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No.6029 飯沼 ホームページ E-mail
政権交代 引用

総選挙も終わり、初めての本格的な政権交代が起こりました。
民主党の圧勝は、事前のマスコミの調査のとおりでした。
小選挙区制になってからの最高の投票率だったそうですが、それでも事前の調査よりは低かったように思います。
もしも投票率が70%を越えていたら、結果はさらに自民党に厳しくなっていたでしょう。
小選挙区で落選した「大物議員」の比例区復活ができなくなっていたかもしれません。
あれだけ「民主圧勝・政権交代確実」と連日報道されれば、それほど積極的でない「浮動票」と言われる人たちのなかには、「あえて自分が投票に行かなくてもいいだろう」と思ってしまう人もいたでしょう。

新型インフルエンザの流行の報道も、投票率に影響したと思います。
選挙後の報道も、民主党の勝利(つまり民意です!)に対してかなりの違和感を醸し出しているように感じます。

元自民党の幹部的議員で、自公連携に反対し、今は弁護士として債務者救済などの仕事をなさっている白川勝彦さんは、「自民党・公明党はこの10年間でマスコミを完全に掌握している。それはかつて自民党にいた自分でも『ここまでやるか』と思うほどになっている」と言っておられます。

「マスコミは公正中立ではない」ということを、しっかり認識した上でニュースや新聞を見なければ、民意は誘導されてしまうでしょう。
新聞にしても民放にしても、大企業からの広告宣伝費を主な収入源にしているのですから、広告主の意向に逆らいにくいのも当然でしょう。
1年間で企業から献金を何十億円ももらっていた自民党が、大企業に都合のよい政治をしてきたのと同じです。

開票日の深夜の鳩山さんの記者会見をみました。
30分間でしたが、どんな質問にも極めて適確に、しかも誠実に回答する様子にとても好感を持ちました。
鳩山さんはやはり、今までの日本の政治家にはいなかったタイプの政治家だと思います。
政治家ですから、当然、駆け引きはできるのでしょうが、今までの日本の大物政治家のように、「ワシは腹芸ができる、懐(ふところ)の深い大物なんだぞー」といかにも狡猾そうな連中とは違っています。
余談ですが、政治家としてはよく分かりませんが、僕は個人的には小沢一郎さんという男も好きで、「もしかしたら小沢さんは高杉晋作の生まれ変わりじゃないか」と思うぐらいなのですが(笑)

新政権の前途は多難でしょう。
まず、鳩山さんが党や新政権をまとめていけるかという問題があります。
大不況・デフレから脱却することも極めて難しいでしょう。
アメリカの経済も内面ではますます厳しいようです。
官僚の人たちが、素直に利権や既得権を手放すとも思えません。
製造業の派遣雇いの禁止を公約に掲げていますが、現状のような大不況下でそれを断行すれば、中小企業は大打撃を受けるでしょう。
といって、今のような人間を使い捨てにする雇用方法を続けていてよいはずはありません。

年金制度もすでに実質は破綻しているのですから、根本的な立て直しが必要でしょう。
無年金者はますます増えています。
いくら年金を払っていなかったといっても、その人たちが生活に困窮すれば、政府として放置はできません。
その人たちへの援助をすれば、年金を払っていた人たちからは「不公平」の声が上がるでしょうし、そもそも国民年金支給額ではとてもじゃないけど暮らせません。

民主党は財源を一括して、最低毎月7万円の基礎年金の全員支給を政策として掲げています。
これは「労働報酬が有る・無いに関わらず、全ての国民に最低所得を保証していく」という、ベーシックインカムにつながる政策だとも言えるでしょう。
大不況が長引くと予測されて、実質1000万人の大量失業時代であり、先の見えないデフレ状態に陥っています。
何らかの思い切った政策が必要でしょう。

ベーシックインカムというのは、全ての国民に一定の金額を支給する代わりに、所得税か消費税を大幅増税するという考え方です。
もちろん、国家予算の優先順位の大幅見直しも必要です。
ある研究者の試算では、全ての国民に毎月7万円の基本所得を保証していくことは、十分に可能だそうです。

ベーシックインカムは、「富(所得)の再配分・分かちあい」の考え方なので、高所得者層は今よりも所得減になりますが、その研究者の試算では年収1000万円以下の人は所得が増えるとのことです。(独身者の場合は、年収500万円のあたりで減収・増収が分かれる)
ベーシックインカムについては、賛否両論あって当然です。
でも、もしも実現されれば、少なくともお金のことに関する庶民の不安は薄らぐでしょう。
それは究極の内需拡大になり、経済は活性化されます。
モノを買うということだけではなく、人の活動が活発化すれば、何らかの形でお金は動くのですし、仕事も増えて、結果的に税収も増えるのです。

社会的に有意義でも、収入につながらないからできない仕事や働きはたくさんあります。
お金になるかどうかに囚われずに、自分がしたい仕事や活動をしていけることにもなるでしょう。
犯罪も激減するでしょうし、CENSOREDも減るはずです。
今の時点で、ベーシックインカムを掲げているのは新党日本だけですが、出口の見えない大不況と人々の困窮・閉塞感を打ち破り、新しい社会へのビジョンとしてこれから議論されていくのかもしれません。

外交も、アメリカと中国が急接近し、北朝鮮とも実際にはうまく付き合っているようです。
日本を孤立化させる意図が透けて見えているように思います。

いろんな意味で、非常に難しい局面で、民主党は政権についたようです。
マスコミからは、新政権に対する否定的な情報は今後も流され続けるでしょう。

でも、戦後初めての「政権交代」の流れを作ったのは、国民が変化を求めているからにほかなりません。
この流れを、皆の本当の喜びになるような、さらなる変化につなげていけるのか。
鳩山さんだけでなく、僕ら国民にとっても大事な局面だと思います。

民主党政権は「企業団体による政治献金」を禁止するでしょうから、財界をパトロンにしていた自民党のように、露骨な財界の利益のための政治にはならないでしょう。
圧倒的多数の庶民を無視した政治はしにくくなると思います。
鳩山さんは「気のエネルギー」などにも理解があるようなので、新しい政治家として新しい日本を作っていくリーダーになる可能性はあるでしょう。

しかし、民主党政権が行き詰って、人々が希望を失えば、この国は危険な方向に誘導されていく可能性も十分にあるでしょう。
今まで2度の世界恐慌は、2度の世界大戦で克服(?)されたという事実を忘れてはなりません。
日本が生贄(いけにえ)にされる可能性があると思います。
「大正デモクラシー」といわれる時期の直後から、かつての日本は急速に軍国化を進め、侵略戦争への道を歩みました。
そうならないように、僕らも心していかねばなりません。
圧倒的多数を占める庶民の側から、「庶民社会へのマニフェスト」を提示して、新しい時代への流れを作っていきたいものです。
。。。。。。。。。

これは選挙結果が出た直後に書いたのですが、掲示板のテーマが別にあったので、投稿を控えていました。

03/09/2009(木) 11:48:52


No.6030  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 政権交代 引用
読み返してみたら、鳩山さんを絶賛しているような印象を与えてしまうかもという気もします。
僕は鳩山さんには非常に危険な側面もあると思っています。

憲法改変論者で、国連軍に日本も参加し、指揮権を国連軍に委ねるということを明言し、アジアの通貨統合・アジアそのものの統合という動きに肯定的でもあります。

ただ、自民党のように財界との金のつながりが強くなく、労組とのつながりもさほど緊密ではありません。
そこでは、政権や党の支持基盤を「国民・民意」に置くしかないという面が強いだろうと思います。
つまり、民意を無視した政治はしにくいということです。

03/09/2009(木) 14:49:31

No.6031  ひろこ
Re: 政権交代 引用
今度こそは、政権交代してよかったなあという世の中に
なってほしいです。
市民の大多数はテレビや新聞のマスコミで左右されます。
私の周りの人はここで知り得た事を伝えても、
信じてくれない人が多いです。
鳩山政権は今までにない貴重な人達を閣僚に選んでくれて
マスコミ等も変わっていってくれることを祈っています。

06/09/2009(日) 02:50:28


No.6009 さき  
一緒に考えていきたいです 引用
以下は個人的に頂いたメールです。
大事なことだと思ったので、ご了解を得て私の責任で要旨を紹介させてもらいます。

>・・・今議論になっている文章も本当に摂理・真理にかなったものと受け止めています。世の中を憂い、何とか世の仕組みを変えたいがために大きな愛をもって問題提起をされているのだと思っています。

>ただあの文章を読んだとき(また以前の文章からも)、私のようなものはこちらに来てはいけないんだ・・・。と思ってしまう自分がいました・・・・。

>私は一般の地方公務員で、いわゆる国のキャリアと呼ばれる人や銀行員・大企業の社員などよりははるかに給与水準が低いです。でも確かにワーキングプアと呼ばれる人が多数いる中、安定した、生活に困らないだけのお給料をいただいています。
公務員の仕事は確かに無駄なことも多いのかもしれません。でも他の多くの同僚と同じく、私自身少しでも住民のためになればと思い、自分の身分に多少の誇りを持って働いています。

>きっと今の安定した地位にいる人たちの多くは、自分なりの努力をしてきたと思っている人たちが多いのではないかと思います。(私も正直に言ってそこに繋がってしまう自分います。)だからといって不安定な生活を強いられている人を見て見ぬふりをしていいなんてことには絶対になりませんが・・・。

>今の地位を築くに至ったその人なりの苦労(家族を養うために歯を食いしばってがんばったことや耐えがたいことを耐えてきたことなど)の一端を認めてもらえることで、心に余裕ができ、周りのことを思いやれるようになるのではないか・・・。
今回のこととは全く論点がずれているとは思いますが、こんなこと考えていました。

>小さな自分なりの気持ちにとらわれている自分が恥ずかしくなったり、でもそれが私だし、私のような未熟な人間が世の中に多数いるのだろうと思ってみたり・・・。

>でもこんな小さな自分を乗り越え、自分が自分に誇りを持ち、弱い立場におかれている人を気遣っていけるような人間になりたい、いやなっていこうと思います。

**********
この地上には大きな偏りと格差がある。
生存もおびやかされている人がいる、自分よりより困難な立場にある人がいる。
そのことと、(それぞれの)自分の日常をどうつないでいくのか。
ということが問われているのだと思いました。

今の時代のなかで、今日を生きるのも困難な人たちへの共感をこめて、格差を語ることが、年収があるとか、生活が一定安定している、ということを、悪いとか非難するとか、全くそんな意図がなくても、それを責められているように受け取られる方もあるのかな。。
そんなことを考えてたら、このメールをいただいて、やっぱり〜、と思いました。

Aさん(とさせてもらいます)のような誇りを持って、同じようなお気持ちで仕事をされているたくさんの方々と一緒に、喜びのなかで進んでいきたいです。〜〜と、お返事しました。
自分もAさんと同じような気持ちになったわ、という方がいらしたら、同じ思いをお伝えしたいです。

で、Aさんが書いてくださった、
>だからといって不安定な生活を強いられている人を、見て見ぬふりをしていいなんてことには絶対になりませんが・・・。<
ということを、どう実現していけるのか、形にしていけるのか、ということを、皆さんと一緒に考えていきたいです。(理屈じゃなく、それぞれの生き方として、実践的にね。)

30/08/2009(日) 23:33:18


No.6010  さき
繰り返しになるのかもしれませんが 引用
ここまでで終わろうと思ったのですが、

6998のエーチャンのコメントをお読みして、やっぱりひとこと。
>・・立場の違いというのか、同じ人間であるのに、お互い傷つけ合う、あまつさえ殺し合う、そういう今の社会のあり方に私は耐えられないのです。・・・お互い、相手を人間としてみる、金持ち、名家の人間、低額所得者、庶民、その他国籍、人種等、違いを探せばいくらでもあるでしょうが、それでも同じ人間、同じ人間として違いを乗り越え、理解し合い、互いのこころの成長をはかる、これこそスピリチュアリズムだと思うのです<。
↑↑↑
おっしゃっていることはわかるのですが、↓↓
>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない・・<
のかな? とやっぱり思ってしまいます。

立場が違う者同士が、理解し合うということは、相手の立場を知ることから始まります。自分のものさしで相手を見るのではなく、相手の置かれている立場を知ることです。
それが相手を同じ人間としてみるということだと思います。その努力をせずに、自分のものさしを押しつけながら「立場が違っても同じ人間。人間どうしわかりあえるはず」って何度言ってもお互いに理解し合うことなんてできっこない。

Aさんが書いておられる、
>だからといって不安定な生活を強いられている人を、見て見ぬふりをしていいなんてことには絶対になりませんが・・・。<
ということをそのままにしておいたままで、互いに理解しあうなんてできないと思うのです。

マリ―アントワネットが、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」って言ったとか。。
そこまでなくても「ホームレスは働けばいいのに」と思ってる人は多い。親は子供にホームレスには近づくなと教え、少年たちが襲撃する。
同じ人間としてみられていないのです。その眼差しのなかで生きることを強いられている人たちが全国に数万人いるということ。そのことを知ること。その人たちの立場を理解すること。その人たちが同じ人間としての眼差しのなかで、ともに生きられる社会にしていくこと。

それが、ぬまさんの言葉↓↓の意味だと受け取っています。
>庶民は、憲法25条に保証された、健康で文化的な生活を享受する権利を主張していってほしい。胸を張って、公的支援を求めていけばよいのだ。

互いの心の成長をはかることと、地上界の偏りの仕組みを健やかにしていくことは、どちらも不可欠で同じこと。同時進行なのだと思っています。
繰り返しになったのかもしれないですが、やっぱり伝えたかったので。

最後にもう一回、
>だからといって不安定な生活を強いられている人を、見て見ぬふりをしていいなんてことには絶対になりませんが・・・。<
ということを、どう実現していけるのか、形にしていけるのか、ということを、皆さんと一緒に考えていきたいです。(理屈じゃなく、それぞれの生き方として、実践的にね。)

30/08/2009(日) 23:37:06

No.6013  さき
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
もう少し補足です。

>今の地位を築くに至ったその人なりの苦労(家族を養うために歯を食いしばってがんばったことや耐えがたいことを耐えてきたことなど)の一端を認めてもらえることで、心に余裕ができ、周りのことを思いやれるようになるのではないか・・・。
今回のこととは全く論点がずれているとは思いますが、こんなこと考えていました。

Aさんや同じような気持ちを抱かれる方がおられたのだと思います。そのことをしっかり受けとめたいです。メールを下さったことに感謝します。自己点検しつつ、ひとりひとりの人が頑張ってきたことが、喜びにつながるようなプロセスを一緒につくっていきたいです。

5971で書いたように、無神経に人を踏みつけながら、自分は善意なのよ、悪気はなかったのよ、、、っていうような人間にはなりたくない。そう思ってきました。結構そういう人を目の当たりにしてきたからかもしれません。(気づかなかったなら、事実を知った時、コトが明らかになった時に、開き直ったり、自分を守ったりしないであやまる、です。)事実に対して謙虚でありたいのです。そこにこもっている心のエネルギーが、引き起こす反応があるのかもしれないと思いました。

完璧な人間なんていない。どんな人も輝きもあれば、かげりもある。いいところも悪いところも、長所も短所もある。誰もが自分自身のなかにある光と影、そのせめぎあいのなかで生きている。いいところ、喜べるところばかりじゃない。失敗もする、間違いも犯す。人を傷つけるし、嫌なことも言うし、嫌な態度もとる。いじわるや当てつけもする。自分を守るために周囲に迎合したり、恐れから沈黙したり。。やさしくも正しくもない部分を持っている。そして、そんな自分との葛藤のなかで生きている。そのなかで重く積み重ねてしまった時間、重く積み重ねてしまった自分もいる。

そういう存在である自分を肯定する。そういう存在である自分を喜ぶ。それは嫌な自分や喜べない自分、自分の短所やかげりをそのままにしておいていいってことでは断じてない。
ありのままに、今ある自分。そんな葛藤のなかで生きている自分を喜べたら、そこで変に自分を守ったり、過剰反応したりすることも薄くできるのでしょう。事実や真実に謙虚になれる、愛情や人の気持ちに、素直になれるのだと思います。人として正しくやさしくに、沿っていきやすくなるのだと思います。今回のやりとりを通じてあらめてそれを実感しました。

戦争をやめましょう。格差をなくしましょう。
いじめをなくしましょう。いのちを大切にしましょう。
↑↑
たぶん、ほとんどの人が、そうだね、私もそう思う、って言うでしょう。けど、実際にこの地上がその方向に向かっているかと言えば、そうはなってない。実現のため必死で頑張っている人はいる。私もその人たちに連なりたい。けど悲しいかな全体としては、むしろ地上界は逆の方向にすすんでいる。それが現実だと思うのです。

世の中の仕組みや社会の現実と、ひとりひとりの願いが、かい離しているのだと思います。
かい離させるような仕組みがあるからです。
かい離させるような力が働いているからです。

その仕組みや、その力を、見ていかないと、見抜いていく力をつけないと、って思う。
でないと、人の善意ややさしさが、自分もみんなも幸せにという願いが、その仕組みや力にからめとられていってしまう。
人間が世の中の仕組みや現実をつくっているはずなのに、いつの間にか人間がその仕組みの道具になって(されて)いって。いいように利用され使い捨てにされていってしまう。(それが悔しいんです)

その逆転をひっくりかえすことができるのは、この仕組みのしわ寄せを受けている人たち、おかしいと気づいた人たち。。人間です。そしてすべての人が人間らしく生きられる社会や仕組みをつくらなきゃ、って思う。そのために自分を役立てていくことが、この地上にあって霊的真理に沿って生きること、なんだと思っています。

人が言動する、表現することの多くが、その人の念の次元での歪みの影響を受けているのだと思います。
いい悪いではなく、殆どの人が(もちろん私もです)自分なりの理由をつけながら、(本当の願いや正直な気持ちに蓋をして)自分の歪んだ念の次元で動いている。それを守っている。

私はそんなつもりじゃない。だって○○だったから。私はこんな目にあわされたんだから。あの人だってこんなんだから。。
自分なりの理由をつけながら、自分のなかで働いている「そうせずにはいられない」あるいは「そうはするもんか」という念の次元での歪みを言動に反映している。

そこに地上界に溜まっている重たい次元の(幽界的)エネルギーが大きく影響を与えている。
念の歪みが反映された言動は、歪み→歪みの連鎖を生みます。この連鎖を逆転しないと、いつまでたっても地上の現実は変わらないんじゃないか。と思います。

ここは、頑張りどころです。
自分も周囲も(みんなも)喜べる方に、心を(言動を)動かせていくこと。自分の存在を喜ぶことです。
誰もが抱えている念の歪み、という要素を薄くしていくこと抜きに、いじめも格差も戦争もなくならないでしょう。

自分の長所や輝きを喜べずに、ないものにすること→貢献できる力、その人にしかできない役割があるのにしないこと。
それは本人の自己評価がどうであれ、社会的な評価がどうであれ、利己的なんだと思います。

あなたには、あなたにしかできないことがある。役割がある。(今のあなたがどうであれ!!)
そのためにこの地上に生まれてきたんだから。
一緒に、この地上に、喜びを広げていきましょうよ、と呼びかけたいです。(ながくなってすみません。)
〜2009.8.31 政権交代が実現した日に〜

31/08/2009(月) 08:03:26

No.6014  みやっち&藍子 ホームページ
Re: 一緒に考えていきたいです 引用

さきさんの言葉に感動しました。

お金があるとかないとか、立場とか業種などは全部ぬきにして、
人として人間として、僕には僕にしかできないことがあると思う。

僕にしかできないことをやっていきます。
 
                         みやっち

私も自分の存在を喜ぼうと思います。
自分のしたいこと、やるべきことにしっかり目を向けて、
ごまかさずに生きたいとあらためて思いました。
現実は小さなことの繰り返しだけど、
何もできない自分に浸ることなく一つでも二つでも
出来ることをしたいと思います。

                          藍子





          

31/08/2009(月) 20:15:53

No.6015  さき
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
みやっち&藍子さん、コメントありがとうー☆

伝えたい気持ちがつのって書いたものの長くなったし、投稿した後で、読みにくいし自分なりの気持ちが入りすぎているかなとか、思っていました。
伝わって嬉しいです!
と言ったものの、ISSINの「喜びの歌」にはすでに私が伝えたかったことのエッセンスが詰まってると思いまーす。(ISSINってすごいよ)

私も喜びのなかで、自分に出来ることを一つでも二つでもしていきたいです。

31/08/2009(月) 21:38:35

No.6016  あきこ
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
さきさん、色んな気持ちや意見を
書いて下さってありがとうございます。

>念の歪みが反映された言動は、歪み→歪みの連鎖を生みます。こ>の連鎖を逆転しないと、いつまでたっても地上の現実は変わらな>いんじゃないか。と思います。

今日は、改めて自分なりのものさしでしか見ていない自分を
反省していました。。。
もう一歩前へ、歪みを薄くしたいです。
さきさん、また色々教えてください☆

31/08/2009(月) 22:24:31

No.6017  Glass Age
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
さきさん、すごい迫力ですね。身が引き締まりました!

僕は実は、さきさんが紹介されたAさんと同じような立場の人間です。

でも当初の飯沼さんの文章にそれほど違和感は感じませんでした。
むしろ、スピリチュアルな集まりでは、ふわふわとした毒にも薬にもならないような言葉が飛び交っていることが多いですが、悠々塾では、社会や政治の問題から目をそらさずに、きちっと向き合ってるところがとても新鮮で、共感できました。

ただ、僕の経験から言ってもスピリチュアルに集う人たちは、とても穏やかで心やさしい人たちが多いので、飯沼さんの文章は、そういう人たちにとって、やや刺激的で過激に映ったのかもしれません。より多くの人から共感を得ようと思ったら、もう少し書き方を変えるという道もあるのでしょうが、きっと飯沼さんはそういう性分の方ではないのでしょうね(笑)。それでいいと思います。

僕は逆に、幼い頃の体験からか、自分の個性や内にもっている思いを抑えて、周りに合わせすぎるという癖があります(直接ヒーリングでずばり見抜かれました)。飯沼さんの言葉を借りれば「魂の輝き」を表に出してこなかったということかもしれません。これまでそういう生き方をしてきましたが、そろそろ限界に来たみたいで、実は、この夏に非常に苦しみまして、その最中に悠々塾に出会った次第です。

一方、エーチャンさん(はじめまして!)の思いも痛いほどよくわかります。僕は若いころから政治や市民運動などに関心があって、それなりに学んだり、かかわったりしてきましたが、どこか違和感がありました。何かが欠けているような感覚です。それはきっとエーチャンさんがおっしゃってることとつながってると思います。
紹介されてたケア・ハーディ(シルバーバーチを愛読してるのに見逃してました!)のことをもっと知りたくなりました!

そういうわけで、スピリチュアリズムをベースに、社会にもしっかりかかわっていくという姿勢の悠々塾やドネーションシップわかちあいの存在は、今の僕にとって、とても大切です。毎日たくさんの刺激を受けています。

とりとめのない文章になってしまいましたが・・・

31/08/2009(月) 22:26:07

No.6018  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
■Aさんのメールを読んで。

Aさんが、地方公務員として、安定した、生活に困らないだけの収入を得て、ご自分の仕事に誇りを持っていらっしゃることは素晴らしいことだと思います。

地方公務員の総数は、正規職員で約300万人だそうです。
その他に、非正規職員が数十万人いるそうです。
非正規職員のほとんどは、正規職員の半分以下の給料で、いつ解雇されるかも分からない不安定な状態で働いています。
ワーキングプア状態の非正規職員も少なくないそうです。(官製ワーキングプア・布施哲也・七つ森書館)

■ここからは一般論として

僕は思うのですが、
自分に与えられている境遇を喜べる人は、大いに喜べばよいのです。
何の負い目を抱くこともありません。
今の時代、非常にたくさんの人たちが生活に窮し、自分の境遇を喜びにくくなっています。
喜べる境遇を与えられている人が、それを喜ばなければ、もったいなさ過ぎるでしょう。

自分が喜べるところを大いに喜び、喜べない状態に置かれていると思われる人たちが、その人の境遇を喜んでいけるように願い、今、自分にできることを何かしていくことで、喜びは広がっていくのだと思うのです。
自分ひとりではたいしたことはできなくても、同じ思いの人たちと心と力を合わせれば、きっと何かができるのです。
そして、自分や自分に与えられているものを、誰かのために役立てていくことが、実は自分にとっても最大の喜びになるのではないかと、僕は思います。

今の地上界は霊性進化の節目を向かえ、激動の坩堝(るつぼ)にあるのでしょう。
それは、信頼するに足りる内容のさまざまな霊界通信が伝えているとおりだと思います。
地上界の価値観が大きく転換するのです。
神のご意思が、今までよりもはっきりとした形になって顕れる時期を迎えているのだと思います。
価値観の天地が入れ替わるのです。
それは、人間の都合や気持ちをはるかに越えた、神の経綸であり、地上界のプログラムなのだと受け入れるしかないのでしょう。

今までは、自分の得たものを守って減らさないように、あるいは増やすことが「自分が幸せになる条件」として、まかり通っていたのでしょうが、これからはそういうやり方はもう通用しなくなっていくように思うのです。
自分の得ているものを誰かのために役立てていくことで、自分も本当の幸せを得ることができるのではないかと思うのです。
幸せの条件はお金や社会的立場だけではありませんね。
ということは、お金や社会的立場を保持していても、自分としてはいつまでたっても幸せだと思えない状況がもたらされ続けるような気がします。

僕はこの仕事をしてきて、「本当に神や霊界には全てがお見通しなのだ」と、思い知らされるようなことを数えきれないほどに目の当たりにしてきました。
全てをお見通しの霊界からの計らいは、これからさらにきっぱりと実地に移されていくように思います。
スピリチュアリズムを知っているかどうかなどには関係なく、ましてや悠々塾とつながっていようがいまいが、誰もこの地上人類の霊性進化のプログラムからは逃れられないのです。
たしか以前に克からも伝えられていましたが、これは変な脅しなんかではなく、自分が幸せになっていくための、最も確実な方法なのだと思います。

変に自分を守って何かにこだわっていくのではなく、自分を役立てる喜びに皆さんがつながっていけると、きっと間違いなくもっと素敵な人生、もっと輝く地上界になりますね。

『自分の長所や輝きを喜べずに、ないものにすること→貢献できる力、その人にしかできない役割があるのにしないこと。
それは本人の自己評価がどうであれ、社会的な評価がどうであれ、利己的なんだと思います。』
『あなたには、あなたにしかできないことがある。役割がある。(今のあなたがどうであれ!!)』

■(「幸せになるためにはどうすればよいのでしょうか?」というメールを、最近何通かいただいているので、この投稿はその返信を兼ねて書きました。)

31/08/2009(月) 23:31:33

No.6019  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
◆これは決してAさんに向けてのことではなく、僕の気持ち・感覚なので、どうかその意味で読んでほしいのですが・・・。

>きっと今の安定した地位にいる人たちの多くは、自分なりの努力をしてきたと思っている人たちが多いのではないかと思います。(私も正直に言ってそこに繋がってしまう自分います。)
>今の地位を築くに至ったその人なりの苦労(家族を養うために歯を食いしばってがんばったことや耐えがたいことを耐えてきたことなど)の一端を認めてもらえることで、心に余裕ができ、周りのことを思いやれるようになるのではないか・・・。

こういう気持ちは僕にも分かります。
社会的に成功している人たちは、(一概には言えないとしても)能力や自分の努力が報われたから今の収入と地位を得ているのは、その通りだと思います。

ただ、僕がひねくれているのかもしれませんが、今の格差社会において、解雇されたり、低所得で不安定な仕事についている人たちは、「じゃあ、自分たちが努力をしないで、歯を食いしばって頑張ってこなかったから、今の状態に置かれていると言うことなのか」と受け取る人も少なくないように思ってしまうのです。
それって、自己責任論に行き着くのじゃないかと。
春が来るさんとのやり取りの時にもそう感じて、やや感情的に「今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。」と書いてしまったのでした。
ただでさえ苦しく厳しい状況に追い込まれている人たちの気持ちを思えば、いたたまれない気持ちになるのです。

問題になった僕の投稿で、僕も「立場によって受け取り方や感じ方はいろいろなんだな」ということを学びました。
自分では全くそういう気持はなかったので、言われて、さきさんと話したりしているうちにようやく気づいたのですが、高収入の人や一定の安定と収入を得ている人たちへの配慮が足りなかったのだと思いました。

それと同じように、あるいは僕よりももう少し、春が来るさんやAさんも、今の社会で虐げられている人たちへの共感や心遣いが足りないのではないか、だからそういう表現になるのではないかと思ってしまう僕がいます。

同じ人間であっても、今の世の仕組みの中で、成功につなげていく能力や努力の違いはあるのかもしれません。
ですから、能力がある人が努力や幸運によって、どんなに大きな成果や報酬を手にしても、僕はそれはそれでよいのだと思っています。

ただ、その一方で、生きることさえ苦しい状況に追い込まれていく人たちが置き去りにされてしまうことがいたたまれないのです。
すぐには社会のシステムを変えることもできず、何がしかの支援もできないのであれば、せめて同じ人間としての共感の心を向けずにはいられないのです。

すみません。
話を蒸し返すつもりは全くありません。
誰を責めているのでもありません。
そういうことではなしに、ただただ、僕の気持ちを書きたかったのです。
。。。。。。。。

完全失業者が359万人います。
企業が政府の補助を受けて、仕事がないのに雇用を維持している、企業内失業者は600万人もいるそうです。
この人たちは近いうちに解雇されることになる可能性が高いので、実質的に約1000万人の失業者がいる状態です。

皆が、「生きていてよかった」と思える社会になることを、切に願います。

01/09/2009(火) 18:30:00

No.6020  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
すみません、もう少し書かせてください。
以前、相談を受けた30歳代の男性のことです。

彼は独身時代、福祉施設に勤めていました。
好きな人ができて、結婚するにあたり、子供ができた時のことを思えば、その施設での給料では生活が苦しすぎるので、転職しました。
実際、結婚して間もなく奥さんは妊娠しました。
不規則な勤務で、深夜にも呼び出しがかかるような仕事でしたが、一定の給料があったので、彼は頑張っていました。

子供が生まれてしばらくした頃、その会社の経営不振によって退職を余儀なくされ、次の仕事はなかなか見つかりません。
ようやく就職先が決まりましたが、出来高払いの仕事で、この不況下のことですから、極めて低所得です。
油断をすれば事故で生命に関わる仕事なので、緊張や責任の重圧はいつもあります。

しかし、奥さんと子供の待つ家に、持って帰れる給料は少なく、奥さんは生活の苦労と将来の不安が募ります。
給料を持って帰っても、「ありがとう。お疲れさま」とはなかなか言えない状態になってしまいます。
感謝やねぎらいよりも、つい不平や不満が口から出るようになってしまいます。
収入に負い目のある彼は、「俺も頑張っているんだ」とは言いにくく、でも疲れややりきれなさは募ります。

些細なことからの夫婦喧嘩も多くなり、次第に会話も少なくなって、彼は家では自分の世界に篭るようになってきます。
それがお互いの喜びであるはずもなく、夫婦はさらに気持ちが通わなくなって、子供の前でも言い争いをするようになってしまいました。

そういう中で、彼は体調を崩し、しばらくの間仕事を休まなくてはならなくなります。
出来高払いの仕事なので、さらに収入は落ち込みます。
「これから自分たちはどうしていけばよいのでしょうか?」という相談でした。
二人とも真面目な人で、責任感や努力が欠けているわけではありません。

僕は奥さんに、彼の辛さや頑張りを話し、彼に感謝とねぎらいの心と言葉を向けるように伝えました。
彼の気持ちを引き出し、共感とともに、僕からもねぎらいました。
大事なことはきっと伝わったと思います。

でも、今の社会の仕組みが続く限り、彼らの生活の苦しさや、将来への不安は拭うことは難しいでしょう。
僕もスピリチュアルカウンセラーですから、「そういう状況の中で、どういう心を抱き、どういう言動をしていくのか。こういう時こそ、不満や不安ではなく、感謝とねぎらいと安心を持つように。必ずふさわしく導かれるのだから」ということは伝えます。
それが幸せに向かう唯一の道筋だということも知っています。

それでも、「今の社会が人間にもう少し優しければ。もう少し格差が是正されて、皆がささやかでもごく普通に生活していける社会であれば・・・」と思わずにはいられないのです。
分かってはいても、やはりいたたまれない気持ちになってしまうのです。

それは霊的真理を学び、伝える側の人間として未熟なのかもしれません。
でも僕は、社会の仕組みに虐げられながらも自分たちのささやかな幸せを願い、それが叶わない苛立ちに傷つき、傷つけ、時には自分の人生に絶望感を抱いてしまう人たちと共に、彼らに少しでも希望と安らぎをもたらすために、生きていきたいのです。
僕も長い間、同じような思いを抱いて生きてきました。
今でも、経済的に余裕があるとはとてもじゃないけど言えない状態ですが、僕は「これが自分の働きだ」と思える、何ものにも換え難い喜びの中で仕事をさせていただいています。
でも、生活を維持するために働いているのに、生活できないぐらいの低収入で、雇い主の都合でいつ解雇されるかも分からないという状態に置かれている人たちが大勢います。
あるいは使い捨てにされて、終わりです。
だから、そういう人たちに寄り添って、「僕らは同じ仲間なんだよ。大丈夫、必ず幸せになれるから」と言い続けたいのです。

年配の人でも、幼い頃の貧しさや家庭環境によって、その後の数十年もの人生が影響され続けている人もたくさんおられます。
そういう意味では、ほとんど全ての人がそうでしょう。
もちろん、育った家庭の心のありようが陰を落ちしている場合も少なくありません。
でも、お金や目に見える境遇によって傷ついたままの人も大勢おられます。
60数年前の戦争で体験したことや目にしたことが、その後の人生を歪めてしまった人も少なくありません。
兵士として人を殺し、戦友の死を目の当たりにし、あるいは幼い子供が、焼け焦げた死体がいたるところに転がっている中を逃げ惑うのですから、トラウマになるのも無理はありません。

全ては必然であるということを知ってはいますが、やはり「もう少し時代が人間に優しかったならば、この人の人生は大きく違っていただろうに・・・」と、なんとも言えない気持ちになってしまいます。
だから何としても、人間に、皆に優しく平和な時代を作っていきたいのです。

01/09/2009(火) 21:11:03

No.6021  春が来る
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
ぬまさん、さきさん

>それと同じように、あるいは僕よりももう少し、春が来るさんやAさんも、今の社会で虐げられている人たちへの共感や心遣いが足りないのではないか、だからそういう表現になるのではないかと思ってしまう僕がいます。

カウンセリングでいろいろな苦しい状況に置かれている人達と直接話す機会が多いぬまさんやさきさんは、きっと私よりもずっと切実に現在の格差社会のひずみを感じておられるのだと思います。

>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・

私は、この文章によってAさんの様に思われる方がおられるのではないか、と感じました。しかし、この文章に続いて、

>しかし、ぬまさんの仰りたいことの趣旨は分かりますし、エーちゃんさんも趣旨はご理解されているように思うのです。

と、書いています。決して、ぬまさんを責めるつもりで書いたのではありません。

私が、大変な状況の人たちのことを「分かっていない」、と言われれば反論できません。
ただ、私なりにではありますが、15〜6年前から、アフリカの子供達やアフガニスタン、国境なき医師団などに支援をさせていただいています。釜が崎でホームレスの方々を支援するキリスト教系の団体にも衣類やお米を送ってきました。
(この様な事を言うつもりはなかったのですが、いきがかり上、お許しください)

(このままの社会システムでいい、というわけではなく、)一方に理解を示そうとする事が、即、もう一方を理解しようとしていない、ということになるのか、この様な論理が私には分かりません。

>それって、自己責任論に行き着くのじゃないかと。
春が来るさんとのやり取りの時にもそう感じて、やや感情的に「今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。」と書いてしまったのでした。

私は、現在、大変な状況に置かれている人達に対して「自己責任論」を抱いたことはありません。むしろ「自己責任論」を批判的に見てきました。
この様に思われたのなら、残念です。
しかし、ぬまさんがそう思われたのなら、私にそう思わせるものがあるのか、自分を見つめていこうとは思います。
「わたくし」的な事で、もう論戦を繰り広げるつもりはありません。
ただ、私はAさんの文章から、Aさんが「自己責任論」を展開される方だとは感じませんでした。

>きのう、京都までの道すがら、去年受けた直接ヒーリングの事を思い出していました。(その節はお世話になりありがとうございました)

主人と私は、ある事で、今の世の中の仕組み造りに直接かかわっている人と、かかわらざるをえないようになりました。
傲慢で屈辱的な対応に、幾度、憤りを覚えたことでしょう。
でも、会う度に5時間程話したり、電話でも4時間程話していく中で、次第にこちらの言う事に理解を示してくださるようになりました。
決して、迎合ではなく、言うべきことは言ったつもりです。
そして、後には、人前で、私達と関係を持てたことを誇りに思う、と言ってくださいました。
その間、私達がとってきた言動に対して、克子さんがねぎらいの言葉を伝えてきてくれた事がとても嬉しかったです。

この様に、少し前に書きましたが、私達がそのご夫妻に対して憤り、関係を断つことは簡単でした。この直接ヒーリングの際、ぬまさんやさきさんは、主人と私が受けた屈辱的な対応に目をうるませて共感してくださいましたね。うれしかったです。

ただ、その頃は、そのご主人の仕事の厳しさ、お仕事の厳しさからくるご夫婦のすれ違い、そして、ご夫婦それぞれの淋しさを知っていましたし、私達に対して信頼を置くようになってくださっていたので憤りはありませんでした。
初めは、「離婚」という言葉も出る程、夫婦仲の悪かった、そのご夫妻の関係も変わってきました。私は、そのご主人がお仕事においても変わっていってくださる事を願っています。(なまいきに思われるかもしれませんが・・・)

「釈迦に説法」の様に感じられたらお許しくださいね。

このご夫妻は物質的な面においても、とても利己的でした。
そのご夫妻と真剣にかかわっていた時、私達の頭にあったのは「地上人類の歩み」に書いてあった、次の箇所でした。

「彼らは一時的な戦いの終結や、形ばかりの平和を求めてはならなかったのだ。凝集する者に限りなき光を注ぐことにより、かげりを乗り越える光、新たなる『調和』を目指さなければならなかったのだ。
攻撃に対して防戦で応えるのではなく、攻撃に対しては、さらに大きな慈しみと許しとによって応えるべきだったのである。」

主人と「全ての人の魂に神性が宿っているはずやもんね・・・」と言いながら、その事を信じてそのご夫妻と向き合った日々を思い出していました。





























ぬまさん、さきさん
>それと同じように、あるいは僕よりももう少し、春が来るさんやAさんも、今の社会で虐げられている人たちへの共感や心遣いが足りないのではないか、だからそういう表現になるのではないかと思ってしまう僕がいます。

カウンセリングでいろいろな苦しい状況に置かれている人達と直接話す機会が多いぬまさんやさきさんは、きっと私よりもずっと切実に現在の格差社会のひずみを感じておられるのだと思います。

>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・

私は、この文章によってAさんの様に思われる方がおられるのではないか、と感じました。
しかし、この文章に続いて、

>しかし、ぬまさんの仰りたいことの趣旨は分かりますし、エーちゃんさんも趣旨はご理解されているように思うのです。

と、書いています。

私が、大変な状況の人たちのことを「分かっていない」、と言われれば反論できません。
ただ、私なりにではありますが、15〜6年前から、アフリカの子供達やアフガニスタン、国境なき医師団などに支援をさせていただいていますし、釜が崎でホームレスの方々を支援するキリスト教系の団体にも衣類やお米を送ってきました。
(この様な事を言うつもりはなかったのですが、いきがかり上、お許しください)
(このままの社会システムでいい、というわけではなく、)一方に理解を示そうとする事が、即、もう一方を理解しようとしていない、ということになるのか、この様な論理が私には分かりません。

>それって、自己責任論に行き着くのじゃないかと。
春が来るさんとのやり取りの時にもそう感じて、やや感情的に「今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。」と書いてしまったのでした。

私は、現在、大変な状況に置かれている人達に対して「自己責任論」を抱いたことはありません。むしろ「自己責任論」を批判的に見てきました。
この様に思われたのなら、残念です。
しかし、ぬまさんがそう思われたのなら、私にそう思わせるものがあるのか、自分を見つめていこうとは思います。
「わたくし」的な事で、もう論戦を繰り広げるつもりはありません。
ただ、私はAさんの文章から、Aさんが「自己責任論」を展開される方だとは思いませんでした。

>きのう、京都までの道すがら、去年受けた直接ヒーリングの事を思い出していました。(その節はお世話になりありがとうございました)

主人と私は、ある事で、今の世の中の仕組み造りに直接かかわっている人と、かかわらざるをえないようになりました。
傲慢で屈辱的な対応に、幾度、憤りを覚えたことでしょう。
でも、会う度に5時間程話したり、電話でも4時間程話していく中で、次第にこちらの言う事に理解を示してくださるようになりました。
決して、迎合ではなく、言うべきことは言ったつもりです。
そして、後には、人前で、私達と関係を持てたことを誇りに思う、と言ってくださいました。
その間、私達がとってきた言動に対して、克子さんがねぎらいの言葉を伝えてきてくれた事がとても嬉しかったです。

この様に、少し前に書きましたが、私達がそのご夫妻に対して憤り、関係を断つことは簡単でした。この直接ヒーリングの際、ぬまさんやさきさんは、主人と私が受けた屈辱的な対応に目をうるませて共感してくださいましたね。うれしかったです。

ただ、その頃は、そのご主人の仕事の厳しさ、お仕事の厳しさからくるご夫婦のすれ違い、そして、ご夫妻それぞれの淋しさを知っていましたし、私達に対して信頼を置くようになってくださっていたので憤りはありませんでした。
初めは、「離婚」という言葉も出る程、夫婦仲の悪かった、そのご夫妻の関係も変わってきました。私は、そのご主人がお仕事においても変わっていってくださる事を願っています。(なまいきに思われるかもしれませんが・・・)

「釈迦に説法」の様に感じられたらお許しくださいね。

このご夫妻は物質的な面においても、とても利己的でした。
そのご夫妻と真剣にかかわっていた時、私達の頭にあったのは「地上人類の歩み」に書いてあった、次の箇所でした。

「彼らは一時的な戦いの終結や、形ばかりの平和を求めてはならなかったのだ。凝集する者に限りなき光を注ぐことにより、かげりを乗り越える光、新たなる『調和』を目指さなければならなかったのだ。
攻撃に対して防戦で応えるのではなく、攻撃に対しては、さらに大きな慈しみと許しとによって応えるべきだったのである。」

主人と「全ての人の魂に神性が宿っているはずやもんね・・・」と言いながら、その事を信じてそのご夫妻と向き合った日々を思い出していました。






























ぬまさん、さきさん
>それと同じように、あるいは僕よりももう少し、春が来るさんやAさんも、今の社会で虐げられている人たちへの共感や心遣いが足りないのではないか、だからそういう表現になるのではないかと思ってしまう僕がいます。

カウンセリングでいろいろな苦しい状況に置かれている人達と直接話す機会が多いぬまさんやさきさんは、きっと私よりもずっと切実に現在の格差社会のひずみを感じておられるのだと思います。

>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・

私は、この文章によってAさんの様に思われる方がおられるのではないか、と感じました。
しかし、この文章に続いて、

>しかし、ぬまさんの仰りたいことの趣旨は分かりますし、エーちゃんさんも趣旨はご理解されているように思うのです。

と、書いています。

私が、大変な状況の人たちのことを「分かっていない」、と言われれば反論できません。
ただ、私なりにではありますが、15〜6年前から、アフリカの子供達やアフガニスタン、国境なき医師団などに支援をさせていただいていますし、釜が崎でホームレスの方々を支援するキリスト教系の団体にも衣類やお米を送ってきました。
(この様な事を言うつもりはなかったのですが、いきがかり上、お許しください)
(このままの社会システムでいい、というわけではなく、)一方に理解を示そうとする事が、即、もう一方を理解しようとしていない、ということになるのか、この様な論理が私には分かりません。

>それって、自己責任論に行き着くのじゃないかと。
春が来るさんとのやり取りの時にもそう感じて、やや感情的に「今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。」と書いてしまったのでした。

私は、現在、大変な状況に置かれている人達に対して「自己責任論」を抱いたことはありません。むしろ「自己責任論」を批判的に見てきました。
この様に思われたのなら、残念です。
しかし、ぬまさんがそう思われたのなら、私にそう思わせるものがあるのか、自分を見つめていこうとは思います。
「わたくし」的な事で、もう論戦を繰り広げるつもりはありません。
ただ、私はAさんの文章から、Aさんが「自己責任論」を展開される方だとは思いませんでした。

>きのう、京都までの道すがら、去年受けた直接ヒーリングの事を思い出していました。(その節はお世話になりありがとうございました)

主人と私は、ある事で、今の世の中の仕組み造りに直接かかわっている人と、かかわらざるをえないようになりました。
傲慢で屈辱的な対応に、幾度、憤りを覚えたことでしょう。
でも、会う度に5時間程話したり、電話でも4時間程話していく中で、次第にこちらの言う事に理解を示してくださるようになりました。
決して、迎合ではなく、言うべきことは言ったつもりです。
そして、後には、人前で、私達と関係を持てたことを誇りに思う、と言ってくださいました。
その間、私達がとってきた言動に対して、克子さんがねぎらいの言葉を伝えてきてくれた事がとても嬉しかったです。

この様に、少し前に書きましたが、私達がそのご夫妻に対して憤り、関係を断つことは簡単でした。この直接ヒーリングの際、ぬまさんやさきさんは、主人と私が受けた屈辱的な対応に目をうるませて共感してくださいましたね。うれしかったです。

ただ、その頃は、そのご主人の仕事の厳しさ、お仕事の厳しさからくるご夫婦のすれ違い、そして、ご夫妻それぞれの淋しさを知っていましたし、私達に対して信頼を置くようになってくださっていたので憤りはありませんでした。
初めは、「離婚」という言葉も出る程、夫婦仲の悪かった、そのご夫妻の関係も変わってきました。私は、そのご主人がお仕事においても変わっていってくださる事を願っています。(なまいきに思われるかもしれませんが・・・)

「釈迦に説法」の様に感じられたらお許しくださいね。

このご夫妻は物質的な面においても、とても利己的でした。
そのご夫妻と真剣にかかわっていた時、私達の頭にあったのは「地上人類の歩み」に書いてあった、次の箇所でした。

「彼らは一時的な戦いの終結や、形ばかりの平和を求めてはならなかったのだ。凝集する者に限りなき光を注ぐことにより、かげりを乗り越える光、新たなる『調和』を目指さなければならなかったのだ。
攻撃に対して防戦で応えるのではなく、攻撃に対しては、さらに大きな慈しみと許しとによって応えるべきだったのである。」

主人と「全ての人の魂に神性が宿っているはずやもんね・・・」と言いながら、その事を信じてそのご夫妻と向き合った日々を思い出していました。

































ぬまさん、さきさん
>それと同じように、あるいは僕よりももう少し、春が来るさんやAさんも、今の社会で虐げられている人たちへの共感や心遣いが足りないのではないか、だからそういう表現になるのではないかと思ってしまう僕がいます。

カウンセリングでいろいろな苦しい状況に置かれている人達と直接話す機会が多いぬまさんやさきさんは、きっと私よりもずっと切実に現在の格差社会のひずみを感じておられるのだと思います。

>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・

私は、この文章によってAさんの様に思われる方がおられるのではないか、と感じました。
しかし、この文章に続いて、

>しかし、ぬまさんの仰りたいことの趣旨は分かりますし、エーちゃんさんも趣旨はご理解されているように思うのです。

と、書いています。

私が、大変な状況の人たちのことを「分かっていない」、と言われれば反論できません。
ただ、私なりにではありますが、15〜6年前から、アフリカの子供達やアフガニスタン、国境なき医師団などに支援をさせていただいていますし、釜が崎でホームレスの方々を支援するキリスト教系の団体にも衣類やお米を送ってきました。
(この様な事を言うつもりはなかったのですが、いきがかり上、お許しください)
(このままの社会システムでいい、というわけではなく、)一方に理解を示そうとする事が、即、もう一方を理解しようとしていない、ということになるのか、この様な論理が私には分かりません。

>それって、自己責任論に行き着くのじゃないかと。
春が来るさんとのやり取りの時にもそう感じて、やや感情的に「今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。」と書いてしまったのでした。

私は、現在、大変な状況に置かれている人達に対して「自己責任論」を抱いたことはありません。むしろ「自己責任論」を批判的に見てきました。
この様に思われたのなら、残念です。
しかし、ぬまさんがそう思われたのなら、私にそう思わせるものがあるのか、自分を見つめていこうとは思います。
「わたくし」的な事で、もう論戦を繰り広げるつもりはありません。
ただ、私はAさんの文章から、Aさんが「自己責任論」を展開される方だとは思いませんでした。

>きのう、京都までの道すがら、去年受けた直接ヒーリングの事を思い出していました。(その節はお世話になりありがとうございました)

主人と私は、ある事で、今の世の中の仕組み造りに直接かかわっている人と、かかわらざるをえないようになりました。
傲慢で屈辱的な対応に、幾度、憤りを覚えたことでしょう。
でも、会う度に5時間程話したり、電話でも4時間程話していく中で、次第にこちらの言う事に理解を示してくださるようになりました。
決して、迎合ではなく、言うべきことは言ったつもりです。
そして、後には、人前で、私達と関係を持てたことを誇りに思う、と言ってくださいました。
その間、私達がとってきた言動に対して、克子さんがねぎらいの言葉を伝えてきてくれた事がとても嬉しかったです。

この様に、少し前に書きましたが、私達がそのご夫妻に対して憤り、関係を断つことは簡単でした。この直接ヒーリングの際、ぬまさんやさきさんは、主人と私が受けた屈辱的な対応に目をうるませて共感してくださいましたね。うれしかったです。

ただ、その頃は、そのご主人の仕事の厳しさ、お仕事の厳しさからくるご夫婦のすれ違い、そして、ご夫妻それぞれの淋しさを知っていましたし、私達に対して信頼を置くようになってくださっていたので憤りはありませんでした。
初めは、「離婚」という言葉も出る程、夫婦仲の悪かった、そのご夫妻の関係も変わってきました。私は、そのご主人がお仕事においても変わっていってくださる事を願っています。(なまいきに思われるかもしれませんが・・・)

「釈迦に説法」の様に感じられたらお許しくださいね。

このご夫妻は物質的な面においても、とても利己的でした。
そのご夫妻と真剣にかかわっていた時、私達の頭にあったのは「地上人類の歩み」に書いてあった、次の箇所でした。

「彼らは一時的な戦いの終結や、形ばかりの平和を求めてはならなかったのだ。凝集する者に限りなき光を注ぐことにより、かげりを乗り越える光、新たなる『調和』を目指さなければならなかったのだ。
攻撃に対して防戦で応えるのではなく、攻撃に対しては、さらに大きな慈しみと許しとによって応えるべきだったのである。」

主人と「全ての人の魂に神性が宿っているはずやもんね・・・」と言いながら、その事を信じてそのご夫妻と向き合った日々を思い出していました。

02/09/2009(水) 12:45:06

No.6022  春が来る
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
すみませ〜ん。

メモ帳に書いて、コピーして貼り付けようとしたのが、うまくいかなかった、と思って、四つも重なってしまいました。(泣)

出来れば、この投稿と↑の三つの文章を削除していただけないでしょうか?

お願いします。

それか、部分的削除ができなければ、全部削除してください。

もう一度、投稿し直します。

02/09/2009(水) 12:51:57

No.6023  エーチャン
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
飯沼さん

やはり、私の書き方がよくなかったようです。私の違和感の中身をうまく表現できなかったと思います。

最初に確認しておきますが、No.6011で飯沼さんがおっしゃっていること、私はよく分かりますし、私もそう言う気持ちをもっと強く持ちたいと願っています。

その上で、最初の私の投稿で述べた違和感について、もう一度説明させて下さい。

数ヶ月前、アメリカの保険会社AIGが幹部に高額のボーナスを出すというニュースが流れました。金融危機で破綻した会社が約束事ととはいえ、そのような高額のボーナスを出すという話に非難が殺到し、幹部連中は悪者扱いされました。表面的事実だけを見れば、悪者扱いも仕方ないでしょう。しかし、私はどうしてもその取り扱い方、報道の仕方に違和感を感じ、それは私のブログにも書きました。こういう幹部連中を強欲人間と決めつけてよいのか?そうではない、これらの人々の中にも良心に目覚める人もきっといるのです。人間は変わりうる、決めつけだけは絶対にいけない。

私は同じような決めつけを飯沼さんの以下の表現に感じてしまったのです。

「年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
その人たちが、今の社会のシステムを作り、(あるいは)その恩恵を受けているのだ。」

私は決して高額所得者を弁護するために言っているのではありません。人間を属性(所得水準、家柄、地位、人種、国籍等)で判断することにつながるような表現の仕方に抗議しているのです。

今なお、世間では人間を属性で判断する人が間違いなく半分以上いると思います。こういう人間観は分かりやすい、受け入れやすいのです、だがやはり人間は属性で判断できるものではなく絶えず変わりうる存在なのではないでしょうか。これはもうわかりきったことで、飯沼さんにこういうことを申し上げるのはまさに釈迦に説法で、大変失礼なことであると思っております。しかし現実には人間を属性で判断する、ということを半ば無意識のうちにしてしまう人が少なからずいるのです。スピリチュアリズムを標榜する別の人々のホームページをたまたま見たとき、「○○○人は霊性が低い」と書かれていてどきっとし、猛烈に腹が立ったたことがあります。

属性で人を見る、判断する、決めつけるということが人間の対立の一つの、そして決して小さくない、源泉となっていると思えてならないのです。しかもこういうものは、条件さえ整えば、粗雑であればあるほど、伝染しやすいように思うのです。(たとえばナチスの反ユダヤ主義)

飯沼さんの意図、考えはもうよく分かっているつもりです。特にNo.6020では飯沼さんの思いが直截に伝わってきて、「ああ、この人にはついていける」と改めて思わされました。(こんな人間がついてくるのは迷惑だとは思いますが)そして、No.6020の読後には最初に抱いた違和感も消えてしまいました。

最後に、飯沼さんに対し、大変失礼なこと、特にNo.6008の殴り書きのような投稿を書いてしまったことを深く反省しております。私自身いかに粗雑な人間であるか、思い知らされました。どうかお許し下さい。

さきさん

No.6013の投稿、本当に感動しました。改めてさきさんのすごさを実感しました。

「自分の長所や輝きを喜べずに、ないものにすること→貢献できる力、その人にしかできない役割があるのにしないこと。
それは本人の自己評価がどうであれ、社会的な評価がどうであれ、利己的なんだと思います。」

これはもう参りました、としか言いようがありません。がんばろうという意欲が湧いてきました。ありがとうございます。

Glass Ageさん

はじめまして。ケア・ハーディについてもっと知りたいとのこと、うれしいです。私の場合、シルバーバーチの本で出会ってから、あまり時間がたっていない頃、古本屋で次の本を見つけたのです。

「人類の知的遺産 55 ケア・ハーディ 著者:小川喜一」(出版社:講談社)

500円でしたから迷わず買いました。今では私の宝の一つです。現在は絶版になっていますが、大きな古本屋、あるいはアマゾン等では古本が入手できるかと思います。また、ある程度の大きさの図書館では蔵書しているかと思います。著者の小川喜一さんのケア・ハーディへの惚れ込みようが、文章を通して伝わってきます。実際、ケア・ハーディはそれだけの人物だと思います。

02/09/2009(水) 13:56:23

No.6024  代理投稿
飯沼さんより 引用
春が来るさんへ。
はーい。僕は責められているなんて全く思っていませんから大丈夫です(笑)
僕は、今の格差社会の実態を、統計上の数字で書いただけでした。そして、高収入層に属している人たちが、社会的富の配分や企業における利益の配分の権限を持っていることを示唆しました。

昨夜の投稿、は全くもって感覚のレベルの話なので、またまた不快な思いをさせてすみません。
僕ももちろん、春が来るさんやAさんを責めているのでも批判しているのでもありません。
ただ、今の格差社会で比較において、立場的にも経済的にも恵まれいる人が、「自分たちはストレスの中で責任を担っているから」とか「自分たちは努力してきたから」と言ってしまえば、低収入の中で家族を養う責任に苦悶している人たちや努力していても低収入に置かれている人たちはどう思うだろうかと思って、なんだかいたたまれない気持ちになったのです。
何も批判されたわけでもないのに「自分はこんな気持ちになった」と、敢えて自分の立場の気持ちを表現せずにいられないなら、非常に厳しい立場に置かれている人たちの気持ちも考えてこそ、立場の違いを越えた理解になるんじゃないかと感じました。僕なりの感覚かもしれませんが、違う立場に置かれている人たちの気持ちを考えてみてほしくて書きました。
昨夜も書いたように、春が来るさんやAさんの気持ちは分かるのです。僕の書き方がそういう気持ちにさせてしまったのだと思いました。
だからこそ、春が来るさんやAさんにも立場の違う人たちの気持ちにも心を向けてみてほしいと思うのです。

これはあくまで僕の気持ちと願いであり、指摘やアドバイスではありません。

☆実は今、外出中なので代理投稿してもらいます。

02/09/2009(水) 17:10:58

No.6025  春が来る
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
分かりました。

ぬまさんの仰ったこと、しっかりと胸に受け止めます。

02/09/2009(水) 20:58:00

No.6026  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
☆春が来るさん

帰ってきて掲示板を見たら、6021はすごい重複投稿になっていますね。
スレッドが長すぎて、僕の携帯からは読めなくなっていたので、本文だけ転送してもらって読みました。
重複投稿のことも聞いたのですが、管理者のパスワードを覚えていなくて・・・。

今から全文削除したら、投稿のつながりが前後してしまうので、このまま置いておきましょう。

春が来るさんの方で投稿者パスワードを入れてあれば、修正できますよ。

☆エーチャンさん

真意を理解してもらえてよかったです。
AIGの幹部の高額ボーナスへの批判と属性がどうつながっているのか僕には理解できませんが、この件はまたいずれということで。

02/09/2009(水) 23:22:42

No.6027  春が来る
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
ぬまさん

>帰ってきて掲示板を見たら、6021はすごい重複投稿になっていますね。

ごめんなさ〜い。
メッセージ欄に貼り付けたら、真っ白だったので、数回貼り付けてしまいました。
私の文章の下の空白部分が画面に出ていて真っ白だったようですが、すべて、貼り付けられてたようで、こんな事になりました。

投稿者パスワード、分かりませ〜ん。
それに、また変な事をしてしまいそうで・・・(-д-;)

場所をとって申し訳ないのですが、お許しください。


エーチャンさん

途中でコメントをいただいていたのに、失礼しました。
話の流れがありましたので、落ち着いた時に、と思っていました。

あらためまして、こちらこそよろしくお願いいたします。

AIGに関しては、私も思う所があるのですが、また、機会がありましたら・・・

03/09/2009(木) 07:52:17

No.6028  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 一緒に考えていきたいです 引用
>それに、また変な事をしてしまいそうで・・・(-д-;)

何を今さら可愛いこと言ってるの?(笑)、

03/09/2009(木) 10:30:07


No.5984 Glass Age  
真剣勝負にどきどき 引用
こんばんは。新参者のGlass Ageです。
飯沼さんと皆さんとの丁丁発止の真剣勝負にどきどきしました。
皆さんすごいですね!
飯沼さんも結構意地っ張り(失礼!)なら、他の皆さんも一歩も引かずに自論を展開されていて、圧倒されました。
こういう自由に書き込める掲示板はすぐに炎上しがちですが、そうはならずに、しかも真剣勝負が展開されているのは、きっと皆さんの間に信頼関係があるからなんでしょうね。
とても貴重だと思います。

と言うのも、スピリチュアルな集まりというのは、どうしても一人の人が教祖やスターのような存在になって、まわりの人たちが自由にものを言えない関係になりがちです。

悠々塾は、どう見てもそんな風になりそうもないな(笑)・・・という意味で、とても貴重だと思いますし、逆に安心感をもちました。

第三者的な感想になってしまいましたが、新参者なのでご容赦を。

28/08/2009(金) 23:34:19


No.5985  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
☆Glass Ageさん、皆さんへ

投稿、ありがとうございます。
そんなふうに、今回のやり取りを読んでもらえて嬉しいです。

僕って、意地っ張りなんですかね?(笑)
まあ、「こんなに説明しているのに、なんで分からないんだ?」と思ってしまう傾向はあるようですから・・・。
いい歳をして、至らぬことです。

それと、僕は幼い頃から、人の言葉の奥にある動機(本音)が実体を持って伝わってくるということがありました。
小学校の低学年の頃も、たとえば先生が言っている言葉と違う動機を持っていたりすると、言葉よりも動機の方に実体を感じてしまう子供でした。
でも周囲のクラスメイトは誰もそんなことは感じてはおらず、自分だけが感じていることが苦しくて、いつも孤独感を抱いていました。
「皆はどうして(本当のことが)分からないんだろう?」という思いがずっとありました。
それがあまりに苦しかったので、見えない情報は一切ないものにして、形あるもののみに意味を持たせる唯物論者になっていました。

スピリチュアリズムを知って、「オーラにはその人の全ての想念・動機が、ありのままに刻まれている」ということを知って、僕の子供の頃のことが納得できました。
人のオーラの情報を感じ取っていたのだと思います。
堀江と出会って、彼女も子供の頃からずっとそうだったという話を聞いて、初めて人とそういう思いを共有できたのです。

その堀江も霊界に戻り、その彼女から「その人の動機の底にある“願い”を見るように」と伝えられています。
分かってはいるのですが、そこはまだまだ僕の課題として残っていると思います。

MOMOさんという方の“動機”はかなり強烈でしたが、皆さんは僕と同じようには感じなかったのかもしれません。
僕はその動機に反応して、あの返信を書いたという面もあり、それについては何人かの仲間から、「過剰反応しているのではないか」と注意を受けてしまいました。

実は、単に過剰反応して書いたというだけではなく、ここでは公表すべきではない他の理由があって、あえてああいう対応をしたのですが、いずれにしても、僕の書き方に不快感を持った方もおられたと思います。
お詫びいたします。

まあ、僕は決してお上品でお行儀のよい人間ではありませんし、自分としての感情も出していってこそ自分だと思っているし、他の理由もやはりあるので、これからもああいうことはあるかもしれませんが。

こういう感じのところですが、これからもよろしくお願いいたします。

29/08/2009(土) 01:44:18

No.5986  ゆりか
Re: 真剣勝負にどきどき 引用


Glass Ageさん、はじめまして!

「飯沼さんと皆さんとの丁丁発止の真剣勝負にどきどきしました。
皆さんすごいですね!」
     ↑
同感です。
私もどきどきしながら掲示板を読ませてもらっていました。
途中で、何度か投稿しようとトライしたのですが、最初に投稿されたエーちゃんさんの話の筋から逸れることなく、自分の感じた事を率直に、話をややこしくすることなく書こうと思っている間に、NO.が、どんどん増えていったので、後半では、完全に第三者の立場に立っていましたよ(笑)
掲示板への書き込みというのは、時間内で済ませる会議と同じような感覚があって、書き込むタイミングを逃すことが多いです。
皆さんの書き込みを読みながら、もっと積極的に書いていきたいと思いました。

「スピリチュアルな集まりというのは、どうしても一人の人が教祖やスターのような存在になって、まわりの人たちが自由にものを言えない関係になりがちです。
悠々塾は、どう見てもそんな風になりそうもないな(笑)・・・という意味で、とても貴重だと思いますし、逆に安心感をもちました」
   ↑
ほんとにそうですよね!!
それぞれの個性があって、全員が学びの途中にいる仲間やね!って感じで、安心できるんですよね。
私は、今、ドネの活動や悠々塾の事を、現実社会の中で、毎日を必死で生活している多様な価値観をもった人達に宛てての、いい塩梅の紹介文を書こうとしているのですが、なかなかむつかしいです。
でも、今の世界の現状やこれから先の事を思うと、行動せずにはいられない!!っていう自分の気持ちに素直に従って、書き上げていくつもりです。
Glass Ageさんの書いてくださったこの文章は、直接私に宛ててのもではないけれど、何かしら沢山の元気をもらえたので、お礼を言いたくて。。。
どうもありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。







   

  

29/08/2009(土) 02:01:10

No.5987  さき
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
Glass Ageさん、ゆりかさん、
投稿ありがとうございます!!

みなさんどんな風に感じておられるのかな。
内容についても、雰囲気についても、他の方ももっと書いてくれたらいいんだけど。。と思いながらやり取りしていました。
ゆりかさんの書かれてるタイミングとかもわかるし、自分だって公開の場で書くのは気も使うし、書きにくいのもわかるんですけどね。

それぞれの個性や持ち味ってあるわけだし、感じ方ってみんな違うと思うし。違いがあっていいわけだし、あって当たり前だし。違うことが、分断や対立になるんじゃなくてより大きな喜び、普遍の方向に向かうような、そんなやりとりの仕方や関係性の築き方を、皆さんと一緒に(ドタバタしながら)互いに鍛えあいがら、創っていきたいと思っています。

実践としてのスピリチュアリズム、それをぬまが書いてたようにこの地上で形にする、一般化する、ってそういう作業抜きにありえへんと思ってます。
それって、みんなが、ひとりひとりが置かれてきた環境や立場のなかで培ってきたものが、役立つことやより大きな喜びになっていく、ということでもあると思うんです。一緒にそういうプロセスを創っていきたいんです。

ぬまさんも私も、そんなに立派でもよく出来てるわけではないです。(あたりまえですが。。ぬま、一緒にしたら怒るかな?)
だから皆さんと一緒に学びながら、一緒に変わっていきたいです。
そのなかでしか、地上界は変わらないです。

だからみなさんの声を聞かせてほしいし、できたらこういう場面でも掲示板に参加してほしいなって思ってます。
私自分で寛容なほうだと思うけど、ここは譲れないと思ったら黙ってられないところがあります。そのことで気づくこともあります。
人って「真剣勝負」のなかで鍛えられるんだよね。
今回のやりとりで気づいたこともあるし、またあらためて書きたいです。

ゆりかさん
>それぞれの個性があって、全員が学びの途中にいる仲間やね!って感じで、安心できるんですよね。
私は、今、ドネの活動や悠々塾の事を、現実社会の中で、毎日を必死で生活している多様な価値観をもった人達に宛てての、いい塩梅の紹介文を書こうとしているのですが、なかなかむつかしいです。
でも、今の世界の現状やこれから先の事を思うと、行動せずにはいられない!!っていう自分の気持ちに素直に従って、書き上げていくつもりです<

同感です!!同じこと、したいと思ってます。
めちゃ嬉しいわ、ありがとう〜

★追記です
私がこんな風に言えるのも、偉そうに書けるのも、この場をつくってくれているぬまさんがいてくれるからこそだと思います。
ぬま、いつもありがとう。

29/08/2009(土) 10:08:41

No.5988  ちぃ
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
こんにちは。私もドキドキしながら拝見していました。
Glass Ageさんの
>こういう自由に書き込める掲示板はすぐに炎上しがちですが、そうはならずに、しかも真剣勝負が展開されているのは、きっと皆さんの間に信頼関係があるからなんでしょうね。
>とても貴重だと思います。
>と言うのも、スピリチュアルな集まりというのは、どうしても一人の人が教祖やスターのような存在になって、まわりの人たちが自由にものを言えない関係になりがちです。
>悠々塾は、どう見てもそんな風になりそうもないな(笑)・・・という意味で、とても貴重だと思いますし、逆に安心感をもちました。

を拝見して、ほんと!その通りだーと思い、そういう場を提供して下さっているヌマや、そういう場を作って下さっているヌマや皆さんに改めて感謝です!

私は自己主張が激しいわりに、どうでもいい事は必要以上に話すのに、自分の意見や考えを表現するのは苦手で、ましてやそれが相手と異なる場合は更にです。
それはこの掲示板に限らず、ブログでもそうで、実生活でもそうです。
自分としての考えがしっかりあって、伝えたいなと思うし、伝える必要性も分かっているのに書けない・言えない。
どんな風に思われるだろう、どんな風に言われるだろう、否定されたらどうしよう、間違ってたらどうしよう、そればっかり考えてしまって書けないのです。

ここのところ、このままではいけないのにどうしても言えなくてずっと悩んでいた事がありました。
それは上記に書いた思いから言えなくなっていたのですが、にも関わらず、相手が激しい人だから言えない、言ったら大変な事になるから言えないと、相手の問題かのように捉えている私が居て。。
でも先日、不調和がもうほんとにギリギリのところに来て、しかも別の仲間にSOSを出されてようやく意見を伝える事が出来ました。
今までの思いが爆発するかのように、ズバッと言ってしまったのですが、私が想像していたのと違って波風立たず相手に伝わりました。
もちろん、相手には相手の考えや気持ちがあってそれを伝えて下さいましたが、大変な事になるわけでなく、その後、皆が確実に変化して良い方向へ動き始め・・・
私が自分に自信が無く、と同時に相手や皆を信じきれていないからこれまで言えなかったのだと思います。
申し訳なく思うと共に、自分が思っていた以上に信頼してもらえていた事を嬉しく思いました。

たとえ相手にも問題があったとしても、躊躇する理由は自分の中にあるのだと思いました。
自分を信じて自信を持ち、と同時に、相手を信じ、調和や幸せを願って、これからも自分の思いや考えを伝えていきたいと改めて思っています。

そしてもう1つ。さきさんの言葉から大切な事に気づかせて頂きました。
>それぞれの個性や持ち味ってあるわけだし、感じ方ってみんな違うと思うし。違いがあっていいわけだし、あって当たり前だし。違うことが、分断や対立になるんじゃなくてより大きな喜び、普遍の方向に向かうような、そんなやりとりの仕方や関係性の築き方を、皆さんと一緒に(ドタバタしながら)互いに鍛えあいがら、創っていきたいと思っています。

私は感じ方や考えが違って当然だと思いながらも、違うことを否定的に受け止めてしまっているところがあると思います。
やっぱり私はダメなんだと思ったり、私の気持ちや考えを分かってくれない!と思ってしまったり、否定されたと思ってしまってるなーと。
今更ながら目から鱗です。
違いがあるからこそ学ばせてもらうことがたくさんあって、そしてまさに
>みんなが、ひとりひとりが置かれてきた環境や立場のなかで培ってきたものが、役立つことやより大きな喜びになっていく、ということでもあると思うんです。
だと思いました!!
自分を喜ぶことと人(相手)を喜ぶことはやっぱり同じなのだと改めて実感しています。
私もほんとに頑張ります!

29/08/2009(土) 13:32:37

No.5989  春が来る
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
きょう、主人に今回のやりとりを読んでもらいました。(平日は疲れて帰ってくるので、込み入った話はほとんどしません。)
主人は私の考えを分かってくれていますが、私の言いたいことが伝わっていないと思うとのことでした。
私の文章力では、私の言いたかったことを伝えられていない、ということです。ひとえに私の文章力のなさです(苦笑)
そして、論点がズレているということです。お騒がせしました。

>今度会ったときに、また、ぐだぐだやりあいましょう(笑)

ぬまさん、その方がお互い思っていることが伝わりやすいですね(笑)
特に、私の様に、文章力がない場合(苦笑) 
まあ、これも「勉強」なのでしょうが・・・

克子さんが言ってきてくれているように、地上人類は霊性進化の大きな節目を迎えているのだと思います。
搾取・抑圧・虚偽等による独占・占有から、真実・自由に基づく分かち合いの地上界に変わっていくべき時なのだと思います。

私が(自分なりの)視点で言いたかったのは、この変化がさきさんが言っているように、「違うことが、分断や対立になるんじゃなくてより大きな喜び、普遍の方向に向かうような、そんなやりとりの仕方や関係性の築き方」の中で、成されていくことを願う、ということでした。

きのう、京都までの道すがら、去年受けた直接ヒーリングの事を思い出していました。(その節はお世話になりありがとうございました)

主人と私は、ある事で、今の世の中の仕組み造りに直接かかわっている人と、かかわらざるをえないようになりました。
傲慢で屈辱的な対応に、幾度、憤りを覚えたことでしょう。
でも、会う度に5時間程話したり、電話でも4時間程話していく中で、次第にこちらの言う事に理解を示してくださるようになりました。
決して、迎合ではなく、言うべきことは言ったつもりです。
そして、後には、人前で、私達と関係を持てたことを誇りに思う、と言ってくださいました。
その間、私達がとってきた言動に対して、克子さんがねぎらいの言葉を伝えてきてくれた事がとても嬉しかったです。

明日は、選挙の投票日です。

派遣切り、雇い止めをされて職と住まいを失いネットカフェ難民となった人々やホームレス状態になった人々の多くは、住民票がないため選挙権がありません。
これらの方たちは、この4年間の政治による最大の犠牲者と言えると思うのですが、政治に異議申立てをしたくても、選挙で投票によって意思表示することさえ出来ません。

明日は、これらの方たちの代弁者になったつもりで、20歳になり、初めて投票をする娘と共に投票に行ってきます。

29/08/2009(土) 14:36:30

No.5990  ゆりか
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
ぬまさん・さきさんへ

その堀江も霊界に戻り、その彼女から「その人の動機の底にある“願い”を見るように」と伝えられています。
    ↑
動機って 大切なものですよね。
今存在している全てのものは、神からの喜びのエネルギーを注がれているのだから、みんな何らかの喜びがあるからこそ、地上で生きている筈やし、心は際限なく伸縮するものやから、自分への囚われの濃淡さの違いによっては、他者から向けられる精一杯の愛さえも感じれない状況もできてしまう。
でも、自分で気がつかない(まだ気がつきたくない?)動機の底にある願いに喜びのエネルギーを注いでもらうことで、人は、より大きな喜びに共鳴できるチャンスをもらえるんだと思う。後は、本人があきらめることなく努力し続けることで、人は、本来の自分に近くなれるのだと思う。
一言で言えば、「全てを受け入れる(嫌な事も嬉しいことも)」ってことを、ややこしく書いた気がするけど、このまま投稿させてもらいます。

とても熱いさきさんの文章から、いっぱいのエネルギーをもらった気がしてます。
ありがとう!!
めっちゃ嬉しいわ〜っていってもらえて、すっごく嬉しい!!

私も、さっさと、自分も廻りの人も喜べる形で全体に貢献できる人に変わりたい!!
だから自分の動機の点検をしながら、ヌマさんと克子さんが用意してくれたこの掲示板に、もっと気楽に自分の意見を書いていきますので、よろしくお願いしま〜す。

29/08/2009(土) 15:36:24

No.5991  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
☆ゆりかさん

ゆりかさんが書こうとしている紹介文、僕もムッチャ楽しみです。
楽しみながら書いてね!

ドキドキさせてごめんね。
だけど、大丈夫ですよ。
「オバサン、また癖が始まったな」って感じで。(←こんなこと言ったら怒られるかな、どころじゃ済まないかもね。コワイから内緒にしてね・笑)

☆さきさん
>ぬまさんも私も、そんなに立派でもよく出来てるわけではないです。(あたりまえですが。。ぬま、一緒にしたら怒るかな?)<

別に全然怒らないけど、僕とさきさんはかなり違うからね。
僕は少なくとも、
浴槽を洗う時に、バランスを崩して、残り湯のなかに頭から落ちたりはしない。
トイレに他の人(男性←僕じゃなかったからいいけど)が入っているのに、鍵のトラブルだと思い込んで、ノックもせずに、鍵をこじ開けて戸を開けたりしない。
寝て起きたままの格好で、歯磨きだけして、京都から大阪の紀伊国屋書店まで行ったりしない。

これを書いてたら、今、さきさんからメールが来て、ドキッとしたから、ここまでにしておきます(笑)

☆ちぃさん
ちぃさんの職場での不調和を見事に調和した働き、頑張りましたね。
単一の白ではなく、カラフルで可愛い模様のボールを、躊躇なくど真ん中にストレートを投げ込むような、ちぃさんが頼もしくて素敵です。
どんな剛速球に見えても、相手のミットに納まったときには、ちぃさんの心そのままのカラフルで可愛い模様のボールに戻ってるんだからね。
ちぃさんが自信を持てばコントロールも安定して、デッドボールも格段に少なくなるから大丈夫だよ(だから、にぃくん、もう安心していいよ・笑)
これからがますます楽しみです。

☆春が来るさん
ダンナさんが、「論点がズレてる」って言ったんですか?
逞しくなりましたね(笑)
人はそれぞれでいいのだけど、正義や無謬さが一枚看板になると、ついからかいたくなってしまうタチなので、すみません。
決して挑発してるわけじゃないので(笑)

ちょっと真面目に言えば、春が来るさんの議論は自分の情緒・感情がキーになっているので、話の材料が自分の気持ちとのリンクで手当たり次第になって、論点がズレていくのだと思いますよ。

情緒・感情ってヤツは、理論武装なんてせずに、自分の気持ちとしておおらかに表現した方が、本来の春が来るさんらしいと思うんだけどな。
春が来るさんが、豊かに内在させている情愛や情緒を自分でも持て余しているから、それを理性として表現しようとしすぎるのかもしれませんね。
それじゃチグハグになるし、もったいないと思いますよ。
ここはとっても大事なところだと思うから、ちょっとコワいけど(笑)、そのうちまた、やり合いましょう。

29/08/2009(土) 17:03:12

No.5992  春が来る
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
>ダンナさんが、「論点がズレてる」って言ったんですか?

はい。はっきり言いました(笑)

>「オバサン、また癖が始まったな」って感じで。
    ↑
これって、私のこと? (`・∧・´)

とにかく、不快な思いをされた方々、申し訳ありませんでした。

直接ヒーリングの時、克子さんから伝えてもらって、「ささえ」にしている言葉のもうひとつは「地上の人間は未熟です」という言葉です。

この様に断言してもらうと「安心」出来ます(笑)

私は不器用だけど、未熟なりにも、出来るだけ、目の前の事から逃げないで向き合う努力をしてきたつもりです。
そうすると、間違いや失敗も多くなります。
でも、「未熟」なんだから、間違ったり、失敗をすれば、反省して、またそこから歩みだせばいい、と思っています。
この世の生を終える時、その方が後悔が少ないのではないか、と・・・

ですから、また、お騒がせをするかもしれません。
どうぞ、その時は、ご遠慮なくご指摘くださいね。
かなり「おてんば」かもしれませんが・・・(笑)

29/08/2009(土) 20:10:08

No.5993  さき
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
ぬまさん、途中でメールが来てよかったわ。
和みと喜びを提供してもらってることに感謝してね。

?@お風呂ブーツを履いてたので滑った。
?A勝手に鍵のかかるトイレに人が入ってるとは思わなかった。
?B起きてた時のままで寝たから・・・成りゆき上。
皆さん、誤解なきよう。笑 

29/08/2009(土) 20:12:28

No.5994  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用

?@バランス崩して、残り湯に頭から突っ込んだのと、どう違うの?
?A普通はノックぐらいしてから鍵をこじ開けるでしょ。しかも、鍵をかけて入ってるのに、いきなり戸を開けられた被害者男性(噂によれば○○っちさん)の驚いた様子に、さきさんは10分間以上も笑いこけてた。
?B何の言い訳にもなってない。というか、もっと悪くない?

ところで、あのオバハン(←可愛くないから格下げしました・笑)は、僕が書いた大事なこと、ちゃんと読んだのかなあ?

29/08/2009(土) 20:37:18

No.5995  春が来る
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
>ところで、あのオバハン(←可愛くないから格下げしました・笑

(`ヘ´#)

>ちょっとコワいけど(笑)、そのうちまた、やり合いましょう。

ええ。やり合いましょう! ・・・(笑)

29/08/2009(土) 21:17:35

No.5996  Glass Age
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
投稿して、たった一日で、おそろしい数のレスに目が回りそうです(苦笑)。
僕の文章に、とても好意的な反応をしていただきありがとうございます。また、皆さんの熱い文章にとても勇気づけられました。

飯沼さんの「人の言葉の奥にある動機(本音)が実体を持って伝わってくる」というくだりには「なるほど」と感心しましたが、そのあとの堀江克子さんの「その人の動機の底にある“願い”を見るように」との言葉にはもっと驚きました。

「動機を読む」というと「相手の言動を素直に受け取らず裏を読む」というようなひねくれたニュアンスが残るのに対して、「動機の底にある“願い”を見る」というのは何とも深い言葉ですね!そんなふうに他者を見ることができたらすばらしいと思います。

他の方々の言葉にもひとつひとつコメントしたい気持ちもありますが、このあたりにしておきます。

なお、さきさんの?@〜?Bの内容と、「オバハン」という言葉は見なかったことにします(笑)。

29/08/2009(土) 22:47:01

No.5997  ひろこ
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
具合悪かった身体がようやく回復して
掲示板開いてびっくりしました。

ぬまさん、春が来るさん、さきさん、エーチャンさん、ゆりかさん
ちぃさん、今回もよく頑張らはったですね〜〜
新参加のGlass Ageさんで一息でした。
皆様お疲れ様でした。
明日は選挙に行ってゆっくりしてください(^0^)

勉強になることがいっぱい。
明日ゆっくり読ませて頂きます〜。

さきさん、気をつけてね。
私が言うのもなんだけど@@@

30/08/2009(日) 00:13:05

No.5998  ちぃ
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
ヌマ、嬉しいお言葉ありがとうございます^^
にぃくん、良かったねー♪ もう安心していいってー!良かった良かったー!(他人事・笑)
ヌマ、分かりやすく説明して頂いてありがとうございます。
最近、職場でも例え話で説明して頂くことが多くて^^
みんな、説明うまいなーと思っていたのですが、私に合わせてくれていたのですね!
そういう事だったのかー!きゃー!(笑)
って書いて、私はごまかしているのですよね。(笑)

春が来るさん、
うんうん、大丈夫ですよー!! なぁんにも心配ナッシングです!!
私、春が来るさんのこと大好きです^^
色んなこと教えて頂いていつも感謝しています。
知的な春が来るさんも大好きですが、おてんば春さんにワクワクしています!!
なんならズッコケル春さんを見てみたい^^
ずっこけてしまっても大丈夫!
私は最近、自分として許せない失敗をしたり、一生懸命鎧を被って隠そうとしていた所がひょっこり顔を出してしまったり・・・
そうして、ずっこけまくりなのですが、思っていたより痛くないのです^^
こけそうになった時に、こけないようにバランスを取ろうとして、変に体を捻ったりする方があちこち痛くって。
素直にそのまんまこけた方が楽ちんかもしれません。
というよりも、こけないようにあちこち見ながら緊張して歩いてるのがしんどくなって、にも関わらず小さな石に躓きやすかったり、進むべき道が分からなくなってしまったりする事に割が合わないような気がして。(笑)
でも私は、緊張して歩くか、暴走するかのどちらかしか術を知らなくて。。
軽快にスキップして歩いて、派手にこけてワーって笑いたいのが最近の私の願望でした!
そしたら先日、やってしまいました。
私、気を抜いてスキップしすぎてそのまま溝にはまったのですよ!
もうありえないおバカな事をにぃくんに言ってしまったのです。

月と太陽は別物ではなく1つの物体。
表が太陽で裏が月。太陽が夕方にクルッと裏向いて月になる。
だから先日の皆既日食?月食?の仕組みが分からなくてにぃくんに聞いたのです。
そしたらいつもどんな時も私をあたたかい眼差しで見守ってくれているにぃくんが、見た事の無い冷めた目で私を見て・・・
「はぁ?本気で言うてんの?」と。太陽と月が同時に見える事があるやろと言われてハッとして。
言われてみたらそうだった!と気付いたのですが、時既に遅し。

これまで私はあんぽんたんなのに、そう思われるのは嫌だったりして、しっかりしてますのよ!な鎧を被っていました。
悠々塾と出会ってあんぽんたんな面を随分出せるようになったのですが、にぃくんに対してそうした部分を見せるのが最も嫌だったのです。(苦笑)
そういう面が出そうになったら攻撃も惜しみません。(苦笑)
いつもどんな時もにぃくんは悪者。
私は、私の言う通りにしていたまえ!な勢いでした。(泣)
なので私にとって太陽と月の事は大失態でした。
「あほやと思ったんでしょ?!でもね、残念ながらそんな嫁を選んだのはにぃくんなんやからね!恥ずかしいのはにぃくんなんやからね!」って責めたりして。
恥ずかしいのは間違いなく私だよ!です。
でも、にぃくんはやっぱりあたたかい眼差しでした。私は仔猫ちゃんになった感じでした。(笑)

こけそうになったら誰かが優しく手を差し伸べてくれたり、強く引っ張ってくれたり。
時にはクッションになるよう下敷きになってくれたり、こけそうになっているのを頑張れ!って手を差し出したいのを我慢して見守ってくれていたり・・・。
こけてしまっても、大丈夫?って膝についた砂を払ってくれる人が居たり、抱えて起こしてくれる人がいたり。
こけて痛いよーと泣いているのを見て、大丈夫!自分のちからで立てるよ!ほら頑張って立ってみなさい!ってお尻をペンペンしてくれる人も居たり。

でも、これまで私はそうした優しい手や眼差しに気付かなかったり、私を信じて励まし、お尻ペンペンしてくれる人の手を、なんなのよー!って振り払おうとしていたと思います。
こけそうになった時には変に動いて騒いで、手を差し伸べようとしてくれている人を困らせていたとも思います。

誰でもみんな、こける時もあって、優しい手になる時もあって。

春さん、春さんにも優しい手や眼差し、お尻をペンペンして下さっている方がたくさん居ますよ^^
もちろん、私もその一人です。
でも私は優しい手というより、一緒にスキップして溝にはまりましょうよ〜な手だったりして^^
春さんのこと、大好きですよ!

だから安心して、ジィさんの
>僕が書いた大事なこと、ちゃんと読んだのかなあ?
に、また答えてあげて下さいね^^
ジィさんは可愛いところがあって寂しがりんぼだから、ほったらかしにしたら拗ねちゃいますから。(笑)

あーヌマみたいにもっと上手に簡潔にまとめたいー。
長々とすみません。

30/08/2009(日) 02:06:50

No.5999  春が来る
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
☆ Glass Ageさん
「オバハン」という言葉は見なかったことにします(笑)。

お心づかい、ありがとうございます。
でも、今回は「オバハン」と呼ばれることがうれしかった♪

☆ひろこさん
お身体、大丈夫ですか?
無理しないでくださいね〜

☆ちぃさん
>でも、にぃくんはやっぱりあたたかい眼差しでした。私は仔猫ちゃんになった感じでした。(笑)

ちぃさんって、ほんっとにかわいいのね♪ ごちそうさま〜!
そして、心よりありがとう。

>一緒にスキップして溝にはまりましょうよ〜な手だったりして^^

たまには、溝にはまるのもいいかもね〜(笑)そして、お尻ペンペンもよろしくね♪

>>だから安心して、ジィさんの
  >僕が書いた大事なこと、ちゃんと読んだのかなあ?
  に、また答えてあげて下さいね^^

うっ、ごまかせなかった(苦笑)

直接ヒーリングで言われたのは、私の副守護霊は「完璧でないと・・・」でした。

私は、4人兄弟で兄が3人います。
4人目の私を身ごもった時、母は、「母親として十分な事をしてやれるか?」「ちゃんと育てられなければ母親としての育て方など、
自分のせいになるのではないか?」と思ったそうです。

私は母のその思いを受けて、母の胎内で、「自分は人に批判されない、後ろ指を差されない人間になるよ。」と思ったそうです。
そして、お母さんが好きだから「ちゃんとやってみせるよ。」と決心したようです。
だから無理にでも自分がちゃんと出来ていると思いたい。自分がちゃんとやれているか、が私にとって大きいみたいです。
意識していなくても、しみついている様な気がします。
(以前よりは随分薄れてきたとは思うのですが・・・)
だから、特に最近、みなさんに窮屈な思いをさせているのではないか、と思いながらもどうしようも出来ない自分がいました。
ですから、今回の事は私にとって必要な事だったのだと思います。(お騒がせして、申し訳なかったですが・・・)

ヒーリングでは、「童のように。天真爛漫に。」と言われました。
ちぃさんの様に、かわいく、天真爛漫になれたらいいな〜

最後になったけど、ジィさん、ありがとう!(笑)

30/08/2009(日) 10:19:24

No.6000  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
☆ひろこさん

大丈夫ですか?
ひろこさんは、普段から無理しすぎだと思いますよ。
選挙、行ってきました。
マスコミの事前予測がどの程度正確なのか、あるいは、「民主圧勝・自民惨敗」の事前アナウンスが、選挙結果にどの程度影響を及ぼすのか、興味があるところです。
今晩は美味しくお酒を飲みながら、選挙速報を楽しみます。
でも、キッチンのテレビは映りが悪いし、座敷のテレビはその日の機嫌でスイッチが入らないことがあるんですよ〜。

☆Glass Ageさん
子どもの頃の僕は「相手の言動を素直に受け取らず裏を読む」という気持ちも能力もなかったのに、まさに「人の言葉の奥にある動機(本音)が実体を持って伝わってくる」という感じでした。
この働きを始めてからは、その人の言動の動機だけじゃなく、その人がまだほとんど全く表現できていない、内在の輝きが「実体を持って、分かる」こともよくあります。
それはその人が見せている様子とは真逆だったりすることも少なくなく、伝えても「???」という感じになるのですが、僕にしてみれば考えて言っているのではなく、「見たものは見たのだから間違いない(と思う)」ということになります。

そういうところは、その人が今生で発揮できるようになれるかどうか、その人の人生の課題とも関連しているので、大事なところで越えられなくて、僕が間違いなく見た輝きを発揮できない状態が続く人もいるのですが。
魂の意志をこの地上で顕現するということは、それぐらい困難が伴うことなので、その人が本来の輝きを発揮し始めた時にはほんとに嬉しくて、僕のほうが泣いてしまいます。
「この人を信じ続けてきてよかった」と、心の底からの喜びがわいてくるんです。
そして、今のその人がどんな状態に陥っていても、そういうこととは別に、僕はその人の本当の心の姿をないものにはできないし、いつもどこかで信じ続けているように思います。

こんなふうに書けば、僕はとてもよく出来た人間のようですが、ご存知のように(!)全然そんなことはなくて、腹も立てれば傷つきもしますし、愚痴を言わずにはいられなくなったりして、メダカや金魚やネコに癒されています(笑)

☆ちぃさん
あの喩えは、ちぃさんという人を見事に言い表していると、自画自賛しています!

「太陽と月が同一物体だと思ってた」という話は、あまりにスケールがでっかくて、最初は言ってる意味が分からなかった(笑)
イギリスの地図上の場所が全く分からなかったり(←他にもいたけど)、唖然とするような話があるよね。
不自然なことには理由があります。

分からないはずがないのに、できないはずがないのに、「分からない・できない」という面を強調している人は、「無意識に誰かをかばっている」&「〜のせいで自分はこうなってしまったというアピール」の場合がよくあります。
周囲の人たち(たいていは家族ですが)への、思いやりや思いが深い人に限って、そうなる人が多いようです。
「自分は自分でいい。自分は自分としてやっていこう」でいいんだけどね。

☆春が来るさん
>うっ、ごまかせなかった(苦笑)

やっぱりね。

喜んでもらえてみたいだから、これからは「オバハン」って呼んであげますよ。
「○○ババさん」って呼ぼうかな?(○○は苗字の前半が入ります)
ちょっと流行らせたくなった(笑)

30/08/2009(日) 11:51:17

No.6003  ひろこ
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
春さん
天真爛漫やで〜

じぃさん(失礼)のお陰やね。(私より一つ上だけやけど)
ぬまさん、この頃全身でぶつかってくれるよね。
フル回転・・・

私も、選挙行ってきました。晩はゆっくり楽しみます(^0^)
裁判官の国民審査に自分の思いを参加できて良かったと思います。

私もこれからは無理しないで行きます。ありがとうございます。
天真爛漫私も、春さんに続くつもりです〜

30/08/2009(日) 12:08:41

No.6004  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
>天真爛漫私も、春さんに続くつもりです〜

それって、ズレの共鳴増幅って意味じゃないですよね?
ほぼ同じ歳のひろこさんから「じぃさん」と呼ばれたとはいえ、失礼しました。

さあ、仕事に戻ります!

30/08/2009(日) 13:05:37

No.6006  ひろりん
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
なかなか厄介なズレを修正して、本来の天真爛漫に向かう・・・。
共鳴増幅からは足を洗いますよ〜(^0^)

30/08/2009(日) 14:00:06

No.6007  ちぃ
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
ヌマへ
>分からないはずがないのに、できないはずがないのに、「分からない・できない」という面を強調している人は、「無意識に誰かをかばっている」&「〜のせいで自分はこうなってしまった」という場合がよくあります。
ドキッ。
前者も後者も、両方の思いが同じ相手に対してあるなーと思いました。
兄です。
やっぱり私は兄が大好きなんだなーと思ったら泣けてきました。
そして、私は本当は出来る子なのかな、と思ったらドキドキしてきました。(苦笑)

>「自分は自分でいい。自分は自分としてやっていこう」でいいんだけどね。
兄との比較において心を翳らすという私の課題ともリンクしていますよね。
しかも、9月にお願いしている直接ヒーリングの翌日、兄に会う予定です。
わぁー♪ 宜しくお願い致します^^

春さん
私ね、色んな人から自己否定が重症って言われているんです。
自分では中等度ぐらいだと思っているのですが。(笑)
春さんはですね、自信の無さが重症です!!
やったー! お仲間発見♪
一緒にスキップして溝にはまりましょうね^^
どんな時も繋いだ手、離しませんからね!

30/08/2009(日) 18:42:12

No.6008  エーチャン
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
飯沼さん、さきさんと春が来るさんの丁々発止の議論を経て、うまく収まってきているのに、再度私が投稿して問題をぶり返すのは気が引けますので、ちょっと補足のようなことだけ書かせて下さい。

春が来るさん

コメントいただきどうもありがとうございます。お礼を申し上げるのが遅れてしまいました。どうかお許し下さい。

私はいつも春が来るさんの投稿を楽しみにしています。最近では温暖化というかむしろ寒冷化について投稿されたのが特に頭に残っています。私の体感では温暖化が進んでいるように思えるのですが、太陽の活動が弱まってきており、この先寒冷化が進むとの懸念がある、という新聞記事を昨年の秋くらいに読んで、本当のところどうなるのだろう、と気になっていたからです。春が来るさんの投稿を読んで、寒冷化の方がむしろ重要な問題である、ということを認識することが出来ました。今後とも是非投稿をお願いします。(ただ、私は筆が遅いので、コメントを書こうとああでもない、こうでもないと考えている内にタイミングを逃してしまう、ということがしばしばです、この点はご容赦をお願いします。)

さて、今回の私の投稿に関してです。

「立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・」

そうですね、立場の違いというのか、同じ人間であるのに、お互い傷つけ合う、あまつさえ殺し合う、そういう今の社会のあり方に私は耐えられないのです。(といって、私は今まで散々人を傷つけたと思います、そのような人間がこういうことを言うのは矛盾かもしれませんが、それでもやはり耐えられないのです)、お互い、相手を人間としてみる、金持ち、名家の人間、低額所得者、庶民、その他国籍、人種等、違いを探せばいくらでもあるでしょうが、それでも同じ人間、同じ人間として違いを乗り越え、理解し合い、互いのこころの成長をはかる、これこそスピリチュアリズムだと思うのです。

思っていることをわっと殴り書きのように書いてしまいました。また、問題をぶり返すことになるのでしょうか?飯沼さん、どうかお手柔らかにお願いします。

30/08/2009(日) 19:42:25

No.6011  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
☆エーチャンさん

こんばんは。
こういう展開になって、エーチャンさんが書きにくくなってしまったんじゃないかと思っていました。

「地球温暖化論に騙されるな!」(著・丸山茂徳、講談社)も、科学的データに基づいた分かりやすい本ですよ。

>>「立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・」

>そうですね、立場の違いというのか、同じ人間であるのに、お互い傷つけ合う、あまつさえ殺し合う、そういう今の社会のあり方に私は耐えられないのです。<

僕の文章が、「お互い傷つけ合う、あまつさえ殺し合う、そういう今の社会のあり方」に向けていこうとしていると読まれたのであれば、僕の表現が悪かったのか、読まれたかの問題でしょうとしかいえません。
それがどちらの問題かを論じるつもりはもうありませんが、心外ではあります。

僕は、この格差社会にあって、傷つき、家族を養うことや生きることさえ困難な状況に追い込まれている人たちからの相談も受けています。
働いてもごく普通の生活ができない、解雇されて次の仕事が見つからず家賃すら払えなくなっている人たちが、ものすごくたくさんいるのです。
健康保険料を払えなくなっている人たちが何十万人もいるのです。
経済的理由でのCENSORED者も増える一方です。
今の格差社会が、今も、人間を傷つけ、生きることさえ苦しくさせている現状から、僕は目を逸らすことはできません。

>お互い、相手を人間としてみる、金持ち、名家の人間、低額所得者、庶民、その他国籍、人種等、違いを探せばいくらでもあるでしょうが、それでも同じ人間、同じ人間として違いを乗り越え、理解し合い、互いのこころの成長をはかる、これこそスピリチュアリズムだと思うのです。<

言葉としてはその通りだと思います。
では、「同じ人間として違いを乗り越え、理解し合い、互いのこころの成長をはかる」とは、実際的にはどういうことなのでしょう?

厳しい状況に置かれている人たちは、そのことで不満や不平や妬みや憎しみや自己否定などに心をかげらせることなく、健やかな願いを実現していくために努力していくことで、心の成長をはかれるのだと思います。
しかし、非常に苦しい状況に置かれたならば、多くの人が心にかげりを抱いてしまうことは、人間である限り致し方ないことだとも思います。
だからこそ、もう少し楽な状態の人や周囲の人たちが手を差し延べていくことが大事なのだと思うのです。

僕の投稿には裕福層の人たちに何かを求めるようなことや、攻撃するようなことは一切書いていませんでした。

でも、あえて言えば、裕福層の人たちや経済的に余裕のある人たちは、非常に厳しい状況におかれている同胞に対して、自分の得ているものを分かち合っていこうとすることで、「心の成長」が得られるのではないでしょうか?
「霊性進化」とはそういうことじゃないのでしょうか?

今の時代ですから、僕は、「天国に入るにはどうすればよいのですか」と聞いた金持ちの弟子に対して、あのイエスが言ったように、「自分の財産を売って、貧しい者たちに施しなさい」などとは言いません。
そのイエスの言葉を聞いて金持ちの弟子がうなだれて立ち去った後でイエスが言ったように、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」などとも言いません。

シルバーバーチのように、「地上で財産を貯えた者は、死後、何らかの責任を問われる(お咎めを受ける、だったかな?)」とも言いません。

しかし、「富の配分の不公平を看過することはできません」というシルバーバーチの言葉には心から共感するのです。

今の格差社会は、まさに富の配分の不公平がもたらしたものです。
その是正の方法は、今までの歴史のように、闘争や憎しみではなく、「分かちあい」によってなされてこそ、地上人類の心が成長したと言えると思うのです。

僕らの目指しているものは、「パイの奪い合い」ではなく、「分かちあい、支えあい」による、「皆が生きていてよかった」と思える世界なのです。
裕福な人たちも、貧困にあえぐ人たちも、立場や違いを越えて協力しあって、皆の心と力で、「皆がごく普通の暮らしを営める社会・世界を作っていきましょう。皆が生きていてよかったと思える世界に変えていきましょう」ということです。

「分かちあい」を強要しては、すでにそれは「分かちあい」ではなくなるので、強制すべきことではありませんし、それぞれの意識に沿ってでよいのです。
ただ、今、現実に暮らしが成り立っていない人たちが大勢いて、ますます増えている現実があるのですから、政治主導でセイフティネットの拡充は、緊急にしなければならないと思います。
それを多くの人たちが望んでいるからこその、政権交代が実現したのだと思うのです。
「経済的な格差をなくして、全部平等にしろ。それを力で奪い取れ」などと言っているのではありません。
「分かちあいの心によって、皆がごく普通に暮らせるような社会、皆が健康で文化的な生活を享受できる社会にしていこう」と言っているのです。

「分かちあい」の理念がスピリチュアリズムに反しているとは全く思いません。
「シルバーバーチの霊訓」などを読めば、「分かちあいの精神と実践」こそがスピリチュアリズムではないのかとも思っています。
もちろん、僕のこの考えやスピリチュアリズムに関する見解を誰かに押し付けるつもりもありません。
別のスピリチュアリズム観を批判しようとも思いません。
僕は、そういう議論はすでに終えています。
「スピリチュアリズム」というラベルには何のこだわりも持っていません。
スピリチュアリズムという言葉を用いるならば、僕らはすでに、実践スピリチュアリズム、スピリチュアリズムの実際化・一般化・普遍化の働きを始めているつもりです。

僕は信念を持ってそう思っています。
僕はこの問題では、「意地っ張り」と思われるほどに(笑)、この内容で同じことを繰り返し書いてきました。
エーチャンさんの感覚やご意見を批判しようとも思いませんが、僕が僕である限り、この考えは変わりません。
エーチャンさんの感覚や考えと違っていても、そこは「違い」として分かってもらいたいと思うのですが・・・。

僕も走り書きになってしまいました。
さっきまでいろいろ電話が入っていて、開票速報が気になっています。
読み返しもしないで投稿するので、不適切な言い方や変換ミスなど、どうぞご容赦をお願いいたします。

30/08/2009(日) 23:39:58

No.6012  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 真剣勝負にどきどき 引用
別欄にさきさんからの投稿があります。
皆さん、読んでみてくださいね。

30/08/2009(日) 23:57:45


No.5951 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 55  引用
     
      ☆☆ 愛は時空を超えて 55 ☆☆

         ――  霊界の克との対話  ――

飯沼) おーい、クゥ、こんにちは。

克子)はーい。まーたん、こんにちは。

飯)いろいろと慌ただしい8月で、僕の方からは受信のテーマも思いつかないんだけど、今、僕が感じていることを書いてみるね。
その後で、そちらから何か伝えてもらえるかな?

克)はい、分かりました。
遠慮なく、何でも書きたいことを書いていってね。

飯)日本では、地球温暖化説に反して、かなり涼しい夏になっている。
雨も多く、野菜も不作で値段が高騰し、稲の生育にも影響を与えているとのことだ。

「地球温暖化は、人間の経済活動によって排出される二酸化炭素が原因」という説は、その信憑性が非常に怪しい。
「地球の気温に影響を与えるのは、主に太陽活動や宇宙線などの天体活動で、大気中に0.03%しか含まれていないCO2の影響はほとんど無視できる」という説のほうが正しいように思う。
そもそも、地球が温暖化しているかどうかも、実は定かではないようだ。
世界の主要な4気候観測機関が、「2007年に地表の平均気温が約0.6〜0.7度下がったと発表している」し、その後も気温は低下しているそうだ。

アメリカのCIA調査グループが、先にアメリカ国防総省・ペンタゴンに提出したレポートでは、「近い将来、地球環境の激変によって、ヨーロッパ全域は凍土となり、農産物が一切実らない不毛の地となり、世界各国で食料戦争が起こる」と警告を発しているそうだ。

どうやらIPPC(気候変動に関する政府間パネル)の、「我々を取り巻く気候システムの温暖化は決定的に明確であり、人類の活動が直接的に関与している。」という見解は、何らかの意図に基づいて作成された可能性があると思う。
実際、この見解は、かなり曖昧なデーターと、強引な議事進行によって決定されたという話もどこかで読んだ覚えがある。

僕らは、意図的な大嘘に騙されているんだと思う。

アメリカの9.11事件も、少数のテロリストの犯行だとすれば、どう考えても、ありえない矛盾がありすぎる。
あれがアルカイダのテロでないとすれば、あの事件を理由として始まったアフガニスタンへの侵攻も、イラク戦争も、まさに嘘の言い掛かりをつけて始めた大量殺人犯罪だ。
イラクやアフガニスタンでは、一般人が100万人以上殺されているという。
「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」という戦争の理由は虚偽だったと、戦争を始めたアメリカ大統領自身が認めた。
世界で一番早くイラク戦争支持を表明した、日本の小泉元首相は、知らん顔のままだ。

アメリカ発の世界金融恐慌・大不況も、やっぱりおかしい。
そもそも、サブプライムローン破綻が予測できなかったはずがないし、早い段階から警告している人たちもいたのに、あえて破綻まで突っ走ったとしか思えない。
しかも破綻した後は、天文学的な借金をしてまで、膨大な税金をそれらの企業につぎ込んでいる。
そんな膨大な金が返せるはずもなく、いや、それ以前にそれでも金が足りなくて、世界の基軸通貨であるドルが、遠からず破綻する可能性が高い。

日本でも、この10年余りの間に、国債等の政府の借金だけで、500兆円も増えている。
今現在の、地方を含めた日本の借金総額は、1000兆円を超えていて、これは国民一人当たり850万円にもなる。
赤ちゃんと夫婦の3人家族で、2500万円の負債を背負っている計算だ。
そんな大金を使えば、もう少し国民も豊かになるはずなのに、実際はこの10年あまりで、庶民のほとんどの暮らしは苦しくなっている。
苦しくなっているどころか、さらに追い詰められ、社会保障も不十分で、セイフティネットもズタズタだから、この先さらに庶民は大混乱に陥るだろう。

政府は、「社会保障を拡充するには、消費税を大幅に増税するしか財源がない」と言っている。
今度の総選挙で、政権交代が実現すれば、消費税の増額は延期されるのだろうし、多少はマシな政治が行なわれるのかもしれないが、ドルが破綻すれば、激しく混乱するのは間違いない。
庶民のほとんどは、さらに厳しい状況に追いやられていくだろう。

そもそも、20年前に消費税が導入された時も、「社会保障の拡充のために」という名目で、「福祉目的税」というイメージだった。
しかし、実際にはこの20年で、社会保障は大きく後退した。
この20年間で、国民が支払った消費税は210兆円以上になるが、その一方で大企業等の法人税負担は、180兆円も減ったそうだ。
高額所得者の負担する所得税率も大幅に少なくなっている。

明らかに金持ちを優遇するシステムなのに、庶民が仕事を失い、住む家を追われ、日々の食物に窮しても、「自己責任」などと思わせる雰囲気が未だに残っている。
喩えは悪いが、これは「日本が戦争に負けたのは、兵士が駄目だったから」と言うのと同じだ。
あの戦争は元より、帝国主義国家間の利権争いであり、兵士を使い捨てにすることを前提とした、国家や軍部の上層部による無謀な戦争だったからこそ、数百万人の国民が死に、数え切れないほどのアジアの人々をCENSOREDしまったのだ。
庶民同士が、「共食い」させられたのだ。
それと同じ仕組みが、今も継続しているとしか思えない。

今、多くの人々が追い詰められているのは、「自己責任」なんかじゃなく、明らかに政治や社会システムの責任だ。
労働者の50%以上が、年収300万円以下の賃金しか得ていない。
年収が200万円以下の世帯が、100万世帯以上、300万円以下の世帯が700万世帯ある。
年収700万円以上の労働者は10%以下であり、そのほとんどが大企業の従業員か公務員だ。
年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ。

書き始めればキリがないが、庶民は、憲法25条に保証された、健康で文化的な生活を享受する権利を主張していってほしい。
胸を張って、公的支援を求めていけばよいのだ。
銀行や企業は、税金から膨大な公的支援を受けてきているのだ。
それが一般庶民にも適用されるのは当然なのだから、堂々と要求していけばよいのだ。
それは、自分のためだけではなく、同じ境遇に置かれている、何百万・何千万人の庶民の役に立っていくことなのだ。
全国民に一人当たり850万円もの負債を背負わせている政府や自治体が、全ての人間の「健康で文化的な生活」を保証するのは当たり前なのだから。

日本では政権交代が起きるかもしれない。
自民党は2007年実績で、168億円の企業献金を受け取っている。
そのうち、経団連からの献金は約30億円にもなっているそうだ。
財界の献金で養われているのだから、自民党政府が財界・企業の利益につながる政治をするのはある意味で当然だっただろう。
民主党が本当に庶民の側に立った政治を行なうのかどうかは、今はまだ分からないが、自民党政府よりはマシにはなるだろう。
そして、民主党は企業献金を禁止すると公言しているから、財界とのつながりは自民党よりは薄いだろうが、ある面では自民党よりも経済グローバリズムに積極的なのかもしれない。

どちらが政権についても、ドル破綻や新型インフルエンザの大流行などに伴う社会の混乱には、十分に対処できないように思う。
そういう状況の中で僕ら庶民は、日々を生き抜きながら、新しい社会に向けて、具体的に何をどうしていけばよいのか・・・。

克) はい。
10年前に、私たちが受信した「地上人類の歩み」にもあるように、今の世は最終的に金銭(利益)がひとところに集まるようなシステムになっています。
人々が生きるに必要な物が足りないのではなく、分配の仕方が偏っているのです。
搾取・収奪と独占のシステムが貫かれています。
彼らはさらに占有するため、自分たちの利益のためにさまざまな種類の膨大な量の情報を流し、これからも世界を操作していこうとするでしょう。

しかしながら、今回はそういう企てが最終的に成功を収めることはありえません。
以前からお伝えしているように、地上人類は霊性進化の大きな節目を迎えているのです。
搾取・抑圧・虚偽等による独占・占有から、真実・自由に基づく分かち合いの地上界に変わっていきます。
分かち合いと言うよりは、本当は「与え合い」なのですが。
それはあなた方人間がじっとしていてそうなる、そうしてもらえるというものではありません。
地上界の浄化は、地上人類の意志と意欲と行動によってなされるべきものだからです。
今、地上に生きているひとりひとりの人間が、新しい価値観を確立し、それに沿って日々を生きていかねば、地上界の浄化は成し得ません。
人間が霊的真理に触れ、それぞれの魂の意志に目覚めるために、霊界からも長い年月にわたって、さまざまな形で情報をもたらし続けてきました。
それらの情報を受け入れた人間が、実際にどうしていくかに全ては懸かっているのです。

現在もそうですが、地上は今まで、本来の霊界よりも幽界や暗黒界の影響下に置かれてきました。
「自分の利益や自分勝手な気持ち」を優先することが、当たり前のような世界です。
人を利用してでも自分に集め、自分が得たものに執着して与えようとはせず、自分の思い通りにならなければ相手を攻撃する。
それでは皆が幸せになれるはずがありませんね。
そういう時代が長く続いてきたのです。
ですから、どんな人も多かれ少なかれ、今までの地上界の幽界的な部分を引きずっているものです。
それは止むを得ないことですし、そういう自分を否定しても何の進歩にもなりません。
否定もまた、幽界的なかげりなのです。
自分の至らなさに思い至ったのであれば、そこを本来の喜びに変えていってこそ進歩・成長になるのです。

今日は「摂理」というものからお伝えいたしましょう。
摂理とは、神の経綸であり、それを言い換えるならば「神の秩序」です。
本来の順に沿った調和ということです。

物事には全て、優先順位があります。
霊界にも地上界にも、霊にも人間にも、(現象の元になる)あらゆる要素が存在しています。
しかし、本来の霊界では、神の分け御魂を戴いた霊としての優先順位に皆が沿っているから、結果的に皆が幸せの中で生きる喜びに溢れているのです。

地上でも、「人として優しく、正しく。皆も自分も幸せに」を最優先にしていけば、霊界の写し世となり、皆が幸せを実感しながら生きていけます。
今回は、それが地上界に根付くまで、浄化の現象が続くと思ってください。
混乱したり、分からなくなれば、「今の自分は何を最優先にしていけばよいのか」をしっかり考え、それを実行していくことです。
考えても分からなければカウンセリングを受ければよいのですし、分かっていても実行できなければヒーリングを受ければよろしいのです。
それぐらいに大事なことなのです。
とにかく、自分が摂理(本来の優先順位)に沿って生きていこうとすることです。
自分が得ているものを、いくら必死になって守ろうとしても、摂理に反していれば失い、あるいは無価値なものになっていくでしょう。
廃れていく今の地上の価値観よりも、霊的価値観に意識を移行して、実際の言動で形にしていくことです。

といっても、肉体や金銭、物質を疎かにしてよいはずはありません。
霊的優先順位に沿って、大切に使っていくことが求められているのです。
それは、たとえば金銭を自分の喜びや楽しみに使ってはならないという意味ではありません。
自分としての喜びを求め、実現していくことは大切なことです。
でも、そこに調和がなければ、単に自分勝手にお金を使っているに過ぎないのですから、やがて痛い目にあって、自分の身勝手さを思い知らされるでしょう。
国や自治体にしても、限られた収入のなかで、どのような優先順位で使っていくのかが、問われているのです。
個々人や家庭における家計も同じです。
限られた収入であれば、なおさら優先順位をしっかりと意識していく必要があります。
あなたが以前に書いたように、商品を買う(買わされる)のではなく、本当は何が必要なのかを見極めながら、あるいは創意工夫を楽しみながら、金銭に依存する度合いを薄くしていくことも大切です。

今、皆さん方がしっかりと意識しなければならないことは、地上界は大きく変貌しようとしており、今までの価値観ややり方が通用しなくなってきているという事実です。
金銭を軸に据えた(大量)消費社会は、もう終わるのです。
拝金や物質偏重の世の中が終わるのです。
いつまでもお金や物質を得る喜び、あるいは、得られないことへの不満や不安に留まっていてはいけません。
もちろん、金銭や物質の配分についての偏りは矯正されねばなりませんが、それは金銭や物質の奪い合いではなく、「人として優しく、正しい社会」の実現に向けてです。

飯) はいよ、ありがとうね。
本人はお金を使っているつもりでも、実際にはお金に使われているってケースも珍しくないからね。
今の世の中では、やはり一定のお金は必要ではあるが、お金に囚われて、お金に人生を使われるというのは、貧しいことだと思う。
いずれにしても、金銭が権威を持つ時代は終わろうとしていると、僕も思う。。
絶対的に足りなかったり、お金を持っていても買えない状況に移行していく可能性が高いのだろうね。
日本はお金や物資がそれなりに潤沢な時代が続いてきたから、そこから意識を脱却させるのはそう容易くはないのかもしれないけど、抗えない大きな変化には、自分の方が適応していくしかないんだよね。

克) そうですね。
今の時点で、「お金よりも心が大事。お金よりも心を優先して生きていきたい」という意識を持てている人たちは、言葉だけではなく、実際にそういう生き方に切り替えていっていただきたいと思います。
それが自分や皆の幸せを実現していくのです。
霊として、人としての本来の優先順位を回復するのですから、幸せにならないはずがないのです。

飯) ありがとね。
じゃあ、またよろしく。

克) はーい、まーたん、またね。
(2009.8.18)

19/08/2009(水) 20:35:37


No.5961  エーチャン
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
以下の書き込みは、飯沼さんにメールで送ったものに変更を加えたものです。



いつもすばらしいメッセージを届けていただき、本当に感謝です。

ただ、最初に飯沼さんが語られている部分に少し違和感を感じました。それは、特に

「庶民は、憲法25条に保証された、健康で文化的な生活を享受する権利を主張していってほしい。胸を張って、公的支援を求めていけばよいのだ。」

という部分です。私の曲解かもしれないのですが、これを読むと、「私たち庶民も応分の取り分をもらう権利がある、パイの取り分をよこせ」というような主張につながるのではないかと思うのです。私も庶民ですし、カネのことでは困っています、それでも生活は一応成り立っているだけ庶民の中では恵まれている方であって、もう生活が出来ないというところまで追い込まれている人々も少なくないと思います。そういう社会の現状を見るとき、飯沼さんの発言は極めて妥当であると思います、が、それでもどうしても違和感があるのです。

その直前にある

「労働者の50%以上が、年収300万円以下の賃金しか得ていない。
年収が200万円以下の世帯が、100万世帯以上、300万円以下の世帯が700万世帯ある。
年収700万円以上の労働者は10%以下であり、そのほとんどが大企業の従業員か公務員だ。
年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ。」

という部分と併せて読むと、庶民と一部の大金持ちの対立、そして分配の問題に焦点が当てられていることが一層鮮明になる気がします。分配の問題、さらには金持ちへの憎悪に結びつくのではないか、そこに私の違和感があります。(私のあまりにも歪んだ解釈かもしれませんが)

ここで、私の尊敬するケア・ハーディ(James Keir Hardie、1856-1915 イギリス労働党の初代党首)の手紙の一節を紹介することにします。19世紀末から20世紀初め、大地主、資本家対労働者という階級対立の構図(階級闘争)を作り上げることに反対する彼は、次のように記します。


「大地主や資本家を単に非難するだけでは、我々は前進しない、というのは、立場が変われば非難する側の人間(労働者)も非難される側(大地主、資本家)がしていることを全くそのまま行うことになるだろうからである。大地主、資本家も労働者も悪しき制度によって産み出されたものなのであって、非難されるべきは、取って代わられるべきは、そのような制度なのである。」

階級対立(現代的に言えば、格差ということになるのでしょう)を産み出す社会制度、そしてその根幹にあるこころのあり方、価値観こそ、変えなければならないというのがケア・ハーディの考え方です。

そしてその考え方は、私がスピリチュアリズム(シルバーバーチの本であり、天地悠々のメッセージ、そして克子さんのメッセージです。)で教えられたこと、つまり現在の地上を蔽う価値観(それは幽界、暗黒界の強い影響を受けたものなのでしょう)を根本的に変えねばならない、ということと直接的に繋がると思います。この価値観の転換が起これば、パイの奪い合いなど全く起こらない、克子さんの言葉を借りれば「与え合い」が根本の価値観に据えられることになるからです。

克子さんは次のように語っておられます。

「今、皆さん方がしっかりと意識しなければならないことは、地上界は大きく変貌しようとしており、今までの価値観ややり方が通用しなくなってきているという事実です。
金銭を軸に据えた(大量)消費社会は、もう終わるのです。
拝金や物質偏重の世の中が終わるのです。
いつまでもお金や物質を得る喜び、あるいは、得られないことへの不満や不安に留まっていてはいけません。
もちろん、金銭や物質の配分についての偏りは矯正されねばなりませんが、それは金銭や物質の奪い合いではなく、「人として優しく、正しい社会」の実現に向けてです。」


皆さんどのように思われるでしょうか、一つの問題提起として捉えていただければ幸いです。

24/08/2009(月) 13:06:10

No.5962  さき
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
エーチャンさん、こんにちは。お久しぶりです。
書かれているような違和感を感じられる方って他にもあるのかなぁと思いながら投稿を読ませてもらいました。
私はぬまさんの文章を読んで、パイの取り分をよこせとか、金持ちへの憎悪といったことにはつながらなかったので、、他の方の意見も聞きたいところです。

この国のなかに格差があるのは現実だし、地球規模ではもっと大きな偏りと格差がある。生存さえもおびやかされ、ないがしろにされている人たちのなんと多いことか。
そんなのおかしいやん、わかちあっていこうよ、というのは(持ってる人への非難ではなく)生きるためのしごくまっとうな分配の問題であると思ってます。
それは強い者勝ちからわかちあいへ、自分もみんなも幸せにへ、心のあり方、価値観が変わっていくってことでもあると思うし。。

>今、多くの人々が追い詰められているのは、「自己責任」なんかじゃなく、明らかに政治や社会システムの責任だ。

という意味において、人々の暮らしや生存を守るためにあるのが本来の政治でしょ!という意味において、私は指摘された部分を小気味よく読んだのですが、うーん、何が違うのかな?

24/08/2009(月) 16:32:43

No.5963  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
☆エーチャンさん

コメント、ありがとうございます。
「愛は時空を超えて」はかなりの労力を費やして受信しています。
受信し終わって掲示板にアップしても、反応がなければ、やっぱりちょっと寂しいです。
だから、僕が書いた文章の読まれたかとしては予想外ではありましたが、ご意見を書き込んでくれて嬉しいです。

>分配の問題、さらには金持ちへの憎悪に結びつくのではないか、そこに私の違和感があります。

分配の問題を金持ちへの憎悪に結び付けようとは全く思いません。
むしろ、裕福層や多少なりとも経済的に余裕のある層の人々が、意識も行動も「分かちあい」の方向に動かしていくことを願っています。

生活に必要な金銭や物資という意味での富の分配形態は、社会の根幹だと思っています。
それはその社会の価値観や、社会を構成する人々の心の反映であるからです。

「ドネーションシップ わかちあい」の仲間の多くも、今の日本においてはさほど余裕があるわけではない人たちが多いのですが、それでも世界には1日1ドル以下の生活を強いられていう人々が何十億人もいる状況です。
日本にも僕らよりもはるかに厳しい生活状態に置かれている人たちが大勢います。
僕らがわずかな余裕の中から、あるいは日々の生活を切り詰めた中から、年会費を持ち寄って何がしかの役に立てていってもらうという、ささやかな「分かちあい」のシステムもあります。

しかし、それは目に余る、社会的不公平や不公正を看過することではないと、僕は思っています。

さらに言えば、「階級対立」という言葉が資本家階級と労働者階級という区分であるならば、今の社会はすでにそういう分け方では収まらなくなっていると思うのです。
大企業の組織労働者、零細企業の未組織労働者あるいは非正規労働者間の格差は、決定的なものになってしまっています。
公務員でも、同じ仕事をしていても臨時職員と正規職員では、給料に何倍もの差があるなんてこともザラにあります。

組織労働者は、未組織労働者や非正規労働者が極めて劣悪な労働条件に置き去りにされていることで、自分たちの取り分をかろうじて確保しているのが現状です。
企業間においても、大企業が下請け企業に不当とも言える厳しいシワ寄せを強いている現状があります。
中小零細企業は、倒産しないために、従業員の労働条件を悪化させ、さらに低賃金でいつでも首を切れる非正規従業員を増やしていく、そうせざるを得ない。

そういう状況の中で、働いていても生活保護で支給されるよりも少ない賃金しか得られない人たちが1000万人近くにもなっているのだと思うのです。
もちろん、内部留保の資金を潤沢に保有していても、ちょっと仕事が減れば派遣社員を大量に解雇する大企業も少なくありませんが。
では、大企業が諸悪の根源かと言えば、大企業は大企業で、国際競争とやらに勝ち残らなければ、企業の維持存続ができないという状況です。

実際には、「パイの奪い合い」をするとしても、すでに誰が敵なのかすら見定められない社会の仕組みになっているのだと思うのです。
だから、自分を守るために心を縮めて頑なになってしまったり、鬱状態に陥ってしまう人が多いのでしょう。

確かなことは、最終的には弱い立場の人たちが、最もシビアにシワ寄せを受けてて、ごくごく普通の生活すら成り立たなくなってきているということです。
人間としてのごく普通の心の健やかさを維持できなくなっている人も非常に増えています。

いろんな意味で、弱肉強食の社会になっていると思います。
それって結局は、弱い者いじめの社会だと思うのです。
僕は、そういう状況の社会をそのままにしていてよいとは思いません。

ごくごく普通の生活すらできなくなっている人たちが、「自分たちにも健康で文化的な生活を!」と声を上げていくことはとても大事なことだと、僕は思います。
ただでさえ苦しい日々で、「自己責任」などという嫌な言葉で押さえつけられて、声を上げにくい人たちが非常に多い状況だからこそ、勇気を出して声を上げていくことが重要なのだと思うのです。
「パイの奪い合い」ではなく、その社会での最低限の生活を保障していくのが政治の役割だと思っています。
あるいはそういう声を聞いて、多くの人々がどう心を動かし、どういう社会にしていこうとするのかです。

政府は銀行や企業の経営が成り立つように、莫大な税金を投入して支援し続けています。
ならば、社会的に弱い立場に置かれて、生活に困窮している人たちが、「自分たちにも公的支援を!」と主張することは、「パイの奪い合い」ではなく、「公正で公平な社会を実現しよう」という主張であると、僕は思います。
もちろん、自分たちの暮らしを点検し、創意工夫によってお金が中心の暮らしや社会を卒業していくことと併行であってほしいと思いますが、それは各人の意識次第です。

スピリチュアリズムでは、「人類はひとつの意識体であり、地上の同胞である」と伝えられています。
同胞が日々の食物にも困り、雨露をしのぐ家すらも失っていることを知って、自分がどうしていくかが問われていると思うのです。
「皆がそれなりの暮らしを安心して営めるように」という思いが高まるからこそ、分かちあいの社会につながっていくと思うのです。
強い者勝ちの弱肉強食の社会を「分かちあい・支えあい」の社会に変えていってこそ、地上界は大きく変貌し、今までの価値観ややり方とは違う地上界に進化していくのだと思っています。

長々と書いて、結局は僕の主張を補足しただけなので、さらに違和感を持たせてしまったかもしれませんね。
まあ、僕が階級闘争やパイの奪い合いを主張しているのではないと、分かっていただければありがたいです。
他の皆さんも、どうぞご意見や感想をお書きください。

しかし、エーチャンさん、ケア・ハーディを尊敬しているって、なんだかすごいというか、エーチャンさんらしいというか、やっぱりすごいですね。
ケア・ハーディさんは、シルバーバーチの霊訓にも少し登場してましたっけ?

さきさんも、コメントありがとうね!

24/08/2009(月) 23:07:10

No.5964  エーチャン
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
さきさん、飯沼さん

私のコメントに対する書き込み、ありがとうございます。


「まあ、僕が階級闘争やパイの奪い合いを主張しているのではないと、分かっていただければありがたいです。」

これはもう私もよく分かっているつもりです。


ただ、一点だけ言わせてください。

私は数年前まで普通のサラリーマンをしていて、スピリチュアリズムも全く知らず、現世的価値観にどっぷり浸かった生活をしておりました。今もそのころの価値観から抜けているとは到底言えないと思います。そういう意識、価値観で、飯沼さんの書かれているのを読むと、「分配の問題、さらには金持ちへの憎悪に結びつく」のではないかと思われるのです。要は、こころの問題としてではなく、モノの問題として捉えてしまう、ということです。

私自身、この問題は重要だと思いますので、日を改めて再度書き込みをしたいと思います。



ケア・ハーディとの出会いは、シルバーバーチの霊訓です。(近藤先生の訳ではキア・ハーディとなっていたと思います。)彼はシルバーバーチの交霊会に登場しますが、実は生前からスピリチュアリストでした。彼の伝記には、無二の親友とともに熱心に交霊会に出席したということが書かれています。

25/08/2009(火) 07:26:45

No.5965  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
昨日、久し振りに二人の友人と会いました。ひとりはお医者様の奥様で、里山を守るなど環境保護の市民活動を行っている人。もうひとりは弁護士の奥様で、ゴミの問題に関心を持ち、食器をリユースする市民活動などを行っている人です。

正直、今の社会状況から言えば、経済的には恵まれている人たちだと思います。

しかし、本音トークをする内、二人ともご主人のお仕事の責任の重さを言っていました。

現在の医療現場は過労死もあり得るような、医師の使命感に頼ってなんとか機能しているような状況です。その上、ミスをすれば訴訟を起こされる可能性もあるという、緊張とストレスの中でのお仕事です。また、弁護士の方は、訴訟内容によっては身の危険を感じることもあるそうです。

もちろん医師や弁護士の方にもいろいろな方がいらっしゃると思いますが、良心的に仕事をしようとされている方にとっても、今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか、と思うのです。
(もちろん、ぬまさんは、この様なことは理解された上での発言だと思いますが・・・)

>今、多くの人々が追い詰められているのは、「自己責任」なんかじゃなく、明らかに政治や社会システムの責任だ。
 労働者の50%以上が、年収300万円以下の賃金しか得ていない。
 年収が200万円以下の世帯が、100万世帯以上、300万円以下の世帯が700万世帯ある。
 年収700万円以上の労働者は10%以下であり、そのほとんどが大企業の従業員か公務員だ。
 年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
 その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ

あまりにひどい格差、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法25条が守られていないことへの義憤から書かれたのだと思うのですが、この年収別に人を区別するような書き方には誤解を生じる恐れがあるのではないか、ということをエーちゃんさんは危惧されているのではないでしょうか?
立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・

しかし、ぬまさんの仰りたいことの趣旨は分かりますし、エーちゃんさんも趣旨はご理解されているように思うのです。

文章に表現するということは、つくづく難しいと私自身感じています。
私の文章を読まれた方に、じゃあ、あなたの文章はどうなの?と思われれば何も書けなくなります。
限られたスペースで、言いたいことに的を絞れば、いろいろな事に対する配慮が難しいこともあります。

ただ、今回のエーちゃんさんのご意見は、私は貴重だと感じています。
ただでさえ、世の中に閉塞感を感じるこの頃、この場は自由闊達にものを言える場であって欲しいと願うからです。
(もとより、ぬまさんはそれを望んでおられると思いますが・・・)

以前、お世話になった直接ヒーリングで、克子さんに言われた、
「自信を持って。反省することは必要ですが、天真爛漫に、自分の思ったことを言動に表わしていくように。」という意味の言葉が、私が投稿する時のささえになっています。
また、躊躇することが、足の痛みとして表れたこともありましたし・・・

以上の様なことから、申し上げ難いことを投稿させていただくこと、拙い文章の中でもその中で言おうとしている趣旨、をご理解いただければ幸いです。

25/08/2009(火) 17:40:24

No.5966  さき
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
春が来るさん

同じ文章を読んでも、人によって感じ方の違いがあって当然です。それぞれが感想や意見を出しあうなかで考えが練られたり、相手への理解が深まることも、気づきもあると思ってます。

でもって、エーチャンさんが意見を出して下さって、私は他の方の感じ方も聞きたいと思いましたし、エーチャンが再度の書き込みをして下さるのを楽しみにしてます。

なので、春が来るさんの
>今回のエーちゃんさんのご意見は、私は貴重だと感じています。
ただでさえ、世の中に閉塞感を感じるこの頃、この場は自由闊達にものを言える場であって欲しいと願うからです。

というコメントにはえっ??と、思いました。
自由闊達にものが言えない雰囲気かな??
引き気味の方が多いけど、皆さんがどんどんこの場に参加してくださったらいいと思ってますよ〜。

それはさておき、
人として正しくやさしく。自分も皆も幸せに。
言いようによっては曖昧で抽象的な言葉ですが、私は自分の日常のなかで、日々の言動・実践のなかで、それを少しづつでも形にしていくことが、自分が地上で生きることの意味だと思ってます。

でもって、ぬまさんが書いてる、
>働いていても生活保護で支給されるよりも少ない賃金しか得られない人たちが1000万人近くにもなっている。<
>世界には1日1ドル以下の生活を強いられていう人々が何十億人もいる状況です。<
というのがこの地上の現実です。

年収の話はこの国の現実の情報であってそれ以上でも以下でもないと思うんですけど。格差や貧困があるって言うことが、
>立場の違いを超えて理解をし合おうという姿勢が、少なくともこの文章からは感じられない、という事なのではないかと・・・<
ということになるんでしょうか??
エーチャンはそれをおっしゃってたのかな。

医者や弁護士が緊張とストレスのなかにある、、
>今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか、と思うのです。<

と書かれたことの意味を考えてほしいです。
(仕事に見合った報酬は当然だし、高収入を責めるわけでもないですけど。)

2008年の労災での死傷者は12万9260人だそうです。
ストレスと過労で亡くなった弁護士や医者もあるでしょうが、それよりもっとたくさんの人が3Kと言われるような労働現場で亡くなってます。彼らには緊張もストレスも責任の重さもないのでしょうか。彼らの収入は、その危険やキツさに見合っているのでしょうか。時給300円の労働者と言われる外国人研修生の作業中の事故や死亡は過去最多でした。

よりしわ寄せを受けている人、より苦しい立場にある人がいること。そこに心を向けること。それなくして立場の違いを越えて理解しあうことなんてできないと思います。人として正しくもやさしくもありえないと思います。
ちょっとえっ?と思ったので、私も思ったことを書きました。

25/08/2009(火) 22:24:14

No.5967  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
☆エーチャンさん

重ねて確認しておきますね。
僕は、「生活に必要な金銭や物資という意味での富の分配形態は、社会の根幹だと思っています。それはその社会の価値観や、社会を構成する人々の心の反映であるからです」と思っています。

シルバーバーチも、「神は全ての人間を養うに十分なものを与えてくださっています。問題はその独占や搾取にある」という意味のことを伝え、『地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしていられないのです』と、はっきりと言っています。

僕は、世界における、あるいは日本における、極端な分配の不公平さは是正されなくてはならないと思っています。

今の日本の極端な所得格差の「事実」を書くことが、なぜ「憎しみ」に結びつくとエーチャンさんが思うのかが、僕にはよく分かりません。
僕らが用いる方法は、摂理に則った「分かちあいや愛による調和」以外にはありません。
それは、皆が肉体を携えた霊として、物心両面から本当に豊かな地上人生を実現していくことであるとも思っています。

エーチャンさんの次の書き込みをお待ちします。

☆春が来るさん

僕は高額所得者のことをとやかく言っているのではありません。(ただ、今の世の中の仕組みや賃金体系を作っている人たちのほとんどは高収入を得ているのも事実だと思います。)
働いているのに生活保護額以下の収入しか得られない状態に追いやられている人たちや、企業の都合で使い捨てにされてしまう人たちのことを言っているのです。
身の危険や緊張を伴う仕事に就いていても、生活が成り立たないほどの低賃金の人たちが数えきれないぐらいいるのが現実です。

今の社会の収入の基準は、職務上の責任や緊張やストレスや身の危険なのでしょうか?
「今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか」ということであれば、職務上の責任や緊張やストレスや身の危険のなかで働いている何千万人という人たちが、もっと高収入を得られる賃金体系でなければおかしいとも言えてしまうと思うのですが?

責任ということで言えば、低賃金で使い捨てにされていく人たちも、自分の身を養い、あるいは家族を養わねばならないのです。
生きていく責任があるのです。
自分や家族の生活が成り立たないほどの、劣悪な労働条件を強いられ、総理大臣からは「カネがなければ結婚しないほうがいい。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」とまで言われてしまう人たちに、僕は同じ人間として深い共感を抱きます。
春が来るさんの投稿からは、今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。

口答えをするようですが、僕も自分の思ったことを書いてみました。

25/08/2009(火) 22:59:44

No.5968  エーチャン
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
春が来るさん、さきさん、飯沼さん

コメントありがとうございます。

平日はなかなか時間がとれませんので、問題点を整理してこの週末に書き込みします。

26/08/2009(水) 07:13:55

No.5969  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
>ただ、今回のエーちゃんさんのご意見は、私は貴重だと感じています。
ただでさえ、世の中に閉塞感を感じるこの頃、この場は自由闊達にものを言える場であって欲しいと願うからです。

これを書いたのは、

>書かれているような違和感を感じられる方って他にもあるのかなぁと思いながら投稿を読ませてもらいました。

の文章にエーちゃんさんのような受け止め方をする人はほとんどいないのではないか、という様な意味の、さきさんは意識していなくても印象を持つ人もおられるのではないか、と感じたからです。

さきさんの書かれた事を批判するつもりはないのですが、私のコメントに「えっ??と、思いました」と書かれていたのでその説明として書かせていただきます。


医者や弁護士が緊張とストレスのなかにある、、
>今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか、と思うのです。<

と書かれたことの意味を考えてほしいです。
(仕事に見合った報酬は当然だし、高収入を責めるわけでもないですけど。)


「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という社会システムが作られるべきだと、もちろん私も思っています。

>今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか、と思うのです。<
と、書いたのは、今の社会システムに問題があると思うので、個人は責められるべきではない、という事を強調する意味もあり「仕方がないのではないか」という書き方をしたのです。「今の社会システムの中」で、社会の為に一所懸命仕事をしている人が結果的に高収入であっても、他の人が責めるべきではない、と思いますし、さきさんは、(高収入を責めるわけではないですけど。)と
書いておられるのですが、

>年収700万円以上の労働者は10%以下であり、そのほとんどが大企業の従業員か公務員だ。
 年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
 その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ
 
の、「その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ」の箇所に、一所懸命、社会の為に働いて結果的に多少経済的に恵まれている人と、既得権益や自分の出世や欲望の為にあるべき姿勢とかけ離れた形で仕事をしている人とをひとまとめにした書き方に無理があるのではないか、と感じたのです。
高収入を得られている人の中にも社会の為に一所懸命働いておられる人もいるのではないか、ということを言いたかっただけなのです。
そこにエーちゃんさんが違和感を持たれたのではないかと・・・
(それから医師と弁護士について書いたのは、たまたま前日に会って直接、話を聞いたばかりだったので実例として挙げたまでです。ちなみに良心的にすればする程、経営状態は厳しく、友人宅は同業の中で収入は少ない、ということでした)

前回も述べましたが、私はぬまさんの仰りたい事の趣旨は理解しているつもりですし、少し前の投稿にも書きましたように、この様な受信を目にすることが出来るということを、とてもありがたく思っています。

今回の投稿は、エーちゃんさんとぬまさんの論点がかみ合っていないように感じましたので、敢えてエーちゃんさんが気にされている論点に絞って書かせていただきました。
ですから、必然的に高収入の人に的を絞って書いた形になりました。

>今の社会の収入の基準は、職務上の責任や緊張やストレスや身の危険なのでしょうか?

この様なことを言うつもりはありませんが、一要素ではある、と思います。ですから、ぬまさんがおっしゃるように「職務上の責任や緊張やストレスや身の危険のなかで働いている何千万人という人たちが、もっと高収入を得られる賃金体系でなければおかしい」と思います。
CENSORED者が毎年3万人程も出るような社会は異常だと思いますし、その人達は氷山の一角で、海面下には数えきれないほどの恵まれない人々がおられるのだと思います。

>責任ということで言えば、低賃金で使い捨てにされていく人たちも、自分の身を養い、あるいは家族を養わねばならないのです。
生きていく責任があるのです。

ですから、私は、すべての人々が、健康で文化的な生活を営める社会になることを望んでいます。
一所懸命働いても、健康で文化的な生活を営めない人がおられる社会はおかしい、と思います。

>自分や家族の生活が成り立たないほどの、劣悪な労働条件を強いられ、総理大臣からは「カネがなければ結婚しないほうがいい。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」とまで言われてしまう人たちに、僕は同じ人間として深い共感を抱きます。

私もその様に思いますし、舛添氏の「怠け者に税金使わぬ」発言には憤りを感じます。

>春が来るさんの投稿からは、今の社会の仕組みのシワ寄せをもろに被っている人たちへの共感が感じられなくて、とっても残念に思いました。

エーちゃんさんとぬまさんの論点がかみ合っていないのではないかと感じていた時、「他の皆さんも、どうぞご意見や感想をお書きください。」とありましたので、論点がかみ合うことを願って投稿させていただきました。ぬまさんの仰りたいことは理解しているつもりです。

最後になりましたが、私は、社会システムが今のままでいい、という様な意味のことを、今まで言ったことは一度もありません。
現在の社会システムに問題があると思うからこそ、私に出来る範囲ではありますが、この掲示板やドネの日記に社会的問題だと思うことを書かせていただいてきました。
しかし、私の発言の趣旨をご理解いただけなかったようで残念に思います。

26/08/2009(水) 15:25:29

No.5970  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
NO.5967は、書きかけた時に相談の電話が入り、終わってから書き上げて投稿したら、さきさんの内容とダブっていました。
春が来るさんを刺激しすぎることになってしまったようですね。
すみませんでした。

>年収1500万円以上の世帯も、200万世帯以上ある。
>その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ。


という書き方は、不十分でした。
せめて、「その人たちが、今の社会のシステムを作り、あるいはその恩恵を受けているのだ。」とすべきでした。
誤解を招くような書き方をしてしまったことをお詫びします。
ごめんなさい。

春が来るさんは、「年収別に人を区別するような書き方」に反応して、「高収入を得ている人たちにもいろいろあるのですよ」と、良心的高収入層を弁護することに重心があったように感じました。
なので、春が来るさんの投稿内容にズレと違和感を感じました。

僕は、将来にも日々の生活にも不安を抱かざるを得ない状況に追い込まれている人たちに、「胸を張って、不足しているものを主張してほしい」と言いたかったのでした。
それは本人のためでもあり、同じ境遇にある他の人たちのためでもあり、格差社会の是正のためでもあると思うからです。
今の格差社会を是正し、皆がそれなりに暮らしていくには、総所得をどう再配分していくかという問題にいきつくからです。
それが唯一の方法ではないでしょうが、ベーシックインカム的な施策を導入するか、税負担の累進化を強化していくことは必要でしょう。
いずれにしても、高所得者層が今のように優遇されすぎていれば、格差は縮まらないのですから。

「これではやっていけない!」という声が高まるなかから、「分かちあいの社会」への移行の必要性が認識されていくのだと思います。
それを「パイの奪い合い」と捉えるか、「分かちあい社会への移行」と捉えるかは、その人の感覚によるのだと思います。

エーチャンさんは、「要は、こころの問題としてではなく、モノの問題として捉えてしまう、ということです。」と書いておられるように、「スピリチュアリズムに学ぶ者であるならば、今までの階級対立と混同されかねないラインからアプローチするのではなく、まさにスピリチュアルなアプローチの方法があるのではないか?」とおっしゃりたいのではないかと思っています。

今の僕は、臓器移植の話の時にもそうだったように、スピリチュアリズム(霊的真理)を受け入れている人たちにしか通用しない手法を避けています。
僕自身はスピリチュアリズムを人生の規範にして生きていきたいと願う者ですが、特に社会的なことについては、唯物論者を含めて、より広範な人たちに発信していきたいと思っています。
もちろん、モノから入ったとしても、モノだけの話で留まるわけではなく、心(霊・精神・気持ち)を軸に据え直すためにです。

本当の意味で、スピリチュアリズム(霊的真理)を今の世の中で一般化・具体化していきたいのです。
大それた言い方ですが、人々の意識(価値観・気持ち等も)を融和統合していける発信者になりたいのです。
摂理と自由意志に基づいた融和統合=調和の形成を目指してみたいのです。
まあ、そんな大それた話ではなく、僕自身のお勉強としてです。

僕自身が伝え方の軸やスタイルに関して、まだ試行の過程なので、誤解を招いたり、「(スピリチュアリズムと)矛盾している」と受け取られることもあろうかと思います。
なんせ、まだお勉強中なので(笑)
なので、エーチャンさんの指摘や春が来るさんの投稿も参考になっています。

26/08/2009(水) 17:52:25

No.5971  さき
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
話がふくらんできましたね。

春が来るさん、皆さん、
私の投稿で、自由闊達にものが言える場であってほしい、って思われたんですね。
あらら。。って感じです。笑
最初のエーチャンの投稿を読んで、大事な指摘なのかなって思ったので、他の方の意見も聞かせてほしいところですって、促したつもりだったんです。
そういう印象を与えたなら、すみません。


昨日投稿してから考えてて、
ただ事実として<所得格差がある>ということを言うことが、なんで分断や対立や敵意をあおるように受け取られるのかなと。。
金持ちは悪だとか、高収入を受けるのは間違いとか、言ってるわけじゃないんだけど、そう聞こえるってことなんですかね。

まさに、春が来るさんが、
>高収入を得られている人の中にも社会の為に一所懸命働いておられる人もいるのではないか、ということを言いたかっただけなのです。<
って書いておられますものね。

私、春が来るさんの正義感やまっすぐさが好きなんですよ。
前にも言ったけど、この場でもドネでも社会的な問題や情報を提起して下さることもすごくありがたく思っています。
好きやし余計にわかりあいたいと思うこともあったりするんですよね。

以下は私のこだわり、私が大事にしたいと思ってることとして聞いて下さい。春が来るさんにどうこう言いたいということじゃないです。

>高収入を得られている人の中にも社会の為に一所懸命働いておられる人もいる<
その通りやと思います。実際にそういう人もたくさんおられると思います。
けど、いやな言い方をしたら、例えば麻生首相だって舛添大臣だってそう思ってるんだと思うし、それを支持する人もいるでしょう。
社会のために一生懸命働いてるって、誰がどう判断するんでしょう。

人間って物的にも心的にも社会的立場としても、既得権益があったら、なかなかそこから動くこと、変わることはできません。
自分では善意のつもりで、無神経な人もたくさんいます。
自分で悪気はなくても人を踏みつける社会のシステムに加担しているかもしれない。世界の圧倒的多数の人たちのなかでは、私だってそうです。
そのことに敏感でありたいと思うのです。
愛や調和を語りながら、同じ地上を生きる人の痛みに鈍感でありたくないのです。
形ではなく心、って言うことが、今の歪んだ現実をそのままにしておくことあってはならないと思ってます。
この地上の現実を直視して、どうするのか。
実際にどう生きるのか。

人として優しく正しく、と思っていても、誰しもこの地上の歪みやねじれを抱えています。
良心のセンサーをフルに働かせていないと、この社会の仕組みのなかで、誰しも気づかないまま人を踏みつけているかもしれない、そう思うんです。
価値観が変わるということは、自分の生き方が変わるということだと思います。
それって終わりのない歩みだと思います。
自分のやさしさや正しさの中身を点検しながら、少しづつでもホントのことに近づいていけたらって思ってます。

思いつくままにだらだら書いてしまったかもですが、投稿します。

26/08/2009(水) 22:24:26

No.5972  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
鈍いので、後になってわかったのですが、僕の読み間違いかもしれないので・・・。

さきさんの、以下の文章を読んで、
>書かれているような違和感を感じられる方って他にもあるのかなぁと思いながら投稿を読ませてもらいました。
私はぬまさんの文章を読んで、パイの取り分をよこせとか、金持ちへの憎悪といったことにはつながらなかったので、、他の方の意見も聞きたいところです。<

春が来るさんは、
「さきさんの文章が、自由闊達にものが言えないような雰囲気を与えているという印象を持った」ということだったんですね?

そうだったら、ちょっとびっくりです。

27/08/2009(木) 15:30:15

No.5973  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
>春が来るさんは、
「さきさんの文章が、自由闊達にものが言えないような雰囲気を与えているという印象を持った」ということだったんですね?

そうだったら、ちょっとびっくりです。

さきさんの文章に関しては、後で読み返せば、私が初め抱いた印象は感じませんでした。
ただ、ぬまさんの文章を読んで、エーちゃんさんが投稿されたお気持ちも分かるような気がしていた時、さきさんの

>書かれているような違和感を感じられる方って他にもあるのかなぁと思いながら投稿を読ませてもらいました。

という文を見て、私自身、その時は、投稿し難さを感じた覚えがあったのです。

私も、自分の考えを文章に表わすことの難しさはつくづく感じています。
私も、「まだまだ勉強中」です。
気分を害されたのなら、申し訳ありません。

今、「世界一幸福な国、デンマークの暮らし方」(PHP新書)千葉忠夫著を読んでいます。

貧しい国民生活の苦しさを経験したデンマークは、それをきっかけに、貧困は国家の政策で克服できる、いや、克服しなければならないという考えに到達しました。

その思いの背景にあるデンマーク政府と国民の一致した考えこそ、国民の「共生」という考えです。
霊的視点から見れば、もっともっと進化した形があるのでしょうが、まずは、この「共生」という社会システムになることを望んでいます。
 
それから、この機会にもうひとつ付け加えさせてください。
ぬまさんの、

>喩えは悪いが、これは「日本が戦争に負けたのは、兵士が駄目だったから」と言うのと同じだ。
あの戦争は元より、帝国主義国家間の利権争いであり、兵士を使い捨てにすることを前提とした、国家や軍部の上層部による無謀な戦争だったからこそ、数百万人の国民が死に、数え切れないほどのアジアの人々をCENSOREDしまったのだ。
庶民同士が、「共食い」させられたのだ

という箇所なのですが、確かにぬまさんの仰るように、無謀で悲劇的な戦争は、一部の権力者によって実行されていきました。
しかし、その点を見るだけでは、再び戦争を止められない危うさがあると思うのです。
当時、戦争に反対する人や批判的な人達を「国賊」「非国民」であるとし、「庶民」が「庶民」を監視するという社会が、より戦争への道を突き進む要因になった、ということを私達、庶民ひとりひとりが教訓として頭に置いておかなければいけない、と思うのです。

私は、以前、流行した「KY」という言葉にとても違和感がありました。
漠然とその様に感じていた時、今の日本の安全保障に警鐘を鳴らす「日米同盟の正体」という本の中で、次の文章を目にしました。

【山本七平は『「空気」の研究で第二次大戦の作戦を引用しつつ、戦艦大和の出撃が無謀であるとの論拠があるにもかかわらず出撃したのは「空気」ゆえだったとして、「(空気は)非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」と説明した。山本七平は空気を読む社会に警鐘を鳴らした。・・・

・・・今日の日本社会では空気に逆らうことをとがめる風潮が一段と強まった。2007年から08年にかけてKY(空気を読めない、空気を読めの略)という言葉が流行した。あいつはKYだから困ると互いにささやき、その人物を自分たちの仲間、組織からはずしていく。
政治の世界でも、小泉純一郎総理時代、郵政民営化をめぐり、この流れがピークに達した。自民党内で郵政民営化に反対した議員は除名されただけでなく、選挙時、刺客が送られた。組織の指導者の見解に反対したら抹殺される。その動きに対し世論は反対せず、むしろ喝采する。この動きに筆者は怖さをかんじた。自己の考えをもち、それを自由に発言する。それは民主主義の原点ではないか。】

二度と同じ過ちを繰り返さない為に、私達ひとりひとりが、時代の「空気」を作っているという自覚が必要だと思うのです。

27/08/2009(木) 16:19:29

No.5974  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
前の投稿の補足です。

私自身、自分の文章に自信があるわけではありません。
前にも書きましたが、そこでは克子さんの言葉をささえにして、ようやく投稿出来ているところがあります。
今回の投稿に関しては、私の立場では投稿しないですませる事もできました。
その中では、私なりの葛藤があった、という事をご理解いただければ幸いです。

27/08/2009(木) 18:04:26

No.5975  さき
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
春が来るさん

最初にそんな印象を与えたのねって思っただけで、気分を害してはいませんよ。
で(内容についてじゃなくて)思ったんですが、、
この場は立派なことや正しいことを言わなきゃいけないとか、どっちが正しいとか間違ってるとか、、そういったことで成り立ってるわけじゃないと思うんです。

この場につながる人が、ありのままに自分の気持ちや考えを表現して、気持を通わせあったり、考えを深めたりする、交流と学びの場だと思ってます。
その人がその人らしく伝えたいこと、聞いてほしいことを書いたらいいのであって、そこでは文章がどうとか関係ないと思います。

>自信を持って。反省することは必要ですが、天真爛漫に、自分の思ったことを言動に表わしていくように。<

という意味の克子さんの言葉。
春が来るさんは春が来るさんのままでOKだよってことじゃないのかな。
天真爛漫でいきましょうよ〜。

27/08/2009(木) 20:22:25

No.5976  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
限りなく論が展開しそうなので、一言、二言だけコメントします。

>今回の投稿に関しては、私の立場では投稿しないですませる事もできました。

こういう書き方は、それこそ独特の空気を醸し出しているように、僕は感じます。

僕は、春が来たさんが本音のところでおっしゃりたかったことは、「今の価値観の中では、責任の重さに見合う報酬を受け取られることも仕方がないのではないか、と思うのです。」ということではなかったのかと思うのですが、違うのかな?

僕も人の言葉を借りて言うならば、若い頃、鶴見俊輔さんが「建て前とは、本音を覆い隠すもの」みたいなことを言ってらして、「確かにそうかもしれないけれど、こういう世の中って面白くないな」と思ったことがありました。
天真爛漫に、ありのままの本音を言い合える関係が、僕は好きです。

あ、電話なので。

27/08/2009(木) 20:32:49

No.5977  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
>今回の投稿に関しては、私の立場では投稿しないですませる事もできました。

と書いたのは、エーちゃんさんの投稿を補って「書く」という意味においてです。
そして、その内容がさきさんの書かれたように

>書かれているような違和感を感じられる方って他にもあるのかなぁと思いながら投稿を読ませてもらいました。

という内容だったので、果たして私の書いた文章で分かっていただけるだろうか?という思いと、自分の書いた内容には最後まで責任を持たなければいけない、という思いからくる重さがあった、という事です。
社会的な問題について書く時にも、自問自答はあります。
それは、その内容がどれ位受け入れていただけるだろうか?とか、タイミングを見てとか、必要な事だろうか?等ということです。

本音」で言うと、「改正臓器移植法」について書いた時、表現する事の難しさを感じました。ですから、硬い書き方になっていると自分で分かっていても、書き方がどうしても硬くなってしまうのです。
もっと、天真爛漫に「喜び」の中で書ければいいのですが、正直、これが今の私の状態です。

ぬまさん

私が一番言いたかったのは、

>「その人たちが、今の社会のシステムを作り、その恩恵を受けているのだ」の箇所に、一所懸命、社会の為に働いて結果的に多少経済的に恵まれている人と、既得権益や自分の出世や欲望の為にあるべき姿勢とかけ離れた形で仕事をしている人とをひとまとめにした書き方に無理があるのではないか、と感じたのです。
高収入を得られている人の中にも社会の為に一所懸命働いておられる人もいるのではないか、ということを言いたかっただけなのです。

ここです。

27/08/2009(木) 20:56:17

No.5978  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
☆春が来るさん

「愛は時空を超えて」の僕の文章を読んでいただければ分かると思うのですが、僕は年収1500万円以上の世帯が200万世帯以上あるという統計上の事実を書いているのです。
他の年収層の人たちに関しても、一所懸命仕事をしている人と、そうじゃない人はいるのでしょうが、そういうことには全く触れてはいません。
なぜ、高収入の人については、一所懸命、社会の為に働いて結果的に多少経済的に恵まれている人と、既得権益や自分の出世や欲望の為にあるべき姿勢とかけ離れた形で仕事をしている人とを区分しなければいけないのか、春が来るさんの視点がズレていると思うのです。
それに、年収1500万円以上の人たちは、やはり今の社会のシステムの中で恩恵を受けているからそれだけの収入を得ているのだとも思います。
そこは春が来るさんご自身も、「今の価値観の中では」と言っておられるとおりです。
今の価値観があって、今の社会のシステムがあるのですから、同じことじゃないですか?

僕は所得格差の実態を書いただけの話なのです。
しかも、高額所得者のことではなく、日々の生活にさえ支障をきたしている人々のことを書いているのです。

エーチャンさんの指摘は、「モノからか心からか」というところで、僕にも理解できます。
春が来るさん独自の視点は分かりますが、エーチャンさんの指摘を補っているのかな?
僕が書いた内容ともズレているとしか思えないのです。

際限なく話が続きそうなので、取りあえずこのあたりで休止にします。

27/08/2009(木) 21:31:56

No.5979  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
私も、いつまでもこの様に論を展開するつもりはありませんが、明日は朝から夜まで用事で出かけますので、最後に、「本音」で言わせてください。(今までも書き方は硬くとも、本音で言っていたつもりですが・・・)

>今回の投稿に関しては、私の立場では投稿しないですませる事もできました。

こう書いたのは、「そうだったら、ちょっとびっくりです。」というぬまさんのコメントと、今までのやりとりの中から、ここまで書かないと、私の言いたいことを分かっていただけない気がしたからです。

それと、今の私には、内容が「天然痘テロ」の様な重い、ある意味神経を使う投稿の後、何も反応がなければ、書いて良かったかどうか分からなくて、次に書く時、投稿すること自体に緊張がある、ということです。

それから、今回投稿した動機は、ぬまさんとエーちゃんさんの論点がかみ合っていないように感じたので、私が書くことで、少しでも論点が、より、かみ合えばいいなぁ、という願いからです。

27/08/2009(木) 22:48:56

No.5980  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
はーい、そうでしたか。
僕も諸般の事情で返信できないこともあるので、すみません。

人は誰にもその人なりの思い方があり、その人なりの守り方があるものだということで、いい歳をした大人らしく(笑)この場を収めましょう。

27/08/2009(木) 23:46:54

No.5981  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
ぬまさん

5976を見た後、5977の続きとして5979を書きました。
用事をしながらメモ帳に書いたのを5978は見ないで投稿しました。
失礼しました。
明日は、朝から京都の娘の所に行かなければならなくなりました。

5976の

>限りなく論が展開しそうなので、一言、二言だけコメントします。

>あ、電話なので。

を読んで、もうそろそろ休止にしたい。忙しい、ということが伝わってきて、ああいうコメントになりました。

私の書いた事がズレていたのなら申し訳ありませんでした。

もう少しいい終わり方をしたかったのですが、残念です。

28/08/2009(金) 00:35:08

No.5982  MOMO
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
エーチャンさんや春が来るさんの言っていること
私は分かる気がします。

最近特に思うのですが、飯沼さんの書かれている
内容が刺激的(過激的?)というか、上手く言えないけど前と少し
論調が違ってきているように思います。ただの私の気のせいかも
しれませんが・・・。

正直、今回の内容を見ていると論点より自分の意見を押し通そう
としているその姿勢の方が、私は目に付きます。もう少し色々な
意見が言える雰囲気にしないと、言いたくてもなかなか自分の意
見を言えない人も結構いるのではと思いました。

このことは、掲示板だけではないかもしれませんね。人との関わり
の中で、無意識にそういう所が出ているとすれば、ますます言えな
い、言ってもらえないかもしれませんね。

お節介なこと少し言い過ぎました。すみません。

28/08/2009(金) 03:26:11

No.5983  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 55  引用
☆春が来るさん
天真爛漫で、ほんと、可愛い人ですね。
参りました(笑)
今度会ったときに、また、ぐだぐだやりあいましょう(笑)

☆MOMOさん
恐ろしく深夜に、善意に溢れるご投稿、ありがとうございました。
生意気なことを言いますが、なかなかお上手な文章ですね。
あなたのお人柄が滲み出ていると感じました。
お節介だなんて、とんでもありません。
言い過ぎましただなんて、まだ言い足りないのじゃありませんか?
言わずにはいられないお気持ちだったのですね。
なんだか少し痛々しいです。
こういうことをあなたに言わせてしまったことを申し訳なく思います。

最近、僕の論調が変わってきているのは、世の中が大変な状況になり、さらに大変な状況に向かいつつあると思うからです。
いろいろと資料を調べているうちに、マスコミでは全く報じられない「驚くべき事実」があることを知り、「情報のひとつ」としてこの掲示板でも紹介しています。
もちろん、僕自身がその情報の整合性を検証した上でですが、それでも、無理に信じさせようなどとは全く思っておらず、判断は読者に委ねているつもりです。
ですから、僕の論調の変化も、刺激的な投稿が増えているのも、決してあなたの気のせいではありません。

掲示板のことだけでなく、僕の人との関わりについてまで、想像たくましいご意見をいただき恐縮です。
ご忠告に留意していこうとは思いますが、最終的には僕は僕としてやっていきます。
誰かの意に沿うためにこの働きをしているのではありません。
僕はそういう人間なので、すみませんね。

僕がこういう人間であるにもかかわらず、よい仲間たちに恵まれ、ほんとに幸せな人間だと感謝しながら活動させてもらっています。
そこのところは、あなたはご存じないか、認めたくはないのでしょうが、あなたの思いがどうであれ、それが事実なので、ご心配なく。

人間同士ですからいろいろありますが、僕は人を信じる喜びを知っています。
文面から察するに、あなたは僕への反感とは別に、どうやら人を信じることができない方のように感じました。
それは人生最大の寂しさだろうと、痛ましく思ってしまうのです。
ただの私の気のせいかもしれませんが・・・。

今後ともこの掲示板を読んで、またご意見をご披露くださいね。

28/08/2009(金) 07:45:15


No.5957 さき  
心が動かない時 引用
↓↓次回、悠々通信の「はじめに」として書いたものです。


心が動かない時。
動かしたくない!動かすもんか!という自分がいる。

誰もがもっている念の使い方の癖、身につけてしまった歪んだ念の使い方、
それを自分にとっても周囲にとっても嬉しい方に、喜びの方に切り替えようと、
言ってきたものの、意識してきたものの、
強情に、テコでも動きたくないとばかりに、頑張っている自分がいる。
重しになっているのは囚われであり、
自分なりの気持ちや感情にしかすぎないと頭ではわかっても、
動けない、手放せない、やっかいな自分の気持ち。

自分の思いどおりにしたいだけ。
そう出来ないこと、そうならないことへの不平不満を表現しているだけ。
そこにとどまっていては、自分にとっても周囲にとっても嬉しいことにはつながらない。

私は何をやってるんだろう。

与えられた条件や環境のなかで、その具体的な日常の積み重ねのなかで、
自分が選んできたこと、言動してきたこと、形にしてきたこと、その結果としての今があり自分がいる。
歪ませてしまった念もある。その歪みを抱えながら、生きてきた。
嬉しいこと、喜べることばかりじゃない。
むしろ、この地上界の、心かげらせることの、いかに多いことか。
人として正しくもやさしくもないことの、いかに多いことか。
喜びや愛情を歪ませて表現してしまうことの、なんと多いことか。

かげりや歪みの連鎖ではなく、それを喜びや健やかさに変えること。
それこそが与えられた(自ら選んだ)学びの機会なのだろう。

とはいえ、ただの地上の人間だし、弱くて、ちっぽけで、揺らぐことばかり。
小さなことで心をかげらせ、自分を守り、意地を張ったり頑なになったりしながら、不器用に生きてきた。
いいところもわるいところも、長所も短所もある。
頑張ったことも、頑張れなかったこともある。
人として正しくもやさしくもない自分、心かげらせている自分もいる。

・・・毎日の小さなことの積み重ねに疲れていって、もっている歪んだ念が働いてしまう・・・

先日頂いたお便りの一節が印象に残って離れない。何かが自分と重なったのかもしれない。
きっと多くの人たちが同じような思いを抱きながら生きているのだろうと思った。
その思いにこそ、寄り添いたいと思った。
その思いをこそ、喜びに変えたいと思った。
その思いにこそ、喜びや希望を注ぎたい、与えたいと思った。

そのお便りはこう続いていた。
・・・自分のことをたどり直してみて、自分の至らなさばかりが浮かんできて、これでは前に進めないなと思いながら・・・・辛さのなかを頑張ってきた日々もあったと思えました・・・

そうですね。頑張ってきた日々もあった。時もあった。その自分を喜んだらいいんですよね。
お便りを下さった方に感謝します。
やっかいな気持ちやかげりをないものにせず、一緒に歩んでいきたいです。
動かない心を動かしていきたいです。

21/08/2009(金) 22:41:28


No.5958  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 心が動かない時 引用

ふぅーん、そうなんだぁ。
意外だけど、さきさんにもそういうところって、あったんだぁ。
ふーん、知らなかったなぁ。

21/08/2009(金) 23:44:17

No.5959  さき
Re: 心が動かない時 引用
↑↑↑
ぬまさん、わざとらしくない?
日頃、とりたてて霊的な視点で見なくても、ほとんどのことは「人としてやさしく正しく」「自分もみんなも幸せに」という視点で考えていったらいいと思ってるんですが、頭ではわかっても気持ちが沈んでしまって、、カルマの負荷を実感しました。
それがわかってよかったと思ってます。

22/08/2009(土) 09:09:36

No.5960  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 心が動かない時 引用
カルマの負荷が分かってよかったです。

上の返信は、わざとらしく書きました。
これも分かってよかったです・・・?
ちょっと疲れ気味なので、意味不明でごめんね。

22/08/2009(土) 09:34:29


No.5956 春が来る  
天然痘テロ 引用
匿名さんとぬまさんのご本、楽しみにしています♪

そして「愛は時空を超えて」の受信、いつもありがとうございます。 
この様な内容を目にすることが出来る、ということを、毎回、とてもありがたく思います。

>搾取・抑圧・虚偽等による独占・占有から、真実・自由に基づく分かち合いの地上界に変わっていきます。

その様な地上界にできるだけスムーズなかたちで変わっていくことを願いながら・・・


マスメディアでは、連日、新型インフルエンザの報道がなされています。
強毒性に変化しないことを願うばかりですが、世の中がますます混沌としてきた感じを受けます。

この様な中で、さらに不安を煽るつもりは決してありませんが、ただ、様々な重大なことが知らされていないように感じますので、知り得た情報をお伝えできれば、と思い投稿させていただきます。

今からお伝えする様な恐ろしいことは、ただただ起こらないことを願うばかりですが、万が一、起きた場合、心構えがあるかないかで、その受け止め方が大きく違ってくると思うからです。

専門が感染症疫学で、現在、現役の厚労省検疫官・木村盛世さん著の「厚生労働省崩壊」を参照し、要点を紹介させていただきます。

『感染症とは、病原体によってうつる病気の総称です。
今、新型インフルエンザ問題が取りざたされていますが、以前の感染症と今の感染症は全く違ってきています。

感染症は世界的な脅威となっています。それは、感染症を引き起こす病原体がテロの道具として使われる危険性が高まっているからです。

病原体を使って行うテロを「生物テロ」と呼びますが、この生物テロの中で、世界中で最も注目されているのが、「天然痘」だということです。

天然痘は人にうつります。天然痘にかかった人のそばにいるだけで60〜70%の割合でかかると言われています。
もし、天然痘にかかった場合は30〜40%の人が命を落とし、仮に死を免れても、一生あばたを残すだけでなく、失明することもあります。

1977年、ソマリアの患者を最後に天然痘患者はこの地球上からひとりもいなくなったにもかかわらず、天然痘は、今、生物兵器としてよみがえろうとしています。
それは、人からうつりやすく死ぬ確率も高い天然痘は、テロリストにとってはとても魅力的な兵器だからです。

天然痘患者はいなくなりましたが、病気のもとになるウイルスは残されました。
アメリカとロシアの研究所に厳重な警備体制のもとに保管されています。

ウイルスを将来の研究のために残すか、生物兵器として使用される危険性を回避するために根絶するか、ウイルス存続についての議論はWHOにおいて、長い間繰り返されてきましたが、ウイルスを残すという意見が採用されました。
ウイルスはまだ生きているわけです。

その後、あってはならないことですが、ロシアの研究所の研究者がアメリカに亡命し、ロシアに保管されているはずの天然痘ウイルスが外部に流失している可能性が高いことが明らかになりました。

天然痘は発病する前に天然痘ワクチンを打つことによってほぼ100%予防することができます。
アメリカでは3億人分の天然痘ワクチンがすべて個人の名前をラベルして用意してあります。
そして、1週間以内に全部の国民にワクチンを打てるよう訓練も行われています。

その様な中で、国を守る体制が何も整備されていない日本を見ると、いつバイオテロが起こっても不思議ではありません。』

以上、木村盛世さんが強い危機感を抱き、警告の為に出された本の内容の要旨を伝えさせていただきました。

木村さんは、厚生労働省医系技官として、アメリカで公衆衛生学修士号をとられ、優れた研究者に送られる、ジョンズ・ホプキンス大学デルタオメガスカラーシップを受賞されています。

ご自分の知識を活かし、日本国民の健康問題に貢献できれば、との思いで帰国され、厚労省に入られたのですが、残念ながら、厚労省の実情は、そういう意識をもっている医系技官はほとんどいない、ということのようです。

この様なことを知って、不安に思われる方がいらっしゃるかもしれません。
ただ、私は、おそらくは、この本を出されることによって、いっそう厚労省の中で強い風あたりを受けるであろうことも覚悟された上で、「未来の日本が少しでも明るくなることを願いながら書きました。」と、あとがきで書かれている木村さんの思いを、たとえささやかでも、自分に出来ることをすることによって受け止めたい、と思いました。

私は、無責任な情報を流すつもりはありませんが、この本の内容を確かめるすべはありません。
しかし、この本の趣旨、そして書かれた動機から、この本の内容を信用したいと思います。

この情報によって、ただ、不安を持たれるのではなく、一つの情報として受け止めていただければ幸いです。

21/08/2009(金) 11:22:22



No.5952 匿名  
(No Subject) 引用
飯沼様:
 昨日掲示板にて個人商店の店主さんたちに向けての
本を書いて下さいとのご要請を頂き有難う御座いました。
そんな事は今まで考えた事も有りませんでした。
自分でも文才も有りませんし、どちらかと言うと、世の不条理に対し言葉で
語る方が自分でも心が熱く高揚して来るのを感じて、主に若者に対して
熱弁を振るう事が多く有りましたが、前回京都にて貴方から「本を書いては?」と
言われて、びっくりした事をハッキリと覚えており、以来その事が心の何処かに居座っておりました。
しかし湧き上がる”語りたい事”は多々あれど、反面それをどうであれまとめて本にするという
作業を考えた時、全く自信がありません。生来の大雑把さと、引っ込み思案の性格でしょうか
そういう自分を心の中では良く分かっております。
そんな中、ふとこの事は自分にとっても”何か意味”が有るのでは・・そして肝心な所での消極性という
自己の殻を脱皮する挑戦と受け止めるべきではないだろうか・・との思いに至りました。
書物に成るかならないかはともかくとして、自分の思いをぶつけて見ようと思っております。
またいろいろご指導くださいますようお願い致します。

所であの「地上人類の歩み」は京都でも話しましたが、本当に”すごい”本だと思います。
霊書としてはSバーチやモーゼスを始めとして私としては数々の本を読ませていただき
その”高い意識”からの霊的知識や人を思う暖かい指導性に今でも感動いたしますが
この本は、それに加えて今までにあまり伝えられなかった「先進性」と「水準の高さ」を
強く感じます。Sバーチの霊言集に「啓示はその時代、その民族の進歩の度合いに合わせて理解できないこと
が無いように、少し進んだものがもたらされます」というのが有りますが、この本を読むと
まさにそれを裏付けるような思いがします。今読まなければいけない本だと思います。
その意味においても悠々塾と出会うことが出来、本当に良かったと感謝しております。

問題は実践、実践です。
せっかくの知識を自分の人生で実践できなければ、この世という物的社会
での修行の意味が有りません。
 何とか自分の個性をおおらかに表現し少しでも世に貢献出来ればと・・。
この次元を去る時に少しでも「良かった」と思えるよう生きたいものです

20/08/2009(木) 16:18:34


No.5953  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 引用
☆匿名さん

ありがとうございます。
「地上人類の歩み」を受信していた頃は、今のような世の中になると思っていた人は少なかったと思います。
なぜあの時期に、あの内容の本を受信しておかねばならなかったのか、今になれば納得できます。

「地上人類の歩み」と「来たるべき地上界のために」は、ぜひ皆さんに読んでいただきたい本です。

>・・・世の不条理に対し言葉で語る方が自分でも心が熱く高揚して来るのを感じて、主に若者に対して熱弁を振るう事が多く有りました・・・

まさにそういう感じで、語るように書いてみたらどうでしょうか?
そうは言っても、僕自身、本にする原稿書きに難儀しています。
内容はとっくに決まっているのに、文体というのか、スタイルが決まらず、悶々としています。
お互い、「何とか自分の個性をおおらかに表現し少しでも世に貢献し、この次元を去る時に少しでも『良かった』と思えるように」頑張りましょう!
しかし、地上というところは大変で、厄介なところですね・・・。

20/08/2009(木) 21:44:51

No.5954  さき
Re: 引用
>貴重な教えを、個々の人間が今の自分の立場でどう人生に重ねていけるのか、「人も自分も幸せに」と言う事がセリフの繰り返しではなく、自分においてはどう表現できるのか、を真剣に考えています。

>何とか自分の個性をおおらかに表現し少しでも世に貢献出来ればと・・。
この次元を去る時に少しでも「良かった」と思えるよう生きたいものです

匿名さんの言葉に共感します。
人生そのものとしての実践、、そこにある匿名さんの毅然とした意志に、鼓舞されています。
若者に熱く語るように思いをつづる、、いいと思います。
私も匿名さんの熱弁を聞かせてもらいたいです。


ぬまさん、地上は厄介だけど、厄介だからこそ地上にいる意味があるんだと思う。私自身も厄介なものをいっぱい抱えてるし、自分が地上にいる間は、地上を嫌いにならんとこうって思うことにしました。原稿頑張って!

21/08/2009(金) 08:20:06

No.5955  飯沼 ホームページ E-mail
三田さんからのメールです(代理投稿) 引用
匿名様

前回の投稿の時から、匿名さんの言葉は、そのまま私の思いだと共感しておりました。
知る、語るだけではなく、何が出来るのか、何をすればいいのかでした。
今回の大変な状況の中でなお、匿名さんがご自分が出来る事を模索し、そして形にする(本として)事に、勇気と力を頂きました。
有難う御座います。

今、私も「出来る事から形にして行く」為に動く事を始めようと思っています。


飯沼さん
「念の歪みを喜びに替える」為のヒーリングをうけて今、心が軽く、素直な気持ちでいられます、そして自分の考えにを肯定し、まずはできる事から形にする為に動こうと思い始めました。
又、心を翳らせたり、自己嫌悪に陥ったりすると思いますが、自分が今この世に生きてある事、生かされている事を、無意味にしない様に生きたいと思います、
ヒーリング有難う御座います。
 

21/08/2009(金) 11:19:08


No.5949 匿名  
(No Subject) 引用
お盆連休も終わり、いよいよ大変な時期に差し掛かってきたようです。
選挙選挙で世の中が沸騰しており、マスコミも加熱を煽り立てております。
一方流通業界も大変な事になりつつあります。中でも我々零細小売店の状況は
目を覆いたくなるような賛嘆たる状況を呈して来ました。物が売れません。
来店客が激減しております。去年までは盆休みには、連休の開放感もあり
お買い上げは無くとも、店に顔を出され話されるお客さんがチラホラおられましたが
今年は殆ど皆無の状態で、家内と開店休業の店内で寂しい数日を過ごしました。
第一街中の雰囲気が大変暗いですし、お客さんのムードは何か落ち着かず不安を
抱えているような感じで、とても物を買おうと言う雰囲気では有りません。
盆明けの昨日は取引先のメーカー卸屋から立て続けに電話が入り状況を尋ねてきました。
何処もそのようで、彼らもじっとしていられないのでしょう。
我々の業界は確実に崩壊しております。

私は数年前、悠々塾との出合い以来、霊的な意味における人間とは、そして自分は
何をなさねばならないのか、等、本当に大切なものを学ばせて頂き(まだまだ本当に分かっては
いませんが)、為にここ数年のピンチの連続を何とか耐え通過できてこれたと思っております。
本当の自分の心の深いところでは、何かしらある種の確信のようなものが出来たように思いますが
取り巻く環境がここまで厳しくなり、いよいよ身の振り方を考えざるを得ない状況となって来ますと
自分に係わる人たちに対しての責任感や責務の重圧に”自分”を維持することの苦しさは
やはり耐え難いものが有ります。

どうやら世の中はおっしゃる通り重要な節目に差し掛かっているように思います。
「地上人類の歩み」をしっかり読んでみれば、その事の意味が理解できますし、確かにその通りです。
”闇の勢力”の支配からその崩壊、そして次のステップに向けた過程における大混乱。
解決方法はすでに霊書に書かれている通りです。

問題はその時代に生きている自分の意味・・を、そして自分は何を意志して生まれてきたのか、
その課題を解消するために、ここから先どう生き、何をなせば良いのか・・と。
貴重な教えを、個々の人間が今の自分の立場でどう人生に重ねていけるのか、
「人も自分も幸せに」と言う事がセリフの繰り返しではなく、自分においてはどう表現できるのか、
を真剣に考えています。

支離滅裂な便りとなり、申し訳ありません。
何か自分の思いを伝えたくなりメールしてしまいました。

18/08/2009(火) 13:51:59


No.5950  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 引用
匿名さん、こんばんは。
もともとはメールでいただいたのですが、掲示板にも投稿してくださってありがとうございました。

日本全国デフレ不況ですが、とりわけ地方の寂れようは著しいものがあるようです。
かつては「〜銀座」と呼ばれた商店街が、今や「シャッター通り」へと様相を変えてしまっています。

そういう状況下で、個人商店の経営はどこも非常に厳しく、廃業せざるを得ない小売業者が続出しています。
匿名さんと同じように、「取り巻く環境がここまで厳しくなり、いよいよ身の振り方を考えざるを得ない状況となって来ますと、自分に係わる人たちに対しての責任感や責務の重圧に”自分”を維持することの苦しさは、やはり耐え難いものが有ります」という状況に追いやられている人たちが大勢おられるのだと思うのです。

以前、非常に厳しい状況にもかかわらず、匿名さんは、「今後の人生、自分は、何か人の役に立ちたいと思っています。実は最近こういうふうに言う人が増えているんですよ」と語っておられました。
その言葉に、僕も勇気がわいてきたのをはっきりと覚えています。

そして、「厳しい状況に追い込まれている、個人商店の経営者さんたちに向けた本を書いてください」とお願いしました。
「匿名さんの経験や思い、そして、物的なものをほとんど失うかもしれない状況の中で、あるいはその後で、何を思い、どう生きようとするのか」を、是非、文章にしていただきたいのです。
今は同じような境遇の商店主さんが大勢いる時代ですから、もしかすれば一般の出版社が本にして出版してくれるかもしれません。
もしも、そうはならなければ、「明日のくに出版」からの本にさせていただきます。

匿名さんの人生をかけた思いは、必ず同じ境遇に追いやられている人たちの心に響き、次の人生を生きる道を照らすと思うのです。
難しい内容ではなく、苦しさの中でも生き生きとしたリズムと楽しさが感じられる、匿名さんのいつもの語り口で、是非、本の原稿を書いてくださいね。

18/08/2009(火) 21:56:17


No.5945 飯沼 ホームページ E-mail
イラク戦争に派遣された自衛隊員の死者数 引用

明日は、日本の降伏宣言によって、太平洋戦争が終わった日です。

「大量破壊兵器を持っている」というでっち上げの理由で始められたイラク戦争では、イラクの民間人が10万人以上も殺されました。
今のイラクの混乱は続いています。

小泉政権は、「大量破壊兵器」のでっち上げによるイラク戦争を、世界で一番早く支持しました。
そして、国際協力・テロとの戦いと称して、自衛隊をイラクに派遣しました。

イラクに派遣された自衛隊員の死者が、政府答弁書で明らかになっています。
新聞等での報道はほとんど全くなかったと思います。
以下にご紹介します。
なお、答弁書の中では全て漢数字が使われていますが、人数に関してのみアラビア数字に書き換えました。
。。。。。。。。。。。

平成十九年十一月二日提出
質問第一八二号

イラク帰還自衛隊員のCENSOREDに関する質問主意書          提出者  照屋寛徳(*社民党衆院議員)

1 (*割愛します)

2 イラク対策特別措置法に基づき、イラクに派遣された自衛隊員の、派遣時から現在までの、重複を含むのべ人数を明らかにされたい。

3 インド洋における補給活動に派遣された自衛隊員、及びイラクに派遣された自衛隊員のうち、在職中に死亡した隊員の数、そのうち死因がCENSOREDであった者、死因が傷病の者、死因が「事故または不明」の者の数を、陸海空自衛隊員毎に明らかにした上で、これらの方々の尊い犠牲に対する政府の見解を示されたい。

4 自衛隊員のうち、インド洋、イラク、クウェートなどに派遣された経験者で、帰還し、退職した後に、精神疾患になった者や、CENSOREDした隊員の数を、陸海空自衛隊員毎に、その数を明らかにした上で、元隊員、または、ご遺族に対し、政府としては、どのような形で責任をとるつもりなのか、見解を示されたい。
右質問する。
。。。。。。。。。。。。。。。

平成十九年十一月十三日受領
答弁第一八二号

  内閣衆質一六八第一八二号
  平成十九年十一月十三日

衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員のCENSOREDに関する質問に対する答弁書
                                                 内閣総理大臣 福田康夫

1について  (*割愛します)
2について
 我が国がイラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(平成十五年法律第百三十七号。以下「イラク特措法」という。)に基づき派遣した自衛隊の部隊の一部については、イラクに入国していない場合があることから、お尋ねの人数について確定的にお答えすることは困難であるが、平成十九年十一月七日現在までに、我が国は、イラク特措法に基づき、延べ約5600人の陸上自衛隊員、延べ約330人の海上自衛隊員及び延べ約2870人の航空自衛隊員を派遣してきたところである。

3及び4について
 テロ対策特措法又はイラク特措法に基づく派遣と隊員の死亡との関係については、一概には申し上げられないが、平成十九年十月末現在で、テロ対策特措法又はイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち在職中に死亡した隊員は、陸上自衛隊が14人、海上自衛隊が20人、航空自衛隊が1人であり、そのうち、死因がCENSOREDの者は陸上自衛隊が7人、海上自衛隊が人8人、航空自衛隊が1人、病死の者は陸上自衛隊が1人、海上自衛隊が6人、航空自衛隊が0人、死因が事故又は不明の者は陸上自衛隊が6人、海上自衛隊が6人、航空自衛隊が0人である。
 また、防衛省として、お尋ねの「退職した後に、精神疾患になった者や、CENSOREDした隊員の数」については、把握していない。
 (*以下略します)
。。。。。。。。。。。。。。

在職中に死亡した自衛隊員は、
陸上自衛隊が14人、海上自衛隊が20人、航空自衛隊が1人。
そのうち、死因がCENSOREDの者は
陸上自衛隊が7人、海上自衛隊が人8人、航空自衛隊が1人。
病死の者は
陸上自衛隊が1人、海上自衛隊が6人。
死因が事故又は不明の者は
陸上自衛隊が6人、海上自衛隊が6人です。

延べ9000人足らず、わずか5年余りの期間の派遣で、イラクに行った自衛隊員が35人も死亡していたのです。

日本にとって、戦争は60年以上昔のことではありません。
不安定な世界情勢のなか、改めて恒久平和への誓いと決意を高めましょう。

14/08/2009(金) 13:32:37


No.5946  飯沼 ホームページ E-mail
地球環境の激変による食料戦争 引用

☆とても重要な情報なので、「オルタナティブ通信」から転載させていただきます。(ttp://alternativereport1.seesaa.net/)
。。。。。。。。

◆CIA=ペンタゴンの食料レポート

1980年代、ソ連=ロシアとアメリカとの軍事対立が激しく展開された冷戦時代、

ロスチャイルドのシェル石油の「内部研究グループ」は、「近い将来、ソ連に若い指導者が出現し、西側への開放・協調政策を展開する」と、明晰な予測を立てていた。

この予測は、10年後、ゴルバチョフの登場によって、正しさが実証され、世界は冷戦の終結と言う大転換を果たす結果になる。

この極めて正確に分析・予測を的中させた、シェルの「内部研究グループ」は、現在、CIAの調査部門にリクルートされ、CIAで、国際情勢の予測・分析に当たっている。

このCIA調査グループが、先にアメリカ国防総省・ペンタゴンに提出したレポートでは、

「近い将来、地球環境の激変によって、ヨーロッパ全域は凍土となり、農産物が一切実らない不毛の地となり、世界各国で食料戦争が起こる」と警告を発している。

オバマ大統領は、この報告の下に、アメリカ国家として大量の食料備蓄体制の確立に急ピッチで動き出している。

日本政府は、一切、危機を察知せず、居眠り状態を続けている。
。。。。。。。。。。。。。

気候の急激な寒冷化による資源不足に備えて、世界の人口を今の3分の1に減らす企てが進行中だという説があります。
削減されるのは、私たち有色人種だとのことです。
この説の真偽は分かりませんが、世界的財閥のトップが「世界の人口が多すぎる」と公言したりもしているのです。

新型インフルエンザウイルスの遺伝子の組み合わせは、自然なものではありえず、人為的に作られたものとしか考えられない」と云う研究者もいるそうです。

この掲示板で、無責任な不安を撒き散らかすつもりはありませんが、一応、情報のひとつとしてご紹介しておきます。

14/08/2009(金) 15:41:26

No.5948  春が来る
Re: イラク戦争に派遣された自衛隊員の死者数 引用
私も決して不安を煽るつもりはありませんが、「寒冷化と食糧危機」に関しての一つの説をご紹介させていただきたいと思います。

「Co2温暖化説は間違っている」槌田 敦/著 の「はじめに」で著者は、

『私は、物理学を研究する者として、気象学者の間違いを知ってしまった。また、環境経済学を教育・研究する者として、この温暖化対策が社会に対して増税や物価高騰だけでなく、原発を推進し、貴重な石炭資源を採掘不可能にするなど、重大な悪影響を残すことも分かった。

さまざまな温暖化政策は気象学と経済学の間違いが絡みあい、未来に深刻な禍根を残すと思われる。物理学と経済学の二足のわらじをはく者として、これを黙認するわけにはいかない。

さらに、Co2温暖化説の影に隠されているが、最も重大かつ緊急を要する課題は、近い未来に予想される地球寒冷化による飢饉の問題である。将来、人類は食糧難に悩まされるに違いない。
そして、食糧不足を原因とする戦争が始まるだろう。そこで、できる限り早く温暖化問題を切り上げて、寒冷化問題を検討すべきと思う。』

と 2006年1月の時点で述べておられます。

以前にも、東京大学生産技術研究所教授・渡辺正氏の「温暖化説は間違いである」という説をご紹介させていただいた事がありますので、今回は「寒冷化と食糧危機」に絞ってご紹介させていただきます。

以下、要約です。

『現代では、土地の砂漠化がアフリカ、インドネシア、ブラジルなどの熱帯と南北アメリカ、アジアなどの温帯で進行し、残された穀物農地は北アメリカ、北ヨーロッパなど亜寒帯(北緯40〜60度)に集中している。

世界の食糧は農地の砂漠化により危機的な状況にある。ここで寒冷化すれば、ただちに世界的飢饉となる。したがって、寒冷化対策こそ必要である。

陸地植物の光合成は、15°C以上でなされるが、現在の平均気温は15°Cである。つまり現在の温度では陸地の約半分で光合成ができない。穀物を得るためには、15°Cの温度が3〜4カ月必要となる。十分に育って、花が咲いても、実のつく時期に寒くなれば収穫はないのである。

世界が寒冷化した場合、小麦は北アメリカや北ヨーロッパなど寒い地域で作られているので、生産量が急減する。その結果、同地域からの小麦輸出量が半減したとすると、約5億人の人々が飢えることになる。

寒冷化と砂漠化が重なると世界規模の悲劇となることが予想される。』


歴史をたどってみても、寒冷期に人々は飢饉に苦しめられています。

科学技術はアメリカなど先進国で穀物の過剰生産を引き起こし、穀物の価格が下がりました。その結果、まだ穀物を生産できる農地であっても、採算がとれなくなって放棄され、その放棄された農地の多くが風水害で荒地となり、砂漠化していったということです。

この先進国での穀物価格の低下は、農民を離農させ、失業問題になりました。そこで農民の失業を抑止するため、先進国はこの過剰穀物を輸出しています。

これらの先進国の穀物の輸出攻勢を受けて、途上国の穀物生産は壊滅状態になりました。

特にアフリカの場合、昔は小麦を食べませんでしたが、食の嗜好が変わり、都会の住人に小麦を食べる習慣ができてしまい、農家がミレット(きび)などの雑穀を生産しても、都会の住民は買ってくれません。やむなく農業を放棄して、都市のスラムの住民になり、その為、放棄された農地は、風水害によって荒地となり、さらに砂漠化することになる。というように、地球砂漠化を引き起こす要因の一つとして自由貿易の問題があげられるようです。

私は、地球温暖化説と寒冷化説の正否をここで申し上げるつもりはありません。ただ、「すぐ」に寒冷化するということではなくても、寒冷化説も公に論じられるべきだと思うのです。
そうして、初めて、本当の意味での「危機対策」を考えることが出来ると思うのです。

砂漠化と寒冷化が重なった場合、世界的食糧危機が起こるのではないか、そしてその様になった場合、食糧の争奪戦が起こるのではないかと危機感を抱きます。

18/08/2009(火) 13:20:11


No.5940 飯沼 ホームページ E-mail
いくつもの異変のなかで 引用

豪雨・地震・台風・雨の冷夏と、幾重にも異様な気象が続いています。
地震に関しては、8月9日に東海道南方沖を震源とする、 M6,9 、震度4のものがとても気になっていました。
通常の地震は震源が地殻の範囲内の地下10〜40キロ程度です。この地震の震源は、なんと地下340キロとのことでした。
地殻よりも深いところのマントルで、マグニチュード6,9という、かなり大きな破壊が起きたということです。(この投稿の最後に関連説明を載せます)

9日の地震の震源は、太平洋プレートと北米プレートとフィリピン海プレートの合わせ目のマントルで大きな破壊が起きたことを示しています。
「土台の一部が崩れた」とも言えるでしょう。
これを引き金に、一定の期間内で関東・東北・東海・近畿を中心とした日本列島で大地震が起きる可能性は十分にあります。
怖れや不安を高めるのではなく、大地震の可能性を意識して、心構えとできる備えはしておいた方がよいと思います。

天候異変も、続くかもしれません。
太陽は11年周期で活動を活発にしたり、やや衰えさせたりするといわれています。
その説に基づいた観測が始まってから、今は24周期目に入っています。(サイクル24)
サイクル23は、1996年から始まり、2001年頃が活動のピークで、そこから徐々に活動を弱め、2007年夏ごろにはサイクル24に入って再び活動が活発になると予測されていました。
しかし、サイクル24に入ったのは、2008年1月4日です。

サイクル23の後半の不活発期が長く、しかも谷が深かったので、サイクル24はかなり活発になるのではないかといわれていました。
2011年あたりから24周期のピークに差し掛かるので、天候異変や電波障害なども取りざたされていたようです。

ところが、活動期のはずなのに、未だに太陽活動は活発になっていません。
太陽活動が活発になれば、黒点がたくさん長期間にわたって現れるのですが、黒点も非常に少ないままです。
この1ヵ月は、無黒点状態が続いています。
つまり、この数年間は太陽活動に変調がみられ、活動が著しく衰えているのです。
気の早い人は、「太陽の核融合が停止して、地球生命が死に絶える」などと言い始めています。
そこまでかどうかは知りませんが、太陽活動に異変があり、地球気象に影響が現れているのは確かなようです。
いずれにしても、地上界(地球)は大きな節目を迎えているのだと思います。

それに呼応しているかのように、アメリカの経済が9月頃に完全に行き詰り、破綻するという説が現実味を帯びてきました。
アメリカではすでに70以上の銀行が倒産して、それは今も拡大しています。
9月末までに、200兆円分のアメリカ国債をどこかに買ってもらわねばならない状態なのに、アメリカ国債への信用度が低下して、売れない状況のようです。
日本はアメリカ国債を政府関連で100兆円、民間を含めれば数百兆円保有しているそうです。

アメリカの預金者が銀行不信になって、預金の引き下ろしが増えれば、銀行にドルがなくなって、まさに銀行が連鎖的に破産するということもありえます。
そうなれば、預金の引き下ろしは凍結されるでしょう。
もちろん日本もまともに影響を被って、経済的な大混乱が起きます。

アメリカでは失業率が実質は10%以上で、3000万人以上の人がアメリカの生活保護であるフードスタンプの補助を受けているそうです。
アメリカの人口は3億人ですから、1割以上の人が生活保護を受けているということです。
日本の生活保護受給者は人口の1%あまりですが、急激に増加しています。

地球規模、世界的な危機はこれからさらに現実化していくのでしょう。
まさに地上人類の節目です。
お金や物質の豊かさを優先して求める現状から脱皮し、分かちあいによる心の豊かさを軸にした生き方・社会に切り替えていくことでしか、この危機を克服することはできません。

「人として優しく正しく。人も自分も幸せに」を自分の生き方にして、自然に湧きあがる喜びと感謝を形にしていけば、必ず乗り越えていけるでしょう。

政治が庶民に最後まで責任を持ってくれることは、まずありえません。
企業であれ何であれ、組織の上層部が組織の構成員ひとりひとりのことを考えてくれることも、まずないのです。
それは、日中戦争や太平洋戦争の経緯・結果で明らかですし、今の社会の状態からも嫌というほど分かります。
マスコミが流す情報が真実ではなく、為政者や大企業に都合よく、驚くほどに歪められた情報で庶民を惑わしている部分も少なくないのです。(もちろん、中には最近のNHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」のように、勇気を持って、隠された真実を追求した番組もありますが)

私たち庶民も、これからまさに正念場を迎えるのだと思います。
自分(たち)だけの今を守ろうとするのか、心を開いて人と関わり、分かち合おうとするのかが、闇と光の分かれ目になるのです。
光の心で生きれば、必ず幸せの実感、生きる喜びがもたらされます。
光の道に立ち戻るのに、遅すぎるということは絶対にありません。
なぜなら、それが人間としての本来の生き方であるからです。

そのためにも、自分の歪んだ念を喜びに切り替えましょう。
。。。。。。。。。

そもそも日本列島は、
ユーラシアプレートと北米プレートに乗っていて、これらは太平洋プレートにより東から、フィリピン海プレートにより南から押され、太平洋プレートとフィリピン海プレートは海溝やトラフをつくって潜り込んでいる。こうして、日本は3つのプレートが1カ所で接する三重点(トリプルジャンクション)が近くに2つもあるという、極めて複雑な様子を示している。

 このため、世界の地震と活火山で解放されるエネルギーの約10%は日本とその周囲でのものになっている。世界的に見ても、地質活動が非常に活発な地域である。こうした変動は今日も続いている。
 基本的には日本列島はアジア大陸の端にある、太平洋プレートとフィリピンプレートの沈み込みに伴う付加によって生じた付加体で、太平洋側の方ほど新しい地層・岩体が分布していることが多い。

12/08/2009(水) 12:00:22


No.5941  飯沼 ホームページ E-mail
Re: いくつもの異変のなかで 引用

日本のCENSORED者数(率)は世界でも10位以内に入っています。
いわゆる先進国のなかでは、ダントツのトップです。
平成10年以降は毎年3万人を越え、今年も半年間で17000人を越えました。

それとは別に、WHOの見解では、「変死者」の半分はCENSOREDであろうと推測されているそうです。
変死者数の統計はなかなか見つからないのですが、民主党の山田正彦議員の話によると平成9年に変死者9万人、平成15年に15万人だそうです。
わずか6年間で、変死者が6万人も増えていることになります。
これは多分ありえないことで、何らかの事情で数字が操作されているのだと思います。

平成9年のCENSORED者数は24391人、平成15年のCENSORED者数は34427人と公表されています。
WHOの見解通り、変死者の半分がCENSORED者であれば、平成15年のCENSORED者は10万人を越えています。
年間CENSORED者が10万人以上ということが明らかになれば、「政治の責任」を問われるので、CENSORED者を変死者として操作・処理している可能性があります。

その後、現在に至るまで、CENSORED者が減るような社会情勢ではないので、もしかすれば毎年10万人以上の人がCENSOREDに追い込まれているのかもしれません。

いずれにしても、この国に暮らす多くの人たちの生きる苦しみは、もう限界を越えてしまっているように思います。

12/08/2009(水) 14:34:47

No.5942  さき
Re: いくつもの異変のなかで 引用
>私たち庶民も、これからまさに正念場を迎えるのだと思います。
自分(たち)だけの今を守ろうとするのか、心を開いて人と関わり、分かち合おうとするのか・・・・

ぬまさん、そのとおりなのでしょうね。
その一方で、思います。
多くの庶民は、それぞれに歪ませてしまった自分の念を働かせながら生きている。過剰防衛や過剰攻撃して、相手を傷つけたり、アホな言動したり、それ故に負い目を抱いたり、喜べない自分、好きになれない自分と格闘しながら、一生懸命生きてるんだよね。

実際にその人が表現してしまっていることとは別に、その根っこには自分の存在を受け入れたい、喜びたい、ただ幸せになりたいという思いや、家族や愛する人を思う純粋な愛情があるのだと、ハタと気づかされることが多々あります。
その願いや愛情をそのままに表現できればどんなにいいか。
どんなに健やかな喜びが広がることかと思うけど、なかなかそうはできないのが地上なのでしょう。

>そのためにも、自分の歪んだ念を喜びに切り替えましょう。

ですね。
そのためにも(定例会の繰り返しになるけど)、まずはいいとこも悪いとこもあるけど、こうして今ここにいる自分を、自分の存在を喜びましょうよと、言いたいです。
自分のせいとか、自分のいたらなさとか思って、自分を喜べなくなってしまう。なんだかんだ言っても庶民って真面目で善良なんだと思います。
巨大に思える今の世界も、実はその庶民の善良さにのっかってるにすぎません。
今の危機ってそのデタラメな世界が自壊していくプロセスなのでしょう。

>「人として優しく正しく。人も自分も幸せに」を自分の生き方にして、自然に湧きあがる喜びと感謝を形にしていけば、必ず乗り越えていけるでしょう。<

はい、そう思います。
未来を切り拓くのは、この喜びに生きる者たちです。

13/08/2009(木) 00:31:17

No.5943  飯沼 ホームページ E-mail
三田さんからのメールです 引用

飯沼さんが、常々発信して下さっていた、地上人類の試練の時がこんなに早く、さまざまな現実として表れ始めた事に背筋が寒くなります。

いつも悠々塾のテーマは、まさしく今の私の課題と感じるのは、私だけでは無いと思いますが、今回も自分を喜べない歪んだ念に囚われて身動きとれずに居りました。

「人として優しく正しく。人も自分も幸せに」その思いは有るのですが、形として
何が出来るのか? 何をしたのか? 何をするべきなのか? いつも堂々巡り
で時間ばかり過ぎていきます。

しかしそんな自己憐憫に浸っている場合ではない!
さきさんに、人間は弱さと、本来の善良さを持って、のた打ち回りながら幸せを
求めて生きている、それで良いのだと言って貰った気がします。

まずは自分が此処に生きてある事を喜べる様に、その上で大きな試練に向かって、周りの小さな事々を見回し、出来る事、するべき事をしたい。

飯沼さん、さきさん又力を貸して下さい、皆さんも、「こんな事なら出来る」という事があったら教えてください。

あきらさん、ひとみさん、関東の定例会から「形ある小さな働き」を広げていけるよう、私も役に立たせて下さい。

飯沼さん、いつも代理投稿、申し訳ありませんが宜しくお願いします。
前回の定例会に参加できなかった事が、とても残念で、9月の定例会には必ず参加したいと思っています、念の歪みを喜びに変えるための遠隔ヒーリングを
お願いしたいのですが、よろしいでしょうか?

13/08/2009(木) 11:52:42

No.5944  飯沼 ホームページ E-mail
Re: いくつもの異変のなかで 引用

☆さきさん
>自分のせいとか、自分のいたらなさとか思って、自分を喜べなくなってしまう。なんだかんだ言っても庶民って真面目で善良なんだと思います。
巨大に思える今の世界も、実はその庶民の善良さにのっかってるにすぎません。
今の危機ってそのデタラメな世界が自壊していくプロセスなのでしょう。<

本当に、そのとおりだと思います。
公表されていない裏の事実を知れば知るほど、今の世の中を牛耳っている人たちのおぞましさを思わずにはいられません。
庶民もいろんなことを抱えてはいるけど、基本的に善良なんだと思います。
今の混乱は、庶民の善良さを土台に据えた社会に切り替わるのか、今のデタラメな世界がそれなりに進化して、さらに冷酷な収奪のシステムの管理社会を完成させていくのかの、分かれ道にあるのでしょうね。
善良な庶民社会に変えていくために、頑張りましょう!!

☆三田さん

本当に大変な社会です。
昨夜、NHKの「働きたいんや(だったかな?)」という、派遣切りにあった人のドキュメントを観ました。
生きる希望、人生の喜びを奪い取られて、それでも身を養うために生きていかねばならない、その寂しさが伝わって涙が出ました。
いろんなことはあるにせよ、普通に善良な人たちが、せめて普通に生きる喜びを実感しながら生きていける社会は、実はそんなに難しいことではないと思うのですが、今の世の仕組みの中ではそれがとても難しいことになってしまっているのですよね。

僕らの念の歪みを喜びに切り替えて、生きる喜びの連鎖を広げていきましょう!
まさに、さきさんが書いた、「そのためにも(定例会の繰り返しになるけど)、まずはいいとこも悪いとこもあるけど、こうして今ここにいる自分を、自分の存在を喜びましょうよと、言いたいです。」が全ての基本です。

念というやつはなかなか厄介なものですが、何度でも何度でも挑んで、喜びに切り替えてしまいましょう。
近くの人は直接ヒーリングで、遠くの人は遠隔ヒーリングで、僕らもお手伝いさせていただきます!

関東定例会、力を貸してくださいね!
あきらさんたちとも相談して、この秋から始めたいと思っています。

13/08/2009(木) 17:21:26

No.5947  あきら&ひとみ
Re: いくつもの異変のなかで 引用
> あきらさん、ひとみさん、関東の定例会から「形ある小さな働き」を広げていけるよう、私も役に立たせて下さい。

三田さんが居てくださると心強いです。
連絡をすることもあると思いますが、よろしくお願いします。

> 前回の定例会に参加できなかった事が、とても残念で、9月の定例会には必ず参加したいと思っています

定例会でお会いしましょう。

15/08/2009(土) 20:46:38

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