悠々通信3月号のはじめに、として書いたものです。 この場にもアップさせてもらいます。
◆光の方へ
地上の人間は誰でも「光の種」と「かげりの種」を持っている。 同時に人間の本質が魂であり霊である以上、 誰もが光に反応するセンサーを宿している。 だから自分の本質(心・魂)が光に照らされた時に、 人は反射的にその光に反応する。 (どんなにかげりを深めても、闇に覆われてしまっていても)
誰でも「かげりの種」を宿した自分、そんな自分を知っている。 光はまぶしい。照らされたくない。見たくない。 そんな気持ちが働くのもその人のセンサーが光に反応するからだ。 それを見なかったことにするのも、 逃げまわるのも、反感反発するのも、 自分を守るために事実を否定するのも、別の現実をつくるのも、 人のせいにするのも、他者を攻撃するのも、 その人の光のセンサーが反応するからだ。 そうしてかげりを深めてしまう。 自分のかげりに落ち込んで、 自分の存在を縮めるのも否定してしまうのも、 かげりを深めることだ。 どちらも地上に生まれてきたことの意味、人生の目的に逆らうことだ。
その時、その場面で、 かげりの方へ向かうのか、光の方へ向かうのか。 一人一人問われている。 「かげりの種」を育てるのか、「光の種」を育てるのか。 何を選択実行するのか――。全て自分の自由意志だ。 それが地上人生を生きるということなのだろう。
人がかげりの方へ向かう時、 そのかげりを増幅させ深めた時、闇が生まれる。 〜心の“かげり”によって形づくられた幽界は、 人間の心の弱さ、哀しさ、未熟さによって成り立つものです。 しかし暗黒界は、自ら“かげり”の心に生きることを 意志した者が織りなす世界です。〜
意図的な悪意、それのみが渦巻く世界。暗黒界。 地獄とはそういう世界なのだろう。 その「闇」に光は届かないのだろうか――。
暗黒界(幽界)を形づくるおぞましい思念想念も、 最初は地上の人間の創り出したもの。
みんな、ただ幸せになりたかった。 自分の存在を喜んでほしかった。 それだけなんじゃないか。 いのちはひとつらなりであるなら、 この地上はあまりに悲しい。
光の方へ。光の方へ。 「光の種」と「かげりの種」を宿す、地上の私たちが進もう。 光の方へ――。 |
28/03/2014(金) 22:54:51
No.12035 飯沼 |
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この記事の下の、Kさんからの投稿に守さんが連続投稿しています。 今回は、「まけるもんか」と書き込んでいます。
お手数ですが、そのスレッドの下にもまともな人たち(私を含めて・笑)からの投稿があるので、どうぞお読みください。
そういえば、守を名乗る女性(?)が初めて書き込んだのは、Kさんの娘さんに皆でエネルギーを送った時でした・・・。
しかし、「まけるもんか」という言葉には、当事者の心情が表れていますね。 今、この掲示板で苦境に追い込まれている関係者と推測できます。(もちろん断定はできませんが、いずれにしても痛ましいことです) |
29/03/2014(土) 00:00:49
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No.12036 飯沼 |
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☆さきさん
いつもながら、素晴らしい文章ですね!
まさにその通りだと思います。 今朝、読み直して、ちょっと気になった箇所がありました。
>自分の存在を喜んでほしかった。
というところなんですが、 幸せ感とは、より本質的に言えば「自分の存在を自分が喜べるかどうか?」ということではないかと思うのです。
もちろん、誰かに(より多くの人に?)自分の存在を喜んでもらえることは幸せ感を高めるのだと思いますが。
「誰かに(より多くの人に?)」ということが基準になる人もいるし、「自分が存在を喜んでいる人(好意を持っている人、大事に思っている人)から自分の存在を喜んでもらえていると思えるかどうか」が基準になっている人もいるのでしょうね。
本当は、たとえどんな自分であっても神の絶対的な祝福と赦しの中で生かされている存在なのだから、そういう自分を喜びながら、少しずつでも成長していければ、それが何よりの幸せなのですが・・・。
全ての人間は神の経綸の中で、地上という舞台でそれぞれのテーマを背負って地上人生を生きる仲間であるのですから、摂理を踏みにじってまで未熟で小さな自分を守る必要なんてないのだけどね。
結局のところ、どこまで逃げても摂理の中なんだから、いずれは全部自分が背負い直すことになるだけ。 しかし、それは当の本人にとっては、重く苦しいことになってしまう・・・。
本当は、自分の過ち・非を率直に認めて詫び、それにふさわしい埋め合わせをさせていただけばよいだけの話なんだけど、それがなかなか難しいようで、見ている方が苦しくなってしまう。 |
29/03/2014(土) 12:11:28
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No.12037 飯沼 |
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上の12035の続きです。
興味本位での謎解きではなく、この掲示板の運営の妨害をやめさせる目的もあって、あえて書き込みます。
一昨日の朝、N氏からの「毒は毒を以って制する」という伝言メールの少し前に、N氏は掲示板に連続で3回も投稿を試みています。
その前夜に私はやむなくN氏のIP(ホスト?)を投稿禁止にしていたので、彼は投稿できなかったのです。 なので、さきさん携帯に私への伝言を伝え、「どういう意味か?」と私からの伝言メールを受けて、「Kさん夫妻を刺激(挑発だったかも)するな」と返信してきました。
「毒は毒を以って制する」という言葉が、状況にマッチしていない気がして、「もしかしたらこれは脅迫のつもりなのか?」とも思いました。
しかし、そうではなかったのだと、さっきふと分かったのです。
「毒は毒を以って制する」の、はじめの「毒」は掲示板上での私のコメントで、後の「毒」は守さんによる嫌がらせ投稿のことだったのでしょう。 つまり、私の虚言妄言(!)に対しての守さんの投稿だったのだと、正当化するしかなかったということではないでしょうか?
私がIP(ホスト?)を公開して、「守さんは女性でしょう」と書いたことで、守を名乗る人物が動揺していることをNさんは知っていたのだと思います。
当然N氏は、守と名乗る人物が誰であるのか知っていたことになります。 ということは、間違いなく関係者であり、おそらくはK夫妻のどちらかであり、おそらくは妻の方でしょう。
自分が虚言妄言の投稿をし、それに対して私はていねいに返信したにもかかわらず、そこにはコメントすることもできずに匿名で下卑な書き込みを続けるとは無礼千万。
その根性を叩き直して、素直に謝罪することを勧めます。 今回の騒動は、全てあなたの身勝手さが原因になっているのではないですか?
何年か前、あなたの娘さんから、「母親に何か言おうとしたら徹夜を覚悟しなければならない」と聞いたことがありました。 「絶対に人の話を聞き入れず、自分の思い通りになるまで大声を出してギャーギャー言い続ける。その声に父親も起きてきて、結局は朝方まで話が続く。初めは母親に指摘したり怒鳴る父親も、最後には根負けしてしまう」という話でした。
そんなあなたが今、平静でいられるはずがないと思います。 手がつけられない状態であっても不思議ではありません。 だとすれば、私の呼びかけに対してもあなたの娘さんは動けないかもしれませんね。 以前に挙げた2点について、あなたの娘さんがあなたがたに同意していると、私にはどうしても思えないのです。 私の認識が甘いのかもしれませんが、私は彼女がそういう人間だとは今でも思えません。
今の状況で、あなたは我が子を一番傷つけているのかもしれないのですよ。
その根性を叩き直して、素直に謝罪することを勧めます。 今回の騒動は、全てあなたの我儘・身勝手さが原因になっているのではないですか? 。。。。。。。。。。
もしもあなたが守を名乗る人物でないのであれば、申し訳ないことです。 これに関しては証拠は全くありませんから、私の思い違いであるかもしれません。 しかし、伝えた内容を変更する必要はありません。 守と名乗る人物が提供してくれた機会をいかして、平静でいるはずのない、今のあなたに伝えるべきことがあると判断して書きました。 |
29/03/2014(土) 18:06:36
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No.12038 飯沼 |
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さきさんと連絡がつきません。 今日の12時過ぎに、私が掲示板にコメントを入れたことを知らせたら、「今、電車だから帰ってから読みます」と返信がありました。 京都のNPOセンターに行くことになっていましたがその他の予定は聞いていません。
その後はメールしても返信がなく、家に電話をしても留守電になります。
普段ならこんなことぐらいで心配はしないのですが、3月2日のようにまたKさんたちが押し掛けている可能性も考えねばならず、気になります。
3月2日の件の前に、K氏がさきさんに電話したのは、娘さんが自分の思い通りにならないことに腹を立てたからでした。 娘さんが半泣きの声で、「父と話していて、私が父の意見に従わなかったので、父は『もういい!』と怒ってさきさんに電話しに行きました。どうしたらいいのでしょう?」と電話してきました。
まさかとは思いますが、この状況ですから気になります。 さきさんの今日の予定をご存知の方や、今日の午後以降にさきさんと連絡がついた人がおられましたら、私のメールにお知らせください。 お願いします。 |
29/03/2014(土) 19:25:25
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No.12039 飯沼 |
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もしかして、京都在住のsonoさんと会っているのかと思いましたが、そうではありませんでした。
さきさんのことですから豪快に寝入ってでしまって、電話やメールに気づかない可能性もあります。 そういうことなら笑い話で良いのですが。 |
29/03/2014(土) 19:55:52
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No.12040 飯沼 |
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まだ連絡がつきません。 寝入っているのではないように思います。
3月2日のことがあったので、「もしもまた彼らが押し掛けてき手も、絶対に中に入れるな。上り込まれたら、彼らをおいて、佐紀さんが外に逃げるように」と言ってきました。 でも、さきさんのことですから、そうはせずに話をする可能性もあります。
3月2日の時や今の様子では、まともな話などできるとは思えないのですが・・・。
今、にぃ&ちぃさんが「さきさんの家に行ってみようか?」と連絡くれましたが、もうしばらく様子を見るように言いました。 もしも行って、彼らがいたら、もっと大変なことになる可能性があります。 。。。。。。。。
≪以下は無事が分かってからの書き加えです≫
ちぃさんからの返信です。 嬉しかったので、皆さんにも読んでもらいたくて、無断転載です。
『もしも彼らが居たとしたら、にぃくんは冷静に対応するしそれは大丈夫、それよりさきさん一人で対応させる方がさきさんが大変じゃないか、ただ横になってるだけならいいけど、体調悪くて寝込んでるのだとしたらそれも心配。 いずれにしてもすぐに行けるように準備しとくと言っています。』 。。。。。。。
sonoさんもむちゃくちゃ心配してくれました。 ありがとうね〜!!
ほんと、さきさんはアホですよ〜 まあ、僕もアホでしたが・・・。 |
29/03/2014(土) 20:39:55
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No.12041 飯沼 |
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あ〜、今、さきさんからメールが来ました!!!!
他の人と会っているそうです!!!
もしかしたら、その人と会っているかもとは思ったのですが、その人とはつい先日にも会っているので、可能性は低いと思っていました。 私はその人の連絡先を知らなかったので、問い合わせができませんでした。
とにかく、無事でよかったです!!
お騒がせして、大変申し訳ありませんでした。 |
29/03/2014(土) 20:43:08
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No.12042 にぃ&ちぃ |
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>お騒がせして、大変申し訳ありませんでした。
ほんまや!
by 饅頭大好きにぃです。
連絡がついて良かったです! 楽しく飲んでたら連絡できないのはよく分かるし、 こういう状況だからヌマが心配する気持ちもよく分かるし大丈夫ですよ^^ 何かありましたらいつでも飛んで行きます。
それから・・・
>私の認識が甘いのかもしれませんが、私は彼女がそういう人間だとは今でも思えません。
私もそう思います。 彼女の心を信じて願っています。
by ちぃ |
29/03/2014(土) 21:39:05
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No.12043 さき |
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わっ、ごめんなさい。 先ほど帰ってきました。 ご心配おかけして申し訳ありませんでした。 福島からの避難者の集まりに行ってたのですが、 京都に避難していたメンバーのお一人が別の地域に引っ越しされることになって送別会をすることになり、居酒屋に行ってました。 携帯を見てなかったのでメールも電話も気がつかなくて ぬまさんのメールをみてびっくりして酔いがさめました。 お騒がせしてすみませんでした。 sonoさんもにぃ&ちぃさんもすみませんでした。 |
29/03/2014(土) 22:11:14
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No.12044 飯沼 |
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さきさん、 とにかく無事でよかったです!
にぃくん、 照れてますね? 実は頼りにできてカッコいいところを暴露してごめんね〜! |
30/03/2014(日) 12:46:49
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No.12045 さき |
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ぬまさんの投稿が堪えたのか、守さんも真さんも出てこなくなりましたね。 やはりただの便乗投稿、愉快犯ではなかったんですね。
「自分の存在を喜んでほしかった」について 補足してもらってありがとうございます。 >本質的に言えば「自分の存在を自分が喜べるかどうか?」 その通りだと思います。 最初に「自分の存在を喜びたかった」と書いてから、後で書き直しました。 人間弱いし、もっと俗っぽく乳児期幼少期に「無条件に自分の存在を喜んでもらえるのかどうか?」が、その人の人生に与える影響の大きさを思ったからです。そこで皆最初の「かげりの種」を設定されるんだろうと思ったからです。言えばそれも自分で決めてきたことなんですけどね。
今回の「はじめに」は ぬまさんのNO.12020の投稿に触発されて書いたんですよ。 それと「魔(心の闇)」についてのメッセージ、です。 悠々塾のHPにも掲載されています。 ttp://www.d5.dion.ne.jp/~susa/8_keiji/19.html 最初読んだ時に涙がとまりませんでした。 それから自分が翳っていきそうな時に取り出しては読んで、自分の支えにしてきました。 皆さんこの機会に読んでみて下さい。
ぬまさんの投稿も再掲します↓↓ ********* 自分の気持ちや自分の都合はいつもあるけれど、地上の人間にとってそれはなかなか重いものではあるけれど、だからといって「魂につながる人としての心」を投げ捨ててしまえば、それにふさわしい現実がもたらされます。 魂につながる人としての心を自分としての心(気持ち)と重ね合わせてこそ地上人生だと、私は思います。 唯々諾々と周囲や状況に流されるばかりではなく、大事な時には自分の全てで毅然として周囲にモノを言い、状況を変えようとする勇気を持ってこそ、充実した地上人生になるのだと思うのです。
表裏・陰日向、八方美人は必ず破綻し、身勝手で冷酷な素顔を皆に晒すことになってしまいます。 そういう弱さは誰の中にもあることだからこそ、私たちは共に「この地上を人として自分としてどう生きるのか?」学んでいるのです。 もちろん言うまでもなく自由意志に基づいてであり、だからこそ自分の判断・言動の結果は自分が責任を負うことになるのです。
人が人を断定したり裁いたりすることはできないし、すべきではないと私は思っています。 それらは摂理によって、大いなる存在によってなされることです。 「毒は毒を以って制する(悪はより大きな悪をもって排除する)」という考え方や「仕返し・復讐」というものに、私は全く同意できません。
悪と過ちの境目すら私にはよく分かりませんし、人間にはそれを決める能力も資格もないように思うのです。
******* 魂にズドンと響きましたよ! 縁あってこの掲示板につながったすべての皆さんの「魂につながる人としての心」に響くと信じます。 |
30/03/2014(日) 13:11:49
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No.12048 飯沼 |
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>ぬまさんの投稿が堪えたのか、守さんも真さんも出てこなくなりましたね。 やはりただの便乗投稿、愉快犯ではなかったんですね。<
はい、そう思います。 守さんは、Kさんの妻。 真さんは、隠れた当事者であるレアなオモチャ愛好家。 その可能性が高いと思います。 (万一、もしも違っていても、私は彼らに対して責任を取る必要があるとは思いません)
守さんの「負けるもんか」もそうですし、真さんの短いコメントにもその人が何を意識しているのか、どういう意識に基づいて書いているのかは見えてくるものです。
前にも書きましたが、言葉や行為というものは、その人の意識(心)を表現する媒体です。 意識(心)とは真逆の表現をする場合もありますし、意識(心)を限りなく薄めて言葉を作っていても、元にある意識が透けて見える場合もあります。
言葉や行為は媒体ですから、意識(心)にこそ実体があるのです。 そこにこちらの意識を合わせて、もたらされたさまざまなこととの整合性を、いくつものラインと全体において検証していけば、ある程度のことは見えてくるのです。 。。。。。。。。。。。。。。
今回の騒動は、ここまでのものになるとは思っていませんでした。 しかし、関係者の人たちの闇の深さに気づいてからは、私の方もある意味での「挑発」をしてきたと思います。
普通のやり取りが成立しない状態であることが分かったので、向こうの人たちの神経を逆なでしてでも、あえて事実・真実を提示していくしかないと思いました。(読者の皆さんへの説明の意味もありました) 波風を立てて、固定している闇の状態を一度ごちゃごちゃにかき混ぜてしまうしかないという考えでした。
完璧な闇などあるはずがないので、闇の状態に固定されていたとしても、かき混ぜれば底に沈んでいる光の要素(粒子)が浮き上がってくるかもしれない。 たとえわずかでも光の要素が浮き上がれば、こちら側の光とつながって、光と闇とのせめぎ合い(抗争ではありません)を経て、光が闇を制して劇的浄化につながる可能性があると考えたのです。
今回最も期待していた光の要素(粒子)は、Kさんの娘さんです。 彼女は自分や家族の“現状を守る”ことで実際にはさらなる闇に突き落とすことになるのを知っているはずですから、勇気を振り絞って家族を救い、自分自身を救う決断をしてくれると信じていました。 過去形で書きましたが、今は「無視」という闇の状態であっても、それは沈黙せざるを得ない事情があるのかもしれず、今からでも遅くはありません。
私がここまで関わったのは、克から伝えられているように、地上界の浄化・地上人類の霊性進化の雛形としての悠々塾の役割であると受け入れたからです。
しかし、私個人としてはそれだけではありませんでした。 今までの経験から、悠々塾とつながって、闇を光に転じるべき機会の後に自ら闇を選んだ人たちにどんな状況がもたらされるのか、ある程度予想ができるからでもありました。
絵に描いたように「因果応報」が形になってもたらされることが少なくないのです。 それは「自業自得」ではありますが、一度は心をつないだ者として、決して嬉しいことではありません。 「その時」になって慌ててこちらに助けを求めてこられる人もおられます。
そういう思いもあって、今回はあえて真正面から闇を照らして闇のエネルギーを弱め、仲間たちの光のエネルギーの支援を受けながら、固定した闇をかき混ぜて、「混沌」の状態に戻したとも言えます。
実際、おそらく今はそういう「混沌」の状態になっているような気がします。
私たちの働きかけはここまでです。
いくら強弁しても、知らん顔してどこに隠れようとも、摂理から逃れることはできません。 必死の形相で、元より不十分な私などを全否定したとしても、摂理の一片たりとも揺るぎはしないのです。
摂理を踏みにじれば踏みにじるほど、自分が苦しくなる。 これも摂理・法則です。
「南無阿弥陀仏」の心を忘れた者が、いくら「南無阿弥陀仏」を唱えても救われるはずがないのです。
「心に実体がある」とはそういうことであり、心の裏付けのない言葉は、それがいかに心地よくてもただの音・声にすぎません。 あえてシビアに言えば、「南無阿弥陀仏」の心に反した心で唱える「南無阿弥陀仏」は、「南無阿弥陀仏」の心を冒涜するものであるのです。
「南無阿弥陀仏」の教えは、地上に生きていれば必ず誰もが罪や過ちを犯す弱い存在である人間の救いのためのものであり、罪や過ちを奨励・助長・黙認するためのものではないはずです。 違いますか?
「南無阿弥陀仏」を冒涜する者でも、存在している者は全てが神仏の祝福と赦しの中にあるのですから、救われているとも言えます。が、それはまた人間の自己意識を超えた別の次元の救いでしょう。
今回の不快な騒動が、関係者の人たちを含むすべての読者の皆さん方にとっての、何らかの学びと変化の機会になってくれることを願ってやみません。 |
30/03/2014(日) 14:50:40
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