こんばんは。 父の診察に行ってきました。
CTの結果、転移が疑われていた腹部大動脈周囲リンパは癌ではなかったのですが、 肝臓の癌は倍近くの大きさになって43×36mmあり、新たにもう1つ肝臓に出来ていました。
2ヶ月でここまで大きくなるのはかなり進行が早いそうで、抗がん剤をやめたのが原因かもしれない、 抗がん剤が効いていたから前はあまり大きくならなかったのだろうということでした。
手術は出来ないことはないようですが、胆管癌になった時に膵頭十二指腸切除術という手術をしており、 その手術をしている場合、肝臓の止血をしながらの手術が出来ないそうで、 2ヶ月前の大きさであれば出来たが癌がここまで大きくなると出血量が多くなるのと、 癌がもう1つ出来ているのでリスクが高い。 あとは抗がん剤で叩いていく方法になるとのことでした。
父が何もしなければ余命はどのくらいかお聞きしたら、 はっきりは言えないが進行が早いので1年もたないかもしれないということでした。
父はやっぱり!って感じで、自分の癌は元気だから成長が早いと思っていた、 1年もたないと思っていたと言っていました。 これからどんな経過を辿るのだろうか、いつまで元気でいられるだろうか、 弱って動けなくなったら筋弛緩剤を打ってほしいと言っていました。
来週の診察までにどうするか決めることになっており、 まだどうするかは決まっていませんが、抗がん剤の方向に気持ちが向いているようです。 今はショックを受けており、ひとりにしてほしいと寝室にこもっています。 母はショックを受けつつも落ち着いています。 私自身はショックでしたが反省する点が多々あり、私たちの本気度が足りなかったと思っています。 良いご報告が出来ず、私たちがそんなで本当にすみません。 ヌマやさきさん、皆さんには本当に感謝しています。
癌は大きくなっていましたが体調は本当に良く、検査の結果、白血球や貧血、腎機能はもうひとこえですが、 腹水は無しで、ビリルビンの数値は正常範囲に戻っていました。 癌は大きくなり、増えてもいますが、悪さはしていない印象です。
諦めていないし、父を治したいと思っています。 仕切り直して頑張ります。 どうかこれからもちからを貸してやって下さい。 よろしくお願いします。
PS.恵美子さん 心春ちゃんのご退院おめでとうございます。
>”奇跡”は起こすもの、、というのではなく、、、 >こころが本来持っている強さややさしさを発揮したとき、 >そこに”奇跡”は起こっているのだと思いました。
心に響きました。 私もしっかり自分と向き合い頑張ります。 |
22/04/2013(月) 21:27:15
No.10991 さき |
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ちぃさん報告ありがとうございます。 8日のメッセージとともにまゆみさんが書いて下さっていた言葉です。 ↓↓↓ >言葉を交わさなくても伝わるものがある。 >言葉に込められたエネルギーはその言葉以上に伝わると思う。 >あたたかい、喜びのエネルギーを込めた言葉を発したい。 >エネルギーは隠すことも繕うことも飾ることもできない。 >私たちは霊的存在であることをしっかり腹にすえ >霊主体従・生命系について考え行動していきたいと思います。 >「無条件の感謝と祝福のエネルギー」を注ぎ合い、喜びにつなげていきたいと思います。
心のエネルギーはある、その力は無限の可能性を秘めている。 この場の共鳴のなかでその無限の可能性を、喜びを、顕現していきましょう。 |
22/04/2013(月) 22:21:54
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No.10992 鉄ママ |
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23/04/2013(火) 00:59:51
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No.10993 祐造 |
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ちぃさん みんなで力をあわせて、治しましょう。 マスターキーのエネルギーに少しでも多くつながりたい。 一緒にがんばりましょう。 |
23/04/2013(火) 02:15:34
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No.10994 恵美子 |
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ちぃさん、大丈夫だよ!
お父さんの今日ある”いのち”に祝福と感謝!
さきさんが言うように、 心のエネルギーは無限、、 私たちみんなが本気で向き合うから、、大丈夫だよ。
ちぃさん家族が、苦しいなかにあっても今を健やかに過ごせますように! |
23/04/2013(火) 07:41:32
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No.10995 飯沼 |
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◆メッセージを受信しました。
悠々塾の仲間として、彼が担ってくれている役割について、皆さんがたにはもう一度しっかりと受け止めていただきたいのです。 (彼が定例会に参加した直後に、彼の病の再発が分ったことが偶然でないことは分かりますね?)
その後の悠々塾の学びのテーマは、一貫して「霊主体従」です。 それは最初からのテーマではありましたが、単なる知識や理念としてではなく、もちろん薄ぼんやりとしたイメージなどではなく、 今は「自分の人生を貫く生き方として、実際に日々を生きるにあたっての揺るぎない価値観」として提示されています。
すなわち、「CENSOREDば終わり」などではなく、人間の地上的な死とは魂(心・意識)が肉体・物質次元の制約から解放されることであり、その人は霊界という光の喜びの世界で生き続ける。(幽界や暗黒界に堕ちていく者は別として)
地上に残された者は死別の悲しみを抱くとしても、それは他界した人を悲しんでいるのではなく、取り残された自分を悲しむ自己憐憫に過ぎない。 愛情さえあればいつかは必ず会えるし、他界した人を喜んであげることができれば、次元を超えて感応しあうこともできる。 地上でのわずか数十年間など、永遠の生命を生きている人(霊)にとってはほんのひと時のことに過ぎない。
人間は誰もがいつか必ず地上的な死を迎えるが、それがいつなのかは分らない。(平均寿命など、個々の人間にとっては何の意味もない) 本当は決まってはいるが、多くの場合それは人間には知らされない。
地上的な死を否定し、死を恐れ、死に対しての不安に心を縮めることが肉体の健やかさを阻害するのです。 「自分にもたらされた今」に喜びを見出し、今を健やかに生きることが肉体の健やかさにつながっていくのです。 (もちろんその場合でも、その人なりの寿命というものはありますが。)
それらのことは今の地上の人間、特に不治といわれる病を得た者や余命宣告を受けた者には容易なことではありません。 だからこそ、その人に関わる人たちが「霊主体従」の意識を揺るぎなく確立して、そのエネルギーを送り、その心で包み込んであげることが重要なのです。
周囲の人も地上的な死を否定し、不安に思っているのでは、「かげりの共鳴」を起こしてしまいます。 しかし、ありがたいことに、そうであってもいずれはそれも「再会の喜び」に変わるのです。
もちろん地上的な死に対する意識の変化だけで全ての病が癒えるわけではありません。 病は、本人にとってのテーマもありますし、周囲の者たちにとっても気づきと変化の機会としてもたらされているからです。 家族や親しい人が重大な病を得た時、「自分はどうしていくのか?」が問われているのです。 もちろん本人にとってもですが、愛する者の気づきと変化のために自分が重大な病を背負うという魂の約束の場合もあるのです。
人と心を交わし合うことを喜び、相手の状況や気持ちを思いやり、ありのままの愛と感謝と祝福の心を素直に表現し、豊かな心で金銭や物質を貢献にも使っていくこと。
今を健やかに生きること。
その結果として、今の地上のレベルをはるかに超えた健やかさ(光の喜び)のエネルギーに満たされ、奇跡のように癒える(治る)病が増えるのです。 もしも治らなかったとしても、注がれた光のエネルギーは、その人にとっての宝物として役立っていくのです。
彼の場合、病巣はあるにしても、今もほとんど何の症状もなく非常に元気でいられることを喜ぶのか、 先のことを恐れ不安に思って自ら肉体の力を削ぎ落していくのかの岐路に立っていると言えるでしょう。 本人の大きな気づきが必要な場面ですが、それはすでに伝えてきていますし、今の彼に要求するのは酷というものでしょう。
ならば、家族や仲間の皆さんがたが「霊主体従」の価値観・意識を高めて目一杯の光の喜び(健やかさ)のエネルギーを注いであげることです。
(その前に、地上的生命を賭して、地上人類の霊性進化の先駆けとしての機会を、悠々塾の仲間の皆さんに提供してくれている彼に、心からの感謝とねぎらいを!)
病や歪みを含めた地上ならではの囚われやかげりが光に変わりますように、無条件の愛と祝福をベースとして、「直りなさい(治りなさい)」というエネルギーを。 ただし、繰り返しますが、それは単に「病や肉体が治りますよう」にというエネルギーではありません。 それではあまりにも地上的に偏っているのです。 肉体レベル(地上レベル)を超えて、(今の自分なりに、たとえその時だけでも)はっきりと「霊主体従」の意識を確立して、光の喜びのエネルギーを注ぐことが何よりも大切なのです。
3月の定例会メッセージでお伝えした「地上の迷路」の出口に立って、地上の迷路の中にいる病者さんに向けて、一直線に出口に向かう「光の道」を開いてあげるのです。 |
23/04/2013(火) 10:49:03
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No.10996 あきら&ひとみ |
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ちぃさん、私達ももう一度しっかりと気合いを入れ直します。 あきらも私もちぃさんのお父さんが大好きです。 ちぃさん、みんなと一緒にがんばろう! |
23/04/2013(火) 11:40:33
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No.10997 しのしの |
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23/04/2013(火) 12:54:13
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No.10998 さき |
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ぬまさん、メッセージありがとうございます。
>悠々塾の仲間として、彼が担ってくれている役割について、皆さんがたにはもう一度しっかりと受け止めていただきたいのです(彼が定例会に参加した直後に、彼の病の再発が分ったことが偶然でないことは分かりますね?)
はっとしました。 ちぃさん! お父さんに、心からの感謝とねぎらいをおくります。 |
23/04/2013(火) 12:55:48
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No.10999 あきどん |
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ちいさんのお父さん、ありがとうございます。 お父さんに光の喜びのエネルギーを送ります。 |
23/04/2013(火) 13:43:58
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No.11000 みんと |
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“光の喜びのエネルギー”
自分なりのイメージですが ちぃさんのお父さん、エネルギー送ります! |
23/04/2013(火) 16:37:17
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No.11002 さいこ |
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ちぃさん、一緒にがんばりましょう!! お父さんに感謝とねぎらいを気持ちを…ありがとうございます。 そして健やかさのエネルギーを送ります! |
23/04/2013(火) 16:51:56
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No.11003 つばきときん |
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ちぃさん、報告ありがとうございます。 ちぃさんのお父さんが定例会に参加された時に皆で撮った写真を飾っています。 ちぃさんのお父さんに感謝と労いの気持ちを送ります。
飯沼さんのメッセージを読み直して霊主体従を 意識していきたいと思います。
一緒に頑張ります! |
23/04/2013(火) 16:56:57
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No.11004 ちづこ |
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ちぃさんのお父さん、ありがとうございます。 かわいい笑顔、大好きです。 ちぃさん、一緒に頑張ろうね。
わたしももう一度心から考えてみます。 エネルギー送ります。 |
23/04/2013(火) 19:31:00
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No.11005 ちぃ |
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皆さん、ありがとうございます。 皆さんのお気持ちが本当に嬉しいです。 父にも伝えます。本当にありがとう!
父は今朝は落ち込んでいましたが、今は気持ちを入れ替えて元気・元気な明るい父となりました。 父、本当に変わったと思います。
父はこれまで治る・治れと強く思えば思うほど、気持ちがしんどくなってしまっていた。 もちろん治そうと思ってはいたけれど、病気に意識が傾くとしんどくなるので、 日々を楽しく暮らすことに重きを置いてきていた。 そうしてるうちに病気でありながらも本当に楽しく暮らせてきていたので、今回の結果はショックだった。 自分自身の治すという思いが足りなかったのかもしれない。 これからは本気で治したい。 でも病気のことを意識するとやっぱりどうしてもしんどくなってしまう。 でもこれまでと同じように楽しく暮らしていきたいと思っている。 仕事はやめない。残された母が困らないように少しでもお金を残してやりたい。 お酒もこれまでと同じように適度に楽しみ、食事も好きなものを食べたい。 今後は手術ではなく抗癌剤での治療をお願いし、副作用が出るようであればやめると言っていました。
父はなかなか弱音を吐けない人なので、そうした気持ちを聞かせてもらってとても嬉しかったです。 そして、抗癌剤をやめるよう勧めた私や母を責めることもありませんでした。 それどころか夕食の時には母だからこそこんな自分でもついてきてくれたと思うし、 母と結婚して良かったと言っていました!(おとんは相当悪いことした!とも言っていました)
そして、皆さんに感謝していると。 エネルギーが効いていなかったんじゃない、父の癌が元気すぎたのだ。 くれぐれもエネルギーが効かなかったなどとは思わないでほしい。 皆さんのお気持ちが嬉しくて本当に感謝をしていると伝えてほしいと言っていました。
父には癌が大きくなり増えているにも関わらず、ビリルビンの数値は基準値に戻り体調が非常に良いこと、 私は諦めていないし本気で治すから、病気のことは私たちが頑張るから父は安心して日々を楽しんでほしいと伝えました。
克子さんからのメッセージ、ありがとうございます。 地上的な死については以前に比べると死は解放の喜びと思えるようになってきたと思っていました。 よってメッセージを拝見し、やっぱりそこなのかな?と思いつつも、実感としては分かりませんでした。
ですが私は父の診察の1週間ほど前から胃腸の調子が悪くて、前日からは嘔吐を繰り返していました。 父の診察結果を聞くのが怖いのかなーと思っていたのですが、 いざ父の結果が分かるとショックではありましたが涙を流すことはありませんでした。 でも今日になっても良くならず、たまらず早退。 メッセージを拝見し、実感としては分からないものの、胃の不調は受け入れがたさであることを思うと、 地上的な死を恐れる私が居るのだろうと思いました。 ですが、
>愛する者の気づきと変化のために自分が重大な病を背負うという魂の約束の場合もあるのです。
このメッセージを拝見し、涙がとめどなく溢れてきました。 やめてやめてやめてやめてー。って思いました。 これはあかん、まずいと思って、さきさんに連絡させて頂きました。
私は随分前に不治の病で猫を2匹相次いで亡くしているのですが、 彼らのいのちを通して学んだことが本当にたくさんあって、どれもかけがえのない宝。 自分の生き方においても、EARTHのはたらきにおいても、それらが大きなちからになってくれており、 役立てさせてもらえることも嬉しいし、それを何より彼らが喜んでくれていると思うと嬉しくて。
でも、上記のメッセージを拝見した時に、まただ!もう嫌!やめてやめてってなったのです。 私は彼らが旅立った時に感謝や喜びと同時に、 「私が至らないばっかりに彼らはいのちがけで教えなくてはならなかったのだ。 私が出来た人間であれば彼らのいのちは奪われずにすんだ。 もっともっと長生きできた。私が彼らのいのちを奪ったも同然だ。」と思ったのです。 その思いがリアルに湧いてきて。
それは決して彼らを失ったことが悲しいとか辛いとかではなく、 死を喜べないでいる気持ちがあることに加え、自分自身を喜べていないからだと思いました。 私みたいなしょーもない人間のためにいのちをかけてくれるとか苦しすぎて、 自分という存在が許せないのです。 やっぱり私の存在自体がトラブルの元でありみんなの不幸の元なんだ。という思い方をするのです。
そう思ってること自体がトラブルの元でありみんなの不幸の元! もうあほすぎです! まさに自分で思いっきり壁を作っておるのであります。
それでも随分、自分を喜べるようになってきたなぁーと呑気に思っていたのですが、 喜んだ後には「でも私にはこういう嫌なところがあるし」と結局、自己否定していたなと気付きました。 そうじゃなないと落ち着かなくて気が済まない。 かげりを輝きに変える作業であればよし頑張る!と思えるのですが、 自分を喜ぶって嫌で嫌で仕方なくてとにもかくにも怖いのです。
私の今世の課題は自分や他の人を認め、褒め、喜ぶことです。 基本的な事すぎてやっぱり私は致命的なんやと思っていたのですが、 でも、人として正しく優しく、みんなも自分も幸せにと生きていきたいという気持ちは強くあって、 そう出来ないこともあるし至らないことも山盛りなのですが、 でも自分で作った壁とはいえ四方八方を自己否定の壁で囲まれたなかで、 それでもそうありたい、それだけは譲れないと歯をくいしばって頑張ってきていました。 誰かと心で触れ合えることが嬉しくて、誰かのお役に立てることが嬉しくて、 それが私の原動力でした。
さきさんとお話しながら、そういう自分をほんとおばか!どんだけ暇やねん!どんだけ迷惑かけるねん!と思うと同時に、 よくぞ人としての道を大きく逸脱せず、荒まずにきたな(この程度で済んでるな)と思いました。 私、頑張ってきた。うんうん、頑張ってるってヨシヨシしてあげたくなりました。
そんな私でも存在が許され祝福されている。 父がいのちをかけてそのことを私に教えてくれているのだと思います。 いのちをかけて私を祝福してくれているのだと思います。
霊主体従。 このテーマになってから、私はずっとついていけてないと感じていました。 私の出発の春は自分を喜ぶことだと思います。 自分を喜ぶことが出来たら、死もまた喜びになると思います。
自分の存在を喜びます。 これでもかーってくらい喜びます。
いつも本当にありがとうございます。 どうかこれからもおちからを貸してやって下さい。 よろしくお願いします! |
23/04/2013(火) 22:01:39
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No.11006 飯沼 |
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ちぃさん、こんばんは。
今は気持ちのままでよいような気もするのですが、どうも気になるので一言だけ。
自分を喜ぶことと、「霊主体従」の揺るがぬ価値観で日々を生きることは、(重なっている部分もあるとは思いますが)、別の次元のテーマです。
少し落ち着いたら、メッセージを改めてじっくり読み込んでくださいね。 |
23/04/2013(火) 22:41:45
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No.11007 まゆみ |
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ちぃさんのお父さんに感謝と労いの気持ちを送ります。 お父さんのパワーにいつも驚かされます。 霊主体従であること、全ては喜びであること、 しっかりとつながり 光の喜び(健やかさ)のエネルギーを注ぎます。 |
23/04/2013(火) 22:55:01
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No.11008 あきこ |
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ちいさんのお父さん、ちいさんも私は大好きです。 霊主体従、今まで本当についていけていなかった私ですが 心にすえて、一緒にがんばります。 |
23/04/2013(火) 23:00:20
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No.11009 飯沼 |
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何度もすみません。 やはり気になるので、もう少し書きます。
>死を喜べないでいる気持ちがあることに加え、自分自身を喜べていないからだと思いました。<
とありますが、 今の地上の人間にとって、死を喜べる気持ちにはなれないでしょう。 だからこそ、気持ちではなく意識の次元を切り替えるところから始めるのです。
本人にとっての死の意味を知り、 他界後その人は光の喜びに包まれて霊界で生き続けることを知り、 自分の悲しみの気持ちが実は自己憐憫であることを知り、 やがて再会の喜びの時に導かれることを知ることによって、 死に対する意識を切り替えていくのです。
そしてそれは死を喜ぶという一面的なことではなく、 死して霊界に生きるも喜び、治りて地上に生きることもまた喜び、ということです。
ただ、病者さん本人もそうですが(それは仕方ないとしても)、特にヒーラー側の人間が地上的な死を否定的にとらえていれば、かげりの共鳴を起こし、ヒーリングエネルギーは届きにくくなるということです。 |
23/04/2013(火) 23:05:44
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No.11010 飯沼 |
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自分の中で霊的価値観が確立し、それが最も優位な生きる規範になれば(←つまり霊主体従ということ)、地上人生の悩みやほとんどの病の原因は霧散します。
「霊主体従」の生き方は、さまざまな地上人生の悩みや病の原因(心のかげり)を無意味化してしまうのです。
ちぃさんの投稿を例にとれば、 自分を喜べない人が自分を喜んでいくのはなかなか大変な作業です。 特にちぃさんのように、普通に考えれば普通以上に自分を喜べるはずの人が自分を喜べないとすれば、かなり根っこが深いのです。
そういう人が自分を見つめ直して、自分を喜んでいけるようになる道筋も、もちろん大事です。
でも、自分が自分を喜べなくても、そんな自分でも、神や霊界から無条件で自分の存在を祝福されているということを知り、それが意識の核になれば、「自分が自分を喜べないこと」は自ずと解消し、無意味化してしまいます。
だって、自分よりもはるかに大きな存在から無条件で祝福されているのに、ちっぽけな自分が自分を喜べないことなど、ほとんど意味をなさないからです。
地上人生は、綿密なシナリオに基づきながら、ある程度のアドリブ(自由意志)が認められた、芝居・演劇のようなものです。 全ての場面に学びのテーマがあり、敵も味方もお互いが自分自身の学びのテーマに沿って、それぞれの役割を演じてくれているのです。
決して地上人生がすべてではなく、私たち自身がこの地上でいかにしてもっと大きな意識(真我・魂)を発揮して生きていくのか、経験と学びのために来ているだけなのです。 |
24/04/2013(水) 07:40:25
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No.11011 飯沼 |
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霊(心)が主人であり、体(肉体)は従者です。 その価値観が「霊主体従」ということです。
ちぃさんのお父さんが抗がん剤の投与を受けることに対して、私はコメントを控えますが、いずれにしてもちぃさんのお父さんがご自分の肉体の力(治癒力)を信じてあげなければ、この状況での治癒は難しいように思います。
なぜならば、非常に厳しい状況で、主人(心)から信じてもらえてこそ従者(肉体)は本来の力を発揮できるからです。 |
24/04/2013(水) 09:07:57
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No.11013 ひらり |
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ちぃさんのお父さんが、ご自身を喜び信じ病が癒えますよう、 エネルギーを送ります。 |
24/04/2013(水) 12:36:04
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No.11014 和也&久美 |
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ちぃさんのお父さんの全てを喜び感謝し、エネルギーを送ります。
和也
ちぃさんのお父さんに感謝とねぎらいの気持ちを送ります。 「霊主体従」の意識を高めて、光の喜びのエネルギーを注げるように頑張りたいです。
久美 |
24/04/2013(水) 22:25:05
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