今日も3号機・4号機のプールは落ち着いているようです。 3号機はプールの冷却水の循環冷却を開始したそうですから、東電の説明に沿った理屈から言えばもう大量の水蒸気を噴き上げることはないはずです。 何とかこのまま落ち着いてほしいと願います。 原子炉内の燃料はおそらくすでにメルトスルーして、格納容器の外に出てしまっているので手がつけられないでしょうが、これからの水素爆発や水蒸気爆発の可能性は低いと思います。 あとは3号機・4号機の燃料プールが重大な事態に陥らなければ、大気中に破滅的な放射能が放出される可能性が低くなるのです。
もちろん、海や地下水に高濃度の汚染水が流れ込む可能性は十分にありますし、すでにかなり流れ込んでしまっているのだと思いますが。 被曝の蓄積の問題も深刻になっていくのですし。
「この程度の放射能なら気にする必要はない」という意見もありますが、それは違っていると思います。 確かに私たちは、「放射能とも共生できるようなエネルギー(意識や生き方)」を主張しています。 でも、それは「事実や現実をないものにして、自分に都合よく物事を考えたり主張すること」とは真逆のものです。
3ヵ月で1,3ミリシーベルト(年間5,2ミリシーベルト)を超える恐れのある場所は、「放射線管理区域」として立ち入りが規制されています。 福島をはじめ首都圏でもそれをはるかに超える地域が多いのです。
我が子が「放射線管理区域」で暮らすことを、平然として「大丈夫だ」と言う親がいるでしょうか? それとも、わが子じゃなければ「大丈夫」なのでしょうか?
とは言え、さまざまな理由で「放射線管理区域」並みの線量の地域で暮らすしかない人たちもいるのも事実だと思います。 私たちはそういう人たちの事情や気持ちに寄り添いながら、「本当の意味で大丈夫にしていく方法」を考え、そういうエネルギーの通路となっていくのです。
「放射線被曝」に関する世界的な共通認識を無視して、自分なりの勝手な考えや思いたいように思うような無神経さからは、「本当の意味での放射能との共生」はできるはずがないと、私は思います。 |
01/07/2011(金) 14:41:40
No.8701 飯沼 |
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「ひふみ神示」という「霊界通信」のことは時々ご紹介しています。 「ひふみ神示」について、私は今の世間的な解釈には同意できないことが多いように感じるのですが、「ひふみ神示」そのものは真っ当な「霊界通信」であると思っています。
「ひふみ神示」には、「今まで5回の『岩戸閉め』があった」と伝えられています。
4度目と5度目についてはこう伝えられています。
『神武天皇の岩戸しめは、 御自ら人皇を名乗り給ふより外に道なき御働きをなされたからであるぞ。 神の世から人の世への移り変りの事柄を、 一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、 人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。
仏教の渡来までは、 わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、 仏教と共に仏魔わたりて来て完全に岩戸がしめられて、 クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れほうだい、やりたいほうだいの世となったのであるぞ、
これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。』
まず誤解の無いようにお願いしたいのですが、これは仏教そのものを否定しているのではありません。 日本の場合、仏教は、支配者の権力争いの道具として輸入された面が強いのです。
平安末期に法然上人が、「多くの智恵ある人に尋ね、多くの学者に問いかけたけれども、全ての人が救われる道を、教えてくれる人もいなければ、示す人もいなかった。」と悩み、全てを捨てて衆生の救済に立ち上がるまで、一概には言えませんが仏教は長い間、支配者限定の宗教でした。
そして、いつのころからか仏教は再び「衆生の救済」という命題からそれてしまっているように感じます。 もちろん、それは仏教に限ったことではありませんが。 今はこういう時代ですから、仏教の「岩戸開き」の使命を担って地上に生まれてきている人物がいるに違いないと、私は思っています。 実は目星もついているのですが、まあ、急かすのはやめておきましょう(笑)
話を戻して、 期日中に、「神武東征」のコースを逆行きして、「岩戸あけ」の「雛型」を成就しに行ってきます。 戦後になって、「神武東征」は「神話・作り話」だとされてきましたが、どうやらそうではないようです。 その根拠については今は書ききれませんが。
「神武の岩戸閉め」についての解釈は、先日克から伝えられた通りなのだと思います。 再掲載しておきます。 。。。
「縄文時代」といわれる1万余年の間、この国は滅亡し海に沈んだ「母なるくに・ムゥ」から避難してきた光の者たちとの融合によって、与えあい・分かちあいが当たり前の共生のネットワーク社会でした。 もちろんリーダーは存在していましたが、武力や権力による支配ではなく、「徳」によって調和的に治められていたのです。
やがてさまざまなところから波状的に弥生人が渡来して弥生時代に移行するのですが、彼らは「強い者勝ち」の価値観と経験を積み上げてきた者たちでした。 縄文の民もその影響を受けざるを得ませんでしたが、とりわけ社会の上部構造においては「強い者勝ち」の論理と仕組みが貫徹されるようになりました。 縄文の「与えあい・分かちあいによる共生」の理念を貫こうとする者たちは声を上げるたびに何度も何度も排斥され、貶められて、政(まつりごと)への関与を許されなくなったのです。
その極めつけが「神武東征」といわれる支配者の交代であり、「民のための政(まつりごと)」は完全に潰えたのです。 それ以前は支配者層も、「縄文の価値観」を完全に無いものにすることはできていませんでした。 もちろん「曲がりなりにも」ではありますが。 (念のために付け加えておきますが、これは今の天皇家の方々の存在を否定するものではありません。あの方々は雛型としての日本においての重要な象徴的役割を担っていらっしゃるのです)
その後は政治に携わる者たちは己の利益や権勢欲を軸とするかげりを増幅し、民は支配者層のために生かされ、あるいは殺されてきました。 民は支配者層のためにあるものとして規定され、まさに「国民は国(支配者層)の資産」として扱われてきたのです。 そしてその流れは今も世界を席巻して続いているのです。
飯沼にこちらからの計らいがもたらされ、あなた方が「神武東征」の逆コースを辿ろうと思ったことの意味と、彼(Tさん)の立候補準備のための第1回目の集いが行われることを切り離してはいけなかったのです。 今の日本にも真っ当な政治家・議員がいないわけではありませんが、霊的真理を意識に叩き込み、社会的弱者の視点で「分かちあいの社会の構築」を目指している者はほとんどいないのです。 彼が立候補するということはそれだけの重要な意味を担っているのだと再認識していただきたいのです。 小さな町の地方議会であっても、その意味が薄くなることはありません。
集いの前夜に飯沼が突然の激しい胃痛に見舞われたことによって集いを延期することになったのは、「タルムード」の深い闇のエネルギーにつながったからでもありましたが、上述のような意味もあったのです。 飯沼は、地上界浄化の雛型としての悠々塾の働きを牽引する立場の者としての、自らの「迂闊さ」に思いを致させねばなりません。 (そもそも、大和の橿原神宮前から熊野の新宮まで、6時間以上の行程で路線バスが運行され、それを今の時期に知らされたことはよほどの意味があると思い、Tさんが政治の舞台に名乗りを上げることとリンクして考えるのが当然でした)
今の日本はまさに地上界浄化の雛型としての坩堝(るつぼ)の中にあるのです。 無意味な導きなど、一切ありません。 現状に流されることなく、さらに意識を研ぎ澄まして皆が幸せになっていける道を切り拓いていかねばなりません。 心を新たに神武東征の道を逆に辿り、心してTさんの立候補への準備に取り掛かってください。 。。。
6時間の路線バスの行程のほとんどは、曲がりくねった山の中の道ですが、「雛型の成就」に気合いが入ります。 昨日初めて知ったのですが、Tさんの市は「神武東征」の行程で神武軍が8年間も滞在した島のあるところでした。 びっくりして、「これはやはり偶然や僕らの勝手な思い込みなんかじゃない」と思いました。
2〜3年前に高千穂に行ったときは、船の中で急に克から「岩戸開け」のことが伝えられました。 それからも何度か「天岩戸」の伝説のある場所で、「魂(喜・輝)遍(あまね)く、人々に」と唱えて、「岩戸開き」の“型”を行いました。
「雛型」ということが分かりにくいかもしれませんが、「ひふみ神示」の 「総て神界のこと、霊界のことは、 限界(人間界)から見れば妙なことであるなれど、 それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。 一ヒネリしてあるのぢゃ、 天と地との間に大きレンズあると思へば段々に判りて来るぞ。」 というのが参考になるかもしれません。
ちなみに、前回の「岩戸開け」に対応する「ひふみ神示」は、
「次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、 大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、 ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。 いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。
善も悪も分からん世、闇の世と申すぞ。
天照皇太神宮様(てんしょうこうだいじんぐうさま)の岩戸開きは、 だました、間違いの岩戸開きぞ、 無理に開けた岩戸開きざから、 開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、 今度はメグリだけのことはせなならんのぞ、 神にはわけへだて無いのざぞ、 今度の岩戸開きはちっとも間違いない、 まぢりけのない、 マコトの神の息吹でひらくのざぞ。 まぢりありたら、 にごり少しでもありたら、 またやり直しせなならんからくどうきつけてゐるのざぞ。 何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。」
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01/07/2011(金) 15:30:21
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No.8702 祐造 |
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福島市周辺の子どもたちの尿からセシウムが検出されました。 健康被害はどんどん進んでいるようです。 福島のひとたちを、せめて子どもたちだけでも集団疎開させないかんと思います。
記事より 〜〜〜〜健康への影響がつとに指摘されているが、懸念は現実のものとなりつつある。 福島市周辺に住む子供の尿からセシウム134とセシウム137が検出されたのだ。 5月20〜23日にかけて6才から16才までの10人の尿を採取し、フランス政府の公認機関ACROに送って調べた。 結果は10人全員からセシウムが出た。〜〜〜〜
全文は → ttp://tanakaryusaku.jp/2011/07/0002565
この国の政府や、力ある者たちは、人を人とも思っていない。 庶民がこんなに苦しんでいるのに、平気で「原発は安全。原発再開を」とバカ野郎!が言っている。 子どものいのちより、自分の「余禄」が大事な守銭奴たち。
克子さんのメッセージを読んで、「そのとおりや」と、はっとさせられました。 ↓↓ 〜〜〜その後は政治に携わる者たちは己の利益や権勢欲を軸とするかげりを増幅し、民は支配者層のために生かされ、あるいは殺されてきました。 民は支配者層のためにあるものとして規定され、まさに「国民は国(支配者層)の資産」として扱われてきたのです。 そしてその流れは今も世界を席巻して続いているのです。〜〜〜
僕はテレビやラジオの報道を聞きながら、政府や東電のあまりの様子に腹が立って腹が立って、毎日怒鳴りたおしています。 自分でも変だと思うくらいに、マジ切れです。 でも、自分の中にも程度の違いはあれども、同じような要素があるのんじゃないだろうか?、、と、今日はそう考えてみました。 しょうもない自分がいるのは、自分でよくわかっているはず。 そう思うとなんだか気が重いのです。
でも、明日の自分は、今日より少し嬉しい自分でありたい。 そうして、子どもたちを守れる大人になりたいと、そう思います。 不十分かもしれませんが、そう意志します。 今日から7月。 みなさんと力を合わせていきたいです。 よろしくお願いします。 |
02/07/2011(土) 01:37:19
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