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No.10426 飯沼  E-mail
11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
おはようございます。
書き込み、嬉しいです。

今日はもう痛みもほとんどありません。
右頭部や右顔面、歯茎の不快感はまだかなり残っています。
食事も、ほぼ普通に戻りました。
体重は5〜6キロ程度減っています。

以下、メモです。

・地上的な死の意味をしっかりと踏まえて、それをベースにしていく。

・摂理に沿った心のエネルギー(作用力)について、揺るぎない確信を確立する。

・生命・心は、物質・金銭よりも優先されるべきもの。
(だからこそ、心のエネルギーは物質や肉体に作用できる)

・金銭・物質は、その人の心(価値観)のままに扱われている。

・金銭はもともと、快適に暮らすためのもの。
なのに、金銭に縛られて不自由な心で生きるのは愚かなこと。
(金銭が今のままの価値で推移する可能性はほとんどない。近い将来、金銭の価値が大崩壊する可能性が大きい)

・できるだけ創意工夫で、金銭への依存度を下げていく。
(販売されているもののほとんどは、利益目的の商品。利益目的ではなく、提供する喜び等々、本来の心のエネルギーのこもった食物や衣料品などを自作、または交換していく。「物々交換券」)

13/11/2012(火) 09:28:32


No.10427  前島
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
大変申し訳ないのですが、私はそういう意味で「軸」
という言葉を使っているわけではありません。
飯沼さんがおっしゃっていることは
軸というより軸足をどこに置くかという話です。
つまり、価値観の問題ですね。
それはよくわかっていますよ。
従いまして、私が飯沼さんの話を「ぶれて受け取っている」
というのはあたらないと思います。

自分勝手に身勝手に生きる、周りの迷惑を顧みない振る舞い
我欲にとらわれる。
これらのものを軸がない、と私は考えているのです。
つまり、肉欲・我欲に「従って」いる生き方、という
ことになります。

そうではなくて、人にとって(真に)よりよい生き方、
「人」としての中心、
という意味での「軸」という表現でした。

ま、確かにわかりにくい表現だったとは思いますが、
皮肉られてはたまりませんね。

もう私はこの掲示板に訪れることはないと思いますので、
この書き込みに対するレスポンスはいりません。

13/11/2012(火) 12:02:01

No.10428  さき
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
ぬまさん、痩せたんですね。
今度会う時を楽しみにしています。
今度の定例会は今回のテーマやエネルギーを共有する場になるのだと思っています。
皆さんが(サポーターとしてではなく)この地上で同じ道をともに歩む仲間として参加して下さることを望みます。

この掲示板は敷居が高い、という印象があるようですが
思ったことや感じたことをコメントして下さいね。
自分にとっても読む人にとっても考えたり気づきの機会になると思います。

13/11/2012(火) 13:31:03

No.10429  san
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
自分自身が霊として魂を磨き上げ、持っている素晴らしい神性を発揮してこそ周りの役に立ちますし
自分の魂としての輝きが増していきます。
地上世界を物質界を完全に魂の目覚めた(思い出した)人間として生きていきたいですね。
それができたなら、物質界はまさに創造の世界となりえます。

13/11/2012(火) 13:52:35

No.10430  さき
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
(シルバーバーチが、若い牧師に語った言葉)

・・数日前に私たちのメンバーの一人が北部の町へ行き、多くの神の子どもたちとともに過ごしました。高い地位の人たちではありません。肉体労働で暮らしている人たちで、仕事が与えられると―大抵は道路を掘り起こす仕事ですが―一生懸命に働き、終わるとわずかばかりの賃金をもらっている人たちです。その人たちが住んでいるのはいわゆる貧民収容施設です。・・・
ところが同じ町にあなた方が神の館と呼ぶ大聖堂があります。高くそびえていますから太陽が照るとまわりの家はその陰になります。そんなものが無かった時よりも暗くなっています。これでよいと思われますか。
・・・主よ、主よと叫ぶ者が敬虔なのではありません。神の意志を実践する者こそ敬虔なのです。・・戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業、こうした現実に知らぬふりをしているかぎりキリスト教は失敗であり、イエスを模範にしていないことになります。

*******
キリスト教の話でなく霊的真理とは何かということです。
その真理の通路となって(体現)顕現することが霊としての喜びなのだと思います。
同じ人間、同じいのちへの共感。
それがこの場の皆さんのなかにも共鳴していると思います。
3・11を目のあたりにして、「出直し」「生き直し」を決意しました。
もうこれまでどおりの生き方は通用しないことを痛感させられました。
有無を言わさず、迫られた。
自らの魂の意志、自らの魂の希求する方へ、進みましょうね。

死んでからその霊がいちばん後悔することは
自分がやるべきことをしなかった、ということだそうです。

13/11/2012(火) 14:25:45

No.10431  鉄ママ
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
父ちゃんの同僚の5歳になる女の子。
来年小学生になります。
耳の聞こえが悪く、集団行動に支障があると保育園の先生に言われ
たそうです。
多分夫婦二人で悩んでいたのだと思います。
その父ちゃんの同僚が、父ちゃんに娘さんのことを相談しました。
偶然というか、泰も軽度の難聴です。
私たちが、泰のことで同じように「どうしたらいいのかわからない。」
と悩みました。
その経験を彼らに伝えることで、我が子を心配しつらい
気持ちを聞いてあげられることで、二人の心に寄り添うことが出来たら
と思いました。
何度かうちに招いていろんな話しをしました。
鉄、ふうちゃん、泰も一緒に関わります。
ゆあちゃんというその女の子は、泰のことが「優しいから大好き。」
と言ってるそうです。
泰は積極的にゆあちゃんに関わることはないのですが、
私は、それを聞いて泰の心を(泰の霊としての姿)ゆあちゃんから教えてもらったように思いました。
ありがとう、ゆあちゃん。

今度、ゆあちゃんが我が家にまた遊びに来たいとのこと。
ゆあちゃんのお父さんは、孤独の中でそれでも「頑張らないと。」
と他とは一線を引いて生きてきたように感じます。
そして、夫婦の関係。
私たちが出来ること。

「いのちはひとつらなり」
私は、ちづちゃんと一緒に彼らのために役立てたいと思い連絡をしました。
ちづちゃんは、本当に快くちづちゃんを役立ててくれることを承諾してくれました。
私たちのエネルギーがどのように作用するのか、目に見えるものではありませんが信じ切って、私たちを役立ててます。
小さな一歩かもしれませんが「いのちはひとつらなり」北陸支部の一歩です。
(ちづちゃん、ありがとう。がんばろうね。)

13/11/2012(火) 17:08:01

No.10432  ちづこ
Re: 11月13日。雨のあと、寒くなるそうです。 引用
鉄ママから連絡をもらった時、本当にびっくりしました。
自分に自信がないけど、そんなことは置いといて。
役立たせてもらえるなら、ぜひ役立たせて下さいと、
本当に嬉しく思いました。

鉄ママの言うように、結果は目に見えるものではないけど、
信じ切って、精一杯役立てます。

いのちはひとつらなり
まったく手探りな感じですが、
悠々塾のみなさん、克子さん、よろしくお願いします。
鉄ママ、ありがとう。よろしくお願いします。

13/11/2012(火) 20:57:29


No.10415 飯沼  E-mail
11月12日。雨はやみました。 引用
おはようございます。
書き込み、嬉しいです。
今回の私の症状は、私自身のエネルギー的変化に伴う浄化排出だけでなく、仲間たちに向き合っていただくという意味もあるような気がしています。

「霊主体従、生命系」のイメージを確かなものにして、それを軸に生きていきましょう。

小さく未熟な自分にこだわるから歪むのですし、そんな自分を守ろうとするからもっと大事なものも一緒に失ってしまうのです。

もしも自分を取り巻く環境が地獄(暗黒界)のようだとして、そこで天国(光の霊界)の住人の心で生きようとすれば、地獄に天国の光が差し込むのですし、地獄の心で生きれば地獄が広がるのです。

さきさんが何度も書いていますが、地上はとてもシンプルな世界ですから、「何を言うか」よりも「何をしているか」です。

あれこれ考え、あれこれ言いはしても、「結局は、自分の心地よさを手放さずにいたいだけ」ではどうにもなりません。

今の自分がしていることが、霊としての自分の生き方であるのか?
自分の魂が希求するものを実現する方向、本当の意味での自己実現の方向にあるのかどうか?

「結局は、自分の心地よさを手放さずにいたいだけ」であれば、それは惨めで貧しい人生になるでしょう。

喜びの中で、霊としてこの地上を生きてこそ、実りの多寡にかかわらず豊かな人生であるのです。


今朝は久しぶりにちょっと微熱っっぽいので、おとなしくしておきます。


しのしのさんの提案、面白いのですが、定例会でそういう時間を設定するのはちょっと難しいかなと思います。
でも、たまにはテーマを決めて、小グループで話し合って、報告しあうということも考えてみます。
以前はテーマを決めて、それぞれに文章を書いてもらうようなこともしていたのですが、最近はしてないですね。

そういうこととは別に、この掲示板をそういう場に使ってもらえればいいんじゃないかと思います。

12/11/2012(月) 09:32:57


No.10416  さき
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
ぬまさん、こちらも陽が射してきましたよ。
悠々塾を導く人たちのシナリオを感じています。
この場の共鳴をつくっているお一人おひとりの方の心に触れているようで、そのエネルギーに触発されます。
魂の喜びへの希求、その方向を感じるからなのでしょうね。

ゆみっぺさん
>それでよろしいのです!じゃない!とイライラしている自分がいます。
とりつくろった言葉より、ずーっと好きです。
そこに本物の気持ちがあるから。

私もわかったように書いてるようにみえるかもしれませんが、皆さんの投稿を読ませてもらうことでたくさんの気づきをいただいています。
死は解放の喜びだということ、地上の人間が地上の人間としての気持ちをないものにすることなく「霊主体従」に意識や気持ちをどう沿わせていけるのか。切り変えていけるのか。
「それでよろしいのです」の境地。
そして、心のエネルギーを肉体に作用させられること。
「治りなさい(直りなさい)」のカギをつかみたい。

そのテーマが、だんだんリアリティーも持ってくるし、イメージも確かになっていく。
この場の皆さんと協働作業をしているのだと思っています。
この場の皆さんとならつかめる気がしています。

様々な色合いや傾向があって、それぞれの課題や設定のなかで、これまでの人生を経験してきた皆さんの心のちからがあってこそ、それを全部出し切ってこそ、シナリオは成就するのだと思います。
皆さんも協働作業だと思って、ぬまさんの提起を受けとめて下さいね。

12/11/2012(月) 12:35:17

No.10417  しのしの
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
私も一生懸命自分を守っているが故に、がんじがらめになっていると思います。もっと自由に生きたいです。

この掲示板って、ちょっと敷居が高いような気がして、ほぼ読むだけだったのですが、わからないことや気付いたことをもっと書き込んでいきますね。

12/11/2012(月) 12:40:33

No.10418  前島
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
よく、軸がぶれている、ぶれてない
という言い回しを耳にすることが
ありますけども

軸を持つって大切ですよね。
生き方の軸
心の軸
そういう「軸」をもって生きられたら
いいんだろうと思います。

12/11/2012(月) 14:08:43

No.10419  前島
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
ゆみっぺさんへ

新しい課の人たちは、他人にかまわない、温かさがない
とのことですが
ここで大事なのは自分だと思いますよ。

つまり、他の人はどうであれ、自分はどうするのか
ということですね。
他人に温かさが感じられなくても、自分は温かな人で
あろうとする。
他の人の態度が冷たくても、自分は温かく人に接しようとする。
そういうことが大事だと思いました。

そういうことが闇の中でも光でいる
ということなのかと思いました。

12/11/2012(月) 14:30:31

No.10420  sono
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
色々迷いながら、書いてます。

私が紹介した動画(ttp://www.youtube.com/watch?v=J-4D6P4Fctw
)が紹介されてたので、ちょっとビックリしたと同時に、
嬉しかったです!

個人的には、この動画を多くの人に見てもらいたいし、
何かを感じて欲しい。

貧困、雇用、ホームレス、孤独死、引きこもり、原発、震災復興、、様々な社会問題があり、それに直面し本当にしんどい
思いをしている人がたくさんいます。

正直、今まで、口先では「寄り添いたい」とか「何とかしたい」
とか言いつつ、本心は「こうはなりたくない」ってどこかで
思っていました。

稼げなかったら、お金が無かったら、どん底生活を強いられる--
正直、自分は普通、いや普通以上の生活をしたい。

だから本当の意味で「この生活は幸せになれない」と分かって
いても、貧困のどん底で生きるよりは、かじりついてでも
働かないと、稼がないと「あぁなる」という恐怖心に駆られて
いました。この恐怖・不安感って際限がないんですよね、
どんなに蓄えがあっても、「これで十分」とは思えない。

要するに、「あっちのグループには絶対行きたくない」と言う、
自分の心の中に壁があることに気が付きました。

それは、さきさんの書き込みで、

「私は自分はこの人と同じ側の人間だと思った。
それでいいと思ってる。そんな風にしか生きられなかったし。
けどだからこのままでいいんじゃなくて、
だから 自分もみんなも幸せに、と渇望します。」

ハッ・・・となりました。

私は正直、一度も「この人と同じ側で良い」と思ったことが
無かった。「あちら側(しんどい方)に行きたくない」という
自分の心の壁、これが「自分さえよければ」という壁、
我よしって思う、この一人ひとりの中にある壁が、積みあがって
こんな社会を創ってしまった、そんな気がします。

実際に、今苦境にある人たちに、心をホントに寄り添うことで、
彼らの痛み・苦しみ、そして自分の置かれた境遇と重なり合う
からこそ共感することが出きる、この共感が本当に掛け替えの
ないもの・・・!


私だって自分の置かれてる境遇で、しんどいこと、いっぱいある。
コンプレックスもある、そこに触れられたら涙が止まらないこと
だってある。
苦しくて、痛くて、しんどくて、正直ラクになりたい。
でもこの痛みこそが、真の共感に繋がって、勇気や元気をあげ
たり、逆に与えてもらったりできることこそが、大切なことなん
ですよね、きっと。

それがシルバーバーチさんの言う、
「人生のよろこび、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめつく
して始めて分かります。なぜなら深く沈んだだけ、それだけ高く
上がれるからです。地上生活の陰を体験するほど、それだけ
日向のよろこびを味わうことができます。」

だと思うと、
私の中で「あっち側」「こっち側」という壁が少し薄くなった
気がします。
私にも痛みがあるから、あなたに寄り添える。

でも、だからと言って、このままで良い訳ではない。
痛みを痛みのまま放置していいはずがない。

だから、何が出来るのか。

考えたいと思います。

12/11/2012(月) 14:33:25

No.10421  みゆきん
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
ぬまさん
微熱大丈夫でしょうか?
無理せず、休んでください。
でも、書き込み、ありがとうございます!

>今の自分がしていることが、霊としての自分の生き方であるのか?
>自分の魂が希求するものを実現する方向、本当の意味での自己実現の方向にあるのかどうか?

めちゃめちゃ考えてしまいます。
生命系、霊主体従で生きていくうえですごく大切なことやと思います。
ここは、おさえんとあかんとこやと思います。
今までなんとなくあった思い、明確にせんといかん、と思いました。
答えだします。

さきさん、sonoさん
「弱い虫」の紹介、ありがとうございました。
最初、馬場さんの曲やねんなと思って歌を聴いていたのに、パラパラマンガの方に気をとられてしまいました。衝撃でした。
めちゃめちゃ泣きました。びっくりするぐらい泣きました。
なんでこんなに泣けるんやろう。。。
(これは、自分自身のこと、これからのわたしの生き方にも関係するような気がしているので、これもよくよく掘り起こします。)
いま書けることは、
主人公の男の人の優しさに感動しました。
sonoさんのドネの日記の中で書いておられたように、その優しさ、正直さが泣きをみてしまう、、、。
自分のこと、ほんまに優しいのかどうかなんてわかりませんが、でも、自分自身と重なりました。。。
わたしもこっち側の人間です。
さきさんの書き込み
>私は自分はこの人と同じ側の人間だと思った。
>それでいいと思ってる。そんな風にしか生きられなかったし。
>けどだからこのままでいいんじゃなくて、
>だから 自分もみんなも幸せに、と渇望します。
わたしもです。
馬場さんの歌もよかったです。
馬場さんの歌、あんまり知らないのですが、馬場さん自身のことも好きです。馬場さんの楽曲、チェックせねば。と思いました。

12/11/2012(月) 14:39:59

No.10422  前島
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
うーん。いかん。
いざ書いてみたら、けっこう
きつい物言いになってしまっていた・・
ネットはどうも苦手じゃ・・・

ゆみっぺさん、傷ついたなら、ごめんなさい。
批判というよりは、ちょっとしたアドバイスだと
受け取っていただければ、と思います。

12/11/2012(月) 14:43:27

No.10423  飯沼 E-mail
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
昨夜からちょっと微熱っぽかったのですが、それも治まり、順調に回復していると思います。

右顔面・右頭部や歯茎の痛みが残っている程度です。

数日前に、二度にわたって右の鼻からかなりの膿が出ました。
膿が出た後、微熱も下がり、痛みもうんとマシになっています。
「急性副鼻腔炎」ということになるのでしょうが、あれだけ広い範囲で強烈な痛みがあり、しかもかなり大量の膿が出たということは、「急性副鼻腔炎」だとしてもかなり重症だったと思います。

でも、実際には膿はすぐに出なくなり、痛みも急速に解消に向かいました。
鎮痛剤は何度か飲みましたが、抗生剤などは一切使用していません。
病院に行って、抗生剤を毎日服用しても、あんなにひどい状態だったものがこんなに急に改善するとは思えず、やはり急激な浄化排出なのでしょう。

それと、右頭部の皮膚はかなりヒリヒリしていて、髪の毛に手が触れるだけでも何とも言えない痛みがあります。
ところが、風呂でシャンプーする時には、その痛みは全くなくて、いくらでも力を入れて頭部の皮膚のマッサージができるのです。
痛みがないどころか、シャンプーをつけてマッサージするのがとても気持ちよく、まるで痛みのウイルスを洗い流しているかのような感じがします。

風呂から上がると右頭部の皮膚の痛みは少し戻ってきますが、風呂で洗い流す前とは比べものにならないぐらい軽くなっています。
やはり、浄化排出なのだと思います。

やはり理性で思考すると調子を崩しますね。
昨日はちょっといろいろ、理性で思考することが重なってしまって、停滞したのだと思います。

霊的直観と行動・実行。
エネルギー的最短コースですね。


>そういう「軸」をもって生きられたら
いいんだろうと思います。 <

誰もがそういう「軸」は持っているのだと思います。
例えば、「金銭的損得」が軸の人もいるでしょうし、「自分がどう思われるか」ということが軸になっている人もいるでしょう。
自分の優位性、誰かへの対抗心、分かった者として振る舞うこと、評価される人間であること、自分の大変さをアピールすること、あるいは、自己否定やコンプレックスが軸になっている人も少なくありません。
もちろん、自分を役立てることが軸になっている人もいます。

何通りかの軸を使い分けている人も少なくないので、分かりにくい場合もありますが、実はそれぞれの人が自分の軸は持っているように思うのです。

私がここで提示・提案していることは、「霊主体従、生命系」の価値観に基づき、それを軸として生きていきましょう、ということです。
ぶらさずに、しっかりと受け止めていただきたいと思います。

12/11/2012(月) 14:52:09

No.10424  ゆみっぺ
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
さきさん、
本当の気持ちだからと
言っていただいて
ありがとうございます。

前島さん
傷ついてないですよ(笑)
おっしゃっている事は
その通りだと思います。

どんな所であれ、自分が勉強することがあるから、そこに行くんだ!と思っていました。最初は周囲がどうであれ、自分はそうならないでやっていけば
少しずつ変わっていくかもしれないと思いました。

しかし余りの無反応さに
クジケてしまった感じです。挨拶くらいはしてくれますが…

他の課の知っている人は、私の席はちょっと座りたくない席だよね!
嫌だわと言ってました。
気持ちがわかってくれる人が居るだけでも有難いと思います。

思い切って書き込みして
良かったです。

12/11/2012(月) 17:13:53

No.10425  さき
Re: 11月12日。雨はやみました。 引用
漠然と思っていることですが、
この場がシナリオで「ひな型」なら、人と人とがどうかかわっていくのか、どう協働していくのかのひな型でもあると思っています。

人は人とのかかわりのなかで生きています。
物質・金銭系の常識や、我よし・強い者勝ちの秩序が
今の地上界のベースになってしまっているので、
多かれ少なかれ誰もがその「歪み」を受けてしまっていると思います。
自分のなかにもみんなのなかにもその「歪み」がある。
それも魂の決めた設定であり、地上での学びの意味なのでしょうが、大きな声で立派なことを言う人に限って自分の「歪み」に無自覚だったりすることがよくあります。
ささいな感情の行き違いから人間関係に溝ができてしまうこともよくあります。
そういうのって嫌っていうほど見てきたし、味わってきました。

そういう地上の人間同士がお互いに切磋琢磨しながら、どう協働していけるのか。
霊主体従、生命系の価値観、それを軸として生きようとする、体現しようとする私たちがどんな協働を顕現できるのか。
それもテーマだと思っています。

12/11/2012(月) 17:29:53


No.10404 飯沼  E-mail
11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用

おはようございます。

皆さんの書き込み、とても嬉しいです。
自分の中の「体主霊従、金銭・物質系」を点検し、そこに留まるのではなく、「霊主体従、生命系」を自分の生き方の軸にすべく、実際に変えていきましょう。

意識の上っ面では「霊主体従」や「生命系」のことを考え、「できれば自分もそれを軸にしていきたい」と思っていても、本当の本音ところでは、「今、得ているものを手放さず、できれば今よりも多く得ていきたい」と思っている人もいるかもしれません。

そういう、「安心・安定の中で暮らしていきたい」という願いは、決して否定されるべきものではありません。
問題は、いくら自分たちのことを守ろうとしても、このままでは必ずさらに厳しい状況に投げ入れられ、今得ているものも失うことになるということです。

本当の意味での調和・安定が確立してこそ、一人ひとりの安定も成り立つのです。

今までの世の中、今の世の中が続くはずがないのです。
日本でも、非正規労働者が3割を超えているそうです。
それは「国際的な競争原理」にさらされている企業だけではなく、地方自治体でも非正規職員が3割に達しているそうです。

自給800円前後でいくら働いても、とうてい家族は養えないし、やっていけるはずがないのです。

すでに日本の社会は崩壊しています。

「自分は能力があるので、それなりに安定した境遇を勝ち取っているのだ」と思っている人がいるならば、それもまた崩壊の証しです。
そんなお馬鹿なナルシストは、いずれ、自分のそういう性根が世の中を腐らせていたのだと気づく機会がもたらされるでしょう。


シルバーバーチは、100年近く前に、以下のように断言しています。

『私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。
なぜその必要があるのか。
それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭保(きょうとうほ)を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れることになるからです。』

その時期が迫っていると感じないのでしょうか?
世界的に地震の活動期に入っているようですし、世界屈指の地震国である日本はこれからまだまだ巨大地震が発生するでしょう。

日本各地にある原発の建屋上階には、「使用済み燃料」が保管されています。
地震などによって原子炉や使用済み燃料プールの冷却ができなくなったりすれば、地球規模での大汚染になり、何世代にもわたる健康被害は想像を絶するでしょう。


ある意味、姑息に続けられてきた対処療法が、ありとあらゆるところで破綻しはじめている。
実はもう手がつけられないことを多くの人たちが知っている。
それを言えばパニックが起きるので、できるだけやり過ごして、内心では自分の安定を守ることに専念している。

原発も放射能汚染も経済も雇用も老人問題も医療費も・・・、根っこは同じもののように思います。


前にも書きましたが、心のエネルギーを現実に作用させるのは、生半可な思いでは通じません。
当たり前のことです。
「心のエネルギーというものはあるのだから、それが現実に作用するかもしれないんだから、だったら私もそう思ってみよう」などという程度ならば、何の役にも立ちません。

疑う余地なく信じ切り、そこに意識を向けもしないぐらいの「常識」にしてこそ、です。

「摂理に沿って生きようとしていれば、必ず霊界から守護していただける」ということも、同じです。
霊的直観・信仰の領域です。

「霊主体従・生命系を軸にして生きる」ということ、どうか本気になっていただけますように。

すみません、少し疲れてきました。
痛みは頭部の皮膚がひりひりするのと、右側の歯茎が腫れて痛む程度です。
熱も平熱ですが、一晩に2度も着替えるぐらいの寝汗をかきます。

ただ、まだ文章が十分に書けないというか、理性を使うとドーンと疲れてしまいます。
霊的直観と行動を軸に、オーラの組み換え・調整中なのでしょう。

メールの返信とかもあまりできませんが、ご容赦ください。

11/11/2012(日) 10:44:42


No.10405  san
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
最近なんかこってりしたものを食べると吐気がするような気がします。
人間の肉食文化は徐々にこれから衰退していくんではないでしょうか?「食」に対する考え方がグルメから自然界の清らかな波動を放った野菜、果実、樹の実、きのこなどの生命エネルギーを感謝して頂く
つまり自然とのコミュニケイションの一貫として食すという価値観に置き換わっていくのだと思います。
所謂、菜食主義でしょうか。

政治のあり方も今よりも遥かに価値観が置き換わっていきそうですね。今のように複雑な仕組みの政治はなかろうと思います。自然に沿っていれば「政治」というものははっきり言ってしまえば必要なのか?って思うくらいです個人的には‥‥‥
一人ひとりが摂理に目覚めていればそれこそ開放的な外へ向けた自由になり得るからです。
もし政治が必要というならば「経済」でお金を回していくってことでしょうか?
自然の摂理、自然との共生の中で生きるならばそれらは意外と邪魔になりかえって窮屈になりそうな気がします。
欲しい物があれば借りる、物々交換をするなどすればよろしいのですがそんな事言っても「なんかな‥‥‥大昔の暮らししろと?」とか思う人もいるでしょう。
あくまで人間が自然との完全な共生とはそのようなものだと俺は認識してます。
それに宇宙視野での科学を取り入れれば今よりも開放的で不自由なく暮らせます。

俺が話している世界はまさに現代よりも次元の違う世界です。
未来のビジョン的に捉えていただければ嬉しいです。
とはいっても今、この時を霊主体従へ完璧に据えていくことができなければそんな夢の様な現実は創り出せませんし、自分自身がその世界について来れないことになってしまいます。
基本的な心構えができて初めて与えられる世界です。もう違う世界では実際にある現実なのですが地球上でそれを可能にするには自分自身の今と本気で向き合い、思考を180度変えなければなりません。
魂は互いの学びを満たすもの同士が計らいによって繋がるのです。
そこで一人ひとりが課題をクリアするという喜びを創ってからその現実を引き寄せるのだと思っています。

飯沼さんが言う通りその軸に本気で合わせてこそ得られるものですね。

11/11/2012(日) 11:57:16

No.10406  さき
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
ぬまさん、理性を使うとドーンと疲れる、というのは面白いですね。
ぬまさんの理性の回路を使ったら組換えができないのでしょうね。
ともあれ激しい浄化から調整中といえる状態になって本当によかったです。
ぬまさんのエネルギーにつながる機会でもあったけど、みなさんのエネルギーが作用したと思っています。

本音が言えない、出せない今の社会を、北九州ホームレス支援機構の奥田さんは、「助けて」と言えない社会、と書いておられます。↓
ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/8085bc5e4c21e6bd0f5c5256ab7e7074
本当はあるのに出せない、寂しさ、孤独、疎外感。
ないことにして今の常識や秩序に合わせようとしてもどこか無理があって、しんどくなっている人が多いんじゃないかと思います。
安心して本音の出せる場所になりたいです。
ぬまさんも書いてたけど、何度目になってもいいし、皆さんの感じたことや、途中経過でもいいし考えたことや思ったことをコメントいただけると嬉しいです。

つきつめていったら、実は多くの人が本当に欲しいものはお金や物じゃないのだと思います。
私たちみんな「霊」ですから。
地上に生まれてきた意味も幸せの意味も本当は知ってるはずなのだと思います。
霊主体従、生命系にシフトした方が楽やし幸せ。
地上的にどうであれ。
皆の喜びのために自分を役立てていくことが幸せ。
魂の喜びってそこにあるのだと思うし、地上でもその喜びを味わいたい。
この場から新しい常識を顕現させたいです。

ところで昨日は何かの日?だったのかな。

11/11/2012(日) 12:54:33

No.10407  あきどん
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
しのしのさんの、書き込み
>高島の合宿の時に、小グループで、自分の思いや感じた事を言い合いましたが、それを定例会でもしてみたら、どうですか?

私も、合宿で、皆さんの意見を聞けてすごく勉強になりました。
篠山の定例会も一度しかまだ参加してないですが、なかなか物理的にも皆さん全員の考えていることは知ることが難しかったし、合宿のあれ、なんかとても良かったです。

11/11/2012(日) 21:42:48

No.10409  のぶよ
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
飯沼さん、体調いかがですか?
早く良くなってください。

霊主体従について、遅くなりましたが、書き込みます。
私の場合ですが、天気などの影響で朝から動くのが辛い日は、体が強張り麻痺もあり、起きれないまま、起きても座ってじっとしたまま気が付けば1日が終わりそうになっていたこともあります。体が動かないのに合わせてか気持ちも動きません。したいこと、せねばならないこと、過去のこと、これからのこと、たいていは後から思えばどうでもいいことをいつまでも逡巡しています。
そこから脱けるためには、動こうと意志すること、無理にでも体を動かすこと(時に気持ち悪くなることもあります)をします。動きが悪いので時間がかかるし、失敗も多いし、それに合わせてか気持ちも暗くなり落ち込むことが多いです。そこから脱けるために、無理にでも気持ちをたかめようとします、少し高まったら、「頑張れ!!頑張れ!!」とお腹の底から(のつもり)何度も声をだします。それでなんとか動けるようになったりします。
気持ちが落ち込むことで体も重くなる時もあります。そういうときも、同様にします。
なかなか動く方に気持ちを向けれない時もあるけど、動く方に気持ちを持っていけるようにしたいです。
今努力してることです。

気持ちのところでは、
すべては計らいの中、導きの中、神の愛の中、にあると信じること。
自分で考え、感じ、判断・決断し、言動していくこと。人生とは本当の自分に会うための旅かもしれないと思います。生まれてから今までに忘れていた本当の自分らしさを見つけ、失敗してもいいから自分として生き始めることのように思います。
夢の中ではいつも理想の世界がありました。そこは誰もが幸せで喜びに輝いている世界です。
その時思い描ける理想の自分、理想の世の中を目指して、生きようとすること。ひとつ近づけたらまた一つ次の理想の自分や世の中を思い描いて生きようとすること。階段を一つ一つ上っていくように。それが霊主体従と思います。
しょっちゅう間違いもするし、忘れたりもするし、くじけたり落ち込んだりしています。でも、ほんの少しずつでも理想の世の中になっていくよう願っていきたいと思っています。

11/11/2012(日) 22:50:11

No.10410  鉄ママ
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
飯沼さんのエネルギーに繋がりはじめてから、
先に書いた小さいころの心をより具体的に思い出すようになったと感じます。
あの頃の情景を思い出し、あの頃の心を蘇らせると
それは 喜び だったと。
日常とのギャップはとても大きいものでしたが、そこにある私の課題、カルマは当然存在していました。
頑なになったり、卑下したり、苦しい思いを抱えながら
毎日を送る私を「それでよろしいのです」と大きな愛に包まれていたのだと感じます。

世間の枠や常識にすっかり浸ってしまっていた我が心を取り戻したいです。
自然と一体化していたような感覚。
生きるもの全てが仲間であるような感覚。
生かされている喜び。

11/11/2012(日) 23:09:31

No.10411  さき
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
(シルバーバーチの霊訓より)

調和を基調とするこの大宇宙の中で、あなたがた一人ひとりが神の計画の推進に貢献しております。人生での出来ごと――時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが――その一つひとつがこれから辿りゆく道のために魂を鍛える役割を果たしているのです。
・・・
いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛もなく、陰もなく悲しみもなく、困難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。
人生のよろこび、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめつくして始めて分かります。なぜなら深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の陰を体験するほど、それだけ日向のよろこびを味わうことができます。
体験の全てが霊的肥やしです。そのうちあなた方も肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば紆余曲折した一見とりとめのない出来ごとの絡み合いの中で、一つひとつがちゃんと意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解されるはずです。

***********
今、この時代に地上に生まれてきたこと。
この場につながってエネルギーを共鳴させ、「霊主体従」を軸として生きようとしていること。
何一つ偶然はありません。
ひとりひとりの本気が共鳴することが新しい現実を引き寄せるのでしょう。
それが皆さんの魂の意志だと思います。成就させたいです。

高島合宿で小グループの話し合いを提案しました。
話を聞くだけでなく、一人ひとりがサポーターではなく当事者なのだと、「いのちはひとつらなりのヒーリング」の癒し手になるのだと意識してほしかったからです。
今回のエネルギーを獲得したら世の中の常識が変わります。
一人ひとりの意識の転換、生き方の転換がそれを決めるのだと思っています。
それはぬまさんだけがやることではない。ですよね!

12/11/2012(月) 01:48:40

No.10412  エーチャン
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
本当の信仰

神はまさに全知全能であり、そしてまた私たち一人一人を一切の偏りなく、公平無私に愛し、導いている。

そして、私たち一人一人、全ての人間(いや、全てのいのち)は神に連なっている、

このことを信じ切ることが本当の信仰ではないのでしょうか、

私事ですが、月初からの風邪がなかなか治らず、特に咳が続いています。信仰の薄さを実感しています。

12/11/2012(月) 07:20:59

No.10413  ゆみっぺ
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
書き込みが遅くなりました。ぐずぐずと考えていて
こんなこと書いてもなぁ?と思っていたもので。
飯沼さんが書いているように、どこか今のままでというのを手放せない自分がいるように思います。
じゃ何故そうなのか?
考えようと意識を向けるとそらそうとしている自分がいます。

10月に13年ぶりに
他課に異動しました。
仕事は覚えれば良いのですが、そこの課の雰囲気に馴染めません。他人に構わないというか温かさがないというか。仕事していれば良いのかもしれませんが、
どうせなら皆が気分よくやるほうが良いのになと思います。毎日、そこにいるだけで莫大なエネルギーを使ってしまい、疲れきっています。そのせいか、風邪もすっきり治らず、1ヶ月しても咳が治りません。

それでよろしいのです!じゃない!とイライラしている自分がいます。

なんか愚痴を書いただけで、ちっとも霊主体従の話ではなくてすいません。
今の自分は真逆で、
ダメダメだなぁと思いますが、ここに書き込み出来たので、内容はともかくとして、頑張ってみようと
思います。

12/11/2012(月) 08:43:29

No.10414  みさお
Re: 11月11日。1が並びましたがいちいち意味をこじつける趣味はありません。 引用
色々書きたい事はあり
ちぃさんのおとうさんの事 飯沼さんの事 自分の事

飯沼さんに繋がろうと意識してエネルギーを送って2日後くらいに
風邪の症状と脚の筋肉痛になりました。(私は風邪と疲れと思っていました。)
最近 仕事から帰り道、自転車が軽いと感じました。
颯爽と自転車を走らせてる感覚です。
そのまま、入院中の知り合いの所に行き、その後叔母 父の所にも行きました。
何かが軽くなった感じかな
時間や体力的に できないと思っていた事が、できた…
自分で 自分の行動力を制限していた気がします。
風邪の症状の際も 風邪をひいた…疲れてるからと思い しんどいなと思っていたのが、掲示板を読み、もしかしたらエネルギーを送った影響かと思えると 1晩ゆっくりしましたが、回復したし…
私は 色々考え心配しすぎ自分の力を弱めていたと思います。

ちぃさんの書き込みを読み、おとうさんへの気持ち
私も同じです。
私も自分の父 自分のまわりの人がいなくなるのが、とても怖いのです…
母が他界した際 色んな本を読み、オーストラリアの先住民は、人が他界した際、喜んで送り出すと書いてあるのを見て自分もそんな気持ちになれたら、どんなに違うだろうと思いました。
母の癌が診断された日、今までの景色 色がついていた景色から色がなくなった気がしたのを憶えています。
KANDAさんの書いていた文も ほんとにそうだなと思いました。

ちぃさんのおとうさんの話になりますが
定例会で お会いして、おとうさんのみんなへの気遣いをみました
、おとうさんは 人が喜んだら嬉しい人なのだと
でも、ちょっとだけ思ったのです
おとうさんが主役やのにって、
ちぃさんのおとうさんの事思うと 可愛いらしいイメージがでてきます。ちぃさんが なんだか父が可愛いく思えてと書いていたけど、おとうさんは ほんと可愛いらしい人です。
数値も良くなり嬉しく思っています。

飯沼さん いつもありがとうございます。
私は、最近仕事が上手くできるより、その人が幸せに色んな意味で治る事の方を意識していきたいと思っています。

なかなか書き込みできず、心配して下さった方達
すみませんでした。
体は元気ですが、気持ち面では、考える所はあったと思います。

又書き込みさせて頂きます。
ありがとうございました。



 


 

12/11/2012(月) 09:21:50


No.10392 飯沼  E-mail
11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用

おはようございます。
今朝は痛みもほとんどなく、微熱もなくてほぼすっきりしています。

「霊主体従」「生命系」についての書き込み、本当に嬉しいです。
引き続き、お願いいたします。
同じ人が何度書いても構わないのですし、考えや認識というものは短期間に変化・進化したりもするものです。

今の大事なテーマですから、考えや認識を自分の中に溜めこまずに、積極的にオープンにしていきましょう。
たとえそれが未熟なものであっても、必ず皆さんの参考になるのです。

霊界では、考えたこと・思ったことなどが同時にそのままオーラ(霊体)に表現されます。
地上の人間は、意識や心や本音を表現しないことに慣れ過ぎているように思います。

積極的に、どんどんいきましょう。

10/11/2012(土) 09:30:45


No.10393  前島
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
一応、私なりの考えを述べさせていただきます。
参考にならないと思われましたら、どうかお忘れになってください。

下の方の投稿において、「飯沼さんにエネルギーを送っているときには、心地よさ気持ちよさを感じる」との書き込みが見られます。

この感覚を大事にされたら良いんじゃないかと思います。
心地よく、気持ちよくエネルギーを送る。
これを意識なさったら良いんじゃないでしょうか。

といいますのも、喜びとは、喜ぼうとして
喜べるものでもないからですね。
人が喜んでいるとき、そこには必ず
気持ちよさ心地よさがあるからです。
赤ん坊を見ていれば、それは明らかであります。

なので、気持ちよ〜く、心地よ〜く
エネルギーを送るようにしてみたら、どうだろうか
と思うわけであります。
心の中で、あるいは口に出してつぶやいても
いいかもしれません。

しかしここで注意していただきたいのは、
「気持ちいい」「心地いい」
ではダメです。
それでは単なる自己暗示的になってしまいかねません。
本当は気持ちよくなどないのに、気持ちいいと
自分で自分をだましてしまいかねないのです。

なので「気持ちよ〜く」「心地よ〜く」
と意識して、エネルギーを送ってみたら
どうかと思いました。

参考にならなければ、忘れちゃってください。

10/11/2012(土) 11:34:35

No.10394  san
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
いやその気持ちよ〜くや心地よ〜くは非常に重要だと思います。
「恐怖」や「執着」を捨ててただただ人のために祈ったりエネルギーを向ければよろしいと思います。

今困難に立ち向かっている人には必ずその人に大きな成果が現れそして大きな幸せに包まれますようにと祈り
また、無神経な人には気づきがもたらされ素直に立ち直れますようにと
赦しとか尊重の念を向けたりして、個人的には怒りは出さないほうがよろしいと思うのですが‥‥‥‥

あと自分の感覚も尊重して信じること!!
それが自分が輝き相手にも伝わりどんどんその繋がりは強固なものになると心底願い、祈る。

それがすべてをいい方向に、調和へと作用すると思います。

この地球上では今、真実も虚実も、愛も冷酷も、すべての正と負のエネルギーが混雑し不調和な状態にあります。
でも光のエネルギーが増していることも事実で闇よりも勝っています。
地上の大掃除で混雑から互いの魂の学び(喜び)に会った場所へ再度振り分けられ、愛に調和した魂が地上に溢れかえることでしょう。

10/11/2012(土) 13:57:15

No.10395  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
ぬまさん、還暦で一巡り。
生まれ変わって新しいぬまさんが誕生するのかなと思っています。
楽しみにしてますよ。

皆さんの投稿、書き込みを読んでいて感じること。
心には(言葉や文字にも)エネルギーがあること。
心は嘘はつけないこと。
その方のこめられた心や意識のありようが掲示板の文字をとおして伝わってくるのを感じます。

その心・意識のエネルギーに触発され鼓舞されています。

前にも書きましたが、私はその人が何を言っているのかよりも何をしているのかに関心があります。
霊的真実や知識をどんな風に自分の日常に反映させようとしているのか、日々どんな言動としてどんな生き方をしているのか。
そこに向かう方向性、そこに込められ注がれるエネルギーに自分の心が反応します。

心のエネルギーを実感しています。

10/11/2012(土) 14:31:04

No.10396  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
ちょっと続きです。話それるかもですが、
人間どうしのコミュニュケーションって、言葉によるものは3割、非言語の部分が7割とか聞いたことあります。数字はちょっと違ったかもですが。
要するに言葉を使っていても、相手の表情とか口調とか雰囲気とかでやりとりしている部分が大きいという話です。
この非言語の部分って大事だと思っています。

赤ちゃんとか、小さい子どもは言葉使わないけど、お母さんや周囲の人たちと心のやりとりをしている。
心が言語の世界に制約されていないぶん、ものすごく自由に広がっているのだと思います。
理屈抜きに〜心〜は通うんです。
別の意味でお年寄りもそういう要素が大きいと思います。

人間の心全体のなかで、言語化できる世界というのは実はとても狭いのだと思います。
氷山みたいに、意識して顕在化できる世界の底にはその何倍も何倍もある世界が広がっている。
そこには言語的に意識化できないどろどろした感情もあるし、鋭い感性もあれば、霊性にコンタクトするカギも宿っている。
集合的無意識的な世界にもつながっているのでしょう。
その非言語世界の豊かさを復権したいなと思っています。

10/11/2012(土) 14:57:22

No.10397  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
またちょっと続き。

胸が高鳴るとか、心がふるえるとか、魂の琴線に触れるとか、
鳥肌が立つとか、血の気が引くとか、頭が真っ白になるとか、

そういう身体感覚を表現する言葉ってありますよね。
よく出来てるなと思います。
心には実体があって、体は心に反応する。
心のエネルギーが体に作用する。
それは特別なことではなくて、実はみんなが普通に経験しているあたりまえのことなのだと思います。

唯物論的、物質系の価値観や考え方こそが、「科学的」であり「進歩」であると思いこまされてきて、それが世の中の「常識」でその枠にはまらないといけないと刷り込まれているだけなのだと思います。
その常識のしばりから自由になったら、いくらでも新しい世界はひらけるのだと思っています。
それは遠くにあるんじゃなくて、すでに皆のなかにあるのだと思います。

10/11/2012(土) 15:18:32

No.10398  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
sonoさんがドネのなかで紹介してくれていた4分程の動画です
↓↓
ttp://www.youtube.com/watch?v=J-4D6P4Fctw
「弱い虫」 馬場俊英

父に重なりました。
中学生くらいの時から、私は父のようにはなりたくないと思ってきたのですが、いつのまにか同じようにしか生きられない自分がいることに気づきました。
世間的なレールに乗りたくないというとカッコいいけど、まぁ乗れなかったんです。
父は無口でした。世間的に生きるのには不器用でした。
弱い人でした。

上手に言語を駆使する人が力を持つのを感じてきました。
だからと思うけど、言葉はあんまり信用しなくなったところがあります。私も無口だし。そのぶん非言語世界のアンテナを鋭くしてきたところがあるかもしれません。

10/11/2012(土) 15:45:19

No.10399  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
連投ですみませーん。

自分で対人関係、コミュニュケーション下手だと思います。
おそるおそる人と関わってきたと思います。
信頼できる人に会わなかったらずっと自分の殻にこもって一生終わったと思います。
この場に出会って、心でつながれることに本当に安心できました。
それから変わってきたと思います。(皆さんに感謝です)
けどそれでも、どこかおそるおそるの部分を抱えていました。

それが関東定例会の前にちょっとした契機があって、
ずっと軽くなった、自由になったんですよねー。
自分を縛っているくせ、囚われって、変わります。

どこか言葉って嫌いだったのですが、好きになれそう。
今までよりもっと自由に自分らしく、
コミュニュケーションしていきたいと思っています。

10/11/2012(土) 16:00:31

No.10400  kanda
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
>sonoさんがドネのなかで紹介してくれていた4分程の動画です
>↓↓
>ttp://www.youtube.com/watch?v=J-4D6P4Fctw
>「弱い虫」 馬場俊英


昨日、この動画を見ました。
いじめをテーマにした動画と書かれてあったのですが・・。

一度見てもう見られません。
最後にはHAPPYになるのかと思っていましたが・・。
正直最後まできちんと見られていません。
でも、HAPPYにはなりませんでしたよね?

ため息しか出ませんでした。
きっと、この中の人に自分が近いと思っているので、過剰に反応してしまったのでしょう。
だから苦しいのですね。

10/11/2012(土) 16:29:47

No.10401  さき
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
kandaさん

HAPPYって何だと思う?
私は自分はこの人と同じ側の人間だと思った。
それでいいと思ってる。そんな風にしか生きられなかったし。
けどだからこのままでいいんじゃなくて、
だから 自分もみんなも幸せに、と渇望します。

10/11/2012(土) 16:54:17

No.10402  kanda
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
さきさん。

ドラマみたいに「ああよかったね」という結末を期待していたんだと思う。そうあるべきとも思っているから。

そこで、ため息で終わらせたらいけないよね。
そこで止まってたらいけないよね。

そうだよね。ありがとう。

10/11/2012(土) 17:12:02

No.10403  しのしの
Re: 11月10日、今日は何の日でしょう?(話題不足・笑) 引用
皆さんが書き込みをしているのですが、なかなか考えがまとまらないので、心に思いつくまま書いてみたいと思います。
また、まとまったら、その都度書いてみたいと思います。

心が大事だと思っていても、つい今年はどれくらいお金を貯蓄出来るだろうと計算してしまう私・・・。
でも、会計事務所で働いて、いろいろな方と出会い、もちろんお金持ちの方もたくさん出会ってきました。そんなお金持ちの方が、わずかなお金の為に、ごまかしたり、契約を解除されたり、無茶苦茶をするのを見てきて、かなりお金に対する執着が薄れてきたと思います。そういった事がわかっただけでも、今の職場にいて良かったと思っています。
姉はざるのようなお金の使い方(私達家族は網と言っています。)だったので、その反動で、節約癖が染み付いています。財布の紐はかなり硬いです。思いめぐらすと、お金を喜んで使っていた事が少ないなと感じました。どっぷり金銭系に浸かっているのかなと思います。それと同時に、婦人科系の疾患が見つかってからよけいに、体の為に良いか悪いかで行動してしまっています。例えば、漢方薬を買ったり(それは体が以前よりも良くなっているので、後悔はしていませんが・・・。)、服を買うにしても、私が着たいと思うよりも体を冷やさない服を選んだり、食べ物も食べたいと思うものより、体に良い物を選んだり・・・。かなり、窮屈な選択をしてしまっていました。
以前、カウンセリングを受けた時の最後に、私の甲状腺が少し大きい事を相談しました。すると、人目を気にするためだと言うことを仰っていただきました。だから、あまり人の目を気にせず、行動しようとしてきました。でも、最近その人の目と言うのが、母の目を気にしすぎているのではないかと、気づきました。このまま母の目を気にすると、家にどっぷりつかり、がんじがらめの一生を送るのではないかと、不安に感じています。なかなか難しいですが、心が自由になるように、行動しようと思っています。
言葉って、人を元気にさせてたり、窮屈にさせたり、面白いものですね。私の場合、人の何気ない言葉にとらわれ過ぎるようなので、人の言葉をあまり真に受けないようにしようと思っています。
私としては、まずは人生を楽しむことから始めたいです。もっともっと喜びたいです。

こうやって、日ごろ言えない本音を書き込めるのって、難しいけれど、楽しいですね。高島の合宿の時に、小グループで、自分の思いや感じた事を言い合いましたが、それを定例会でもしてみたら、どうですか?懇親会の時に周りの人とは楽しく話せますが、実習の後などに、15分ぐらい4人くらいのグループでディスカッションする時間を設けてはどうでしょうか?懇親会の時と違った、参加者の別の面が見れたり、自分と違う考えに触れることが出来るのではないでしょうか。

10/11/2012(土) 23:56:44


No.10380 飯沼  E-mail
11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
おはようございます。

皆さんがそれぞれに自分の言葉と感性で書いてくださっている投稿、嬉しく読ませてもらっています。
ものすごく嬉しいです!
まだ目も頭も痛くて、なかなか文字が読めないのですが、皆さんの投稿は読むのが楽しみです。

「霊主体従」「いのちはひとつらなりの生命系」。
ここに自分の意識や生き方(日々の言動)をシフトさせていくことが求められているのだと思います。

そのためには、自分の中の「体主霊従」「金銭・物質系」の部分を点検していく必要があるでしょう。

しかし、強制や矯正は喜びではありません。
摂理に沿って顕現していく絶対的な喜びの中でこそ、霊力は大きく発揮されるのです。


地上的な死の意味を分かっていはいても、私たちには地上の人間としての思いがあります。
それを無いものに装ったり、否定してもどうにもなりません。
たとえメダカ1匹、金魚1匹の死でも、情があれば悲しく寂しいものです。
愛する人の死が悲しくないはずがありません。
「本当はどうなのか?」と突き詰めて、真理・真実を軸にしていくしかないのです。

いくら悲しくても不安でも、それはあくまでももうしばらくの間地上に残る側の者としての気持ちであることを、しっかりとわきまえる必要があります。
たとえ幾つで地上を離れたにしても、誰かからそこまで思ってもらえる人は、おそらくは死後も健やかな移行を進めることができるでしょう。

たとえもしも一時的に暗い世界に赴くことになったとしても、地上の人からの愛念によって、必ずや早い時期に魂の喜びを回復し、喜びの霊界に戻ることができるはずです。

シルバーバーチは、地上の人間が愛する者の死を受け入れられなかったり、いつまでも悲しんでいることに対して、「一種の自己憐憫です」と断じています。

そこまで言うかどうかは別にして、たとえば、娘が可愛いからと言って、結婚して家を出ることを怖れたり、家を出た後もひたすら寂しがり悲しがることは、あまりにも自分本位で稚拙な愛情です。

霊界側の人からすれば、愛する者の死にこだわり続ける人間も、そんなふうに見えるのかもしれません。

繰り返しになりますが、
死を否定すべきものと規定したままのヒーリングと、死の意味をきっぱりと踏まえた上でのヒーリングは、エネルギー的に全く違うのです。
患者さんにそれなりの不安があるのは当然ですから、ヒーラー側にも同じ不安や恐れがあれば、そこでは大きなかげりの共鳴を起こしてしまいます。
とすれば、それはヒーリングの結果を左右するほどのことなのです。

不安がなくなれば、そこに使われていたエネルギーは喜びに反転して使われるのですから、桁違いに、質が違うぐらいのエネルギーとして形になっていくはずです。

ヒーリングに限定ではなく、何か目標に向かうにしても、6割の希望と4割の不安が混じりあっていれば、願いや希望の実現に使えるエネルギーは2割程度になるでしょう。
不安は喜びではないので、力にはならないのです。

しかし、10割の願いのエネルギーを発揮すれば、今とは全く違う心の力で現実を形にできるのです。

これは、「縄文人は、なぜあんな丸木舟で日本各地を移動し、離島にまで行けたのか?」ということの答えでもあるのですが、これはまたいずれ。(関東定例会での話を修正しなければなりません。さきさん、できればよろしく。)


霊主体従、生命系についても繰り返して書きます。
決して物質を軽んじたり、物質や金銭とはなるべく関わらない(意識を逸らす)というような意味では全くありません。
物質や金銭を喜び、物質や金銭にとっての喜びになるように使っていくことです。
そこに喜びの融合が起きるのです。

物質や金銭を摂理(神の御心)に従って、「思いやりの心、親切、優しさ、友愛、協力の精神」に沿って使っていく、役立てていくということです。

もちろん、これも強制されることではなく、全くの自由意思でよろしいのです。
自分なりの理由を見つけて、自分を正当化することも全く自由です。
それが摂理に照らして不十分であれば、必ず埋め合わせを求められるのですし、今あるものがいつまでも使えると思えば大間違いの時代です。
トランプ遊びで、「これさえあれば何とかなる」と考えて、スーパーカードであるジョーカーをいつまでも手放さず、最後には負けてしまうようなものです。
あるいは、もしかすれば今の人生でお金や物質に不自由していることがその埋め合わせなのかもしれません。

しかし、シルバーバーチは、「それなりの財産を地上で蓄えた人は、死後それなりのお咎めを受けます」という意味のことを言っていますし、イエスは弟子から「天国に入るにはどうしたらよろしいでしょう?」と訊かれて、「財産を売り払って貧しい者たちに施しなさい」と答えています。
その弟子が悲しい顔をして立ち去った後で、イエスは「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」とまで言っています。

ずいぶん極端な訓えですが、今の自分に与えられているものに感謝し、それを役立てる喜びに切り替えていくことは、まさしく「霊主体従」「生命系」の核心であるのです。

それは決して地上的に損を重ねることにはなりません。
必要な時には、霊界側の計らいによって必ず補充していただけるからです。
もしも、それが遅れがちで、苦しい状況が続くとすれば、その時期こそがまさに埋め合わせ期間なのです。
年季が明ければ、必ず状況は変わります。
逆に、まるで守銭奴のように握ったものを手放すまいとしていても、それでは成り立たない状況が計らわれるのです。
あるいは握り続けることに成功しても、ちっとも幸せにななれないのです。


それとは別に、創意工夫によって、「お金に依存しない、お金への依存度を少なくしていく生活・生き方」を作り上げていくことも重要だと、私は思っています。

まだ体調不十分で、これを書いただけでかなり疲れました。
少し休みます。

引き続き、皆さんの書き込みをお待ちしています。

09/11/2012(金) 10:16:05


No.10382  飯沼 E-mail
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
昨日立てたスレッドへの書き込みがあるので、皆さん、読んでくださいね。

09/11/2012(金) 11:12:53

No.10383  飯沼 E-mail
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
誤解をしないでいただきたいのですが、
上に書いたことは、社会的不公正や人為的な貧困を放置してよいという意味では全くありません。

シルバーバーチも、「神はすでに十分なものを与えてくださっている。霊界側としても、富の独占や不公正をこれ以上、看過することはできない」と断言しています。

ただ、摂理は個人的なところにもいきわたっているので、「そういう状況の中で自分はどういう心を抱き、どうしていくのか?」がいつも問われているのです。

答えは、いつも「皆にも自分にも嬉しい方向に」ということです。

09/11/2012(金) 14:03:10

No.10384  あきどん
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
飯沼さんの体調がまだお辛いですね。すっかり早くよくなりますように。
エネルギー共鳴毎日続けます。

ゆうきさん、誕生日おめでとうございます。ますますゆうきさんらしく輝いてください。

>「縄文人は、なぜあんな丸木舟で日本各地を移動し、離島にまで行けたのか?」

不思議です。函館市の縄文人は、クジラも食糧にしていたそうですが、
大きなクジラの猟をどうやってしてたのかなとびっくりしました。縄文土器が外国でも発見されているとも聞いたこと在ります。
縄文人には謎が多いです。
縄文人とはまた違うかもしれませんが、江戸時代の人々も現代のひとより、驚異的な体力があるなあ
(人力車や飛脚など)どうしてなんだろうと思ってました。

09/11/2012(金) 14:38:37

No.10385  san
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
お金というものが「悪い」ものなのか「良い」ものなのか?

金銭もエネルギーとして捉え、それを循環せればうまく回っていきそうですが人間が生み出したものなので使い方次第ではあまりよろしくならないことも出てきます。人間は科学の発展とともに森林伐採を行い都市を作りあげて「金銭」で経済を回してきました。
がしかし欲深い者たちにそれらは全部支配されていて彼らのためにこの社会が回っていると同然なくらいです。今もそのような状況が依然としてあるわけなのですが
地球人類はこの宇宙の基本的真理を知らぬが故に過ちを犯してきたわけです。それらもある人物によって最初から支配目的で地球人類を創造したのではないでしょうか?
彼らは何かさせるために猿の精子と自分たちの女性の卵子をバイオテクノロジーによって掛けあわせ、自分たちより知能を落とし人類を誕生させたそうです。彼らは自分たちを神と崇ませてすべてを支配しもちろんそんな人類はこの霊的心理を知る由もなかったのです。
それ故に無知なため我欲を増幅させ横暴になってしまったのが今の姿だと思います。自然の摂理の中で沿った生活とは何なのか?
自然と共生することです。その中で今のような自然と独立した複雑な形成から成る社会はないはずだとおもいます。
食料は必要な分自然の恵みを無償で感謝して頂くことになると思われます。この自然から独立した社会は摂理に反して出来上がったものなのです。そのため色々な問題が降り掛かってくるのでしょう。摂理に沿った生き方をしていればそんな自ら災難に振りかかるような世界を創りあげる事はなかったのです。無知な故にこうなってしまったわけであってその世界を補填する作業はあまりよろしくないのではないでしょうか?
宇宙の高次元の人や高級霊からこの今の人類の生き方、有様を見れば嘆かわしいにもほどがあるのも納得できます。
彼らはちゃんと知ってるから「闇」というものは自分から作り出していると知っているから体感しているから余裕でその摂理に沿って生きられるのでしょう。それが本当の生き方であるわけで何の不思議もないことも真実でしょうね。
この現代社会に生きながら宇宙の真実を知り理解しそれに向け確固とした意思を持って自らこの闇に覆われた世界を光の世界へと扉を開く者も少なからず居ます。その人は宇宙や霊界からの想像たるメンバーの援助によって力を格段に伸ばし自ら光り輝ける未来を創造することができるでしょう。
そういう人たちが一人でも多くなれば幸いなんですが実際は闇に埋もれて息すらまともに吸えてない人ばかりそういう人に直接の援助をしたいと願っているのがこの悠々塾の集いと言えるのでしょう。
俺はどちらかと言えば前者の自ら未来を自分の手で誰にも構わず切り開きたい方であると思います。
それなのに何故この悠々塾に繋がっているのか疑問に思うこともあります。俺はここの集いにいながら他の世界での出来事に非常に関心を持っております。
何か知識を豊富に所有しなくても、自分のこともままならないが他人に手を差し伸ばしその人たちと一緒に自分も霊的成長を遂げたいと願っている人達が多いです。それを批判する気もないですしいいと思うんですが俺とは少し傾向といいますか考え方、方向性が一致しているのかと疑問に思ってしまいます。ですが俺は自分の霊的進歩は自分を磨き上げることであって他人を死の淵から助け上げることが中心ではないと思っています。助けるのはその人がちゃんと自分の魂を輝かさせるために教えを説くだけであってそこから自分で判断する力を持ちちゃんと自分自信の霊性向上ができるように導くそれだけです。あまりにも人類が淀んでいるためにシルバーバーチやキリスト、仏陀などの魂の成長が進んでいる人達がわざわざ出向いたのではないのですかね?
本来霊的進歩は自分自身の向上にお互いがあっている場所や人が計らいにより施されるわけです。そこで自分の進化から逃げればそれがカルマとなりいつか降り掛かってきます。そこからは一生逃げられません。受け入れなければ溜まりに溜まってゆきます。本人しかそれを消化できないのです。自分が出したものは自己責任ってのはよく理解できると思います。
無知なためにそれをクリアできず溜りに溜まってしまったのです。あまりに淀んでしまってそれが宇宙にも影響を与えかねないということで宇宙の大いなる意思(神)によって何万年も前から地球規模、太陽系規模の大浄化を計画したんじゃないんでしょうか?
人類だけではとてもクリアできないから今のように大勢の精鋭人が地球人類の浄化とそれによる大きな霊性進化を他の惑星と同時に行なっているのです。その最後の惑星が地球でしょう。
地球の命運が宇宙にも大きな影響を与えるのですから必ず成功させねばならないのです。多分ほっといても地球自体は波動上昇を続け宇宙の何万年もの長い間から続く計画は完成形態を成すでしょう。
実はそこについて来られるか来られないかでしか宇宙の方々は見てないし、自分たちはそこまでしか地球人類の霊性進化に介入できないわけです。とはいっても厳密に言えばあまりにも淀み過ぎたので地球自体が助けを要請したりしたそうで、宇宙には他惑星の霊性進化に直接関わってはいけないという決まりがあり、そのギリギリの線で導きをしてくれています。
その大きな浄化、とてつもなく恐ろしいことを知った霊界側は地上界の人類にどうしても何としても伝えねばならないと思い、霊界の意思を結集して今こうやって地上の人間のために勤しんでおられるのではなかろうか?
それでもまだ沢山の方々が目覚めていないのです。
その人たちは宇宙や霊界側が必死になって気づきを与えているのですが気づかない‥‥‥
気づいた人はそれに向け精神を地球の波動上昇について来られるよう色々な低い波動から離れ高い波動を維持していきちゃんと幸せの世界を築き上げるでしょう。
残った気づきに耳を貸さなかった人達は自分の魂の進化にあった惑星へ移り住むことになってしまいます。
でもこれは宇宙の営みから見れば喜びであり当然なことです。
俺はこのことをここに書いても皆さんが理解してくださるか分かりません。悠々塾は霊界の思い、この浄化の中で少しでも多くの人達を光に導く役割を担っている集団だと思います。
地上の人間であるからこそ地上の苦しみが本当に理解できるのです。だからこそ助けあって生きていきたいと思えるのです。
色々なつながりから紐解けばすべては摂理によりその魂の役割にあった場所でそれをになってゆきそれらを組み合わせて全体の大きな喜びが生み出されるのです。すべては摂理によって尊重し、愛し、それぞれの喜びが上にも下にも枝のように繋がっていき全体としてのひとつの大きな幸せが顕されるのです。共生とはそういうことです。貴方ができること役割を一人ひとりこなすことが全体としての大きな喜びになってゆくのです。それが普遍的な真実なのです。
俺はそれらすべてを悟るために2年くらい前から個人的な大きな浄化が始まりそして悠々塾に出会い、宇宙の真理、実態を知っていき自らの運命も実感し喜びとして捉えることができたのです。2年という短い期間でこれらを実感できたことに感謝します。自分の霊性進化のために与えられたすべての繋がりに感謝の意を表せます。
15歳のただのガキですが、子供故に現代社会の波に飲まれることは大人より明らかに少ないです。その点は意外とでかかったのかもしれませんが、何事も自分の霊性進化に必要な場面が与えられています。そこで成果を得ればよろしいそれだけのことですが、難しいのは承知です。でも摂理に沿って歩めば必ず大きな幸せを手に入れられます。その証拠として俺が居ます俺だけじゃなく他の仲間やあなた自身にも喜びにつながる変化が見受けられると思います。
そこを見つけては喜び感謝していけばよろしいのではないでしょうか?
段々と全体の実態が感覚として掴めてくるでしょう。それらは全て喜びとして認識できます。自分の役割を見つけ少しでも実生活で改めるべき物を見つければそれをクリアするそれができなければ始まりません。自分を注視しつつその中で皆に役立てられることをやっていけばいいのです。そもそも自分の霊性進歩自体が全体との繋がりで大きな幸せになりえます。
どうか実感してみてください。自分が無理なく輝けることが全体にプラスとして加算されることをそして一人ひとりが自分の魂の霊性進化の過程で輝きを放つことがが全体としての健やかさに繋がることを!!

09/11/2012(金) 14:38:40

No.10387  ゆうき
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
誕生日なので、というわけではないのですが

体主霊従だと思う僕の思考回路を書いてみたいと思います。

僕はなぜだか自分が失敗した事や、恥をかいたような事をいつまでも忘れられない癖があります。
それらがふとした瞬間に頭に浮かんできて、あわててその記憶を打ち消したり、
また同じように恥ずかしい思いを味わったり、とかしたりします。

きっと誰もが忘れているような事でも、僕の中ではとても大きな事のようになっていて、
それがなぜか蘇って来るのです。子どもの時の事や、高校時代の時の事や、大人になってからの事やいろいろ・・・。

僕の失敗が誰かに迷惑をかけたようなものじゃなくて、影で笑われたり馬鹿にされてるんじゃないか?というような
そういう思いかたをしてしまい、なんだか十年も前の事であっても、穴があったら入りたくなってしまうのです。

こういうのはほんとに無駄ですよね。
別に僕は自意識過剰だってわけではないと思うのですが、でも、もしかすると自意識過剰なのかもしれません・・・。

そういう失敗もするし(よくやらかします笑)間違ったりもするし、それはそれで普通の事だと思い直して
意識しすぎる事無く、普通の人間として、生命系のエネルギーで生きていきたいと思いました。

この事を僕なりに考えていると、霊には過去はないように思いました。
地上人生の過去がどうであれ、今の生き方(思い方)が霊としての今を作り出しているように思いました。
(もちろん自分の事であれ、霊のすべてを把握するのは到底無理なことだと思いますが・・・)

僕は高校の時にはじめてシルバーバーチの霊訓を読んで、その時の言葉で「神の道具として生きなさい」というのを
結構ずっしり心に持っていました。
道具ならいい道具のほうがいいし、(包丁なら切れない包丁は道具としては使いにくいだけだし)
頑張って自分を磨こうと思っていました。

でも、今振り返ってみれば、いつもそうやって自分を磨いていたわけじゃなかったし、
それとは逆の、自分を錆びさせるような思い癖(自己否定や評価や人がどう思うかを気にしたり、とか)ばかり
一生懸命やってきたように思いました。

もう一度、あの頃の気持ちを取り戻して、神の道具として僕は僕として生きていきたい、と思いました。
まぁ、ご存知の通り、僕は相当だめな男なのですが、悠々塾に集うみんなと一緒に頑張りたいと思っています。
えっと36歳になりました。もう白髪とか出始めちゃいました。
これからも宜しくお願いします。

09/11/2012(金) 20:06:51

No.10388  みやっち ホームページ
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
遅くなりましたがいろいろ思うことを書いてみたいと思います。

・体主霊従について
体主霊従な所は考え方が固く古い。そして考えすぎて動けない所。
自分の感覚で物事を考えている。
自分の感覚や考え(自分の中でのこうであるべきだという自分なりの理想)に縛られている。
何がやりたいというのではなくまずやれる許容範囲を考える。
その時に重点を置くのがデメリットを少なくした無駄を省いた自分なりの効率的な計画。
安全に固く失敗しない自分なりのベストなやり方を考える。
周りから見ると許容範囲がせまいとか発想がとぼしいとなる。
社会人になっていっそうこういった傾向に拍車がかかりおもりとなって身についたものがあるのかなと思う。
会社ではこのようなところが評価されている面もあり(経理の仕事)、なくなったら自分が自分でないような気もして手放せない。

しかし本来の自分はもっともっと自由な人間のような気がする。
幸いにも周囲には自由な人がたくさんいます。
バランスをとりながら見習いながら楽しんで喜びにつなげていきたいと思います。
僕の中で自由と言えば「北斗の拳」の雲のジュウザ。(誰も知らないか?)
「俺は雲。俺は俺の意志で動く。」と言った名言があります。
かっこいいなと思った記憶があります。

自分ではなかなかわからなかったのですが藍子さんに言ってもらって、そういえばそうだなと思い出しました。
社会人になってぐらいに自分の体の外からは見えない箇所(背中・肩・おしりとか)の肌があれていて固く・黒い点みたいなのが出ていてかゆみがあります。
病院ではアミロイドたいせん?だったかな?難病の部類に入るらしく完全にきれいには治らないだろうと言われています。(中学生ぐらいから肌は弱い方でした。)
飯沼さんからは鎧をかぶっていると言われています。
そろそろ鎧を脱ぎ捨てたいと思います!


・金銭系・物質系について
お金や物についてはすごくもったいない精神があります。
お金はなんか使うのに抵抗がある。無くなると不安になる。
物は何かに使えるのではないかと捨てるのに抵抗がある。
無駄にしたくない。まだ使えるのに。
多少は我慢したり不自由するのは当たり前で何かそれが再利用なり使えたらすごい(美学?)ように思っているのです。
実際はお金が手元にそんなにあるわけではなく、そこそこ使っていてため込んでいるわけではないので何か変な感じです。
幼少からのお金が無い中でのやりくりが身についてしまって心が縮んでしまっているのかなと思います。
もっともっと心を開放させて喜びにつなげていきたいです。


・送っているエネルギーについて
僕は頭で考えすぎる傾向があるのでブルースリーみたいに「考えるな!感じろ!」と言い聞かせ、人間の枠を捨てて霊として(オーラをイメージして)送っています。
自分の中では特に肉体的変化やエネルギー的な実感はありませんがあまり気にしていません。
気持ちを心を精一杯込めて送っています。


09/11/2012(金) 22:13:52

No.10389  祐造
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
遅くなりました。
このところの掲示板の書き込み、まだ全部読めていないのですが、「霊主体従」で思うことを少し…。

毎日エネルギーの共鳴をしていても、体感的にも感覚的にも感じるものがなく(感覚鈍すぎ?)、なんだかちょっと気後れしている感があります。

あらためて「霊主体従」と思うと、日々の日常に流されて、地上的な価値観にどっぷり浸かっている自分を思います。
「本当はこうだったらいいのに」って思うことが多いです。

自分なりに思う「霊主体従」は、「愛と力強さ」でしょうか。
「愛」は――― 自分よりも大変な立場にいる人、社会的に弱い立場にいる人、困っている人、病や苦難にある人、、、そんな人たちに何か自分のできることをしていくこと。
実際に行動すること。
直接には力になれなくても、声を上げていくこと。
気持ちによりそうこと。
自分ができることで人が喜んでくれたら自分も嬉しいし、気持ちがつながればお互い豊かな気持ちになれる。

「力強さ」は――― 人を踏みつけにしてでも自分に集めている人たちや、理不尽に権力をふるい、力でもって人を虐げている者にNO!を言っていく強さ。
腹が立って仕方ないのですけれど、やっつけるのではなくって、真っ当な生き方に戻れる(直りなさい)ように願いを込めてNO!を突きつける強さ。

あと、「不平等や偏り」など今の社会に対して無関心であることも、自分の中のNGだし、自分の気持ちに正直であることも大事だと思います。

どれも今の日常ではとても勇気のいることだとおもいます。
自分を守っているからかなぁ、、、。

そんな自分を守る必要すらないのだということに気がつくのが「霊主体従」ってことでしょうか。

飯沼さん、はやくよくなりますように!
ゆうきくん、お誕生日おめでとうございます!

10/11/2012(土) 02:23:22

No.10390  めぐみ
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
「霊主体従」、あまり難しいことはかけませんが、
心が何より大切。この世界は心から始まる。
心が何を思うか、心がこの世界にどうあってほしいかと願うか
人間が皆の自分の喜びのためにより正しく行動すること、どう生きるべきかを本来の心のままに感じ、そして行動していくこと

心には、すごい力があると認識して、その力を信じて行動していくこと
そうめざしたいです。

原発事故が起きた時、私なりのエネルギー、祈りを送っている時こう思いながら送っていました。
この世界には、光と影がある。
これからは、光が勝っていきます。光のほうが力が強い。光よ闇を照らせ。とゆうふうな思いで送っていました。

個人の中の影も世界の影も、光が勝てますように、、、光の存在を大きくできますように、、。

心と体についても、これからは心の部分の健康さ、スピリチュアルさについて、より多くの人が大切さにきづいて、行動に活かしていく時代だと思います。

自分の生活の中では、日々誠実に生きられるように、
お金については、お金を回すこと、どこにお金を使うかを意識して使えるようにしたいです。なるべく。
(お金の呪縛は、なかなかしぶといですね。)

飯沼さんへ、エネルギーを送っている時、母や他のことなどにも送った時、明らかに飯沼さんへ送っている時は、なにかビリビリしたような感覚が手にいつも感じるので、不思議だと思っていたところです。
 毎日の生活で追われいて、そんなに頻繁には送れていないですが、
私は飯沼さんにエネルギーを送っている時、本当に心地よく気持ちよく感じることが多いです。瞑想ってこんなんかな、、と思うことも。涙が出そうになることもありました。

数日目に、オーラ写真体験をしたのですが(1000円)、ほとんど白に近い紫色と言われました。
あとチャクラでは、赤が小さめとか、、、。

自分では、エネルギーを送る感覚、その時の感じはとてもありますが、正直自分の変化はわかりません。

きっとこれからは、光が、心のパワーが、この世界を覆います。
すべての人が、喜びを感じる世界に近づいていきます。
と信じて。
   

10/11/2012(土) 07:17:01

No.10391  kanda
Re: 11月9日、今日はどんな日になるのでしょう。ゆうき君の誕生日ですが。 引用
おはようございます。
私が思ったことや感じていることを書き連ねています。

母を突然亡くした時、私は今まで生きてきて一番の悲しみを感じました。
落胆する気持ちと、周りの好奇の目、詮索する目を感じ、責められている感覚と、母に対しての後悔がいっぺんに押し寄せ、体調を崩しました。
その後の母の様子を飯沼さんに教えて頂きやっと落ち着きました。それよりも父が心配でした。見た目は普段と変わりませんが、私よりもいろいろな事を感じ、言葉には出しませんがどうしてこうなったのかと思い悩んでいるようにも見えました。
半年くらいたったころ、父の目に光が見えなくなりました。よどんだ目になりました。怖くて飯沼さんに遠隔ヒーリングをお願いしました。そしてそれからずっと父に遠隔ヒーリングを続けてもらっています。そして父は今、2匹の猫のじいちゃんになって楽しそうです。

私は死に対して言葉は変ですが鈍感になっています。冷たい人間になってしまったのかとも思います。
一番の悲しみを知ったから、耐性が付いたのか。それとも死が当たり前の事と知っているから?悲しい気持ちもありますが、その先を知っているから大丈夫かと思う。そういう簡単なものでいいのかな。死の悲しみから目をそらしているだけなのかもしれないとも思いますが。でも、悲しみからは立ち直れるという事を知りました。

震災があってから、この先いつどうなるかなんてわからないと思っています。ですから、明日死ぬかもなんて思って生きているところもあります。死ぬことが怖いとは思いません。
私は、物事何でも先が分からないとパニックになるのですが、その先を知っていると落ち着くのです。実際、身近な人の死に直面するとこんなことは言えないと思いますが。でも、母の時とは気持ちは格段に違うと思います。

父は毎日エネルギーを受けていますから、とても穏やかで、明るく、自分のやるべきことを楽しんで生きています。家族の中では一番、霊主体従のような気がしています。
次は、娘でしょうか。障害を持っているので「普通」の事は出来ませんが、自由気ままに生きています。持病があるので(娘も遠隔ヒーリングをお願いしています)辛い事もたくさんあると思います。でも、楽しいときの表現や嫌なときの表現を見ていると、感情を隠さないので羨ましく思います。私、結構お愛想することあるので。
人間しがらみが絡むと、本当の自分ではいられないと思うのです。お愛想を言っている自分をもう一人の自分が嘲笑しています。

このように文章を書いたり、掲示板を読んだり、エネルギーを送ったりすると、後頭部が活性化してきます。そして、エネルギーが上の方に放出していく気がします。これが本当にヒーリングとして役に立つのならばよいのですが。いや、届いていると思います。
以前、夢を見たのですが、放射能の影響で病気になってしまったたくさんの人たちの中に私がいました。そこで思い出すのです。「あ、私ここでみんなにヒーリングをするのだった」と。そんな夢を見ました。

飯沼さん、早く痛みが取れると良いですね。今朝の体調はいかがですか?お風呂のお湯が・・のお話し、すごいなと思いました。そんなことがあるのだって。スーパー飯沼さんになりそうな予感。ついて行けるでしょうか。私。

ちぃさんのお父さん、治療後も体調よく元気にされていること、とても嬉しいです。自分の父と重なり、ドキドキしてしまうのですが、素敵なお母さんと、とても幸せそうですね。娘は心配してしまいますよね。私の父も、先日、大分まで旅行してきました。私はいろいろ心配していましたが、元気で行ってきました。とても嬉しそうにお土産話をしてくれます。

ゆうきさん、一日遅れましたがお誕生日おめでとうございます。若くていいな。その年に戻ってやり直したいです。

長々と書いてしまってすみません。
難しいことはかけなくて、思ったことを書いています。とても真剣に書いています。
やはり、頭で考えても分からなくて、経験で感じ、エネルギー送れているかな?じゃなくて、送っています(キッパリ)。自分ができること精一杯しようと思っているので、何事にも真剣に対峙しています。そこがちょっと真面目すぎるのかなとも思います。心配性も解消しません。そこが問題です。以前よりは少しマシになったかとも思いますが。
真剣なのですが、真剣に見てもらえない私で、子供じみたことばかりしたり言ったりしていて、息子にまで呆れられていますが、自分は間違えていないと確信しているので、この方向で行こうと思っています。
私自身について自信は何もないのですが、誰かのためにと動くのならば、私は自信を持って動くことができます。

これからもみなさん、よろしくお願いします。

10/11/2012(土) 09:03:19


No.10386 入道  
のぶよさんありがとう! 引用
ひびき。自宅の近くだったので昨日行ってきました。
渡辺さんに、飯沼さんが宜しく言っておられたと伝えてきました。
ぬまさんの変化のエネルギー、繋がったような繋がらなかったような???
家のベランダで野鳥のヤマガラ8匹が、私の手からヒマワリの種を食べたり、
竹笛でピ〜ピ〜とやるとメジロが寄ってきたり…ひょっとして、ひょっと
した。
皆さんが活躍される事を期待しています。

09/11/2012(金) 15:16:57



No.10367 飯沼  E-mail
11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
おはようございます。

昨夜は、かなりマシにはなっていたものの、首から上の右半分はかなり痛んでいました。
その一方ではどろどろに眠く、排出も佳境に差し掛かってきた感じがします(笑)

昨夜、風呂に入った時のことです。
浴槽に浸かると、一瞬にしてお湯が(薄いほうじ茶のように)濁ったのです。
お湯に浸かった瞬間のことですし、体がそんなに汚れているはずもありません。

お湯が濁るのと並行して、頭や顔面の痛みが軽くなっていくのです。
これには驚きでした。

浴槽に浸かって、じっとしたまま、お湯を見ていました。
10分ぐらいで濁りは消えて、元の透明なお湯に戻りました。
痛みもずいぶん楽になりました。

今朝はまた少し痛みが戻っていたので、朝から風呂に入りました。
昨夜ほどの濁りにはなりませんでしたが、やはり同じようなことが起きました。

今回の腹部の激痛の後、「これは浄化・排出だ」という実感がありました。
傲慢な話ですが、「これが完了してしまえば、ほとんどの仲間たちはエネルギー的について来れなくなってしまう」とも思いました。
それはとても寂しいことなので、とにかくつながっていてほしくて、「エネルギー的につながろうとしてほしい」とお願いしました。

これだけの大浄化ですから、完了すれば何らかの変化はあるのだと思います。
もしも何の変化もなくても、バカにしないでくださいね(笑)

私のテーマは、自分一人が特別な人間になるのではなく、仲間たちと共に、驚異的な霊力をこの地上に顕現していくことだと思っています。
私は、自分がヒーラーであることを受け入れた時からずっと、それを普遍化・一般化してこそ意味があるのだと思ってきました。

私自身が不十分さや過ちを抱えた人間ですし、同じようにそれぞれに不十分さを抱えた仲間たちと共に、驚異的な霊力を顕現してこそ、地上の頸木は解き放たれるのです。

私はもう後戻りはしないでしょう。
できるならば、共に進んでいただきたいのです。

「霊主体従&体主霊従」「生命系&金銭・物質系」について、それぞれの思いを巡らせ続け、日々の生き方の変化につなげていけるようにお願いいたします。

08/11/2012(木) 10:01:23


No.10368  飯沼 E-mail
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
「シルバー・バーチの霊訓」(1) 潮文社  より引用


一章 あなたとは何か

霊の宝は楽々と手に入るものではありません。もしそうであったら価値はないことになります。何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利と言えるでしょうか。何の苦労もせずに頂上を征服したとしたら、それが征服と言えるでしょうか。霊的進化というものは先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。なぜなら、それは前人未踏の地を行きながら後の者のために道標を残していくことだからです。そこに霊的進化の真髄があります。

[地上の人間が何かを成就しようとして努力する時、少なくとも同等の、あるいは多くの場合それ以上の援助の努力が霊界において為されていることを強調して次のように述べる―]

 
 援助を求める真摯な熱意が等閑(なおざり)にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。その時に発生する背後での霊的事情の実際はとても言語では説明できません。元来地上の出来ごとを表現するように出来ている言語は、それとは本質的に異なる霊的な出来ごとを表現することは不可能です。どう駆使してみたところで、高度な霊的実在を表現するにはお粗末なシンボル程度の機能しか果たせません。

 いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一種の悟りを開きます。大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。

 人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体があって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。

 肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。その辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出はじめたのです。ようやく暗闇の世界から光明の世界へと出て来たのです。あとは、あなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。

 そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。霊性を一切行使することなく生活している人間は、あたかも目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えます。

 霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。霊の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。物的なものが全て色褪せ、錆つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。

 魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。

 この霊的自覚が確立された時、あなたにはこの世的手段をもってしては与えることも奪うことも出来ないもの――磐石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ――自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。

人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。どうか、何処でもよろしい、種を蒔ける場所に一粒でも蒔いて下さい。冷やかな拒絶に会っても、相手になさらぬことです。議論をしてはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません。無理して植えても不毛の土地には決して根づきません。根づくところには時が来れば必ず根づきます。あなたを小ばかにして心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねて来ることでしょう。

 私たちを互いに結びつける絆は神の絆です。神は愛をもって全てを抱擁しています。これまで啓示された神の摂理に忠実に従って生きておれば、その神との愛の絆を断ち切るような出来ごとは宇宙のいずこにも決して起きません。

 宇宙の大霊である神は決して私たちを見捨てません。従って私たちも神を見捨てるようなことがあってはなりません。宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に辿っております。地球は地軸を中心に自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、恒星も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も永遠の巡りを繰り返しています。色とりどりの小鳥が楽しくさえずり、木々は風にたおやかに靡(なび)き、かくして全生命が法則に従って生命活動を営んでおります。

 私たちはどうあがいたところで、その神の懐の外に出ることはできないのです。私たちもその一部を構成しているからです。どこに居ようと私たちは神の無限の愛に包まれ、神の御手に抱かれ、常に神の力の中に置かれていることを忘れぬようにしましょう。

(この章、終わり)

08/11/2012(木) 10:11:42

No.10370  それいゆ
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
ぬまさん、
うそのようなほんとのは・な・しですね。

つながってますからね〜一人で行かないで下さいな〜
後戻りしても、また歩き出しますから、、、、

08/11/2012(木) 12:13:32

No.10371  ちぃ
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
皆さん、ありがとうございます。
両親は昨日から釣りをしに2泊の予定で出掛けていたのですが、
釣りの餌が手に入らず、釣りはせずに今朝帰って来ました。

父は元気にしており、今日はまたどこかに出掛けています。
母は2日も釣りをしたら父が体調を崩すに違いないと心配だったようで、
餌が手に入らなかった状況を考えると母の思いが形になったと感じたそうで、
心のありようが大事だと実感したそうです。

私も霊主体従と体主霊従をしっかり考えたいと思います。
昨夜は皆さんの書き込みを拝見してたら一気に感情の蓋が開いて涙が止まりませんでした。

父の気持ちに寄り添いたい、どうしたら喜んでもらえるだろうかと考え、悩むことはあっても、
不安とか葛藤とかはなくて、それよりも職場のことで凹んでる始末で。
皆さんに心配して頂くようなことは何も無くて申し訳なく、どうしようどうしようと思ってました。

でも皆さんの書き込みを拝見していたら込み上げて、不安や恐れ、
そして父のことが大好き!という気持ちがぶわぁと込み上げてきました。

私、本当はものすごく怖いんです。怖くて怖くて、悲しくて辛くて。
父が居なくなるとか、ありえないんです。
ワーキャーうるさいし、すぐ怒るし、嬉しい時や楽しい時はそれはそれでワーキャーで
繊細で子供みたいで、愛情深くて、やたらと構いたがるし構ってほしがるし、
とにかくめんどくさい父なのに、私、父のことが大好きなんです。
ずっとずっと一緒に居たいんです。

そうした気持ちに蓋をしていたのだと思います。
見たくないし、認めたくなかったのだと思います。
死への恐れはもちろんですが、父への愛にも蓋をしていたようです。
認めたら自分が自分でなくなるような気がして。
確実に可愛い娘になるであろう自分が気持ち悪くて。
そしたら尚更父を失うことへの恐れが強くなるんじゃないかと怖くて。

失うものなど何も無いのに。
父のことが大好きなありのままの私で居られたら、父も私も嬉しいのに。

でも考えることさえ辛かったのかもしれません。
掲示板を読めば読むほど、訳が分からなくなってました。

皆さんに感謝です。
皆さんのお気持ちが嬉しいです。
霊主体従と体主霊従、しっかり考えたいと思います。

08/11/2012(木) 13:10:49

No.10372  飯沼 E-mail
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
☆引用した「シルバーバーチの霊訓」から、この部分を再度抜粋しておきます。

『私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。
なぜその必要があるのか。
それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭保(きょうとうほ)を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れることになるからです。』

08/11/2012(木) 14:28:18

No.10373  sono
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
書き込もうとずっと思ってたのですが、
自分の中でまとまらなくて、色々考えてました。

さきさんが書いてくれた、

『何より、生活して食べていかなくてはならない―。
という縛りがどれほど「心」を奪い押しつぶしてしまうか―。』

本当にこのことでどれだけ苦しい思いをしてきたか。
大多数の人達が同じ思いで辛く苦しい思いをしていると思います。

先日さきさんに、
「不安のエネルギーで何かしようとするのではなく、喜びの
気持ちで過ごすことを意識して欲しい」って言って頂いて、

それから、出来るだけ意識するようにしています。
なかなか難しいんだけど…

例えば、今まで「一刻も早く仕事を辞めてしまいたい」と
思っていました。

でも、同じ仕事を離れるということでも、
上司がキライで、仕事が嫌で辞めるというイメージを思い続ける
のではなく、私は純粋に旅がしたいので、
「早く旅がしたいなぁ」「どの国に行こうかなぁ」とか、
旅の計画とかを考えるようにしています、

仕事から離れるという結果は同じでも、
不安や憎しみから出た結果でなく、心が喜ぶ方、喜びの思いの結果、仕事から離れた、という方向の思考を、妄想に近いですが、
やってみています。(もちろん出来ない時だってあります)

霊性体従は疑いなく信じてます。でもどうすることが霊性体従なのかハッキリとは分からないです。

ただただ、感謝と祝福のエネルギーを送り続けること、皆の喜びのために気持ち(だけですが)を寄り添おうとすること、考え方をちょっと切り替えてみることを続けてみてますが、変わったことと言えば「夢」の内容かな?

昨晩の夢はちょっと不思議でした。
いつも通りに生活してる人達がいて、普段どおり会社に行ったり、
ご飯を食べたりしているのですが、画面がなんというか、
2層にわかれてて、下段はいつもの生活をしてて、上段は、その下段の自分を飛び出してて、皆の意識と一体になってる。
その広い意識の中で皆が遊んだり、話をしたりするという夢をみました。上段の方が、しかもはるかに面白くてワクワクする話や遊びをしている、というような夢です。

これに何の意味があるのかは分かりませんが、悠々塾に繋がる皆さんに聞いてもらいたいと思いました。

08/11/2012(木) 14:57:16

No.10374  つばきとつまき
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
飯沼さん、痛みが治まってよくなられてよかったです。
本当に、、とってもっ心配しましたし、不安になりました。
私の知り合いはお風呂に二時間入るみたいですが長く入ってると水が濁ると言っていました。すぐに湯が濁るってすごいですね。
ちぃさんのお父さんも数値が平常値に近づき、元気なようで本当によかったです!
大草原の小さな家、小さい時テレビでやっていましたね。私もよく見ておけとおじいちゃんに言われていました。お父さんが日々を楽しんで家族と心を通わせてる姿が伝わって本当に嬉しいです。病気だからって不安な気持ちだけに留まらず、家族に支えられて、不安な気持ちを正直で素直に表現できて、みんなと喜びに繋がって行くことがこんなにも充実して幸せなことなんだ、とつくづく思いました。
とっても感動的な絆だなって思います。お父さんに元気にいてほしいし、ますます会いたくなりました。

今まで思うことはあったんですが、自分が何を考えてるのかわからなくなるくらい煮詰まっていました。それに書き込むことが怖かったのもありました。
関東定例会の時にエネルギー送った時に出てきたイメージは∞(←?)を縦にして巨大で立体的になったものが出てきて。あ、8ですね。それは宇宙のような広がりがあって、細かい光り輝く色んな粒子、ミトコンドリアのような小さいな粒子が上から下へしたから上へと循環していて、8の上の部分は霊界で真ん中の線が重なる部分は人というか地上で、下の部分はミトコンドリアに繋がる部分でみたいな感じでエネルギーが注がれる繋がるイメージをしていました。その8を正面から見ると8ですが横からみるとまっすぐ繋がってて、エネルギーが上から下へ繋がってるイメージでエネルギーを送りました。
新しいエネルギーに繋がりエネルギーを送るたびに違う感じがします。
エネルギーを送った後、感じること思うことも徐々に変化していっています。
はじめのときは手がびりびりしたり、頭がくらくらしたり、頭が痛くなったり、
頭が痛すぎて左目までも痛くなったりしました。
エネルギーを送った後言いようのない違和感を感じたりしました。
それがあまりにも気持ちが悪いというか、心の奥ほうで吐き気を催すというか、
今の自分に対するふがいなさも入ってるのかわからないんですがそういう嫌悪感というか、違和感、変な感じがしてました。あと、霊主体従のエネルギーに繋がるほど生き方や在り方に当然関わってくることで、特になんにも私は世の中に役立てることなどしてないのですが、変化への戸惑いみたいなのがありました。違和感は現在の矛盾というかギャップがあると思ってるからだと思いました。そういう意味でもやもやがあったのですが、感情の波も穏やかになり、いつもなら感情的になってどうしようもなくなってしまうことが冷静に享受できたりなどが一番の変化かもしれません。

「死は解放の喜び」だということは個人的にはそういうものなんだと感じてるような気がしま。ただ、個人的なことを言うと母が死に寂しかったのもあったり、育ててくれたおじいちゃんが死に、父が死にペットが死に後悔の思いがあったり、そこに願いがあるということなんだと思うのですが、大切な人の死によって思う気持ちに色んな感情=願いなどがあって願いに繋がることより感情的に哀しかったりさみしかったりするので死に対するネガティブなイメージが染み付いてるのかなと思いました。小さい時からおばあちゃんは母の話をしたり、お墓参りに行くたびに泣いていました。おじいちゃんも娘(私の母)を思い泣いていました。おじさんもおばさんも。小さい時からの、死とは哀しいもの泣けてくるものだ、心が締め付けられるように痛くなること、そして私も同時に寂しかったのもあって死=置いて行かれる怖さ、報われなさ、やりきれなさ、さびしさ、後悔のようなすごいネガティブな印象で。
恐ろしさ、哀しさの分、愛されていた、愛していたというのも知っていました。もっと幸せに健やかに生きていてほしかった願いもあって。
「死は解放の喜び」だからといってあまりにも哀しすぎる死ではないかと個人的によく思ってはいました。「なんで?」って。
すべては摂理によって営まれてることの一つであること、旅立った人への死に対する涙、悲しみ、嘆きとは愛の繋がり=そのものが喜びなんだと思います。命はひとつらなりだから、人も物もあまねくものが今を健やかであること、今を喜べるように心を形にしていくことが自分もみんなも物も喜べることなんだと思います。
物質的なものへの囚われによって使うエネルギーを、「霊主体従」のエネルギーへと変えていけたら、連なる喜びに広がって、たとえば大切な人たちへの愛情や心の通い合いに注げて、いつか大切な人たちが先に旅立つことになったとき、離れることがあって哀しくてもまた違う心持ちで霊界に見送ることができるのではないかと思いました。哀しいだけではなくって、悼むだけではなく、待っててねとか、人生全うするまで頑張るよとかが感謝の気持ちでネガティブな気持ちが薄くなるような気がしました。
体主霊従・金銭物質系の世の中では人も物も荒廃していき心をも蝕んでいきます。霊主体従・生命系の世の中に変わってほしい、変えたい。そして自分も変わりたいと強く思いました。そして思うだけでは留まってはいけないことも胸に突き刺さる感じでいます。引き続きエネルギーを送りたと思います。

シルバーバーチの霊訓 「あなたとは何か」を読むと泣けてきました。
  
                           つまき

08/11/2012(木) 15:10:47

No.10375  まゆみ
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
新しい喜びの地上界へ

8日です。いつものメッセージをここに掲載させていただきます。

霊主体従、生命系に軸足を置いて生きていきたいと思っています。
頭で分かっていても実際の生活の中では、そうできてない自分にがっかりすることばかり。
今は思うように言葉にできないですが、誰もが喜んで生きれるように、進んでいきたいです。




これからも「新しい喜びの地上界へ」向けて、みなさんとエネルギーを共鳴させたいと思います。
みなさんよろしくお願いいたします。



福島原発、土、海、地球上の全ての生命に「無条件の感謝と祝福のエネルギー」と謝罪のエネルギーを。


今病気の中で苦しんでおられる方に、健やかな回復を願ってエネルギーを送りつづけたいと思います。

みなさんよろしくお願いいたします。

    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *




08/11/2012(木) 17:35:35

No.10376  みんと
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
皆さん、色々と身体や心の変化が出てきてるみたいですね。
何かが進化するときのプロセスでしょうか。

人ごとみたいですが私も数日前共鳴中に眠ってしまい、目が覚めたら今度は胸、背中とがひどく重苦しくなり丸まった状態で2時間くらい横になりました。
ところが、ある瞬間からさっきまでの重苦しさが嘘のように消えてスッキリ。その後アイスをむしゃむしゃと食べてしまいました。

大げさかもしれませんが、さなぎが脱皮して蝶に変わる時のように身も心も苦しみもがいて初めて変身するのでしょう。きっと。
身体は分かりやすいけど心は気づきにくいですよね。
つらいことがあっても心の軸をずらさず、霊主体従にそって
行動していく癖みたいなものを身につけていけばいいのかもしれません。

sonoさんの夢おもしろいです!何かの暗示でしょうか。
繋がってはじめて本当の幸せが待ってるみたいな。

08/11/2012(木) 22:23:12

No.10377  和也
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
「霊主体従」ということについて、多少なりとも頭で理解していることも、実際に行動に表していかなければ何の意味もありませんが、なかなか行動に移せないというのが私の課題です。
相手から求められる場合は動きやすいのですが、そうでない時はこちらから手を差し伸べ辛く、まして「余計なお世話」的な反応をされたらなお更です。
魂の意志で動くのであれば、本当はもっと動けるはずと思いますが、「怖い」という思いの方に負けてしまっています。
「霊主体従」が心や体しみ込んだ生き方は全然できていませんが、生き方の軸を何とか変えて行きたいです。

私はこれまで、夜にエネルギーを送るのがなかなか難しいので、毎朝エネルギーを送っているのですが、私の場合は特に何かを感じるということはありません。
手が少しビリビリするような感じがすることもありますが、エネルギーを送っていない時でもビリビリしたりはするし、今のところは何も感じないというのが現状です。

それでも、何も感じないことと、エネルギーが届いているかどうかは別だと思うので、エネルギーは毎日送り続けています。
相手に届いているエネルギーは取るに足らないほどのほんの微々たるものかもしれませんが、ほんの僅かだけでも届いているのなら、ずっと送り続けたいと思います。
ひとつ例えを言えば、一生の間でたった一度だけ、水に溺れかけている小さな虫を救ったとして、それだけで「自分が地上界に生を受けた意味はあった」と言えると普段から思っています。
なので、どんなささやかな事であっても、たとえ届くエネルギーがほんの僅かであっても、自分にできることを積み重ねていきたいです。

もちろん、より大きなエネルギーを身につけることができて、その結果1人でも多くの人の心が癒されることになったら、こんなに嬉しいことはありません。
自分には無理だろうと自分を制限してしまっているので、その枠を取り払うことが課題ですが、「心が現実を形にする」「心が現実を引き寄せる」、そのエネルギーに少しでも近づいて、本当に1人でも多くの人に笑顔や安心をもたらしたいです。

「死は解放の喜び」という意識は、自分である程度持っているような気はしています。
死に瀕した時に「痛い」とか「苦しい」とか、死の瞬間はどんな感じになるんだろうという点での不安はありますが、死後の世界に対する不安はまったくありません。
ただ、父が亡くなった瞬間、こちら側の世界からは見えないだけで「父は今そばにいる」「これからずっとそばにいて声を聞いていてくれる」「霊界に行った時には再会できる」という思いもあったのですが、確かに悲しかったのですが涙は出ませんでした。
父を見守っていた他の家族と比べると、自分は冷静だったのがはっきり分かりました。

この掲示板で皆さんが書いているのを見て、「死は解放の喜び」と理解しながらも、家族に地上界にいてほしいと願う熱い思いを語ってみえるのを読むと、私は元々あまり感情の起伏がないとは言え、感情・心がとても冷めているような感じがしました。
もちろん、家族のことは大好きで、義務ではなく自らの願いのままに家族のために日々動いているつもりではいるのですが…。

取り留めのないことを、思いつくまま書いてしまいました。

08/11/2012(木) 23:16:33

No.10378  久美
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
??沼さん、回復して来ていると言ってもとても辛そうですね。
でも、行きつ戻りつですが、痛みが軽くなってきているようで良かったです。

エネルギーですが、最初のうちは小刻みに振動しながら体中を何か流れている感じでした。
内臓があちこちでグチャグチャ動いている感じがしたり、頭が振動して歯がガクガク上下に振動している感じがしたり、下腹から頭上に向かって野太いものが上がって行く感じがしたり・・・。
両手(両腕)やお腹の辺りがジンジンと特に振動している感じがします。
そして、両手や足(右側)などが温かくなったりして、冷え性の私の両手が赤くなってポッポしたりしています。
眠くなったりもします。
そして、このような感覚が全くない日もあります。

でも、エネルギーを送って行くうちに、頭が締めつけられるような感じがして緊張してきました。
「エネルギーを送りたい。」の願いから「どうしてもエネルギーを送らなきゃ。」と緊張してしまい、強制になってしまっていたのかなぁと思いました。
自分で緊張を解こうとしてもなかなか出来なかったので、??沼さんが掲示板に書いていた「喜びでつながっていこうとしていただければ」を思い出し、ただただ??沼さんのエネルギーに繋がって行こうとしました。
そうしたら、「それでよろしいのです。」と何とも言えない優しいエネルギーに包まれる感じがして、体中の力が抜けました。
嬉しくて、思わずこみ上げました。
これからも??沼さんのエネルギーに繋がって行けるように頑張りたいです。

「霊主体従」は、皆さんの書き込みを読んで色々教えられています。
私は、地上的な常識に囚われたり、どう見られているのか評価を気にしたり、自分の感情に囚われてしまったり・・・。
毎日の生活は、「体主霊従」になってしまっていることが多いです。
でも、辛そうにしている人が居たら、力になりたいと動いていたりもします。
辛そうにしている人が笑顔になってくれると、とても嬉しいです。

さきさんが書いていたように、少しずつでもみんなが幸せになれるように「霊主体従」に軸を向けて行きたいです。
頭で考えるとなかなか変われないので、??沼さんや皆さんのエネルギーに繋がって行こうと努力することも大事なんじゃないかと思っています。

それと、なかなか難しいですが、少しずつでも行動に移して行けたらと思っています。
小さい頃、みんなが笑ってくれるのが嬉しくて、変な顔とかしておかしな事ばかりしていました。
でも、大人になるにつれて色んな事が気になってしまい、動けなくなってしまいました。
あの頃のように楽しい気持ちを忘れずに、みんなが笑顔になれるように動いて行けたら嬉しいです。

08/11/2012(木) 23:18:56

No.10379  あきこ
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
自分の体従霊主なところは、
評価されるために生きてきた所です。

それが動機で今までの自分の基準のすべてになっていて、
それがあまりにも普通で、そこから色んな枝葉が出て、
くせになっています。

ちょっと評価が落ちるような出来事があれば、
この世のはてみたいにショックを受けるし、
それでショックを受けているのだということさえ
自覚も出来てませんでした。

それから、そういう自分に気付く度に、
もがいて、怖がって、守って、
でも大丈夫やって思ったり、仲間に支えてもらったり、
してます。一歩進んで二歩下がってます…。

難しいことはよくわからないし、
エネルギーについても鈍感やと思います。
でも心と心で生きていきたいって本当に思います。
人と心で繋がったいきたい。
ありのままの自分でいることを喜びたいし、
心で繋がる喜びをみんなと感じたい、
そんなふうに生きていきたいです。

今までは頭で理解しようとしてたけれど、
これからはもっと心で生きていきたいです。

ちいさんのお父さんに治ってほしいし、
不安を感じている仲間がいるなら、
力になりたいと思います。

死は解放の喜びだと、どこまで思えてるか
正直わからないです。
でも動物を見送るときにいつも、
身体っていうのはほんまに
抜け殻になるんやなって思いました。

09/11/2012(金) 09:46:45

No.10381  ホープ E-mail
Re: 11月8日、医者に言えないほんとの話 引用
飯沼さんから、自分の状態の推移を随時語られ、私達もそれに共鳴しようとしている昨今、掲示板にシルバーバーチの霊訓の抜粋が先日から登場しています。シルバーバーチは霊的入門書と思っていました。何度も繰り返し読んでいました。読む度に感じるもの、解釈が変わっていきました。最初はこの霊書に貫かれている大きな慈愛に慰められ癒されました。次に霊的真理について理解したいと思うようになりました。自分がピンチに陥った時これを読んで自分の指針としていました。悠々塾とつながり、この世とは霊的な自分をこの物質の世で物的なことを通じて実践するものなのだと学びました。その後この塾とともに様々な角度からの学びを通じて「全てが喜び」であることを感じてきている今、この霊訓が掲載されるに及んで、改めてその説かれている内容が、より大きな幅を持ってもう一段の理解や納得として心にしみこんできます。
今迄飯沼さんから指導して頂いた、数々のその時その時のテーマと実践は此処に繋がっているのだと心底感じています。
その導き計らいに感謝です。
何だか飯沼さんはこの度を境にもっと大きな次元の境涯にステップアップされるのではないか、と感じています。

09/11/2012(金) 10:43:34


No.10352 飯沼  E-mail
11月7日です 引用
もうすぐお昼ですね。

皆さん、書き込み、ありがとうございます。
昨日、私が提示したテーマで、書き込みを続けてくださいね。
同じ人が何度書いても構わないのですし。

腹部の痛みが解消するのと入れ替わりに、首から上の右半分のいたるところが痛み始めていました。
喉の痛みや右の上顎全部の口内炎から始まって、昨日は右目の奥も右耳の奥も右側の歯も右のこめかみも右の頬骨もキリを揉み込まれるように激しく痛み、鎮痛剤や顔面湿布のお世話になりました。
夕方からは38度弱の熱も出ていたのですが、今は下がっています。
痛みも昨夜に比べたらだいぶマシになっています。
しかし、ここまで来たら病院に行っても、どこをどう検査したらいいのかも分かりませんんね。

食べるものは美味しいのですが、量は食べられません。
お蕎麦一杯を食べきれない感じです。
本当は断食が今の自分には合っているのかもしれません。

さっき、畑に連れて行ってもらいました。
久しぶりの畑です。
今日、まゆみさんや子供たちに秋ジャガの収穫をしてもらうので、その前に見ておきたかったのです。
秋ジャガはこのあたりでは、春ジャガの半分ぐらいの収量なのですが、うちは春に劣らないぐらいの豊作です。

07/11/2012(水) 11:52:28


No.10353  飯沼 E-mail
Re: 11月7日です 引用
「シルバー・バーチの霊訓」(1) 潮文社  より引用


一章 あなたとは何か

いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

 ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。これまであなたはその身体に包まれた??小さな自分?∴ネ上のものを少しでも発見された経験がおありですか。今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全の意識であると思われますか。お分かりにならないでしょう。

 となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。

 そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使なのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。

 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる??神?≠フ属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。

 この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。

 あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることができます。その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。

 あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。

 宇宙にはある計画にそった??摂理(きまり)?≠ニいうものがあります。私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。東洋の諺に??師は弟子に合わせて法を説く?≠ニいうのがあります。霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。こちらから求めなくても良いのです。豁然(かつぜん)と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。

 と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。

 悲しいかな、あまりに多くの人々が暗黒の霧に取り巻かれ、人生の重荷に打ちひしがれ、病める身と心と魂をひきずりながら、どこへ救いを求めるべきかも分からずに迷い続けております。私どもはこうした人々に救いの手を差し延べなければならないのです。

 もしも私どもが霊性の開発が容易であるとか、暗闇の中にささやかなりとも光明をもたらしたいと願う人々の仕事が楽に達成されるかのような口を利くことがあれば、そのこと自体がすでに私どもの失敗を証言していることになりましょう。決してそんな容易なものではありません。歴史を見てもその反対を証言することばかりです。真理と誤謬とがいつ果てるともない闘いを続けております。たぶん??完全?≠ェ成就されるまで続くことでしょう。しかし完全ということは事の性質上絶対に成就されることはありません。その意味で私どもは長く困難で苦労の多い仕事に携わっているわけです。

 これより先どれほどの偏見と反感と敵意と誤解と迷信と故意の敵対行為に遭遇しなければならないかは、あなた方には想像もつかないことでしょう。怖じけづかせようと思って言っているのではありません。事を成就するためにはそのあるがままの背景を理解しておく必要があるからです。私にはその大変さがよく分かるのです。

 これまでも私は可能なかぎりの力を駆使して、克服不可能と思われた障害を克服して、あなた方の世界に近づいてまいりました。私一人の力ではありません。私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。なぜその必要があるのか。それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭保(きょうとうほ)を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れことになるからです。

 人類は物質文明を自負しますが、霊的にはきわめてお粗末です。願わくはその物質文明の進歩に見合っただけの霊性が発達することを祈ります。つまりこれまで??物?≠ノ向けられてきた人間的努力の進歩に匹敵するだけの進歩が精神と霊性の分野にも向けられればと思います。

 進歩に霊性が伴わない今の状態では、使用する資格のないエネルギーによって自ら爆破してしまう危険があります。そこで私どもは、地上生活全体の根幹であるべき霊的真理に従って各自が生活を営めるように、ということを唯一の目的として努力しているのです。

 嫉妬心、口論、諍い、殺人、戦争、混乱、羨望、貪欲、恨み、こうしたものを地上より一掃することは可能です。そして、それに代わって思いやりの心、親切、優しさ、友愛、協力の精神によって生活の全てを律することができます。それにはその根幹として、霊性において人類は一つであるとの認識が必要です。決して救いようのないほど暗い面ばかりを想像してはいけません。明るい面もあります。なぜならそうした障害と困難の中にあっての進歩は、たった一歩であっても偉大な価値があるからです。たった一人でいいのです。全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。そして一人を二人に、二人を三人にとしていくことができるのです。
(続く)

07/11/2012(水) 12:02:00

No.10355  さき
Re: 11月7日です 引用
ぬまさん、浄化が続いているようですね。
今日は痛みもマシになっているようでよかったですがお大事に。

今回のエネルギーにつながり、霊主体従に意識をあわせようとする
皆さんの投稿(心)がこの場に共鳴しているように感じます。
色々気づかされるし、
何より、皆さんの心に鼓舞される自分がいます。
引き続き書き込みお願いします。

思ったのですが、言葉にしにくいテーマなので難しいけど、
そこで考えたこととか、気づいたこととか、込めた思いとか、
その人の心って伝わってくる気がします。
また内容についても書きますが、
この共鳴を広げて(深めて?)いきたいと思います。

関東定例会のあと、ぬまさんが読みたいというのでシルバーバーチの霊訓を本棚の奥から引っ張り出して置いてました。
久しぶりに読んだら「今のテーマ全部書いてあるわ」と思いました。
一度読んだ方にも今一度お勧めします。

07/11/2012(水) 15:31:17

No.10356  あきどん
Re: 11月7日です 引用
シルバーバーチの引用文は、いまのテーマを全く書いてある感じがしました。すごい。

飯沼さん、さきさん、皆さんの書き込みを読み、
だんだん「霊主体従」のイメージが少しずつですが、つかめてきているような気がします。

以下は、昨日、書いていた文で投稿してなかった文ですが、投稿します。

飯沼さんの書き込みを読んで、「霊主体従」の霊(心・意識)とは、神に繋がる部分の霊だと気がつきました。
ネガティブな現実を作り出す心は、霊というよりは、‘思考とか感情’で、体に近いのかなと思いました。
人の魂は神の一部であると思いますし、その神に繋がった部分に従い行動できるようにしたいです。

さきさんの書き込みの、言葉よりも行動に感心があるということ、よくわかります。本当にそうですね。
自分も、頭では理解したつもりでも行動にうつすのはなかなかですから。
この3次元の物質界の地球を、神の写し世にするのが、人間のテーマだということ。
祈りももちろん大切だか、行動に移すときが来ているとも克子さんのメッセージでも書かれていたように思います。
3次元の地球では、思ったり、頭で理解しても行動にうつさなければやはりどうしようもないのだろうと思います。

そして、自分が「体主霊従」だなと最近感じたところは、
体調が悪くなると、体に影響されて気持ちがネガテイブになるところです。
できるだけ、それでよろしいのです、と信じ、喜びに繋がるように気持ちを切り替えたいです。

(あ、最初に書いた、‘思考や感情‘ も体だとすると、体調が悪い時影響されてる感情はやはり体だから当然かも。
そして、 ‘思考や感情‘ に振り回されることも、「体主霊従」かも、とふと思いました。)

「地上的な死への恐れ」は、私もまだまだな感じがします。長生きして欲しいと思ってしまうし。
母が、いつかは天にめされると考えるとやはり悲しくさびしくいやな気持ちになります。
でも、あの世の命はあるとほぼ信じているので、死への恐れというより、
死後の、自分の不安な気持ちや、死によって発生する出来事を不安に思っているようにも思います。
母に気持ちが頼っているのかもしれないし。そういう自分の気持ちを解消することがまず先なのでしょうか。

また、自分はさほどお金や物には執着はない方な気はしますが、太古の習慣なせいか、やはり自然に物質を蓄えてしまいます。
自分や家族の安心のために蓄えることが常識と思ってきましたし、
困った人にそれを分け与えられるのは、お金持ちだけだと思っていました。
今までの常識への囚われを薄くしていきたい。
これからは、自分や近しい人ももちろん大切にし、周りも大切に、
自分も皆も幸せに生命系の行き方ができるようにするのがこれからの常識なんだろうと思います。。
生命系や分かち合いが普通な社会にしていかないといけないのだと思います。
まだまだですが、近付いていきたいです。

07/11/2012(水) 16:42:49

No.10358  さき
Re: 11月7日です 引用
地上は肉体や物質に制約されたなかでの魂の学びの場です。
今の地上は霊主体従とは真逆の世界です。 
物に心が従属、支配されていると思います。
だから皆が苦しいのだと思います。

ちづちゃんが書いてたこと↓
>毎日、地上的な小さいことにエネルギーをつかい、
どっぷり疲れてしまいます。

というのは皆が実感しているのではないかと思います。
物質系、金銭系のものさしが圧倒的な常識になっているので、
そこでの評価に影響されるのもわかります。
何より、生活して食べていかなくてはならない―。
という縛りがどれほど「心」を奪い押しつぶしてしまうか―。
という思いがあって、私は「霊主体従」かどうかなんてことよりも、
まず、みんなが安心して暮らせる社会、誰も飢えることのない世界を
つくるために具体的に働いていく方がよっぽどいいと思ってきました。
が、それはどっちが先の話ではないのでしょうね。

私たちはまさに、この重たい地上的(物質・金銭系)世界のなかで
魂の学びをしている。
そのためにこの地上に生まれてきているのだと思います。
この重たい世界のなかで、重たい世界だからこそ、
「皆の喜びのために」心を動かすことができたら、
それはどんなに小さくても霊的輝きなのだと思います。

具体的に何がいいのか、何が答えなのかなんてなくて、
その人がその人として
自分の置かれた場で精一杯の心をつくすしかないのだと思っています。
鉄ママが書いていた
>どのような人であろうと、そこに善が存在するのだろうと思います。
ということに共感しました。
誰のなかにも神性が宿っている。その心を信じる。自分の心を信じる。

シルバーバーチが
トマトの種を蒔いてもレタスの芽は出ない。(そんな感じのこと)
と言っていますが、トマトの種を蒔いたらトマトの芽が出る。
いつ出るのか、いつ実がなるのか、わからなくても間違いなくそうなのだと思っています。
魂の永遠性を腹におさめてこの地上を生きていけたら、
もっと皆が生きやすい社会になると思います。

それと気になったのですが、生活やお金のために仕事するのがよくないことだとは思いません。
今の地上では自分の身を養うために必要だし。
それを我よし、自分に集めることだけにしなかったらいいだけだと思います。

07/11/2012(水) 17:33:30

No.10359  さき
Re: 11月7日です 引用
あきどんさん、

飯沼さんの書き込みを読んで、「霊主体従」の霊(心・意識)とは、神に繋がる部分の霊だと気がつきました。
ネガティブな現実を作り出す心は、霊というよりは、‘思考とか感情’で、体に近いのかなと思いました。
人の魂は神の一部であると思いますし、その神に繋がった部分に従い行動できるようにしたいです。

これ、わかりやすい。
なるほどって思いました。

07/11/2012(水) 17:38:29

No.10360  飯沼 E-mail
Re: 11月7日です 引用
浄化・排出の第2弾も、峠を越えました。
頭や顔面の皮膚がピリピリ痛む程度になりました。
まだ不安定なので、今晩あたり痛むかもしれませんが。

しかし、ここを越えれば、今までよりも大きく役に立てるのではないかと思って、薬も最低限にしながら頑張ってきましたが、これで治って今まで通りなら「いったい何なだったんだ!」ですよね。

実は痛みや発熱だけではなくて、そのほかにもいろんな症状や感覚があります。(うまく説明できません)
それらを病院の医師に言えば、医師を混乱させるだけだと思うので、しばらくは病院にはいきません。
自信を持って、自分の体を信じます。

07/11/2012(水) 17:46:41

No.10361  きんもくせい
Re: 11月7日です 引用
飯沼さん、大変だったのですね。
今はいかがでしょうか?
そんな中で引き続き書き込みをしてくださりありがとうございます。

昨日のテーマで私なりに思ったことや感じたことを書かせていただきます。

「霊主体従」、、、
心が主であり、その心を自分にもたらされた日々の生活の中でどう遣っていくか。
自分を振り返ると、結局のところ地上的な常識を軸に言動していたり、また時に人の心を信じ切れていなかったりしています。
そこには自分の自信の無さや、周りからの評価を異常なまでに恐れ自分を守ろうとする愚かさがあります。
地上の出来事や常識に引きづられた自分の気持ちが邪魔をして、霊的真理に基づいた心ではなくなります。
当然、喜びから遠ざかります。
まさに「体主霊従」状態なのだと思います。

しかしそういう状態であっても、目の前に困っている人、苦しんでいる人がいたら、自分にできうる限りの関わりをさせていただきたいとは思うのです。
ただ自分に何が出来るだろうと立ち止まってしまうこともありますし、それこそ祈ることしかできない。と思うこともあります。


私たちが新しいエネルギーを獲得することで、ちぃさんやみさおさんや不安の中におられる人たちのお役に立てるのであれば、頑張らせていただきたいです!
ただ正直、どういう状態が「獲得」でどうすればいいのか良くわかりませんが、
「霊主体従」であれば何も恐れず不安も超えて喜びを引き寄せる。と言うことでしょうか?

私自身は微力で未熟で情けないです。
でも、だからと言って躊躇するのではなく、至らぬ点は改善するよう努力しながら、
自分にも相手にもある心のエネルギーを信じて、
皆が安心して共に喜びの中で生きられるように、心を自分に留めず枠をはずして開放して、それが許されるのなら少しでも自分を役立てられたらと思います。

このたび、飯沼さんに繋がろうと意識すると手がピリピリしてきて、無数のミトコンドリアさんも頑張ってくれているんだなあ、ありがとう。と思っているうちに気がつくと無意識というか何も考えていない状態になっていて、
「あれ、しまった、エネルギーちゃんと送れているのだろうか?」と思うのですが、
ぽ〜っとあたたかくなって何かとてつもなくありがたい気持ちになります。
その後しばらくはほろ酔い気分のようにくら〜っと気持ちがいいです。
それも気のせいか私の思い込みによるものかもしれないので、あまり気にしないでおこうと思っていたのですが、皆さんの書き込みを読んで、やはりエネルギーの影響なのかなと思うようになりました。
そして、たまたまかもしれませんが、家族や知り合いのちょっと嬉しいこともありました。
さきさんが書いておられたように、偶然かも、気のせいかも、でなくて、心のエネルギーが作用することを今さらですが改めて普通に信じたいと思います。

飯沼さんが痛い辛い思いをしてまで教えてくださっていることを真摯に受け止めていきます。
ありがとうございます。

07/11/2012(水) 18:01:17

No.10362  さき
Re: 11月7日です 引用
きんもくせいさん

>私たちが新しいエネルギーを獲得することで、ちぃさんやみさおさんや不安の中におられる人たちのお役に立てるのであれば、頑張らせていただきたいです!
ただ正直、どういう状態が「獲得」でどうすればいいのか良くわかりませんが、
「霊主体従」であれば何も恐れず不安も超えて喜びを引き寄せる。と言うことでしょうか?<

まず、きんもくせいさんご自身が
「死は解放の喜び」だと思えるのかどうか。
わが身に即して考えてみてはどうでしょうか。

07/11/2012(水) 18:46:37

No.10364  きんもくせい
Re: 11月7日です 引用
>まず、きんもくせいさんご自身が
「死は解放の喜び」だと思えるのかどうか。
わが身に即して考えてみてはどうでしょうか。

はい、さきさん、ありがとうございます。
自分のことであれば「死は解放の喜び」なのだと思っています。
でも、自分以外の人たちだったら、決してすんなりとそうは思えません。
自分の父が何度も危篤と言われ、母も号泣する中、いかにあの世が喜びの世界だったとしても、だから良しとはできなかった。
義父も突然旅立ってしまいましたが、
皆、この地上で最後の最後まで喜びを感じて生きてほしい。今回の人生いろいろあったけれど良かった。と思ってほしい。と願いました。
そう思ってもらうために自分にできることは全部やりたいと思い、それなりに必死でした。
でも、誰もがいつかは必ず肉体を捨てて喜びの世界へ旅立つのであれば、それが計らいなら、心から安心して喜びの中で旅立てるようにその時まで寄り添い続けたいと思いました。
自分の中にある気持ち、愛情全てで。

「死は解放の喜び」を腹に据えて恐れることなく不安にも思わず、全てはよきに計らわれることを信じて、ただ良くなってほしい。少しでも多く喜んでほしい。と強く願っていきたいと思います。

お役に立つというのは不遜です。役に立とうが立つまいが、不安でどうしようもない気持ちにとにかく寄り添っていきたいと思っています。

07/11/2012(水) 22:58:09

No.10365  あきら&ひとみ
Re: 11月7日です 引用
こんばんは。

先月の関東定例会からそれまでの生活を少し変えたのですが、そのお陰なのかいろいろ嬉しい事が起こっています。
まあそれは置いといて、霊主体従のある側面としてこの先の事を不安や心配に思う事はないのだということに芯から信じれるようになって、かなり軽やかになれました。
シルバーバーチもそう言ってましたが、霊主体従を心に染み渡らせると不思議とそう信じられます。
勿論苦しいことや辛いことや悲しい事はあるでしょうが、何とかなるだろうなって思います。

心が軽やかになったって言っても、一日中ずっとって訳ではないですけどね。
軸が霊主体従に移ったことで、ベースがしっかりした感じです。

話は変わりますが、何故か頭痛が4日続いてます。

07/11/2012(水) 23:24:31

No.10366  鉄ママ
Re: 11月7日です 引用
小さいころは、心の中に神様がいて必ずそこを指針にしていました。
隠しごとは出来ず、よいことわるいことを照らし合わすのが常でした。
「神様ごめんなさい。」と何回懺悔しょう。
うれしいことや、何かに自分を役立てられたときは、
親が褒めてくれなくても「神様は見ててくれた。」
と納得しました。
どろんこになって遊んで帰る道々、夕焼けがきれいなことに「神様ありがとう。」と感謝し、ダンゴムシやきゃべつにしかみついて葉っぱをかじっているアオムシを「なんて愛おしい。」と思いました。
無機質なものに対しても、擬人化し「待っててね。ごめんね。」
と声をかけていました。
そこらじゅうに感謝と命がありました。

それとは裏腹に、家庭では不調和の風が吹き荒れていました。
環境に恵まれていた訳では決してありませんでした。
年齢を重ねるうちに重苦しい、鉛のような空間を意識せざるおえなくなります。
それは、作り上げられてしまった枠、常識。
上手に生きていくには、ハマらなくては仕方がないと馴染ませることに必死になったことでしょう。

一番身近で思うことは、泰。
目に見えるものだけで判断し、泰を否定してしまいます。
霊的に見たらきっと泰は、私など足元にもおよばないほど
大きな心を持った子なのだと思います。
なのに、この地上での価値観に縛られ彼を決めつけている私がいます。
今の世の中にあきらめがあるからかもしれません。

泰が霊的に生きていくために、その力を発揮出来るように
私は、泰に感謝と祝福を送りたいと思います。
どんなことがあろうと神の懐に抱かれていることを信じて。

泰は、特別支援教室に在籍している子。
回りからみたら、「出来ない子」
でもそれは、地上での今の価値観であって、霊的には彼の可能性は無限なのだと今書き込みをしていて思いました。
私の小さな価値観で泰の可能性を潰してはいけない!と感じています。
今見えているものは本来の泰の姿じゃないといった感覚。

ちょっと頑張ってみます。

08/11/2012(木) 01:35:10

No.10369  それいゆ
Re: 11月7日です 引用
ぬまさん、痛み治まってますか?
なおれなおれチチンプイプイ! 届けますね。

この度のテーマ、日常の生活は大忙しなのに、心を離れることがありません。そして動いていってます。変化というのかな。

シルバーバーチの引用、ありがとうございました。
私たちがどれほどの導きの中にあるかを実感し、涙でした。

エネルギーを送る時、
大いなる霊とつながることをイメージします。
自分を司ってくれているミトコンドリアや細胞にも祝福と感謝の
エネルギーを注ぎます。
その時の自分は何の疑いもなく、信じきっています。
こころの力も、そしてぬまさんとの共鳴もです。

シルバーバーチの言葉を受け止め、信じきれば、
不安や悩みがあったとしても、その先にある真実がわかるのですから、自ずとそれは喜びで向き合うことができるんですよね。

私たちは、ほんの一歩、たった一人の目の前の苦しむ人の心に
心を届けることはずっとしてきたことです。
だからもっともっと輝いていいし、自身を持っていいのです。
自信をもって、その持てる力を発揮しようと意思しようと思いました。

いま、目の前にいる一人の人を守ってあげたいと思っています。
彼女に”私の全部で守るから”とつたえました。
その直後から不安や心配が湧き上がり、右往左往してました。
まだ起きてもいないことを、先取りして心配するという、私の
クセです。
そんな時、思いが通じたのかなあ、、、
彼女を守るというか応援する輪が広がり、それぞれが心を動かし、
もうすぐ小さな奇跡?の”つどい”が開かれます。
心が動くと、物事が動いていく、を実感しています。

死への恐れ、不安をこえていく、、、
65才を迎えている私にとっては、いつ何が起きてもおかしくない
なかでの日々です。
自分の死への不安は薄いかな、、
これは、ここで学びを続けてきたからこそのものです。
むしろ、残される人たちへ”死後の世界”のことを伝えることが
多くなりました。
そして、これからの日々をどう生きるか、ということの方が目下の課題です。

08/11/2012(木) 12:02:46


No.10354 ひがし、、のぶよ  
「いのちというあかり」展 引用
福島の「はもる」でも絵の展示をされているあとりえとおのさんの展覧会が今、兵庫県の姫路市で催されています。
昨日見てきましたが、とてもよい展覧会でしたので、残り期間少ないですが、(もしかしたら期間延長されるかもしれません)ぜひ多くの方に見ていただけたらと思い、お知らせさせていただきます。

「いのちというあかり」
あとりえとおの作品展in姫路
2012年11月1日(木)〜11月11日(日)
10:00〜19:00
ひびき福祉会ギャラリー
兵庫県姫路市飾東町庄227
社会福祉法人 ひびき福祉会
TEL079−252−8488
(ttp://twitpic.com/b6xhjbに紹介載ってます)

*福島原発「事故」を機に立ち上った、
  一人の絵描きが伝える。
  福島の、「声なきいのちの叫び」を。*

07/11/2012(水) 14:18:29


No.10357  飯沼 E-mail
Re: 「いのちというあかり」展 引用
私はこの体調なので行けませんが、行かれた方は画家さんによろしくお伝えください。

07/11/2012(水) 17:30:43

No.10363  のぶよ
Re: 「いのちというあかり」展 引用
飯沼さん、
体調が大変な中、書き込みありがとうございます。

あとりえとおのさんの作品展を、こちらの掲示板でお知らせさせていただいたらもっと多くの方に知っていただけると思い、書き込ませていただきました。

昨日、あとりえとおのさんから、
「福島では飯沼さん、さきさんに、エネルギーを通していただきありがたかったです。お礼に(と言っても不十分ですがと)絵葉書(あとりえとおのさんの絵の絵葉書)を渡してください」とのことで、絵葉書を預かってきました。
今度お会いするとき持っていきますね。

07/11/2012(水) 22:02:59


No.10337 飯沼  E-mail
11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用

皆さん、書き込みありがとうございます。
せっかくの機会ですから、このテーマについて、もっともっとお互いのイメージを出し合って、確立していきましょう。

「霊主体従」とは、「生命の本質は霊(心・意識)であり、肉体は霊の器である」ということです。

もちろん、それだけの意味ではありません。
「物質次元の地上界において、霊的価値観に基づいて生きていくこと、生きていこうとすること」が人間のテーマです。

それは、自分の日々の生き方は物質的価値観にどっぷり浸かったままで、霊的な話に花を咲かせることとは全く違っています。
もっと具体的、現実的なことなのです。

なぜならば、地上とは、心を物質や具体的行動によって表現する世界なのですから。

霊(心・意識)が主であり、体(物質や肉体や形など)が従であるならば、霊的真理(摂理)に基づいた心は、今の地上の常識をはるかに超えて物質や肉体や現実の状況に作用するはずです。
もちろん、全ての結果は地上で完結するものではありません。
地上の結果をすべてのように思い込むのは、まさに「体主霊従」になってしまいます。

しかし、私たちが「霊主体従」の摂理に沿って生きようとし、祈りと願いが融合したエネルギーを強烈に発するならば、今は想像すらできないような喜びの結果を引き寄せることができるのです。

霊の喜びは自分を役立てる喜びです。
人の喜びや皆の喜びが、自分の何よりの喜びになるのです。
そこは皆さん、かなり実感してくれていると思います。
悠々塾の素晴らしさは、まさに神の愛を絆としてつながった仲間たちの心の共鳴にあるのです。

もう一歩、共に進みましょう。

誰もがみな不十分な状態ですから、それを気にしても何も始まりません。
どうしていくのかが大事です。

「霊主体従」の知識の多寡にかかわらず、実際には誰もが「体主霊従」の部分を色濃く有して、日々を生きているはずです。
それが今の常識であるのですから、無理もないことです。
一念発起しても、すぐに全部が「霊主体従」の暮らしに切り替わるとも思えません。
それは仕方がないことでしょう。

しかし、「体主霊従・金銭物質系」を当たり前の常識とすることはもうやめましょう。
「体主霊従・金銭物質系」の価値観を自分の人生の軸にすることからは卒業しましょう。

そのためにも、自分の「体主霊従」の部分を点検し、「霊主体従・生命系」に切り替えていくことが必要です。
分ってはいても今の自分にはできないこともあるでしょう。
それはそれで、自分の宿題として認識していけばよいのです。
いずれ必ず、テーマを超えるための計らいはもたらされるでしょう。


今回のテーマの一つに、「地上的な死への恐れ・不安を超えていく」というものがあります。
それが地上的な治癒の実現のためにいかに重要なものであるかは何度も書きました。

いくら分ってはいても、心の全部で分ろうとしても、当事者にはなかなか重いテーマです。
ちぃさんも葛藤しているでしょうし、みさおさんもまたそうなのではないかと思います。
当事者には当事者として、あらゆる葛藤を超えて、その意識の地平を獲得していただくしかありません。

しかし、私たちは仲間としてつながっているのですから、私たちが「地上的な死はその人が生きる次元を変えることに過ぎず、解放の喜びである」という揺るぎない信念を獲得できれば、ちぃさんやみさおさんにもその絶対安心のエネルギーは伝わっていくはずです。
不安の中で頑張っている仲間のために、私たちが必死になって新しいエネルギーを獲得しようとしてこそ、真の仲間なのだと思うのです。

そのためにも、今の自分の「体主霊従・金銭物質系」の部分を書き出し、具体的にどうしていくことで「霊主体従・生命系」に切り替わると思うかなどについて、お互いに書いていきましょう。

他の人の書き込みを読んで気がついたことや、疑問質問などがあれば、相手のためにもなると思って、遠慮なく書き込んでください。

06/11/2012(火) 10:12:56


No.10339  さき
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
前スレッドに入れた返信をこちらに投稿し直します。

話がそれるかもですが、
言葉は不自由なものだと思っています。
その人が何を言っているのかよりも、その人が何をしているのか。日々どんな言動をして、どんな生き方をしているのかに関心があります。
自分の大切な人が目の前で痛みや苦しみでのたうちまわっている時に、心を揺らさないことが霊的だとは思いません。
自分が伝えているのは「人のために役立つことをしなさい」ということだけだとシルバーバーチは繰り返し言ってます。

私たちは自分の日常や生活のなかで日々「(この場面で)あなたはどうするのですか」と問われているのだと思います。
そこに答えや正解はなくて「その人がどうするのか」しかないと思います。
(物心両面で)自分に集めることより皆の喜びのために、を軸にしていくこと。
物よりもいのちを優先にしていくこと。
日々の選択の軸を少しづつそちらに向けていくこと。
その実践があるだけだと思います。
誰が見ていても見てなくても、評価されようがされまいが、そこで動かした心、そこから発した言動は霊的輝きなのだと思います。
霊的知識とか言わなくても、より霊的に生きている人たちはたくさんいます。

私自身「死は魂の解放」という部分でまだおさまりが悪いですが、
地上的物的価値観に囚われず、霊主体従を知識としてではなく実践として言動にしていく人たちが次々あらわれてきたら、面白いだろうなーと思っています。
霊主体従に具体的なイメージがわきにくいのは、それがこれまで知識としてしか語られてこなかったからでもあると思います。

06/11/2012(火) 10:40:45

No.10341  それいゆ
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
※前スレッドに入れて下さったそれいゆさんの投稿です。
これも今日なのでこちらにも再掲させてもらいます。(さき)


ぬまさん、大変でしたね。元気になって良かった。

伝えたいことや、聞きたいことがあって、書き込みを始めるものの
整理がつかなくなってキャンセルしてました。
言葉に置き換えるのって難しい、、のです。

エネルギーを送る時、
母親が子どもをさすり”てあて”するような感じでした。
いつも左の手のひらに球をのせて円を描くような感じなのですが、今回はその球をはっきり感じました。
エネルギーを送り始めてすぐから軽いめまいが続き、肩こりのない私が首、肩が重く、丸一日寝込んでしまったり、翌日は何事もなかったかのように回復してたりと、少々混乱してました。
久々に頭痛のない朝を迎えました。

>霊主体従の原則をしっかりわが身になじませて、日々をいきて
 いく必要があるのです。このことを自分の意識の中心に据え切る
 ことが何より大事です。
>いずれにしても結果は喜びになることを知っているのですから、
 地上的なことに頓着せず、しかし地上で嬉しい結果を出せばよい
 のです。

ここずっともやもやしていたというか、距離が縮まらない感覚が
が少し解けました。
↑そうはいっても、地上で生きる身には次から次へといろんなことが起き、心に軸足を置いてばかりいられないよ、、難しい、、
荷になっていたかな、、
心に湧き上がるものを”よし”とはしていなっかた。
おおらかに開放する、とは逆向きでした。

話が変わるのですが、、
きのう、研修会があり、居合わせた知り合いとうどん屋さんで昼食をとりました。彼女とはそんなに深い話をする間柄ではないのに、
話の糸口があって、自分がこの半年抱え込んでいた不安や葛藤を聞いてもらいました。そして彼女も苦しい胸の内を話しました。
彼女は長年福祉やボランチィアに携わってきた人なのですが、
どこか押し付けが感じられて、あまり深く付き合うことはありませんでした。
気がついてみれば、気持ちが楽になっていました。
ありのままでいいや、、どうあっても大丈夫、そんな風に思えました。
あらためて、自分もだけれど、人も変わっていくんだと思いました。なにかがとっぱられたようでした。

夕べの9時の共鳴、気持ちの良い開放感を味わいました。
とても嬉しかったです。

06/11/2012(火) 11:40:20

No.10342  三田(代理投稿)
霊主体従、今思う事 引用
大変な御役目、ご苦労様でした。そして有難うございます。
何時も私達の先達として、摂理の具現を身を持って私達に伝えてくれていると思っています。

地上の死は魂の解放だと理解すれば、全てもたらされる事を『それでよろしいのです』と感じられ、自然に受け止めて、心の深い部分で安心しています。
この安心感は、皆さんとの一体感を実感できる様になった事が大きいと思います。
私達は、肉体として生きる前に霊としてあるのだ、という事をとても自然に当然の事と思っています。
この安心感が自信につながり、役だてて貰う為の困難を受け止める事が楽になっていると感じています。
とは言いながら、愚痴ったり、のたうちまわったりと人間らしさも十分にもちながらですが。

今会社からです。
帰りが遅くなりますので、明日迄待てず、長々と書きました。

06/11/2012(火) 11:46:29

No.10343  san
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
体主霊従なところ案外思いつかないです。

俺はここに繋がる前は戦争ゲームしてました。
オンラインですからネットに繋がった人達と戦っていました。
まあ、本当はつい最近までやってたんですけどねw
でもそういう霊的真理を知って考えるうちに
やはりゲームとはいえど意識の奪い合いであることには変わらないと思ったのでいつか辞めなければと頭の片隅にあり、法則を段々と理解できて自分の生活に当てはめていき色々気づいたりして
それがゲームの中での自分の意識について考え始めたのです。
果たしてこの意識は摂理に沿っているのだろうか?
と思うようになりました。そんなとこに焦点があたってしまったので自分のゲームの腕が激しく日に日に衰えたり直ったりと不安定になってしまいました。そこで意識の焦点をどこに合わせるのかで自分の行動に激しく違いが出ることがよく分かりました。
摂理に沿うという意識を出しますと敵に撃ち負けやすくもはや自分で相手に殺されようとしてしまいます。
これではこのゲームで自分は楽しめないと思い無理やり焦点を自分の元々の腕に戻そうとすると負担が結構大きいんで疲れてしまいます。結局摂理にそぐわない行動へと意識を向けると暫く摂理からの視点での幸せが実感できなくなりました。
そうなると色々とネットでサイトを開きもう一回読んだりして思い出そうと努力して思い出すんですが
ゲームでのあの爽快感を思い出してまた闇に染まり光に戻そうと奮闘していつしか最高に幸せを実感できるエネルギーを感じられなくなってしまいました。
そんなことをずっと繰り返していたのですが
11月から本気で辞めようと意思し4日の日に辞めることができましたw
もう絶対あそこには戻らないで、このエネルギーをキープしていきたいと思っています。

今まで話した中でも結構規模が小さくなったかもしれませんが
「意識」とはどこで何をしてても関わることになりますね。
まあ、それもそのはずで「心」こそすべてを創りあげるものですし
光にも闇にも変換できます。

06/11/2012(火) 12:59:23

No.10344  なみ
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
今回、飯沼さんがとても苦しい思いをされて教えてくださったこと(ありがとうございました)、そして掲示板に書かれた飯沼さんの言葉、皆さんの投稿を読ませていただいて、「霊主体従」の意味、イメージが何となくですが少しずつわかってきたような気がします。

でも、では実際に生きていく中で、日常の中で具体的にどうしていくのか?
実際に言動に移せない自分がいます。
いつも何かあると地上的なものにとらわれ、そこから抜け出せず、本来どうすべきかからどんどん離れていってしまいます。
また、「信じ切る」ということがなかなかできません。

最近、自分の評価にとらわれだして、何で?と思うようなやっかいな事が続いています。
何でかなと考えていたら、藍子ちゃんの投稿を読んで、本当にそうだなと思いました。
自分の評価など本当はどうでもよくて、全体がよくなるように動いていけばいいのだなと思いました。
とっても小さなことですが、今の状況を変えていきたいです。

また、さきさんが言われていましたが、誰に見られていなくても、霊的知識を言わなくても、常にみんなのために陰で動いている人が、私の近くにもいます。
私もその人のように自分を役立てていきたいと思いました。

すみません、だんだん何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが、皆さんの投稿でたくさん気づくことがあります。
ありがとうございます。

それから、ちいさんやみさおさんの気持ちを考えると……私もこのエネルギーを獲得できるように頑張りたいと思います。

06/11/2012(火) 14:31:54

No.10346  なみ(代理投稿)
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
母からです。

飯沼さんが苦しい体験をされたこと、言葉で説明できませんが、このことが「霊主体従」だと私なりに思っています。
私たちのためにも大変な思いをされて教えてくださったのだと思っています。
だから、どうしても飯沼さんのエネルギーにつながらせていただきたいと思いました。

いつもエネルギーの実感がなくてわからないと言い続けてきましたので、「飯沼さんのエネルギーにつながらせてください」と願いました。
両手の指先、手のひらがピリピリと痛かったです。
膝の上に置いた左手のひらはずっしりと重く感じました。

エネルギーを送るとき、いまだに「治りなさい」という言葉が使えません。
自分の自信の無さなのだと思うのですが、「どうぞ治りますように」と言い直してしまいます。
つながらせていただいたエネルギーが獲得できるように、誰かの、何かのお役に立っていけるように頑張りたいです。

死への不安は誰もみんな抱いていると思いますが、嬉しいことに私たちは克子さんを知っています。
「それでよろしいのです」、「死は解放の喜び」、「この世に生きることも喜び」ならば、これからは喜びの中でみんなと助け合って生きていくことができたらと思います。

どうぞこれからもご指導よろしくお願いいたします。

06/11/2012(火) 15:09:33

No.10347  さき
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
>不安の中で頑張っている仲間のために、私たちが必死になって新しいエネルギーを獲得しようとしてこそ、真の仲間なのだと思うのです。

本当にそうだと思います。
と同時に私にとってそれは娘との約束なのだと思っています。

なみさんのお母さんの書かれた
↓この境地をわが身になじませていきたいです。
>「それでよろしいのです」、「死は解放の喜び」、「この世に生きることも喜び」ならば、これからは喜びの中でみんなと助け合って生きていくことができたらと思います。<

この前エネルギーを送る時に、ざわつく心がおさまらずに、
自分にとって受け入れにくいことを受け入れようと思いました。
自分の気持ちをないものにせず、でも「それでよろしいのです」と。
もたらされることは全て摂理のなか、全ては喜び。
とは思えないこの地上。
その重たさのなかで、小さなことであってもそれぞれが心をこめて、皆の喜びに心を動かせていった時に、「それでよろしいのです」という言葉に真実が宿っていくって思います。
もう時間ですね。今日もエネルギー共鳴します。

06/11/2012(火) 20:58:49

No.10348  ちづこ
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
霊主体従・・・なんとなくわかっているつもりでも、
もたらされることはすべて摂理のなか、全ては喜び。
(さきさんの書かれた)とは思えません。
毎日、地上的な小さいことにエネルギーをつかい、
どっぷり疲れてしまいます。

自分に自信がないのか、相手の反応を気にします。
喜びよりも、生活・お金のために仕事をしています。
地上的な常識のものさしを捨てきれず、
解放の反対な感じです。

でも、自分を役立てたいし、喜びの中でみんなと繋がり
生きていきたいです。

またまたさきさんの書いてたように
そんな重たさの中で、ちいさなことであっても心をこめて
いきたいです。
皆の喜びに心を動かしていきたいです。
そうしていきます。

飯沼さんのエネルギーに繋がれるように頑張ります。

06/11/2012(火) 22:50:55

No.10349  ひらり
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
なかなか思いが纏まらなくて書き込めませんでした。

飯沼さんと繋がるイメージで夫と共鳴していました。

幼い頃から人が見えないものが見えた事により「見えなくても在る」事が分かっていたので、エネルギーや祈りの力は自然と受け入れてました。高島での合宿以来シンクロも多くなり、今回の共鳴でも繋がり易くなったように思います。(これは皆さんとの共鳴です。飯沼さんのエネルギーに繋がったかどうかは分かりません。)以前からですが、肉体の浮遊感も感じられます。
手が痺れる感じに伴い自分のオーラ(大きな綿で手が包まれてる感じです)で、受け止めてるような重くてしっかりした感じが有ります。この一週間は風邪のような頭痛と咳が続いてます。

夫は一週間程前に不思議な夢を見ています。夢が何度も続きその中で悪い(本人曰くですが)スピリチュアルの人に傾倒するところで、飯沼さんとさきさんが現れてその人は違うと教えてくれたそうです。
夢の最後でこれが悟りか〜、解放か〜と思ったらしくて、起きて直ぐにニコニコしながら話してくれました。本人曰く自分で変わったと思ったけど変化が無いと笑ってましたが、共鳴の時に夫が発光してるのを見ました。なんか周りが白かったんですよね。

話はそれるんですが、小さな子供(7歳位迄ですが)には時間の概念がありません。2,3日前の事でも昨日と言ったりします。時間の概念も365日、一日を24時間と決められてるから私達はそうして地上を生きてるのだと思います。唯ずっと時間は流れていてやがて誰もが地上人生を終えて元の世界に戻って行くのだと思います。
それを喜びだとはなかなか思いにくく、今生での執着ももちろん有り不安や迷いも多いです。が、人は地位や名誉やお金も持っていけません。その時どう心を動かしたか、どう行動したかそれだけが持っていけるものだと思っています。

日々の生活で心が棘だらけになることも多々あります。自分なんかと思うことも多いです。
でも、病を抱えた人に寄り添い癒せるように、新しいエネルギーを獲得して「霊主体従」皆さんと喜びに繋がって生きたいとあらためて感じています。

***話がまとまらなくて申し訳ないのですが、こんな話が普通に出来ることが凄いと思うんです。皆凄いって心から思ってます。***

07/11/2012(水) 00:15:02

No.10350  みゆきん
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
なかなか書き込みできず、すみませんでした。

ぬまさんが体調崩されてからも、
「自分はエネルギー共鳴していても何も感じないし、わからないままやっているし、みんなとは劣っているし、、、」など、この期に及んでまだこういうこと思っていて、本当に踏み込んでエネルギーにつながろうとしていませんでした。
さきさんの書き込みを読んで、エネルギーに対して何も感じられなくてもいいから、ぬまさんにつながりたい、つながらせて下さい、エネルギーを獲得したい、と心から思って、一昨日の夜中、共鳴しました。そのとたん、両腕が熱くなって、手のひらがドクンドクンと脈をうちだし、そのあとしびれていました。このエネルギーってすごいな、って思いました。
昨日、ぬまさんのお家におじゃましていたのですが、ぬまさんが近くにいると、共鳴した時に感じた暑さがもわーっとあって、ぬまさんが何か発してるようでした。手のひらが脈うったり、両肩全体が熱くなったりしました。
夕方から、頭が痛くなりだして、共鳴したり、エネルギーをお兄さんに通してもらった時は、ましになるんですが、痛みはおさまらず、今朝やっとなくなりました。まだ、すっきりとはしていないんですが。。。

自分が体主霊従だと思うところは、
自己否定が強い、他者と比較してしまう、物質・金銭的ものさしで自分のことを劣っている、できていない、ダメ人間と思うところです。人に認められたい、良く思われたい、という気持ちも強いです。
いつのころからか、自分が自然に考えていたり、行動してきたことが、いまの社会ではまったく通用しない、認められない、逃げている(社会的に弱者呼ばれている人たちや困っている人の側に寄り添って生きていきたい、と思っていたのですが、それは自分に能力がないからそこに逃げているんやといわれました。いまだにひきずってるんですね)など、否定されたりして、自分の思うこと、することがばかばかしくなっていきました。認められるようなこと、できないし。自分が心からすること、考えることは、ほぼ人に知られることもないので。
でも、これからはそれが大事なのかな、と書いていて思いました。
散文ですみません。

07/11/2012(水) 08:28:10

No.10351  オレンジ
Re: 11月6日、新しいスレッドにしますね。 引用
私は職場の事を書きます。
職場ではそれぞれが仕事に集中している為にお互いが仕事以外のことで自分がどんな価値観を持っていてどのような考え方をするとか内面的な事を言わないのが常です。なのでちょっとした相手の言動や無言の態度がなぜそうなのかわからずおろおろしたり、気になって仕方なかったり不安になったりします。
しかし、上下関係や諸々の規則の枠の中でお互いやみんなにとっての喜びとは何かを考える時、それは無理があるような気がします。
なかなかみんなにとってのよい形というのがつかめないような気がするからです。

ただ誰かが目の前で困っているのを見た時は何とかできないものかと心を使おうとしますが他部署だとそのままにしています。
自分のカルマがあり、摂理の結果だからこれは全て喜びなのだとはなかなか思えません。だから不安になるのだと思います。
回りに安心できる同僚がいるのだから大丈夫と思えはそれは喜びに繋がるけれどもついつい悪い方向に物事を考えがちになります。
そうなるとはやりお金の為に働いているという気持ちの方が強くなる時も多々あります。
いろいろな事の一つ一つを喜びに繋がる考え方の切り替えが些細な瞬間ごとにできればいいのにと思います。

07/11/2012(水) 10:51:38

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