関東定例会のお知らせです。
日時 10月20日(土)
14時から17時まで(受付13時30分から)
場所 志木市民会館パルシティ 104号室(最寄り駅 東武東上線志木駅) 埼玉県志木市本町1-11-50
参加費 1500円
今週末です。遠方から参加の方、気をつけていらしてください。 関東定例会終了後、交流会もあります。 |
17/10/2012(水) 21:56:27
| No.10177 飯沼 |
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明日は関東定例会です。
今回の関東定例会では、「愛は時空を超えて」でも語られている、「異質なものの(喜びによる)融合」と、「物質や肉体に対する心のエネルギーの圧倒的優位性(つまり、心のエネルギーによって嬉しい現実は作り上げていくことができる)」ということをテーマにします。
今の段階でこれを言葉にするのは非常に難しいので、今回はメッセージは受信しません。 「愛は時空を超えて」では、「愛情と憎悪」という例を挙げましたが、「異質なものの融合」ということについても、皆さんとお話ししたいと思います。
私自身がこのエネルギーに関してまだまだ未完成なので、どこまで話せるか、どこまで共有できるかは分りませんが、ヒーリングの実習にも時間を取りたいと思っています。 私としては、2007年2月の「愛は時空を超えて」で克から伝えられた大きなテーマが成就しかけているような気がして、力強い感動のなかにいます。 まだまだ未完成ではありますが、意識もエネルギーもできる限りお伝えし、皆さんと共有したいと思っています。 |
19/10/2012(金) 10:48:49
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| No.10178 飯沼 |
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★さきさんのコメント、この欄に移動しておきます。
テーマになっている「異質なものの融合」 なんとなくつかめるのですが言葉にしにくいです。 読み直しててこの部分↓が心にとまりました。
>・・真理とはシンプルなものです。 >難しく考える必要もないのですし、難しく考えたからといって >身に付くエネルギーではありません。 >その意味では、霊的喜びを主として地上的喜びを融合させれば、 >誰にでも発することのできるエネルギーなのです。
瞬時に「治す、直す」ことのできるエネルギー。 それは誰にでも発することのできるエネルギーなのでしょう。
人間ってのは霊的存在であるのですから。 それを知識としてではなく知ってしまえば簡単なことなんだと思います。 この場の皆さんはそれを身を以て知ってきたと思うから。 新しい地上の人間のあり方の先駆けとなってそれを示していく。 役割があるのかもしれませんね。
宗教ではないけれどある種宗教的な環境で生まれ育ちました。 「それでよろしいのです」 こういうフレーズは大嫌い!!!でした。 またよく使われるんですよね。 信じれば救われる、みたいなね。 こうした宗教的なフレーズが現状肯定、支配するものにとって都合のいいように使われることが我慢ならずに反発してきました。 私はあなた方の思いどおりにはならない、たとえ救われなくても、たとえ異端のレッテルを貼られて路上に倒れても、私はとことん地上の人間として生きたいと決めた時期があります。 (ちょっと若さ故の勢いもあったけど) だって、実際に今も戦火のなかで倒れている人がいるのに、飽食の一方で貧困による飢えや病気で生きることを奪われている人たちがいるのに、 「それでよろしいのです」 なんて言えない、言いたくない。 まず人間としてやれることをやってからだろ、ってずっと思ってきました。 もちろん当時、人間は死んだら終わりだと思ってましたが。 それが悠々塾に出会って、、今ここにいることに意味があるのでしょうね。
皆さんそれぞれの道筋は違うけれど、 今ここにいること、つながっていることに意味があるんだと思います。 一緒にその意味を考えていきたいです。 |
19/10/2012(金) 10:50:56
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| No.10179 飯沼 |
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★長いですが、これも再掲載しておきます。 特に後半をお読みください。
愛は時空を越えて 26
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼) おぅい、クゥ。 こんばんは。
克子) はぁい、まーたん。 こんばんは。
飯) 今日はアドバイスというか、確認したいことがあってね。 それで最近には珍しく、「天地悠々」の締め切り前の受信になったんだ(笑)
克) はいはい、分かっていますよ。
それ以前に、あなたの傾向や癖もこちらでは全部把握した上ですからね(笑) 守護霊様や主な指導霊の皆さん方は、受け持ちの対象が誰であっても、その人の全ての情報を把握しています。 その人の過去世のことから今回の人生で身につけてきた癖までも、全部のことを織り込み済みで関わるのです。 こちらからの関わりの目的はその人の霊性進化と貢献です。 それは言葉を換えて言えば、過去世よりもさらに人として優しく、人として正しくというラインに沿って物事を受け止め、考え、思い、言動で表現できるようにということです。 地上でそれを成し遂げることが人生の目的でもありますから、そのためにさまざまな機会が設定されています。
世間的にはたいしたことではなくても、その人にとっては死後に赴く境涯を決定づけるような大きな意味を持つトラブルや出来事もありますね。 人間はやはり弱い存在ですから、その人にとっての課題を越えるための大きな節目で躓いてしまうと、そういう自分を正当化するためにさらに心をかげらせていってしまうことがとても多いのです。 せっかくのカルマ解消の機会を逸するだけではなく、その後の大きな喜びを手にし損ねるだけでなく、さらに過ちを重ねてしまうのです。 そしてそういう人でも、本当はどうするべきだったかを心のどこかで知っているのですから、逆に自分を守ろうとして重ねた過ちにさらに過ちを重ねていくのです。
こちらからはそうならないように導こうとし、さまざまな計らいもして、その人が本来の心を表現できるように愛念を送るのです。 過ちを重ねる人でも、何度も「これではいけない」と思うことがあるはずなのですが、最終的には本人の自由意志による選択に委ねるしかありません。
誰にとってもカルマ絡みの課題ですから、そうたやすくは越えられないのは致し方ありません。 その人はその人で今生でも傷つきもしてきたのです。 そういう中で自分の課題を越えることが本人にとってはいかに大変なことであるか、地上の私も身をもって経験させていただきました。 私の課題は「自分を開き切り、与えつくす」というものでしたが、あなただけにしかそうできなかったのです。 でも、越えようとして挑み続けて越えることができなかったのと、挑むことすら放棄してしまうことでは全く意味が違っています。 制限時間内にゴールできないことと、コースを離れてとりあえず自分が楽なところに留まることが全く違っているように、です。
こちらからは全てを把握した上で、ここぞという場面ではたくさんの霊たちが連携して事に当たるのですが、それでも本人の自由意志をこちらの思い通りにすることはいたしません。 地上人生はあくまで本人の意志と責任で生きるものだからです。 人生の課題ですからそうたやすく越えられないにしても、ほとんどの人の場合は大事な場面で意志の力を高めてくれさえすれば必ず越えることのできる程度に設定されているのに、その機会を逸してしまう人が多いことはやはり寂しいものです。 その後、さらに心をかげらせて、歪んだ自分の世界を守ることに心血を注ぐ様子はお気の毒としか言いようがありません。 いずれ全て自分でやり直さねばならないのですから・・・。
飯) えーと、今日はそういう話のつもりじゃなかったんだけどね。
克) もちろん分かっているわよ(笑) でも、あなたが今日話題にしたいことも、こちらではあなたのことを全て把握した上でその話題があなたの意識に上るように計らったまでのことなのですよ。 あなたの場合は、ほとんどのことで期待通りにこちらからの計らいに反応してくれるから、「その意味では素直でよろしい」とこちらの皆さんはおっしゃっています(笑) まあ、期待通りの反応といっても、知的なことに関してだけだけどね。 私があれほど「趣味を持つように。運動するように」って伝えても、未だに言うことを聞いてくれないし・・・。 あらあら、お小言を言ってるみたいに聞こえるわね(笑)
こういう話をしたもうひとつの理由はあなたにではなくて、今、私からのこの話を読んでほしい人がいるからでもあるの。 私個人としての願いからも、本来のその人の心に立ち戻ってほしい人がいるのよ。 今の苦しさや過ちもその人の成長の機会としてもたらされたものなのだから、その機会を逸してほしくないのです。 なぜなら、その人の心の状態がいかなるものであっても、霊界の住人となった私のその人に対する愛念は薄らぐどころか、抱きしめてあげたくなるばかりなのですから。
飯) 了解しましたよ。 僕は地上のお前と違って素直だからね。 ずいぶん扱いやすい道具だろうよ(笑)
克) だから、「知的なことに関しては」って言っているじゃないですか。 私が地上にいた頃から、霊界側ではあなたの知的好奇心を喚起する作戦(笑)であなたをこういう世界につなげていったみたいですよ。 あなたは「本当のもの」を求めるエネルギーが強いし、それに関しては(も?)妥協しない人ですからね。 まあ、初期の受信の頃はその知的好奇心が受信の妨げになって、よく霊団から叱られていたけれど(笑)
飯) ははは、そうだったね。 お前が筆記している途中でも「それはどういう意味ですか?」なんて口を挟んで、まるで議論を吹っかけるようなところがあったからね。 「検証は受信が終わってから気が済むまですればよろしい。しかし、受信の時はそれにエネルギーを集中するように」なんて言われたりしてたね(笑)
克) そうですよ。 受信の内容に納得できずに、夜中に大声で霊団に食って掛かったりね。 まるで受信してる私が怒られてるみたいで、それでも霊団からの回答を筆記するのが大変だった。 議論の途中であなたが言おうとしたことの回答が言う前に伝えられて、そっと、でも素早く書いたこともありましたね。 あの時はちょっと怖かったけれど、それ以上に「勝負あり」って感じで面白かった。 急におとなしくなったあなたを可愛いと思いましたよ(笑) 「この人は納得できなければ決して妥協はしないけど、本当のことに対してとても謙虚で素直な人なんだ」って思ったもの。
はい、というところで、あなたからの今日のご質問にお答えしますわよ(笑)
飯) なるほど、そうくるわけだ(笑) なんかシャクだけど、話していくね。
この前、なぜだか思い出せないんだけど、僕はある人の名前でインターネットの検索をかけたんだ。 その人は外国の超有名な「聖者」で、信者からは神の化身とまで言われていた人だった。 その人が日本でも大きく話題になっていた頃から、僕はその人の波動を感じて肯定的な印象は持てなかった。 でも僕の周囲にもその人に傾倒する人はいて、よく話題になっていた。
その後、その人のことは日本ではあまり取り上げられなくなって、僕も関心がないまま何年も過ぎたのに、この前、何を思ったのか検索していたんだ。 まあ、どうせそれもそちらからのインスピレーションなんだろうけどね。
どうやらその人はさまざまなインチキや、それ以上の人間としての大きな問題(犯罪的な)が明らかになって、実情を知った心ある人たちの多くが離れていったようだった。 その人がそこまでのことをしていたということは意外だったけど、まあ、何かあるだろうとは思っていたから大きな違和感はなかった。 僕は最初からその人のことを神の化身だなどとは思ってなかったんだし、それが明らかになっただけの話だからそれはそれで納得できた。
僕が「ん?」と思ったのは、たとえばその人の写真を飾っていたら、その写真が金粉で覆われていたなんていう話が、当時はザラにあったことなんだ。 僕の知り合いの家に飾っていた写真からも金粉が物質化していたっていう話も聞いた。 その知り合いは嘘を言うような人じゃなかったし、そのほかにも実際に病気が治ったりした人の話も珍しくなかったんだ。 この前、僕が見たサイトでは、その人はすでにその「聖者」への帰依からは目覚めているんだけど、その人の友人はその「聖者」に出会った後、子供の頃からあったかなり大きな痣が二つとも消えたという紛れもない事実は動かないと書いてあった。
いわゆる「邪霊」でも病気治しはするし、物質化などは低級霊のほうが得意だという話は僕も知っているから、その「聖者」のこともそういう解釈もできるとは思う。 でも、そういうラインからだけの解釈ではどうも不十分なんじゃないかという気がするんだ。 分かってるとは思うけど、今言っているのは「高級霊が低級霊を使って物資化現象を起こす」ということとも全く別のラインでのことだからね。
克) はいはい、もちろん分かっていますよ。 あなたが私に何を確かめたいのかもね(笑) あなたはその「聖者」を信奉する人に起きた「奇跡」は、その「聖者」のエネルギーではなく、信奉していた人自身のエネルギーによって起きたものもあるのではないか、と言いたいのでしょう?
飯) そうなんだ。 それが高級霊であれ低級霊であれ、その「聖者」につながる霊たちがなした「奇跡現象」もあるんだろうし、信奉者につながる霊たちが起こした「奇跡現象」もあるんだとは思うんだ。 そういうことはその「聖者」やその信者に限ったことではなく、巷の宗教や霊能者絡みでよく耳にする現象だしね。 でも、それら全てが幽界や霊界側が起こしたものという解釈でいいのかどうかなんだよ。 なんか、言葉で説明するのはまどろっこしいからお前に任せるよ(笑)
克) まぁ、こういうことでは相変わらずせっかちだこと(笑)
あなたが確認したいことは、「霊が介在しなくても奇跡的な治癒や物質化現象は起きるのではないか?」ということですね。
その答えはもちろん、「YES」です。
物質化に関しては、霊界では思念が全てのものを作り出しているのだということを思い出してください。 病に関しては、さまざまな原因がありますから一概には言えませんが、それでもやはり「YES」ですよ。
地上においても意念や想念の力は、あなたがたの想像以上に大きいのです。 地上の人間も実際にさまざまな「自分なりの事実」を作り上げている場合が多いでしょう? 客観的な事実や真実とは全く別に、その人の思い込みによって「(その人の中では)事実化されてしまっていること」はよくある話ですね。
例えば、その人にとって何かの過ちか間違いを犯したとします。 誰かにそれを指摘されるか、自分で気づいて、過ちを認めて謝ればそれでよいのですが、人によればどうしてもそうできないことがあるものですね。 だけど、自分自身が実はその過ちを意識してしまった時に、それでも認めたくなければその人はどうなっていくでしょう? いろいろなパターンはありますが、なかにはいつの間にか自分のなかで「事実」を違(たが)えて思い込んでいく場合も少なくありません。 そういう場合は「自分は嘘を言っている」という認識すらなくして、人に対して平気で「事実ではないことをまるで事実であるかのように」自分に都合よく言ったりもするものです。 もちろん、嘘と知りつつ事実ではないことをいう場合もあるのですが、いつの間にか本人自身が自分の嘘を事実だと思い込んでいく場合もあるのです。 そして、挙句の果てに、本当のことを知っている一方の当事者に対しても、確信を持って自分の嘘を事実であるかのように主張するのです。 そういう人って案外に多いものでしょう?
言葉だけではなく、病的症状なども同じような場合があります。 現実に対する自分の逃げの気持ちが非常に強い時などは、肉体的にも病的症状を作り出してしまう場合もあるのです。 それはその人が「そうしよう」と意識しているのではありません。 その人が自分では向き合いたくない想念が凝集して、肉体に病を作り出しているのです。 別の言い方をすれば、自分の思いを症状で表すことによって客観的にも事実化することによって、自分が苦痛を味わいながらでも自分の何かを守るのです。 病者さんが全てそうだと言っているのではなくて、そういう種類の症状を呈するのはごく一部の人ではありますが。
飯) そういえば「シルバーバーチの霊訓」に、「人間の強い意念が自分の体に“聖痕”なども作り出す」と書いてあったね。
マインドコントロールもそうなんだろうね。 客観的に見れば明らかに間違ってることでも、教祖の言うことを無条件で正しいと思い込んでいたり。 信者や信奉者にとっては「教祖・先生」が絶対の真実であり、それが事実になってしまってる場合がよくあるものね。 冤罪事件などでも、冤罪の被害者は自分がやっていないことを誰よりも自分が「事実」として知っているはずなのに、取り調べによってまるでマインドコントロールにかかったみたいに「自分が犯人だ」と思い込んで、弁護士にもそう言い続ける人がいるんだから。 それは物質化ではないけど、自分の思いで事実を作り上げているんだよね。 そういえばそういうことってたくさんあるように思う。
でも、物質化を含めて「奇跡現象」が起きるのは、背景として「絶対的思い(込み)」がある場合が多いのかな。 「常識をはるかに超えて信じて疑わない何か」がある場合が多いと思う。
克) はい、そういうことですね。 「絶対的な思い込み」のエネルギーは非常に大きいのです。 その思い込みが何であれ、人間はそれを「動かない事実」としてさらに思い込んでいく傾向が強いのです。
今の地上界では自分の持つ金銭や物質を提供することは、特別なことのように思い込まれています。 「他人がどういう状態に置かれていても自分の物が大事」なのです。 それは霊界の私たちから見れば、非常に特異な世界なのです。 神の分け御霊を戴いた人間でありながら、我よしの思い込みのなかで人生を送る今の地上界は、無限に続く霊界のなかでも非常に歪んだ階層であるのです。 今地上に生きている人のほとんど全ては、人間として地上に赴く前には霊界に暮らしていた魂ばかりです。 霊界にはもちろん金銭などはありませんが、全てが分かちあい・支えあいによって成り立っている世界なのです。 そこでの経験がありながら、自分の物を増やし、守るために汲々とした心で人生を送る。 世界にはその日の食物が得られず、栄養失調でたくさんの人が死んでいく事実を知っても、それでもなお自分の持っている金銭の100分の1も提供しようとはしない人が多い。 それは今の地上界が幽界や暗黒界の影響下に置かれているからではあります。 それにしても地球霊界の中でも地上界というのは非常に歪んだ特異な世界なのです。
地上人類は有史以来ずっとこういう状態であったのかと言えば決してそうではありません。 日本でも縄文時代といわれる1万年も続いた時代は、もちろん今のような物質文明が発達していたわけではありませんが、皆が分かちあい、支えあって、それなりに豊かで幸せな人生を送っていたのです。 心のところで見れば、縄文の人々の方が今の人たちよりもはるかに喜びの多い人生だったのです。 日本の大地にはそういう人々の想念も染み込んでいるのですよ。
人々が何を「当たり前」と思うかで、自分の人生も世界も変わるのです。 今の地上界を覆っている「我よし」が当たり前ではなく、むしろ非常に特異な状態であり、やがてそれは神の御心に沿って正されていくのですとお伝えしておきます。
話が逸れてしまいましたね。 「奇跡現象」に戻しますね。
すでにあなたも気づいているように、人間の絶対的な思いは事実化するのです。 「地上人類の歩み」でも受信しましたが、人類も意念で物を生み出す時代がありました。 それは猿類から進化してヒトとなった者たちではなく、霊界から地上に赴いた人が備えていた能力でしたが、その時代はその人々にとってそれが当たり前だったのです。
今の人類はヒトと人との交配の結果ではありますが、全て「人」としてのそれぞれの類魂の一側面を魂として宿しています。 先に伝えたように、分かちあい・支えあいの協調調和によって成り立っている霊界から、地上界に赴いているのです。 だからこそ、全ての人間には共通の良心と良識が宿っているのです。 それが眠ったままの状態の人もいるのですが。 もしも、今の地上界が分かちあい・支えあいを当たり前のものとする世界であれば、新たに生まれる子供たちは何の違和感もなくその「常識」を踏襲することができるでしょう。 何を「当たり前」とし、何を「常識」とするかによって、そこに作り出されていく事実・現実は概ね決まっていくのです。
「奇跡現象」がそう呼ばれることで、それがいかに珍しい現象であるかが分かります。 「常識ではありえないこと」が奇跡現象ですね。 では、その「常識」とは何か。 絶対に固定されていて、不変のものなのかと言えば、実はそうではないのです。 摂理と常識は同じではありません。 今の地上界の常識は、霊界から見えれば非常識きわまるものです。 そして地球霊界において圧倒的に大勢(たいせい)を占めているのは、間違いなく霊界側の理念と実際です。 愛です。 それぞれの学びの段階はあるのですが、それが地球霊界全体における「常識」なのです。
今の地上界と共通する価値観や想念の世界は、地球霊界広しと言えども暗黒界と幽界と地上界の3界に過ぎません。 暗黒会と幽界はもともと地上界のかげりから派生した影の凝集であり、その3界は今も共鳴増幅を繰り返しているのです。 もちろんそれもまた神の経綸の中ではありましたが、これもまた神の計画によっていよいよ地上界は次の段階に入るのです。 今はまだ大多数の人は「歪んだ常識」を当たり前と思い込んで暮らしています。
ひとりひとりの想念や意念で支えられた「歪んだ常識」が通用しなくなります。 人としての本来の良識や良心が、「新たな常識」として当たり前になっていくのです。 その大きな変化を苦しみの中で迎えるのか、分かちあい・支えあいの喜びの中で迎えるのかはまさにひとりひとりの人間の心と言葉と行動次第です。 物質的に豊かな国に生きる人々が、自分の持っている金銭のほんの一部を提供することで、世界中の全ての人々が最低限の暮らしを営むことができるのです。 それは決して難しいことではありません。(そういう国の社会のシステムを改善していく必要はありますが、それは豊かな国も同じです。) しかし、「少しでも損をしたくない。自分の得たものを減らしたくない。それが当たり前だ」という歪んだ常識の殻を打ち破らなければ、分かちあいの輪は広がらないでしょう。 そんな常識は、こちらから見れば人間の間違った思い込みであり、それで幸せになれるなどということは幻想に過ぎないのですが・・・。
飯) 受信に疲れてきたので、次にいってくれるかい? 奇跡現象の話に。
克) はいはい、そうですね(笑) 人間の想念の力はまだまだ十分に開発の余地が残っています。 もちろん、摂理のなかでのことですが。
今お話しているのは、本来の意味での霊力ではなく、地上的なエネルギーとしての想念・意念の力のことです。 奇跡現象を起こす要因はひとつではありません。 今、話題に上がっている奇跡現象は、「その人が世間の常識をはるかに超える存在として誰かを信奉することによって、常識のエネルギー的な影響を排して、その人の願望が実際の形となって作り出される」という原理です。 実は信奉する存在がいなくても、「そんなことが起きるはずがない」という常識から解放され、強く願えれば成り立つものなのです。
人間の想念は願いを形や現実にする力を持っているのです。 その力を健やかではない方向に使ってしまった結果が、思いによる病的症状の現出や、自分の嘘を自分で事実として思い込んでいくということです。 あるいは「自分の心は動かない。自分は変わらない」という思い込みもそれに近いものがあります。 そういう例は決して珍しくないのに、奇跡現象はやはり非常に稀にしか起きませんね。 それは多くの人々が長い年月をかけて「そんなことが起きるはずがない」という常識のエネルギーを積み上げてきたからに他なりません。 「常識・思い方の習慣」の枠を超えて、もっと自由に本来の力を発揮できる人も今は非常に少ないのです。
あなたは霊界のエネルギーとの共鳴度がとても高い人ですが、それだけではなく地上の人間としての思いも実は強い人なのですよ。 もたらされたことを受け入れる力とは別に、「願い」のエネルギーも本当はとても強いのです。 ただ、今の地上における一般的な願いの多くに、あなたはあまり関心がないだけのことです。 そして、あなたの場合は理性のエネルギーが非常に強いのは自分で分かっていますね(笑) 霊的真理・法則に関しては、初めは抵抗感を持ちながらも、あなた本来の理性で受け入れることができました。 私と出会い、確信を持ったあなたは持ち前の愛情深さと正義感とも相まって、地上での霊的真理の普及者・実践者としての道を歩み始めたのです。 それは今の地上界の霊的なものに関わる多くの人たちの意識とは掛け離れていたので、必然的に孤立を強いられることになりました。 そのなかでもあなたは信念を曲げることなく、霊的真理普及・実践の本流としての自覚を持ち続けて、ひたすら私や仲間たちと共に働いてきましたね。 それはこちらでもとても大きく評価されています。 今ではあなたに共感する人たちは以前と比べて格段に増えています。
しかし、理性のエネルギーの強いあなたは、理性で処理できない事柄にはあまり関心を向けずにきたのです。 そのひとつが「奇跡現象」です。 霊的なラインではそれを受け入れ、あなた自身も幾つもの体験をしてきました。 でも、人間の想念・意念による事象・現象に関しては、肯定的に意識を向けようとはしなかったのです。 その意味ではあなた自身も「常識」の枠に一方の重心を置いていたのです。 あなたの目から見て「奇跡現象」を好む人たちは本来の霊的真理からは掛け離れていたのですし、正統派としてのあなたはそういう人たちと同類に見られたくなかったのです。 あなたにとっての理性とは普遍の摂理と同義語だったからです。
それらを越えて、さらに今、あなたに求められていることがあります。 常識(すなわち、人間の想念・意念の集積。思い方の習慣です)の枠を打ち破っていくエネルギーの獲得です。 理性が最も通用しにくい分野に直接影響を与えていくエネルギーの獲得です。 あなたの場合、理性が納得しなければ本気になって動けないという傾向がありますね。 しかし、逆に理性が納得して、それが今どうしても必要であると思えれば、自分でも想像のつかない力が出るのです。 「人間の思いが事実・現実を作り上げている」という事実から、どのような展開が成り立つのか、あなたの理性で十分に吟味してください。 今の世の常識を理性で洗いなおして、地上的現象からも法則を見出し、常識に束縛されない本来の理性を駆使して、真理と事実に基づいた常識をあなたの中に確立するのです。 それを信念として、今の世の常識やひとりひとりの人間の想念の澱の凝縮である頑なさを溶かしてゆくのです。
あなた自身の常識を、まず理性のところから組み替えていってください。 そのためには日常と離れた時間と空間が必要です。 じっくり時間をかけて組み替えて、それを何度も理性によって補強していくのです。 十分に納得できれば、あなたはそれを信念にできるのですし、実際にそのエネルギーを発揮しながらさらに確信を強めていくでしょう。 それによってあなたがたの働きはさらに力強く広がり、ヒーラーとしてのあなたの力量も想像以上に大きくなるのです。 なぜなら分かちあい・支えあいによって皆が幸せになっていくことを阻んでいるのは今の世の歪んだ常識であるのですし、スピリチュアルヒーラーのエネルギーの作用を阻むのは、その人の頑なな思い込み・思い方の習慣が作り上げたオーラの壁なのです。 あなたがたがそのエネルギーを獲得し、駆使して人々に健やかさをもたらしていくことは、霊界と地上界の(エネルギー的な)統合・調和につながるのです。
飯) ありがとう。 なるべく近いうちに2〜3日、どこかに出掛けることにするよ。 そういうことに思いをめぐらせるには日常を離れる必要があると僕も思う。 この件に意識が向いてからずっと、ちょっとした旅に出たくなっていた。 本当は青森県の三内丸山遺跡に行きたいんだけど、それはちょっと負担が大きすぎるので、もう少し近いところに行ってくるよ。 このことに意識を向けたり、この受信をしていても、頭の中がぐらぐら揺れて、まさに組み換えが行われている実感があるんだ。 あまり気持ちのいい感覚ではないけどね(笑)
僕は霊的なことでも、いつも疑いの目というか、検証の視点を持ち続けてきて、その姿勢が自分を支えてきていたようにも思う。 それは、「自分はこんな働きをしているけど、真っ当な人間としての常識を失ってはいないのだ」と自分で確認しておきたかったのかもしれない。 だから、自分のなかの常識を根底から組み替えるということは、それがいかに理性に裏打ちされたことであっても、僕にはそうたやすくは完了しないかもしれないね。 子供の頃から世間の価値観に馴染めずに生きてきた僕には、「(これ以上?)変な人間に思われたくない。まともな人間であり続けたい」という願望があるからね。 でも、こうしてお前から伝えられて、根底から心が動き始めた気がしている。 長い時間列車に乗って、思いをめぐらせたいけど、やっぱり青森は遠いからな。 費用もかかるしね。
克) 何を気の小さいことを言ってるの? 変なところで常識的にならないでよ(笑) 私が伝えたことの意味がまだ分かっていないようね。 どうしてもそこに行くことはないけど、あなたが心おきなく理性の組み換えができる条件は必要ですよ。
飯) わかった。 いずれにしてもすぐには空けられないから、ちょっと考えるよ。 こういう場合、直感って大事なのかな?
克) まだ言ってる(笑) まあ、ご自分の自由意志で判断してください。 ただし、今日の話はとても大事なんだってことは肝に銘じておいてね。
飯) はいよ。ありがとうね。 それじゃあ、また。
克) はーい。 まーたん、お疲れさま。 私はいつも一緒にいますからね。
(2007・2・7) |
19/10/2012(金) 10:54:13
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| No.10180 あきどん |
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26のメッセージを読ませていただき、内容はいくらか覚えていましたが、後半の内容は本当に今のテーマと繋がっているんですね! 東京勉強会で、皆さんと更に補強してまた教えてください〜
日曜にTVたまたまつけたら、日曜美術館で青森の丸山遺跡の土偶のこと扱ってました。もう終わりかけで少し見れただけでしたが。 私も、いつか丸山遺跡に行ってみたくなりました。夫が今月から函館転勤になったのですが、函館と青森って、案外近いですね〜♪ |
19/10/2012(金) 15:28:10
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| No.10181 飯沼 |
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三内丸山遺跡、ぜひ行ってみてくださいね。
そういえば、あきどんさんと鹿児島の縄文・上野原遺跡に行ったのは何年前でしたっけね?
函館と青森は近いですよ。 徒歩5分ぐらいかな? |
19/10/2012(金) 20:09:07
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| No.10182 鉄ママ |
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土曜日は関東定例会ですね。 私も、一度参加させてほしいです。
「異質なものとの融合」 堀江さんのメッセージ、飯沼さんやみなさんの書き込みを読ませていただき今私に与えられた課題を思います。 私は、大きなところでは捉えにくくやはりみじかに身の回りでの出来事などで考えをめぐらせます。 前にも掲示板に書かせていただきましたが、私の指導霊からのメッセージに >あなたの周囲に、理不尽で身勝手で人への思いやりが薄く見える人間 が配剤されていることは決して偶然ではない。 あなたの規範、基準からすれば「それはおかしい。人として違っている」 と思える人間に対して、どのような眼差しを向け、どのような言葉を向けていくのか、次の段階の学びを提示されているのである。 とあります。 それは、私にとってかなり難しい課題だと感じています。 私がもっとも苦手とする人を無条件に受け入れていくこと。 違和感を異質なものと捉えるなら、そこを超えて喜びに繋げて行く融合させて行くということでしょうか。
私が苦手とする人。 でも、そうなる理由があってそこに存在しています。 今の常識の中、なんの迷いも無く疑問も持たず当たり前だと(たとえば) 生きてきた人に「本当は、本当の幸せはこちらなのだ」と何度か投げかけてみても、それはその人にとって今までの人生をひっくり返さないと いけないことなのかもしれないと最近思います。 それまでは、「何で?」「何で分からないの?」と理解出来ないでいました。 今も理解出来るところにはいませんが。
どうであってもきっとその人の魂には届いているのだから、 信じて、信じきって伝え続けること。投げかけ続けること。 結果が思っていたものと違ったとしても。 若いころ読んだ聖書に「扉を叩き続ければ必ずその扉は開かれる」 とありました。 そうなんだな、と思います。
相手の喜びが私の喜び。 悠々塾に繋がったころ、私には全く意味が分かりませんでした。 人の喜びが自分の喜び? 今は分かります。
私は、課題である >無防備に相手に寄り添う 自分を強烈にイメージします。 |
20/10/2012(土) 01:40:36
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| No.10183 飯沼 |
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鉄ママ、久しぶりです。
>私がもっとも苦手とする人を無条件に受け入れていくこと。
そうはいっても、それはその人に合わせていくということではありません。 「あの人は今はそういう状態(段階)なのだ(つまり、いつかは必ず気づく時がくる)」と信じることを大前提にしていくということかもしれません。
>違和感を異質なものと捉えるなら、そこを超えて喜びに繋げて行く融合させて行くということでしょうか。
たぶんそうでしょうね。 喜びでないものを、(部分的であっても)喜びとして認識し直すためには、心の工夫が必要です。 もちろんそれは迎合ではなく。
出かける時間になったので、またいずれ。 |
20/10/2012(土) 06:05:27
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