葉がどういう存在のことを指しているのかは別にして、私たちは大いなる光の霊界に属す魂の意志に基づいて、この地上に生きているのだ。
その魂の意志に背くことも含めて、地上の人間の自由意志ではあるが、そういう自分の選択の結果を自分が引き受けることは、地上の人間にとってはなかなか大変なことのように思う。 今年も残り少なくなってきたが、世界の大きな崩壊の予兆が感じられる中で、魂の意志によって悠々塾という場につながっていることを、これを読むすべての人に心でしっかりと受け止めてほしいと思います。
さて、また話を変えますよ。 僕はつい先日、なんだかものすごいエネルギーの夢を見た。
宇宙空間に浮かぶ巨大な宇宙船のようなものに僕は乗っていた。 その宇宙船のようなものは透明で、大勢の人たち(仲間たち)が一緒に乗っていた。
僕は宇宙船の中で、指令室のような部屋から届けられた大判の大学ノートのようなものを示されて、ページをめくった。 見開きのページには世界地図が描かれていて、「地上人類の(霊性)進化の足跡」を示す矢印がいくつも記入されている。(アフリカで誕生した人類が世界各地に分布していった経路を、世界地図にいくつもの矢印で示した図を見たことがあるが、そういう感じのものだった)
矢印の一本の先は日本を示しているようで、僕は任務を帯びてその地に赴くようだった。 それを知った時、僕は気乗りがしなくて、むしろ「なんで、私が? 嫌だなぁ・・・」という感じで、宇宙船の仲間たちと話していた。 しかし、意を決して、でもあくまでも渋々の様子で引き受けることになった。
宇宙船の仲間たちからは、同情と共感を十分に含んだ期待や激励を向けられている。 僕はなんだか冴えない気分のままで宇宙船を出た。(ドアなどはなくて、宇宙船の透明な壁からそのまま外に出られた)
外に出た僕は何を思ったのか、宇宙船の外側に固定されている鉄パイプ(?)のような棒を両手で握って、器械体操の鉄棒選手のようなパフォーマンスをたっぷりとして見せる。(無重力の宇宙空間でなぜこんなことができるのかと、夢の中なのに僕は思っている) 宇宙船の中からそのパフォーマンスを見ていた仲間たちは大爆笑・大喝采で、「さすがはあいつだ」「あの余裕なら間違いない。大丈夫だ!」という感嘆と称賛が僕にも聞こえてきている。
最後に僕は鉄棒の「大車輪」を連続でして見せて、そのままの勢いで手を放し、宇宙空間に飛び出して地球へと向かう。 まだ何も見えない宇宙空間をものすごい勢いで僕は進み、やがて地球が見えてくる。 それでもやはりものすごい勢いで地球に近づいていく(地球が迫ってくる)のだが、その勢いが今も感覚に残るほどのリアリティがあった。
場面が変わって、僕は自分が育った神戸の家の2階の自分の部屋にいる。 よれよれの上着とよれよれのズボンをはいた青年の僕は、自分の部屋に座り込んでじっとうつむいている。
長くなるので割愛するが、そのあとも僕はよれよれの格好のままで家を出ていこうとして、トイレに行ったら汚物が便器のぎりぎりのところまであふれそうになっていて、「何とかしなければだけど、こんなことに手間取っているわけにはいかない」と、小さなビンに入った液体を数滴汚物に垂らして、「とりあえずこれで大丈夫だろう」と家を出る。 外に出たら、駅の出口から出てきた人々が、何事もなくごくごく普通に行きかっている。 僕はよれよれの格好のままで人々と反対方向に歩いていく。
いろいろありながらかなり遠くまで移動し、正装すべき国連総会のような大きな会議場に行くにもよれよれの服を着替えることを忘れていた。 みすぼらしい格好で会議場に入った僕は、まるでゲストに呼ばれた難民のように、座席も与えられずにステージの下のスペースの床に座っていた。(寝転がったりもしていた) それなのに、議長役の人物やひな壇に並んでいる面々とは顔見知りか、むしろ僕の方が格上のようで、「なんだ、お前が(こんなくだらないことを)やってるのか?」みたいに声をかけている。
というような夢で、目が覚めてからもダメージが残ってしばらくは動けず、実際に経験したかのように鮮明な感覚だった。
克)はい、夢とはいえお疲れさまでした。 全部ではありませんが、夢というよりはあなたが地上に赴くときのことを追体験したということでもあります。 ですから、リアリティが半端じゃなかったのも当然です(笑) いろいろと差し障りがあるのでここでは夢の意味を全部は解説しませんが、気が進まない重要な役割を担って任地に赴くときに、宇宙船の仲間たちに見せたパフォーマンスというのかおふざけがあなたの持ち味・真骨頂であることを思い出していただく必要がありました。
地上のあなたもユーモアのセンスはあって冗談を言うのも好きですが、その一方であなたにはある種の厭世観がつきまとっていました。 そういう厭世観が引き寄せるものを夢でも見て、実際にも今までいくつも経験させられたのですから、今はもうそれを払拭して、もっと楽しさの持つエネルギーを自由に表現していくようにということでもあります。
あなたが書いた部分で言えば、出世・昇進によって自己確認ができてそれが嬉しい人たちも大勢いるのですし、その逆に出世・昇進の流れやシステムから外れているがゆえに自分の存在に自信が持てない人たちはもっと大勢いるのです。 そういう価値観・人生観に、違和感ではなく温かい共感を持ってこそつながりは形成されるのです。
とすればよれよれの服の意味も分かりますね?
意味は一通りではありませんが、あなたのようにありのままの自分に(無意識の)自信を持って生きることができる人間は少ないのです。 あなたは自分では全くそうは思っていないようですが、あなたは実は確固たる自信に裏打ちされて生きてきたのです。 それはあなたが唯物論者であったころから、実は一般の人たちよりも強く自分の魂につながっていたからでもありますし、別の言い方をすればあなたの魂のエネルギーはそれほどまでに強大だったということでもあります。
飯)はいよ。分かったからもういいですよ。 夢の翌日だったか、両手の肘の関節がわなわなする感じになって、胸のあたりもザワザワというかサワサワした感覚があった。 しばらくの間そういう違和感が続いたのだけど、それが治まってからは何だか気持ちが軽くて楽しさが増している気がする。 これはちょっと自分でも不思議な感じですよ。
克)はい、それはよかったです(笑) そういう気分で、都会の雑踏も賑やかさや華やかさとして楽しんでくださいね。 そういう中に身を置くことが楽しみであり、何よりのリフレッシュである人たちも大勢いるのです。 そういう人たちの日常や心や願いを思いながら、あなたもまたその一員になって楽しむことも意味のあることですよ。
飯)へーい、分かりやした。 僕も今年は年末の都会の賑わいを楽しむつもりでいます。(ほんとかなぁ?)
まあ、ともかく受信できてよかったです。 今回はなぜか受信モードになれなかったからね。
克)はい。 あなたが思っている以上にエネルギーの組み換えが進んでいますからね。 いろんなラインのエネルギーが交雑すれば受信はしにくくなります。 でも、あなたは気づいていませんが、「何なりと3分間」は私がインスピレーションでお伝えしたのですよ(笑) 嫌がっている人もいますが、どうぞ私に免じて、どんなことでも構わないので「3分間(以上)、自分が主役になってやろう」と思ってくださいね。
飯)なるほどね。 定例会のお知らせを書いていたら突然に思いついたからね〜。 いつもいろいろありがとう。
克)はーい、それではまた! (2015.11.25) |
25/11/2015(水) 18:13:24
No.13918 飯沼正晴 |
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ほとんどを今日の午後に一気に受信して、ざっと読み返しただけでアップしました。 入力ミスなどもあり、少し手直ししました。
「何なりと3分間(以上)」は無理強いはしませんが、今回の「愛は時空を超えて」も読んで、ポジティブに意識を動かしていきましょう。
自分の殻を破るためのパフォーマンスはとても大きな意味があると思いますが、全員がそうしなければならないということではありません。 何かについて自分の考えや思いを話すということでも構わないのです。 特技を披露することももちろんOKです。 文字通り、「何なりと」です。
あきどんさんのダンナさんは、午後4時ごろに篠山に到着されるようです。 なので、エネルギーの共鳴と乾杯のあとで始めれば、だいたいその頃までには終わっているかなという気がします。
「何なりと3分間(以上)」のコーナーの進行役、祐造さんにお願いしたいと思うのですが、祐造さんどうでしょうか? |
26/11/2015(木) 00:09:41
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No.13919 祐造 |
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飯沼さん 愛は時空を超えて130の受信、ありがとうございます。 「なんなりと3分間」、思ったより大きな意味がありそうですね。 みんなみんなで「自他にさらなる喜びをもたらす機会」にしていきましょう!
あきどんさん&だんなさんが参加されるそうで、楽しみです。 北海道と九州からって、すごいですね。 遠いところ、ありがとうございます。
進行役ですか…。 なんで僕なんだろうか? と考えてもわからないので、まぁいいか。 僕は今回お酒も飲むつもりですので、何を言い出すかわかりませんが、「それでもいいと星は言う」のであれば、やらせていただきますぅ〜。 |
26/11/2015(木) 01:41:43
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No.13920 飯沼正晴 |
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祐造さん、よろしくお願いします。 もちろん、お酒を飲みながらで構いません。 「それでもいいと金星木星さんが言う」かどうかは知りませんが、たぶん大丈夫でしょう(笑)
緻密な思いつき(どっちだ?)で進行役を祐造さんにお願いしようと思いました。 人前で話すのが苦手な人もいるので、進行役が「言うぞぅ」さんなら話やすくなるかと思って・・・? |
26/11/2015(木) 11:34:20
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No.13921 はる |
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お久しぶりです。 1年ぶりですが、定例会参加したいと思います。 雪が降らなければいいのですが・・・
人前で何かするのは苦手ですが、楽しい雰囲気になりそうですね。 |
26/11/2015(木) 18:43:32
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No.13922 飯沼正晴 |
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はるさん、お久しぶりです!
定例会(納会)、お待ちしています。 一緒にワサワサ、楽しみましょう! |
26/11/2015(木) 23:11:51
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No.13923 祐造 |
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「緻密な思いつき」、、、飯沼さんの持ち味ですね。 その意図をいつも全然理解できないのが、悲しき持ち味の僕(汗;)ですが、まずは楽しくやりましょうか。 よろしくお願いします。
はるさん、お久しぶりです! 楽しみです。 |
27/11/2015(金) 01:44:03
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