☆☆ 愛は時空を超えて 65 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼)おーい、くぅ、こんにちは。
克子)はーい、まーたん。
飯)前回のお前からのメッセージを受けて、僕は今、醗酵食ソフト断食をしているよ。 豆乳ヨーグルトや玄米の甘酒、納豆などの発酵食品を中心に、一日200〜500キロカロリーの食事。 まだ始めて数日だけど、さしたる空腹感もないし、いい感じだと思う。 ここまでの小食にしてみると、今まで食物に対していかに乱暴に扱って(食べて)きたかがよく分かる。 玄米甘酒の一匙一匙(さじ)、納豆の一粒一粒が味わい深く、自然に感謝の気持ちが湧いてくる。 そういう思いがまたありがたく、なんだか宗教者みたいな気持ちになるよ(笑) 僕には似合わない心境だけどね(笑)
克)はい。 醗酵食ソフト断食、どうぞ楽しんでくださいね(笑) あなたは確かに宗教者というタイプではありませんが(笑)、本来の宗教者とは社会のありようも自分自身もを摂理に照らしながら、いかなる場合も愛と感謝のエネルギーの循環で満たし、それを広げていく人間のことです。 愛と感謝が融合したエネルギーは、すなわち「祝福のエネルギー」です。 そこから逸脱した人間をこちらでは宗教者として見ることはできません。 普遍の摂理から逸脱し、自分たちの宗派の思想や都合にこだわる宗教は、本来の宗教ではなくむしろ偏りでしかありません。 それぞれの宗派の特性は持ちながら、それにこだわるのではなく、地上界を摂理に沿った世界に甦らせるために、愛と感謝を以って働いていくことこそが本来の宗教なのです。 その意味では、あなたは宗教者に該当しているかもしれませんよ(笑)
飯)はいはい、光栄なことです(笑) そんなことより、微生物たちに無条件の感謝のエネルギーを注ぐということについて伝えてくれるかな?
克)はい、分かりました。 といっても、6月の定例会へのメッセージでお伝えしているのですが。 地球においての原初の生命体である微生物たちに、分け隔てなく無条件の感謝の心を注ぐことに尽きます。
飯)では、定例会のメッセージをお前の名前で(笑)コピーしておくね。
克) 難しく考える必要はありません。 地上生命の最小単位である微生物と地上生命の進化の頂点にある人間とは、実は持ちつ持たれつの関係性です。 人間の体内には無数の微生物が活動しているのですし、ひとつの細胞内に数百個もあるミトコンドリアも、もともとの意味からいえば体内微生物に他なりません。 ならば、体内微生物が健やかに活動してこそ、人体もまた健やかさを維持・増進すると考えてよろしいのです。 体内微生物相の健やかさは、肉体の健やかさのみならず、精神の健やかさにも深く関連しています。
体内微生物は遺伝子の発現(情報としての遺伝子のスイッチが入り、実際の形になること)にも影響を及ぼしています。 実は、体内微生物相の健やかさが増進すれば、人間の心身の健やかさを維持するだけでなく、今まで人類が使用してこなかった新たな遺伝子情報をONにして、文字通り「地上人類の(霊性)進化」を具現化していくのです。
では、体内微生物にとって嬉しい環境とはどのようなものでしょう? これもあまり難しく考える必要はありませんが、化学薬品や塩素などが体内微生物に害を及ぼすことは言うまでもありません。 まずはそれらを摂取することを避け、人間と相性のよい微生物に適した食物を取り入れていくことです。 しかし、それだけではマイナスをゼロに近づけるだけで、極めて不十分です。 人間と相性のよい微生物にとっての喜びにはならないからです。
それ以上に大切なことは、体内微生物に「感謝」のエネルギーをふんだんに注いであげることです。 微生物は太古の地球において、意志を形にする原初の生命体として誕生しました。 神のご意思である進化のプログラムと、微生物自身の喜びに向かう意志によっての進化がインプットされた、地球生命体進化の旅の出発でした。 何十億年も先の地球霊界との完全なる共鳴・融合に向けて、限りない神の祝福のエネルギーが注がれました。
かげりが生じる前のムゥでも、人は愛と感謝の循環のなかで地上の生を全うしていました。 それを受け継いだ縄文の人々も、食物に対してはもちろんのこと、大地や海や河川など、存在する全てのものに限りない感謝を捧げながら生きていたのです。 地球上のあらゆるところに微生物は生息しているのですから、まさに微生物から神にいたるまで、愛と感謝によって生命はひとつらなりであったのです。 人間は「神の子」とお伝えしていますが、地球上の生命と神(霊界)をつなぐ、まさに要(かなめ)の存在としての役割を担っているのです。 ムゥや縄文の時代には、人と人とがお互いの存在を喜びあい、愛と感謝のエネルギーによってつながっていたことは言うまでもありません。
それに比べて今の時代はどうでしょう? 人間も、存在そのものを無条件で喜びあえることはかなり稀なことになっているのではないでしょうか? 与えられたもの・在るものを喜び、感謝するよりも、不平や不満が先に立ってしまうことが多くなっています。 あるいはさまざまに要求され、それが叶わなければまた不平や不満を向けられています。 もちろん、その裏には強い者勝ち・我よしによる搾取や収奪のシステムがあるのですから、神の御心に反した社会やシステムを本来のものに戻していくことは当然、必要なことです。 しかしながら多くの人の抱く不平不満や不安の念は、神の御心に沿った動機というよりも、むしろ自己中心的な損得や比較においてのかげりからのものであると言えるでしょう。
健やかではない社会のありようが個々の人間に影響を与え、個々の人間のありようがその人の体内微生物相のありように影響を与え、健やかでないエネルギーは逆の回路を通って、かげりの共鳴・増幅を繰り返していきます。 ならば、体内微生物に無条件で感謝のエネルギーを送ることによって、自他のかげりや病を癒していくことも可能です。 本来はそうであってはならないのですが、複雑に絡み合う利害や愛憎に囚われて、無条件の感謝のエネルギーの回路を開き、活性化していくことは、多くの人にとって容易いことではありません。 あるいは注がれた愛念を素直に受け取り、それを自らの心身の健やかさの回復につなげていける人も、決して多いとはいえない状況です。 ですから今日は微生物に無条件の感謝のエネルギーを注ぐことによって、自分自身の体内微生物相をも健やかな調和に転換していただきたいのです。 効果や原理などについて考える前に、個人的な気持ち抜きでシンプルに、もっとも小さき者たちに向けて、ただただ感謝のエネルギーを発しましょう。
飯)これはとても大事なメッセージのように思う。 人間は何事につけ、自分の都合・不都合を軸にものを考え、気持ちを動かし、言葉や行動に移してしまうからね。 自分にとっての都合・不都合を超えて、皆にとっての喜びに向かうからこそ、結果として自分もまた健やかな幸せを手にしていけるのだと思う。
克)はい。 それがまさに神の子としての幸せであり、喜びの人生なのです。 あらゆるものへの感謝の心があってこそ、願いの実現のエネルギーは本来の力を与えられて形をなしていくのです。 最近のテーマであった「念」のエネルギーとは相反するように思うかもしれませんが、そうではありません。 無条件の感謝のエネルギーに馴染む前に、皆さんがたは特に「念」のエネルギーの回路を強く開いておく必要がありました。
飯)それは分かるような気がする。
克)話を複雑にしたくないので、ここでは説明を省きますけれどね。
飯)もう20年近く前、僕はこういう働きを始めた頃、なぜだか急に「醗酵食ソフト断食」を思いつき、しばらくは人に勧めたりもしていた。 実際にやった病者さんからは、いろんな効果があったとも聞いた。 僕自身も、一日500カロリー以下で何週間も普通の生活をしていた、 当時は有機農業をしていて、かなり激しい肉体労働だったし、週に2回は300キロ近い距離を運転して野菜の配達もしていたのに、最初の1週間で数キログラム体重が落ちただけで、その後は全く変わらなかった。 それからしばらくしてお前に出会い、僕も霊的なことを受け入れ、「物質ではなく心が本質なのだ」と思った。 それから僕らのヒーリングは、霊的エネルギー・心のエネルギーが中心になった。 今は、ヒーリングについてのおおよそのことを網羅し、一巡りして元に戻ったのかなという気がしている。 もしもそうだとすれば、20年もの長い学びの旅だった。 なんだか、感慨深いね。
克)はい、そういうことですね。 それはもちろん、霊界側のプログラムに沿った導きと計らいでした。 今回の地上界浄化のテーマのひとつに、「物質偏重を卒業し、心の優位性を確立したうえでの、心と物質の融合」というものがあるのです。 あなたがたは今、その最終段階を迎えています。 地球上のありとあらゆるところに無数に存在し、人間はもちろん、すべての生物と極めて深く関わっている、原初で最小の生命体である微生物たちに、分け隔てなく無条件の感謝のエネルギーを注ぎ続けることによって、やがてその最終段階の意味は誰の目にも分かるようになるでしょう。
何度も言いますが、要求や期待のエネルギーが微生物たちの負担になり、健やかな微生物相の形成を阻害するのです。 ただただ、分け隔てのない無条件の感謝の心を注ぐことに意味があるのです。 肉眼にも見えず、名もなく、無数に存在する最も小さき生命たちに、万物の霊長である人間が心からの感謝を捧げることは愛そのものであり、そこに祝福のエネルギーが満ちるのです。 自分にとっての好都合・不都合を超えて、最も小さきものたちに真摯に注ぐ祝福のエネルギーは、地上次元における最高の霊的エネルギーだと言って過言ではありません。
飯)存在そのものを無条件で祝福されることによって、自ずと微生物たちはそのエネルギーを注いでくれている者たちにとっての健やかな環境を作り上げていく働きをするということなんだね? 話は逸れるけど、それってまるでベーシックインカム制度が導入された社会で、人々がどう生きていくかのイメージとも重なるような気がする。 義務も強制も圧迫もなく、無条件ですべての人に基本的な所得が保障されれば、人間は自ずと健やかな社会を形成していけると僕は思っている。 楽観主義の性善説論者との批判もあるだろうけど、神の分け御魂を戴いた人間は、金銭への縛りから解放されれば必ず自ずと健やかな社会を作り上げていく存在だと思う。 僕にはそうとしか思えないんだ。 もちろん怠けたり、ずるく立ち回ろうとする人たちもいるだろうが、そういう人たちは少数で、結局は皆にとって健やかな人間社会を作っていこうと思う人たちが新しい世の中を牽引していくようになると思う。
土壌微生物や腸内微生物のほとんどは自分でははっきりした方向性を持たない日和見層、ノンポリ層だ。 少数の「善玉菌」か「悪玉菌」のどちらかが優勢になれば、大多数のノンポリ微生物たちも優勢になっているほうの働きをするのだそうだ。 今の地上の価値観や社会も同じ原理なのだと思う。 今は一部の人たちによって、自分に集めることが常識になった我よしの金銭至上主義の世にされているけど、ベーシックインカムが導入されれば、自然に分かちあいと支えあいの世の中に変わっていくんじゃないのかな。 そんな気がするというよりも、そうなるという確信が僕にはある。
克)はい。 あなたらしい着眼点ですね。 そう考えてよろしいと思いますよ。
それがどのようなものであれ、(積極的な)想念エネルギーが一定以上のものになれば、その想念は全体を動かしていく力を持ちます。 それは微生物も人間も同じです。 というよりも、人間の想念の具現化には体内微生物や細胞内微生物(ミトコンドリア)のありようが深く関わっているのです。 そして、個々の微生物は極めてシンプルなものですから、やはりシンプルな「喜び」によって本来の健やかな働きをなしていけるのです。 不安や怖れや失望や憎悪などの要素が混ざっていれば、微生物たちは健やかな働きはできなくなってしまいます。 強制や要求、(過度の)期待、分け隔てや選別、無関心や過度の消極性のエネルギーも、喜びではありませんね。 どんな生物にとっても、自分の存在そのものを喜ばれ、感謝され、祝福されるエネルギーこそが喜びとなるのです。 一部の微生物を「悪玉」として憎悪や排除の想念を向けることは、実は体内・細胞内微生物相全体のバランスを崩すことになりかねません。 排除や敵対や強制からは全体の調和は生み出せないのです。
このことから、皆さんがたのなかにもある「自分の思い通りにしよう」とする傾向、「自分の思い通りにならなければ気持ちが収まらない。腹が立つ」ということについて、考えてみていただきたいのです。 誰かを自分の思い通りにしようとしたり、誰かが自分に対して自分の思うようにしてくれなければ腹が立ったり、相手を否定したり、拗ねたりすることは誰にでもありますね。 そうされた自分を否定して見せたり、本当に自分を否定してしまうという場合もあるでしょう。 それらがいかに自分の体内・細胞内微生物たちを苦しくしているか。 そして、微生物は意識の波動でつながっているのですから、相手の体内・細胞内微生物にも大きな影響を与えてしまうのです。
もちろん、それぞれの人を取り巻く環境中にも無数の微生物はいるのですから、部屋や家の中の「空気」にも強い影響を及ぼすのです。 その場のエネルギーは空気中の微生物のありようだけで決まるものではありませんが、それ以外の(霊的・想念)エネルギーも空気中の微生物に影響を及ぼすのは当然のことです。 その場の「空気」が健やかでなければ、心身の病を引き起こしたり、人間関係の不調和を増幅させてしまうことにもなります。
飯)なるほどね。 微生物たちへの分け隔てのない無条件の感謝がどんなに大切なことか、すっきりと納得できたよ。
克)はい。 もちろん、微生物にだけではなく、誰に対しても、どんなものに対しても分け隔てのない無条件の感謝を向けることにつなげていかなければ意味は半減してしまいます。 今生でもたらされるいかなることも、自分のカルマや役割にふさわしいからこそもたらされるのですし、カルマの埋め合わせをさせていただけることも、苦しい不遇の中で役割を担っていくことも、実はとてもありがたいことなのです。 誰もがそうして霊としての学びを進めさせてもらっているのですから。 皆さんがたは永遠の生命を生きる霊なのですから、極めて限定的で特殊な地上の人生をすべての軸にして考えると、どうしても混乱してしまいます。 ここはしっかりと認識していただきたいのですが、地上人生とは過去世から持ち越した宿題をさせていただく場であり、霊としてのトレーニングの場です。
もうひとつ肝に銘じていただきたいのは、人間は心が主で肉体は従です。 言動だけではなく、肉体の働きそのものも、自分の心が規定しているのです。 あれこれ考えすぎたり、不平や不満を抱いたり、愚痴ばかり言っていたのでは肉体が健やかに機能するはずがないのです。 力が出なかったり、疲れやすくなるのも当然でしょう。 混じりっけのないシンプルな喜びこそが健やかな肉体の原動力になるのです。
人間は心が肉体を規定するのですから、喜びとしてシンプルに意志すれば、遺伝子のスイッチがオンになります。 肉体機能も切り替わるのです。 食物を摂取しなくても、それを喜びとしてしっかりと捉えるならば、人間の肉体は健やかに活動を継続できるのです。 そこが神の分け御魂を戴いた人間が、他の動物と大きく異なっているところです。 自分に何かを与えてくれる者に感謝したり、自分に都合のよいことを喜ぶことは他の動物でもできるでしょう。 しかし好都合・不都合を超えて、分け隔てなく無条件で最も小さきものに対しても真摯な感謝を向けることができるのは、神の分け御魂を戴いた人間にのみできることなのです。 (地球における)万物の霊長とはそういうことです。
飯)動物的要素を未だ強く残している今の人間の進化ということか・・・。 まさに地上人類の霊性進化なんだね。 分け隔てなく無条件に感謝のエネルギーを発する者たちが一定以上になれば、地上界のエネルギーも変化してくるというわけだね。 なんだか僕ら、パイオニアだね(笑)
克)今さらそう言いますか?(笑) 悠々塾は地上界の浄化の雛形であり、けん引役を担っていますと、何度もお伝えしてきたのじゃなかったかしら。
それと、微生物を意識して無条件の感謝のエネルギーを発する者たちが一定以上になればということはその通りですが、それは人数だけの問題ではありません。 もちろん人数は多いに越したことはないのです。 しかし、それよりも個々人が発するエネルギーの強さとそうしている人たちの心(喜び)の共鳴が何よりも大切です。 皆さん、いい感じになってきているので安心してくださいね(笑)
飯)今まで何度も「悠々塾に集い、つながる人たちの数が問題ではない。学びの意欲や喜びの共鳴を軸に考えるように」と伝えられてきたね。 段々に言われてきたことの意味がつながってきたよ。
克)そのようですね(笑) 「自分の思い通りにさせたい。思い通りにしてほしい。思い通りにならなければ反感を抱いてしまう。そういう相手を否定したくなってしまう。時には攻撃すらしてしまう」というかげりの面は、人間であれば誰にでもあるものです。 そういう中で人間は学んでいくものではあるのですが、相手が自分の思い通りにならないから、思い通りにしてくれないからといって相手を全否定して、その闇に留まり続けてしまうような人間には、微生物に無条件の感謝のエネルギーを注ぐことはできません。 かげりや闇に留まっている人はそんなことをする気にもならないでしょうし、もしも本当に真摯な心でそうできたとすれば、自らの過ちを悔い改めずにはいられないはずです。 いろいろ不平や不満があったとしても、やはり仲間としてのつながりを大切に思い、その中で学んでいこうとし、少しでも健やかな自分になっていきたいという本来の人としての心に留まることができる人間でなければ、このお役目は担えないのです。 ただ、誤解しないでいただきたいのですが、今は実際に対象物を作ってそうしていなくても、心の中でそういう無条件の感謝のエネルギーを意識して発し始めている人たちも少なくありません。 その人たちのエネルギーもしっかりと共鳴しているのです。
飯)うん、なんだか心強くなってきた。 僕も杓子定規に考えずに、柔軟に醗酵食ソフト断食をもうしばらく続けてみるよ。 もちろん、微生物たちに無条件の感謝のエネルギーも送り続ける。 いずれ、これについての冊子も書くね。
克)はい、そうしてください。 その前に、出雲の須佐神社への参拝をお勧めします。 今回はあなたにとっても悠々塾にとっても大きな節目ですからね。 導きと計らいの中で一巡りさせていただいたことへの感謝の報告を形にしてくださいね。
飯)わかった。 醗酵食ソフト断食が終われば、参拝に行くよ。 実は知床に行きたかったんだけどね・・・。 エゾ鹿肉とかウニやアワビとか食べに(笑)
克)まーたんたら、すぐそれだから(笑) あなたの大好きな北海道はまた今度にしてくださいね。
飯)はいよ。 それじゃあね。 いつもありがとう。
克)はーい、まーたん、またね。 (2010・6・17) |
17/06/2010(木) 22:22:19
| No.6802 飯沼 |
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悠々塾は活動を始めてから今月で16年になるようです。 すっかり忘れていました。 確か、1994年の6月16日に悠々塾のオープンの集いを持ったのじゃないかと思います。 そうであれば、今日から悠々塾は17年目に入ります。
私が醗酵食ソフト断食を思いついたり、食べられなくなったのは、一人でヒーリングを始めていた頃なのでもう少し前ですが、本当に大きな一巡りの感があります。
改めて、皆さまに心から感謝申し上げます。 本当にありがとうございます。 |
17/06/2010(木) 23:51:44
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| No.6803 飯沼 |
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気になって今、1994年のカレンダーを調べたら、6月16日は木曜日で平日だから、その日はオープンの集いじゃないですね。 多分土曜日だったから、6月25日かな? いい加減なもので、すみません。 |
18/06/2010(金) 00:13:50
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| No.6805 さき |
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ぬまさん、愛は時空を超えて、ありがとうです。 なるほどなるほどと思いながら読みすすめているうちに身体がふわっとあたたかくなってきました。メッセージにあたたかい祝福のエネルギーが満ちている気がしました。なんて書いたら宗教者みたいですね。笑 私はそういうものとはきっぱり決別して生きてきたはずが、一巡りしてここにきていることの妙を思っています。
日付はともかく、悠々塾もまさに大きな一巡りですね。 ここからの働きがあるのでしょう。 ぬまさん、皆さま、これからもよろしくお願いします。 |
18/06/2010(金) 00:48:25
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