☆数年前に克が受信した「古事記を読み解く」を掲載していきます。 残念なことに、全部を受信することなく克は霊界に戻ってしまいましたが、それでも十分に意味のある仕事をしたと思います。 これを受信した頃は、出血も始まり、克の体調が厳しくなってきていました。 そういうなかで受信を続けた克の様子を思い出すのが辛くて、長い間、私自身もこれを読み返すことを避けてしまっていました。 しかし、今回高千穂に行くにあたって読み返してみたら、改めてその内容のすごさに驚嘆させられました。 まずは前文として受信したものから掲載していきます。 。。。。。。。。。。。。。
「古事記を読み解く」
ここに伝えられている“文章”、語り継がれてきた“文章”を読み解くのは綴られている言葉を訳することとは違います。 文章の奥にある隠された意味を明らかにし、語り継ぎ伝えようとした真意を、改めて表に出すためです。 国の創設にあたっては、権力者に不都合な記述や箇所は改ざんされます。当時の“今”を肯定、補強するための材料として古事記は使われました。不都合を都合良く変えていくことで、人々の記憶や伝承に影響を与え、意図、意向に添わせていくためです。本来伝えられるはずの事柄を封じ、消し去るためです。
古事記はこの国の成り立ちを示すもの。だとすれば国造りの経緯は権力者主体に語られます。従わない、逆らう者たちは当然ながら「悪しき者」として扱われます。 しかし、文章の奥に隠れるようにして伝えられてきたものを表に出すことで、この国がいかにして“創られたか”この国に引き継がれるはずのものは何だったのかを再提示できるでしょう。それは同時に、これからこの国が目指すべき方向性を示すものでもあります。 古事記を読み解くにあたっては、土着の日本人に多大な影響を与え、共存と繁栄の縄文時代を築くうえで、精神的・文化的礎地をもたらした「人々」を無視することはできません。なぜなら、国家の成立とは、縄文と弥生との入れ替わり、弥生による縄文の駆逐だからです。 では、縄文の繁栄を担った「人々」とは誰か、どこから来たのか―――。
私どもは彼らを「ムゥ」の末裔と呼びます。伝説上の、あるいは想像上の“くに”と言われる「ムゥ」に、縄文繁栄のルーツがあるのです。「ムゥ」に関しては、実証・証明がまだできておりません。ゆえに、読み解かれたものに抵抗感・違和感・不信感を持つ人もいるでしょう。「ムゥ」に関わる記述があっても、それを受け入れることを強要致しませんし、最後まで納得できなくても構いません。しかし、読み解きを進めるに際しては必要な要素なのだと認識してくだされば十分です。 「ムゥ」についての概要をここでお伝えし、それを前提として、読み解きを進めます。
***ムゥについて***
猿類からの進化によって「ヒト」となった人間ではなく、物質化によって作られた肉体に霊魂が宿ることによって地上に現れた「人間」が作った“くに”。もちろん、途中からは男女の交わりによる妊娠・出産を経る「誕生」に変化し、血は引き継がれるようになる。「ヒト」とムゥの「人間」は、あまりに違いすぎていたために、全く接触がなかった。
ムゥの位置は、太平洋の西域、赤道のやや北にあり、中央に山を頂くほぼ同心円状の島国。面積およそ十四万k?u。人口は最盛期で二十万人。 そこに生きる人々は、主に島の南側に邑々を作って暮らしを営んでいた。くに全体を統括する役割の邑はあったが、各々の邑は長によりまとめられていて、連携や協調のなかで“くに”が形づくられていた。邑々は、それぞれに、心の傾向、心のエネルギーの傾向の同じ人々が集ったもので、それが邑としての特徴であり役割となっていた。 例えば、全体を統括する役割を担う邑の人々は「法則や摂理の尊重、遵守」のエネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「正しさ」が特徴である。 また、創造の役割を担う邑の人々は「喜びを形に変換する」エネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「表現」が特徴である、というように。 各邑々が担う役割の違いは、互いにとって必要なものであると同時に、協調・相互扶助・補完・尊重の基本でもあった。「違い」によって人々は多様性を喜び、満たし合うことを幸せにできていた。よって、誰もが自らの存在意義に確信があり、個としても全体の一部としても、そして神の子としても、喜びのなかで生きられていた。 しかし、この「違い」を喜びとできず、逆に自分を喜べない材料にしてしまう者たちが出始めるところから、ムゥの調和は崩れていく。比較に心をかげらせることで、個であることは喜べず、全体の一部であることも喜べない。人の喜びを自らの喜びとすることもできなくなる。 「違い」を「偏り、不公平」と認識したところから始まって、自分はそれ以上に得ようとするようになる。そのことが実際に偏りや不調和を引き起こしていく。それが「支配」を求め、戦いを生み、それまでの調和状態から対立、抗争、混乱、そして崩壊へと進む。 かげりを知らず、喜びのみの心で生きていたムゥの人々は、各々の心に広がったかげりに飲み込まれ、育んできた「喜びの心」を見失ってしまう。かげりの連鎖からは次なる喜びは見出せない。くに全体と人々の心との調和が作り出していた豊かで美しい島は、調和の乱れとともに海に沈んだ。 しかし、全ての人々が島とともに沈んだのではない。 一部の者たちは沈没を逃れ、世界の各地に逃げのびた。今からおよそ一万二千年前のことである。 各地に逃げのびた人々は、自分たちで独自の集団として生きるか、既に先住している「人間(これが猿類から進化してヒトになった人々である)」に溶け込み、共存の道を選ぶかどちらでしかない。 日本の地に辿り着いた人々は、縄文の人々のなかに溶け込み、ムゥの精神と文化とを伝え、物心両面において豊かな時代を築いた。 だが、縄文時代が永遠に続くわけではない。弥生の人々が大陸から渡来し、力によって服従を求め支配を広げたからである。 ムゥの精神を受け継ぎ、ムゥの崩壊を教訓としている人々は、対立や戦いではなく、受容や妥協、服従を選ぶ。しかしムゥの精神を頑なに守ろうとするが故に抵抗と抗争をやむなく選ぶ人々は、力によって封じられていく。「悪しき者」として―――。
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「ムゥ」についての概要から、縄文へのつながりを踏まえ、ムゥ――縄文が抹消されていく過程が古事記における国の成り立ちに重ねられ隠されているのだということを前提として、以下の読み解きを進めていきます。 |
27/02/2009(金) 15:06:10
No.5327 飯沼 |
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「古事記」を読み解く 1
大いなる神の意志によって地上界は形づくられた。天地の開闢(かいびゃく)とは、霊界の写し世としての地上界が物質次元に顕現されることを言う。天地(あめつち)が開かれる、とは、霊界の次元から「神の意志」が変換されて物質次元に下ろされることなのである。霊界と地上とに分かたれることを指す。 この時、地上界に存在したエネルギーは「調和」(アメノミナカヌシ)。
そして、「顕現・形を有する・形を成す」(タカミムスビ)エネルギー。
そして「意志」(カミムスビ)のエネルギー。 これらのエネルギーは完成形としての状態を有するまで、別個のものとして地上に作用する。それらが全てひとつとなった時こそ、大いなる神の意志の顕現として「霊界の写し世」である地上界が完成する。 大いなる神とは全(まった)き調和の完全形である。神界、霊界へと次元を下げ、やがて物質次元へとエネルギーが到達するには、大きく三種のエネルギーとして分割しなければ物質次元には作用できない。三種のエネルギーがひとつになり完全調和が成った時、物質次元(地上)でありながら霊界と同じ世界となるのであ る。
地上界が形づくられて間もない頃(未だ“学び”を進め“顕現”の担い手となるべき人類の誕生を見る以前のことである)、「生命」とは呼べぬ段階の物質が、反応し合い、有機物となり、「生命」の基本形ができあがった。そこに「意志」は存在しない。物質どうしに生ずる「反応」のエネルギーが介在したのである(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。
そして、「変化」のエネルギー(アメノトコタチノカミ)。
「意志」を「顕現」し、「調和」を計るには、地上的に言うならば、物質の反応による変化によってなされる。反応と変化こそが、動きを引き出すからである。地上界の形成から完成に至るまでの進化向上の道のりは、連続する変化によって可能なのであるから。同時に、全き調和である、ということは、「動かない」ことではない。むしろ逆である。完全でありながら、絶えざる(さらなる)進化向上を永遠に続けている状態こそが全き調和である。その原理が変換されて地上に及ぶなら、進化向上であり、それをさらに具体化、単純化したエネルギーが「変化」である。 反応と変化とは対の要素と捉えられる。しかし、両者の要素が揃っているだけでは「動き」は出ない。 そこに加わるべき要素がある。意志、希い、欲求、のエネルギーである。それらが相まってこそ、反応と変化から動きが生ずるのである。
これら五種のエネルギーは、調和、意志、顕現、反応、変化。このエネルギーを柱として、さらにエネルギーの要素(傾向)は細分化される。いずれが欠けても大いなる神が意志した「地上界」は完成しない。それは、別々のものとして地上界で作用するが、いずれひとつに統合されるべきものである。
この理(ことわり)を「顕現の担い手」としての人類が認識してこそ、統合は成就する。全くの偶然を以ての進化向上はあり得ないのであるし、何よりも「意志」によって調和を目指すのが、神の御心に沿うことだからである。地上という物質次元だからこそ「反応」という要素が大きな柱のひとつに加えられているのである。調和、意志、顕現、変化は既に霊界には存在し、作用しているエネルギーである。
そして次に必要となるのは「調和」のエネルギーのうち、個と個の間に働く調和のエネルギー(クニノトコタチノカミ)である。前出の「調和」のエネルギーは、全体の調和を象徴するが、このエネルギーは個別の、具体物の、具体的事象の調和をもたらすエネルギーである。地上界に特有の「違い」を調和するエネルギーである。
そして「維持」(トヨクモノカミ)のエネルギー。反応や変化と対立するものではない。「維持」は、状態を継続させる、保証する、という意味において不可欠の要素である。
このふたつのエネルギーがひとつになることで揺るぎない安定、つまり「安寧」や「平安」が成就される。逆を言えば、霊界に存在する「安寧」「平安」のエネルギーは、地上次元においては、「個と個の調和」と「維持」とに分かたれて作用する、ということになる。
次に必要とされるのは「増大」(ウヒヂニノカミ)と「減少」(イモスヒヂニノカミ)である。変化の具体的表現形を象徴する。
そして「事の起こり、きっかけ」(ツノグヒノカミ)「帰結・収束」(イモイクグヒノカミ)。
そして、「否定」(オホトノヂノカミ)と「肯定」(イモオホトノベノカミ)のエネルギー。地上に存在する幾多の意志が全て調和に向うものとは限らない。不調和をきたすもの、調和の方向性を持つものは、“作用”として否定される。そのものを否定するのではない。全てのものはあるものとして肯定される。しかし、より調和に向かう流れのなかにおいては、作用そのものは否定という形を受け入れていくことになるのである。
そして、「充足」のエネルギー(オモダルノカミ)、そして「枯渇」のエネルギー(イモアヤカシコネノカミ)。
そして「(安定に向かう)動き」のエネルギー(イザナギノカミ)。
そして「(動きに向かう)安定」のエネルギー(イザナミノカミ)。
これまで伝えた「調和」(クニノトコタチノカミ)から、「(動きに向かう)安定」(イザナミノカミ)までのエネルギー傾向を併せて、神界からのエネルギーを大きく七つに分けたもの、(カミヨナナヨ)と捉える。
ここまでは、各々のエネルギーは地上に注がれてはいるが、未だエネルギーのままであり、形を伴ってはいない。地上に顕現されてはおらず、混沌としたままである。 地上界の造化を司る意志が、ふたつのエネルギーに働きかけた。安定に向かうために動きを作るイザナギと、動きに向かうための安定を確保するイザナミのエネルギーである。 地上界に注がれているエネルギーを縒り合わせ、さらにいくつものエネルギーを安定・定着させて顕現させていくためである。そのために、天の沼矛(物質化のエネルギー)が投入された。
それに従って、動きと安定、ふたつのエネルギーが「物質化」を作用させ、形を成して定着させることで、地上界は形成された。 地上界の形成とは、地球そのものの創造のみならず、地上的な生命(動植物を含めて)の誕生までを意味する。 そのなかのひとつに、他とは異なる目的で形成された島がある。 |
27/02/2009(金) 15:11:39
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No.5328 えみこ |
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飯沼さん、こんにちは。 九州の旅の報告、わくわくしながら読みました。 その後、天地悠々の”古事記”の連載のことを思い出し 読み返しました。何度も読み返していたはずが、ほとんど 記憶に残らず、今、読み返してみて、その内容の凄さに 驚いています。 旅の内容と合わせ読むと、 なんだか、なぞがとけていくような、、、 そんな感じです。
”古事記”連載を探しながら、その頃の”天地悠々”を読み返し、 克子さんが病と向き合い、苦しんでいた、その時間にしばし 身を置いていました。 そして、いまもこうして、つながっていて、 道を照らしてくれている。 ありがたくて、ありがたくて、 道を踏み外さないよう、 歩いていきたいです。 |
28/02/2009(土) 09:45:32
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