☆☆ 愛は時空を超えて 99 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。
飯)長かった今回の浄化排出もようやく収束しつつあるようだ。
しかし、なんだかんだで、4月の後半まで足の痛みが残った。 今も足首の腫れは残っていて、正座することもできない。 足首の痛みはもうないが、歩くと左足の親指の付け根に痛みが出て、どうも思うように動けない。 3月定例会の後から4月半ばまでの痛みは本当にひどくて、歩くこともできず、車椅子への乗り降りすら激痛で大変だった。
まあ、痛みの意味は聞かされているから、それでいいんだけどね。 それよりも、あと少しのところまで回復したのに、そこから回復がなかなか進まない。 傷みはないからいいようなものだけど、やっぱり多少は不自由だからね。 まあ浄化は未だ完了せず、収束しつつもまだ継続している、ということなんだろうね?
克)はい。 そう思っていただくしかありませんね。 地上に生きていれば、さまざまな心の澱は生じるものです。 それを溜め込んでから排出するよりも、少しずつ絶えず排出していった方が健やかでしょう?
飯)確かにそうではあるんだけど・・・。
克)今のあなたは、大きく前進した後の小さな停滞のなかにいます。
たとえてみれば、片足を大きく踏み出して着地させたものの、もう一方の足を地面から浮かせたままどうしたらよいのか分らないでいるという状態です。 浮かせた方の足を前に踏み出してさらに大きくもう一歩進めばよいのか、一度は地面から浮かせた足を元の位置に戻して着地させた方がよいのか、あるいはどちらにも動けるように浮かせたままの状態が良いのか、分らないのです。
その意味では今のあなたは、さらなる前進か、わずかな後退によって後続とのつながりを確かなものにするのか、あるいはしばし停止・停滞して後続を待つのか、決めることができず、ある種の迷いの中にいるのです。 それが(象徴的な意味で)片方の足首に負担をかけ続け、左足首や足指の回復を遅らせているともいえるでしょう。 まあ、足首にかかる体重の問題もあるのですが(笑)
飯)言われていることは分かるような気がするけどでは、どうすればいいんだろうね? 減量とかの話じゃなくてね(笑)
克)今はあなたの思うままで構いません。 といっても、あなた自身があれこれ考えて思い悩んでいるわけではなく、「あえて言えばそういう状態です」という程度のことですから。
それとは別に、あなた自身としては前進を続けていただきたいところです。 霊主体従やマスターキーのエネルギーについて、あなた自身も全てをつかみ取っているわけではありません。 真理顕現への地上人類の大いなるアプローチは、まだほんの端緒についたばかりなのです。
「霊主体従」という意識を確立することやそれを実際に日々の生き方としていくことについて、あなたは仲間たちの意識の薄さ(無関心さ)や理解の浅さに驚き、実際の日々の生き方からも程遠いことに少なからずがっかりしています。(もちろん、全員ではありませんが)
こちらから見ていても、仲間の皆さんの多くは、軸足をどっぷりと地上の価値観に固定したままで、片足を少し浮かせて、軸足よりも前に出ない範囲で着地点を探っているかのような心の動かし方が目につきます。 そういう時期があっても構わないのですが、それでは新しい次元のエネルギーとしてはほとんど何の力にもならないことをお伝えしておかねばなりません。
霊主体従の意識が確立するということは、人間にとって一種の大きな「悟り」です。
重いコートを脱ぎ棄てて、明るく暖かい陽光の中を軽やかに歩み始め、やがて飛翔し始めるような、つまり、まさに「出発(たびたち)の春」のような希望と喜びに輝くのです。 その価値観で日々を生き始めれば、まるで新しく生まれ変わったような感覚が湧きあがり、新鮮な喜びと感動の連続でしょう。
地上人類の霊性進化とは、物的価値観からの解放・卒業です。 人間は神の分け御霊を戴いた神の子であるとの自覚に基づいて、「永遠の学びの旅を生きる霊」として地上人生を生きようとすることです。 魂(心・意識)は死ぬことなく生き通しであることを大前提にして、肉体や形あるものにこだわらず、金銭・物質を偏重する愚かさを卒業して、豊かな心で惜しみなく貢献にも使っていくことです。
心には現実を引き寄せる力があることを当然のこととして認識し(疑う余地なく信じ)、健やかな喜びの中で心の力を使っていくことです。
死を恐れ、死を否定し、死を回避するためにいくら心の力を使っても、それでは本末転倒です。 つまり摂理の喜びに反したネガティブな動機からは、本当の大きな喜びは生み出されないのです。
同じ意味で、地上的な死を回避するために「霊主体従」という真理を受け入れたとしても、それこそが典型的な本末転倒です。 それにふさわしい地上的結果がもたらされるのです。
そして、いつもお伝えしているように、それがどのようなものであっても、それはそれでよろしいのです。 地上の人間がどう思ったにしても、もたらされたものは“それもまた喜び”であるのです。
病についてもこれまでに何度もお伝えしてきたので、ここでは繰り返すつもりはありません。
しかし、もしも病を本当に治したいと思うのであれば、まずは病や地上的な死を否定することなく受け入れ、不安や怖れを卒業して、今を健やかな心で生きることです。 肉体を持った人間が、自分の肉体の回復力を信じることも、今を健やかに生きることに含まれているのです。 これは言うまでもなく近代医療や医師の治療を否定したり理由もなく拒否することではありませんが、治療法のない病を得た時、自らの心の力や肉体の回復力よりも病院を信じていればどうなるかは明らかです。
医師が「治りません」と言っているのですから、それでも医師に依存していれば、医師の言う通りの結果になるに決まっているのです。 これは医師の治療を一切拒否しなさい、などと言っているのではありません。 心の軸をどこに置くのかという話です。
そして、医師の言う通りの結果になったとしても、“それもまた喜び”なのです。 本音の気持ちではそうは思えないにしても、それでよろしいのです。 やはり、それでも“それもまた喜び”であるからです。
こうして私がお伝えしていることは、「(霊的」真理」というにはあまりに低次元の、いわば当たり前のことにすぎません。 それでも、今の地上の価値観にどっぷりと浸かってきた人間には、なかなか受け入れにくいものであることも承知しています。 しかし、あえて言えば、皆さんがたがこの初歩の初歩の真理(摂理)を受け入れようが受け入れまいが、そんなこととは無関係に摂理は摂理としてあり続けるのです。
冬が嫌いでも、そういう人間の気持ちとは無関係に冬はめぐってくるのですし、いくら夏が嫌いでもやはり夏はやってくるのです。 それを受け入れられないとすれば、その人間はどうなのでしょう・・・? (これはあなたが言ったことですが)
ですから、あなた方が「霊主体従という摂理」を頭や気持ちで受け入れるかどうかは、あまり意味を持ちません。 それよりも、伝えられている「霊主体従」ということを受け入れた上で、真剣に向き合うことです。
自分自身の意識がその真理・摂理と一体化(融合・同化)するまで、心を鎮めて懸命に光の道を希求し続けることです。 「悟り」を求めるのです。 求道者のように、求道者として。
今が極めて重大な時期だと認識していても、地上的日常を優先して、地上人生のわずかな期間、わずかな時間さえもそうはできないのであれば、それにふさわしい結果がもたらされるのも当然です。 何度も言いますが、それはそれでよろしいのです。
飯)ありがとう。 話を戻すけど、僕ががっかりしているかどうかは別にして、僕はどうしていけばいいんだろう?
克)はい、あなたは自分の思うようにしていけばよろしいのです。 でも、焦りは禁物です。 繰り返しますが、ヒーリングのマスターキーのエネルギーも、まだ端緒についたばかりです。
今の段階で無理に言葉にする必要はありません。 言葉にしたからといって、エネルギーの本質部分まで伝わるものではありません。 ですから、ダウンロードということを急がず、というかその確かな方法を見つけ出そうと思いすぎず、あなたはあなたとして自由に光の中で光の道を進んでゆけばよろしいのです。 それが「後進の者たちを意識しなくてよい」ということでないことは、分るはずです。
何ものにもとらわれず、自由におおらかに、今を心すこやかに生きること。 それでよろしいのです。 そのことの意味と、そこから始まる世界の美しさが、あなたには分るのですから。
飯)はい、ありがとう。
受信中に仲間のお父さんの報告が入ってきた。 検査結果は芳しくないようだ。 だからこそ、彼の治癒を願う人たちには今回の通信をしっかり読んでもらいたいと思う。
しかし昨年の秋に、「自分の体を信じるところから奇跡的な治癒への流れが始まる」ということを伝えに行ったのだが、まだそのことに向き合えず、本当の意味では信じてもらえていないことは残念だ。 その時に持参したサプリメント(DHA)も、飲むこともなく置かれたままになっているそうだ。
DHAやEPAは昔、僕がある自然治療グループで学んでいた頃、そのサプリメントを飲んだガンの患者さん(全員ではないが)に改善が見られたので、心のエネルギーだけではなく、場合によればそういうサプリメントの力を借りることを否定していないという意味で彼に勧めてみたのだが・・・。
克)何をどう受け止めるか、何をどう判断するかはすべて当人の自由意志です。 あなたはあなたの信念と心遣いに基づいて精一杯の関わりをしたのですから、それでよろしいのです。
先ほどもお伝えしたように、彼は本音のところでは病院や医師しか信じられず、ないものねだりであっても近代医療から治癒や改善や延命を引き出そうとしか思えていないのです。 そして、それはそれでよろしいのです。
そういう状態、そういう段階の彼に、あなたとして精一杯のヒーリングエネルギーを送らせていただけば、それでよろしいのです。 「すべては佳きに計らわれる」のです。 くれぐれも、願いや熱意が拘泥にならないように、心がけてください。
飯)はい、わかりました。 いつも、ありがとうね。
克)はい、あなたの方こそ、お疲れさまでした。 受信の状態が良くなかったので、疲れたでしょう。
飯)というか、、「天地悠々」の発行が遅れているのに、今日の午前中まではどうしても受信できず、今日の午後になって急に一気に受信できた。 この内容にリアリティを持たせるために、そちらで計らったってことなんだろうね?
受信できないから僕は困って、今号は「愛は時空を超えて」なしで、天地悠々を発行しようかと思うぐらいだった。 まったく、よくやってくれるよ(笑)
克)はいはい。 あれもこれも含めて、「すべては佳きに計らわれている」のですよ(笑)
飯)はーい、とにかくありがとさんでした。
(2013・5・1) |
01/05/2013(水) 17:36:06
| No.11041 祐造 |
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★飯沼さん、「愛は時空を超えて」の受信をありがとうございます。 足の痛みがはやくなくなるようにと願っています。
>こちらから見ていても、仲間の皆さんの多くは、軸足をどっぷりと地上の価値観に固定したままで、片足を少し浮かせて、軸足よりも前に出ない範囲で着地点を探っているかのような心の動かし方が目につきます。<
これ、自分のことだと思いました。 文字通り、日々の日常に流されてしまっています。 メッセージの重みを感じました。
今回、みなさんと一緒に三輪山へ行くことができなくなったのは、自分の中で、まだその準備ができていないからだと受け止めています。 延期になった5月4日は、「霊主体従」に向き合う機会にしたいと思います。
★ちいさん、お父さんの検査結果は残念ですね。 ちいさんのショックも大きいと思います。 僕もエネルギーを送り続けます。 検査結果にがっかりすることなく、自分たちが「霊主体従」に向き合うことで、検査結果に影響されるのではなく、お父さんに影響を与えていく側に立ちたいです。 僕たちを育てる役割を担って下さったお父さんの「意思」に応えたいです。 それがお父さんを「治す」ことにリンクするのだと思います。 みんなで頑張りましょう! |
02/05/2013(木) 02:33:52
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