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No.9119 みんと  
悠々塾の放射線がかなり高いのですが 引用
放射線を放射線で治す・・・
冷め切った放射線(人為的に作られた)を温かな放射線(パワースポットに存在するような)に変換できるんじゃないでしょうか?

思いつきですが・・・。

04/11/2011(金) 22:36:51



No.9091 さき ホームページ 
NHK「あさいち」ひどい! 引用
10月17日にNHKのあさいち、という番組で、
<放射線大丈夫?日本列島・食卓まるごと調査>
ttp://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/10/17/01.html
というのがあってちょうど見ました。
福島や東京の家庭に調査協力してもらって、
そのお宅で1週間、食事を1人分多めにつくってもらい、
実際に食べたものを一食ごとに全部ミックスしてミキサーにかけ、
その放射能を測るというものです。
通常より時間をかけ(2時間)高い精度で検査。
で、福島(郡山・那賀川)、東京、大阪、広島、北海道の7家族が
実際に食べたものを測定したら、ほぼゼロ、問題なし。
5家族から(1週間のうち1日だけ)5ベクレル/キログラム程度の
のセシウムが検出されたというものでした。

福島の2家族は完全に地元野菜を食べてるのですが、
それでも1軒はゼロ、1軒もほとんど問題なしの数値でした。
(逆に非常に食べ物に注意を払っている東京の家庭からでてた)
ほんまかよ??と疑いながらも、だったらいいけどとぬまさんに話したんです。
その後も気になってたのですが今日ぬまさんから情報。
↓こちら見て下さい。
ttp://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1049.html

番組HPが書き換えられていました。
番組で放送した調査結果は消されていて、
機械の故障等で正確なデータではなく再分析中、だということ。
これはひどい!!!
あの番組見て、食品による内部被ばくを心配している人たちがどれほどホッとしたか。
そんなに気をつけなくても大丈夫なんだと思った人がどれだけいるか!!
もし皆さんの近くにあの番組見たが人あったら「あのデータは間違い」とはっきり伝えてあげて下さい。

31/10/2011(月) 19:30:16


No.9092  飯沼 E-mail
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
NHK、ほんとにひどいです!!

私はその番組は観てなくて、後でさきさんから聞きました。
「セシウムが本当に検出されていないのだったらいいけど、サンプル数が少なすぎて分からないし、食事を検査した家庭がどういう経緯で選ばれたのかも分からない。それにもしもかなりのセシウムが検出されたら、NHKはどうするつもりだったのか?」と思いました。
しかし、「機械の故障等で正確なデータではない」とは一体どういうことなのでしょう?
マスコミはすでに全く信用できないどころか、洗脳機関に成り下がっていますが、少しでも良心が残っているなら、HPの書き換えなどで誤魔化すのではなく、もっと大々的に説明しなければなりません。

再検査のデーターなど信用できるはずもないのですから、まずは「機械の故障で正確なデーターが得られなかったことと、その責任がどこにあるのか」をきちんと説明しなければなりません。

いずれにしても東電はもちろんのこと、政府やマスコミの言うことを信用しているとひどい目にあわされてしまいます。

31/10/2011(月) 20:58:34

No.9093  祐造
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
本当にひどいです!

これはもう意図的な情報操作だと思います。

福島や関東の人たちが(特に、母親・主婦さんたちが)どんな思いで「食の安全」に気を使い、「せめて子どもたちには内部被ばくさせたくない!」と日々どんなに悩んでおられることか!

善人面して偽りの安心を流布するNHKって何なんでしょうか。
高額な「受信料」を無理やりむしりとっているNHKは、支えてくれている「お客さま」よりも権力者が大事なのですね。

これはもうBPO(放送倫理・番組向上機構)に摘発してやる!、と思ったのですが、調べてみたらダメでした、、、。
なんとBPOの設立母体は「NHK]。
BPOの理事の3人はNHK関係者でした。
そして、BPOは千代田区紀尾井町のNHK施設、千代田放送会館に入っている…。
ttp://www15.atwiki.jp/houdou/pages/78.html
世の中、本当によくできていますね。

人を大事にする、いのちを大事にする真っ当な世の中に変えていかなくては!、、と強く思います。
頑張りましょう!

01/11/2011(火) 02:32:50

No.9094  飯沼 E-mail
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
「市民放射能測定所」のデーターを見ても、幸いにして現状では食料品にセシウムなどもさほど大きな数値は出ていないようです。
しかし、数十ベクレル程度のセシウムが検出されている食品も少なくないので、やはり子供さんのいる家庭では注意が必要だと思います。
ttp://www.crms-jpn.com/mrdatafoodcat/

特に福島は原発の爆発に伴う放射能を浴びているのですし、今も空気中の線量が高いのですから。
しかも、食品によるものだけではなく、土埃に混じった放射性物質の粒子を吸い込むことでも内部被曝するのです。

武田邦彦さんの、「2015年放射能クライシス」(小学館・1260円)はとても分かりやすく書かれています。
(私はまだ半分程度しか読めていないので、内容の論評は差し控えますが)

とにかく、マスコミは情報操作の機関であるという事実を前提に、物事の真実を見極めていかねばなりません。

福島の子供たちの約半数に「甲状腺の内部被曝がある」という見解もあります。
それは単なる予測ではなく、公開されたデーターからの推論です。
すでに福島の子供たちや大人にも、鼻血やのどの異変や下痢や倦怠感、免疫力の低下などの症状も激増しているようです。

本当に、「人を大事にする、いのちを大事にする真っ当な世の中に変えていかなくては!」、、と強く思います。
頑張りましょう!

悠々塾につながる皆さんが本気になってヒーリングの力を高めることで、お役に立てることはたくさんあるのです!

謙虚に自分を顧みることはもちろん必要です。
小さな自分なりの気持ち、小我の怒りや不満は克服すべき未熟さです。
しかし私たちは、踏みにじられている人たちや苦しい思いを強いられている人たちへの共感の涙も流さないような冷たい人間になるために地上に生きているわけではありません。
この状況において、人としての怒りに身を震わせることもないとすれば、それは「悟り」や「安定」ではなく、「抑制」か「無関心」というかげりであると、私は思います。

私たちよりもはるかに進化した高級霊でも、「涙を流すことがある」とシルバーバーチは伝えています。
それはもちろん小さな自分なりの小我の涙ではありません。
人のことを思えばこその涙なのです。

共感の涙や人としての怒りすら抑制し、当たり障りなく振る舞う情けない自分にさよならして、地上に生きる霊としての思いの丈(たけ)を表現していきましょう。
周囲からどう思われるかを気にして、お行儀よく、当たり障りなく生きることは、福島の人たちを見棄てることにつながるのです。

01/11/2011(火) 10:26:00

No.9095  さき ホームページ
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
ユーチューブの動画です(9分)
ttp://www.youtube.com/uniontube55?gl=JP&hl=ja
原発いらない福島の女たち

01/11/2011(火) 12:25:53

No.9096  puhpuh
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
本当にNHKひどい番組でした。これじゃあ、「大丈夫なんだ。」と思わせられる・・・

「人を大事にする、いのちを大事にする真っ当な世の中に変えていかなくては!」私も強く、強く思います。

ヒーリング以外にも何かできることがあれば、教えてください。

最近は身近で放射能問題を気にしている人の会のメンバーでも、「自分の子供の安全な食事のために。」という考えの方がおられました。自分だけ、自分の子供のことだけじゃなく、全ての子供たちが安全でいられるように・・・というのがゴールだと思っていたので、同じ考え方の方向に向いてるようにみえて、違う人もいることを知りました・・・

現状を怒って文句ばかり言ってても何も変わらない。行動していきたいと思います。

01/11/2011(火) 17:54:44

No.9097  ひろこ
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
> 共感の涙や人としての怒りすら抑制し、当たり障りなく振る舞う情けない自分にさよならして、地上に生きる霊としての思いの丈(たけ)を表現していきましょう。
> 周囲からどう思われるかを気にして、お行儀よく、当たり障りなく生きることは、福島の人たちを見棄てることにつながるのです。


がんばります。

01/11/2011(火) 17:56:23

No.9098  tomoako
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
福島県にお住まいの皆様のことを思うと 心が痛みます。

日々 口にする食材は今や 信用できない状態までに来ていることは明らかです。 

子供を抱えて 他県へ非難している人もたくさんいてます。

また ボランティアで 福島県で 頑張っている人たちの話も

色んな ブログで拝見いたしました。

こんなにみんな 頑張っているのに 今、 東電幹部の人たちは 何をしているのでしょうか?

春先に ちょこっと 現地へ出かけ 頭を下げていたのをテレビで見た記憶はあるのですが・・・

私にできることって 祈ることしかできませんが 皆さんと共に

21時に つながりたいと思います。

01/11/2011(火) 21:01:24

No.9099  さき ホームページ
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
今日NHKのご意見窓口に電話しました。
あさいちのHPが変わっていること、再分析中とはどういうことか、何をもって再分析が必要と判断したのか、放送された内容・データが違ってたのか、としたら極めて重大、番組見て安心した人がたくさんいる、広く報じた責任がある、番組で再分析中の事情報告・内容訂正すべき。という話をしかけました。
話し始めたらちょっとお待ち下さいと、時間を置いてあとはあさいちのHPに書いてあることをくり返すばかり。間違いということではなく再分析中。なぜ再分析が必要と判断したのかを聞いてもわからないとくり返す。担当の人、めちゃ緊張してしゃべってました。それ以上のことはあさいちの番組担当者にメールかFAXか手紙で質問してくれって言って話にならへん。
ご意見窓口なんだから「話聞いてよ」って言って、言いたかったことを伝えました。あとで「ちゃんと伝えてよ」って言ったら「録音してるからちゃんと伝えます」ということでした。
あー歯がゆい。同様の声がいっぱい届いてたらいいけど。

01/11/2011(火) 21:38:47

No.9100  飯沼 E-mail
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
☆puhpuhさん

>自分だけ、自分の子供のことだけじゃなく、全ての子供たちが安全でいられるように・・・というのがゴールだと思っていたので、同じ考え方の方向に向いてるようにみえて、違う人もいることを知りました・・・<

はい。
そういう人も多いのが現実です。
そういう人が多いことをありのままに認識して、違和感を差し挟まず、私たちはそこから始め、そこから広げていくしかないのだと思います。

私たちが訪ねた福島の市民グループの事務所には、原発の爆発の後、あえて福島に移住(事務所に寝泊まり)した女性や、一旦は米沢に避難した若いお母さんがマスクをしながら福島の事務所に通って、福島から避難できない人たちのために活動していました。
その女性は、「気のせいとかではなく、自分も何とも言えない倦怠感があります」と言っていました。

>ヒーリング以外にも何かできることがあれば、教えてください。

まずは、被曝を避けることだと思います。
でも、もうどこに暮らしていても3・11以前の環境に戻ることは不可能であり、以前と同じ環境を求めることは「無いものねだり」になってしまいました。
そこでは、被曝を避けるにしても、汚染のレベルとの兼ね合いを考えていかねばならないのでしょう。
武田邦彦さんによれば、食品では30ベクレル(1キログラム当たり)がひとつの目安になるようです。

それとは別に、個々人やあるいはこの国に暮らす人間総体のレベルで、免疫力を高めることが必要です。
この場合の免疫力は、傷ついた細胞やDNAの修復力も含みます。
それには体内微生物やミトコンドリアが介在しています。
彼らは「存在に対する絶対安心のエネルギーを注がれることで、結果的に人間と共通の喜びを具現化する働きをしてくれるのです。
人間にとっても微生物にとっても嬉しく健やかな「結果」がもたらされるのです。

人間にとって都合の良い結果を得るために微生物たちを利用するという考え方は、人間の「我よし」です。

効率や機能性を優先するエネルギーは、彼らにとって(個々の人間にとっても)ストレスになります。
日本においても先進諸国においても、第二次大戦後に急速に癌やさまざまな病が増えていることは、大気中核実験による放射能の影響もあると思いますが、そういう効率社会、人間を含む生命の多様性よりも経済性が優先される社会のストレスが影響しているのだと思います。

まずは自分が「生命や存在に対する分け隔てのない、無条件の祝福と感謝のエネルギーを発していくことです。
それを「見えないエネルギー」としてのみ発するのではなく、物事や人との関わりにおいて、できるだけ具体的な表現で、つまり自分としての対応、言動・生き方としていくことです。
そのエネルギーを集中することを「ヒーリング」と言うのであって、大元は同じです。
無条件の、絶対的な喜びこそが、生命の健やかさの大元です。

01/11/2011(火) 22:10:57

No.9101  鉄ママ
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
>まずは自分が「生命や存在に対する分け隔てのない、無条件の祝福と感謝のエネルギーを発していくことです。
それを「見えないエネルギー」として発するのではなく、物事や人との関わりにおいて、できるだけ具体的な表現で、つまり自分としての対応、言動・生き方としていくことです。

常に意識していきます。

01/11/2011(火) 23:59:51

No.9102  祐造
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
◆◆ セシウム137海洋放出=東電公表の20倍、 大気放出=政府発表の2倍以上 ◆◆

 政府・東電の推計値を上回る調査結果が、欧州で相次いで発表された。政府・東電などによる事故の「過小評価」「隠蔽」のひどさがどんどん浮き彫りに。

 ブルームバーグなどによると、東電・福島第一原発事故に伴って海洋に放出されたセシウム137の総量が、東電が公表した20倍に達するという研究調査を、フランス放射線防護原子力安全研究所が発表した。

 またノルウェーの研究機関が、セシウム137の大気への放出量について、日本政府発表の2倍以上に達する可能性があるとのの調査結果を「アトモスフェッリクス・ケミストリー・アンド・フィジックス・ジャーナル」誌に発表した。

セシウム137海洋流出2万7000テラベクレル、東電公表の20倍−仏調査(ブルームバーグ31日)
ttp://www.bloomberg.co.jp/apps/newspid=90920016&sid=aH_L9Nr8DKNk

セシウム放出量「政府推計の3倍」 欧米の研究者ら(朝日新聞28日)
ttp://www.asahi.com/special/10005/TKY201110280642.html


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

海外からしか教えてもらえない棄民。
国やマスコミ黙って信じてたら、本当に国民は殺されますね。

元の記事→ttp://blog.goo.ne.jp/harumis_2005/e/f5cebda86b58c05f167a832ae65dc998

02/11/2011(水) 02:34:31

No.9103  さき ホームページ
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
2号機が再臨界しています
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111102-00000016-jij-soci

3・11以降、心を動かしてほしい、って言ってきました。
動いた気持ちを「自分もみんなも喜べるように」言動していくことがヒーリングそのものだと思います。

02/11/2011(水) 08:53:05

No.9104  飯沼 E-mail
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
フクイチの映像からも瞬間的な再臨界を繰り返しているとしか考えらえなかったのですし、関東でも新たに放射性ヨウ素が検出されたりしていたようでしたから瞬間的再臨界が起きていることは分かっていました。
今回は東電がようやくそれを認めたというか、否定できなくなったということです。
しかし深夜にホウ酸を投入したのは、気になります。
今までとは違う、よほどの緊急事態なのかもしれません。
溶融した核燃料はすでに格納容器からも流れ出て、どこにあるのか分からない状態のはずです。
そこにホウ酸水が届くのかどうか・・・?

折しも、佐賀県の玄海4号機が昨夜遅く抜き打ちのように再稼働しました。
以下は朝日新聞からの引用です。
 「トラブルで停止していた佐賀県玄海町の九州電力玄海原発4号機の運転が、1日深夜に再開された。「やらせメール」問題も収束しない中、「説明不足」と批判されながらの再開。慌ただしさの背景には、経済性を優先して再開を急いだ九電の姿勢がくっきりと浮かぶ。」

図らずもちょうどその時刻に福島2号機の再臨界で東電は大慌てだったのです、
天からの警告にほかなりません。

人間が考えを改め、「出直し・生き直し」しなければならなくなる試練・計らいは必ずもたらされるでしょう。
地上界浄化の「雛形」である悠々塾につながる皆さん方が人々に先駆けて、本当に「出直し・生き直し」していくのかどうか、そこも激しく問われていくと思います。

02/11/2011(水) 09:52:25

No.9107  puhpuh
Re: NHK「あさいち」ひどい! 引用
ありがとうございました。

>「生命や存在に対する分け隔てのない、無条件の祝福と感謝のエネルギーを発していくことです。
それを「見えないエネルギー」としてのみ発するのではなく、物事や人との関わりにおいて、できるだけ具体的な表現で、つまり自分としての対応、言動・生き方としていくことです。

感覚として自分で出来てるのかどうかが分からなかったのですが、自分の対応や言動・生き方として表現することも、無条件の祝福と感謝のエネルギーを発するのと同じことと考たらいいのですね。

分かりました!!(今になって・・・)

02/11/2011(水) 14:50:51


No.9087 さき ホームページ 
悠々通信より 引用
※ぬまさんのリクエストで今月号の悠々通信より転載します。
リレートークを書いて下さったTさん、9月の定例会報告をまとめてくれたあきら&ひとみさん、ありがとうございました。数日中に皆さまのお手元に届くと思います。
3・11によって大きく心を揺さぶられ動かされた私たちは、すでに確かに「出直し、生き直し」の道を歩んでいるのだと実感しています。11月は篠山定例会、皆さんとお会いできるが楽しみです。


◆はじめに
関東定例会のあと福島に行きました。
福島駅を降りてすぐに借りてきた放射線量計のスイッチを入れました。
毎時1・05マイクロシーベルトの空間線量。
(福島市に滞在中ずっと1マイクロ前後の空間線量がありました。)
原発事故前に比べると2ケタ違う数値です。
その街中を何事もなかったかのように人や車が往来しています。
放射能は目に見えない、意識しなければこれまでどおり過ごせる。
その怖さを全身に感じました。 福島市民29万人がそのなかで生活しています。
私たちは「見捨てられた」のだとラーメン屋のおばさんが言いました。
みんな福島市の線量が高いことを知っています。
事故直後のスピーディーの汚染予測データが隠されたことを知っています。
みすみす被ばくさせられ、今も自分たちが低線量被ばくし続けていることを知っています。
けれどもどうにもならない、どうすることもできない。
あきらめ、無力感、、そのなかにある心配、不安、怒り、憤り、悲しみ、絶望、、
その重たさを滞在中に何度も痛感しました。

同時に他府県からの訪問者である私たちに、
福島からの避難を受け入れてくれてありがとうと感謝を述べられる。
他府県の人たちに同じ思いをしてほしくないと言われる。
二度とこんなことがあっちゃいけないのだと。
いのちを大切にする世の中にしていかないといけないのだと。
そうでないと、自分たちが被ばくしている意味がないと、
言われた時には号泣しそうになりました。
放射能汚染という現実を直視しながら、
子どもたちを被ばくから守るために精一杯に出来ることをし、
そのなかにあって遠い他府県の私たちにむけられる思い。。
人の心はなんて美しいのだろうと思いました。
その心が、私たちの希望なのだと思いました。
心のちからが人を癒し、人に喜びを与え、人を幸せにする。
福島からはじまる希望です。新しい時代の幕開けです。
福島の苦難を分かちあい、ともにその希望にむかって邁進しましょう。

30/10/2011(日) 17:11:32


No.9088  さき ホームページ
Re: 悠々通信より 引用
◆定例会報告より

◇心に響いたところ:短縮して抜粋◇
やれば出来るかもしれないのにそれをとことん試しもしなかった。とことんやってダメであれば、出来なければそれは出来なかったんだなと結論がわかるわけですけれども、やればできるかもしれないのに自分の腹がすわらなくて、気持ちが固まりきらなくてそういうことでやらなければ、これは大きなカルマを背負うことになるだろう。
別にカルマを背負わない為にするとかというわけではないけれど、今やらずしていったい何のために自分たちは生きてきたのだろうか。何のために学んできたのか、何のために悠々塾のこの凄い人と人との繋がり、あっちこっちでそういう場を作ってきたのか、絶対できると言わないけれども、やればできるかもしれないんです。

最初に言ったけれども、アイルランドのヒーラーの人はそれなりに形にしているんです。と言うことは我々だってできるわけで、これだけの人達がいて実際に定例会に参加できない人達も含めるとこの悠々塾は凄いエネルギーの場だと思うんです。
一枚岩じゃなくて、あちこちでいろんな繋がりがあってそこで喜びが膨らんだり、学びが進んだりしているわけだから、その底力っていうのは僕は凄いと思っている。
だからそれを自分たちのためだけに使うんじゃなしに、本当に今大変な状況に置かれている人達の為に使おう。自分がどおうであれ何であれそんなことはもうどうでもいいと。後は自分の腹ひとつなんです。

その気になりさえすれば、本当にびっくりするような大きな貢献ができるかもしれない。不安に苛まれてずっと生きなきゃいけない人たちの救いになれるかもしれない。
そういう人間がこれだけ集まって本当に願いを一つにして自分の腹さえ決めて気持ちも日々の暮らし方もたいそうな話じゃなくて切り替えていけば凄い喜びを提供することが、僕はできると思うんです。やりましょうよ!一緒に!

人間っていうのは徐々にらせん状に進化成長して、あるいは行きつ戻りつというところもあるわけですけれども、ここは節目なんで何としても一段、自分の人生の段階をあげてほしいんです。
今まで自分が慣れ親しんで暮らしていた今までの部屋から、自分でドアを開けて次の所に足を踏み入れてほしいんです。誰かが次の部屋のドアを開けないとそこには繋がらないわけですから、自分がそうすることによって、自分だけがそうするんではなくて地上人類とってところでは繋がっているわけですから、同時に他の地上の人達の進む道を開くことにもなるわけです。

そのことによって今が非常に苦しい状況であってもほんとの健やかさを提供していける、そういうエネルギーを獲得できる、そういうエネルギーの通路になることが出来るわけです。ほんとに後はひとりひとりの腹の持ちよう、それにつきると思います。福島にしてもいろんな状況が形になっていくのに、あんまり時間はないかもしれない。だからほんとに今ですね!そんなふうに思ってほしいと思うんです。


◇感想◇
今回は美桜が生まれて初めての定例会となりましたが、ほんとに懐かしくみなさんに会えたのがとても嬉しかったです。
久々の定例会でしたがあきらは体調が悪く、私も美桜のチョロチョロに対応したりしてなかなかきちんと聞けていなかったのですが、定例会報告をやらせて頂いたのでもう一度しっかり聞くことができ良かったです。

もうほんとに自分の事でウジウジ悩んでる場合じゃないのです。今の福島の方達の事を考えたら、悩んでいる事が贅沢に思えてきます。それよりももっともっと苦しい思いをしている人は沢山いるのです。
私達は関東に住んでいて放射能の影響も情報としてはあります。子供達の為に気をつけることもあります。不安ももちろんあります。みんなそうだと思います。でも悠々塾で学んできた私達はエネルギーが作用する事も知っています。そしてそれは安心し癒され、病を治せる事も知っています。そして喜びを膨らませていくことが、何に対してもプラスに繋がっていくんだと思います。

今回テープを聞かせてもらいヌマさん、さきさんが何度も何度も本気を出そうって伝えています。みなさん、本気で自分を役立てていきましょう!!
そして私も含め「悠々塾症候群」を卒業しましょう!

30/10/2011(日) 17:16:34

No.9089  飯沼 E-mail
Re: 悠々通信より 引用
転載、ありがとう。
「はじめに」はさきさん、「心に響いたところ:短縮して抜粋」はあきらさん、「感想」はひとみさんの文章ですね。

購読者の皆さんのお手元に届くよりも先に掲示板にアップするのはどうなのかとも思いましたが、おりしも今日は福島で市民団体主催の「なくせ! 原発 安心して住み続けられる福島を! 10・30大集会inふくしま」という1万人規模の集会がありました。

福島の苦難を分かちあい、ともにその希望にむかって邁進しましょう!
そのためにも、「悠々塾症候群」を卒業しましょう!

30/10/2011(日) 20:13:00

No.9090  飯沼 E-mail
「天地悠々」の後記・雑記 引用
この機会に、「天地悠々」今月号の後記・雑記も掲載しておきます。
4月の「愛は時空を超えて」や今月の「愛は時空を超えて・81」を受けてのものです。
ようやく「第2段階の深い闇」が光に照らされ、さまざまな事実・真実が浮き上がりました。
10年ぐらい前から、その人とは何の関わりもないところ(複数)にまで中傷の電話をして悠々塾の足を引っ張っていたり、表向きのその人の話とは全く違う、裏の内情が判明したりしています。

私情を挟まず、闇を照らし出す働きとして関わるように努めましたが、次々に浮かび上がってくるあまりにも深い闇に、珍しいことに私は少し胃の調子を崩してしまいました。
やはり受け入れ難さはあったようです。

「先行きは多難ですが、その人の娘が強く指摘できるようになってきたことに救いの光があります。」と、克から伝えられたその娘さんは、家族に真実と救いをもたらすために本当に頑張りました。
彼女の頑張りがなければ、何ひとつ明らかにはならなかったでしょう。
彼女の頑張りが、その家族にとって本当の意味での救いにつながることを祈らずにはいられません。

それにしても、当然と言えば当然ですが、霊界からは全てがお見通しであることを再認識し、タイミングを含めた絶妙な計らいに恐れ入ります。

この2ヵ月間、さきさんにはたくさん愚痴を聞いてもらい、事情を知った方からさまざまにいたわりの言葉を向けていただきました。
ありがとうございました。
この件はここまでにして、次に進みます。
。。。。。。。。。。

◆天地悠々」一六八号、お届け致します。
◆関東定例会で埼玉まで行くので、その足で福島に行ってきました。福島でのことは「掲示板から」に掲載しています。どうぞお読みください。

◆今月受信した「愛は時空を超えて」はかなり衝撃的な内容でした。しかしその後、他にも私たちと重要なつながりのあるグループなどに中傷の電話やメールをして、私たちの働きの足を引っ張っていたことが露見しました。私たちと敵対する人がそういうことをするのであればまだ分りますが、克の「親友」として振る舞っていた人が陰でそういうことをしていたのですから、何とも言葉もありません。その人は悠々塾に関してだけそういうことをしていたのではなく、あらゆる人の輝きや喜びを妬ましく思い、否定や攻撃をしてきたようです。(一部略)その人は家でもさまざまな人の悪口を言い続けていたそうです。生前の克に、「自分の住んでいるところは弁護士や医師などの高額所得者が多いのだけれど、その中でもうちは高収入なの」と自慢するほどに恵まれた経済状態にありながら、人の輝きを妬み、人の喜びの妨害をし、人の不幸や死を願うという闇の深さに驚きを通り越して気が滅入ってしまいそうです。

◆しかし、これだけ嫌な思いをしてでも、「かげりや闇の第二段階」に向き合い、その闇を光に変える「雛型」としての役割を果たさねばならなかったのだと思います。

◆これだけのことがあったのですから、私たち自身もこの機会に自分を点検し、改めるべきところは改めていくことが求められているのです。自分の中にも人の不幸を喜ぶという闇が少しでもあるのであれば、それを恥じて、天に向かってお詫びをし、何らかの埋め合わせをさせていただくことです。そこまでの闇ではなくても、自分なりの思いで相手のためにならない陰口や悪口を言い、あるいは吹聴するような恥ずかしい段階は卒業しなければなりません。

◆かのイエスは、「あなた方の口に入るものはあなたがたを汚さず、あなたがたを汚すであろうものは、あなたがたの口から出るものである(トマスによる福音書)」と教えています。

◆厳しい言葉であっても相手のことを思ってのものであれば、それは光の言葉です。しかし、私たちは自分を汚す言葉を自分の口から吐いていないかどうか、しっかりと点検するべき時期です。そこが分れば、自分がなぜこんなにも寂しくみすぼらしい人生を生きているのかも分るかもしれません。自分を汚す言葉を吐かなくても、喜びの言葉を発することが少なければ、やはり不十分なことなのです。もちろん人間は完ぺきではありえないので、相手のためを思い続けるための愚痴は致し方ないのですが。

◆最後にまた「トマスによる福音書」から引用します。
イエスは言われた。「あなたはあなたの兄弟の目にある塵(ちり)を見るが、あなた自身の目にある梁(はり)を見ない。あなた自身の目から梁を取り除いた時、あなたはその時に見えるようになり、兄弟の目から塵を取り除けることができるのであろう」

31/10/2011(月) 01:18:17


No.9078 飯沼  E-mail
新しいスレッドに書きます。 引用
改めまして、関東定例会に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
前回もそうでしたが、今回もとても意義深い場になりました。
懇親会では、篠山の定例会に参加したことのない方たちとも少しお話ができて、嬉しかったです。
夜は夜で、あきら&ひとみさん宅で、つばき&きんちゃんや2部に駆けつけていたあっこちゃんたちといろんな話ができました。
存在感の大きかった愛犬サクラがいないのは予想以上に寂しく感じましたが、みおちゃんや愛犬クルミの愛らしい様子に和まされました。

日曜日は川口での直接ヒーリングの後、大宮から新幹線で福島に入りました。
福島は数年ぶり、2度目です。
福島駅から出てみれば、マスクをした人すら見かけず、関西と同じように全く何事もないかのような人々の様子です。
あきらさんに借りてきた線量計は福島に入ってから毎時1マイクロシーベルト前後で推移しています。(埼玉では0,07程度でした)
そういう中を、小雨に濡れながら、高校生や若い人たちが談笑しながら通り過ぎていきます。
福島の人たちの現状認識の甘さというか無頓着さに何とも言えない気持ちになりました。

夜に、ごく普通の小さなラーメン屋に入りました。
おばさんが一人で、客と話を交わすこともなく、黙々と切り盛りしています。
その店のラーメンは私が学生時代に東京で食べていたような、鶏がらスープのしょうゆ味の昔風のラーメンでした。
私たちはカウンターに座っていたので、「福島の人は放射能のことで怒ってないんですか?」と、女将さんに軽く原発事故の話を振ってみました。
はじめは戸惑ったように、「怒るよりも、こうして働いて生きていかなくちゃいけねからね」と答えた女将さんでしたが、それに続けて、
「福島の人は見捨てられたんだから。パニックを起こさせないために、本当のことを知らされなかったんだもの」
「政府は初めから分っていたのに、放射能の情報を隠したんだ。避難した地域の近くには、避難指示の何時間も前から茨城や他府県のバスが待機していたという話だ。分っているのに、私たちには知らされなかったんだ。本当のことを知らされなかったから、汚染のひどいところに逃げた人もたくさんいる。私たらは見捨てられたんだよ。皆そう思ってるよ。」
と語り始めました。
寡黙そうな女将の抑制された話しぶりを越えて伝わってくる思いに、初めて福島の人の生の話を聞く私たちは言葉を失いそうになりました。
私たちが関西から来ていることを知ったその女将は、「関西の人にお礼を言わなければね。避難した人たちをたくさん受け入れてくれて、感謝しているんです。
だって、受け入れてくれなければ、福島の人はどこへも行くところがないからね。ありがとうね」と言うのです。
その言葉にさきさんは明らかに涙声になって、私は汗を拭くふりをして涙をぬぐいました。

翌日は午前も午後も、放射能から子供たちや若い人を守ろうとしている人たちとお会いしていろいろな話をお聞きし、私たちもどのような協力をさせていただけるのか話し合いました。
昨日も書いたように、私たちの新しい冊子(福島の人たちへの手紙)の配布もしていただけそうですし、ヒーリングのスペースの提供してもらえそうな感じです。
そのグループの事務所には、米沢に避難している若いお母さんもスタッフとして通勤しており、何とも言えない気持ちになりました。
というか、「こんな若い女性も福島の人たちのために頑張っているのだから、私たちにできることは何でもしていきたい」と強く思いました。
その女性は、「すでに福島では何とも言えない体のだるさを感じている人が増えていて、私自身もその一人です。免疫力を高め、被曝による被害を防ぐために、民間医療でも代替医療でも、できること・良さそうなことは何でも紹介していきたいと思っています」とのことでした。
他のスタッフもかなり積極的にそう考えておられるようで、見えないエネルギーによるヒーリングに対する違和感や偏見もない様子でした。

高校生の子供さんを持つというスタッフの女性は、事故が起きるまで原発のことに意識が向いていなかったことを悔い、子供さんに謝ったそうです。
「全ての人に命の大切さに気づいてもらい、新しい世の中に向かうために自分たちは被曝したのだと思います。今の状況ですから、できるだけ多くの人が避難することが最優先ですが、やはり避難できない事情を抱えている人は非常に大勢います。福島の人たちはすでに棄民にされてしまったのだから、私たちがその人たちを見捨てるのではなく、できる限りのフォローをしていきたいと思うのです」
「福島の放射能を帯びた瓦礫も他府県に搬出するのではなく、私は福島で管理するしかないと思っています。他府県の人たちを被曝させて、私たちと同じような思いをさせたくないのです。もう誰にもこんな思いをさせたくないのです」と話してくれました。

この言葉に私もさきさんも涙が流れ、今思い出しても涙が出てしまいます。
「こういう状況にあっても、人間の心ってなんと美しいのだ」と、魂が打ち震える思いでした。

月曜日は、福島市でも線量が高いといわれている渡利地区に行きました。
福島駅から車で10分程度の静かな住宅地です。
渡利地区は広く、住宅地の向こうの低い山の付近の線量が高いのだそうですが、実際にはその地域の中心のスーパーマーケットと中学校の間の路地には毎時10マイクロシーベルトのところもありました。
中学校の垣根のあたりや民家の庭先の地表近くでも4マイクロそれ以上も、ごく普通に計測できます。
そこでもやはり、マスクもしないで普段と何も変わらない様子で暮らしている人たちが大勢いるのです。

菜園で野菜を作っている65歳ぐらいのおじさんに話かけてみました。
「自分たちは何の知識もなかったので、テレビで『健康に影響はない』と言っている話を信じてしまった。地震で断水していたから、爆発が起きた後も、給水車の周りで何時間も口を開けて、みんな並んで待っていたんだ。誰も何にも教えてくれなかった。情報が出始めたのは6月ごろになってからだった。このあたりでも、特に子供のいる家は避難している家族も少なくないが、最初のきつい時にみんな放射能を浴びてるからね。最初にすぐに避難した人はよほど知識があった人だけだ。うちも少し前に孫が生まれて、うちは幸い無事に生まれてくれたが、やはり心配だった。影響が出るのはこれからだから、だんだん大変になってくるんじゃないか。どこに言っていけばいいのかも分らないから、皆おとなしくしているけど、内心は不安だし、皆いろいろ思っていると思うよ」と穏やかに話してくれました。

渡利地区はバスの便が少ないので行きも帰りもタクシーで移動したのですが、10分程度の短い時間でも、ドライバーはいろいろ語ってくれました。
帰りの女性ドライバーは、「他府県から来た人からは、『福島の人はおとなしすぎる』と言われるけど、みんな怒っていてもどうしたらいいのか分らないんです。国も県も市も、本当に何もしてくれませんからね。私たちも自分たちだけでは何をどうすればいいのかも分りませんし、なんにもできません。○○学園の敷地からは30マイクロ(毎時)が出ているそうです。人がいるところですよ。私の知り合いなんて、家の中で0,9マイクロもあるんですよ。拭き掃除しても変わらないので、どうすることもできません。私は機械を持っていないので自分の家がどうなのかも分らない。私はもう避難する気持ちにはなれませんが、子供たちにはなるべく帰ってこないように言っています。」と、訴えるように話してくれました。

福島の人たちの多くは声を大きくしては言わないし、マスコミもそういう報道の仕方をしているのでしょうが、やはりほとんどの人は大きな不安とどうしようもない無力感を内に抱え、「見捨てられた」という自分の存在に対する深い寂しさとある種の絶望感に打ちひしがれているように感じました。
その重さの全てを共有することはできなくても、福島の人たちには本当の意味での「力としての癒し」が必要なのだと思います。

皆さんが持つそれぞれの力をさらに高め、高めた力を惜しみなく出しあって、福島の人たちに喜びの力を提供させていただきましょう。
福島の人たちに本当の安心をもたらし、福島から日本の夜明け、地上人類の夜明けが始まるように、渾身の力を注いでいきましょう。

なお、さきさんの感想は以下のアドレスのブログです。
合わせてお読みください。
ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/724d809181f502828c29637d0247fa93

26/10/2011(水) 18:15:58


No.9079  ひろこ
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
ぬまさん、さきさん
ありがとうございます。
お疲れ様でした。
ため息が出ます。何度も何度も読み、自分の頭と心に刻みます。
多くの人に伝えたいです。

26/10/2011(水) 23:38:41

No.9080  ホープ E-mail
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
飯沼さん、さきさん、本当に何といっていいか・・
言葉か出ません・・・。

27/10/2011(木) 08:36:17

No.9081  puhpuh
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
飯沼さん、さきさん、お疲れさまでした。福島の方々生の声に胸が痛みます・・・
無関心な人々を前に、声を上げることができなくなってきた私ですが、もう一度がんばっていきたい。
いくら日本全土が被曝されようとしていても、まずは福島に住む人々を救うことが優先ですね。「国は見捨てても、私たちは見捨ててなんかないよ。」って伝えたいです。

27/10/2011(木) 15:44:04

No.9083  あきら&ひとみ
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
飯沼さん、さきさん、お疲れ様でした。

出来る限りの事を僕らもしていきたいと強く思っています。
そのために僕もひとみも自分自身の力をもっと高めていきます。

27/10/2011(木) 23:02:48

No.9084  飯沼 E-mail
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
はい。
私も、「国は見捨てても、私たちは見捨ててなんかないよ。」って伝えたいです。
身を以て、形にして、その思いを伝えていきます。
福島のことは決して他人事ではありません。
福井の原発群で大事故が起きていれば、私たちが見捨てられていたのです。
それに関東や関西でも、放射能社会で生きていくしかなくなっているのです。

関東では中性子線が計測されているという情報があります。
福島原発は収束には程遠く、今月22日にもおそらくは再臨界による水蒸気が噴き上がっています。
下の映像は22日の午後5時〜6時の映像を3分間に短縮したものです。
始まって1分過ぎぐらいに、急に大量の水蒸気が噴き上がっています。
ttp://www.youtube.com/fuku1live#p/u/40/yfUBMkddhE8

厚木市の子供さんに尿からもセシウムが検出されたそうです。
厚木市の市会議員のブログの情報です。
ttp://nackyland.blog123.fc2.com/blog-entry-78.html

27/10/2011(木) 23:38:22

No.9085  飯沼 E-mail
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
ベラルーシの教訓
(大検セミナー「わくわく日記」より)

(前半部は略します)

広島水爆の40倍とも60倍とも言われる大量の放射能が降り注いでしまった東北、北関東。多くの町の空気線量が0.5マイクロシーベルトを超えている。

僕はチェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシの現状を何度かこのブログで書いてきた。事故後、0.28マイクロシーベルト以上の放射線量の村が全て廃村になっている。事故の7年後あまりに多くの子どもたちが、甲状腺癌やリンパ癌にかかり、村が閉鎖させれたのである。

チェルノブイリから180キロ圏内のほとんどの村が消えた。

この事実を知って、黙っていられる人間はいないだろう。東北のほとんどとは言わないが、0.28を超えない町を東北・北関東で探すことの方が困難だ。

癌だけじゃない。0.3マイクロシーベルトを超えれば、心臓発作やクモ膜下出血等のリスクが急に増えることが、報告されている。

幸いにも、僕の自宅も教室も線量は0.06〜0.09の値だ。しかしちょっと離れた田んぼを測ると線量はだいぶ高くなる。

市内の中学校では、教室内の放射能値が0.5マイクロシーベルトを超えている所がある。学校の先生は「安全です」を連呼しているが、僕は根拠を知りたい。

ttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-16cc.html

28/10/2011(金) 14:45:09

No.9086  みさお
Re: 新しいスレッドに書きます。 引用
飯沼さん さきさん
お疲れ様でした。

あきらさん ひとみちゃん
関東定例会おつかれさまです。

紹介されているブログ今読みました。

書かれている 中学生の事
驚きとショックです...

皆さんが持つそれぞれの力をさらに高め、高めた力を惜しみなく出しあって、福島の人たちに喜びの力を提供させていただきましょう。
福島の人たちに本当の安心をもたらし、福島から日本の夜明け、地上人類の夜明けが始まるように、渾身の力を注いでいきましょう

私も そうさせて頂きたいと
思っています。
また 思っている事 書き込みさせて頂きます。

28/10/2011(金) 22:09:44


No.9072 あきら&ひとみ  
関東定例会お疲れ様でした。 引用
先週の土曜日、関東定例会でした。
皆さんお疲れ様でした。

今回は実習に力を入れた定例会でしたが、初めてこのようなことをしたにも関わらず、皆さんそれぞれにエネルギーを実感できたようでした。
ランダムに二人一組でエネルギーを出し合いましたが、何人ものかたと感想など重なる事があり、エネルギーを同じように感じれている事が面白かったし凄かったです。
今回学んだ力強いエネルギーをヒーリングエネルギーに反映していきましょう!

定例会の最後に話がありましたが、飯沼さん、さきさんが翌日から福島に入りました。
また、その報告の投稿があるでしょうが確かな橋を架けてきたようです。
いよいよですね。
たとえ一つでも二つでも誰かの力になれるよう、皆で力を出し合いましょう。

交流会も楽しく過ごさせてもらいました。
みなさんお疲れ様でした、ありがとうございました。

24/10/2011(月) 20:03:31


No.9073  ばっきーときん
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
定例会ではどうもありがとうございました!!
皆さんに会えて嬉しかったです!

定例会でやったことをふまえて、
トレーニング頑張ります。
心ひとつに皆で力出し合いましょうね!!

あきらさんひとみさん、飯沼さんさきさん、
皆さんありがとうございました!

25/10/2011(火) 20:05:26

No.9074  エバーグリーン
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
先日はお世話になりました。

飯沼さんとさきさん以外は全員初対面の方々ばかりの中で、
しかも実習などという慣れない経験で大変緊張しましたが、
皆さん温かく迎えてくださって嬉しかったです。
思い切って参加して良かったなあと思いました。

有意義な時間を過ごせたことに感謝します。
ありがとうございました!

25/10/2011(火) 21:58:01

No.9075  飯沼 E-mail
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
関東定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。
あきら&ひとみさん、いろいろありがとうね!

参加者一人一人のエネルギーの強さをとても頼もしく思いました。

日曜日の夜に福島に入り、福島で2泊して、今日の夜に篠山に戻りました。

関東定例会のことや福島でのことは、明日改めて報告します。

結論のみ言えば、福島で子供たちを放射能から守る活動をしている人たちの事務所を訪ねたのですが、新しく作る冊子も配布もしていただけそうですし、来月開設する事務所とは別のスペースで、ヒーリングもさせていただけそうです。
とても意義深い出会いになり、理想的な展開になりました!
まさに霊界からの計らいに導かれたのだと思います。

25/10/2011(火) 23:26:54

No.9076  さき ホームページ
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
あきら&ひとみさん、ばっきー&きんちゃん、エバーグリーンさん、関東定例会に参加下さった皆さん、お疲れ様でした、ありがとうございました。
お会いできてうれしかったです。
今回は実習メインでそれぞれにエネルギーを体感されてて面白かったです。
皆さんと共鳴したおかげでしょうか、今日の9時の共鳴の時にエネルギーが力強くなっているような気がしました。
今度の篠山の定例会でも実習するそうです。
心のエネルギーは誰もが使うことができます。
皆さん自分の心を役立てて使っていきましょうね!!

福島では心の通いあう嬉しい出会いに感謝です。
私もまた報告します。

25/10/2011(火) 23:34:43

No.9077  さき ホームページ
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
福島で感じたことをこちら↓に書きましたので読んでください。
ttp://blog.goo.ne.jp/donationship/e/724d809181f502828c29637d0247fa93

26/10/2011(水) 10:53:15

No.9082  あきら&ひとみ
Re: 関東定例会お疲れ様でした。 引用
ばっきーときんちゃん、当日は美桜の子守をしてくれてありがとう。
とっても助かりました。

エバーグリーンさん、初参加ありがとうございます。
また次回も是非よろしくお願いします。

他の参加者の皆さんもありがとうございました。

27/10/2011(木) 22:56:57


No.9065 あきら&ひとみ  
お知らせです 引用
関東定例会のお知らせです。

10月22日(土)前回と同じ「志木市民会館パルシティ」1階にて関東定例会を開催します。

時間:  13時30分受付開始〜17時

参加費: 1500円

アクセス:  東武東上線「志木駅」東口 (徒歩:約15分)
     (バス:約 7分/乗場?B?C?D 170円 /「昭和新道」下車徒歩2分)
     (タクシ-:約 5分) 710円 程度

定例会終了後、交流会もありますのでこちらも併せてご参加ください。

これからいろいろ大変な状況になっていくのだと思います。
自分が何かしら役に立てるのだろうかって自信のない方もおられると思いますが、気持ちや心の力って必ず届きますし作用します。
具体的な物質などの援助や医療や多様な枠組みは必要ではありますが、僕らは僕らとして、これから必要とされる方達に少しでもお役に立てるように意思していきましょう。
霊的なことは大前提としてありますが、そうでなくてもやっぱり何か人に助けてもらった時って嬉しいですものね。
人の喜びを自分の喜びにするって単純なことなのだと思います。
自分なんかが何て僕も思ってしまうけど、単純に困っていれば助け合うのは当たり前ですし、それが僕らはヒーリングエネルギーとして貢献できるって事を伝えられていますし、そう出来ればみんなにとって嬉しい事だと思います。

皆さんの参加をお待ちしています。
初めての方も是非気軽に参加してください。

18/10/2011(火) 20:46:08


No.9066  飯沼 E-mail
関東定例会(10月)に向けてのメッセージ 引用
◆関東定例会(10月)に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。
今回は、皆さんのヒーリング能力のパワーアップを目的とした定例会にしていただきます。

それは言うまでもなく、放射能に被曝した人たちの健康被害を最小限に食い止め、発症してしまった人を治していくためのものです。
あるいは、放射能を“無毒化“していくためにです。
幸いにしてもしも放射能による健康被害があまり発生しなくても、高めたヒーリング能力を役立てる機会はいくらでもあるでしょう。
今までも「癒し手として」というテーマで学んできたのですが、今回は実習に重きを置きます。

全ての存在は神の意志を顕現するためにあります。
あなたがた地上人類も、その一人ひとりも、そのために存在しているのです。
しかし、同時に人間にはその人としての自由意志が保障されています。
神の意志、霊界の計画とは別の、地上にある者の意志(判断・願い・気持ち・欲求・・・)です。
本当は、それさえも神の計画の中にあるのですが、地上の人間の意識のスケールにおいては“別のもの”という認識になるでしょう。
言わば、より高次元の“縦のエネルギー”と、あなたがたが身をおく地上界・物質界という次元においての“横のエネルギー”です。

霊界においては、神の意志・霊界の計画と個霊の意志は一致しますから、分けて考える必要はありません。

あなた方は初めから霊であり、地上に生きている間も霊的存在です。
しかし、地上界・物質界特有の自由意志は、地上界・物質界の次元において強い影響力を持っています。
本来の霊的エネルギーを高めるだけでなく、地上的エネルギーを強めなくては、地上において“何か(願い)”を形にすることは難しいのです。

今回は、幾通りかの「地上的エネルギー」を出し合い、それを強く大きくするトレーニングをしていただきます。
もちろんそれだけでなく、高い次元の霊的エネルギーの通路となるために、そのエネルギーにつながり、一体化するトレーニングもしていただきます。
真の霊的エネルギーと一体化し、それと地上的エネルギーを融合させて注ぐことができれば、あなたは地上最強のスピリチュアルヒーラーになりえるのです。

自分が獲得したエネルギーを自分の利益や名声を得るため・自己顕示欲を満たすためなどに使うのではなく、必要としている人たちのために快く提供していくことが大前提です。

18/10/2011(火) 22:11:56

No.9067  飯沼 E-mail
Re: お知らせです 引用
◆上のメッセージでは、具体的にイメージしにくいと思いますが、当日に持参する定例会メッセージにメモを付け加えるか、口頭で説明します。

◆さきさんと私は、翌日の日曜日は直接ヒーリングで、その後は福島に行き、月曜日には福島で活動している人とお会いすることになりました。
冊子はまだできていませんが、現地の人とのつながりを作ってこようと思っています。
月曜日は朝から夕方まで福島にいるつもりなので、「この人と会えばいい」と思い当たる方は、お知らせください。
克の故郷の飯坂(温泉)にはちょっと寄れそうもなくて、残念です。

18/10/2011(火) 23:28:11

No.9068  ひろこ
Re: お知らせです 引用
あきらさん・ひとみさん
関東定例会お疲れ様です。
嬉しい事がたくさん広がりますように!!!

> 冊子はまだできていませんが、現地の人とのつながりを作ってこようと思っています。

ぬまさん・さきさん
よろしくお願い致します。

19/10/2011(水) 17:29:40

No.9069  飯沼 E-mail
Re: お知らせです 引用
★実習のメッセージ、先ほど受信しました。
独自解釈でエネルギー的な歪みを生じる可能性もあるので、このメッセージの公表は克から差し止められているので、掲示板にはアップしませんがご理解ください。

多分ですが、11月の篠山での定例会も同じ内容になると思います。
まさに(ヒーリング)エネルギー強化に向けてのトレーニングです。

★ひろこさん、ありがとうございます!

20/10/2011(木) 23:29:13

No.9070  エバーグリーン
Re: お知らせです 引用
4月に参加できなかったので今回はぜひ伺いたく思います。

どうぞよろしくお願い致します。

20/10/2011(木) 23:46:52

No.9071  飯沼 E-mail
Re: お知らせです 引用
☆エバーグリーンさん、みなさんへ

はい、お待ちしています!
福島の子供さんの爪からウランが検出されたそうです。
これはチェルノブイリでもなかったことだということです。
奥多摩などの汚染も厳しく、場所によれば1平米あたり10〜30万ベクレルの汚染だそうです。

◆“水源”群馬と奥多摩の深刻なセシウム汚染で東京の水道水がヤバい
ttp://news.livedoor.com/article/detail/5952796/

再び東京で“水道水パニック”が起こる? 文部科学省が発表した「福島第一原発事故で放出された放射性セシウムの土壌蓄積量」の航空機モニタリング測定結果が波紋を呼んでいる。

 この測定マップを見ると、汚染が東日本全域に広がっていることは明らか。しかも、これまで認知されていなかった場所が高線量であることがわかる。例えば、東京都では葛飾区や江戸川区がホットスポットとして有名だったが、今回の測定結果を見ると西部の奥多摩地域でも汚染が見られる。

 なかでもセシウムの沈着量が多い奥多摩町北部の汚染は1平方m当たり10万〜30万ベクレル。これを人体が受ける放射線量に換算すると、毎時約10〜30マイクロシーベルト以上。チェルノブイリ原発事故後の管理区域値(5.0以上)をはるかに上回る値だ。(以下略します)
。。。。。。。。。。。。。。

グリーンピースの調査では、関東各地のスーパーで売られている魚もそれなりに汚染されているものが目立ってきました。

その一方では、「放射能は健康に良い」と主張する評論家S氏(弟子が弟子がと偉そうに言う進歩的?評論家・副島隆彦氏です)と宗教研究者(しかも、ひふみ神示の紹介者として知られる中矢真一氏)が共同で、「放射能温泉施設」を建設するとかいう、無責任で犯罪的なお騒がせプロジェクトもあるようです。

真っ当な研究者の見解では自然放射線と人口放射線は人体にとっては別物だそうですし、そもそもS氏やN氏は、大気中の核実験が禁止されたいきさつをどうとらえているのでしょう?
あるいはイラクでの劣化ウラン弾による健康被害を否定するアメリカ軍当局と同じ見解なのでしょうか!

私は以前から、S氏については「あの人はおかしい」と言い、N氏については「彼にはひふみ神示の真髄は分からない」という評価でした。
「やっぱり…」という思いを新たにしています。

話が逸れましたが、もうどこにいても放射能から逃れることはできません。
であるならば、もちろん現状ではできる限り被曝を避けることが最優先ですが、東電や政府や御用学者やマスコミの犯罪的行為によって、すでにかなりの被曝をさせられてしまった人も多いのです。
経済的な理由などで避難することもできず、汚染地域で暮らしている人たちも大勢います。
首都圏を含めて、ホットスポットといわれる汚染箇所も無数にあります。
大気中の線量は一定下がっても、土や木や草などに付着・沈着したセシウムやストロンチウムなどの埃(ほこり)を吸い込むことは避けられません。

福島原発の燃料は今どこでどうなっているのかも分からず、原子炉建屋内の線量が高すぎて人が立ち入れない状態が続いているのです。
建屋の地下室の壁か床のコンクリートがひび割れているようで、日量750トンもの地下水が流入し、高濃度汚染水を増やし続けています。
これは遠からず大問題になるでしょう。
溶融して格納容器からも流れ出てしまった核燃料が、建屋のコンクリートを突き抜けているのかもしれません。
フクシマ原発の現状は「収束」には程遠く、まだ何が起きるかも分からない状態なのです。

放射能汚染や原発のことに疲れて、私たち人間が意識を逸らして「ないもの」にしても、悲観的になっても、本当の状態は何も変わりません。

ですから、できる限り被曝しないことを優先しながらも、「本当の意味で放射能と健やかに共生できる道」を切り開いていきましょう。
私たちが本気になれば、必ずできるはずです。
では、明日の関東定例会でお会いしましょう!
。。。。。。。。。。。

なお今回の福島行きの、東京〜福島間の交通費・福島での宿泊費・現地での移動経費につきましては、「フクシマのことに使ってください」とお寄せいただいたカンパから支出させていただきます。
まだカンパ要請もしていないのに、すでにたくさんのご寄附をいただいて感激しています。
本当に感謝申し上げます!
専用の別口座は作れませんが、「フクシマ関連の会計ノート」を作って管理しています。(担当はまゆみさんです)
会計報告については、当面はお申し出があれば会計ノートを閲覧していただくということにします。
お金の出入りが頻繁になれば、改めて会計報告をいたします。

皆さんの願いやご期待に添えるように、これからの活動にしっかりとつながるような福島訪問にしたいと思います。

21/10/2011(金) 11:42:40


No.9063 飯沼  E-mail
お知らせです 引用

☆☆ 2011年11月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
11月5日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
11月6日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
11月7日(月)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
11月8日(火)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
11月9日(水)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。

☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。

☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。☆なお、10月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しま
した。

☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

17/10/2011(月) 23:00:00


No.9064  飯沼 E-mail
Re: お知らせです 引用
■11月定例会 
 
日時 11月26日(土曜日)

第1部 「癒しの講座」 お話とヒーリングの実習
       
午後2時から5時
参加費・1200円
        
第2部 「懇親会」 
午後5時半ごろからお時間の許す限り (ISSINミニライブあり)    
参加費・1500円
    
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)

17/10/2011(月) 23:00:52


No.9062 飯沼  E-mail
篠山に戻っています 引用
さきさんが書いてくれたように、14日が出雲の熊野大社の例大祭でした。
宿泊したのは熊野大社に隣接する「ゆうあい熊野館」で、今朝の8時に例大祭を告げる花火の大音響がとどろきました。
湯量が豊富な熊野館の温泉で禊(?)をしてからチェックアウトしました。(何年か前に克も一緒に行った時には大雪で、駐車場に積もった雪を温泉のお湯で溶かしていました。)

私は夜も原稿を書くつもりだったので、時間に制約されたくなくて朝食抜きにしてもらっていましたし、昼食は熊野館のレストランで済まし、夕食もシンプルな「基本コース」プラス1品というものだったので、かなり格安でした。
パソコンの入った重い鞄をフロントに預け、すぐ近くの熊野大社へ参拝に行きました。
出雲に行ってから毎日参拝していたので、何となく神社の人に覚えられている感じです。

出雲の熊野大社は和歌山県の熊野神社よりも古く、出雲が熊野神社の大元だそうです。
ここのご祀神は「クマノノオオカミ」で、本殿の両脇には素戔嗚尊と櫛稲田姫を祀った小社もありますが、クマノノオオカミも実は素戔嗚尊なのだそうです。
大和朝廷への気遣いなどで、素戔嗚尊を表だって主祀神として祀れなかったのでしょう。
私は神戸の熊野神社のすぐ近くで育ったのですが、そこの主祀神もイザナギ・イザナミになっていました。

10時になって、また大きな花火の音が鳴り響き、大例祭が始まりました。
正装したご神職たちや地元の小中学生の可愛い巫女さんたちが拝殿に入ります。
やはり正装した氏子代表や関係者も拝殿に並べられた椅子に着席しています。
外から見ているのも面白くないので、神社の人に尋ねてみたら、「どうぞ空いている席にお座りください」と言ってもらったので、私も拝殿に入って大例祭に参加させていただきました。
祝詞上奏や雅楽の演奏(決して上手いとは言えませんが)や奉納舞が続き、1時間余りで終了。
しっかりと「ムゥの再興」を誓ってきました。
ただし、雅楽が始まってすぐにとても心地よい風に吹かれているような感じになって、眠っていないのに頭がボーっとして目を開けていられなくなっていました。
まるで夢の中で例大祭が進行しているような感じでした。

15日には、神慮一体の儀式である「亀太夫神事」というものが行われるのだそうです。
これはきわめて古い古代から継承されてきた神事のようで、とても興味深いものですが、またいずれ見学させていただこうと思っています。
須佐神社も出雲大社も醸し出しているご神気はかなり違うのものの、いずれも清々しく、出雲に行けば心底癒されます。
魂が活性化するのが分かります。

引き続き、境内で餅まきがあり、紅白の小餅がセットになった袋がたくさん撒かれました。
でも、とっても素早いおばさんやおじさんが多くて、お餅の袋が私のお腹に当たって「お、これはゲット」と思っていたのまで、素早いおばさんに拾われてしまいました。
そんなわけで、私は10袋ほどだけ戴いてきました。

熊野館のフロントのおばさんに少しおすそ分けして、カバンを受け取り、松江に戻りました。
高速バスが今日は満席だったので仕方なく特急やくもに乗り、岡山経由で篠山に戻りました。

熊野館の温泉は日帰り客もOKで、数年前まではかなりの日帰り客が来ていたのに、私が宿泊している間は人もまばらで、宿泊客もほんの数人でした。
やはり不況の影響なのかもしれません。

私は疲れが出たのか排出なのか、顔が浮腫み、目の下などは自分でもびっくりするぐらいに腫れてしまいましたが、今日はそれもかなり治まってきました。
そういえばさきさんも熊野大社の境内に入るとさかんに咳き込んでいました。

熊野大社の境内の人目につかない休憩所で瞑想したり、遠隔ヒーリングをしたりで、とても気持ちがよかったです。

冊子の原稿も、今まででは書いては中断して書き直したりの繰り返しでした。
自分で言うのも変ですが「新しい人間の国・日本へ」がよく書けていて、今度の冊子はそれとかなりの部分で重なるので、どうしてもモチベーションが維持できなかったのです。
でも、昨日さきさんにメールしたように、ようやく大きなスケールのエネルギーと小さな対象の焦点が合わさりました。
自分的には、いい感じで書き進めることができています。

関東定例会には間に合いませんが、なるべく早く書き上げて冊子にします。

(この数日はパソコンのメールの返信ができませんでしたが、明日にも返信いたします)

14/10/2011(金) 23:08:33



No.9059 飯沼  E-mail
愛は時空を超えて 81  引用
      ☆☆ 愛は時空を超えて 81 ☆☆

            ――  霊界の克との対話  ――

飯沼)おーい、くぅ。

克子)はーい、まーたん、こんにちは。

飯)最近、いろんなことがあって、お前が受信した「ムゥ、その光と影」を手に取る機会があった。
「ムゥ、その光と影」は、2000年12月から2004年1月まで、「天地悠々」に連載した母なる国ムゥの物語で、原稿用紙に換算すれば、たしか250枚ぐらいになるはずだから、全部読みなおすことはできていないけどね。

克)はい、懐かしいですね。
ただし、「お前が受信した」というのは違っています。
普段は便宜上そういう言い方でよろしいのですが、私が筆記したものについても決して私一人で受信したわけではありません。
あなたとエネルギーを共鳴させることによって、高い次元の霊界からの意念や情報を受けることができたのです。
ここでは一応その原則を確認しておきます。

飯)はいよ、了解。
「ムゥ、その光と影」は「地上人類の歩み」に対応しているのだけど、公表したもの以外にもムゥの頃の過去世の個人メッセージはたくさんある。
僕らに関するものだけではなく、いろんな人のその頃の過去世についてのメッセージも受信している。
それらを合わせれば、幾重にも織りなされた実に膨大な物語が浮かび上がってくるね。

克)はい、そうですね。
しかしあれは決して「物語」ではなく、ムゥの末期を時代背景として特定の人たちに焦点を当てた実話です。
しかも実際にあったことのごくごく一部に過ぎません。
こうして霊界に戻った私には、地上にいたころよりもはるかにあの頃のことがリアリティを持って思い起こされます。
今のこの時代に、あの頃を生きた魂たちが志を高めて、続々と地上に再生しているのです。
「あの頃を生きた魂」といっても、人の魂というものはいわゆる「類魂」ですから、全く同じ魂(個霊)が再生するわけではありませんし、ムゥの滅亡以降何度も再生を繰り返している人もいるのですが、ここではそれらの説明は省きます。
もちろん、今の地上にはムゥの時代が終わってから“人”に進化した若い魂の人間も大勢います。
(その説明も省きますが、興味のある人は「地上人類の歩み」をお読みください。)

いずれにしても、ムゥの時の過ちや不十分さを贖(あがな)い、今のこの時代でなければできない(意味がない)ような貢献を意志しているのです。

最初の地上人生がムゥであれアトランティスであれ、あるいはそれ以降の時代であっても、元の人生の負のカルマとその後の人生での正負のカルマに照らし合わせた贖(あがな)いや埋め合わせは必ず今回の人生にプログラムされています。
過ちがあまりにも大きすぎて一度の人生では贖いきれないと認定された場合は、何度もの人生に分けて背負うことになるのです。
「霊的法則に基づかないことは起きない。もたらされたことの全てに意味がある」とは、そういうことです。
困難な試練がもたらされた時こそ地上的損得や感情を越えて、霊的価値観に則して皆の喜びになる方向での解決を図らねばなりません。

あなたの場合はかつてのムゥにおいて、くに(国)を統括する立場でありながら、かげりを深める人々に翻弄されてしまい、リーダーとしての責務を果たすことができませんでした。
最後には人々や多くの仲間たちを残して、闇の者たちに処刑される道を選んでしまいました。
その埋め合わせとして、今回の人生では社会的な地位や評価などを与えられない中で、人のかげりに幾度もさらされながらも、その人の心を分かろうとし、仲間たちを育てながら彼らと共に本当の意味で健やかな社会を目指し続けねばなりませんでした。
しかも、戦いや争いによってではなく、人も社会も癒し尽くそうとすることによって実現させていくというのが魂の意志となりました。

私の場合は、ムゥの頃に戦いに明け暮れるあなたに取り残された思いがして、拭いがたい寂しさを抱えていました。
疑うことを知らなかった私ではありましたが、闇の者たちの陰謀に乗せられて、あなたや子供たちを残して囚われの身に甘んじることになってしまいました。
その過ちは、あなたと出会うまでの今生での寂しさや虚しさだけでは贖いきれず、幸せの絶頂であなたや娘たちを遺して地上を離れることが設定されていました。

かつてのムゥでは、私が闇の者たちの手に落ちたことを知ったあなたは、彼らの求めに応じて一切の責務を放棄して単身彼らの拠点に赴き、「私は全てを失った」という言葉を発した後は固く黙したままで残虐な彼らの手に掛かったのです。
それすらもあなたには重いカルマとなり、今生では地上の私を失った後も働きに邁進することになっていました。
霊界に戻った私と心を合わせて働くことも魂の約束でした。

これらのことはあなたもすでに知っていることですが、今のこの時期に改めて意識し直していただきたいのです。

飯)はい、承知しています。
ヒーリングなどで関わる人の話だが、最近は特にムゥのカルマの再現というのか、やり直しの機会がもたらされているとしか思えない人が目立つように思う。
もちろん、その人のムゥの頃の情報をこちらがすでに把握している場合だけど、そこで伝えられている情景と見事に重なっていて、「本当はあの時にそう言うべきだったんだ。今回の人生で言えてよかった!」と思う人や、「まさにムゥのカルマの再現だけど、この先どうなっていくのだろう」と心配になってしまう人もいる。

克)はい。
全ては摂理に沿って、「佳きに計らわれる」のです。
当然ですが、霊的真理・霊的法則は、地上の人間の損得や都合不都合や感情などをはるかに超えて作用します。
地上的にはいかに重い決断であっても、その人が摂理に沿っているならば、その人自身にも喜びがもたらされるのです。
もちろん地上的な損得計算や自分の感情を優先することで、結局は全てを失ってしまうこともあります。

ひとつ例をあげてお話しいたしましょう。
ムゥにおいて、私が闇の者たちの手に落ちる時のことです。
比較における違いから心のかげりを深めてしまったムゥの闇の者たちによって仕掛けられた戦いではありましたが、もともとは誰も戦いなどということを知りませんでした。
光の者たちは何の喜びもない戦いに赴いたとしても、敗戦につぐ敗戦で疲れ果てていました。
その頃は光の者たちの中にも、人とのさまざまな違いによって心のかげりが広がり始めていました。
アジェリンダン(闇の者たちの王)の策謀に乗せられたあなたの弟も、あなたとの違いに心をかげらせたところに付け込まれたのです。
彼がアジェリンダンから持ちかけられた話は、「あなたの兄に代わってあなたが新たな統率者となって、我々と平和的に共存しよう。その会合の席にはあなたの兄の妻を同席させるように」というものでした。
しかし、実際にはコンプレックスの反動による激しい征服欲に駆られていたアジェリンダンが、ムゥを完全に支配するためにあなたを打ちのめす策謀だったのです。
私は、あなたの弟から「戦いを終わらせることで、人々からの兄への信頼も回復し、あなたもまた以前のように兄と楽しい暮らしが戻ってきます。そのために、今度の秘密会談に同席してください。くれぐれも誰にも言わないように」と、固く口止めされていたのです。
愚かな私は、あなたの役に立ち、しかもあの楽しい日々を取り戻せると聞いて、疑うことなくその話に乗ってしまいました。
でも、たった一人だけにはそのことを打ち明けていたのです。

彼女は私の幼いころからの親友でした。
子供の頃からいろいろな話をしてきました。
やがて私が、ラ・ムゥ様の提案によって、ムゥ始まって以来の「違う傾向の邑の者同士の結婚」の当事者として、若き統率者の任に就くあなたのもとに嫁ぎ、人々の祝福も話題も一身に集めてきたことに、彼女の内心は暗い妬みや対抗心が膨らんでいたことを私は全く知りませんでした。
あなたや子供たちにも黙って、こっそりと屋敷を抜け出す手はずになっていた私はやはり心苦しく、多少の迷いもあって、彼女にだけは事前に打ち明けたのです。
彼女はすぐにそれが陰謀に違いない(捕えられて殺されるに違いない)と気づいたのですが、そんなことは素振りにも出さず、むしろ私を後押しするようなことを言いました。

やがて私が囚われたことを知ったあなたは、弟に近い者たちに事の真相を問いただしましたし、彼女にも詮議の手は伸びました。
彼女は、「私は知りません。聞いていれば親友の私がそんな無謀なことをやめさせないはずがありません。何の話をされているのか、私には何も分りません」と言い張りました。
彼女の家族も彼女が嘘を言っていることは分かったのですが、気づかぬふりをして決して本音を口にすることはありませんでした。
私の責任はもちろんですが、そのことが彼女の重いカルマになったのは言うまでもありません。

その頃すでにあなたは戦いでは何も解決しないことに思い至り、今までよりもスケールの大きな調和のエネルギーや方策について思いをめぐらせていました。
しかし、そのことを理解できそうな人材は見当たらず(というよりも、いたのですがあなたは戦いで共に苦しい思いをしている者たち以外にそういう話をすることを好まず)、結局は誰にも話してはいませんでした。
(それは、今あなたが到達した「分け隔てのない、無条件の祝福と感謝のエネルギーによる一体化」に他なりません。)

結局、あなたが地上的生命を奪われてからしばらくの期間を経て、母なる国ムゥは混乱と絶望の中で海に沈み、地上から消え去ってしまいます。

飯)はい。
その経緯についてはお前が地上にいるころから知らされている。
4月に受信した「愛は時空を超えて75」では以下のように警告されていた。
『表向きには親友・友人として振る舞いながら、内心は妬みと対抗心が渦巻き、「親友・友人」の足を引っ張るために陰ではとんでもないことをしたり言ったりしてきた人もいます。
もしもこれを読んでいる人の中にそういうことが思い当たるならば、自分なりの言い訳を考えずにすぐさま謝罪と十分な埋め合わせをすることです。
私がこの場であえてこのようなことを伝えるのは、それだけの理由があるからにほかなりません。
非難しているのではなく、その人のことを思うからです。
これを読んで思い当っても放置しているならば、いずれ必ず私がこうして伝えた意味を思い知ることになります。』

お前がこういう警告をはするのは余程のことで気にはなっていたのだが、それが誰の事かもはっきりとは確定できず、数か月はそのままになっていた。
ところが9月の初めに「もしかすればその人のことかも」と思っていた人から連絡があり、「すべてを失うような大きなトラブルが生じている」とのことで、助けを求められた。
その人や家族との関わりの中で、まさにムゥの人生と同じことが繰り返されていたことが明らかになりつつある。
悠々塾つながりの人だけでなく、僕たちの別の大事なつながりのグループの人にも、事実や内実を捻じ曲げた悪意に満ちた誹謗中傷をされていた。

それだけでなく、その人はお前に激しい妬みと対抗心を燃やし、お前が病を得た時に「それみたことか」と思い、お前の悪口を言っていたのだそうだ。
それなのにお前が地上を去った直後に、「克子さんの親友」として再び悠々塾の定例会に参加してきた。
「克子さんが病の間の2年半、何の協力もしてくれなかった人がどうして親友なのだ?」と、怪訝に思った人もいたが、そう思った人を含めて優しい仲間たちは黙ってその人を受け入れていた。

お前の病を皆の心のエネルギーで治そうとしていた2年半の間、絶えず「治ればこの人たちが有名になるから、治らなくていい」という不協和音を感じていたが、それはやはり事実だったのだ。
お前の病だけでなく、僕や仲間の活動が飛躍しそうな時には、いつも強烈な妬みからくる妨害のエネルギーを受けてきた。

僕個人としてはもう済んだことだし、そういう思いを向けられることも自分の不徳の致すところであったり、あるいは霊的真理に対する理解や実践の感覚の隔たりであるのだから、今さらどうこう思うわけではない。
でも、その人が自分のしてきたことの恐ろしさが全く分かっていないし、それらのことを明らかにした動機が「すべてを失うことが怖いから」ということなので、それではどうしようもない気がしている。
ましてその人は、「自分が間違っているのなら霊的責任を負う覚悟です」などと公言しているのだから。

克)はい。
まさにその人次第です。
こういうことになることが分っていたから、あえて警告を発したのですが、残念なことです。
その人はまだ全てを明らかにしてはいませんし、そもそも事実や真実の重みなどには関心がないのです。
自分の損得や自分の都合やその時の自分の気持ちが全てであり、それが最優先の段階です。
こういうことを受信するのにあなたは気が進まなかったようですが、こういう形で公にすることもその人のカルマの解消のひとつなのです。
なぜならば、かつてのムゥの時には、重大な罪を犯しながら何ひとつ明らかにはされないままに終わってしまったからです。
そして、その人が人の気持ちだけでなく家族の気持ちすら「分らない」のは、かつての人生で「何のことだか私には全く分りません。私は何も知りません。私は何も聞いていません」という言い逃れを際限なく繰り返した埋め合わせです。
相手が辟易するまで、際限なく自分勝手な主張を言い続けるのも同じです。

先行きは多難ですが、その人の娘が強く指摘できるようになってきたことに救いの光があります。
この非常に大きなカルマは上述のように、その人の問題だけではなく家族の皆にも関係しているのですから、他の家族がこれからその人とどう関わっていくのかによっても(地上的な)結果は大きく変わってくるでしょう。

その人は今も「自分の側からしか物事を見ることができない」という状態です。
そしてその歪みが常軌を逸しているので、他の人間が関わってあげることは逆効果になるのです。
自分の側からだけの説明や言い訳をさせることになるのですし、相手がそれをどう受け止めているかなどは関係なく「自分の話を理解してもらえた」と思い込み、過ちを補強していくことになるからです。

飯)はいよ、分った。
今回の「愛は時空を超えて」はドネ会の前日(8日)に、急にお前から促されて受信を始めた。
まだ受信しなければいけない時期ではなかったし、内容にも違和感を感じながらで、結局その日には途中までしか受信できなかった。
「これは没にするしかないんじゃないか?」と思っていたが、ドネ会の日の深夜、眠ろうとしたときに急に「分った」ことがあった。
というより、お前から伝えられたのだろうね。
それでようやく、今回の受信の意味に納得したんだ。

克)はい、もちろんこちらからのインスピレーションです。
ムゥのある時期から、ムゥの人々は比較においてのかげりを抱き始め、コンプレックスの反動による「支配欲」に駆られる者たちすら現れてきました。
それも深い闇ではありましたが、彼らには「自分としての目標」と言えるものがありました。
自分がのし上がるために、彼らなりに必死に頑張ったのです。
もちろん、ムゥにおいてのかげりは「闇の者たちの集落」に移住した者たちにのみあったのではありません。
一般の者たちにもかげりは生じました。
しかし、それは決して邪悪なものではなく、人との比較によって自分の存在価値を見失ったり、初めての混乱や戦闘によって不安や悲しみを深めたり、希望や喜びを感じられなくなったり、心のつながりを手放してしまったりというようなものでした。

かげりが蔓延してきたムゥでしたが、「人の不幸を願う」というかげりはすぐに生じることはありませんでした。
ある時期までは闇の者たちですら、「人の不幸を願う」「人の不幸を自分の喜びとする」ということを知らなかったのです。
ところが、私の「親友」であったその人は、暗い妬みを増幅させて、人(私)の不幸を自分の喜びとしてしまったのでした。
ムゥに初めて生じた「人の不幸を願う。人の不幸を自分の喜びとする」というエネルギーは、それから徐々に闇の者たちに伝播・増幅されていくことになります。
それから1万年余り経過した今では、人のかげりのひとつとして決して珍しいものではなく、むしろ蔓延しているのです。

本来の人は、(自分を含めた)皆の喜びを自分の喜びとしていく存在です。
学びや傾向の違い、よって担う働き(貢献)の質やスケールの違いを多様性の表れとして受け止め、存在するもの全てに、分け隔てなく、無条件の祝福と感謝のエネルギーを注ぎ、その喜びのエネルギーを健やかに循環させることを喜びとするものなのです。
かげりが生じ始めた初期に、人との違いに心をかげらせた者たちは、自分を喜ぶことができにくくなっていきました。
本当は自分という存在を喜びたいのに喜べないのは惨めで苦しいものです。
その惨めさに耐えられなくなった者たちが、「自分のみの喜び」を追求していきました。
そのためには人を踏みつけにしたり、傷つけたり、抹殺したり、騙したりということもするようになっていきました。
いわばそれがかげりの第1段階です。

その後、上述のように「人の不幸を願う。人の不幸を自分の喜びとする」という第2段階のかげりが生じました。
見方によればそれは第1段階のかげりや闇よりも邪(よこしま)で、さらに質(たち)の悪いものです。
それゆえに、そういう闇を抱えてしまっている人が少なくない今の時代でも、「人の不幸を願い、それを喜びとする」という心が自分の中で膨らめば、自らの良心のチェック機能が作動する場合が多いのです。
残念なことにそれでも今は、人の不幸を願い、人の不幸を自分の喜びとする人たちが増えてしまっているのですが。
しかし、それは神の子である人間としての本来の心から最も掛け離れた暗黒界の心です。
そういう心の要素を持ってしまっている人たちは即刻、「真人間としての心に立ち返ろう」と強く意志していただきたいのです。
そして、「人の喜びを自分の喜びとしていこう。自分はそういう人間に戻ろう」と。

かげりや闇にまみれた今の地上界ですが、第2段階のかげりが軽減するだけで、驚くような変化が顕れていくのです。
今回の通信の内容に心をかげらせるのではなく、自らの暗部に光を当てて、「出直し、生き直し」の一環としていただきたいのです。
ひとりの人間の大きな過ちが、それを知った者たちの光の喜びを高める機会に貢献することによって、背負わねばならない責任も幾ばくかは軽んぜられるというものです。

飯)はい。
今の時期にこういうことが判明することにも意味があるのだと思う。
明日は出雲の熊野大社に参拝して、本当の意味での「ムゥの再興」を改めて誓い、熊野大社前の「ゆうあい熊野館」に投宿して冊子の原稿を書いてきます。
と言ってもせいぜい3〜4泊だから、書き上げるのは無理だろうけどね。
出雲の地から、遠隔ヒーリングも気合いを入れてやらせてもらいます。
先日、この15年間ぐらい受け続けてきたであろう暗いエネルギーの大排出があって、なんだかまた脱皮したような感覚もあるし、出雲、楽しみです。
さきさんは1泊だけだけど、明日松江で落ち合って一緒に参拝してきます。
出雲の意味は、「出(い)ず、ムゥ」だということだしね。

克)はい。
必ずや意義深い参拝になるでしょう。
執筆だけでなく、地上の諸々からしばし離れて、いろいろな意味でしっかりリフレッシュしてきてください。
ここしばらくの間は暗いエネルギーとの関わりが続き、あなたも疲れています。
闇のエネルギーに心を乱すことなく、彼らの真の幸せに向けて必死になって関わったあなたがたは霊界から大いに評価されているのですよ。
かげりに心かげらせる癖のあったあなたも、ずいぶん成長したものです(笑)

飯)はいはい、お褒めにあずかって光栄です。
どうせ修行中の駒ですからね。
せいぜい頑張りますよ(笑)

克)いえいえ、そんな意味で言ったのではありませんよ(笑)
「そういうところは相変わらずだ」とあなたのお父様がおっしゃっていますがどうしますか?

飯)うへっ、先に進んでください。

克)あなたがたはいつも霊界側の計らいの下(もと)にいます。
今の無力な自分(たち)を基準にするのではなく、あなたがたの夢(皆の喜び・幸せを実現する)のスケールを基準に、勇気を出しておおらかに前進を続けてくださいね。
目覚めた魂にとって、地上に怖れるものなど何もないのです。
皆さんがたさえ本気になってくだされば、それぞれの魂の意志の実現のために、霊界側からも惜しみない支援がもたらされるのです。
それを信じて、自分を縮めることなく働きに邁進してくださいね。

飯)はい、ありがとう!
それじゃあ、またね。

克)はい、まーたん、またね(笑)
(2011,10,10)

11/10/2011(火) 00:08:51


No.9060  puhpuh
Re: 愛は時空を超えて 81  引用
受信ありがとうございます。

幼い時から何をやっても許される妹と何をしても認めてもらえない私・・・ 思い当たる節があって、はっとしました。思い出すと本当に恥ずかしい。
今はお互いの思いも言いあうことができるような関係になりました。311以降スムーズに打ち解けるようになったのです、不思議ですが。

今は職場で一緒に働いている人や私の母親は、人の不幸を喜び、幸せを妬み、不満をずっと言っている人がいます。その人の言動が毎日私の心を疲れさせます。その人の心の中はどうなんだろう・・・
どうか、いつか気づいてくれますように。

12/10/2011(水) 15:46:45

No.9061  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 81  引用
12日の深夜に高速バスで松江から帰ってきました。
久しぶりに訪れた熊野大社の空気は清浄ですがすがしく、心洗われました。
ぬまさんと参拝し「ムゥの再興」を誓いました。

今回、積極的に人の不幸を願う、人の不幸を喜びとするという心のリアリティーに触れて自分の意識も心も混乱しました。
「良心のチェック機能」が作動するからです。
そうではないものを見せられて混乱し動揺しとまどいました。自分の心が何処に行ってしまうかかわからない不安に襲われました。
ムゥの崩壊の時も同じだったのではないでしょうか。
喜びのみの心で生きてきたムゥ人たちはムゥのなかで広がっていくかげりにどうしていいかわからなくて、自分の心をかげらせていったのです。

やり直しです。
放射能にまみれ地上的な生存の基盤も脅かされているなかで、私たちがやり直しをするのです。
光の存在であったラ・ムゥは最後に自分の存在を無数の小さな粒子にかえてその姿を消しました。
その粒子はすべての人々のなかに飛び込みました。
ラムゥが託した光の粒子を私たちはいただいています。
この場につながるみなさん、自分の心を信じ、心のちからを信じて、みんなの心をつないでいきましょう。
信じるべきは人の心です。
「良心のチェック機能」が作動するから人は動揺し戸惑い、不安や恐れをふくらませてしまうのです。その自分の心を信じましょう。

昨夜冊子の原稿を書いているぬまさんからもらったメールです。
>子供にマスクすらさせていなかった人たちをはじめとして、
>福島の人たちはこれから健康障害が出始めると
>不安や恐れを増幅させる。
>それは戦いや混乱に疲弊したムゥの末期に似ている。
>そういう人たちの気持ちに寄り添って、
>「分け隔てのない無条件の祝福と感謝のエネルギー」による
>一体化と新しい社会の仕組みを訴えることで、
>僕らはムゥできなかったことをやり直すんだと思う。

みなさんも心をあわせて下さいますようお願いします。
出雲に行ってから知ったのですが、ちょうど明日明後日と熊野大社のお祭りでした。境内ではその準備がすすめられていました。鑽火祭(さんかさい)という神慮一体のための「神事」(亀太夫神事)がおこなわれます。
神慮一体=霊界の心との一体化・顕現とすると、ムゥの再興ですね!

13/10/2011(木) 08:49:58


No.9049 さき ホームページ 
「心を離すこと」なく 引用
(悠々塾と出会うまで)私は過去世とかカルマとか全く考えたことも意識したこともなかったけど、人は自分でも意識しないうちに、つき動かされるように強烈な魂の意志が働く瞬間があるのだろうと思います。そのスイッチを入れるための設定や計らいが常にもたらされているのだと思います。そうして、みんな、かつて出来なかったことのやり直しをしている。そのチャンスをいただいている。のでしょうね・・・と、思うことあって開いた「天地悠々」に掲載されていた「ムゥの物語」のしめくくりの部分がぐっと響いたので紹介します。
(「天地悠々」第75号・2004年1月発行より)

・・・・・
かつてのムゥに生きた人々は、自分たちの幸せに気づかぬほどに幸せでした。
「幸せ」と思えるのは、そうではないと感じる経験、心の痛みがあってこそです。

あなたがた人類がこれまで経験してきたこと、繰り返してきた過ちの数々は、「地上に生きる者の幸せ」を本当に分かり、喜び、感謝するための副教材でした。

神から降りそそがれる愛に対し、喜びと感謝を還していくという健やかな循環のなかに、全ての人の地上人生が組み込まれていきますように。神と全ての生命の循環を乱し、不調和を紡ぎ出してしまった愚かさすらも、喜びの循環のなかで浄化され、本来以上の輝きに変わる。
地上に生きるあなた方は、その恩恵に浴しているのです。しかし、これらのことが分かるのは、霊界に戻り、さらに学んでからのことでしょう。しかしこうして昔語りをする機会を与えられた私は、敢えてそれをお伝えします。

ひとりひとりの人生に、たくさんの物語があります。そしてその物語には、もとになる物語があります。幾重にも織りなされたあなた方ひとりひとりの人生が喜びに彩られますように。
ムゥの人々が犯した共通の過ちとは、「心を離したこと」です。いかなる時も、いかなる状況にあっても、「心を離すこと」なく、「心をひとつ」にさえしていれば・・・。というのは私だけの後悔ではありますまい。何事もそれに尽きるのです。

幾多の試練も困難も、あなた方にとっては必要なもの。苦しさ辛さの前に崩れるしかなかった脆(もろ)い心の時代を終わりにし、ムゥの過ちを越えた、たくましく、しなやかな心を輝かせてください。
これで私の昔語りは終わりです。
「ムゥの再興」を心待ちにして。

06/10/2011(木) 10:10:57


No.9050  ひろこ
Re: 「心を離すこと」なく 引用
さきさん、ありがとうございます。
私が悠々塾に初めてお世話になったのは、2004年3月だから
昔語りの天地悠々はもっていないけど、克子さんが病を抱かえながら受信してくださってる様子が目に浮かびます。
感謝です。

>「心を離すこと」なく、
>
> 幾多の試練も困難も、あなた方にとっては必要なもの。苦しさ辛さの前に崩れるしかなかった脆(もろ)い心の時代を終わりにし、ムゥの過ちを越えた、たくましく、しなやかな心を輝かせてください。


困難は必要不可欠なものでした。というか・これからもだと思いますが、脆い心の時代を終わりにし、心を輝かせたいと思います。

06/10/2011(木) 14:23:13

No.9051  飯沼 E-mail
Re: 「心を離すこと」なく 引用
「ムゥの光と影」は、克が受信して「天地悠々」に連載した物語でした。
原稿用紙に換算すれば250枚ぐらいになったと思います。

特に最近、幾人もの人との関わりの中で、「ムゥにおける人生のやり直しをしているのだ!」と思うことがあります。
そういう人は以前にムゥでの人生のカルマの情報を受信しているのですが、過ちを犯したところや不十分だったところから1万数千年年の歳月を超えて、“やり直せるかどうか”という局面を迎えているとしか思えないのです。
「魂の意志というものは、まさに時空を超えて継続しているのだ」ということに、涙が出そうな感慨を覚えます。

状況設定や周囲の人たちの配剤の妙というのか、複合的で緻密な整合性に呆然とすることが続きます。

克の受信によれば、ムゥの末期には「すべてを焼き尽くす兵器(核兵器)」も使われ、地震などの天変地異も続いたようです。
日本中が放射能に汚染され、地震や気象災害が続き、劣悪なる者たちの支配がほぼ確立し、人々が希望や心の力を萎えさせてしまっている今が“その時”であることは明らかです。

つい先日も、思わず「さきさん、今こそまさに“その時”だ!」と声に出して言ってしまいました。

私が実感としてようやくそこに至った、「すべての存在、すべての生命に無条件の祝福と感謝を」というエネルギーは、
まさに、
「神から降りそそがれる愛に対し、喜びと感謝を還していくという健やかな循環のなかに、全ての人の地上人生が組み込まれていきますように。」というものと同じです。
無限多重の生命相互の「無条件の祝福と感謝の喜びのエネルギーの循環」こそが、地上的なかげりの全てを超える健やかさへの回帰の原動力なのです。

そのエネルギーが惜しみなく、すべての存在、すべての生命に注がれ、この地上で一定以上のレベルに達した時、
『神と全ての生命の循環を乱し、不調和を紡ぎ出してしまった愚かさすらも、喜びの循環のなかで浄化され、本来以上の輝きに変わる』のです。

そのために私たちはこの困難の時期を自ら選んで、「今度こそは」と、地上に生まれてきたのです。

起て、光の戦士たち!
まだ起てなくても、せめてその目を開けろ、目を覚ませ。
あなたの眼差しにすら、あらゆる生命を癒す光のエネルギーがこもっているのだから!

06/10/2011(木) 21:17:31

No.9052  飯沼 E-mail
Re: 「心を離すこと」なく 引用
タイトルは「ムゥの光と影」ではなく、「ムゥ、その光と影」でした。

07/10/2011(金) 14:09:11

No.9053  飯沼 E-mail
Re: 「心を離すこと」なく 引用
『ムゥ、その光と影』 ?@
    ――スサノオとクシュリナーダ

この物語を語ることができる日を、私は長い間待ち続けておりました。かつてのムゥでの出来事を、そしてその間の趨勢(すうせい)を余すところなく知る者が、語らねばならない日が必ず来ることを知っていたからです。

 光と喜びに満ちたムゥがなにゆえに沈んだのか。それを知ったあなた方が、再び光あふれる「くに」を構築、いいえ、復興くださるように。

 悲劇を知ることで、求めるべき幸福が分かるのです。

1.ムゥの起こり
  〈地上で生きる人間として〉

 神の計らいにより、霊界から地上へと「人間」は赴くことになりました。あなた方の思う「進化」とは別の、もうひとつの生命の流れです。初めから「サル」ではなく「人」として、その人たちは地上に赴きました。

 母親の胎内に宿るのではなく、物質化によって肉体を形づくり、地上にその存在を顕現させたのです。彼らは霊界での生き方の延長上にありました。何ものにもとらわれることなく、喜びのみに生きるのです。今のあなた方の想像力では及ぶことのできない、自由自在な生き方が、そこには展開されました。心、思いをそのまま形や肉体に表現するのです。それは「見えない心のエネルギー」を自在に操ることでした。

 それからしばらく後の“人間”はやがて、その時地上に存在する物と関わりを持ち始めます。ようやく地上との交流が成立したのです。空腹を満たすのに自らが何かを作り出すのではなく、採取して口にすることを覚えます。相手に何かを伝えるのは思念のやりとりではなく、声と言葉という「音」を媒介とする方法も身につけました。意識が常に霊界の方を向いていた頃に比べれば、自らの暮らす地上に、肉体によって根づいたと言ってよいでしょう。

 こうして、霊界から地上に赴いた“人”は、地上で生まれ、生き、去って霊界に戻る者たちとなりました。そうやって“人”が地上になじんでいくにつれて、それぞれの“人”の間に、はっきりとした傾向の違いが現れました。共に生きていくうえでその傾向の違いは、補い合うことや助け合うことを意味しますし、そこに役割や働きというものが生まれます。いわば、与えられている能力や力によってどう生きるかが定まる、そういうものです。それでよかったのです。自分にないものは持っている人に補ってもらう、自分の持てる力は最大限活かそうとする、配剤により、必ず誰かにもたらされている。だから与えられていることを誰もが喜びとできる。誰も惜しむことはない。それぞれが自分の心と体でおおらかに、生きることを喜びとできていたのです。この頃は、まさに霊界での生き方が地上でもそのまま形を成していた時代でした。

 傾向の違いを越えて、全体をあまねく照らすエネルギーを強く発する心、その心を持つ者はそう多くはありませんでした。調和されたこの国の象徴となる存在として人々はその人を「ラ・ムゥ」と呼びました。「ムゥ」とは光、あるいは光の心、「ラ」とは太陽、よって、光の源である太陽のように調和されたエネルギーに共鳴できる者という意味であり、同時にそれは、それぞれの人の持つさまざまな傾向のエネルギーをひとつに調和させることを働きとする者、という意味でもありました。

 神のエネルギーの一部を頂いて自分たちが存在すること、私たちはそれを知っていました。等しく皆が、神の一部なのだということを。全ての要素、全てのエネルギーの源である神に、自分たちは確かにつながっている、その喜びが、自分たちの国を「ムゥ」と呼ぶことになったのです。

 こうして幸せな時は続きました。それは変わることのないものであるかのように思われたほどでした。しかし、地上に、敢えて“人”を遣(つか)わした神の意志とは、もっと大きく深いものだったのです。形を成した地上で喜びのうちに地上人生を全うするだけでは、次元の違う場所に喜びを変換しただけにすぎないのです。これでよし、と神がうなずかれるのではありません。“人”を地上に遣わした本当の目的は、ここから始まるのです。それは、もうひとつの“違い”が人々の間に生じてからのことでした。

(「天地悠々」38号・2000年12月発行)

07/10/2011(金) 14:52:36

No.9054  飯沼 E-mail
Re: 「心を離すこと」なく 引用
『ムゥ、その光と影』 
    ――ムゥの末裔たち

「ムゥの再興」とは。

 かつてのムゥを蘇えらせることではありません。豊かさを享受し、とらわれのない心で生きていた時代を再現するのではありません。

 ムゥの崩壊、アトランティスの滅亡に際し、人々はあらゆる“かげり”を持ちました。かげりの種は今や蔓を伸ばし、葉を繁らせ、「偏り」というたくさんの実をつけてしまいました。この実が育つほど、大地である人の心は枯れていくのです。
 繁った木を切り、実を取り去るだけでは、大地の豊かさは取り戻せません。“かげり”の種を取り除いたうえで、枝も葉も幹も、全て養分として大地に還すことです。

 地上の人々が、かげりを抱き、自らのかげりに翻弄され、出口をなくしていく過程は、新たなる光、新たなる喜びを手にしていくために必要な過程でした。もともと与えられていた喜びを引き継いでいくだけではなく、生じたかげりを越えることで、光は一段と輝きを増すのです。かげりを越えて手にする喜びは、以前にも増して強く大きいのです。

 崩壊や滅亡以降の人類の歩みは、再びの崩壊、滅亡に向かっての歩みではありません。同じ過ちを二度と繰り返さないための学びの過程でした。学びきれずに再生を繰り返し、今に至ったとしても、今度こそ「再構築」はかないます。

 人のかげりを恥ずべきもの、醜いもの、あってはならぬものとして疎んじ排斥しようとしなければ。ないもののようにしてしまわなければ。

 自らの存在を、「至らぬもの」として分かるまで、過ちが繰り返されたのです。自らを「至らぬ者」と分かるまでに、長い年月が費やされたのです。
 人類が自らの愚かさに気づかぬ限り、現状は変わらない。崩壊や滅亡への歩みを進めようとしている者は、まだ気づいていない者なのです。

 かつてのムゥでは、各々の違いを当然のものとして受け入れ、違いに見合った役割によって相互扶助が成り立っていました。それは、自と他の別なく共存するのが当然の社会だったからです。生まれた時からそうだったからです。
 「違い」を「差異」と認識し、比較において心をかげらせるのは、自と他の区別が強まるからです。

 自と他を分けることが、分断、隔絶、排除、否定につながってしまう時代は終わりを告げるのです。自と他を個別のものとして認識したうえで尊重すること。自分として、自分であることを喜ぶこと。その両方ができるなら、自らの存在を喜び、同じようにして他の存在をも喜べます。それによって違いを認め合ったうえでの相互扶助が成り立つのです。

 人々の心に芽生えたかげりが、人のあり方を変え、社会やくにを崩壊に導いたのだとすれば、人々の心に新たにかげりを越えた光と喜びとをもたらしていかねばなりません。

 かつてのムゥに生きた人々、ムゥの末裔たち、そしてアトランティスを創り、そこに生きた人たちは、この数百年の間に再生し、ムゥの再興を果たすでしょう。

 かつてのムゥに生きた人々は、自分たちの幸せに気づかぬほどに幸せでした。「幸せ」と思えるのは、そうではないと感じる経験、心の痛みがあってこそです。
 あなた方人類がこれまで経験してきたこと、繰り返してきた過ちの数々は、「地上に生きる者の幸せ」を本当に分かり、喜び、感謝するための副教材でした。

 神から降り注がれる愛に対し、喜びと感謝を還していくという健やかな循環のなかに、全ての人の地上人生が組み込まれていきますように。神と全ての生命の循環を乱し、不調和を紡ぎ出してしまった愚かさすらも、喜びの循環のなかで浄化され、本来以上の輝きに変わる。

 地上に生きるあなた方は、その恩恵に浴しているのです。しかし、これらのことが分かるのは、霊界に戻り、さらに学んでからのことでしょう。
 しかし、こうして昔語りをする機会を与えられた私は、敢えてそれをお伝えします。

 ひとりひとりの人生に、たくさんの物語があります。そしてその物語には、もとになる物語があります。幾重にも織りなされたあなた方ひとりひとりの人生が、喜びに彩られますように。

 ムゥの人々が犯した共通の過ちとは「心を離したこと」です。いかなる時も、いかなる状況にあっても、「心を離すこと」なく、「心をひとつ」にしてさえいれば…。というのは私だけの後悔ではありますまい。何事もそれに尽きるのです。

 かつてのムゥやアトランティスについて、あるいはその末裔について、語ろうとすれば物語は尽きません。あなた方ひとりひとりに数十年の人生があり、それを一言で言えるものではないからです。

 ましてこの時代は、今のあなた方の時間概念とは違う時間の流れがありました。一度の人生のスパンが違っていたのです。
 今のあなた方は長寿だとしてもせいぜい百年と少しです。しかしムゥにおいては、数千年を生きる者も珍しくはありませんでした。物語をするに当たってはその歳月を、皆さん方のスパンに合わせて語らざるを得ず、当時の暮らしの様子についてはこと細かにお伝えできませんでした。
 アトランティスにおいては、管理という名の下での生命操作、寿命操作が行われていましたから、ムゥの人々の寿命と同じではありません。

 しかしながらムゥにおいても、喜びのみの暮らしから、「かげり」が生じ始め、人々の心に芽生えるようになるにつれて、人々の寿命も短くなっていったのです。

 空間の概念も同様に、重力の影響を受けることなく自在に移動することが可能でした。
 心のエネルギーに関しても、あなた方がいわゆる超能力と呼ぶ力は誰にでも備わっていました。霊界では当然持ち合わせているものだからです。

 幾多の試練も困難も、あなた方にとっては必要なもの。苦しさ辛さの前に崩れるしかなかった脆(もろ)い心の時代を終わりにし、ムゥの過ちを越えた、たくましくしなやかな心を輝かせてください。

 これで私の昔語りは終わりです。
 「ムゥの再興」を心待ちにして。

(「天地悠々」75号・2004年1月発行。その後、再受信にて加筆)

07/10/2011(金) 15:02:56

No.9055  あきどん
Re: 「心を離すこと」なく 引用
飯沼さん
『ムゥ、その光と影』、私はまだ読んだことがなかったので、
掲載をありがとうございます。

先日、もっていた「アマテラス」という漫画を、ふと読み返したくなり読むと内容はほとんど忘れていて、また新鮮によめ、なるほどと思ったりしていました。
主人公が、クシュリナーダの生まれ変わりというお話でした。
スサノオの奥さんだと改めてわかりました。
アマテラスというタイトルなのに、主人交がクシュリナーダというのは、どうしてなんだろうと思ったり。。。

その前、9月に、出雲に行き、以前からよく知っていた須佐神社、出雲大社と参拝し、
(ゆかり館に泊まり、飯沼さん、克子さんは、ここで朝食を食べられたのかしらなどと感慨深い気持ちになったりして)
その後、八重垣神社に初めて参拝しました(有名な神社ということで)。
八重垣神社が、スサノオとクシュリナーダの神社なんだと
気がついたのが、行ってみてからでした。

なんだか、最近のことと、奇遇だと思いついコメントしました(^^)
私事で失礼しました。
興味深く読ませていただきます。
私も目を覚ましたいです。

07/10/2011(金) 16:24:45

No.9056  あきら&ひとみ
Re: 「心を離すこと」なく 引用
なんとコメントしていいか分からないけど、
「心をひとつに」
何時でもそうありたいと思ってます。

08/10/2011(土) 00:15:35

No.9057  まゆみ
新しい喜びの地上界へ 引用
新しい喜びの地上界へ

8日です。いつものようにメッセージを掲載いたします。


「神から降りそそがれる愛に対し、喜びと感謝を還していくという健やかな循環のなかに、全ての人の地上人生が組み込まれていきますように。」

魂の意志に添い、今のこのときを輝かせ突き進んでいきましょう。




福島原発、土、海、地球上の全ての生命に「無条件の感謝と祝福のエネルギー」と謝罪のエネルギーを。

これからも「新しい喜びの地上界へ」向けて、みなさんとエネルギーを共鳴させたいと思います。
みなさんよろしくお願いいたします。




今病気の中で苦しんでおられる方に、健やかな回復を願ってエネルギーを送りつづけたいと思います。

みなさんよろしくお願いいたします。

    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *




08/10/2011(土) 09:22:23

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