☆☆ 愛は時空を超えて109 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。
飯)今回はちょっとしたことだけど、訊きたいことがあって早めに受信します。
克)はい、よろしいですよ。 それに関してはこちらからもお伝えしておきたいことがあります。
飯)あの、まだ何も言っていないんだけど?(笑)
克)今さらそんな分りきったことを言っている余裕があるのでしょうかね?(笑)
飯)ちょっと受けねらいだったけど、そりゃそうだね(笑)
全くたいしたことのない話かもしれないんだけど、僕が借りている畑のことです。
今年はなかなか寒さの厳しい冬だと思うんだけど、大根や白菜が例年よりもはるかに寒さの害を受けていない。
大根は、一般的に氷点下2度以下の冷え込みに2回ぐらい曝されたら、土から出ている部分が凍傷を起こして白い部分が透き通ったようになり、表皮も破れて食べられなくなるそうだ。 氷点下2度の冷え込みなんて丹波ではごく普通のことだから、昔、有機農業をしていた頃からずっと、1月になれば大根の上部(土から出ている部分)は腐ったようになっていた。
うちは窒素肥料をたくさん使わないから、葉っぱはそれほど茂らず、大根の土から出た部分はもろに寒さにあたってしまう。 まあ、土寄せをすればいいんだけど、なかなかそれもしていなかったからね。
今年も大根の根の部分がかなり土から出ているのに、今年は今のところほとんど凍傷になっていないんだ。 冬の大根を作ったことがない人からすれば特にどうという話ではないのかもしれないが、それなりに農業経験のある者にしてみれば、驚きに値することではある。
しかも大根だけではなく、今年は白菜もほとんど寒さの害を受けていない。 白菜は結球したら寒さで上部が凍傷を受ける。 結球のゆるいものもそれなりに凍て込みの害を受けると思うが、今年はそれもほとんどない状態だ。
僕は昨年あたりから、「(土壌)微生物たちと心(意識・エネルギー)を交わす農法」ということを意識してきた。 残念ながらまさに片手間菜園なので、全く不十分な農作業しかできてはいなくて、昨年は特に体調不良や雨不足の影響で野菜の出来栄えも決して良くはないんだけどね。 だけど、出来具合とは別に、大根などが凍傷にかからなかったことは何か理由がありそうにも思う。
僕自身が特に昨年あたりから、寒さに強くなったように思うし。 昼間もそう感じるけど、夜にトイレに起きた時などは室温が1〜2℃なんてことも珍しくないのに、あまり寒く感じない。 以前なら、寒さで体が震えるようになっていたのに、今年などはほとんど寒さが気にならない。 風呂に入る時やふろから上がった時の感覚も、以前とはまるで違っている。
「ヌマも齢のせいで寒さに鈍感になったんじゃないですか?」なんて言う人もいるけど(←にぃ&ちぃさんをはじめとして・笑)、断固としてそんなことはない。 寒さは寒さとしてちゃんと感じているけど、寒さに体が影響されなくなったというか、受ける影響が今までよりもはるかに小さくなったという感じだ。
それはおそらくは体内微生物であるミトコンドリアが活性化しているからだと思う。 ミトコンドリアは、細胞(身体)のエネルギー生産を担っているのだから、十分にあり得ることだと思う。
今回訊きたいことは、僕の体の変化と畑の大根が凍傷を受けなかったことに関連性があるのかどうかについてなんだけど、どうなんだろう? ミトコンドリア同士が響き合ったとしても不思議ではないが、植物のミトコンドリアはさほど多くはないし、それなのにそんな影響があるものかどうか・・・?
克)はい、お答えいたします(笑) それが全ての原因ではありませんが、やはり影響が出ていると考えてよろしいでしょう。 しかし、まだまだ響き合いの作用は微々たるものであると言うべきです。 今回の現象自体をあまり深く掘り下げるのではなく、あなた自身の意識をもう一度しっかりと、「(土壌)微生物たちと心(意識・エネルギー)を交わす農法」というものに向けるためのきっかけにするためのものであったと認識することでよろしいのです。
しなければならないこと、意識(エネルギー)を注がなければならないことがいくつもある中で、どうしても「(土壌)微生物たちと心(意識・エネルギー)を交わす農法」については二の次、三の次になりがちです。 それは優先順位から言えばある程度仕方のないことではありますが、だからといってあまりにもあからさまに片手間にしてしまってはいけません。 優先順位を固定化するということは、序列をつけるということになってしまいます。
「(土壌)微生物たちと心(意識・エネルギー)を交わす農法」というものに関しては、単に農法の範疇に収まらないようなたくさんの大事な気づきや学びの要素が含まれているのです。 人間の心身の病に対するヒーリングにも非常に大きく関わっている要素があるのです。 そういうつもりで畑や作物のことを思い、農作業にいそしんでいただきたいのです。 作物の出来・不出来も大事ですが、あなたの場合はそれだけではない意味づけや目的があるのですから。
ちょっと話が逸れますが、微生物が放射能を消失させられるかどうかの議論についても一言お伝えしておきます。 心のエネルギーを度外視しての議論には、ほとんど意味はありません。 生命の健やかな喜びという心のエネルギーを使いこなせるようになれば、放射能はもちろんあらゆる物質に対しても作用できるのです。
飯)はい、分りました。 多少なりとも、僕の変化が影響しているのなら嬉しいことだと思うし、この春から新たな気持ちでやっていきます。
克)あなたは霊的真理や心のエネルギーというものを受け入れ、そこに目覚めてから、ずっと変化・成長を続けてきました。 今の地上の人間のレベルからすれば、あなたの霊的真理(愛と摂理)に基づく真実の希求というエネルギーも行動力もまさに尋常ではないものがあると言えるでしょう。 尋常ではないという表現はどうかと思いますが、実際にそういうラインでのあなたのエネルギーは人並み外れているのです(笑)
もちろん、今のあなたは摂理や真実に沿えない者たちに対しての理解・共感も深まり、むしろ柔軟に受け止めて「皆の本当の幸せ」を軸にした対処もできるようになっています。 それでも「重大な隠し事」をしている者には、あなたのエネルギーに照らされることを怖れさせる迫力は厳然としてあるのです。
そこまでではなくても、「この人のエネルギーや輝きに自分はついていけない」と感じている人も少なくありません。 しかし、そういう人であっても、あなたからの評価や共感の中でもっと近づきたいという願い(それはいわば魂本来の欲求でもあるのですが)を抱いている人たちも少なくないのですが・・・。
そしてあなたの側からは、「依存させてはいけない。従属・迎合させてもいけない。強く言うべき時には言わねばならないが、それはその人の気づきにとって重大な局面においてのこと。通常時はあくまでもそれぞれの人の自由意志や感性を尊重するべきだ。人は本来、一人ひとり別個の存在なのだから」という思い・認識の波動が発せられているのです。
あなたには私が言わんとしていることが分ったようですね?
飯)うん、おそらくは。 つまり、畑の作物とは無条件で心(意識・エネルギー)を通わせようとできているから、それなりにではあっても直接的に影響を与えることができる(場合がある)。 しかし、人間相手になると、相手側にもある種の防護壁があり、僕の方も直接的に影響を与えることに遠慮や躊躇が生じてしまうということだね?
克)はい、そういうことです。 生命とは魂であり、魂は一般的には、より進化している側から影響を与えていくことが摂理・法則です。(もちろん一方通行ではありません) どういう影響かを一言で言えば、「より健やかな方向に」ということになるでしょう。 「(違いを超えて)より大きな調和の方向に」という意味でもあります。 全ての魂にとって、それが喜びなのです。
より健やかな喜びに向かって、より強くつながっていくこと、次元や段階や程度を超えた大きな意味で一体化していくことは依存や従属(逆から言えば支配。強制)などとは無縁のものです。 個々の自由意志や感性を尊重しながらも、生命=魂としてのつながり方・大きな意味での一体化は可能なのですし、それが本来の意味における「いのちはひとつらなり・共生」ということです。
そこに「指導」というニュアンスが含まれる場合もありますが、そういう狭い意味ではなく、もっと直接的で本来的な宇宙の法則・神の摂理なのです。
霊界では、地上人類を一つの意識体として認識しているということをあなたは知っているはずです。 ということは、人間同士であればなおさら魂(心・意識)のエネルギーは交し合えるのですし、つまり直接的に影響を与えることができるのです。
あなたがヒーリングの時に、「対象者を肉体として認識するよりもエネルギーの塊(かたまり)として意識した方がヒーリングエネルギーを注ぎやすいような気がする」という感覚についてのヒントとして受け止めてくださいね。
飯)はい。 とてもよく分る気がするよ。
克)それならば結構なことです。
飯)肉体の外側により精妙なさまざまな意識の層が描かれた図をよく見かける。 あれは決して間違いではないし、地上的にはあのように理解した方が分りやすいと言えるが、心・意識の領域を含めた人体というものは実際にはああいう平面図ではなく、次元(精妙さ・振動数)の違う粒子・波動が混然一体となって響き合っているような気がする。 もちろん、エネルギー伝達の順(法則)はあるのだが。
克)はい。 もう何年も前に、ヒーラー養成合宿という場を持ち、そこで参加者たちに「この人たち(飯沼・さきさん)のようになりたい」と思ってもらって、あなたとさきさんが頭頂からエネルギーを注いだことを思い出してください。 あの頃はもちろん非常に不十分なものではありましたが、原理としては同じです。
あなたとさきさんが(悠々塾につながる皆さんがたの)霊的リーダーであることは、皆が認めることのはずです。 そうは言っても、もちろんあなた方も進化・成長の過程にあるのですし、そもそも地上の人間は肉体、感情・理性体、霊体(個霊としての部分)、類魂の一部としての魂・・・というように、さまざまな次元の層によって成り立っているので、それぞれの層のエネルギー(意識)変換がスムーズにいかないことは誰にでもあります。(便宜上、平面図的な言い方をします) それはあなたやさきさんも同じですし、それぞれのカルマも傾向も背負っているのですから、意識の偏りもあり、かげりを生じることもあって当然です。
同じ地上の人間としての弱点や問題点は持っているとしても、やはりあなたやさきさんは(悠々塾の)霊的リーダーであるのです。
まずはそのことをありのままに受け入れて、仲間たちに対しても心身の病に苦しむ人たちに対しても、あるいは偏った(天地転倒したかのような)価値観を抱く人々に対しても、自信を持って健やかな喜びに向かうエネルギーを直接的に注ぐことです。 ここで言う「直接的」とは、「面と向かって」ということではなく、「何の遠慮も躊躇もなく、両者の間に一切の障壁を設けず」にという意味です。 相手側にはそれなりの防護壁があるのであれば、それを無意味化するエネルギーを発することです。
それはもちろん強制のエネルギーではありません。 健やかな調和の喜びに向けて、無条件の同調・一体化のエネルギーなのです。 無限につながる健やかさに向かう喜びのエネルギーを躊躇なく、無条件に注がれることで、それがその人なりのより下位に変換されて地上的形を成すのです。 変換の過程で歪みや偏りが生じ、効果が大きく減じられることは当然あります。 かげりを増幅させてしまうことも少なくありません。
それでも、健やかな調和の喜びに向かうエネルギーはこの宇宙に無限に充満しているのですから、やがて必ずその方向に変化が顕れるのです。
このエネルギーは、今、あなたとさきさんが進めようとしている計画においても非常に重要です。 謙虚な態度や言葉遣いとは全く別に、上述のようなより健やかな調和に向かう喜びのエネルギーを、圧倒的な霊的上位の立場から無条件に躊躇なく直接的に発していくことが必要なのです。 説得やお願いではなく、エネルギー的に自分たちの側に一体化していくという認識と気概が求められます。
例の件の一番最初の時、彼はあなたのそういうエネルギーに感応して、つながってきたのです。 これから出会う人たちは彼ほどには感応しない者が多いと予想されるのですから、あなた方もそのつもりで、自分たちの弱点を克服しておく必要があります。
飯)はいよ、分りました。 これは例の件だけでなく、ヒーリングエネルギーのダウンロードに対するヒントでもあるよね?
克)それはもちろん、言うまでもありません。
これから地上界はさまざまに偏りのエネルギーが具現化していくでしょう。 それに伴い、その偏りのエネルギーを浄化する意味での計らいも激しくなっていくのです。 多くの人間にとって喜ばしい形ではなく、むしろ苦難艱難がもたらされていくことになるでしょう。 国のカルマの埋め合わせや浄化を激しく迫られる地域も増えてくるのです。
暴力や殺戮や陰謀によって栄えた強奪国家は、地球という大きな生命体の身震いによって崩れ、火に焼かれ、熱に乾き、水に流され、氷雪に埋もれ、灰をかぶり、石礫(いしつぶて)に打たれるのです。 放射能の被害も不安ももたらされ続けるでしょう。 しかし災害の意味は決してそれだけではありませんから、災害がもたらされる地域が全てそういう地域であるとは限りません。
いずれにしても、またしても弱者が苦しみを味わうことになりますが、大きなシステムを作り直すためのものであり、健やかな心の者たちはいずれ必ず喜びに満たされるのです。 人間は霊として永遠の生命を生きるのであり、決して地上人生が全てではありません。 むしろ地上人生はそのごく一部に過ぎないのです。 だからといって地上人生や地上のことを軽んじることは許されません。
人間は全て神の御心に基づいて、自分を地上界の霊性進化に役立てるために地上を生きる存在なのです。 我よしに生きた者たちはその責任は自らが負うことになりますが、それでも巨視的に見れば地上人類の霊性進化に何らかの貢献をしたことにはなるのです。
飯)はい、ありがとう。 例の件でレポートを書いている途中なんだけど、この数日はどうしても気になることがあって、ずいぶん意識が逸れてしまった。 すぐにレポートに意識を集中できなくなったから、軽い気持ちで先にこの受信をしておこうと思ったんだ。 だけど、レポートをまとめるにあたって、とても大きなことに気づかせてもらったように思うよ。
克)はい。 もちろん、それも含めてこちらから受信するように意念を送ったわけですが(笑)
飯)やっぱりそういうことかぁ。 途中からそんな気がしていましたよ(笑)
克)ついでにと言えば語弊がありますが、あなたがどうしても引っかかっていることについても少しお伝えしておきましょう。
あなたの引っ掛かりが正しいものであるか、あるいは思い過ごしなのかはお伝えできません。 私はそういう答をお知らせする役割ではないからです。
ですから、あくまでも一般論としてお伝えしますね。
飯)お、よろしくお願いします。 悠々塾という場は、真実というか、真実に向かうという方向性に基づいて、より健やかな喜びを形にしていく場でもあると思っている。 僕自身を含めて悠々塾につながる人たちは当然、地上ならではの課題・問題・かげりも抱えている。 だから、真実に向かいながらも、真実と現実の調整による当面の喜び・幸せを形にしていくことも働きのひとつだと思っている。 それぐらいの柔軟性は身につけているつもりだけど、はじめから意図的に悠々塾の仲間同士の信頼というものを利用して、重大な事実を隠して事を進めようとすることはあってはならないことだと思う。
それが仲間の人生に大きな影響を及ぼすことであればなおさらのことで、しかし、どこまで立ち入っていいのか、個人として悠々塾の主宰者としていろいろな葛藤があった。 僕にしては珍しく、肩がバンバンに凝るぐらいに悩んだよ。
克)はい、もちろん存じております。 しかし、今はあなたもそう思っているように、あなたの思うことはすでに伝えたのですから、それでよろしいのです。
あなたがたにしてみれば、「もう少し考えれば、もう少し心を遣えば、おかしいと思わないはずがないのに・・・」ということなのでしょうが、それもまたその人の現状であり、段階でもあるのです。
地上では、「なぜそんなことに騙されてしまうのか?」と思うようなことが日々、繰り返されています。 愛情に基づく混乱や怖れに付け込む場合も多々ありますが、騙される側の人の願いに付け込んでの詐欺行為も少なくありません。 どちらの場合も少し掘り下げて質問したり確認すれば、事実・真実はすぐに明らかになるのですが、表面的な言葉や説明で納得してしまう人自身が表面的な部分に判断基準を置きすぎているともいえるでしょう。
その意味では被害者はもちろんお気の毒ですが、騙された後にさまざまに心を遣わざるを得なくなります。 不謹慎な言い方を承知で言えば、それもまた計らいと学びの中だともいえるのです。
はじめから意図的に騙した側の人間(あるいは重大な事実を隠して話を進めようとした人間も同じです)が、犯した過ちと罪にふさわしく計らわれることは言うまでもありません。 いずれの場合も真実に立ち返る機会はあるのであり、それはいつも「今この時」にほかなりません。
もしも今回のことが、あなたが危惧しているような事であったとしても、あなたは正当な根拠に基づいて当事者に疑念を伝えたのですし、その上で本人が判断することでよろしいのです。 あなたは悠々塾の主宰者としての責任は果たしました。
そして、今回のことがあなたの思い過ごしであったとしても、あなたは誰をも傷つけず、あなた自身が一番傷つき悩みながら、真実と仲間の幸せを動機として、考え、心を遣い、行動したのです。 むしろ、客観的にもあれだけの不自然さや数字的な事実説明の変遷があったにもかかわらず、あなたが何も感じず、何もしなかったとしたら、その方が仲間としても問題であり、悠々塾という場の主宰者としての責任問題でありました。
しかも、あなたは終わった過去のことを蒸し返そうとしたのでもなく、もしかしたら隠された事柄・行為が現在も継続されているのではないかと案じてのことでした。
世の中には言葉や説明の不十分さで、何事も隠されていないのに不自然さを感じさせてしまう場合もあります。 今回の件もそうかもしれない、そうであってほしいと願いながら、主宰者として仲間としての疑念を伝えたのですから、事実・真実がどうであれあなたには何の落ち度もありません。
あなたの気持ちがまだ揺れているので、そのことを強くお伝えしておきたかったのです。
飯)ありがとう、ほんとにありがとう。 おかげで、ずいぶん楽になったよ。
克)はーい、よかったです、 くれぐれも疲れを溜めないように、特に目を酷使しないように気をつけてくださいね。 あなたには地上でやり遂げるべき目標がまだまだ幾つも残っているのですからね。
飯)うん、ありがとう。 無理しないで、リフレッシュしながら適度に頑張りますよ(笑)
(2014・2・15受信) |
15/02/2014(土) 15:05:26
| No.11886 飯沼 |
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今回は気分転換を兼ねて軽く受信するつもりだったのですが、思いのほか長くなりました。
克はもともとそのつもりだったようで、長い文章を一気に打ち込ませた後で目をいたわってもらってもなぁ、という気もします(笑)
最後の方に触れられた件では、本当に悩みました。 「長年こういう仕事をしていれば、お金の流れを見たらある程度の私生活も見えてくるもので・・・」と言って、かなり立ち入った質問もさせてもらいました。
お金の使われ方(使われなさも含めて)から見えてくるのは私生活だけではなく、その人の価値観や人生観、人としての感性も見えるものです。
私は決して融通の利かない堅物ではないので、自分の労働で得たお金の使い方まであれこれ干渉するつもりはありません。 地上界の霊性進化というテーマに沿って、ある程度の方向性は示しはしますが、何よりもその人としての自由な選択を尊重します。 いくら正しくても堅苦しいことには馴染めません。
しかし、元が浄財といわれるような範疇に入るお金の場合は、それなりに使い方を選択すべきであるのは当たり前のことだと思っています。
人は自分の周囲の環境によって本質を軽んじたり、優先順位を違えてしまうことも少なくありません。 分かっていても過ちを犯してしまうこともあるでしょう。
それに気づいたならば、過去・現在の過ちに向き合い、その埋め合わせをさせていただくことが大切なのだと思います。 過去の過ちは取り返せないかもしれませんが、それを埋めて余りある貢献に生きることで、過ちやかげりは立派な輝きに変わるのです。
今のこの乱世ですから、貢献の道はいくらでもあります。 どうか勇気を奮い立たせて、謙虚に真摯に自らを振り返り、真実と自らの弱さ・狡さ・傲慢さと向き合い、信じる訓えに沿って埋め合わせと貢献の道を歩んでくださることを切に願います。 |
15/02/2014(土) 17:26:05
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| No.11887 しのしの |
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地上では、「なぜそんなことに騙されてしまうのか?」と思うようなことが日々、繰り返されています。 愛情に基づく混乱や怖れに付け込む場合も多々ありますが、騙される側の人の願いに付け込んでの詐欺行為も少なくありません。 どちらの場合も少し掘り下げて質問したり確認すれば、事実・真実はすぐに明らかになるのですが、表面的な言葉や説明で納得してしまう人自身が表面的な部分に判断基準を置きすぎているともいえるでしょう。
その意味では被害者はもちろんお気の毒ですが、騙された後にさまざまに心を遣わざるを得なくなります。 不謹慎な言い方を承知で言えば、それもまた計らいと学びの中だともいえるのです。
違う意味で、受信されたのかもしれませんが、このフレーズに納得がいったというか、ちょうど私もそう思ったことがあったので、正直びっくりしました。
姉と母の関係なのですが、どうして母は姉の良いなりになってしまうのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。いとも簡単に、名義人になったり、保証人になったり・・・。理由を聞いても、「母親は子どもが喜ぶためには何でもしてやりたい。」という答えばかり。結局は、その子どもに迷惑がかかってしまう。ずっとイライラしていました。でも、これも母の学びかなと思うと、私も言いたいことを母に言った後だったので、心がすっとしました。 私はもう家族に振り回されず、私の人生を歩いていこう、そう思いました。 |
17/02/2014(月) 13:04:02
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