☆☆ 愛は時空を超えて 79 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。
飯)今回はこちらからは特に思い当たらないんだけど、そちらから何かあるかな?
克)そうですね。 こちらとしては最近のこの通信でお伝えしたことを、皆さんにしっかりと受け止めていただきたいと思っています。 もちろん最近のものだけではなく、お伝えしてきたこと全てなのですが。
私はこの時期に皆さんがたに霊界からの通信をお伝えするために、一足早く地上を離れたと言っても過言ではありません。 それは今という時期が極めて重要であるということでもあります。 特に前回お伝えしたことをもういとど反復していただきたいと思います。
飯)分った。 後で再掲載するよ。
しかし、フクシマ原発はまだまだ収束にはほど遠く、廃炉の作業が完了するのは100年以上も先のことになるだろうということだ。 溶融した核燃料がどこにどういう状態であるのかすら分らないのだし、分ったとしてもそれをどうすることもできないのだ。 溶融した核燃料の一部(小さな欠片?)が配管などに流れ込んで、水蒸気を噴き上げているという情報もある。 海や地下水や大気中にもまだまだ膨大な放射能が排出されている。 食物の放射能汚染も深刻で、内部被曝による被害も避けられそうにない。 政府の「安全基準値」はあまりにもひどい。 チェルノブイリ事故の影響で、ベラルーシでは健康な状態で産まれてくる新生児がわずか25%だという。
最近になって政府が公表した試算によれば、福島第一原発の事故で放出されたセシウム137は広島型原発の168個分に相当するとのことだ。 これは政府の試算だから、おそらくはかなり少な目に計算されているはずだ。
燃料プールが崩壊する可能性もあるのだし、破損した燃料を移動させる方法など確立されていないのだそうだ。 下手をすれば東北や関東の広い地域で人が住めなくなってしまう。 もしもそうなれば、それは東北や関東だけの混乱で済むはずがないのは考えるまでもない。
そういう状況が続いているのに、日本のほとんどの人たちはフクシマ原発の事故から関心を逸らしているように見える。 国にとっても社会にとっても自分たちにとっても大変な状況が進行しつつあるというのに、多くの人たちがこの状況においても今までの自分たちの日常を変えようともせず、目先の些細なことに意識や時間やエネルギーを費やし、今まで通りに暮していこうとしていることに、僕はほとんど驚愕してしまう。
フクシマ原発はすでに半年近くも異常な状態が続いているのだし、放射能の影響のことを思えば、確かに重苦しくなってしまうのかもしれない。 だけど個人的なことに関しては(些細な客観的に見れば)些細なことでも何年も何十年もグジグジと思い煩っている人も多いのに、たくさんの子供たちや多くの人たちの被曝や放射能による究極の環境汚染に対してはどうしてこうも無関心でいられるのか、僕には分らない。
克)はい。 確かにおっしゃる通りですが、それについては私からのコメントは差し控えるしかありません。 地上の私自身が福島で生まれ育ちました。 原発のことももちろん知っていましたし、事故にはならなくても原発からは微量の放射能が排出されていることも知っていました。 自分もある程度の被曝をしていたことも知っていました。
地上の私は「原発に賛成か反対か?」と聞かれれば、「(どちらかと言えば)反対です」と答える程度の関心しか持てず、あなたのような活動は何もしませんでした。 あなたと出会うまでの私は、世間の価値観に縛られたごく常識的な人間(霊的には非常に貧しい人間)として生きていたのです。 自分なりのさまざまな境遇や環境を抱えて、そういう中で自分を守るのに精一杯だったのだと思います。 そのことは地上を離れてから、情けない思いで振り返らせていただきました。
私の場合はあなたと出会ってからは、世間的な全てを投げ打ってあなたと共に貢献の人生を生きることができました。 それでも、自分なりの思いというものにずいぶんと引きずられてしまうこともある未熟な私ではありましたが、あなたのおかげで本当の意味での充実した地上人生でしたし、こちらに戻った時には先輩霊の皆さまからお褒めにあずかる光栄に浴すことができました。
地上人生とは、「地上の価値観・規範・常識や自分なりの都合や気持ちを越えて、物心両面において、どう自分を役立てていくか?」が皆に共通のテーマです。 「自分を役立てる喜び」こそが霊としての真の喜びなのです。 言い換えれば、「(自分の周囲や自分の意識に入った)不調和を調和の喜びに変えていくために、(物心両面において」自分がどう貢献するのか?」です。
全ての人間には何度かの過去世がありますから、過去世のカルマに基づいて、今生でのさまざまな設定がなされています。 自分さえその気になれば貢献の働きがしやすい境遇が与えられたり、逆に自分もたくさんの困難を抱える中での貢献がテーマの場合もあるのです。 地上的な損得勘定や自分の気持ちを越えるにあたって多大なるエネルギーを要する設定の場合もあります。 当然のことながら、貢献できる境遇にありながらしなかった場合は霊的借財として負のカルマとなり、困難や抵抗感を越えて貢献したのであれば大きな霊的財産を築いたことになるのです。
お金の使い方を例にすれば、今の常識では自分の持っている金銭を多く(余分に)出すことに違和感や抵抗感を抱く人がまだまだ多いようです。 しかし霊的価値観・霊的基準で言えば、貢献につながるのであれば惜しみなく出すことが当たり前であり、金額の多寡にかかわらず、その時の自分の状況に照らしてどこまでそうできたかどうかを自ら振り返ることになるのです。
どれだけ貢献できたか、どれだけ貢献しようとしたかが全てであり、それらは地上を離れてから自らが真摯に振り返り(シビアに査定されるように感じる場合もあるでしょう)、その人の死後の生活や次に再生する時の人生や境遇の設定の元データーになります。 もちろん死後だけでなく、今の人生にも反映されていくのです。
今の自分の境遇や状況は、過去世や今生における自分自身の抱いた想念や言動の結果であり、そういう状況の中で今の自分がどうしていくかが自分の将来を決定していくのです。 そして繰り返してお伝えしますが、その基準はあくまで摂理、霊としての価値観です。 自分を基準としたご都合主義的な地上の常識や価値観ではありません。 地上ではそれなりの成功を収めていても、死後は惨めな境涯に落ちていく人は決して少なくないのです。
地上ではこれからもさまざまな試練・混乱がもたらされるでしょう。 しかしそれらは地上の人間を怖れさせたり困らせたりすることが目的ではありません。 今までの地上のありよう、自分たち人間の生き方への反省を促し、皆が調和の中で豊かに生きていける地上界に作り替える意志を高めていただくためです。 地上界は進化の節目を迎えているのですから、霊界のありようと逆向きの今までの地上の価値観や当たり前は通用しなくなっていきます。 地上界を統べる大元が本来のものに移行するのです。 そこに生かされている一人ひとりの人間も変化していくしかないのです。
自分の物や自分の気持ちにこだわり、それらを手放すまいとすれば、結局は大事なものを失うことになるのですが、そこがなかなか分かっていただけない人が多いようです。
今、求められていることは「自分(の損得・都合・気持ち等々)」という小さな枠を超えて、「自分を含めた皆(全体)の調和・幸せ・喜び・健やかさ等々」に意識を広げていくことなのです。 たとえばフクシマ原発の放射能のことにしても、自分や自分の家族の「安全」を考えなければならないのは当然ですが、そこに意識が傾きすぎて福島県周辺の人たちや他の人たちへの思いが薄くなるようでは、それは健やかさを求めていることにはなりません。 はっきり言ってしまえばそれはエゴイズムであり、不調和を増幅するものなのです。
十分な注意を払うことと、不安を募らせることは、意味が全く違います。 前者は健やかさ・喜び(の維持)に向けての意識・行動であり、後者は不安というネガティブなエネルギーによる不調和を増幅させているのです。 自分の安全のために人に危険を担わせようとすることがエゴイズムであるのは言うまでもありません。 そして、無関心は愛情の欠如であります。
自分の気持ちにしか意識がいかず、自分のことしか考えられず、自分のこと中心にしかエネルギーを使わないから、自分が寂しくなっていくのです。 自分の損得や都合を超えて誰かのために心を遣い、実際の行動に移していくならば、地上的な成果・結果とは関わりなく、自分の人生も豊かなものになっていくのです。 自分の現状を嘆いたり、その原因を他のもののせいにして誰かを責めたり否定したり、自分の気持ちや価値観を基準にして、思い通りにならないことに憤り、失望しても、何の進歩にもなりません。
いかに地上的な正当性を主張したとしても、それは霊的な過ち・未熟さ以外の何ものでもありません。 当然のことながら、霊的基準が地上の価値観よりも絶対的に優位に適用されるのです。 それが摂理というものです。 今はそういう未熟さを克服して、摂理に沿って人として成長していかねばならない時期なのです。
悠々塾に集う皆さんは、仲間どうしで過ごす楽しい時間を喜び、満喫ながら、同時にお互いの成長進化のために役立ちあっていくのです。 そして自分や家族や仲間や職場や地域の人間関係などの個人的な領域だけでなく、もっと広い社会や世界の不調和の調和に向けて、少しでも役立てる人間に成長していっていただきたいのです。
地上的な分野でもそれよりも高次元の分野においても、意識(愛そのものと摂理の認識)のスケールを広げ深め、その意識にふさわしい言葉と行動によって日々を生きていくこと。 それが自分を含めた人間の生き方であり、それが唯一自分を含めて人間の皆が幸せになっていける道なのだということに気づくための試練や機会はこれからさらに激しくもたらされていくでしょう。 そこで自分が何を選んでいくのかによって、自分の人生の意味も実際も決まっていくのです。
皆さんがその気になれば、あなた自身が仲間と共に今の自分の想像をはるかに超える貢献の働きができるのです。 今ですら、「出直し・生き直し」の意志に基づいた「存在するもの全てに向けての無条件の感謝と祝福のエネルギー」はフクシマ原発にも作用しています。 もちろん「それなりに」であり、まだまだ十分ではありませんが、作用していることは間違いありません。 皆さん方がさらにヒーリングエネルギー(今よりもスケールの大きな調和をもたらすエネルギー)を高めることができれば、もっと多くの人の心身の病を治し、物質をはじめとする三次元の状況にも作用していくことができるのです。
飯)はい、ありがとう。 ともすれば今までの地上の価値観・常識や自分の日常や気持ちに流されてしまいそうになるけど、今は本当に大事な節目だと思う。 倦まず弛まず、本気になって頑張ります。
「人間は物質や肉体などの三次元に縛られた存在などではなく、もっと大きな高次元の意識体なのだ」という事実を自分の全部で受け入れて自分を解放すれば、なんだかとてつもない力が湧いてくるように思う。 というか、僕自身がそのエネルギーを実感し始めている。 仲間たちと一緒に、新しい喜びの地上界を顕していきますよ!
克)はい、あなたの頼もしい言葉が嬉しいです。 私も精一杯、応援していきますからね。
飯)うん、よろしく頼みます。 それでは、またね。 (2011・8・29) 。。。。。。。。。。。。。
★「愛は時空を超えて・78」からの抜粋
克)・・・・しかし、今回の地上界の浄化・地上人類の霊性進化は大いなる神によって初めからプログラムされていたことです。 無限のエネルギーを背景とした圧倒的なエネルギーが地上界に作用していきます。 霊的真理・摂理に根ざさない今の地上の繁栄や価値観は、言わば砂上の城郭にすぎません。 ひとたまりもなく浄化の奔流に洗い流されていくのです。 多くのものが失われるでしょうが、それを「滅び」と捉えるか「建て替え・建て直し」と捉えるかは、今をどう受け止め、その先に何を見ているかによるのです。
今回の地上界の浄化は、地上人類の意志と行動によってなされなければなりません。 霊界側からも総力を挙げて導きや計らいをもたらし、支援もいたします。 しかし、光の霊界と共鳴する「新しい喜びの地上界」を実際に構築していくのは、地上の人々の意志と行動です。
世界にはこれからも厳しい試練がもたらされるでしょう。 地上界浄化の雛型である日本の果たす役割は極めて大きいのです。 もちろん日本も雛型として厳しい状態がもたらされます。
しかし、少し考えていただきたいのですが、「先進国」といわれる国々の繁栄は、弱い立場の人々からの収奪によって成り立ってきたのです。 そういう事実に意識を向けようともせず、自分が彼らと同じような状況に追いやられることに恐れを持ったり、不平不満を募らせること自体がエゴイズムではないでしょうか?
こういう言い方は厳しすぎると思われるかもしれませんね。 でも、そういう不調和や偏りは本来の霊界には全くありえないものなのです。 そして地上界は、幽界や暗黒界の影響下にある状態を脱して、本来の霊界との共鳴状態を回復していくのです。 つまりこれからの地上界には、本来の霊界の価値観・基準が適用されていくということです。 そのことの意味を、これを読む皆さんがたに認識しておいていただきたいと思います。 偏りとは不調和そのものです。 傾向や(学びの)段階の違いは成長進化の過程として尊重されるべきものです。 しかし、偏りは不調和そのものです。 これからあらゆる不調和が一掃されていきます。
地上には皆が肉体を養うに足りるだけの恵みが与えられているにもかかわらず、大勢の人たちが飢えや栄養失調の状態に放置されています。 あるいは、全ての人たちがそれなりに物質的恩恵を受けて豊かに暮らせるだけの財があるにもかかわらず、財の偏りは激しくなっていく一方です。 (比較において)多くを得ている者たちのなかには、自分の能力や努力の成果であるかのように言う者も少なくありませんが、それはあまりにも一面的な主張です。 むしろ、「多くを得て、自分がどうしていくのか?」というテーマに向き合うために、計らいによって多くを得ているのだと言えるのです。 存在している物は全てが神のものであって、人間が自分に集めたり、集めたものを自分のもとに留めること自体が未熟な過ちなのです。 霊界には当然ながら私有財産制など、存在していないのです。
飯)イエスも、「地上に財産を蓄えるのではなく、神の国に財産を築きなさい」と伝え、 シルバーバーチ霊も、「地上に財産を残した者は、死後それなりのお咎めを受けることになります」という意味のことを伝えている。
克)はい、まさにそういうことなのです。 こうお伝えすればあまりにも過激に思われるかもしれませんが、これからの地上界はそういう方向に浄化されていくのです。 出直し・生き直しを願う人たちは、そのことをしっかり肝に銘じていただきたいと思います。 もちろん、「今すぐにすべての財産を貢献のために提供しなさい」と言っているのではありません。 しかし、自分の所有物を守ろうとすればするほど失うことになるのですし、偏りや格差を温存しようとするのは、自分さえよければという「我よし」や自分の優位性にこだわる暗黒界の喜びと共鳴している状態であることを分かっていただきたいのです。 自分が努力して獲得したものの多くを貢献のために使ってこそ、本当の意味で努力も輝くのです。 ましてや親から引き継いだ財産をまるで自分のもののように思い込む愚かな過ちには気づかなければなりません。
「自分がどれだけ豊かに貢献の喜びに生きているか、生きたか?」が全ての基準です。
それが摂理なのですから、摂理に沿えなければ病やトラブルや悩みなどのさまざまな気づきの機会がもたらされます。 気づきの機会がもたらされているのに何も気づかないままにやり過ごしてしまう、心の貧しい人も少なくありませんが、いずれは必ず向き合わねばならないのです。 「自分はなぜこんな苦しい状態になってしまうのだろう?」と嘆く前に、今までの自分を物質や金銭・労力や言葉や心のところで、「貢献の喜び」というラインで振り返る必要があるのです。
今の世の中にはさまざまな社会的不正や社会的問題があります。 それらを解消・改善していくためにエネルギーを費やすのも、人間としての社会的責任のひとつなのです。 自分が影響を被らなければ苦しい思いをしている人たちのことは気にも留めず、そういう社会を変えていこうともしないのでは、社会人としての責任を果たしているとは言えないのです。
きっと誰もが自分の不十分さに気がつくはずですし、もう気づかねばなりません。 そして、今までの自分を否定するのではなく、気づいたことを喜びとして気づいたところから生き方を改めていくことで健やかさは回復し、生きる喜びと幸せを本当に実感できるでしょう。
「そんな考えでは世の中は成り立たない」と思うかもしれませんが、「縄文時代」といわれる期間も、私有制の社会ではありませんでした。 分かちあい・与えあいが当たり前の社会には奪い合いの戦乱も起きず、共生の心ゆたかな社会が1万年の長きにわたって営まれたのです。
その意味でも日本という国は地上界浄化の雛型です。 大地に染みついた「分かちあい・与えあいのエネルギー」を、人々の日常にも政治のテーマとしても、力強くおおらかに復興させることができるかどうかです。 |
29/08/2011(月) 18:25:26
| No.8944 puhpuh |
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今日、神戸の給食の署名の代表の方が教育委員会に出向きました。「絶対に安心できる食材と言い切れるのか?」 との質問に答えられなかったようです。イカは宮城産、ごぼうは茨城、千葉産のものを使用するようです。暫定基準値が世界の基準に比べてどれだけ高いか、体への危険性など分かっていなかったようです。
私は地域の議員さんに連絡をとりました。 「小学校の給食についてなんですが・・・」 「給食がどうしたん?」 「放射能に汚染された食材に関してですが。」 「放射能?」 意外だったようです。教育委員会にはどういう対応をしていくのか、いろいろ問い合わせてくれるようですが・・・
前の校長先生にも連絡をとって話をしました。子供のことを一生懸命に考えてくれる先生だったので。結局は 「国が決めたことだから、学校側から要請することができない。」 「出荷される前に検査をして大丈夫という前提だから、もう一度検査をすることはないだろう。」 「保護者の声が多くあがれば変わることもあるかもしれない。」 子供を守る立場の先生や校長先生がなぜ声をあげれないのか、疑問に思います。
23日には教育委員会から学校にむけて通達がありました。「給食に懸念がある家庭には弁当持参容認するように。」とのことです。
周りの保護者に声をかけても「またその話〜?」「気にしすぎる方が子供の環境にもよくないんちゃう?」私は国際結婚なので「旦那さんの国に帰ったらいいやん、そんなに気になるんやったら。」究極ですよね・・・どうしていったらいいんだろう、悩みます。
娘が元気づけてくれました。 「大人になったら大好きな人と結婚して、元気な赤ちゃん産みたいねん。だから給食も食べへんから、ママお弁当作ってよ!明日学校に先生に言いに行くからね。」 ママもがんばるわ!!よく理解してくれてるあなたのために、全国の子供たちのために!! |
30/08/2011(火) 00:48:27
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| No.8948 あきら&ひとみ |
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puhpuhさんの投稿を読んで、教育関係者や周囲の反応は悲しいことですが予想できる反応ですね。
関東でも原発の事を気にされている方も多いでしょうが、日々普通に暮らしていることに違和感を感じますし、テレビや新聞で原発関連の情報があまりにも少ないことにも違和感を感じます。
愛は時空を読んで未熟な自分を自覚しつつも、今 現在進行形の中で起こって行く事に誰も正解が解らないなかで、自分が正しいと思う事を行っていくしかないのだろうと思います。 みんなで頑張っていきましょう。 |
30/08/2011(火) 20:00:40
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| No.8965 ぺちゃ丸 |
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「たとえばフクシマ原発の放射能のことにしても、自分や自分の家族の「安全」を考えなければならないのは当然ですが、そこに意識が傾きすぎて福島県周辺の人たちや他の人たちへの思いが薄くなるようでは、それは健やかさを求めていることにはなりません。 はっきり言ってしまえばそれはエゴイズムであり、不調和を増幅するものなのです。 十分な注意を払うことと、不安を募らせることは、意味が全く違います。」
震災以来、ずっと私も同じことを感じています。地元茨城は福島の隣県であるため、尚さらです。 確かに誰も経験したことのない現実に、どう対処したらいいのか誰もが不安を抱くのは仕方ないかもしれない。でもそれに押しつぶされるのでなく、敢えて意識を外へ外へと拡げて、皆で苦しみや試練を分かち合い、進んでいくしかないと思います |
02/09/2011(金) 12:39:09
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