☆☆ 愛は時空を超えて 41 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼) おーい、クゥ、こんばんは。
克子)はーい、まーたん、こんにちは。 はじめに今回も「先日の定例会における『(地の)岩戸開き』、おめでとうございます」と言わせてくださいね。
飯)はーい、ありがとうね! 皆さんと一緒にそう出来たようで、よかったと思ってる。 自分的には、実感としてはまだよく分からないんだけど、とにかくよかった(笑) 「地の岩戸開き」と「念」エネルギーの使い方が実は深く関連しているということはしっかり分かったしね。 特にさきさんには大きな変化が現れ始めているようだし、これからが楽しみだわ。
克)はい、こちらも楽しみにしています。 今回のことは、あなたが掲示板でも何度も解説を加え、「念」というものについての実地の体験も共有できたでしょうから、ここでは繰り返さずにおきます。 ただ、エーテルエネルギーというものと念のエネルギーはイコールではありません。 エーテルエネルギーは、念のエネルギーとしても使われているということです。 エーテルエネルギーは、いわば未分化の「エネルギー素」として、物質次元のあらゆるところに充満しているのです。 「エネルギー素」という表現をしたのは、それはそのままではただ「在る」だけで動きもなく、情報や目的も備えていないからです。 ですから、霊的エネルギーとは全く異質なエネルギーです。
非常に不十分な表現になりますが、あえて言うならば、霊的エネルギーは質であり、エーテルエネルギーは量としての性質が大きいのです。 使う者の思念や欲求次第で、いかようにでも使うことができるということです。 それは人間だけが使っているのではなく、地上のあらゆる生命体が使っているのです。 生命体以外の物質であっても、エーテルエネルギーを纏(まと)っていますが、この説明は省きます。 その意味では、物質界に存在しているものは全てつながっていると言えるのです。 それは不思議でもなんでもなく、エーテルエネルギーを素にして(使って)物質界が形成されたということです。
私とあなたが受信した「地上人類の歩み」にあるように、かつて、猿類から進化しつつあった「ヒト」とは別に、霊界から直接地上に赴いたムゥの「人」たちは、その初期においてはエーテルエネルギーによって物質化した肉体をまとい、必要な物質を思念によってエーテルエネルギーから合成していたのです。
当時のムゥは(地球霊界を形成した霊たちが織りなす)霊界の写し世(ミニチュア)として作られたので、さまざまな段階や傾向における霊性の違う者たちが住まう島国でした。 当初はやはり霊界と同じように、それぞれの霊性・霊的傾向によって棲み分けていました。 彼らは島の中央の美しい姿の山を中心として、等高線を描くように集落を作り、異なる霊性の者たちが入り混じることなく、霊的秩序による調和のもとに暮らしていたのです。 島の北側は荒地でしたが、それ以外のところに、霊性の高い者たちの集落から順に、同心円状に広がっていたのです。 霊界においては、今でも自分の霊性にふさわしい階層でそれぞれが棲み分けて暮らし、指導や学びのための交流はありますが入り混じって暮らすことはありません。 大いなる神はもちろんのこと、神々や高級霊になれば、必要な場合以外は霊体すらまとわず、意識そのものとして存在しています。 霊性による階層の違いは厳然たるものですが、それは地上で想像するような上下関係などではなく、ある意味もっと絶対的な違いがありながらも、柔和で調和そのものの美しい秩序です。
霊界、(ここでいう霊界とは当然ですが本来の霊界のことであり、幽界や暗黒界は含みません)、においては、霊的エネルギーが全てであり、その精妙さ・輝きの違いはあるにせよ、全ては摂理に沿った使われ方をしています。 エネルギーをより大きく深い愛・より精妙でスケールの大きな摂理に沿って使っていく学びこそが、霊界の住人が生きる意味なのです。 どんなに低い階層であっても、本来の霊界の住人は皆が、他の喜びを自分の喜びとして生きているのです。 ですから、他界した人の気持ちや願いが、地上に生きていたその人の延長上にあるかのように伝える「霊能者」は、「霊能者」自身の霊性の低さが妨げとなって、本来の霊界にはつながっていないということです。
「この地上に富(財産)を蓄えてはいけません。富は天に蓄えなさい。あなたの富(持ち物)のあるところに、あなたの心もあるのです」とイエスが教え、シルバーバーチ霊が「地上で財産を蓄えた者は、死後何らかの責任を問われる」と伝えているように、本来の霊界ではエネルギーを自分だけのために使ったり、集めることなどありえないのです。
本来の霊界のどんな傾向のどんな階層でも、それは同じです。 エネルギーの使い方が摂理に沿っているから、霊界には病もトラブルもないとも言えるのです。
今の地上界は、さまざまな学びの段階やさまざまな傾向の魂が混住しています。 学びの段階が異なるということは、地上でのエネルギーの使い方、つまりどう生きるかという目標が同じではないということです。 ですから、二人の人が同じ不完全な想念を抱き、同じ行為をしたとしても、魂の学びの段階が違えば、一人の人にはそれが病の原因になり、もう一人の人にはさほどの過ちではない場合も少なくありません。 地上の人間の魂の学びの段階の違いは、決して小さいものではないのです。 教師役もいれば校長格の霊もいますし、生徒も大勢いるのです。 今まではあなたもその差異をあえて小さめに認識しすぎていました。
飯)「ひふみ神示」に、「今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。」と伝えられているが、「上中下」というほどの違いがあるんだろうか? 僕は、「同じ物質の肉体に宿れるのだから、地上の人間はみな同じようなものだ」と思ってきたんだけどね。 もともとの違いよりも、地上でどれだけ自らの霊性を発現できているかの違いの方が大きいんじゃないかって。
克)そうですね。 それは「魂の学びの段階(素質)と発現の現状」というべきもので、地上ではそこがなかなか複雑ですからね。 そこに深入りしても、ほとんどの人には分からない話になってしまうので、ここではごく簡単にお伝えしておきますね。
「三段階」というのは、誤解を招きそうですが、ある意味では分かりやすい表現ですね。 魂とは意識であり、その学びの段階は「その魂が総て・全体のどこまでを意識できているか」に表れるのです。 もちろん、大いなる神の意識は「総ての全てを究極の細部に至るまで」であり、同時に「神は全存在」でもあります。 ですから、大から小まで、過去から未来永劫まで、存在の全ては神の中にあり、神の一部なのです。 話を変えましょうね。
まず、第1段階の魂は、相手や周囲の人たちへの共感が非常に薄く、同情心もあくまでも自分の側から抱くしかできない段階です。 相手の状況によってではなく、「自分が可哀想だと思う相手」が可哀想なのです。 自と他を置き換えて考えたり、相互性ということに実感が持てない段階です。 人の痛みや苦しみを感じ取ることができないのですが、それは麻痺しているのでもなく、遮断しているのでもなく、分からないのです。
その段階の人間はあらゆることを自分の側からしか考えられず、自分の側からしか思えず、自分の側からしか感じることができません。 その段階の人間にとっては、「自分が全て」なのです。 その人としてのかげりは当然あるのですが、だからといって、そういう人間がもともと邪悪だというわけではありません。 自分の側からの善意を高めきることによって、その人として十分に輝きを発揮することができるのです。 何かあったときに、「自分が間違っていた。自分が悪かったのだ」と素直に思えるかどうかから始めることになるでしょう。 その段階ですから、それで構わないのです。 もちろん、相手や周囲の人たちとの相互性に意識を広げていくことがその人にとっての魂の成長ですから、地上でのさまざまな経験の中でそれを目指すのです。
第2段階の魂は、「自分や相手や自分の直接的な周囲」が、その人にとっての(具体的・実質的な)意識の全体です。 今の地上ではそういう人が大多数ですね。 その人たちは本来ならば、自分が直接的に関わる相手や周囲の人のことを自分のことのように思いやって、不調和があれば調和に向かわせ、嬉しい関係を築き上げていくのです。 そして、もっと大きな全体にも意識を広げ、自分の周囲の人たちにしているように、手を差し延べ、喜びをもたらしていくのです。
この段階の人でも、心をかげらせ、無意識の内に念のエネルギーを歪めたことによって、人の痛みになどお構いなしに「全てが自分」の状態に陥ってしまう場合もあります。 しかし、その歪みが矯正されれば、すぐに別人のように豊かな思いやりを発揮し始めることになります。 そこが第1段階の魂と違うところです。
第3段階の魂は、文字通り「皆」が全体です。 本来の「全体」とは、マクロもミクロも含んで、しかもそれら全てはつながっています。 それでこそ、「皆」なのです。 そこにおいても、どこまでの「皆」を全体として意識できているか、自分を役立てようとするかによって、その魂の学びの進化度が表れます。
しかし、地上でその魂の全てを表現できる人は皆無でしょう。 学びの段階の浅い魂にもそれなりに制約はあるのですし、学びの進んだ魂ならば大きく意識の次元を下げなければ、地上のありように馴染むことすら難しいのです。 そしてそれぞれが、過去世のカルマや課題に照らして必要な幼少期の設定や、その後の人生に起きる事柄が計らわれていきます。 どんな学びの進んだ魂であっても、肉体を持った人間としての意識の層がありますから、それ相当に傷ついたり、心をかげらせたり、頑なになったりもするものです。 それによって、さらに本来の自分の魂にふさわしい考え方や感じ方や言動ができなくなってしまう場合も珍しくはありません。 それに加えて、幽界や暗黒界からの影響を受け、地上のかげりのエネルギーの影響や関わる人間の想念の影響も受けているのですから、実際にはさらに複雑になっています。
ですから、その人の今や今までを見て、その人の魂の進化の度合いを判断することはできませんし、それは人間がすべきことでもありません。 ですが地上には、大きく分けて3段階の進化の程度の魂が同じ人間として混住していることは事実です。
そして、これは例外も多々あるのですが、概していえば、今の地上では霊性の低い者たちや自らの霊性を閉ざしている者たちの方が、地上的な物的エネルギーに馴染みやすく、大きく使うことができているのです。 地上人類の役割は、物質次元の地球という星を、神の御心(摂理)に沿った秩序に調和していくことです。 凝集の方向性を持った物質を、神に向かって解放された意識によってコントロールし、意識が物質を解放していくこと。 それによって、物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。
これは地球という星が誕生した時からの神のプログラムであり、人間がいかに抵抗しようとも、最終的にはそのプログラムが実行されることになります。 今のように、地上のいたるところで物質や金銭をめぐっての格差が広がり、物質や金銭が人々の心を極めて不自由にしてしまうことも、当初から織り込み済みの計画でした。 そして、今、物質や金銭による支配が最終段階に入りかけたこの時に、あなたがた人間がどうしていくのかが問われているのです。 言うまでもなく、あなた方の魂はその答を知っているのですし、絶えずあなたがたに働きかけているのです。
話を「念」に戻しますが、「何がなんでも自分の思い通りに」という、躊躇のないストレートな念は、大量のエーテルエネルギーを取り込んで使い、欲求を実現させていきます。 今の地上界は、主にそういう霊性の低い者たちによって支配され、「我よし」の秩序が形成されています。 そういう現状ですから、相手や人の痛みを自分の痛みとして感じ、「自分も相手も皆も幸せに」と願える者たちが、今の世を牛耳っている者たちをはるかに凌駕するエーテルエネルギーを取り入れ、使いこなしていかねばなりません。 霊的エネルギーと欲求(念)のエネルギーが融合してこそ、自分にも皆にも嬉しい物質世界が実現するのです。
念のエネルギーは、本人が全く意識できていない使われ方をする場合もよくあります。 ほとんどの人が、幼い頃の境遇や抑制してきた思い(反感)によって、無意識の内に念エネルギーを歪んだ使い方をしてしまっています。 それが実際の病の原因になったり、トラブルや人間関係の軋轢になっている場合が非常に多いのです。 病もそうですし、健やかではない、どこか不自然な表現には、その人の歪んだ念が使われていると考えてよろしいでしょう。 これは直接ヒーリング・カウンセリングや、一定期間の遠隔ヒーリングを受け、アドバイスのメッセージを受けることで、今のうちに是非とも解消していただきたいと思います。 それが無理な人は、自分のエーテルエネルギーの取り入れ量を大幅に増やし、それを自分にも相手や皆にも嬉しいように使おうと、ひたすら念じながら、実際にそうしていくことです。
それでこそ、ひとりひとりの「地の岩戸開き」となるのです。 霊的エネルギーと地上的な欲求(念)のエネルギーが融合すれば、今のあなたがたには想像もできないような地上界が形成され始めるでしょう。 病や物質や金銭をめぐる格差や不安や、人間関係のトラブル、社会の矛盾も全てが喜びに昇華していくのです。 地上界の浄化に伴う激変が、地上の人々にとっては大きな艱難(かんなん)となる可能性が高い現状です。 私どもは、今こそあなたがたが目一杯に自らの霊性を開き、同時に物質や現実に直接作用するエネルギーをどこまでも高めて、喜びの中で新しい地上界を構築していっていただきたいと強く願っています。 あなたがたがその役割を果たすことを強く意志し、それを自らの喜びとして意欲と欲求としていくならば、私ども霊界側は援助を惜しみません。 今の時点ではそう思えない人は、その人なりの歪んだ念が妨げになっているからだと思ってください。 その念こそを本来の使い方に戻していく時期なのです。 どうぞ全ての人が心を響かせあい、手を携えて、新しい地上界を作り上げてくださいますように。
飯)はい、お疲れさま。 掲示板にも書いたけど、先日の定例会の翌日に、さきさんが実際にはそこになかった「地楽」というお酒のビンを確かに見たことの意味はなんなのだろう? 「天楽」というお酒は実際にあったんだけど、「地楽」は5年前にすでに製造休止になっていて、その場になかったことは間違いない。 さきさんの思い違いかと思ったが、話を聞けばそうではなかったことも明らかだ。
克)あれは、さきさんが見ただけではなく、実際にその場にあったのですよ(笑) 残念ながら、物質化が不十分だったので、さきさんにしか見えなかったのも事実ですが、さきさんは見ただけではなく、実際にそのビンに触れています。 以前にお伝えしたように、さきさんは高い次元の霊界にも共鳴できていますし、地上的なエネルギーもとても強い人です。 しかも、地上的にも「喜びの人」ですから。(笑)
そのさきさんには、高千穂で「地の岩戸開き」の神事(かみごと)とを担った(魂の)喜びと、定例会での自分としての喜びが共鳴していました。 そしてその喜びが、定例会の時のエネルギーの取り入れや共鳴等によって、さらに融合して高まり、不完全ではありましたが物質化現象を起したのです。 まあ、今回は「地の岩戸開き」のお祝いに「地楽」のお酒という、霊界側の計らいという面も強かったのですが、さきさんが自信のなさを少し払拭し、物質を求めることへの制限も少し薄くできたことによって成立した現象でした。 さきさんはもともと念のエネルギーの使い方の歪みが少なく、修復も早い人です。 自分としての物質への執着もほとんどありません。 むしろ彼女の場合は、物質への欲求の制限が身に染み付いていることの方が問題でした。 それが多少解消されたことで、エーテルエネルギーを使っての物質化がしやすくなったのです。 緊張は禁物ですが、これからもおおらかに挑んでいってくださいね。 あなたがたの場合は現象を起こすことが目的ではなく、あまねく与えていくことが目的ですから、さきさん自身がもっとおおらかに与える(振舞う・奢る)ことに慣れたほうがよいでしょう。
悠々塾は地上界の雛形ですから、さまざまに得意分野を持つ人たちが配剤されています。 さきさん以外にもこのような現象を起こすことのできる人はすでにいるのです。 霊的エネルギーとエーテルエネルギーの融合による、奇跡のような病の治癒と両輪になっていってくれることを願っています。 それでこそ、実際的に地上界の霊性進化のけん引役の役割を果たしていけるのです。 そのためにも、ひとりひとりの念の歪みを矯正し、健やかな喜びの実現のために、限りなく使っていっていただきたいのです。
飯)はいよ、ありがとうね。 今回は僕の出番がなかったけど、大事なメッセージだったと思う。 なんだか楽しみだ。
克)はーい、まーたん、お疲れさまでした。 (2009・4・15) |
15/04/2009(水) 20:07:54
| No.5518 さき |
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ぬまさん、受信お疲れ様でした。 なるほどなぁと納得しつつ、とても興味深い内容で、この時代にこういう通信が読めるってありがたいなぁとしみじみ思いながら読みました。 今更ですが「ぬまさんありがとうございます」と言いたくなりました。 あらためて悠々塾ってすごいところだと思いました。 この通信もいずれ冊子にしていきたいですね!
この前の定例会を契機に意識にあがった念のエネルギーを、なるべく歪ませずに、しっかり求め取り入れて、自分にもみんなにも嬉しいように、みんなの喜びのために使っていきたいです。 自分のことも話題になってますが、これまでだったら拒否反応と緊張で固まりながら読んでたと思いますが、今回はなんだか人ごとみたいに(客観的に、心を固めたり揺らさずにという意味です)淡々と読みました。 あの時の「地楽」の存在感はどう考えても確かで、どう考えても否定できないからですね。 私って地上的ですね。笑 自分で地上的なエネルギーが強いって思ったことないですが、考えたら確かに理屈(理性)よりも、最終的に言動にする選択のスイッチは自分の実感や直感や感情優位です。自分としての気持ちや実感をともなわないと理性が働きにくい。危ないですね。笑。だから自分の感情で客観的事実が見えなくなる時もよくあるし。。ぬまとは持ち味が違いまーす。まぁだからこそ補完できるところもあるんだと思って、喜びのなかで働いていきたいです。
>物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。 夢みたいだけど、そうなった地上界を見たいです。 どんなに美しいでしょう。それは肉体をまとった地上の霊である私たちにしかできないことですよね。この場の皆さんとともに、この時代この地上に生まれた私たちの魂の意志に沿って、ともにそこに向かって歩んでいきたいです。 |
16/04/2009(木) 00:01:00
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