☆またまた某メーリングリストへの投稿です。 この掲示板に掲載するにあたってイニシャルにしましたが、投稿文では実名です。 。。。。。。。。。。
兵庫県の飯沼です。 「警告処分」通知と、追加照会について
8月12日に、代表世話人会からの通知が送られてきました。 私への「警告処分」の通知と、追加の「照会」が一件です。
代表世話人会からの通知は、内容と文章からしてT氏かK氏が書いたものと思います。 おそらくはT氏という前提で、よろしいですね?
通知書には、 「 代表世話人会として、慎重に審議の結果、多数決により当該メールは、ガイドラインの第五条(禁止事項)の…(3)第三者の著作権を侵害する行為、財産・プライバシーを侵害する行為、不利益を与える行為、誹謗中傷する行為…に該当すると判断しました。 そのため、ガイドライン第七条(協力要請・指導、警告、強制抹消)の3(警告)を適応することとしました。」と書かれてありました。
以下に、ざっとですが通知内容と私のコメントをお知らせしておきます。 長くなるので分割投稿になりますがお許しください。
@照会1 *記載された住所は貴会の事務所の所在地なのでしょうか?*
→(当会からの返答) 飯沼さんがご指摘のとおり、記載の住所は誤記です。訂正してお詫び申し上 げます。
**「誤記」とは「書き間違い」の意味です。 私への通知書に貴会の住所を「書き間違った」と言うのでしょうか? しかし、貴会HPには未だに架空の住所が掲載されたままになっています。 それも、「誤記」なのでしょうか? こういう言い訳(あるいは誤魔化し)を私は好みませんし、そういう人間を相手にする気にもなりません。**
→(当会からの返答) 当会からの質問は、新聞・週刊誌でYさんが「市民活動ゴロ」や詐欺師のように書かれている箇所の指摘を求めているものです。 また、Tは、これまでYさんを「市民活動ゴロ」と公然と評したことはありません。 そのうえで、誹謗中傷についてお尋ねがございましたが、少なくとも事実に基づくものか、事実に 基づかないものかで、その判断は異なると理解しています。
**そちらからの質問の趣旨は分かっていますが、回答の前提となることについて質問しました。 要するに、T氏はYさんのことを「市民活動ゴロ」と評していたということですね。 そして、「事実に基づいていれば、誹謗中傷には当たらない」というお考えだということが分りました。
T氏やK氏がYさんや数人のスタッフのことを「市民活動ゴロ」と言っていたことは、複数の人たちから聞いています。 「ゴロ」というのは、ゴロツキのことです。 ゴロツキとは、因縁をつけて脅し、金品をせしめる人間のことを言います。
この一点において、T氏やK氏は完全に間違っていると私は思います。 「子ども福島に寄せられた多額の寄付金を目当てに、子ども福島に入り込んできた人など一人もいない」と、私は思っています。 少なくともT氏やK氏が「市民団体ゴロ」と評した人たちはそういう人間ではないと、私は断言します。
あの激動の中で「子どもたちを放射能から守るためにあらゆることをする。それぞれが自分にできることをしていこう」と、活動を始めたのです。 さまざまな試行錯誤やミスや過不足があって当然の状況が続いていたのです。 後になれば反省点も多々あるでしょう。 しかし、それは「子ども福島に寄せられた多額の寄付金を目当てに、子ども福島に入り込んできた」などということではなかったはずです。
「寄付金を自分の活動に使っていた」としても、それは結局は子供たちを放射能から守るための活動に使われていたのです。 T氏やK氏は、根本的に考え違いをしていると私は思います。 そういう人物が子ども福島の代表世話人をしていることを不思議に思います。
「市民団体ゴロ」など、そういう偏狭で残酷なことがどうして言えるのか? そしてどうしてそれが誹謗中傷でないのか? この常軌を逸した認識は、何らかの意図があってのことなのでしょうか?
@照会2
→(当会からの返答) Tが、飯沼産に、信義則に基づいて個人メールでご説明申し上げました内 容は、新聞社からの取材への対応の際の話です。少なくとも、新聞と週刊誌の内容については区別し てご議論いただければと思っています。 (飯沼・意味不明に長いので以下は略します)
**まず、通知書には「慎重に審議の結果」とありますが、それは嘘ですよね?
慎重に審議するには、通知書案の内容をそれぞれがしっかり読まなければならないと思うのですが、 「飯沼産」という誤記に誰も気づかなかったのですか? 誤記(入力ミス)は他の箇所にも幾つもありました。 それらの基本的な誤記を訂正もしないで、慎重に審議したのであれば、そちらの能力が問われるところです。
私は当初から、「T氏は週刊朝日の取材も受けたのですか?」と質問しています。 その基本的な質問に回答してもいないのに、「信義則」という言葉を使える神経が理解できません。
通知書には他の項で、「週刊朝日に(子ども福島内部の人物が」情報提供したことは、その人物の内部告発である」と書かれています。 しかし、もしもT氏が情報提供者ならば、「内部告発」は成り立ちません。 「内部告発」とは大きな権限を有していない者が外部に向けて「事実・真実」を公表することです。
誰かT氏以外の人物が情報提供者であったとして、百歩も千歩も譲って「内部告発」いう解釈を受け入れるとしても、 週刊朝日に記事を提供した桐島氏というフリーライターは、代表世話人であるT氏にその情報の確認をしなかったのでしょうか? 2012年12月の時点で、桐島氏はT氏に取材して「フライデー」の記事を書いています。
つまり、かなり以前から桐島氏とT氏はつながっていたのです。 子ども福島内部の誰かが、「Yさんが着服している。刑事告発も辞さない」などという衝撃情報を桐島氏に提供したなら、まともなジャーナリストならば子ども福島の他の役員に事実関係を確認するはずです。
そして確認を受けた役員がまともな人間であれば、「現在調査中ですから、今の段階でそのような記事は書かないでください」と言うでしょうし、言わねばなりません。
HPに掲載されている代表世話人会の見解では、「週刊朝日」の記事を追認していますが、 実際にはT氏か桐島氏の取材を受けて、あのような記事の内容を肯定していたのではないですか?
いずれにしてもT氏らは「週刊朝日」の記事についての真相を明らかにする意志があるとは思えず、T氏らがあのような誹謗中傷記事に加担したと考えざるを得ないのです。
@照会3・4に関しても、 T氏らの多数派によって採択された通知は「意図的着服」を前提としており、全く話がかみ合いません。 貴会からの返答にコメントする気にもなりません。
話は変わりますが、私はこの数年、ある冤罪事件の支援をしています。 一審は無罪判決で、検察の控訴によって現在高裁で審理中、間もなく判決公判です。
この事件の被告はありのままの事実を述べているのですから、弁護側も被告の供述に基づいて弁護してきました。 しかし検察側は「被告は有罪」という前提に立って、ありとあらゆる話を切り貼りして有罪のストーリーを作り上げたのです。 私も何度も傍聴に行きましたが、事実を知っている者からすれば、憤りを通り越して呆れ果てるような「有罪ストーリー」でした。 実際、傍聴席から失笑が漏れて、一審の裁判官が注意する場面も何度かありました。
一つの出来事でも、それを見る立場や視点によって、見方は正反対になるものです。 そして、些細な事柄をつなぎ合わせて「有罪ストーリー」を作り上げることもできるのです。 しかし、いかにまことしやかに話を作り上げても、真実そのものは微動だにしないのです。 裁判官の判断がどうであっても、真実は変わりません。
あえて付け加えれば、たとえ「有罪」であっても、「情状酌量」が加味される場合も少なくありません。(一般的な話です)
それと同じように、今回の件もT氏やK氏や他1〜2名の代表世話人さんがどう考え、どう言っているとしても、力関係などとは関わりなく「真実は微動だにしない」のです。
「寄付金を目当てに市民活動ゴロが入ってきた」という新聞記事は真実に反していますし、T代表が取材でそのようなことを述べたことも真実に反した誹謗中傷行為であると思います。 K氏も普段から、子ども福島のスタッフの方々数名のことを「市民活動ゴロ」と言っているとすれば、同じ過ちを犯していると思います。
千歩も万歩も譲って、あなたがたの主張をある程度は受け入れたとしても、あなたがたの行為は「情状酌量」の余地も一切認めない冷酷非情なものであるように感じます。
そのような人間がこのMLの参加者に「警告処分」を発する資格があるとは思えません。 人を裁く前に、同じ鏡に自分自身を写してみることです。 よって今回の警告処置は不当であり、撤回を求めます。
@追加の照会について
・再照会 飯沼さんは、8月9日の一般ML「[kodomo-fukushima.17025] Re:[kodomo-fukushima.17022] 飯 沼さんからの問い掛けに対して」の投稿で以下のように述べています。
「しかし、前代表が理不尽に追い出され、今度はYさんがまたあのような汚名を着せられていることを知り、人として見過ごすことができなくなりました。」 この「前代表が理不尽に追い出され」というのは事実でしょうか。 もし、事実であるなら、その根拠をご教示ください。
*「S前代表が理不尽に追い出された」と、私は思っています。
そもそも、前代表批判の急先鋒の人物によって「会計士」として紹介された人物が、「実は会計士でも計理士でもなかった」ということからしても、理不尽な話です。 前代表が退任に追い込まれる直前の役員会の内容も理不尽であったと思っています。(「その役員会の録音は希望者には聴かせる」という取り決めがあったそうなので、私は事務局に録音を送ってくれるように申し込みました。私が聴いたことは何の問題もありません)
前代表の退任に関しては、前代表自身や現代表世話人のなかにも「理不尽に追い出された」と考えている人がおられるのではないですか?
そして現段階においてこの件は、客観的事実の範疇に入るものではなく、解釈や認識の問題です。
「『前代表が理不尽に追い出された』という認識をもっている人間も少なからずいる」ということが客観的な事実であり、私もその一人です。 そういう段階で、そちらからのこのような「事実確認の照会」は意味がありません。
この「照会」に付随して、そちらからはたくさんの資料が提示されています。
しかし、「共同診療所」のことについても、「中核派の拠点」という解釈もあるようですが、「福島市内で子どもの甲状腺検査を受けられる貴重な医療機関」という解釈も成り立つのです。
たとえば、共産党系の医療機関は全国に多数あります。 そこを「共産党の拠点」と解釈するのか、「比較的低所得の人たちにとっての貴重な医療機関」と意義づけるのかで、意味合いは大きく変わってきます。
自民党や厚労省は「共産党の拠点」として否定的に解釈するのでしょうし、一般市民の中には「庶民の力になってくれる貴重な医療機関だ」と思う人も少なくないはずです。 「民主商工会」などにも同じことが言えるでしょう。
私自身は共産党も中核派も嫌いですが、「市民共同診療所」や「民医連系の診療所」に対しては、大きく肯定しています。 しかも、「共同診療所」は中核派主導であったとしても、中核派構成員ではない人たちも協力しています。 玄関に中核派の旗を掲げているわけでもなく、中核派の機関紙を張り出しているわけでもありません。
子どもたちを放射能から守る活動には、中核派以外のセクトも動いていると思います。 子ども福島のスタッフの中には、それらの政治党派やその流れをくむ人脈に属している人たちもいるのではないですか?
原発ムラに属していると思われる新聞やサイトで、「子ども福島は中核派を追い出して、今度は○○派の拠点になっている」と吹聴されたら、また内部で粛清めいた内紛が起きるのでしょうか?(笑)
私は、前代表の中核派との関わり方には批判がありますが、子ども福島内部の人の一部がそれに乗じるかのように中核派のことに過剰反応して騒ぎを大きくしたという側面もあるように感じています。
そもそも、前代表退任の騒ぎの中でも中核派はほとんど全く介入していなかったのではないですか? このMLにしても、中核派らしき人たちからの投稿はほとんどないように思います。 子ども福島に中核派が介入するつもりならば、彼らはもっともっと発言するはずです。 その意味では中核派は(何十年も昔のように?)介入して引き回すようなことをするつもりはないのでしょうし、子ども福島の自主性を尊重して一定の距離感を保つ信義を心得ているように感じます。
山本太郎さんも中核派の活動家とツーショットの写真を流されたりもしていますが、だからといって子ども福島のスタッフの多くは「彼は中核派に取り込まれた」とは言わないと思うのです。
なので私は、子ども福島は排除・攻撃の論理を卒業して内紛を収束させ、「子どもたちを放射能から守るために」という極めて重要な課題の下に緩やかにつながり直し、ある部分においてはお互いを尊重しながら棲み分けて、「新生・子ども福島ネット」に脱皮してほしいと願っているのです。 何よりも、子どもたちのために。 そして、3・11以後を生きる大人の責任として。 |
14/08/2014(木) 15:17:25
No.12374 中島 玄(ペンネーム) |
|
|
悠々塾掲示板に、初めて投稿します。某メーリングリスト(ML)に投稿した飯沼さんのメールに対して、そのネットの会員の中で、良心的な人たちは当然みんな共感を抱いていて、自分も投稿しなければと一度は決心して実際に投稿した人がいました。過去にも一度自分の思ったことを当然受け入れてくれるものと思って投稿したら、管理人からひどいバッシングを受けて、怖くなって、何も書けなくなった経験のある人でした。飯沼さんの意見が正しいと思って清水の舞台から飛び降りる気で書いた投稿に対して、今度はML上ではなく、その人の個人アドレス宛てにネットを管理する現執行部からもっと強烈な脅迫まがいのメールが送りつけられたのでしょうね、その人は自分の気持ちと反対のことをMLに投稿しなければならなくなったことを、この掲示板を含む悠々塾関係者からの情報で私は知りました。 この悠々塾の掲示板には、逆なことはあっても個人の意見を封殺したなど聞いたことがありません。全てオープンな意見のやり取りが常識的に行われていて、時折拝見するたびにとても好感がもてました。私にはちょっとまだ違和感のある言語も多用されているのですが、少なくとも強権的な圧力を感じることは皆無です。 ただ私には、こんな自由な空間があって、かなり幅広い立場の人たちが同じ掲示板を共有していながら、この「某MLへの投稿」に関する反応がほとんどないことに少々驚いています。例えば、飯沼さんが書いている「ある冤罪事件の裁判」に関するくだりを読めば悠々塾では旧知の○○さんの裁判だと分かるはずなのに、そうした文脈でこの「某MLへの投稿」を、読み説いた形跡がある投稿に出会えていません。もちろん立川さんの反応はすごくストレートにあって、その反応の確かさや、むしろ立場を変えて飯沼さんをリードすることもあったりして面白く「某ML」上で拝見していましたから例外と思ってください。でも、悠々塾20周年の集いで、涙ながらに精神的な支えを共有しあった方々の話を、聞かせていただいた者としては、この掲示板への投稿の少なさに、かなり物足りなさを感じるのです。少し挑発的ではありますが、皆さんの気持ちの豊かさを信じるがゆえに、あえて、この少し込み入って、ややこしいことになっている「某MLへの投稿」の背景となっているある団体内部で行われている信じがたい仲間に対する人権侵害が、私たちが生きている「地上世界」(これは私はまだよく咀嚼しきれていない用語ですが)の末期的症状であるという危機感を抱いている飯沼さんや立川さんの意見に、もっと皆さんの言葉で反応し、発信していただきたいと願うからです。ごめんなさい!かえってややこしい言い方になって、皆さんを白けさせたかもしれません。でも恐る恐る私も初めてこの掲示板に意見を書きました。皆さんからの反論を含めたご意見を期待しています。これからもよろしくお願いいたします。、 |
14/08/2014(木) 23:04:50
|
No.12375 中島 玄(ペンネーム) |
|
|
昨夜、初めてこの掲示板に投稿させていただいた中島です。昨夜途中で疲れてしまって、飯沼さんの「某メーリングリストへの投稿」に対する、私の意見を書けませんでした。途中で端折ってしまい、皆さんからの書き込みがあってから自分の意見を書いても良いかな〜と思ったからです。
でもそれでは失礼だと思い直して、この投稿が私たちにとっても大変需要なメッセージだと痛感した人間の一人として、その理由を投稿させていただきます。
この某団体とは、「放射能から子どもを守る福島ネットワーク」 の事ですね。ここで昨春以降団体代表者が追放され、「真相究明」 のための臨時執行部が総会で選出されてから、もう1年数か月もの間活動を停止し、今年に入ってから新たにこの団体の中心的な活動である「保養班」の中心人物を追放するために、現地紙や週刊誌に「市民活動ゴロ」という誹謗中傷記事をリークして追い出そうとする動きが発覚しました。
ヤジ馬的関心で見れば、「悪いのは誰か」と犯人を知りたいというのが一番で、次に悪いことをした理由や目的を知りたい、と言うのが普通の感覚ですね。週刊誌やマスコミの暴露記事にずっと慣らされてきたのですから、ついついそう発送してしまいがちです。
しかし飯沼さんたちは、犯人探しはやめて、もめ事が長引いてもっとも被害を受けるのは子どもたちだから、まず子どもたちの立場を最優先にするのが、大人の責任だという立場をとりました。
飯沼さんたちは、そのゴタゴタの真相に近い確度の高い情報を得ているようですが、「真相究明」ではなく、放射能から子どもを守る活動をつぶさないために、「和解」するよう執行部に呼びかけてきました。 この「某メーリングリスト」への投稿は、紛争を止めさせる方法 まで提案し、会員の人たちが自由にモノが言える状態にしようと、懸命に訴えてきました。
しかしその呼びかけに応じようと、手を挙げかけた人たちを、臨時執行部のわずかに多数を占めている人たちから、MLへの投稿ができなくなる「処分」が行われ、実際に投稿した人を個別に脅迫した形跡が濃厚で、自分たちだけで「真相究明」をやる権利があるという強権的な態度を続けてきました。臨時指導部の中でも意見が分かれているのに、そのわずかに多数の人たちだけが仲間の処分を決められるは、どう見ても公正さを欠いています。まずそのことを、すべての人に理解してもらうことを飯沼さんは訴えてきました。
その結果、「真相究明」をあくまでも自分たちだけでやりたい3人の代表世話人たちは、つい最近、飯沼さんにも、理由にならない難癖をつけてML投稿ができないようにするために「警告処分」を突き付けてきたのでした。
部外者である私たちには、こんなに一つの団体内部で敵対するようになった原因はさっぱりわかりません。それをすっきりわかるように理解すること自体、無理があると私は思います。しかし、もめ事の原因になっている「真相究明」をなぜ一部の人たちはやめようとしないのか、それはそのグループの利害が掛かっているからだと思うのです。利害と言っても「お金」だけではありません。組織的な権限であったり、活動の成果であったり、自分たちの正当性を守ることであったり、様々な理由があるでしょうが、要するに「自分たちの利害」であって、子どもたちの利害=何としても放射能被曝から子ども達を守りぬくこと、ではなくなっていることです。
実は私は同じような苦い経験をしたばかりでした。やはり福島の子どもたちを保養するキャンプをめぐって、団体内部で激しく対立しました。 私は今でもなぜ一つのグループが、他のグループや個人を排除しようとしたのか、本当の理由は分かっていません。 ただ理不尽に排除されたということへの怒りや屈辱から、長い間解放されずにいました。 しかし、この飯沼さんたちが係わった「某MLへの投稿」を、ずっと読ませていただいているうちに、私が失ったものより、このゴタゴタによって福島から保養にきた子どもたちに様々な迷惑をかけることになったことの方が、いかに大きな問題であったか、胸をえぐられる思いで分かってきました。
私にとって悠々塾の皆さんが、ずっとこの問題に関してもっともっと学んでおられるに違いないと思うのです。それは結局私たちがこの現実世界で生きていく上で、何を拠り所にしてきたのか?それは行き着くところ仕事であるか、愛であるか、はたまた思想や、宗教といったものかはそれぞれ異なるにしろ、自分の拠り所の根本のところは「より良く生きたい」ということだと思うのです。そしてそれは自分だけでなく全ての生き物の願いなのだと、少しずつ分かっていく過程を歩んでいるように思います。 自分がより良い生き方を実現する上で、他人を踏み台にしたり、自分だけの関心や利害を押し通そうとすれば、必ず大きな障害にぶつかってしまうといった経験は、どなたも一度くらいはあるはずです。ですから「みんながより良く生きるため」に、それぞれの生き方を認め合い、決定的な対立を避けてどうやって人間や生き物同士が豊かに生きることができるのか、と言うことが一生の課題として私たちに突き付けられていると気付かされるのです。 しかし、私はそれでも思想とか、政治とか、宗教と言ったかなり高度な問題に立ち入るときに、どうして自分の立ち位置がわからなくなったりしますよね。 たとえば政府のような「より良く生きる」ことを発信する人たちが大きな権限を持って一つの「価値観」を押し付けてきたときに,どう自分の立場を決めればよいのか?私も度々迷わされ来たのですが、自分よりももっと弱い立場にある人たちが「より良く生きること」ができるかどうかを、絶対的な基準にすべきなんですよね。 それをいつも、自分の生き方の中の中心に置いて問題を解決することができるかどうか、そのことを、飯沼さんたちが、「某メーリングリストへの投稿」の中で訴えたかったことだと、私は思いました。そしてようやく、私が係わった団体での、私の間違いに気づかされているところです。 |
15/08/2014(金) 12:14:03
|
No.12376 飯沼正晴 |
|
|
中島さん(とお呼びするのも妙な感じですが)、投稿ありがとうございます!
某メーリングリストは凍りついたように、相変わらず静まり返っています。
現代表世話人が福島県で最大の購読者を持つ「福島民友」に、「子ども福島には多額の寄付金が集まり、その寄付金を目当てに市民活動ゴロのような人間が入ってきた」と述べて、それが記事になっているのですし、週刊朝日にはイニシャルではあってもすぐに本人が特定できる書き方で「意図的着服」という記事が掲載されています。 おそらくは週刊朝日の記事にも現代表世話人が関わっていると思われます。
実際のところは多くの人たちがそれは事実ではなく、子ども福島やYさんに対する誹謗中傷であると思っているようなのですが、全体としては気味が悪いぐらいの沈黙が続いています。
状況が全く分からないMLの読者もいるのですが、分かっている人たちはさまざまに人間関係があったり、子ども福島の現執行部からにらまれると自分の携わっている活動に支障をきたすということもありそうです。
現執行部は、自分たちに同調しない人が関わっている保養などの活動にお金を出さない(昨年の総会で承認されたプロジェクトなのに)、ということも聞いています。
戊辰戦争で、新政府軍に蹂躙され尽くし、その後は貝のように口を閉ざして、暴挙にひたすら耐え忍ぶしかなかった奥羽越列藩同盟の末期のような状態です・・・。
すでに放射能による健康被害は発症していると考えるべきですし、あと2〜3年で激増する可能性を想定しておかねばなりません。
それに備えて、子どもたちの生命健康を最優先にできる県知事を擁立しようと試みたのですが、失敗してしまいました。 だからといって諦めてよい問題ではないので、対立や分断を繰り返している福島の市民グループを大きくひとつにつなぎ直して整備しておく必要があると考えたのです。
2〜3年後に何も起きなければ、内紛でも何でも勝手にやっていればいいのですし、そんなことに首を突っ込むつもりもありません。
大人たちのエゴと不明によって、大勢の子どもたちを被曝させてしまったのですから、さまざまな違いや対立を超えて、子どもたちを守るために大人がつながり直そうとするエネルギーが不可欠であると思うのです。
そういうエネルギーが活性化してくれば、金銭物質系の価値観を越えた新たな生命系のつながりや動きも活性化して、今の危機を新しい希望と喜びへの出発点にできるかもしれないと思いました。
しかし、それも今のところ非常に難しく、滅びに至る道筋を見せられているかのようです。
子ども福島にいつまでも執着するつもりもありませんし、今のことがどうなったとしても、3・11以後を生きる大人として、私は諦めるわけにはいきません。 論理や理屈を超越し、どろどろした感情のエネルギーがちっぽけで無意味なものに思えるような、壮大でダイナミックなエネルギーが必要だと、改めて思っているところです。
それはおそらく、ミトコンドリアや微生物から大霊(≠地上の人間がつながることのできる限界ぎりぎりの神)に至る全体の生命(意識)エネルギー場とつながることのように思っています。
何歳になっても生命系の価値観でしか生きられない不器用なオジン同士として、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします! |
15/08/2014(金) 14:17:26
|
No.12377 さき |
|
|
中島さん、コメントありがとうございます。 読んで下さっている方がいて下さって嬉しかったです。
以下、今日メールしたもの(1〜4)を貼り付けます。
******* 思うこと−1 京都の立川です
◆現職・佐藤氏に3選出馬要請へ 連合、盆明け民主と協議 ttp://www.minyu-net.com/news/news/0813/news1.html (2014年8月13日 福島民友ニュース)
任期満了に伴い10月9日告示、26日投開票で行われる知事選で、現職の佐藤雄平氏(66)=2期=の支援を前提にする民主、社民両党県連、連合福島、無所属県議でつくる4者協議会は、佐藤氏に3選出馬を要請する方向で盆明けにも調整に入ることが12日、分かった。民主県連の亀岡義尚幹事長は「佐藤氏が進退を表明してから動く」と依然慎重だが、連合福島が同県連などに働き掛け、協議する見通し。 佐藤氏の連合後援会も4者協の動向を踏まえて出馬要請の時期を模索する。佐藤氏周辺では中間貯蔵施設をめぐる国との交渉などを評価し続投を求める声が強まっており、沈黙を守る佐藤氏の進退判断に影響する可能性が高い。4者の枠組みは佐藤氏が初当選した2006(平成18)年と、前回10年の2度の選挙で佐藤氏の支持母体となった。佐藤氏は民主県連による意向確認などでも態度を示しておらず、他党も動向を注視している。 ****** ◆知事選がどのような構図になるかまだわかりませんが、 人間を守るのが政治、県民を守るのが知事の役目。 新潟みたいに自治体として国や東電にはっきりとモノを言い、住民の声を代弁する。 脱被ばくの視点を明確にして自主避難者の立場をサポートする。 子どもたちを放射能から守る! それが福島の再生であり復興なのだと真正面から掲げたら、 表向きはどうであれ、福島県民は心のなかで拍手すると思うのですが、 県政は変わりそうもないですね。
◆事故当初は避難や保養、防護を気にしていたけれど、「考えてもどうにもならない」ので今は保養より子どものクラブ活動を選ぶ親御さんもおられるとか。 「美味しんぼ」の鼻血表現が大問題になったように、「復興」(帰還)を前面に掲げた福島で「子どもたちを放射能から守る」「脱被ばく」を掲げることの重さ(圧力)のすさまじさを思います。 ただ圧倒的多数の親御さんは、本当は心配、痛いほど心配、気にすると生きていられない、という思いを心の奥の奥にしまっておられるのだと思っています。 子ども福島はその親御さんたちがたたみ込んでいる思いを表現できる場、子どもを守りたいという願いを託せる受け皿になってほしいと思ってきました。 2011年の激動期がそうだったように。 |
15/08/2014(金) 16:47:36
|
No.12378 さき |
|
|
思うこと−2 京都の立川です
◆福島は見棄てられた 福島県では地元紙が2紙もあり、購読者数に置いて全国紙を圧倒しています。 有力な地元紙が複数あるのは沖縄と福島県だけです。その理由はひとつではないでしょうが、中央に対する不信感があるのではないかと思います。 薩摩藩による支配や、「琉球処分」による明治政府への併合、太平洋戦争では本土の捨て石とされてあらゆる艱難辛苦を強いられた沖縄の人々に中央への不信が根強く残っているのは言うまでもありません。 「では福島は?」と歴史をたどり直せば、明治維新の時の戊辰戦争(会津戦争)が考えられます。 会津戦争といっても、会津若松だけでなく、今の福島県各地で激しい戦闘が行われました。会津藩を中心とする奥羽列藩同盟も決して一枚岩ではなく、寝返りなどもあってお互いに疑心暗鬼にならざるを得なかったようです。 福島(会津藩などの奥羽列藩同盟)の人々からすれば、「自分たちは厳しい財政状況のなかにあって、朝廷にも幕府にもひたすら忠誠を尽くしていたのに、いつの間にか朝敵・賊軍とされ、錦の御旗を掲げた官軍が攻め寄せてきた」ということになります。
しかも、錦の御旗を掲げた官軍の兵士が筆舌に尽くしがたい乱暴狼藉を繰り広げたのです。 特に長州藩は禁門の変などの遺恨があって、「会津憎し」のやり口が露骨だったようです。 数千人に上る戦死者の遺体は埋葬を禁じられて放置されていたといわれ、口にするのも憚られるような状態が半年も続いたそうです。(新政府軍が発令した「埋葬命令」があるようですが、戦死者の埋葬を敵軍が命じるのは極めて不自然であり、責任回避の可能性が高いと思います) 元々が財政逼迫していたなかで、会津藩が京都守護職の任務を果たすためには膨大な出費を強いられ、農民に対する年貢の取り立ては厳しく、その上に官軍という権威・権力を振りかざす者たちに蹂躙されて、領民たちも大混乱の状態に陥ったようです。 まさに、その時も「福島県民は皆が被害者」だったのであり、会津藩を引き回した徳川慶喜も謹慎中で知らん顔でした。
◆この時も、「福島は見棄てられた」のです。 「福島の人はおとなしすぎる」と県外の人が感じる理由は、このあたりにあるのかもしれません。 戊辰戦争のみならず、自由民権運動への弾圧もありましたが、福島県で自由民権運動が活発化した理由の一つは、やはり政府や知事による福島県民いじめでしょう。 そういう経験を強いられた人々の思いは、言葉にするかどうかは別にして今も福島県民の心に残っているのではないかと思うのです。 福島の方が冗談交じりで言われた「福島の人は根に持つんですよ。」という言葉を思い出します。国は信用ならない。かといって他に誰を信用していいのかわからない。 「誰が知事になっても同じ」という諦めの言葉の奥には、凝縮した煮えたぎるマグマのような憤りが渦巻いている気がします。 (飯沼と共同で作ったレポートより)
****** 福島県民の見棄てられた思い、諦めの奥にあるふつふつとした怒りと憤りのマグマはいずれ必ず噴き出します。 これほど理不尽なことが封じられるはずないからです。 その力が住民の思い、子どもを守りたいという親御さんたちの願いを実現するのだと思っています。 私は県外の人間ですがそのために出来ることをしたい、今を生きる大人として恥ずかしくない生き方をしたいです。 |
15/08/2014(金) 16:48:42
|
No.12379 さき |
|
|
思うこと―3 京都の立川です
子ども福島はおおざっぱに以下のような経過のなかにあると思います。
〇激動期(出来ることをやる〜避難防護保養等はじまる) 〇分断・混乱期(メンバーの避難やセクト問題、会計問題で混乱) (〜2013,3,2 総会流会→ 6,9臨時総会→ 7,20臨時総会) 〇混乱の後始末のための「暫定執行体制」
現在この暫定執行体制が1年以上も続いています。 2013年度の会計(2013、1月〜12月)についても、次の総会がいつ出来るのかのめどについても何も報告されていません。
私自身は2012年度の総会が会計の不承認で流会になったと聞き、それは余程のことがあるのだろうと考えました。同時期に千万円単位でお金が私的流用されているかもしれないというような噂もあわせ聞いて、よくわからないまま不信感が募り、正直もう関わりたくないと臨時総会やそれ以降も子ども福島に対しては距離を置いて、地元で出来ることをしながらMLの情報だけ見せてもらってきました。 今回、支援させてもらってきた当事者として子ども福島やYさんに「義援金ゴロ」のレッテルが貼られるのは看過できなかったのと、しがらみのない第三者であるから客観的な視点で伝えられることもあると考えて意見も書きました。(それで不快な思いをされた方がおられたらお詫びします。)
この場に1000人近く登録しているML参加者の、皆が疑心暗鬼になって自由にモノが言えない空気があるようです。 誰を信用していいのかわからない。場の空気を読む。不用意に発言して自分の身に火の粉がかかったら困る―。 というのは酷い目にあわされ痛めつけられてきた庶民の知恵でもあるのでしょうが。
「復興を邪魔するな」「風評被害を煽るな」と言われることを恐れて、被曝について口にできないのと同じように、 「セクト排除」「会計の透明化」という大義に逆らえないという空気がこの場を支配しているような気がします。 |
15/08/2014(金) 16:49:54
|
No.12380 さき |
|
|
思うこと−4 京都の立川です
◆2012年度の監査報告 代表世話人会からの説明に何度も「2012年度の監査報告書」が出てくるのでそれを読み直してみました。 まとまった監査報告書というより(監事からの経過報告と提言 /吉永氏による資料とコメント)ですね。
会計監査が不承認になった総会当時、多額の会計不正があるという噂が飛び交っていました。「絶対不正があるに違いない」というスタンスで監査と調査がおこなわれました。「一度提出した帳簿は内容に入力ミス、計算ミスがあっても訂正は認めない」という監査の方法、最初から仲間の役員を疑ってかかる姿勢は、通常の役員どうしの信頼関係やコミュミケ―ションではあり得ない異常事態でした。 第三者として調査に入った吉永氏が正規の会計士ではなく、その後10月まで帳簿やデータを返却しなかったとか。監査報告の作成の過程で辞任された監事があったとか、あとの監事も臨時総会には出席せずに文書だけ出して辞任・退会したことも異常です。 現在HPに掲載されているこの監査報告(経過報告や資料)はその時の異常な空気を反映したものです。
監査報告の提言には、(不明金の精査が必要だと述べ)弁護士は組織防衛を正当化するためではなく、名誉棄損で訴えられるかもしれなくても問題を開示して社会に示す時のリスクをどう管理するのかを考えてほしい・・・というようなことまで書かれています。 このような特異で異常な監査報告はこれまで見たことがありません。 総会決議があったかどうとか等、HPへの掲載を巡って内部で見解が分かれるのも当然だと思います。
◆今の代表世話人会、暫定執行体制はこの監査報告をベース(盾)にして、不正を追及すること、調査して正すこと、仲間をも疑い監視することが自分たちの役割であるという立場をとっておられるように思います。 激動期の会計に杜撰な点があったのは事実ですし、旧役員、現役員の方が会計を精査し、解明されたこと、正されたことはよかったと思っていますが、セクト問題、会計問題を錦の御旗にして、関係者?を一掃することが使命のような現在の運営はなんとかならないのでしょうか。 Yさんの件でも、どちらの説明を読んでも調査してミスが判明して正されたのに、まだ犯人探し?が続けられるのでしょうか。 そこにエネルギーを使っている時でしょうか? すでに放射能による健康被害は発症していると考えるべきですし、今後激増する可能性も否定できません。
混乱期の後始末のための暫定執行体制を担っている皆さんにお願いします。 混乱期に積み残したことが残っているのです。その解決のために、 排除や粛清ではなく、自由にモノが言える関係のなかで違う者どうしがゆるやかに協力しあい協働する形をめざして下さい。 互いの疑心暗鬼を深め、仲間どうしの分断を深める愚をおかさないで下さい。 放射能から子どもたちを守りたいという目的と願いでつながって下さい。
国も県も原子力村の手先であてにならない、 としたら一体誰が福島の子どもたちの立場を代弁してくれるのでしょう。 子どもを守りたいという親御さんたちの思いを代弁してくれる拠り所が絶対に必要です。
仲間どうしの分断ではなく修復を願っています。 以上。 |
15/08/2014(金) 16:50:48
|
No.12381 さいこ |
|
|
このお盆休みに福島へ帰省していました。 福島に帰っても、原発、放射能の事は口にできないもどかしさを感じていました。
福島に住む従兄弟が、最近、突然死で亡くなる人が増えていると言ってました。 脳梗塞の病なども。 放射能との関連は口にはしませんでしたが、無関係ではないと私は思います。 県外に住む別の従兄弟も、私と同じ考えだと言ってました。 ただ、放射能、原発に関しては色んな立場や考えの人がいるので、なかなか難しい問題やと思うと…。 ですが、健康被害は公になっていないだけで、増えてきていると思います。 福島に住む親戚には小さな子どもたちもいます。
某団体の皆様、お互い緩やかに繋ぎ直し、認めあって、子どもたちの為に一刻も早く活動を再開して下さい。 子どもたちを放射能から少しでも守って下さい。 どうぞ切にお願いします!! |
16/08/2014(土) 21:11:24
|
No.12382 和也&久美 |
|
|
飯沼さん・さきさんの働きかけ・提案にも、子ども福島の代表世話人会の人たちがまったく心を動かさないのが残念でなりません。 「考えてみる」ということもなく、もう端から「拒否」「拒絶」しか考えていないという印象を持ちます。 最初は子どもたちのことを考えて関わってきた方々だと思いたいですが、組織という枠組みの中に入ると、実情はよく分かりませんが、子どもたちの命よりも、地位とか名誉、社会的評価や自己の正当性などの自らの利益や自らの感情が最優先になってしまうのでしょうか。 「最優先」と言うよりそれに「固執」してしまっているかのような有様は、世の中にありがちなことではありますが、子どもたちの命が関わっていて、しかも多くの人たちの善意の多額の寄付金が活かされていない(今後どう扱われるのかも不透明)という状況は、単なる組織内のゴタゴタでは済まされない、社会的な問題でもあり許されないことだと思います。
昔と比べると今は世界全体が「排除」のエネルギーがどんどん強くなっているように感じます。 そういうエネルギーが強くなればなるほど、社会全体がギクシャクし、あちこちで対立が生じて、もつれ絡まった糸はますます複雑に絡み合って一層解決困難になってしまいます。 もういつまでもこんなことを繰り返すのではなく、違いを越えて繋がり合うべき時だと思います。 子ども達の命は、私たち大人しか守れません。 子ども達を守りたいと言う、純粋な初心に立ち戻ってもらいたいです。 |
16/08/2014(土) 23:25:39
|
No.12383 鉄ママ |
|
|
私たちの身体が本当にたくさんの細胞から成り立っていること。 それは、想像を越えるほどたくさんの。 そして、私たちは一つの一人の人間として存在していること。
今、飯沼さんやさきさんが関わっている団体の主旨。 子供たちのために何が出来るか? 子供たちのために何を今しなければならないのか? それぞれの感性や感覚は違っていて当たり前ですが、 子供たちへの思いや向けていく心、目的は一つとして存在させなければならないと思います。 そのために起こる問題は、目的(子供たちへの)のために向けた 前向きなもののはずです。 私たち大人は、自分を守るためには何をしてもいいのだと教えるのでしょうか? うそをついてはいけない、 人に優しくしなさい、 と子供たちへ言ってきかせながら、大人たちは実際うそをつき、人に対して優しく出来ているでしょうか? 子供たちは、その矛盾をどのように捉えるのでしょう。 間違っていたときは、過ちを認めて素直に謝ればいいのではないでしょうか。 やはり、子供にもそのように教えるはずです。 ただただ、子供たちのために。 |
17/08/2014(日) 01:03:35
|
|