しいちゃん、司法試験合格、おめでとうございます!! 本当にすごいですね!! うれしいです。 本当によく頑張られたのですね。 しぃちゃんは、これから素晴らしい弁護士さんになられると思います。
突然ですが、嬉しいことがあったので、報告させてください。 先週の土曜日、父が腰痛のため通っている整骨院に行きました。 今日施術してくれた人は、力が強かったのか痛かったと言って帰ってきました。 それから、お尻、腰の下のあたりが痛いといっているうちに、だんだん腫れてきて、肉離れでもしたのかと思っていたら、そのうち痛みが我慢できなくなり、歩くのも大変になり、救急病院に行きました。 検査の結果、血管が破れて、骨と筋肉の間に血液がたまり、大きな塊になって、出血が続いていることがわかりました。 さらに、腎機能の数値が普通の人の半分しかないことがわかり、出血を止めるために造影剤を使用するので、腎臓にかなり負担がかかり透析をしなければいけないと言われました。 また、これからずっと透析を続けなければいけなくなる可能性が高いですが、このままだと神経を圧迫して足が麻痺したり、しびれが残ったりするので、止血が最優先と言われました。
飯沼さんが大事な旅をされているときに本当に申し訳なかったのですが、エネルギーを送ってもらえるようお願いしました。 動脈が切れていたようで、なかなか止まらず、時間が随分長くかかりましたが、エネルギーを送っていただき、無事に止血することができました。 お医者さんに、最悪の事態はまぬがれましたと言われ、本当にほっとしました。 3人のお医者さんに処置してもらったのですが、このようなことは稀だと何度も言われました。
嬉しいことに、今日、血液検査の結果、腎機能の数値が何と正常に近くなっていました! あんなに心配していた透析の必要は全くありませんということでした! 今日父に聞いたのですが、腎機能の結果が悪かったので、処置をする前にもう一度した検査では数値が少し良くなっていたそうです。それは飯沼さんにお願いしてから少し後のことです。 お医者さんは検査するたびによくなっていっているので、不思議そうに、計るたびに良くなっていますねと笑っていたそうです。 こんなことは普通では考えられないことだと思います。 本当にすごいことだと思いました。 エネルギーのすごさを改めて実感しました。
父も本当に感謝して、喜んでいます。 飯沼さん、さきさん、ちぃさん、心配してくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました。 簡単にと思ったのですが、長くなってしまい、すみません。 |
09/09/2014(火) 23:35:15
No.12465 さき |
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なみさん、報告ありがとうございます。 最初聞いて本当にびっくりしましたが、 しびれなどもなく、腎機能も改善!していてよかったです。 普通ではありえないことに、お医者様もびっくりですね。 体の力ってすごい! エネルギーの作用も実感しています。
またぬまさんからコメントがあると思いますが、 旅の終わりにもたらされた計らいの意味があったのだと思いますよ。 びっくりしましたがお父さんにお会いできて嬉しかったです。 こんなことってあるんだね!と笑って話せてよかったです。 お父さんとお母さんの旅行のお話も嬉しかったです。 また皆さんにお会いできるのを楽しみにしていますね。 |
10/09/2014(水) 11:04:16
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No.12472 飯沼正晴 |
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というわけで、一昨日(8日)に篠山に戻りました。 2日に出たのでちょうど1週間の一人旅になりましたが、私にとっては40数年ぶりの長い一人旅でした。
日常を離れて、ひたすら海沿いの山陰線で浜坂〜出雲〜益田市(連泊)〜下関(連泊)、帰りは岡山に寄りました。 須佐神社は時間とお天気の関係で、今回は参拝を見送りました。 またいずれ、お礼参りに行きたいと思います。
エネルギー的なテーマに関してはまだまだ途中のように思います。 これは永遠にそうなのだとも思います。
島根県益田市の外れの鎌手駅から数キロの海に面した宿からメールで送った、 「宇宙も、人間の人生も、あらゆる現象も、金銭物質も(物質そのものも)、意識によって規定されている、というよりもそれは意識によって存在している。意識とは存在の根底であり、存在そのものである。」ということに関しては、 「あれこれ考えることでもなく、元々がそういうものなのだ」というように当たり前のこととしてかなり身に染みついてきたように感じます。
像使いが、「像の鼻はなぜ長いのか?」と考えたとしても、本来の目的や獲得すべき技量には近づけず、むしろそういう意識が邪魔になることと同じです。
宇宙とは元々そういう世界で、地上界は地上界進化のプログラムに沿って、一旦は心・意識よりも物質・現象が先であり優位にあるような「思い込み」に陥り、そこからもたらされる歪みや苦しみの果てに、「心・意識が物質や現象の元になっている」という真理・真実を事実・現実に裏打ちさせて、確固として確立させることになっているだけの話なのでしょう。
「ひふみ神示」にも、「理屈は悪じゃと申しておろうが」というフレーズが何度も出てきます。 地上的価値観に意識を置いたままの理性は呪縛になりかねないのだと、すんなりと心で思いました。
つまりは、「人として」ということを含んだ上での「地上に生きる霊として」ということなのでしょう。
今の世間にはあまりにも怪しげな霊的グループや霊能者が多数いて、それに騙されて地上的な被害損害を被る人が少なくないので、私は地上的な理性も軸にすることをなかなか手放せなかったのですが、今回の旅でようやく解放されてきた気がします。 もちろん、地上的理性は意識の重要なツールではあります。 でもそれは言ってみれば「一般向けのウオーキングシューズ」のようなもので、いかに自分が上等のものを持っているとしても、前人未到の高く険しい山に登る時にそんなウオーキングシューズを履いていたのでは対応できないのですし、それにこだわれば挫折・遭難が決定してしまいます。 何よりも発想の転換が求められるのだということが改めて腹に落ち、すっきりしました。
昨年4月に四国で、「全てはすでにそこに在る。(そこから人間がどれを選び取っていくのかということだけである)」と一瞬にして「分った」時、私は「源泉」につながったのだと思います。 そして、その「源泉」はどこか彼方に見えない巨大な塊(かたまり)として存在しているのではなく、宇宙のあらゆるところに瀰漫して満ちている「エーテルエネルギー」の次元なのだと思うのです。
克が受信した「エーテルエネルギー」とは、「どんな意味付けもどんな形態も持っていない、変幻自在なエネルギーそのもの」であり、「そこに作用した意志・意識によって意味や形態を持つようになる」ということだったと思います。
つまり、意識の力によって、人間はいかなる現実も引き寄せられるのですし、それは決して特別なことではなく、今までも今現在もそういう法則の中で生きているのでしょう。 実は前人未到の高く険しい山ではなく、まるで空気のようにいつも私たち全ての者を取り巻いているのです。 言ってみれば私たち人間は、息を止めて暮らそうとしているようなものかもしれません。 苦しいのは当たり前ですし、呼吸をしようと思えばすぐにできるはずなのです。
ただ、多くの人間は心・意識の力を極めて過小評価し、本末転倒した「常識・科学」にマインドコントロールされ続けてきているのです。 それが何千年・何世代にもわたって先祖代々、補強されながら刷り込まれてきているので、環境や物質に心を囚われて、心を縮め続けてきたのでしょう。
「願えば叶う」とはいえ、もちろん摂理の中でのことのはずです。 しかし、意識を自ら制限する必要はありません。 もたらされるにしてももたらされないにしても、いずれにしても摂理の中のことなのです。 願ってももたらされなかったからといって、がっかりする必要もないのです。 なぜならば、意識の力は間違いなく鍛えられ強くなっているのですから、またそこから始めればよいのです。
意識の源泉は「喜び」です。 意識も喜びも、神から発するものですから無限であり、絶対的に強力です。 喜びに反するものも実は喜びの切り口で説明できるのですが、それでも喜びに反するものは有限で部分的であり、本来の力を削いでいくのです。
何時間も列車に揺られながら、あるいはただただ海を眺めながら、そんなことを思っていました。
帰りに、ホープさん・(高島合宿に参加できなかった)奈美さん・さきさんと一緒に高島に一泊して、この旅の仕上げをするつもりだったのですが、6日の夜10時前、下関のビジネスホテルにいる時に奈美さんからお父さんのことで電話が入りました。 上ずった声で、「父がお尻から出血して・・・」という話でした。
私は一瞬、「直腸ガンの出血か?」と思い、「お尻とは肛門のこと?」と訊いたのですが、そうではなく「腰というか臀部です」とのことでした。 その電話の中で、奈美さんは「骨と肉との間の出血」と言ったのですが、それは私も後で思い出したことで、その時は「接骨院の施術で動脈が破れて、血液が外に流れ出している状態」と思い込んでしまったのです。(奈美さんのせいじゃないですよ〜)
「激痛があり、今も動脈からの出血が続いているので神経を傷めて麻痺やしびれが残る可能性もある。腎臓機能も低下していて人工透析をしなければならない」ということで、とにかく遠隔ヒーリングをすることになりました。
ただ、臀部深くの動脈からの出血が皮膚を破って外に流れ出していると思い込んでいた私は、その状態をどう捉えてよいのか全く分からず、理性での処理が全くできないままに緊急の遠隔ヒーリングになりました。 ほとんどの場合は、「門前の小僧」である程度の医学的な知識もあり、分らないことはパソコンで調べて一定は把握できるのですが、その時は聞いたこともない状態でしたしパソコンも家に送り返していました(電源コードを持っていくのを忘れて使えなかったのです)
そういう事情で、全く理性を働かせることができず、緊急でもあり、その意味では無になって遠隔ヒーリングができたようでした。 エネルギーを送っている時や送り終わった時の感覚がいつもとは全く違っていたことに、自分でも驚きました。
その後0時過ぎに、奈美さんから「止血ができて、落ち着きました」という連絡が入ってホッとしたのでした。 しかし翌日もおバカな私はずっと「皮膚を破っての出血」と思い込んでおり、「臀部深くの動脈が切れて出血したものが皮膚を破って外に出るなんて、それは一体どういうことなんだろう・・・?」と思い続けていたのです。 「これはただ事ではない」と思って、高島行きはキャンセルしました。
普段の私なら、いろんなラインから物事を考えるので、「もしかしたら内出血か?」と思い至りそうなものなのですが、最初の「お尻から出血」という刷り込みがよほど強烈だったのでしょう、内出血ということは全く思いませんでした。 そして、7日の夜にちぃさんに「そんな話って聞いたことある?」とメールしたら、「えーっ、内出血じゃないんですかー!?」と返信がきたので、「え?」と思って奈美さんに確認して、内出血だったことが分りました(笑) なぜこんなことを詳しく書くかと言えば、「人間の思い込みというものは自分では気づかないままに実は強烈で、その思い込みの上にいろんなことを考えて積み上げていることも珍しくないのだ」ということを分かってもらいたいからです。
ドジな話ですが、しかし私の場合、理性がフリーズした状態で、しかも緊急性の中で遠隔ヒーリングをさせていただく機会になりました。 その時のエネルギーのものすごさも実感できました!
下関から岡山の病院に行ったのですが、もうその時はお父さんの痛みも楽になっていて、麻痺もしびれもなく、「看護士さんが『本当ですか?』と聞くぐらい」という状態で、久しぶりに顔を見れて楽しい時間になりました。
そして、昨夜は奈美さんからの電話で、「腎臓機能も正常近くに戻っていて透析の必要もなくなり、医師もびっくりしています」との連絡をもらいました。
今回の旅の最後にふさわしい計らいをいただいた気がしています。
今回の旅では、自分の弱点を改めて認識することになりました。 ある意味においては長所でもあるのですし、理性の未熟さと理性の超越は全く異なっているのですが・・・。
理性は健在意識であり、今、私たちが目指していることは潜在意識へのマインドコントロールを解いて、本来の潜在意識の力を取り戻していくことなのでしょう。 そこでは理性のエネルギーは作用することが難しいのだと思います。 (まあ、以前から霊団や克に言われていたことではあるのですが・・・)
長年染みついた意識・エネルギーの使い方なので、まだまだその残滓は残っているのだと思います。 そこをまた理性で動かしていくのではなく、今までの自分の枠を全部取っ払った感覚や行動で、古くて新しい、実は空気のように当たり前のエネルギーを楽々使いこなしていきたいと思います。
このエネルギーは、天地逆転したマインドコントロールから覚めれば、誰にでも使いこなせるものであるということも確信しました。 やはり、面白いことが始まっているようです! |
10/09/2014(水) 16:50:25
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No.12473 さき |
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ぬまさんの報告を読みながら鳥肌が立ちました。 うまく言葉にできませんが、ぞくぞくしました。
>言ってみれば私たち人間は、息を止めて暮らそうとしているようなものかもしれません。
言い得て妙です。 いたるところに満ち満ちているエネルギーを あたりまえに使いこなしていくこと。 それは本来誰にでも出来ることなのでしょう。
>理性は顕在意識であり、今、私たちが目指していることは潜在意識へのマインドコントロールを解いて、本来の潜在意識の力を取り戻していくことなのでしょう。
はい。そういうことですね。 テーマがはっきりしてきましたね。 9月の定例会、楽しみにしています! |
10/09/2014(水) 21:09:52
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No.12474 ちぃ |
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ヌマ、お帰りなさい☆ なみさんのお父さんのご回復、すっごく嬉しいです! 私も毛細血管ではなく動脈が切れたと聞いた時はびっくりしましたが、本当に良かったです!! 麻痺やしびれも残らず、腎機能が低下した状態で造影剤も使っているのに、 数値がごく短期間で正常近くに戻るってすごいと思うし本当に素晴らしいです!!
まだまだ理解は進んでいませんが、 潜在意識のマインドコントロールで自分自身ががんじがらめになってる感はなんとなく感じています。 本は実験を2つやってみたのですが、1つめのプレゼントはにぃくんから贈り物をもらって、 しーちゃんの合格のお知らせや、なみさんのお父さんの嬉しいお知らせもありとっても嬉しくて。 2つ目の黄色の車や蝶は蝶がなかなかで、やっぱあかんか・・・と思っては思い直して、 見つけた時は喜びと同時になんだか力が抜けました。 いかにこれまで無駄なことをしていたか。 願うことも、願いが形になることも、すごくシンプルなことなんだろうなと思いました。
あと、プレゼントの実験の時に、本当は欲しいものがあったのですが、 内容を指定していいのか分からなくて、指定することに抵抗もあって、内容を指定しませんでした。 なのに、もしかしたらもたらされるかも?!となにげに期待しては、やっぱありえんよね!と思ったり。 そしたらニアミスしました! そして、「やっぱり私が本当にほしいものは手に入らないのだ」という思い方をしました。
子供の頃からそうだったなーと思います。 何かきっかけがあったのかは分かりませんが、 私が本当に欲しいものは与えてもらえないという思い込みがあって、 あれが欲しいと言葉にさえしないのに、でもどこかで期待して、与えてもらえないとやっぱり!と思って。
なんだか話が逸れてしまいましたが、
>このエネルギーは、天地逆転したマインドコントロールから覚めれば、誰にでも使いこなせるものであるということも確信しました。
そうなりたいです!! |
10/09/2014(水) 21:40:30
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No.12475 飯沼正晴 |
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☆さきさん
さきさんにそう言ってもらえると、1週間も旅をしてきた甲斐があります。
私は昨夜から軽い排出ですが、今回はたいしたことにはならずに済みそうな感じです。
☆ちぃさん(みなさんにも)
いろいろお世話になりました!
しかし皆さん、真面目なんですね〜。 あの本の実験、1番目のプレゼントの件は私もやってみて、その日の夕方に思いがけないプレゼントをもらったのですが、 2番目の実験はしていません。
黄色い車や黄色い蝶なんて、特に見たいとも思わないので、する気にならなかったのですよ〜(笑)
その後の実験もなんだかめんどくさそうなので、今のところやってません(笑)
ただ、意識が先にあって、それに見合った現実・現象が引き寄せられてくるという「絶対的な仕組み」については、それが当たり前だと思うようになりました。
もちろん、人間の意識にはカルマの解消や埋め合わせという意識も強烈にあるわけですから。その意識もまた今の自分の人生の現実に反映するのも当たり前ではあります。
こういうふうに書けば、また「自分には重いカルマがあるに違いないから・・・」というネガティブ思考に陥る人もいるのでしょうが、そうではありません。
たとえどんなカルマがあって、どんな現状がもたらされているにしても、そこで心をかげらせずに喜びを見出し、さらなる喜びに向かっていくことだと思います。
喜びでない相念には、喜びでない現実が引き寄せられてくるのです。
「そうしたいけど、自分にはなかなかできない」という想念にも、それにふさわしい現実・現象が引き寄せらているということなのだと思います。
つまり、想念が現実・現象を引き寄せている・顕現させているということは、決して特別な場合においてではなく、私たちはいつも自分の想念に見合った現実の中で生きているのです。
たとえば、「自分はどうせ外れクジを引く」と思ってクジ引きをしたら必ず外れクジになり、「当たりクジを引く」と思って引いたら必ず当たるクジ引きがあったとすれば、誰も「自分は外れクジを引く」なんて思わないはずです。
その人の想念によって、当たりクジばかりの箱と、外れクジばかりの箱に誘導される仕組みのようなものなのかもしれません。
ちょっと来客がこられたので、ここまでにします。 。。。。。。。。。
<続きです>
「そうしたい」ということは、「そうできていない」ことを前提としているわけです。(たしか、あの本にも書いてあったような気がしますが)
「そうしたい」ということは、「なかなかそうできない自分」を前提にして、その延長上で思っているのであれば、いくら「そうしたい」と思っても実際にはできないままの状態が続く場合が多いのかもしれません。
「そうする」と決めて、実際にそうしていくことで想念も現実も変わります。
「意識は存在に規定される」のではなく、「意識が存在・現実を規定する」のです。 それが宇宙の法則・霊的法則であり、全ての現実なのだと思います。
心のままに願い、もたらされたものを喜んでいく。 たとえ何ももたらされなかったように思えたとしても、今は心をかげらせずにそれを受け入れ、また願っていく。
もちろん、人としての良識は必要ですが、疑念が混ざれば、心の力は減退します。
今は幼稚な入門段階ですから、とにかく、「意識・心が全ての現実を作っている」という法則を当たり前の常識として、その基盤の上で意識・心を使っていくことでしょう。 |
11/09/2014(木) 09:33:19
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No.12476 さき |
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ぬまさん、 私だってよくわかってないし、そのエネルギーを使えているわけでもないのに、えらそうな物言いですみません。 ぞくぞくしたのは確かですけど。 健やかに排出しておさまりますように。。
あの本は頭脳(顕在意識)で考えるのとは別の意識、回路を使うトレーニングであり、その回路(源泉のフィールド)の存在を証明するための実験だと思います。 説明したり、頭で理解しようとしたり、色々考えるよりやってみるのがいいと思います。 真面目にか真面目でないかより 考えて理解しようとするより、ストンとその世界にはいっちゃってやってみることに意味があると思います。
やってみると例えば、ちぃさんが書いてたように >本当に欲しいものは与えてもらえないという思い込みがあって、 >あれが欲しいと言葉にさえしないのに、でもどこかで期待して、 >与えてもらえないとやっぱり!と思って。 ↑↑ こういう自分の思考の癖(潜在意識への刷り込みのパターン)にも気づいたりします。 それが面白いと思います。
証明の実験を実験としてやってみようと思ってこそ そのパターンに気づく→刷り込みが壊れる(亀裂が入る) →よりストレートに源泉、可能性のフィールドにアクセスしやすくなる ということも起こるのだと思います。 この実験をすることは、色んな角度から自分のマインドコントロール、刷り込みを崩すこということでもあるのでしょう。 自分が勝手にやるので誰にも迷惑かけないしー。 面白いトレーニングです。
私は第一と第二の実験をやってみたところです。 黄色い車の実験は面白かったです。 前日なみさんのお母さんから「やってみたら黄色い車を見た。 でもこっちはタクシーが黄色なんですよ。」 と聞いてて、私は普段家にいるんだけどたまたまその日出かけることになって駅に向かって歩きながら、黄色い車にしてもタクシーはやめて欲しいよな、と思ってたんです。 そしたら信号が赤になって立ち止まったら、向こうの方から真っ黄色の車が交差点に向かってきて、ぶったまげました。もちろんタクシーじゃないですよ。信号が変わっても通り過ぎるまで見ていました。(笑) そのあと役所に行って帰るまでに黄色い車ってこんなにあったけ?と思うくらい遭遇しました。 昨日は蝶で、残念ながらシジミ蝶とアゲハ蝶しか見られなかったけど。 (あるのに)探そうと思わなかったら見つかるわけない。 あることを信じてなかったら(前提にしてなかったら)アクセスできるわけない。 というのはホンマそうやなーと実感しています。
皆さん引き続き、本を読まれた感想や、実験で気づいたこと感じたこと等コメントして下さいね! |
11/09/2014(木) 14:58:00
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No.12477 鉄ママ |
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思考が現実になる。 この度、創業促進補助金の申請が採択されました。 定例会でお話させてもらった、家族でカフェを創業するために申請しました。 福井県では、約70件の応募がありそのうち14件が採択されました。 カフェでの申請はかなり厳しいと言われていました。 申請書は私が書きました。 なんだかんだと分からない文字が並び、辞書を引きながらでした。 書きながら、私は本当にリアルにイメージしていました。 お店に集う人たちとの会話、笑顔。私たち家族。 そこにまるで存在するように。 一点の曇りもありませんでした。 申請は通る、と信じていました。 (申請書をチェックした商工会の友人は50%の確立だと言いましたが) 結果が出るのが楽しみといった感じです。 そして、採択の知らせがありました。
次に向けて私たちが考えなければならないこと。 たとえ、商売のプロがOKを出しても 私たちの意識が全てだと思います。 |
11/09/2014(木) 19:24:41
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