おはようございます。
昨夜は少し油っこいもの(カキフライ)を食べたせいか、背中(胆嚢の裏あたり)が少し引きつっています。 もうほとんど普通に動いているのですが、何となくフラフラするというのか、雲の上を歩いているような感じがします。
皆さんの書き込み、嬉しく読ませていただいています。 鉄ファミリーとちづちゃんの働き、とても心強く思います。 まさに「いのちはひとつらなり」の、北陸の拠点ですね。
昨日引用した「背後霊の援助」の話、しっかりと確認しておく必要がありそうです。 以下は、一般論としてお読みください。
背後霊が援助するのは、あくまでも「霊的価値観」に基づいてのことです。 背後霊は決して単なる「幸運」や「現世利益」をもたらす存在ではありません。 その人にとって都合がよいように計らってくれるのではなく、その人の霊性が顕現されるように計らってくれるのです。
お金のことについての計らいも、「お金が足りなければ工面してあげます。せっかくの奇特な行為のチャンスが資金がないために失われるようなことには決してなりません。」が基本です。
もちろん、そういう場合ではなくても、「計らわれ、守られている」と感じることも少なくないでしょう。(実は、遠隔ヒーリングの依頼者からそういう話をしばしば聞きます) そういう場合は、「このように計らわれ、助けられた者として、自分はどうしていくのか?」が問われていると考えるべきなのです。
そこで、自分の都合や自分の喜びを軸にしたままでいれば、金銭・財産を失い、あるいは金銭は持っていても人間として少しも幸せになれないような計らい(埋め合わせ)がもたらされるのです。 (今がどうであれ、この先いつ何が起きるかなど、誰にも分かりません。しかし、もたらされることの全ては摂理を軸としたものなのてです。) あるいは、地上を去ってからの行く先や来世の自分の人生が決められていくのです。
いたるところ不調和があふれかえっている地上という未熟な物質界で、自分を縮めることなく、おおらかに自分を役立てていくことが、皆に共通のテーマなのです。 |
15/11/2012(木) 10:05:14
| No.10440 飯沼 |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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シルバーバーチの霊訓(7) 6章(わが子に先立たれた二組の夫婦と語る)
地上の人々が霊的な摂理を理解し、内部に具わっている霊的資質が自然に発揮されるような自然な生活を送れば、二つの世界の間にかかっているベールが突き破られ、すべての障害が撤去されることでしょう。その障害はことごとく人間の無知と迷信と偏見とによってこしらえられたものばかりなのです。言うなれば闇の勢力です。ぜひとも打ち破って、愛と力と導きと光明がふんだんに地上へ届けられるようにしなければなりません。
私がいつも知識の普及を口にするのはそのためです。霊的知識こそが、みずからを閉じ込めている牢獄から魂を解放する大きな力となるのです。自由という名の陽光の中で生きるべきでありながら暗い魂の牢獄の中で暮らしている人が多すぎます。
あなたもその仕事に参加できます。知識を伝達する機関(新聞社)にお勤めだからです。地上生活の総決算をする時がきたとき、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。そのときの判決の基準は地上で何を考えたかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。
私が説いているのは??人のために?≠ニいう福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。改めて説くのもおかしいくらい当たり前のことなのです。ですが、やはり真実です。地上世界は単純さという本通りから外れて、ややこしい複雑な脇道に迷い込んでおります。あまりに複雑なものに惑わされて単純な真理が受け入れられなくなっている精神構造の人が大勢います。ですが、単純な真理は単純であるがゆえにこそ強いのです。」
続いて霊界の息子さんのことについて奥さんにこう語った。
「そのうちお子さんは新しい世界で発見したことが伝えられるようになって、奥さんはその驚異に満ちた話に圧倒されることでしょう。
ですが、その前にどうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。
あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです。もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。
あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触ってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。
死は生命に対してまったく無力なのです。生命はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近かな存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。
なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界のすばらしい壮観がごらんになれないからです。しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をごらんになり、人生には完璧な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。
私も何とか力になってあげたいと思っているのですが、そのためには、あなたと私とは同じ人生を二つの異なった角度から眺めていることを忘れてはなりません」
ご主人から地上の人間としての心掛けについて問われて――
「私に言わせればそれは至って簡単なことであり、なぜ地上の人間がそれを難しく考えるのか理解に苦しみます。あなたも他のすべての人間と同様に、為すべき何らかの仕事があってこの物質界に誕生してこられたのです。ときには内省の時をもって、果たしてこれが自分にとっての本当の仕事なのだろうか、世の中を啓発する上で少しでも役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、獲得した霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるだろうか――正直に自分にそう問いかけてみることです。そうすればおのずと答えが出てまいります。
それだけでいいのです。自分に正直になり、最善を尽くす――それだけでいいのです。宗教的信条や教義などは必要ないのです。自分はいま何を為すべきかを素直に認識するだけでいいのです。その心掛けを日常生活で徹底させれば、決して道を誤ることはありません。この物質界に誕生してきた目的を成就させていることになるのです。
私たち霊界の者の目には、本当は存在してはならない暗闇の中で生きている何億、何十億とも知れぬ神の子の姿が見えます。荒れ果てたみじめな家屋で渇きに苦しみながら、生得の権利であり神からの遺産であるところの??魂の自由?≠?奪われた生活を送っております。
その一方には、己の飽くなき貪欲を満たさんがためにそうした無数の同胞を虐げつづけることに知恵をしぼっている者もいます。そこで私は霊性に目覚めた方々に申し上げるのです――勇気をもって闘いなさい。あらゆる不正、あらゆる闇、あらゆる横暴、あらゆる不公平と闘いなさい。その人の背後には人間的煩悩から解放された霊の大軍が控え、鼓舞し援助し、決して見捨てるようなことはいたしません、と。
これが知識を伝達する手段をお持ちの方に私からお願いしていることです。私の言わんとしていることがお分かりですね。為さねばならないことが沢山あります。あなたも含めて、死後存続の確証を得たいと望んでおられる方に申し上げたいのは、(確証はおろか)霊的知識にめぐり合う機会すら得られない人が無数にいるということです。
あなたも私たちと同じ視野に立って地上世界をごらんになることです。そうした無数の人たちが、いずこへ向かうべきかも分からぬまま、疑念と不安を抱きつつ狼狽し、途方に暮れた生活を送っております。道を見失っております。と言って、永年にわたって権威があるかに思ってきた宗教はもはや信じられなくなっております。暗中模索と挫折のくり返しです。
そこで私たちは考えたのです――よい道具(霊媒・霊能者)さえ用意できれば安心と確信と自信を生み出す知識の光をふんだんに地上へもたらすことができるであろう。そして神が意図された通りの生き方、つまり平和と協調と愛にあふれた生活ができ、神の一部としての霊性が要求するところのものを追求することに謹むことになるであろう、と」 |
15/11/2012(木) 10:54:40
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| No.10441 飯沼 |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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| 「シルバーバーチの霊訓」の引用、ぜひともしっかり読んでくださいね。 |
15/11/2012(木) 10:57:39
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| No.10442 エーチャン |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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ちょっと情けない投稿をします。
私の場合、どうしても人からどう見られるか、人にどう思われるか、という悪い癖から脱却できません。たとえば、この掲示板に投稿する際も、「こう書くとどう思われるだろう」、「変な人間だと思われないだろうか」などとそちらの方にエネルギーが向かってしまい、馬鹿なことをしていると思いながらどうしようもありません。
振り返ると、子ども時代からずっと同じパターンが続いています。いい加減に乗り越えたいと思うし、「乗り越えた」と思えるときもあるのですが、すぐに元のパターンに戻って人の視線が気になってしまう、癖を直すのは本当に難しいものです。でも忍耐だけはあると思うので、何度でも何度でも挑み続けたいと思います。何でもいいから、ほんの些細なことでもいいから役立てる人間になりたいです。 |
15/11/2012(木) 18:44:08
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| No.10443 さき |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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ぬまさん カキフライのその後、大丈夫でしたか。 油ものはまだ体に負担がかかるのでしょうね。 気をつけて下さいね。
エーチャンさん どう思われるかとか、変に思われないかとか、、 皆さん多少なりともあるんじゃないでしょうか。 書いていただいたことが皆さんの役に立っていると思います。 今のテーマは自分を内省させられます。 皆さん自分を振り返って考えておられるのだろうなーと思います。 シルバーバーチの言葉はズドンと入ってきます。 が、それを自分のなかに血肉化していくのは簡単じゃないですね。 この場でその機会を頂いていると思います。 |
16/11/2012(金) 10:34:35
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| No.10444 さき |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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>あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。<
シルバーバーチの言葉はズドンと入ってくると書きましたが、 この部分だけは抵抗があって、 言ってることはわかるけど「簡単に言うなよ」って思います。 地上の人間には地上の人間の気持ちがあって、 地上の人間ならではの愛情の交わし方や表現があって、 それはやっぱり愛しいし大切だし尊いものなんです。 シルバーバーチがそんな地上の人間ならではの愛情の形を否定しているとは思いません。 (それは「利己主義」だとも言ってますけどね)
「死は解放の喜び」とか「それでよろしいのです」 という達観した境地があるんじゃなくて、 それが地上の実践のなかでずっと問われるのだと思います。 そのなかでだんだんそれが「知識」でなく、自分の生き方・思想になっていくのではないかと思っています。 |
16/11/2012(金) 11:39:04
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| No.10445 さき |
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| Re: 11月15日。そんなに寒くないですね。 |
引用 |
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10374につまきさんがお母さんのことを書いてた言葉を何度も繰り返して読んでしまいまいた。以下。
恐ろしさ、哀しさの分、愛されていた、愛していたというのも知っていました。もっと幸せに健やかに生きていてほしかった願いもあって。 「死は解放の喜び」だからといってあまりにも哀しすぎる死ではないかと個人的によく思ってはいました。「なんで?」って。 すべては摂理によって営まれてることの一つであること、旅立った人への死に対する涙、悲しみ、嘆きとは愛の繋がり=そのものが喜びなんだと思います。命はひとつらなりだから、人も物もあまねくものが今を健やかであること、今を喜べるように心を形にしていくことが自分もみんなも物も喜べることなんだと思います。
物質的なものへの囚われによって使うエネルギーを、「霊主体従」のエネルギーへと変えていけたら、連なる喜びに広がって、たとえば大切な人たちへの愛情や心の通い合いに注げて、いつか大切な人たちが先に旅立つことになったとき、離れることがあって哀しくてもまた違う心持ちで霊界に見送ることができるのではないかと思いました。哀しいだけではなくって、悼むだけではなく、待っててねとか、人生全うするまで頑張るよとかが感謝の気持ちでネガティブな気持ちが薄くなるような気がしました。 |
16/11/2012(金) 12:01:32
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