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No.9718 あきら&ひとみ  
お疲れ様でした 引用
12日は関東定例会でした。

予想より人数は少なめになりましたが、遠方からの参加もありありがとうございました。
今回の実習では丹田から無条件の祝福と喜びのエネルギーを送ることをしましたが、僕やひとみはいまいち要領が掴みづらかったです。
9時の共鳴の時に丹田で送る練習をしてみます。
いつもヌマに沢山喋ってもらっていますが、ミトコンドリアや微生物の話、人間と言うものが精密機械のように成り立っているのではなく、何千万というミトコンドリアや微生物のいのちが連なっている中で奇跡のように成り立っているものだという話は納得でした。
交流会もいつもながら賑やかでした。

今日の夕方、関東定例会に参加されたMさんから娘さんのSちゃんと美桜のツーショットの写メが送られてきました。
Sちゃんがとってもいい笑顔で写っていて、こういう場になっていることが嬉しかったです。

みなさんお疲れ様でした。
次回は10月27日頃の予定です。

14/05/2012(月) 20:24:15


No.9719  さき
Re: お疲れ様でした 引用
あきらさん、ひとみさん、お疲れ様でした。
私はあきらさんとひとみさんが最初に話してくれたことがずしんと響きました。
関東で2歳の娘さんと暮らしていること。
「うちは大丈夫なのか。」
という言葉の重みとリアリティーが伝わってきて、心配や不安がないはずなくて、愛する者を守りたいからこそ揺れる思いがあって、そのなかで何度も何度もはんすうされてきたに違いない二人の愛情のしなやかさとつよさにちょっと感動しました。

食べ物とか気をつけていても、それで大丈夫とは言えない。
気にしはじめたらきりがなくて何もできなくなってしまう。
不安は子どもに伝わってしまう。
(それを伝えないように)楽しいことをしていっしょに喜ぶ。
みんなと学んできたことがあるからやってこれた。(ひとみさん)

ふりそそいでしまった現実は変えられない。
受け入れるしかない現実を受け入れて、そこにある不安や心配をないものにせず、自分にできることをしながら答えないの現実のなかで喜びに向かおうとする二人の姿。
「愛情は薬だと思っている。」
というあきらさんの言葉、そのとおりだと思いました。

二人の姿がこれまでお会いしてきた福島の方たちと重なりました。
福島の現実はもっとシビアで不安も気持ちの振れ幅ももっともっと大きくなるのだけれど、二人が培ってきた心のエネルギーを伝えてほしいし、それが力になると思ったよ。
うまく言えなかったので、この場にコメントします。
丹田を意識したらもっといのちの共鳴のエネルギーが伝わると思います。

関東定例会でお会いした皆様、お会いできて嬉しかったです!
YさんKくん、MさんSちゃん、KさんRくん、
みんなみんなずっと笑顔でいてほしい。
大変な時代だけど、だからこそ絶望的な現実から目をそむけずに、そこにある不安とむきあいながら、前向いていきたい。
そう思える元気をもらいました。
ありがとうです。

15/05/2012(火) 12:53:49

No.9720  飯沼 E-mail
Re: お疲れ様でした 引用
関東定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。
あきら&ひとみさん、いろいろとお世話になり、ありがとうございました。

あきらさんは「要領が掴みづらかった」と書いていますが、実際には皆さんがしっかりとそのエネルギーを発しておられました。

季節外れの寒い日だったのに、そのエネルギーを注ぎあい始めた途端に、部屋中にエネルギーが満ちはじめ、汗びっしょりになるぐらいでした。
ミトコンドリアが活性化していることを実感しました。

今回の定例会は、今の状況の中での自分の役割というものを超えて、自分の使命ともいえる画期的で遠大なテーマを自覚することになりました。
書き始めると終わらなくなりそうなので今はやめておきますが、私にとっては強烈な記念すべき定例会になりました。
そこにつなげてくれた椿クンに感謝です!

二次会の席の関係やその話に夢中になって、東京在住の方々とほとんどお話しできなかったのが残念でした。
次回はもっといろんな皆さんとお話ししたいと思います。

15/05/2012(火) 21:45:01

No.9721  あきら&ひとみ
Re: お疲れ様でした 引用
ヌマ、さきさん、そして皆さん定例会お疲れ様でした。
そして今回は遠方からも参加して頂き、ありがとうございました!

みなさんの前でお話するのは、まだまだ緊張してしまってまして、何をしゃべったのか?あんまり覚えていなかったのですが、さきさんの書き込みを読んで思い出しました。すみません・・・。

原発や放射能、それによりいろんな不安な気持ちはこの先もずっと続くと思います。
子供の為にもちろん出来る限り防げるものは防いでいきたいけれど、完璧に防いであげることは難しいと思ってます。

でも今子供にしてあげられる事。
それは子供の傍で子供に喜びを与えてあげることなんじゃないかなぁって。
きっと自分も嬉しいから子供も嬉しいはず!
お母さんが不安なら子供も不安だと思うのです。
ほんとに日常の小さな喜びでいんです。
子供にこちょこちょっとくすぐれば、子供は笑います。それをみて私も笑う。
それでいんだと思うんです。
そんな積み重ねで子供は安心してくれるんじゃないかなぁって勝手に思っています。

さきさんが言うように福島の方達はもっともっと不安なんだと思います。
でも私達は、心のエネルギーで病が治ることも心が元気になることも知っています。
みんなの心を元気にしたい。
この仲間達と一緒ならできる!そう思っています!

って話がとんでしまいましたが、いつもヌマ&さきさんに頼りっぱなしですが、またみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。
宜しくお願いします!

                 ひとみ

16/05/2012(水) 00:45:54


No.9715 あきら&ひとみ  
お知らせです 引用
◆関東定例会のお知らせです。

いよいよ明後日関東定例会です。
今回は遠方の方達も参加します。
少し多めの人数になるかもしれませんが、エネルギーのこもった場に皆さんでしましょう。
初めての方のご参加もお待ちしています。

5月12日(土)前回と同じ「志木市民会館パルシティ」3階にて関東定例会を開催します。
今回は3階です、注意してください。
志木市民会館パルシティ
 ↓   ↓
○ttp://www.sbs.or.jp/palcity/palcity.htm

時間:  13時30分受付開始〜17時

参加費: 1500円

アクセス:  東武東上線「志木駅」東口 (徒歩:約15分)
     (バス:約 7分/乗場?B?C?D 170円 /「昭和新道」下車徒歩2分)
     (タクシ-:約 5分) 710円 程度

定例会終了後、交流会もありますのでこちらも併せてご参加ください。

10/05/2012(木) 23:25:02


No.9716  飯沼 E-mail
Re: お知らせです 引用

明日の関東定例会のテーマは、「嬉しい現実は作り上げていくことができる」です。
「3月定例会に向けてのメッセージ」を元に、お話させていただきます。
そして、ミトコンドリア活性化のお話と実習に移り、むしろそれに重点を置きたいと思っています。

ミトコンドリアは、エネルギーの通貨といわれるATPを産出して肉体を養っているだけでなく、ガン・糖尿病・高血圧などをはじめとする多くの病と密接に関連し、老化にも深く関係しています。

ミトコンドリアは、細胞をアポトーシスに導き、感染や炎症の広がりを防ぐ働きをします。
(アポトーシスとは細胞の調和的な解体(死)であり、ネクローシスは壊死という意味になります)

人体の細胞のDNAはさまざまな原因によって毎日10万回ぐらいは傷ついていると言われているそうで。(人体は約60兆個の細胞でできています。)
それらの傷ついたDNAの修復や、修復不可能になった細胞のアポトーシスも、ミトコンドリアが担っているのです。
ミトコンドリアは、1個の細胞の中に数百〜数千個もあり、集団化してまるで軍団のように動き回っているそうです。
まさに、肉体を維持するエネルギー生産者集団であり、肉体の健やかさを守るヒーラー集団です。

ミトコンドリアの研究が進むにつれて、医学・医療は根底から見直されてきているようです。
まだまだ今までの医学・医療に固執する勢力が強いのでしょうが、これからも「ミトコンドリア革命」は進んでいくはずです。
しかし、今までの物質的な医学では、ミトコンドリアの働きの解明はできても、ミトコンドリアを活性化させる根本的な方法は見つからないでしょう。

なぜならばミトコンドリアは体内微生物であり、その生命体との共生の心のエネルギーが不可欠だからです。

私たち人間の肉体はさまざまな部品によって組み立てられた精密機械ではなく、ミトコンドリアや腸内細菌を含む何京個もの生命体の有機的なつながり(共生)によって構成されているのです。

ミトコンドリアに向けて、「無条件の祝福と感謝のエネルギー」を注ぐことによって、結果的に彼らは今までとは全く比べもにならないほどに活性化するのです。
今の日本(先進国)のほとんどの人たちは、ストレスや過食によって、ミトコンドリアの働きを抑え込んでしまっています。
そういうマイナスの状態を、「無条件の祝福と感謝」のエネルギーによって、一気に桁違いのプラスに転換することができるのです。

これは今までも定例会でも実習してきたことですが、今までお伝えしてきた「無条件の祝福と感謝のエネルギー」はいわば一種の「悟り」のエネルギーだったこともあり、理解しにくい人や実際には十分に注ぐことができない人もおられたようです。

今回の関東定例会では、「丹田」のエネルギーを使って、「同じ生命同士」として「無条件の祝福と感謝のエネルギー」を注ぐトレーニングをします。

福島原発事故による健康被害はすでに発症し始めており、これからさらに大変なことになっていく可能性が高いと思われます。
被曝を避けることが最優先ですが、すでに重大な被ばくをさせられてしまっている人たちが何百万人もいるのが現状です。
パニックになる前に、被曝による健康被害を防止し、発症してしまった病を治すことのできるヒーラーを一人でも多く養成しておかねばなりません。
まさに、嬉しい現実は作り上げていくことはできるのです。

関東地方の皆さんのご参加をお願いいたします。

11/05/2012(金) 14:25:04

No.9717  さき
Re: お知らせです 引用
おはようございます。
関東定例会、もう今日ですね。
関東の皆様とのエネルギーの共鳴を楽しみにしています。
あきらさん、ひとみさん、よろしくお願いします。
いまから出かけます。

12/05/2012(土) 06:35:34


No.9713 飯沼  E-mail
官僚や利権集団による独裁国家 引用

「官僚の権限を小さくして、国民の生活が第一の政治を行う」と訴えて支持されていた有力政治家O氏を、検察が裏献金疑惑で徹底的に調べ上げた。
マスコミは、すでに疑惑が証明されたかのような報道を繰り返した。
多くの企業が調べられたが、その政治家の裏献金の証拠は何も見つからなかった。
ところが捜査の過程で、他の多数の政治家が企業から裏献金を受け取っていることが分った。
それらの政治家の裏献金は全く問題にされず、O氏に対するネガティブキャンペーンは続けられた。

検察はO氏の裏献金を事件にすることを諦め、政治資金収支報告書に記載されている事柄に虚偽があるとして元秘書らを逮捕した。
収支報告書への記載にもしも問題があったとしても、通常は「修正申告」で処理されてきた程度のものだという。
検察は、O氏が秘書らと「共謀」して、「虚偽記載」という「犯罪」を犯したとして、O氏にも事情聴取して徹底的に捜査した。
結局、検察はO氏を起訴できなかった。

得体のしれない「市民団体」が、O氏の不起訴を不当として、検察審査会に申し立てた。
O氏は、検察審査会によって起訴が決定された。
検察審査会の委員は市民から抽選で選ばれるが、途中でメンバーが入れ替わっているのに、不思議なことに平均年齢は小数点以下まで同じだった。
国会議員や多くの市民が疑問を持って、さまざまな質問をしているが、法務省に所属する最高裁事務局は未だに回答していない。

検察審査会に提出された捜査資料に、検察官による重大な虚偽(作り話)が含まれていたことが、O氏の公判で明らかになった。
O氏は、虚偽の資料に基づいて起訴されたことになる。
起訴議決そのものが不当だったのだ。

O氏の裁判は一審で無罪の判決だった。
担当裁判官が無罪判決を出したのは、裁判官になって初めてのことだった。

そして昨日、検察官役を担う指定弁護士は控訴を決定した。
O氏の政治活動が非常に大きく制約されることは間違いない。

これは官僚や利権集団による、O氏封じ込めの陰謀だとしか思えない。
こんな不正がまかり通る国は民主国家などではないし、こんな不正が大問題にならない社会は民主社会ではない。
利権国家、利権社会だ。

出直し・生き直しをするのか、地上界浄化の流れにさらされて原形をとどめないほどに押し流されてしまうかのどちらかになるだろう。

10/05/2012(木) 21:32:37


No.9714  飯沼 E-mail
Re: 官僚や利権集団による独裁国家 引用
小沢さんは福島原発事故による被曝を最小限にとどめるために、政治家として行動したとは思えません。

私は、国民の生命・健康を守るために立ち上がらなかった小沢さんを、政治家としてさほど信用できませんが、そういう話とはまた別の、まさに日本という国の闇が広がっています。

10/05/2012(木) 21:42:29


No.9712 まゆみ  
新しい喜びの地上界へ 引用
新しい喜びの地上界へ

8日です。
掲載が遅くなりました。

(前に載せた文章と同じですが・・・)
誰もがこの地上で何をなすべきか意志してきているのです。
この時代に生まれてきたこと、このときに何をなすべきか、魂は知っています。
魂の意志にしっかりとつながり進んで行きたいと思います。

日常の感謝の気持ちを膨らませ、それを全体に膨らませて行こうと思います。
癒しの力を高め、何があっても大丈夫と心のエネルギーをみなさんと共鳴させたいと思います。

「新しい喜びの地上界へ」みなさんと一緒にまい進したいと思います。


福島原発、土、海、地球上の全ての生命に「無条件の感謝と祝福のエネルギー」と謝罪のエネルギーを。

これからも「新しい喜びの地上界へ」向けて、みなさんとエネルギーを共鳴させたいと思います。
みなさんよろしくお願いいたします。



今病気の中で苦しんでおられる方に、健やかな回復を願ってエネルギーを送りつづけたいと思います。

みなさんよろしくお願いいたします。

    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *




08/05/2012(火) 20:55:10



No.9709 飯沼  E-mail
(No Subject) 引用

4月28日は、ドネの「わかちあい祭り」でした。
おかげさまで大成功だったと思います。
遠方の仲間たちも駆けつけて、ドネらしい和やかで楽しさに満ちた「わかちあい祭り」になりました。

私は「免疫力アップのヒーリング」のコーナーを担当していました。
そのコーナーを訪れた人たちの中には、北関東から沖縄→京都に避難してきた母子さんもいました。
3歳ぐらいの子供さんは未だに鼻血を噴き出すことがあるのだそうです。
福島の事故まではそういうことは一度もなかったそうです。
たらたらと流れ出る鼻血ではなく、まさに一気に噴き出してなかなか止まらないのだそうです。
母子のみの避難生活でもあり、お母さんも不安でどうしたら良いのか分らないという様子でした。
お母さんに抱っこされたままの子供さんの顔色も悪く、見るからに元気がありません。

私も半泣きになりながら、必死に伝えるべきことを伝え、それでも不安が解消しないので、「もしも子供さんに健康障害が発症しても、私たちが必ず治します。お金なんていらないから、何かあればいつでも連絡してきてください」と言い切りました。
それでようやくエネルギーが通り始め、最後はさきさんに手伝ってもらってヒーリングエネルギーを通しました。

後で聞いた話では、そのお母さんは顔の感じも変わって、「すっきりしました」と言っておられたそうです。

福島では鼻血の話はよく聞きましたが、北関東在住でも鼻血が出るほどの影響を受けているのはショックでした。

福島原発による健康被害は、私たちが思っている以上の悲惨なものになる可能性があります。
良質で力のあるヒーラーが大勢必要です。

03/05/2012(木) 22:35:45


No.9710  飯沼 E-mail
大変なことになりますよ 引用

福島原発事故によって被ばくした子供たちに甲状腺異常が多発していることはすでにお伝えしています。
エコー検査などでは、だいたい30%程度の子供さんたちに、何らかの甲状腺異常が見つかっているようです。

被曝していない子供たちの甲状腺異常のデーターがなかったので比較できなかったのですが、「100ミリシーベルトまでは被ばくしても問題はない」と吹聴して歩いたあの山下俊一氏の論文にそのデーターがあったそうです。

木下黄太さんのブログに山下氏の論文が掲載されています。
ttp://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

「2000年に長崎で行われた250名の子供(7〜14歳)甲状腺エコー検査では、甲状腺腫は4例(1.6%)のみで、さらに2例(0.8%)にのう胞変性と孤立性甲状腺のう胞があったということが、山下氏の論文から、確認できました。
結節はなし。
つまり、一般的に、甲状腺腫やのう胞や結節は子供におきることはきわめて少ないという事が、山下氏自身の論文に書かれている事です。」
ということです。

事故後1年で30%もの子供に甲状腺異常が発症している事実は、極めて重大です。
チェルノブイリの例では、事故後数年してから子供たちの甲状腺ガンが急激に増加し始めたからです。
同じ道筋をたどるとしたら、これからさらに多くの子供たちに甲状腺異常が発症して、そのうちの何割かは甲状腺ガンになるということだからです。
今ですら30%程度の子供たちに甲状腺の異常が発見されているのです。
先行きを思えば背筋が寒くなる思いです。

悠々塾につながるすべての皆さんに、ヒーラーになっていただかねばなりません。
治してこそ、寄り添ってこそ、安心を提供できるのです。
どうかどうか、本気になっていただきたいのです。

03/05/2012(木) 22:58:20

No.9711  飯沼 E-mail
Re: 大変なことになりますよ 引用

子供の甲状腺異常については、今年に入ってからの定例会で、参加者から、「横浜から愛知に避難している子供さんが甲状腺の検査を受けたら、異常(結節?)が発見された」という情報がありました。
これから首都圏を含む地域で、健康被害が多発する可能性が高いのです。

被ばくによる甲状腺異常は、主にヨウ素131によって引き起こされると言われています。
ヨウ素131の半減期は8日間です。
ということは、昨年3月の爆発直後に避難した人以外は、すでにかなりのヨウ素131の被ばくをしているのです。

もちろん、外部被曝や、セシウムや他の各種の食物摂取・吸入などによる内部被曝に関しては避難している人の方が少ないはずですが、甲状腺がんや甲状腺異常については、避難している人たちも高いリスクがあると思います。

福島の比較的線量の低い地域から北海道の網走に避難して、食べ物にも細心の注意を払っていた子供さんにも甲状腺腫が発見されたという直接の情報も聞いています。

福島原発の事故では膨大な量のヨウ素131が放出されたことは間違いないのですが、政府はそのデーターを公表していないようです。
こういう国に私たちは暮らしているのです。

奇しくもこどもの日である明日、北海道の泊原発3号機が定期点検に入り、日本の原発は全て稼働を停止します。
原発は停止しても危険でもあり、さまざまな問題が残り続けますが、それでも稼働を続けるよりははるかにマシです。

子供たちのためにも、二度と原発が稼働しないように本気になりましょう。
これは無関心という過ちや力不足という不十分さに留まってきた大人としての、最低限の責任です。
そして、原発に象徴される愚かで強欲な世の中を、いのちの喜びの時代に切り替えていきましょう。

最近は原発のことを中心に書いていますが、いのちの喜びの時代は脱原発運動からのみ生れ出るものではありません。
先日、岡山の仲間が、「今年は家庭菜園の面積を3倍に増やしてイモやカボチャを多く作り、釜ヶ崎の炊き出しに提供したい」と言っておられました。

こういう人が増えれば、もしも福島の4号機が冷却不能に陥って、西日本に大量の難民が押し寄せてきても、各家庭の備蓄食料などを提供して炊き出しを続けて、当座の危機をしのぐことができるのです。

自分の労力や時間やお金をできるだけ、できる範囲で、いのちの喜びのために使うことを、自分の人生の日常に組み込んでいくことは、非常時の「公共の維持・確立」への準備にもなるでしょう。

その意味においても、「ドネーションシップわかちあい」への参加を呼びかけます。
未参加の皆さんはどうぞこの機会にお考えください。

04/05/2012(金) 11:47:23


No.9703 飯沼  E-mail
「自分なり」の対義語の宿題 引用
★新しいスレッドにしました。

皆さん、ありがとうございます。
宿題がまだの方もいるようですが、明日はドネの「わかちあい祭り」なので、その前に私も投稿しておきます。
どうぞ、引き続き投稿してください。

「自分なり」という言葉の意味が共有されていないどころか、ほとんどすべての皆さんがしっかりと受け止めてくださっていることが分り、安心しました。
それぞれの方の個性をも反映した回答に感心しながら読ませていただいています。

「自分なり」という言葉は、さまざまなニュアンスを含んでいると思います。
「自分なり」の“なり”は、何らかの制限・制約を表しているのだと解釈します。
例文を作れば、「彼は若者なりに熟慮した」とか、「(相撲などで)軽量なりに健闘した」とか、「彼の思想は19世紀という時代なりに進歩的なものだった」とかいうものになるでしょうか。

つまり、元々の「本来のもの(全的なもの)」があっての、「自分なり」ということでしょう。
「道なりに行けば(目的の)池に着いた」というような使い方は少し違うようにも思いますが、この場合の本来のものが「直線的な最短距離」だとすれば、まあ似たようなものでしょう。

しかし、全体の状況がどうしようもないものであれば、それに迎合しないで、孤高の中で「自分として生きていく」のも「自分なり」なのでしょう。
そういう人間が存在していることが、大きな目で見れば、全体の調和を成している場合もあると思います。
拝金主義や弱肉強食の能力主義がはびこっている社会で、それに流されずに本来のものを軸として「自分なり」に生きている人がいれば、そういう人間がいることが全体の救い(調和?)に感じられる場合もあるのだと思います。

いろいろ考えればキリがありませんが、今回の宿題は、「『自分なり』というものが、『全体・全的なもの』の中でどうなのか」を考える機会になればと思いました。
個人対個人のスケールでの「自分なり」ではなく、全体(社会)の構成員としての自分を意識し直す機会にしていただきたかったのです。

全体や公に従属する存在としての自分や個という「滅私奉公」ではなく、全体や公に影響を与えていく、全体のポジティブな構成員としての自分ということです。
私のイメージで言えば、「自分なり」の対義語は「公共性」ということになります。

「公共性」という言葉の意味がまた曖昧なのですが、辞書的には「広く社会一般に利害・影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること」ということになります。
こういう意識をしっかりと持ち、自分自身が公共の一員として、今の状況の中でどうしていくのかが非常に重要なのだと思うのです。
今の時期は社会や世の中が非常に不安定になり、どういう方向に動いていくのかが定まらず、どういう方向に動かしていこうとするのかはまさに構成員一人ひとりに懸っているからです。
もちろん今までの世の中で力を振るってきた者たちは、今まで通りの利権構造を存続させようとしているのですが、そういう社会が根底から揺らぎ始めているのです。

ですから、たとえば、「冬は寒くて嫌だけど、季節はどうしようもないから、早く春が来てくれることを願いながら、自分なりに暖を求めて寒い冬をやり過ごしていきましょう」という関わり方とは全く違う意識・エネルギーが必要なのです。
「影響を与えていくために、今の自分としてどうしていくのか?」をしっかりと考えなくてはなりません。

しかし、あまり難しく考える必要はありません。
たとえば野球で、3対0で負けた状態で、9回もツーアウトになってランナーが1人出たとします。
そのランナーが、「自分は盗塁が得意だから」といって、リスクを伴う盗塁を試みることは、まさに全体を無視した「自分なり」なのです。
たとえ盗塁に成功しても、あとで監督に怒鳴り倒されるでしょう。
あるいは、次のバッターが、「自分はバントが得意だから」と、犠牲バントをすれば、それも究極の「自分なり」です。
「全体がまるで分っていない、全体を見ようともしていない」と、怒鳴り倒されるのです。
そこで、「自分の秀でたところを発揮しようとしたのに、否定された」などと気持ちをかげらせたら、その選手は間違いなく二度と試合に出してもらえません。
これは当たり前のことです。

同じように、「大事な場面で、良いスイングをしなければならないから」ということに拘って、ボールが通り過ぎてから自分のタイミングで理想的なスイングをしても、それは自分にしか意味がないのです。
「自分の思っているボールが来ないから」といって、3球ストライクを見送れば、それで試合は終わりです。
バットを振らなければヒットは打てないのですし、打球の飛んでくる方向に疾走しなければアウトも取れないのです。

野球を例にとれば笑い話ですが、さまざまな状況において、こういう「自分なり」は実は少なくないように感じています。
目的地とは違う方向にいくら一生懸命走って頑張っても、それは働きにはなりません。
走り方にしても、マラソンと短距離では全く違うのです。
全ては、目的を見据えて、今の状況にふさわしい思考と言動ができているかに懸っているのです。

「調和」とは、偏りのない健やかな状態であり、皆の喜びが釣り合っている健やかな状態であると思います。
それ以前もそうではありましたが、3・11以降は特に社会の調和は打ち砕かれ、偏りが激しくなっています。
今の不調和・偏りを、本来の健やかな調和に向かわせることが私たちの役割であり、願いであるはずです。
であるならば、全体・状況を構成している一員として、今の自分が何を最優先にしていくのかは自ずと分るはずなのです。
分らなければ、考えねばならないはずなのです。
それでも、私たちは未熟で不十分な存在ですから、完璧なことなどできず、いつも「自分なり」であるのです。
本当はどうするべきなのかがよく分っていない場合もありますし、分っていても自分なりのことしかできない場合もよくあることです。
でも、だからこそ、そういう自分を否定するのではなく、もちろんそこに留まるのでもなく、「どうすればもっと役に立てるのか」を考え、さまざまに試行錯誤を重ねる中で少しでも変化・成長していけるのだと思うのです。

同じことをしていても、働きと趣味とは違っています。
自分なりの趣味はそれで構わないのですが、それを働きだと思い違いしていないかどうか。
もちろん、こういう状況でも泰然と構えて、「自分なりにやっていくことがいつかは必ず大きな働きや貢献につながる。そうならなくても、今の自分のやり方に確信を持っている」という信念があるのなら、それは立派なものです。

話が逸れてしまいましたが。
私は、小さな自分を軸とした「自分なり」を否定するつもりはありません。
それぞれに自分としての個性や傾向があればこそ、単一ではない柔らかな調和や協調の美しさがあるのだと思っています。
しかし、それと共に、自分を取り巻くさまざまな状態や状況、さまざまな全体の構成員としての意識を確立して、「状況や状態・全体の不調和を調和の喜びに変えていくために自分が今どうしていくのか」ということの必要性を問いかけたいのです。

それは、自分を犠牲にすることではなく、何人かの人が書いているように、「皆も自分も幸せに。個も全体も健やかに」ということであると思うからです。

急いで書きました。
分りにくければすみません。

27/04/2012(金) 17:57:10


No.9704  飯沼 E-mail
Re: 「自分なり」の対義語の宿題 引用
★さきさんの投稿を再掲載します。
。。。。。。。。。。

このところ、公(おおやけ、公共)を意識に入れることが必要だと考えていました。ぬまさんの質問の答えになっているかわからないけど関心、テーマがつながっててびっくり。
以下、悠々通信の「はじめに」として書いたものです。

************
人として正しくやさしく、自分もみんなも幸せに。 
そう願うからこそ、私たちはこの場につながっています。あなたの幸せと私の幸せ、みんなの幸せと私の幸せ。それは相互に連関しているひとつのことです。
経済優先の社会は人と人とのつながりをバラバラにしました。 自然や大いなるものへの畏敬は失われ、利益のために、人間の心のつながり、いのちのつながりは絶ち切られていきました。
その結果、家族や地域、会社や仕事、行政や組織、利害や目に見える関係・・・。 自分と直接関わる人間関係だけが意識の大半を占め、その関係を「わが人生」として生きている方が多い気がします。
そのなかで日々格闘し、悩んだり、苦しんだり、葛藤したり、落ち込んだりしながら、そこでいっぱいになっている方が多いと感じます。 自分と直接関わりのない<みんな>は、なかなか自分の日常意識には入ってきません。(入ってきても自分の人生や日常の外側に置かれています)。

皆さんに考えてほしいことがあります。 <公>(おおやけ)ということです。
経済優先という<公>ではなく、人と人とが心を通わせあい 互いの喜びのなかでつながりをとりもどす<公>です。 自分もみんな幸せにむかう<公>です。
それを人生の軸に入れてほしいのです。 何が<公>か、<公>にとって何が大切か、という問いを自分の日常意識に入れてほしいのです。自分はいつも見えない<みんな>とつながっているのだと意識してほしいのです。一人称の私から、二人称のあなた、そして三人称の彼ら(も含めたみんな)へ。 意識の重心や置き方が変われば、これまで見えなかった視界が開けてきます。意識の使い方、人との関わり方、大切にしたいこと、優先したいことが違ってきます。いっぱいになっていたことが違って見えてきます。

あなたの意識、あなたの心がこの地上を形づくっています。
あなたは無力でちっぽけな存在ではありません。 地上の秩序に流されてただそこにある人生を生きるだけの存在ではありません。あなたは社会に対して受動的に影響を受けるだけでなく能動的に関与することができる主体です。あなたは我よし、経済優先、強い者勝ちの世の中に使われるだけの歯車ではないはずです。あなたの魂は、そんなみすぼらしい地上人生を望んではいないでしょう。
この地上に喜びを広げるために、あなたは生まれてきました。
その主人公として、主体として、生きてほしいのです。
意識、心には実体があります。 意識を使い、心をむけることは現実を変えることです。
それが新しい<公>を現実化するのです。

27/04/2012(金) 17:58:31

No.9706  みゆき
Re: 「自分なり」の対義語の宿題 引用
自分の気持ち、自分がやりやすい、やりにくいなどをいっさい考えず、その時、その状況でいちばんベストな行動や言動をしていく。
自分中心ではなくて、周りを意識していくことだと思いました。
こうすべき、これがベスト、っていうので行動、言動していくだけではなくて、愛情とか、気持ちを込めてやっていく。ことも大切だと思いました。
対義語にあたる言葉は、わかりませんでした。

生活、子育て、仕事などで、自分がいっぱいいっぱいだと、ついつい自分のことばかり目がむいてしまって、周りを意識できず、ひとりよがりになってしまいがちになります。
年をとるごとにそうなっていってるような。。。
気付かせていただきました。ありがとうございます。
周り、全体の中の自分を常に意識して、愛と摂理をもって行動、言動していけるように努力していきたいです。

30/04/2012(月) 10:23:04

No.9707  さき
Re: 「自分なり」の対義語の宿題 引用
わかちあい祭りが無事に終わりました。
この場につながる皆さんからもたくさんご協力いただきました。
(この場をお借りして)ありがとうございました。

「自分なり」の対義語を考える宿題、皆さんのコメントを読みながらそういう捉え方もあるよなーとか新鮮だったり、それぞれの方の味があってなるほどなるほどと思いながら読みました。答えのある問題でなく、それぞれの意識や心の個性や色合いがあって面白かったです。色んな表現があるけどそこで大事にしたいことは重なるし、個性や違いが表現されることで全体が豊かになるっていいよなーと思いました。
私の求めているのはそういう<公>だよなと。

ここ数十年くらいの時代の流れのなかで、大事にしたい<公>、求めたい<公>がなくなってしまったのだと感じています。
いま<公>といえば、会社や組織の利益や利権であったり、その力関係の秩序であったり、漠然とした世間であったり、、なんせつまらないものしかイメージできなくなっていると思います。
そういう<公>って建て前で、どうつきあうかというものでしなかなくて、リアルに大切にしたいものとしては家族、大切な人、生きがいややりがいとしての仕事、、だったりするのではないでしょうか。人間の意識が小粒になった気がします。
それはそれで大切なことであり、意味のあることだと思うけど、人間の意識が小粒になって天下国家を語る人がいなくなったよなーと感じています。というか、そういう意識のある人、語る人はこれまた「自分なり」の知識と意識(感情)のスケールで語るから、独りよがりが多くてそれについていけなかったりするわけです。
だから余計に、人生かけて守りたいもの、大事にしたいものとしての<公>が見えなくなってしまったのだと思います。

それを、地上の多数者にとっての<公>、自分もみんなも幸せに向かう<公>をとりもどしたい、というのが私の関心です。

01/05/2012(火) 12:24:18

No.9708  祐造
Re: 「自分なり」の対義語の宿題 引用
なんだかバタバタしていて、宿題が遅くなってしまいました。

「自分なり」の反対語・対義語 ――― ですね。
「自分なり」が「自分を軸にした考え方・思い方」だとすれば、その反対語・対義語は―――「相手にとってどうなのか、みんなにとってどうなのか、全体にとってどうなのか。」 ってことでしょうか。

僕は「自分なり」が強いのか、よかれと思ってしたことでも、相手に迷惑をかけてしまうことが多いのです。
自分の基準が、みんなとはかけ離れているのかもしれません。
だから、何かするときには、よく考えて発言・行動しないといけない状態なのです。

あと、「みんなにとって・全体にとって」と思ったときに、自分の知っている・イメージできる「全体」が、「本当の全体」なのか…、、。
自分の住んでいる「日常」とは別に、もっと社会的に立場の弱い人たち・より厳しい状況にある人たち・辛い思いをしている人たち―――を思うことができているのか?
僕にとっては、大事な視点なのだと思います。

01/05/2012(火) 23:52:47


No.9705 公共  
新しい公 引用
新しい公というのは、時代を表すひとつのキーワードかもしれませんね。

政府も最近は「新しい公共」ということを言ってますしね。

かのピーター・ドラッガーも未来はNPOが社会の中心になるだろう、というようなことを何かの著書で書いてましたし。

公の中で自分をどう役立てていくのか、というのが社会を変えていくひとつの原動力となるのかもしれませんね。

とはいえ、あまり強迫観念的になる必要はないと思います。
大切なのは情熱。情熱を持って取り組める、ライフワーク的なものがあれば良いのだと思います。

28/04/2012(土) 11:23:59



No.9669 飯沼  E-mail
またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用

私はよく「自分なり」という言葉を使うのですが、最近は特に、「その言葉の意味が共有されていないのかもしれない」と感じることがあります。
言葉の意味というよりも、その言葉が表現している「意識(のスケール・次元・・・)」が理解されていないように思うのです。

私は「自分なり」ということを否定しているわけではなく、「優先順位としてどうなのか?」や、「今の状況や目的にふさわしいのか?」という問いかけをしてきたつもりなのですが、どうやらそれ以前のところで理解されていなかったようです。

これは結構大きな問題かもしれないと思っています。
特に藍子さんのコメントやツイートを読めば、「『自分なり』の反対語・対義語は、『自分なりじゃないこと』だと思っているのではないか?」という印象すら受けます。
(これは批判や否定などではなく、そういう印象を受けるというだけのことですから、誤解しないでください)

考えてみれば、「自分なり」という言葉はかなりあいまいな言葉です。
そこで、宿題です。

「自分なり」の反対語・対義語を考えて、書いてください。
そう思った理由も(簡単にでいいですから)書き添えてください。

今回の宿題の目的は、「それぞれの人の意識のスケールを広げるために」です。
「正解」を書くことが目的ではなく、意識のスケールを広げることが目的です。
ですから、間違いを恐れず、皆さん書いてみてください。
「自分なり」の繰り返し、堂々巡りから脱却するきっかけになると思います。

25/04/2012(水) 11:04:33


No.9670  あきどん
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
こんにちは。 また、一番になってしまいました。。。

自分なりとは、自分の狭い了見。
人間は、思い癖などで、事実を、純粋な事実として見るというよりも、曲解して見る可能性がある。

だから、自分なりの逆は、純粋な事実とか、広い了見ということでしょうか。

25/04/2012(水) 15:10:54

No.9671  まゆみ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」の反対語・対義語は、
自分だけの考えではなく全体としてどうなのかということなので
言葉としては全体・調和ということなのかなと思います。

私はかなり「自分なり」な考え方をする方だと思います。
最近では・・・
放射能汚染のことを考えると食べ物は発酵食を中心に食べるのがいいと思う。
特に福島の人達のことを思うと自分にできることをしたいと思う。
「発酵食レシピ」という簡単な冊子を作ろう。
というふうに自分なりな考えが広がります。
今は発酵食ブームでいろんな本が出てるし、ネットで調べれば情報はすぐ手に入ります。
私が「発酵食レシピ」という冊子を作りたいという「自分なり」の考えは、自分のなかでは、また輪をかけたように、本を買うのは高価だが、この冊子なら…とか、ネットで調べれば何でも分かるけど、手元にこの冊子があればわざわざパソコン開けなくてもいいし…などなど「自分なり」の考えは広がります。

この思いを「自分なり」でなく、私が出した答え「全体・調和」というところから考えるとしたら・・・
今は冊子を作りたいという自分の思いだけが優先している。
発酵食は全体から考えても必要とされているので、自分の実生活を発酵食で充実させ、充実した冊子を作ることに今は専念する。(やっぱり冊子は作りたい←自分なり?)
発酵食がブームで終わることのないよう、働きかけができるように知識もみにつけ勉強していく。
ということかなと思います。

まったく的外れかもですが、ちょうど思っていたところなので書いてみました。
何が自分なりなのかはとても難しいです。
自分の「思い」だけを優先させるのではなく、まわりの状況をしっかりとつかみ、全体・調和を視野に入れ、自分にできることを惜しみなくしていくことだということは思いました。

25/04/2012(水) 15:21:37

No.9672  さいこ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
私が「自分なり」という言葉を使うときの事を考えてみると、自分の考えや思いが中心になっています。
「自分なり」のしっくりいく反対語・対義語が思い浮かびません。
自分の考えや思いに囚われるのではなく、相手や周りの事を優先にして考える、周りと力と心を合せるという事だと思います。

昨夜、帰宅が遅くなって寝不足気味で午後から眠たかったのですが、宿題を読んで目が覚めました。

25/04/2012(水) 15:44:54

No.9673  カピバット
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」は良くも悪くも周りに
左右されずに自分の中の答えや考えを
持っている、周りに影響されない様子、
と思います。

対義語や反対後は上手くは言いにくいのですが、
周りの意見や考えを取り入れながら、あるいは
影響されながら行動を起こす、と思いました。

25/04/2012(水) 15:59:50

No.9674  つばき
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という表現を使う時、
具体的でなくとも対比するなんらかの対象が念頭にあり、
その対象とは自分は立場が違うのだというエネルギーが
流れているように感じます。

「わたし」対「わたしではない人(たち)」というイメージです。

「自分なり」という表現を使う時、その裏には、
自信のなさから来る他人の目を気にした防御があったり、
認められていないなど誰かや何かに対する不満があったりして、
全体から自ら隔絶した独りよがりな個人としての立場を感じます。

なので、「自分なり」の反対は、一言では言えませんが、
個でありながら全体であり、全体でありながら個である
「全体のなかの一部としての自分」という立場かと思います。

25/04/2012(水) 17:38:16

No.9675  ゆみっぺ
またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
自分なりというのは、
自分の考えや思いが中心にあって、それが一番だと思って行動すること。

その反対語は、自分の気持ちは気持ちとしてあるけれども、自分以外の相手や全体を考えたときに
一番良いことはどれなのか?バランスをとることかなぁ?と思います。

自分なりの反対は
自分なりじゃないこと
というのは、何かわかる気がします。

難しい宿題でした。

25/04/2012(水) 18:22:10

No.9676  なみ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
一番に思いついた言葉は「調和」でした。
でも、この言葉もぴったりとあてはまるかどうかですが…

「自分なり」という言葉を考えたとき、自分としての考え方とか解釈、ものの見方で、間違えれば、自分本位でとても偏ったものになってしまうように思います。

「自分なり」の反対は、自分の考え方、思い方にとらわれて、自分のやり方で動いていくのではなく、相手、周りの人、皆はどうなのか?、今一番何が大切なのか?を考え、動いていくことだと思います。
でも、相手、周りの人、皆を優先させすぎて、自分を抑え込んでしまってはいけないとも思います。

だから、自分も相手も皆がよくなるよう、幸せになるように考えて動いていくということで、「調和」(バランス)なのかなと思いました。

でも、やっぱりまだ自分の中で「自分なり」という言葉の意味はあいまいで難しいです。

25/04/2012(水) 20:48:03

No.9677  つまき
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
自分なりの対義語は「普遍的」かなーとか思いました。

自分なりのことを思うと
自分の世界だけで通用する在り方とか考え方、思い方だと思いました。
自分が大切にしてる独特なものを守ろうとする考え方や姿勢でもあるかと思いました。

その反対を考えたら
自分を含めた家族、社会、世界、みんなが大切にしてるものを守ろうとする考え方や姿勢なのかなって思って普遍的なものかなーと思いました。

考えてるとこう思ってること自体自分なり?って思ってしまいます。
感情的で自分なりな私の日々を少し顧みることができました。

25/04/2012(水) 21:42:50

No.9678  ツインズ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という言葉を使うときの感情をイメージしてみると、自分としてはベストを尽くしたのに、どこか結果がうまくいかない、認めてもらえない、という少しネガティブな感情が思い浮かびます。

でも、その感情には本当はどこか自信のなさが混じっていたり・・・。

対義語は難しいですが、自分の行動に迷いがないときには「自分なり」とは使わないような気がします。(相手に対する謙遜の場合は別ですが)

普遍的であり、絶対であり、最善と思うとき、でしょうか。

25/04/2012(水) 22:34:21

No.9679  エーチャン
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という言葉で浮かぶイメージは(自分の体験から)、自分を守るために屁理屈を並べてしまう、他の人々とのつながりが意識から離れ、閉ざされた世界で同じパターンの思考を延々と繰り返してしまう、こう書くとまさに幽界の住民ですね。あくまで私自身のイメージと言うことですが、それを前提にして対の言葉として浮かんだのは、「皆も自分も幸せに」です。自分を犠牲にすると言うのではなく、自分もうれしく、また他の人々にとってもよろこびとなるような思考、思考が伸び伸びと広がっていって、「他の人々」の範囲がどんどん拡大していく、そのようなイメージの言葉です。

25/04/2012(水) 22:59:32

No.9680  きんもくせい
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
反対語、対義語と言うと、「共に調和へ向かうこと」かと。
自分なりに、自分の思いや見解もありながら、それはそれとして、相手の気持ちや置かれている環境やら、あるいは出来事であれば、その出来事に到るまでの経緯やらを思い計って、その上で皆が喜べる方向に向かえるように、共に!と思います。
ただ「自分なり」で動いては、例えもしかするとそれが正しかったとしても、その時、それが相手に伝わるか、出来事を動かせるかわかりません。
あるいは、全くもって自分なりが間違っているかもしれません。
だからこそ、その時の自分の気持ちを持ちながらも、むしろ、向き合う人、出来事に、愛を持って共に幸せになる道を考えていこうとすることが必要なのでないかと。
でも、その上で、自分の思いに間違いがないのであれば、そして、伝えることが必要であると確信するならば、自分なりの思いは、決して自分なりのものではなく、皆に喜びをもたらすものになるのかもしれない。
何て、偉そうに言っている私が自分なりなのかもしれませんが、常に全体が良くなるように、皆が幸せになるようにという視点は持ちたいと思います。

25/04/2012(水) 23:57:47

No.9681  鉄ママ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
『自分なり」の反対語 対義語 
私に関わる全てのもの、人、に対する幸せのためにどう言動していくか。
そこに通すものとして「人として優しく 人として正しく 皆も自分も幸せに」

26/04/2012(木) 00:07:49

No.9682  すなめり
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
久しぶりに投稿したくなりました。
皆さまの考えに共感する部分が多く、勉強になります。

僕の言葉では、分り辛く、申し訳ないのですが、

”自分なり”の心は、淀んだ池、満たされた器の様で、
”空っぽ心”は、絶えず水が流れ出て、また新しい水が流れ込む余地がたくさんある。
新しい水を感性と例えるなら、人は、いつも新鮮な、たくさんの感性を取り入れる事ができる。

だから、”空っぽの心”ほど、色んな物事を感じることができる。
色んな物事とは、既に皆さまが書かれた事だと思います。

僕は、「心は、なるべく”空っぽ”でありたい」
という願望から、また、言葉の響きも含めて、

「自分なり」の反対語は、「空(くう)なり」

という表現がしっくりくる様な気がしています。

重力が時間の流れを曲げるならば、重い心を解放した極致には、時間を超えた感覚さえも感じる事ができるかも…。

…なんて思います。
飛躍しすぎているかも知れませんが…。

26/04/2012(木) 04:48:51

No.9684  藍子 ホームページ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」と言うのは、自分にしか通用しないものだという気がします。なので、その対義語というのは、全体に通用するものなのかなあ、と。

昨夜みやっちとそのことについて話していて、「自分なり」というのは、生きていく中で身に着けた癖とか抜け出せない思い方だとか、そういうものじゃないか、と。だから「自分なり」の対義語となると、神や魂の意志など、まっすぐと在るものではないかという話になりました。

「自分なり」の繰り返しから脱却したいです。

26/04/2012(木) 08:08:23

No.9685  kanda
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
おはようございます。

「自分なり」の反対語

「大きな視点で、皆と共に…」かな。

自分なりは自分勝手につながっていて、正しいことも多いと思うけれども、思い込みが入り込んでいると思います。そして、主張する感じがします。

自分を持ちつつ大きな視点で、そして人に合わせていくのではなくて、皆と共に考えていく。

言うのは簡単ですが、難しいです。
言い訳も「自分なり」だなぁと思ってしまいました。
気を付けていきたいです。

26/04/2012(木) 09:52:24

No.9686  なみ(代理投稿)
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
母からです。

「自分なり」の対義語?って考えてみたのですが、よくわかりませんでした。
私が「自分なり」という言葉を一番多く使うときは、人や物事に対して何かをするとき、させてもらうとき、誰から見てもこうするのが良いんではないか、こうすべきなんじゃないかとか、こうしてください、ああしてくださいと言われたとき、私にはそこまではできない、今の状況で、こんな環境で、そんなことまではできないと。せめて「自分なり」にできることで……というふうに使ってきました。

だけど、そんなとき、いつも「自分なりでごめんなさい。」と思ってしまうのです。誰に謝っているのでしょう。目に見えない神様にでしょうか。真理にでしょうか。(それなら、対義するものって神様でしょうか、真理でしょうか。)

多分、しなければならないこと、思いを込めなければならないことを自分のどこかでわかっているのだろうけれど、自分の尺度で、勝手な思い方で、「自分なり」という言葉の中に逃げ込んで、正しいことから目をそむけ、自分に折り合いをつけ、納得させて楽なほうを選んで生きてきたように思います。

だから、「自分なり」という言葉は、私の中では心地よく馴染んでいますが、改めてたくさんのことを思い、考えました。
解答になっていなくて、すみません。

26/04/2012(木) 10:33:05

No.9687  しのしの
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
人間自分の器以上のことを考えられないと思うんです。だから、「自分なり」というと、自分のできる範囲、自分の頭で考えられる範囲だと思うんです。
そう考えると、その反対語となると難しいと思いますが、一つは、他人の意見を参考にしながら行動していく、考えていく。二つめは、自分では考えずに、人の言った通りに行動する。他人に全く依存している。ってこと仁なるかなと、思いました。
難しいですね。

26/04/2012(木) 12:36:57

No.9689  ひろこ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用

私の中での自分なりの対義語・反対語は
自分の生活がありながらも、社会の中で人として正しく、優しく、
前線に立って立ち向かって、人々に刺激を与えて世の中を変えて
行こうとする人の事だと思っています。

掲示板で私はいっぱい自分なりと書いてしまっています。
今しないことの言い訳とそこで簡単に終わらせる為に
使っていたと思います。

自分の今の状態を精一杯(それでもイライラしたり暴言吐いたり、その都度反省・修正し)毎日進んでる中で人として優しく正しく
言動して、喜びをというのが自分なりという気持ちです。

26/04/2012(木) 15:20:08

No.9690  sono
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
自分なりの対義語・・・

難しいですね、先ず「自分なり」の定義って、

・自分の価値観のなかで、ベストの考えや行動。

・自分の価値観のなかで、??常識”とされる枠の中での
考えや行動。

じゃぁ、自分なりの対義となると、

・自分の価値観の範囲外の、ベストな考えや行動。

・自分の価値観の範囲外の、??非常識な”考えや行動。

っていう事になる。

自分なりに考えたり行動することが良いとも悪いとも、
また自分なりを超えた考えや行動をすることが良いとも
悪いともいえないですが、

今の私に必要なのは、『自分なり』という既成概念を
??善”の意志を持って、超えなければならないということ、
のような気がします。

お題をありがとうございました。

26/04/2012(木) 16:49:48

No.9691  tomoako
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」って どんなときに使うかなぁ〜って考えました。

こんなときに家庭内での 状況で 答えることしかできなく 

程度が低くて 恥ずかしいのですが。。。

私は 夫にしかられたときに 「わたしなりに・・・」っていう言葉を よく使います。 

こんなに頑張っているのに わかってほしい、褒めてほしい 認めてほしいっていう気持ちが強いときには特に。

私なりに の 反対語といえば 単純にいえば あなたなりになのでしょうか?

それで、思ったことは わたしは あなたなり「夫」の苦しみや辛さを 全然わかってないと気づきました。 

>「意識(のスケール・次元・・・)」が理解されていないように思うのです。

そうです、この言葉に 小さな自分を 恥ずかしく思いました。 

そして

>「優先順位としてどうなのか?」や、「今の状況や目的にふさわしいのか?」

この言葉にも 深く考えさせられました。

 
同じ空間の中で 共に過ごしているのに 夫と比べて 私は 魂の 容量が とても狭いと痛切に 感じました。

沼さん、貴重な宿題を与えてくださって ありがとうございます!

26/04/2012(木) 20:11:18

No.9693  和也
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」の反対語は「調和」かなぁと思いました。
人が例えば「正しい」「こうすべきだ」等と考えることは、その人なりの人生での経験、価値観、更には前世までの経験や魂の約束、今生での課題などが関わってくるように思います。
なので、皆違う人生(前世も含めて)を歩んできているのですから、考え方が様々なのは当然のことだと思いますし、特に物事の優先順位の違いなどは、それぞれの「違い」として顕著に現れるのではないでしょうか。
誰が正しくて、誰が間違っているということではなく、意見の違うどちらも間違ってはいないという場合もあるでしょう。

そんな中で、「自分なり」を貫き通すことだけしか見えていない状況は、決して好ましいことではないのだと思います。
それぞれの人の考え方の違いや、未熟さなどがあることを、もしできるならその人の持っている考えの背景・原因までも含めて理解した上で、それを大きく包み込んで、その中で全体のより良い「調和」を目指すのが本当は望ましいことのように思います。

もちろん、相手の意見・考え方に迎合するのが調和という訳ではなく、場合によっては、様々な状況を熟慮した上で、自分の考えを貫き通すことが調和への道だと結論を出す場面もあると思います。
見かけの調和に囚われずに、「自分なり」の考えを自信を持って貫くことで、その結果本当の調和がもたらされるということも少なくないと思います。

実際の言動においては、良かれと思ったことが裏目に出たり失敗したり、なかなか難しいことも多いと思いますが、そのような意識を持ちながら努力する、そのことが一番大切なのかもしれません。

26/04/2012(木) 21:36:33

No.9694  久美
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」の反対語で、まず頭に浮かんだのは「調和」でした。

「自分なり」は、自分の側から物事を考えるので、一歩間違えば、自分にとっても全体にとっても嬉しくない方向へ向かうかも知れません。
自分の側からの視点だと、偏った考え方をしていても気づかずに、真実から大きくずれてしまう事もあります。
あるいは、その時々で優先することが違うのに、「自分なり」の一辺倒な考え方ばかりしていると、一番辛い人に寄り添えないかも知れません。
そうなったら、自分もみんなも幸せからどんどん遠ざかってしまいます。

なので、自分もみんなも幸せになるためは、「自分なり」ではなくて、「全体の調和」を考えて大きく意識を広げて行くことが大切なんじゃないかと思いました。
自分はなかなか出来ないんですが・・・。

26/04/2012(木) 21:37:47

No.9695  オレンジ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という言葉は自分独自の考えや、自分自身としてはこう思うというような肯定的な意味合いの時も使うと思います。
その場合の反対語は対称となるもの全体かなと思います。

誰かに「それは自分なりの考え方、思い方」だと言われた場合たとえ相手が批判しているつもりはなくても自分中心の思い方や見方をしていると言われたように捉え、いかにも非難、批判されたように思い私なら翳りに向かってしまいます。

26/04/2012(木) 22:07:36

No.9696  あきこ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」と対になる言葉として「全体としての喜び」
基準にするベースを自分〜にするのか全体として〜捉えるのかの違い

「自分なり」の捉え方のひとつとして、自分の経験値や自分が把握している自分の実力の範囲内で考えるなど、ある意味その人にとって一番現実的な考え方、行動の仕方で、今までの自分の延長線上にあるのでやりやすい

全体としての喜びを基準にすると、今までの自分の基準にはない所も意識して判断していくことになる。いずれにしても、慣れ親しんだ範囲ではない答えを今の自分に結びつける事が必要になるので、今までの自分からすると無理しないといけなかったり、かなりの勇気が必要になったりもする。

自分の延長線上にはない答えが先に出ることもある。今までの自分では絶対に出さない答えなのに、あとあと考えるとそちらの方が理にかなっていて、周りの状況もそろってくる。


考えすぎてよく分からなくなっていました。
愛は時空を超えても読んですぐピンと来なかったので
何度も読んだのですが
直接関係ない文章になっていたらすみません。

26/04/2012(木) 23:44:29

No.9697  ひとみ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という言葉だけを考えたり、人から言われたりすると、どうしても自分中心のような気がして嫌な感じがしてしまいますが、でも自分が何か質問され、その回答(意見)を伝えるときって、まずは自分の気持ちだったり、思いだったりを伝えると思う。
だから、どんな事でも先ずは自分なりっていうのは出てるんじゃないかなぁって思います。

その後に、自分とは違う周りの言葉を聞き、参考にしていけたら、自分なりは少しずつ薄くしていけるのかなぁ?

ってぬまさんの質問からずれてる気がしますが・・。
自分なりの対義語は、よくわかりませんが自分の思いじゃなく、自分以外の相手の思いを考えることなのかなぁと。

うーん。私には難しい。

27/04/2012(金) 00:02:07

No.9698  飯沼 E-mail
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
☆三田さんからのメールを代理投稿します。

今までは、自分なりとは、個性、考え方等、自分独自の全てと漠然と捕らえていましたが、考えて見ると統一された基本(魂の意思に添った生き方をしたいと思う心)に対して、それぞれが思考し、行動する過程に自ずと『自分なり』が出てくるのではないかと思いました、
従って『自分なり』とは人間本来の統一されたものがあって初めて成り立つ事かな−。
見当はずれかも知れませんが、心に浮かんだままを書いてみました。

27/04/2012(金) 08:51:35

No.9700  さき
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
このところ、公(おおやけ、公共)を意識に入れることが必要だと考えていました。ぬまさんの質問の答えになっているかわからないけど関心、テーマがつながっててびっくり。
以下、悠々通信の「はじめに」として書いたものです。

************
人として正しくやさしく、自分もみんなも幸せに。 
そう願うからこそ、私たちはこの場につながっています。あなたの幸せと私の幸せ、みんなの幸せと私の幸せ。それは相互に連関しているひとつのことです。
経済優先の社会は人と人とのつながりをバラバラにしました。 自然や大いなるものへの畏敬は失われ、利益のために、人間の心のつながり、いのちのつながりは絶ち切られていきました。
その結果、家族や地域、会社や仕事、行政や組織、利害や目に見える関係・・・。 自分と直接関わる人間関係だけが意識の大半を占め、その関係を「わが人生」として生きている方が多い気がします。
そのなかで日々格闘し、悩んだり、苦しんだり、葛藤したり、落ち込んだりしながら、そこでいっぱいになっている方が多いと感じます。 自分と直接関わりのない<みんな>は、なかなか自分の日常意識には入ってきません。(入ってきても自分の人生や日常の外側に置かれています)。

皆さんに考えてほしいことがあります。 <公>(おおやけ)ということです。
経済優先という<公>ではなく、人と人とが心を通わせあい 互いの喜びのなかでつながりをとりもどす<公>です。 自分もみんな幸せにむかう<公>です。
それを人生の軸に入れてほしいのです。 何が<公>か、<公>にとって何が大切か、という問いを自分の日常意識に入れてほしいのです。自分はいつも見えない<みんな>とつながっているのだと意識してほしいのです。一人称の私から、二人称のあなた、そして三人称の彼ら(も含めたみんな)へ。 意識の重心や置き方が変われば、これまで見えなかった視界が開けてきます。意識の使い方、人との関わり方、大切にしたいこと、優先したいことが違ってきます。いっぱいになっていたことが違って見えてきます。

あなたの意識、あなたの心がこの地上を形づくっています。
あなたは無力でちっぽけな存在ではありません。 地上の秩序に流されてただそこにある人生を生きるだけの存在ではありません。あなたは社会に対して受動的に影響を受けるだけでなく能動的に関与することができる主体です。あなたは我よし、経済優先、強い者勝ちの世の中に使われるだけの歯車ではないはずです。あなたの魂は、そんなみすぼらしい地上人生を望んではいないでしょう。
この地上に喜びを広げるために、あなたは生まれてきました。
その主人公として、主体として、生きてほしいのです。
意識、心には実体があります。 意識を使い、心をむけることは現実を変えることです。
それが新しい<公>を現実化するのです。

27/04/2012(金) 11:03:34

No.9701  ちぃ
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」という言葉は私もよく使いますが、対義語を考えるととても難しく感じました。
「自分なりじゃないこと」が一番しっくりくるのですが、
私がこの言葉を使ったり思ったりする時は
自信が無かったり結果が伴わなかったりする時や、
自分の気持ちや考えに重きを置いて自己中心的になっているかも・・・と思う時かなと思いました。
としたら対義語を考えると、自分も含めた全体なのかなと思ったのですが難しいです。

27/04/2012(金) 12:42:22

No.9702  みやっち
Re: またまた「宿題」です。今回は、「自分なり」について 引用
「自分なり」の反対語・対義語は、霊界や神様からのはからい、
摂理、法則、自分の魂の意志、自分が本来もっているはずのもの
かなと思います。
わかりやすくすると素直とか正直なのかな・・・。
(これは今、ふと思いました。)

27/04/2012(金) 12:55:27


No.9692 ちづも  
(No Subject) 引用
考えてみましたが、具体的にすっきりわかりませんでした。

自分なりとは個としての立場や考えやポリシーに偏るという
イメージなので、自分なりの反対は、全体を思う・その一部になるという感じがします。

26/04/2012(木) 20:48:29



No.9683 それいゆ  
(No Subject) 引用
”自分なり”の向こう側にあるのは ”解放”かな、、、
自分なりを持ち出しては打ち砕かれた。
打ち砕かれて、あらためて不自由だった自分を知る。

自分なりは、守りやこだわりを強くし、自分を縮める。

一晩中考えていたわけじゃないけど、朝目覚めて思ったことです。

26/04/2012(木) 06:46:20


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