チェルノブイリ事故のあとベラルーシで被ばくした人たち、 こどもたちへの代替医療(ヒーリング)の実践が掲載されていたのでその内容を抜粋します。 下記↓ぺージから全文読めます。 ttp://nihongo.zerorads.com/lessons_belarus.html ttp://nihongo.zerorads.com/deepfield_relaxation.html
◆英国インディペンデント紙、1993年3月31日の記事より ・・・・ 1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故から3年後に、ベラルーシの公営テレビ局の番組制作者であったガリナ・サンダ−ソンさんは、チェルノブイリから約200マイル(320km)離れたミンスクの病院で、白血病の子供達の映像を撮っていました。 「1人の小さな女の子は、私が病院に着いた3日後に亡くなりました。 毎週、10人から15人の子供達が亡くなり、子を持つ母である私にも、それはとても辛い事でした。 私の6歳の息子、ディミトリも病気でした。 息子は、もともと健康な子でしたが、事故後は、ずっと体調を崩していました。」
「医師達は最善を尽くして努力は、していましたが、何が起こっているのか分かっておらず、どう対処して良いかなど、具体策が見つからないままでした。病院にいる子供たちの母親達は、絶望的でした。」 ・・・・・
私の息子と他の子供達は、皆、外で遊んで、汚染された食べ物を食べ続けていました。 そしてディミトリは、わずか2−3週間後に病気になり始めました。 最初、風邪やインフルエンザにかかり、そして腎炎、肺炎と、終わりなく続きました。 肌は黄色っぽくなり、目の下には大きなクマができました。」 「これが何年も続きました。 私の友人の子供達も同じでした。 医者達は説明ができず、当局は放射線からの健康被害を否定していました。 私達は皆、恐怖におびえて、私は、猛烈に怒っていました。」 「そのうち、私は自分の考えが当局と矛盾しているのに気付きました。 政府は、人々に、何も起こっていないと信じさせたかったのです。 私は、真実を、あらわにしたかったので、自主映像作家として、ベラルーシがチェルノブイリから受け継いだものについて、映画を作りました。」
「チェルノブイリ原発から30km(18マイル)の区域しか避難対象になりませんでした。その他の区域の人々には、汚染状況は、4年後まで知らされませんでした。 映画を撮影していた時、ガイガーカウンターをいつも持ち歩いていました。 私が撮影した子供や妊婦は、汚染のひどい環境に住んでいながら、何もアドバイスを受けていませんでした。」
「子供は放射線への感受性が高いので、モルモットになっていました。 社会的にも、差別を受けていました。 夏休みのキャンプでは、汚染区域から来た子供達は、他の子供達に避けられて、「被曝したやつら」と呼ばれました。 放射線の長期的な影響についての学問的論争は続いてますが、病院で、毛が抜けてしまって、次々と死んでいく子供達を腕に抱きしめる人にすれば、そんなことは、恐ろしく的外れで無意味です。」
「医療物資が不足していただけでなく、方法もありませんでした。 医師達は、ほとんどの症例で、どう治療していいのか分からない、と認めていました。 ディミトリは、他の子供達のように、明らかに、よくある被曝の影響のひとつ、免疫システムへのダメージを受けていました。 私は、ディミトリのために、そして他の全ての人のために、他の治療法を見つけたかったのです。」
「そうすれば、高額な薬や医療に頼らず、自分で自分を助ける事ができます。 しかし問題は、ベラルーシ共和国では、誰もそういった事について、知識を持っていなかったのです。」
1990年に、ガリナさんはアメリカ合衆国へ行きました。 「ニューヨークで、サラ・シャノンさんの、Diet for Atomic Age(核時代のダイエット)と言う本を見つけました。 この本には、広島と長崎でマクロビィビィオティック食が効果をもたらしたと言う証拠に基づいて、放射線汚染を受けた時にどういう食べ物を食べると良いか、と言う事が書いてありました。」
「私は、ベラルーシに帰国後すぐに、ミンクスで、この本を翻訳して自費出版しました。 また、藍藻類の錠剤を持ち帰って、適切な科学的テストを手配し、体内から放射線を除去するのに役立つ事を証明しました。 この、やっと得た小さな進歩と引き換えに、私はCIAのエージェントであると言うレッテルを貼られました。 でも、私は、まだ探索を続ける決意をしていました。」
ガリナさんがクリフ・サンダーソンさんの事を知ったのは、アメリカにいる時でした。 彼は既にモスクワにいて、大病院のガン病棟で、医師や専門家と一緒に治療していました。
彼の、全ての段階で適切な臨床検査を行うと言う主張は、衝撃的な結果をもたらしており、主流派も無視する事ができませんでした。この結果は大変に優れていたため、クリフさんは、1992年に、代替医療者では初めて、栄誉ある、アルベルト・シュヴァイツァー補完医学賞を授与されました。
・・・・ 床に座っていたクリフさんは、物柔らかに言いました。「ガリナから手紙をもらって、ミンスクの血液学センターに招待された時は、すぐに行く決心をしました。」
複数の海外医療チームが来て、独自の種類の化学療法を施していましたが、あまり効果が出ていませんでした。 状況は、完全に悲惨でした。」
「医師達は、クリフの事をどう思っていいか、困惑していました。 昔のソ連では、“スピリチュアル”と名が付くものは完全に非常識で、バカげていると認識されていた事を理解して下さい。 でも、医師達は、クリフに一任してくれました。」
クリフさんは、彼のヒーリングを、「サイコ・リズミック法」(訳者注:現在は、Deep Field Relaxation又は「ディープ・フィールド・リラクセーション」)と呼びます。 本質的には、手を置く事により、身体的改善と他の癒しをもたらします。
「ミンスクで、クリフは、苦しみもだえていた、多くの病状末期の子供達を治療しました。」とガリナさんは言います。「あまりの痛みに、モルヒネカクテルさえ効果を出していなかった、小さな男の子がいました。 クリフが大きな手を、この男の子の痩せ細った肩に置いたとき、どういうわけか、この子は痛みを忘れたのです。」
「2人は、目を見詰め合っていました。 この男の子は、翌日、亡くなりましたが、クリフはその時私に、もう怒りの感情に浸っている事をやめるように教えてくれました。 この男の子は、そしてその子のような他の多くの子供達は、自分達の状況にスピリチュアルな面がある事を理解していたのだと言いました。 その男の子にとっては、死さえも受け入れる事ができる事だったのです。」
クリフさんはまた、ディミトリ君の治療もしており、明らかに効果を出していました。 2週間後、慢性の咳が消え、チェルノブイリ事故後からずっと罹っていた、様々な感染症も消えました。 「頬がピンク色になり、目の下のクマが消えました。 4年間で初めて、また健康になったのです。」とガリナさんは言います。 「やっと希望が持つ勇気が出ました。」
「血液学センターでも、変化がありました。 子供達は、以前よりも楽しそうで、活動的でした。 医師達は突然、クリフの治療法に興味を示しました。 中には、自分の痛みを癒してくれ、と頼む者もいました。」 ・・・・・ クリフさんとガリナさんは、ベラルーシを助けるための組織を設立しました。 この組織は、代替医療と、人々に食生活や自助の方法を教える事を強調しています。 FOCUS(Friends of Children United to Save)は、去年アメリカで登録され、2人はディミトリ君と一緒に、資金調達のために世界中を旅し、その活動を指導しています。
去年の夏、クリフさんとガリナさんは、汚染区域から170人の子供達を、シベリア東部のバイカル湖へ連れて行きました。 「子供達は、様々な自然療法従事者による治療を受けました。」とガリナさんは言います。 「鍼灸、薬草ハーブ、マッサージ、栄養のある食べ物と、新鮮な空気です。 被曝による病気の歴史上初めて、自然医学が大規模に使われました。」
クリフさんは、ベラルーシ東部のグロドノ医科大学で医師の研究グループの筆頭に立っているラリッサ・エベッツさんを招待し、バイカル湖に行く前と、行った2ヶ月後に科学的テストをしました。 「エベッツ教授は、子供達の免疫システムがかなり改善され、血液も改善され、放射線物質の内部被曝量が減った事を発見しました。」
********************** ヴァシリ・ネステレンコ教授は、ベラルーシ科学アカデミーの原子力物理学機関の元会長であり、ベラルーシでの放射線レベルのモニターの指導者ですが、妙な事実を指摘しました。 教会の建物がある村では、教会のない村に比べて、人々の健康の計測結果がずっと良かった、と言うのです。 その教会が、70年以上閉じられたものであっても、スピリチュアルなパワーが大きい事を表したのは、疑問の余地がなく、それが劇的な違いを生み出しました。
クリフは、放射線を、特別の振動数を持つエネルギーのひとつの形として捉え、それは、訓練した心と精神で対処ができると信じました。彼は、勇気を持って、ネステレンコ教授に、2つの実験をする事を提案しました。 最初の実験では、クリフは、単に、2つの容器を手に持ちました。ひとつには放射線汚染のひどい木くず、もうひとつには放射線汚染された水が入っていました。 2つ目の実験では、各々の容器の前で、15分ずつ瞑想しました。 その結果は、科学者にとっては、驚きをはるかに通り越すものでした。 ネステレンコ教授は、瞑想後、容器の放射線レベルが変動したのを発見しました。 集中した意図が放射線に影響を及ぼし、プログラムされたかのように、その行動を変化させると言う証明になりました。
その後の医学研究の中で、クリフは、子供達を治療している間に、自分が深いリラクセーションの状態に居る事により、子供達の体内の放射性物質がかなり減少され得る事を証明しました。 尿から高レベルの放射性物質が検出された子供の割合が、治療後、38.9%から9.09%にまで減少しました。それ以外に、64の他の要因も計測され、変化がありました。 |
01/09/2011(木) 15:30:13
| No.8955 さき |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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昨日このベラルーシでのヒーリングの情報を知って、勇気づけられました。ぬまさんから掲示板でも紹介してほしいということでしたので抜粋転載しました。
sonoさん、初投稿ありがとうです。動画見ました。 元アドレスでは削除されていたのでタイトルで検索したら見れました。 ひろちゃんとゆりかさんの福島の友人からのメッセージ、ドネでも紹介させてもらいます。 愛は時空を超えて、皆さんの投稿、 この場の情報やエネルギーに触れて意識も心も動かされています。 みんな共鳴していこう! |
01/09/2011(木) 15:49:34
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| No.8957 飯沼 |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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☆ゆりかさん、皆さんへ
お友達からの手紙の紹介、ありがとうございます! 愛に基づいた彼の思いが胸に突き刺さります。 私たちも福島に行く前に、そのお友達にお会いしたいと思っています。
福島はフクシマになってしまい、日本の政府・政治家や既得権者からは極めて心ない扱いを受けていますが、それでもフクシマは世界から注視されているはずです。 無関心に見える日本の人々も、本当はフクシマがずっと心に引っかかっていると思います。
フクシマの現状と未来予測を私たちの心のエネルギーで大逆転して、フクシマから新しい喜びの世界を顕していく光と希望を世界中に発信していけると、私は確信しています。
それを実現するために、その方法を、3・11以降、この掲示板で私はすっと発信し続けてきました。 さきさんと共同で冊子を作ることにしていましたが、その冊子を福島の人たちに「販売」しなければならないことに抵抗感があり、ずっと引っかかっていました。 そしてつい先日、さきさんに「仲間の皆さんからの寄付を募ってでも、福島の人たちにはできる限り無料で配布したい」という話をしました。 そのことはまだ他の誰にも言ってなかったのに、昨日の朝、いきなりご寄附のお申し出をいただきました。 少なくても数千部を無料配布することができます。 一気にモヤが晴れました。
「冊子ができればしばらく福島に滞在して、現地で活動なさっている人たちを訪ねて冊子の配布を委託しながら、私たちもヒーリングをさせていただこう」と、さきさんと話していました。 その直後にさきさんがこの元投稿の情報を見つけました。
「存在するものすべてに向けての、分け隔てのない無条件の感謝と祝福のエネルギー」が、結果的に放射能による健康被害をも癒すであろうことは確信していましたが、この情報の「事実」によってそれを改めて確認できました。
フクシマの現状と未来予測を私たちの心のエネルギーで大逆転して、フクシマから新しい喜びの世界を顕していく光と希望を世界中に発信していけると、私は確信しています。
このさきさんの投稿の事実からしても、今まで毎晩9時に私たちがフクシマに向けて共鳴させてきた、「存在するものすべてに向けての、分け隔てのない無条件の感謝と祝福のエネルギー」が役に立っていないはずがありません。 皆さん、9時の共鳴、よろしくお願いしますよ! |
01/09/2011(木) 16:20:43
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| No.8958 飯沼 |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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すみません。 こちらにコメントしたので、ゆりかさんの投稿への他の人のコメントが目に触れにくくなってしまいました。
ひろこさん、はづきさん、さいこさん、コメントありがとうございます。 さいこさん、お帰りなさい。 さいこさんの細やかな思いと、亀ちゃんの頼もしさが心に沁みます。 「福島の桃、さいこさんに頼んで送ってもらおうか?」という話もしていたのですが、二人では食べきれないんじゃないかということになってしまいました。 どんなことでも福島を応援したい気持ちはたくさんあります。 それは私たちだけじゃなくて、多くの人たちがそうだと思います。 政府や行政がきちんと放射能検査をすれば、子供や若い人たちは内部被曝を避けるべきですが、私たちの年代の人間はある程度のものは喜んで食べさせていただく人も多いと思いますよ。 |
01/09/2011(木) 16:37:49
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| No.8959 鉄ママ |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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さきさん、転載ありがとうございます。 ものすごくイメージできました。希望です。 必ず光に向けます。 |
01/09/2011(木) 18:01:54
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| No.8960 ひらり |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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飯沼さん、さきさん情報ありがとうございます・
来週宮城に行ってきます。 昨日夫の後輩から電話があり、被災地を案内するから見てほしい、そしてどう思ったかを話し合いたいとの事でした。昨夜寝る前にフトその後輩のヒーリングをしたいと思いました。
7月の定例会後寝込んでしまいました。よくは分からないのですが、自分の中でエネルギー的に変わったと感じます。
>フクシマの現状と未来予測を私たちの心のエネルギーで大逆転して、フクシマから新しい喜びの世界を顕していく光と希望を世界中に発信していけると、私は確信しています。
飯沼さんのこの言葉しっかり胸に持って行ってきます。 |
01/09/2011(木) 20:40:01
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| No.8961 飯沼 |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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☆鉄ママ
先日は久しぶりにたくさん話せてよかったです。 ドネのSNSで盛り上がった「鉄ママの色気」の話ですが、 さきさんが「鉄ママもそこを解放できると嬉しいね」と言うので、「僕は全くどちらでもいいんだけど」と言ったら、「ヌマにとってじゃないやん。鉄パパにとって嬉しいってことやん」と言われて、そりゃそうだと納得しました。 芯から優しい鉄パパの変化も楽しみです。 鉄ファミリーは、誰と誰の組み合わせでも力のあるヒーリングができそうですからね。
実はさいこさんちの亀さんもヒーラーの素質を持っているので、「こんな時やからこそ、わしらは行かなぁあかんのとちがうんか?」という言葉にぐっときました。
☆ひらりさん
>7月の定例会後寝込んでしまいました。よくは分からないのですが、自分の中でエネルギー的に変わったと感じます。
はい。 確かに大きく変わったみたいですね。 しのしのさんを一言で泣かせたようですし(笑) 私も危うく泣かされそうになりました。 というか、ドネ総会の後のさきさん宅でのひらりさんの一言に号泣しそうになって、「これではしのしのさんの二の舞だ」と、湧き上がるものをやり過ごしました。
ひらりさんは、相手の感情のオーラに引っかかっているもの(澱)が「そのまま分かる」ようになったのでしょうね。 ひらりさんは、自分の意識が小さな自分に閉じ込められているものではないということをすでに実感していたので、定例会のエネルギーによって人の感情のオーラの境目(区分する壁)がさらに柔らかくなったのでしょう。
「分かる」というのは、相手の感情を別物として対象化するのではなく、むしろ「一体化・同化」することによって得られる実感だと思います。 人間の意識は小さな自分に押し込めらてているようなちっぽけで不自由なものではないのですよね。
放射能のことも同じです。 子供や若い人たちの被曝には細心の注意を払うことは当然ですが、そうしながらも放射能を対象化して不安や否定や排除のエネルギーを高めるのではなく、意識のエネルギーによって大きく一体化していくことができるのです。
それが、「存在するものすべてに向けての、分け隔てのない無条件の感謝と祝福のエネルギー」です。 クリフ・サンダーソンさんというヒーラーも、(患者やおそらくは放射能も)「対象化していないようだ」ということが書かれたありました。 それは私が気づいたり導かれたことと重なっているので、とても自然に納得できました。 ヒーリングというのは、まさに(聖なる)全体・元の一体への回帰なのです。
他の読者にも参考にしてもらいたくて、ちょっと踏み込んで書きました。 |
01/09/2011(木) 22:29:42
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| No.8962 飯沼 |
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| Re: ベラルーシでの被曝治療(ヒーリング) |
引用 |
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★ちょっと補足です。
>ヴァシリ・ネステレンコ教授は、ベラルーシ科学アカデミーの原子力物理学機関の元会長であり、ベラルーシでの放射線レベルのモニターの指導者ですが、妙な事実を指摘しました。 教会の建物がある村では、教会のない村に比べて、人々の健康の計測結果がずっと良かった、と言うのです。 その教会が、70年以上閉じられたものであっても、スピリチュアルなパワーが大きい事を表したのは、疑問の余地がなく、それが劇的な違いを生み出しました。<
この部分に関しては、「私は情報のひとつ」として受け止めるしかないのですが、興味深い情報だと思います。 ベラルーシの事情は全く知りませんが、ソ連時代にはソ連邦に属する国の宗教はかなり弾圧されていたはずで、それでも教会が残っていた村はそれだけ信仰心が篤かったということでしょうか? 思いつきの想像ですが。
日本には神社が7〜8万社、お寺も同じくらいあるようです。 神社もお寺も村に一つずつはありそうなので、比較はできないでしょうが。
もうひらりさんへのコメントの一つ補足ですが、 「子供や若い人たちの被曝には細心の注意を払うことは当然ですが、そうしながらも放射能を対象化して不安や否定や排除のエネルギーを高めるのではなく、意識のエネルギーによって大きく一体化していくことができるのです。」 というのは、「子供や若い人以外はある程度放射能を含んだ食品を食べるべきだ」ということでは全くありません。
もちろん、食糧事情が非常に厳しくなれば、子供や若い人たちを守るためにそれも考えねばならないことですが、今の日本の現状はそこまでではありません。 というか、ちゃんと検査がなされていないので、その判断すらできません。
平時においては、何を食べるかは、その人の好みと感性でいいのだと私は思っています。 私個人としては、自分はもうこの歳だし、選ぶ自由すら奪われている福島や東北・関東の多くの子供たちと同じものを食べている方が気が楽なのです。 もともと自分に関しては、食べるものの「正邪・善悪(?)」について、あまり気にしないタイプの人間ですし。 美味しく戴ければそれが嬉しい単純人間です。
しかし、本来はどんな人でも放射能を含んだ食べ物は避けるべきですし、食べ物に放射能が含まれていること自体が人間の大間違いなのです。 ですから年齢にかかわらず、放射能が含まれているかもしれない食品を避けていくことは全く個人の自由ですが、それとは別に、そうしながらも放射能を対象化して不安や否定や排除のエネルギーを高めるのではなく、意識のエネルギーによって大きく一体化していくことができるはずだと思うのです。
ひらりさんも被曝させられた人たちを癒していく人ですから、「放射能を対象化して不安や否定や排除のエネルギーを高めるのではなく、意識のエネルギーによって大きく一体化していくこと」を意識して宮城に行っていただきたいと思います。 |
02/09/2011(金) 09:40:31
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