7月6日、ぬまさんと一緒に出雲・須佐神社に参拝しました。 出雲まで山陰線をコトコトと電車を乗り継いで行きました。 出雲からは山道を走る路線バスで須佐まで行きました。 そこからスサノオタクシーで3分。 須佐神社は3年半ぶりで緊張しました。 すべての人の病を癒す(治す)、地上界の浄化を誓う。 あらためて「自分が誓う」節目の参拝でした。 いつの間にか「私なんかが、、」とも言ってられなくなって、 ここに居る自分が自分でした。 ここに来るまでの「導きと計らい」を思いました。 克子さんや霊団の人たちも喜んでいる。 という、ぬまさんの言葉がうれしかったです。
おみくじを引いたら「神の教」というのが書いてありました。 ――ー――ー――ー――― 神の教
神のこころが天地の真理(まこと)、 真理(まこと)はなれちや生きられぬ。
神の御心(かみのみこころ)=天地の真理(てんちのしんり)に 従って行くのが神道である。 心を清め、身をきよめて、けがれなき誠の心を以って、 平和な住みよい世界をつくる様に、 神に仕うる天津務(あまつつとめ)、 社会につくす国津務(くにつつとめ)を果たすのが、神の道。 吾人共(われひととも)に、 神の真理(まこと)の光の中に、 真善美(まこと)の幸福(さいわい)をうくる道である。 ――ー――ー――ーーーー もう、有無を言わさず、 そうです。わかりました、と、言うしかないやん。 と、思いながら読みました。
克子さんがこの↓メッセージを受信した場所で、 (出雲・須佐神社にて、受信したメッセージ) ○ttp://www.d5.dion.ne.jp/~susa/8_keiji/23.html 出雲そば(割子そば)を食べました。 梅雨時でしたがうまいこと天気にも恵まれて、 須佐神社の横を流れる川のせせらぎと風がさわやかで気持よかったです。 そのまま須佐神社から歩いて八雲・風穴に行きました。 道すがら山や川、民家に田んぼ、人の暮らしがあって、 そんな当たり前の日常が、とても愛しく大切なものに思えました。
八雲・風穴は、山のなかで天然の冷気が吹き出ている場所です。 地下水の冷気だそうですが、文字通りの天然のクーラーでした。 地元グループの方が管理して夏の間訪れた観光客に、 風穴の解説をして、お水やお茶でもてなしてくれます。 地元産ヤーコン入り「スサノオアイス」も頂きました。 その場の皆さんのあたたかな雰囲気に心がほどけました。 特別なことじゃない人のやさしさが嬉しかった。 (ラムネを開けたら噴き出してこぼしてしまったのですが。笑)
この地上界に風穴をあけるのは、にんげんなのだと思いました。 特別な力や地位やお金、知識とかじゃない、人間の心です。 吾人共に、平和な住みよい世界をつくっていきたいです。 それが地上に生きることの幸せなのだと思います。
Wさん、ちび鉄くんのお友だち、 つながる皆さんの治癒と回復を祈ります。 |
08/07/2010(木) 14:40:26
No.6897 飯沼 |
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無事に須佐神社参拝を終え、篠山に戻っています。
5日の朝8時過ぎに京都を出て、特急や1両・2両編成とかのワンマン列車を乗り継ぎ、3時半頃に米子に着きました。 その日は、「皆で生きる」に掛けて皆生(かいけ)温泉の「かんぽの宿」に泊まりました。 料金の割には大当たりでした。 料理も食べきれないぐらいで(完食しました)とても美味しく、掛け流しの温泉もよかった。 梅酒を注文したらボトルで出てきて、それを無理して飲もうとして、廊下で腰を抜かして動けなくなった人が約1名いましたが(笑) ちなみに、皆生温泉のかんぽの宿は、郵政民営化に伴う国民の資産の投売りの対象にはなっていなかったそうです。
翌日は出雲市駅からバスで須佐神社に行きました。 いつもは車だったので、バスは初めてでした。 地元の人が乗り降りする路線バスや各駅停車の列車はけっこう好きです。
須佐神社は、ゆうき君とみゆきちゃんの結婚式以来ですから、約3年ぶりでした。 以前、宮司さんに聞いた話ですが、ある時、須佐神社の鳥居の前でお辞儀して境内に入ろうとした人が、そのまま帰ってしまったそうです。 翌日、同じ人が今度は境内に入り、参拝をしていたので、前日のことを聞いてみたそうです。 するとその人は、「自分が思っていたよりもはるかにご神力の強い神社だったので、昨日は境内に足を踏み入れることができず、気を引き締めて出直してきました」と言ったとのことでした。 もう15年くらい前に聞いた話なので、須佐神社ブームのはるか以前の話です。 その須佐神社も、幾分エネルギーが柔らかくなっているようで、嬉しくもあり寂しくもありという感じでした。 須佐神社の大杉の前から、Wさんや皆さんにエネルギーを送らせていただきました。 皆生温泉の宿からも、「皆生き」のエネルギーを送りました。
私が須佐神社に初めて参拝したのは、1994年の早春でした。 有機農業をしながら、依頼されるままに一人でヒーリングをさせていただいていた頃で、まだ克とも出会っていない時期です。 さきさんとは大江山での泊りがけの集まりですでに出会っていましたが、その後は連絡もとっていませんでした。 94年2月に、自分が思いついた発酵食療法などを紹介する原稿を書いて、「快医学から」という手作りの冊子を出したところでした。 何とその300円の冊子は口コミで1000部も売れたのです(!) その年の4月に克と出会い、悠々塾の活動が始まりました。 それから20回ぐらいは参拝させていただきました。
94年頃の私は神社になど何の関心もなく、中学生の頃から初詣にすら行っていませんでした(笑) ちょうどその頃、私が関わっていた民間医療のグループの先輩が「日月神示」に興味を持っていて、その人があまりに言うので私も中矢伸一さんの本も少しは読み始めていた頃でした。 その頃の中矢さんの説には同意できない部分が少なからずありましたが、本の中で引用されていた「日月神示」には本物のエネルギーを感じました。 中矢さんの本には、どこかの神社の写真などもあったように記憶しています。 「日月神示」では、「今回の地上界浄化は素戔嗚尊が主導する」といったようなことも伝えられていましたが、もともとそういうことに関心のなかった私は出雲神話とつなげて考えることもありませんでした。
そういう時期に、私が野菜を出荷していた消費者グループが、牛乳のことで出雲の木次乳業を訪問することになり、私もその話に参加することになりました。 消費者グループの人たちは神戸だったので、新幹線と特急を乗り継いで出雲に行ったのですが、私は新神戸まで2時間もかかる氷上町に住んでいたし、実は新幹線や特急に乗る余裕がなかったので、各駅停車を乗り継いで行きました。 午後になって宍道駅に着き、従業員さんに迎えに来てもらって木次乳業に向かいました。 黙って車に乗せてもらっているのも悪いと思い、ちょうど川に沿った道を走っていたので「この川はなんていう川ですか?」と聞くと、「斐伊川といって、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治したところです」と教えられ、そこで素戔嗚尊と出雲がつながったのでした。
翌日は予定もなく帰るだけだったので、木次乳業の人たちと奥出雲の寂れた温泉宿での懇親会のときに旅館の人に「このあたりにスサノオのミコトを祀っている神社はありますか?」と聞けば、「出雲だからたくさんあるけど、車でなければ行けない」とのことでした。 その話を木次乳業の佐藤忠吉社長が聞いて、「明日の朝、私が迎えに来るからここで待っていなさい」と言ってくれたのでした。 それが初めての須佐神社参拝でした。 出雲大社にも案内していただき、出雲大社の裏正面にある素戔嗚の社も教えられました。 出雲市駅の近くで初めて割子蕎麦をご馳走になり、改修中の出雲市駅からまた各駅停車に乗りました。 佐藤社長に、「どうして特急に乗らないのか?」と聞かれましたが(笑)
これは何度か書いた話ですが、悠々塾と私にとっての原点であり、いつまでも懐かしく思い出されます。
須佐神社から山の方に2キロのところに「風穴」があります。 低温の地下水から吹き上げられる冷気で夏でも涼しい「風穴」です。 克と須佐神社に行った時にも「行ってみようか」とは言っていたのですが、「道が狭くて車では行きにくい」と聞いたので、今まで行っていませんでした。(先日、バスの終点から須佐神社に行くタクシーで聞いてみたら、車でも行けるそうです) 今回は「もうしばらくの間は須佐神社に参拝に来ることもないだろう」という思いもあったので、須佐神社から歩いて風穴に行きました。 お天気もよく、暑かったけど、軽くなった体で山のふもとの上り坂を歩くのはとても気持ちよかったです。 風穴の中の温度は5度でした。 地表にいても10度の低温の場所もあり、とても不思議な気がしました。 「今の地上界に風穴(かざあな)をあけよう!」と、凛とした空気のなかで決意しました。
またバスに乗って出雲市駅まで戻り、各駅停車のJRワンマンカーで松江まで。 予約していたビジネスホテルの1階が居酒屋で、そこで夕食にしました。 従業員さんの感じもとってもいい居酒屋で、しかも「本日の目玉商品」が新鮮で大きな黒アワビと白イカの活け造りでした。 白イカの活け造りは数年前に青森の三内丸山遺跡に行った時、津軽三味線のライブをやっている居酒屋で食べたことがありました。 その時は2500円でかなり考えましたが、ここでなきゃ食べられないだろうと思って注文したのですが、松江の店では1500円でした。 大きなアワビも1200円で、さきさんが「まさか密漁ものじゃないよね?」という値段でした(笑) 「八岐大蛇」という銘柄の地酒を飲み干しながら、「こういう計らいがあるのは、きっと克や霊界側が喜んでくれているということなんだろうね」と話しながら、新鮮な海の幸をいただきました。 そういえば、能登の縄文ミュージアムに行った時に泊まった民宿では、モンゴイカの活け造りを出してもらえました。 いずれも足がまだ動いているイカを食べるのは複雑な気もしましたが、とても美味しかったです。
昔、ある日突然に玄米粥と野菜程度しか食べられなくなり、何週間も500kcal以下で農作業をしていた頃、「須佐神社に参拝するように」というインスピレーションがありました。 その時期はエンドウ類の収穫時期で畑作業を空けることができず、両親に代参してもらったことがありました。 「代参でもよろしい」とのインスピレーションだったので、一応、「交通費はこちらが負担するから」と言って両親に頼みました。 そうしたら、「費用は気にしなくていい」と言う母親を制して、親父が「代参ということなら、費用は受け取るべきだな」と言うので、内心複雑な思いになったのを覚えています(笑) 両親にはもちろん新幹線と特急とタクシーで行ってもらいました(泣) その後、もう15年ぐらい前に、たしか2月11日の大雪のなかをマイクロバスをチャーターして悠々塾の仲間たちと(12時間以上もかかって)須佐神社に参拝する直前も、10日間ぐらいほとんど何も食べられなくなりました。 尾篭な話ですがこの時はトイレに行くと肛門から透明な水が流れるように排出されていました。
今回も発酵食ソフト断食の後、「須佐神社に参拝するように」との指示を受けました。 一番初めに思いがけず須佐神社に参拝させていただいた時と同じ山陰線のコースで往復できたことが,嬉しく懐かしい思いでした。 そして今回は、「全ての微生物に分け隔てのない無条件の感謝のエネルギーを」「自分の都合や気持ちを超えて、全てのものに無条件の感謝と祝福を」という根源的なテーマ・エネルギーにしっかりとつながることのできた大きな節目でした。 私ももっともっと成長しながら、働きに邁進していきます。 至らぬところも多々ある私ですが、これからも一緒に進んで行ってくださいますよう、改めてお願いいたします。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★ペットボトルの微生物の報告です。
無条件の感謝のエネルギーを送っていた方は、まだ少しずつ発酵が進んでいる感じで、やや甘い匂いがします。 5月の定例会で皆さんと一緒に「無条件の感謝のエネルギー」を注いだペットボトルは、それ以降は何もしていないのですが、匂いが薄いものの、やはり発酵している感じです。 何もしていない方もカビが浮くこともなく、腐敗臭もなく、特に大きな変化はありません。 定例会の時に作ったペットボトルも同じ様子です。
やはり、無条件の感謝のエネルギーを送っている方と、そのまま何もしていない方とでは違いが出ています。 何もしていない方も腐敗しないのもかなり不思議な気がします。 「愛は時空を超えて」で克が伝えてきたように、その場の「空気」も関係しているのかもしれません。 ペットボトルは4本とも、私の仕事部屋に置いています。 毎日かなりの時間、ここからヒーリングエネルギーを送っているので、この部屋の「空気」が違ってきているのかもしれません。 換気はしているのですが、そういう話ではないですね(笑)
畑の土にご飯を置いたトレイは、どちらも白いカビに覆われてしまったので、早い時期に庭に戻しました。 |
08/07/2010(木) 15:59:48
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No.6898 飯沼 |
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出雲・須佐神社にて受信したメッセージ・2件(03.11.13) |
引用 |
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あの日、季節はずれの寒さのなか、かじかむ手に息を吹きかけながら筆記した克を思い出して、再掲載します。
■来るべき地上界へ向けて、この国この地上界を導かんとする者たちの魂を鼓舞する。 今まさに地上界は混迷のなかにある。 そこに光明を灯し、灯台とならんとする者たちは、今地上界のあちらこちらで目覚めんとしている。自らの使命・役割・掲げる理想と、意識・感情がひとつに結ばれようとしている。 この覚醒は、一定数の者の意識変化を契機として始まった。 未だ形を伴わず、認知・評価されぬとしても。 その任を負った者の目覚めを促すには十分である。
共通の目的・共通の理想を抱く者どうしは必ず導きによって結び合う。 今回の浄化においては、各々の場所での孤軍奮闘をさせることにはならない。 なぜならば到達する境涯の基調は、相互扶助・協調・調和だからである。
地上人類の歩みは、まだ行き着く所に足を向けてはいない。行き先を知る者たちはひとりでも多い方がよい。先導役もひとりでも多い方がよい。地上人類が、この混迷のなか、迷うことなく進み行けるように。
隣にいる者の幸せを、ひとりひとりが願えたらよろしい。 そしてそのために言葉を用い、行為で表現したらよろしい。 自らに余裕のある者は、もうひとりの幸せを願い、そのために言葉と行為を尽くせばよろしい。
越えるべき障壁は実在する何物かではない。 人の心のなかにある、人と自分を隔てる壁なのだ。 それを取り払うものは、善意であり、親切であり、真実であり、尊重尊敬である。全ての人が人にもたらすことのできるものばかり。
導き手とは、いかにしてこの障壁を外すかを伝えることのできる者をさす。障壁を外すための手助けをする者をさす。その任に預かるのは「人の幸せを願うことのできる者」に他ならない。
自ら進み出ることに何の羞恥を感ずることがあろうか。貢献の意志と意欲こそ、神への捧げ物に最もふさわしい。大いなる祝福と支援は必ずや霊界からもたらされるだろう。 神の叡智も祝福も、全ての人々の前に等しく用意されている。ただその光に浴するかどうかは、その人なりの時機がある。促されて進み出たとしても、それを光明と見なさず、顔をそむけてしまうだろう。
躊躇し、ためらう暇(いとま)はない。 ひとりの者の自覚と決意が、そこに連なる人々の目覚めになるのである。 自らの魂が志願した今回の地上界浄化の時機への再生だとすれば、いち早く名乗りをあげ、貢献を意識に据えた人生を踏み出そうではないか。 ・地上界浄化の一翼を担う霊団
■地上に生きる全ての人たちに。 特別・特定の者だけが役割を担っているのではありません。ひとりでも多くの人の参画によって地上界は変わるのです。 社会を変える・仕組みを変える、ということを提唱するのではありません。社会も仕組みも、そこに生きる人々の意識の反映だからです。
弱い者・力のない者がさらに苦しい状況に立たされる。強い者・力のある者の言い分が通る。真実は覆い隠され、嘘や偽りが通ってしまう。無関心・無視に鈍感でいられる。 社会の状況と人の心の状況は呼応しているのです。
しかし、それでもなお、救いのない社会のなかで失われぬものがあります。あなた方の心から消し去ることのできぬものです。それは人間としての良心です。どんな状況にあっても、何によって覆われてしまっても、決して良心は失われることなく輝きを放っています。 なぜならそれは、全ての魂に共通の要素だからです。人を生かしめているものは肉体ではなく魂です。ならば永遠に良心が失われることはありません。
そして、その良心に最も訴えるのは愛と真実です。ゆえに、どのような状況にある社会も「人の心によって救われる」のです。人の意識の変化が社会も仕組みも変えるのです。 あなた方ができるたったひとつの親切が、たったひとつの思いやりが、その種となるのです。 自らの言動がやさしさや正しさから発したものならば、そこに喜びと誇りを持ってください。決して照れたり恥ずかしがってはなりません。 その心・その言葉・その行為行動が「当たり前」の世の中になるのです。そういう世の中にしていくのはあなた方ひとりひとりの力なのです。
思いやりに満ちたひとつの言葉、ひとつの行為行動は霊界からは地上に灯された明りに見えるのです。あなた方の言動で、暗くよどんだ地上は、明るく澄みきったものにしていけるのです。地上界を美しく温かな世界に変えていくために、あなた方は今の時期を選んで生まれてきました。 自分自身の心を美しく温かなものに変えていこうとするのと同じです。 それが「自分もみんなも幸せに」ということなのです。
・あなた方と共にあってあなた方を導く霊団より |
08/07/2010(木) 16:08:13
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No.6899 鉄ママ |
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堀江さんが受信したメッセージ、7年前の11月。 その年の5月に私達は悠々塾に繋がりました。 このメッセージも、よくわからないままに読んだ記憶があります。 それは、自分のこととして受け取ったわけではなく、まるで人ごとのように。
私は小さい頃、心の中に神様がいました。 誰も見ていなくても神様は見てる。ちゃんと聞いてる。私の指針でした。そして、「私はこれでよかったのですか?」と心の神様にたずねました。 幼心に自分の行いを神様のもと問うていました。 毎日降り続ける雪。合間に覗かせる青空を見たとき「ありがとう!」と感謝しました。 でも、いつの頃からか知らない間に私は神様を意識しなくなりました。 毎日毎日の出来事。次から次とどうにも出来ない事を考えなければならなかった日々。 自分のことでいっぱいになっていきました。
小さい頃お花見に連れていってもらうと、必ず軍服を着た義足、義手の人が軍歌を流してジッとうつむいて座っている姿を見ました。 「あの人は何をしているの?」と父に尋ねても答えてはくれませんでした。 軍歌は切なく悲しく流れていました。 世の中にうごめいている理不尽なものを見たり聞いたりするたび、 「何故?」と心が苦しくなりました。 私は小さすぎる、何も出来ないとあきらめる。 それでも、自分を役立てている人たちがいて、私は眩しい思いでみていました。
悠々塾に繋がり、ヒーリング、カウンセリングを受けながら、そこに繋がるみなさんに支えてもらいながらガチガチになっていた心も解れてきたように思います。 つい先に、さきさんとのメールのやり取りの中で「・・・・・でもようやくそこに戻ってきたというか、なんというか、そんなふうに感じています。・・・」と私が送ると、さきさんから「・・・・・お互いに一巡りだね。・・・・」と返信をもらいました。 ホントだ!全然意識していなかったので自分でも驚きました。
今堀江さんが受信してくれたメッセージを改めて読むと以前とは全く違う気持ちです。 >あなた方ができるたったひとつの親切が、たったひとつの思いやりが、その種となるのです。 小さなひとつかもしれませんが、そうしていきます。 |
10/07/2010(土) 00:10:58
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