◆2013年5月定例会に向けてのメッセージ
今回は、ちぃさんに彼女のお父さんのことを話していただきます。
それを受けて、参加者の皆さんに自分の印象や感想を出し合っていただきます。
もちろん、「何が正しいか?」などということがテーマではありません。
地上に生きる生身の人間の気持ちは実にさまざまです。 霊的な知識があろうとも、それとは別のことのように自分としての思いや気持ちは大きいものです。 その情愛をいささかも否定するものではありませんが、情愛が厚いがゆえに地上での健やかさを回復するための鍵を見出すことができないのであれば、それはやはり悲しく寂しいことでしょう。
ちぃさんのお父さんは魂の意志として、ちぃさんとにぃさんをはじめとして悠々塾の仲間の皆さんに、その身を挺してとても大事な気づきの機会を提示してくださっています。 それは皆さんがたが力のある真のスピリチュアルヒーラーとして、人々を癒していくために、です。
先にも言いましたが、人間にはさまざまな思い、気持ちがあります。 そして地上の人間は、自分の気持ちを表現するために「言葉」というものを使います。 霊界では思念がそのまま体(霊の体です)に表れるので、誤魔化しようがないのですが、地上では本音とは裏腹の言葉や行為行動も珍しくありません。 そして、そのギャップから発せられる澱が蓄積して、重篤な病を発症することも少なくないのです。
まさに私の場合がそうでした。 私は幼いころに母親から受けたことがあまりに衝撃的だったので、その後ずっと母親に対して本音が言えませんでした。 それどころか、幼いころの事実そのものすら記憶の引き出しの奥深くにしまい込み、それを事実として本当に思い出し、母親に抗議できたのは、私が地上を離れる数日前のことでした。
家族だから何でも言えそうなものですが、家族に対する愛情や遠慮があれば、むしろ言えないことも多いのです。 まして、言うことで家族を否定し、自分自身も惨めになってしまいそうな時には、本音とは裏腹の表現を繰り返して、いつの間にか自分自身が自分の言葉にマインドコントロールされたようになっていることもあります。
そういう場合は、必ず別の部分で突出したりという不自然さが観察されるものです。 つまり、不自然な事には理由があり、そこを癒してこそ病も癒えるのです。
今回はそういうことも意識においてちぃさんの話を聴き、それぞれに感じたことや思うことを語り合いましょう。 |
24/05/2013(金) 15:36:18
No.11068 飯沼 |
|
|
☆☆ 愛は時空を超えて 100 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。
飯)ナンバーを見ると、この通信も100回目を迎えるようだ。 まさか自分がこういう通信を受けることになるなんて思ってもみなかったが、いつの間にか「愛は時空を超えて」だけでも100回目で、ある種の感慨深さはあるね。
なかなか読み返すこともないのだが、その時その時で教えられることは多かったと思う。 これからもよろしくお願いします。
克)はい、こちらこそよろしくお願いします。
ある部分においてはどうしても孤独のなかで働きや意識の進化(深化)を進めていくしかないあなたのアドバイザー・話し相手として役立てているのであれば、私も嬉しく思います。
飯)さてさて、今の状況で何かアドバイスをお願いしたいんだけどね。
克)はい。 あなたが言う「マスターキーのエネルギー」のことも、大きなスケールの働きのことも、個人に対するヒーリングの働きのことも、決して焦らず、おおらかに日々を生きてください。
今のあなたは多少の疲れの中にいます。 その理由は前回にお伝えしたつもりですが・・・。 あなたは(少し大げさな言い方をすれば)、物心ついた時からずっと地上界の浄化を意識し、それを希求してきました。 もちろん、霊的真理を受け入れたのは40歳の頃でしたが、それまでもずっとおおむね摂理に基づいて世の中を見てきました。(あなたがいつも摂理に沿って生きてきたという意味ではありませんが) 見ていただけではなく、摂理(愛と真実)の顕現を強く願い、そのために自分を守ることなく自分にできることをしていくことがあなたの生き方でした。
飯)いえいえ、そんな立派なものではないですよ(笑)
克)もちろん、あなたにも数々の過ちや不十分さはありました。 それは地上の人間として当たり前のことです。
しかし、あなたは真実を追い求め、ずっと誰かの幸せのために、皆の幸せを願って生きてきたのです。 本当のもの、本来のものの実現を願い続けてきたのです。 強い者たちの都合によって真実が歪められ、弱い立場の人々が踏みにじられる世の中ですから、あなたは義憤と共に時には戦わねばなりませんでした。 しかし、それも徒党を組んでの戦いではなく、ひたすらストレートに本当のことの実現に向けて挑んできました。
60歳を過ぎたあなたは今も何ら変わらぬ同じ思いで、本当の意味での誰かの幸せを、皆の本物の幸せの実現に向けて生きているのです。
飯)まあ、そんなふうに言ってもらうようなことではないが、自分が地上に生きるってことはそういうことなんだと思っている。 ただ、僕はこういう性格だから、なるべくならば自分としての喜びと重ねて働きを成していこうとするんだけどね。
克)そう言いながら、(前回も伝えたように)あなたはやはり今は少し停滞しているのですよ。 ここでは細かくは言いませんが、がっかりしていると言うほうが当たっているのかもしれませんね。
飯)まあまあ。 いろんなところで、いろいろあるからね。 まあ、実際のところ、今までの僕ならもうやる気をなくしてしまうようなことも見聞きしているし・・・。
「なーんだか人間ってやっぱりたいしたことないのかな?」と思うようなことを見せつけられた。 たいしたことがないのは皆同じなんだし、それでいいというか仕方ないんだけど、それにしてもあまりにも情けないというか、あまりにもひどいというか、そういうこともいろいろあった。 遠方のグループでもあり、もちろん僕の立場でどうこうできるようなことでもなく、結局はただただ呆れ果てるしかないというようなこともあったというか、今も進行形だ。
やたらと目につくのは、「この状況でもやはり自分の気持ち、自分の都合や利益が優先か・・・?」という、地上の人間ならではの情けなさだ。 まあ、もちろんそれでも「それでよろしいのです」ということではあるのだが、しかし、今なすべきことをしなかったことの責任を背負うことはなかなか重いと思う。
人間は「今」を基準に物事を考えるが、「今」は当然のことながら過去の結果であり、今自分がどうするかが自分の未来を決めていくのだ。
たとえば、今の自分の気持ちに引きずられて成すべきことを十分にしないことは、自分が何をして生きていきたいのかも分らない中途半端な人生につながっていくとも考えられる。(もちろん展開は幾通りもある)
今がもしもそういう人生であるならば、過去世においてなすべきことを、なすべき時にしなかったことの結果であるのかもしれない。 そうであれば、過去世からのカルマを解消できる機会が計らわれる。 そこで自分がどうするかで、自分の未来が決まっていくのだ。 成すべきことをしないで、今よりも楽な人生になることなどありえない。
といっても、僕自身が心をかげらせているわけではなく、自分としての楽しみに満たされて日々を楽しく過ごしているんだけどね。
克)はい、そのようですね。 本来の意味で、それでよろしいのですよ(笑) これからはあなたの影響の与え方も変化していくのです。
飯)やんわり、じんわりって感じになっていくのかな?(笑)
克)そんな気がしているってことですね?
飯)そういうわけでもないけど、何となくそうなのかな?
克)まあ、これからの変化をお楽しみにということでよろしいでしょう。
飯)それで構いませんよ。 いずれにしても、その時その時の自分にふさわしいエネルギーを発するのだからね。 それ以上でも、それ以下でもない。
あ、影響で思い出した。 ひとつ質問があるんだけど、僕が浄化排出で寝込んだ後、うちの家族の皆が数週間以上も咳が出たり喉が痛んだり、午後になると発熱したりということが続いた。 そういう症状の風邪が流行していたわけでもないのに、孫たちを含めて一族のほとんどがかなりの期間そういう症状を引きずって、今もまだすっきりしていない者もいるようだ。 それもやはり僕の影響なんだろうか?
克)はい、もちろんそうです。 今まででも、あなたのエネルギー的な変化に連動して体調に変化が起きた仲間たちも少なくありません。 今回も、明らかにあなたの浄化排出に連動した症状です。 でも、あまり細かいことを考えずに、「家族みんなの嬉しいエネルギー的な変化につながる、浄化排出」と認識しておく程度で構いません。 それぞれ個人の変化だけでなく、家族や働きの単位としての変化にもつながっていくことは当然です。
飯)はい。 もうひとつ質問なんだけど、おおざっぱに言って僕が浄化排出中だった昨年11月から今年の5月まで、畑の作物の出来が非常に悪かったんだけど、それも僕のエネルギーの影響なのかな?
昨年11月までは、野菜たちがどれもびっくりするぐらいの生育ぶりだったのに、その後は急に生育が停滞してしまった。 昨年11月と今年の早春に別々の畑に植えた春どりキャベツなどは、ほとんど全く成長しなかった。 春どりキャベツは何度も作ったことがあるが、こんなことは全く初めての経験だった。
その他の野菜も、普通ではありえないぐらいに生育が悪かった。 でも、今年の5月ごろ以降に植えた作物の生育は良好だし、それ以前に植えた作物も急速に生育が進んできた。 もちろん、今年の春が寒かったからなどという程度の理由ではないと思う。
克)はい、それももちろん、あなたのエネルギーの変化の影響です。 どう考えてもそれ以外にありえないでしょう? その意味では、今回はネガティブな影響を与えてしまったのですが、あなたがイメージしている「土壌微生物たちと心を通わせる農法」はすでに実現の途上にあるともいえるのです。
土壌微生物だけでなく、ミトコンドリアやあらゆる微生物たちと心(エネルギー)を交わし合い、無条件の感謝と祝福のエネルギーによって、お互いにとっての健やかな場(状態)を作り上げていくことも可能です。
飯)そうであれば嬉しいのだけど、そうであるならやはり「やんわり、じんわり」という気がするんだけどな(笑)
克)どうもそのようですね(笑) 確かに、そういう面は目立ってくるというか、そういうラインでの健やかさに向けての調整・調和のエネルギーも必要ですからね。 摂理の顕現に向けて、(分ってはいても)一気に変化できない、一挙に形にできないということはごく普通にあるわけですから。 場合によれば、少しずつ折り合いをつけながら、それなりの共生の場を仮設定して、何段階もの段階を踏んで徐々に変化していくケースもあるのです。
飯)それも「それでよろしいのです」バージョンのひとつなのかな?
克)いえいえ、そういうわけではありませんよ。 「それでよろしいのです」という言葉は実は難しいものを含んでいます。
安易に「それでよろしいのです」と言うのは、「このままでよろしいのです。過ちを抱えて不十分なままでよろしいのです」というニュアンスが強調されすぎる気がします。 「それでよろしいのです」という心やエネルギーは、純粋に霊的真理に基づいたものであるのです。
意識を地上に縛りつけている人間が「それでよろしいのです」と言えば、それは自己弁護や社会的過ちの放置、神の御心や摂理に反したことが行われている現状を容認することにつながる場合が多いのでしょう。
もしもそれでも「それでよろしい」のであれば、霊界の者たちは未熟な過ちを繰り返す地上の人間のことを放置し、あるいは見守るだけで、何ら手を差し延べる必要もないのです。 有史以来、霊界からは幾度も幾度も働きかけが行われてきました。 実際には、全ての人間に対して、いついかなる時も絶えず、霊界からの導きや働きかけは継続されているのです。
残念なことに、人間の側がそれに反応せず、反抗してきたのです。 あるいは地上でしか通用しない自分の損得や都合や気持ちを優先して、導きや計らいを踏みにじるのです。 それでも霊界の者たちは、この薄暗く澱みきった地上に赴いてでも、縁のつながった人間を本来の健やかさに導こうとしてきたのです。
たとえその人間が地上での幸せとは逆の方向に生きていようとも、死後に暗い幽界や暗黒界の闇に向かおうとも、私たち霊界の者たちは真の意味で「それでよろしいのです」と知っています。 しかし、だからこそ、未熟で愚かな心の使い方しかできず、自分も人も傷つけてしまうことの多い人間たちのことを見棄てることができず、拒絶されても繰り返し繰り返し働きかけずにはいられないのです。
その働きかけのパターンはさまざまでも、内容はいつも同じです。 「愛と摂理に基づいて、誰かの喜びや幸せのために、苦しみを軽くするために、自分にできることをしていくように。それを自分の喜びとすることが、自分自身の幸せにもつながっていくのです」という、シンプルなものです。
「それでよろしいのです」という言葉の真の意味を知っている霊界側ですら、人間の苦しみ(摂理に反すること)を放置することができず、地上の人間に同じことを伝え続け、働きかけ続けているのです。
地上の人間が些細な自分の損得や自分の都合や気持ちにこだわって、「このままでよいと思う」として苦痛の中にいる人に対して自分にできることをしないとすれば、それがどれほどの霊的な過ち(罪)を背負うことになるのか・・・。(知らないということは、何とも言い難く、気の毒なものです)
話が逸れましたが、あなたのエネルギーの変化は単にパワーアップというだけではなく、もっとさまざまな面に波及していくでしょう。 あなたが感じている「やんわり、じんわり」というのも、そのひとつの表れであるともいえるでしょうね。 あなたが最近、ヒーリングの働きで経験したことのなかにもそれは含まれているのです。
飯)あ、あの件・・・? Hさんという女性が、肝臓がんという診断を受けて、手術の準備で入院中に遠隔ヒーリングの依頼を受けた。 最初は超音波で肝臓がんの疑いが分って、次に造影剤を入れたCT検査で肝臓がんであるとの診断がなされた。 そしてがん治療専門の病院を紹介され、その病院でも検査を受けて、やはり肝臓がんとの診断だった。 知人の紹介で、遠隔ヒーリングの依頼があったのはその頃だ。
専門の病院で、肝臓の切除手術を受けることになっていたが、もしかしたら切除ではなくラジオ波で焼く治療ができるかもしれないということで、もう一度造影剤を入れてMRIの検査を受けることになった。 (ラジオ波の治療とは、肝臓のガンの部分に針を刺して、腫瘍を焼くという治療法。切除よりも負担が少ないが、腫瘍が複数ある場合や、腫瘍の大きさによってはラジオ波の治療はできない)
Hさんは、切除手術をするかラジオ波の治療が可能かを見極めるために、造影剤を入れたMRI検査を受け、その時に腫瘍が悪性ではなくなっていることが分ったのだそうだ。 結局、肝臓の患部に針を刺して、細胞を取り出して検査した結果、やはり悪性ではなくなっているので、そのまま退院して様子を見るということになったという連絡を受けた。
僕は、「肝臓がんの疑い」だったのか、「肝臓がんだとはっきり診断されていたのか?」と本人に確認したが、「疑いではなく、2か所の病院で、肝臓がんだと診断されていました」とのことだった。
克)はい。 その人の場合、腫瘍そのものが消失したわけではなく、細胞検査でも悪性ではないが多少グレーな状態ですね?
飯)それが、「やんわり、じんわり」ってこと?
克)そういう言い方をしてしまえば身も蓋(ふた)もありませんが、あなたが今まで経験してきたような、腫瘍が奇跡のように消失するというものでなかったことにも意味はあるのです。 さまざまな兼ね合いのなかでのグレーゾーンというものをもっともっと肯定的にとらえて、そこからさらに健やかな状態への移行を促していく(手助けをしていく)ということの意味を思ってみてほしいのです。
ただ、今はまだあなたのエネルギー的な変化(進化・深化)を規定するべきではありません。 今の話も、ごくごく一部のことで、あなたはもっと自由に自分の意識やエネルギーを膨らませていけばよろしいのです。
飯)うん。なんだか分りにくいところもあるけど、また改めて読み直してみるよ。
克)はい。 あなたは「自分は自分としての楽しみに満たされて暮らしている」とは言っていますが、やはり働きや地上の人間というものについて疲れを感じていることも確かです。 うまく伝わらなかったようですが、「この際、もっともっとアバウトにのんびりやっていきましょう」という程度の雑談だと思ってくださいね。
飯)はい。 それと、皆さんには改めてお知らせするつもりだけど、7月に予定していた出雲での合宿を今回は中止にした。(今日、決めました) それでよかったのかなあ?
克)はい。 それに関してはこちらからはお伝えする時期ではありません。 あなたが主宰者としてそう決めざるを得なかったのですから、それでよろしいのです。
高島合宿の折にもお伝えしましたが、仲間たちのエネルギーの共鳴のための合宿というのは旅行や遠足ではありません。
エネルギーの共鳴というテーマが成就すれば、そのほかの時間は自由に楽しんでいただければよいのですが、エネルギーの共鳴については悠々塾としての合宿の意味を軽んじてはならないのです。
いろいろと分りにくい通信になりましたが、あなたは一時的に停滞気味(グレー状態・笑)とはいえ、あなたのエネルギー的変化・進化は順調に進んでいます。 地上的な何ものにも囚われず、しかしそれらの全てとつながって、本当の意味での全的健やかさをもたらすエネルギーをつかみとってくださいね。
飯)今回はうまく受信できていなかったのかな?
克)いいえ、決してそういうことではありませんよ。 というか、受信が多少ブレるのはいつものことですし、それはこちらでは織り込み済みですから、気にする必要はありません。 飯)はーい、それではまた。 いつもありがとう。 (2013・5・24) |
24/05/2013(金) 16:01:01
|
No.11069 飯沼 |
|
Re: 2013年5月定例会に向けてのメッセージ |
引用 |
|
「愛は時空を超えて」の中でも触れましたが、 7月の出雲での合宿、今回は中止になりました。
理由などの詳細はとても長く複雑になるので、いずれお知らせいたします。 合宿に参加してくださる予定だった皆さん、大変申し訳ありません。
幹事のちぃ&にぃ君、いろいろ準備してくれていたのにすみません。 ゆかり館への連絡もお世話になりました。 |
24/05/2013(金) 16:06:07
|
|