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No.5326 飯沼 ホームページ E-mail
「古事記を読み解く」・前文 引用
☆数年前に克が受信した「古事記を読み解く」を掲載していきます。
残念なことに、全部を受信することなく克は霊界に戻ってしまいましたが、それでも十分に意味のある仕事をしたと思います。
これを受信した頃は、出血も始まり、克の体調が厳しくなってきていました。
そういうなかで受信を続けた克の様子を思い出すのが辛くて、長い間、私自身もこれを読み返すことを避けてしまっていました。
しかし、今回高千穂に行くにあたって読み返してみたら、改めてその内容のすごさに驚嘆させられました。
まずは前文として受信したものから掲載していきます。
。。。。。。。。。。。。。

      「古事記を読み解く」

ここに伝えられている“文章”、語り継がれてきた“文章”を読み解くのは綴られている言葉を訳することとは違います。
 文章の奥にある隠された意味を明らかにし、語り継ぎ伝えようとした真意を、改めて表に出すためです。
 国の創設にあたっては、権力者に不都合な記述や箇所は改ざんされます。当時の“今”を肯定、補強するための材料として古事記は使われました。不都合を都合良く変えていくことで、人々の記憶や伝承に影響を与え、意図、意向に添わせていくためです。本来伝えられるはずの事柄を封じ、消し去るためです。

 古事記はこの国の成り立ちを示すもの。だとすれば国造りの経緯は権力者主体に語られます。従わない、逆らう者たちは当然ながら「悪しき者」として扱われます。
 しかし、文章の奥に隠れるようにして伝えられてきたものを表に出すことで、この国がいかにして“創られたか”この国に引き継がれるはずのものは何だったのかを再提示できるでしょう。それは同時に、これからこの国が目指すべき方向性を示すものでもあります。
 古事記を読み解くにあたっては、土着の日本人に多大な影響を与え、共存と繁栄の縄文時代を築くうえで、精神的・文化的礎地をもたらした「人々」を無視することはできません。なぜなら、国家の成立とは、縄文と弥生との入れ替わり、弥生による縄文の駆逐だからです。
 では、縄文の繁栄を担った「人々」とは誰か、どこから来たのか―――。

 私どもは彼らを「ムゥ」の末裔と呼びます。伝説上の、あるいは想像上の“くに”と言われる「ムゥ」に、縄文繁栄のルーツがあるのです。「ムゥ」に関しては、実証・証明がまだできておりません。ゆえに、読み解かれたものに抵抗感・違和感・不信感を持つ人もいるでしょう。「ムゥ」に関わる記述があっても、それを受け入れることを強要致しませんし、最後まで納得できなくても構いません。しかし、読み解きを進めるに際しては必要な要素なのだと認識してくだされば十分です。 
 「ムゥ」についての概要をここでお伝えし、それを前提として、読み解きを進めます。

***ムゥについて***

猿類からの進化によって「ヒト」となった人間ではなく、物質化によって作られた肉体に霊魂が宿ることによって地上に現れた「人間」が作った“くに”。もちろん、途中からは男女の交わりによる妊娠・出産を経る「誕生」に変化し、血は引き継がれるようになる。「ヒト」とムゥの「人間」は、あまりに違いすぎていたために、全く接触がなかった。

 ムゥの位置は、太平洋の西域、赤道のやや北にあり、中央に山を頂くほぼ同心円状の島国。面積およそ十四万k?u。人口は最盛期で二十万人。
 そこに生きる人々は、主に島の南側に邑々を作って暮らしを営んでいた。くに全体を統括する役割の邑はあったが、各々の邑は長によりまとめられていて、連携や協調のなかで“くに”が形づくられていた。邑々は、それぞれに、心の傾向、心のエネルギーの傾向の同じ人々が集ったもので、それが邑としての特徴であり役割となっていた。
 例えば、全体を統括する役割を担う邑の人々は「法則や摂理の尊重、遵守」のエネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「正しさ」が特徴である。
 また、創造の役割を担う邑の人々は「喜びを形に変換する」エネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「表現」が特徴である、というように。
 各邑々が担う役割の違いは、互いにとって必要なものであると同時に、協調・相互扶助・補完・尊重の基本でもあった。「違い」によって人々は多様性を喜び、満たし合うことを幸せにできていた。よって、誰もが自らの存在意義に確信があり、個としても全体の一部としても、そして神の子としても、喜びのなかで生きられていた。
 しかし、この「違い」を喜びとできず、逆に自分を喜べない材料にしてしまう者たちが出始めるところから、ムゥの調和は崩れていく。比較に心をかげらせることで、個であることは喜べず、全体の一部であることも喜べない。人の喜びを自らの喜びとすることもできなくなる。
 「違い」を「偏り、不公平」と認識したところから始まって、自分はそれ以上に得ようとするようになる。そのことが実際に偏りや不調和を引き起こしていく。それが「支配」を求め、戦いを生み、それまでの調和状態から対立、抗争、混乱、そして崩壊へと進む。
 かげりを知らず、喜びのみの心で生きていたムゥの人々は、各々の心に広がったかげりに飲み込まれ、育んできた「喜びの心」を見失ってしまう。かげりの連鎖からは次なる喜びは見出せない。くに全体と人々の心との調和が作り出していた豊かで美しい島は、調和の乱れとともに海に沈んだ。
 しかし、全ての人々が島とともに沈んだのではない。
 一部の者たちは沈没を逃れ、世界の各地に逃げのびた。今からおよそ一万二千年前のことである。
 各地に逃げのびた人々は、自分たちで独自の集団として生きるか、既に先住している「人間(これが猿類から進化してヒトになった人々である)」に溶け込み、共存の道を選ぶかどちらでしかない。
 日本の地に辿り着いた人々は、縄文の人々のなかに溶け込み、ムゥの精神と文化とを伝え、物心両面において豊かな時代を築いた。
 だが、縄文時代が永遠に続くわけではない。弥生の人々が大陸から渡来し、力によって服従を求め支配を広げたからである。
 ムゥの精神を受け継ぎ、ムゥの崩壊を教訓としている人々は、対立や戦いではなく、受容や妥協、服従を選ぶ。しかしムゥの精神を頑なに守ろうとするが故に抵抗と抗争をやむなく選ぶ人々は、力によって封じられていく。「悪しき者」として―――。

            ****

 「ムゥ」についての概要から、縄文へのつながりを踏まえ、ムゥ――縄文が抹消されていく過程が古事記における国の成り立ちに重ねられ隠されているのだということを前提として、以下の読み解きを進めていきます。

27/02/2009(金) 15:06:10


No.5327  飯沼 ホームページ E-mail
「古事記」を読み解く 1 引用
「古事記」を読み解く 1

大いなる神の意志によって地上界は形づくられた。天地の開闢(かいびゃく)とは、霊界の写し世としての地上界が物質次元に顕現されることを言う。天地(あめつち)が開かれる、とは、霊界の次元から「神の意志」が変換されて物質次元に下ろされることなのである。霊界と地上とに分かたれることを指す。
この時、地上界に存在したエネルギーは「調和」(アメノミナカヌシ)。

そして、「顕現・形を有する・形を成す」(タカミムスビ)エネルギー。

そして「意志」(カミムスビ)のエネルギー。
これらのエネルギーは完成形としての状態を有するまで、別個のものとして地上に作用する。それらが全てひとつとなった時こそ、大いなる神の意志の顕現として「霊界の写し世」である地上界が完成する。
大いなる神とは全(まった)き調和の完全形である。神界、霊界へと次元を下げ、やがて物質次元へとエネルギーが到達するには、大きく三種のエネルギーとして分割しなければ物質次元には作用できない。三種のエネルギーがひとつになり完全調和が成った時、物質次元(地上)でありながら霊界と同じ世界となるのであ
る。

地上界が形づくられて間もない頃(未だ“学び”を進め“顕現”の担い手となるべき人類の誕生を見る以前のことである)、「生命」とは呼べぬ段階の物質が、反応し合い、有機物となり、「生命」の基本形ができあがった。そこに「意志」は存在しない。物質どうしに生ずる「反応」のエネルギーが介在したのである(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。

そして、「変化」のエネルギー(アメノトコタチノカミ)。

「意志」を「顕現」し、「調和」を計るには、地上的に言うならば、物質の反応による変化によってなされる。反応と変化こそが、動きを引き出すからである。地上界の形成から完成に至るまでの進化向上の道のりは、連続する変化によって可能なのであるから。同時に、全き調和である、ということは、「動かない」ことではない。むしろ逆である。完全でありながら、絶えざる(さらなる)進化向上を永遠に続けている状態こそが全き調和である。その原理が変換されて地上に及ぶなら、進化向上であり、それをさらに具体化、単純化したエネルギーが「変化」である。
反応と変化とは対の要素と捉えられる。しかし、両者の要素が揃っているだけでは「動き」は出ない。
そこに加わるべき要素がある。意志、希い、欲求、のエネルギーである。それらが相まってこそ、反応と変化から動きが生ずるのである。

これら五種のエネルギーは、調和、意志、顕現、反応、変化。このエネルギーを柱として、さらにエネルギーの要素(傾向)は細分化される。いずれが欠けても大いなる神が意志した「地上界」は完成しない。それは、別々のものとして地上界で作用するが、いずれひとつに統合されるべきものである。

この理(ことわり)を「顕現の担い手」としての人類が認識してこそ、統合は成就する。全くの偶然を以ての進化向上はあり得ないのであるし、何よりも「意志」によって調和を目指すのが、神の御心に沿うことだからである。地上という物質次元だからこそ「反応」という要素が大きな柱のひとつに加えられているのである。調和、意志、顕現、変化は既に霊界には存在し、作用しているエネルギーである。

そして次に必要となるのは「調和」のエネルギーのうち、個と個の間に働く調和のエネルギー(クニノトコタチノカミ)である。前出の「調和」のエネルギーは、全体の調和を象徴するが、このエネルギーは個別の、具体物の、具体的事象の調和をもたらすエネルギーである。地上界に特有の「違い」を調和するエネルギーである。

そして「維持」(トヨクモノカミ)のエネルギー。反応や変化と対立するものではない。「維持」は、状態を継続させる、保証する、という意味において不可欠の要素である。

このふたつのエネルギーがひとつになることで揺るぎない安定、つまり「安寧」や「平安」が成就される。逆を言えば、霊界に存在する「安寧」「平安」のエネルギーは、地上次元においては、「個と個の調和」と「維持」とに分かたれて作用する、ということになる。

次に必要とされるのは「増大」(ウヒヂニノカミ)と「減少」(イモスヒヂニノカミ)である。変化の具体的表現形を象徴する。

そして「事の起こり、きっかけ」(ツノグヒノカミ)「帰結・収束」(イモイクグヒノカミ)。

そして、「否定」(オホトノヂノカミ)と「肯定」(イモオホトノベノカミ)のエネルギー。地上に存在する幾多の意志が全て調和に向うものとは限らない。不調和をきたすもの、調和の方向性を持つものは、“作用”として否定される。そのものを否定するのではない。全てのものはあるものとして肯定される。しかし、より調和に向かう流れのなかにおいては、作用そのものは否定という形を受け入れていくことになるのである。

そして、「充足」のエネルギー(オモダルノカミ)、そして「枯渇」のエネルギー(イモアヤカシコネノカミ)。

そして「(安定に向かう)動き」のエネルギー(イザナギノカミ)。

そして「(動きに向かう)安定」のエネルギー(イザナミノカミ)。

これまで伝えた「調和」(クニノトコタチノカミ)から、「(動きに向かう)安定」(イザナミノカミ)までのエネルギー傾向を併せて、神界からのエネルギーを大きく七つに分けたもの、(カミヨナナヨ)と捉える。

 
ここまでは、各々のエネルギーは地上に注がれてはいるが、未だエネルギーのままであり、形を伴ってはいない。地上に顕現されてはおらず、混沌としたままである。
地上界の造化を司る意志が、ふたつのエネルギーに働きかけた。安定に向かうために動きを作るイザナギと、動きに向かうための安定を確保するイザナミのエネルギーである。
地上界に注がれているエネルギーを縒り合わせ、さらにいくつものエネルギーを安定・定着させて顕現させていくためである。そのために、天の沼矛(物質化のエネルギー)が投入された。

それに従って、動きと安定、ふたつのエネルギーが「物質化」を作用させ、形を成して定着させることで、地上界は形成された。
地上界の形成とは、地球そのものの創造のみならず、地上的な生命(動植物を含めて)の誕生までを意味する。
そのなかのひとつに、他とは異なる目的で形成された島がある。

27/02/2009(金) 15:11:39

No.5328  えみこ
Re: 「古事記を読み解く」・前文 引用
飯沼さん、こんにちは。
九州の旅の報告、わくわくしながら読みました。
その後、天地悠々の”古事記”の連載のことを思い出し
読み返しました。何度も読み返していたはずが、ほとんど
記憶に残らず、今、読み返してみて、その内容の凄さに
驚いています。
旅の内容と合わせ読むと、
なんだか、なぞがとけていくような、、、
そんな感じです。

”古事記”連載を探しながら、その頃の”天地悠々”を読み返し、
克子さんが病と向き合い、苦しんでいた、その時間にしばし
身を置いていました。
そして、いまもこうして、つながっていて、
道を照らしてくれている。
ありがたくて、ありがたくて、
道を踏み外さないよう、
歩いていきたいです。

28/02/2009(土) 09:45:32


No.5315 みさお(代理投稿) ホームページ 
みさおさんより 引用
今日病院に 行ってきました
今日は 内診なしでした
妹と甥とで、行きました
先週 電話で 抗がん剤、受けるつもりは、ないと 言いまして
今日は もう一度聞かれ
妹に医師が 抗がん剤、受けない事どう思うか?を 聞いてました
妹は 本人が 決めた事なのでと 言い
同意書を 渡されました

私の都合で 抗がん剤を 受けない と 書いて、一週間後もう 一度 来るように
受けないなら 同意書を 持ってくる様にと いう話に、なりました
また 行く事になりますが、考える様 言われ、でも あと一度で 終わると 思います

帰り際 車中で 妹と 色んな、私の話を しました 私の課題の事も…
自分の癖を 薄くしていきたいも
そんな話を したのは 初めてです

妹から 私が 小6 妹が小学3年生の時に
一緒に 自転車二人乗りで、近所の、プールに 行き
帰り際 私が しんどいから 一人で 帰るわ
○○子は 歩いて 帰って と 先に 一人で帰ったと
いう話を 聞きました

その後、妹は 見知らぬ大人に声を、かけられたそうです
何事も起こらず済んだようですが、聞いていて胃が痛くなりそうでした

妹は 別に 普通に 言ってましたが
私は 自分で ひどいなぁ…
と 言い 謝りました 全く 覚えてなかった…

車中で 暑いから カツラを 脱ぐと 3歳の甥が
さっきと ちがうねぇ と言ってました
どっちが いい? と 聞いたら さっき(カツラ)でした

医師には 
はっきり 自分の体を信じます とは 言えませんでしたが
妹には 自分と自分の体を信じる と 言いました

今日 聞いた 妹への 昔の私の言動 
そういう所からも 自分は 悪い人間だと思い
なかなか 自分を 信じられない所もありました

でも こうして 一緒に いれる事を 喜んで
詫びる所は 詫び そして 仲良くしていきたいです

いつも応援して頂き ありがとうございます
また 報告させて 頂きます

25/02/2009(水) 23:19:42


No.5316  飯沼 ホームページ
Re: みさおさんより 引用
☆みさおさん

心が決まったようですね。
この決断は、僕らも望むところです。
応援しますよ。
「私は自分の体を信じます」ときっぱり言えるといいですね。
みさおさんの場合は、そう言えるだけの実績もあるのですから。

抗がん剤治療を受けなければどうなるのか、医師の見解をしっかりと聞いておいてください。

みさおさんは自分の責任で病を完全治癒させる気概を持って、これからの日々を生きてください。
僕は僕の責任で、みさおさんの病を治す気概を持って、ヒーリングを続けます。
必ず完治させましょう!

26/02/2009(木) 00:00:01

No.5318  あきら
Re: みさおさんより 引用
僕もひとみもここから気を引き締めて、エネルギー送ります。
完治させましょう。

26/02/2009(木) 00:58:36

No.5322  えみこ
Re: みさおさんより 引用
みさおさん、
みさおさんの”自分を信じる気持ち”に拍手!!
応援するよ。
ちょっと古いけど、、ふんどしをしめなおして、、、って
とこです。

26/02/2009(木) 11:57:08

No.5323  ひろこ
Re: みさおさんより 引用
待ってました〜(^0^)っていう気持ちです。
私も頑張ります。
週末みさおさんのお誕生日と新しい船出をお祝いしようよ・・・
来れる方ドネメールくださいね。

26/02/2009(木) 16:20:38

No.5324  みさお(代理投稿)
Re: みさおさんより 引用
飯沼さん
ありがとうございます

そうですね
そう、言えるのが
医師に
とっても私に とっても 良い事だと 思います
医師は 腹立だしく思うだろうけど 精神的に 不安定で 治療を できない
と気にされるよりは 怒られた方が いいです
実績

妹に 車中
改めて
腹水が ひいた事
ひいた時の私の気持ち
腹水が 自然に ひく事など ない事
以前のMRI持参時に腹水が、ひいた事を言ったら、特に返答なかった事

リンパ転移が 消えた事
一度の 抗がん剤で 消える事あるのか などを 話しました
残っていた腹水は 私の 腹に 溜めた かげり
直接ヒーリングの 内容など を話し
私は 何も しない訳ではなく
放ったらかしに、する訳でもない
自分自身 変わっても いきたい
と 伝えました
抗がん剤を 受けないと
再発率が 高まる しか 聞いてないのですが
次回 詳しく 聞いてみます

あきらさん
ひとみちゃん
いつも ありがとう
ちぃさん
18日 キャンセルできたので、また 思っていく 事が できました

えみ子さん
えみこさんの
言うとおり です 締め直します 笑

さきさん
まだまだ変わっていく途中で、まるで研修期間のようですが
自分でも
あっ、ここやな癖は、とわかる様になってきました

また 報告させて 頂きます

みなさん
ありがとうございました

追伸
昨日 診察を
待っている間
岩戸開き の言葉を 唱えてました
落ち着けました

26/02/2009(木) 22:17:38

No.5325  春が来る
Re: みさおさんより 引用
みさおちゃん

命懸けの決断をして、それを病院の先生に伝える事は、どれ程大変な事だったか、と思います。ましてや、みさおちゃんは、相手の方を気遣って、言いたい事を控える傾向があるし・・・

妹さんとの事も、自らが大変な状況の時、忘れていた昔の事を受け入れ、謝罪するという事は、とても難しい事だと思います。
この事を機会に、より一層、妹さんとの絆が強くなりますように!

ひとつひとつ真摯に向き合っているみさおちゃんが「悪い人間」のはずないじゃない!(笑)
自分と自分の体を信じてね。
心より、応援しています。
大好きよ!

26/02/2009(木) 23:51:08


No.5314 飯沼 ホームページ E-mail
高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 3 引用

20日の朝はまたバスで延岡まで出ます。
前日に荷物を預ってくれた、バスセンター前の喫茶店でコーヒーを飲むつもりで早めに宿を出たのにまだ開店していませんでした。
行きの座席のことがあって、さらに帰りは下り坂なので、私としてはかなり覚悟をしていたのですが、幸いバスは新型で座席の間も広くて、ちゃんと座ることができました。
帰りはバイパスではなく旧道を通るので、よくこんなに細い道を通れるものだと感心しながら大型のバスに揺られていました。

延岡から宮崎まで1時間あまり特急に乗り、宮崎で1時間半程度次の特急を待って、1時間半で鹿児島県の隼人駅に着きます。
少しのんびりしたくて、隼人では妙見温泉の宿を予約していました。
4時前には宿に着き、さっそく温泉に浸かりました。
この宿ご自慢の岩風呂はさすがでした。
大きな岩風呂から、かけ流しの湯が惜しげもなく溢れています。
ここでも「岩戸開き」の言葉を何度も唱えました。
後で聞けば、さきさんもそうしていたそうです。

夕方、あきどんさんが到着し、一緒に芋焼酎を飲み、食事をしながらいろんな話をしました。
高千穂でのこと、「天孫降臨」が先住民を征服した弥生人(渡来人)の側からの物語であること。
アマテラスが元は先住民系であり、迎合せざるを得なかった人々として、征服者に利用されてきたこと。
伊勢神宮は、丹後半島の元伊勢から始まり、大江山や大和盆地を何ヶ所か転々としながら、最終的に今の伊勢に祀られることになったこと。
そんな話をしているうちに、あきどんさんの話になりました。
彼女は、自分を強く抑制していてなかなか本来の自分として振舞うことができないそうです。
あきどんさんは今でも十分に爽やかな女性なのですが、もっと快活だった頃の自分をはっきりと覚えているのに、なかなかそこには戻れない。
その原因は、「(力に対する)怖れ」からのようでした。
いろいろ話しているうちに、あきどんさんとアマテラス(迎合派)の人々が見事に重なっていることが分かってきました。
そんなあきどんさんとこうして出会い、言葉やエネルギーを交わしあうことも、今回の旅の意味として織り込まれていたのだと納得し、霊界側の計らいに感動してしまいました。
私は忘れてしまっていたのですが、あきどんさんが何年も前に克から伝えられたメッセージは、「何があっても本来の自分を表現しようとしていくこと」だったのだそうです。
今回の「岩戸開き」に関しての象徴的な人として、あきどんさんが指名されたということなのでしょう。
まさに「元に還る喜び」なのだと思います。

21日は朝からあきどんさんの車で、上野原縄文遺跡の見学です。
上野原遺跡は霧島市にあって、妙見温泉の宿から車で30〜40分のところにあります。
小雨模様でしたが、初期の縄文の丘を歩くこともできました。
晴れていれば目の前に桜島が見えたのですが・・・。
ここの住居跡からは、屋内で火を炊いた形跡はなく、住居の外に火を使った跡が残っているそうです。
調理は、石を焼いた上に食物を置く石焼や、地面に通路を掘って燻製を作った跡などが保存されています。
上野原遺跡は1986年に工業団地造成中に発見され、縄文初期からの大集落跡の形成や燻製を作っていたことは、縄文時代に対する今までの常識を覆す大発見でした。

作業している学芸員の女性の話では、実際には遺跡はもっと広いのだが、予算がなくて調査の手が入っていないところがまだまだあるそうです。
能登の真脇遺跡でもそうでしたが、文科省は縄文遺跡の発掘調査にはあまり積極的ではないように思います。
以前、散髪屋さんで土木工事の仕事をしている人に聞いた話ですが、「工事中に古代の遺跡や遺物が出たら役所に報告しなければならず、調査が終わるまで工事が長期間ストップされるのに何の保証もないから、気づかなかったことにしてそのまま工事をしてしまう場合も少なくない」とのことでした。
その人は古代の物に興味があって、出土した遺物をかなり自宅に保管していると内緒で話してくれました。
実際にはこういうことがたくさんあるように思えて、残念でなりません。
行政が民間人の事情や気持ちと乖離しているから、こういう残念なことがおき、数多くの貴重な遺跡が消えてしまうのです。

「上野原縄文の森ミュージアム」は、展示物も豊富でとても堅実な印象を受けました。
できれば、また行きたいところです。
もちろん、妙見温泉にも。

上野原遺跡から国分駅まで戻り、あきどんさんとお話しながら特急が来るのを待ちました。
あきどんさん、ほんとにありがとうございました。
また、お会いしましょう!

国分駅から宮崎に戻り、宮崎港からのフェリーに乗ります。
フェリーの時間までかなり時間があるので、タクシーで郷土料理の店「杉の子」に行きました。
タクシーのドライバーに「キャンプに来られたんですか?」と聞かれて、私は意味が分からなかったのですが、巨人軍とWBCのキャンプが宮崎で行なわれているのでした。
最近の宮崎観光は、県庁に行って知事のキャラクター商品をお土産に買うのが定番になっているそうです。
たしかに、県庁の駐車場には大型の観光バスが2台とまっていました。
私たちは興味のないことなので、そのまま「杉の子」に行きました。
「杉の子」は老舗のようでしたが、決して無茶に高くもなく、私たちは3000円台の「杉の子定食」を注文しました。
ビールと芋焼酎も・・・。
お腹いっぱいになるボリュームで、素材は高価なものではありませんが厳選している感じで、とても美味しかったです。
素材やボリュームだけでなく、代金に反映させにくい見えないところにも見事なまでに心遣いが感じられて、そこに感心させられました。
帰る時に女将さんにそのことを言うと、「そう言っていただけるととても嬉しいです。吸い物の鰹ぶしも毎朝手で削っているんですよ」と本当に嬉しそうに言ってくれました。
この旅の最後に、とても嬉しい店で食事ができました。
駅の案内で、「この時間ならここぐらいしか営業していない」とことで行ったお店だったのに、今回の働きのご褒美をもらったように思いました。

宮崎港から大阪南港へのフェリーは、四国沖を通る航路で、フェリーセンターにはすでに、「荒天のため到着が遅れる見込み」との張り紙。
案の定、船は揺れに揺れて船内を歩くこともできず、ひたすら寝転がって、波が船体に打ちつける「ドーン」という音を聞いていました。
しかし、これもまた計らいだったのか、克が「物質化のエネルギー」として読み解いた、古事記にある「天の沼矛(ぬほこ)」についての、インスピレーションがもたらされたのです。
「天の沼矛(ぬほこ)」のエネルギーに関しては、またいずれ書くことにします。

低気圧に追い越されたようで、翌朝には嵐も治まり、早朝に大阪について、さきさんと一緒に篠山に戻り、孫のたまきちゃんに再会できました。
翌日は、あまねちゃんも両親に連れられて篠山に来て、たまきちゃんと初対面でした。
ふたりの孫にめろめろになるおじいちゃんと、これからの働きへの意思固めの間を行ったり来たりしてしまう私でした。

今回の旅については、克からもいずれ改めて伝えられると思います。
まだまだエネルギー的に馴染めていないようで、遠隔ヒーリングをすると関節や骨に痛みが出て、かなりの間痛みが残る状態です。
でも、大事なことを掴んだのは間違いありません。
このエネルギーを今後の働きに生かしていけると思います。

というところで、お急ぎで書きましたが一応の報告を終わります。
また後で補足するかもしれません。
長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。

25/02/2009(水) 16:36:42


No.5317  あきら
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 3 引用
あきどんさん、二人のお守りは大変だったでしょうね(笑)
お会いできる時を楽しみにしています。

ぬまの新たなエネルギー楽しみ。
しかし、詰まる感じがしたり痛みが残ったり、そういう感覚が起こるって凄いですね、僕にはぜんぜんそういうことないもんな。
長文お疲れ様でした。

26/02/2009(木) 00:52:46

No.5319  あきどん
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 3 引用
>あきどんさん、二人のお守りは大変だったでしょうね(笑)

そんな、めっそうもないです(^^) (笑)
大人で、その上キサクで謙虚で庶民の感覚を持たれ、壁なく、親しみ深く、ほっとした感じでお話しさせていただけるお二人でしたよ。

あきらさん☆
私も、今年は定例会に参加できたらいいなと思っています。またお会いできるときを楽しみにしております。

飯沼さん☆
こちらこそ本当にありがとうございました。また鹿児島に是非お越しください。お薦めの妙見の宿もありますよ。霧島も気持ちのヨカところです。

>今回の旅については、克からもいずれ改めて伝えられると思います。
「天の沼矛(ぬほこ)」のことと、克子さんのメッセージもまた楽しみにしています♪

旅の報告ありがとうございました!

26/02/2009(木) 10:43:40

No.5320  あきどん
偶然にも 引用
明日、地域間連携シンポジウム2009 in 鹿児島
「ATL(成人T細胞白血病)研究の推進に向けて」が開催されるという情報を得ました。
都合がついたら聞きに行ってみようかと思います

参加申込・その他問い合わせ先はこちら↓
(財)地域研究交流協会 ATLシンポジウム事務局:
@ttp://www.chiiki-innov.jp/ATL2009/(@→hに変えてください)

26/02/2009(木) 11:39:51

No.5321  あきどん
訂正↑ 引用
シンポジウムはあさってでした。

26/02/2009(木) 11:49:59


No.5296 飯沼 ホームページ E-mail
高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用

18日の夕方6時半頃に大阪南港を出航したフェリーは、予想よりは乗客が多かったといっても、それでもとても空いていました。
一人で行くならやはり寝台が気を使いませんが、1等以外の寝台は男女別室。
今回はさきさんといろんな話をしたかったので、2等の一般席にしました。
1人当たりのスペースがとても狭く、乗客が多ければ巨漢の私は完全にはみ出してしまいます。
空いていたので1人で2人分以上のスペースを確保できて、寝台よりもはるかにゆったりでした。
天候も安定し、瀬戸内航路なので、船もほとんど揺れません。
エンジンの絶え間ない振動と全身に響く重低音が、日常からはるか離れた気分にさせてくれます。
携帯の電波が不安定で、電話やメールの応対にはちょっと不自由しました。
克から改めて伝えられた「岩戸開き」のことでなかなか眠れず、掲示板へのコメントを携帯に打ち込んだり、夜の海を見たりしながら少し眠りました。

翌朝5時半に船内で朝食、6時40分に別府港に到着。
別府は高校の修学旅行以来でした。
さすが温泉の町、港まで温泉の匂いが立ち込めています。
JR別府駅までバスに乗り、延岡行きの特急まで2時間近くあったので、駅の近くの「高等湯」という自治会経営の温泉に入りました。
入浴料はなんと300円。
建物は大正時代の感じで、風呂もかなり古いものでしたが、お湯は気に入りました。
湯治客用の宿泊個室は1泊2500円という看板に気持ちが動きました。
狭い玄関で待っていると、髪の毛からしずくが垂れそうなさきさんがリュックを背負って出てきて、思わず笑ってしまいます。
脱衣場にドライヤーも鏡もない、共同温泉なのです。
本人が言うには「禊(みそぎ)だから、髪の毛も洗った」とのことでした。
別府駅の喫茶室でコーヒーを飲みながら、「岩戸開き」の話をしているとあっという間に時間が過ぎ、宮崎行きの特急に乗り込みました。
延岡までは2時間あまりです。
別府で買って、電車の中で食べた温泉卵の美味しかったこと!

高千穂行きのバスの本数が少なく、1時間に1本あるかないか。
次のバスが20分後とのことで、それに乗らなければその1時間後になるので、延岡駅のうどん屋さん「弁慶うどん」で大急ぎで昼食を済ませました。
駅のうどん屋さんなのに、感激するほど美味しい店でした。

延岡から高千穂までは1時間半あまり。
旧型のバスで、私は足が前の座席につかえて座ることができません。
仕方なく一番後ろの、横長の座席の真ん中に座りました。
そこは前が通路で座席がないから座ることができたのですが、つかまるところがなく、舗装はされているもののとんでもなく曲がりくねった山道なので、座席からずり落ちそうになるのを足に力を入れて踏ん張らねばなりませんでした。
規格外れの私はこんなところでも苦労するのです・・・。

高千穂は美しい山間地。
山も谷も川も曲線的に折り重なる棚田の感じも、関西とは違っていました。
まあ、棚田を上から見ることは滅多にありませんし。
高千穂では、バスセンター前の喫茶店に荷物を預ってもらい、地域のコミュニティバスに乗って、岩戸神社に向かいました。
旅先の路線バスは地域の人たちが乗っているので、それだけでそこの雰囲気を感じられて私は好きです。
マイクロバスのなかでは明るいおばあさんに声を掛けてもらいました。

岩戸神社に併設されている資料館には、縄文や弥生の遺物がかなり無造作に展示されていました。
高千穂には、陣内遺跡という縄文の遺跡があるのです。
出土している弥生土器は、北九州式のものだとのことでした。
岩戸神社では、宮司さんの案内で「天の岩戸」を遥拝できます。
と言っても、「天の岩戸」と呼ばれる洞窟は、川の向こう側の崖にあるので、木の陰になっています。

そこから少し歩いたところに「天の安河原」と言われている場所があります。
天の岩戸に籠もってしまった天照大神をどうして引き出すかを、神々が相談したという場所です。
そこには間口20メートル、奥行き30メートルの大きな洞穴があり、小さな社がありました。
人は誰もいません。
その洞穴で、さきさんと、「岩戸開き。たまき(魂喜・魂輝)、あまねく人々に」と丹田から声を発してゆっくりと3度唱えました。
後でさきさんも同じことを言っていましたが、体に不思議な振動が起こり、足元がふらつきそうになりました。
それだけではなく、私は左の頸から背中にかけて、体のやや内のほうで振動しながら何かが流れるような感覚がはっきりとありました。
あるいはそこで流れが詰まることによる違和感なのかもしれませんが、最近の遠隔ヒーリング中にもあったものより数倍強い感覚でした。。

また岩戸神社に戻り、同じ言葉を唱えて参拝しました。
宮司さんの話では、岩戸神社の大きな銀杏の木はとても珍しい種類で、同じものは諏訪大社にしかないとか。
諏訪大社は縄文系(出雲系)の拠点なので、不思議でどこか嬉しい気がしました。

バスの時間が合わなかったのでタクシーに来てもらい、高千穂神社に向かいました。
ドライバーさんがいろいろと説明してくれるので、「天孫降臨神話は実は渡来人(弥生人)が縄文人を征服したことの、弥生人側からの正当化であるという説は、地元の人たちは聞いたことがあるのでしょうか?」と尋ねてみましたが、「そういう話は聞いたことがありません」とのことでした。

高千穂神社は、さきさんが前に行った時にとても怖い・気持ちが悪いと感じたと言っていました。
行ってみると確かに異様なエネルギーが漂っています。
境内が暗いということもあるのかもしれませんが、たとえば大江山の元伊勢神宮なども木々が繁って暗いのに、こういう感じは全くありません。
言葉にすれば語弊がありすぎますが、ある種の妖気が漂っているのです。
いつもは飛び跳ねているさきさんなのに、ここでは一人では歩けないほどに怖がっていました。
由緒書きや他の資料を見たら、『高千穂神社の主祭神は三毛入野命(ミケヌノミコト)、神武天皇の兄弟。主祭神である三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説がこの地方には残り、ゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている」とのことです。』

長くなるので端折って書きます。
旅から戻って急遽取り寄せた、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(梅原猛)を斜め読みしました。

「天孫降臨」したニニギノミコトはアマテラスの孫に当たり、アマテラスの夫はなぜか記載されていません。
古事記・日本書紀によれば、「天孫降臨」したニニギノミコトのひ孫に4人の男子がいます。
4人の兄弟は、高千穂・日向から大和地方の征服に向かいます。(神武東征)
すでに大和を治めていた長脛彦(ナガスネヒコ)軍に破れ、紀伊半島に上陸して再度大和に向かいます。
長男は戦さで死亡し、4男の神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)が初代天皇として(神武天皇)今の奈良・橿原神宮で即位します。
次男も3男も何となく死んだことになっていますが、戦死ではなく、兄弟間での勢力争いがあったのかもしれません。
梅原さんもそういう説のようです。

高千穂神社は、死んだはずの3男の三毛入野命(ミケヌノミコト)が故郷の高千穂に戻り、「鬼八」という鬼を切り刻んで殺したことと関連している場のようです。
鬼八とは1人ではなく、ましてや鬼などでもない、おそらくは縄文系先住民たちのことでしょう。
「天孫降臨」の後も、熊襲・隼人と呼ばれる西南九州の先住民は何度も反乱を起こしています。
「天孫降臨」した弥生人の主力が日向から大和に向かったことで、高千穂でも先住民が勢いを盛り返していたのでしょう。
鬼八征伐というのは、個人ではなく、縄文系の先住民たちへの武力弾圧だったはずです。

それはあまりにも残虐だったようで、鬼八の怨念によってさまざまな祟(たた)りが起きたという伝承、その後数百年間も実際の人間を生贄として捧げてきたという歴史があるそうです。
神社は祟り鎮めの目的で建立される場合が少なくないのです。
激しい戦闘で気が荒くなり、弟から排除された三毛入野命(ミケヌノミコト)の鬱憤晴らしでもあったかもしれません。
有名な高千穂神楽も、殺戮された人々の霊を鎮めるためではなかったかと梅原さんも暗に書いていたような気がします。

私たちが高千穂に行っている時にはそこまでの知識はなかったのですが、三毛入野命(ミケヌノミコト)の鬼八退治の由緒書きを読んで、「考えられるとすれば、それに関連した妖気だろう」と話しました。
高千穂神社の妖気は、おそらくは三毛入野命(ミケヌノミコト)の激情と鬱屈した支配欲や、残酷な形で殺された側の人々やその家族たちの思いに引き寄せられた暗いエネルギーが寄り集まっているのかもしれません。

こういう史実・伝説を何も知らないのに、さきさんは数年前に高千穂神社のエネルギーを感じ取っていたのですから、さすが喜びの通路となる霊媒だと思いました。
心の喜びや調和をベースにしているからこそ、その場に引き寄せられている暗い想念に違和感を感じ、反応するのですから。
高千穂神社でも、全身全霊で「岩戸開き。魂喜、あまねく人々に」と唱えました。
その途端、今までの何ともいえない妖気が軽くなったように感じました。
さきさんも同じように感じたそうですから、私の勝手な思い込みではないように思います。

それから、高千穂峡に歩いていきました。
高千穂峡は写真で見るほうが綺麗だと思いましたが、とても気持ちの良い場所でした。
さきさんはボートに乗りたがり、釣堀で魚釣りをしたがっていましたが、いずれも却下。
タクシーにきてもらってバスセンター前の喫茶店で荷物を受け取り、宿まで歩きました。
高千穂の宿は、ネットで見つけて予約したところで、かなりハズレでした。

まだ終わらないので、続きはまた書きます。

23/02/2009(月) 19:54:43


No.5301  さき ホームページ
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
ぬまさん、続きと梅原さんの本の紹介ありがとうです。
「鬼八征伐」という話があったんですね〜。
私が高千穂神社に行ったのはもう8年も前です。
なんともいえない怖さ・気味悪さを感じて、自分の思いすごしなのかな、気のせいかなと思いながらも、よっぽどだったんですよね。高千穂神社は怖い感じがしたってずっと言ってましたもの。
今回、ぬまさんがここは異様、おかしい、何かあるはずだと言ってくれたんで「やっぱり!」「そうでしょ!」って連発してました。
背中がゾクゾクする感じで身体が震えて、境内で何度も「怖い」「怖い」って言わずにいられなかったです。
一緒に克子さんから伝えられた言葉を唱えたら、すっと軽くなって震えが止まって、ほっとしました。
「鬼八征伐」の話で納得です。

ぬまさん、高千穂峡は綺麗なところだったね。
たぶんボートから見たらもっと綺麗だったよ〜♪

高千穂はきり立った深い谷をわたりながら入っていった深い山の奥に開けている地域で、谷の間に間に棚田や集落が広がっていて、きっと豊かな縄文系の人たちの村があったんじゃなかなって話していました。

23/02/2009(月) 23:30:52

No.5302  あきら
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
さきさん可笑しいね。
ちょっとした物語を読んでいるようで、続きが楽しみです。

23/02/2009(月) 23:37:20

No.5305  ちぃ
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
>ちょっとした物語を読んでいるようで、続きが楽しみです。
うんうん、私も引き込まれながら読ませて頂いています☆
でも難しい漢字がいっぱい!
ひとちゃん、読めた?(笑)
ちぃはね、雰囲気はつかめた!!
ヌマ、こんなコメントでごめんなさぃ。(苦笑)
続きを楽しみに待ってます♪

24/02/2009(火) 00:25:05

No.5307  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
☆さきさん

>ぬまさん、続きと梅原さんの本の紹介ありがとうです。

梅原さんの本は面白そうです。
行く前の読んでおけばよかったけど、そしたらいきたいところが増えて、とても現地2泊じゃ回れなかっただろうね。
本の写真も綺麗だし、時間ができたらちゃんと読み直したいです。

>「鬼八征伐」という話があったんですね〜。

そうだったね。
高千穂では、鬼八の話はほとんどしなかったんだった。
大和で死んだはずの三毛入野命(ミケヌノミコト)が高千穂に帰って何をしたんだろうってところから僕らの推理が始まったんだったね。
それで、「もしも腹いせで先住民たちを残虐に殺したとすれば、この妖気の意味は納得できる。そういうことが実際にあったのかもしれないな」という話をしていたんだったね。
鬼八の話はどこかに書いてあったように思うけどね。
僕の報告、大急ぎで書いたものだから適当に補足してね。

☆あきらさん

>さきさん可笑しいね。

うん。
鹿児島の宿の前のかなり大きな川に木のつり橋がかかってて、橋の下あたりに鳥が数羽いたんだけど、「あの鳥は何だろ?」って僕が言ったら、さきさんは「サギやん!」と大きな声で言ってた。
僕もサギぐらいは知ってるから「違うだろ?アヒルの種類だと思うけど」と言っても、「ぬま、サギもいろんな種類があるんよ。あれはどう見てもサギやん!」と自信たっぷりに主張し続ける。
あんなメタボで短足のサギがいるわけないのに。
ちょうど宿のオジサンが通りかかったから聞いてみたら、案の定「北京ダック」だった・・・。
文字にしたらそれだけのことだけど、その様子が何とも可笑しいんだよね。

24/02/2009(火) 00:28:34

No.5308  さき ホームページ
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
ぬまさん。あの鳥はね、仲居さんがバリケン種ってアヒルだって言ってたよ。普通のアヒルもいたけどね。
大雨で上流から流されてきて住みついて、もう二代目三代目だって言ってたよね。
そのバリケン種ってのをつり橋で真上から見たら背中がちょっと青っぽくて、サギにみえたのよ。
なにも可笑しくないよ。(あきらさんも!)
それより北京ダックって料理と違うん?って思ったんだけど、アヒルの種類なん?

24/02/2009(火) 00:52:05

No.5309  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
夜に依頼があった人の遠隔ヒーリングして、みさおさんに乾杯してます。
あの言葉を唱えると、やっぱり手ごたえが違う。
九州から戻ってから嬉しい報告をいくつももらったし。

>ぬまさん。あの鳥はね、仲居さんがバリケン種ってアヒルだって言ってたよ。

オジサンは「北京ダック」って言ったんだけどな・・・。
北京ダックは料理でも言うけど、鳥の種類にもあるみたいだよ。

>そのバリケン種ってのをつり橋で真上から見たら背中がちょっと青っぽくて、サギにみえたのよ。

だから、無理して真上からだけ見なくても、普通に見れば体形の違いで分かるんだってば。

>なにも可笑しくないよ。(あきらさんも!)

いくら本人が否定しても可笑しいものは可笑しい。

24/02/2009(火) 01:22:02

No.5310  あきどん
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
高千穂では、そのような、出来事があったんですね。
岩戸開きの言葉を、ヌマさん、サキさんが、高千穂で唱え、お2人とも同じように感じられたことを読み、感慨深い気持ちになりました。
サキさんの「元に還ろう」という感じ、なるほど、、、と思いました。

宿で、鳴き声の会話をされていたのは聞いていましたが、よくきいてなくて、おもしろい会話を聞き逃しました。残念です^^
あのときは、焼酎でぼーっとして、また、田舎では野外からの色んな鳴き声は珍しくないので特に気にならなった私です。

24/02/2009(火) 16:49:51

No.5311  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
☆あきどんさん

鹿児島ではお世話になりました。
ありがとうね。
いろいろ話せて嬉しかったです。

さきさんがアヒルをサギだと主張したのは、あきどんさんが宿に到着する前でした。
隼人駅から妙見温泉までのバスが1時間半以上待ちだったので、タクシーに乗ったら早く着きました。
それで、先に温泉に入って、吊り橋から川を見ていたんです。

24/02/2009(火) 23:21:36

No.5312  あきら
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
> なにも可笑しくないよ。(あきらさんも!)

可笑しい=楽しいってことで。

24/02/2009(火) 23:40:53

No.5313  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 2 引用
>可笑しい=楽しいってことで。

ってことで、さきさんよろしく。

25/02/2009(水) 01:02:04


No.5293 みさお(代理投稿) ホームページ 
みさおさんより 引用
さきさん オレンジさん あきこちゃん ちぃさん
他の 誕生祝いの メール下さった方達

ありがとうございました
昨日の 誕生日が 今までの中で 一番 嬉しい誕生日でした

今まで 報告できてなかった事ですが 2月5日に 抗がん剤投与で 入院しました
その夜に 翌日の、抗がん剤投与は 受けれない と思い 無理を 言って 外泊させてもらいました
医師に 腫瘍マーカーが 正常範囲内なので 様子を 見させてほしい
と 伝え 医師からは 精神的に不安定な 様なので 一度 退院して 再度 日程を 決める (18日外来)という話で 8日に 退院して その足で 直接ヒーリングに 伺いました

ヒーリングでは私が 見まいと していた自分の部分を 教えてもらいました

思っている事と違う事を 言っている
それは ありのままではない
心で 思った事を そのまま 言う様に
(他にも沢山話をしてもらいました)
そして 私に 同調 影響していた 2体を さきさんを通して見ました

悲しくて 悲しさが いっぱいで 泣いている姿

子供の頃の自分だ と すぐ思いました
あの頃は 悲しくて でも 悲しむしか なかった

そして もう一体は
なぜ 私が
悔しい 泣き方でした

その様子も 何年か 前に
そんな気持ちになった事が ある と 思い

そして
悲しいだけ 弱いのは 損だ
今までの 分の モトを とりたい
今からは 自分で、できると
社会人に なってから 思った と 自分の口で 言いました

何も できなかった 子供の頃と 違い 自分で、できる
もう 惨めな思いは したくない という気持ちと 私の課題 、思いどおりにしたいが 絡み 自分で 作った言動を して
ありのまま からは 遠ざかっていきました…

ヒーリングから帰って 当日 翌日は 脱力感が、あり、なぜ 私は こんなのだろう と 落ち込みも しましたが ほっ とも しました
もう 無理は しなくて いいんだ
ありのまま で いたい
その為にも
自分の 至らない所も 見ていきたい

その日からは
ヒーリングで 教えてもらった内容と 18日の 診察日の事を 考えていました
そして 14日の ドネ会 ちぃさんと ちこさんから
ドネ会参加を 誘ってもらいました
私は まだ 自分の至らなさ わかっていないから わかってから みんなの前に 行く と 言ってましたが
本当は とても 行きたくて
すぐに みんなに 会いたかったのです

わかってなくても 今から わかっていけば いいやん
と 言ってもらい 自分の 正直な 気持ちで
行きたい 
と 伝え 行きました
ドネ会に 行けた事が 嬉しくて 嬉しくて
人に会えた事が嬉しくて
そして その日から また 何かが 変わっていきました

飯沼さんに 不安が 薄くなったと 伝えると
不安を軸により 喜びを と 言われ
そうだなぁ
不安は 30に減っても また 70に 増えたり…
喜びは 膨らんで いくものだから! と 自分でも 思いました

その日は 九州に 出発する 2日前で その事に 興奮も しました
鉄ママの頑張りも 私に とって 前に 進みたい と いう力に なりました
そして 18日の 診察を キャンセルして
九州に いる さきさんに

体の力と
ヒーリングで 治したい
とメールしました
さきさんから

了解
よっーし

という 返信が きて 嬉しくてそのメールに
保護を かけました

その後も 医師は 心配してくれているのに
抗がん剤を受けなければ 死ぬだけだと…
私の 思った事を そのまま 言わない言動の為に(自分にとって有利な言い方をしたり、課題、思いどおりにしたい それは私が社会人になってから、仕事上ででも身につけた方法です、それとは別に言えないという子供の頃、親に言えなかった部分も、ありますが、最近は、言えないより違う事を言う方が多く、それが病気の原因と教えてもらいました) 飯沼さん さきさんと 同じように 医師を 振り回して しまったのでは ないか と 考えていました

私は もう そんな事は したくない し 埋め合わせも したい と 思っていた 翌々日に 医師から 電話が ありました
診察に 来る様に 気持ちは 落ち着いたか? を 聞かれ
落ち着きましたと 伝え 抗がん剤 受けれるか と 聞かれたので
受ける気持ちは、ない と 伝えました

退院してから 一度も 診察 内診を 受けてないので それも 困るらしいので
25日に 診察に 行く 約束をしました
どういうやり取りに なるか わかりませんが
体を 信じて
体の力で
治していきたいと 伝えます

妹も ついてきてくれます
ヒーリングと 体の力で 治す と 父 叔母 妹に 話すと 3人共 すぐに 賛成してくれました

最近の近況を 報告していなく
まだ 入院してるのでは
体が しんどいのでは ないか と 心配して 頂いた方へ
本当に すみませんでした

全て わかってから 書こうと 思っていましたが 全て わかる事など なく
その時の 気持ち ありのまま、で 良いのに 頭の固い私は 今に なってしまいました
そのくせ
やはり 人と 関わっていたく
毎日 数回 ドネを 開いたり… これからは
自分の気持ちに正直に
そして
自分と 自分の体を 信じて
喜心治病
に 向かっていきたいです

幸せって 感じるもの
心から、沸いてくるもの 
と聞き
みなさんがいてくれる それだけで 嬉しい
みんなと 今
同じ 地上に いれる
それが 幸せなのだ と 今 思います
願いは
みんなと一緒に生きていきたいです

メールや 書き込み ありがとうございました嬉しい気持ちで いっぱいです
喜びを もっと 膨らませて いきます

ありがとうございました

23/02/2009(月) 18:39:59


No.5294  はる
Re: みさおさんより 引用
みさおさん、気持ちの動くままに決心したのですね。
それでよかったのだとそう思いますよ。。
喜心治病に向かって、ありのままの心で日々を乗り越えましょう!
応援するね!!

23/02/2009(月) 19:20:21

No.5295  飯沼 ホームページ E-mail
Re: みさおさんより 引用
はるさんの言う通りだと思います。

僕もみさおさんの決めたことを尊重します。
喜心治病。
喜びベースで決め、決めたことを喜びましょう。

23/02/2009(月) 19:52:36

No.5297  さき ホームページ
Re: みさおさんより 引用
みさおさん、投稿文読んで嬉しくて。。
ひとりで乾杯しちゃいました〜。(酔っ払い??)
どこにも結果の保障がないなかで、何を選んでもリスクはあるなかで、何かを選ぶのは勇気がいる。何であれその人の本音やありのままの気持につながって選んだことが、その人にとっての健やかさであり喜びであり答えなんだって思ってました。
みさおさん、みさおさんの決めたことを応援します。
私もみさおさんの心、みさおさんの体のちからを信じるよ。
わーい!
揺れてるみさおさんも、頭固いみさおさんも、人恋しいみさおさんも、なかなか報告できなかったみさおさんも、診察予定の18日の前の日に緊張して?お腹痛くなったみさおさんも、ぜんぶみさおさん。どんなみさおさんもみさおさん。
みさおさんが好きでーす。
みさおさんと一緒に生きていきたいです。

23/02/2009(月) 21:23:56

No.5298  みさお(代理投稿) ホームページ
Re: みさおさんより 引用
さきさん ありがとう

そう 18日の前々日には 緊張から 胃痙攣を 起こしました
ちぃさんに 電話して エネルギーを 送ってもらい
飯沼さんにも メール させてもらいました

救急車も 呼んでいて
でも 救急車が 着いた頃には 随分 楽に なっていました…
さきさんの 書かれたとおり 全部 私です、笑、

嫌な自分も
含めて 間違っても きたし… それでも 頑張ってきたのだ
とも ヒーリングの 後に 思えました
でも もう 無理に 頑張らなくても いい
家族との事は 解消できたのだと 今 喜こべます
最近は 以前と 同じ 状況になっても 違った 展開に なります
上手く 言わないと や 失敗したくない と いう気持ちが 薄れ
自分が違っていたら 謝れ また
ありがとう と 言える様に なりました
同じ事を しても、(家族で)楽しくなりました

今に なって
なぜ あんなに 拘ったり 執着したのか…
生きてさえ いれば 生きてるって事が 一番 大切な事なのに

愚かだったと思う
今 生きて こうして 投稿できる事に 感謝します
さきさん ほんまに 色々 ありがとうね
他の みなさんも ありがとうございます

さきさんには 偉そうには 言われてないよ
私こそ わかってる様な 言い方を したり
よく 見てもらおうと…
あぁ 恥ずかしい

私も なんだか 嬉しいので
今から ビールを 飲もうと 思っています〜

岩戸開きの
元に 還る と いう言葉 胸に 染みました

23/02/2009(月) 22:41:48

No.5299  飯沼 ホームページ E-mail
Re: みさおさんより 引用
5298のみさおさんの投稿を読んで、僕もとっても嬉しいです。
自然な本音が出ていて、「これでいいんだよ、みさおさん」と思いました。
もう大丈夫ですね!

僕もなんだか嬉しいので、遠隔ヒーリングが終わればお酒を飲みま〜す。

23/02/2009(月) 22:58:01

No.5300  まゆみ
Re: みさおさんより 引用
みさおさん。
私もみさおさんが決めたことを応援します。
みさおさんの体の力を信じます。
一緒に喜びを膨らませていきましょう。

23/02/2009(月) 23:25:07

No.5303  あきら
Re: みさおさんより 引用
じゃあ僕もひとみもちょっと飲もう。
みさおさん、応援してるよ〜。
僕も変わらなきゃ。

23/02/2009(月) 23:49:43

No.5304  ひとみ
Re: みさおさんより 引用
みさおさ〜ん!
嬉しいよ〜!お酒は弱い私達ですが、
今からみさおさんに乾杯〜〜します!(笑)
みさおさん!また明日もいい日にしましょうね!
               

24/02/2009(火) 00:05:20

No.5306  ちぃ
Re: みさおさんより 引用
みさおさん、とってもとっても嬉しいよぉ〜!
色んな気持ちをお話してくれてありがとう!!
ほんとに嬉しいよぉ!!
みさおさん、すごく柔らかくってあったかぃ♪
私もみさおさんの全部が大好き!
みさおさんと一緒に居れることが、みさおさんの心に触れさせてもらえることがほんとに嬉しいです!!
みさおさんの心と体を信じてこれからも応援しています!!
みさおさん、ヤッター!!

24/02/2009(火) 00:27:08


No.5286 飯沼 ホームページ E-mail
高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 引用

「愛は時空を超えて」で、克から「疲れているからリフレッシュしてきてね」と優しく言ってもらい、ついその気になって小旅行を計画しましたが、どうやら霊界側では別の意図があったようです。
「最初から『岩戸開き』などと伝えれば、あなたは躊躇して先送りにするに決まっているから」ということのようでした。
まさに、使われる身の辛さではありますが、リフレッシュもできたし、霊界側の指示通りに動くこともできたと思います。
楽しく、意義深い旅行でした。

もともとは、克から勧められて、小旅行に出ようと思いました。
私の場合、「日常を離れて」となれば、いつも船に乗りたくなります。
しかも、うんざりするぐらいの長い時間の船旅が。
以前、沖縄にも船で行ったし、沖永良部島の帰りも船にしました。
一昨年は北海道にも船で行きました。

今回も船に乗りたくて、いろいろ調べてみましたが適当な航路が見つからなかった。
名古屋から仙台に行く航路があって、それに乗って岩手の平泉に行こうかとも思ったのですが、雪が厄介だし。
冬の海は荒れることが多く、船酔いとかはしないにしても、それでもひどく揺れるのはあまり気持ちのいいものではありません。
それで仕方なく、大阪南港から別府航路の船に乗ることにしました。
昼間に船で、ただただ海を見ているのが好きなのですが、今は中距離航路は夜のフェリーしかないのです。

別府に早朝について、温泉にでも入ってその日の夕方の船に乗ろうかとも思ったのですが、九州まで行くのなら以前から行ってみたかった宮崎県の高千穂にも行くことにしました。
そこまで行くのなら、やはり一度は行ってみたかった鹿児島県の上野原縄文遺跡まで足を延ばすことにした次第。
格段に出費は増えますが、上野原遺跡はずっと前から行きたかったし、以前ドネのSNSであきどんさんが行ったと書いているのを読んで、なんだかぐんと身近に感じるようになっていました。

出発の前には、「岩戸開き」という言葉が伝えられ、緊張と意欲が高まってきました。
さきさんも同行することになったが、さきさんは以前に友人と高千穂に行ったことがあって、「なぜか高千穂神社は、怖いというか、とても気持ちの悪い雰囲気を感じた」と言います。

高千穂とは、古事記や日本書紀に記されている「天孫降臨」の場所です。
高千穂という地名は鹿児島にも宮崎にも、鳥取県にもあります。
「天岩戸」と呼ばれる洞窟も各地にあるのです。
「天孫降臨」「天の岩戸」についてご存知でない方は、検索でお調べください。

「天孫降臨」や「岩戸隠れ」の意味については諸説あります。
明治維新から敗戦までの間は、「天孫降臨」の神話をそのまま事実とした教育がなされ、「天皇=現人神」という絶対化によって、政府が人々を支配していました。
神話の内実を研究対象にすることなど、皇室に対する冒涜で、許されるものではなかったようです。
戦後はその反動で、「史実とは無関係の神話」として扱われ、神話の元になった史実に目を向ける学者はほとんどいませんでした。

その一方で、戦後から最近にかけて、縄文遺跡が各地で発掘され、そこから縄文の人々の暮らしが明らかになってきました。
僕が小中学生だった頃は、「縄文時代はまさに原始時代で、狩や木の実の採取で暮らし、定住もしていなかった。弥生時代に入って農耕が伝えられることによって定住生活が始まり、文化文明が発達してきた」と教えられていました。
ところが、三内丸山遺跡や上野原遺跡などの大発見によって、縄文には固有の文化があり、1万年の間にわたって戦乱らしい戦乱もなく、彼らは「共生(分かちあい)」の価値観によって、縄文ネットワークともいえる社会を形成していたことが分かってきたのです。
彼らは魂や死後の世界の実在を受け入れ、全てのものに神が宿る・全ては神の顕れであるとの考え方に基づいて生きていたようです。
古神道といわれる訓えは、縄文から受け継がれてきたものであるようです。

縄文人は人種的にも弥生人とは明らかに異なっていることも分かってきました。
それは発掘される骨格からも分かります。
0.2%以下の確率で成人T細胞白血病を起こす「ATLウイルス」のキャリア率からも、縄文人と弥生人の違いは明らかです。
「ATLウイルス」は、ほとんどが母子感染で、感染率は40%程度以下だと言われています。
弥生人や中国・朝鮮の人たちには、「ATLウイルス」のキャリアは皆無です。
縄文人はほとんどがキャリアだったようです。

日本の多くの地域では、現在のキャリア率は1%未満です。
しかし、縄文人の末裔と思われるアイヌ民族や沖縄の人は30%以上のキャリア率です。
高千穂などを含む西南九州や隠岐の島や四国の僻地などは、今でも30%以上の人がキャリアだそうです。
これは、縄文人と弥生人が別の人種で、混血しながら多数派になっていったと考えられます。
弥生人の支配から漏れた地域や、制圧はしても混血はあまりしなかった地域では、ATLウイルスのキャリアが大勢残っているということでしょう。

縄文時代は1万2〜3千年前から始まり、弥生時代の始まりには諸説がありますが、弥生時代は紀元前1000〜300年頃から始まったと言われています。
縄文が自然な形で弥生に移行したのではなく、弥生文化は主に朝鮮半島から移動してきた人々によってもたらされたものでした。
彼らは北九州や山口県や紀伊半島などに上陸し、縄文の人々を駆逐したり、同化しながら、弥生人同士でも争っていたようです。
やがて、北九州の弥生人グループが勢力拡大のためかあるいは分裂したのかによって、九州西南部に大移動を始めたのでしょう。
それは彼らの価値観からして、融和や協調ではなく、征服・同化という支配の形で行なわれたのでしょう。

克が以前に受信した、「古事記を読み解く」では、弥生人が西南九州の縄文人を制圧した時の伝承が、神話の形で記されているとの立場からの解読でした。
弥生人は、権力や財産の集中による支配を目指し、武力や政治的駆け引きを用いたのでしょう。
それは、彼らが日本列島に移住する前から身についていた価値観と方法であったのです。
それに対して縄文人は、おそらくは私有観念もなく、全ては神から与えられるものとして分かちあい、豊かな心の文化を繰り広げてきたのです。
縄文人たちは、渡来人(弥生人)たちを柔軟に受け入れていたのでしょう。
やがて弥生人は、日本列島を制圧する目的で移動を始め、武力では到底かなわない縄文人たちは同化迎合していくしかなかったと思われます。
それでも、縄文の心や価値観を貫こうとした者たちは、弥生人の支配に抵抗したでしょう。

克によれば、迎合した縄文の人々が古事記・日本書紀の「アマテラス」であり、支配に抵抗した者たちが「スサノオ」なのです。
つまり、古事記・日本書紀の「天孫降臨」神話は、北九州から移動して、西南九州を制圧し、瀬戸内地方を経由して、熊野の弥生勢力と合流して畿内(大和)を制圧し、大和朝廷を打ち立てた弥生人の立場からの伝承なのです。
天岩戸の物語も、元は同じ縄文人であった、アマテラス(弥生の支配に迎合した人々)とスサノオ(縄文の価値観を貫こうとした人々)に、弥生の支配者が絡んだ物語として読み解かれています。(「古事記を読み解く」はこの掲示板に再掲載します)

では、縄文と弥生の価値観や暮らし方の、どちらが霊的真理に沿っているのか?
どちらが神の御心に沿っているのか?
これは明らかに、「縄文の価値観や生き方こそが、神の分け御魂を戴いた、霊としての人間の価値観であり、生き方である」となります。
弥生人の支配が確立してから現在に至るまで、日本列島でも「我よし。強い者勝ち。自分に集めるために。自分がうまくやるために。自分さえよければ。・・・」という価値観がまかり通ってきました。
それは物質的な豊かさの追求であり、物質的には進歩したともいえますが、その一方で心の豊かさはないがしろにされ、人々が地上に生きる喜びを謳歌できなくなってきました。
今では、ごく一部の勝ち組は別にして、ほとんど全ての人が人生を謳歌するのとは程遠い心の状況になっています。
そして、物質的にも金銭的にも格差が広がり、与えられた物を喜ぶことよりも、失うことや得られないことに心をかげらしてしまう状態です。
あるいは、物質や機械に翻弄されて、心を遣う喜び・心を交し合う喜びも薄れ、人間の心はますます神や霊界から離れてしまいました。

誤解を避けるために書いておきますが、これは「縄文が善で、弥生が悪」というような意味ではありません。
日本列島を中心として広がっていた1万年の縄文という社会が奇跡的だったのです。
一度は潰(つい)えたかのように見える縄文の心が、未曾有の危機を越えて再び甦り、地上界を本来の霊界の写し世にしていくためのシナリオに沿ったことであったのだと思います。
日本の人々・世界の人々が、今の状況の中で自分たちの意志で「魂=心の輝きや喜び」の方向を選び取ることによって、いわば免疫力を獲得し、もう何があっても揺らぐことのない新しい時代の土台を構築していくのです。
そのために、本来の霊界と直結していた縄文の心は閉じられたのです。
つまり、記紀の「岩戸開き」は、実は「岩戸閉め」であったということです。

そして、弥生の支配と共に閉じられた岩戸を開く時節がめぐってきたということのようです。
日本列島をはじめ世界の状況が、物や心の両方で非常に厳しくなってきた今の時期に、本来の霊界からのエネルギーによって、「魂の輝き・魂の喜びが、あまねく人々にいきわたりますように。皆がそういう生き方を始めていけますように」と、全身全霊のエネルギーを発して。
対立・抗争ではなく、全ての人が人としての心を拠りどころとして、言葉・行為行動で表していけるように。
悠々塾は、今までもずっとこのことをしてきたのですが、今回はさきさんと一緒に高千穂の地で「岩戸開き」の“型(かた)”を行なうということだったのでしょう。

長くなるので、続きはまた書きます。

21/02/2009(土) 17:16:05


No.5287  さき ホームページ
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 引用
ぬまさん、お疲れ様でした。報告ありがとう。
報告なのですが、内容をうまくまとめてもらって読みものとしても興味深く読ませてもらいました。
私が言うのも変ですが、続きも楽しみにしてます。

以下は今月の悠々通信の「はじめに」として書いたものです。
***********

大いなる神の意志によって地上界は形づくられた。
天地の開闢(かいびゃく)とは、霊界の写し世としての地上界が物質次元に顕現されることを言う。
天地(あめつち)が開かれる、とは、霊界の次元から「神の意志」が変換されて物質次元に下ろされることなのである。霊界と地上とに分かたれることを指す。
この時、地上界に存在したエネルギーは「調和」(アメノミナカヌシ)。
そして、「顕現・形を有する・形を成す」(タカミムスビ)エネルギー。
そして「意志」(カミムスビ)のエネルギー。
これらのエネルギーは完成形としての状態を有するまで、別個のものとして地上に作用する。
それらが全てひとつとなった時こそ、大いなる神の意志の顕現として「霊界の写し世」である地上界が完成する。


克子さんが受信された「古事記を読み解く」の冒頭です。
圧倒的な内容とエネルギーとを感じます。
2月16日夜のフェリーに乗り、飯沼さんと宮崎の高千穂〜鹿児島の上野原縄文遺跡をまわりました。

船のなかでこの「古事記を読み解く」の圧倒的なエネルギーに触れました。
古事記の神話を、日本列島の先住民である縄文人(文化社会)から渡来系の弥生人(社会文化)への移行(支配)の歴史と重ね合わせながら読み解く内容です。そこには支配した側からの記述からは歪められ抜け落ちた視点が提示されています。
縄文という時代がはらんでいた「霊界の写し世」としての地上界―。
「支配」する者たちは、その希望と可能性を封じたのです。
(力による支配、そして巧妙な物語によって。)
まことの魂の喜びを知る者たちにとって、それはどれほどの屈辱であり嘆きだったでしょう。

縄文から弥生への移行を、わかちあいから奪いあいへ、助けあいから「支配」への移行だととらえると、その支配のとことん行きつく先が<今>なのだと思います。

何千年にわたって封じられてきた魂の喜び、魂の輝きを、再びとりもどすために、世に出すために、そのはじまりとするために、今回の旅があったようです。
岩戸開き、魂喜(たまき)あまねく人々に―。
克子さんから伝えられ、高千穂で唱えた言葉です。

皆様も一度声にしてみてください。
このエネルギーに触れ、自分自身のなかにある<魂の喜び>につながろうとしてみて下さい。
感じとろうとしてみて下さい。
この地上に生まれた魂として、その喜びにつながることが岩戸開きなのです。
*************(ここまで)

高千穂の天の岩戸神社の近くの天の安河原というところで最初にこの言葉を声にして唱えた時に、身体が揺れるというか、どっかにワープしてしまいそうでちょっと怖いような振動?波動?を感じました。その時に「元に還ろう」という言葉が浮かんで涙がポロポロでてきました。
岩戸開きって、そういうことなんだと思いました。
岩戸開きをするって、前日からぬまさんに何度も促されてプレッシャーだったけど、その瞬間に特別なことでなく「元に還ろう」ってことなんだと思いました。魂の故郷につながったような安心とあたたかさとありがたさ。

これって私の思いすごし?私ヘンなのかな?と心配になったのですが、後で話しててぬまさんがやっぱりあの時に身体が揺れたって言ったのを聞いて、どうも思いすごしではなさそうだと思い、ここに書いています。

そのあとも、古事記の物語をこんな風に読んでみたらって読み直しの話や、アマテラスの解釈や、高千穂神社の怖さ?や、いっぱいいろんな話をしました。
そのあたりはぬまさんがまた書いてくれると思います。

鹿児島ではあきどんさんと出会うことができて、楽しい時を過ごしました。
翌日には縄文の早期からの巨大な定住集落である上野原遺跡を案内してもらいました。
発掘してないだけで上野原台地にはまだまだ多くの縄文の遺跡が眠っているようでした。
実際に一緒に上野原のあの場所に立てたこと嬉しかったです。忘れません。
あきどんさん、ありがとう〜☆
自分自身の恐れや躊躇を越えていきたいです。
一緒に岩戸開きしましょうね!!

帰りはまた宮崎からフェリーに乗ったのですが、夜は大荒れ。
大変な揺れでした。それにも意味があったみたいですけど。
なんせ最初から最後まで、とても刺激的な旅でした。

21/02/2009(土) 22:30:40

No.5292  あきどん
Re: 高千穂・岩戸開き・上野原縄文遺跡の旅 引用
飯沼さん、さきさん、旅行お疲れ様でした。
お会いできたくさんお話できて嬉しかったです。
ありがとうございました。
お帰りの船は揺れて大変だったんですね。。。知らなかったです。
克子さんの以前のメッセージで悠々塾は雛形と言われていましたが、
自分もその一部だったとは、びっくりしました。
私がアマテラス系の性格を持っていたんですね。。。
以前私が、スサノオがご祭神の須佐神社で参拝したとき、蜂に追いかけられたり、おみくじも厳しい内容で、厳しい雰囲気に、なんだかなあ。。。と思ったのは無関係ではなかった?と、後付けで解釈したりしてます(^^;

また、飯沼さんのおっしゃる通り、鹿児島には、何かの白血病のウイルスキャリア率が高いというのは聞いたことあります。

私も、飯沼さんの、続き、楽しみにしてます。

23/02/2009(月) 10:13:08


No.5288 さき ホームページ 
みさおさん♪♪ 引用
今日は、みさおさんの誕生日です。
いくつになっても嬉しいものですよねっ☆

去年の9月に卵巣がん子宮がんの診断を受けて、その時には腹水が溜まってお腹が大きく膨らんでたよね。
あの時のみさおさんを思うと胸がキューっとなります。
病気がわかってからみさおさんといっぱい話をしたね。
みさおさん、必死だったよね。
一生懸命自分を変えようと頑張ったよね。
喜心治病ーに向かっていこうと、自分の思い通りにではなく、ありのままを受け入れ、願って委ねるってテーマに挑んだよね。
病気のみさおさんに私はすごく偉そうなことも言った。
そのなかで、それまで私には見えてなかったみさおさんの心細さや、さみしさ、正直さ、可愛らしさ、、みさおさんの生の心に触れて、みさおさんとの距離がこれまでよりずっと近くなったようで嬉しかった。
ずっと友だちでいようねって、言ったよね。

ずっと友だちだよ。
みさおさんが好き、だから願ってる。
治癒に向かっていけるように。
かげりを光に変えていけるように。そこではみんな一緒やよ。
一緒に生きていこうね。
泣いたり笑ったり、喧嘩したり、色んなことがあってもいいやん。
一緒に生きていこうね。

あなたが生まれてきてくれたこの日に感謝!
みさおさん、お誕生日おめでとう!!!!

九州旅行中にもらったメール嬉しかったよ。
ありのままにみなさんにも報告してね。

22/02/2009(日) 13:04:20


No.5289  オレンジ
Re: みさおさん♪♪ 引用
みさおさん、お誕生日おめでとう!
みさおさんと出会えたことに感謝。
かげりを光に、それは私も一緒よ。
これからもよろしく!!

22/02/2009(日) 18:05:55

No.5290  あきこ
Re: みさおさん♪♪ 引用
みさおさんお誕生日おめでとう♡
年下のくせに偉そうな事言うかもやけど
みさおさんこんなにかわいい人やったんやなーって
改めて思いました!!
昨日に誕生日のこと知らなくてごめんね・・・
茶漉しプレゼントしたらよかったよ・・・
また遊んでください♪♪♪

22/02/2009(日) 22:25:42

No.5291  ちぃ
Re: みさおさん♪♪ 引用
お誕生日おめでとうございます!!
みさおさんとの出会いに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
この間、色んなお話をさせてもらって本当に嬉しかった。
みさおさんの心に触れさせてもらえることが本当に嬉しいです!
みさおさんの全部が大好き。
これまでのみさおさんも、今のみさおさんも、これからのみさおさんも全部大好き!!
これからもその時々のありのままのみさおさんで居てね。
ずっとずっと一緒に歩んでいこうね。
治癒や喜びに向かって歩んでいこうね。

23/02/2009(月) 02:16:53


No.5285 飯沼 ホームページ E-mail
岩戸開き 引用
今朝、篠山に戻ってきました。

宮崎県の高千穂、鹿児島県の上野原縄文遺跡などを回りました。
鹿児島ではあきどんさんも同じ宿に泊まって、翌日は車でご一緒してくださり、とても助かりました。
それだけではなく、今回の「岩戸開き」に象徴的な意味で関係していることが分かり、霊界側の計らいに改めて驚きました。

今回のことは明日以降にこの掲示板に書いていきたいと思います。

皆さんからの応援、ありがとうございました。
あきどんさん、ほんとにありがとう!

20/02/2009(金) 21:58:29



No.5282 菊池 博幸  
なんの使命を帯びて生まれてきたのか 引用
姫路の山田さんから聞きましたが、私は、なんの使命を帯びて生まれてきたのか?また、今、大腸を患ってますが、なんのメッセージが、あるのでしょうか?

19/02/2009(木) 18:40:20


No.5283  あきら
Re: なんの使命を帯びて生まれてきたのか 引用
こんばんは、はじめまして。
飯沼さんは九州に出掛けてます。まあ今日帰ってくる予定だと思いますが。
なので近々返信があると思います。
お身体が回復されますように。

19/02/2009(木) 23:48:08

No.5284  飯沼 ホームページ E-mail
Re: なんの使命を帯びて生まれてきたのか 引用
☆菊池さま

はじめまして。

こちらでのヒーリング・カウンセリングは直接と遠隔の2種類があります。
いずれもご予約かお申し込みをしていただくことになっています。
悠々塾サイト表紙上部の「ヒーリングのお申し込みについて」をご参照ください。
直接ヒーリングについては、表紙ページの「お知らせ」欄に3月の予定を掲載しています。

20/02/2009(金) 21:47:30


No.5267 鉄ママ  
カウンセリング 引用
昨日(15日)K母子と一緒に京都へ行ってきました。
K母子のカウンセリングの付き添いで。
飯沼さんもさきさんもKを一目見るなり「いい子だね。こんな優しい子はいない。」と言いました。
「そうなんです。」と私は心の中でうなずいていました。
Kの問題行動は「お母さんに置いていかれた。」といった心の傷から来るものでした。それはとても深いもの。
お母さんとKは共に優しい人の気持ちがよく分かるそうです。
ただお母さんは小さい頃、父親の暴力をうけている母親の姿に心を痛めていました。そして一方ではそんな父親の悲しみも感じる子だったそうです。
両親の気持ちを敏感に感じるとる小さな彼女は心を閉ざしたそうです。
本当は溢れる愛情があるのに。。。。

飯沼さんとさきさんに促されて「淋しい思いをさせてごめんね。」
とKにお母さんが泣きながら謝っていました。
「ほんと?」と言うKに「私が産んだ子なんだもの、当たり前でしょう。」と答えていました。
Kにも「淋しかった。とお母さんに言ってごらん。」と飯沼さんが言いました。
その優しさからなかなか言えないKでしたが搾り出すように「淋しかった。」とお母さんに伝えました。
もらい泣きしてしまいました。
お母さんもKも大丈夫、という飯沼さんの言葉が私も本当にうれしかったです。
お母さんのKに対する言動、固さ、いつも「なんで?」「分からない?」時折ほんのちょっと見せるKに対する母性。
納得しました。
京都に向かう時の彼女と帰りの彼女の顔は全然違っていました。
「行って本当によかったです。心の奥の奥のカウンセリングでした。」
「また主人とも行きたいです。」と話していました。
帰りはKもお母さんに甘えた感じで私は「お邪魔かな」と席を外しました。

明日Kの問題行動について、担任2人、コーディネーター、児童相談所の担当とK母の5人で共通理解を得るためにと話し合いが持たれるそうです。
彼女がとても不安そうに話すので「同席しようか?」と言うと「お願いします。」と言いました。
学校関係者は、ごちゃごちゃうるさいのでなかなか承知してくれないでしょうが、「必ず行ってあげるから。」と言いました。
彼女がこんな風に私を頼って来たのは初めてです。
私はうれしいです。

飯沼さん、さきさん、本当に本当にありがとうございました。
定例会へも参加したいと言っていました。
その時はみなさんよろしくお願いします。

16/02/2009(月) 17:26:01


No.5268  ひとみ&あきら
Re: カウンセリング 引用
鉄ママ、お疲れ様でした〜。
お話を読んでいて、じ〜んときてしまいました。
Kママも幼い頃、とても辛い思いをしていたんですね・・・。
KママもK君も気持ちをしっかり確認できてほんとに良かったですね。お二人の嬉しさが伝わります。そばにいた鉄ママの笑顔もわかります!
ほんとに良かった〜!
KママとK君に是非お会いしたいです。
鉄ママ、よろしくね!

               ひとみ
嬉しいカウンセリングになりましたね。
K母もK君も心優しいんですね、その反動だったんだあ。

ホントに人によって人は変われるという事を思います。
鉄ママファミリーが、本気で関わってこられたからこそ繋がれたご縁。尊敬と誇りに思います。
定例会、楽しみです。
                 あきら

16/02/2009(月) 23:07:54

No.5269  鉄ママ
Re: カウンセリング 引用
あきらさん、ひとみちゃん、ありがとうございます。

今日もKは学校でやってしまいました。
大騒ぎになった様子です。バカタレが。
カウンセリングで「Kくんのことを信じるように。」と飯沼さんたちに言われたてたK母は「信じてるからね。」とKに言ったそうです。
Kは泣きながらうなずいていたとK母が言っていました。
明日の話し合いへの私の参加は最初思った通り却下されました。
「プライベートなことなので。」と。必ず言われます。「プライベート」
「集まられる誰よりも彼らのことを心配し、プライベートでの関わりもミツですが。」と反撃しました。
とにかく先生は激怒していました。「もう、限界です。今までは他のご父兄からなんとか守ろうとしてきましたが、あの子だけのクラスじゃないんです!怯えている他の子がかわいそうです。」
と私に怒りを表してきました。
「鉄ママさんに同席されるとK母が頼ってしまいます。また、逃げてしまいます。だから遠慮してください。」と言われました。
こんな担任を見るのは初めてでした。
私はずっと考えました。先生の言葉の意味を。
チビ鉄も散々な目にあっています、多分クラスの誰よりも。
その当事者である私たちがKに対してどう関わってきたか。K母に対してもどう関わってきたか、この担任はよく知っています。
教育者としてどうあるべきか?本当はどう対応すべきか?分かっているのだと思います。
でもここに来て感情に流される担任の心。
そこを私に指摘されることを恐れているのかしら?と思いました。
「先生も恐いんだ・・・」
「私だって恐い。」
K母はもっと恐いはず。それぞれの思いで。

明日は同席することを了解させました。
K母に「一人じゃないからね。もし分かってもらえなくてちゃんちゃん、になってもいいよ。分かってくれる人は分かってくれてるんだから。」と伝えました。

16/02/2009(月) 23:59:22

No.5270  飯沼 (代理投稿まゆみ)
Re: カウンセリング 引用
鉄ママ、昨日はお疲れさまでした。
長い間の鉄ファミリーの粘り強い関わりによって、京都に来た時にはK君のお母さんの気持ちはほとんど大丈夫になってたように感じました。僕らはちょっと整理をしたり促しただけでした。
Kくんが今日も暴れたのはやはり無意識に試しているのでしょうね。

お母さんがその状況で「信じているよ」と言ってあげられたのはよかったです。
先生方の怒りも分かりますが、Kくんは家では暴れずに学校だけで暴れてしまうことを教師としてどう受け止めるかでしょうね。
学校でも、一時鉄がちび鉄に付き添って学校に行ってた頃は暴れなかったのですし。
それがなぜなのかが分からないまでも、そこに焦点を当てることなく、Kくんの問題としてしか考えられない教師に彼を鎮めることは難しいでしょうが、彼の心を受け止めて、導いてあげてほしいと思います。

Kくんのことについてのメッセージを受信しました。
内容は、「彼は本当の意味での公平ということを知っている。
それゆえにあらゆる不公平に対して深く傷つき激しい憤りを感じてしまう。彼はまだまだ子供であり成長過程にあるので、極端な思い方や行動に走ってしまうことも少なくない。
しかし、彼は決して物事の分からない子供ではない。
間違いや過ちに対しての謝罪や埋め合わせを受け入れる度量は持っている。
周囲の者たちが彼を信じ、彼が不公平感を抱かぬように粘り強く接していくことによって、彼は必ず本来の彼として成長していける」

というものです。今までの彼は乳幼児の頃の分も含めて、母親に自分のことを見て欲しかったのでしょう。
彼にしてみたらそれが当然の「公平さ」だったのだと思います。
それが叶わなかったから、彼は母親を困らせる行動で、さらに母親の注意を引こうとしたが全く裏目に出て、彼自身も自暴自棄になっていったのでしょう。
乳幼児の頃にたくさん傷つき、しかも「公平」を軸に物事に反応する彼にとっては、自分に対する不当な扱いに反撃するのはある意味で当然なのでしょう。
彼はものすごく頭の良い子ですが、やはりまだ子供なので、「同じはずなのに差をつけられている」と感じたら憤りが噴出するのだと思います。
鉄やちび鉄と同じように大きな輝きを内在させている子なので、なんとかそれを発揮させてあげたいものです。

今、フェリーのなかです。
明日まゆみさんに代理投稿してもらいます。
明日は高千穂に行くのですが、それについて克から伝えられたことがあって、なんだか眠れそうにありません。
「岩戸開き、唱える言葉は『たまき(魂喜・魂輝)あまねく人々に』」だとか。
たまきは漢字としては霊(たま)喜・霊(たま)輝ですね。
その前に、「神事(かみごと)ならば、霊界の導きを微塵も疑うことなく、使って頂く喜びのみで更なる働きに身を投じるように」と。
「神事(かみごと)に関しては、理性的検証ではなく、霊的直感の回路を用いるように」なんて言われたら、そりゃあ眠れないよ。

17/02/2009(火) 06:37:14

No.5271  鉄ママ
Re: カウンセリング 引用
話し合いに行ってきました。
私は、本当に不安で仕方がありませんでした。
それは今まで見たことがなかった担任の怒りに触れたからだと思います。
「怒り」を中心にした家庭で育った私なので、やはり「怒り」に対しては敏感で怖れを感じてしまいます。
今までの私は、「怒り」に触れると「怒り」を持って向かい何も言わせないように、傷つかないないように(私)と対応してきました。
「鉄パパに一緒にいてほしい」と思いました。

でも、「K母をここで守らなければ」と思っていました。
私の不安をK母に悟られてはいけない。。。
このままで行けば「私のやり方」「癖」がでそうでした。
そうなれば状況は益々悪くなりK母を守るとはほど遠くなりそうで
これも不安でした。
申し訳ないと思いつつ九州にいる飯沼さんにメールで「闘ってもいいでしょうか?」と聞きました。
「なんとしても守ってあげて」と返信があり私の心は決まりました。
「鉄ママさんは口出ししないで。」との約束が担任との間でありましたが、思いっきりぶっちぎりました。
今までのKに対するK母の理解しがたい言動を担任はついてきました。
確かにそれはあまりにも未熟で酷いものでしたから、仕方がありません。
しどろもどろで答えようとするK母の言葉は空回りしました。
それでも、Kをかばい自分の母親としての気持ちを伝えようとしていました。
私には、カウンセリングにも同席し彼女が心から話していると分かるのですが、先生たちには「まただ。」としか写らないようでした。
「人間関係って信じて、信じてもらって強くなり成り立って行くものではないですか。それが人としての基本じゃないですか?うちの長男も、Kのように診断を受け、今でもやんちゃな子です。でも、私はあの子を信じています。親が子を信じ絆が強くなって行くことでKの言動は必ず落ち着いて行くはずです。私が私の経験全てを持ってKさんに大丈夫と言ってあげます。私はK親子を信じています。」と話しました。
彼女の小さい頃の悲しみやそのために閉ざしてしまった心。
あと、Kの公平さに対する反応も、私自身も小さい頃感じていたので私の経験に照らし合わせながら伝え、こちら側にばかり求めてくる担任に「じゅうぶん配慮してやってほしい。」とお願いしました。
そして「私たちの前でのKは心優しく、気遣いの出来る子であること。私のことは絶対殴らない。」どうしてか?と投げかけておきました。
最後にK母が「もう少しもう少し待っててください。信じてください。」と涙ぐみながら言っていました。

その夜K母からもらったメールに「私はもう折れません!」とありました。
「一緒にがんばろうね。」と返信しました。

18/02/2009(水) 11:32:42

No.5272  ひろこ
Re: カウンセリング 引用
鉄ママのこれからの仕事の始まりだなあと思って読みました。
鉄ママが今までの経験した苦しみは、同じ思いで苦しんでいる沢山を救える宝物にと思います。
この掲示板をここだけで終わらせるのはもったいないなあっていう思いです。

今朝の地震は鉄ママのところで動いたんじゃないかなあ?
頑張ってくださいね。

18/02/2009(水) 17:38:01

No.5274  あきら
Re: カウンセリング 引用
鉄ママ、お疲れ様でした。
どうなったかと気になっていましたが、K母の「私はもう折れません!」の言葉で、鉄ママの思い、鉄ママファミリーの思いがしっかりと届いていると感動しました。
K君はきっと大丈夫だろうし、K母もK母らしくなっていくでしょうし、嬉しいですね。

18/02/2009(水) 21:25:51

No.5275  鉄ママ
Re: カウンセリング 引用
うん。

18/02/2009(水) 22:27:43

No.5276  キン
Re: カウンセリング 引用
鉄ママ、話し合いおつかれさまです。
エネルギーいっぱい使ったと思います。ほんと…
K母さんにとっても鉄ママに信じてもらえることが、大きな励みになると思います。
鉄ママやみんなの情の熱さはすごいです。
なんでも事なかれで人との関係も希薄になってる今、
人間同士のぶつかりあいに葛藤もありながらも
まっすぐに正面きってる鉄ママや鉄ファミリー。
それに伴って、K母さんもそういう気持ちになってる。
そこで、なんか絆が紡がれて…
それぞれがそれぞれの持ち味で、その人らしくなんだろうけど、
生きることってこういうことでもあるんだなと感じます。
これからまだ色々あるかもしれないけど、
鉄ママを応援してるし、K母さんのことも応援してます。

19/02/2009(木) 01:06:42

No.5277  鉄ママ
Re: カウンセリング 引用
報告させていただきます。
いつも、チビ鉄の連絡ノートにチビ鉄の学校での様子とKの様子も書いて知らせてくれるのですが、今日は「K君はお母さんが持たせてくれた歯ブラシとうがいのコップをうれしそうにみせました。顔つきが全然違います。」とありました。
うれしいです。とっても。
今までK母にどんなに訴えてもピクリともしなかったのですが、一昨日はKの部屋を二人で掃除し、お風呂には家族で入ったそうです。
なんでもないことかもしれませんが、Kにとっては本当にうれしい出来事であり、K母にとっても楽しいことなのだと感じます。
よかったです!

19/02/2009(木) 16:39:28

No.5278  キン
Re: カウンセリング 引用
K君の嬉しさがなんか伝わってきました。
鉄ママの嬉しさも!!
よかった!
一緒にお風呂も入れてほんとよかった!

19/02/2009(木) 17:07:03

No.5281  ひろこ
Re: カウンセリング 引用
鉄ママやったね。
鉄・チビ鉄っちゃんは鉄パパ・鉄ママを見て生きて行くよ。
楽しみ!!!
昨日の北陸からの地震は鉄ママの動きのような気がする。
大阪も結構揺れたよ。Kかあさんがんばってね。

ぬまさんへ
寝れましたか〜〜?

19/02/2009(木) 18:10:49

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