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No.12802 さき  
「テロとの戦い」は戦争 引用
戦争はごめんです。戦争反対、戦争は人殺し。
戦争で傷つくのは前線の兵士であり庶民です。
私はCENSOREDのも殺されるのもイヤ!!断固ごめんです。
威勢のいいことを唱えるエライさんはいつも安全な場所にいる。
題目のように「テロとの戦い」を唱えてる場合じゃない。
私はこの戦争に参戦しません!!

イラクもシリアもぐちゃぐちゃです。
でも安倍の言う「テロとの戦い」=米国追随はこれをさらにぐちゃぐちゃにすることでしかないと思います。
日本人はヒロシマ・ナガサキを忘れたのか。
とりかえしのつかない過ちを繰り返さない。

平和とは庶民が生きること。暮らしていけること。
安全に過ごせること。ご飯が食べられること。

イラクの人にとっても、シリアの人にとってもそれは同じ。
いや、地上の誰にとっても同じ。
平和を願います。
この国の庶民の一人として、きちんと言いたいことは言いたいです。


▼ドネのブログに紹介させてもらった情報です
↓↓
〇安倍首相もオバマも「テロには屈しない」というが、
肝心なのは「なぜテロ事件が頻発するか?」である
ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/010b4147a29ff3be184717e754950fc4
西谷文和さんのツイッターから

〇人道支援とは?
ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/1c0ab8cba9fe6325f0f1ffef3325ade9
「首相の『イスラム国と戦う』発言は不用意」イスラム学者・中田考氏

29/01/2015(木) 11:53:46


No.12803  飯沼正晴 E-mail
Re: 「テロとの戦い」は戦争 引用
悲惨な中東紛争の元をたどれば、第一次大戦時のイギリス政府やその後のアメリカ政府の責任は明白です。
第二次大戦後の強引極まるイスラエルの「建国」の影響は言うまでもありません。

「何がテロなのか?」についても、あくまでも欧米の側に立った本末転倒した解説が横行していると思います。
しかも「テロリスト集団」の裏には米英の諜報機関が絡んでいて、その裏には軍需産業の利益があって、武力攻撃の口実を作り、イスラム諸国の内紛を煽っているとも言われています。


とにかく、後藤さんが無事に解放されることを祈ります。

しかし、安倍晋三という人は凄いというのか何と言うのか、怖ろしいばかりの愚かさです・・・。

2人の日本人が「イスラム国」に捕縛されたのは昨年の秋でした。
そのことは日本政府は把握していたわけです。
その状況で安倍首相は今年の1月に中東諸国を訪問して、「イスラム国」と戦闘状態にある国々に対して2億ドルの資金援助を約束しました。

資金援助は人道支援とのことですが、「イスラム国」からすれば「敵の味方は敵」ということになってしまうのは十分に予測できることでした。
日本人が捕縛されている状況でさすがにそれはマズいんじゃないかと、外務省ですら難を示したという情報もあるようです。

しかし安倍さんは自分の考えを押し通し、それは当然「イスラム国」を刺激して、2人の日本人が人質として公開され、(背景に謎の多かった)湯川さんは処刑されてしまいました。

安倍首相は昨日も「卑劣なテロには屈しない」と発言しています。
それはそうであったとしても、後藤さんが人質として処刑されるかもしれず、しかも非常に微妙な交渉の最中にその国の首相が言う言葉ではありませんね。

例えば、凶悪犯が人質を取って何らかの要求をしている時に、責任者が「卑劣な凶悪犯には屈しない」と言えば、その影響は甚大です。
もしも人質が殺害されたならば、厳しく責任を問われるはずです。

幸か不幸か安倍首相の発言は「イスラム国」にも相手にされていないようですが、首相としての安倍さんの資質が見えてしまいます。
首相としてどころか、人間としてどうなのかというレベルです。

安倍首相は今回の件を契機にして自衛隊の中東派遣にも言及しているようです。
後藤さんが無事に解放されたら「安倍内閣が粘り強く努力したから」とアピールするのでしょうし、交渉に失敗したら国民世論に乗じて自衛隊を派遣してでも「テロリストとの戦闘」に参戦するという道を開くのでしょうか?

安倍首相の本音はどこにあるのかと思ってしまいます。

日本は中東諸国からは好意的に見られていたのに、小泉政権がイラク進攻をいち早く支持したあたりから完全にアメリカ追随になってしまいました。
数十万人のイラク人を殺りくしたと言われるイラク進攻の根拠が全くのでっち上げで、アメリカはもとよりイラク攻撃に参加した国々の首脳は進攻前にそのことを知っていたのです。

はっきり言ってこれは重大な犯罪です。

そしてイラクでは独裁者フセインの時代よりもはるかに多くの一般人が対立の犠牲になって殺され続けているのです。

日本は欧米とは違う立場で中東の平和に貢献することができたはずなのに、やはりアメリカの属国では駄目ですね。

それはそれとして、後藤さんが無事に解放されますように!

29/01/2015(木) 15:09:40

No.12804  さき
欧米の若者に向けたメッセージ  引用
※仏新聞社での事件を受けて

イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、欧米諸国の若者たちに対し、イスラムの真実について調べ、世界のメディアや政治家のイスラム恐怖症を広めるための騒動に屈しないよう求めました。
ハーメネイー師のこのメッセージの内容は以下の通りです。

ttp://japanese.irib.ir/news/leader/item/51540-欧米の若者に向けた最高指導者のメッセージ-ー-全内容

**************
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
欧米諸国の若者たちへ

フランスでの最近の事件、そして西側の他の国々での同様の出来事を受け、私は直接、これらの出来事に関して諸君に語りかけることにした。私が語りかける相手は、あなた方若者たちである。
それは私が、あなた方の両親を気にかけていないためではない。そうではなく、私はあなた方の国家や国民の未来があなた方の手の中にあり、あなた方若者の心の中には、真理を探りたいという感情が高まっているのを知っているためである。
私が語りかける相手は、政治家たちでもない。なぜなら、彼らは意図的に、政治と真理の道を分断したと信じているからだ。あなた方とイスラムについて話したいと思う。特に、あなた方提示されているイスラムの姿について。

この20年、特にソ連が崩壊した後、この偉大なる宗教を恐ろしい敵に見せようとするために多大な努力が行われた。恐怖や嫌悪を植えつけ、それを悪用する動きは、残念ながら、西側の政治史において長い歴史を有している。
ここで、私は西側諸国がこれまで植えつけてきた様々な恐怖症を取り上げるつもりはない。現代史の重要な出来事を一通り見れば、西側政府が、他の文化や国民に対して、不誠実で偽善的な態度を取ってきたという事実が分かるだろう。それらは新たな歴史の記述では削除されている。

アメリカとヨーロッパの歴史は、奴隷制を恥じ、植民地主義時代を不名誉とし、非キリスト教徒や有色人種への弾圧に苦しんでいる。あなた方の歴史学者は、カトリックとプロテスタントの名のもとに行われた流血、あるいは第一次、第二次世界大戦で国家や民族の名のもとに行われた殺し合いを深く恥じている。このような態度は賞賛に値する。

これらのリストを挙げることで、歴史を振り返るつもりはない。ただ私はあなた方に、有識者にこう尋ねてほしいと思う。なぜ、西側の一般の人々の良心は、何十年も経った後に目覚めたのだろうか?なぜ、遠い過去の良心に対する見直しは行われるのに、現在の問題については行われないのか?なぜ、イスラムの文化や考え方への対応といった重要な問題について、一般の人々が知識を習得するのを妨げようとする努力が行われるのか?

あなた方は、"他者"に対する根拠のない恐怖や嫌悪の拡大、侮辱は、圧制的な人々の利益のためのものであることをよく知っている。私はあなた方に、自分自身にこう尋ねてほしい。なぜ、恐怖や嫌悪を広めるという古い政策が、前例のない激しさで、イスラムとイスラム教徒を標的にしているのか?なぜ、世界の権力の構造は、イスラムの思想を脇に追いやり、覆い隠されたままとなるのを望んでいるのか? イスラムのどのような価値観や内容が、大国の発展を妨げ、イスラムのイメージを壊すことで、誰の利益がまもられるのだろうか?

私の第一の要求とは、イスラムのイメージを壊すための動きの陰にある動機を調べてみて欲しいということだ。第二の要求は、先入観を植え付け、人々を迷わせるための大量のプロパガンダや世論操作に対し、この宗教を直接的な情報によって知るよう努めてほしい。正しい理論から言えば、あなた方は、恐怖を植え付けられ、引き離されたものの本質について理解する必要がある。

あなた方に、私や他の人のイスラムに対する理解を受け入れて欲しいとは言わない。私があなた方に望むのは、今日の世界において、効果的な真理や活力であるイスラムが、先入観を伴って感情的にあなた方に提示されるのを許してはならないということだ。そして、彼らが偽善によって、雇い入れたテロリストをイスラムの代表者として紹介するのを許すべきではない。

イスラムに関する情報を、元来の資料から手に入れてほしい。イスラムに関する情報を、コーランや偉大なる預言者の人生から入手してほしい。あなた方には、直接、イスラム教徒のコーランを読み上げてほしい。
あなた方はこれまで、イスラムの預言者の教えやその人道的な原則について調べたことがあるだろうか?イスラムの預言者を、メディア以外の資料から理解したことがあるだろうか?

これまで、イスラムの価値観が、世界に最大の思想的、科学的な文明を作り出し、幾世紀もの間、最大の学者や思想家を育むことができたのはなぜかと、自身に問うたことはあるだろうか?私はあなた方に求める。根拠のない悪いイメージ作りが、あなた方と真実の間に感情的な溝を作り、あなた方から中立的な判断を下す可能性を奪ってしまうのを許さないでほしい。
今日、メディアの社会は地理的な国境を知らない。それでもなお、彼らがあなた方を、偽りのイメージの線引きによって囲むことを許してはならない。

誰も一人では、この空洞を埋めることはできないが、あなた方のそれぞれが、自分と自分の周囲の人に明らかにするために思想と公正の架け橋となることはできる。
このあなた方若者とイスラムの間の問題は望んだものではない。しかし、あなた方の好奇心に溢れた頭に、新たな疑問を作り出すことができる。それらの疑問への答えを見つけるための努力は、あなた方にとって、新たな真理を突き止めるための適切な機会を作るだろう。
そのため、イスラムについての純粋で正しい理解に至るための機会を失わないようにしてほしい。そうすれば、あなた方の真理へと向かう責任感により、未来の人々が、イスラムと西側の間の交流の歴史を、より明らかな良心と、より小さな苦しみによって見つめることができるようになるだろう。

セイエド・アリー・ハーメネイー
2015年1月21日

29/01/2015(木) 17:26:40


No.12797 エーチャン  
新しい希望 引用
数日前の一連の投稿で、言いたかったことを表現を変えて投稿させていただきます。

特に最初の投稿、そこで使った比喩の意味は表現の拙さ故、分かりづらかったのかと反省しております。また、その後のやりとりの中で、「ひょっとして飯沼さんはほんまは分かってるのに、分からん、分からんを連発しているんちゃうやろか」との疑念も湧いてきて、私も幼稚な人間ですからちょっと意固地になって、最初の比喩にこだわろうとした、こういう点は素直に謝りたいと思います。申し訳ありませんでした。

また、これから述べることが本当に正しいのかどうか、自分では間違っていないと思うのですが、あるいは誤解していたり、重要なことが分かっていなかったりということはあるかも分かりません。でも、自分が正しいと思ったことは、たとえ間違いを指摘されて恥をかくことになっても、はっきり言おうと思いました。恥をかいても、それはそれで勉強になるのだし、何より言いたいことを言わずに、後で後悔することの方がよほど問題だと思うのです。

前置きはこれくらいで、言いたかったことを述べたいと思います。


言いたいことの核心は次の通りです。

それは、地上の人間には、霊性の違いがある、そしてその相違は決して小さくないにしても、私たちが永遠に進化向上を続ける霊的存在であることに確信を持つことができれば、その違いは意味がなくなる、その違いを越える道が開けると言うことです。

あえてこの前の比喩を使わせていただければ、小学1年生もいずれ学びを進めて高校3年になるということです。(もちろん、これは比喩的な意味であって、実際には何度も何度も転生を繰り返しながらの成長です。あくまで、永遠の世界での話なのです。)

誰でも経験していることかと思いますが、社会で出会う人はそれこそさまざまで、ある人は温かさを感じさせ、親切、やさしい、またある人は冷たい、人のことなどお構いなし、このような違いがあることは分かっていても、なぜこういう違いがあるのか、という点については、分かっている人はきわめて少ないように思います。

私の場合も、悠々塾と出会うまではさっぱり分からなかったし、冷酷な事件を起こす人をテレビ等で見るにつけ、こういう人はいなくなればいいのに、などと思ったものです。(勿論、この違いは単に霊性の違いというだけでなく、今の地上の価値観のせいなどで歪んでしまったということもあると思います。)

そういう私も、だいぶ前に飯沼さんから送っていただいた天地悠々のバックナンバーや愛は時空を超えてを読み進めるにつれて、次第に分かってきたのです、この違いは霊的次元で捉えなおしてこそ、その意味が分かり、またその違いを超える術もあるということを。

(縦の意味での)霊性の違いといっても、いわば住む世界の広がりの差ということではないのでしょうか。「自分一人が全て」の人の世界に比べて、皆が繋がっていると分かっている人の世界の方が遙かに大きい、豊かである、そして何よりもよろこびも大きい、そういうことだと思うのです。

そして、もうひとつ、地上的視点からは、霊性の高い人というのは、何か先天的に恵まれている人と思えることもあるかもしれませんが、決してそうではなく、それだけのものを体験し、学んで、培ってきたということ、地上では、そういうことが全く見えないだけなのではないでしょうか。シルバー・バーチも、地上では不公平に思えることがあるかもしれないが、霊界に戻ると、不公平など一切ないということが分かると書いていたと思います。

このことを言い換えると、誰にでも霊性を高める道が開かれているということです、何より一度きりの人生で道が閉ざされてしまうのではない、学びは永遠に続くからです。

そういうことが当たり前のように分かるようになれば、誰もが進化・向上を求めたい、大きなよろこびを求めたいという願いを持つようになれるのではないでしょうか。そして、永遠の世界の住民であるという意識が高まってくるにつれ、今の自分の現状がどうであれ、それは関係ない、ただ一歩進みたい、少しずつでもよろこびを大きくしていきたいと素直に願えるようになるのではないでしょうか。これこそが、新しい希望、心を閉ざすことさえなければ、誰もが持つことが出来る希望だと思うのです。


以上なのですが、こう書きながら、こういうことは悠々塾の皆さんは当たり前のように分かっているのではないかとも思えてきました。一方で、やはり私としての限界故、誤解している部分もあるような気がします。でも、全く無駄という訳でもないと思うので、あえて投稿いたします。

最後に、やはり「愛は時空を超えて 41」(41は二つあるのですが、投稿No.5517の方です、)を読んで頂ければと願います。 

27/01/2015(火) 20:13:07


No.12798  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しい希望 引用
☆エーチャン、投稿ありがとうございます。

とりあえず、「愛は時空を超えて 41」をコピーしておきます。
とりあえずと書きましたが、実は今のタイミングでとても重要なメッセージだと思います。
このメッセージを再読する機会を与えてくれたことに感謝です!

ちょっと時間が取れないので、近いうちに私もコメント入れますね。
。。。。。。。。。。

☆☆ 愛は時空を超えて 41 ☆☆

         ――  霊界の克との対話  ――

飯沼) おーい、クゥ、こんばんは。

克子)はーい、まーたん、こんにちは。
はじめに今回も「先日の定例会における『(地の)岩戸開き』、おめでとうございます」と言わせてくださいね。

飯)はーい、ありがとうね!
皆さんと一緒にそう出来たようで、よかったと思ってる。
自分的には、実感としてはまだよく分からないんだけど、とにかくよかった(笑)
「地の岩戸開き」と「念」エネルギーの使い方が実は深く関連しているということはしっかり分かったしね。
特にさきさんには大きな変化が現れ始めているようだし、これからが楽しみだわ。

克)はい、こちらも楽しみにしています。
今回のことは、あなたが掲示板でも何度も解説を加え、「念」というものについての実地の体験も共有できたでしょうから、ここでは繰り返さずにおきます。
ただ、エーテルエネルギーというものと念のエネルギーはイコールではありません。
エーテルエネルギーは、念のエネルギーとしても使われているということです。
エーテルエネルギーは、いわば未分化の「エネルギー素」として、物質次元のあらゆるところに充満しているのです。
「エネルギー素」という表現をしたのは、それはそのままではただ「在る」だけで動きもなく、情報や目的も備えていないからです。
ですから、霊的エネルギーとは全く異質なエネルギーです。

非常に不十分な表現になりますが、あえて言うならば、霊的エネルギーは質であり、エーテルエネルギーは量としての性質が大きいのです。
使う者の思念や欲求次第で、いかようにでも使うことができるということです。
それは人間だけが使っているのではなく、地上のあらゆる生命体が使っているのです。
生命体以外の物質であっても、エーテルエネルギーを纏(まと)っていますが、この説明は省きます。
その意味では、物質界に存在しているものは全てつながっていると言えるのです。
それは不思議でもなんでもなく、エーテルエネルギーを素にして(使って)物質界が形成されたということです。

私とあなたが受信した「地上人類の歩み」にあるように、かつて、猿類から進化しつつあった「ヒト」とは別に、霊界から直接地上に赴いたムゥの「人」たちは、その初期においてはエーテルエネルギーによって物質化した肉体をまとい、必要な物質を思念によってエーテルエネルギーから合成していたのです。

当時のムゥは(地球霊界を形成した霊たちが織りなす)霊界の写し世(ミニチュア)として作られたので、さまざまな段階や傾向における霊性の違う者たちが住まう島国でした。
当初はやはり霊界と同じように、それぞれの霊性・霊的傾向によって棲み分けていました。
彼らは島の中央の美しい姿の山を中心として、等高線を描くように集落を作り、異なる霊性の者たちが入り混じることなく、霊的秩序による調和のもとに暮らしていたのです。
島の北側は荒地でしたが、それ以外のところに、霊性の高い者たちの集落から順に、同心円状に広がっていたのです。
霊界においては、今でも自分の霊性にふさわしい階層でそれぞれが棲み分けて暮らし、指導や学びのための交流はありますが入り混じって暮らすことはありません。
大いなる神はもちろんのこと、神々や高級霊になれば、必要な場合以外は霊体すらまとわず、意識そのものとして存在しています。
霊性による階層の違いは厳然たるものですが、それは地上で想像するような上下関係などではなく、ある意味もっと絶対的な違いがありながらも、柔和で調和そのものの美しい秩序です。

霊界、(ここでいう霊界とは当然ですが本来の霊界のことであり、幽界や暗黒界は含みません)、においては、霊的エネルギーが全てであり、その精妙さ・輝きの違いはあるにせよ、全ては摂理に沿った使われ方をしています。
エネルギーをより大きく深い愛・より精妙でスケールの大きな摂理に沿って使っていく学びこそが、霊界の住人が生きる意味なのです。
どんなに低い階層であっても、本来の霊界の住人は皆が、他の喜びを自分の喜びとして生きているのです。
ですから、他界した人の気持ちや願いが、地上に生きていたその人の延長上にあるかのように伝える「霊能者」は、「霊能者」自身の霊性の低さが妨げとなって、本来の霊界にはつながっていないということです。

「この地上に富(財産)を蓄えてはいけません。富は天に蓄えなさい。あなたの富(持ち物)のあるところに、あなたの心もあるのです」とイエスが教え、シルバーバーチ霊が「地上で財産を蓄えた者は、死後何らかの責任を問われる」と伝えているように、本来の霊界ではエネルギーを自分だけのために使ったり、集めることなどありえないのです。

本来の霊界のどんな傾向のどんな階層でも、それは同じです。
エネルギーの使い方が摂理に沿っているから、霊界には病もトラブルもないとも言えるのです。

今の地上界は、さまざまな学びの段階やさまざまな傾向の魂が混住しています。
学びの段階が異なるということは、地上でのエネルギーの使い方、つまりどう生きるかという目標が同じではないということです。
ですから、二人の人が同じ不完全な想念を抱き、同じ行為をしたとしても、魂の学びの段階が違えば、一人の人にはそれが病の原因になり、もう一人の人にはさほどの過ちではない場合も少なくありません。
地上の人間の魂の学びの段階の違いは、決して小さいものではないのです。
教師役もいれば校長格の霊もいますし、生徒も大勢いるのです。
今まではあなたもその差異をあえて小さめに認識しすぎていました。

飯)「ひふみ神示」に、「今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。」と伝えられているが、「上中下」というほどの違いがあるんだろうか?
僕は、「同じ物質の肉体に宿れるのだから、地上の人間はみな同じようなものだ」と思ってきたんだけどね。
もともとの違いよりも、地上でどれだけ自らの霊性を発現できているかの違いの方が大きいんじゃないかって。

克)そうですね。
それは「魂の学びの段階(素質)と発現の現状」というべきもので、地上ではそこがなかなか複雑ですからね。
そこに深入りしても、ほとんどの人には分からない話になってしまうので、ここではごく簡単にお伝えしておきますね。

「三段階」というのは、誤解を招きそうですが、ある意味では分かりやすい表現ですね。
魂とは意識であり、その学びの段階は「その魂が総て・全体のどこまでを意識できているか」に表れるのです。
もちろん、大いなる神の意識は「総ての全てを究極の細部に至るまで」であり、同時に「神は全存在」でもあります。
ですから、大から小まで、過去から未来永劫まで、存在の全ては神の中にあり、神の一部なのです。
話を変えましょうね。

まず、第1段階の魂は、相手や周囲の人たちへの共感が非常に薄く、同情心もあくまでも自分の側から抱くしかできない段階です。
相手の状況によってではなく、「自分が可哀想だと思う相手」が可哀想なのです。
自と他を置き換えて考えたり、相互性ということに実感が持てない段階です。
人の痛みや苦しみを感じ取ることができないのですが、それは麻痺しているのでもなく、遮断しているのでもなく、分からないのです。

その段階の人間はあらゆることを自分の側からしか考えられず、自分の側からしか思えず、自分の側からしか感じることができません。
その段階の人間にとっては、「自分が全て」なのです。
その人としてのかげりは当然あるのですが、だからといって、そういう人間がもともと邪悪だというわけではありません。
自分の側からの善意を高めきることによって、その人として十分に輝きを発揮することができるのです。
何かあったときに、「自分が間違っていた。自分が悪かったのだ」と素直に思えるかどうかから始めることになるでしょう。
その段階ですから、それで構わないのです。
もちろん、相手や周囲の人たちとの相互性に意識を広げていくことがその人にとっての魂の成長ですから、地上でのさまざまな経験の中でそれを目指すのです。

第2段階の魂は、「自分や相手や自分の直接的な周囲」が、その人にとっての(具体的・実質的な)意識の全体です。
今の地上ではそういう人が大多数ですね。
その人たちは本来ならば、自分が直接的に関わる相手や周囲の人のことを自分のことのように思いやって、不調和があれば調和に向かわせ、嬉しい関係を築き上げていくのです。
そして、もっと大きな全体にも意識を広げ、自分の周囲の人たちにしているように、手を差し延べ、喜びをもたらしていくのです。

この段階の人でも、心をかげらせ、無意識の内に念のエネルギーを歪めたことによって、人の痛みになどお構いなしに「全てが自分」の状態に陥ってしまう場合もあります。
しかし、その歪みが矯正されれば、すぐに別人のように豊かな思いやりを発揮し始めることになります。
そこが第1段階の魂と違うところです。

第3段階の魂は、文字通り「皆」が全体です。
本来の「全体」とは、マクロもミクロも含んで、しかもそれら全てはつながっています。
それでこそ、「皆」なのです。
そこにおいても、どこまでの「皆」を全体として意識できているか、自分を役立てようとするかによって、その魂の学びの進化度が表れます。

しかし、地上でその魂の全てを表現できる人は皆無でしょう。
学びの段階の浅い魂にもそれなりに制約はあるのですし、学びの進んだ魂ならば大きく意識の次元を下げなければ、地上のありように馴染むことすら難しいのです。
そしてそれぞれが、過去世のカルマや課題に照らして必要な幼少期の設定や、その後の人生に起きる事柄が計らわれていきます。
どんな学びの進んだ魂であっても、肉体を持った人間としての意識の層がありますから、それ相当に傷ついたり、心をかげらせたり、頑なになったりもするものです。
それによって、さらに本来の自分の魂にふさわしい考え方や感じ方や言動ができなくなってしまう場合も珍しくはありません。
それに加えて、幽界や暗黒界からの影響を受け、地上のかげりのエネルギーの影響や関わる人間の想念の影響も受けているのですから、実際にはさらに複雑になっています。

ですから、その人の今や今までを見て、その人の魂の進化の度合いを判断することはできませんし、それは人間がすべきことでもありません。
ですが地上には、大きく分けて3段階の進化の程度の魂が同じ人間として混住していることは事実です。

そして、これは例外も多々あるのですが、概していえば、今の地上では霊性の低い者たちや自らの霊性を閉ざしている者たちの方が、地上的な物的エネルギーに馴染みやすく、大きく使うことができているのです。
地上人類の役割は、物質次元の地球という星を、神の御心(摂理)に沿った秩序に調和していくことです。
凝集の方向性を持った物質を、神に向かって解放された意識によってコントロールし、意識が物質を解放していくこと。
それによって、物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。

これは地球という星が誕生した時からの神のプログラムであり、人間がいかに抵抗しようとも、最終的にはそのプログラムが実行されることになります。
今のように、地上のいたるところで物質や金銭をめぐっての格差が広がり、物質や金銭が人々の心を極めて不自由にしてしまうことも、当初から織り込み済みの計画でした。
そして、今、物質や金銭による支配が最終段階に入りかけたこの時に、あなたがた人間がどうしていくのかが問われているのです。
言うまでもなく、あなた方の魂はその答を知っているのですし、絶えずあなたがたに働きかけているのです。

話を「念」に戻しますが、「何がなんでも自分の思い通りに」という、躊躇のないストレートな念は、大量のエーテルエネルギーを取り込んで使い、欲求を実現させていきます。
今の地上界は、主にそういう霊性の低い者たちによって支配され、「我よし」の秩序が形成されています。
そういう現状ですから、相手や人の痛みを自分の痛みとして感じ、「自分も相手も皆も幸せに」と願える者たちが、今の世を牛耳っている者たちをはるかに凌駕するエーテルエネルギーを取り入れ、使いこなしていかねばなりません。
霊的エネルギーと欲求(念)のエネルギーが融合してこそ、自分にも皆にも嬉しい物質世界が実現するのです。

念のエネルギーは、本人が全く意識できていない使われ方をする場合もよくあります。
ほとんどの人が、幼い頃の境遇や抑制してきた思い(反感)によって、無意識の内に念エネルギーを歪んだ使い方をしてしまっています。
それが実際の病の原因になったり、トラブルや人間関係の軋轢になっている場合が非常に多いのです。
病もそうですし、健やかではない、どこか不自然な表現には、その人の歪んだ念が使われていると考えてよろしいでしょう。
これは直接ヒーリング・カウンセリングや、一定期間の遠隔ヒーリングを受け、アドバイスのメッセージを受けることで、今のうちに是非とも解消していただきたいと思います。
それが無理な人は、自分のエーテルエネルギーの取り入れ量を大幅に増やし、それを自分にも相手や皆にも嬉しいように使おうと、ひたすら念じながら、実際にそうしていくことです。

それでこそ、ひとりひとりの「地の岩戸開き」となるのです。
霊的エネルギーと地上的な欲求(念)のエネルギーが融合すれば、今のあなたがたには想像もできないような地上界が形成され始めるでしょう。
病や物質や金銭をめぐる格差や不安や、人間関係のトラブル、社会の矛盾も全てが喜びに昇華していくのです。
地上界の浄化に伴う激変が、地上の人々にとっては大きな艱難(かんなん)となる可能性が高い現状です。
私どもは、今こそあなたがたが目一杯に自らの霊性を開き、同時に物質や現実に直接作用するエネルギーをどこまでも高めて、喜びの中で新しい地上界を構築していっていただきたいと強く願っています。
あなたがたがその役割を果たすことを強く意志し、それを自らの喜びとして意欲と欲求としていくならば、私ども霊界側は援助を惜しみません。
今の時点ではそう思えない人は、その人なりの歪んだ念が妨げになっているからだと思ってください。
その念こそを本来の使い方に戻していく時期なのです。
どうぞ全ての人が心を響かせあい、手を携えて、新しい地上界を作り上げてくださいますように。

飯)はい、お疲れさま。
掲示板にも書いたけど、先日の定例会の翌日に、さきさんが実際にはそこになかった「地楽」というお酒のビンを確かに見たことの意味はなんなのだろう?
「天楽」というお酒は実際にあったんだけど、「地楽」は5年前にすでに製造休止になっていて、その場になかったことは間違いない。
さきさんの思い違いかと思ったが、話を聞けばそうではなかったことも明らかだ。

克)あれは、さきさんが見ただけではなく、実際にその場にあったのですよ(笑)
残念ながら、物質化が不十分だったので、さきさんにしか見えなかったのも事実ですが、さきさんは見ただけではなく、実際にそのビンに触れています。
以前にお伝えしたように、さきさんは高い次元の霊界にも共鳴できていますし、地上的なエネルギーもとても強い人です。
しかも、地上的にも「喜びの人」ですから。(笑)

そのさきさんには、高千穂で「地の岩戸開き」の神事(かみごと)とを担った(魂の)喜びと、定例会での自分としての喜びが共鳴していました。
そしてその喜びが、定例会の時のエネルギーの取り入れや共鳴等によって、さらに融合して高まり、不完全ではありましたが物質化現象を起したのです。
まあ、今回は「地の岩戸開き」のお祝いに「地楽」のお酒という、霊界側の計らいという面も強かったのですが、さきさんが自信のなさを少し払拭し、物質を求めることへの制限も少し薄くできたことによって成立した現象でした。
さきさんはもともと念のエネルギーの使い方の歪みが少なく、修復も早い人です。
自分としての物質への執着もほとんどありません。
むしろ彼女の場合は、物質への欲求の制限が身に染み付いていることの方が問題でした。
それが多少解消されたことで、エーテルエネルギーを使っての物質化がしやすくなったのです。
緊張は禁物ですが、これからもおおらかに挑んでいってくださいね。
あなたがたの場合は現象を起こすことが目的ではなく、あまねく与えていくことが目的ですから、さきさん自身がもっとおおらかに与える(振舞う・奢る)ことに慣れたほうがよいでしょう。

悠々塾は地上界の雛形ですから、さまざまに得意分野を持つ人たちが配剤されています。
さきさん以外にもこのような現象を起こすことのできる人はすでにいるのです。
霊的エネルギーとエーテルエネルギーの融合による、奇跡のような病の治癒と両輪になっていってくれることを願っています。
それでこそ、実際的に地上界の霊性進化のけん引役の役割を果たしていけるのです。
そのためにも、ひとりひとりの念の歪みを矯正し、健やかな喜びの実現のために、限りなく使っていっていただきたいのです。

飯)はいよ、ありがとうね。
今回は僕の出番がなかったけど、大事なメッセージだったと思う。
なんだか楽しみだ。

克)はーい、まーたん、お疲れさまでした。
(2009・4・15)

27/01/2015(火) 21:34:50

No.12799  さき
Re: 新しい希望 引用
エーチャンさん、ぬまさん
愛は時空を超えて41を読む機会をいただきありがとうございます。
今日、今月の悠々通信のはじめに、を書いたのですが、
テーマが重なっていてびっくりしました。
この下に貼りつけます。

編集後記的にも書いたのですが、天地悠々に掲載されてきた克子さんのメッセージも、ぬまさんの愛は時空を超えても、霊的真理のエッセンスが満ちています!
いつか出版できたらと夢想してしまいました!

**********
はじめに

霊的ヒーリングの説明でよく
「ヒーラーは道具であり、通路である」と言われます。
自分なりの感情を卒業する、
自分をなるべく薄くすることでよりよい道具になることができる。
「自分の気持ち」(我よし)ではなく「人としての理性」(自分も皆も幸せに)
を自分の軸にしていくことで霊界側の道具として役立つことができる。
ヒーリングエネルギーの通路となり病者さんに注ぐことができるのだと
15年余り前に初めて定例会に参加した時に聞き、なるほどと思ったのをよく覚えています。

それはスピリチュアルヒーリングの基本中の基本なのでしょう。
悠々塾につながる私たちがこれまでずっと
「皆も自分も幸せに」「かげりを光に、不調和を調和へ」と心を動かし、
共鳴を続けてきたのはまさにそのため、
霊界側の通路・道具になるため、でもあったと思います。

新年早々、飯沼さんとエネルギーの話をするなかで、
2004年8月の天地悠々から連載された
「統合・調和への道〜意志と欲求の一致」を読み直しています。
テーマは霊的次元のエネルギーと地上的次元のエネルギーの統合・調和。再統一です。

地上の誰もが、
霊界からあまねく注がれている霊的エネルギー(縦のエネルギー)と、
地上的・物質的なエネルギー(横のエネルギー)の、
双方の影響を受けています。
地上だから当たり前とはいえ、この地上的・物質的なエネルギーの影響は甚大です。

地上人類は今、この地上的・物質的な次元に影響され、
がんじがらめに縛られてしまっているのだと思います。
人類が縦のエネルギーを忘れてしまい、
「霊主体従」の真理から遠ざかり続けたが故に、
横のエネルギーばかりがこの地上で幅をきかせているのだと思います。
物質(金銭)偏重、損得と強いもの勝ち、我よしの価値観がはびこるなかで、
私たちはその重みに縛られ、影響され、自分自身を苦しくしています。

そのくびきを解き放つために
「霊主体従」の縦のエネルギーラインを取り戻すことは不可欠です。
と同時に、ヒーラー自身が横のエネルギーを意識し、
同次元のエネルギーを使い、
影響を与え、作用させることが求められているのだと思います。
それは「霊界の道具になること」こととは全く別のエネルギーラインであり、アプローチです。

縦のエネルギーと響きあう、横のエネルギーを使い、形にすることです。
地上次元・物質次元における健やかさと喜びを顕現することです。
それは地上次元に共鳴する、地上の人間だからできることです。
飯沼さんが獲得しダウンロードしようとしているヒーリングエネルギーとも重なります。

天地悠々を読みながら、
それは克子さんが伝え、克子さんがやろうとしたことでもあるのだと思いました。
克子さんとの絆を感じて涙がでました。
今年は20年をむかえた悠々塾のエネルギーが大きく変わる節目の年かもしれません。
皆さんとの共鳴のなかでここまで来ることができました。
喜びの共鳴のなかで共に歩んでくださいますよう。

27/01/2015(火) 23:18:21

No.12800  飯沼正晴 E-mail
Re: 新しい希望 引用
エーチャンの言わんとしていること、おおよそは分かったように思います。
そして私の考えは今までの私のコメントでおおよそは書けているように思いました。

やはり私は、地上の人間には「霊性の高さ・低さ」を判断できない」という気がしています。
もちろん、「違い」があることは分かるのですが・・・。

以前、スピリチュアルが流行った頃、そのブームに乗った人たちが「あの人は霊性が低い」と安易に口にしている様子が私は大嫌いでした。(もちろん、エーチャンはそういうレベルで発言しているのではないことは十分に承知しています)
霊性の高さというものはやはり「地上の人間には分からないもの」でよいような気がしています。

自分よりも格段に霊性の高い人の霊性については、実は分からないのですし、それが分かるということはその人自身が一定以上の霊性を開いているということでもあると思います。
そして霊性の高い人間は「あの人は霊性が低い」とは言わないはずなので、そうしてみれば霊性の高低についてまともに分かる人間・言葉にする人間は極めて少数になると思うのです。

地上における霊性というものは、喩えてみれば素質や資質のようなものではないでしょうか?

であるならば、喩えて言えば、野球の選手が長い選手人生の中で、その人に備わった素質を開花させるようなものなのかもしれません。
素質に恵まれ、努力もすれば、それなりにその素質を発揮できる場合が多いと思います。
早くから素質を発揮している選手もいれば、選手生活の晩年になって素質を大きく開花させる選手もいるでしょう。

しかしどういう選手でも、例えば日本シリーズなどの短期の期間にその人の素質を十分に発揮できるかどうかは全く分かりません。


魂は永遠の学びを続ける存在であって、そのなかで地上人生とはあまりにも短い期間であるのです。

打率10割の打者でなければ、素質がないから日本シリーズで十分な働きができない選手もいれば、素質があってもさまざまな条件もある中での短期シリーズであるから不振なままで終わる選手もいると思うのです。

同じように、地上人生のさまざまな場面で、自分の霊性にふさわしい言動ができないにしても仕方がないように思います。

そして、霊界においては考える余地もなく当たり前のことを地上でもしていこうとすることが地上人生であるのです。
地上が幼稚園レベルだとしたら、本来の霊界は小学校・中学校・高校・大学やそれ以上の階層です。
そうでありながら、皆が地上に再生できる要素(つまり幼稚園レベルの課題を抱えているか、稀には幼稚園の園児を指導できなかったという課題)を持つ者たちばかりの世界なのです。


話を戻しますが、地上レベルの基準では、地上のどんな人間も霊界では10割打者だということです。

しかし、実際にさまざまな条件のかかる短期間の地上人生で、霊的には幼稚園レベルの全ての場面で自分の霊性にふさわしい言動ができる人間はいないと思います。

それほどまでに地上という世界で自分らしい霊性を発揮していくことは難しいのでしょう。

地上は、霊性といういわば縦のラインと欲求という横のラインが両軸となって二律背反のように、しかも複雑に錯綜しているからだと思います。

つまり、そういう地上で「霊性」というラインに重心をおいて物事を考えることそのものが、ある種の偏りになってしまう可能性もあると思うのです。
実際問題として、大多数の人たちは霊性というラインをあまり意識することもなく、欲求のラインで地上の日々を生きているようにも思います。

しかし、同時にどんな人の心の中(奥底?)にも、神の分け御霊を戴いた魂としての絶対的な意識・エネルギーが存在しているのです。

地上という世界の現状はそういうところなのだと思います。
そして私はそういう現状について評論する立場にないと思っています。
それよりも、より多くの人たち〈すべての人たちにと願いながら)霊として・地上の人間としての喜びを提供し、そこに向かう手助けをさせていただくことを優先したいと思います。

どうやらそれが霊としての私の喜びであり、地上の人間としての私の欲求であるように思います。

地上人生は野球の短期シリーズのようなものか、アドリブの多い演劇のようなもののようです。
10割を目指しながらもせいぜい3割もヒットを打てれば上出来ですし、完璧な舞台をと思っていても、シナリオ自体は完璧でも実際には自他ともにアドリブだらけで完璧はあり得ないのですから、それを受け入れた上で打ち上げ〈反省会?〉を楽しみにしながら、そして今そのものを楽しみながらやっていきたいものです。

長くなりますが、さきさんがコピーしてくれた97年のメッセージをもう一度コピーします。

**************
反対側にいる人たちの心を知らねばならなかった。
理屈抜きで、どうしようもない心でいる人たちのことを。
信じる信じないということだけでなく、自分で自分の心を変えたり、動かしたりということのできない人たちがいる、ということを。
まだまだ多くの人たちはそういうレベルにいる。
あなた方が働いている地上は、そういうレベルの世界であるのだから。
それを実感せずにはその人たちに合わせたエネルギーを通すことはできない。・・・・
・・・・意識はそのままに(あなた方の意識レベルはそのままで)、関わる者たちに合わせたエネルギーを通そうとすることである。
・・・・共感・共鳴とはそういうことである。
引き上げてあげようなどというのは、今のあなた方にとっては驕りに過ぎない。
彼らに合わせなさい。
彼らのレベルを思い、そこに合うエネルギーを通しなさい。
百人いれば百通りのエネルギーが必要となるはずである。
しかしあなた方は、それに共通する、それら全てを含むエネルギーを通すことができるはずである。
それは彼らなりの喜びのエネルギーである。
百人に百通りの喜びがあるのなら、それらを含む全ての喜びのエネルギーを通せばよいのである。
それがあなた方の言う、全的なエネルギーであるはずである。
全てを受け入れ、全てを与えるとはそういうことである。
*************

当時から最近まで、私はこのメッセージを受け入れるということ自体が傲慢なことだと思って、ずっと抵抗してきたように思います。
それは今でもそうなのですが、霊性というラインではなく、欲求というラインで把握すれば何の抵抗もなく受け入れることができるし、まさにその通りだと思えました。

この時期にこのタイミングでエーチャンからのコメントをもらったことは、まさに導きと計らいであると思います。
まだどこか躊躇もあった私自身の意識・思考の後押しをしてもらった気がしています。

エーチャンからのメッセージ、しっかりと心に刻んで進んでいきます。
ありがとうございました!

28/01/2015(水) 13:36:21

No.12801  エーチャン
Re: 新しい希望 引用
飯沼さん

コメントありがとうございます。実は、「新しい希望」と題した投稿、そんなに長くはないのですが、書き終えるのに四-五時間かかりました。ともかく丁寧に書かねばと書き進めたもの、こんな事飯沼さんは当たり前のように知っているはずで、それこそ釈迦に説法ののようなことをしてるのでは、と何度も書いては直し、書いては直しの繰り返しでした。

一般的に言って、地上での霊性の違いは、確かに誰にも分からないと思います。私の場合もじぶんがどうなのかすら分からないのに、人のことなど分かるはずはありません、と言いながら矛盾するようですが、以前の投稿で書いた「飯沼さんの霊性は高いと思います」というのは、やはり間違っていないと今でも思っています。私なりの根拠があるからです(それはすでに書きました)。例外的に誰が見てもこの人は霊性が高いと感じさせる人はいるように思うのですが、一般論としては、誰の霊性がどうの、ということはまず分からないし、議論すべきではないことだと思います。

霊性の違いは歴然とあるにせよ、誰もが永遠の成長を続ける同士である事に変わりはない、そのことが当たり前のように分かれば、相手に向かって「おまえは程度が低い」などと決めつけ、相手の心を頑なにさせるのではなく、「どうすれば、どう言えば、あいつの心が動くのだろう」そういう形で接することが出来るようになるのではないでしょうか。

限られた時間しかない地上では、人間はそんなに変われるものではないかもしれない、でも変わるため、進化・向上のために地上に来ているのは間違いないし、であれば、相手を決めつける物言いは、間違いの中でも一番大きな間違いだと思うのです。(誤解のないように言いますが、飯沼さんがそういう決めつける物言いをするというのではありません。)ちょっと論点がずれたかも分かりませんが、私の今回の投稿の根本には、そういう思いもありました。


それにしても、今の地上で生きるって本当に難しいですよね。私もエラそうなことを言いながら、過去を振り返ってみると、やはりこういう決めつけるような物言いをしたことがあります。今になってようやくその間違いに気づけてきたようです。

多分、分かる人は何も霊性の違い云々を持ち出さなくても自ずと分かるのでしょうが、私の場合はそうではありませんでした。重要なことに気づけたのも、飯沼さんと克子さんのコンビで届けて下さった天地悠々」と「愛は時空を超えて」のおかげです。

改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

28/01/2015(水) 22:55:17


No.12796 飯沼正晴  E-mail
アンタ、ナニ様? 中東を無茶苦茶にしたアメリカがよく言えるものだ! 引用

◆イスラム国殺害脅迫 米国務省、人質交換に否定的見解表明「テロ犯に譲歩なし」

産経新聞 1月27日(火)9時4分配信


【ワシントン=加納宏幸】米国務省のサキ報道官は26日の記者会見で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が日本人の人質、後藤健二さん(47)の解放の条件にヨルダンで収監されている重要テロ犯、サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を要求していることに関し、取り沙汰されている人質の身柄交換に否定的な見解を示した。

 身柄交換についての見解を問われたサキ氏は、「米国はテロリストに譲歩はしない」と述べた。

 米政府は昨年、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンに拘束されていた米兵ボウ・バーグドール氏の釈放と引き換えに、収監していたタリバン幹部5人をカタールに移送した。サキ氏は「バーグドール氏は米軍の一員であり、捕虜として拘束されていた。状況は(今回と)完全に異なる」とした。

 一方、米政府からヨルダン政府への働きかけに関しては、「外交上のやり取りに関し、詳細は明らかにできない」と述べた。また、イスラム国が公表した湯川遥菜さん(42)の殺害場面とする画像について「米情報機関は映像を疑う理由はないとしている」と語った。

27/01/2015(火) 11:18:43



No.12792 飯沼正晴  E-mail
一昨日の定例会 引用

定例会に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

今月は、量子論の研究者であるHさんにお話ししていただきました。
専門家がど素人に短時間で説明することは非常に難しいことですが、Hさんは最大限に分かりやすい言葉で話してくださったと思います。
それでも難しく感じた人もおられたようですが、もともとが数時間のレクチャーで理解できるようなものではありません。
なので、「よく分からない」で構わないと思います。

「物質というものは、電子レベルのミクロの状態では、粒子(物質)でもあり、波動(エネルギー)でもある」ということを分かっていただければ、それでよいのだと思います。
そして、「ミクロでの状態(波動であり粒子である状態)と、通常の物質としての状態の違いが、なぜあるのか?」については諸説あるものの未だに分かっていないということです。

しかし、私たちの肉体にしても、ありとあらゆる物質にしても、その最小単位では波動(エネルギー)でもあるのですから、その集積によって形成されている肉体も物質も、波動体(エネルギー体)でもあるはずです。

そして、「観測者の意識が対象(量子)の状態に影響を与えるのかもしれない」ということも非常に重要なポイントだと思います。

量子物理学でも諸説あって、未だ混沌としているのでしょうが、量子物理学が解明しようとしている真理の方向性は明らかであるように私は思います。

それは「意識(心)が物質(肉体を含む)に影響を与える」ということであり、さらには意識(心)と物質の融合」であるような気がしています。

これは心のエネルギーによるヒーリングや地上人類の次の段階に向けての極めて重要なポイントだろうと思います。
頭で理解できなくても構わないのですが、そういうことについては知っておいていただきたいのです。


2部ではHさんとの話に没頭して、他の皆さんとお話しできずに残念でした。
しかし、せっかくの機会を逃したくなかったので、今回はお許しください。

Hさんはけっきょく泊まられて、翌日の夕方までいろいろと話していました。
もしかしたら3月の定例会にも参加してくださるかもしれません。

私は彼に大きく期待するものがあり、お互いに影響を与えあいながら、それぞれのテーマを成し遂げていきたいと思っています。

Hさん、皆さん、ありがとうございました。

26/01/2015(月) 10:26:55


No.12793  さき
Re: 一昨日の定例会 引用
ぬまさん、皆さん、定例会お疲れ様でした。
Hさん、ありがとうございました!

自分の存在って何だろうと考えてきて「少なくとも物質(質量)だよね」と思い至って物理や量子論にも関心を持っていました。
素人的に、そこに本当のことがあると直感したということ以上でも以下でもありませんがずっと関心がありました。
とはいえ大学者・研究者のなかでも様々な解釈や立場があるなかで乱暴に言えばそもそも素人の自分が理解できるわけないとも思ってます。
一昨年Hさんにお会いする機会を得たこと、今回こうして定例会で再会できたこと、お話を聞かせていただけたことにホントに感謝です。

肝心の内容についてうまく伝えられないのですが、素人の私たち相手に丁寧に心を込めて話されるHさんの誠実なお人柄をすごく感じました。
二部でも参加された皆さんの質問を受けながら、ライブあり、猫の乱入もありのなか、わいわいと一緒に楽しい時間を過ごしました。
夜も話がはずんで、時間の経つのが早くてびっくりするくらいでした。
夜から翌日の話のなかでは科学的立場、科学とは何かということを考えさせられました。
Hさんまたお話ししましょうね!

意識(心)が物質(肉体)に影響を与える、作用する。
本来あたりまえにその力を作用させることができるはずなのだと思います。
ということをヒーリングで形にしたいです。
皆も自分も幸せに。
誰もが生きててよかった、生まれてきてよかった、と感じられる社会であってほしい。
私自身の求めであり願いです。

26/01/2015(月) 14:16:57

No.12794  飯沼正晴 E-mail
Re: 一昨日の定例会 引用
>肝心の内容についてうまく伝えられないのですが、素人の私たち相手に丁寧に心を込めて話されるHさんの誠実なお人柄をすごく感じました。
二部でも参加された皆さんの質問を受けながら、ライブあり、猫の乱入もありのなか、わいわいと一緒に楽しい時間を過ごしました。
夜も話がはずんで、時間の経つのが早くてびっくりするくらいでした。
夜から翌日の話のなかでは科学的立場、科学とは何かということを考えさせられました。
Hさんまたお話ししましょうね!<


全く同感です!
Hさんのまじめで誠実なお人柄、皆さんが感じておられたようですね。
しかも意外と気さくでいくらでも話をしていたいぐらいでした。
藍子さんなどは、Hさんが自分と同い年だと分かって、ため口になっていました(笑)

定例会の夜は、気がつけば朝方の4時半になっていました。
翌日も夕方までずっと話していましたね〜。
日曜日に昼ご飯を食べに来た藍子さんたちが帰る時に、Hさんも一緒に玄関に送りに来ていたのが面白かったです。
藍子さんは、「なんか普通に居候さんのようになってるなぁ・・・」と嬉しそうにつぶやきながら帰りました(ほんとに失礼な娘ですみません・笑)


優れた量子論の研究者の多く(一部かも?)が、(言葉の表現はさまざまでも)愛について語っているのは決して偶然ではないと私は思っています。
超ミクロな次元で物質の本質と意識(心)が相関性を持っている可能性を視野に入れながら純粋に真理を探究していれば、あらゆる空間にも瀰漫している愛という真理にもつながっていくのではないかと思うのです。

その意味でも、豊かな感性と愛を内在させているHさんは、画期的な研究を成し遂げる素質を備えている人だと感じました。
(「また偉そうなことを言う」と苦情が来るかもですね・笑)

Hさん、本当にありがとうございました。
こんな場、こんな者ですが、是非またいらしてくださいね!

26/01/2015(月) 16:12:26

No.12795  藍子 ホームページ
Re: 一昨日の定例会 引用
定例会ではお世話になりました。

Hさん、お話聞かせていただいてありがとうございました。
本当にお人柄が良くて、つい同い年というその一点の親近感でもって、
とてもとても馴れ馴れしく接してしまいまして、大変失礼をいたしました。

私は心は使って生きてきたとしても、頭はなるべく使わないように生きてきたもので、
一部のお話は難解なこともありましたが、今まで触れることもなかった世界のお話をじかに聞かせていただいて、
面白かったです。

心の世界と物質の世界の融合というか、すり合わせ、というか、もっといろいろ聞きたかったし、話したかったです。
「まあ<意識>というものを持ち出さなくてもいいのではないか」というところで止まっている物質の世界に、
「意識は物質を凌駕する」という仮説を立ててほしい!という希望があります。


二部や次の日のお話も、本当にもっといろいろ聞きたかったです。
何かひっかかるものが私も残ってるようで、次来て下さるなら、質問を考えておきたいくらいです。


篠山に昔の書生さんのように馴染んでらっしゃる姿、とても嬉しかったです。ぜひまたお会いできますように。

今後のHさんの活躍、楽しみに応援しています。
本当にありがとうございました。

27/01/2015(火) 08:53:23


No.12784 さき  
天地悠々のメッセージ 引用
エーチャンとぬまさんのやりとりを読んで、思うことがありました。

ぬまさん
>地上は2種類のエネルギーラインがあり、ひとつは摂理に沿った霊性進化の意志のライン、もう一つは自分としての自由意志・欲求のラインです。<
この「自分としての自由意志、欲求のライン」というのが今の関心とテーマで、この間「意志と欲求の統一」を読み直していたのですが、当時の「天地悠々」(2006年1月)に再掲されていたメッセージです。
97年のぬまさんと克子さんへのメッセージです。

**************
反対側にいる人たちの心を知らねばならなかった。
理屈抜きで、どうしようもない心でいる人たちのことを。
信じる信じないということだけでなく、自分で自分の心を変えたり、動かしたりということのできない人たちがいる、ということを。
まだまだ多くの人たちはそういうレベルにいる。
あなた方が働いている地上は、そういうレベルの世界であるのだから。
それを実感せずにはその人たちに合わせたエネルギーを通すことはできない。・・・・
・・・・意識はそのままに(あなた方の意識レベルはそのままで)、関わる者たちに合わせたエネルギーを通そうとすることである。
・・・・共感・共鳴とはそういうことである。
引き上げてあげようなどというのは、今のあなた方にとっては驕りに過ぎない。
彼らに合わせなさい。
彼らのレベルを思い、そこに合うエネルギーを通しなさい。
百人いれば百通りのエネルギーが必要となるはずである。
しかしあなた方は、それに共通する、それら全てを含むエネルギーを通すことができるはずである。
それは彼らなりの喜びのエネルギーである。
百人に百通りの喜びがあるのなら、それらを含む全ての喜びのエネルギーを通せばよいのである。
それがあなた方の言う、全的なエネルギーであるはずである。
全てを受け入れ、全てを与えるとはそういうことである。
*************

>・・であれば霊的学びの現状や段階よりも、「自分が霊的に向上することを願う」という「方向性」において共鳴できればそれで十分なのだと思います。<

地上にいるということ自体、その程度の未熟な霊だということですし
ぬまさんのコメントはその通りだと思いますが、
同じ地上の人間というだけでは語りきれないこともあるように思いました。
違うものは違う。違うものは違うのですから。
ありのままにその前提に立ってこそ共鳴できることもあるように思います。
エーチャンが「霊性の違い」と書かれたのはそういうことなのかなと思ったりしました。
勝手に思ったことですのでズレてたらすみません。

なんにしても喜びを与え、喜びを注げばいいんだよね。
自分としての自由意志、欲求。自分としての喜び。
その共鳴があればこそ、全てを含むエネルギーを通すことができる。
ということの意味がリアルに伝わってきます。
克子さんの受信の内容ってすごいなと今更ながら感心、というより感動しています。

23/01/2015(金) 10:13:16


No.12785  飯沼正晴 E-mail
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
はい。

エーチャン抜きで話を進めるのもナンですが、
さきさんが転載してくれた、霊団からの昔のメッセージはよく覚えています。
というよりも、97年に受信してから(受信させられたという感じですが)、自分の意識にずっと引っ掛かったままでした。

何かあるたびにはっきりと意識に浮き上がってくるメッセージだったのですが、「分かってはいるのだが」いう感じで、ずっとやり過ごしてきたのだと思います。

「そうはしたくなかった」というのか、「そうはできなかった」のだと思います。

その理由は(前にもちょっと書きましたが)、「苦しい中でも不条理に抗して闘い続ける自分」というものを手放せなかったからだと思い至りました。
そろそろそのある種の囚われからも卒業の時期なのでしょうね。
実際に。

23/01/2015(金) 10:35:14

No.12787  エーチャン
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
さきさん、コメントありがとうございます。

>> 違うものは違う。違うものは違うのですから。
> ありのままにその前提に立ってこそ共鳴できることもあるように思います。
> エーチャンが「霊性の違い」と書かれたのはそういうことなのかなと思ったりしました。
> 勝手に思ったことですのでズレてたらすみません。
>

私が思ったのはそういうことです。言い方を変えると、違いがあるのに、それが分からない、あるいは無視すると言うことでは、本当の共鳴って出来ないのではないでしょうか、違いがあるのが分かった上でこそ、違いを超えることも出来るのではないでしょうか。

その上で、もう一言付け加えますと、高校3年生と小学1年生を比喩に使ったのも理由があります。小学1年生もいずれ、学びを進めて高校3年生になるのです。であれば、小学1年生と高校3年生という、ある意味で大きな違いも、意味がなくなると思うのです、たまたま、今が1年生でもいずれ進級していく、卑下する必要などないのです。

残念ながら今の世のなかでは、小学1年生が無理をして、あろうことか校長先生であるかのごとく振る舞う、ということが見られるように思うのです。こういうことが起こるのも、違いの意味が全く分からないからではないでしょうか。

23/01/2015(金) 14:07:29

No.12788  飯沼正晴 E-mail
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
おはようございます。

何となく分かったような、まだよく分からないような感じです。

地上という次元に生きる人間の「霊性」というものは、とても見極めにくいのだと思います。
霊界では、その霊の霊性がそのままオーラの輝きとして表れているそうです。
そして霊界の霊でもその時の意識のありようによって、その輝きが大きくなったり小さくなったりしているそうです。
つまり誰の目にもその霊の霊性が明らかになっているということなのでしょう。

せっかく一定の段階にまで向上しても、その段階における自分の課題の中で霊体の輝きを落としていき、その境涯のエネルギーに共鳴できなくなって、そこよりも下層の境涯に戻っていく霊もいるという話を読んだ記憶があります。

あのイエスですら、地上ではその霊性を十分には表現・発揮できなかったと、シルバーバーチは語っています。
聖書にも、パリサイ人に対してイエスが「マムシの子らよ!」と激しい言葉を投げつけたことが記されています。
イエスはエルサレムの神殿に乗り込んで、乱暴狼藉と言われても仕方のない行為をしたようですし。


地上という境涯は、その霊の霊性をありのままに発揮しにくい世界であり、ある程度は発揮できているにしてもかなり不安定なものになってしまう世界なのでしょう。

そういう地上で個人の霊性を云々することが果たしてどうなのかという気がしていました。
自分自身についても、「これって、地上に生きる霊としてどうなのだろう?」と思うことも多々あります。

しかし、時にはその人がその霊性を十分に発揮できているか否かとは関係なく、その人の霊性の輝きを見えるが如くに感じることもあります。
どうやらそういう人は今の地上の価値観や風潮の中では生きにくいタイプが多いようで、それゆえに自分を縮めていたりある種の歪みを深くしている人も少なくありません。
しかし、地上的な言動とは無関係に、内に秘めた絶対的な霊性の輝きを感じる人も多いのです。

それとてその人の霊光の傾向によっても私のセンサーの感度が左右されるはずなので、「見えるが如くに感じることもある」ということにすぎません。

つまり、霊性というものは地上の人間には判別・査定できないもののように思うのです。

霊性ということよりも、私は「人として」というところを見ていきたいと思ってきました。
霊的法則というものを学び始めた頃の私は、「人として」というところでかなりシビアに観てしまう傾向があったと思います。
しかし、私の場合はその人を全否定する意識・発想はなく、そこは分かってもらえているという前提の上での、その時に表面化した「人としての問題とそういう言動に至る意識・考え方」についての指摘であるのですが、誤解を生むことも少なくありませんでした。

そこでは嫌な思いもさせてきたのでしょうし、私自身も嫌な思いをすることがありました。

しかし自分の至らなさや不十分さを思い知るにつれて、それも段々に緩んできていると思います。
過ちやかげりや闇は誰にでもあるものだからです。
またしかし、自分の過ちを認めることができずにさらにかげりや闇を深めていく人や、闇を選択実行する人に対してはただただ呆然とすることもありました。
そうなってしまう気持ちは分からなくはないのですが・・・。

そういう場合でも、その人の霊性の問題として「分からないから」そうなってしまうのか、(単に)感情の問題としてそうなってしまうのかは一概に言えないと思います。

ただ、(故意に)人を貶めたり、あからさまに人を差別したり、弱者を踏みにじったり、表と裏が違い過ぎていたり、嘘偽りを並べ立てたり、善意の第三者を巻き込むような迷惑行為を働いたり、自分の過ちをあからさまに人に転嫁したり・・・、ということなどに対しては、生身の人間としての怒りも憤りも感じます。

もちろん、「なぜその人がそういうことをしてしまうのか?」についてはその人の立場や気持ちになって理解をしていきながらも、自分としての怒りも憤りも表現してよいのだと思っています。

それによって、「人間失格だと言われた。全否定された」と(本気であれ逃げ口上であれ)思われ言われてしまうとしたら、そこまでのつながりでしかなかったということで納得して、今は棲み分けていくしかないのだろうと思っています。

定例会の前に急いて書いたので不十分な書き方になっているかもしれませんが、て定例会前に書いておきたかったので。

(定例会の準備が完了したので、少し補足して書き加えました)

24/01/2015(土) 09:17:19

No.12789  エーチャン
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
飯沼さん、さきさん、まゆみさん

定例会では、お世話になりました。
Hさんのお話は、それこそ分かったような、分からないような感じなのですが、でも今最先端の量子物理学でどういうことが行われているのかを数式を使わずに、わかりやすく説明してくれたと思います。Hさんに感謝です。

2部では本当にたくさんのごちそうを準備して頂き、ありがたいと共に、申し訳ないという思いすらしてきました。すごく感謝しています。


ところで、私の投稿が発端になった件については、私は投稿の動機については間違っていないと思うのですが、自分自身、分かっていないこと、あるいは誤解していることがあるかもしれませんので、その辺も十分に時間をかけて点検して、再度投稿させて頂きます。

25/01/2015(日) 17:28:14

No.12790  飯沼正晴 E-mail
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
☆エーチャン、

定例会、ありがとうございました。
投稿の件、了解です。

「おでんの味が薄かった。薄味好みの私が薄いと思ったから、皆さんは『味がない』と感じたのではないかなぁ・・・」とまゆみさんが言っていました。

26/01/2015(月) 09:46:38

No.12791  エーチャン
Re: 天地悠々のメッセージ 引用
飯沼さん、まゆみさん

おでんですが、薄味とは全然思わなかったです。特に大根はしっかり味がしみこんで、すごくおいしかったです。

26/01/2015(月) 09:53:42


No.12786 入道  
定例会参加 引用
十数年ぶりに一部のみ参加させて下さい。
沼さんさきさんのエネルギーの影響か?私も大きく変化した気がします。
目指す方向はおなじです。
ご指導下さい。
皆様にお会いできるのが楽しみです。

23/01/2015(金) 13:53:05



No.12782 飯沼正晴  E-mail
白血病で息子を亡くした医師の語った抗がん剤治療の実態 引用

『白血病で亡くなった息子が抗がん剤は拷問以上だと教えてくれた』 丹羽靱負著 草思社 1575円

◆私が抗がん剤を使わない、なんとかがんを治すクスリはないかと生薬の研究を始めたのは今から27年前。私の息子が小学校2年生で白血病になりまして、抗がん剤で生き地獄を見まして、死んで行きました。そのことがキッカケです。

<抗がん剤で生き地獄>

最愛の息子を亡くした医師が生々しい現実を告白!!

「 抗がん剤は効果無い 」「 今まで何百人もの患者を苦しめた 」

 ★がん細胞のほうが絶対に人間の細胞よりも強い。

 ★絶対にがんよりも人間のほうが先に死ぬ。

。。。。。。。。


私が抗がん剤を使わない、なんとかがんを治すクスリはないかと生薬の研究を始めたのは今から27年前。私の息子が小学校2年生で白血病になりまして、抗がん剤で生き地獄を見まして、死んで行きました。そのことがキッカケです。


当時、京都大学医学部を卒業して23年。京大で私はSLEの専門家だった。(全身性エリテマトーデス。自己免疫疾患のうち、代表的なものが膠原病で、膠原病のうちもっとも多臓器にわたるのが特徴なのがSLE。自己抗体や免疫障害を主微とする疾患である)英語の論文を20以上書き、東大の患者もほとんど私が診ていました。

患者さんが来ると、まずはプレトニン(ステロイドの一種)を20錠くらい飲ませる。ところが、プレトニンでコントロールできるのはわずか10人のうち5人。あとの5人はなんぼ飲ませてもびくともしない。プレトニンを100錠、200錠、点滴のなかに入れてばんばかやるわけだ。次に抗がん剤をやるわけだ。がんというのは、人間の正常な細胞とそれよりも何十倍も強いお化けみたいなものとが共存しているんです。

抗がん剤をやると患者さんはゲーゲー吐きながらしんどいと訴える。そうすると医者は、検査のデータを見せて、あんたなにをいっているんだ。このとおり抗がん剤でガンが小さくなっているのに。マーカーの数値が下がっているのを見せられて患者さんは「すみませんありがとうございます。ゲーゲー」と感謝する。そこでまた抗がん剤。ゲーゲーやる。人間が死にかかったら抗がん剤をやめる。がん細胞がどんどん大きくなってマーカーが3倍4倍。また抗がん剤やる。患者さんゲーゲーやる。先生もうやめてくださいという。なにいってるんだ、マーカーが下がったじゃないか。あ、ありがとうございます。ゲーゲー。また途中でやめる。マーカーが上がる。またやる。ゲーゲーありがとうございます。を繰り返しながら苦しんで死んでいかなければならないんです。

がん細胞のほうが絶対に人間の細胞よりも強い。絶対にがんよりも人間のほうが先に死ぬ。それは自然の摂理であります。
僕はそんなこと分かっていたけど、卒業して23年。大学でもこれしか教えてくれないし、教科書もこれしか書いてない。だから何百人ものがん患者さんが抗がん剤でみんな苦しんで死んでいくのを見届けるしかなかったんです。

ちょうどいまから27年前に私の自慢のかわいかった長男が白血病になりました。親子だから自分の病院に入院させたら注射も駄々をこねてさせてくれないと思い、当時、西洋医学が全てと思っていた僕は、高知大学病院に入院させました。先生たちは丹羽先生の子供だから最上級の治療を、と言って、高額な抗がん剤をばんばん打ってくれました。1年3ヶ月。おそらく医者が何万人集まってもこんな凄惨な死に様は見ていないというくらいの地獄を見ました。私は医者をやりながら神さん、仏さんはどうして自分のいちばんかわいい息子のこんなむごたらしい姿をみせるのだと。神さん、仏さんはなにを考えているのだと思いました。

私は息子の剛士が亡くなって初めて目が覚めた。私が何百人ものがん患者に抗がん剤をやっていたけど、そんなの効果がないことは分かっていた。だけど、これしか大学では教えてくれなかったし、本にもこれしか書いてない。私は23年間、何百人ものがん患者さんを苦しめて死なせてしまった。神様が私に抗がん剤をやめさせるためには他人様を苦しめても分からないから、自分の最愛の息子の、この世の最悪の生き地獄で見せないと分からないだろうと。

この詳しい話は「白血病の息子が教えてくれた医者の心」と言う本になっていますからよろしかったら読んでください。
(以下略)

ttp://www.sod-jp.com/page1/%2708hakurankai/02.htm
 

23/01/2015(金) 08:56:14


No.12783  飯沼正晴 E-mail
Re: 白血病で息子を亡くした医師の語った抗がん剤治療の実態 引用

この本を紹介したのは現代医学を否定するためではありません。

心も体も魂も健やかに活性化させるヒーリングを、皆さんと共に確立したいからです。

「自分が治す。治してあげる」という、自分としての願い・欲求を素直に高めておいてください。

23/01/2015(金) 09:35:26


No.12781 飯沼正晴  E-mail
お知らせです 引用

■2015年 1月定例会 
 
日時 1月24日(土曜日)

第1部 量子物理学者Hさんのお話
午後2時から5時
参加費・1200円
        
第2部 「懇親会」 
午後5時半ごろからお時間の許す限り(イッシン、ミニライブあり)     
参加費・1500円
    
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)
。。。。。。。。。。。。。

☆☆2015年2月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
2月15日(日) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
2月16日(月) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
2月17日(火) 午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、1月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

22/01/2015(木) 22:40:29



No.12766 飯沼正晴  E-mail
帰ってきました! 引用

15日から鳥取県倉吉市のはずれにある関金温泉の宿泊施設に5泊して、昨日、篠山に戻りました。
関金温泉はラジウム温泉で有名な三朝温泉と同じ泉質だそうで、今回関金温泉を選んだのは、極めて微弱ではあっても放射能というものに馴染んでおきたいということもありました。

今回もとても有意義な「結果(エネルギー的にですが)」を得ることができたと思います。

かなり安価な宿泊施設でしたが、部屋も広くて思っていたよりもはるかにきれいで、私が泊まったキッチン・トイレ付きの部屋も清潔に整っていて、実に快適でした。
何よりも宿泊客が少なくて、とても静かな宿だったのがありがたかったです(笑)
夕食はほとんど外食にしたものの、それ以外は自炊していました。
食器も調理用具も全部そろっていて、何の不自由もありません。
食材はある程度は家から送っていたのと、一度徒歩20分ぐらいのAコープに買い出しに行きました。

唯一困ったのは、宿が丘の上にあり、食事に行くにも買い物に行くにも心臓破りの急坂を上って帰らなければいけなかったことぐらいでした。
まあ、効率よく運動もできたと思えばいいのですが、雨の夜道などはなかなか辛いものがありました。
とはいえ、そんな高台にあるからこそ晴れた日には雪をかぶった伯耆大山や蒜山高原の山々が見えて、懐かしさがこみあげてきたりもしました。
「蒜山サービスエリアのジャージー乳のソフトクリームが食べたい!」とか(笑)

そんな宿でほとんど人と話すこともなく、読書・瞑想・思索・遠隔ヒーリング三昧の5日間を過ごすことができました。
気分転換に日に何度も温泉に浸かりに行きましたがほぼ貸切状態で、そこでもまたゆっくりと半瞑想状態に入ることができました。

今回の滞在で、自分の意識の重心が大きく移行したことを実感しています。
私たちのヒーリングで治癒・改善に至る人はもっと増えると思いますし、ヒーリングエネルギーのダウンロードに向けても確かな実感を手にすることができました。

言っていることは同じでも、そのリアリティが感動的に大きく違っているのです。

心のエネルギーによるヒーリングで大方の病気が治るのは極めて当たり前なことなのです。

自分の体を信じて「治りたい・治る」と思うだけでもその効果は顕著に表れるのです。

プラシーボ(薬に見せかけた砂糖や小麦粉などの偽薬)でもかなりの割合で病気が治ったり症状が緩和されるのです。
アメリカの超一流クリニックのある医師は、「椎骨形成手術」をしたふりのダミー手術(100件以上の比較)で実際の手術と同等の効果があったことを報告しています。
それら偽薬やニセ手術などの効果は、いたるところで報告されているのです。
リプトン博士の「思考のすごい力」では、ダミーの心臓手術の効果についても報告されています。

実際には誤認だった「夢の抗がん剤」のプラシーボ効果についての話はあまりにも有名です。

つまり、「心の力は間違いなく病を治す」ということです。

プラシーボは患者さんにそれが偽薬やニセ手術だと分れば効果はありません。
病を治すのは偽薬やニセ手術ではなく心の力なのですから、当然のことでしょう。

だとすれば、「偽薬やニセ手術ではなく、心の力そのものが病を治す」という事実・真実を、疑うことなくそのまま常識とすればよいだけのことです。

病者さんは現状の苦しさや不安にとらわれることなく、「治りたい」とひたすら願い、ヒーラーは「自分が治してあげる」と強く思うことです。
それによって「願い」という喜びを求めるエネルギーと、「(願い)を叶える」という喜びのエネルギーがセットになり、その「場」において「願い・叶う」という地上の喜び(=欲求)が完結して形になるのです。

病者さんは今の苦しさや不安からなかなか離脱しにくいものですが、ヒーラー側がお互い(病者さんと自分)に作用しあう「エネルギー場」を形成して病者さんの苦しさや不安を凌駕すればよいのです。

それだけではなく、私たちは霊的真理を学び、それにふさわしい霊的エネルギーの通路にもなっています。
そして私たちは自分一人ではなく、悠々塾のつながりにおいて、多くの仲間たちと霊的エネルギーにおいても地上的エネルギーにおいても確固たる共鳴の場の一員・構成員として存在しているのです。

霊的エネルギーについてはそれぞれに現状・段階があるのですが、霊的学びは永遠に続くものです。
どこまで学びが進んでいたとしても、さらなる霊的向上に向けて永遠に進化向上を続けていくのです。
つまり例外なく皆が未熟な段階であり、霊的学びの現状や段階の違いは実はさほど問題にはならないということです。

であれば霊的学びの現状や段階よりも、「自分が霊的に向上することを願う」という「方向性」において共鳴できればそれで十分なのだと思います。

もちろん、その願いを地上的な形(思考や言動)に反映させてこそ、肉体を持った自分と霊としての自分が共鳴するのですが、なかなかそうできない未熟さや弱さにおいても共通しているのです。
「そういう弱さやかげりを越えて、自分として地上に生きる霊として向上していきたい」という喜びの方向性で共鳴すればよいのです。

違いを越えた共鳴・融合、異質なものの共鳴・融合は大きな喜びのエネルギーを生み出し、地上的な大きな喜びとしても顕現されるはずです。

今回の5日間で、私はこれらのことを頭ではなく自分の全部で体感できたように思います。

もちろんこれだけではなく、たとえばシータ波同調による作用などについてもいろいろと思うところがありました。
まだまだ言葉にできないことも多いのですが、今年中には分りやすい冊子を作製し、実際にヒーリングエネルギーのダウンロードに取り掛かりたいと思っています。

まだまだ試行錯誤の真っ只中ですが、これからの展開が楽しみです。
夏までにはもう一度しばらく滞在して、もっと思いをめぐらせ、原稿も書き始めたいと思います。

大神神社参拝やその時の共鳴のエネルギー・尼崎駅でのさいこさんのハグ、そしてもちろん今までの全てこと、皆さん全てに感謝です!

21/01/2015(水) 14:44:44


No.12767  さき
Re: 帰ってきました! 引用
お帰りなさい!
心臓破りの坂は大変だったようですが、
有意義な時間になったということで
確かな手ごたえの実感が伝わってきました。

楽しみです。楽しみにしていますよ。
よろしくお願いします。

定例会も楽しみにしています!

21/01/2015(水) 16:47:28

No.12768  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
はい。
楽しみです!

今回、2004年に克が受信して「天地悠々」に連載した「統合・調和への道」を何度も読み直しました。
克の病状の悪化によって完結していませんが、改めて読めば「そういうことになっていたのだろう」と思いました。
克が受信できなかった部分を、私たちが実現していくのです。

地上は2種類のエネルギーラインがあり、ひとつは摂理に沿った霊性進化の意志のライン、もう一つは自分としての自由意志・欲求のラインです。
いわば縦軸と横軸のその二つの異質なエネルギーが共鳴・融合すれば、まさに奇跡のような現象が起きるのだと思います。

霊としての自分をベースに、地上の人間としての自分の欲求を縮
めることなく謳歌し、(兼ね合いや使い分けではなく)共鳴・融合させていくことが、大きな喜びを現実化していくことになるのだと思います。

「統合・調和への道」は、「天地悠々」1月号から再掲載していきます。
この掲示板には掲載しません。

悠々塾につながる皆さんには共鳴のひとつの形の表現として、「天地悠々・悠々通信」のご購読をお願いいたします。
発刊以来、購読料は悠々塾の活動資金になってきました。
そのことの意味は決して小さくないと思っています。
もちろん経済的に厳しい状況であれば、購読料は不要です。
そういうことよりも、つながっていることを形にしていただきたいと思うのです。

それと、「天地悠々・悠々通信」は一度お申し込みがあればその後の購読料のお振込みがなくてもお送りしています。
購読料という金銭よりも、意志(の表明)を優先したいと思っています。
経済的な理由で購読料が振り込めない方はもちろんそのままで結構ですが、「もう読む気がない」という方は「購読中止」のご連絡をいただければありがたいです。

21/01/2015(水) 18:20:20

No.12769  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
上の投稿を以下のように補足修正しました。

地上は2種類のエネルギーラインがあり、ひとつは摂理に沿った霊性進化の意志のライン、もう一つは自分としての自由意志・欲求のラインです。

21/01/2015(水) 20:04:53

No.12770  エーチャン
Re: 帰ってきました! 引用
飯沼さん、久しぶりの投稿です。

実を言うと、義母に遠隔ヒーリングをお願いしていて、関釜温泉に滞在中の飯沼さんとメールのやりとりのなかで、私が最後に変な内容のメールを送って、ひょっとして飯沼さんの貴重な時間を妨害してしまったのではと、思っていたのですが、たくさんの収穫を得られたようで、私もホッとしています。

飯沼さんが書かれている、

「霊的エネルギーについてはそれぞれに現状・段階があるのですが、霊的学びは永遠に続くものです。
どこまで学びが進んでいたとしても、さらなる霊的向上に向けて永遠に進化向上を続けていくのです。
つまり例外なく皆が未熟な段階であり、霊的学びの現状や段階の違いは実はさほど問題にはならないということです。

であれば霊的学びの現状や段階よりも、「自分が霊的に向上することを願う」という「方向性」において共鳴できればそれで十分なのだと思います。」

これは本当にその通りだと思います。ただ、私が一つ言わせて頂ければ、こういうことも是非考えてほしいのです。多分、これは考えておられると思うのですが、あえて付け加えたいのです。

比喩で話せばわかりやすいと思います。

たとえば、私が小学1年生で、高校3年の兄がいるとする。その兄から「おまえは、こんな微分の問題も分からないのか、英語もアルファベットも読めないのか、おまえは人間失格だ」と言われれば、私は絶対に切れてしまいます。その兄がそういう言い方ではなく、ひらがな、カタカナの書き方、足し算、引き算から九九について、丁寧に教えてくれれば、それは素直についていけることが出来るのです。一歩一歩成長していって、いずれ兄のように微分、積分も分かるようになるし、英語も古典も漢文も読めるようになる、そういう前向きの希望が持てるのです。

比喩の意味は分かって頂けると思いますが、こういうことって本当に大事なことではないのでしょうか、学びの進んだ者が低学年を指導する、学年は違ってもあくまで同じ人間、同じ価値を持っている人間として接する、それは大切なことだと思うのです。

21/01/2015(水) 22:35:08

No.12771  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
エーチャン、コメントありがとうございます。
お陰さまでとても有意義な5日間を過ごしてきました。

19日(でしたっけ?)のメール、何の問題もありませんよ〜。
というか、ちっとも変な内容じゃなかったと思うのですが・・・。
あの時は夕食を食べに行く途中だったので、返信しそびれてそのままになってしまいました。

私は文章を考えて書いていくタイプではなく、まず思念の塊のようなものが頭に浮かんできて、それを文章に変換していくという感じで書いていくことが多いようです。
なので、携帯メールであっても、言葉化した思念を打ち込んでいくだけなので、長い文章も全く苦になりません。
読み返すということもまずしませんね。
特に途中で読み返せば思念の塊とのつながりが一旦切れるので、かえって手間がかかります。

携帯メールで仕事のやり取りをすることが多くなったので、いつのまにか打ち込むのも早くなりました。
思念の塊とのつながりが切れる前に打ち込みたいので、早くなっていったのだと思います。

掲示板の書き込みなどもほとんどの場合は投稿欄に直接書き込んでいます。

さきさんもまゆみさんも携帯メールを打つのがかなり遅いので、時々「えっ、まだメールしてるの?」なんて失礼なことを言って、反撃されています(笑)
おっと、他の皆さんには「何のこっちゃ?」ですね(笑)


さてさて、肝心の比喩のことですが、どうもよく分からないのですよ。
エーチャンの設定条件では確かにそうなのだと思いますが、例えば高校3年生程度にまで地上で霊性を進化させている人は、小学1年生程度の霊性しか開発できていない人に対して「人間失格だ」などとは言わないと思うのです。

つまりもしもそういうことがあれば、その人は高校3年生程度に学びが進んでいるとは言えないということになると思います。

ただ、比喩をいわゆる学校の勉強(知識)の程度にするのではなく、例えば小学1年生の弟が小動物や赤ちゃんを虐待したり自分勝手な嘘偽りを並べ立てているとすれば、対応の意味はまた変わってくると思うのです。
小学1年生というのはあくまでも例えであり、実際には大人であるとすれば、その大人が弱者を傷つけたり、あからさまに差別していたり、虚偽によって人を貶めていたりしていたら、霊性が進んでいる人でも激怒する場合もあるんじゃないかと思います。

自分の怒りをぶつけているだけなのか、そうしてでも相手に分からせなければならないという判断で感情をも込めた全部で伝えようとしているのかでもまた意味合いは違ってきます。

比喩にこだわるならば、今の世の中は微分や積分が分かり、外国語も理解できる高学歴の人間が、むしろ平然と弱い者いじめをしているように感じています。

なので、エーチャンの比喩をどのように解釈すればよいのかちょっと分からないのですが、霊性というものを知識の量や頭脳的能力で例えることに無理があるような気がします。

21/01/2015(水) 23:34:56

No.12772  さき
Re: 帰ってきました! 引用
エーチャンとぬまさんのコメントを読んで

>「自分が霊的に向上することを願う」という「方向性」において共鳴できればそれで十分なのだと思います。」

ということの意味を考えてしまいました。
理性で意識して「自分が霊的に向上することを願う」
ということと
それを自分の生き方として願う。日々の言動のものさしにしているのかどうかはズレる場合があるように思います。
自分なりの気持ち(感情)で「願う」場合もあるかもしれません。

「霊的に向上する」などと意識したことも考えたこともなくても、
その「方向性」においてしっかり共鳴している人もたくさんおられます。
むしろその方が本物ではないのかとこれまで多々思ってきました。

地上の人間がそれを査定することはできないように思います。
私自身が人との関係のなかで、
人の輝きに心を翳らせる。自分のかげりに心を翳らせる。
ことはよくあります。
けれどもそこにはまりこむ、深く囚われることはなくなりました。

自分の至らなさ、不十分さを知ることは、さらなる健やかさや喜びに向かうためのきっかけ、出発だと思います。
かげりを光に、は喜びです。
存在(いのち)への感謝と祝福をベースに、皆も自分も幸せにと願い、日々を健やかにと生きることが、イコール霊的向上を願う喜びの共鳴を築くのだと思います。

「統合・調和への道」の受信と連載が始まった時のことをよく覚えています。
難解でしたが、とてもワクワクしたのです。
自分の求めていたテーマがここにあると直感しました。

>地上は2種類のエネルギーラインがあり、ひとつは摂理に沿った霊性進化の意志のライン、もう一つは自分としての自由意志・欲求のラインです。

後者のエネルギーラインにおいて、自分の弱点があります。
求めることへの躊躇があります。ずっと指摘されてきた課題だったのですが、今回あらためてそれを認識することができました。
自分のなかにある設定を壊して、求めることも与えることも喜びなのだと実感したい。その喜びを多くの人に伝えたいです。

22/01/2015(木) 10:47:08

No.12773  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
さきさん、

>「霊的に向上する」などと意識したことも考えたこともなくても、
その「方向性」においてしっかり共鳴している人もたくさんおられます。
むしろその方が本物ではないのかとこれまで多々思ってきました。

地上の人間がそれを査定することはできないように思います。<


全くもって同意します。
その通りだと思います。

22/01/2015(木) 11:09:55

No.12774  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用

エーチャン、読み直してみましたが、あの比喩の意味がやっぱり分かりませんよ〜。

22/01/2015(木) 13:17:57

No.12775  エーチャン
Re: 帰ってきました! 引用
飯沼さん、定例会前のお忙しいときに、変な投稿で煩わせてしまい、申し訳ありません。

午前中、外出していて、返答が遅れました。

もう少しだけ、小学1年生と高校3年生の兄の比喩を使って説明させて下さい。普通は、小学1年生と高校3年生の違いは一目瞭然で、その違い故に問題が発生することはないでしょう、しかし、何らかの事情でその違いが見えない、隠されているとすればどうでしょうか。その場合、兄には、小学1年生も同じ人間とうつります。そして兄は、「同じ人間であるのに、どうしてこんな基本的なことも分からないのか」、と思うことにならないでしょうか。一方で、小学1年生にとっては、そういう風に言われることもまた、大変辛いことだと思うのです、一歩ずつしか進むことが出来ないのですから。

これで、おわかり頂けたでしょうか?

22/01/2015(木) 15:01:20

No.12776  エーチャン
Re: 帰ってきました! 引用
さきさん、コメントありがとうございます。

> 理性で意識して「自分が霊的に向上することを願う」
> ということと
> それを自分の生き方として願う。日々の言動のものさしにしているのかどうかはズレる場合があるように思います。
> 自分なりの気持ち(感情)で「願う」場合もあるかもしれません。


おっしゃること、分かるような気がします。

私の場合で言えば、頭で「自分が霊的に向上することを願う」というようなことを考えるという状態のときは、やはりよくないのです。要するに、心がついていかず、無理をしているのです。

そうではなく、何か具体的な課題があって(たとえば、家族や身近な人への働きかけ等です)、役立ちたい、何かしてやりたいという思いが心から湧いてくるときの方がよろこびがはるかに大きいし、それなりに手応えがあったときは、またもっと何かの形で役立ちたいという風によろこびを求める気持ちが高まります。(残念ながら、こういう状態になるときは、あまり多くないのですが、)


> 「霊的に向上する」などと意識したことも考えたこともなくても、
> その「方向性」においてしっかり共鳴している人もたくさんおられます。
> むしろその方が本物ではないのかとこれまで多々思ってきました。
>


これは私も確かにそう思います。

22/01/2015(木) 15:24:30

No.12777  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
>これで、おわかり頂けたでしょうか?

わかりませ〜ん。
ほんとに分かりませんのですよ〜

22/01/2015(木) 16:45:29

No.12778  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
あのですね、エーチャンの比喩はまるで「異国の丘」からの歌声のようで(笑)、私にはほんとによく分からないのですよ〜。

私は自分が霊性が高いとは思っていなくて「私は私だ。だからこんな私としてこの地上を生き抜いていきたい」としか思っていないのですが、
もしかしたら私が霊的知識が不十分な誰かに対して「あなたは人間失格だ」という可能性のある人間だということなのでしょうか?

率直に言ってもらえたら、その方がありがたいです。

22/01/2015(木) 19:28:28

No.12779  エーチャン
Re: 帰ってきました! 引用
この際、はっきり書きます。

> 私は自分が霊性が高いとは思っていなくて「私は私だ。だからこんな私としてこの地上を生き抜いていきたい」としか思っていないのですが、

私は飯沼さんは霊性が??いと確信ししています。以前、「飯沼さんこそ日本のリーダー」と題して投稿したのもこの確信からでした。
これだけの膨大な量の本物のメッセージを克子さんとのコンビで毎月欠かさず受信できるということ、このメッセージは私にとっては宝なのです。このメッセージにどれだけ慰められ、励まされたか、到底、ことばで語り尽くすことは出来ません。そしてまた、遠隔ヒーリングでどれだけ助けられたか、これも言い出せばきりがありません。そして、決して高ぶることがなく、あくまで弱者の味方に徹している、やはり、こういう人をこそ、霊性が??いというのだと思うのですが。


> もしかしたら私が霊的知識が不十分な誰かに対して「あなたは人間失格だ」という可能性のある人間だということなのでしょうか?
>

飯沼さんがこんなことをいうはずは絶対にないと確信しています。ただ、相手がどう受け止めるか、という部分はひょっとしてあるのかも、とも思いますが、いずれにせよ、飯沼さんが誰かに対してこういうことを言うとか、思うとかは絶対にないと思っています。

私が今回の比喩を言い出したのは、霊性の違いということが世間一般にあまり理解されていない故の問題も潜んでいるのでは、ということを皆さんに考えてもらいたいと思ったからでした。こういう違いの意味が世間一般に広く理解してもらえるようになれば、今の世を覆う否定の空気も一掃され、互いに祝福し、感謝するという肯定の空気が広まるのではないかと思ったのです。ただ、こういうことはもっと詳しく丁寧に書くべきだったと思います。お許し頂けるなら、また後日稿を改めて書きたいと思います。

愛は時空を超えて 41では、魂の学びの段階について詳しく説明されています。

22/01/2015(木) 21:25:36

No.12780  飯沼正晴 E-mail
Re: 帰ってきました! 引用
分かりました。

それではまた改めてお願いします。
スレッドが長くなったので、新しいスレッドにしてくださいね。
それと、あまり持ち上げないように。
なにぶん否定や攻撃には慣れているのですが、褒められることには免疫ができていませんから(笑)

22/01/2015(木) 22:36:33


No.12762 飯沼正晴  E-mail
大神神社参拝、新年会、そして次の展開への導き 引用

大神(おおみわ)神社参拝・新年会に参加してくださった皆さん、参加できなくても心を寄せてくださった皆さん、お疲れさま&ありがとうございました。

急に決まったことでしたが、10名ぐらいの皆さんが参加してくれました。

正月も11日だというのに大神神社への道路は大渋滞で、参道も境内も大勢の人であふれていました。
あれだけ人が多くても、大神神社の気は濁ることなく、凛として清々しいものでした。

参拝を済ませた後で、ちぃさんが「せっかくの機会なので皆で共鳴しませんか?」と言ってきたのですが、私は「こんな大勢の人の中で共鳴?」と、思わず引いてしまいました。
道路の渋滞で、新年会に予約してくれている居酒屋への到着時刻がかなり遅れるのは間違いない状況でしたから、なおさら気兼ねがありました。

ところがちぃさんはいつになく積極的で、けっきょく境内で三輪山に向かって皆でエネルギーを共鳴することになりました。

共鳴を始めたらすぐに私は体がゆらゆらと揺れ始めました。
「涙が出た」と言う人もいました。

岡山から参加してくれたKさんは新年会には参加できないので、ちょっとご挨拶をして別れました。
前日の夜、あきえさんの娘さんのなみさんの夢に私が登場して、なんだかしんどい思いをさせたそうです(笑)

そして尼崎の居酒屋に移動し、いつものように和やかで楽しい時間が過ぎていきました。
私は少ししかお酒を飲んでいないのに、とても気持ちよく酔っていました。
他にも「今日は妙にお酒がまわる」と言う人もいて、やはり参拝や共鳴のエネルギーが作用しているように思いました。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、またまたちぃさんに尼崎駅まで送ってもらい、さいこさんは三田方面なのでホームが別です。
改札口の近くてsonoさんがさいこさんとハグしていたので、私もふざけてさいこさんにハグしてもらいました。

全くのおふざけで、笑いながら15秒程度軽くハグしてもらっただけなのに、思いがけずいきなり涙が出て、私はあわててしまいました。
その後もしばらくの間は涙が出て、恥ずかしくて困りました(笑)

翌日はヒーリングカウンセリングの仕事だったのですが、それが終わってからも「あの突然の涙はいったい何だったのか?」と気になりました。
定例会でも、さいこさんにハグしてもらった人がいきなり号泣したり、涙を流したりすることがよくあったのです。

私の場合は、全くのおふざけモードでしかなかったのに、瞬時にスイッチが入ったように涙が出てしまったのでした。

その中で「ヒーリングエネルギーのダウンロード」への大きなヒントがあるように思い、昨夜も今朝もさきさんとそのことについていろいろ話していました。

そして、多分ですが、ヒーリングエネルギーのダウンロードに向けての原理をつかんだように思います!
いろんなラインから検証もしましたが、全て見事に整合性がとれていました。
もちろんまだまだ大枠での話ですし、それが全てであるかどうかも分かりませんが、とにかく大きく前進できたことは間違いないと思います。

私は明後日から4〜5日間、鳥取県倉吉市の外れの関金温泉の簡易宿泊施設にこもって、日常を離れたところで遠隔ヒーリングや瞑想・読書三昧で過ごそうと思っているのですが、出発の前にとても大きな気づきに導かれました!

まだまだ言葉にしてお話しできる段階ではありません。
なので、この件についてはまだ何も話しません。

こちらがクリアしなければならないことも実は大きいのですが、「ヒーリングエネルギーのダウンロード」に向けて確かな手応えを感じて意気揚々たる思いです。

大神神社参拝に参加してくださった皆さんや心を寄せてくださった皆さん、幹事としてのお世話・運転だけでなくかなり強引にエネルギーの共鳴を提案してくれたちぃ&にぃさん、そして瞬時にスイッチがONになるエネルギーを実感させてくれた彩子さんのお蔭です!

今年の大神神社参拝にはかなり気合が入っていて、私は珍しくネクタイなどを締めていったのですが、それにふさわしい参拝になりました。

皆さん、ありがとう!
今年はさきさんともども頑張りますよ〜!

13/01/2015(火) 21:16:06


No.12763  さき
Re: 大神神社参拝、新年会、そして次の展開への導き 引用
ぬまさん、参拝に直接ヒーリングお疲れ様でした。
にぃ&ちぃさん、ありがとうございました。
去年からずっと大神神社に行きたいと思っていたので念願かなっての初詣になりました。
大渋滞で道中大変でしたが、尼崎と大和八木から別ルートの車二台が満車の広い駐車場で隣同士になったのは奇跡的でしたね。
導かれておりました。

思いだすと今もシャキッとして気持ちのいい大神神社の空気がよみがえります。
一緒に行けなかった皆さんにもあの気をおすそ分けしたいくらいです。
皆さんと参拝できてよかったです!ありがとうございました。
今度は(ご神体)山に登りましょう。

ぬまさん尼崎の駅でさいこさんのエネルギーに触れて泣いてました。
そこに大きなヒントがあったようで。
エネルギーダウンロードに向けた2015年のスタートとなりました。
ぬまさんの意気揚揚うれしいです。
明日からの日常と離れた時間も導きのなかにあるのだと思います。
行ってらっしゃいです。

ぬまさんと話して気づいたこともあり、私もエネルギー的にこれまでの自分のスタイル、自分の枠を壊したいと思っています。
自分自身の喜びのために、皆の喜びのために。
頑張ります。

14/01/2015(水) 09:13:49

No.12764  ちぃ E-mail
Re: 大神神社参拝、新年会、そして次の展開への導き 引用
皆さま、お疲れさまでした!ありがとうございました!

車で奈良に入った途端、雨が降ったのですが、すぐに止んだと思ったら、
三輪山の方向に太い虹が掛かっていました。
これはなんと!と感動していたら、大神神社に近づくにつれ参拝に向かう車が列をなし、
いつもなら車で20分もあれば着くのに1時間半の大渋滞。
本当にたくさんの方が参拝されていましたが、
ヌマのおっしゃるようにいつもと変わらず清々しくて凛としていました。

共鳴はあの場所でいつもこっそりしておりまして、
皆さんと参拝できてとっても嬉しくて、この機会を逃してなるものかと思いました^^
ですが共鳴し始めてしばらくすると、後ろにどんどん人が集まり始めたのでドキドキしました。
それから、時間が押していることにドキドキし、
狭井神社のご神水へご案内するのを失念してしまいました。申し訳ありません。

>「ヒーリングエネルギーのダウンロード」に向けて確かな手応えを感じて意気揚々たる思いです。

わぁ!!嬉しい!!わくわくです!!

次回は是非、みんなで三輪山へ登拝を!!
ありがとうございました!!

14/01/2015(水) 11:01:07

No.12765  さいこ
Re: 大神神社参拝、新年会、そして次の展開への導き 引用
こんばんは。
大神神社の参拝、新年会、お疲れ様でした。
ありがとうございました。

ほんと言うと行くのは少し躊躇っていたんです。
翌日も外出する用事があったので、行きたい気持ちはあったのですが連日は出にくいなぁ…と思っていました。

それと私なんか行っても何にも変わらないしとか思ってぐずぐずしていたら、ちぃさんから再度お誘いを受けて、やっぱり行こうという気持ちになりました。
行って良かったです!
ちぃさん、ありがとうございました。

大神神社の凛とした空気に触れて、ここはいつ来ても気持ちいいなぁと思いました。
共鳴しているときは眉間の辺りに強いエネルギーを感じました。

私はあまりおみくじを引かないのですが、皆さんが引いていたので、私も引いてみましょうと思って引いたら大吉でした。
おみくじに「〜神の恵みに感謝し、己を信じて前に進むべし」と書いてありました。

こんな自分でも信じて前に進んでもいいんや、そうしたい!そうしようと思いました。
ここ最近、イライラすることがずっと続いていて、そういう自分がすごく嫌でした。
でもやっと気持ちの切り替えができそうです。
新年会のお店もとても気に入りました。
また皆で行きたいです!!
私は自分のエネルギーに関しては本当に分からなくて、ただ前から悠々塾の仲間以外の人でも、ハグすると泣いたり、一緒に居ると安心すると言ってもらったりする事はありました。

自分では分からないので不思議な感じです。

ぬまさん、明日出発ですね!
気をつけて行ってらっしゃいませ!

皆さん、今年も宜しくお願いします。m(_ _)m

14/01/2015(水) 23:54:16

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