☆☆ 愛は時空を超えて 96 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)こんにちは。 2013年が始まり、すでに1月も後半になっているが、そちらから何かあれば伝えてくれるかい?
克子)はい。 いつも申し上げていることですが、地上人類の霊性進化というものは、決して一足飛びには成しえません。 「それは螺旋状に」と言われていますが、実際にはもっともっと複雑に紆余曲折を経ながらになるでしょう。 というよりも、さらなる危機をも乗り越えてこそ成就するのです。
飯)ということは、さらなる危機がもたらされるということなんだね? まあ、状況からすれば「さもありなん」という気がするけどね。
克)いかなる状況に陥ろうとも、地上人類の霊性進化は大いなる神の御心であり、地上界のプログラムに織り込まれていることなのです。 これからも地球規模でも、個人レベルでもさまざまな試練がもたらされるでしょう。
しかし、いかなる出来事も、霊性を目覚めさせ、霊性を発揮し、霊主体従の真理を具現化していくための試練としてもたらされるのです。 それは同時にカルマの解消に向けてのものであり、試練を乗り越えたのちの大きな喜びを信じて、皆さんがたは希望を失わずに霊性進化の道を進んでくださいますように。
トラブルや苦難は、理由もなく起きるのではありません。 過去世からのカルマの解消としてか、あるいは、その困難を自分を含めた皆の喜びの方向で調和するにはどうすればよいかを学び取る学びの機会としてもたらされるのです。 ですから、決して偶然に不幸に見舞われるというものではありません。 全ての事柄には摂理に沿った理由があるのです。 つまり、霊的視点で物事をとらえるのであれば、摂理に沿って対応していくことが唯一の解決の道であることも分るはずです。
飯)最近、悠々塾につながる人たちにカルマ解消の機会が提供されているような気がするんだけど?
克)それは最近に限ったことではありません。 ずっと以前から、それぞれの人たちが悠々塾との関わりに導かれたことの主な目的はそこにありました。 何らかの貢献や埋め合わせができて、多少なりともカルマの負債を軽くできた人もいます。 残念ながら今の時点では今回の人生でもカルマを深めたままの者もいますが、それもそれでよろしいのです。
その後の言動も含めて、全てはその本人が背負っていくべきことであり、不十分さはあったとしても相手の幸せを願っての言動であれば、いつかは必ず相手に届くのです。 というよりも、愛念が届いていないはずはないのですが、相手が自分の都合や気持ちによって蓋をしているだけの話です。 悠々塾はそれ以上の個人のことについての深追いをせずに、心が通い合う仲間、エネルギーが響き合う仲間たちと共に、地上人類の霊性進化の道を切り拓いていく使命があるのです。
ですから、最近に限ったことではないのですが、(時期が時期だけに)本来のその人にふさわしい人生への転換点として、カルマの解消が強烈に求められている人も少なくありません。 それぞれの皆さんが、目先の損得や自分なりの感情や地上的価値観にとらわれることなく、毅然とした喜びの中で摂理に沿った言動を実行していくことが大切です。
何かがもたらされた時に、それをどう受け止めどう対応するかが、地上人生の学びです。 不調和やトラブルの原因が自分にあるのに、他に責任転嫁するような思い方はもう卒業しなければなりません。 誰もが自分の至らなさや不十分さや過ちに気づき、心から詫びて改めていくことで成長していくのです。 いつまでも自分なりの気持ちを手放さず、自分にしか通用しない理屈に執着しているならば、「大きなものを失うことになる」のです。
霊界側は、地上的な死を「否定すべき忌まわしいもの」とは全く考えていないのです。 「財産や資産を失う」ということについても、失うことについてはさほど重要視していません。 (すべては健やかに循環すべきものであるからです) それよりもそういう機会にどういう学びを得ることができたのか、あるいは、失うことによって今までよりも心をかげらせてしまうことになったのかの方がはるかに大事なのです。
もたらされることの全ては過去世の埋め合わせを含めた自分の成長の機会です。 もたらされたことの意味を履き違えて、未熟な自分を守り、歪んだままの自分であろうとする愚かさに留まってはなりません。
飯)はい、ありがとう。 そういうことを繰り返し伝えねばならない現状があるのだと思う。
克)はい、その通りです。 「自分を喜ぶこと」と、「自分の至らなさを素直に認めて改めようとしていくこと」は実は同じ意味でもあるのです。 (不十分な自分をそのままにするために)自分を守ろうとすることこそが、自分の魂を傷つけ冒涜するものなのです。 なぜならば魂は全て向上進化の喜びに生きるものであるからです。
もうひとつ言えば、身に染みついた「金銭の出し惜しみ」を超えていただかねばならない人もいます。 これは決して、お金に糸目をつけずに派手な生活をしなさいなどということではありません。 無駄使いをしないという意味での倹約は結構なことです。 しかし、「お金は使わない方がよい=自分に留める(貯める)ことが善」という考えは間違っています。
「喜びの実現のために快く使うこと」が金銭にとっての喜びになるのです。 自分の楽しみだけが喜びではないことは言うまでもありませんが、自分の楽しみを制限する考え方に(私個人は)賛成できません。 特に悠々塾につながる皆さんがたの傾向を見れば、何事につけ「制限」は超えるべき時期にきているからです。 制限のエネルギーを拡散や作用、喜びの実現のエネルギーに切り替えるべき時期にあるのです。
今までの「出し惜しみ」が、今の寂しさや苦しさの一因になっている人もいますし、これからの厳しさや寂しさの原因になっていく人もいるのです。 何を喜びとするかは人それぞれですが、「喜びの実現のために使われてこそ金銭にも喜びになるのです」と重ねてお伝えしておきます。 (もちろん、それとは別に「お金に依存しない生き方」を実際の形にしていくことも大事なテーマです。)
飯)僕もそう思うけど、金銭を潤沢に持っていない庶民は、やはり「使う額を減らしたい、使いたくない」と思うのが普通だと思う。 「それなりの金銭を蓄えておかなければ、何かあった時にどうすることもできないのだから」と考える人も多いし、実際そうだと思う。 まあ、世界的な金融破綻などがあればお金の値打ちが暴落して、庶民レベルの蓄えなど何の意味も持たなくなる可能性も十分にある世の中だけどね。 いずれにしても、これからは金銭よりも人と人とのつながりやそれをベースにした生産・加工・流通(交換)・生活上の工夫などが大事になっていくと思う。
克)はい。 もちろん、私も金銭の蓄え全てを否定しているわけではありませんよ。 ただ、皆さん方や今の人間の過去世から今生を見れば、「出し惜しみ」の積み重ねが、今の人生でのトラブルや寂しさ(喜びの薄さ)の元になっている場合が少なくないのです。 実際問題として、出し惜しみして(蓄えを減らさない)としても、人生にはいつ何が起きるか分らないのです。
あなたが言ったような大きな社会的変動によって個人の蓄えが水泡に帰したことも珍しくありません。 そうはならなくても、個人のレベルでもさまざまなことがもたらされるのです。 「そういう時のために少しでも多くの蓄えをしておきたい」というのも人情ですが、「出し惜しみ」の埋め合わせとして人生のトラブルがもたらされることも少なくないのです。
飯)了解しました。 「備えあれば憂いなし」とも言うが、庶民レベルの金銭に関しては憂いのないほどに蓄えられるとも思えない。 むしろ、皆が安心して暮らせる社会を構築していくことでセーフティガードとすべきだと思う。 すぐにそういう社会にならないにしても、金銭を喜びの実現のために快く使ってこそ、(おそらくは喜びの質に応じて)霊界側からも計らいがもたらされるということだと思う。
克)人間のカルマや課題の内容も質ももさまざまですから、一概には言えませんが、大枠においてはそういうことになるでしょう。
飯)イエスもこう教えている。 「空の鳥を見るがよい。撒くことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなた方の天の父は彼らを養ってくださる。あなた方は彼らよりもはるかにすぐれた者ではないか」
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
この話が長くなってしまったけど、話を変えて、僕のエネルギー的変化・組み換えについてはどうなんだろう? まだ完了していないのは自分でも分るし、自分の思っている以上の大きな組み換えが行われているのではないかという気もするんだけど。
克)あなた自身の実感・自覚はどうですか?
飯)まず、論理で物事を考えたくない。 今はもっともっとアバウトにというか、イメージや直観の次元を意識の軸にしておきたい。 なので、相変わらず文章が書けないし、書くとしても今までの何倍もの時間がかかり、妙に疲れる。 なので、なかなか文章を書く気になれないという、一種の悪循環(?)ができてしまった(笑)
長年馴染んできた論理的思考を離れて、直観(と言ってもとても緩やかな意識なんだけど)の世界で、自由に意識を遊ばせているという感じで、それがまたとても心地よい。
他には、寒さがあまり身に沁みなくなった。 篠山はけっこう寒い地域だし、去年までの冬の感覚はしっかりと残っているから、今年の冬との違いは明らかだ。 夜中にトイレに起きる時でも、去年までは震えていたが、今年はあまり寒いと思わない。 寒さに鈍感になったのではなく、気温の低さは感じるのに、体が寒くないんだ。
それと、食べるものが今までよりも一段と美味しく感じられる(笑) 去年の11月の激しい浄化排出以降、煙草を吸うのをやめてしまった。 ある時期からの激しいタバコへのバッシングへの反抗も込めて、僕はタバコをやめようとは全く思ってこなかった。 あの激しい浄化排出の時も、2箱ぐらいの買い置きがあったので、一日に数本ぐらいは吸っていた。 だから吸えなくなったわけではないと思うが、買い置きが無くなってからはもう新しく買う気にもならず、そのまま吸うのをやめている。 やめようと意志したわけでもないのに、タバコを目の前で吸われても特にほしいとも思わないし、全く吸わなくなった。
その他にもいろいろありそうだけど、とりあえず今思いつくことを挙げてみました(笑)
克)はい。 それらの変化をあなたはどうとらえているのでしょうか?
飯)おそらくは間違いなく、何らかの大きな変化、エネルギー的な組み換えだと思っている。 肉体的な変化というよりも、意識(エネルギー的な)の変化に伴って、体の領域にも変化が及んでいるのだと思う。 それぐらい昨年11月の浄化排出の意味もエネルギーも大きかったのだろう。 そしてそれはまだ継続しているように思う。
克)はい、まさにその通りです。 それで、あなたはどうしていきたいのですか?
飯)今まで通り、ヒーリングの働きやさまざまな活動を続けていくのは当たり前だが、そのほかにというのかその延長上なのか、今のエネルギーをどこまでも追ってみたい。 今はまだイメージや直観のレベルではあるが、かなりの手応えを感じている。
今までのヒーリングエネルギーとは大きく一段階違う、いわば「マスターキー」のようなエネルギーがあるような気がしている。 それについて言葉で説明しようとすれば、今まで伝えてきたことと同じようなものになるのだと思うが、しかし、それら全部が融合進化して、今までとは別物のようになったエネルギーがあるのだと思う。
でもそれは今までの僕のように理詰めで考えても到達できるものではなく、むしろ自分の意識を無にしてみたほうが近づいていく感じがする。 こう言えばなんだか難しそうだが、実はそうではなく、かなりシンプルなエネルギーだ。 大きな喜びの循環のごく一部としての喜びの循環をクリアなエネルギーにするのだと思う。 頭で分ってもあまり意味はなく、あくまでもエネルギーとしての実体を揺るぎなく確立するのだろう。
60歳にもなって、まるで懲りない夢追い人のようだが、許されるのならそのエネルギーにアプローチしてみたい。 もしかしたら残りの人生の全てを費やしても荒唐無稽な夢で終わるのかもしれない。 自分としてはそれでもいいと思っているんだけどね。 もしもそこに行けたなら、いくらかは実体を反映した言葉で説明することもできるようになるだろうし、それよりも、心を通わせあえる仲間たちに「ダウンロード」できるような気がする。
克)あなたがヒーラーとして働くようになった経緯を思い返してください。 そしてその後のことの全ても綿密な計画によって導かれていたことが分るはずです。 3・11以降のあなたの発言、八戸に行ってからのエネルギー的変化、あの浄化排出・・・。 全てが霊界側のプログラムに沿ってのものです。 あなたはこちらの指示通りに動かないことも少なくありませんが、あなたのそういうところも十分に見越したうえで霊界側は関わっているのです。
どんな人でも霊界側の緻密な導きの中にあるのですが、あなたほど完璧に導かれている人を私は知りません。 すごい数のスタッフの皆さんが関わってくださっているのですよ。 あなた自身がそれを感じながらも、人一倍自由にできるのですから、大したものだと感心します(笑)
飯)なんだか人聞きが悪いなあ。 いずれ霊界に戻れば、お叱りを受けることも多々あるとは思うけどね。 指導霊の皆さんがたは、基本的に自由意志は尊重してくれているし、僕自身も志を揺るがせたことはないと思っている。 志さえあれば、他はかなり大目に見てもらえるような気がしているんだけどね(笑) 方向性を見失わず、前進する意欲もあれば、多少の道草は問題にならないのだと思う。 だってそれが地上人生の旅だからね。 もちろん、方向性が間違っていることに気づいていなかったりしていれば、それは問題にせざるを得ないとは思うが。
それぐらいの了見は僕にでもあるのだから、指導霊の皆さんはもっと寛容に違いないと思っているんだけどね。 指導霊さんが文句をつけるのなら、地上の人間と霊界側の指導霊の役回りを交代してあげるよ(笑) 生きてみれば分るけど、地上ってところは面倒な世界ですよ。 冗談はこのぐらいにして、今、僕が感じているエネルギーを僕の人生で形(実用のもの)にできなくても、地上人生を懸けて追い求める人間が存在したことにも意味があるんじゃないかと思う。
克)はい。 地上的な結果がどうであれ、あなたがしようとしていることは決して無駄にはなりません。 もしも道半ばで頓挫したとしても、それでも十分な意味はあるのです。 いずれ地上人類はそこまで進化できる時が来るのです。 誰にも分ってもらえなくても、何の形にもならなくても、地上人類の道行きのはるか彼方に見えない足跡をつける人間はいるものです。
あなたのお父さんは、「お前のように(20年でなく)100年も早く生まれてしまった人間は、理解されることもなく寂しい人生を送るしかない」とおっしゃたそうですが、それはあなたが地上人類の霊性進化の前衛・先駆けであるということです。 あなたは心を通わせあえる仲間たちに恵まれ、はるか彼方にまで心の(エネルギーの)飛距離を延ばすことができるのですから、何という幸せ者でしょう。 どうぞ、あなたらしく、自由に挑み続けてくださいね。
飯)ほい、ありがとう。 僕の場合、自分が望んだわけでもないのにヒーリングの力が芽生え、今までも多少はお役に立つことができたように思うが、このエネルギーに移行できると今までとは比べものにならないことが起きると思う。 焦ったり考え抜いたりとは真逆のエネルギーなので、のんびりとやっていきます。 仲間たちに心から感謝しながらね! 彼らが今のようなエネルギー磁場を形成してくれたから、僕はもっと僕らしく地上を旅していくことができる。 しかしそれは人類がどこかに落としてきてしまったマスターキーを探しに行く旅なんだと思う。 もしかしたら、たくさんのお土産を手にして、皆の幸せに役立てるかもしれないんだから、行ってみる価値はあると思うよ!
最近はよく「(地上人生で)見るべきほどのことは見た」と言ったりもするが、この年齢になって「まだ見ぬ世界」を探しに行く旅ができるなんて、本当に幸せだと思います。 守護霊さんや指導霊の皆さんに、くれぐれもよろしく伝えてね!
克)はいはい。 こちらに戻るのは、しっかり挽回してからの方がよさそうですね(笑)
飯)はーいよ。
(2013・1・23) |
24/01/2013(木) 10:32:19
No.10692 飯沼 |
|
|
■1月定例会 日時 1月26日(土曜日)
第1部 「癒しの講座」 お話とヒーリングの実習
午後2時から5時 参加費・1200円 第2部 「懇親会」 午後5時半ごろからお時間の許す限り (ISSINミニライブあり) 参加費・1500円 ☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。 地図の必要な方はお知らせください。 (079−594−5094) 。。。。。。。。。。。。。。。。。。
☆☆ 2013年2月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆
☆京都 2月10日(日) 午後1時〜2時半 3時〜4時半 2月11日(月) 午後1時〜2時半 3時〜4時半 2月12日(火) 午後1時〜2時半 3時〜4時半
☆篠山での日程は未定です。 篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。 ☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。 ☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。 ☆なお、1月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。 ☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。 (急を要する方に限らせていただきます) |
24/01/2013(木) 18:56:37
|
|