一人ひとりの人に共通の地上人生の目的は、「喜びをもたらす。喜びを味わう」ということでしょう。 喜びに条件や制限を設定するのは管理的で好きではありませんが、しかしここでの喜びとは摂理に沿ったというか、摂理に沿う方向性の喜びということです。 まあ、あまり小難しく考える必要はありません。 いずれにしても「喜びをもたらす。喜びを味わう」ということがキーワードです。 喜びをもたらすというのは、個人と個人の関わり方だけでなく、「(社会的)貢献」ということを含んでいます。
もちろん、過去世においてそうはできなかったという至らなさ・不十分さや過誤の返済もあるのですから、そこではその人なりにさまざまな重荷を背負っての地上人生です。 その意味では、その人にとっては「(摂理に沿う方向での)喜びをもたらす。(摂理に沿う方向での)喜びを味わう」ということがしにくい状況がもたらされる場合が多いのです。
地上界というのはかなり未熟な階層です。 言い換えれば、成長進化の過程にあるということです。 それだけ大きな変化を求められています。
「喜びを味わう」ということにしても、(過去世や今までの)自分の選択実行の結果としてもたらされたことを喜びとして(摂理として)受け止めるということになるのですが、それが難しかったり、それではかえって不十分であったりする場合が多いのです。 むしろ、もたらされた現実をさらに摂理に沿っていく方向に動かしていく、変えていくことが必要な場合が多いのだと思います。
もちろん、今の自分を嘆いて、喜びと遠ざかるのでは、もたらされる現実が喜びに向かうことの邪魔をしているようなものです。 しかし、何か自分にとって嬉しくない事が起きた時、これでもかというほどに心をかげらせて、現実が嬉しい方向に向かう(改善される)ことの邪魔をしてしまう人は少なくありません。 まさに自業自得なのですが・・・。
私は今年の春に四国の祖谷で瞑想などを重ねていた時、「あらゆる選択肢とそれにふさわしくもたらされる現実(結果)は、すでに全てがそこに(ここに)あるのだ」ということを知りました。 あらゆる選択肢とそれにふさわしくもたらされるであろう現実は、まるで網の目のように、あるいは究極無限の阿弥陀クジのように、あるいは無数の砂利のように、すでにそこにあるのです。
地上人生というのはまさにその選択実行の繰り返しで、しかも、全てがすでにそこにあるのですから完全緻密で、しかも自由意志に委ねられた世界です。 その完璧なる世界のごくごく一部を垣間見た時、私は「人間は神の御心(摂理)に沿って選択実行する(生きる)ことが幸せへの王道なのだ」と改めて納得しました。
ちっぽけすぎる人間が、本当は手前勝手な屁理屈なのに、偉そうにグダグダ言ってもどうにもならないし、それ自体が愚かで恥ずかしい選択実行なのです。
神の懐に抱かれて、自由に自分らしく生きる幸せを知らないからでしょう。
昨夜きんちゃんが投稿・引用してくれていますが、
「人と心を交わし合うことを喜び、相手の状況や気持ちを思いやり、ありのままの愛と感謝と祝福の心を素直に表現し、豊かな心で金銭や物質を貢献にも使っていくこと。
今を健やかに生きること。
その結果として、今の地上のレベルをはるかに超えた健やかさ(光の喜び)のエネルギーに満たされ、奇跡のように癒える(治る)病が増えるのです。 もしも治らなかったとしても、注がれた光のエネルギーは、その人にとっての宝物として役立っていくのです。」
という基本を喜びとして選択実行していくかどうか。 それは実はその人が地上人生を心すこやかに生きていけるのか、人生の喜びを味わうことができるのか(つまり幸せになれるかどうか)と密接に関わっているのです。
しかしながらもちろんそれは「条件」などというものではなく、ありのままの心そのもののエネルギーとしてふさわしい現実や結果を引き寄せていくのです。
地上の価値観や自分の気持ちに囚われてそうできない人たちを否定するのではなく、共感に満ちた慈しみのエネルギーを注いでいくことも、スピリチュアルヒーリングには含まれています。 できるだけ日々の生き方を地上的迷路から脱却させながら、なかなかそうはできない自分であってもせめてヒーリングエネルギーを送る時は自分の意識を地上の迷路の出口に置いて、一直線に光のエネルギーを注ぎましょう。 |
12/06/2013(水) 11:57:45
No.11108 ゆみっぺ |
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こんばんは。 私の情けないメールに対する答えと受け止めています。 忘れないように、 印刷して何度も読み返そうと思います。
ありがとうございました。 |
12/06/2013(水) 18:26:50
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No.11109 飯沼 |
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☆ゆみっぺさん
こんばんは。 あ、いやいやいや、、、メールの返信ができていなかったのですが、全くそんなつもりではありませんので。
あ〜、びっくりしたぁ〜。 |
12/06/2013(水) 19:52:06
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No.11110 ちぃ |
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皆さん、ありがとうございます。 父のため、ありがとうございます。
父は火曜日から頚椎症の痛みがマシになってきて、食事も食べれるようになり夜も眠れるようになりました。 ここ4日、夜〜朝にかけて胆管炎と思われる発熱があるのですが、日中は仕事に行っています。 昨日からは動かなかった左腕も少しずつ挙がるようになってきて、自分で頭を洗えるようになりました。
痛みが強くて眠れなかった時は見ているのが辛く、 父の「こんなに辛いならお迎えの列車に早く乗りたい」という言葉を聞くたび、 不安や恐れを強くしていたと思います。 今を健やかに、喜びを膨らませ、喜びをもたらしていきたいです。 |
14/06/2013(金) 00:01:02
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No.11111 さき |
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ちぃさん、頚椎症の痛みがましになってきてよかったです。 痛みが強くて夜も眠れないお父さんを見ているのはたまらないと思います。渦巻く気持ちや葛藤のなかで「今を健やかに」と選択実行するのはものすごくエネルギーのいることだと思います。 自分ひとりではなく当事者周囲の人たちの状況や気持ちもあるし、それぞれに「健やかさ」に向かいにくいハードルがあるのでしょう。 「こんなに辛いならお迎えの列車に早く乗りたい」 その時のお父さんの気持ちでしょうが、それがお父さんの気持ちのすべてではありません。 お父さんの言葉に影響されて不安や恐れを膨らましても、誰のためにもならないし、誰よりお父さんのためにならないです。
癒し手として、今を健やかに、喜びを膨らませ、喜びをもたらしていくこと。 今の状況は「今を健やかに」とか「喜び」とかほど遠く思えるのかもしれないけれど、別の場所から見たら全く違う風景が見えるかもしれないよ。
それがちぃさんにとって、ものすごくエネルギーのいることだとしても、ちぃさんはこの状況のなかから「喜びをもたらす。喜びを味わう」ことができる人だと信じています。 それがお父さんの願い(魂の)でもあると思います。 |
14/06/2013(金) 10:14:53
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No.11112 さき |
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喜びをもたらす、喜びを味わう
なるほどねと思いました。 地上なんて大変で苦しいことの連続で、理不尽で受け入れがたいことばかり。 喜びとは程遠い。 ですよね。
けど思うんです。 霊的にどうあれ、生まれてきちゃったんですよね。 時代とか親とか性別と国、地域、貧乏か金持ちかとかも選んだわけじゃない。 最初の条件からスタートして精一杯自分の人生全うするしかない。 そのなかで少しでも喜びや幸せを「出力」できたらと思って生きてきました。それが自分の「喜び」だったからかな。 苦しいことや辛いこと、理不尽なこと受け入れ難いことがなかったわけじゃない。けど、今思うとそこで心をかげらせないように、そのためにものすごくエネルギー使ってきたと思います。
かげり(闇)にまみれて覆われた地上界。 かげりにかげりを返すのではなく、かげりを連鎖、増幅するのでななくて、かげりを光にと、心を使ってきたと思います。 喜びを「出力」したいから。 (実際にそう出来てたのかどうかはわかりませんけどね) 今を健やかに、ってそういうことかなと思います。
娘のお友だちの9歳のお子さんが一昨日他界されました。 先天的な病気というどうにもならない条件のなかで、泣きながらけど精一杯喜びに向かおうとするママたちの愛情に、いつも心動かされ勇気をもらっています。私がメッセージに添える言葉はいつも「今日を笑顔で過ごせますように」です。元気かどうか、明日があるかどうかなんてわからないから。今日があること、厳しい闘病中でもひとつでも笑顔になれることがあったら嬉しいからです。 娘が教えてくれた喜びです。愛情は永遠だってことも。 (死は永遠の別れではなく、愛情の絆があれば再会できるってことです)
喜びをもたらす、喜びを味わう。 地上人生を霊的に生きるってそういうことかなと思います。 と、いいつつ。自己憐憫の涙を流してたりもするんですけどね。
ちぃさん、にぃさん、応援してますよ! |
14/06/2013(金) 11:50:15
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No.11113 飯沼 |
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>今の状況は「今を健やかに」とか「喜び」とかほど遠く思えるのかもしれないけれど、別の場所から見たら全く違う風景が見えるかもしれないよ。<
今がどんな状態であれ、大きな意味での霊的視点で言えば、実は 「今が健やかであり、今が喜び」なのでしょう。
>痛みが強くて眠れなかった時は見ているのが辛く、 父の「こんなに辛いならお迎えの列車に早く乗りたい」という言葉を聞くたび、不安や恐れを強くしていたと思います。<
ちぃさんは、お父さんにどうなってほしいのでしょうか? いわゆる、霊的視点や霊主体従の意識を確立して、お父さんに本当の意味で健やかさをもたらすエネルギーを注いであげるつもりがあるのでしょうか?
これはそうするように強制しているのではなく、本当に分からなくなりそうなので、質問しています。 なぜならば、ただただお父さんと同じ意識の土俵に立って、お父さんにひたすら気持ちを合わせていくことを私は否定する気にはなれないからです。 お父さんが不安になればちぃさんも同じように不安になって、一体化することも地上のお父さんには喜びなのかもしれません。
しかし、それではお父さんの魂が身をもって提示してくれている「悠々塾の仲間たちが霊主体従の意識を確立し、その価値観で日々を生きていくために。そのエネルギーを駆使して、大きく貢献していくために」という目的を果たすことはできません。
この時期に頸椎症が発症していることも決して偶然ではなく、ある意味では予告・警告であるような気がします。
当事者であるから気持ちが動転するのは分かりますが、本気でつかみ取りたいのであれば、一人になってしっかりと心を鎮めて、霊主体従について、何度も何度も心で反復してみるのです。 方法はどうでもよいのですが、「自分にはできない」ことを前提としていたらいつまでたっても到達はできません。
きんちゃんが引用してくれたところなどは、暗記するほどに読み込んで、それに沿っていこうとしてください。
お父さんに影響されるのか、お父さんに影響を与えていくのか、きっぱりと決めねばいけませんね。 きっぱりと決めたつもりでも、人間の気持ちというものはその時々でブレるものです。 しかし、「(霊主体従の立場から)影響を与える」という意識をっ確立していたら、 お父さんの「こんなに辛いならお迎えの列車に早く乗りたい」という嘆きに不安になることなく、「頸椎症の痛みぐらいでお迎えの列車は来ませんよ。頸椎症の痛みをガンの痛みと混同したら、本当にガンの痛みを呼び込むことにもなりかねないよ!」ぐらいのことは言ってあげられるでしょう。
仲間の皆さんは、ちぃさんがこういう状態であるからこそ、まずは自分が霊主体従の意識と言動を確立して、本当の意味で健やかさに向かうエネルギーをお父さんやちぃさん・にぃ君に送り続けましょう。 |
14/06/2013(金) 14:47:41
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