もうずいぶん前のことですけれども、 以前この掲示板を拝見させていただいた時、 「暗黒界に堕ちた魂は生命としての体をなさないほど、バラバラに 分解されることがある」 というような書き込みを見た覚えがあるのです。 もしこれが本当だとすると 生命は永遠であるという教えと、 矛盾することにならないでしょうか? |
27/06/2010(日) 11:11:06
No.6836 飯沼 |
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☆月島さま
◆霊界の堀江からのメッセージで、ご質問にお答えします。
地上界は、物質次元である地球を「霊界の写し世」とするために創造されました。 地上人類自身の意志によって、霊としての喜びを地上界全体にあまねく顕現することが地上界創造の目的です。 それは地上人類のみならず、地上界(地球)そのものが物質次元を卒業して、今よりもはるかに精妙な世界に進化していくことでもあります。 神のそのシナリオは、人間には実感できない時間(期間)をかけて、今も進行中です。 今は地上人類の霊性進化のプログラムの、第2幕から第3幕へ移行する過渡期にあたります。
本来の地上界は、地上に生きる者たちの喜びと感謝によって霊界と共鳴し、霊界と喜びの循環を形成するべき世界として創造されました。 ところが、ある時期から現在に至るまで、地上界はそうはなってはいません。 地上人類に与えられている自由意志の行使が未熟であるからです。 が、それも含めて神の経綸でした。
物質や金銭に執着し、自分なりの感情に囚われ、かげりが蔓延しています。 地上を去ってからもそれらのかげりを払拭できなければ、その者たちは本来の霊界には戻れず、幽界や暗黒界に赴くことになります。 暗黒界は、かげりに留まることを意志した者たちの世界です。 それを「闇に落ちる」と言うのです。 「かげりに留まることを意志した者たちの世界」ですから、暗黒界と言ってもいわゆる「悪人」ばかりの世界ではありません。 地上で「悪人」だった者は、地上を去ってから悔い改める場合も少なくありません。 むしろ、地上で自分のかげりから目を逸らして、それなりに装ってきた人間の方が、幽界や暗黒界に落ちるケースが多いのです。
幽界も暗黒界も、本来の喜びの循環から逸れた世界です。 そして地上界は長年にわたってその暗く澱んだ世界の影響を受け続けてきました。 地上への影響力においては、幽界や暗黒界の占める位置は決して小さくないのですが、地球霊界のなかでは本流とは隔絶された「汚泥にまみれた大きな水溜り」のようなものです。 今回の地上界の浄化は、圧倒的な本来の霊界側の導きと援助の下、地上人類自身の意志と行動によって、それらの暗く澱んだ世界からの影響を払拭するのです。 影響を払拭するだけでなく、幽界や暗黒界そのものの存在も一掃することになります。
光の霊界側の輝きと、魂の輝きを取り戻し始めた地上の人々のエネルギーの共鳴によって、幽界や暗黒界の住人たちは自分のかげりや闇を照らし出され、彼らにはその眩しさが非常に苦しく思えるのです。 それは、深いかげりや闇を抱いて地上に生きてる人間にとっても同じです。 地上の人間にも、幽界や暗黒界の者たちにも、「自分を悔い改めて光に向かうのか、かげりを深めて闇に向かうのか、あるいは闇に留まり続けるのか(それはすなわち闇を深めていくことです)」という選択の機会がもたらされます。 気づきの機会・貢献の機会、すなわち人間として、霊としての成長の節目となる機会は必ずもたらされるのです。 どうか、その時に光の喜びを進む道を選択していただきたいと、祈らずにはいられません。
不幸にして、その時に闇を選択した者たちはどうなるのか? 幽界も暗黒界も存在しなくなるのですから、もう地上や地球霊界にその者たちの居場所はどこにもありません。 個霊としては(地球霊界に)存在できなくなるのです。
「バラバラに分解される」とは、個霊としての存在を分解されて微小なエネルギーの粒子とされるということです。 個霊としての存在(意識)が分解される時の感覚は、地上の人間が死に対して抱く怖れなどとは比べものにならないほどの絶望・虚無であるようです。 「死んだら終わりで何もなくなる」と思っている人間でも、魂は死後の生を知っているので、恐怖に取り付かれていてもどこかで安心があるものですが、個霊としての意識が分解される時は本当に「これで終わり」なのですから、存在を失うという恐怖は私どもにも想像できるものではありません。
宇宙そのものも大きなひとつの生命体であり、その中のごく一部を占める地球圏もひとつの大きな生命体です。 分解された個霊は、地球圏を構成するエネルギーの粒子となって存在することになります。 (イメージしにくければ、肉体の免疫機能によって破壊されるガン細胞と重ねて考えてみてください。) 個霊としては存在できなくなり、個霊としての意識は分解されても、大きな生命体のごく一部としては存在するのですから、「生命は永遠である」という真理と矛盾はしないのです。 |
27/06/2010(日) 17:18:22
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