メキシコやアメリカ合衆国で広がっている「豚インフルエンザ」は、今のところ世界的大流行(パンデミック)の兆しは見せてはいませんが、その可能性が否定されたわけでもありません。 メキシコで最初の症例が見つかったのが4月13日で、23日時点での感染者(発症者?)が1000人程度です。 潜伏期間を数日間とみても、爆発的な流行ではなさそうですが、インフルエンザウイルスは短期間で変異して性格を変えるそうですから、しばらくの間は注意が必要です。 人から人への感染も確認されているようですから、油断はできません。
ここでは悠々塾サイトの「病と癒し」から、「風邪・インフルエンザ」について転載しておきます。
【風邪・インフルエンザ】
毎日毎日を喜びのなかでのみ生きられれば人は病を得ることはありません。しかし実際にはそうはいきません。事あるたびに、ささいなことであっても、気持ちが揺れたり、くもったり、喜びでない心は絶えずあなた方の心に生まれています。それらは気持ちを切り換えたり、何か他の嬉しいことによって解消されるのがほとんどです。しかしそうはいかない場合もあります。緊張状態が続いたり、“悩み”が解消しなかったり、もたらされる喜びよりも抱いている心の重さの方がまさっていたり、その程度はさまざまです。心に持ちきれないほど重くなる前に、できることなら解消してしまいたいと、心や体は求めます。
それがいつも健やかさを求めている心と体の自然な動きだからです。
ですから一定のかげりが溜まればそれを即、排出(発熱・下痢・頭痛・嘔吐・咳・・・その他)しようとします。それがいわゆる風邪という症状を引き起こすのですが、その“一定”とは人によって限界がまちまちです。言い方を換えれば、人が抱く想念に引き寄せられる細菌類が介在してくれて、症状を引き起こすとも言えます。 それによって、排出とともにあなた方の抱いた“かげり”が解消されれば、それだけ「全体」のエネルギーがより明るいものへと向かうからです。
その極端な例がインフルエンザです。より急速に、より“強く”排出する力を持つウィルスが働かねばならないのは、冬という“季節”のエネルギー傾向が、拡散・解放・進ちょくというものとは逆の、凝集・閉塞・収縮というものであり、人々もその影響によって、ためてしまったかげりを出しにくい(解消しにくい)からです。とどめようとする力を越えて排出に至らせるには、それだけの“強さ”がなければならないからです。その作用の強さにその人が耐えられない時には、排出が進みすぎ、「死」に至ることにもなるのです。
いずれにしても、心が弾み、充実を感じ、生きていることを喜んでいることができれば、たとえ“かげり”を抱くことがあったとしても、それはすぐ解消できます。それが溜め込まれなければ排出の必要もない、ということであり、風邪すらひかない、ということになります。(日々の苦しさやつらさが重くのしかかっている人が、「風邪ひとつひかない」というのはまた別の問題です。意志の力によってさらに強く「とどめよう。出すまい」としているからこそ、それが肉体に現れない、ということです。) 。。。。。。。。。。。。。。。。
今回の豚インフルエンザは、青年層や壮年層に症状が現れる傾向があるとも伝えられています。 これが事実であればかなり不可解なことです。 いずれにしても、新型インフルエンザは近い将来、必ず大流行するといわれています。
それぞれの人が気持ちの澱を溜め込まないようにしていくことが大切です。 この機会に、自分の心の澱を穏やかな形で排出し、さらなる澱を生じさせないためにも、自分のものの見方や思い方、人との関わり方を変えていきましょう。 それが自分にとっての幸せにもなり、相手や周囲の人の喜びや幸せになるのですから。
特に半ば無意識に使ってしまっている「念のエネルギー」の歪みを、自分の魂の意志に沿うように矯正・修正し、本当の意味で健やかに自分らしく生きていく機会にできますように。 5月の直接ヒーリングの予約はほとんど詰まっていますが、遠隔ヒーリングで補助しながら、澱の解消や「念のエネルギー」の矯正・修正をしようと思われる方はご遠慮なくお申し込みください。
ちょっと話が逸れますが、昨日、遠隔ヒーリングの依頼者のことで、興味深いメールをいただきました。 ひどい喘息のような発作が急に始まった女性に遠隔ヒーリングをしていて、咳の症状はすぐに改善されたのですが、翌日あたりから今度はひどい吐き下しが始まり、「くらげのようなゼリー状のものが出た」そうです。 しかも、ご本人だけではなく、ご家族の人も同じようなものを吐いたとのことでした。 病院に行っても「風邪の症状」と言われるだけで、薬も効かなかったそうです。
数日前にその連絡を受けて、「浄化・排出なら長くても三日間程度でピークは過ぎるはずですから様子を見てください」とお返事しました。 エネルギーの送り方を少し変えたせいもあったのか、吐き下しの症状は、翌日から落ち着き始めたのですが、昨日のメールで、くらげのようなゼリー状のものの話を知りました。 これはどう考えても、胃の内容物だとは思えず(食べれてなかったのですし)、その方の澱が物質化して排出されたのかもしれません。 お互いに大好きで、気持ちが強くつながっているご家族も連動して排出したのでしょう。 あるいは、まだ症状が現れていなかった何らかの重篤な病が実はあって、それが解消してそういう形で排出されたのかもしれません。
特に最近はそこまでの激しい好転反応の報告を受けることがほとんどなかったので、自分のエネルギーの変化を感じています。 そういえば、エコーやCTで見つかった肝臓の“影”が10日後ぐらいの精密検査では消えていて、医師が驚いていたという報告もいただいたり、嬉しい報告が多いです。 でも、いろんなエネルギーの送り方をしてもなかなか改善しない方もおられるので、まだまだです。 なかなか症状が改善しない人でも、大きなところでは状況が改善される場合がほとんどですが、それだけに僕も「何としても治ってほしい」という思いが強くなるものです。 |
26/04/2009(日) 14:05:18
| No.5538 飯沼 |
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豚インフルエンザは、ニュージーランドにも飛び火したようです。 楽観はできませんね。 当サイト、「病と癒し」から、もうひとつ転載しておきます。
【なぜ病気になるのか】
病とは、それを見る視点によっていくつものとらえ方ができるものです。細菌の侵入、遺伝子の異常、(化学)物質への反応などという見方は、物質的なところにその原因を見た場合です。しかしそれについて、「では、どうしてそうなるのか。」という疑問への答えは得られません。
人の体とは、人の心(意識を含む)を“表現するもの”です。地上に生まれた人、全ては、心をより健やかに、より愛情深く、より喜びに満たされるよう、ということを目指して生きます。しかし多くの場合、それはすんなりとはいきません。なぜならそうなりにくい部分、そうなっていくのを妨げてしまう気持ちがあるからです。本来人としてあるべき姿を知りながらも、それとは矛盾している“心のかげり”を持っているからです。
その“かげり”とは実に多岐にわたります。しかしいずれもが、その人本来の心(魂の意識)にそぐわないものであるという点で共通です。今回の人生で成さねばならない働きや越えねばならないテーマ、それらに反するものがかげりとなるのです。 その“健やかさとは逆向きの心(エネルギー)”は、心に抱いているだけでなく、肉体にも表現されます。その現れ方が、主に病という形をとるのです。
しかしその“健やかさとは逆向きの心”が、「心がけの悪さ」とか「良くない気持ち」だということではありません。
例えば、極端な遠慮、気のつかいすぎは、「本来素直に、おおらかにあるべき」というテーマを持っている人には“かげり”となりますが、今回の人生で遠慮する気持ちを知ることや、人並み以上に細やかな気づかいをしていくことをテーマとしている人にとっては“かげり”とはなりません。要するに、その人それぞれ、何が「かげり」となるかは違うのです。それは、それぞれの人の魂が違う段階にあるからであり、学ぶ内容や生まれた目的が違うためです。けれども、人としての正しさを貫くことや、人へ向けての愛情を素直に表現すること、という共通項はあるのであって、そうはできない部分がすなわち“かげり”となるのです。
肉体に反映された病と向き合うなかで、大抵の人は自分のそれまでの行為・行動・心と向き合うことになります。まわりの者についてもそれまで以上にしっかりと見始めます。その病が命がけのものであればなおさらそうなります。本来はそこまでいかなくとも“気づかねば”ならなかったのです。しかしそこで改めて自分の人生・生き方に問い直すこと、思い直すことができれば病を得たことの意味があったということになるのです。
「さてあなたは、どうだったのでしょう」「どうしますか」という見えない問いかけに、しっかりと応えていくことができる時には、治癒という結果や安らかに地上を去ること、がもたらされます。
病はあくまでもそれを心の変化の契機としてもらうための“きっかけ”なのです。 しかしほとんどの人は病を得たことで、それまで以上に心をかげらせることになります。 死への恐怖、病そのものへの恐れ、さまざまな症状に対する不安、不快感。それを重ねるほど、かげりは深くなり、やがて抜けきれなくなっていきます。
見出せる限り(たとえささいなことであっても)生活の中に喜びを見出すこと、いろいろなもの、ことへの感謝の気持ちがわいてくること、この先の人生での新たな希望、そういったものを抱くことができるかどうかが、病を得ること、そしてそれを癒すことの鍵を握っているのです。
病を恐れることはありません。それまでの自分の不十分さや至らなさと向き合い、それまで以上の喜びや感謝に心満たされていくことで、その原因となるものが消えていくのです。
先天的な病・遺伝的な病の場合は、上述したこととは少し違う意味あいがあります。その病を背負うことそのものが、その人の人生の目的そのものと重なる場合が多いことと、さらに、本人のみならず、まわりの者・つながりのある者にとっても、その病が大きな意味を成すからです。共に心を合わせて互いに喜びを生み出そうとしていくこと、それはたやすいことではなく、しかしそれを成し得た時は、多くの人々にもその喜びを広げていくことができるからです。 |
26/04/2009(日) 18:01:44
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