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No.5525 飯沼 ホームページ E-mail
デヴィ夫人・・・ 引用
「デヴィ夫人が右翼の街宣車に植木鉢を投げつけた」というニュースがあったので、ブログをみてみました。
デヴィ夫人が北朝鮮を訪問したことに絡む騒ぎだったようです。

デヴィ夫人は僕が子供の頃は、インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人でした。
僕が中学生の頃、そのインドネシアでクーデター騒ぎや内乱が起き、スカルノ大統領は失脚します。(1965年だったらしいので、僕はまだ小学生だったかも?)
その内乱は、アメリカやイギリスが裏で共謀していたことが機密文書などから確定されています。
その後、共産主義者やスカルノ支持者の市民が50万人以上も殺されるという大虐殺が続きました。
虐殺した側の将軍はその後30年間にわたって、親米政権の大統領としてインドネシアに君臨しました。

そういう歴史を生きてきたデヴィ夫人のブログ、昨日と今日の記事をざっと読んだだけですが、興味深かったです。
かなり衝撃的な写真もアップされていました。



@ttp://ameblo.jp/dewisukarno/ (@をhに変えてください)

21/04/2009(火) 23:02:08


No.5526  春が来る
Re: デヴィ夫人・・・ 引用
デヴィ夫人のブログ、拝見しました。

ひとりの女性に対して、屈強な男性が多数、力ずくで抑え込む様子に、野蛮さと卑劣さを感じ、暗い気持ちになりました。
この一件でも、じわじわと言論統制の動きが拡がっていることを感じます。

教育現場でも自由が失われていっていることを知り、ドネのSNSやブログにも書いた内容ですが、少しでも多くの人に知っていただきたく、こちらにもご紹介させてください。

その先生は、今年3月まで、都立高校の校長先生でした。
その土肥信雄先生のことを知り、関心を持ったので、岩波ブックレットの「学校から言論の自由がなくなる」を読みました。

現職の校長として、東京都教育委員会に、おかしいと思う処を勇気を持って発言されてきた土肥先生。

私は、何かに異議を唱える時、声高に発言する人は苦手ですが、土肥先生は、いたって温厚で、平等を尊ぶ方です。

土肥先生は、大学紛争の真っ只中、東京大学に入学されますが、紛争に参加する学生の意見には共感しながらも、酒乱の父を見て育った先生は、非暴力主義で、紛争に加わることはなかったそうです。

仲間の中には、そのまま大学を卒業して権力体制の側に取り込まれていくことを拒否し、中退した人もおられるそうです。
「でも、私にはその勇気がありませんでした。東大卒というレッテルを捨て切ることが出来なかった。そんな後ろめたさが、今でもあります。」と先生は言われます。

その後、大手商社に就職された土肥さんは、そこで、所属する課が談合(ヤミカルテル)に参加していることを知り、その不正を上司に訴えられます。しかし、上司には、まったく取り合ってもらえず、「ここは自分がいる場所ではない。」と考え、その会社を去られたのです。

そして、もともと子供が大好きだった土肥さんが目指されたのが教員だったのです。

写真を見ても、とても穏やかそうな土肥さん。正確には、土肥先生と呼ぶことが出来なくなりました。都教委を批判した土肥さんは、定年後の再就職として、非常勤教員に応募しながらも、ほとんどが採用される中で、不採用になり、この3月末で教員を辞めざるを得なくなったからです。(これは、「みせしめ」との意見があります)

では、何故、温厚な土肥さんが都教委を批判されたのか?
それは、教育現場で、次第に言論の自由がなくなってきたと感じられ、危機感を持たれたからです。

段階を追うと、

1998年、都教委は職員会議を校長の補助機関とする通知を出しました。それまでは、職員会議の議決などによって、学校の運営方針が決定されていたのです。しかし、これ以降、職員会議の役割は、教職員への報告、意見聴取などに限定されます。

2003年、、都教委は、入学式や卒業式の「日の丸・君が代」の扱いについて、「国旗は壇上の正面に掲げなければならない、国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならない。」という通達を出しました。
これに対して、都立高校の教職員が通達に従う義務がないことの確認を求めて訴訟を起こします。2006年、その訴訟に対して、東京地裁は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」という判決をくだします。

上の様な判決が出たにもかかわらず、都教委の言論統制は強まります。

私は、日本人であることを誇りに思っています。
しかし、大戦の反省から、「国旗、国歌」の扱い方にいろいろな考え方がある中で、それらに対して、自由な議論が出来なくなることを危惧します。

そして、2006年4月、都教委は「職員会議で、挙手や採決などの方法で教職員の意思を確認してはいけない。」という通知を行ったのです。

それまでは、通知にやむを得ず従っていた土肥さんも退職を目前にしながらも、都教委の締め付けに危機感を抱き、声を上げられた、ということなのです。

土肥さんは、この様な上意下達から教育は生まれないと言われます。

教員は、一方的に生徒に教えるのではなく、生徒からも、多くのことを学ぶ。そして、校長は生徒一人ひとりに直接向き合っている現場の教員からたくさんのことを学ぶ。もちろん、校長も、生徒から学ぶ。この様な相互の協働関係が教育だと思うと言われています。

学校によって、いろいろ特徴があり、生徒も様々だと思います。
職員会議は、生徒達と接する先生方が、生徒の様子を見ながら、教育方針を考え、話し合う場であって、以前はそうだったようです。

しかし、最近は、都教委の通知を校長先生が先生方に対して「通達」する場になっているというのです。
その様な中で、最近は先生方の間に「何を言ってもしかたがない」との空気が広がり、先生方のやる気さえ奪っている、ということです。

東京都国立市では、、校長の独断で日の丸が掲揚されたことに対する抗議の意思を、ぎりぎりの手段で示すものとして「ピースリボン」と呼ばれる青いリボンをつけた先生がたが、「職務専念義務違反」にあたるということで、訓告あるいは戒告処分を受けました。

反対のプラカードやハチマキのような伝統的な抗議のシンボルばかりでなく、こうしたものまでが処分の対象になることは異常だと思います。

こうした流れは、全国にも波及しつつあるようです。

土肥さんは言われます。

『歴史的に見ても、言論の自由を認めない国家や社会、組織は必ず崩壊します。しかも、崩壊の過程で、最もつらい目に遭うのは、社会的な「弱者」なのです。生徒達の将来の幸せにとって、基本的人権の尊重や言論の自由は。絶対に必要な条件なのです。』

土肥さんが、最後の卒業式で生徒たちに話された事は、基本的人権の尊重と平和主義だそうです。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、心の中に平和の砦を築かなければならない、と。

今回の デヴィ夫人や土肥さんの「事件」が「みせしめ」となり、委縮したムードが周りに拡がることを危惧します。

自由にものを言えない、戦前のような言論弾圧の時代を再びたどることがないように、と願います。

22/04/2009(水) 12:12:39


No.5517 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 41  引用
  
 ☆☆ 愛は時空を超えて 41 ☆☆

         ――  霊界の克との対話  ――

飯沼) おーい、クゥ、こんばんは。

克子)はーい、まーたん、こんにちは。
はじめに今回も「先日の定例会における『(地の)岩戸開き』、おめでとうございます」と言わせてくださいね。

飯)はーい、ありがとうね!
皆さんと一緒にそう出来たようで、よかったと思ってる。
自分的には、実感としてはまだよく分からないんだけど、とにかくよかった(笑)
「地の岩戸開き」と「念」エネルギーの使い方が実は深く関連しているということはしっかり分かったしね。
特にさきさんには大きな変化が現れ始めているようだし、これからが楽しみだわ。

克)はい、こちらも楽しみにしています。
今回のことは、あなたが掲示板でも何度も解説を加え、「念」というものについての実地の体験も共有できたでしょうから、ここでは繰り返さずにおきます。
ただ、エーテルエネルギーというものと念のエネルギーはイコールではありません。
エーテルエネルギーは、念のエネルギーとしても使われているということです。
エーテルエネルギーは、いわば未分化の「エネルギー素」として、物質次元のあらゆるところに充満しているのです。
「エネルギー素」という表現をしたのは、それはそのままではただ「在る」だけで動きもなく、情報や目的も備えていないからです。
ですから、霊的エネルギーとは全く異質なエネルギーです。

非常に不十分な表現になりますが、あえて言うならば、霊的エネルギーは質であり、エーテルエネルギーは量としての性質が大きいのです。
使う者の思念や欲求次第で、いかようにでも使うことができるということです。
それは人間だけが使っているのではなく、地上のあらゆる生命体が使っているのです。
生命体以外の物質であっても、エーテルエネルギーを纏(まと)っていますが、この説明は省きます。
その意味では、物質界に存在しているものは全てつながっていると言えるのです。
それは不思議でもなんでもなく、エーテルエネルギーを素にして(使って)物質界が形成されたということです。

私とあなたが受信した「地上人類の歩み」にあるように、かつて、猿類から進化しつつあった「ヒト」とは別に、霊界から直接地上に赴いたムゥの「人」たちは、その初期においてはエーテルエネルギーによって物質化した肉体をまとい、必要な物質を思念によってエーテルエネルギーから合成していたのです。

当時のムゥは(地球霊界を形成した霊たちが織りなす)霊界の写し世(ミニチュア)として作られたので、さまざまな段階や傾向における霊性の違う者たちが住まう島国でした。
当初はやはり霊界と同じように、それぞれの霊性・霊的傾向によって棲み分けていました。
彼らは島の中央の美しい姿の山を中心として、等高線を描くように集落を作り、異なる霊性の者たちが入り混じることなく、霊的秩序による調和のもとに暮らしていたのです。
島の北側は荒地でしたが、それ以外のところに、霊性の高い者たちの集落から順に、同心円状に広がっていたのです。
霊界においては、今でも自分の霊性にふさわしい階層でそれぞれが棲み分けて暮らし、指導や学びのための交流はありますが入り混じって暮らすことはありません。
大いなる神はもちろんのこと、神々や高級霊になれば、必要な場合以外は霊体すらまとわず、意識そのものとして存在しています。
霊性による階層の違いは厳然たるものですが、それは地上で想像するような上下関係などではなく、ある意味もっと絶対的な違いがありながらも、柔和で調和そのものの美しい秩序です。

霊界、(ここでいう霊界とは当然ですが本来の霊界のことであり、幽界や暗黒界は含みません)、においては、霊的エネルギーが全てであり、その精妙さ・輝きの違いはあるにせよ、全ては摂理に沿った使われ方をしています。
エネルギーをより大きく深い愛・より精妙でスケールの大きな摂理に沿って使っていく学びこそが、霊界の住人が生きる意味なのです。
どんなに低い階層であっても、本来の霊界の住人は皆が、他の喜びを自分の喜びとして生きているのです。
ですから、他界した人の気持ちや願いが、地上に生きていたその人の延長上にあるかのように伝える「霊能者」は、「霊能者」自身の霊性の低さが妨げとなって、本来の霊界にはつながっていないということです。

「この地上に富(財産)を蓄えてはいけません。富は天に蓄えなさい。あなたの富(持ち物)のあるところに、あなたの心もあるのです」とイエスが教え、シルバーバーチ霊が「地上で財産を蓄えた者は、死後何らかの責任を問われる」と伝えているように、本来の霊界ではエネルギーを自分だけのために使ったり、集めることなどありえないのです。

本来の霊界のどんな傾向のどんな階層でも、それは同じです。
エネルギーの使い方が摂理に沿っているから、霊界には病もトラブルもないとも言えるのです。

今の地上界は、さまざまな学びの段階やさまざまな傾向の魂が混住しています。
学びの段階が異なるということは、地上でのエネルギーの使い方、つまりどう生きるかという目標が同じではないということです。
ですから、二人の人が同じ不完全な想念を抱き、同じ行為をしたとしても、魂の学びの段階が違えば、一人の人にはそれが病の原因になり、もう一人の人にはさほどの過ちではない場合も少なくありません。
地上の人間の魂の学びの段階の違いは、決して小さいものではないのです。
教師役もいれば校長格の霊もいますし、生徒も大勢いるのです。
今まではあなたもその差異をあえて小さめに認識しすぎていました。

飯)「ひふみ神示」に、「今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。」と伝えられているが、「上中下」というほどの違いがあるんだろうか?
僕は、「同じ物質の肉体に宿れるのだから、地上の人間はみな同じようなものだ」と思ってきたんだけどね。
もともとの違いよりも、地上でどれだけ自らの霊性を発現できているかの違いの方が大きいんじゃないかって。

克)そうですね。
それは「魂の学びの段階(素質)と発現の現状」というべきもので、地上ではそこがなかなか複雑ですからね。
そこに深入りしても、ほとんどの人には分からない話になってしまうので、ここではごく簡単にお伝えしておきますね。

「三段階」というのは、誤解を招きそうですが、ある意味では分かりやすい表現ですね。
魂とは意識であり、その学びの段階は「その魂が総て・全体のどこまでを意識できているか」に表れるのです。
もちろん、大いなる神の意識は「総ての全てを究極の細部に至るまで」であり、同時に「神は全存在」でもあります。
ですから、大から小まで、過去から未来永劫まで、存在の全ては神の中にあり、神の一部なのです。
話を変えましょうね。

まず、第1段階の魂は、相手や周囲の人たちへの共感が非常に薄く、同情心もあくまでも自分の側から抱くしかできない段階です。
相手の状況によってではなく、「自分が可哀想だと思う相手」が可哀想なのです。
自と他を置き換えて考えたり、相互性ということに実感が持てない段階です。
人の痛みや苦しみを感じ取ることができないのですが、それは麻痺しているのでもなく、遮断しているのでもなく、分からないのです。

その段階の人間はあらゆることを自分の側からしか考えられず、自分の側からしか思えず、自分の側からしか感じることができません。
その段階の人間にとっては、「自分が全て」なのです。
その人としてのかげりは当然あるのですが、だからといって、そういう人間がもともと邪悪だというわけではありません。
自分の側からの善意を高めきることによって、その人として十分に輝きを発揮することができるのです。
何かあったときに、「自分が間違っていた。自分が悪かったのだ」と素直に思えるかどうかから始めることになるでしょう。
その段階ですから、それで構わないのです。
もちろん、相手や周囲の人たちとの相互性に意識を広げていくことがその人にとっての魂の成長ですから、地上でのさまざまな経験の中でそれを目指すのです。

第2段階の魂は、「自分や相手や自分の直接的な周囲」が、その人にとっての(具体的・実質的な)意識の全体です。
今の地上ではそういう人が大多数ですね。
その人たちは本来ならば、自分が直接的に関わる相手や周囲の人のことを自分のことのように思いやって、不調和があれば調和に向かわせ、嬉しい関係を築き上げていくのです。
そして、もっと大きな全体にも意識を広げ、自分の周囲の人たちにしているように、手を差し延べ、喜びをもたらしていくのです。

この段階の人でも、心をかげらせ、無意識の内に念のエネルギーを歪めたことによって、人の痛みになどお構いなしに「全てが自分」の状態に陥ってしまう場合もあります。
しかし、その歪みが矯正されれば、すぐに別人のように豊かな思いやりを発揮し始めることになります。
そこが第1段階の魂と違うところです。

第3段階の魂は、文字通り「皆」が全体です。
本来の「全体」とは、マクロもミクロも含んで、しかもそれら全てはつながっています。
それでこそ、「皆」なのです。
そこにおいても、どこまでの「皆」を全体として意識できているか、自分を役立てようとするかによって、その魂の学びの進化度が表れます。

しかし、地上でその魂の全てを表現できる人は皆無でしょう。
学びの段階の浅い魂にもそれなりに制約はあるのですし、学びの進んだ魂ならば大きく意識の次元を下げなければ、地上のありように馴染むことすら難しいのです。
そしてそれぞれが、過去世のカルマや課題に照らして必要な幼少期の設定や、その後の人生に起きる事柄が計らわれていきます。
どんな学びの進んだ魂であっても、肉体を持った人間としての意識の層がありますから、それ相当に傷ついたり、心をかげらせたり、頑なになったりもするものです。
それによって、さらに本来の自分の魂にふさわしい考え方や感じ方や言動ができなくなってしまう場合も珍しくはありません。
それに加えて、幽界や暗黒界からの影響を受け、地上のかげりのエネルギーの影響や関わる人間の想念の影響も受けているのですから、実際にはさらに複雑になっています。

ですから、その人の今や今までを見て、その人の魂の進化の度合いを判断することはできませんし、それは人間がすべきことでもありません。
ですが地上には、大きく分けて3段階の進化の程度の魂が同じ人間として混住していることは事実です。

そして、これは例外も多々あるのですが、概していえば、今の地上では霊性の低い者たちや自らの霊性を閉ざしている者たちの方が、地上的な物的エネルギーに馴染みやすく、大きく使うことができているのです。
地上人類の役割は、物質次元の地球という星を、神の御心(摂理)に沿った秩序に調和していくことです。
凝集の方向性を持った物質を、神に向かって解放された意識によってコントロールし、意識が物質を解放していくこと。
それによって、物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。

これは地球という星が誕生した時からの神のプログラムであり、人間がいかに抵抗しようとも、最終的にはそのプログラムが実行されることになります。
今のように、地上のいたるところで物質や金銭をめぐっての格差が広がり、物質や金銭が人々の心を極めて不自由にしてしまうことも、当初から織り込み済みの計画でした。
そして、今、物質や金銭による支配が最終段階に入りかけたこの時に、あなたがた人間がどうしていくのかが問われているのです。
言うまでもなく、あなた方の魂はその答を知っているのですし、絶えずあなたがたに働きかけているのです。

話を「念」に戻しますが、「何がなんでも自分の思い通りに」という、躊躇のないストレートな念は、大量のエーテルエネルギーを取り込んで使い、欲求を実現させていきます。
今の地上界は、主にそういう霊性の低い者たちによって支配され、「我よし」の秩序が形成されています。
そういう現状ですから、相手や人の痛みを自分の痛みとして感じ、「自分も相手も皆も幸せに」と願える者たちが、今の世を牛耳っている者たちをはるかに凌駕するエーテルエネルギーを取り入れ、使いこなしていかねばなりません。
霊的エネルギーと欲求(念)のエネルギーが融合してこそ、自分にも皆にも嬉しい物質世界が実現するのです。

念のエネルギーは、本人が全く意識できていない使われ方をする場合もよくあります。
ほとんどの人が、幼い頃の境遇や抑制してきた思い(反感)によって、無意識の内に念エネルギーを歪んだ使い方をしてしまっています。
それが実際の病の原因になったり、トラブルや人間関係の軋轢になっている場合が非常に多いのです。
病もそうですし、健やかではない、どこか不自然な表現には、その人の歪んだ念が使われていると考えてよろしいでしょう。
これは直接ヒーリング・カウンセリングや、一定期間の遠隔ヒーリングを受け、アドバイスのメッセージを受けることで、今のうちに是非とも解消していただきたいと思います。
それが無理な人は、自分のエーテルエネルギーの取り入れ量を大幅に増やし、それを自分にも相手や皆にも嬉しいように使おうと、ひたすら念じながら、実際にそうしていくことです。

それでこそ、ひとりひとりの「地の岩戸開き」となるのです。
霊的エネルギーと地上的な欲求(念)のエネルギーが融合すれば、今のあなたがたには想像もできないような地上界が形成され始めるでしょう。
病や物質や金銭をめぐる格差や不安や、人間関係のトラブル、社会の矛盾も全てが喜びに昇華していくのです。
地上界の浄化に伴う激変が、地上の人々にとっては大きな艱難(かんなん)となる可能性が高い現状です。
私どもは、今こそあなたがたが目一杯に自らの霊性を開き、同時に物質や現実に直接作用するエネルギーをどこまでも高めて、喜びの中で新しい地上界を構築していっていただきたいと強く願っています。
あなたがたがその役割を果たすことを強く意志し、それを自らの喜びとして意欲と欲求としていくならば、私ども霊界側は援助を惜しみません。
今の時点ではそう思えない人は、その人なりの歪んだ念が妨げになっているからだと思ってください。
その念こそを本来の使い方に戻していく時期なのです。
どうぞ全ての人が心を響かせあい、手を携えて、新しい地上界を作り上げてくださいますように。

飯)はい、お疲れさま。
掲示板にも書いたけど、先日の定例会の翌日に、さきさんが実際にはそこになかった「地楽」というお酒のビンを確かに見たことの意味はなんなのだろう?
「天楽」というお酒は実際にあったんだけど、「地楽」は5年前にすでに製造休止になっていて、その場になかったことは間違いない。
さきさんの思い違いかと思ったが、話を聞けばそうではなかったことも明らかだ。

克)あれは、さきさんが見ただけではなく、実際にその場にあったのですよ(笑)
残念ながら、物質化が不十分だったので、さきさんにしか見えなかったのも事実ですが、さきさんは見ただけではなく、実際にそのビンに触れています。
以前にお伝えしたように、さきさんは高い次元の霊界にも共鳴できていますし、地上的なエネルギーもとても強い人です。
しかも、地上的にも「喜びの人」ですから。(笑)

そのさきさんには、高千穂で「地の岩戸開き」の神事(かみごと)とを担った(魂の)喜びと、定例会での自分としての喜びが共鳴していました。
そしてその喜びが、定例会の時のエネルギーの取り入れや共鳴等によって、さらに融合して高まり、不完全ではありましたが物質化現象を起したのです。
まあ、今回は「地の岩戸開き」のお祝いに「地楽」のお酒という、霊界側の計らいという面も強かったのですが、さきさんが自信のなさを少し払拭し、物質を求めることへの制限も少し薄くできたことによって成立した現象でした。
さきさんはもともと念のエネルギーの使い方の歪みが少なく、修復も早い人です。
自分としての物質への執着もほとんどありません。
むしろ彼女の場合は、物質への欲求の制限が身に染み付いていることの方が問題でした。
それが多少解消されたことで、エーテルエネルギーを使っての物質化がしやすくなったのです。
緊張は禁物ですが、これからもおおらかに挑んでいってくださいね。
あなたがたの場合は現象を起こすことが目的ではなく、あまねく与えていくことが目的ですから、さきさん自身がもっとおおらかに与える(振舞う・奢る)ことに慣れたほうがよいでしょう。

悠々塾は地上界の雛形ですから、さまざまに得意分野を持つ人たちが配剤されています。
さきさん以外にもこのような現象を起こすことのできる人はすでにいるのです。
霊的エネルギーとエーテルエネルギーの融合による、奇跡のような病の治癒と両輪になっていってくれることを願っています。
それでこそ、実際的に地上界の霊性進化のけん引役の役割を果たしていけるのです。
そのためにも、ひとりひとりの念の歪みを矯正し、健やかな喜びの実現のために、限りなく使っていっていただきたいのです。

飯)はいよ、ありがとうね。
今回は僕の出番がなかったけど、大事なメッセージだったと思う。
なんだか楽しみだ。

克)はーい、まーたん、お疲れさまでした。
(2009・4・15)

15/04/2009(水) 20:07:54


No.5518  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 41  引用
ぬまさん、受信お疲れ様でした。
なるほどなぁと納得しつつ、とても興味深い内容で、この時代にこういう通信が読めるってありがたいなぁとしみじみ思いながら読みました。
今更ですが「ぬまさんありがとうございます」と言いたくなりました。
あらためて悠々塾ってすごいところだと思いました。
この通信もいずれ冊子にしていきたいですね!

この前の定例会を契機に意識にあがった念のエネルギーを、なるべく歪ませずに、しっかり求め取り入れて、自分にもみんなにも嬉しいように、みんなの喜びのために使っていきたいです。
自分のことも話題になってますが、これまでだったら拒否反応と緊張で固まりながら読んでたと思いますが、今回はなんだか人ごとみたいに(客観的に、心を固めたり揺らさずにという意味です)淡々と読みました。
あの時の「地楽」の存在感はどう考えても確かで、どう考えても否定できないからですね。
私って地上的ですね。笑
自分で地上的なエネルギーが強いって思ったことないですが、考えたら確かに理屈(理性)よりも、最終的に言動にする選択のスイッチは自分の実感や直感や感情優位です。自分としての気持ちや実感をともなわないと理性が働きにくい。危ないですね。笑。だから自分の感情で客観的事実が見えなくなる時もよくあるし。。ぬまとは持ち味が違いまーす。まぁだからこそ補完できるところもあるんだと思って、喜びのなかで働いていきたいです。

>物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。
夢みたいだけど、そうなった地上界を見たいです。
どんなに美しいでしょう。それは肉体をまとった地上の霊である私たちにしかできないことですよね。この場の皆さんとともに、この時代この地上に生まれた私たちの魂の意志に沿って、ともにそこに向かって歩んでいきたいです。

16/04/2009(木) 00:01:00


No.5497 のぶよ  
私の心を見て 引用
私はISSINファンです。ゆうき君藍子ちゃんファンです。
その二人に注意を受けたこと、憤ってまでということを認められなかった、起こった事実をそのまま受け入れられなかった、というところから始まったと思いました。
あの時起こったことをそのままきちんと見ていたら、藍子ちゃんの人柄は知ってるし「言われたことはその通りだけど何であんないい方をしたの」と聞いてもいいと思った筈で、そしたら理由がわかって、なんの問題もなく過ぎたことでした。そんな簡単なことにこれだけたくさんのエネルギーを使って、他の人も巻き込んでたんですね。
5451で書いたことを何度も指摘されていたのに、それについてなかなか書けなかったのは、それが問題にされている理由が分からなかったからです。5451の文章は、しんどくて苦し紛れに書いたものなので、問題にされることではない筈なのにと思ってました。でも逆で、そういう時に自分の抱えている問題が表れるから。ということだったんですね。
私が思い違いをしているのかもしれないと思ってから、書いてもらったことや夫の言ってることがそのまま聞けるようになり、分からないところは分からないと言えるようになりました。
現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。
5481で飯沼さんが書いてくださってるとおりです。私の体が悲鳴をあげています。これ以上同じことは続けれません。
イエスの「白く塗りたる墓」の意味を私なりに考えました。本当の現実(自分の本当の心)を見なくて形の整った美しい現実(自分が思っている理想でもある)をそのままにしてお墓に持って入る(今生での問題を来生に持ち越す)。
飯沼さんが定例会でのNさんと私のことを書かれた掲示板を読む前に、私は両親の不調和のことで悩んでいました。その心の状態が今回のことに反映していると思いました。
現実を真正面から見ていたら、すぐに解決したかもしれません。
事実を目をそらさないで見ていけるようになりたいです。その上で自分にできることをしていきたいです。
私は人と仲良く関わっていきたいと思ってきました。病気を治したいと思ってきました。
自分の中の澱を全部出してしまいたいです。

12/04/2009(日) 16:44:11


No.5498  藍子 ホームページ
Re: 私の心を見て 引用
いつもISSINを応援してくれてありがとうございます。

のぶよさん、体調はどうでしょうか。自分を見つめる作業はとてもしんどいですよね、疲れが出ませんように。

今回のことは私にも反省すべき点があり、申し訳ありませんでした。今日までずっと掲示板を読みながらのぶよさんを応援していました。
のぶよさん、よかったです。良かった!!

本来の伸びやかな心がそのまま体に現れて、どんどん病気が治っていきますように。これからもずっと応援してます。

12/04/2009(日) 20:56:41

No.5499  あきこ
Re: 私の心を見て 引用
>現実を真正面から見る。
>事実から目をそらさないように見る。
のぶよさんが体当たりで向かっていく姿にぐっときました。
病気が治りますように☆私も一緒に応援させてください。

12/04/2009(日) 23:08:13

No.5501  さき ホームページ
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん

>私は人と仲良く関わっていきたいと思ってきました。病気を治したいと思ってきました。

のぶよさんのその気持ち、全く疑いません。私もひたすらそれを願っています。今回応援下さった皆さんも見守ってきた皆さんも同じだと思います。その気持ちで思ったこと書きます。のぶよさんと仲良くしたいから。

のぶよさんが現実を受け入れられないのは「自分は悪くない」という念があるからやと思います。
現実を見る以前に、反射的、生理的に「自分は悪くない」という気持ち=念でいっぱいになるのでしょう。だから自分が悪く言われたと思った時に、事実や現実よりもまず「自分は悪くない」ということを、何をおいても言わずにはいられないのでしょう。

>自分が落ち込んでパニックになってしまった時に、外の世界・状況が分からなくなって自分以外何も見えなくなってしまうということが、今回のことで身にしみて見えました。
>現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。

のぶよさんが自分のなかで働いてる「自分は悪くない」という念を意識することが、事実を目をそらさずに見ていくための近道だと思いますよ。

苦し紛れであっても、パニック?でも、だから何をしてもいいことにはなりません。その人としての特殊事情のない人なんていません。世の中、その人の特殊事情を寛容に理解してくれる人ばかりじゃありません。いくらのぶよさんに悪意がなくても、人と仲良く関わっていきたいと思っていても、

>周囲の状況や人との関係を壊してでも「自分は悪くない」と言わずにはいられない。
>過剰な自己防衛で人を攻撃しても傷つけてもなかなかそうとは思えない。

という「自分は悪くない」という過剰な念を働かせていたら、人と仲良く関わっていくのは難しいと思います。逆に嫌われます。

ぬまが書いてたこと↓そのとおりだと思います。
>のぶよさんは「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛によって、人との関わりを損ねているのです。人との和を壊してでも、「自分は悪くない」という主張を最優先にしているのです。<

最優先にするのは、
「自分は悪くない」ではなくて「自分は人と仲良くしていきたい」です。
のぶよさんはそうできる人だし、「自分は悪くない」という過剰な自己防衛さえやめれば、なんてことなく人と仲良く関わっていける人だと思うから言います。
今回のことでのぶよさんが使っている「自分は悪くない」という念のちからのすごさを思い知りました。
過剰な自己防衛の無駄なエネルギーの使い方やめましょうよ。
その過剰さが、本来の健やかさを求めているのぶよさんの体を傷つけているのだと思います。
そのエネルギー、人と仲良くするために使いましょうよ。
100%の善人、100%間違いのない人なんていません。
バカバカしいことにエネルギー使うのやめましょうよ。
と、声を大にして言いたいです。


どっちでもいいけど「白く塗りたる墓」は聖書の言葉で偽善的なことをさすんだと思いますよ。
私は普通にそんな風に読みましたよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
禍いだ、お前たち律法学者とファリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは石灰で〔白く〕塗られた墓そっくりだ。
外側は美しいが、内側は死者の骨とあらゆる不浄に満ちている。
このようにお前たちも、外側では人々に義人らしく見えてはいるが、内側は偽善と不法で満杯だ。
禍いだ、お前たち律法学者とファリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは預言者たちの墓を建て、義人たちの墓所を飾りたて、そして言う、『もしわれわれが父祖たちの時代にいたならば、預言者たちの血について、父祖たちの共犯者にはならなかったであろうに』。
〔まさに〕こうしてお前たちは、自分が預言者殺しの下手人の子であることを、自らに対して証ししているのだ。
そのようにしてお前たちは、自分の父祖たちの〔悪業の〕升目を満たすがよい。
(マタイ23・27-32岩波翻訳委員会訳)

12/04/2009(日) 23:55:21

No.5502  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
☆のぶよさん

今回の作業は本当に大変でしたね。
お疲れさまでした。

のぶよさんは、昨年だったかの「縄文土器展」以降、本当に嬉しい方向に変化してきたと思っていました。
のぶよさん自身もそう感じていたようで、「自分は病気を使ってきたと思う」ということを実感を込めて語ったりもしていましたね。

だけど、人間ってやつはそう簡単に今までの自分を払拭することはできないものです。
それは誰でもそうだと思いますが、言わば残渣が残っているだけなのか、あるいは根っこが残っているのかで先行きは大きく違ってきますよね。

のぶよさんの場合はどうやら根っこがまだ残っていたようで、それが定例会のエネルギーで浮き上がったのでしょう。
のぶよさんの念エネルギーの歪みの元が、「どうか自分を料理してください」とばかりに、自分からまな板の上に乗かってきたという感じでした(笑)
のぶよさんからのあの投稿を読んだときに、「これではのぶよさんの病気は悪化する一方だろうし、人と仲良く、気持ちよく関わっていくのは難しいだろう」と思いました。
それで、今回は真正面から取り上げることがのぶよさんのためにもなると、意を決してやり取りを始めましたが、ものすごい念エネルギーが炸裂する掲示板になりましたね。
結果的にこの掲示板で、定例会のおさらいと実習を皆さんと共有することができました。
皆さんへの大きな貢献になったと思います。
それもまたのぶよさんのカルマの埋め合わせとしての、魂の意志・エネルギーだったように思います。

どんな人にも、念エネルギーの使い方の歪みはあります。
それを意識できている人もいれば、全く自分では見えていない人も多いものです。
そして、今回はのぶよさんは余すところなく言葉に出して表現してくれたので、念のエネルギーのすごさが皆さんにも分かりやすかったのですが、全部を表に出すことなく腹の中で念エネルギーを歪めて使ってしまっている人も多いのです。

この念エネルギーの歪みが、体や心・精神や人間関係や地上的な事柄の全てに直接作用しているのですから、なかなか状況が変わらない人は、念エネルギーに焦点を絞っての直接ヒーリングは有効だろうと思います。

今回、のぶよさんが気づいてくれて本当によかったです。
一時はのぶよさんが壊れてしまうんじゃないかと心配になりましたよ(笑)
先にも書いたように、人間ですから一足飛びには全てを払拭できないものですし、また同じようなことを繰り返すかもしれません。
本当に分かったのかどうかの「お試し」は、近いうちに必ずあるでしょう。
その時に、「こう言われた。自分は〜なのに。自分は悪くないのに」という執念を思い変えるように全ての力を使うのです。
自分を被害者の聖域に置かないことです。
過剰防衛による攻撃に転じないことです。
実際にはのぶよさんの方が相手を傷つけている場合もあるのだということは分からねばならないし、自分の痛みや苦しさを理由にして主張するならば、同時に相手の痛みや苦しさも分かろうとするのは当然のことなのです。
自分にも事情や理由や気持ちや痛みがあるように、相手にもあるのです。
そのことを腹の底から分かってほしいと思います。
自分の痛みには過敏なのに、人の痛みには鈍感な人間には絶対になってほしくないのです。

誰であっても人間は完全ではなく、それは自分もそうで、知らないうちに、あるいは気づかなかった・そんなつもりじゃなかったという自己正当化の元に人を傷つけていることだってあるのですから。
その意味では、「未熟な人間同士お互い様」の部分が大きいということです。
くれぐれも肝に銘じてもらいたいと思います。

でも、今回のことで根っこは掘り出せたと思うので、これから出てくるとしても、それは残りカスだと思います。
そうであってほしいと、心から願います。
まあ、残り滓から根が生えてくる場合もありますから、普段から自分の念の使い方を意識して、本来の「自分も人も嬉しいように」使っていく習慣をつけていかねばなりませんが。
それはそれでエネルギーの要ることですが、自分の念の使い方を健やかに変えていくことによって、必ず目に見える幸せを手にしていくことができるのですから、やってみる価値は十分にあるでしょう。

とにかく、よかったです。
のぶよさんもひがしクンも、本当にお疲れさまでした!
掲示板の仲間の皆さんも、お疲れさまでした。
応援、ありがとう!

13/04/2009(月) 00:03:48

No.5504  ひろこ
Re: 私の心を見て 引用
ふ〜〜ぬまさん・さきさんお疲れ様でした。

やったね・・のぶよさん。お疲れ様〜(^0^)
少し休んでください。
おためし頑張って・・・私も自分の事がんばるので一緒にね。

横で見守られてるひがしさん大変だったでしょう。
お疲れ様でした。

13/04/2009(月) 00:58:56

No.5505  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
いろいろありがとうございます。
昨日から硬直してるので今日は休みます。
もう少し回復したら書き込みさせていただきます。

13/04/2009(月) 09:55:45

No.5506  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
☆のぶよさん

はーい。
気持ちが硬直しているということはありえないでしょうし、もしもそうだったら大変ですが、そういうのじゃなく、きっと疲れたのでしょうね。
気持ちも体もゆっくり休ませて、今回のことで明らかになったテーマと気づきを、のぶよさん自身に馴染ませていってください。
特に急いで書き込みをする必要があるとも思えないので、とにかくゆっくりとした気持ちになろうね。

13/04/2009(月) 10:32:34

No.5508  ゆうき
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん。お疲れ様でした。
注意をしたもうひとりの僕としては
なんとも言えない気持ちでこの間いました。

のぶよさん。
僕はあの時の事はあれで良かったんだと思っています。
僕がのぶよさんに「もうそろそろ遠慮したほうが・・・」
と言った時、Nさんのほうが「あともう少しやります」と施術を続けられたのでした。

これはNさんの厚意で、Nさんものぶよさんが良くなって欲しいとの思いからそうされたのだと解釈しています。

のぶよさんが帰る間際だったかに、僕は「どうでしたか?」と訊いたと思います。
その時のぶよさんは「普段動かした事のない筋肉を動かしてもらって、良くなりそうな気がする」と言っていたと思います。
僕はそれで良かったんだと思いました。

Nさんは大変だっただろうと思いますが、
のぶよさんが快方に向かうなら、それは治療家としても嬉しい事だろうと思うから。

あの時、のぶよさんに注意をしたのは「遠方から来られたNさんにもっと悠々塾の人たちと交流してもらいたい」との思いから発した言葉でした。
これだけは言わせてください。
僕らは間違っても、「のぶよさんにならどう言ってもいい」との気持ちから言った訳ではありません。←当たり前です。

当たり前過ぎて、文字にするのがバカらしいくらい当たり前の事です。

僕らは本気でのぶよさんの体が治って欲しいと思っています。
僕らはいつでものぶよさんを応援しています。
僕らは時々ぶっ飛び発言をするのぶよさんが大好きです。
そしてISSINのよき理解者であり、ファンであるのぶよさん。

これからもず〜〜っと宜しくお願いします!!


***

それから、これは僕が言うのも変ですが、Nさん。
これに懲りずまた定例会にいらして下さいね〜

13/04/2009(月) 21:00:58

No.5509  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
さっき、みさおさんから電話があって話していたのですが、ストレスは最大の病気の原因です。
このスレッドとはズレるかもしれませんし、みさおさんに話した内容そのままではありませんが、メモしておきます。

僕らはさまざまにストレスが生じる環境に生きています。
もちろん、「何をストレスに感じるか」は人それぞれですが。

こういう仕事をしていてよく思うのですが、自分の考え方や思い方でストレスを作り出したり、増幅させてしまう人がとても多いのです。
それが病気の元ですし、治癒を妨げる最大の要因です。
「喜びや嬉しいこと」との摩擦がストレスなのだと思います。
喜びに馴染んでいれば、ストレスは生じにくいのです。

ストレスとは喜びの逆ですから、できるだけ喜びをベースにしていく。
それには状況や人や自分のことを、まずはありのままに受け入れるところからでしょう。
喜びじゃないところはこれから喜びに変えていけばよいのです。
そのためには、最初から違和感を持つと、余計なストレスを生じて結局は遠回りになるでしょう。

失敗やトラブルは地上生活には付き物です。
ならば、謝るべきところは素直に謝り、埋め合わせをさせてもらえる場合は心からの埋め合わせをして、いつまでも後悔しない。
引きずらない。
失敗を次の喜びにつなげていけばよいのです。

不安や心配がストレスを増産することは言うまでもありません。
適切な心遣いや配慮は喜びですが、不安や心配や緊張こそがストレスです。
場合によれば、「どちらがストレスが少ないか?」という選び方しかできないケースもありますが、大事な時にこれをやるのは「逃げ」でしかありません。

時にはとことんまで自分の課題に向き合う必要もあるけれど、それは自分を否定することではありません。
間違いを修復し、さらなる喜びに向かって進もうとすることなのです。
極めてポジティブなことです。

今までの自分に固執していても、状況や人間関係は変わりません。
つまり、今まで生じていたストレスは生じ続けるのです。
ならば、やはり自分にも人にも嬉しいように、まずは自分が変わっていくことです。
自分だって人の思い通りにはなれないのですから、相手も自分の思い通りになるはずがないのです。
人を思い通りにしようとしたり、自分の思いを押し通そうとすることが大きなストレスを生み出します。
だから、まずは自分の考え方や思い方を点検して、摩擦を生じ、ストレスを生じるところを、「自分も人も」の喜びに沿って修復していくのです。
これは、波風を立てないように迎合していくことでもありません。
自分としての言うべきことを言わずに、自分の気持ちを思い変えようとすれば、自分のエネルギーの発露を押さえ込み、それはやがて人生の大きなストレスになるでしょう。
調和と迎合は違うのですし、言うべきことを言うこと我侭は意味が全然違うのです。。

何度も言いますが、自分を変えるということは今までの自分を否定するということではありません。
むしろ、未熟なりに頑張ってきた今までの自分を十分にねぎらい、次に進むのです。
どんなに未熟で過ち多い自分でも、もしも誰にも認めてもらえていなくても、神に祝福されているからこそ、こうして存在を許されているのですから。
自分が心から人を喜び、人を認めていけば、必ず自分も人からそうしてもらえるのです。

それでも溜まるストレスは、人を傷つけない形でどこかに吐き出すか、楽しいことをして気晴らしすればよいのです。
大事なことは、その後で「あー楽しかった。すっきりした。よかった」と思うことです。

ひたすら喜びの増幅のために、喜びに向けての修復のために念のエネルギーを使えばよいのです。

14/04/2009(火) 00:48:02

No.5511  ひろこ
Re: 私の心を見て 引用
ドネ日記にも書きました。
昨日、会社の帰り歩いていて気がつきました。
今まで私は、一生懸命しんどい事をなんとかこなして来たのは
自分が楽になりたい、安心した日々を過ごしたいと
思っていただけでした。

自分のために頑張って、思いどうりにしようとして、自分も特にまわりの家族もストレスになっていました。

昨日主人が幸せになってほしい、安心して暮らしてほしい
その為に目の前の事に取り組んで行こうの
気持ちがいっぱいになりました。

今までの自分を修復したいと思います。
喜びを広げたいです。

のぶよさん
お身体どうですか?ゆっくり休んでくださいね。

みさおさんが電話くれた時は私もしんどくて寝てたよ。
みさおさん、ランチしようね。

14/04/2009(火) 08:18:43

No.5512  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
暖かい気持ちを向けて下さりありがとうございます。
書き込みたいですが、関節が痛くて眠れなかったので、ちょっと体調悪いです。後で書き込みさせていただきます。

14/04/2009(火) 12:39:08

No.5513  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん、こんにちは。
大丈夫でしょうか?

きっと体が悲鳴を上げているのですね。
返信は気にしないで、体をいたわり、十分に心を休めてください。

>現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。
5481で飯沼さんが書いてくださってるとおりです。私の体が悲鳴をあげています。これ以上同じことは続けれません。<

ここにのぶよさんが気づき、納得に至ったことでよいのだと思います。
のぶよさんが思い至った「周囲の状況が見えない」というのは、「自分が人を攻撃している、傷つけている状況が見えていない」ということでもありました。

後はできるだけそれを繰り返さないようにしていくことでしょう。

意見や感想も出尽くしたようですし、一定の結着にいきついたことでもあり、またあまりにもこの問題が掲示板を占め過ぎて来たので、必要があれば直接ヒーリングの場で、ということにしていただけますか?

今回のことはのぶよさんの思い方や投稿から端を発したとはいえ、のぶよさんも大変でしたね。
でも、自分の問題や念の使い方の歪みに気づけてよかったです。
いろんな人から、「のぶよさんの書き込みを読んで、自分の念の使い方を振り返る貴重な機会になった」との感想が届いています。

今回のことが、のぶよさんの確かな「岩戸開き」と治癒につながりますように。

14/04/2009(火) 13:42:19

No.5514  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
飯沼さん、掲示板の仲間のみなさんへ、
今回のことでは暖かいお気持ちやお言葉を向けて下さりありがとうございました。
また掲示板を独占することになってしまい申し訳ありませんでした。
飯沼さん、さきさんには、わかりやすくまとめていただきありがとうございました。
書いていただいたことは、これから人とかかわる時に気をつけていきたいと思います。自分の気持ちを優先させるあまり周囲の状況が見えなくなってしまう結果の恐ろしさを今回気付かせて戴けてありがたかったです。自己防衛のあまり現実を見れなかったことにも思い至りました。
飯沼さんには、私の心の歪みを指摘していただき、何回も分かるまで指摘して下さり、本当にありがとうございました。あまりにもきついと思ったことも、気持ちの持ち方で受け取り方が違ってきますね、実は優しい言葉だったりしました。
私を信じてくださってありがとうございます。

掲示板で関わって下さった皆さんには、
暖かいお気持ちを向けて下さる皆さんの前だから、こんな情けない自分でも気持を出そうと思うことができました。本当にありがとうございました。

定例会で花束を頂いて信じられないほど嬉しかったです。その後で、こんな素敵なことがあった後では何か試練が起きるかもと漠然と思ってました。夫はただただ喜んでましたが。今回の投稿は一か八かの選択でした。終わったことを蒸し返すなんて、平静な時ならしていなかったと思います。心のどこかでは今回のこと分かってまな板の上に乗ったようにも思います。途中ではもう悠々塾を離れないといけないのかと思ったりもしました。何でこんなことを言われるのかと何回も緊張しました、書かれてる言葉が読めませんでした。それでも返信するには読まざる負えず、すぐ緊張し焦る小心な自分に免疫をつけてもらったと思います。

どっちでもいいけど「白く塗りたる墓」の意味は、最初偽善的な虚飾で塗り固めることと思いましたが、その意味だと分からなかったので、私の場合にあてはめて考えてみただけです。聖書の意味は知らなかったので。
子供のころから我慢するのはよいことと思ってきました。体がしんどい時も同じでした。盲腸になった時、おなかが痛くて辛いのを気付かれたらいけないと思って友達とも痛くないふりをして遊んでいました。病院に行った時には破裂寸前で、それまで何も食べてなかったのですぐ手術できてよかったと言われました。痛くて苦しいのにそれを言えないで痛くも苦しくもないふりをして過ごそうとしている。飯沼さんが書いてくださっている意味と違うかもしれませんが、それをいまでも続けているように思いました。

今回のことで、夫は、言いたいことを言うように、と言ってくれてました。私の書いた変な表現を治して、分からないところは一緒に考えてくれてました。自分の気持ちを書いたらいいから、後はフォローするからと。

掲示板の仲間の皆さんに暖かい気持ちを向けていただいて、安心という気持ちを感じることができました。
重ねてお礼申し上げます。
今まで自己防衛に使っていたエネルギーを人と和すために使っていきたいです。
同じことで躓くかもしれませんが、その度にやり直していけたらと思います。
不十分なとこばかりでいろいろご迷惑おかけしましたが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

14/04/2009(火) 21:45:23

No.5515  ひがし
Re: 私の心を見て 引用
今回ののぶよの書き込みのことでは多くの方々に応援していただき、本当にありがとうございました。
のぶよの病のことについて言えば心の持ち方に頑なさが少なくなり、昨日は横にいても何か以前より近くに見えるような不思議な感じがありました。やはり波長が変化してきていることなのだと喜んでいます。心の変化がやがて体の変化へと繋がっていって欲しいと心から願うものです。
掲示板を見て下さった方、応援して下さった方々、励ましのメールやメッセージ、電話をくださった方々、飯沼さんさきさん、本当にありがとうございました。
掲示板を独占して恐縮でした。これからもどうかよろしくお願い致します。

14/04/2009(火) 21:46:19

No.5516  ひらり
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん、お疲れさまでした。

定例会で少しお話したのぶよさんと同じ病の女性は、小さなお子さんがいらして、こどもと遊びたい!!と強く思われて半年で自分の念だけで治されたんです。

私は定例会で、いつもおでんを美味しそうに食べてらっしゃるひがしさん、その横で少女のように満面の笑みでいらっしゃるのぶよさん、お二人の日だまりような雰囲気がとても好きです。

のぶよさん、ひがしさんとあちこち一緒に行きたい!と強く思って下さいね。良くなる事を心から願ってます。

15/04/2009(水) 00:30:31


No.5507 飯沼 ホームページ E-mail
タカさんからのお手紙 引用
☆長年に渡ってさまざまに大変な中で頑張り続けておられるタカさんから、今日お手紙が届きました。
タカさんの今のご心境がしみじみと嬉しく、うるうるしながら読ませていただきました。
この数日、掲示板がちょっと重いので、許可を得て掲載いたします。
掲示板にご投稿いただいた皆さんへの返信もできないままになっています。
僕も返信したいので、おいおいに書いていきます。
せっかくご投稿いただいているのにすみません。
メールの返信も遅れがちになっています。
ごめんなさい。
。。。。。。。。。。

いつもありがとうございます。
久しぶりに軽やかな心で桜の木の下を歩いてきました。
桜の満開の時は短くて、もう緑色の葉がのぞきはじめておりました。

先日は○○と☆☆の直接ヒーリングありがとうございました。
色々と一杯一杯ありましたが、私達兄弟姉妹は同じように子供を傷つけてきたのですね。
小さな時から一緒にいる時はいつも○○を姉の悪口暴言から守ってきたつもりでした。(自分のことは棚に上げてですが…)
何年か前に○○から「小さな頃、“今日は学校から帰ったら本当のお父さんとお母さんがむかえにきてくれている”と思いながら家に帰っていた」と聞いて、そんなに辛かったのかと涙がとまりませんでした。

何とかしなければと、飯沼さんに遠隔ヒーリングをしてもらうように勧め、今回直接ヒーリングをお願いしました。
○○も是非行きたいと思ってくれて、行って良かったと言ってくれました。ありがとうございました。

直接ヒーリングから帰った翌日、とても良い天気だったので久しぶりにお弁当を買って□□も、姉も皆んな一緒に公園に行き楽しく過しました。
お昼前頃から○○が頭が痛いといい吐き気がすると言っていました。☆☆が「私と一緒だ、しんどいじゃろう」とか言っておりました。帰りの汽車が出るまで三十分位ありましたがホームで座っているからと構内に入っていきました。心配していたらメールがきて、ふいに涙が出てきて大泣きしてしまいそれから吐気がおさまったということでした。

帰ってからの電話の声は今までより明るくはずんでいるように感じました。
少しづつでも頑張っていくと言っておりました。ありがとうございました。

私は先月の定例会から帰ってから気がつくと「連鎖はやめる」「連鎖はしない」と心の中で言っている自分がいました。
やっとわかりました。
マイナス、マイナスに使ってきたエネルギー、周りの皆を嫌な思いにさせ、苦しく暗くさせてきた今までの私のエネルギー(だったのですね)を、もう出したり、ため込んだりするのはやめます。
定例会が終わった時と違って、おちついてきました。
今までをふり返って、何をしてきたのかという長い間の後悔と、傷つけてきた人々への懺悔の気持ちとで私は今とても恥かしい気持ちでいます。
こんな私でも、それでもこうして生かされていることに感謝し、飯沼さん、さきさん、悠々塾に出会わせてもらえたことに深く感謝しています。

☆☆が直接ヒーリングから帰ってすぐに「お母さん何か変わった?変わったことがあった?」って聞くので「何もないよ、どうして?」というと、飯沼さんが☆☆を通して私にエネルギーを送って下さったと…、ありがとうございます。
今(最近ずっとです)心がおだやかで軽やかなのは、そのせいですね。
今の私に変わっていきたいです。
私も皆も幸せに生きていけるようにもう一度頑張ります。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。
ありがとうございました。お礼が遅くなりすみません。

13/04/2009(月) 19:33:03



No.5493 飯沼 ホームページ E-mail
お知らせです 引用
☆☆ 2009年5月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
5月4日(月)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月5日(火)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月6日(水)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月7日(木)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月8日(金)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、4月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

12/04/2009(日) 09:32:25



No.5462 飯沼 ホームページ E-mail
スレッドを改めます 引用
☆のぶよさん・皆さんへ

Nさんに施術をしていただいた件については、すでに話としては終わっているのです。
Nさんが車を運転して来られていても、新幹線で来られていても、それは大きな違いではありません。
Nさんには事前に「雑魚寝でよければ泊まっていかれませんか?」とお伝えしていました。

僕が、のぶよさんにとっての大きな気づきの機会にしてほしいと思うのは、「過剰防衛のあまり、自分が人を攻撃している。今回のことだけではなく、今までもそういうことが何度もあり、それがのぶよさんの念の使い方になってしまっている」というところです。

>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<
という、のぶよさんの思い方、書き方です。
見かねて注意した人の方が、よっぽど傷ついているとは思いませんか?

「のぶよさんにならどう言ってもいい」などと思っている人がいるとでも言うのでしょうか?
のぶよさんに注意をした人がそう思って言ったと、のぶよさんは本気で思っているのですか?
。。。。。。。。。。。

実際、のぶよさんに注意した人は、「自分のせいでのぶよさんの病状が悪化したのか・・・?」と思い、かなり落ち込んでいます。
その人としては、板の間の部屋に行く度に注意していたにもかかわらず、ただでさえ狭い部屋に横になって、二人目の人が施術を受けていることに、「いい加減にしぃよ」と言ったということでした。
そして、のぶよさんの投稿を読んで謝罪のメールを送っているのではありませんか?

人と人との関わりにおいては、さまざまな行き違いや思い違いが生じるものです。
お互いが相手の事情や気持ちの全てを把握できてはいないのですから、行き違いが生じるのはしかたのないことでしょう。
その時に、修復に向かわせるのか、あるいは摩擦を強め、硬直させていくのか・・・?

今回のことで言えば、のぶよさんは「何度も注意をされていたことを知らなかった」とのことですが、掲示板を読めばその事実はすぐに分かったはずです。
ならば、「いい加減にしぃよ」という注意がたとえきつく思えたにしても、「自分は知らなかったが、あの人はそれまでに何度も注意をしていたのか。それでもNさんに施術をさせ続けていたから、あんな言い方になったんだな。元はといえば、自分たちが無神経だったのだから」と、納得しなければいけなかったのです。

それが「修復」の方向に自分の気持ちを動かすということなのです。
のぶよさんは、強烈に摩擦を強め、人間関係を硬直させる方向だったと思います。

もちろん、時には摩擦を強めることを覚悟の上で踏み込んだやり取りが必要な場合もあります。
しかし、そういう場合は、「そのことが本当の意味で相手の役に立つ」と思ってのことかどうかが大事なのだと思います。
そういうラインで、今回のことを静かに思い返してほしいと思います。

今回の定例会は、「念」のエネルギーがテーマでした。
「念」エネルギーは本人が意識できていない使われ方をしている場合が少なくないというお話もしました。
この掲示板を読む皆さんにとって、のぶよさんの投稿は、まさに定例会のテーマに沿った復習と実習の機会になったと思います。
その意味ではとてもありがたいやり取りになりました。

のぶよさんに限らず、多くの人が「念」のエネルギーを、喜びかどうかとも無関係に、今まで自分が使い慣れてきた思い癖のラインで使ってしまっているのです。
その結果、自分も人も苦しく不愉快になっているのです。
「念」のエネルギーは、現実化のエネルギーでもあるので、喜びに向かって使えば喜びが現実化するし、ネガティブに使えばそういう現実が引き寄せられていくということです。
病や不幸せや災難をも引き寄せていくのです。

「念」のエネルギーを高め、摂理に沿って、自分の魂の意志に沿って、「皆も自分も幸せに、健やかに」と使うことによってこそ、病は癒え、トラブルは解消し、喜びに満ちた日々を送ることができるのです。
。。。。。。

僕の投稿を繰り返しておきます。

こう書けば、非常に厳しい書き方になりますが、のぶよさんの「岩戸開き」のために、あえて書きますね。

のぶよさんの「念」の使い方は、のぶよさん自身の認識とは逆で、「私は悪くない。相手が悪い。誰々が悪い」になっているのです。
過剰防衛のあまり、攻撃に転じてしまっているのです。
それは今回のことだけではなく、今までにも同じようなことがあったように思います。
そういうのぶよさんの「念」のエネルギーが、のぶよさんの体を攻撃しているのだと思いますよ。

のぶよさんの投稿を読んで、のぶよさんの事情や気持ちは分かりましたが、これでは人と和していくことは極めて難しいだろうとも思いました。
のぶよさんは今、そこに気づくべき時を迎えているのでしょうね。
のぶよさんの今後の病状の推移は、一重にそこにかかっているように感じます。

「関節」は「人間関係」にまつわる心を象徴している部位だと伝えられています。
リュウマチは、関節が炎症を起こし、本来ならば自己を守る免疫機能が、自分の関節を攻撃してしまう病です。
のぶよさんの場合は、「自分は悪くない。相手が悪い」という過剰防衛の「念」のエネルギーが、自分の関節を攻撃しているように思います。
今回のことで、このような思い方をしていれば、病状が進むのも当然でしょう。
病とは、神からもたらされたサインであり、自分の魂からのサインでもあると言えます。
それは、「この病を得たことで、大事な何かに気づき、自分のものの考え方や想念・言動、つまり生き方を変えていく機会にしなさいよ。より健やかな自分に変わっていってくださいよ」ということです。

最近ののぶよさんはずいぶんと嬉しい方向に変化してきたのは確かです。
定例会で皆さんのエネルギーによって、のぶよさんの根っこに残っていた「念」が、分かりやすい形で浮き上がってきたのでしょうね。
文字通り、ここからが正念場です!

大きな峠を越えるのは大変でしょうが、のぶよさん自身の幸せためにも、ひがしクンが注ぎ続けた愛念に報いるためにも、どうか「念」の使い方を切り替えていってほしいと思います。
もちろん、僕らも応援しています。

09/04/2009(木) 16:53:00


No.5463  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
☆皆さんへ

この件でののぶよさんとのやり取りは、これで打ち止めにします。
皆さんにはご心配をかけたり、不愉快な思いにさせたかもしれません。
すみませんでした。

ここで、皆さんにお願いです。

のぶよさんが「岩戸開き」を完遂できるように、皆さんにのぶよさんへの応援のエネルギーをお願いしたいのです。

のぶよさんがこういう思い方、念のエネルギーの使い方を身に染みつけてしまったのは、のぶよさんの幼い頃からの疎外感が強かったからであり、のぶよさんが本来の天真爛漫な自分ではいられなかった状況があったのだと思います。
周囲の人たちとの感覚の違いなどによって、自分らしさを否定され、自分でも自分を喜ぶことができず、無意識のうちに「自分は悪くない」という思い方で自分を守ってきたのだと思うのです。

本来ののぶよさんは、人が好きで、人と和すことを喜びとし、素直で天真爛漫な人だということを、僕は知っています。
彼女が、そんな魂の意志に沿って「念」のエネルギーを使っていくように、皆さん方のエネルギーを高めて、惜しみなく注いであげてほしいのです。
できれば、励ましのメッセージも書いていただければ嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

悠々塾は摂理に沿って「奇跡」を起こす、個も全体も、心も体も社会も癒していく場です。
皆で心を合わせ、願いを高め、嬉しい結果を信じて、のぶよさんに力の限りのエネルギーを送りましょう!

09/04/2009(木) 17:09:00

No.5464  さいこ
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさんへ

こんにちは。
私もひろこさんと同じで、天真爛漫なのぶよさんをまぶしく感じ、羨ましいとさえ思います。
心も身体も健やかになるようにエネルギーを送りますね。
私も今まで喜びに向かえなかった思い癖を、喜びに変えて行きたいと思っています。
一緒に頑張りましょうね!

09/04/2009(木) 18:01:00

No.5465  さき ホームページ
Re: スレッドを改めます 引用
定例会の二部で久しぶりに「愛の歌」を聞きました。
のぶよさんとひがしさんが結婚した時に二人のためにISSINがつくった曲でしたね。
もうすぐ結婚8周年ー。平坦とはいいがたい山あり谷ありの8年を共に歩んでこられたひがしさんとのぶよさん。その道のりがあって今があることを思うと胸が熱くなりました。あの日はちょうど東さんの誕生日で、お二人もウルウルされていたのではないでしょうか。

自分は悪くない、相手が悪い。その念が過剰防衛となり攻撃になる。それが今回のことではっきり見えました。
のぶよさんのなかにはずっとその念が働いていたと思います。
ぬまの言うように最後にそれが浮き上がったのだと思います。

人間、思い違いをする時もあれば、失敗する時も間違う時もあります。同じ場面で同じことを言っても人によって取り方だって様々です。だからトラブルや気持の行き違いってあるものだけど、出来たらみんな仲良く、自分もみんなも幸せや喜びの方にむかっていきたい。そんな健やかさに向かっていきたいです。
のぶよさんの自分は悪くないという念はそれを邪魔してます。
これまでそうやって自分を守るしかなかったにしても、です。

のぶよさん、治りましょうよ!!
のぶよさんがのぶよさんらしい明るさと無邪気さでのびのびと人とかかわり、人と心を交わす喜びをどんどん実感していけたら、のぶよさんのリュウマチは治る!
心と身体はつながっているって私たち知ってますよね。

それを誰よりも喜んでくれるひがしさんのためにも。
治りましょう!治しましょう!
過剰防衛の念の使い方、切り替えましょう。
そのために、そうできるように、私も今回の定例会で学んだことをしっかり意識してエネルギー送ります。

09/04/2009(木) 20:55:05

No.5466  春が来る
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさん

この間の定例会の2部の懇親会の時、のぶよさんは、「最近、治ると思えるようになった。」と明るく話してくれたわよね。

ずっと、周りに気持ちを理解してもらえず、気持ちを縮こめてきたのぶよさん。

話を聞く中で、ひがしさんから、最近、のぶよさんの近しい人に対して、あまりの心ない言葉に大きな声を出して怒った、という話を聞きました。
あの温厚で優しいひがしさんが、たまりかねて、その人に対して初めて声を出して怒ったと・・・

定例会では、みんなから、愛情のこもったエネルギーを送ってもらい、花束を受け取って、とっても嬉しそうだった。
私にも、花束を大事そうに見せてくれたわよね。

優しい旦那様の愛情に包まれて、どうか、心を固くしないで、心身共に軽やかな方向に向かって進んでください。

今回の事をきっかけとして、「治癒」を現実のものとしてくださいね。

花束は、結婚記念日のお祝いの花束でしたよね。
病気を治して、優しい旦那様と、より幸せな日々を過ごしてくださるよう願っています。

09/04/2009(木) 21:28:06

No.5467  yokoyoko
Re: スレッドを改めます 引用
以前、ドネののぶよさんの日記にコメントをさせてもらった者です。
私は人との関わりが苦手で、気遣いがないからとか、人によく思われたいからかなとか思うのですが、どうしてこんなにしんどいのかがわからないんです。「念」なんて思いっきりネガティブな方向に使っているんだと思います。
それに私も同じく膠原病のエリテマトーデスの気があるといわれていますし、勝手にのぶよさんに親近感を覚えてしまいました。

のぶよさん、素敵な旦那様に愛されている自信と誇りをもっと持ってください。絶対大丈夫だと思います。
応援しています。

09/04/2009(木) 22:59:00

No.5468  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
飯沼さんは
>のぶよさんは「何度も注意されていたことを知らなかった」とのことですが、掲示板を読めばその事実はすぐに分かったはずです。
と書かれてます。
でも私は本当に昨日の飯沼さんの書き込みを読むまでそのことを知りませんでした。掲示板は読みましたが、見落としたか、そう書いてあったことに気が付かなかったと思います。
知らなかったのは知らなかったとしか言えません。どうか信じていただけますように。

今回は人のことというよりも自分がパニックになったことで症状が悪化してなんとか助けてほしい気持ちで書きこみました。他の人への配慮が欠けていたというのはそう指摘されたらその通りです。その為に迷惑をかけてしまった人には申し訳ないと思っています。

謝罪のメールはいただきました。メールが来ていたことに気が付いたのが遅くて、返信が遅くなってしまって、そのことで気にされてないか、気にはなっていました。メールを読んでから時間はかかりましたが、できるだけ急いで返信書きました。逆に傷つけてしまってごめんなさいと書きました。

私の傾向については飯沼さんが書いてくださっている通りと思いますが、自分ではなかなか意識できにくい所なのだと思います。向き合っていこうと思います。
私が事実関係を知らないで施術を受けてしまったことは本当のことです。それを知ってて施術を受けたということではないのです。飯沼さん皆さんどうかご理解いただけますように。

............................................................

<ありがとうございます>

ひろこさん、飯沼さん、さいこさん、さきちゃん、春が来るさん、yokoyokoさん、皆さん、
今回のことでは応援ありがとうございます。読ませていただいて凄い嬉しかったです。症状の不安も吹っ飛んでいきそうな感じがしてきます。治りたいと思う方に転換したいです。気持ちの変な思い方も、すぐに固まって緊張してしまうところも、変わっていけたらと願っています。皆さんと一緒にやっていきたいです。どうか見守って下さい。よろしくお願いします。

09/04/2009(木) 23:28:03

No.5469  さき ホームページ
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさん、向き合うところ、意識するところは、
ぬまが何度も提示していること↓↓

>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<
という、のぶよさんの思い方、書き方です。
見かねて注意した人の方が、よっぽど傷ついているとは思いませんか?

>何度も言いますが、のぶよさんは「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛によって、人との関わりを損ねているのです。
人との和を壊してでも、「自分は悪くない」という主張を最優先にしているのです。<

そこでしょう。
上の投稿で、同じことしてませんか。
必要なのは私は悪くないということを言わずにいられないのぶよさんの念の使い方を切り替えることです。

10/04/2009(金) 00:06:54

No.5472  えみこ
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさん、こんにちは。

こんな時に私事なのですが、、、

昨年からいろんなことが続いて、3月の初めに倒れてしまいました。
病院での検査は異常なし、
でもからだは全ての機能が低下してしまい、
生きていることさえも苦しいこころの状態でした。
7年前に倒れたときもおんなじ、
自分のありようが変わってないってことですよね。
ずっと、辛く苦しいはずの心の内をほったらかしにしてきて、
からだが動きを止めたことで、やっと自分と向き合うことに
なったのです。厄介で、頑固な自分がいました。


その真っ只中にある私にとって、今回ののぶよさんの出来事は
分かりやすい実践例(ゴメン)でした。ありがとうなのですよ。


自分を保つ、守るために身に付けた思い方は、長い時間と共に
無意識の中にあるのですから、やっかいです。
自分ではよく分からないもの、人からは丸見えなのにね。
そこのところを見ていく作業は一筋縄ではいきません。

のぶよさん、
今回のことで、自分の内に湧き起こる思いを、正直にあるがままを
吐き出し、見ていくことで、まだまだあるはずのものが出てきますよ。
思いもしない自分を見ることにもなるけれど、ね。

その思いを誰かに聞いてもらうことです。
何度も何度も繰り返し作業をしていく中で、
自分がまとってしまったものが見えてくるはずです。
どうしてまとうことにしたのかもね。

幾重にもまとってしまったものは、一人では降ろせないから、
皆んなに助けてもらえばいいのよ。
ここまで生きてくるのにまとったものだから、おいそれとは
片の付くものではないけれど、、、

と同時に苦しさのなかで、ここまで生きてきた自分を労うことも
忘れないでおきましょう。沢山のいたらなさもがんばりも含めて。


克子さんがよくいうでしょう。
ピンチはチャンス!!だって。
乱暴な言い方だけど、いまここで、
まるく納めようとしたり、
自分に都合がいいように
分かったことにしないでほしい。
チャンスをいただいたんだから、これを逃がしちゃだめよ。

喜びに向かう道のりを知ってるのだから、
そこへ向かってほしい。

自分も苦しみのなかにあるからこその、わたしの思いです。

長いことあふれ出ていた涙をすいとってもらって、楽になった。
まだまだ、人のことどころじゃない自分の状態だと思っていたら、
気持ちが動いたのよ!正直、、、嬉しい!

のぶよさん、きっかけをありがとう。
応援してるから、
それに、一人ではないからね。
がんばろね。

とにかく、まずは自分を見ていくことから、、

10/04/2009(金) 14:49:18

No.5473  あきら&ひとみ
Re: スレッドを改めます 引用
こんばんは。
えみこさん、身体大丈夫ですか?
定例会などでいつも会えるわけではないけれど、会えた時は嬉しいです。なのでどうしているかなと気になっていました。
身体も心も元気になってくださいね。

えみこさんの投稿を読んで、まさにその通りだと思います。
先日の定例会では、東さんが「此処のところいろいろ気付きがあり、大きく変化しだしている」と嬉しそうに言ってました。
のぶよさんにはこんなに優しく、苦しいことも全部包んでくれる旦那さんがいる。
今回の事もその変化の流れの中での、最も越えづらいところなのでしょうね。
これまでにも「自分は悪くない、相手が悪い、誰々が悪い。」という念の使い方をしてきたならば、傍にいる東さんが一番分かっていることでしょうね。
そのあたりを東さんとゆっくり振り返ることで、気付き、越えて欲しいと思います。
へんな言い方ですが、今回の事は僕はぜんぜん悪いことだとは思っていません。(皆さんもそうでしょうが)
きっかけがあるからこそ人は変われるのだと思います。
のぶよさんが変われるか変われないかは、東さんは勿論ですがみんなの責任でもあると思っています。
のぶよさんに限らず、たとえ会った事のない人でもその人が過ちを犯せばやはり皆の責任であるのだと思っています。
ちょっと話がずれてしまったかもしれませんが、えみこさんが書かれている様に「ピンチはチャンス」です。
僕らもエネルギー送ります。

10/04/2009(金) 19:59:40

No.5474  ひとみ
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさん、今はいろんな気持ちがあり混乱しているんじゃないかと心配になります。

いつも傍で支えてくれる東さんや、みなさんの意見は自分には見えなかったり、わからない気持ちを気付かせてくれると思うのです。
自分だけに気持ちを閉じ込めてしまうと、やっぱり自分なりの気持ちになってしまうと思うのです。
失敗したら、またやり直せばいいと思うのです。

のぶよさん、一人じゃないのはわかっていますよね。
みんながいます。そしてみんなも頑張っています。
だから、一緒に頑張っていきましょう。
私達も全力でエネルギー送ります。

えみこさん、大丈夫ですか?
頑張っておられるえみこさんの投稿を読み、私も元気をもらいました。早くえみこさんと会いたくなりました。
また一緒にお話してください。

                 ひとみ

10/04/2009(金) 21:45:09

No.5475  月見
Re: スレッドを改めます 引用
通りすがりで失礼します。

いつも考えさせられることや思わされることが多々あって、
ついつい何度も舞い戻って、こっそり覗かせていただいていました。
ですから、本当は通りすがりではないですね(笑)
こういうのは何と言うのでしょうか。

今回ののぶよさんの件も、自分に返して深く考えさせられるものでした。

このたび、のぶよさんの歩いておられるこの道のりは、
たとえ今、多くを乗り越えて知恵と思慮を備えた方であったとしても、
ほとんどの人にとってかつて通った苦しい道のりであり、
想像できる、あるいは身に覚えのある布石のひとつなのではないかと思います。

自分にとってもそうです。
うまく言えませんが、自分の中の何かとても大切なものを思い出し、
学ばせていただいているような気がしています。

こういう自分のような人間が、少なからずこの掲示板を凝視しているかと思います。
そのような人間のためにも、
そうした何かを、形にして提示してくれるための現場だったかと、
今回、そんな気さえしています。

本当にうまく言えないのですが、感謝しています。
身を洗われているようです。
だからこそ、のぶよさんには、こんな人間のためにもなっているのかと、
少しでも元気がもどり、どうかぜひともこの山を乗り越えていただきたく、
投稿してみることにしました。

それから、この場のすべての皆様に感謝しています。

突然、失礼しました。

10/04/2009(金) 22:53:52

No.5476  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
皆さま、(ドネのSNSにも)、励ましのメッセージありがとうございます。
泣いたり喜んだりしながら読ませていただいています。
書いていただいた言葉の一つ一つが、本当に嬉しくて嬉しくて・・・、本当にありがとうございます。
皆さんに助けていただいて自分の心の傾向について夫と話し合っています。もうちょっと書きたいですが、体力的に無理なので、また明日書きこませていただきます。

11/04/2009(土) 00:40:06

No.5477  あきこ
Re: スレッドを改めます 引用
のぶよさんの気持ちと身体が健やかになりますように、
一緒に勉強させてください。
エネルギー、送ります。

11/04/2009(土) 01:00:26

No.5478  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用

「のぶよさんとのやり取りは打ち止め」と書きましたが、のぶよさんはさきさんの投稿を読んでも何も応えないので、今回は僕個人の立場と気持ちにおいて、書かせていただきます。

>>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<<
>>始まってすぐに「遠くから来た人に無理させたらいけない」ということを言われ、もう少しだけしてやめるということになったのに、また別の人から同じことを言われ、でした。初めに注意した人の言い方が、寝ころんでいた私に上から見下ろすように私が悪いと決めつけていわれてるように感じたのだと思います。<<


何度も同じところを引用して申し訳ありません。
けれども、ここの部分を読んだ時、僕は椅子から飛び上がるほどに驚きました。

のぶよさんに注意をした二人というのは、8年前にひがしクンとのぶよさんの結婚パーティで初めて「愛の歌」を披露し、定例会の2部でも久しぶりにあの歌を歌ったゆうきと藍子です。
きつい言い方をしたと言われているのは、藍子のようです。

この間の働きかけは、自分の子供に絡んでいたからなどではありません。
あくまで悠々塾の飯沼としてのものでしたが、少なくともそれは分かってもらえると思います。

ですから、この投稿は僕個人の、これでも我慢を重ねた上での抗議です。

のぶよさん、「私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない」ということは、うちの娘がのぶよさんに注意したのは、そういう動機からだったかもしれないということですよね?

僕は何度も、
>「のぶよさんにならどう言ってもいい」などと思っている人がいるとでも言うのでしょうか?
のぶよさんに注意をした人がそう思って言ったと、のぶよさんは本気で思っているのですか?<
と、聞きましたが、それに対してこの掲示板上で、のぶよさんからのまともな返答は、未だにありません。

うちの子供は躾けも行き届かず、言葉遣いもちゃんとしていないかもしれません。
僕に似て我侭なところもあると思うし、ダンナはまるで縄文人の生き残りみたいな男です。
それらのことによってのぶよさんに不愉快な思いをさせたのであれば、親としてお詫びします。

だけど、うちの娘は、誰かが「自分は悪いという念エネルギーを発している」のを感じて、「その人に何を言ってもいい」と思って、「上から見下ろすようにきついことを言う」ような人間ではありませんよ。

人の弱さに付け込んで意地悪な言い方をすることは、まさにイジメであり、人間として最も卑しい感性・行為だと思います。
のぶよさんは、うちの娘がそういう卑しい心の人間かもしれないと言っているのです。
悠々塾に学ぶ仲間に対して、最大の人格否定ではないですか?
しかも僕が何度聞いても、そこには答えない。
これはあんまりじゃないですか?

これがうちの娘でなく、ほかの仲間にだったら、僕は言われた人の気持ちを思って、間髪入れずにのぶよさんに激しく抗議していたでしょう。
自分の娘だったからこれでも我慢しながら、のぶよさんの気づきを促し、待っていたのです。
のぶよさんにあんなふうに書かれたのが、ほかの人じゃなくてうちの娘でまだよかったとは思うけど、それでもうちの娘をあんなに心の卑しい意地悪な人間のように思われ、公開の掲示板でいきなり書かれる筋合いは全くないと思う。
しかも、注意されたせいで急に症状が悪化したかのような書き方、あれは一体なんですか?

いつまでたっても自分のことばかり、何でもかんでも人のせい、自分なりの説明ばかりで、自分が人に与えた痛みにはお構いもなし。
人の気持ちを踏みにじるのもいい加減にしろ、という気持ちです。

のぶよさんの明るいコメントに水を差すようで悪いけれど、皆さんからの励ましのメッセージをもらって嬉しかったのなら、まずは自分が人を侮辱したままだということに気づいてから喜んでほしい。
僕は、上っ面だけの綺麗事は嫌いです。

のぶよさんがはじめに書いたことがどれほど人を傷つけ、貶める言葉かに思い至れば、その後ののぶよさんの側からの説明などできなかったはずだと思います。
ひたすら自分を恥じ、謝らずにはいられなかったと思う。

僕はきついかもしれないけど、のぶよさんのことを「ぶっ飛びトンデモ人間」としてじゃなく、お互いに未熟さを持っているからこそ対等な仲間・友人として、これからも付き合っていきたいと思うから、もう一度聞きます。
今度という今度は、のぶよさんが書いたこの掲示板で、のぶよさんの心の全部でちゃんと答えてください。

「のぶよさんにならどう言ってもいい」などと思っている人がいるとでも言うのでしょうか?
のぶよさんに注意をした人がそう思って言ったと、のぶよさんは本気で思っているのですか?

11/04/2009(土) 01:38:49

No.5479  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
気持ちを向けて下さりありがとうございます。
一人で頑張ってるんじゃなくて、応援してくださってる皆さんと一緒に頑張ったらいいんだと、とても嬉しいです。一人じゃないって思えるのは本当に幸せです。書いてくださってるメッセージを泣きながら読んでる自分に自分で驚いています。
飯沼さんには、厳しいことを書いて下さり、読むのは辛いですが、同時に、それ以上に嬉しいです。私が変われるために言い難い所をあえて書いてくださっていると思い、本当にありがとうございます。

悠々塾のメッセージを初めて知ってから、ここに集う方たちと一緒に私も変わっていきたい、私の病気もメッセージに沿って自分の思い方や言動を点検していくことで快方に向かっていくだろうと思ってきました。悠々塾に繋がることができて、10年前の3月定例会の翌日に初めてカウンセリングに行ってからちょうど10年、悠々塾の皆様に結婚を祝っていただいて今月でちょうど8年です。この間、症状の進行も遅くなっていると思いますし、痛みが耐えられない時はエネルギーを通してもらうことで治まっています。皆様にエネルギーを送っていただいている御蔭です、ありがとうございます。

定例会に仕事としてでなく始めてこられた方に、ヒーラーであっても、して下さいと頼むことはしてはいけないと思ってきましたし、今回もそのつもりは全然ありませんでした。
でも、昨年末あたりから症状が進んできていて不安でした。であったとしても、遠くから来られた方に負担をかけてはいけないという気持ちを優先できなかった自分が情けないですし、あの場にかかわった方々に申し訳なく思います。注意してくれてありがとうと思っていました。

今回情けない自分を曝してるのに、皆さまの書いて下さる言葉が暖かくてとても嬉しいです。一緒だよ、と言っていただいて、幸せです。もう暫く応援して下さい。よろしくお願いします。


書くのに時間がかかります、昨日も途中まで書きかけていましたが、体力的に続かなかったので、あきらめました。でも、書き込みしてくださった方のお気持ちがありがたくて、お礼だけでもと思い、そのことだけ書きこみました。
書いていただいてることを読んでいて、私がずれてしまっていると思いました。そこから飯沼さんやさきさんの書いてくださってることを読みなおしていこうと思っています。遅くなるかもしれませんが、それからまた書きこませていただきます。

途中まででも、書きかけでもとりあえず、書きこみます。

11/04/2009(土) 12:35:17

No.5481  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用

>書いていただいてることを読んでいて、私がずれてしまっていると思いました。

間違いなく、今が一番ずれていると思いますよ。
決定的に。
しかも、おそらくは無意識のうちにも意図的に。

自分の不注意で指に刺さった小さな棘には大騒ぎするのに、尖ったスパイクで人の素足を踏みつけたまま、さらに体重を掛けながら、とっくに済んだ話ではゆったりと反省して見せ、にこやかに美しい感謝の言葉を並べることは醜悪なだけでなく、見ている側にも哀しいことですね。
その痛みや残酷さは、全て本人が背負うことになるのですから。

ここまで大事なことを回避するのは、つまり、のぶよさんにも本当は痛いほど分かっているという証拠です。
そういう自分の現実が受け入れられず、何とか取り繕おうとして苦しんでいるのです。
本人は、「そこまで切羽詰まっている」ということです。
その責めを一身に負って悲鳴を上げているのぶよさんの体が気の毒ですが、本人の心が気づくまでは致し方ないのでしょう。

この書き込みに至るまでの、のぶよさんがひがしクンの前で見せている様子が目に浮かぶようです。
久しぶりに、イエスの言った「白く塗りたる墓」の話を思い出しました。

しかし、僕らはのぶよさんのことを見棄てたりしないし、諦めることもありません。
のぶよさんが強烈に使っている「念」のエネルギーをはるかに凌駕するだけの力を、僕らも獲得していくからです。

皆さん、のぶよさんから心を離さず、逃げ出さず、自分のエネルギーをもっともっと高めて、何がなんでもこの境涯からのぶよさんを救い出しましょう!
本来ののぶよさんは、人が好きで、人と和すことを喜びとし、素直で天真爛漫な人だということを、微塵も疑うことなく信じきって。

11/04/2009(土) 13:43:43

No.5482  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
いろいろ言い訳を書いて申し訳ありませんでした。
あの場で、遠くから初めてこられた方に施術を受けて本当に申し訳ありませんでした。
あの場で注意してくれた人には、そのことに気付かせてもらって本当にありがたかったです。ありがとうございました。
パニックになったのはそれとは別の私個人の問題で、この場に出すようなことではありませんでした。ごっちゃにしてしまい、この掲示板を読まれている方にもご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
藍子ちゃんには、本当にごめんなさい。それでも応援してますと言ってくれてありがとう。本当にうれしかったです。
飯沼さんには色々とご指摘下さりありがとうございました。昨日から何が問題になっているのか考えていました。遅くなりましたが、お詫び申し上げます。


自分が落ち込んでパニックになってしまった時に、外の世界・状況が分からなくなって自分以外何も見えなくなってしまうということが、今回のことで身にしみて見えました。

飯沼さんに何度も引用されてますが、
>>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<<
>>始まってすぐに「遠くから来た人に無理させたらいけない」ということを言われ、もう少しだけしてやめるということになったのに、また別の人から同じことを言われ、でした。初めに注意した人の言い方が、寝ころんでいた私に上から見下ろすように私が悪いと決めつけていわれてるように感じたのだと思います。<<


と書いて(思って)しまったのは、そんな自分を表現してしまった結果と思います。
飯沼さんが何度も書いてくださってるのを無視したつもりはないのですが、なかなか分かりませんでした。分かってないのに分かったようには書けませんでした。
結果的にそのことで藍子ちゃんを傷つけていたら本当に申し訳なかったです。
ここを指摘して書いてくださっている飯沼さんに、これについて何も書かずにいたことは申し訳ありませんでした。

ISSINさんには「愛のうた」を歌ってもらって、本当に嬉しかったです。聴いていて涙が出そうでした。ISSINファンの第1号と勝手に自分で思っています。ゆうきくんと藍子ちゃんの人柄も大好きで、ISSINのうたも大好きです。悠々塾で一緒にやっていけるのは本当に嬉しいと思ってきましたし、それが続いていくと勝手に思っていました。
今回のことでは藍子ちゃんのことを誹謗中傷するつもりは全くなかったし、もちろん藍子ちゃんがいやしい心の人間と思ったことは1度もありません。でもそういう表現をしてしまいました。本当にごめんなさい。

>しかも、注意されたせいで急に症状が悪化したかのような書き方、あれは一体なんですか?>

そういうつもりで書いたのではありませんし、そんなことは微塵も思っていません。書いた時に、これを読んだ人がどう思うかというところまで考えが及びませんでした。誹謗中傷を書いたと言われても仕方ないです。本当に申し訳ありません。

昨夜になって、自分が問題の本質からずれていると思いました。とはいえすぐには何が問題になっているかわかりませんでした。
パニックに陥った時、掲示板の文章をまともに読めませんでした。あれからも文章を読むたび緊張していました。まともに文章を読んでいなかった、と思いました。言い訳になるかもしれませんが、確かに読んではいるけど、読んでいない状態になっていたと思いました。あれだけ書いてくださっているのに、本当に自分が情けないです。これから読み直していきます。
今回に限らず、問題を先送りにする、問題を見ようとしない、としょっちゅう夫から指摘されていました。問題をいつまでも持っていたくないのに、しようと思ってもなぜか頭も体も金縛りにあったように動けなくなってしいます。
今回も、遅れ遅れの書き込みで申し訳ありません。

この間指摘していただいたことはじっくり考えていってよい方向に変わっていきたいと思っています。時間はかかっても、変わりたいです。情けない私ですが、これからもどうかよろしくお願い致します。

11/04/2009(土) 15:58:27

No.5483  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
5482番を送ってから5481番読ませていただきました。
書かれている意味がよくわかりません。
私が嘘を言ってると書かれているのでしょうか?
私は私の分かっている範囲の事実を書いてきたつもりです。
飯沼さんの書かれている事実を否定するつもりはありません。
でも私は私の分かっている範囲のことしか書けません。

11/04/2009(土) 16:23:58

No.5484  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
私が嘘を言っていると飯沼さんは言われてるのでしょうか。
私は表現のまずさはあっても本当のことを書いてきたつもりです。私の分かっている範囲の出来事や認識したことをです。それがほかの方と違っていたとしても、私は私の分かっていることを誠実に書いてきたつもりです。
私が知っていて施術を受けたと飯沼さんは思っておられますが、私は前の方が注意を受けたことは知りませんでした。掲示板に書いてあるのを読んだと言われますが、私は掲示板は読みましたが、そう書いてあったとは知りませんでした。
問題から目をそらせる傾向は自分の癖としてあるとは思います。でも自分をごまかしているわけではありません。見にくいから、見るのに時間がかかるのです。
私自身の特殊事情は他の人にはなかなか分かってもらえないと思います。でも自分にできる限り誠実に対処してきたつもりです。
私を嘘つきと言われるなら、私を信頼できないと書いて下さい。

11/04/2009(土) 17:11:10

No.5485  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
>私が嘘を言っていると飯沼さんは言われてるのでしょうか。

そんなことは言っていません。
のぶよさんが無意識に使う念のエネルギーで、そうなってしまっているのでしょう。

>私を嘘つきと言われるなら、私を信頼できないと書いて下さい。

「本来ののぶよさんは、人が好きで、人と和すことを喜びとし、素直で天真爛漫な人だということを、微塵も疑うことなく信じきって」と書いています。
のぶよさんが善意の人だということはよく知っています。
だから見ていられないのです。

>昨日から何が問題になっているのか考えていました。(←この文は5484から削除したようですが、さっき僕が読んだ時には書いてあったので)

では、もう一度5469と5478を読んでください。
さきさんは何を書いていますか?
僕はのぶよさんに何を訴え、何を質問していますか?(質問に関しては、特に最後の10行ぐらいをちゃんと読んでください)

その上で、何が問題になっていたのか、短くていいですから具体的に書いてみてください。
最大の事柄ひとつについてだけで構いません。
僕は急ぎませんから。
。。。。。。。。。。。。。。。

>私が知っていて施術を受けたと飯沼さんは思っておられますが、私は前の方が注意を受けたことは知りませんでした。

はい。分かっています。
しかし、それはたいした問題ではないのです。
注意をした人の側から見れば、「前にも言ったのに、Nさんに負担を掛けるのもいい加減にしぃよ」ということになるとは思いませんか?
それとものぶよさんは、「(藍子は)自分には初めてなのにきつい口調だったから、自分は傷ついた」と思い、
藍子がそんなきつい口調で言ったのは、「私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人(藍子)に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない」と、まだ思っているということですか?

11/04/2009(土) 17:14:06

No.5486  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
>昨日から何が問題になっているのか考えていました。(←この文は5484から削除したようですが、僕が読んだ時には書いてあったので)

5484は1度書いて送信したら消えてしまったので、再度書いて送信しました。訂正はしていません。(機械は苦手なので)なぜ、飯沼さんが書かれている画面があったのか分かりません。1度目に書いた文章は覚えていません。これについては二人で消えたと言っていたので確かです。飯沼さんの書かれてるのはなぜ?でしょうね。

とりあえずこれだけ訂正します。他はこれから読んで考えます。

11/04/2009(土) 17:58:10

No.5487  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
>昨日から何が問題になっているのか考えていました。

これは、5484ののぶよさんの投稿からコピーしたのですよ。
コピーしたのは間違いありません。
「飯沼さんの書かれてるのはなぜ?でしょうね」といわれても、コピーした事実以外のことは、僕には分かりません。

いずれにしてものぶよさんは疲れすぎているようですから、少しゆっくり休んだ方がいいと思います。
僕の方は全然急いでいないので、またいつか気が向いたときに5485の作業をしてみてください。

11/04/2009(土) 18:11:42

No.5488  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
あれ?
5482の内容、変わってませんか?
最初からこの内容の投稿だったら、5485で僕が言った作業をする必要もないということですね。

こんな重大な内容を僕が読み落としていたのなら、失礼しました。

11/04/2009(土) 18:31:28

No.5489  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
>私が知っていて施術を受けたと飯沼さんは思っておられますが、私は前の方が注意を受けたことは知りませんでした。

こう書いたのは、飯沼さんが私が嘘をついていると思っておられると思ったので、これまでの中で、そう思われていると思った所を書いただけです。
なので、飯沼さんが書かれているように
>まだ思っている
わけではありません。

5484のことは不思議ですね。??
不思議な力が働いているのでしょうか??

11/04/2009(土) 18:33:00

No.5490  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
>まだ思っているわけではありません。

安心しました。

>5484のことは不思議ですね。??

不思議でもなんでもありませんよ。
ぼくは間違いなくコピーしたのですから、その内容で投稿されていたのです。
千里眼でもコピーはできませんからね。
それに、たとえそちらの画面から消えていたとしても、のぶよさんが「昨日から何が問題になっているのか考えていました。」というのは、その通りでしょう?
この数日の状況で、何が問題になっているのか考えていなければ、そのほうがよっぽど不思議ですから。

5482も、僕が読んだ時には、「・・・もちろん藍子ちゃんがいやしい心の人間と思ったことは1度もありません」の部分はなかったと思いました。
それで5485で、一昨日の夜のさきさんの短い投稿と、僕の昨夜の投稿を読み直して、何が問題になっているのかを短くまとめるように、と書いたのですが・・・。
こちらはとっても不思議です。

>不思議な力が働いているのでしょうか??

そうですね。
強烈な念のエネルギーが働いているのかもしれませんね。

いずれにしても、僕の気持ちは前に書いたとおりで、「本来ののぶよさんは、人が好きで、人と和すことを喜びとし、素直で天真爛漫な人だということを、微塵も疑うことなく信じきって」ということです。
のぶよさんが善意の人だということはよく知っています。
だから見ていられないのですが。

あれ?
今見たら、またまた5482に「昨日から何が問題になっているのか考えていました。」という文が入ってますね。
ここにも書いてたんですね。
だけど僕がコピーしたのは、間違いなく5484の短い文章の冒頭か2〜3行目の「昨日から何が問題になっているのか考えていました。」でした。

もう、いいですね?

11/04/2009(土) 19:11:33

No.5491  のぶよ
Re: スレッドを改めます 引用
>自分の不注意で指に刺さった小さな棘には大騒ぎするのに、尖ったスパイクで人の素足を踏みつけたまま、さらに体重を掛けながら、とっくに済んだ話ではゆったりと反省して見せ、にこやかに美しい感謝の言葉を並べることは醜悪なだけでなく、見ている側にも哀しいことですね。
その痛みや残酷さは、全て本人が背負うことになるのですから。

>この書き込みに至るまでの、のぶよさんがひがしクンの前で見せている様子が目に浮かぶようです。久しぶりに、イエスの言った「白く塗りたる墓」の話を思い出しました。

この二つのことについて、どういう意味かわかりません。
どういう意味で書かれてるのでしょうか?

5482については、途中まででも書きこんでおいたほうがいいのだろうかとの思いで1度送信しましたが、最後まで書いてから出した方がいいと思いなおし、削除したと思います。書き込みが遅れ遅れになっていたので、途中ずつ出していった方がいいのか迷ったからです。でも区切りのいいところまで書いたほうがいいと思いなおしたと思います。そのことについて言われても、1度目に送った通りの文章は残していないので言いようがありませんが。
5484については・・・、控えが無いのではっきり言えませんんが「昨日から・・」とそこにも書いていたのかなぁ?と思っていたので、でも色々書いても、ですね。

上の二つの文についてはお答えいただきたいです。よろしくお願いします。

我が家は今コピー機のインクがかすれてるのでなかなかコピーしても読みにくいです。文章の行き違いがあったら申し訳ありません。

11/04/2009(土) 19:48:28

No.5492  飯沼 ホームページ E-mail
Re: スレッドを改めます 引用
自分の至らなさや、強烈な念を歪めて使っていることに思い至れば、説明されなくても自ずと分かります。
その日を楽しみにしています。

のぶよさんは、何がなんでも「自分は悪くない」と主張して人に嫌われるよりも、人と仲良く関わっていきたいのですよね?
そして、病気を悪化させるのではなく、できるならば治したいと思っているのですよね?

これは回答を求めているのではないので、回答はいりません。
僕自身が確認したかったので書いたことですが、のぶよさんも落ち着いた時にもう一度考えてみるのもいいと思いますよ。

11/04/2009(土) 20:47:11


No.5470 飯沼 ホームページ E-mail
さきさんの千里眼・・・? 引用
定例会の翌日、さきさんが見た「地楽」というお酒は、実は5年前から製造休止になっていることが分かりました。
昨日、春が来たさんが酒造会社に問い合わせてくれました。
これで、「地楽」は定例会の時にはなかったことが確定しました。

しかし、さきさんの話を詳しく聞けば聞くほど、さきさんが思い違いをした可能性はゼロでした。
やはり、さきさんはそこにはない「地楽」のビンを見たのです。
これは、さきさんにある種のサイキック能力が開かれてきていると考えた方が妥当でしょう。

実はさっきも、さきさんとの電話で面白い話を聞きました。
さきさんは今日の夕方、掲示板への僕の投稿を読んで、返信しようと思いながら、少し眠ってしまったそうです。
連日の直接ヒーリング等で、疲れが溜まっていたのだと思います。
眠りかけた時に、さきさんには悠々塾の掲示板が見えたそうです。(もちろん、パソコンは閉じていて、掲示板が見えるはずもありません)
さきさんに見えた掲示板には、さいこさんからの返信が入っていたそうです。(内容までは見えていませんが、「さいこさんが返信入れてる」とはっきりと思ったそうです)
さきさんは、僕の投稿を読んでできれば一番目に返信しようと思っていたので、ちょっと気になりながらもそのまま少し眠りました。
そして目が覚めて、パソコンを開いたら、さいこさんのコメントが投稿されていたので驚いたそうです。

もちろん、さきさんはそういう作り話をする人ではありませんし、この話も他の話が終わった後に、「どうでもいいことなんやけど・・・」と、控えめに話してくれたものです。
実はこの働きを始めた頃に、僕にも同じようなことが起きました。
地上次元のことで、時空間を超えた情報につながったことが何度かありました。
僕の場合は、そういう能力は発達しませんでしたが、さきさんはこれからもっともっとこのような能力を多分野にわたって開発していきそうな気がしています。(今、気づきましたが、僕も定例会以降、その能力が高まっているようです)

これも、先日の定例会のテーマであった「念のエネルギー・エーテルエネルギー」の使い方のひとつなのです。
こういうエネルギーによるサイキック能力は、これから悠々塾に学ぶ他の人にも発現していく可能性が高いでしょう。
「地の岩戸開き」、これからが楽しみです。
。。。。。。。。。。。

念のエネルギー・エーテルエネルギーは、「現実化」のエネルギーです。
意識や心の動きにも使われるものですし、具体的な現象・行為等の全てに形を変えて使われる性質のエネルギーです。
だから、そこに無い物を見るために使えば、実際に「見える」のです。
さきさんは、「地楽」というお酒を意識したことによって、実際に「地楽」のビンを見、「悠々塾掲示板」を意識したことによって、それを見たのです。
エーテルエネルギーを今までよりも格段にたくさん取り入れて使えるようになった証拠だと思います。

この能力は摂理に沿って使えば人の役に立ちます。
「ベールの彼方の生活」には、人類が今の地上の価値観を卒業してからという条件付きで、このエネルギーを使って、物質を自由に作り出していく(物質化)と伝えられています。

逆に、「自分に都合の悪いものは見ないため」にこのエネルギーを強く使えば、目の前にあるのに「見えない」という、自分なりの現実を作ります。
こういう使い方は、自分にも人にも本当の喜びにはなるはずがありません。

念のエネルギー・エーテルエネルギーは、病や症状だけでなく、その治癒などをはじめ、あらゆる「現実・現象」に直接作用するエネルギーだといえるでしょう。
だからこそ、摂理に沿って霊的エネルギーと融合させて使っていくことが、本来の喜びや健やかさを引き寄せていくのです。

10/04/2009(金) 00:31:19


No.5471  飯沼 ホームページ E-mail
Re: さきさんの千里眼・・・? 引用
先日の定例会では、「地の岩戸開き」をテーマに、肉体や物質や地上的な事柄全てに直接作用するエネルギーの取り入れ方や高め方を一緒に学びました。

次回の定例会では、さらにそのエネルギーの取り入れや使い方をテーマにするつもりです。
エーテルエネルギー・念のエネルギーは、「現実化」のエネルギーですから、それをより多く取り入れ、本来の喜びのために使っていくことで、その喜びが現実化していくのです。

しかし、私たちはそのエネルギーを歪めて、とても無駄に使ってしまう癖をつけて、そのことに気づかない場合が非常に多いということです。
念のエネルギーは、本来の霊的エネルギーとは異質なものですから、決して「高尚」なものではありません。
むしろ、非常に粗い次元のエネルギーです。
「何がなんでも」「どうしても〜したい」「こうせずにはいられない」というものです。
だからこそ、摂理・霊的エネルギーとの融合が不可欠なのです。

物質界である今の地上は、そういう粗い次元の世界なのですから、今の地上に生きている全ての人間は、この粗いエネルギーを持ち、使っているのです。
地上的なものに作用するためにはそのエネルギーが必要だということです。
問題はその使い方です。

それ以前に、「何がなんでも」というエネルギーを使うことや表現することを怖れたり、回避してしまうタイプの人間もいます。
「良い人症候群」ですが、そういう形で自分を守っているとも言えるでしょう。
しかし、「違うものは違う!」「ほんとはこうだろう!」と、自分の全てのエネルギーで表現しなければ地上の人間には響かず、状況も動かないケースもたくさんあるのです。
本当は「そうしなければ自分の気持ちが収まらない」はずなのに、綺麗に処理しようとしてしまうことがどうなのか、ということです。
誰にでもそういう粗いエネルギーや思いはあるのですから、それを薄めたり抑え込んでいることにも、実はそのエネルギーは使われているのです。
それもまた、念のエネルギー・エーテルエネルギーの無駄遣いといえるでしょう。

今の世は、自分勝手な思いの強い人が、「そうしなければ自分の気持ちが収まらない」というエネルギーを平気で使い、それが許されているからこういう世の中になってしまっているのでしょう。
そういう人たちと同じ表現方法を取る必要はありませんが、どういう対応をするにしても、その人たちよりもはるかに大きなエネルギーでの、「違うものは違う!」「ほんとはこうだろう!」という思いがなければ、現状は変わらないのではないかと思います。
特に大事なことに関しては、その迫力が絶対に必要なのです。
。。。。。。。。

定例会で、70歳代のおばあさんが、32歳の引ったくり犯を自転車で追跡して取り押さえたという例を挙げました。
その後また、今度は80歳代のおばあさんが、自宅に押し入った20歳代の強盗を取り押さえたというニュースが流れました。

普通ではありえないことですが、その人の念が、エネルギー的に犯人を制圧したのです。
これはかなり特殊な例ですが、人間はこういう力を発揮できるのですから、それを法則的にも理解し、実際的にも使いこなしていくことで、「自分も皆も幸せに生きることができる、明日のくに」は実現するのです。

10/04/2009(金) 13:57:08


No.5461 ひろこ  
のぶよさん 引用
今のぶよさんと1時間ぐらい電話していました。

わたしはのぶよさんとよく似ています。
私は自分はだめな人間・自分が悪いと思っているのに
自分のことを指摘されたりすると、元の何が間違っていたかという事を外して、自分を正当化して相手のせいにしてしまう事が多々ありました。
それは、子供にも主人にもいつも指摘されていました。

のぶよさんの本来の天真爛漫な明るさや純粋さはいつ会ってもまぶしいほどです。
最後の膿を出すためのいい機会だったですよね。
身体の変形の恐れを越えて、一番難しくて、一番やり易い自分を変えて行ける材料を与えられたことを喜んで、身体が健やかになって欲しいと思いました。
お互い無理のないように頑張ろうね。
のぶよさんの明るい声を聞けてよかったです。

飯沼さん・さきさんへ

昨日は突然のカウンセリングのお願いにもかかわらず、時間を調整して下さってありがとうございました。

主人が私を思ってくれる気持ちと私の気持ちがかみ合わずに引き寄せる課題の事が理解できました。

私の中の今まで誰にも言えなかった気持ちをヌマさんがずばり引き出してくれたときはびっくりしました。

のぶよさんに書いた事と同じ、一番難しいことが一番簡単な事でやり易いことが分かりホッとしました。
「随分前から言ってたんだけどなあ・・・」ってヌマさん笑ってはりましたが、何年かかったか・・課題をどれだけ抱えたか・・・
まだまだこれからですがやっと理解できそうです。

さきさんとのエネルギーのパワーはすごくて
昨日会社で一人になって、脱力感で身体が動かず椅子を並べて1時間寝ていました。今日も同じ感じです。

電車で主人に♡マークのメールを送ったら
会社まで迎えに来てくれた娘が
「ひゃ〜〜〜・・・」と目をまんまるく・・・していました。
「お父さんびっくりして一緒にいる○○(息子)の前でうろたえてるよ〜。」なんて言ってました。

嬉しいです。ありがとうございました。

09/04/2009(木) 16:25:10



No.5446 飯沼 ホームページ E-mail
定例会以降 引用

定例会以降、参加者に嬉しい変化が起きているという連絡が相次いでいます。

引かずに、ここでもご紹介くださいね。

04/04/2009(土) 23:59:39


No.5447  ちぃ
Re: 定例会以降 引用
こんばんは。定例会ではありがとうございました^^
スーパーじぃさんからご指導頂いた丹田呼吸法、日々意識して鍛えています!
ご指導頂きありがとうございました!
定例会以降、私にも嬉しい変化がありました。
お恥ずかしい話なのですが、私は家事という家事が全て苦痛でしかなく、日々いかに手抜きするかに力を注ぎ、ギリギリになって仕方なくするというのがこれまでのパターンでした。
洗濯物はいつも最大限に溜まってから、大嫌いなアイロンはにぃくんが出勤する直前にその日着る1枚だけをかけ、洗い物は次の食事を準備する時に行い、家の掃除はにぃくんのご機嫌が悪くなってからという荒れ様。
しかも、ここ数カ月は仕事が忙しかったため更に苦痛でしかなくなり、家事をした事ににぃくんが気付いてくれないとイライラしたり。。
それが、定例会の翌日から自分でも気付かなかったのですが、家事の全てが楽しくて仕方なくなり、今しなくて良い事までちゃちゃちゃーとやっちゃったりして。
溜まっていたYシャツを鼻歌を唄いながら一気にアイロンをかけ、お掃除も丁寧に、洗濯は洗濯機までお掃除して、毎日の食事もにぃくんの喜ぶ顔を想像しながらにぃくんの好きな物を作り・・・。
にぃくんのお顔を思い浮かべながら新婚さん気分で浮かれて家事をしている自分に気付き、うきゃー!と驚きながらもそんな自分を喜んでる私。
にぃくんはというと、何が起きたんだと不思議顔。
考えてみたらにぃくんと暮らし始めて少ししてからずっと、私はこんなだったのでした。
私はもともと家事は好きで、今よりうんと仕事も忙しかったのに、それでも家事を手抜きすることはありませんでした。
でもきっかけは記憶にないのですが、ある時から家事が嫌になったのです。
にぃくんに「なんかね、家事が楽しくて仕方ないよー」と言ったら、「いつまで続くか分からんから何とも言えない」とにぃくん。
「もしかしたら丹田鍛えたからかなー?」と言ったら、「もっと鍛えて!」とにぃくん。(笑)
とにもかくにも楽しくて毎日浮かれモードで家事をしていたのでした。
そしたら職場で・・・ これまた恥ずかしいのですがしゃがんだ時に尾骨を強打してしまい、激痛に見舞われ、家事どころか動くことさえままならなくなってしまい・・・
ここ数日激痛で苦しんだのですが、ヌマに遠隔して頂いたおかげで昨夜からお料理が出来るようになりました。
それがまた嬉しくて♪
そしたら偶然かと思いますが、作ったおかずがめちゃ美味しかったのです!
その美味しさは私の腕ではありえないので、「料理の腕まで開花した?」と調子に乗っていたのですが、にぃくんはたまたまだと。(笑)
にぃくんの言うようにいつまで続くか分かりませんが(笑)、今はとにかく家事がというのか、にぃくんのために何か出来ることが嬉しくて仕方ないです。

それからもう1つ、定例会の少し前なのですが、嬉しいことがあったのでご報告させて下さい。
私が仕事で担当させて頂いてる患者さんが、微熱が続いていたので精密検査をされたところ、CTで膵臓に陰影が見つかり、腫瘍マーカー等は検査していなかったので腫瘍疑いと診断されました。
そして翌日にMRI等、精密検査を受けるとの事だったので、その場でエネルギーを送らせてもらったのですが、帰宅してからにぃくんに相談し、二人で霊体手術を行いました。
すると検査の結果、異常なし!
長く続いていた微熱も、36.7〜9℃とギリギリのところではありますが、平熱が続いていてヤッター!なのでした。
なんて言いつつまたもや「本当に膵臓に腫瘍があったのか分からない・・・」なんて言い出す始末で。。。
なにやってんだか・・・ですが、これからどんどん治していきたいと改めて思っています。

05/04/2009(日) 04:15:07

No.5448  オレンジ
Re: 定例会以降 引用
3月29日(定例会翌日)の夜知り合いから久々にメールが入りました。
そのままの内容を書きます。

「○○ちゃんへ。長い間(実際は3月17日〜)腰痛で休んでたの。明日から出勤します。腰痛は特に変化なしで今日も相変わらず湿布と薬で痛み止めてます。仕方ありません。又、ボチボチ始めます。ウオーキングも水泳も毎日リハビリしてますが変化ありません・・
しかし、しないより続けていけば・・・とコツコツ頑張ります。椅子から直ぐに立ち上がれなくて・・・では又〜」

彼女は50代前半だと思います。いつかは知りませんが首の後ろの脊椎を手術してからずっと腰痛持ちで、階段を上がるのもゆっくりゆっくりでないと上がれません。何度かエネルギーを送って痛みが和らいだこともあったけど、効果がないこともあって彼女の腰痛を治すのは無理だと思っていました。なのでこのメールをもらってもやっぱり無理だと思いました。
でもしなければと思いエネルギーを送りました。

3月30日夜のメールです。
「何ヶ月ぶりに腰の痛みが無いんです。不思議なんですが・・・
ありえない?けど本当なんです。始めて今日だけ痛くないんです。
元気だし・・・情緒も安定♪ 何なのかしら・・とにかく???
不思議です。・・しかし明日はやはり痛くなるのか・・・取りあえず御礼を」

4月3日夜のメールです
「何故か○○ちゃんのパワー貰ってから今日までずっと元気で腰痛もないんです。何か1年振りに清々しい朝の目覚めで早朝ウオーキングしてます。食事制限も順調です(彼女は太って血圧が高いのです)
気分もとてもいいです。・・・がここ急にの回復で自分でもトンネルから抜け出た感じで安定してます。」
という内容でした。
彼女にエネルギー送る時は一瞬不安になったけと、定例会で勉強した通りにお腹を膨らませて「何が何でも治す!絶対に治す!」
とそれだけを信じてエネルギーを送りました。気合が入り過ぎた為に首も肩もガチガチになっていました。

それからもう一つ
2月22日に知り合いのAさんから妹のBさんについての悩みで電話をもらいました。

Bさんの嫁ぎ先はBさんと御主人、御主人の両親、御主人の妹さん夫婦と3世帯それぞれが同じ敷地の中に家を持っています。
昔から御主人と父親は仲が悪かったそうです(父親がとても難しい人で夫婦喧嘩もしょっちゅうだとか)
その父親が突然お前達には土地をやらない。道路脇の1メートル分だけやる。あとは全ての財産を妹夫婦にやると言ったそうです。
Bさん宅には妹さん宅の前を通らないと入れないそうです。

Bさんも定年前の御主人もそれなら家を出ようということになり、心配したAさんがどうにかならないものだろうかと電話をしてきたのでしたが、私には到底無理と思い「多分無理だと思いますがエネルギーは送ってみます」と言いました。

2月24日のAさんの報告によるとBさんの御主人が今までBさんがいてくれたからこそ今の自分はある、本当に感謝しているとBさんを大変労ってくれたのでBさんはそれだけで嬉しかったそうです。
Bさんはこんな大変なところはいつ出て行ってもかまわないと思っているけど、Bさんの御主人がやはり年齢が年齢なのでこのまま今の所にいようと言ったそうです。

その後おじいさんもおばあさんもとても穏やかで調子がよくて今まで挨拶してもBさんには知らん顔していたのにおじいさんおばあさんからおはようと挨拶してこれまでにないいい顔でびっくりしたそうです。今ではおじいさんとも畑で仲良くしていて親子関係は至って良好だそうです。

この件に関しては私は「3世帯が仲良くなりますように。みんながすこやかに」とただ祈っただけでした。

2月22日のさきさんの書き込み??5287で皆様も一度声にしてみて下さい〜このエネルギーに触れ〜を読んだ時私は3回「岩戸開き〜」
唱えました。なんだかふわっとして幸せな気分になりました。
飯沼さんとさきさんが岩戸開きをしてからはっきりいつからとは言えませんが何かが変わったと思っています。自分でも不思議なのです。

05/04/2009(日) 19:56:52

No.5450  鉄ママ
Re: 定例会以降 引用
私は2部から参加させていただきました。
悠々塾へ向かう途中頭がなんとなく痛くなりました。
着いてからお酒を少し飲んで本格的に痛くなってきました。
頭が痛くなると私は必ず寝込みよくなるまで3日かかります。
でも、この3日かかるというのも実は私の「念」がそうさせているのかもしれません。
そう、必ず3日なんです。
調子の悪い私をみて、鉄、きんちゃん、みさおさん、ひとみちゃんがエネルギーを通してくれました。
鉄は「師匠も呼んでくる」と飯沼さんにもお願いしました。
飯沼さんが「鉄の子育ては大変だった。」「鉄がかわいい」「鉄ママの子離れは大変だよ」と言いました。

帰って主人に話しをすると「鉄はママが大好き。ママは鉄が大好き。横でみているチビ鉄がかわいそうだ。」と言いました。
私も分かっていました。
鉄に対するものとチビ鉄に対するもの。。。。

頭痛が治まると私はいつものようにチビ鉄を攻撃しました。
それをみていた主人に叱られました。
「ママは鉄のことは認めて信じているだろう。でも、チビ鉄に対してはどうなのか。いい子だね、と認めてやっているのか。飯沼さんやさきさんたちに「チビ鉄はいい子だよ。」といくら言われてもちっとも信じていないだろう。」と言われ返す言葉がありませんでした。
そうなんです。私はチビ鉄が生まれてから(大げさでしょうか)
チビ鉄に対して発する言葉は、否定的なことばかりなんです。
ほんの些細なことで文句を言い、叱り付けてしまいます。
鉄は鉄で「ママを困らせるな。」と私に輪をかけてチビ鉄を押さえつけます。
7歳違いの兄弟ですがチビ鉄は「兄ちゃんには絶対負けたくない!」という気持ちが強く、腕力では到底かなわないので口で反撃します。
鉄は「学習しないやつ!」とまたさらに圧力をかけます。
私は聞いておられず「うるさーーーーい!」と3人が大騒ぎになります。
こんなことをどれだけ繰り返してきたでしょうか。
10のうちチビ鉄の話しを聞き優しくしてやれるのは1ほどしか出来ない私です。
「ママは鬼ばばあ。」「俺と兄ちゃんとどっちが好き?」「なに!って嫌な声をださないで。」「比べないで。」
こんなんじゃダメだ、と思う次の瞬間私はチビ鉄に苛立っています。

飯沼さんにヒーリングをお願いしました。

その日の夕食時、鉄とチビ鉄がいつものようにやり始めました。
テレビの音。鉄の携帯から流れてくる今時の音楽。二人のガチャガチャした会話。
いつもなら「テレビ消して!二人ともうるさい!」と怒鳴っています。
それが、ちっともイライラせず冷静な私がいました。
話は鉄の小さい頃(チビ鉄と同じ歳)の話になり鉄が「ママも父ちゃんもチビ鉄には甘い。俺の時はもっと厳しくて恐かった。父ちゃんはチビ鉄のことを怒ったことがあるのか?」と言いました。
私は目が点になりました。
「ママは鉄の時とチビ鉄と変わりがないと思う。父ちゃんはチビ鉄を叱るほうが鉄の時より多い。」と話しました。
ただ、私たちの中に鉄とは違ったところでチビ鉄を心配しているのは確かです。その関わり方に鉄は甘さを感じているのかもしれません。

ゆっくりとチビ鉄をみていると「こんなに複雑なことを考えているんだ・・・」とか「優しいな。」と思ったり。
今まで普通の会話を交わしていなかったことに気がつきました。
どれほどみてなかったんだって感じです。
私は私の「念」でチビ鉄の感情を無視し、彼が彼らしく存在することを否定していたのだとおもいます。もっと言えば彼自身を生殺しにしていたのだ、と思うくらいです。

頭が痛くなったことから、繋がりました。
「だいじょうぶ!」と丹田に力をこめて頑張ります。

07/04/2009(火) 18:37:55

No.5451  のぶよ
Re: 定例会以降 引用
定例会ではエネルギーを送って頂きありがとうございました。治るほうへ向かっていきたいです。1週間前になってしまいましたが、定例会2部でNさんに施術していただいた件での書き込みの時に私の思い方の癖が出ました。
定例会の翌翌日から帰省し、父が頭を打って病院に行ったりで(幸い大したことなくて、でもいろいろあって)、定例会でのことはすっかり忘れていました。帰宅して掲示板を見ると定例会でのことが沢山書いてあり、急いで斜め読みすると、あの時きつく言われた、私だけ責められた、2回も注意されたということが思い出されて、殆どパニック状態でした。見かねた夫が(Nさんに何か不都合があったから私がパニックになりかかってると思ったらしい)掲示板に
書いたらいいと言ってくれ、状況もよく思い出せないまま、ただ自分が悪いという思いだけから書きました。何が問題になっていたのかは、大分経って気持ちが落ち着いてから掲示板を上から順番に読んで漸うわかりました。間違っていたとはいえ治りたい気持ちをすぐに行動にされたはるさんが羨ましかったです。あの時は「のぶよさんもしてもらったら」と勧められて施術してもらうことになったのでした。始まってすぐに「遠くから来た人に無理させたらいけない」ということを言われ、もう少しだけしてやめるということになったのに、また別の人から同じことを言われ、でした。初めに注意した人の言い方が、寝ころんでいた私に上から見下ろすように私が悪いと決めつけていわれてるように感じたのだと思います。「車で9時間です」と言われるのを聞き、言われた通りと思いましたが。でもなんであんな言われ方をしないといけないのかという思いが残
っていたと思います。
私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない、私が私の思い方や気持ちを自分で否定して無いものにしているのかも知れない、ただ闇雲に自分の悪いところを見つけ出そうとしてしまうのかもしれない、それが今回のことに出たのかもしれないと思いました。今までにも同じようなことあったと思いました。
多分その度に、責めるところが尽きると自分自身を責めてそれが今の自分の病気になったように思いました。この数日で目に見えるほど症状が進む筈ではないのに、気のせいか関節の変形が進んだなと感じます。この件が無くても、最近また関節の変形が進んでいて、このまま進んだらどうなるだろう、考えただけで不安になります。
定例会の帰りには、Nさんに言ってもらったことで、自分の状態を客観的に見ることが出来そうな気がして、そうできたら治る方に向えるかもしれない、と思っていました。
これ以上悪くなったら困る、では弱いから、治りたい、と
強く思いたい、と思いました。

07/04/2009(火) 22:36:54

No.5452  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 定例会以降 引用
この数日は時間が取れないので、どうしても気になったところだけ今コメントしておきます。

☆のぶよさん

>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない、私が私の思い方や気持ちを自分で否定して無いものにしているのかも知れない、ただ闇雲に自分の悪いところを見つけ出そうとしてしまうのかもしれない、それが今回のことに出たのかもしれないと思いました。今までにも同じようなことあったと思いました。<

のぶよさん、僕の感想を率直に書きますね。
特に上に引用した部分について言えば、僕は逆ではないかと感じました。
こう書けば、非常に厳しい書き方になりますが、のぶよさんの「岩戸開き」のために、あえて書きますね。

のぶよさんの「念」の使い方は、のぶよさん自身の認識とは逆で、「私は悪くない。相手が悪い。誰々が悪い」になっているのです。
過剰防衛のあまり、攻撃に転じてしまっているのです。
それは今回のことだけではなく、今までにも同じようなことがあったように思います。
そういうのぶよさんの「念」のエネルギーが、のぶよさんの体を攻撃しているのだと思いますよ。

のぶよさんの投稿を読んで、のぶよさんの事情や気持ちは分かりましたが、これでは人と和していくことは極めて難しいだろうとも思いました。
のぶよさんは今、そこに気づくべき時を迎えているのでしょうね。
のぶよさんの今後の病状の推移は、一重にそこにかかっているように感じます。

「関節」は「人間関係」にまつわる心を象徴している部位だと伝えられています。
リュウマチは、関節が炎症を起こし、本来ならば自己を守る免疫機能が、自分の関節を攻撃してしまう病です。
のぶよさんの場合は、「自分は悪くない。相手が悪い」という過剰防衛の「念」のエネルギーが、自分の関節を攻撃しているように思います。
今回のことで、このような思い方をしていれば、病状が進むのも当然でしょう。
病とは、神からもたらされたサインであり、自分の魂からのサインでもあると言えます。
それは、「この病を得たことで、大事な何かに気づき、自分のものの考え方や想念・言動、つまり生き方を変えていく機会にしなさいよ。より健やかな自分に変わっていってくださいよ」ということです。

最近ののぶよさんはずいぶんと嬉しい方向に変化してきたのは確かです。
定例会で皆さんのエネルギーによって、のぶよさんの根っこに残っていた「念」が、分かりやすい形で浮き上がってきたのでしょうね。
文字通り、ここからが正念場です!

大きな峠を越えるのは大変でしょうが、のぶよさん自身の幸せためにも、ひがしクンが注ぎ続けた愛念に報いるためにも、どうか「念」の使い方を切り替えていってほしいと思います。
もちろん、僕らも応援しています。

08/04/2009(水) 00:24:56

No.5453  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 定例会以降 引用
☆のぶよさん

もしも、のぶよさんが「自分が言われた」という気持ちに囚われて、僕の投稿が受け入れられなかったら、のぶよさん自身が「人のことをどう言っているのか。どう書いているのか?」を見ていってくださいね。

>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない

こんなことを思う人がいるとでも言うのでしょうか?
もしも本気でそう思っているのなら、のぶよさんはその捻じ曲がった根性を叩き直さねばいけませんし、過剰防衛で書いたとしたら、「自分は病気だから、人にどう言ってもいい」と思い込んでいるのではないですか?

「あんなにひどいことを言われた」のではなく、実際にはのぶよさんが「こんなにひどいことを言っている」のです。
これは今回だけのことではないので、のぶよさんの思い方の歪みとして非常に重要なところだと思います。

僕の投稿に対しても、「あんなにひどいことを言われた」と、自分を被害者のように思っているのかもしれません。
しかし、のぶよさんの昨夜の投稿の文面があまりにひどかったから、僕も厳しいことを率直に書くことにしたのです。

苦しいでしょうが、今こそ乗り越えていきましょう。

08/04/2009(水) 12:55:59

No.5455  のぶよ
Re: 定例会以降 引用
飯沼さん、お忙しい中コメントありがとうございます。
定例会の日は、その前夜からとにかくもう無性に嬉しくて嬉しくて
仕方ありませんでした。
定例会1部では皆さんにエネルギーを送ってもらって、久しぶりの
人に会えたり、2部では夫が花束をもらって、ISSINさんが「愛の
うた」を歌ってくれて、Nさんの施術を受けれることになって、・
・・、思っていなかった嬉しいことばっかりで本当にうれしかった
です。
施術が始まってすぐ位に突然注意を受けて、多分そのタイミングと
言われ方にびっくりして、何とも言えず悲しかったです。言われた
ことは本当にその通りでしたし、言い難い所を言ってくれたのだと
思います。でもその言われ方に傷ついたと思います。帰る時には、
その時に何も言えなかったのだからもう気にしないでおこう、と思
っていました。
でも掲示板を部分的に読んだ時にあの日喜んでいた自分が悪かったと殆どパニックという状態になりました。(子供のころ、喜んだらあかん、調子に乗ったら失敗すると言われてきました。自分が自発的にしたことで失敗すると、ほらそうなったでしょ、というようなことを言われ、喜んだらいけないと思ってきました。でも嬉しい時は喜んでしまうから、あの日花束をもらった時から心配になっていました。だからやっぱり喜んだからいけなかったと思ってしまったと思います。)
後で自分でも何でそこまでと思いました。やっぱりあの時のことが気にかかっているからと思いました。それをそのまま書いたらいいと思っても、何か重くてなかなか書けなくて、時期を逸してしまってもう書かない方がいいと思ったりしました。でも気になるし、変形は進んでいくし、どうしたらいいか悩みました。
掲示板に飯沼さんの「定例会以降」というのがあったので、定例会
の後にこういうことがあってこう思ったという形で書けばいい、と
思い、漸う思い切って書き込みました。
内容は当初書きたかったことと違ってしまいました。それでもとに
かくこの日までに書きこんでないといけない、妙な思い方です、そ
う思い昨夜書き込みました。何であんな風に思ってしまったのかそ
の理由を見つけないといけないと一生懸命考え続けて思いついた理
由を書いています。飯沼さんの指摘してくださった通り過剰防衛の自分なりの勝手な理由をつけてしまったと思いました。

あの時、言われて傷ついたと思っている私の気持ちはおかしいですか?。
その場で「ちょっときついよ」と言ってたら大したことなくすんでいたことを後になって言うと過剰なことになってしまって、こういう書き込みになってしまいました。その場で軽く言えるようになれたらと切に思います。その時の嫌な気持ちが残ってなんとかしたくて書き込みました。
あの時言ってもらって気がついて良かったと思ってるのに、後になって嫌だと思っていた気持ちが残っている自分の気持ちが苦しくて、どうにかならないかとの思いで書きこみました。どうしたらいいか、教えてください。

08/04/2009(水) 16:10:41

No.5456  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 定例会以降 引用
今日はもうすぐまた仕事なので、のぶよさんにだけコメントします。
投稿してくださっている他の皆さんには、明日移行に返信しますね。

☆ということで、のぶよさんに

>でも嬉しい時は喜んでしまうから、あの日花束をもらった時から心配になっていました。だからやっぱり喜んだからいけなかったと思ってしまったと思います。

そういう気持ちは分からなくはありませんが、あの日のテーマは「想念が現実を作り上げるのだから、それを意識して、喜びに向けてエネルギーを使っていこう」というものでしたね。
そのラインから、のぶよさんの思い方やエネルギーの使い方を考えてみてください。

>施術が始まってすぐ位に突然注意を受けて、多分そのタイミングと言われ方にびっくりして、何とも言えず悲しかったです
>あの時、言われて傷ついたと思っている私の気持ちはおかしいですか?。


はい、とってもおかしいです。
僕は、のぶよさんたちが施術をしてもらっていたことも知らなかったので、どういう言い方で注意を受けたのかも知りません。
ですが、僕が聞いている話では、のぶよさんが施術を受ける前から何度か注意をしていたということでした。
その人(たち)にしてみれば、埼玉から9時間も車を運転して参加してくれているNさんに施術をさせていることに驚き、何度か注意をしたにもかかわらずのぶよさんが二人目として施術してもらっていることが申し訳なく、いたたまれなかったのだと思います。

それがどんな言い方であったのかは知りませんが、Nさんの疲れや、Nさんは普段仕事でしている施術をするために定例会に参加なさったのではないことに思い至れば、強い口調でたしなめるのも分かります。
「注意しても、お疲れのNさんを、自分の言いように使ってるけど、無神経もいい加減にしなさい!」ということでしょう?
その人のそういう気持ちは、おかしいですか?

その時にのぶよさんが「ちょっときついよ」と言っていれば、「きつく言うのも当たり前でしょ? 何を勝手なことを言ってるの」という展開になったかもしれませんよ。
のぶよさんは考え違いをしているというか、大事なことがまるで分かっていないのです。

僕がもっとおかしいと思うのは、
>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<
という、のぶよさんの思い方、書き方です。
見かねて注意した人の方が、よっぽど傷ついているとは思いませんか?

「のぶよさんにならどう言ってもいい」などと思っている人がいるとでも言うのでしょうか?
のぶよさんに注意をした人がそう思って言ったと、のぶよさんは本気で思っているのですか?
もしも本気でそう思っているのなら、のぶよさんはその捻じ曲がった根性を叩き直さねばいけませんし、過剰防衛で書いたとしたら、「自分は病気だから、人にどう言ってもいい」と思い込んでいるのではないですか?

のぶよさんは、その人がその時にどう言っていれば、心から納得できたのでしょう?
Nさんに対する無配慮を注意したその人に、そこまでの配慮を求めるのぶよさんが、その人に対してどれだけの配慮をして投稿したのでしょう?
そういうのを「ダブルスタンダード(対象によって基準を変えること)」と言うのだと思うのです。
自分が傷ついたと言いながら、それ以上に人を傷つけていることに気づきませんか?

08/04/2009(水) 18:18:09

No.5457  のぶよ
Re: 定例会以降 引用
飯沼さんの書かれていることが事実なら、私も飯沼さんが書かれている通りと思います。
ですが、私は○○さんが施術してもらわれてる間、しばらくは見ていましたが、ずっとはいませんでした。たいていは横の畳の部屋で他の人と話をしていました。なので、○○さんが注意を受けていたことはまるきり知りませんでした。○○さんは注意をされなかったのに、私だけが注意を受けたと思いました。
○○さんが私に「のぶよさんもしてもらったら」と言って勧めてくれて、喜んで施術を受けました。その間○○さんは横にいて見守ってくれていました。
注意をけているのに他の人に勧めるなんてことがあるとは露ほども思いませんでした。

私にはなぜ○○さんがこのような対応をされたのかわかりません。もし私の言ってることがおかしいと思われるなら○○さんに確かめてみてください。

08/04/2009(水) 19:33:29

No.5458  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 定例会以降 引用
☆のぶよさん

>なので、○○さんが注意を受けていたことはまるきり知りませんでした。○○さんは注意をされなかったのに、私だけが注意を受けたと思いました。

はい。
そうだったのかもしれないとは思っていました。
しかし、そうだったとしても、大筋では何も変わりません。

それに、のぶよさんは施術をしてもらうことをいきなり勧められたのですか?
それとも、先に施術を受けたはるさんの次にしてもらうことになっていたのでしょうか?

いきなり施術を勧められたとしても、その時点で、「長時間の運転でお疲れでしょうし、こんなことをするために定例会に参加なさったのではないと思いますし」と、辞退すればよかっただけのことなのです。
違いますか?

その時にそういう配慮ができなかったことは致し方ないことだったとは思います。
しかし、自分の無配慮を恥ずかしく思っているならば、もしも多少きつく注意を受けたにしても、今のような恨みがましい気持ちになること自体がおかしくないですか?
僕がもっとおかしいと思う事実は、

>私は自分が悪いという思いが念エネルギーになっていて、それを感じた人に私にならどう言ってもいいと思わせてしまっているのかもしれない<
という、のぶよさんの思い方、書き方です。
見かねて注意した人の方が、よっぽど傷ついているとは思いませんか?

「のぶよさんにならどう言ってもいい」などと思っている人がいるとでも言うのでしょうか?
のぶよさんに注意をした人がそう思って言ったと、のぶよさんは本気で思っているのですか?

何度も言いますが、のぶよさんは「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛によって、人との関わりを損ねているのです。
人との和を壊してでも、「自分は悪くない」という主張を最優先にしているのです。

のぶよさんの投稿に一貫しているのは、「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛だと気づきませんか?
今回の投稿では、「○○さんが悪い」かのような書き方になっています。
「自分は○○さんに勧められて、Nさんの施術を受けていただけなのに、きつく注意されて傷ついた」といわんばかりです。

>もし私の言ってることがおかしいと思われるなら○○さんに確かめてみてください。

ということは、のぶよさんの言ってることはおかしくないと、のぶよさんは思っているということですか?
注意をした人の言い方ががおかしかった、○○さんがおかしかったのだということですか?
この一連ののぶよさんの投稿に書いていることが、のぶよさんは自分ではおかしいとは思えていないということなのですか?

どうやらそのようなので、のぶよさんは大事なことがまるで分かっていないと言っているのですよ。

何度も言いますが、のぶよさんは「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛によって、人との関わりを損ねていることに気づいてほしいのです。

>注意をけているのに他の人に勧めるなんてことがあるとは露ほども思いませんでした。

こういう書き方が、人を激しく傷つけるとは思いませんか?
僕が言っているのはそういうところなのです。

09/04/2009(木) 03:45:16

No.5459  のぶよ
Re: 定例会以降 引用
施術してもらったことでNさんに負担をかけて申し訳なかったと思っていることは、前にも書いていますし、あの時注意を受けたその場でNさんにお詫びしています。
注意を受けたことについても、言い難い所を言ってもらい、私の気付かなかったところと言ってもらい、あれ以上Nさんに負担をかけることにならなくてよかったと思っています。
なので、もうその件で書き込みはしない筈でした。
でも掲示板を見た時にパニックに陥ってしまい病状が進んでしまい、原因をいくら考えても分からなくて、とりあえず書きこんだら何か突破口になるかもしれないとの願いで書き込みました。
その時の経過に関しては飯沼さんの書かれているのとは違っています。私は知らずにしてもらったことを私が知っててしてもらっていることになっているので、それは辛いです。
言い訳と取られるのは嫌ですが、その時の経過については説明させてもらいたいです。
事前に確かめなかったのが悪いと言われますが、知らなかったとしても確かめなかったのはよくなかったと、その通りと思います。それに関してはお詫びします。

あの時、○○さんが施術を受ける前に○○さんから「施術してもらうから次にしてもらったら」ということを言ってもらってました。定例会では、前に飯沼さんも書かれてたとおもいますが、その場の話の流れでしてもらうということはあると思うので、今回もその場の話の流れで施術してもらうことになったと思いこんでいたと思います。前にも書きましたが、○○さんがNさんの所まで行って頼まれてたということは知らなかったし気が付きませんでした。私は座っていた席の近くの人と話をしている時に○○さんに声をかけられて○○さんの方へ顔を向けたと覚えています。
私が施術してもらう前に、Nさんに「私はリューマチですが施術してもらってもいいですか」と聞きました。「大丈夫ですよ」と言ってくださり、受けることになったのでした。
Nさんが車で9時間かかってこられていたことは、前にも書きましたが、施術が始まってすぐに注意を受けてNさんに聞いて初めて知りました。車で9時間というのは大変だと思いNさんに申し訳ないと思い、すぐにここまででいいです、と言いました。それでもNさんは区切りの所までして下さったのです。
その日のうちに帰られるということもその時聞いて初めて知りました。
泊っていかれたら、と言いたかったですが、主催者で無い私が言ってもいいか迷って言えませんでした。後で他の人も交じって話してる話の流れで泊っていかれたらと言いました。
2部の初参加の方の挨拶の時にNさんが埼玉から来られてることは聞いたので知っていました。でも、いつも埼玉から来られてる方は公共の交通機関できて泊っていかれてるので、漠然と同じようなのかと思っていたと思います。なので「車で9時間です」と聞いてびっくりしました。
「露ほども思いませんでした」という表現の仕方の悪さはすみません。なんであれほどきつく注意を受けたのか、而も私だけ注意を受けたと思ったのか、と何回も何回も考えてるのに、○○さんが注意を受けていたかもしれないと1度も思いつかなかったので、何で思いつかなかったのだろうかという思いで書きました。1度でもそう考えてたらこんなに悩まなかったかもしれないのに、と思いました。

「辞退すればよかっただけのことなのです」
と書かれてますが、その時の成り行きやNさんの事情を知らなかったのでそのまま受けてしまったのですが、知っていたら辞退していたと思います。してもらいたい気持ちはありましたが。1部の時にNさんが「整体師をしています」と言われていたのを聞いて、話を聞けたらいいなとは思っていました。これまでにもNさんと同様の職業の方が来られてることはありますが、ここに仕事で来られてるのでない人にして下さいと頼むのはしてはいけないと思ってきました。
でも遠くから車で9時間もかかってこられたその日のうちに帰られる初参加の方に私も負担をかけたのだと思い、Nさんに申し訳なかったと思っていたので、最初の書き込みではそう書きました。
それでもパニックになってしまって、パニックになる原因がどうしてもわからなくて、今回の書き込みになりました。
Nさんへの配慮が欠けていたと思いますし、前にも書きましたが、それで注意されたのだと思っていますし、言い難い所を言ってもらったのだと思っています。

09/04/2009(木) 12:59:44


No.5454 さいこ  
遠隔ヒーリングのお礼と報告 引用
こんにちは。
飯沼さん、さきさん、お礼とご報告が遅くなってすみません。

お陰様で、腰の痛みは全く無くなりました。
ただ無理をしないように気をつけてはいます。
3月の初め頃に会社でギックリ腰になってしまいました。
何とか歩けていたのですが、まだ症状が軽いうちにエネルギーを送ってもらって治したいと思い、翌朝遠隔ヒーリングをお願いしました。
その日は会社を休んで1日寝ていました。
その日お風呂から上がってから、腰の痛みが楽になっているのに気づきました。
「すごい!!」長期治療を覚悟していたので嬉しい限りでした。
翌朝も昨日よりも明らかに楽になっているのが分かりました。
日に日に良くなっていって結局一週間くらいでほぼ完治しました。
ありがとうございました。

腰の痛みも無くなったので翌週には福島県まで叔父の葬儀に参列する事ができました。
伯父の最後の様子を少しご報告させていただきます。
伯父は元気な時よりはずいぶんと痩せて小さくなっていましたが、安らかな顔でした。
亡くなる数時間前に病院に泊まりこんで看病をしていた叔母が「お父ちゃんもう消灯時間だから寝ようね」と言って叔父の顔を両手で撫でたそうです。
すると伯父も手を伸ばして、同じように叔母の顔を両手で撫で返したそうです。
いままでこんな事をしたことなかったのに…と叔母は思ったそうです。
そしてその数時間後、眠るように静かに息を引き取りました。
伯父は十二指腸乳頭癌という病気を患っていました。
抗癌剤の治療も「あんな苦しいのは嫌だ」と言って断ったそうです。
二月の初め頃に体中に黄疸が出て入院、余命1ヶ月、もっと早いかもしれませんと医者から言われました。
82歳という高齢でした。従姉から私の所へ「こんな状態だから、いつどうなるかわからないから覚悟しといてね」と連絡が入りました。
私は飯沼さんに遠隔ヒーリングをお願いしました。
正直私の気持ちの中で高齢だしもう駄目かもしれない…忙しい飯沼さんの手を煩わすだけかもしれないと躊躇しました。
その気持ちも伝えて飯沼さんにメールしました。
飯沼さんから「僕は地上的に治すことだけが役割ではないと思っているので、どんな状況の方でもヒーリングをさせてもらえるのは嬉しいです」と返事を頂きほっとしました。
さきさんにも温かい気持ちのこもったメールをもらって安心しました。
伯父の身体は、一時は回復の兆しも見えて良かった!と思っていたのですが、急に気力がなくなって食欲もなく、少しでも動くとしんどいといった感じだったようです。
でも不思議と痛みはない状態でした。
飯沼さんには、痛み止めの点滴したとお知らせしましたが、伯母に確認してみるとそんなにたいした痛みでなく、モルヒネも使わなかったと…痛みはその1日だけで後は痛みを訴えることはなかったそうです。
葬儀にはたくさんの村の人たちに参列していただき、労いの言葉、感謝の気持ちを伝えて下さいました。
伯父は長い間、村の議員を務めていました。議会では弱者の側にたって随分と激しい論争をし、正しいと思ったことには一歩も引かず、相手が村長であっても意思を通してきたようです。
村の人たちの中には、伯父のことを厳しい人と敬遠する人もいたようですが、家での伯父は普通のお父さんといった感じの人です。
私も子供の時は、おっかない、厳しいというイメージをずっと持っていましたが、大人になるにつれて、ユーモアのセンスがあって優しい人だと分かるようになりました。

飯沼さんが伯父にエネルギーを送って下さった時間が、伯父が息を引き取る少し前だったと聞いて、本当に安らかに地上を離れることが出来たんだ…。
寂しいとは感じましたが、これでよかったのだと思いました。
これからも年に1度は福島に帰って、子供の時から慣れ親しんだ伯父の家で、親戚たちが集まってわいわい言って楽しみたいと思います。
それが伯父に対するいちばんの供養になるような気がします。
飯沼さん、さきさん、本当にありがとうございました。

08/04/2009(水) 15:31:33


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