定例会に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。 お疲れさまでした。
今回は高知のひろちゃん・ゆりかさんや恵美子さんも久しぶりの参加、鳥取のはづきさんもお子さんと一緒に初参加でした。
1部で私ははさきさんのパワーに圧倒されてしまったのか、ちょっとドギマギしながらになってしまいました。
お話ししたように、フクシマ原発の事故後に設定された飲料水の放射能許容基準は1キログラム当たり100ベクレルです。 原発からの排水中の国際法による許容基準は10ベクレルです。
つまり日本政府は、原発からの排水の10倍の濃度の放射能水を赤ちゃんにも子供にも飲ませても構わないと決めたのです。 こういう神経の政府や学者を信じたらどうなるのか、それを私たちはこれから目の当たりにさせられていくのです。
1950年代の大気中の核実験による放射能物質が世界中にまき散らされたころから、日本でもアメリカでも急激に癌が増えてきました。 日本での癌の急増は「生活が欧米化したことが大きな原因の一つ」と説明されることがあります。 しかし、実際はアメリカでも1950年代になって癌が急増しているのです。 それは核実験によって飛散した放射性物質の量と関係があります。 1960年代になって大気中の核実験が禁止されたのは、癌や胎児・乳児死亡率等と放射能の相関関係がケネディ大統領時代のアメリカ議会でも認めらたからでした。
フクシマ原発から放出された放射能は、これから甚大な被害を現していくでしょう。
日本はぬるま湯のなかでの平和ボケが続いてきましたが、これからは自分の子供がいつ癌などの病気を発症し、死んでしまうかもしれないという不安や緊張感の中で生きなければならなくなると思います。 すでに関東圏でも鼻血や下痢や倦怠感など、被曝による症状かもしれない人たちがかなり出ているそうです。 首都圏のかなりの部分がすでに「放射線管理区域並み」の線量になっているのですし、東京でも土壌のセシウムの値が3500ベクレルに達している地域もあるそうです。 かなりの人たちが我が子を、胎児や幼いうちに亡くすことになるでしょう。 この先数十年にわたって、成人も癌やその他の病気が激増することは間違いないと思われます。
私たちはこれからそういうシビアな現実の中で、「本当は何が一番大切なのか」を選び直していくことになるのでしょう。 学歴や偏差値やさまざまな能力などよりも、もっともっと大切なものがあることを思い知り、価値観を変えていかざるを得なくなるのです。 大切なものを失うことによってしか、「何が最も大切でありがたいものなのか」に気づけないことは悲しいことです。
多くの胎児や乳幼児・子供たちや大人も放射線被ばくによる病や死に瀕し、食料も大地も海も地下水も汚染され、国が亡びるかもしれない状況です。 3.11以降の日本は、それまでと同じようにはもうやっていけないのです。
私たちは多くの人たちが喜びの中で「出直し・生き直し」ができるように、本気になって自分を役立てていく意志を固めなければなりません。 私たち自身が、「地上の人生を自らの魂の意識に沿って生きよう」と意志するのです。
強くそう意志したとしても、生身の人間としてのいろんな思いはやはり抱くものですが、そこに囚われるのではなく、そういう自分を否定するのでもなく、そういう自分を自分が受け入れて、そこから成長していけるようにしていきたいものです。
それが、「地上の人生を自らの魂の意識に沿って生きよう」とすることにほかなりません。 私たちの魂の意識は「かげりを光に」です。 自分のかげりを成長につながていけばよいのです。 しかし、かげりに留まろうとしたり、かげりを正当化したり、かげりを深めたりすれば、その埋め合わせは必ずもたらされると分かっておくべきでしょう。 。。。。。。。
恒例の2部の懇親会も大勢の方々の参加で、和気あいあいの中でとっても賑やかでした。 皆さんの談笑が佳境に差し掛かった頃に、9時のエネルギーの共鳴をしました。 1部の共鳴の時もそのエネルギーの精妙さと大きさに私は大感動で泣きそうになりましたが、9時の共鳴もすごいものでした。 定例会に参加している人たちだけでなく、悠々塾に心をつないでくださっている皆さん方のエネルギーもそこに顕れていたのでしょう。
この仲間たちとならば、これから苦難の中に投げ出される多くの人たちに救いをもたらし、「新しい喜びの地上界」を必ず顕すことができる。 私もさきさんも、そう確信しました。
大勢の皆さんが遅くまで語り合って泊り、朝の人数の多さにびっくりしましたが、とっても嬉しく有意義な定例会でした。 参加してくださった皆さん、心を向けてくださった皆さん、ありがとうございました! |
29/05/2011(日) 23:49:13
No.8545 あきこ |
|
|
定例会、参加させていただいてありがとうございました。 まだまだ至らない自分に向き合いながらだけど、 今までよりもっとシンプルに魂の意志に沿って生きる事を 意志します。
みなさん仲良くしていただいてありがとうございます。
まゆみさんいつもおいしいごはんと温かいおもてなしを ありがとうございます。 いつもながら大変な労力だな・・・と尊敬しました。 身体、無理しすぎないようにしてください。
また今日からがんばります。 |
30/05/2011(月) 01:05:12
|
No.8546 飯沼 |
|
|
◆安全基準を超えた「内部被曝」(要精密検査)すでに4766人、異常値を示した人1193人
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/6318
福島に立ち寄っただけで被曝。「普通ならこんな数字が出るはずがない。残念ですが、フクシマはすでにチェルノブイリを超えているかもしれない」(藤井石根・日本科学振興財団副会長)。報じられない恐ろしい事実を紹介しよう
◆原子力安全・保安院が認めた 日本列島は、新緑が眩しい初夏のシーズンを迎えた。溢れる太陽光も、爽やかな風も、見た目には例年と何ら変わりはない。
だが、それはあくまで??見た目?≠セけだ。事故で大量の放射性物質が撒き散らされたことにより、福島第一原発とその周辺の広大な土地は、取り返しがつかないほど汚染されてしまった。空気も水も大地も、去年までとは変わってしまった。失われた美しい自然は、おそらく、もう二度と取り戻すことはできない。
福島第一原発では、1号機から3号機まで、すべてが「メルトダウン」(炉心溶融)していることがほぼ確実になった。
当初から、本誌では専門家がその可能性を指摘してきたが、政府と東電は「大本営発表」を続け、それを認めようとはしなかった。事故を過小評価し、国民に真実を告げようとはせず、ずっと情報の隠匿を続けてきたわけだ。
「メルトダウン」が起きたということは、原発事故として??最悪の事態?≠ェ進行中ということである。
仮に、福島第一1号機~3号機までの核燃料がすべて溶融しているとすれば、そこから放出される放射性物質の量は、もはやチェルノブイリの比ではない。
その結果、いま福島県では、恐るべき事態が進んでいる。放射性物質を体内に取り込むことで起きる「内部被曝」が、想像を超えた規模で発生している可能性が出てきたのだ。
この重大事実を衆院予算委員会で取り上げ、原子力安全・保安院に認めさせた、みんなの党・柿沢未途代議士はこう語る。
「全国の原発施設には、体内に取り込まれた放射性物質と、そこから出る放射線を測定する『ホールボディカウンター』が設置されています。実は福島第一で事故が始まった3月11日以降、計測の結果、要精密検査となる数値の1500cpmの内部被曝をしている人が続出しているのです。しかも発覚した4956件のうち、4766件は現場の復旧作業員でもなんでもなく、ただ『福島に立ち寄ったことがある』だけでした」
柿沢氏の質問を受け、答弁に立った原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は、その事実をあっさりと認めた。しかも、実際には1500cpmどころか、「1万cpm以上」という異常な数値を示したケースが1193件もあったというのだ。
「cpm」は??カウント・パー・ミニット?≠フ略で、1分間に計測される放射線の数を意味している。日本科学振興財団副会長で、明治大学名誉教授の藤井石根氏は、この事実を前に絶句した。
「4766人が福島に立ち寄っただけとは、正直、信じたくない事実です。しかも、1万cpmを超えた人が1193人とは・・・。普通なら、こんな数字が出るはずがない。残念ですが、福島はすでにチェルノブイリを超えているかもしれない」
また、内部被曝の影響に関する権威で、名古屋大学名誉教授の沢田昭二氏はこう語る。
「cpmは被曝しているかどうかの目安となりますが、1万cpmなどという数値は、深刻な値です。計測されたのは、おそらく体内に取り込まれたセシウムによるγ線でしょう。セシウムからは、内部被曝においてもっとも影響が大きいβ線も出ますが、こちらはホールボディカウンターで測れません。β線は透過力が弱いので体内に留まりやすく、電離密度が高いため、体内でDNAなどの細胞を切断する確率が大きくなる」
重大なのは藤井氏も驚いたように、「3月11日以降に福島県内に立ち寄った」だけで、これほどの内部被曝をしていることだ。
「直ちに人体に影響はない」「現時点では安全性に問題はない」という政府の発表を信じ、福島県内やその周辺には、まだ普通の暮らしを続けている人々がたくさんいる。立ち寄っただけで大量被曝をするような場所にずっと住んでいる人々は、いったいどれほどの内部被曝をしているのか・・・まったく見当もつかない。
「非常に深刻です。直ちに国は、広範囲で被曝調査を行う必要があります。東京にも、風向き次第で大量の放射性物質が飛来します。もはや『心配ない』などとは決して、言えません。 (以下略) |
30/05/2011(月) 10:33:03
|
No.8547 さき |
|
|
定例会に参加下さった皆さん、心を寄せて下さった皆さん、 ありがとうございました&お疲れ様でした。 いい定例会でした。
はじまる前の最初の共鳴の時からすごいエネルギーの磁場を感じました。 この間みんなが生き直し、出直しを意志してきた、その心が共鳴しているのを感じました。 私は3月定例会以降、放射能汚染の実態がだんだんとあきらかになり、あまりのことに心が重くなっていました。何度も切り替えようと思いながらその思いを引きずっていました。 けど、思い替えました。 もうグズグスしている場合じゃない。(決して肯定しないけど)起こってしまった事実を受け入れるしかない、在るものとつきあうしかない。 地上の人間にとってはとんでもなく厳しい試練であっても、そのなかでひとりひとりが精一杯自分にできることをするしかない。いやむしろ、そのなかでどんな風に心を動かし、どんな風に言動として表現したのか、それだけが最終的には人間にとっての財産。決して消えない魂の果実。何があっても大丈夫なのだ。 私たちはそのことを学んできたのだから、胸をはってその心を表現していけばいい。不安や怖れや悲しみや苦しみのなかにある人たちに、その真実を伝えていけばいいのだと思った。 この場につながる一人一人の人たちが、それぞれが体験し味わってきた試練。そのなかで培ってきた自分の心に自信を持って、その心を発揮して行く時なのだと思った。 そんな話をさせてもらいました。
皆さんと心を共鳴できて嬉しかったです。嬉しいです。 地上的な、肉体的、物質的な価値観を越えた心の喜び、愛情、幸せをこの地上に顕現していきましょう。その時、心のエネルギーは必ず物質に、肉体に作用すると思ってます。 皆さん出番です。 これからも一緒にやっていきましょうねー。 ありがとうございました!
昨夜、何だか自分偉そうだったかな、、といらんこと思ったら今朝から頭痛。いかんいかん変な症候群が出たと思い直したら、頭痛も治りました。笑
高知の皆さん帰り道は台風大丈夫だったでしょうか。 まゆみさん、いつもながら美味しいお料理ありがとうございました。 はづきさんもお子さんも定例会で会えて嬉しかったー。
○大気中核実験に連動した「人工放射性降下物の経年変化」 ttp://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/01/01080428/02.gif 50年代後半からの核実験でいかに地球環境が放射能汚染されたのか、人類がすでに低線量被ばくにさられてきたのか(DNAを傷つけてきたのか=癌が増える)よくわかります。 |
30/05/2011(月) 17:06:38
|
No.8548 飯沼 |
|
|
福島県は原発事故直後に原発推進・御用学者で有名な長崎大学教授の山下俊一を招き、県内各地で「放射能安全キャンペーン」を繰り広げていました。 「毎時100マイクロシーベルトまでなら何の心配もいらない。子供も外で遊んで構わない。いつも通りの生活をしていればよい」と自信たっぷりに訴える山下教授の講演の効果は絶大で、福島県民のほとんどはマスクすらしないで、今まで通りの生活をしてきました。
ところがつい最近、福島県のHPに目立たない「訂正」が入りました。 「訂正」は以下の内容です。
「訂正:質疑応答の「100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」旨の発言は、「10マイクロシーベルト/hを超さなければ」の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。」
注)1ミリシーベルトが1000マイクロシーベルトなので、100マイクロシーベルトは0,1ミリシーベルト、10マイクロシーベルトは0,01ミリシーベルトです。 毎時100マイクロシーベルトなら、年間864ミリシーベルト。 毎時10マイクロシーベルトなら、年間87,6ミリシーベルトの被曝になります。
どちらもあり得ない数値です。 フクシマ原発事故以前は、国民の被曝限度数値は年間1ミリシーベルト以内でした。 山下俊一の「殺人的安全基準」は言うまでもなく、福島県も無茶苦茶です。 |
30/05/2011(月) 20:13:28
|
No.8549 People |
|
|
○ttp://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-327.html
肥田舜太郎氏が語る「低線量被爆の実態」 プルトニウムを作ろうとする限り、原発はなくならない。 【5/29リュウマの独り言より】
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 東北で二人の科学者が活躍している。1人は、最近話題の人であるから皆さんもご存知あ ろう「山下俊一さん」 100ミリSVでも安全という発言で、福島の集会でも一般市民から厳しい質問が飛んだ。
肩書きは 長崎大医歯薬学総合研究科長 附属原爆後障害医療研究施設 教授 世界保健機関(WHO)緊急被曝(ひばく)医療協力研究センター長 日本甲状腺学会理事長 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(311後) 福島県立医科大学特命教授(311後) 原子力損害賠償紛争審査会委員(311後) 福島県民全員を対象にした「健康管理調査」の調査検討委員会座長(311後)
もう1人も有名な老医師 肥田舜太郎氏である。実際に被曝し、被曝直後の広島市民を 診察した言葉には、机上の学問だけでの話とは違ったずっしりした重みがある。今回は、 最近の講演ではなく、2003年9月30日東京集会でのスピーチを抜粋引用してみる。 (以下要約引用)
どうも皆さま、初めてお目にかかります。肥田舜太郎という内科医です。医者といって も、1917年生まれで今86歳ですからもう古ぼけた医者なんですけれども、偶然で すけれども、私、広島の陸軍病院で軍医として働いていてヒバクをします。それからヒ バクシャと縁が切れずに、ずっとヒバクシャにかかわった仕事をしてまいりました。
世界、あるいは皆さんもそうですが、広島・長崎の原爆が人間に何をしたかというこ とについては、ほとんど真相が知らされていません。大きな爆弾で街が吹っ飛んだ、熱 が出て大きな風が吹いて街が壊れて人が焼けて潰されて死んだと、この姿は伝えられて います。けれども、放射線が体の中に入ってじわじわと、今でも殺されている、治療法 が全くない。こういう事実について、私は世界の人たちに核兵器の恐ろしさを伝えるた めに活動してきました。
皆さんいろんな本を読まれたり、写真集や映画をご覧になって想像はできると思うんで すが、そういう所に出ていない放射能被害の問題を中心に話します。
私は爆心地から600メートルの所にあった木造の小さな分院のような陸軍病院にい ました。私はそこにいればもう当然黒くなって死んでいたんですけれども、夜明けの2 時頃に、6キロほど離れた戸坂(へさか)村の農家の子供が心臓の発作を起こしたのを 往診を頼まれて出ていきました。そこに泊まって、目を覚まして不安になって発作が起 きないように鎮静剤の注射を準備しました。その瞬間に爆弾が爆発したんですけれども、 6キロ離れた私のいた大きな農家は屋根が飛びました。家が崩れて私は飛ばされました。
まあ、そういう細かい話はしていると時間がありませんから、すぐ病院へ帰るために 私はそこから広島へ向かっての県道を自転車で走りました。(中略)
私はその人に会った時に人間だとはどうしても思えなかった。これはもう絵に描いて お知らせするより仕方ないんですが、私の目の前でその人はばったり倒れたんですが、 倒れて初めて私はその人が生きた人間だということが分かって、それで駆け寄って脈を 取ろうとしました。
医者は倒れた人を見るとまず第一に必ず脈を取ります。その脈を取ろうとして手を持 いってった時に、私はその人がボロを着てるとばっかり思ってたんですが、ボロを着て るんじゃなくて素っ裸の生皮が剥がれてぶら下がってるんですね。だから、ちょうど自 分の皮が剥がれたのがマントのように体に引っ掛かってる。そして私が触ろうとした手 には皮がないんですね。さわる皮膚がない。脈が取れない。
こういう惨状の人間っていうのは、私は見たことがない。どうすることもできずに、 その人の周りを「しっかりしてください」とぐるぐる回ってました。ところが、私の目 の下でその人はうつぶせになったまま痙攣を起こして動かなくなりました。これが私の 見た最初のヒバクシャの死人です。(中略)
私の帰った村は私が朝出てきた戸坂村なんですが、これは広島から北へ向かって初め てある村です。私はそこに約3カ月いましたけれども、3万人ぐらいの人が逃げてきま した。そのうち何人死んだか記録はありません。みんな焼けていて人間らしい顔をした 人は誰もいない。顔がみんな焼けてるんですね。何の誰兵衛だか全然分からない。(中略)
私たちが最初、“この人はもう駄目だ”と初めから見放した人は、だいたい3日目までに みんな死にました。ですから3日過ぎるとどんなに焼けていても、どんな怪我をしてい ても、何とかすれば助かりそうな人が残ったんですね。
私たちが、がんばれば何とか助かるかもしれないと思い出した4日目から、そういう 大切な人たちに私たちが見たことのない病気が始まります。看護婦がずっと見て回るん ですが、「軍医殿ー、熱が出ましたー」って言うんですよね。
ところが、熱が出たっていうだけじゃなくて、目とか鼻とか耳とか口、つまり顔の穴 の開いてる所から血が出始めるんです。たらー、たらーと血が出ます。鼻血なら分かる んです。口でもまだ分かります。ところが、目と耳から出るのは分かりませんよね、医 者が診ても。それでびっくりしました。
で、焼けてない肌がありまして、こっちから焼かれれば反対側は焼けてないし、前か らやられれば背中は焼けてない。その焼けてない白い肌に、気味の悪い紫色の斑点がず ーっと出ます。
まず口の中の扁桃腺でも腫れてると思って僕らは口の中を見るわけです。それでこう 持っていきますとね、うわーっとすごい臭いにおいなんです。医者はすぐ分かるんです が、これは生身が腐ってるにおいなんです。壊疽(えそ)と言いますね。 その人たちの口の中も全部真っ黒になって腐ってるんですね。ヒバクシャの白血球は 放射線のために全部なくなってます。ですから、瞬間にもう腐り始めてるんですね。壊 疽が起こってる。これはなぜ起こってるか分からない。僕ら、原爆っていうことは知ら なかったわけです。
そのうちに、最後に最も恐ろしいのは、頭の毛が全部なくなってしまうんです。動い ていて、頭に手をやるんです。とにかく本人が触ると触った手の下の毛が全部手にくっ ついて取れちゃうの。手を頭にやりますと、ごそっと毛が付きます。本人は禿げたの知 らないから、何だろうと思って、それでまたこうやると、瞬間に頭の毛が全部なくなっ ちゃうんですね。
これは医学的に言うと、放射線のために毛の一番下の毛根細胞っていうのが皮膚の底 の地にくっついてるわけですが、これが放射線のために全部死ぬんです。ちょうどホウ キで掃くように毛が抜けます。だから熱が出て、口の中が腐って、死斑が出て、それで 出血をする。そして最後は脱毛する。これだけそろうとみんな死ぬんです。
ところが不思議なことに、あのヒバクシャの集団は同じ時間に7人、8人発病して死 んでいく。この理由は、15年たって初めて分かりました。それは爆心地から等距離の ところでヒバクした人なんです。これ、もし地図の上に同心円を描いて、その上にみん な並んでたとしたら、300メートル、800メートル、900メートル、同じ距離に いた人がだいたい同じ時間に死ぬんですね。
ところが、僕たちの所にいるのは、みんなめちゃくちゃに集まっていて病気になって いきますから、なぜそれが一緒に死んでいくかが僕ら全然分からない。(中略)
そういう中で、本当にびっくりしたんですけれども、爆弾を浴びてない、何日もたっ て遠くから来て広島へ入って捜して歩いた、この人から同じ病気が出始めたんです。こ れは本当に恐ろしかったですね。
あの、私の受け持ちがありましてね、受け持ちっていってもそのむしろのベッドです よね。区域が決まってて、向こう側の松の木からこっちの土蔵の角、その間が私の受け 持ちなんです。病室なんですね。それを毎日回って手当てをする。私の受け持ちの所に 土蔵が一つあった。土蔵って中は涼しいですね。屋根は飛んでますけれどもそこは一番 涼しくて居心地がいいから、重症をそこに入れてある。20数人のもう焼け焦げた人が 入ってました。毎日3人、4人がそこで死にます。死ぬとすぐまた重症が運び込まれる。 だから私は朝起きると一番先にそこを見る。そしてまた、お昼を持っていくんですね。
ヒバクシャが死んだのは、僕らは焼けて死んだと思ったけれども、そうじゃなくて、 みんな放射線でやられてたんです。それで死ぬときはね、大量に血を吐く。それからお 尻から出ます。女の人の前からも出る。だから血の海の中でみんな死ぬんです。で、こ ういうのを見て、しゃべれる医者はもう誰もいません。みんな死にました。まあ86ま で今生きてる医者はもういませんからね。
そこの村から汽車が通るようになって、方々へみんな帰っていきました。青森に帰っ た人もいる。方々へ行った。これが行った先でみんな発病するんですよ。それでここか らが大事なんですけれども、爆発のときに上から降ってきた放射線に直接貫かれたのを、 これは「直爆」と言いますね、直接ヒバク。これだけは政府もちゃんと認めてます。
ところが、あとから街へ入った人、つまりその日の午後ね、遠くにいた周りの部隊か ら兵隊がいっぱい来た。部隊の命令で救援に入ってるんですね。消防夫も来ます。これ がみんな焼け跡で大騒ぎして、どんどん死にました。それから警察官も死んだ。援助に 入った人がだいぶ死んだんですね。死なないまでも、みんな病気になります。で、それ が一月越しの、三月越しの、半年越しの、みんな死んでいくわけですね。
つまり、あとに入って、空中やそこら辺に残っていた放射性物質のついた埃を吸い込 むんです。それが体内に入って、何十年もかかって人をCENSOREDいく。これが低線量ヒバ ク、体内ヒバクの恐ろしさなんです。
原子力発電所で漏れてくる放射線にやられるのはみんなこれです。それから今アメリ カに260万とか300万と言われるヒバクシャがいます。これは原発の事故とか、あ るいは原子力発電所でウランを吸い込んだとか、プルトニウムを吸い込んだ。あるいは チェルノブイリの灰が降って、欧州全体でたくさんの人が死んでます。
つまり、本当の核兵器の恐ろしさ、あるいは核の恐ろしさは、直接ガイガーカウンタ ー持っていってこうやってさわって、ああ、どうとかこうとかいうのはあんまり怖くな いんです。怖いけども、それは死んでも、「ああ、これは放射線で死んだ」って分かる。 ところが、何で殺されたっていうのが分からずにたくさんの人が殺されてるわけです。 私はこのことをみんなに知らせたい。
この被害がアメリカの政策と日本の政府の政策で隠されてるんです。つまり、「原子力 発電所は安全だ」とか、それから「あとから入って少々の空気吸ったりしたのは、微量 の放射線だから心配ない」。これがアメリカが戦後ずーっと世界に宣伝し、国連を動かし、 国連に嘘の報告をし、国連の国はみんな放射線被害、原爆被害ってのは直接ピカッてや られたのが怖いんだ、そうでないのは心配ないって思ってるんです。
半年後、1年後、5年後、10年後、20年後、30年後に死んだら全く関係ないこ とになっちゃう。こういうかたちで人をCENSOREDのが核兵器だし、放射能なんです。このこ とをしゃべれる人が日本にいない。
私は世界中を歩いて、つい去年もアメリカへ行った。ハンフォードという有名なプル トニウム工場、アメリカの持ってるすべての核兵器のプルトニウムを作った工場ですね。 それから長崎に落としたプルトニウム爆弾を作ったのはこの工場です。この工場がもう もうと放射線を出した。水の中へも流してる。これね、流しっ放しなんです。全然安全 装置を掛けてない。だからこの風下の農民が28万人今ヒバクして困ってます。ところ が政府は全くそういうものとは関係のないというふうに宣伝をしてる。
アメリカの国民はほとんど放射線のことを知りません。だからアメリカへ行って核兵 器の訴えをすると、「真珠湾どうした」、「お前らが悪いことしたから核兵器を落としたん だ。その核兵器の悪口を言うとは何事だ」、「核兵器は人類を救うものなんだ」、アメリカ 人はこう言います。私は最初に行った時は石をぶつけられました。
それでもがんばって、みんなが集まった所で、人間がこういうふうに死んでいったっ ていう話をすると、「そんな悪い爆弾をアメリカが使ったのか」って、聞いた人はみんな そう分かってくれる。だけど2億人いるアメリカ人全部にしゃべって歩くわけにいかな い。政府は隠してます。
アメリカにも良心がある学者がいますから、体内に入ったヒバクがこんなにも怖いっ ていうことを書いて本に出す学者がいます。ところがこれは本に出しますと、アメリカ の原子力産業、核兵器の資本、あるいは政府、電力資本、これが全部でその人の本が出 るすべての小売り屋の前で買い占めちゃう。だから大衆の前へ出ていかないんですよ。 アメリカはそういう国です。放射線についてはもう絶対に秘密厳守なんですね。
で、皆さん知らないけど、広島・長崎のヒバクシャはアメリカの占領していた8年間、 「広島でヒバクしました」、「長崎でヒバクしました」っていうことを言ったら、警察に 連れていかれたんです。皆さんはその頃の8年間のことを知らない。
ヒバクシャは例えば福島県へ帰っていく。すると当時は配給ですから、帰っていった 人には配給がない。引き受けた家族は彼を連れて役場へ行く。「一人増えたから配給手帳 をください」、「どちらからですか?本籍は?」、「広島です」あるいは「長崎です」、「あ、 広島、長崎の方はお帰りください。これは進駐軍のほうで面倒を見ることになってて、 日本政府はタッチできません」と断られた。
だから飢え死にしたヒバクシャがたくさんいます。私はその面倒を見させられたんで す。そういう苦しい思いをして私はヒバクシャと一緒に生活をしてきました。だから許 すことができない、どうしても。
だから私は今の運動はものすごく生ぬるいと思ってます。政府に要求して国家補償の 何とかかんとかなんてのは、こんなものはやったって無駄なことなんです。
アメリカに言わなきゃ駄目なんです。アメリカがこのものを落っことしたことを非難 しなきゃいけない。世界に訴えなきゃいけない。ところがいくら私が訴えてもね、被団 協という団体は戦闘団体じゃありませんから。今、おじいさん、おばあさんの団体です ね。「そんな恐ろしいことは」というんで、穏やかになっちゃった。
だけども、私はいずれ、独りになってもアメリカを糾弾しようと思うんですね。
ですから、原発の問題、随分言われます。私、何人か患者を診てます、原発で中でヒ バクをした人とかね。これはみんな電力資本が抱え込んじゃってお金をあげて、「しゃべ っちゃいかん」ということになってるから外へ出ないようになってるわけです。私は何 人かそういう人を診させられました。ですから皆さんの闘いの大事さはよく知ってます。
ただし、お願いがある。核兵器の廃絶の戦いを一緒にやっていただきたい。これなし に原発だけを止めろって言っても止まるわけがない。核兵器をなくすというこの元が潰 れない限り、原発は生きますから。 (終り)
肥田舜太郎氏も「低線量被曝」を問題視している。しかし、原爆直後では、発病の確率 は高かったかも知れぬが、原発の「低線量被曝」は、確率がとても低いので、問題がさ らに複雑になっている。
しかしながら、彼が言うように「根本」は、反原発ではなく、「反核」なのだろう。原 子力発電自体が、原子爆弾の原料を作る際に「思いついた物」なのだから。原子爆弾を 製造しようとする限り、原発はなくならないという「彼の意見」は多分正しいものだと 思う。
実情を見てしまった者と、知らざる者の差が「この情熱」の差になっているのだろう。 90歳を超えるご老体がここまで熱心に運動されているのに、「私」は何をしているのだ ろう。
[参考:注]低線量被曝について (当時は受け入れられなかったようだ)アブラハム・ペ トカウ(カナダ)の1972年の発見です。ペトカウは放射線で、細胞膜が破壊できる のかを実験していました。牛の脳細胞で実験していましたが、高線量を瞬時に照射する のでは、なかなか細胞膜は破壊されないのです。 ところが誤って、試料を低線量の溶液に落としたところ、細胞膜は低線量で破壊され ました。微量の放射線、低線量なら細胞膜は容易に破壊できるのです。しかも、照射が 長時間になればなるほど、細胞膜には穴があきやすくなります。 低線量・長時間、というのが内部被曝の健康被害として恐ろしいのです。 |
31/05/2011(火) 00:03:06
|
|