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No.7215 さき ホームページ 
本日の報道特集見て下さい 引用
今日の夕方5時半からのTV番組「報道特集」で、「女医不審死で発見者が新証言」という内容の報道があります。
先に放送された同事件の続報だと思われます。

昨年11月、大阪・釜ヶ崎で野宿する人たちに寄り添って生きてきた女性医師が謎の死を遂げた事件です。
定例会でも真相究明を求める署名をお願いしました事件です。
ドネの活動を通じて釜ヶ崎での夜まわりやお見舞いに参加するなかで、何人ものメンバーがお世話になった方です。
訃報を聞いた時はショックで頭が真っ白になりました。

彼女の生きたこと、彼女の求めたことを知ってもらいたいですし、本当のことが明らかになるようにと思っています。

歴史的な冤罪事件として「三鷹事件」についての報道もあります。
ぬまさん、教えてもらってありがとう。

*********************
あわせてご覧になって下さい↓
さっちゃんの会を応援する会
○ttp://sachan330.exblog.jp/i4/
右上の家マークから直接HPに行けます。

8月に放送された番組の内容が見れます↓
大阪 西成「女医の死の真相は?」報道特集1/2
○ttp://www.youtube.com/watch?v=TAra7vinFT0&feature=related

大阪 西成「女医の死の真相は?」報道特集2/2
○ttp://www.youtube.com/watch?v=jTVPbiPWd8I&feature=related

25/09/2010(土) 12:40:30


No.7217  祐造
Re: 本日の報道特集見て下さい 引用
お知らせ、ありがとうございます。
「報道特集」見ました。
いろんなことが明らかになるほどに「CENSORED」に???が増えていきます。
CENSORED」では説明できないことが、あまりに多すぎますね。

野宿者ひとりひとりの気持ちを抱きしめるように接しておられた矢島さんの姿が、昨日のことのように思いだされます。
「報道特集」のなかで、「娘を守ってやれなかった…」と涙を流すお父さんの様子は、あまりにも痛ましかったです。


「三鷹事件」
弁護士が「自白したら、罪が軽くなるから認めなさい」と冤罪に加担する話、信じられないけれど、最近もどこかで聞いたことだし、、、。(Aさん)

国や占領軍が自分たちにとって都合のいいように「事件」をおこして、罪のない人を犯人に仕立て上げたのですね。
昨年からの小沢さんバッシングや民主党の党首選のことを思うと、今もその構図は変わっていない気がします。

Aさんの次回の公判、応援傍聴に行きたいです。

さきさん、ぬまさん、お知らせありがとうございました。

25/09/2010(土) 21:35:16

No.7221  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 本日の報道特集見て下さい 引用
矢島さんの不審死に関する報道特集、観ました。
私は今までこの「事件」に関する他の報道番組のビデオなども観ていなかったのですが、今回の番組を観て、今までのビデオも観てみました。

それにしても、「西成のマザーテレサ」と呼ばれ、献身的に働き続け、多くの人たちに慕われた矢島さんが地上を去ってしまったことは残念です。
私は夜回りの時に一度だけ矢島さんをお見掛けした程度で、言葉を交わしあったこともありませんでした。

今までの報道ビデオなどを観ると、夜回りのグループの人は生田さんも他の人も取材に答えているのに、矢島さんが勤務していた診療所のスタッフなどの取材が映像になっていないのですね。
そのことはかなり不思議に思いました。

矢島さんの部屋からは本人の指紋すら検出されず、テレビの裏や高い位置の棚などにも全く埃(ほこり)もなかったそうです。
本棚の本からも指紋が出なかったとか。
おそらく誰かがきれいに拭き取ったのでしょう。
それなのに、洗濯機のなかにはまだ洗っていない衣服が入ったままだったそうです。
指紋が出ないほど部屋中をきれいにふき取って、洗濯物は洗濯機の中に置いたままCENSOREDするなどということは不自然すぎます。
そのほかにも証拠隠滅や捜査かく乱を計った形跡がいくつもあります。
プライベートなところでも矢島さんとかなり親しかった人物の関与があったと考えるのが普通でしょう。

11月14日(土)も矢島さんは診療所で遅くまで仕事をしていたそうで、その日の午前4時15分に診療所のセキュリティのスイッチをオンにした記録が残っています。
その数分後に異常を知らせる警報ブザーが鳴り、30分後に警備員が診療所に駆けつけた時には誰もおらず、何の異常もなかったとのことです。
それからの矢島さんは、14日は無断欠勤し、携帯電話にも出ることのないままに16日の午前1時半頃に木津川河口の船着場付近で水死体となって発見されたのです。

こういう経緯からすれば、診療所のセキュリティのブザーはたまたまではなく、その時から矢島さんの不審死につながる出来事が始まったと考えるべきでしょう。
矢島さんは普段から遅くまでカルテの整理などをしていたそうですが、その日も勤務があるのに14日の朝4時過ぎまで診療所で仕事をしていたというのも気になります。

矢島さんのご両親は医師で、遺体に対面した時、後頭部のコブや首の後の圧迫痕などから、CENSOREDではないとすぐに分かったそうです。
それが警察や検死医に分からないはずはありません。
おそらく警察は他殺をCENSOREDと誤って判断したのではなく、他殺の可能性が高いと知りながら、何らかの事情で「CENSORED」の判断を下したのではないかと思います。
それは逆に言えば、矢島さんの不審死に関与したと思われる人物が分かっているからで、その上で捜査に手心を加える事情があったのではないでしょうか。

警察は捜査を再開したとのことですが、今から犯人逮捕につながる確たる証拠を発見できるかどうかだと思います。
矢島さん行方が分からなかった昨年11月14日未明から、遺体が発見された16日午前1時半ごろまでの間に、矢島さんと誰かが一緒にいたところを目撃している人が現れたら捜査は進展するのでしょうが・・・。

26/09/2010(日) 14:05:47

No.7222  みさお
Re: 本日の報道特集見て下さい 引用
以前ドネで 矢島さんに関する報道番組を紹介された時に初めて見ました 矢島さんは 写真でお顔を知っているだけでした。
ビデオの矢島さん 動いている矢島さんを見て
絶対CENSOREDではない と思いました。
矢島さんに 診察してもらっているおばさんの
みんなを見捨てるような人ではない

お祭りでの矢島さんの顔
今からも これからも釜が先の為に
釜が先と共に と伝わってきます。

矢島さんの部屋の指紋が拭きとられていることを観た際
指紋ふきとるの、短時間ではなく 時間かかるのでは……
と ふと思いました。

生田さんの言われてた様
自分がいなくなった時 みんなへの影響力 みんなの落胆
十分に わかっておられる方のはずです。

   

27/09/2010(月) 21:45:43

No.7227  飯沼 ホームページ E-mail
再び矢島さんのこと 引用
大阪・西成の医師、矢島祥子さんの不審死については警察も再捜査をしているようで、遠からず真相が明らかになるように思います。
というか、釜ヶ崎で昼夜を問わず献身的に働いてこられた矢島さんの突然の死が、納得のいかないままに「CENSORED」で処理されてよいはずがありません。

先日の報道番組で、飛松五男さんという元刑事の人がご遺族の依頼を受けて真相解明に動いておられることを知りました。
飛松氏のブログがあります。
ttp://tobimatu.blog15.fc2.com/page-4.html

そのなかの9月6日の記事に、
「3兄弟、弁護人、私が現場釜ヶ崎での調査、見分、結果 CENSOREDの可能性、皆無 一部容疑者も浮上」
「現場釜ヶ崎の住民、各種団体への調査。皆異口同音にさっちゃん先生のことを『素晴しい、やさしい女医さん』『釜ヶ崎の宝だった。まさに日本のマザーテレサ』と称賛の声と『絶対、犯人を捕まえる。捕まえて』と力強い協力体制。」
という文章があることを、さきさんから教えてもらいました。

9月16日のブログには、
「今までの警察捜査、一部関係者の『矢島祥子先生はCENSOREDした』の情報を鵜呑みした捜査状況が推察
一部関係者そのものに捜査を攪乱している事実が一部あり その者と担当捜査員との関係が判明した」
という記事もあります。

かなり捜査(調査)が進んでいるようです。
しかし、この時期に「一部容疑者も浮上」などとブログで公表すれば、容疑者が逃亡する恐れがあると思うのですが、それは当然分かりながら公表したということは、「容疑者」が絶対に逃亡できない立場の人物であることを示しています。
もしも逃亡したら、「自分が犯人だ」と告白するも同然という立場の人物でしょう。
それを踏まえた上での揺さぶりだと思われます。

矢島さんが溺死体で発見されたのは昨年11月16日の午前1時半頃でした。
群馬からご家族が駆けつけた時には、警察はすでにCENSOREDの可能性が高いと判断していました。
高崎市で検死医もしていたご両親は、その説明と矢島さんの遺体の状況が食い違っていることに強い不審感を抱き、その日から真相解明に奔走してこられたのです。
ということは、遺体が発見されて数時間で警察は「CENSORED」と判断したことになります。

飛松さんのブログにあるように、矢島さんのことをよく知っている誰かが、「CENSOREDの可能性が高い」と捜査官に思わせたのでしょう。
遺体発見後数時間で警察に事情を聞かれる立場の人はかなり限定されてきます。
野宿者ネットワークの人たちや矢島さんが通っていたカソリック教会の人も「CENSOREDするなんてありえないと思った」と言っています。
とすれば、「矢島さんはCENSOREDした可能性が高い」と警察に思わせた人物は、ほとんど特定されてしまいます。

矢島さんは、11月14日から16日未明にかけて、部屋の鍵を開けたままで不在だったようです。
これは拉致監禁されていたのではなく、何らかの事情によって矢島さん自身が同意の上で行先を伏せて留守にしていたのかもしれません。
街のなかで拉致し、2日間も監禁して、さらに木津川まで移動させるのは不可能に近いでしょう。
監禁していたのなら犯人が見張っていたはずなので、14日と15日のアリバイがない人物はすぐに特定されてしまいます。

部屋の鍵が開いたままになっていたことは奇妙ですが、逆にもしも鍵が閉まっていたら、どうなっていたでしょう?
14日は無断欠勤をして電話にも出なかったので、くろかわ診療所のスタッフが部屋まで様子を見にきています。
15日にも診療所のスタッフが部屋を訪ねています。
もしも、部屋の鍵が掛かった状態で連絡がとれず行方も分からなければ、アパートの管理会社に言って部屋の鍵を開けて調べることになっていたでしょう。
鍵を開けるにあたって、警察に通報しなければならなくなるかもしれません。
群馬のご両親にもその時点で連絡をとらねばなりません。
鍵が閉まっていたら、14日の時点で騒ぎが大きくなる可能性が高かったと思います。
ということは、鍵が開いていたほうが「犯人」には都合がよかったのかもしれません。
その時点で矢島さんを殺害する計画であったかどうかは分かりません。
犯人と矢島さんとの間に何かの事情があって、話がこじれて殺害してしまったのかもしれないと思います。

矢島さんの自転車は自宅から1キロあまり離れた木津川沿いの市営住宅の駐輪場に置かれていたそうです。
遺体はそこから2キロ程度下流の木津川河口の渡船場で発見されているので、犯人は自転車が発見されたあたりで殺害もしくはCENSOREDして、遺体が流されたと思わせようとしたのでしょう。
遺体の髪の毛が渡船場の鎖に絡まって流れなかったので、その場所で発見されたのであって、それは犯人にとっても想定外のことだったのではないでしょうか?
その場所に矢島さんの靴が片方浮いていたようなので、おそらくはそこが殺害現場かもしれません。

ビデオで観れば、渡船の乗船口は桟橋ではなく、分厚いプラスティックのようなフロートなので、水面から30センチ程度上がっているだけです。
渡船は日中のみ運行しているようなので、夜は案外人がいないのかもしれません。
そこが殺害現場なら、昼間は渡船が運航しているので犯行は無理です。
矢島さんの携帯電話は15日のお昼過ぎまで呼び出していたそうです。
その後は呼び出しもしなくなったのですが、これはその時間帯に携帯電話も水没して使えなくなったのかもしれませんし、あるいは電源を切ったのかもしれません。

矢島さんの遺体には後頭部に3センチぐらいのコブと耳の前から首の後にかけてのスジ状の圧迫痕と、右側だったかの手足に多少の傷があったそうです。
後頭部を殴られ、しゃがみ込んだところを引きずるようにして川に落とされたと考えられます。
その上で犯人は水面でうつ伏せになった矢島さんの首を後から押さえて溺死させ、その時に圧迫痕が付いたと考えれば辻褄が合います。
あるいは上半身だけを水につけて首の後を押さえつけて窒息死させたのかもしれません。
CENSOREDに見せかけるつもりだったのなら、圧迫痕が付くことは想定外だったのでしょう。

矢島さんの右手首に赤い紐が巻かれていたことの意味は深いのだと思います。
普段はそういうものをしていなかったということなので、その赤い紐に犯人の特別な思いが込められているような気がします。
いずれにしても、犯人は心理的に追い詰められていると思います。
いずれは逮捕されるのでしょうが、その前に自首してくれることを願わずにはいられません。

それとは別に、釜ヶ崎の人たちのために本当に献身的に尽くしぬいた矢島さんが、なぜ34歳の若さで殺されねばならなかったのか・・・?
彼女の働きと人生に少しでも報いることが私たちにできるとすれば、それはどういうことなのか・・・?
いろいろ思うことがあります。

01/10/2010(金) 11:50:27

No.7228  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 本日の報道特集見て下さい 引用
NO.7227に書いたことは、今報道番組などで明らかにされている情報を材料にしての、私の個人的見解です。
決して断定しているわけではありません。
実際には、私などが全く知らない真実がある可能性もあります。

今、真実が明らかにされることを強く求める動きが起きているので、少しでもその動きを後押しできればと思って書きました。

それと、矢島さんの人生について考え、「自分にも何かできることがあるんじゃないか」と、皆さん方にも自分の生き方について考えていただきたいという思いもあります。

01/10/2010(金) 20:43:41


No.7224 さき ホームページ 
新しい日中関係、新しいアジア、新しい日本 引用
昨日電話でぬまさんと話してて、尖閣諸島の話になりました。
現政権の無策にあきれつつ、毅然としろよ、しっかり未来を見据えた外交しろよと思うと同時に、ナショナリズムを刺激する領土問題で感情的な中国への反感が高まることに危惧を覚えます。

●日清戦争に勝った日本は1895(明28)年に中国の清朝から台湾とともに釣魚台を譲り受け、沖縄県に編入した。「尖閣諸島」という日本名がついたのは、その後の1900(明33)年で、島を調査した沖縄師範学校の先生が、尖がっている島の形からつけたとされる。
日本が太平洋戦争に負け、米軍は釣魚台も沖縄の一部として占領した。1970(昭和45)年に沖縄返還が決まったが、その中に釣魚台含まれおり、尖閣諸島は日本の領土になった――。

というのが歴史的経過です。(その後日中の国交回復があり、この問題は両国が白黒つけずにグレーでいくことでおさめてきた)さらに、

●海上保安庁が漁船を逮捕した海域では、当時100隻以上の中国漁船が操業してた。1997年締結の日中漁業協定では、同海域では、いずれの国の漁船も相手国の許可を得ることなく操業することができることになっている――。

ということもあわせてこの問題を考えたいと思います。
地図をみると尖閣諸島は沖縄、石垣、台湾につながる島です。
毅然としつつ、歴史と未来を見据えた対応がいると思います。

中国のGDPが日本のそれを上回って、中国には大国としての戦略があるわけで、当然この海域の海底資源ほしい。米国のアジア戦略も中国重視だし。
ここで日本が米国頼みでない独自外交しないと、どの国からも相手にされないし、いいように利用されるだけやと思います。
この国に生きる人たちがこの無策の道連れになります。
他国の人も道連れにするかもしれません。
対立や紛争、戦争があった方がいい。日中が対立してもめてくれた方が都合がいいと思ってる人たちもいるでしょうから。そんな人たちのもくろみに乗らされたら取り返しがつきません。
この国の行く末、自分たちの未来を今真剣に考えていかんとえらいことになると思います。

経済優先、大国の利害優先の政治じゃない。
この国、この地域に生きる人たちのにとっての政治や外交が必要なんだと思います。
新しい日中関係、新しいアジア、新しい日本を!って思います。

●印の部分は田中宇さんのサイト「日中対立の再燃」からの情報です。
○ttp://tanakanews.com/100917senkaku.htm
右上の家マークをクリックすると見られます。

28/09/2010(火) 11:33:22


No.7225  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 新しい日中関係、新しいアジア、新しい日本 引用
☆ホープさん、さきさん、皆さんへ

こんばんは。
領土問題は歴史的に見れば、やはり「強い者勝ち」の論理なのだと思います。
琉球列島にしても1600年代初めの薩摩藩による侵略までは、奄美諸島を含めて琉球王国であったのですし、中国(明や清)の配下にあったのです。
明治政府による琉球処分(1879年)によって、琉球国は完全に滅亡させられるのです。
まさに武力侵略による「強い者勝ち」の結果にほかなりません。

尖閣諸島における今のトラブルも、中国は「強い者勝ち」の論理を押し通そうとし、それに対して日本は官僚主導の「事なかれ主義」の対応に終始しているように思えます。
しかし、日中関係が本当に悪化してしまえば、両国ともにダメージを受けるのです。
誰か、本当の意味で力のある政治家が交渉に当たって、「これぞ東洋の国際交渉だ!」と世界中を唸らせるような結着を導き出してほしいところですが、無理でしょうね。

軍事力による力の論理や弱肉強食の経済至上主義によって、人々の人生や生活はズタズタにされているのですから、もうここらで新しい世界に向けて新しい理念を掲げ、新しい方法を編み出し、定着させていかねばなりませんね。
どこの国であっても、ほとんど全ての国民は対立や戦争など望まず、ごく普通に皆が仲良く暮らし、和やかに豊かに交流していくことを願っているはずです。
そういう圧倒的多数の庶民の普通の幸せを実現していくのが近代国家や政治の義務と責任であるはずなのに、歴史的にも今の現実を見ても全くそうはなっていません。

★今は明らかに未曾有の危機であり、ある意味から言えば変革の大きなチャンスでもあるのですが、いかんせん庶民・国民の多くは未だに眠りこけたままの状態が続いています。
どう考えても、自分のことばかり考えていれば、その自分たちの人生も生活も押し潰されてしまうのに、それでも目先の自分の小さな損得や都合や取るに足りないような気持ちに囚われてしまっているのは哀しく情けないことです。
まあ、がっかりしても嘆いてみても何も始まりません。
私たちは私たちの意志で皆の人生の幸せを願うという大望に向かって、楽しくやっていきましょう。
私などはいずれにしても残り数年か、せいぜい2〜30年の地上人生です。
悔いなく、面白く、やれるだけのことをやって、すっきりした気持ちで霊界に戻りたいものです。

そういえば、昨夜のテレビ番組で民主党の原口一博氏がベーシックインカムを肯定する発言をしていました。
私はチラッと見ただけなので、前後の流れはよく分かりませんが、多少はまともな政治家がベーシックインカムをどう受け止めているのか、感触は伝わってきました。
今の日本の不況やデフレや、貧困や格差や破綻する年金や医療や老人問題や子育て・少子化や医療や心身の健康問題など、全てを網羅して解決できるのはベーシックインカムだと思います。
ベーシックインカムはとてもシンプルな制度ではありますが、事なかれ主義で既得利権を手放そうとしない官僚主導の政府では絶対に実現不可能です。
まずは私たち自身が目先の損得や事なかれ主義を越えて、声を上げ、動いていくことです。
そこからしか始まらないでしょう。
(★に戻る・笑)

話は変わって・・・。
先日、鍔市ダムので「妖怪や幽霊が出たらどうしよう・・・」と書いたら、「飯沼さん、怖いんですか?」というメールをもらいました。
誰もいない真っ暗な山の中で妖怪や幽霊が出たら、やっぱり怖いと思いますよ(笑)
想像しただけで怖くなります(笑)
ちなみにその人の子供さんは幼い頃、カッパをみたり、イタチの妖怪や小さいおじさんを見たりしたそうです。
「妖怪から、妖怪辞典を貰ったよ」って、お母さんに見せてくれたけれど、お母さんには見えなかったそうです。
きっと本当なんでしょうね。
今はもうそういう話はしないようですが、その子供さんの心には幼い頃見えていた妖怪さんたちの豊かな世界が息づいているのでしょう。

実はうちの車が車検で整備工場に行っています。
もう10年以上・15万キロ以上も走っているのに故障ひとつせずによく走ってくれるので助かります。
今朝、車屋さんが取りに来てくれて、明日には帰ってくるはずだったのですが、何としたことか「車検証が入っていない」という電話がかかってきました。
2年前の車検の後、車検証は車に保管していたはずなのに、どこにもないというのです。
家を探してもあるはずもなく、車検証を再交付してもらってから車検を受けることになりました。
明後日あたりまでは車がないので、鍔市ダムにも行けません。
それはまあいいのですが、誰もいない山のなかで送ってみたいエネルギーがありました。
仕方がないので今日の午後、うちの座敷を暗くしてそのエネルギーで遠隔ヒーリングをしてみました。
ちょっと言葉では説明できないエネルギーですが、あえて言葉で言えば、活性化した自分の体内微生物相の振動を霊的エネルギーと融合(共鳴)させて送るのです。
その人の魂と体内微生物や遺伝子のスイッチを意識に入れて。

断続的に2〜3時間ぐらいヒーリングエネルギーを送った後に、両手の甲に蚊に刺されたような湿疹がいくつか出て、おっそろしく痒みが出ました。
頭もボーっとして、夕食の時に少し「微生物が生きている濁り酒」を飲んだら、急に暑くなって汗が噴き出し、驚くほどに酔いがまわってしまいました。
副作用は別にしても、ヒーリングの手応えは十分でしたし、なかなか面白い感覚でした。
妖怪さんも幽霊さんも怖いけど、やっぱり誰もいない山のなかで、泊りがけでそのエネルギーに集中してヒーリングしてみたくなりました。

28/09/2010(火) 23:13:10

No.7226  ひろこ
Re: 新しい日中関係、新しいアジア、新しい日本 引用
ぬまさん
すごい!!!

山で泊まる時はくれぐれも気を付けてくださいね”

29/09/2010(水) 18:18:31


No.7223 ホープ  E-mail
(No Subject) 引用
最近つくづく感じるのですが、政治をはじめ発言する言葉の力が軽くなりつつあるような気がしてなりません。
無能軽薄な政治家でも言を左右にしてパフォーマンスすればそれなりの活動が出来ると言う昨今の風潮は困った現象です。
ですが力量の程度はごまかしが効きませんので直ぐにばれてあちこちに混乱の火をつけてしまいます。事が政治であるだけに大変な迷惑を国民に与える為に始末が悪いのです。
結局選んだ国民がバカだった・・と言うことになるのですが、本物を見抜くと言うことの難しさは、それだけ己自身を鍛え学んで行かねばなかなか出来ないことだと思います。
尖閣事件の影響は本当に馬鹿に出来ない様相を呈して来ました。TVマスコミをはじめネットでも大変な騒ぎとなっています。厳に戒めるべきは一部急進的な連中の偏狭なナショナリズムによる”目には目を”の報復論から核保有論まで飛び出す流れです。
背景には今の閉塞感一杯の国民的ストレスのはけ口としての状況があります。まさかそんな事にはならないでしょうがこの度の国民の怒りのエネルギーが一定の水準を超えると暴走を始める事だって考えられます。
そういう状況に陥らせた政府の責任は大きいと思います。
中国は”人治国家”です。現在に於いて両国の価値観はまだまだ隔たりが有り、我が国の常識を以って対処できない部分も多く有ります。開放政策後、未成熟な部分を数多く残しながらも強引とも思われる経済成長を無理やり続けている国です。国益最優先の人治国家の危険性はこの事件にハッキリと現れています。
しかし私は以前仕事やいろいろな理由で幾度も訪中したことがありますが、こちらのニュースに取り上げられる映像と現地の一般の庶民の実態には大きな差が有ると言うことです。
一部の過激な人々(暗黙の煽動も含めて)の行動だけがクローズアップされ、如何にも国中がそうであるかの様に感じられますが大半の国民は冷静と言うか無関心なものです。

世界が不安定になってきました。これからますます国際社会は乱れて勢力争いが過激になって行きそうです。
世界の先進国も経済至上主義訴求の限界としての行き詰まりの様相を呈しています。
こんな社会情勢の中、日本人はもう一度自分達の足元を見つめ直す事が大変必要だと思います。この国を再生する為には先ずこの国を構成している国民が精神的にも経済的にも立ち直らなければなりません。
経済的には、内需を高めて行く事が最優先です。何処の国も成り立ちの基礎は内需ですから。これをなし得るのは公平な分配制度の導入しかありません。大半の国民が納得出来るからです。
納得の無い所に協調、協力はありえません。弱肉強食の市場経済主義の末路を今みんな見ているのです。
この国の蘇生には明治維新くらいの規模とエネルギーが必要だと誰かの本に書いてありました。
ベーシックインカムと言う考え方は霊的法則の裏判が押されています。
グローバリゼーションの荒波の中でしっかりと国民合意を形成し
本当の意味での”強い”日本に蘇生したいものです。

28/09/2010(火) 10:44:56



No.7220 ホープ  E-mail
(No Subject) 引用
炎熱地獄から突然の秋へ、と季節も狂っているかのようです。
世の中もこれと呼応するかのように迷走しています。
怪しい民主党代表選挙から検察の改ざん事件に及んでとうとう
ここまで来たか・・と思ったら尖閣問題が勃発。
今までも散々嘆いておりましたが、日本も落ちる所まで落ちた感が
あり、改めて今のこの国の実態を見せ付けられた気がします。
前々からこの掲示板にも語られていましたが、法と正義を自認する
検察の実態は実に恐ろしいものです。有罪判決率ダントツの歴史は
これにより多くの疑問が表面化するでしょうし、冤罪のまま葬り
去られた数多くの人の無念が聴こえてくるようです。
この度の尖閣事件に至ってはこの国の政治のお粗末さと無能ぶりに
腹立たしさを超えて、本当心配と言うか恐ろしくなってきました。
早くも新総理の資質が馬脚をあらわしたようです。
本当に腰の据わった指導者を選べなかった我が国の悲劇でもある
様に思えます。
国の肝心どころのこの体たらくは政治の機能不全を顕著に表して
います。
この一連の出来事を通じ多くの国民は意識するしないに係らず
本当の危機感を感じたと思います。
中国特需と言われ、中国人富裕層の観光買い物客の経済効果を
メディアは煽り立てています。ある大型量販店では中国人向けに
中国語表記に切り替え、日本語は?と聞くと平気で「ありません」
と応える現状に及んでは何をかいわんや。
日本人が買ってくれないなら、中国人に揉み手をして擦り寄っていく・・。商業活動ですからそれもある面仕方がないとは思いますが、こんな拝金主義の姿勢はいずれこっぴどい目に会いましょう。
雪崩を打って中国マネーに群がっているととんでもない事になる
筈です。この度の中国の強硬姿勢を見れば判ると思います。
一人の船長の無条件釈放のために(勿論政治的思惑で)両国の
文化交流活動や経済交流にも平気で手のひらを返して規制して
来る国なのです。元々国の成り立ちが違うのです。
これが所謂チャイナリスクと呼ばれるものです。
そんな不安定なマネーを追いかけるのではなく、この国の基本である内需を如何にして拡大するかと言う事です。
残念ながらこの国の政治は国民の信用を失っています。
そこから将来の、いや今現在の生活不安が噴出しているのですから
その不安を軽減し取り除く為には、新制度の導入と実行しか
ありません。
「ベーシックインカム」しかないと言うことに帰着するのです。
国民は本当に勇気を出さねばならない時に来ていると思います。
以前「愛は時空を超えて」でも語られています。「変化を求められている状況で、今の小さく不十分な自分を守ろうとすることは自己中心性と頑なさを深めるだけです・・」と。

26/09/2010(日) 10:36:50



No.7214 飯沼 ホームページ E-mail
またまた鍔市(つばいち)ダム 引用

昨日の午後一番に、古くからの仲間の人からとっても嬉しい電話が入り、その後でまたまた鍔市ダムに行きました。

山はすっかり秋の風が吹いていて、上着をまとわなければ寒いぐらいでした。
昨日は猿たちも現れず、ちょっと寂しく思いながらも遠隔ヒーリングに集中できました。

「(無意識の)当てつけ」を意識においての遠隔ヒーリングでしたが、何人かの人は私の左の胸から肩にかけての筋肉が縮むような感覚になって、鈍痛を感じました。
そうなった人が「(無意識の)当てつけ」のエネルギーを重く溜め込んでいるのかどうかは分かりませんが、不思議な感覚でした。
多分そのせいではないとは思いますが、今日は朝から下痢や鼻水の排出が続いています。
食欲も全然ありませんが、まあまあ元気ではあります。
この排出は、昨夜から非常に稀で治療法のない重篤な病の方への遠隔ヒーリングを始めていることとも関連しているのかもしれません。
「少しでも」と自己規定するのではなく、大きくお役に立ちたいと思います。

休日は水汲みの人が多くて落ち着かないと思うので、平日にまた鍔市ダムに行って遠隔ヒーリングに集中したいと思います。
寒くなる前にそこで一晩泊まって、真っ暗で何もない山のなかで瞑想や遠隔ヒーリングをしてみようかなと思ったりしていますが、妖怪や幽霊が出てきたらどうしよう・・・。
携帯電話もほとんどつながらないし。

世相があまりにもあわただしく、日本やこの国に暮らす人たちに危機が迫っているようなので、そういうときこそ地上の喧騒を離れる時間を確保する必要があるように思うのです。

話は変わりますが、私は醗酵食の一環として「甘酒のようなもの」を造っています。
その「甘酒のようなもの」は日にちをおくと醗酵が進んで、ちょっとクセのある味になります。
それはそれで味わい深いのですが、昨夜ふと思い立ってそれに「無条件の感謝」のエネルギーを注いでみました。
すると味が見事に変わって、爽やかになっていました。
たぶん気のせいではないと思います。
今までもコーヒーやお酒にエネルギーを注ぐと、すっきりした味になったりしていたのですが、それよりもはるかにはっきりと変化がありました。
微生物たちが生きている飲み物なので、こちらの心のエネルギーに大きく反応したのでしょう。

皆さんも、微生物たちへの無条件の感謝のエネルギーを注ぐことや発酵食品をポジティブに摂取していくことを、どうか続けてくださいね。
しばらくやって元の日常に戻ってしまうのではなく、自分の日常を「生命はひと連なり」につなげていっていただけますようお願いいたします。
私には、この継続が必ず皆にも自分にも嬉しい状況をもたらしていくという確信があるのです。

25/09/2010(土) 11:42:52


No.7216  祐造
Re: またまた鍔市(つばいち)ダム 引用
「甘酒のようなもの」、気になります。
微生物の反応。
うちでも、感謝の気持ちを送るのを数日空けると、ペットボトルのなかの様子がだいぶ変わるので「生き物は正直やなぁ」って思います。

発酵食と野菜中心のメニューは続けてましたが、けっこう緩んできてます。
微生物たちへの無条件の感謝のエネルギーを注ぐことも、おろそかになりがちで、、、。

「愛は時空を越えて」を読んで、仕切り直しでやっていこうと思いました。
バナナ入り豆乳ヨーグルトは美味しいので、毎日食べてるのですが、このところ急に涼しくなって、固まるのにやたらと時間がかかるようになりました。
炊飯器の保温機能を使えないものかと考えています。

発酵食の本、執筆は大変かとおもいますが、読めるのを楽しみにしています。
「発酵食レシピ」のページもあるといいなぁ。

25/09/2010(土) 20:53:50

No.7218  飯沼 ホームページ E-mail
Re: またまた鍔市(つばいち)ダム 引用
☆祐造さん、皆さんへ

コメントありがとうございました。
あまり野菜中心の食事に制約する必要はないと思うのですが、いろんな種類の発酵食品を摂取していくことはいろんな意味で重要だと思います。

しかし、いろんな出来事が起きる中で、大きなところからも小さなところからも日本は本当にダメになってしまっていることがどんどん明らかになってきます。
対米従属、対中屈服もそうですが・・・。

それにしても、衝突してきたのが事実なら、釈放はありえませんね。
しかも、総理大臣が「検察の自主的な判断」を強調して、みっともない責任回避、恥ずかしくないのでしょうか?
この時とばかりに中国との武力対立を煽るお調子者さんたちは論外としても、ここは国として毅然たる対応が必要だったはずなのに。
戦争や武力行使への道は避けながら、毅然として筋を通し、粘り強く対応するべきだったと思います。
日本には中国や世界の国々が必要とている特許や技術があるのですから、もっと堂々と腰を据えて渡り合うことはできたはずです。
今までからそうだったのでしょうが、これで日本はまたまた世界の笑いものになってしまいますね。
「腰抜けもいい加減にしろ」と言いたくなります。

にしても、釈放された中国の漁船の船長の様子をテレビで見ましたが、背筋も真っ直ぐであまりにも堂々としているのが不自然でした。
普通の漁師というよりもまるで軍人のような印象を受けました。

おそらくは中国をアジアの盟主にしていくことはアメリカと中国の合意があって、そのためには日本をもっと弱体化しておかねばならないのでしょう。
軍事力ではない、本当の意味での国力(国民生活に必要な物の生産力)を高め、この国とこの国に暮らす人々が安定して自主自立でやっていけるように、あらゆる面で日本の改造を急がねばなりません。
このままではアメリカに日本の富の全てを貢がされ、中国からは煮え湯を飲まされることになるでしょう。
今回のことで、この国には政治力が完全に欠落していることが改めてよく分かりました。

このままいくとこの国はほんとにダメかもしれんと思うことしきりです。

26/09/2010(日) 00:00:31

No.7219  さき ホームページ
Re: またまた鍔市(つばいち)ダム 引用
この間、政治主導って言葉が飛びかっていましたが、、
現政権、政治も外交もないですね。
戦後日本はアメリカの意に沿うことが、この国の政治であり外交だったんでしょうね。それが最優先であり唯一の「外交」方針であり選択だったんだと思います。
その歪んだ「外交」抜きに、「日本は中国とどんな関係を築いていくのか」って真剣に考えたことなかったんじゃないですか。
なさけないです。あーあ。

誰に対しても、言うことは言う。筋を通す。
(相手の立場を理解しようとすること、大きな調和、お互いのよりよい関係を求めて、というのは大前提ですけど。)
それなくして人と人との関係も、国と国との関係も「自分もみんなも幸せに」というものにはなりえないと思います。

26/09/2010(日) 09:41:09


No.7212 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 68  引用
       ☆☆ 愛は時空を超えて 68 ☆☆

              ――  霊界の克との対話  ――


飯沼)おーい、くぅ、こんばんは。

克子)はーい。
まーたん、こんばんは。

飯)猛暑の夏もようやく鎮まり、朝晩は秋風が心地よい季節になってきた。
しかし、今年の夏はほんとに暑かったようだ。
篠山では暑さよりも2ヶ月間も雨がほとんど降らず、借りている畑はすっかり夏枯れてしまった。
夏作物はもちろんのこと、サツマイモまでもが萎れて、ツルもあんまり伸びていない。
来年はエンジンポンプを買って、もう少し手を入れなければと思っている。

克)そうですね。
せっかく畑を借りているのですからね。
土壌中の微生物の活動に適した環境を作ってあげてくださいよ。

飯)だよね。
カラカラに乾いた土では微生物も働けないからね。
ところで来年の夏も今年みたいに暑いのかな?

克)さあ、それはどうでしょうね(笑)
そういうことにはお答えできませんが、いずれにしても気候も偏りが激しくなっているのは確かですね。
私ども霊界側の者たちは、「偏りによる不調和の連鎖」について、一刻も早く地上の人々が気づいてくれるように願っています。
気づくだけでなく、調和に向けて修復していかねば取り返しのつかないことになるのです。

飯)しかし、今年の夏が暑かったのは確かだけど、熱中症になる人が多いのにも驚いた。
まあ、報道で煽られた面もあるのかもしれないが。
20〜30年ほど前はエアコンとかのない家も多かったけど、熱中症という言葉すらあまり聞いたことがなかったのに。
もちろん今年の暑さが特別だったり、エアコンなどによるヒートアイランド現象も顕著になってはいるんだろうけど。
世界には日本の夏よりも暑く、エアコンなんてほとんど普及していない国で暮らしている人々が大勢いると思うんだけどな。

克)そういう意味では、日本の人々は社会の閉塞状況に喘ぎ、生きることが苦しくなってきていると言えるでしょう。
すでに「自分ではどうにもできない」というストレスが飽和状態になってきているので、その上に「自分ではどうにもできない猛暑」が重なれば肉体の恒常性を維持できなくなってしまうのです。

飯)なるほどね。
それは熱中症に限らず、ちょっとしたきっかけで鬱を発症する人が激増していることや、パニック障害などの人が増えていることとも関連しているんだろうね。
今の日本はまだそれなりに社会の秩序や常識が力を持っていて、大混乱には陥っていない。
そういうなかで社会状況はますます重苦しくなっており、人々はまるで真綿で首を絞められるような閉塞感に苛まれているからね。
生きるためのエネルギーをがむしゃらに全開にしなければ誰もがやっていけない状況でもなく、エネルギーが抑制の方向に、内向きに作用するから、生殺しのような状態になっているんだろうね。

克)はい。
さまざまな症状を発する人が必ずそういう状態であるとは言いませんし、人間の感受性は人によって異なっているのですから、社会総体の閉塞のエネルギーに影響される度合いも人によってまちまちです。
いずれにしても、人間は「皆も自分も幸せに」というラインで、希望や喜びに向かって惜しみなくエネルギーを使ってこそ、心身ともに健やかでいられるのです。

飯)体内微生物相の状態も影響するんだろうね。
微生物たちが人間の想念エネルギーに反応することは、僕らの経験・実験からも間違いなさそうだし。

克)はい、もちろんです。
というよりも、ある意味からはそれが全てだと言えるのです。

飯)最近は抗生物質が効かない病原菌がはびこったりしているし、体内微生物相を整えることは本当に大事だと思う。
戦国時代などに日本に来た西洋人は、当時の日本人が動物性の食物をほとんど食べず、非常に小食なのに健康を維持していることに驚いている。

今は日本人の半分が癌に罹り、3人に1人が癌で死亡している。
そのデーターからしても、癌の治癒は近代医療ではかなり難しいことが分かる。
癌の治療費は日本の医療費の半分を占めて国の経済を破綻に向かわせているのに、治る人が少ないという事実は非常に重大だ。
日本人に癌が増えたのは戦後であり、それも急激に増加している。
だとすれば癌に罹らないため、あるいは癌を治すためにはどうすればよいかは自ずと分かるはずなんだけどな。
つまり、戦前の日本人の暮らしぶりを取り戻していくというか、今の自分の暮らしに取り入れていくことだと思うんだけど。
もちろん戦前の暮らしが最高だったわけではなく、そこにはたくさんの問題点はあったと思う。
だから、全部を戦前の暮らしに戻すというのではなく、戦後の癌の激増の元になっていると思われる部分を改めていくのが一番いいんじゃないかと思う。

まずは食生活だろうね。
食料品の位置づけが「食べ物」から「商品」に変質しているから、食品添加物も当たり前のように使用されている。
食べる物の内容もずいぶん変わってきているしね。
飲料水も水道水に塩素が混入されているので、その影響は軽視できないと思う。

もうひとつは、社会の管理化が進んだことによるストレス。
経済至上主義・経済合理主義、要するに拝金主義によって、人と人とのつながりが断ち切られてきていることも大きなストレスになっていると思う。
昔はほとんどの人が貧しくて、貧しい層の人たちが裕福になっていく可能性はあまりなかった。
貧しさに苦労しながらも皆がそういう状態だったから、ある意味ではそれを当たり前のこととして受け止め、そのなかで日々の生活に楽しさを見出しながら、隣近所が助け合ったり補い合ったりして、「困った時はお互いさま」という風潮があったと思う。

克)はい。
大事なことは、「生命はひと連なり」という真理です。
生命とは意識・心であり、それは無限のスケールと広がりを秘めています。
地球という星もひとつの大きな生命体なのです。
ですから、地球から微生物に至るまで、生命どうしが喜びを交し合える環境や関係性こそが健やかさの元になるのです。
あえて小さな話にすれば、「自分の意識・心が、体内に生息するミトコンドリアを含む無数の微生物たちの喜びと共鳴しているかどうか」です。

癌であれ他の病であれ、その予防と治癒への基本は極めてシンプルなものです。
微生物たちへの無条件の感謝と、できるだけ多種類の発酵食品を日常的に摂取することです。
それらはいずれも腸内微生物相をポジティブに整え、ミトコンドリアの活動を活性化させます。
地上で最も小さき生命である微生物たちにすら無条件の感謝のエネルギーを注ぐのですから、それよりも大きな生命たちにも同じようにつながっていくことは大原則ですね。
しかし、生身の人間にとってあらゆるものへの無条件の感謝ということは実際には難しいものでしょう。
だからこそ、微生物たちに無条件の感謝のエネルギーを注ぐことで、そのエネルギーの通路を開いていくのです。

今の日本では2人に1人が癌に罹るのですから、決して他人事ではないはずです。
無条件の感謝の心に満たされて生きることと、多種類の発酵食品を摂取していくことは、単に癌やその他の病の予防・治癒につながるだけでなく、自分や周囲の人たちの人生を幸せにしていくことにもなるでしょう。
「健康で幸せな人生」を願わない人はいないと思うのですが、悠々塾につながる人たちでも、こんな簡単なことですらなかなか実行しない人が多いのはどうしたものでしょうね。

飯)まあ、確かにそうなのかもしれないけどね。
だけど、無条件の感謝の心や醗酵食品を積極的に摂取するというのは、一般的な暮らし方とはかなり掛け離れているし、「自分を律する」というようなある種の重圧感があるのかもしれない。
多種類の発酵食品を摂取していくのは、その気にさえなれば、実際には全然大変なことじゃないと思うんだけどね。
それに普通に考えれば、今の世間の習慣や風潮と同じことをしていたら、癌に罹る確率も50%ということになるのに、それでも今まで通りに皆と同じような生き方をしている人が多い。

だけど、醗酵食によって腸内微生物相が調和のなかで活性化すれば、腐敗菌や病原菌の活動が抑えられるのは当然だし、微生物によって化学物質が分解されたり無毒化されるのも分かると思う。
同じような食生活をしていても病気になる人とならない人がいるのだし、全く同じ物を食べても食中毒になる人とならない人がいる。
猛毒のあるフグの肝を2〜3年糠漬けにすると毒が分解されて最高の珍味になることからも、腸内微生物相を整えることの重要さは十分に分かる。

心のところで言えば、感謝の気持が大きくなればストレスも薄くなり、人間関係も格段に良くなるのも分かるはずなんだけどね。

克)多くの人たちは、やはり権威付けられたものを信じたいのですし、「悠々塾の提示していることにも一理ある。その通りかもしれない」とは思っても、まだまだ普及していないものに対しての懐疑心を払拭できないでいます。
あるいは、癌などの重篤な病に罹るということを自分の問題として考えられずにいるのです。
その意味では地上の私もそうでしたから、あまり偉そうなことは言えませんね(笑)
まあ、あの頃は心のエネルギーだけで治そうという思いが強かった時期ですし、それも摂理から逸れている部分を正していくという傾向が強かったですからね。
そういうエネルギーで治った人も少なくなかったのは事実ですが、今から思えば少々無理があったと思うでしょう?
私たちも若かったのですね(笑)

飯)まあね(笑)
で、話を進めようか?

克)はいはい(笑)
いつもお伝えしているように、今の時代はお金が最優先になってしまっています。
生命よりもお金を優先する社会は、人間をはじめとする生命体に大きなストレスを強いて、生命活動(健康や心のつながり)を劣化させてしまいます。
社会的ストレスの影響を受けて体内微生物の調和や免疫機能は乱れ、癌をはじめとするさまざまな病が増えるのです。
やや極端ではありますが、ほとんどの病の原因はそこにあると言えるでしょう。

いくら近代医療が進んでも、生命や心がお金に従属している限り、病が減ることはないのです。
重篤な病に陥った人は、今までお伝えしてきたふたつのこと(無条件の感謝・醗酵食)と、お金から意識を解放していくことも大事なことです。
それはお金のことなどどうでもよいという意味ではありません。
お金よりも生命や病の治癒を優先し、人との心のつながりを優先していくということです。
それは窮屈な義務や条件ではなく、当然の優先順位であるのです。
本来の優先順位の確立が摂理に沿っていくということなのです。
魂の喜びです。
それは必ず理性や感情の喜びとなるのですから、喜びのなかで実際の言動にしていけばよいのです。
その上で、自分としての個性をおおらかに表現していけばよろしいのです。

飯)はいよ、分かった。
ありがとうね。

克)はい。
あなたは早く「醗酵食ソフト断食」の冊子の原稿を書き上げてくださいね。
「ベーシックインカム」の冊子もですよ。
世の中はめまぐるしく動き、あなたの集中を妨げることはこれからも続きます。
そういう不安定な状況のなかでも、あなたが今なすべきことを先送りにしてしまってはなりません。
あなたの中には、「なるべくなら自分は人前に出たくない。目立ちたくない」という思いが今も残っていますね。

しかし、今の日本や世界の状況は、今すでに表に出ている人をつなぎ直したりしてどうにかなるものではありません。
今の世の中でそれなりに表に出て地位を得てきたということは、今の世の中の価値観ややり方に重なる部分を色濃く有しているからでもあります。
ムゥや縄文の心を確固として持ち続けている者は、今の世とは価値観も感性も真逆と言えるほどに異質なのですから、ほとんどの場合、今の世の中でそれなりの位置を占めることはできなかったはずなのです。
もちろん、全てがそうだとは申しませんし、そういうラインで全てが決まるわけでもありませんが。

今の日本や世界に本当に必要なことは、「生命はひと連なり」という真理を心技体の全てで会得し、それを軸にして建て替え・建て直しを進めていくことにほかなりません。
「生命はひと連なり」「人として優しく・正しく。皆も自分も幸せに」こそが普遍の真理ですから、それらをキーとして設定し、一定以上のエネルギーを伴った振動を与えれば、物事も人々も自ずと調和した喜びの状況を形成していけるのです。
人に期待するばかりでなく、あなた自身が先頭に立って切り拓いていかねばなりません。

飯)はいよ。
日常の仕事があるのでどうも集中しにくいところはあるんだけど、もう一度気を引き締めて書いていくよ。
まとまった原稿を書くというのはなかなか大変な作業で、「エイヤッ!」と一念発起しなければとてもじゃないが書ききれない。
気が散って集中できなかったというよりも、「そこまでして自分が頑張ってもその割にはそれほど多くの人に読んでもらえるわけでもないし、あんまり役に立つとも思えない。こんなことをして何になるんだろう・・・」というような気持ちもあったと思う。
それが間違っているのは分かっているんだけどね。

克)分かっているのならどうしていくのかも分かっていますね(笑)
あなた自身がよく言うように、人事を尽くして天命に委ねましょうね。
いつの世も、何事につけても、新しい時代を切り拓く者は、ある時期までは哀しいぐらいに孤独です。
ましてあなたは地上人類の霊性進化というスケールで時代を切り拓こうとしているのですから、一朝一夕に成果が形になるものではありません。
疲れもするでしょうし、虚しさを感じることもあるでしょう。
しかし、あなたの周囲には心を許せる同志や仲間たちがいてくれることを忘れてはなりません。
それがどれほど幸せでありがたいことか、あなたはよく分かっているのですから。
地上の仲間だけではなく、こうして霊界側からも温かい(笑)支援を受け続けているのですからね。
あなたほど幸せな人は、日本中を捜してもなかなかいないと思いますよ(笑)

飯)分かりました。
全くおっしゃる通りでございます。
ありがとうね。

克)いえいえ、どういたしまして(笑)
それじゃ、まーたん、またね。

(2010.9.23)

23/09/2010(木) 14:51:41


No.7213  さき
Re: 愛は時空を超えて 68  引用
ぬまさん、受信お疲れ様でした。
いつも克子さんからのメッセージを伝えてもらってありがとうございます。
そういえば、、日本より暑くてエアコンも普及してないところはたくさんありますね。なるほどと思いました。自分ではどうしようもできない閉そく感、、重たいですね。

>微生物の存在を意識して無条件の感謝の気持ちを向けること。
>なるべく多様な発酵食品を摂ること。

シンプルで簡単なことなので、少しづつでも自分の日常のなかに取り入れていくといいですよね。
先日の定例会で聞いた話ですが、ある人がお父さんにちょっとした話題として微生物の話をして、ご飯と水をいれたペットボトルを持って行ったそうです。そしたらお父さんがペットボトルに祈ることを日課にされるようになって、このところ生き生きして体調も良くなってきて、血圧の薬もいらないくらいだとか。
誠実で真面目なお父さんで、一生懸命に祈られたんだろうなと思いました。
それってすごいことですよね。
5月の定例会で一度だけみんなでエネルギーを送ったペットボトルも、送ってないものとは全然違っていましたね。(送ってないのはカビがすごい!)

シンプルすぎて特別なありがたみもないかもしれないけど、誰でもできることだし、お金も手間もかからない。
<いのちはひと連なり>の真理は理屈じゃない。
今の地上の価値観とは対極にあるものなんだと思います。
ありがたいお話も、それなりの対価も、手間暇かけた訓練も不要だけど、そこには喜びのバイブレーションがあって、それが心にも身体にも実際に作用する(心が変われば周囲の人との関係も変わる)のだから、多くの方々に取り入れてほしいです。そしてそのバイブレーションを実感してほしいです。

>そこまでして自分が頑張ってもその割にはそれほど多くの人に読んでもらえるわけでもないし、あんまり役に立つとも思えない。こんなことをして何になるんだろう・・・<

ぬまさん↑↑今回いちばん印象に残ったところです。
そんな風に思ってたんだーってね。
ぬまさんがいちばんよくわかってることなんだろうけど。
ここまでやってきて、ぬまさんが切り拓かないで誰が切り拓くのよ、です。

>あなたほど幸せな人は、日本中を捜してもなかなかいないと思いますよ(笑)
って、克子さんに言われてるじゃないですかー。(笑)

発酵食の冊子、頑張って書いて下さい。お願いします。
ぬまさんにしか書けないし、ぬまさんだから書ける、
地上界の浄化を現実化するための冊子なんだと思ってますよ。

24/09/2010(金) 16:37:36


No.7207 飯沼 ホームページ E-mail
鍔市ダム 引用

今日は午前中にメールの返信やアドバイスのメッセージ受信をしたら少し疲れを感じたので、午後一番からリフレッシュを兼ねて鍔市(つばいち)ダムに行きました。
家から車で15分ぐらいの湧き水の出ているところです。

ダムの周りに何人かの釣り人がいるだけで、日差しも風も穏やかでとても静かな情景です。
たぶん10℃ぐらいの冷たい水で喉を潤し、持参したタンクにも溜めて、屋根のある休憩所で瞑想と遠隔ヒーリングをしていました。

しばらくすると、風もないのにすぐ傍の木の枝が大きく揺れる音がします。
少し離れた木からも何やらかなり大きな音が聞こえてきます。
鳥とかじゃないのはすぐに分かりましたが、何の音だかは分からず、そのまま遠隔ヒーリングを続けていました。
そのうち、休憩所の屋根の上からガタゴトと音が聞こえ出しました。
なんだろうと思っていたら、屋根の端から猿が私のほうを覗き込んできました。
「お前、何やってんの?」と話しかけると、首をかしげるようにして屋根の陰に引っ込んでいきます。

休憩所を出てみると、周囲の道や山の斜面や木の枝に野生の猿たちが20匹ばかり散らばって、掛け声を掛け合いながら好き勝手なことをしていました。
なかには子猿を背中に乗っけて歩き回っているのもいます。
こんなにたくさんの野生の猿を見たのは初めてでした。
可愛いものですね。

しばらくすると水汲みの人の車が来て、猿たちも山に引き上げていったようで静けさが戻り、私も集中して遠隔ヒーリングを続けることができました。

鍔市ダムでの瞑想と遠隔ヒーリング、なんだかクセになりそうです。

21/09/2010(火) 18:06:29


No.7208  飯沼 ホームページ E-mail
Wさんからです 引用
誰も返信してくれないのでちょっと寂しく思っていたら(笑)、Wさんからメールが届きました。
許可をもらったので、転載しますね。
。。。。。。。。。。。。。。。。。

こんばんは。
悠々塾の掲示板を読みました。
飯沼さんのお宅は、猿がでるところに近いということは、結構山の中なのですね。

主人と館山に行った際、夏の海の潮風で髪や身体が汗ばんできた時、二人で、自分達は山の人間だからこういう潮風が苦手だと話しました。
もちろん、海にたいして、憧れはありますし、好きなのですが、山里の風景には懐かしさがあり、やはり自分にとっては原風景です。
私の育ったところは、中部山岳国立公園の中です。
もの心ついた頃より、狭い地域の世間体にばかりしばられて生きている母の姿に違和感を感じていましたので、この小さな村から早く出たいとの思いを、心の片隅に中学生ぐらいのころより持っていたようでした。

でも、小さな時に走りまわった自然あふれる風景は今も、私の愛する故郷です。
田舎は隣近所の関係が密接ですけれど、人の目を必要以上に気にして生きなければいけません。
世間話の大好きな人もいます。
そんなところが、私には生きづらい原因です。
自然は好きだけれど、田舎の人間関係には、辟易し疲れていました。
東京はコンクリートばかりですが、都会にしては、緑が多く、ビルの谷間の街路樹にも癒されます。
でも今はやはり都会のコンクリートの中の生活が、私の欲する生活です。
山の中にいる猿はもう何年も見ていませんので、見てみたい気持ちもありますけれど。

21/09/2010(火) 23:17:17

No.7209  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 鍔市ダム 引用
Wさん、こんにちは。

メールにも書きましたが、うちは大阪駅から快速で約1時間のJR篠山口駅から徒歩5分のところです。
ですから山の中ではないのですが・・・。
鍔市(つばいち)ダムは、多紀連山につながっているので、野生の猿の群がいるのだと思います。

この前の電話での「私は自分が綺麗好きじゃないことに気づきました」という話でも感じたのですが、Wさんは治癒に向けての次の段階に入ってきたような気がします。

田舎はどうしても世間が狭くなり、人のことをあれこれと噂するのが好きな人も少なくないと思います。
それぞれが「人からどう見られているか」を気にしてしまい、窮屈になってしまいます。
都会の無関心とは真逆なところがありますからね。

Wさんは田舎で、優等生であろうとし続けるしかなく、それに疲れてしまったのでしょうね。
なので、最初から私は「Wさんの場合は思いっきり我侭になることが治癒への道筋です」と言ってきました。
優等生や良妻賢母の枠を打ち破り、その上で「私は私でいいんだ。所詮、世間の人なんて思いたいように思い、言いたいように言うんだから、そんなのに自分を合わせる必要もない。私は今のありのままの私としておおらかに生きていこう」と思い、そうしていくことでさらに状態は大きく改善されるでしょう。

東京での暮らしを満喫したら、「世間の人がどう思おうと、何を言おうと私は私」というふうに、堂々と胸を張って故郷に戻る気持ちが湧いてくるのかもしれません。
無理にそう思う必要はありませんし、あくまでもWさんの自然な気持ちのままにやっていくことが大切です。

病気というものは今までの自分を変えていく機会でもありますし、周囲の人もその変化を、「あの人は病気になってから別人のように変わったね」というふうに、受け入れやすいのです。
いろんな意味で病気は本来の自分を取り戻すチャンスですね。

22/09/2010(水) 12:11:01

No.7210  さき
Re: 鍔市ダム 引用
Wさん、こんにちは。お元気そうで嬉しいです。
関東定例会でお会いできるのを楽しみにしています。
Wさんのメールをお読みして、狭い地域の世間体、人の目を必要以上に気にして生きなければならない、ということの重さがすごくわかる気がしました。

私の生まれところは250人、80世帯程が共同生活をするところ。閉鎖した狭くて濃い人間関係のなかで育ちました。人のことを言う人、うわさ好きの人もいるし、人間だから互いの相性や感情のもつれもあるし、ひとつこじれたら居場所がなくなるみたいな怖さもあったし、結局声の大きい人が幅をきかすみたいなところがあって、、うちの両親なんかずいぶん小さくなって生きてたと思います。そういう親の姿を見るのが嫌でたまりませんでした。
それもあって親のようにはならないぞ!と決意したと思います。

24時間みられている、同じ空間、同じ人間関係のなかに閉じ込められている。逃げ場がない。水面下の噂はすごいのに、正面切ってモノを言うのはいのちがけみたいな。あんな窮屈さと不自由さを味わうのはもう二度と嫌だと思ってます。

けど、Wさんが使われた原風景という言葉に惹かれました。
父の死で、意地とあてつけで15年戻らなかった実家に帰って、触れた風景や暮らし。そこにある母の思い、父の思い。両親の人生。
それは長い間、自らの手で断ち切ろうとしてきた自分自身の半身のように思えました。

ぬまさんの言うように、そこの人たちがどう言おうと、世間の人がどう思おうと、何を言おうと私は私。
そう思えたら、もっと楽になるのでしょうね。

母の介護で、ちょくちょく生まれ育った所に戻るようになって、私は私自身をとりもどす機会も与えられているのかなと思います。(もちろん、埋め合わせもあるけど。)
どこにあっても、私は私。自由でありたいと思います。
(自分のことばかり書いてすいませーん。)

22/09/2010(水) 16:55:01

No.7211  飯沼 ホームページ E-mail
Wさんからのメールです 引用
おはようございます。
悠々塾の掲示板読みまして、さきさんも同じような思いの中成長されてきたのだと知りました。
きっと、世界中の多くの人が人間関係にストレスを感じながら生きているのでしょう。
私が世間話の好きな人であれば、田舎暮らしもさしていやではないのでしょうが、噂話、世間話の多くは、人の不幸は蜜の味 といわんばかりに、良いことよりも、悪いことを取り上げる傾向にあります。

私は、地元では、お姑さん、近所や職場において、そのような話しの輪に入りたくなかったので、距離を置き接するようにしていました。
ですので、優等生として疲れるというより、自分と同じ感覚の人の少なさ、仲間がいないという何というか虚無感もありました。
もちろん、全て無視することもできないので、話しの輪に加わらなければならない場面もありましたし、そうした時は、やはり精神的に疲れました。
人はそれぞれの家庭や個人の思いで生活しています。
社会的にまっとうに、人に迷惑をかけず生きているのであれば、第三者がとやかく言う必要などないのに、あれこれ詮索して話しをする人もいるのです。

東京では、知り合いがいないのが、私にとっては楽です。
いろいろな人がいろいろな価値観て生きていますし、外国人も多いです。
私は、東京という都会の中で価値観の同じような人を捜そうとしているのかもしれません。

◆追伸
高山にももちろん人間として尊敬できる方々がいました。
そういう人達と会えないのは淋しいです。
明日は病院に血液検査に行きます。

23/09/2010(木) 13:10:25


No.7201 飯沼 ホームページ E-mail
9月定例会のこと 引用
定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。

5月の定例会で皆さんに「無条件の感謝」のエネルギーを注いでもらったご飯と水の入ったペットボトルを見ていただくのを忘れていました。
何もしていない方のペットボトルは、カビが浮いたり、ご飯が変色したりしていますが、皆さんにエネルギーを注いでもらった方は、薄く白濁して醗酵臭がしています。
5月の定例会の前から私が「無条件の感謝」のエネルギーを注いでいるペットボトルも同じような状態です。

さて、今回の定例会は、以下のような意味での「当てつけ」についてでした。

・・・「あなたが〜〜だから、自分はこうなった。自分はこうするしかなくなった。(どうしてくれるのよ?)」という思いが、無意識に作用しているのです。
分かってほしいのに分かってもらえない思い、(批判や反発心を)ストレートに伝えられない思いが高じて、当てつけが自分の人格の一部にまでなってしまうのです。・・・

こういう「当てつけ」の場合は、「誰々が〜〜だったから自分はこうなってしまった。誰々が〜〜だったから自分はこうしてしまう」という「結論」を自分で準備しているので、その結論を示す(確認する)ためには、自分にとっても嬉しくない「出来事・状況(結果)」を引き寄せてしまうことになります。
自分も嫌な思いをし、周囲の人にも嫌な思いをさせても、、「誰々が〜〜だったから自分はこうなってしまった。誰々が〜〜だったから自分はこうしてしまう」という思いを(無意識にでも)主張しないと気が済まないのです。
それぐらい深く傷ついていたということです。

たとえば、親から「〜〜しなさい」と言われ続けていれば、不自然なまでに「親から言われていたことの内容」を重視し、こだわりになってしまったり、あるいはその逆に不自然に疎かにしてしまうとかです。
不自然に重視してこだわることも、疎かにしすぎることも、本来の自分らしさではないので、どちらも親に対する当てつけというラインでたどりなおしてみることによって、いうことです。

そのほかにもいくつかの例を挙げてお話しましたが、こういう当てつけは実は多くの人が自分のクセや人格の一部として見に染み付かせてしまっているような気がします。
病気についても、そういうラインからも元をたどりなおし、それを解消するエネルギーを注ぐことができそうです。

こういう「当てつけ」に意識をあてて、自分のクセや問題点を辿りなおすことは、実はとても大事なことのように思いました。

「いつも嬉しくない結果がもたらされる」、「いつも同じような問題が起きて、人との関わりがうまくいかない」というような人は、ぜひ直接ヒーリング・カウンセリングをお勧めいたします。
「無意識の当てつけ」を解消できれば、きっと人生がもっともっと嬉しいものに変わってくるはずだからです。


2部ではいつもながらも和やかでにぎやかな時間を共にしました。
イッシンさんも今までとはエネルギーが全然違っていて、「やっと本気になったんだな」と感じました。
チビ鉄の輝きが急に大きく膨らんでいて、「今がその時」と感じたので、ある働きかけをしました。
彼はそれをしっかりと受け止め、とても深いところから反応してくれました。
ある時期からずっと機会を狙っていたことなので、「これは俺でなければできない大手柄だよね!」と自慢したいぐらいに嬉しいです。(と言って自慢してますが・笑)
そのほかにも嬉しいことが幾つもあって、やっぱり定例会はいいですね。

10月16日は関東定例会です。
テーマなどについては、これからあきら&ひとみさんと相談しますが、実り多い関東定例会にしますから、皆さん参加してくださいね。

20/09/2010(月) 15:57:39


No.7202  さき
Re: 9月定例会のこと 引用
参加されたみなさん、お疲れ様でした。

>誰々が〜〜だったから自分はこうなってしまった。
>誰々が〜〜だったから自分はこうしてしまう。

メッセージを読んで、私もあるよなーと思ったのですが、一部の最後にエネルギーを通す時に「はっ」として気付きました。

しつけもちゃんとしてくれない。いい人だけど頼りない。
弱い。人の顔色を見ながら生きている。
そんな親に対する反発で小学校の高学年の頃に、自分は親のようにはなりたくない、ならない!と決意してました。
生意気で幼稚だったけど、その決意がその後の自分を規定してたと思います。
定例会でも言ったけど、そうやって自分は自分の人生選択して一生懸命頑張ってきたけど、上手くいかないことやしんどいこともあるわけで、そんな時に親へのあてつけの思いがわきあがることがありました。

で、定例会の最後に気付いたのは、私は自分の人生を生きると選択して家を出てから親に対して冷たかったです。自分の選んだことを貫きたい、親子だからと筋を曲げたくなくて意地を張ってたところもありますが、あれってあてつけやったんやわ、と思った次第です。
家を出てから物心ともに一切親には頼らなかったし、父が死ぬまで15年家には帰らなかった。その間に一度だけ、母が父の介護で腰を痛めて動けなくなり「帰ってきて」と言ったことがありますが、その時も冷たく断りました。
そこまで極端な言動したのは、親へのあてつけでもあったんだと。
アホやったけど、自分で納得しました。
地上の人間だからこそ、不十分だからこそやってしまう無意識のあてつけ。
その連鎖を解消したいですね。

20/09/2010(月) 21:56:13

No.7203  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 9月定例会のこと 引用
無意識の内に、誰かに対する「当てつけ」が自分を規定し、人格の一部のようになってしまっていることって、内容やパターンや重症度の違いはあっても、ほとんどの人にあるんだろうね。

何かことが思うようにならなかった時に、自分の親や家庭環境に原因をつなげる傾向のある人や、トラブルの相手や誰かのせいにしてしまう傾向の強い人ほど重症の「当てつけ症候群」なんだと思います。
さらに、自分では「親や家庭環境のせい」だとは意識していなくても、それは無意識化しているだけで、実際には強烈な「当てつけ症候群」の人も少なくないと思います。

でもこれは本人の気づきやヒーリング・カウンセリングによって、案外簡単に薄くしていけるような気がしています。

さきさんの場合は、「世間の価値観とは大きく異なる、無所有を是とし奉仕に生きる一燈園」という共同体のなかで、自分を縮めて気を遣いながら生きているご両親への当てつけというか、そういう環境で自分が生まれたことへの反発心が当てつけに発展してきたのかもしれませんね。
そこを出てから15年間も帰らなかったのは、ご両親に対する当てつけだけではなく、「一燈園で暮らし、自分を生み育てた」ご両親への当てつけだったのでしょう。

しかし、一燈園で生まれ育ち、実直なお父さんと人が大好きで明るく楽しいお母さんに育ててもらったからこそ、今のさきさんがあるのだということはもう十分に分かっていると思います。
さきさんの場合は、「〜〜のせいで」はとっくに卒業して、「〜〜のお陰で」というふうに変化しているはずなのです。
この機会に改めてそこにしっかりと意識をつなげてね。

20/09/2010(月) 22:34:12

No.7204  さき
Re: 9月定例会のこと 引用
ぬまさん、念のため。
今はそんな極端な言動することないですよ。
何かあっても親のせいで、、と思うこともないですし、これまでもことあるごとに親のせいで、、と思ってきたわけでもありません。
ただ、かつての自分の無意識のところに深いあてつけがあったと思ったのでコメントしました。
ああ、だからあそこまでやったんだと、納得したんです。
極端な言動してきた自分を(やったことはとりかえせないけど)受け入れやすくなりました。
今は、〜のおかげでと、しっかり意識してまーす。

20/09/2010(月) 23:01:13

No.7205  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 9月定例会のこと 引用
>今はそんな極端な言動することないですよ。
>何かあっても親のせいで、、と思うこともないですし、これまでもことあるごとに親のせいで、、と思ってきたわけでもありません。


はいはい、もちろん知っています。
前の投稿で言いたかったことは、「さきさんの場合は、世間の価値観とは真逆の理念を掲げる一燈園で生まれ育ったという、稀有な環境があるので、それがご両親への対応(当てつけ)に凝縮されていた」ということでした。

書き方が分かりにくかったかもしれないけど、「この機会に改めてそこにしっかりと意識をつなげてね。」というのは、
「 一燈園で生まれ育ち、実直なお父さんと人が大好きで明るく楽しいお母さんに育ててもらったからこそ、今のさきさんがある」ことを喜んでねという意味ですからね。

21/09/2010(火) 10:11:11

No.7206  さき
Re: 9月定例会のこと 引用
あー、そうですね。
一灯園に対する「言ってることとやってることが違うやん!」という反発も親へのあてつけに凝縮されてましたね。親はいい迷惑だったでしょうに、それを私にあてつけはしなかった。
何ができるできないなんてまったく関係なく、何の圧迫を向けることもなく、親である自分の気持ちを押しつけることもなく、ただただ無条件に(私が)「ある」ことを喜んでくれた両親に感謝しています。
親は何もしてくれなかったと思ってきたけど、そうじゃなかった。
希有な(心の)贈りものをしてくれたんだと思います。

21/09/2010(火) 10:42:23


No.7198 飯沼 ホームページ E-mail
2010年9月定例会に向けてのメッセージ 引用
 
   2010年9月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

まず、前々回からのテーマをもう一度あげておきますね。
「微生物に無条件の感謝のエネルギーを注ぐことによって、自分自身の体内微生物相をも健やかな調和に転換していただきたいのです。効果や原理などについて考える前に、個人的な気持ち抜きでシンプルに、もっとも小さき者たちに向けて、ただただ感謝のエネルギーを発しましょう」
日常生活に追われるなかで、ついつい疎かになっているかもしれませんが、これはとても重要なものなのです。
そこへの意識が薄くなっている人は今一度しっかりと思い起こし、そういう心を大切にしながら暮らしていってくださいね。

前回のテーマは、「地上的な全てを超えて、今までの自分の人生でもたらされたことの全てに対して無条件に感謝すること、最も嫌な出来事や嫌な人に対して心からの感謝でつながりなおすこと」でした。
それらとも関連しているのですが、今回は「(無意識の)“当てつけ”について」というテーマです。
それを薄くすることによって本来の自分らしい輝きを引き出していきましょう。

ここで言う“当てつけ”とは、「自分の思いをストレートに表現するのではなく、誰かに対する違和感や反感や批判を別の形で示す」という意味です。
憧れや評価や好意が反転している場合も少なくありません。
実は、誰にでも思い当たるでしょう?
こう言う私も地上に生きている頃はずいぶんいろんな“当てつけ“をして、この人を苛立たせたものです(笑)。
もちろん、そういう可愛い(笑)当てつけはさほど大きな問題を含んでいるわけではありません。
それでも、最初は軽い当てつけのつもりが、仲たがいや決別にまで発展することも珍しくありませんね。
そうなってしまった時にどうしていくかも、その人の地上での学びのテーマになっているのです。

そういうものとは少し違う、実際には本人にも意識できていない深い意味を持った“当てつけも“あります。
私の場合は母親への反発・違和感が元になって、母親とは真逆の人格の者であろうとして、自分をその枠に収めようとしていました。
自分の家庭の経済状態や親の学歴や職業へのコンプレックスも、実は根深くあったことも薄々は気づいていましたが、地上を離れてからさらにはっきりと分かることになりました。
それによって、私にもあった無邪気さなどを抑制してしまっていたのです。
今回、皆さんにたどっていただきたいのは、主にそういう意味での“当てつけ”です。

根深いところに元がある当てつけを無意識のうちに深く身につけてしまうのは、相手が自分にうんと近い場合です。
しかしその当てつけはその相手に向けてだけ出すのではなく、自分本来の性格や傾向であるかのように身に染み付いてしまう場合が多いのです。
自分でもそういう傾向の人間だと思い、人からもそう思われる。
でも、それは本来の自分らしさではないので、どこか不自然でチグハグだったり、人に違和感を抱かせたり、自分本位すぎたりして、人間関係に不調和をきたし、自己嫌悪を深めてしまう。
そういうことって思い当たりませんか?

その“当てつけ”は、元の違和感の対象になっている人と真逆の表現になる場合もあれば、同じような表現をして見せる場合もあります。
どちらの場合も、「あなたが〜〜だから、自分はこうなった。自分はこうするしかなくなった。(どうしてくれるのよ?)」という思いが、無意識に作用しているのです。
自分を苦しくしてでもそこまでの当てつけをしてしまうのは、元になっている相手のことをとても大事に思っているからに他なりません。
大好きな人には分かってほしいのに分かってもらえない思い、(批判や反発心を)ストレートに伝えられない思いが高じて、当てつけが自分の人格の一部にまでなってしまうのです。

今日はそういう意味での自分の“当てつけ”について、じっくりと思いをめぐらせてみましょう。
できれば思い当たったことを言葉にして、皆に聞いてもらいましょう。
どんな人にも必ずあるはずです。

そしてそれに気づいたならば、そういう自分の哀しさ・情けなさを心から抱きしめてあげてください。
自分の当てつけを意識することは大切ですが、そういう自分を「嫌な人間」として否定してもどうにもなりません。
むしろそういう傷を抱えながら必死で生きてきた自分を慈しみ、祝福することで、人格の一部となっている当てつけも解消し、本来の自分の輝きが膨らんでくるのです。

そうなれば、当てつけの元になっている人が今も地上に生きていても、あるいはすでに地上を離れていても、理解してあげられるようになるでしょう。
そして、その人の不十分さを「反面教師」として自分の豊かな成長に取り入れることができるのです。
あるいは、その人の秀でたところを自分も学び取ろうとしたり、傾向がはっきりと異なっているのなら評価や憧れを持ちながらも違いに心をかげらせることなく、別の形で本来の自分らしさをおおらかに喜んでいけるのです。
霊的真理から言えば、あなたは今回の人生でそういう心を学びとるためにその人と出会ったのです。

17/09/2010(金) 21:05:21


No.7199  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 2010年9月定例会に向けてのメッセージ 引用
下になってしまいましたが、NO.7193に関東定例会のご案内があります。

17/09/2010(金) 21:06:49

No.7200  飯沼 ホームページ E-mail
Wさんからのメールです 引用
こんばんは。
今日は国技館に相撲の観戦に行ってきました。
5月場所に行った際、チケットプレゼントに応募し、抽選で当たりましたので、行ってきました。
白鵬強かったです。

帰ってきて、悠々塾の掲示板を読み、9月の定例会のテーマが、私にはとても思いあたる点が多いのです。
私も克子さんと似ていて、母親に対しての当てつけが一番多いように思います。
9月の定例会に参加できなくて残念ですが、私も克子さんからのメッセージをよく考えてみます。

18/09/2010(土) 00:03:30


No.7195 飯沼 ホームページ E-mail
民主党代表選挙への疑惑に答えるのは、日本の正義の問題だ 引用

以下は「植草事件の真相掲示板」に投稿した文章です。
決して賛同を求めているのではありません。
ただ、こういう動きがあることをお知らせしておきたくて。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今回の民主党代表選挙の党員・サポーター票に関する疑問点は、小沢さん支持者だからとかの問題ではない。
勝った負けたというレベルの話ではなく、私たちが暮らす日本という国の正義の問題なのだ。

言うまでもなく民主党は公党であり、政党助成金として多額の税金が提供されている。
ならば、国民から示された重大な疑問については、民主党は可能な限り調査し、開示する責任があるのではないか?

私は不正があったと言っているのではない。
しかし多くの国民が疑問を感じていることは事実なのだ。
税金を提供されている公党が、その疑問に真摯に答えるのは当然の責任であると思う。

マスコミが、「民主党有権者の3割以上が代表選挙にそっぽを向いていた」というような記事を流さないのも不思議といえば不思議な気がする。

国会議員の投票が終わるまで党員・サポーター票の結果は厳重に秘匿されることになっていたはずだ。
それは民主党の代表選挙規約にも定められているのではないのか?
しかし、実際には14日の党大会の数日前から、マスコミにリークされていた可能性が高い。
13日の夜のニュース番組で、TBSの松原キャスターは取材記者に対して、「もう結果は出ているんじゃないですか?」と言っていた。
それは「予測」ではなく、「すでに知っている者」の口ぶりだった。
私は松原キャスターのその一言で、小沢さんの敗北を確信したのだ。

そもそも得票数が6対4だったのだから、選挙区ごとの票の出方によっては獲得ポイント数は拮抗する可能性が十分にあったはず。
しかも、「棄権者が33%もいた」のだから、各選挙区の国会議員や地方議員の支持や意向は十分には反映されていないということだ。
もしももう少し投票率が高く、その多くが小沢さんに投票していれば、結果は違っていた可能性がある。
ということは、事前にマスコミが確実な予測などできなかったはずなのだ。
にもかかわらずマスコミがかなり正確に「予測」していたのは、事前に確定情報が流出していたからだと考えるしかない。
厳重に秘匿されるべき情報が流出していたのであれば、この段階ですでに「不正」が行なわれていたとは言えるだろう。
その情報によって寝返った国会議員も少なからずいたようだ。
それはそれで彼らの「見識」による行動なのだから、私たちは私たちの見識に基づいて評価すればよい。

しかし、もしも党員・サポーターの票に何者かによって不正が加えられていたとすれば、国民として看過すべきことではないと思う。
本当に33%もの有権者が棄権したのかどうか、民主党は確認調査をしていただきたい。

平均投票率は67%弱だが、46の選挙区で投票率が50%台、6の選挙区では40%台に留まっているのだ。
そういうことがありえないとは言わないが、茨城県の郵便局止めにされた投票用紙が都内の開票場に搬入されるまでの10日余りのことが全く公表されていないのだから、不審を抱くのは当然なのだ。

私は以下のことを民主党本部や支部に要請していくつもりです。

・「14日まで党員・サポーター票の得票状況を厳重に秘匿するためには、党本部に保管することは不適切」という理由のようだったが、それでも得票状況が流出したのだから、民主党はその責任の所在を明らかにしなければならない。

・党本部以外の場所に保管するにしても、なぜ開票場から遠く離れた茨城県筑波だったのか、説明しなければならない。

・筑波のどこでどのように保管され、誰がどのようにして予備開票を行なったのか、明確に公表しなければならない。

・非常に関心を集めた選挙であったにもかかわらず、棄権者が33%もいたことはやはり奇妙に思えるので、いくつかの選挙区で確認調査をしていただきたい。

・党本部が確認調査の指示を出さない場合は、党員・サポーターの名簿は各支部にもあるはずなので、支部で調査を行なっていただきたい。

17/09/2010(金) 11:59:01


No.7197  飯沼 ホームページ E-mail
ある人に送ったメールです 引用
○○さま

不正選挙の可能性があるのであれば、「どちらの陣営に有利か不利か」というレベルの問題ではないと思います。
政治とは所詮は権力闘争であるのでしょうが、そればかりではないでしょう。
いい歳をして青臭いことを申しますが、「日本をどういう国にしていくのか?」こそが政治のテーマなのだと思います。
庶民は、不正や欺瞞がまかり通る風潮に辟易しています。
ずる賢くうまくやった者が勝ち進んでいく世の中に巻き込まれながらも、本心ではうんざりしているのです。
政治に駆け引きは付きものでしょうが、不正選挙は民主主義を否定する犯罪的行為です。

疑惑があるのは事実なのですから、そのような行為が本当にあったのかなかったのかを明確にしてこそ、日本一新に繋がるのだと思うのです。

庶民の苦しみに目を向けず、さらに格差を広げる政策を進めようとする新自由主義者たちとの戦いはもちろん手を抜くことはできません。
しかしながら、総理大臣を選ぶ政権与党の代表選挙において、重大なる不正が行なわれた可能性があるのであれば、真実を調査検証し、国民に向けて明らかにしていく責任は民主党総体が担うべきものだと思うのです。

調査・確認の結果、不正行為が濃厚になれば、仙石氏や菅陣営への攻撃の材料に使うのではなく、「我々は不正によって不利益を被った側ではありますが、この国難の時期に首謀者の責任を追及する以前に、同じ民主党議員として国民の皆様にお詫びいたします。」と堂々と表明してこそ、人々の共感を得られるのだと思います。
王道を歩むことによって、ようやく国民のなかで薄まり始めた「小沢一郎は権力の亡者」という作られたイメージを爽やかに払拭できるでしょう。

小沢さんは非常にスケールの大きく明晰な政治家であるだけでなく、庶民の気持ちや感覚を分かり繋がることのできる、稀有な政治家です。
本当の意味での国民的政治家であると思います。
58歳にして生まれて初めてのことですが、私は「男・小沢一郎」に心からの憧れを抱きました。
小沢さんの心とありのままのお人柄が広く知られれば、大多数の国民は政治家としてだけでなく人間としての小沢さんを慕い、支持するでしょう。

もちろん今回のことは「不正はなかった」可能性もあるのですから、確認調査が小沢さんの意向で行なわれている印象を与えてはなりません。
どなたか、どこかの支部に影響力のある方が、小沢さんとは無関係に調査確認を要請することはできないのでしょうか?

(以下略します)

17/09/2010(金) 15:26:41

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