☆☆ 愛は時空を超えて 110 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。
飯)まず、先日のことについて教えてもらいたいことがある。 掲示板に書いた時にすでにインスピレーションで伝えられたことではあるが、もう一度改めて受信しておきたい。
克)はい、分っていますよ。
飯)掲示板には以下のように書いたのだが。 「昨夜は8時半ごろから9時半ごろまで、相談の電話があって、そのあと少し疲れたのでテレビをつけて、見るともなしに見ていました。
しばらくしたら急に、私の意識に「宇津井健」という名前が浮かんでどんどん大きくなり、宇津井健さんの顔やセリフの言い回しなどもとてもリアルに思い浮かんできました。
私は別に宇津井健さんのファンでもなく、「ちょっと変だな」と思っていたのです。
その後、仕事部屋に戻り、ちょっと用を済ませてさきさんと電話で話していました。 パソコンは開いていたので、電話をしながらネットニュースのページを開くと、「宇津井健さん死去」の記事が出ていました。
こういうことはたまにあるのですが、今回はさきさんとの電話中だったので、そのことについて話題に上りました。
「なぜ、宇津井健さんだったのかにも意味があるのかなぁ?」というさきさんの疑問もあったので、近いうちに「愛は時空を超えて」で受信してみようと思います。 と、書いたところで、もう答えが送られてきました!(笑) でも、やっぱり「愛は時空を超えて」で文字にしていくことにします。」
克)はい。 この場合は宇津井健さんという人が他界したことに(あなたにとっての)意味があったわけではありません。
さまざまな条件によって、たまたま彼の他界に関してのニュースに触れた人たちの想念エネルギーを受け取ったということです。
ちょっと複雑ですが、さまざまな条件についてもお伝えしておきます。
まず、かなりの期間にわたって日常化していたあなたのストレスがありました。 その上で、夕食後の一息ついた時にかなり長時間の相談の電話でした。 その電話の相手は半年以上前に、別の内容の電話であなたが厳しく指摘した後、連絡が途絶えていた人でした。 あなたは相談の電話などであのように厳しいことを言うことはまずないのですが、あの場合はそういう厳しい対応をしなければ、相手が事の重大さを認識できないと思ったからでした。
そのことによって、今までそれなりにつながりのあったその相手でしたが、連絡が途絶えてしまいました。 あなたはそれも仕方のないこととして、いつか分かる時が来ることを願うしかありませんでした。 ところが、先日のその人からの電話で、「飯沼さんに喝を入れられて、これではいけないと思って、その後の7ヵ月間、自分なりに頑張ってきました」と伝えられて、あなたはやはり嬉しかったのです。 心無い人たちから実に理不尽な攻撃を受けている時期だったので、なおさらのことでした。
その嬉しさがあなたの心を緩め、その人との相談の電話が終わって一息ついたタイミングで、あなたは宇津井健さんの他界のニュースに触れた一般の人たちの想念を受け取ったということでした。
ですから、特に意味のあることではなかったのですが、さまざまな条件が重なって心が空(くう)に近い状態だったことで、たまたまその時にそれなりの大きさで飛び交っていた見えない情報(エネルギー)をキャッチしたということです。
飯)ありがとう、分りました。 「ある条件下における、どうということもない現象」という感じだね?
克)まあ、そう言ってしまえばその通りです(笑) しかし、想念・情報というものはその全てが、肉眼に見える形や肉耳に聞こえるものとは別の次元の空間を飛び交っているということを認識することには意味があると思いますよ。
他界した愛する人との交信(意識・心の交流)を願う人は大勢います。 しかし、地上の側の人間の意識が地上的なことや目先のことにとらわれすぎていれば、交信は難しいのです。 悲しみや寂しさに囚われている場合も同じです。 その場合は、そういう世界の未浄化霊や悪戯好きの未浄化霊を引き寄せてしまうこともあります。
他界した愛する人との交信にしても、指導霊からのインスピレーションを受けるにしても、地上的な意識が重すぎては難しいのです。 地上的な意識・想念の隙間があってこそ、交信・受信も可能になってくるのです。
飯)そう言えば、僕がお前からの思念を初めて受け取った時も、前の悠々塾の建物(古い民家)に行って、ある種の無心状態になっていた時だった。 あの時は本当に驚いたが、こうして回路ができてしまった今では当たり前のように交信しているのだからね。
克)はい、そうでしたね。 あれももちろん、そういう状態になるように指導霊の皆様方があなたをお導きくださったわけですが。
地上の人間は、それぞれに地上のことに執着しすぎ、あるいは自分の今を守るために心を硬くしすぎています。 こちらから見れば、まるで重苦しい甲冑で身を(心をですが)固めてしまっているようで、こちらからの精妙な思念のエネルギーを跳ね返されてしまうのです。
一般的な交信だけでなく、芸術などのインスピレーションでも、今までの自分のイメージや表現スタイルの守りに入れば、次の展開に進みにくくなってしまう場合もあります。 優れた芸術家が今までの自分の作品・作風に停滞・埋没することを拒否して、今までのものをぶち壊すように投げ捨て、新しくゼロから始めたり、そういう衝動に駆られることも同じような意味です。
飯)なるほど、ありがとう!
さて、次はどういうテーマで伝えてもらえるのだろう? 僕としては他に訊きたいこともあるし、例の件はもう勘弁してもらいたいんだけどね。 終わったはずの話が前回のこの受信が元で蒸し返されて、その後から今にいたるまで思いっきり理不尽で不愉快な目にあわされているのだから。
克)はい、状況の推移もあなたの気持ちは十分に承知していますし、あなたがこの件で疲れ果てていることも承知しています。 しかし、こちらにはこちらとしての考え・判断があります。
飯)ということはまたあの話になるということ? あの件は、真実はどうであれ、一定の結論が出たのだから、もうこれ以上は関わりたくないんだけどね・・・。 前回の「愛は時空を超えて」の追加受信した分も公開していないし、結局はあの時にお前から伝えられた通りになったようだが、これ以上受信しても意味がないと思うんだ。
克)はい。 ですから、状況の推移もあなたの気持ちも十分に承知しています。 しかし、地上界浄化の雛型としての悠々塾にもたらされることには、全て重要な意味があるのです。 全てに雛型としての意味があるのだという認識をもってください。
ですが、あなたの要望を受けて、ごく一般的にお伝えするようにしましょう。 前回こちらから伝え、あなたが非公開にした通信には、「ある意味においては、『形式的なものに主たる価値をおく判断の顛末を見せる』という雛型であり、『形骸化したものの実状を見せる』ということの雛型でもあるのです」とお伝えしました。
しかし、今回の件の意味はそれだけではありません。 事実・真実に向き合えない者、自分自身の過ちに向き合えない者は真実というエネルギーの輝きに半ば生理的に反発してしまいます。 その反発のエネルギーが共鳴・増幅すれば、おぞましい限りの暗黒界を形成し、それはこの地上で一つの現実世界を形づくってしまうのです。 真っ当な人間からすればまさに眩暈がするような倒錯した世界が現実に展開してしまいます。
そこに巻き込まれ、暴力によって迎合させられた自分の本当の意志や気持ちを認識すらできなくなってしまう者がいるとすれば、言わば「迷える子羊」であり、最大の被害者です。 悪意のないごく普通の人間にとって、それは非常にお気の毒な状態ではあります。 しかし、もしもその者にとって真実や真の愛への希求が確固たるものであるならば、別の手立て・対応はいくらでもあるのです。 悲惨な状況下に置かれていたとはいえ、最終的には本人の選択として形を成したということです。
今までもお伝えしてきたように、特に地上界の浄化の時期には個人にも全体にもさまざまな事象がもたらされ、そこで自分がどちらの道を選ぶのかが問われていくのです。 聖書では、「羊と山羊に分かたれていく」と表現されています。 地上の闇を照らしていく側の者として生きるのか、あるいは自分も闇に取り込まれてその一員として生きるのか、その選択の機会がそれぞれにもたらされるのです。
過去世で闇やかげりが深かった者たちは重いカルマを背負っているのですから、真実の輝きやまことの愛に向かうにはそれなりの壁を越えていかねばなりません。 過去世のカルマがさほどでもない者たちは、真実の輝きや真の愛のエネルギーに触れた時、それを喜びとして比較的容易にそちらに進むことができるのです。 それでももちろん今の地上界の状況からすれば、その者としての試練や葛藤はあって当然です。 誰であっても、今までの自分の未熟なかげりを自らの意志で越えて、初めて新たなる健やかな喜びに満たされるのです。 残念なことに、そういう者でも真実の輝きや真の愛をまぶしく感じ、自分自身に躓いてしまう場合も少なくありません。
今の地上に生きている人間は全てが自らの意志で再生してきた者たちであり、それぞれに幾度かの過去世を生きた経験のある者たちです。 過去世のかげりが深く、暗い幽界に堕ちて長くそこに留まり、ようやく自分の地上人生に向き合うことができて、本来の霊界に戻ることができた者も少なくありません。 なかには暗黒界にまで身を落とし、ありとあらゆる悪意にまみれたのちに、惨めな姿を晒しながら腐臭を放つ暗黒界から這い出ることができた者もいるのです。
そういう者の再生後の人生は、過去世の過ちを再び犯すこともプログラムされており、「そうしてしまった後に自分がどうしていくのか?」ということが人生の大きなテーマになっているケースもあります。 もちろん、「今回の人生では、過去世と同じ過ちは犯さない」ということが大きな課題になっている場合もあります。 その人の過去世でのありようや、地上を離れてからの状態などの全てが精査されて、今回の人生のプログラムが組まれていくのです。
暗い幽界や暗黒界からようやく戻ることができて、ふさわしい時期に重い課題を越えるために自ら意志して地上に再生したにもかかわらず、またしても同じ過ちを繰り返す者も少なくありません。 過去世よりもさらに醜悪な過ちを重ねてしまう者もいます。 それでも全ての人間が神の御心を戴いた神の子であることに変わりはありません。
しかし、そういう重いカルマを背負っている者が、再生の人生で課題をクリアすることは実に難しいことです。 だからこそ、大事な時機にアドバイスを与えたり、強く指摘して道を示してくれる者が周囲に配剤されているのです。 あるいは、最後の最後まで愛念や友情を送り続けてくれる者たちが配剤されているのです。
当然ですが、それは関わりを強要するなどということでは全くありません。 もちろん、暴力や威嚇によって人の心を押さえ込んで支配するような愚かで卑怯な振る舞いとは無縁のものです。 あくまでも自由意志を尊重し、真実に基づいて、魂につながる人としての心を信じるということです。
悠々塾のつながりの意味のひとつはそこにあります。 悠々塾につながる皆さんがたに、そのことを改めて認識・実感していただくためにも、今回の件は中途半端にしてしまうわけにはいかなかったのです。 かげりや悪意が共鳴増幅した時に、どのような倒錯した世界が現出してしまうのかということも知っておいていただく必要がありました。
あなたやさきさんに多大な迷惑がかかることも承知の上で、つまり再び関わりを要請されることも織り込み済みで、前回掲載の「愛は時空を超えて」をお伝えしました。 あなた方は霊界側に使われる身であることを分かっているとはいえ、ずいぶんと嫌な思いをさせてしまいました。
仲間の皆さん方にも不愉快な思いをさせてしまいましたが、悠々塾という場につながることの意味を改めて認識していただきますように。 そして、自分を含めた今の地上の人間が、「光の喜びに向かうのか、あるいはかげりや闇に迎合して自らも暗い境涯に向かうのか?」の重大な分かれ道に立たされていることを知っていただきたいのです。
現状における「結果」はそれでよろしいのです。 あまりのことに「今までのことはいったい何だったのか?」と、ショックを受けている人も少なくありませんが、あなた方が心をかげらせてはいけません。 ましてや本人の心の内の全てが分るわけではないのですから。 あなたがたは毅然として真実に向かいながら、決して消え去ることのない温かい愛念を向け続けていただきたいのです。 今、表現されていることが心の全てであろうはずがありません。 あなた方は示された意向に沿いながら、あなた方らしく愛念を送ってあげればよいのです。
心と心、魂と魂がわずかでも触れあったのであれば、その喜びは真実としていつまでも相手の心に埋め込まれているのです。 それが相手の心の中でいつ光を放ち始めるかは、まさにその人次第でよろしいのです。 あなた方が信じるべきは人の心です。
もちろん何でも闇雲に信じればよいという話ではなく、どちらが真実の波動(エネルギー)を発しているのかを感じ取る感覚を、さらに磨いていく機会にしていただきたいのです。
人は誰でもが過ちも犯します。 しかし過ちの質や深さによって、健やかな光の喜びに立ち戻る期間や道筋はさまざまです。(そういう条件を越えたエネルギーも存在しているのですが、今はそのことには触れません) これは地上に限ったことではなく、死後の世界でも同じです。 地上界の浄化は地上人類の意志によって成し遂げられるべきものですし、個々人の健やかな喜びの回復(浄化)もまた個々人の意志と責任においてなされるできものなのです。
しかし暗い世界に堕ちた者がそこから這い出るきっかけは、ほとんどの場合が腐臭を放つ靄(もや)の隙間を衝いて一筋の光として届けられた地上の者からの愛念です。 それもまた神の配剤、摂理であるのです。
その摂理を踏まえた上で、あなた方はかげりに心をかげらせることなく、魂の約束に基づいて健やかな愛念を送ってあげていただけますように。
最後に言えば、今回のことはあなたが非公開にした「愛は時空を超えて」で伝えたような展開につながる可能性もあるのです。 学びの縁をつないだ者として、本当の幸せを願ってあげてください。
飯)そちらの意図も含めて、分りました。 皆さんにも理解してもらえると思います。 ありがとうね! 他に訊きたいこともあったんだけど、またにします。
克)はい、あなた方の方こそ、本当にお疲れさまでした。 皆さんがたそれぞれに傷ついているので、ゆっくりいたわってくださいね。
(2014・3・18受信) |
18/03/2014(火) 18:16:25
No.11970 飯沼 |
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「愛は時空を超えて」、アップしました。 普段は気持ちが乱れている時には受信できないのですが、今回はそれに近い状態にもかかわらず一気に受信しました。 まだまだ健在です(笑)
>しかし、そういう重いカルマを背負っている者が、再生の人生で課題をクリアすることは実に難しいことです。 だからこそ、大事な時機にアドバイスを与えたり、強く指摘して道を示してくれる者が周囲に配剤されているのです。 あるいは、最後の最後まで愛念や友情を送り続けてくれる者たちが配剤されているのです。<
この働きに就いてから約20年間の私の経験から言えば、そういう役割を担った人が家族として傍に配剤されている場合もよくあるように思います。 その場合は必ずと言っていいほど、とても難しく、勇気のいる局面がもたらされるものです。 それも含めてその人のカルマでもあり、今回の人生の課題でもあるということでしょう。
自分がどう思われるかとか、自分を守ることを優先していては、担った役割を果たすことができず、結局は愛する家族が暗黒の世界に堕ちていくことを看過・容認することになってしまうのです。 場合によれば、愛する家族が暗黒の世界に堕ちていくことを、自らの手で決定的後押しをしてしまうこともあるのです。
魂の約束を放棄した者が幸せになれるはずもありません。
誰もがいずれ地上を離れるのですから、その時になって、先に地上を去った家族が暗黒界の住人になっておぞましい姿でいることを知らされ、同時に自分の弱さから果たせなかった地上での自分の役割を知らされ、自分自身も身もだえして後悔することになるのかもしれません。
誰にもそういう可能性がないとは言えないのですから、地上人生というものはやはり大変なものです。 |
18/03/2014(火) 20:24:53
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No.11971 守 |
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暗黒界の住人になっておぞましい姿
佐村河内飯沼の姿 ですよね (笑) |
19/03/2014(水) 23:51:26
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No.11972 飯沼 |
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なかには暗黒界にまで身を落とし、ありとあらゆる悪意にまみれたのちに、惨めな姿を晒しながら腐臭を放つ暗黒界から這い出ることができた者もいるのです。
そういう者の再生後の人生は、過去世の過ちを再び犯すこともプログラムされており、「そうしてしまった後に自分がどうしていくのか?」ということが人生の大きなテーマになっているケースもあります。 |
20/03/2014(木) 00:31:20
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