改めまして、関東定例会に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。 前回もそうでしたが、今回もとても意義深い場になりました。 懇親会では、篠山の定例会に参加したことのない方たちとも少しお話ができて、嬉しかったです。 夜は夜で、あきら&ひとみさん宅で、つばき&きんちゃんや2部に駆けつけていたあっこちゃんたちといろんな話ができました。 存在感の大きかった愛犬サクラがいないのは予想以上に寂しく感じましたが、みおちゃんや愛犬クルミの愛らしい様子に和まされました。
日曜日は川口での直接ヒーリングの後、大宮から新幹線で福島に入りました。 福島は数年ぶり、2度目です。 福島駅から出てみれば、マスクをした人すら見かけず、関西と同じように全く何事もないかのような人々の様子です。 あきらさんに借りてきた線量計は福島に入ってから毎時1マイクロシーベルト前後で推移しています。(埼玉では0,07程度でした) そういう中を、小雨に濡れながら、高校生や若い人たちが談笑しながら通り過ぎていきます。 福島の人たちの現状認識の甘さというか無頓着さに何とも言えない気持ちになりました。
夜に、ごく普通の小さなラーメン屋に入りました。 おばさんが一人で、客と話を交わすこともなく、黙々と切り盛りしています。 その店のラーメンは私が学生時代に東京で食べていたような、鶏がらスープのしょうゆ味の昔風のラーメンでした。 私たちはカウンターに座っていたので、「福島の人は放射能のことで怒ってないんですか?」と、女将さんに軽く原発事故の話を振ってみました。 はじめは戸惑ったように、「怒るよりも、こうして働いて生きていかなくちゃいけねからね」と答えた女将さんでしたが、それに続けて、 「福島の人は見捨てられたんだから。パニックを起こさせないために、本当のことを知らされなかったんだもの」 「政府は初めから分っていたのに、放射能の情報を隠したんだ。避難した地域の近くには、避難指示の何時間も前から茨城や他府県のバスが待機していたという話だ。分っているのに、私たちには知らされなかったんだ。本当のことを知らされなかったから、汚染のひどいところに逃げた人もたくさんいる。私たらは見捨てられたんだよ。皆そう思ってるよ。」 と語り始めました。 寡黙そうな女将の抑制された話しぶりを越えて伝わってくる思いに、初めて福島の人の生の話を聞く私たちは言葉を失いそうになりました。 私たちが関西から来ていることを知ったその女将は、「関西の人にお礼を言わなければね。避難した人たちをたくさん受け入れてくれて、感謝しているんです。 だって、受け入れてくれなければ、福島の人はどこへも行くところがないからね。ありがとうね」と言うのです。 その言葉にさきさんは明らかに涙声になって、私は汗を拭くふりをして涙をぬぐいました。
翌日は午前も午後も、放射能から子供たちや若い人を守ろうとしている人たちとお会いしていろいろな話をお聞きし、私たちもどのような協力をさせていただけるのか話し合いました。 昨日も書いたように、私たちの新しい冊子(福島の人たちへの手紙)の配布もしていただけそうですし、ヒーリングのスペースの提供してもらえそうな感じです。 そのグループの事務所には、米沢に避難している若いお母さんもスタッフとして通勤しており、何とも言えない気持ちになりました。 というか、「こんな若い女性も福島の人たちのために頑張っているのだから、私たちにできることは何でもしていきたい」と強く思いました。 その女性は、「すでに福島では何とも言えない体のだるさを感じている人が増えていて、私自身もその一人です。免疫力を高め、被曝による被害を防ぐために、民間医療でも代替医療でも、できること・良さそうなことは何でも紹介していきたいと思っています」とのことでした。 他のスタッフもかなり積極的にそう考えておられるようで、見えないエネルギーによるヒーリングに対する違和感や偏見もない様子でした。
高校生の子供さんを持つというスタッフの女性は、事故が起きるまで原発のことに意識が向いていなかったことを悔い、子供さんに謝ったそうです。 「全ての人に命の大切さに気づいてもらい、新しい世の中に向かうために自分たちは被曝したのだと思います。今の状況ですから、できるだけ多くの人が避難することが最優先ですが、やはり避難できない事情を抱えている人は非常に大勢います。福島の人たちはすでに棄民にされてしまったのだから、私たちがその人たちを見捨てるのではなく、できる限りのフォローをしていきたいと思うのです」 「福島の放射能を帯びた瓦礫も他府県に搬出するのではなく、私は福島で管理するしかないと思っています。他府県の人たちを被曝させて、私たちと同じような思いをさせたくないのです。もう誰にもこんな思いをさせたくないのです」と話してくれました。
この言葉に私もさきさんも涙が流れ、今思い出しても涙が出てしまいます。 「こういう状況にあっても、人間の心ってなんと美しいのだ」と、魂が打ち震える思いでした。
月曜日は、福島市でも線量が高いといわれている渡利地区に行きました。 福島駅から車で10分程度の静かな住宅地です。 渡利地区は広く、住宅地の向こうの低い山の付近の線量が高いのだそうですが、実際にはその地域の中心のスーパーマーケットと中学校の間の路地には毎時10マイクロシーベルトのところもありました。 中学校の垣根のあたりや民家の庭先の地表近くでも4マイクロそれ以上も、ごく普通に計測できます。 そこでもやはり、マスクもしないで普段と何も変わらない様子で暮らしている人たちが大勢いるのです。
菜園で野菜を作っている65歳ぐらいのおじさんに話かけてみました。 「自分たちは何の知識もなかったので、テレビで『健康に影響はない』と言っている話を信じてしまった。地震で断水していたから、爆発が起きた後も、給水車の周りで何時間も口を開けて、みんな並んで待っていたんだ。誰も何にも教えてくれなかった。情報が出始めたのは6月ごろになってからだった。このあたりでも、特に子供のいる家は避難している家族も少なくないが、最初のきつい時にみんな放射能を浴びてるからね。最初にすぐに避難した人はよほど知識があった人だけだ。うちも少し前に孫が生まれて、うちは幸い無事に生まれてくれたが、やはり心配だった。影響が出るのはこれからだから、だんだん大変になってくるんじゃないか。どこに言っていけばいいのかも分らないから、皆おとなしくしているけど、内心は不安だし、皆いろいろ思っていると思うよ」と穏やかに話してくれました。
渡利地区はバスの便が少ないので行きも帰りもタクシーで移動したのですが、10分程度の短い時間でも、ドライバーはいろいろ語ってくれました。 帰りの女性ドライバーは、「他府県から来た人からは、『福島の人はおとなしすぎる』と言われるけど、みんな怒っていてもどうしたらいいのか分らないんです。国も県も市も、本当に何もしてくれませんからね。私たちも自分たちだけでは何をどうすればいいのかも分りませんし、なんにもできません。○○学園の敷地からは30マイクロ(毎時)が出ているそうです。人がいるところですよ。私の知り合いなんて、家の中で0,9マイクロもあるんですよ。拭き掃除しても変わらないので、どうすることもできません。私は機械を持っていないので自分の家がどうなのかも分らない。私はもう避難する気持ちにはなれませんが、子供たちにはなるべく帰ってこないように言っています。」と、訴えるように話してくれました。
福島の人たちの多くは声を大きくしては言わないし、マスコミもそういう報道の仕方をしているのでしょうが、やはりほとんどの人は大きな不安とどうしようもない無力感を内に抱え、「見捨てられた」という自分の存在に対する深い寂しさとある種の絶望感に打ちひしがれているように感じました。 その重さの全てを共有することはできなくても、福島の人たちには本当の意味での「力としての癒し」が必要なのだと思います。
皆さんが持つそれぞれの力をさらに高め、高めた力を惜しみなく出しあって、福島の人たちに喜びの力を提供させていただきましょう。 福島の人たちに本当の安心をもたらし、福島から日本の夜明け、地上人類の夜明けが始まるように、渾身の力を注いでいきましょう。
なお、さきさんの感想は以下のアドレスのブログです。 合わせてお読みください。 ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/724d809181f502828c29637d0247fa93 |
26/10/2011(水) 18:15:58
No.9079 ひろこ |
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ぬまさん、さきさん ありがとうございます。 お疲れ様でした。 ため息が出ます。何度も何度も読み、自分の頭と心に刻みます。 多くの人に伝えたいです。 |
26/10/2011(水) 23:38:41
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No.9080 ホープ |
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飯沼さん、さきさん、本当に何といっていいか・・ 言葉か出ません・・・。 |
27/10/2011(木) 08:36:17
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No.9081 puhpuh |
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飯沼さん、さきさん、お疲れさまでした。福島の方々生の声に胸が痛みます・・・ 無関心な人々を前に、声を上げることができなくなってきた私ですが、もう一度がんばっていきたい。 いくら日本全土が被曝されようとしていても、まずは福島に住む人々を救うことが優先ですね。「国は見捨てても、私たちは見捨ててなんかないよ。」って伝えたいです。 |
27/10/2011(木) 15:44:04
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No.9083 あきら&ひとみ |
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飯沼さん、さきさん、お疲れ様でした。
出来る限りの事を僕らもしていきたいと強く思っています。 そのために僕もひとみも自分自身の力をもっと高めていきます。 |
27/10/2011(木) 23:02:48
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No.9084 飯沼 |
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はい。 私も、「国は見捨てても、私たちは見捨ててなんかないよ。」って伝えたいです。 身を以て、形にして、その思いを伝えていきます。 福島のことは決して他人事ではありません。 福井の原発群で大事故が起きていれば、私たちが見捨てられていたのです。 それに関東や関西でも、放射能社会で生きていくしかなくなっているのです。
関東では中性子線が計測されているという情報があります。 福島原発は収束には程遠く、今月22日にもおそらくは再臨界による水蒸気が噴き上がっています。 下の映像は22日の午後5時〜6時の映像を3分間に短縮したものです。 始まって1分過ぎぐらいに、急に大量の水蒸気が噴き上がっています。 ttp://www.youtube.com/fuku1live#p/u/40/yfUBMkddhE8
厚木市の子供さんに尿からもセシウムが検出されたそうです。 厚木市の市会議員のブログの情報です。 ttp://nackyland.blog123.fc2.com/blog-entry-78.html |
27/10/2011(木) 23:38:22
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No.9085 飯沼 |
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ベラルーシの教訓 (大検セミナー「わくわく日記」より)
(前半部は略します)
広島水爆の40倍とも60倍とも言われる大量の放射能が降り注いでしまった東北、北関東。多くの町の空気線量が0.5マイクロシーベルトを超えている。
僕はチェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシの現状を何度かこのブログで書いてきた。事故後、0.28マイクロシーベルト以上の放射線量の村が全て廃村になっている。事故の7年後あまりに多くの子どもたちが、甲状腺癌やリンパ癌にかかり、村が閉鎖させれたのである。
チェルノブイリから180キロ圏内のほとんどの村が消えた。
この事実を知って、黙っていられる人間はいないだろう。東北のほとんどとは言わないが、0.28を超えない町を東北・北関東で探すことの方が困難だ。
癌だけじゃない。0.3マイクロシーベルトを超えれば、心臓発作やクモ膜下出血等のリスクが急に増えることが、報告されている。
幸いにも、僕の自宅も教室も線量は0.06〜0.09の値だ。しかしちょっと離れた田んぼを測ると線量はだいぶ高くなる。
市内の中学校では、教室内の放射能値が0.5マイクロシーベルトを超えている所がある。学校の先生は「安全です」を連呼しているが、僕は根拠を知りたい。
ttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-16cc.html |
28/10/2011(金) 14:45:09
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No.9086 みさお |
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飯沼さん さきさん お疲れ様でした。
あきらさん ひとみちゃん 関東定例会おつかれさまです。
紹介されているブログ今読みました。
書かれている 中学生の事 驚きとショックです...
皆さんが持つそれぞれの力をさらに高め、高めた力を惜しみなく出しあって、福島の人たちに喜びの力を提供させていただきましょう。 福島の人たちに本当の安心をもたらし、福島から日本の夜明け、地上人類の夜明けが始まるように、渾身の力を注いでいきましょう
私も そうさせて頂きたいと 思っています。 また 思っている事 書き込みさせて頂きます。 |
28/10/2011(金) 22:09:44
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