◆悠々塾のめざすもの
今の社会や世の中が、人の心を押しつぶしそうになっていることを皆が感じています。実際に、そのなかでは自分の心で生きられなくなっている人も大勢います。「何かが違う。」「どこかを変えていかなくてはならない。」そう思いながらも、どうしようもできないまま、心を痛めるばかりの人たちも。人が人に優しくすること、人が人を助けていくこと、人と人とが心をひとつにすること・・・。それは人として当たり前のことのはず。けれども今は、その「当たり前のこと」ができてはいない。 だから皆が苦しい。だから皆の心がしぼんでいく。
当たり前の心で、当たり前に生きていくこと、それだけですでに、心と心は喜べることをたくさん生み出していけるのです。 ありのままの優しさも思いやりも素直に出して人と関わっていこう。人としての正しさを貫いて行動していこう。そうすれば、今まで押しつぶすしかなかった「心」のふくらみを取り戻していけるのだし、自分もそうしていきたいと思っていた人たちも、そうしていける。
人が恐れているたくさんのこと、死・病・飢餓・貧困・崩壊・災害・・・。それらの本当の意味を知ること。どうすれば恐れを喜びに変えられるのかを知ること。そして実際にそうしていくこと。 ここに集う人たちは、何らかの形で、人々が持つ怖れを喜びに変えていくために自分を役立てていこうとする人たちです。 真実を伝えること、病を癒すこと、互いに助け合う社会にしていくこと・・・。いずれも、人に与えられている“心の力”“喜びを分かち合い、共鳴させる力”によってなされることです。ここは、“人が人としていきいきと、そして健やかに”それを目指してさまざまな活動をしていく場なのです。今は、人の心とからだとを癒していくために(誰にでもできることだから)どうしていけばいいのか、が中心ではありますが、癒し合う人々の生きる社会のあり方、それをどう構築していくのか、その活動にも広がっていくでしょう。 求める人にはいつも開かれているところです。特別な人のみが集まるところではありません。もしも信じるとすれば、それは「人の心」だと言えます。特定の“何か”を信じることを要求するところではなく、“修行”の場でもありません。和やかさを共有しながらも、目的に向かって共に学び、共に働こうとする意志を持つ人たちの集いの場なのです。 地上に生きる人たちが、再び、心の自由と喜びとを取り戻していくために。
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悠々塾とは、「人が自由に集える場」として借りた場所(兵庫県の山間部の古い民家)につけた名前でした。 もとより悠々塾を組織や固定したグループにしていくつもりは全くありませんでしたし、今もこれからもそれは変わりません。 兵庫の悠々塾は、集う人たちのヒーリング能力を引き出し高めたり、スピリチュアリズムを軸にして社会に向けて情報を発信し続けてきました。
関東定例会ではそういうことに重点を置くのではなく、「“本当のこと”を大事にしながら、人と人が安心してつながっていける場」であればそれで十分だと思っています。 ただ、人の病や心身の不調を癒すヒーリングについては、誰にでも必要な場面があるでしょうし、実は誰にでもできることなので、ここでも実習していきたいと思っています。 でも、それをメインの場にするつもりはありません。
今の世の中、お互いの本当の気持ちや考えを出しあえる場がとても少なくなってしまっています。 ただでさえ息苦しい社会だから、せめてそういう場が身近にあれば少しは生きていくことが楽になるかもしれないと思うのです。 兵庫の悠々塾も集う人たちが時には摩擦を起こしたりもしながら心を開き合い、「できることなら自分も何かで人の役に立っていきたい」という願いを共有しながら、いつの間にか今の世の中には珍しいほどの絆でつながる場になりました。 関東定例会の場も、そんなふうになっていけばいいなと思います。
人間にはそれぞれの境遇もありますし、今の段階でのいろんな考えや思い方もあるものです。 決してすべてが美しいものであるはずもなく、人それぞれにさまざまなかげりを抱え、澱を溜め込んでいるのだと思います。 それが今の“本当のこと”であるならば、そういうものも安心して吐き出していければ、心も体も健やかになっていくのです。 そこで大事なことは、かげりや澱を増幅させてしまわないこと、自分がそれに囚われてしまわないことだと思います。 それではいつまでたっても健やかな人間関係を築きなおしていくことはできません。 自分も人(相手)も幸せになれないということです。 私たち庶民にとっての本当の幸せとは、生活していくうえで最低限必要な衣食住が保証されたなかで、無理して自分を飾ることも装うこともなく、ありのままの自分として少しずつでも成長しながら、そんな心を人と交しあって仲良くやっていくことだと思うのです。 強い者勝ちの競争社会のなかで、そんなごく普通の幸せすら手にすることが難しい世の中になってしまっています。 先の見通しの立たないデフレ状況は、さらに私たちの暮らしや心を圧迫していくでしょう。
そういう中で私たち庶民にできることは多くはないかもしれません。 だからこそ、いろいろな悩みや苦しみを抱えながらも、できることならば「人として優しく、人として正しく、皆も自分も幸せに」と願う、ごく普通の人たちが集うことの意味は小さくないのだと思うのです。 そこに満ちてくるエネルギーは、強い者勝ちの競争社会の原理とはまるで別世界の、ありのままでお互いがお互いの存在を喜びあえる、生命や生きていることを祝福するエネルギーです。 人生を幸せに生きるために大切なことは、相手や自分を否定することではなく、相手や人よりも優位に立とうとすることでもなく、お互いの存在を受け入れて喜びながら、分かちあい、支えあい、補いあっていくことであり、人の喜びを自分も喜び、自分を役立てる喜びを知ることのように思います。
すぐにそういう人間になれなくても、むしろそういうこととは逆の面が目立つ今の自分であったとしても、「自分もいつかはそういう人間になりたい」と願いながら日々を暮らし、人と関わっていくことが幸せへの道筋なのだと思うのです。
関東定例会がこの先、どのような場になっていくのかは分かりませんし、無理に方向づけようとも思いません。 ただ、本当のことに基づいた優しく確かな場として継続し、そういう関係性やエネルギーが今の世の中に広がっていってくれれば嬉しく思います。 |
25/11/2009(水) 20:19:39
No.6256 飯沼 |
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Re: 関東定例会のイメージ・・・(当日プリントして配ります) |
引用 |
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上に掲載した「悠々塾のめざすもの」は、10年前に克が受信し、「来たるべき地上界のために」に掲載したものです。 改めて読み直し、感慨無量です。
「地上に生きる人たちが、再び、心の自由と喜びとを取り戻していくために」、僕はまだまだ頑張ります。 |
25/11/2009(水) 22:05:13
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No.6257 あきら&ひとみ |
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Re: 関東定例会のイメージ・・・(当日プリントして配ります) |
引用 |
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いよいよ間近になりました。 悠々塾の目指すものの一つの形として、関東定例会もあるのだと思います。 心を繋ぐ場にしていきたいと思います。
追記 当日参加は勿論大丈夫ですし、交流会の当日参加も大歓迎ですのでお気軽にお声をお掛けください。 場所の確認ですが、さいたま市民会館おおみや 第五集会室です。 また、前回のお知らせで交流参加費が\2000〜\2500とお伝えしたのですが、\3300の飲み放題にしました。 なるべく細かいお金を持ってきてもらうと助かります。 よろしくお願いします。 |
25/11/2009(水) 22:49:11
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No.6258 さき |
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Re: 関東定例会のイメージ・・・(当日プリントして配ります) |
引用 |
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ぬまさん、あきらさん、ひとみさん、 よろしくお願いします。
学びの場ですが、それ以前に、この息苦しい時代のなかで、誰もが安心して心を開ける場にしたいと思ってます。 どうしようかな、自分なんかが行ってもいいのかな、他の人と面識がないので心細いし、、などなどで迷っておられる方が、もしいらしたら、安心して来てくださいね、とお伝えしたいです。 あきらさん、ひとみさんのほんわかあったかい人柄がむかえてくれますから、ねっ☆ 皆さまとお会いできることを楽しみにしています。 |
26/11/2009(木) 10:51:55
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No.6264 飯沼 |
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Re: 関東定例会のイメージ・・・(当日プリントして配ります) |
引用 |
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もうすぐ出かけます。 京都駅でさきさんと待ち合わせ、大宮に向かいます。
日曜、月曜は東京でのヒーリングが入っているので数日間、パソコンメールチェックができません。(掲示板は見ることができます) お急ぎのご用件の方は携帯でお願いします。 携帯番号が分からなければ、悠々塾にお問い合わせください。 携帯にもすぐには出られないと思いますので、ご用件を録音しておいてくださいね。 |
27/11/2009(金) 12:24:08
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