「デヴィ夫人が右翼の街宣車に植木鉢を投げつけた」というニュースがあったので、ブログをみてみました。 デヴィ夫人が北朝鮮を訪問したことに絡む騒ぎだったようです。
デヴィ夫人は僕が子供の頃は、インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人でした。 僕が中学生の頃、そのインドネシアでクーデター騒ぎや内乱が起き、スカルノ大統領は失脚します。(1965年だったらしいので、僕はまだ小学生だったかも?) その内乱は、アメリカやイギリスが裏で共謀していたことが機密文書などから確定されています。 その後、共産主義者やスカルノ支持者の市民が50万人以上も殺されるという大虐殺が続きました。 虐殺した側の将軍はその後30年間にわたって、親米政権の大統領としてインドネシアに君臨しました。
そういう歴史を生きてきたデヴィ夫人のブログ、昨日と今日の記事をざっと読んだだけですが、興味深かったです。 かなり衝撃的な写真もアップされていました。
@ttp://ameblo.jp/dewisukarno/ (@をhに変えてください) |
21/04/2009(火) 23:02:08
No.5526 春が来る |
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デヴィ夫人のブログ、拝見しました。
ひとりの女性に対して、屈強な男性が多数、力ずくで抑え込む様子に、野蛮さと卑劣さを感じ、暗い気持ちになりました。 この一件でも、じわじわと言論統制の動きが拡がっていることを感じます。
教育現場でも自由が失われていっていることを知り、ドネのSNSやブログにも書いた内容ですが、少しでも多くの人に知っていただきたく、こちらにもご紹介させてください。
その先生は、今年3月まで、都立高校の校長先生でした。 その土肥信雄先生のことを知り、関心を持ったので、岩波ブックレットの「学校から言論の自由がなくなる」を読みました。
現職の校長として、東京都教育委員会に、おかしいと思う処を勇気を持って発言されてきた土肥先生。
私は、何かに異議を唱える時、声高に発言する人は苦手ですが、土肥先生は、いたって温厚で、平等を尊ぶ方です。
土肥先生は、大学紛争の真っ只中、東京大学に入学されますが、紛争に参加する学生の意見には共感しながらも、酒乱の父を見て育った先生は、非暴力主義で、紛争に加わることはなかったそうです。
仲間の中には、そのまま大学を卒業して権力体制の側に取り込まれていくことを拒否し、中退した人もおられるそうです。 「でも、私にはその勇気がありませんでした。東大卒というレッテルを捨て切ることが出来なかった。そんな後ろめたさが、今でもあります。」と先生は言われます。
その後、大手商社に就職された土肥さんは、そこで、所属する課が談合(ヤミカルテル)に参加していることを知り、その不正を上司に訴えられます。しかし、上司には、まったく取り合ってもらえず、「ここは自分がいる場所ではない。」と考え、その会社を去られたのです。
そして、もともと子供が大好きだった土肥さんが目指されたのが教員だったのです。
写真を見ても、とても穏やかそうな土肥さん。正確には、土肥先生と呼ぶことが出来なくなりました。都教委を批判した土肥さんは、定年後の再就職として、非常勤教員に応募しながらも、ほとんどが採用される中で、不採用になり、この3月末で教員を辞めざるを得なくなったからです。(これは、「みせしめ」との意見があります)
では、何故、温厚な土肥さんが都教委を批判されたのか? それは、教育現場で、次第に言論の自由がなくなってきたと感じられ、危機感を持たれたからです。
段階を追うと、
1998年、都教委は職員会議を校長の補助機関とする通知を出しました。それまでは、職員会議の議決などによって、学校の運営方針が決定されていたのです。しかし、これ以降、職員会議の役割は、教職員への報告、意見聴取などに限定されます。
2003年、、都教委は、入学式や卒業式の「日の丸・君が代」の扱いについて、「国旗は壇上の正面に掲げなければならない、国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならない。」という通達を出しました。 これに対して、都立高校の教職員が通達に従う義務がないことの確認を求めて訴訟を起こします。2006年、その訴訟に対して、東京地裁は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」という判決をくだします。
上の様な判決が出たにもかかわらず、都教委の言論統制は強まります。
私は、日本人であることを誇りに思っています。 しかし、大戦の反省から、「国旗、国歌」の扱い方にいろいろな考え方がある中で、それらに対して、自由な議論が出来なくなることを危惧します。
そして、2006年4月、都教委は「職員会議で、挙手や採決などの方法で教職員の意思を確認してはいけない。」という通知を行ったのです。
それまでは、通知にやむを得ず従っていた土肥さんも退職を目前にしながらも、都教委の締め付けに危機感を抱き、声を上げられた、ということなのです。
土肥さんは、この様な上意下達から教育は生まれないと言われます。
教員は、一方的に生徒に教えるのではなく、生徒からも、多くのことを学ぶ。そして、校長は生徒一人ひとりに直接向き合っている現場の教員からたくさんのことを学ぶ。もちろん、校長も、生徒から学ぶ。この様な相互の協働関係が教育だと思うと言われています。
学校によって、いろいろ特徴があり、生徒も様々だと思います。 職員会議は、生徒達と接する先生方が、生徒の様子を見ながら、教育方針を考え、話し合う場であって、以前はそうだったようです。
しかし、最近は、都教委の通知を校長先生が先生方に対して「通達」する場になっているというのです。 その様な中で、最近は先生方の間に「何を言ってもしかたがない」との空気が広がり、先生方のやる気さえ奪っている、ということです。
東京都国立市では、、校長の独断で日の丸が掲揚されたことに対する抗議の意思を、ぎりぎりの手段で示すものとして「ピースリボン」と呼ばれる青いリボンをつけた先生がたが、「職務専念義務違反」にあたるということで、訓告あるいは戒告処分を受けました。
反対のプラカードやハチマキのような伝統的な抗議のシンボルばかりでなく、こうしたものまでが処分の対象になることは異常だと思います。
こうした流れは、全国にも波及しつつあるようです。
土肥さんは言われます。
『歴史的に見ても、言論の自由を認めない国家や社会、組織は必ず崩壊します。しかも、崩壊の過程で、最もつらい目に遭うのは、社会的な「弱者」なのです。生徒達の将来の幸せにとって、基本的人権の尊重や言論の自由は。絶対に必要な条件なのです。』
土肥さんが、最後の卒業式で生徒たちに話された事は、基本的人権の尊重と平和主義だそうです。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、心の中に平和の砦を築かなければならない、と。
今回の デヴィ夫人や土肥さんの「事件」が「みせしめ」となり、委縮したムードが周りに拡がることを危惧します。
自由にものを言えない、戦前のような言論弾圧の時代を再びたどることがないように、と願います。 |
22/04/2009(水) 12:12:39
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