☆☆ 愛は時空を超えて 54 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼) おーい、クゥ、こんにちは。
克子)はーい。まーたん、こんにちは。
飯) 念のエネルギーについて、お前からも何度も伝えてもらっているけど、やっぱりこれは地上の人間にとってなかなか手ごわいテーマのようだ。 定例会でも2度連続でテーマにして、念のエネルギーがかなり動き始めている人もいるし、停滞している人や、後一歩のところで逆戻りしている人もいるみたいだ。 しかし、念のエネルギーが、肉体や現実の現象に直接作用するのだから、ここは何としてもクリアしていかねばならないと思っている。
克) はい、そのとおりです。 何度もお伝えしているように、念のエネルギーは本人が意識できないところで歪めて使ってしまっている場合が多いのですし、まさに身に染み付いているものなので、実際にその歪みを健やかな喜びに切り替えていく作業は難しいのでしょうね。
飯) うん、そうなんだ。 本当はシンプルで簡単なはずなんだけどね・・・。
克) 「本来のもの」を軸とした理論的筋道で考えれば、どんなものでも歪みを修正するのは簡単なはずです。 でも、実際はそうしにくい癖をつけてしまっているのが、今の地上の人間なのですから、そんなふうに突き放したような言い方をするのはいかがなものでしょうね? あなただって、自分の大きなテーマに向き合い、力を発揮しようとする時には、すぐに自信を失ったりもするのですから(笑) あなたの場合も、過去世のカルマの影響を受けてそうなってしまうのです。 カルマは、何らかの形で今回の人生にも現れるものです。
あなたも幼い頃から、自分に自信を持てないようなことを、繰り返し経験することになっていました。 魂の意志、今回の人生の目的は、そういう負のエネルギーを越えて、自分本来の力を発揮していくことなのですが、それを誰よりもよく理解しているあなたでも、何度も何度も同じネガティブな気持ちが湧いてきて、その度ごとに仲間たちの応援によって少しずつ越えてくることができたのです。 現実を作り上げる実地のエネルギーですから、そう簡単にはいかないものですよ。
飯) はいはい、確かにおっしゃるとおりです(笑) 人のことは、「何でそこを変えられないんだろうか?」と思ってしまうけど、念の歪みの内容は人によって違っているんだからね。 自分にとっては容易いテーマでも、当事者には人生の全てを押し潰すほどの重さをもっているんだよね。 なかなか越えられなくて、投げやりになったり、意識を逸らそうとしたり、不快感を募らせたりしている人は、かつての僕自身というよりも、もう一人の自分であると思う。 テーマの内容の軽重を思うのではなく、その渦中にあって、身動きが取れなくなっている人の心を思っていきたい。
克) はい。 そういうことを言うようになったあなたも、苦労して成長したということですね(笑)
飯) そんなこと言って人をからかってばかりいると幽界に落ちるよ(笑) 助けに行ってやらないからね(笑) いいから本題に入ろうか?
克) はい(笑) 人間は、霊としての(魂の)喜びを地上に顕現させることを目的とした存在です。 人間にとって最も高次のエネルギーを最も下位で表現し、つまり、魂の意志を地上で実際に形にして日々を生きることです。 それが全ての健やかさの元になるエネルギーです。
今の地上に生きている人間には、何らかの過去世の人生があります。 地上の歴史を見れば分かるように、過去世も決して喜びのみの人生ではありませんでした。 それぞれの人が、さまざまなことで心にかげりを抱いたままで地上を去っているのです。 地上を去った後もそれぞれがたどる経緯はあるのですが、やがては自分の地上人生を振り返ります。 そこで地上人生の全てを喜びとして捉えなおすことのできた人が、その人生では越えることのできなかったものを越えるために、そしてそれを貢献に生かしていくために、こうして再生しているのです。
今の人生の苦難がどんなに大きくても、あるいは自分なりの思いに囚われて動けない状態が続いているとしても、それら全ては今回の人生の過程として織り込まれているということなのです。 摂理・法則は完璧です。 どんな国のどんな親の下に生まれるのか、どんな家族構成、どんな家庭環境で育つのか、どんな能力を携え、どんな評価を受けながらどんな人たちと関わっていくのか、あるいはその逆も、全ては本人の同意の上でプログラムされているのです。
霊界で培った「全てが喜び」の心を、霊界と違って決して喜びのみではない地上で、実際に現していくのです。 それによって、地上も霊界の写し世となり、次元は異なっていても、霊界との共鳴が完成し、地上も喜びに輝く世界に進化するのです。
しかし、いくらこうして霊的知識を得たとしても、感情や念の次元にまで喜びを行き渡らせることができなければ、実際の言動に反映しないものですね。 魂の喜びを念の層にまで下ろして、実際の言動としていくまでには、たくさんの悩みや苦しみや葛藤を抱えて生きることになるのです。 念の歪みはそのまま具体化されますから、それによってさらに不調和が拡大するでしょう。 それがさらに念の歪みを増幅し、さらに不調和が大きくなるという、負の連鎖が続くことが多いものです。 そうなれば、本人はもちろん、周囲の人たちも、喜びの中で生きる日々とは掛け離れた、不快で重苦しい人生を送らねばなりません。
そして、過去世と同じか、それよりも深い不調和の中で今回の人生を終えてしまうことになれば、他界後に「自分は一体何のために地上に再生したのだろうか?」という深い悔いを残します。 そして、ふさわしい時期にふさわしい境遇を選んで、物質次元の世界に再生するのです。 その時には、今回の人生の負のカルマも加算されますから、今よりももっと喜びにくい状況がもたらされることになります。 それは大変お気の毒なことなのです。
もちろん、個人的な課題を抱え、喜びに逆行する念の使い方や不調和があったにしても、その人が実際に自分を人のために役立てる日々を送っていれば、他界後に評価され、大きくねぎらわれて感涙に咽(むせ)ぶことも珍しくありません。 カルマの埋め合わせとして、今回の人生ではどうして喜びとできないものを背負って、それでも自分を役立てていくというプログラムもあるのです。 大事なことは、動機と、実際にどう言動していくのかです。 そして、動機も実際の言動も、「人も自分も幸せに」というところで合致させていくことが、全ての人に共通の生きる意味であり、人生の目的です。
それが容易くないことは、守護霊様や指導霊の皆さんももちろんご存知です。 ですからすぐに「正解」を出せなくても、「正解」が分かってはいてもなかなか気持ちを切り替えられなくても、実際の言動として表現できなくても、それを論(あげつら)うような守護霊様や指導霊の皆さんではありません。 時には厳しいエネルギーを注いで、気づかせようとしなければならない場面もありますが、全ては深い愛情に基づいているのです。 人間の側が、現状はどうであれ、喜びを膨らませる方向で、「皆も自分も幸せに」を願ってくれていれば、霊界側が人間を見放すことなどありえないのです。 霊界側は、どんな時でも人間を見放したりはいたしません。
しかしながら、人間のほうがあきらめや怖れや攻撃や自己否定を強めたり、意図的に虚偽を多用したりしすぎれば、エネルギー的に接点を維持できなくなることはあります。 そういう場合でも、決して見棄てることなく、ふさわしい人間を配剤して気づきを促したり、「このままではいけない」と気づくように何らかの出来事を計らったりもします。 気づきや変化を促す計らいには,本人や家族の病も含まれているのです。 それももちろん、摂理・法則に基づいてのことです。 それでもやはり、本人次第ということになるのですが。
飯) うん。 それでも、人間の側が喜びに向かうのではなく、逆行することも珍しくないから、霊界側はご苦労が多いんだろうね。 なんとなく僕にも分かるような気がするよ。 まあ、そのことで霊界側が心をかげらせることはないはずだから、そこは人間と違って楽なんだろうけどね。 思うように指導効果が現れないからといって、指導する側が心をかげらせてしまったら、かげりの連鎖・共鳴が起こってしまうからね。
克) はい、もちろんそうです。 守護霊様や指導霊様たちにも情感はありますが、地上人生のみの基準で指導することはありませんしね。 霊界側は、直線的に完全・完璧を求めていくのではなく、その部分総体として喜びがかげりを凌駕していくことを重要視しています。 その意味では段階的であり、らせん状に喜びが広がっていくことでよいのです。 地上人類の進化向上、地上界の浄化というスケールにおいても、それは同じです。 極めて小さな範囲での完全や完璧を求めすぎることによって、逆に全体(総体)が喜べない状態に陥ってしまえば、本末転倒です。 調和が大事です。
飯) そうだね。 いくらカルマとはいっても、それはほとんどの人が記憶していないことなんだし、今の人生でどうしても喜びにできないことや受け入れ難いことってあるからね。
克) 確かにそうですね。 私の人生を振り返っても、それは思い当たります。
どうしても喜びに転換できない自分の生い立ちや境遇については、あなたがTさんに話したことでよいのです。 つまり、どうしても喜び以外の気持ちでしか捉えられないことを、無理やりに喜びにするわけにはいきません。 いくら霊的真理を学んでいたとしても、生身の地上の人間としての思いを無いものにはできないものです。 もちろん、さらに学びが進めば、今までは受け入れられなかったことでも、相手に対する理解や思いやりによって、喜びに変換できていくのですが、それとて一足飛びにできるものではありませんね。
本当は生身の人間としての思いに囚われているのに、いかにもそうではないように、自分はもうそれを越えたかのように振舞ったり、自分でそう思い込んでいくことは、決して健やかなことではありません。 念の層でのかげりのエネルギーが残っているのに、それを無いものにしてしまっては、別の形で不自然な形で現れたり、病や症状となって表れることが多いのです。 今からでも問題を解決して調和に向かわすことのできる事柄についてはそうしていくべきでしょう。 でも、時間の経過や相手の状態によっては、そうできないこともありますね。 ではどうすればよいのか?
あなたがたの今は、過去の経験によってあるといえます。 それゆえに、自分で自分を喜べないようなところもあるでしょうが、決してそれが全てではないはずです。 ならば、今の自分の喜べるところにしっかりと意識を当てて、「確かに今思っても嫌だったけれど、ああいう経験をしてきたから、今の自分がある。ああいう思いをたくさんしてきたから、今の自分がある」と、自分をねぎらい、納得させていくことです。 「ああいう経験をしてきたから、自分はこうなってしまった」という思い方もありますが、それよりも、少しでも喜びの視点を増やしていくことです。
とにかく、総体としての喜びを増大させることによって、心の磁場は変化していくのです。 そのエネルギーが、凝り固まって動けなくなっている心を動かしやすくしていくでしょう。 誰でもがいくつもの欠点やかげりを持っているものです。 でも、そればかり意識して、自己否定を強めたり、幸せになることをあきらめようとすることが、さらに自分を苦しくして不調和を拡大させていくのです。 欠点やかげりだけの人間など、地上に存在しているはずがありません。 ちゃんと見る気になれば、誰にも自分を喜べるところがあるはずです。 それは自分の苦しかった過去によって培われ、あるいは鍛えられてきた輝きでもあるのです。
自分の生い立ちや境遇を嘆くよりも、恨みに思うよりも、そのなかで自分が得たものを喜んでいくように、ということです。 そこから始めればよろしいのです。 喜びは必ず次の喜びにつながっていくのだと、信じていただきたいのです。
自分の境遇は、過去世の自分の言動の結果です。 それが霊的真実なのですから、まずは今の自分が変わっていくしか方法はないのです。 こういう言えば、「どうせ自分のせいなんだ」とさらに自分を責めたり、不機嫌になったりする人がいるかもしれませんね。 でも、それではいつまでたっても同じです。 自分も周囲ももっと幸せを実感できるように、念の使い方を喜びに切り替えようと努力してくださいね。
飯) 分かった。 次の定例会のテーマにしようと思う。
克) そうですね。 何度でも、あらゆる角度からアプローチしてくださいね。 何度も言いますが、念のエネルギーが全ての現実を作っていくのです。 「幸せになりたい」という願いは、全ての人間に共通のものでしょう。 その実現に向けて、あるいはもっと大きな貢献の役割を果たすためにも、少しずつでも前進していただきたいのです。 念のエネルギーは、「(自分の」存在」にまつわるところで練り上げられていくことが多いものです。 家族の中で自分の存在位置や扱われ方がどうだったのかによって、念の歪みも(健やかさも)形成されてきたと言えるでしょう。 それが身に染み付いているがゆえに、成長してからも歪んだ形で自分の存在を表現することを止められない場合が多いのです。 そこの次元を健やかにしていくことが、幸せを実感できる人生への第1歩になるでしょう。
飯) はいよ、ありがとうね。 僕らもその次元のエネルギーを強く鍛えて、役立てていきたいと思っている。
もうすぐ、お前がそちらに戻って4年が経つけど、お互い今の状態にすっかり安定してしまったね(笑) 僕もいつのまにか57歳になった。 でも、まだまだ地上でやらねばならないことがたくさんあると思っている。 これからもよろしく頼みますよ。
克) はい、もちろんです。 こういう形で一緒に働くために、あの時期に私は地上を離れたのですからね。 あなたもさきさんも、もっともっと「何がなんでも」という念のエネルギーを強く高めて、地上の働きに邁進してくださいね。 今を喜び、与えられたものの範囲で満たされることと、働きの上での貪欲さは別のものです。 地上界の状況はふたりとも十分に分かっているのですから、「何がなんでも自分がやるんだ!」という強い思いが求められているのです。
飯) はいよ。 さきさんにくれぐれも伝えておくわ(笑) それじゃあ、またね!
克) はーい、まーたん、またね。 (2009・7.16) |
16/07/2009(木) 23:23:38
No.5885 もこもこ |
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飯沼さん、克子さん、胸に響く☆愛は時空を超えて☆をありがとうございました。たくさんの「愛」を感じました。 よく読んで・・・自分と向き合って、心で分かっていけるようになりたいなあと思います。 |
17/07/2009(金) 01:26:52
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No.5887 さき |
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長文の受信ありがとうございます。 ぬまさんと克子さんとの掛け合いに(笑)でした。
念は手ごわいですね。 けどその念こそがその人をつくっているんだよね。 地上の人間ってけなげで愛しいものだと感じます。 なんて上から目線で言ってたら幽界に落ちるかな。笑
どうすべきかわかっても、実際には念の次元が邪魔してしまうわけで、なかなかそうできない、そう思えないのが地上の人間で、そこを動かさないと意味がない。幸せにも喜びにもつながらない。 そこを動かすパワー、貪欲さ、不足してます。 どんな状況であれ、どんな自分であれ、少しでも今を喜べたら、流れが変わるのでしょうね。 |
17/07/2009(金) 23:32:41
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