3日〜4日と篠山で今日は京都に戻りました。 さいこさん、投稿下さった皆さん、ありがとうございます。 ぬまさん、昨日は朝からちょっと喉が痛い、風邪気味かな?と言いながら起きてパンとまゆみさん特製手作りジュースを飲んでました。 少しづつごはんも食べてます。 昨日は少し熱(7度台)もあったようですが、今日は熱もないです。 ゆっくり体を回復させて下さい。
以下、昨日のぬまさんの投稿から再掲。 ****
もたらされることの全ては「摂理の顕れ(神の御心)」ですから、それに対する感謝や畏怖・畏敬の念を込めて、「すべては御心のままに(それでよろしいのです)」、
そして、ちぃさんのお父さんという存在そのものやミトコンドリアたちやガン細胞さんたちに向けても、 「分け隔てのない無条件の感謝と祝福のエネルギー「ありがとう}、
そして摂理が病や苦しみとしてではなく、地上の者にとっても分かりやすい喜びとして顕れるように、 心身共に摂理に沿った根源的な組み換えのエネルギーとして「治りなさい・直りなさい」
何ものにもとらわれず、私たち自身の意識やエネルギーを無限の霊界に解放して、おおらかにいきましょう。
いずれにしても結果は喜びになることを知っているのですから、私たちは地上的な結果に頓着せず、しかし地上で嬉しい結果を出せばよいのです。 |
05/11/2012(月) 15:52:09
No.10328 さき |
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心のエネルギーは目に見えないし言葉にするのも難しいです。 自分なりにイメージしてエネルギーを送っているけれど、本当にそこにつながれているのかよくわからかなくて、、、とある方がおっしゃっていました。 同じように感じている人も多いかもしれないと思いました。
エネルギーの感じ方もそれぞれですし、感じないからつながれていないということでもないです。私も自分の感覚でしかわからないですが、そこにつながろうと意識と心を動かすこと自体が入り口を開くのだと思っています。頭で考えてわかることではないですしね。 今回色んな方がエネルギーを体感したり、これまでの関わりのなかで心のエネルギーの作用を実感されてること興味深いです。 偶然かも、気のせいかも、でなくて「心のエネルギーが作用する」こともひとつの普通になればいいのにと思っています。(危うい思いこみに入りこまなかったら。)
エネルギー獲得に画一的なテキストはないですが、私たちが今こうしてこの場につながっていること自体が、導きと計らいと自らの魂の意志によってあるのだと思います。 実はこれほど確かなテキストはないのではないでしょうか。
私たちがそれぞれに これまでの自分の人生をつうじて身を以って学んできたこと。 かげりを光に、不調和を調和へと心を動かそうとしてきたこと。 そう願って言動してきたこと。 その心、その心のエネルギーは消えることなく 魂に刻まれていくのだと思います。
お一人お一人安易な道ではなかったと思います。 むしろ困難でしにくいことがたくさん設定されていて、 苦しさ、理不尽なこともたくさん味わってこられたと思います。 それでも自分も皆も幸せに、と願うからこそ、 皆さんがこの場につながっているのだと思います。 わかりあえる喜び、心通う喜び、気づきの喜び、 変わることの喜び、役立てることの喜びも知りました。
そういう皆さんだからこそ今ここにつながっています。
>地上の死は魂の解放であること。 >心のエネルギーが心と体に作用すること。
をもういちど 心と体におさめて、 今日も皆さんとエネルギーの共鳴できたらうれしいです。 「霊主体従」。新しい常識です。 |
05/11/2012(月) 18:18:37
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No.10329 飯沼 |
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さきさん、いろいろお世話になりました。 ほんとにありがとうね。
今回の私の症状が始まってから、まだかなりしんどい時から、私は皆さんに向けての書き込みをしてきました。 できるならば、今のエネルギーとテーマをしっかりと共有していただきたかったからです。 それはどうしても必要なことであると私には思えました。
しかし、残念なことですが、私の体調のことを心配してくださる割には、私の問いかけなどに応えてくださる方は少なかったように思います。 心配してくださるのはありがたいのですが、今は私の体調など大したことではないのです。
できればこの掲示板で、「霊主体従」「生命系の復権」ということについて、皆さん方の意見・印象・感想・決意・質問・・・などを書いてくれませんか。 不完全な意見でも、後で訂正することになったとしても、いいじゃないですか。 いろいろとやり取りしていく中でこそ、イメージも固まってくると思うのですが。 |
05/11/2012(月) 21:00:55
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No.10330 みんと |
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「霊主体従」頭では解っても、じゃ実際どうすればいいの? たぶんそんな漠然とした感じではないかと思うのです。
無償の行為とでもいいますか、見返りを求めない行為、人に対して善行がサラーっと出来るということは意味を成してるのではないでしょうか?
大きく的を外してるかもしれませんが ご意見お願いいたします。 |
05/11/2012(月) 22:27:33
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No.10331 san |
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では感覚について書かせてもらいます。 最近瞑想ですかね?まあ目を閉じてエネルギーに満たされようとすると手や足にビリビリとなにか走ったりして 次第にリラックスしていき体全体になにか染みこんで広がっていく感じで自分自身の体という認識が薄くなっていきます。 上下左右というかもうはっきり言ってしまえばエネルギー体の感覚とはこんな感じか?と思うようなものでした。 目を閉じてるんですけど白い光が光っているように感じます。 そこで目を開くとなんかまわりが緑色っぽく見えるんですよ。 真夏の太陽の下での朝礼では貧血になると見えるものすべてが段々と紫に染まっていくんですけどねw 横になりリラックスして体の隅々まで染み渡っていくものは 何かエネルギーを受け取っているんでしょうかね?
そして自分の細胞に無償の愛のエネルギーを送るとなんか白っぽいピンク色がイメージとして現れます。 それをずっと続けているといきなり白い光が急に頭に浸透してきてどこかに行ってしまう感覚がするんです。なんかやはり軽くなるので登ってゆくのかな?と思ったりします。 魂が霊性進化すると軽くなってどんどん浮遊するのかもしれませんね。 地上で死んで体から抜けるときたぶんそんな感じがするんでは? まあそのなんかどこかへ行ってしまいそうになり怖くなり意識の焦点をずらしてしまいました。 そのエネルギーの中にあるうちは非常に安心感がありそして至福のときでした。高次元のエネルギーほど粒子の粒がきめ細かいと聞いたことがあるのでなんとなく分かるんです。肌触り的な感じがw 実際には心の感覚的な魂の感覚で触り心地がいいって感じですかね?わかりませんが 逆に低次元ほどどんよりと重苦しいです。ざらざらしてるわけではありませんww きめ細かいと濃厚な感じがします。こってりとしているわけではなく爽やかな感じです。あと思ったのですが直感とか鋭くなりましたね。直感ほど自分の魂の声だったり他の高次元のエネルギーだったりと何の陰りもないピュアで正しいものですね。魂の自分の感性がまさに直感の中にあるのではないのでしょうか?所謂テレパシーも直感でしょうしそれを信じることで自分のやるべきことが分かってくると思います。
生命系復権については やはり一人ひとりが霊性に目覚め自分の思考、思想を信じることによってすべて現実化するわけであって自分の時々による選択によって世界が変わる、自分たちのエネルギーがまさに世界を作り上げること すべての思いで自分の居場所や出会い、必要なものがシンクロニシティとして顕されるわけでそこで出したエネルギーは自己責任なんだと理解できます。一人ひとりが自分の見る世界を自由に描きそれらが統合して素晴らしい世界が築かれる創造の世界を楽しむことですかね?大自然に囲まれていて自然と共生する社会ですね。 何事にも囚われないで自分の感性を信じまた人を愛し尊重する創造するものは全て自己責任であり、まず自然の法則に反すものは生み出しません。科学技術は今よりももっと優れています。 何故なら宇宙の単純な真理、法則を取り入れれば簡単に夢のようなものが出来上がってしまいます。 高次元の意識になれば皆色々と各種能力が開けてくると思います。 創造の世界ですから直感と波動の受け渡しですかね?それで植物や動物たちと会話を楽しめます。 非常に単純な法則ですから理解すればすごいことができると思います。そこには一切の陰りもありませんし優越感、劣等感などもないはずです。皆友人であり家族です。そして皆一人ひとりが素晴らしい感性を持ち愛や思いやりに満ちています。生命の意識が高ければ高いほどその土地の波動も上り周りは高次元のエネルギーで満たされます。そんな場所に一切の陰りは干渉できません。 「類は友を呼ぶ」それは同じ波動同士やお互い必要である者同士がシンクロニシティの影響で繋がるそれだけの話しですね。 出したものは還ってくるそれだけです。それが宇宙の真理だと思います。霊的意識の高い者たちが集まった世界で戦争など起こりえません。互いに尊重し愛するそして自らが創造主となり永遠の幸せに浸るそれが人間の本当の姿ではないでしょうか? 誰かの言いなりになって自分を押し縮めることでストレスが貯まり自分を制限し相手も制限しているってのはまさに精神界のデフレのようです。幸せは自分が創造するものです。もちろんすべてに感謝するのです。できたことに感謝し謙虚に生きる。 俺はそんな世界を望みます!! ただそれだけです。 生きるとはそういう単純なことで全てに関して幸せを感じることです。
この文章を打ってる途中そのイメージが頭の中に過ぎって最高に幸せでした。暇だったので満足しています。 |
05/11/2012(月) 22:56:00
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No.10332 san |
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ああいい忘れたことがありました。
細胞の中のミトコンドリア達に無償の愛まあ無条件での祝福と感謝を送りますと満足して活発化すると思うので その後の肌はすべすべしてたりします。 だから若さを保ったりと美容的な要素やもちろん健康を保つ秘訣も含んでますね。 |
05/11/2012(月) 23:27:01
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No.10333 あきどん |
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>まずは信じてください。 そして、もうしばらく私とエネルギー的につながろうとしてもらえますか? お陰さまで、体調は驚異的に回復ですから、心配していただく必要はありません。 喜びでつながっていこうとしていただければ、それなりにお互いの調整になると思います。
喜びでつながっていこうとする、ここを改めて読みなるほどと思いました。
これからはもっとそこを意識してエネルギーを送りたいです。
「霊主体従」、頭では理解できても、なかなか日頃の常識が染み付いてるせいか、 私は、正直、心の底からは信じきれないのが実情のような気がします。でも一生懸命信じられるように努めているという感じです。そのようになりたいです。 |
05/11/2012(月) 23:56:38
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No.10334 ちぃ |
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食事もできておられているとのこと、良かったです! 引き続きエネルギーを送ります。
なのですが、分からないというのが正直な気持ちです。 みんとさんも書かれていますが、霊主体従、霊的に生きるというのが 感覚として分からないというのか、具体的にどうしていけば良いのか分からず、 心にストンと落ちないでいます。
にぃくんとも相談していますが、頭で色々考えても分からないので、 とにかくヌマのエネルギーに繋がりたいと思っていました。 とはいえ気持ちをしっかり添わせてこそダウンロード出来ると思うので、 エネルギーを送る前、克子さんや霊医さん、皆さんと繋がる時に、 にぃくんは神様としっかり繋がって、私は「死は解放の喜び」をお腹に落とせるように意識しています。 にぃくんは神様が苦手で(苦笑)、私は死に対して恐れがあるからです。 よって、お互い苦手とするところを補強してから、エネルギーを送ったりヌマと繋がるようにしています。
ヌマにドーンと繋がるよう意識した日は、共鳴中は基本静かにしてる犬猫たちが、一斉にドーンと走り出しました。 そしてにぃくんは手がピリピリし、私はその日の夜中にトイレで3回起きて、翌日夜は寝汗をかきました。 以降、エネルギーを送ると左手だけ熱くなったりエネルギーが出てるような感覚があります。 でも、これで良いのかな?しっかり繋がれてるかな?と思ってしまうので、 まだ心の底から信じ切れていないのだと思います。
>地上の死は魂の解放であること。 >心のエネルギーが心と体に作用すること。
しっかりと自分の軸にしたいです。 このエネルギーを獲得し、父を治し、人も動物も植物も、全ての生命を癒せるヒーラーになりたいです。
父のこと、皆さん本当にありがとうございます。 父は元気にしています。 |
06/11/2012(火) 00:45:40
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No.10335 鉄ママ |
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しばらく前からふうちゃんの調子が悪いとのこと、 9時の共鳴にあわせて、ふうちゃんにエネルギーを送りました。 いつもエネルギーを送るときは、手がピリピリするのですが 今日は、ふわーっとあたたかくなりました。 そのあと、鉄が「エネルギーを送るときは、少し強引な感じで治れと意識する。」と言っていました。
私たちは地上に生きる人間ですが、地上に再生するまでは霊界にありました。 霊界での記憶はありませんが、意思を持って生まれてきました。 地上で成すべきこと、 神の御霊、意思を持って。 どのような人であろうと、そこに善が存在するのだろうと思います。 その善を信じる。 私の善、あなたの善。(神の御霊=善) どうしようもない重苦しいものに悩まされる毎日、世の中 人生ですが、神の大きな愛を信じきることなのかなと思います。 |
06/11/2012(火) 01:49:15
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No.10336 藍子 |
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昨夜ちょっと考えたのですが。
今生きてる人生に、地上的なライン(地上的な常識、身分、評価、物質系)で観る人生と、霊的なライン(魂の意思、使命、働き、生命系)でみる人生がある気がします。
たとえば私の場合でいうと、ライブ前はとても緊張します。ミスしたらどうしよう、どういう評価をもらえるだろう、、、というふうに。それは地上的なラインで物事をみて、人生を生きてる場合です。
でも、たとえば同じライブ前でも、よしこの音楽で人々を癒すぞ、このエネルギーを放出しよう、、、という気持ちでいるときは、霊的なラインで物事を見ているのだと思います。地上的な評価や失敗にとらわれず、生まれる前からのまっすぐとひかれた一本の道を歩む道程かのように。
日々の生活でも同じで、私にはいつも地上的なラインと霊的なラインがあることを知ってはいて、でも霊的なラインはだいたい頭の上のほうにあり、歩んでいるのはほぼ地上的なラインのような、、気がしています。
で、霊主体従、新しい常識、というヌマさんの言葉で、ああこっちの頭の上のラインの方を自分の歩む道、自分の常識、にしていくのだな。こっちをベースにするのだな、と思いました。
ただ、それができてるかというと、意識したら頭でそのラインを呼び寄せる、という感じで、まだまだ足元のそのラインがきている気がしません。
ただ、きっとそういうことなのだろうと思っています。自分のイメージで話してるので、わかりにくかったり、違っていたらすみません。
霊的なラインで物事をみると、地上的なとらわれに、自分がいかにとらわれて不自由してるかわかります。自由になりたい、自由になりたいと私は日ごろからよくおもうのですが、私のその欲求は、まさに地上的なライン、この自分の足元にある道から抜け出し、頭の上に燦々と広がるもうひとつの道を歩みたいという欲求なのだと、今、書きながら、思っています。
どんどん、手放して、自由になりたいです。 |
06/11/2012(火) 08:40:45
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No.10338 さき |
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話がそれるかもですが、 言葉は不自由なものだと思っています。 その人が何を言っているのかよりも、その人が何をしているのか。日々どんな言動をして、どんな生き方をしているのかに関心があります。 自分の大切な人が目の前で痛みや苦しみでのたうちまわっている時に、心を揺らさないことが霊的だとは思いません。 自分が伝えているのは「人のために役立つことをしなさい」ということだけだとシルバーバーチは繰り返し言ってます。
私たちは自分の日常や生活のなかで日々「(この場面で)あなたはどうするのですか」と問われているのだと思います。 そこに答えや正解はなくて「その人がどうするのか」しかないと思います。 (物心両面で)自分に集めることより皆の喜びのために、を軸にしていくこと。 物よりもいのちを優先にしていくこと。 日々の選択の軸を少しづつそちらに向けていくこと。 その実践があるだけだと思います。 誰が見ていても見てなくても、評価されようがされまいが、そこで動かした心、そこから発した言動は霊的輝きなのだと思います。 霊的知識とか言わなくても、より霊的に生きている人たちはたくさんいます。
私自身「死は魂の解放」という部分でまだおさまりが悪いですが、 地上的物的価値観に囚われず、霊主体従を知識としてではなく実践として言動にしていく人たちが次々あらわれてきたら、面白いだろうなーと思っています。 霊主体従に具体的なイメージがわきにくいのは、それがこれまで知識としてしか語られてこなかったからでもあると思います。 |
06/11/2012(火) 10:24:07
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No.10340 それいゆ |
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ぬまさん、大変でしたね。元気になって良かった。
伝えたいことや、聞きたいことがあって、書き込みを始めるものの 整理がつかなくなってキャンセルしてました。 言葉に置き換えるのって難しい、、のです。
エネルギーを送る時、 母親が子どもをさすり”てあて”するような感じでした。 いつも左の手のひらに球をのせて円を描くような感じなのですが、今回はその球をはっきり感じました。 エネルギーを送り始めてすぐから軽いめまいが続き、肩こりのない私が首、肩が重く、丸一日寝込んでしまったり、翌日は何事もなかったかのように回復してたりと、少々混乱してました。 久々に頭痛のない朝を迎えました。
>霊主体従の原則をしっかりわが身になじませて、日々をいきて いく必要があるのです。このことを自分の意識の中心に据え切る ことが何より大事です。 >いずれにしても結果は喜びになることを知っているのですから、 地上的なことに頓着せず、しかし地上で嬉しい結果を出せばよい のです。
ここずっともやもやしていたというか、距離が縮まらない感覚が が少し解けました。 ↑そうはいっても、地上で生きる身には次から次へといろんなことが起き、心に軸足を置いてばかりいられないよ、、難しい、、 荷になっていたかな、、 心に湧き上がるものを”よし”とはしていなっかた。 おおらかに開放する、とは逆向きでした。
話が変わるのですが、、 きのう、研修会があり、居合わせた知り合いとうどん屋さんで昼食をとりました。彼女とはそんなに深い話をする間柄ではないのに、 話の糸口があって、自分がこの半年抱え込んでいた不安や葛藤を聞いてもらいました。そして彼女も苦しい胸の内を話しました。 彼女は長年福祉やボランチィアに携わってきた人なのですが、 どこか押し付けが感じられて、あまり深く付き合うことはありませんでした。 気がついてみれば、気持ちが楽になっていました。 ありのままでいいや、、どうあっても大丈夫、そんな風に思えました。 あらためて、自分もだけれど、人も変わっていくんだと思いました。なにかがとっぱられたようでした。
夕べの9時の共鳴、気持ちの良い開放感を味わいました。 とても嬉しかったです。 |
06/11/2012(火) 11:01:01
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