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No.6543 ホープ  E-mail
(No Subject) 引用
こちらはシトシトと雨が降るだけで風は殆ど有りませんでした。
気温が高かった位でした。どうも地域によって顕著な差があるようです。いずれにしてもこの時期の天候は不安定で今の世の中みたいです。

02/04/2010(金) 09:22:26



No.6537 あきら&ひとみ  
関東定例会のお知らせです 引用
こんばんは。
昨年10月に第一回関東定例会を行いました。
今回、第2回関東定例会のお知らせをさせて頂きます。
前回は30数名の方のご参加がありました、今回も皆さまと充実した時間を共有できればと思います。
皆さまお気軽にご参加ください。

日時:4月24日(土)

時間:13時30分受付開始
    14時〜17時

参加費:1500円

場所:志木市民会館パルシティ
   *ttp://www.sbs.or.jp/palcity/palcity.htm
   (*をhに変えてください)

   以前行った場所とは違いますので、お間違いのないようお願いします。
   また、今回も交流会を予定しています。
   お時間のある方は、是非こちらにもご参加ください。
   交流会を行うお店に予約を入れるため、人数の把握をしておきたいので交流会参加希望の方は 
   〜HEART〜のページよりお知らせください。(4月10日頃まで)      
  *ttp://hamaheart.blog113.fc2.com/

交流会:18時頃から2時間程度
    会費・3000円前後になると思います。

29/03/2010(月) 22:28:13


No.6538  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 関東定例会のお知らせです 引用

あきらさん、関東定例会のお知らせありがとうございます。
私たちももちろん参加します。
会場は和室でしたっけ?
和室なら、今月の定例会でやったことも少し織り込めるかなと思います。

それと、その会場でも飲食ができるようですが、交流会は外の店に移動するのですね?

30/03/2010(火) 00:03:48

No.6539  あきら&ひとみ
Re: 関東定例会のお知らせです 引用
> 会場は和室でしたっけ?

残念ですが和室ではありません。
あと、書き忘れましたが101号室の会議室です。

> それと、その会場でも飲食ができるようですが、交流会は外の店に移動するのですね?

はい、まだお店は予約してませんが、志木駅周辺で探します。

30/03/2010(火) 20:01:35

No.6540  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 関東定例会のお知らせです 引用
わかりました。
懇親会の会場、よろしくお願いします。

02/04/2010(金) 01:28:03


No.6534 飯沼 ホームページ E-mail
ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会 引用
26・27日と京都の同志社大学でベーシックインカム日本ネットワーク設立集会がありました。

仕事が溜まっているので、感想はまたいずれ書く機会があれば書きます。
私たちは、ベーシックインカムの実現に向けて、ますますの活動を続けていこうと思いました。

一緒に参加した「ええじゃないか」の仲間たち、お疲れさまでした!
ホープさん、ゆっくり語り合えて嬉しかったです。

28/03/2010(日) 23:56:29


No.6536  さき ホームページ
Re: ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会 引用
ぬまさん、ホープさん、ヒロちゃん、皆さんお疲れ様でした。
簡単な報告と感想をベーシックインカムの掲示板に載せましたので、皆さん見てね。上の↑家マークから行けます。

私たちはベーシックインカムの実現に向けて動きはじめたばかりですが、その意味を再認識しました。まだまだ吹けば飛ぶほど小さいですが結構いい線いってると思いました。
誰か一人に、ベーシックインカムという言葉を伝えること。
ただそれだけでも大きな意味を持ちます。
みんなが安心して暮らせる社会になればいいな、という思いを込めて伝えていきたいです。

☆ホープさん、プライベートでお話したのは初めてでしたね。
楽しい時間をありがとうございました。
私、感情的なんですよねー。隠せなくてすいません。笑

29/03/2010(月) 18:42:12


No.6535 ホープ  E-mail
ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会 引用
飯沼さん、さきさん、仲間の方お疲れ様でした。初めてこの様な集会に参加させて頂きました。様々な角度からの取り組みを実感いたしましたし、現在のこの制度に対する研究がどんな段階にあるのか
と言うことも分かりました。しかしこの運動の取り組み姿勢の基本である”明日をも知れない”生活環境にある人々、そして崩壊しつつある末端経済の声なき声を身に沁みながら一人一人の支えあいの
意識を強く持った「ベーシックインカムええじゃないか」の活動はしっかりと焦点を見据えていて確かなものとの認識をあらたにしました。飯沼さん、初めてゆっくり語り合えてとても嬉しかったです。さきさんの行動力とエネルギーには圧倒されました。本当に有難うございました。これからですね、頑張りましょう。

29/03/2010(月) 09:40:03



No.6530 さき ホームページ 
ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会に寄せて 引用
3月26日〜27日、同志社大学で行われるベーシック・インカム日本ネットワーク設立集会にあわせて「ベーシックインカムええじゃないか」のチラシをつくりました。以下。


<私たちの宣言>

2010年1月、私たちは「ベーシックインカムええじゃないか」をスタートしました。日本をいい国にしたいのです。みんなが安心して生きられる、暮らせる社会にしたいのです。
私たちは、「ベーシックインカムを導入し、みんなが安心して暮らせる社会をつくろう」と呼びかけます。

強い者勝ちの秩序のなかで、物言わぬ歯車となって使い捨てられるのは嫌なのです。市場原理の競争のなかで、仲間どうしが互いに足をひっぱりあって生きるのは嫌なのです。
個人個人がバラバラにされ、人が互いに信じあえない社会が苦しいのです。人間が恐れや不安のなかで孤立させられていく社会が苦しいのです。

12年連続で年間3万人以上の人が自ら命を絶っています。
誰にも看取られずに孤独死する人が同じく年間3万人以上あると言われています。そのなかには住まいも拠りどころも失って路上で餓死、凍死する人たちもいます。

自由化、市場原理こそが世界標準だと言われ、その波に乗ることこそが、この国の生きる道なのだと言われ、この国の社会もその仕組みも、そこに向って突き進んできました。
私たちは追い立てられるようにして、その波に乗ろうとしてきました。 その結果が今の日本です。
企業の生き残りと合理化のために非正規雇用があたりまえになり、小さな商店や自営業、中小企業や地方や農業、漁業は切り捨てごめんで打ち捨てられてきました。

働きたくても仕事がない、働いても暮していけない、
がんばっても報われない、先が見えない、
いつホームレスになるかわからない、生活設計ができない、
結婚できない、子どもを育てられない。
老いることが不安と恐れでしかなく、生きることへの意欲も希望も持てない社会。
それが相対的貧困率15・7%という数字が示す、私たちの生活実感です。

このままでは生きられない。
少しでも今よりましな社会になってほしい。いい国になってほしい。
去年の政権交代に託されたのは、そんな人々の願いだったのだと思います。変化を望まなかった人たちも、社会が今より悪くならないように、という思いだったのではないでしょうか。圧倒的多数の人々は、自分もみんなも安心して暮らせる社会を願っているのだと思うのです。
その願いを、形にしようよ、実現しようよ、と思うのです。
ベーシックインカムは、そのための仕組みとして有効であり、実現可能であり機能し得ると、私たちは確信します。
基本所得のある社会は夢物語でなく、この国の人々が今、生きる道であり、市場原理に変わってこの国がめざす新たな方向性を指し示す針路です。 実現させるのは、この国の人々です。 その民意です。

私たちはベーシックインカムを実現しよう、という声を、全国の津々浦々からあげていきたいと動きはじめています。声がかかれば出かけて行き、少人数でも「お話会」を実施します。小さな点が、線になり、面となってつながっていくように、人と人、心と心をつないで、声をあげていきます。
すでに「ベーシックインカムええじゃないか・高知(四万十)」がスタートし、3月22日に最初の「ベーシックインカムお話会」を実施しました。高知に続いて、「ベーシックインカムええじゃないか・東京(大田区)」「ベーシックインカムええじゃないか・岡山」が立ち上げ準備中です。

高知のお話会は、地元で塩作りをしながら、地域興しに取り組む仲間が呼びかけました。参加者からは、人に話をしても「そんなことできるのか」という深い疑りの反応が返ってくる。具体的にどうなるのかがわからない、信頼できる制度でないと聞いてもらえない、といった意見もありました。 同時に、お話会には農的な暮らしを求めて有機農業に取り組む方や、これから農業をはじめる方が参加して、自分たちの生き方を語ってくれました。 そこには市場原理や競争とは違う価値観や、生き方や暮し方があり、互いに助け合って生きる人間どうしのつながりがありました。 
もしベーシックインカムが実現すれば、もっとこうした生き方がしやすくなるねと、参加した方々と語り合いました。

弱肉強食の競争や利益最優先の市場原理のなかで、もがきながら心を苦しくしている人の方が、多いのです。ベーシックインカムは、別の生き方や暮し方を選ぶ選択の可能性を広げます。 私たちがもっと自分らしく、生きていくことがしやすくなります。(しかもベーシックインカムは市場原理そのものと対立するものではありません。)
高知のお話会を終えて、あらためてベーシックインカムのある社会に向っていきたいと、その意志を強くしました。

私たちは、ベーシックインカム日本ネットワークの設立集会で皆さんと出会えたことを喜び、手を携え、協力しあいながら、ともに歩んでいきたいと願っています。
ベーシックインカムを実現しようという声をあげていきましょう。
みんなが安心して暮らせる社会を築いていきましょう。


2010年3月26日
ベーシックインカムええじゃないか

26/03/2010(金) 02:21:06


No.6532  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会に寄せて 引用
さきさん、お疲れさま。
さきさんの思いと感性が溢れてるね。
まゆみさんに印刷してもらって、持って行きます。
500枚でいいんよね?

26/03/2010(金) 09:20:25

No.6533  さき ホームページ
Re: ベーシックインカム日本ネットワーク設立集会に寄せて 引用
(もう遅いけど)はーい、よろしくです。
「ベーシックインカムええじゃないか」の呼びかけに賛同下さった皆様、遠方からも高知に駆けつけてつどって下さった皆様の気持ちを形にしたいと思いました。

ではではのちほど。
今日も高知からヒロちゃんとKさんが来てくれます。

26/03/2010(金) 11:47:08


No.6524 飯沼 ホームページ E-mail
高知に行ってました 引用
20日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさまでした。

今回は、今の常識ではありえないことを起こす力がどんな人にもあるということを体験していただくために、実習に多くの時間を使いました。
今の常識的な重力の法則ではできるはずのないことが、意識のスイッチを切り替えることで簡単にできてしまうことを皆さんが体験することができました。
あのチカラはまさしく心の力であり、心のエネルギーです。

あらゆることに心の力は作用するのですから、頭で考えるのではなく、自分の気持ちに囚われるのでもなく、解放された心で自分も皆も嬉しいことを実現してしまいましょう。
「できるはずがない」と意識を規定するのではなく、「できるのだろうか。できなければどうしよう」とか迷いを交えることなく、力みを排した心で「しようとしているのだから、できるのが当たり前」だと思い、それを自分の常識にしていくことです。
技術的なコツではなく、心の使い方のコツを体得して、自分にも皆にも嬉しい願いをどんどん実現させて、新しい常識を浸透させていきましょう。

さきさんと私は、翌日到着したゆりかさんの車で高知に出発しました。
「BIええじゃないか高知(四万十)」のお話会には、悠々塾の仲間や「天地悠々」の購読者やドネの会員さんも駆けつけてくださり、内容の濃い集いになりました。
ゆりかさんのストレートで深い思いに感動しました。(相変わらずのマイペースさに何度かあきれさせられたことは言うまでもありませんが、一応言っておきます・笑)
近いうちに、「BIええじゃないか」の掲示板に、主催者からの報告があると思います。(あるよね?)

その翌日は、市会議員さんや市民選挙のサポーターの人などと話すために善通寺市に向かい、これからの広がりにつながる実り多い話ができました。
ゆりかさんや東夫妻も同席して、東家の車に乗り換えて夜の7時ごろに善通寺市を出発してJR明石駅に10時半頃に到着、私は尼崎経由で最終電車で篠山に戻りました。
東クン、のぶよさん、ありがとうね!
大好きな讃岐うどんが食べられなかったので、帰ってから夜中に冷凍の讃岐うどんを食べました。

私にとっても初めてのお話会で、参加者の皆さんからの意見がとても参考になりました。
近いうちにベーシックインカムについてだけの冊子を書くのですが、ずいぶん参考になりました。
かなりハードで、しかもほとんど喋りっぱなしだったので疲れているはずなのに、不思議なほど元気で穏やかです。
ヒーリングにもベーシックインカムの実現に向けての活動にも、ますます意欲がわいています。
高知で出会った皆さん、ほんとうにありがとうございます!

それと、民主党の関係者で、内部事情をかなり詳しく知っている人の匿名ブログに、少しですが「ベーシックインカムの導入を呼びかけてください」というような内容がありました。
その人のブログにベーシックインカムが登場したのは初めてじゃないかと思うので、もしかしたら先日民主党本部で渡した「BIええじゃないか」のパンフレットを読んでもらえたのかなと勝手に思っています。
案外、私たちに対応してくれた職員が筆者だったりして(笑)

24/03/2010(水) 17:29:38


No.6526  ひろお
Re: 高知に行ってました 引用
ヒロちゃんです。
飯沼さん、さきさん。
遠いところを本当にご苦労様でした。
BIええじゃないかin高知 お話し会。
感じた事をそのまま書きます。
まず、けっこう沢山の人が集まってくれたなぁと
思いました。
BIについては、ほとんどの人が飯沼さんやさきさんの本を
読んで少し知っているか、初めて聞いたよと言う感じだった
のですが、13時から17時の間、結構本音で語ってくれたなぁ
と思いました。
飯沼さんが主催者という言葉で、僕をおどかす?ので仕方な
く司会みたいなことをやりましたが、このような小さな動き
大きな動きを作っていくんだなということを実感した会だっ
だんです。
BIみたいなことって誰でも最初聞いたときには、そんなこ
とできるわけないよなという感じになってしましますよね。
でも、当日感じた事はこうした事をやっていけばできるよね
という実感でした。それも「楽しくねっ」ていうおまけつき
なんですよね。
あとのお疲れさん会でもいろんな話が聞けてすごく楽しかっ
たです。
詳しい報告はゆりかがBIの掲示板のほうですると思います
が、参加された悠々塾の皆様本当にありがとうございました。
またいつでも遊びに来てくださいね。

    ヒロちゃん     拝






25/03/2010(木) 12:44:37

No.6527  tomoako
Re: 高知に行ってました 引用
飯沼さん さきさんをはじめ 高知でお会いした 皆様 

先日は 大変お世話になりました。

皆様には 初めて お会いしたのに あの蒔きストーブのぬくもりのように

暖かく迎えてくださって ありがとうございました。

2日間はあっという間に 過ぎましたが わたしの 心の中には

たくさんの思い出が つまりました。 

ゆりかさんやえみこさんの お料理 とても 美味しかったです。

そして わきあいあいながらも スムーズに流れていく ひろおさんの司会は 

塩田作りのように 完璧でした。

ベーシックインカムのお話は 本で読んではいたものの やはり

お話会に参加して 皆様のご意見等を聞くことで 益々 BIを

実現させなければ!と 心に熱いものを感じました。

さっそく 仕事帰りに立ち寄る場所で 数人の人に話を聞いてもらいました。

力の体験もさせていただきましたが あれ?っとびっくりしました。

そして わたしにもこんな力があるの?と戸惑うと同時に 感動を覚えました。 


また お忙しい中 帰り際に 飯沼さん さきさんに ヒーリングをお願いしまして

申し訳ございません、そしてありがとうございました。 

幼い頃 忘れかけていた 寂しかった思い出が 

さきさんの 力強く抱きしめてくれた腕の中で

蘇ってきて 亡き母を感じ 愛されている自分に 嬉しさと感動を覚えました。

霊界の 母へ手紙を書こうと 思っています。 

また、ドネ日記に 書きます。

今度は 悠々塾の定例会へ 出席をして お勉強をさせて 頂けたらと

思っています。 

BI実現に向けて わたしも コツコツ 頑張ります。

25/03/2010(木) 22:58:22

No.6529  さき ホームページ
Re: 高知に行ってました 引用
定例会からそのまま、高知でしたね。
ひろちゃん、ゆりかさん、お疲れ様でした。
初めてtomoakoさんに出会え、悠々通信の読者の方にもお会いできて、感激でした。岡山の仲間も遠いところをありがとうございました。
またBIの掲示板にコメントしますねー。

26/03/2010(金) 02:16:41

No.6531  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 高知に行ってました 引用
☆ヒロちゃん

高知ではほんとにお世話になりました。
初回にふさわしい「お話会」だったと思います。
今日は京都でベーシックインカムネットワークの設立ですね。
もう四万十を出たのかな?
お話会に参加したカネやんも、今日・明日の京都でのイベントに参加してくれるとのことで嬉しいです。
明日はホープさんが大会に来られます。
では、また後ほど。
しっかし、いつもながら本当に仲のいい父娘で、うらやましい限りです。
ツーショットを写真に撮って、うちの娘に送っておきました(笑)

☆tomoakoさん

ダンナさまのヒーリングやドネでお付き合いがありましたが、お会いするのは初めてでしたね。
お会いできて嬉しかったです。
初対面なのにずっと前からの仲間のようで、特に気を遣うこともなく失礼いたしました。
今度は頑張って篠山のも京都にもいらしてくださいね。

今日はお昼過ぎには出かけねばならず、仕事が残っているので、また改めて書きますね。

26/03/2010(金) 09:16:30


No.6521 ちづこ  
宿題 引用
皆様、定例会ありがとうございました。
久しぶりに2部にも参加し、たくさんの方と話せて、本当に嬉しかったです。
そして、さいこさん、ありがとうございました。さいこさんにハグしてもらい、涙がどんどん流れて、心が穏やかに優しくなっていくのがわかりました。自分の存在を喜ぶのって、具体的にどうしていいかわからないけど、「わたしはわたしでいい。」きっと喜んでいけるようになる・・と、不思議とそう思えます。

そこで、本題。宿題です!
自分の良いところを5つ書き出す。というものです。
・優しい
・他人の良いところに気付く
・ユーモアがある
・嫌な事はすぐ忘れる
・頑張りやさん
と挙げてみました。優しい飯沼さんが10個から5個に減らしてくれましたが、難しい宿題でした。自分の至らないところはたくさんでてくるのに。でも、変わりたいから、もっと頑張りたいです。

また、定例会に伺います。宜しくお願いします。

22/03/2010(月) 11:52:55


No.6522  さいこ
Re: 宿題 引用
ちづこさん、ヌマさん、さきさん、皆さん、定例会ではお世話になりました。
ありがとうございました。
ちづこさん、私自身はハグしている時て特に何かを感じたりとか、エネルギーを放ってるといった感覚はないので、毎回戸惑いがあります。
でも何かのお役に立てれたのなら嬉しいです。
私もさきさんにハグしてもらって、ハグされる人の気持ちが分かったような気がしました。
何とも言えない安心感に包まれて「泣いてもいいんや…」て思ったら溜まっていた寂しさだったり、不安だったりが涙と一緒に流れていったように感じました。
いい歳して大きな声で泣いてしまったので、恥ずかしかったです。
あの場にいた皆さん、びっくりさせてすみませんでした。

これを機会に素直に甘えられるように、自分から表現できるようにしたいと思います。

22/03/2010(月) 22:34:40

No.6523  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 宿題 引用
☆ちづこさん

久しぶりに定例会で顔を見ることができて嬉しかったです。
さまざまに気遣いのできるちづこさんなので、今までなかなか安心して甘えることができてこなかったのだろうと思いました。
さいこさんにハグしてもらって、涙を流しているちづこさんのオーラが幼な子のようで可愛かったです。
宿題は初級編なので、もっと深いところや細やかなところでも自分の良いところ・輝きを見ていってくださいね。
「変わりたいからもっと頑張る」のもよいのですが、「幸せになりたいからもっと自分を喜んでいく」ようにね。
それが、一部で体験した心の使い方なのだと思います。

☆さいこさん

戸惑いがあろうとなかろうと、さいこさんのエネルギーは皆が実感して、あんなに涙を流すのですから、戸惑いを抱く心の回路を払拭してしまいましょうね。
無駄ですから。
ご両親ともに忙しく、さいこさん自身が安心して甘えにくい環境ではなかったのに、絶対的な慈しみのエネルギーを当たり前のように発揮できるのはやはりすごいと思います。
さきさんにハグしてもらってた時は、見た目はさきさんがハグしてもらってるように見えましたが、さいこさんが声を上げて泣き始めたのでホッとしました(笑)
今の自分の役割に縛られずに、腹が立つときには怒ったりして、おおらかに自分であろうとしてくださいね。

24/03/2010(水) 16:40:15

No.6528  さき ホームページ
Re: 宿題 引用
☆ちづこさん、
久しぶりに定例会でお会いできて嬉しかったです。
二部もゆっくり居てもらえたし、色んなお話も聞けたし。
楽しかったです。
「私は私でいい」ですね!幸せになろうねー。
遠いですが、また定例会に来て下さいね。

☆さいこさん
本人が感じてなくてもエネルギーってありますよね。
さいこさんの側にいるだけで安心感をもらってます。
あの時、私がハグするの?って一瞬ひきそうになったのですが、さいこさんの小さいころの寂しさがそのまま伝わってくる気がして、それがたまらなくて、ギューってしてあげたくなりました。不思議な感じでした。これまで出せなかった寂しさが流れてったなら、よかったよー。

26/03/2010(金) 02:04:42


No.6516 飯沼 ホームページ E-mail
スレッドが長くなったので新たに 引用
>そして、努力次第で必ずそれに見合ったものが齎されるのだろうと・・・

そうですね。
「皆も自分も幸せに」というラインで考え、行動すれば、必ずその努力に見合ったものがもたらされるのだと思います。

前にも書きましたが、世界には飢餓状態に追い込まれている人たちが何億人もいるのですし、日本においても「一日でまともな食事が給食だけ」という状況の子供もかなりいる状況です。

例えを変えて、業績不振に陥った企業が人員整理をしなければ倒産してしまうという場合などはどうなのでしょうね。
あるいは、正規従業員の給与水準は非正規従業員の低賃金や不安定就労によって維持されているともいえるとも思うのですが、そういう場合はどうなのでしょう。

今の時代、考える機会は実はいくらでももたらされているのだと思うのです。
しかし自分を否定してしまったり、何か理由を見つけ出して自分を正当化して守るのでは、それが生身の人間として止むに止まれぬ心の作業であっても、喜びにはなりません。
本気になって、「皆も自分も幸せに」というラインで考え、ビジョンを描き、行動していきたいと思います。
「皆も自分も幸せに」の経済的基盤はベーシックインカムだと私は思います。
。。。。。。。。。。。。。

私は先日、民主党本部で紹介されて、永田町の議員会館のある議員の部屋を訪ねました。
学生時代に農業系の小さな業界新聞社でアルバイトをしていて、発行日には議員会館の関係議員の部屋に配って回っていました。
40年ぶりで、やはり懐かしかったです。
その新聞社は自民党の御用新聞のようなものでしたが、仕事自体はとても面白く、社長をはじめスタッフの皆さんも個性豊かな人たちで大好きでした。
「卒業したらここに就職しなさいよ」なんて言ってもらっていました。
NHKの朝の連ドラの「どめきときめき出版」の感じをもう少し下品にしたようなスタッフたちでした(笑)
たまの残業が終わると、父親ぐらいの年代の編集長にトリスのウヰスキーとおつまみを買いに行かされて、いろんな話をしてくれることもありました。
今はすでに高齢に達した与謝野さんが自民党の新人候補だった頃の話です。
自民党の御用新聞社なのに、「与謝野晶子の孫が自民党から立候補するなんて・・・」と話題になっていました。
まあ、私が言ったのですが(笑)

その新聞社には、私よりも早くからの学生アルバイトがもう一人いて、近所の安い定食屋や外部の人も食べれる職員食堂などを教えてくれて、よく一緒に昼飯を食べました。
私はその仕事とスタッフが好きだったので結構真面目に働きました。
新米の割にはかなり役に立っていたようです。
あるとき部長に呼ばれ、「有能なのでバイト料をアップして担当を増やし、もう一人のアルバイトには辞めてもらう」とのことでした。
私は抵抗しましたが、会社の決定とかで受け入れられませんでした。
「君には期待している」と言ってもらえたことは嬉しかったのですが、それよりもある種の罪悪感や複雑な気持ちの方が強かったのを覚えています。
急にその仕事への意欲が薄れ、それからすぐに私はいい加減な一身上の理由をでっちあげてその新聞社を辞めてしまいました。
なんだかやる気が失せてしまったのです。
それが原因ではないのでしょうが、学校にもあまり行かなくなりそのまま中退しました。

これは自慢話のように受け取られてしまうかもしれませんが、私にとっては全くそういうものではありません。
むしろ、自分の身の置き所のなさや自分の存在をどこか疎ましく思うトラウマになっていたのだと思います。
子供の頃から何度かそういう思いになることがありました。
あの出来事がなければ、その新聞社に就職したかどうかは分かりませんが、おそらくしていなかったにしても、もう少し一般的な人生を歩んできたのかもしれません。
ジャーナリストとか教師とかも将来の視野になくはなかったのですし。
まあどちらになっていてもすぐに嫌気が差して辞めているでしょうから、ならなくてほんとによかったと、今は心から思っていますが。
あ、そういえば喫茶店のマスターにもなりたかったのを思い出しました。

昨年のことですが、私はベーシックインカムという制度によって、皆も自分も幸せになっていく方法があることを知りました。
人生はもちろんお金が全てなんかじゃないけれど、皆が気がねなく最低限の普通の暮らしを営んでいける世の中になれば、ほとんどの庶民は自分たち自身で幸せに向かっていくことができるのだと思うのです。
それぐらい、今の世の中ではお金にまつわる悩みは多いのですし、そこから派生する心の苦しみや歪み、人生の制限は大きいのだと思います。
BIが導入されてもトラブルや悩みはあるでしょうが、人生の選択肢が増えて心に余裕ができれば、それらの不調和も調和できやすくなると思います。

ヒーラーとして働かせていただくことは私にとって大きな喜びでした。
しかし、それは今の世の中では一般化しにくく、理解されにくい次元の働きでもありました。
私たちのヒーリングは、治すことだけではなく、もしも治らなくても、死んでも大丈夫なヒーリングなのですから。

そして今、ベーシックインカムによって皆も自分も幸せに生きることのできる社会を目指すことで、自分の力の全てを発揮していけるように思います。
私もようやく社会復帰できそうです(笑)
それがまた自分のヒーリングの力をさらに大きくしてくれるのだと思います。
なんだか自分の中で変化が起き始めている手応えがあります。
湧いてくるその力を喜んで、私も社会復帰します。
社会復帰というよりも、本当はまさに「いざ出陣」という感じです。
面白くなってきましたよ。

ちぢこまった閉塞の世を、皆にとって健やかでおおらかな世の中にする仲間たちを大募集します!
自分に自信を持ちきれないフツーの人たちこそを募集します。
確固たる自信をお持ちの人はご自分で旗を掲げて仲間を募り、どうか私たちとも連携していってください。
それでこそ多様なネットワークが築かれていくのだと思うのです。

「面白くなき世を面白く」することは、とっても面白い人生だと思いませんか?

19/03/2010(金) 14:14:37


No.6517  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドが長くなったので新たに 引用

明日は定例会です。

願いや希望を一直線に実現する力を高めたい方は、ぜひご参加くださいますように。
今がその時。
それぞれの皆さんにいろんな事情はあるのでしょうが、そろそろ本気になりましょう。

19/03/2010(金) 14:23:23

No.6518  さき ホームページ
Re: スレッドが長くなったので新たに 引用
ぬまさん、私もー! 
自分に自身を持ちきれないフツーの人たち代表です。
仲間たち大募集に手を挙げます!!!
(返信一番乗りゲットです。笑)

今から篠山に行きます。
影響を受ける側から、影響を与える側へ。
サポーターから、プレイヤーへ。
地上人生を悔いなく生きたいです。私も本気になる!

19/03/2010(金) 15:42:13

No.6519  あきら&ひとみ
Re: スレッドが長くなったので新たに 引用
面白いことなら僕もひとみも参加します!

僕もひとみもまだまだ自分に自信を持ててないし、何が出来るのかもわかりません。
でも、ベーシックインカムの話を聞いた時に思い描いた世の中には、とても魅力を感じました。
最低限の生活の保障をされるって、生きていく中では物凄く安心だと思います。
物や物質が全てではないと分かっている人たちは沢山居るけど、でもやっぱり少しの余裕(安心感)があると人に優しくできたり、思いやったりと言うようなことも当たり前のようになっていく道筋が出来ていくという面もBIの魅力だと感じます。

実際、BIが実施された時、僕なんかが考えている嬉しい効果などはるかに凌ぐ様な化学反応が起きるのでしょうね。

19/03/2010(金) 22:57:28

No.6520  にぃ&ちぃ
Re: スレッドが長くなったので新たに 引用
>自分に自信を持ちきれないフツーの人たちこそを募集します。

フツーかどうかは自信がありませんが(苦笑)、自分に自信が持ちきれていないのは自信があります!(笑)
なんて言ってる場合じゃないですよね。
私たちも手を挙げます!
願いはただひとつ、みんなも自分も幸せに、です。
本気になります!!

20/03/2010(土) 00:40:24


No.6507 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 62  引用
       ☆☆ 愛は時空を超えて 62 ☆☆

         ――  霊界の克との対話  ――

飯沼)おーい、くぅ。

克)はーい、まーたん、こんにちは。

飯)今回はヒーリングのことから話に入りたいんだけど、それでいいかな?

克)はい、もちろんですよ。
何なりと聞いてください。

飯)ヒーリングをさせていただいていて、同じような病気や症状でも比較的すぐに治ったり快方に向かう人もいるけど、なかなか変化が表れない人もいる。
もちろん、同じ病や症状であっても、その原因はさまざまなわけだから、ヒーリングの効果も同じではないことは分かるんだけど、あまりにもその違いが大きいこともあるので・・・。

克)それについては以前にもお伝えしています。
病や症状はさまざまな原因によって表れるのです。
いずれの場合も過去世におけるカルマが種になっているといえるでしょう。
しかしながら、それとて一様ではなく、元のカルマの後に繰り返されてきた地上人生によって、種はさまざまに芽を吹き、枝やツルを伸ばしていくものです。
本来であれば、元のカルマの解消のための地上人生なのですが、さらにカルマを重ねることになってしまっている人が非常に多いということです。
カルマと言えば、いわゆる霊能者に頼らねばならないかのように思うかもしれませんが、そうではありません。
今生で解消する必要のあるカルマは、全て今生の人生に反映されているのですし、過去世と同様の心のかげりや悩みを抱くように設定されているからです。
もたらされる現象や事柄は、過去世と同様の心のかげりや悩みを反復するための材料に過ぎません。

そこを喜びに変えていくことによって、結局はカルマの解消になっていくのです。
ですから、怪しげな霊能者の過去世の情報などに頼る必要はありません。
それに過去世の情報を得ることができなくても、真のスピリチュアルヒーラーの注ぐエネルギーはカルマの解消の手助けになっているのです。
「真のスピリチュアルヒーラー」とは、自分の損得や気持ちを優先することなく、さまざまな不調和を調和していこうとし、自分を役立てていくことを喜びとしているヒーラーのことです。
であるならば、スピリチュアルヒーラーを自称している者たちがそうとは限りませんし、今はまだヒーリング能力を発揮していない者たちであっても、これからの生き方によって素晴らしいスピリチュアルヒーラーに変身していくことも十分にありうるのです。
そこまでの意識になっていなくても、厳しい現状を喜びに向けて変えていきたいという願いや、相手に喜びをもたらそうとする関わり方のなかで、ヒーリング能力が現れてくることもあります。

飯)この前東京に行った時、品川駅構内のカレーショップに入った。
そこで働いていた青年がヒーラーとしての波動を発していた。
特に言葉を交わしたわけでもなかったんだけどね。
そういう人って結構いるんだと思う。

克)はい。
自分でも気づかず、ヒーラーとしての能力を発揮する機会もないままに、周囲の人たちに癒しをもたらしている人は大勢います。
そういう人に出会ったならば、少し言葉を掛けて、その人が自分の心のエネルギーに意識を向けるようにしてあげることです。
意識することでエネルギーは大きくなるのですからね。

話を戻しますが、元のカルマもそれぞれですし、その後の展開はさらに人によって違っているのですから、ヒーリングの効果が一様でないことはむしろ当然です。
もちろん、あらゆる病や症状の治癒の喜びをすぐにもたらすことがヒーラー側の目的ですから、ヒーラー側も自らを高めていくと同時に技量を磨いていかねばなりません。
それは言うまでもない大前提ですが、ヒーリングを受ける側の意識や姿勢も効果に大きく影響することも当然でしょう。
信じるに足りるヒーラーと出会えたのであれば、「治るまでヒーリングを受ける」くらいの信念を持っていただきたいものです。
それはヒーリングに限らず、近代医療の病院で治療を受ける場合にも言えることです。
費用に関しては、「金銭よりも癒しが優先」ということが大原則です。
金銭目的のヒーラーが本物でないことは言うまでもありませんが、患者側が経済的な余裕があるのに「できるだけお金を出したくない」というのも、実は治ることよりも金銭を優先してしまっているのです。

病の種になっている元のカルマがあって、その後の人生ではその種に付随したカルマを重ねていると伝えました。
過去世において、金銭に執着して治療を受けなかったり、受けさせなかったというカルマも少なくありません。
さらには家族が病気になった時に、まるで「穀(ごく)つぶし」のような扱いをしてしまったカルマを抱えている人たちも少なくないのです。
そういうカルマを抱えている人たちは、カルマの埋め合わせと併行して治っていくことになるでしょう。

一言で言えば、「何よりも癒しを優先し、喜びを得る(与える)ための道具として金銭を使っていく」ということです。
治りにくい原因はもちろんそれが全てではありません。
どうしても本人の心の切り替えが必要な場合や、周囲の人の気持ちや言動の変化が治癒の条件になっている場合もよくあります。
いずれにしても、どうしても治りたい、どうしても治ってほしいのであれば、それにふさわしいことを実際にしていくことが求められているのです。
しかし、ヒーラー側が無条件で即時に病を治す力を高める努力をしていくことは当然のことであり、患者側の条件とはまた別のラインでの話です。

地上界は今、大きな転換点に差し掛かっていることは何度もお伝えしています。
そのテーマは、「人との比較において心をかげらせることなく、自分のことも人のことも喜びながら、おおらかに自分らしさを表現していく」ということ。
もうひとつは「物質や金銭への執着からの解放」です。
物質世界である地上は凝縮のエネルギーが強く、その影響を受けて、人間も「自分に集めること」に傾いてしまっています。
霊としての心で物質や金銭を必要としているところに分かちあうことから始めて、物質・金銭を軽やかな循環の流れに乗せ、与えあう喜びによってやがては物質そのものも精妙な次元に進化するのです。

物質や金銭への執着からの解放と言っても、それは無駄や浪費ではありません。
「本当に何が必要なのか」「本当はどこに必要なのか」という摂理の道筋に沿って、物質や金銭を使い、動かしていくのです。
病や不快な症状の元はその人の魂の輝きにふさわしくないエネルギーの使い方と、「思い」の凝縮です。
いかに正当な思いであっても、それが高じて凝縮すれば病の原因になっていくのです。
そこまで凝縮してしまうにはそれなりに過去世のカルマがあり、あるいは幽界や暗黒界の影響を受けてしまっているということでもあります。
だからこそ、スピリチュアルヒーリングによって、かげりの凝縮を和らげ、光の喜びのエネルギーを補給されることによって、心身ともに自分本来の健やかさを取り戻していけるのです。
ヒーラー側は、相手がどんな患者であっても、無条件で摂理に裏打ちされた慈しみのエネルギーを惜しみなく注ぐことが求められています。
それらの条件が満たされていけば、奇跡のような治癒が当たり前のように起きるようになるでしょう。
その喜びの事実が、新しい地上界への進化の原動力にもなっていくのです。
ヒーリングエネルギーへの信頼度が増せば増すほど、奇跡のような治癒は一般化していくからです。

飯)はい、ありがとうね。
他に何かあれば伝えて。
そういえば、最近特に巨大地震が頻発しているし、大寒波や旱魃などの天候異変も多いと思う。
地震については人為的に起こされているんじゃないかという話もある。
そのあたりのことはどうなんだろうね?

克)はい。
一般の人々の全くあずかり知らないところで、ごく一部の人たちによってさまざまな「操作」が行なわれていることは事実です。
それらについて具体的なことをお伝えすることは控えなければなりませんが、今の地上界をごく一部の者たちにさらに都合のよいものにしていくためのさまざまな画策や具体的行為はすでに始まっています。
物質や富に関する権限を自分たちに集め、地上の全てを自分たちの思い通りにしていこうとする動きです。
それとは別に、地上界は大変化の時期を迎えており、激しく揺れ動きます。
あるいは異常気象という形で、不自然なまでの偏りを表しているのです。
これらの現象は断続的にではあっても、地上人類が霊性進化を成し遂げるまで続いていくでしょう。
「かげりを光に、不調和を調和の喜びに、人として優しく正しく、皆も自分も幸せに」という願いをベースとして、日々をどう生きていくかが大切です。

これからの地上界は「分かちあい・支えあい」が当たり前の世界に変化していくのです。
「まず何よりも自分の安全・安定をしっかりと確保してから」ではなく、自分がどうであれまず皆が最低限の安全や安定を得られるように動いていくからこそ、皆も自分も安心を得ることができるのです。
それは今の地上の仕組みや価値観にどっぷりと浸かっている者たちには容易いことではないでしょうが、それでも魂の希求に鼓舞されて献身的に働き始める人々が増えていくでしょう。
せめて今の自分に一定の安定があるのであれば、今必要としている者たちに快く提供することで、与えられているものを本当の意味での喜びにしていっていただきたいと思います。

それが実はその人自身の幸せと人生の喜びになっていくのですし、逆から言えば、神の御心に沿っていないものをいくら握っていても、自分のためだけに使おうとしても幸せはもたらされないということです。
それは金銭や物だけではなく、才能や能力をはじめあらゆるものについても同じです。
今すぐに全てがそうなるわけではありませんが、激しい変化の中で必ずそうなっていくのです。

今はまだまだ変化の過程です。
その中で全ての人々は、自分がどんな価値観で日々をどう生きていくのかを選択していく時期です。
摂理と愛に自分を沿わせていくことによって本来の光の霊界との共鳴を高めていくために、今の状況があるのです。
そうはいっても、地上に染み付いた凝集のエネルギーは根深いものがあり、かげりの境涯からの影響も強い状態です。
意志したとしても、自分の弱さやさまざまなかげりに引きずられて、一進一退の日々が続くかもしれません。
そういう自分や人を否定することなく柔らかに受け入れながら、しかし決してあきらめることなく願い続け挑み続けることで、人間として地上に生きるあなたがたの魂は鍛えられるのです。
結果だけではなく、そういう心を獲得することそのものが地上人生の意味だと言えるでしょう。

ですから私は、「倦まず弛まず、日々を大切に」と繰り返しお伝えするのです。
闇の勢力が地上を席巻し、「もうどうしようもない世の中になってしまった」と思うことがあるかもしれません。
しかし、いかなる状況においても決してあきらめることなく願い、挑み続けることこそが生きるということだと胸に刻み込んでいただきたいのです。
心も使わず、頭脳も言葉も体もその手も足も人の喜びのために使わないようでは、せっかく地上に生まれた意味がありません。

本来の自分らしく、本来の自分を取り戻すために、自由におおらかに、自分の心や与えられているものを役立てる喜びの人生に切り替えていただきたいのです。
それは決して自分にとって損になることなどではなく、それによって本当の幸せを実感していけるのです。
地上を生きるにあたっての困難や苦労は付きまとうでしょうが、光の霊界からはそれらをはるかに超える守護と祝福が注がれるのです。

飯)はいよ、ありがとう。
僕も個人的にもいろんな問題を抱えている人間で、時には気が重くなったり不安がわいてきたりもするけど、倦まず弛まずやっていくよ。
皆が最低限の安心の中で地上人生を生きていけるように、さらにヒーリングの力を高め、ベーシックインカムの実現に向けて頑張るよ。

あ、そうそう、韓国のベーシックインカム実現運動と連帯するために、ソウルに行くことになるかもしれない。
日本では歴史的事実に真摯な目を向けることなく、まだまだ偏見が根強く、排外主義が台頭してくる兆しさえある。
世界的な政治も激動期であり、権力機構の大きな組み換えが行なわれようとしているように感じる。
だからこそ、お互いの国や民族を尊重した上で、庶民どうしがつながっていくことが大事だと思っている。

庶民を煽って使い捨ての駒にするのは、歴史を見ても権力者の常套手段だ。
庶民の幸せを基盤にした世界を構築するのなら、国や民族が違っているからこそ尊重しあい、庶民が心をつないで連携していくことから始めなければいけないと思う。
他国や他民族を尊重してこそ、自国の文化や伝統を誇れるのだ。
今のその国の政府がイコールその国に生きる人たちの心ではないのだから、庶民どうし人間どうしが手を携えてお互いに皆の幸せを願いあい、それを実現していく方向で動いていきたいと思っている。
まあ、ソウルに行くことになっても、そんな大それた話ではないけどね(笑)

克)はい、あなたはあなたらしく、少しも自分を縮めることなく、悔いの残らぬように目一杯の働きをしていってくださいね。
さきさんもますます本来の自分を取り戻しつつありますからね。
さきさんはある意味において、自分を縮める元になった一燈園に対する意識が解放され、自分がそこの皆さんにとって嬉しい影響力を発揮していこうと思えれば、さらにパワーアップするでしょう。

私はあなた方だけではなく、悠々塾につながる皆さん方の傍近くにまで行って寄り添ったり、見守ったりしています。
特に皆さん方が今までよりも一歩踏み出そうとしている時や、あるいは停滞や後退にしかなっていない自分に苦しい思いをしている時などにも、その人を包み込んで慈しみと励ましのエネルギーを注いでいます。
時には私の存在を感じてくださる方もいて、そういうときには私のほうも懐かしい喜びに包まれるものです。
地上にはこれからもさまざまなことがもたらされますが、悠々塾につながったご縁を大事に、皆さんが本当に自分らしい役割を果たし、それぞれが幸せを実感してくださいますように。
今までの小さな自分を越えて、共に進んでいきましょうね。

飯)はいよ、ありがとね。
それじゃあ、また。

克)はーい、まーたん、またね。
(2010・3・16)

16/03/2010(火) 20:51:09


No.6510  K
Re: 愛は時空を超えて 62  引用
初めて書き込みします。
昨夏に遠隔ヒーリングをしていただいたものです。前回の受信の時も書き込もうとしたのですが、なかなか思いがまとまらず途中で止めてしまいました。今、私は生活がすごく厳しい中で自分の大きな目標に向かって歩き始めています。自分のやるべき仕事(だと確信しています)を継続していく中で最近小さな岐路にしょっちゅう出くわします。「ああ、○○するべきなんだろうな、でも今それしたら生活が破綻してしまうなあ」という感じの迷いの連続です。よくお笑いのコントで天使と悪魔が両方からささやく、というのがありますがまさにあんな感じです。現実は本当に複雑です。妥協する事で逆に周囲にかける迷惑を減らせると思う事もあります。

ものすごく極端な例えを書きますが、たとえば自分が餓死寸前の状態でどうしても自分のなけなしの食料を分けてあげたい人が目の前にいる時、私は死を選ぶべきなのでしょうか?その選択は神様(表現が不適切ならすいません)に歓迎されるものなのでしょうか?それとも見殺しにしてでも生きる事が大切なのでしょうか?生きて後にもっと大きな貢献をするために頑張るべきなのでしょうか?私の周りには、同様に苦しい状況の中で懸命に頑張っている仲間がたくさんいます。

うまく言えませんが最近はそんな事ばかり考えます。前回受信時の「座席の話(お金への執着の話)」がとても面白かったです。自分に余裕があれば正しい行動ができる自信が今はあります。でも今その余裕が全くない時にも捨て身でそれをしたほうがいいのか。やっぱりまずは自分から、それが未来につながるのではないのか。頭も心も堂々巡りです。早くこの状況から抜け出したい一心です。

17/03/2010(水) 13:49:46

No.6511  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 62  引用
Kさん、はじめまして。
Kさんの置かれている状況をしらないので全然的外れかもしれませんが、投稿をお読みして思ったことを書きます。

私は思うのですが、この地上で今この時にも、その日の食べ物がなくて亡くなっていく人たちがいます。貧しさゆえに、医療が受けられなくて死んでいく人たちがいます。地球規模で見れば飢えと栄養不足が死因の第一位です。それがこの地上界です。
としたら、その現実を知りながら、自分が今生きているってどういうことなんだろうと思います。それこそ極端にいえば、餓死寸前にある人を日々見殺しにしながら生きているのかもしれないと思うんです。

私はこの地上の現実を直視したいです。
そのうえで、自分がやるべきだと思うこと、やりたいと思うこと、出来ることをやっていくしかないと思ってます。そのために自分は今ここに生きている、生かされているんだと思います。
考えるより、今置かれている自分や自分の家族や周囲の人たち、その現実から出発しつつ、出来ることをひとつひとつやっていくことが大事なんじゃないでしょうか。

17/03/2010(水) 21:39:49

No.6512  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 62  引用

Kさん、コメントありがとうございます。
Kさんの大きな目標については私には分かりませんが、お気持ちはよく分かります。
私自身が、いろんな方々に助けられてこの働きをしてきました。
進むべきなのか退くべきなのか、判断がつかない時はありますね。

>たとえば自分が餓死寸前の状態でどうしても自分のなけなしの食料を分けてあげたい人が目の前にいる時、私は死を選ぶべきなのでしょうか?

これは確かに非常に極端な例えですが、ある意味ここに答があるのかもしれません。
上のケースのような場合の判断は、その場面にならなければ分からないのだと思うのです。
案外ギリギリの状態の時に強烈な霊的直感がひらめいて、それに逆らえないこともあるでしょうし、そういう時には通常の理性では考えられない決断ができるものです。
そしてそのエネルギーが、常識的にはありえないような結果を引き寄せることもあるものです。

話のスジがずれますが、今の世界には餓死寸前の人たちが何億人もいるのですから、決して非常に極端な例えではないとも言えますね。

頭も心も堂々巡りの状態では適確な判断は難しいでしょう。
明日にでも、今月の定例会のメッセージを掲載しますので、それも参考にしてみてくださいね。

17/03/2010(水) 21:41:22

No.6514  あきら&ひとみ
Re: 愛は時空を超えて 62  引用
Kさん、初めまして。
Kさんのコメントを読んで考えさせられました。

確かに極端な例えではありますが、僕が思うのはこれまた極端ではありますが、どちらの選択も正しいのだと思います。
ただその時に、思い・悩み、・考え抜いた末という前提はあると思いますが。
答えが分かっていれば人は悩むこともないのだと思いますが、悩み苦しむことにこそ意味もあるのだと思います。
そして、努力次第で必ずそれに見合ったものが齎されるのだろうと考えながら僕も日々を生きています。
といっても、僕なんかはまだまだなのですが。

18/03/2010(木) 22:54:04


No.6513 飯沼 ホームページ E-mail
2010年3月定例会に向けてのメッセージ 引用

   ☆2010年3月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。克子です。

ひと足早く霊界に戻り、ここから地上の皆さんがたに関わらせていただいている私がつくづく感じることは、地上という世界は本当に重い世界だということです。
あらゆることが鈍重で、その状態がなかなか変わりません。
その割には地上人生というものは短く限定されているので、なおさら変化の実感が希薄になるものです。
願いや希望を持ち続けることが難しくなり、願いの実現に向けての努力を放棄したくなってしまいますね。
変化といえば物的世界におけるものがほとんどで、今の日本ではそれも喜びに向かっているとは感じにくいでしょう。
それらの結果として、霊としての本来の変化(成長)や喜びに乏しい世界になってしまっています。
そういうなかで、「どうせ変わらない」という思いに囚われてしまっている人も少なくありませんね。
それは無理もないことかもしれませんが、今日はそういう思いを払拭していただくためにお伝えいたします。

私は比較的最近まで皆さんと一緒に地上に生きていた者です。
そして今は霊界の住人として、一歩離れたところから地上人生というものを捉えなおすことができる立場にいます。
それだけではなく、地上界の浄化・地上人類の霊性進化の大プロジェクトに参画させていただく霊として、地上という世界が作られた意味や今後のプログラムについてもある程度は知らされています。
そういう立場の者として私は断言いたしますが、全ては変化しているのです。

大いなる神の経綸はあまりに大きすぎて全体はもとより、一こまごとの動きを感じ取れる人間も非常に少ないものです。
しかしながら、実際には全ては喜びに向かって絶えず変化し、動いているのです。
「自分には感じられないから。自分はそうは思えないから」という理由で、喜びに向かう動きを否定するのは、地球の自転や公転を否定するに等しいと言えましょう。
今がどんなに苦しくても、このまま何も変わらず苦しい状態が続くとしか思えなくても、総体としてさらなる喜びに向かう流れの中にあるのです。
必ず喜びを実感することができるのです。

しかし、それは人間が何もしなくてももたらされるものではありません。
地上人生は泡沫(うたかた)の夢などという曖昧な場ではなく、霊としてのトレーニングの場ですから、それにふさわしい心を抱き言動に表してこそ喜びの実感、すなわち幸せは得られるのです。
つまり、状況が厳しくて好転するとは思えないにしても、揺るがぬ願いや希望に基づいて、その実現のためにあらゆる努力を尽くしていくことが何よりも大切なのです。
それが今生で叶えられるべきものであれば必ず叶うのですし、もしもそういうプログラムになっていなくても、精一杯の努力のあとには別の喜びが準備されているのです。

ここで改めて思い返していただきたいのは、「想念そのものがすでにエネルギーである」ということです。
とすれば全身全霊で願い、微塵も疑うことなく一直線に願いの実現に向かって動いていくことが実現への鍵になることもお分かりいただけるでしょう。
心の中に「どうせ変わらない」というあきらめや、「実現しないかもしれない」という不安があれば、それが実現へのエネルギーを大きく削いでしまうのです。
自分の中のネガティブなエネルギーが実は色濃くあって、「そう思っていてはいけない」と打ち消そうとすれば、そこでさらにエネルギーを費やすことになってしまいます。
魂の意志に沿った願いであれば、その実現に向けて光の霊界からも無限のエネルギーの支援が寄せられるので、エネルギーの総量としての問題はないとも言えます。
しかしそれは、たとえば先がねじれたホースで水を放つようなものですから、やはりパワーは大きく減じられるのです。
何の疑念や不安も抱くことなく、幼い子供のように、シンプルに真っ直ぐに願いの実現に向けて行動していくことが、最大限のエネルギーを発揮することになります。

今の地上界の常識が身に染み付いたうえに、さまざまな苦労や失望を味わい続けてきた大人には容易いことではないかもしれません。
しかし、「願いを実現させる・想念を形にする」原理とはそういうものなのです。
誤解のないように補足いたしますが、それは理性の否定ではありません。
「今の自分の願いや希望が人としてどうなのか?」ということは、理性を用いてしっかりと検証しなければなりません。
そこで「大丈夫。人としての道に反した願いではない。この願いが実現すれば自分も人も幸せになっていくに違いない」と確認できたならば、実現に向けて必要なエネルギーは幼い子供のようなストレートで真っ直ぐなものだということです。

今日はそのエネルギーの回路をさらに大きく開きましょう。
世界中の全ての人たちの幸せを願い、自分や誰かの病の治癒、そして健やかな幸せを実現するために、シンプルで真っ直ぐなエネルギーを共鳴させましょう。
それでこそ、影響を受ける側から影響を与える側の者へと脱皮していけるのです。

18/03/2010(木) 08:58:21


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