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No.5539 飯沼 ホームページ E-mail
「天地悠々・悠々通信」「日々をスピリチュアルに」 引用
「天地悠々・悠々通信」4月号は、昨日発送いたしました。

ご寄稿いただいた読者の皆様には、「日々をスピリチュアルに」にを同封してお送りしました。

早速にご注文のメールが届き、とても嬉しく思っています。
たくさんの方々に読んでいただきたいと願っています。
「日々をスピリチュアルに」を継続して発行していくためにも、「明日のくに出版」で新たな本や冊子を発行していくためにも、できるだけたくさんのご注文をお願いいたします。

「明日の国出版」のメールアドレスを作りましたが、ご注文は悠々塾宛てでも結構です。

できれば、お振込みは「明日のくに出版」の口座にお願いいたします。

☆「日々をスピリチュアルに」創刊号ご注文のご案内

・価格   500円(116ページ)

・送料
2冊まで   80円
4冊まで  160円
6冊まで  240円
6冊以上  300円
。。。。。。。

☆明日のくに出版 

銀行口座 中兵庫信用金庫 丹南支店
     0194944
口座名義 明日のくに出版 飯沼正晴
メール  asitanokuni@yahoo.co.jp

27/04/2009(月) 14:50:01


No.5540  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 「天地悠々・悠々通信」「日々をスピリチュアルに」 引用

☆ご注文のメールに返信ができず、申し訳ありません。
明日までのご注文分は、あさってに発送いたします。
発送が完了したら、メールでお知らせしますのでご確認ください。
ありがとうございます。

引き続き、皆さまからのご注文をお待ちいたします。

28/04/2009(火) 14:46:53

No.5541  tomoako
Re: 「天地悠々・悠々通信」「日々をスピリチュアルに」 引用
「明日のくに出版」開設 

おめでとうございます*・゜・*:.。.*.。.:*・☆

私も購入したいので 注文させてください♪

今は 受注等で お忙しいようなので

もうちよっとしてからにしまぁ〜す(^^)v

28/04/2009(火) 21:06:39

No.5542  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 「天地悠々・悠々通信」「日々をスピリチュアルに」 引用
☆tomoakoさん

こんばんは。
お心遣いありがとうございます。
こちらとしては早くご注文いただけるほうが嬉しいです。
後になると困るわけでは全くありませんが、まあ気持ち的に、ドカーっと注文が来て、パーっと発送できるほうが元気が出ますから。

28/04/2009(火) 22:00:55


No.5537 飯沼 ホームページ E-mail
豚インフルエンザ・・・ 引用

メキシコやアメリカ合衆国で広がっている「豚インフルエンザ」は、今のところ世界的大流行(パンデミック)の兆しは見せてはいませんが、その可能性が否定されたわけでもありません。
メキシコで最初の症例が見つかったのが4月13日で、23日時点での感染者(発症者?)が1000人程度です。
潜伏期間を数日間とみても、爆発的な流行ではなさそうですが、インフルエンザウイルスは短期間で変異して性格を変えるそうですから、しばらくの間は注意が必要です。
人から人への感染も確認されているようですから、油断はできません。

ここでは悠々塾サイトの「病と癒し」から、「風邪・インフルエンザ」について転載しておきます。

【風邪・インフルエンザ】

毎日毎日を喜びのなかでのみ生きられれば人は病を得ることはありません。しかし実際にはそうはいきません。事あるたびに、ささいなことであっても、気持ちが揺れたり、くもったり、喜びでない心は絶えずあなた方の心に生まれています。それらは気持ちを切り換えたり、何か他の嬉しいことによって解消されるのがほとんどです。しかしそうはいかない場合もあります。緊張状態が続いたり、“悩み”が解消しなかったり、もたらされる喜びよりも抱いている心の重さの方がまさっていたり、その程度はさまざまです。心に持ちきれないほど重くなる前に、できることなら解消してしまいたいと、心や体は求めます。

それがいつも健やかさを求めている心と体の自然な動きだからです。

ですから一定のかげりが溜まればそれを即、排出(発熱・下痢・頭痛・嘔吐・咳・・・その他)しようとします。それがいわゆる風邪という症状を引き起こすのですが、その“一定”とは人によって限界がまちまちです。言い方を換えれば、人が抱く想念に引き寄せられる細菌類が介在してくれて、症状を引き起こすとも言えます。 それによって、排出とともにあなた方の抱いた“かげり”が解消されれば、それだけ「全体」のエネルギーがより明るいものへと向かうからです。

その極端な例がインフルエンザです。より急速に、より“強く”排出する力を持つウィルスが働かねばならないのは、冬という“季節”のエネルギー傾向が、拡散・解放・進ちょくというものとは逆の、凝集・閉塞・収縮というものであり、人々もその影響によって、ためてしまったかげりを出しにくい(解消しにくい)からです。とどめようとする力を越えて排出に至らせるには、それだけの“強さ”がなければならないからです。その作用の強さにその人が耐えられない時には、排出が進みすぎ、「死」に至ることにもなるのです。

いずれにしても、心が弾み、充実を感じ、生きていることを喜んでいることができれば、たとえ“かげり”を抱くことがあったとしても、それはすぐ解消できます。それが溜め込まれなければ排出の必要もない、ということであり、風邪すらひかない、ということになります。(日々の苦しさやつらさが重くのしかかっている人が、「風邪ひとつひかない」というのはまた別の問題です。意志の力によってさらに強く「とどめよう。出すまい」としているからこそ、それが肉体に現れない、ということです。)
。。。。。。。。。。。。。。。。

今回の豚インフルエンザは、青年層や壮年層に症状が現れる傾向があるとも伝えられています。
これが事実であればかなり不可解なことです。
いずれにしても、新型インフルエンザは近い将来、必ず大流行するといわれています。

それぞれの人が気持ちの澱を溜め込まないようにしていくことが大切です。
この機会に、自分の心の澱を穏やかな形で排出し、さらなる澱を生じさせないためにも、自分のものの見方や思い方、人との関わり方を変えていきましょう。
それが自分にとっての幸せにもなり、相手や周囲の人の喜びや幸せになるのですから。

特に半ば無意識に使ってしまっている「念のエネルギー」の歪みを、自分の魂の意志に沿うように矯正・修正し、本当の意味で健やかに自分らしく生きていく機会にできますように。
5月の直接ヒーリングの予約はほとんど詰まっていますが、遠隔ヒーリングで補助しながら、澱の解消や「念のエネルギー」の矯正・修正をしようと思われる方はご遠慮なくお申し込みください。

ちょっと話が逸れますが、昨日、遠隔ヒーリングの依頼者のことで、興味深いメールをいただきました。
ひどい喘息のような発作が急に始まった女性に遠隔ヒーリングをしていて、咳の症状はすぐに改善されたのですが、翌日あたりから今度はひどい吐き下しが始まり、「くらげのようなゼリー状のものが出た」そうです。
しかも、ご本人だけではなく、ご家族の人も同じようなものを吐いたとのことでした。
病院に行っても「風邪の症状」と言われるだけで、薬も効かなかったそうです。

数日前にその連絡を受けて、「浄化・排出なら長くても三日間程度でピークは過ぎるはずですから様子を見てください」とお返事しました。
エネルギーの送り方を少し変えたせいもあったのか、吐き下しの症状は、翌日から落ち着き始めたのですが、昨日のメールで、くらげのようなゼリー状のものの話を知りました。
これはどう考えても、胃の内容物だとは思えず(食べれてなかったのですし)、その方の澱が物質化して排出されたのかもしれません。
お互いに大好きで、気持ちが強くつながっているご家族も連動して排出したのでしょう。
あるいは、まだ症状が現れていなかった何らかの重篤な病が実はあって、それが解消してそういう形で排出されたのかもしれません。

特に最近はそこまでの激しい好転反応の報告を受けることがほとんどなかったので、自分のエネルギーの変化を感じています。
そういえば、エコーやCTで見つかった肝臓の“影”が10日後ぐらいの精密検査では消えていて、医師が驚いていたという報告もいただいたり、嬉しい報告が多いです。
でも、いろんなエネルギーの送り方をしてもなかなか改善しない方もおられるので、まだまだです。
なかなか症状が改善しない人でも、大きなところでは状況が改善される場合がほとんどですが、それだけに僕も「何としても治ってほしい」という思いが強くなるものです。

26/04/2009(日) 14:05:18


No.5538  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 豚インフルエンザ・・・ 引用
豚インフルエンザは、ニュージーランドにも飛び火したようです。
楽観はできませんね。
当サイト、「病と癒し」から、もうひとつ転載しておきます。

【なぜ病気になるのか】

病とは、それを見る視点によっていくつものとらえ方ができるものです。細菌の侵入、遺伝子の異常、(化学)物質への反応などという見方は、物質的なところにその原因を見た場合です。しかしそれについて、「では、どうしてそうなるのか。」という疑問への答えは得られません。

人の体とは、人の心(意識を含む)を“表現するもの”です。地上に生まれた人、全ては、心をより健やかに、より愛情深く、より喜びに満たされるよう、ということを目指して生きます。しかし多くの場合、それはすんなりとはいきません。なぜならそうなりにくい部分、そうなっていくのを妨げてしまう気持ちがあるからです。本来人としてあるべき姿を知りながらも、それとは矛盾している“心のかげり”を持っているからです。

その“かげり”とは実に多岐にわたります。しかしいずれもが、その人本来の心(魂の意識)にそぐわないものであるという点で共通です。今回の人生で成さねばならない働きや越えねばならないテーマ、それらに反するものがかげりとなるのです。
その“健やかさとは逆向きの心(エネルギー)”は、心に抱いているだけでなく、肉体にも表現されます。その現れ方が、主に病という形をとるのです。

しかしその“健やかさとは逆向きの心”が、「心がけの悪さ」とか「良くない気持ち」だということではありません。

例えば、極端な遠慮、気のつかいすぎは、「本来素直に、おおらかにあるべき」というテーマを持っている人には“かげり”となりますが、今回の人生で遠慮する気持ちを知ることや、人並み以上に細やかな気づかいをしていくことをテーマとしている人にとっては“かげり”とはなりません。要するに、その人それぞれ、何が「かげり」となるかは違うのです。それは、それぞれの人の魂が違う段階にあるからであり、学ぶ内容や生まれた目的が違うためです。けれども、人としての正しさを貫くことや、人へ向けての愛情を素直に表現すること、という共通項はあるのであって、そうはできない部分がすなわち“かげり”となるのです。

肉体に反映された病と向き合うなかで、大抵の人は自分のそれまでの行為・行動・心と向き合うことになります。まわりの者についてもそれまで以上にしっかりと見始めます。その病が命がけのものであればなおさらそうなります。本来はそこまでいかなくとも“気づかねば”ならなかったのです。しかしそこで改めて自分の人生・生き方に問い直すこと、思い直すことができれば病を得たことの意味があったということになるのです。

「さてあなたは、どうだったのでしょう」「どうしますか」という見えない問いかけに、しっかりと応えていくことができる時には、治癒という結果や安らかに地上を去ること、がもたらされます。

病はあくまでもそれを心の変化の契機としてもらうための“きっかけ”なのです。 しかしほとんどの人は病を得たことで、それまで以上に心をかげらせることになります。
死への恐怖、病そのものへの恐れ、さまざまな症状に対する不安、不快感。それを重ねるほど、かげりは深くなり、やがて抜けきれなくなっていきます。

見出せる限り(たとえささいなことであっても)生活の中に喜びを見出すこと、いろいろなもの、ことへの感謝の気持ちがわいてくること、この先の人生での新たな希望、そういったものを抱くことができるかどうかが、病を得ること、そしてそれを癒すことの鍵を握っているのです。

病を恐れることはありません。それまでの自分の不十分さや至らなさと向き合い、それまで以上の喜びや感謝に心満たされていくことで、その原因となるものが消えていくのです。

先天的な病・遺伝的な病の場合は、上述したこととは少し違う意味あいがあります。その病を背負うことそのものが、その人の人生の目的そのものと重なる場合が多いことと、さらに、本人のみならず、まわりの者・つながりのある者にとっても、その病が大きな意味を成すからです。共に心を合わせて互いに喜びを生み出そうとしていくこと、それはたやすいことではなく、しかしそれを成し得た時は、多くの人々にもその喜びを広げていくことができるからです。

26/04/2009(日) 18:01:44


No.5535 飯沼 ホームページ E-mail
「日々をスピリチュアルに」創刊号発行にあたって 引用

「日々をスピリチュアルに」
       皆も自分も幸せに――
       人として優しく、人として正しく――

☆創刊号発行にあたって

この冊子は、「スピリチュアリズム・スピリチュアル」に触れた普通の人たちが、改めて自分の心のありようや生き方に向き合っていく過程を綴った原稿を持ち寄って作りました。装丁も内容も決して派手ではありませんが、霊的なことを受け入れていない方々の心にも響く冊子になったと自負しています。

「スピリチュアリズム・スピリチュアル」とは、霊能力に憧れたり、霊能力をもてはやしたりするようなものではないと、私たちは思っています。「人としてどう生きるのか」こそが全てであると、私たちは考えています。
であるならば、死後の生や霊的なことを信じているかいないかは、実はさほど大きな問題ではないと思います。自分を見つめ、「人として優しく、正しく。皆も自分も幸せに」と日々を生きようとしているかどうかの方がよほど大切なことです。
あわただしく過ぎていく現実社会の中で、人としての心を大切にし、本当の自分らしい心で生きようとすることは決して容易くはないでしょう。しかし、だからこそより本来の自分として、人と共に幸せに生きる心の力を高めることができるように思うのです。

社会現象とまで言われた「スピリチュアルブーム」が過ぎ去ろうとしています。
「スピリチュアルブーム」を作っている一般の人たちも、大きくふたつの流れに分かれるようです。
ひとつは、見えない世界を現実逃避や利己主義・我よし・強引な自己肯定・自己賛美に利用している人たちです。
もうひとつの流れは、「スピリチュアルブーム」によって、スピリチュアリズム(霊的真理)の片鱗に触れ、そこから本当の意味で自分を高め、人を思いやり、人の役に立ちたいと思い始めている人たちです。
そして、その中間層の人たちも大勢いると思います。

「スピリチュアル」を単なるブームに終わらせず、より多くの人々が本当の意味で自分らしく生き、心をつなぎ、手を携え、より良い社会を作っていくためにも、継続して発行していきたいと思っています。
人生に迷いを感じている人を共感でねぎらいながら進むべき方向を照らし、病に悩んでいる人に希望や治癒への道をもたらしていく冊子にしていきたいと願っています。
今、気になっているお知り合いにお届けいただければ、この冊子が何かのお役に立てるかもしれません。
また、お気軽に皆さま方の原稿をお寄せいただければ嬉しいです。
ご注文、お問い合わせは「明日のくに出版」にお願いいたします。
ありがとうございました。


☆「日々をスピリチュアルに」創刊号ご注文のご案内

・価格   500円(116ページ)

・送料
2冊まで   80円
4冊まで  160円
6冊まで  240円
6冊以上  300円
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☆明日のくに出版 

銀行口座 中兵庫信用金庫 丹南支店
     0194944
口座名義 明日のくに出版 飯沼正晴
メール  asitanokuni@yahoo.co.jp
HP   準備中

25/04/2009(土) 22:38:59


No.5536  さき ホームページ
Re: 「日々をスピリチュアルに」創刊号発行にあたって 引用
創刊号送ってもらって読みました。
ぬまさん、冊子というより本ですよ〜。
手作りのあたたかみもあって、それぞれの方の気持ちが伝わってくるいい本になりましたね。何人か読んでほしい人の顔が浮かびましたのでまた注文させてもらいますね。
実際に編集印刷製本の作業をしてもらったよっしーさん、まゆみさんに、ありがとうございます、です。

昨日外出した帰りに、欲しい本があって書店に行きました。
ついでにいわゆる精神世界コーナーにも立ち寄ったのですが、なんだかめまいがしそうでした。
オバマ大統領の守護霊からのメッセージというわけのわからない本が大量に平積みしてあったり、闇のなんとかとか、前世とか霊とか宇宙人とか、、、なかにはちゃんとした内容のものもあるのかもしれませんが、、、あまりに何でもありの雰囲気にその場にいるのも嫌になってすぐに立ち去りました。ひとことで言うと、胡散臭い、デタラメ、危ない世界、という印象でした。
こんなものに近づきたくないと思う人の方が健全だと思いました。
って、私が言ってる場合じゃないんだけど。

「日々をスピリチュアルに」を皮きりに、これから出版される明日のくに出版の本が、ほんものを伝える役割があるのだと思います。
その本たちにふさわしく、ほんものを形にしていきたい。
なんでもありの現状が、意味を失うような本物が必要とされているんだと、そう思いました。

26/04/2009(日) 00:25:20


No.5519 鉄ママ  
穏やかな顔 引用
昨日Kが久しぶりに遊びにきました。
チビ鉄が「あ〜、土曜日遊ぶ人いないー。」とぐずぐず言うので
「Kを誘ったら?」と促しました。

Kは飯沼さん、さきさんのヒーリングを受けた直後から学校へ行かなくなりました。
初めK母は登校拒否をするKを心配していました。
でも、これまでの学校側やKの本当の心を見ようともしない教師達の対応を考えたら「行きたくないのも当然」だと思いました。
そして、「行きたくない」と母親に言えたこと。うれしい兆しだと思いました。
「しばらく様子をみて何かあったらその時また考えよう。」と話しました。
担任も同じような気持ちでいてくれました。
新学期に入る前に、学校に呼び出されたK母は校長から「Kくんの面倒を見切れません。住んでいる校区の学校に転校して欲しい。」と言われたそうです。
実際Kを連れ校区の学校へ見学へ行けば、そこの小学校の教頭が「どこへ変わっても君が変わろうとする意志がなかったら同じだ。
ここに来て今までのようじゃ困る。」とKに直接言ったそうで、話しを聞いた私はKとK母以上に怒りたおしました。
教育者としてのプライドは無いのでしょうか。
Kは「誰かを殴ってしまうから」「お母さんに迷惑をかけるから」
と学校へ行かなくなりました。

放課後になると友達の所へ遊びに行っていたようですが、ここしばらくはそれも無くなり、マンションの壁にボールを投げてキャッチボールをしたり近所の友達が誘いに来た時に一緒に遊んだり、といった感じだそうです。
その話をK母から聞いて「家の中が安定しているんだろうな。」と思いました。

本当に久しぶりに遊びに来たK。
チビ鉄はテンション上がりまくりでした。
二人が児童館へ遊びに行っている間K母がピンポーンと来ました。
その日、新しい自転車を買ってもらったK。鍵を失くすといけないからと、キーホルダーをわざわざ持ってきたのでした。
今まででは考えられないことでした。
「失くしたお前が悪い。」といった様子でしたから。
K母の話しでは、Kに怯えていた弟達も「お兄ちゃん!」とまとわり着くほど優しくなり自分の言い分を押し通す頑固なところが薄くなった。
お父さんとの関係も、間に入って何かしたわけでもないのに変わって(良い方に)きた。とうれしそうに言っていました。
「Kさんが変わったからだよねきっと。凄い!」
K母の話しを聞いて本当に凄い、と思いました。愛情たっぷりといった様子でなんの無理も感じませんでした。

その日はチビ鉄が「久しぶりだから」ということで我が家に泊まりました。
鉄とチビ鉄とKと3人でゲームをしたりしていました。
チビ鉄の友達はたいてい鉄についてしまいます。チビ鉄はそれが嫌で、すねたり、気をひくようなことをしだします。(これがまたやっかいな時があります)
以前からそうでしたがKはチビ鉄のそんな気持ちを敏感にさっちします。
チビ鉄がどんな風にかかっていっても「分かったよ」といった態度を示します。
前は時折「クッ」となる瞬間がありました。そこから、私が間に入らなければ収拾がつかない状態になることが常でしたが、Kは終始穏やかでした。
いつも下を向き、子供らしいキャラキャラしたところを見せずにいたKを心配していましたが、たくさんの笑顔を見せてくれました。
チビ鉄が「明日学校に来て。」とKに言ったそうです。そうしたら「うん、行けたら行く。」と答えたそうです。

書いていて思ったのですが、私はKが問題を起こし関わるたびに「Kは絶対に変わる。」と思っていたと。
我が子との絡みがありどうしてもKと関わらなければならない状況もありました。
何度も何度も、KともKの両親とも話しをし時には怒り。
いつまで続くのだろう?といった気持ちはありましたが「変わる」
と思っていました。このままでは終わらせない、と思っていました。
「念」が動かしたのかな?と今思いました。

私も変わって行きたいです。

20/04/2009(月) 00:31:54


No.5520  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 穏やかな顔 引用
鉄ママさん、K君の様子の投稿ありがとうございました。
K君のこと、ずっと気になっていました。

今は学校に行かなくても、彼がその気になれば勉強はすぐに追いつきますよ。
K君は、乳幼児の頃からの、「自分は邪魔にされた。排除された」「不公平な扱いをされた」という深い傷を抱えていました。
その傷がお母さんをはじめとする家族の中で癒され、十分に満たされれば、彼の心の免疫力も高まります。
そうなれば、生徒の傷ついた心に対して、あまりにも不十分な学校にも適応できるんじゃないかと思います。
彼の感性はとてもシャープですが、決して狭量ではありません。
むしろ、純粋でありながらも、柔軟な心の持ち主だと思います。

彼の心が一番苦しかった間、彼を分かろうとし、人間として公平な対応を続けてきた鉄ファミリーの存在があればこそ、今の彼があるのですね。
K君のお母さんにとっても、(ダンナさん以外で)鉄ママは唯一信じることのできる人だったのだと思います。
鉄ファミリーって、やっぱりすごいですね!
北陸に行きたくなりましたよ。

20/04/2009(月) 09:21:30

No.5531  ヨッシー
Re: 穏やかな顔 引用
「Kは絶対に変わる。」と思っていたと、、、という鉄ママさんの
文章のココに、じわーっと感動しました。あーそうか、しぜんに念じるということかな、と、そしてなにげない様なココに強く念じるが含まれているわー!!!とおもいました。
 
わたしも、目指したいですっ

24/04/2009(金) 20:31:26

No.5532  鉄
Re: 穏やかな顔 引用
北陸って言っても広いんやけど…?
来んなやデヴ!!!笑

24/04/2009(金) 23:24:23

No.5533  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 穏やかな顔 引用
☆ヨッシーさん

そうですよ。
心遣いは相手を思うポジティブなエネルギーで、人と関わる上で不可欠なものですが、心配にエネルギーを使うのは無駄ですからね。
ポジティブとは、喜びに向ってということです。
何がなんでも、そういうポジティブなエネルギーの使い方を身につけてしまいましょうね。
本来の霊界は、すべてを喜びで捉えなおし、さらなる喜びに向かう者たちが生きる世界です。
僕ら、地上の人間もいつかは必ずそうなれるのですし、そうなるために生まれ、生きているのですから。

☆鉄

歳のせいか、とっさに福井か富山か分からなくなったんよ。
最近、ちょくちょくそういうことがある・・・。
来るなというなら、鉄のところは素通りして、芦原温泉か山中温泉にでも行こうかな。
あ、行く予定はないけどね。
しかし、こんな時だけ鉄は絡むのね。
絡むはからむと読みます。←鉄と麻生さんのためのご親切
じゃー、鉄、またね。

25/04/2009(土) 01:03:21

No.5534  ヨッシー
Re: 穏やかな顔 引用
☆そうですね!

気を遣って心配してしまう想い方って、結局は、自分をわるく思ってほしくない。。という気持ちがどこかにあるのかもしれない!
つまり「逃げ」ているというか「本気」になれていないんですね。

本気っていうのは、どこか肝の据わった強さをもっていつつ、もっとおおらかな、ワクワク感を伴ったもんだなーと思ってきました!

よーし、地上の人間として、さらなる喜びに向うエネルギーを使っていきたいです。。
つまずいて、ココロがポジティブにどうしてもなれねい時は、できるだけなやまず、飯沼さんさきさんに、SOSを発信させていただきまーす。そして、さらなる皆の喜びにむかっていけるよー、逃げないで ソフランヨッシーになります。

25/04/2009(土) 02:05:43


No.5528 R  
よろしくお願いします 引用
こんにちは

以前友人のEちゃんのリウマチのヒーリングをお願いしたRです。

今日は再びみなさんにEちゃんにエネルギーをお願いしたく

書き込みさせていただきます・・

Eちゃんは今右足の骨の近くまでステロイド注射を直接打っていて

ステロイド注射なので骨がもろくなるということでしょっちゅうは

打てないそうです。。そして注射がとにかくものすごい痛みを

伴うようです・・

この前の日曜日にあったときは比較的元気だったのですが

昨日メールがきて子供と一緒に熱がでて39度で足も痛いと

のことでした、、

どうかEちゃんの痛みが和らいでくれるようみなさんにも

エネルギーを送っていただけたらと思い書き込みしました。。

どうぞよろしくおねがいします、、

24/04/2009(金) 15:33:03


No.5529  飯沼 ホームページ E-mail
Re: よろしくお願いします 引用
☆Rさんへ

ご存知かもしれませんが、Eさんはヒーリングの継続は希望なさいませんでした。(経済的に困窮なさっている場合は、無料でさせていただくこともお伝えしています)
アドバイスのメッセージもお送りしたのですが、それをどう読まれたのかも分からない状態です。
そういう状態なので、こちらとしてもどうすればよいのか分からずにいます。

Rさんのお気持ちはよく分かります。
もしもEさんがヒーリングをご希望なさっておられるならば、最低限の手続きは踏んでいただきたくお願いいたします。
杓子定規な話で申し訳ありませんが、有料で遠隔ヒーリングを申し込まれている方々もいらっしゃいますから、こちらとしても収拾がつかなくなってしまいます。
どうぞご理解をお願いいたします。

掲示板の読者の皆さんがEさんにヒーリングエネルギーを送って差し上げることは、もちろん構わないのですが。

24/04/2009(金) 19:03:34

No.5530  R
Re: よろしくお願いします 引用
飯沼さん 失礼な事をしてしまって申し訳ありませんでした・・

直接足に注射を打っている状態だと話してくれて・・ステロイドは

骨がもろくなるとも話してくれたので、なんとかしてあげたい

と思って思わず掲示板に書き込みをしてしまいました・・

本当に申し訳ありませんでした。

24/04/2009(金) 19:16:34


No.5521 飯沼 ホームページ E-mail
「日々をスピリチュアルに」出版!! 引用

私の怠慢のせいで作業がとても遅くなっていましたが、「日々をスピリチュアルに」がようやく製本段階に入りました。
奥付の出版日を克の誕生日の4月18日にしています。
今日できたのを手にとって見て、感激しました。

「明日のくに出版」の初仕事です。

まゆみさんが実務の担当で、今回は編集をヨッシーさんにお願いしました。
ヨッシーさん、ありがとうございました!
私は結局、出版を遅らせて足を引っ張っただけで、ほとんど実務に関われませんでした。(我ながら情けない・・・とは思いますが、今後も実務はまゆみさんが担当してくれます)

前の輪転機が壊れたことから、皆さま方のご協力によってこんなに嬉しい発展的な展開になりました。
本当にありがとうございます。
製本機もかなり本格的なくるみ製本のできる機会を購入できましたし、断裁機も電動の便利な機械を購入できました。

今、悠々塾の座敷は印刷所になっています。

「日々をスピリチュアルに」の原稿を書いてくださった皆さん、発行が大幅に遅れて申し訳ありませんでした。
皆さんが原稿を寄せてくださったお陰で、よい冊子になりました。
地味な冊子ですが、人生に疑問を感じたり行き詰っておられる方や、病の中におられる方、人間関係に悩んだり、人間への不信感を抱いておられるごく普通の方々にお届けしたい冊子になりました。

「天地悠々」の購読者で寄稿してくださった方には、今月号に同封いたします。
購読者ではない寄稿者の方には、製本が出来次第、近日中に送らせていただきます。
その分は贈呈ですが、今回は原稿を書いていない皆さんも、どうかまとまった冊数のご注文をよろしくお願いいたします。
「明日のくに出版」の資金が底をついてきており、冊子の売上げを次の出版物にかかる費用に充てていく自転車操業ですので、皆さんどうかどうかよろしくお願いいたします。
116ページ、500円です。(送料等は、後日調べてこの掲示板でお知らせいたします)

単価はもう少し安くしたかったのですが、在庫を抱えねばならず、今回はこの価格にしました。

「日々をスピリチュアルに」は継続して発行していきますので、皆さん、原稿をよろしくお願いいたします。
発行間隔はしばらく様子を見て決めたいと思います。

「明日のくに出版」では、
?@堀江が受信して残してくれた数々のメッセージを出版していきます。(「日々をスピリチュアルに」の作業が終われば、すぐに「病についての通信」の製作にかかります)
?A社会的に有意な活動をしているグループや個人の働きや、作品を紹介する冊子の製作・出版。
?B人生の節目や病を契機として、ご自分の人生や人生観などを家族・知人に向けて改めて伝える機会とするための冊子の製作・出版。
それらのことも広く担っていきたいと思っています。


今は自費出版を請け負う出版社も数多くありますが、それらは少ない部数でも100万円単位の費用がかかります。
「明日のくに出版」の本は、表紙もハードカバーではなく、せいぜいカラーコピーの表紙しかできませんが、利益目的ではないので、格安の製作費ででオリジナルの本が作れます。
心や活動を伝える本としての役割は十分に果たせます。

「明日のくに出版」の活動を、お心でも資金的にもどうぞ支えていただけますようお願いいたします。
皆さんからのご注文、お待ちいたしております。

20/04/2009(月) 23:00:42


No.5522  ひろこ
Re: 「日々をスピリチュアルに」出版!! 引用
飯沼さん・まゆみさん・ヨッシーさん
お疲れ様でした。
「明日のくに」の初出版、おめでとうございます。

私は原稿は書かせてもらっていませんが楽しみにしています。
これから、自分に関わる人達に届けて行きたいと思います。

20/04/2009(月) 23:22:15

No.5523  さき ホームページ
Re: 「日々をスピリチュアルに」出版!! 引用
先ほどまゆみさんに、完成した冊子の写メールを送ってもらいました。
きれいに完成していて大感激です。
出版部門を応援し支えて下さった皆さまのおかげで立派な冊子が完成しました。
皆さま、そして編集、印刷・製本を担って下さった、よっしーさん、まゆみさん、ありがとうございました!!
早く手にとって読みたいと思いました。

飯沼さんと克子さんが受信されたメッセージが、これからこうして冊子になっていくのかと思うと感慨がこみあげます。
「明日のくに出版」の出発、「日々をスピリチュアルに」の出版おめでとうございます。

21/04/2009(火) 00:05:01

No.5524  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 「日々をスピリチュアルに」出版!! 引用

☆「明日のくに出版」の趣意書というか、紹介文を書いてみました。思いつくままに書いたので、ご意見をお聞かせください。
「明日のくに出版」のホームページは、今から準備する段階です。
無料HPを使っての簡単なものにしますが、僕には到底無理なので、どなたかお力をお貸しください。
銀行口座も別個に作って独立会計制にし、会計報告もしていきます。
いずれ簡単な規約も作ります。
。。。。。。。。

「明日のくに出版」

今の世の中はお金中心になりすぎていると思います。
「拝金主義」といわれても、一向にその状態が改まる気配はありません。
それどころか、拝金主義は経済システムだけでなく社会のありようにも根付き、人間の暮らしも心も「お金中心」になっているように感じます。
お金といっても、私たち庶民が暮らしていくのに必要なお金ではなく、利益を上げるためのお金が主役で、猛威を振るっています。
庶民は、誰かが利益を上げるための道具や部品のように扱われ、誰かの都合でいとも簡単に切り捨てられてしまいます。
先の見えない未曾有の大不況のなかで、私たちはこれからも暮らしや心や体をお金に切り刻まれ、翻弄されていくしかないのでしょうか?

「自分(たち)の今の暮らしだけは何としても守りたい」という、人間としての気持ちはごく自然なものであり、誰にでもあるでしょう。
皮肉なことに、それがまた拝金主義の社会に組み込まれ、ごく普通の人間が人としての優しく豊かな心をありのままに表現できない原因にもなっているように思います。
私たちは利益目的の社会に、心も人生もからめ取られているのではないのでしょうか。

しかし私たち人間は、利益を目的として生きることが幸せなのではなく、やはり人と心を交し合って生きていくことを幸せに感じる存在なのだと思うのです。
自分のことも分かってもらい、相手や人のことも分かろうとしていくこと。
心を向け合い、手を差し延べあっていくことが、人間である私たちの生きる喜びになるのではないでしょうか。
そういう生き方をしようと思えば、物やお金に対する考え方も実際の暮らし方も、ずいぶんと変化するのでしょう。

「相手や人がどうであっても自分が儲ければよい」とか、「今の自分の暮らしを維持するためには、人のことなど考えていられない」という生き方ではなく、「お互いが何とかやっていけるように。自分にも人にも嬉しいように」という生き方に変化していくと思うのです。
そして、それこそが本当の意味で自分も人も幸せになっていく、新しい世の中、明日の国への道筋ではないのでしょうか?

「明日のくに出版」は、そういう生き方・暮らし方に役に立つ本や冊子を出版していきます。
皆様からの原稿を本や冊子にする仕事も承ります。
個人やグループの活動の記録や紹介をはじめ、宝物のようにして暖めてきた作品や考えも本や冊子にさせていただきます。
人生の節目や何かの病を得た時に、ご家族やお知り合いに向けてご自分の人生を綴ってみることで、この地上に生きた証しを形にしてみませんか?
それはきっとご本人だけでなく、周囲の人たちにとっても嬉しいことだと思うのです。

「明日のくに出版」の本は、書店には並びません。
印刷もリソグラフによる簡易印刷ですし、ハードカバーの立派な表紙は付けられません。
それでも、心や活動を伝える本としての役割は十分に果たせます。利益目的ではありませんから、格安の料金で、どんなに少ないページ数でも、どんな小部数でも心を込めて製作いたします。
出版した冊子や本は、「明日のくに出版」のホームページで紹介させていただきます。
「明日のくに出版」は、普通の人たちの心を形にし、心をつなぎ、人としての喜びの心を大事にする暮らし方や生き方を伝え、広げていきたいと願っています。
そんな「明日のくに出版」を応援していただけますよう、お願い申し上げます。

21/04/2009(火) 20:02:46

No.5527  あきら&ひとみ
Re: 「日々をスピリチュアルに」出版!! 引用
「日々をスピリチュアルに」出版おめでとうございます。
紹介文も読みました。
「明日のくに出版」のホームページに、沢山のタイトルが並ぶ日を想像して楽しみです。
みんなかなり説得力を持った書物になるでしょうね。
実務は相当大変でしょうが、頑張って下さい。

22/04/2009(水) 21:22:05


No.5525 飯沼 ホームページ E-mail
デヴィ夫人・・・ 引用
「デヴィ夫人が右翼の街宣車に植木鉢を投げつけた」というニュースがあったので、ブログをみてみました。
デヴィ夫人が北朝鮮を訪問したことに絡む騒ぎだったようです。

デヴィ夫人は僕が子供の頃は、インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人でした。
僕が中学生の頃、そのインドネシアでクーデター騒ぎや内乱が起き、スカルノ大統領は失脚します。(1965年だったらしいので、僕はまだ小学生だったかも?)
その内乱は、アメリカやイギリスが裏で共謀していたことが機密文書などから確定されています。
その後、共産主義者やスカルノ支持者の市民が50万人以上も殺されるという大虐殺が続きました。
虐殺した側の将軍はその後30年間にわたって、親米政権の大統領としてインドネシアに君臨しました。

そういう歴史を生きてきたデヴィ夫人のブログ、昨日と今日の記事をざっと読んだだけですが、興味深かったです。
かなり衝撃的な写真もアップされていました。



@ttp://ameblo.jp/dewisukarno/ (@をhに変えてください)

21/04/2009(火) 23:02:08


No.5526  春が来る
Re: デヴィ夫人・・・ 引用
デヴィ夫人のブログ、拝見しました。

ひとりの女性に対して、屈強な男性が多数、力ずくで抑え込む様子に、野蛮さと卑劣さを感じ、暗い気持ちになりました。
この一件でも、じわじわと言論統制の動きが拡がっていることを感じます。

教育現場でも自由が失われていっていることを知り、ドネのSNSやブログにも書いた内容ですが、少しでも多くの人に知っていただきたく、こちらにもご紹介させてください。

その先生は、今年3月まで、都立高校の校長先生でした。
その土肥信雄先生のことを知り、関心を持ったので、岩波ブックレットの「学校から言論の自由がなくなる」を読みました。

現職の校長として、東京都教育委員会に、おかしいと思う処を勇気を持って発言されてきた土肥先生。

私は、何かに異議を唱える時、声高に発言する人は苦手ですが、土肥先生は、いたって温厚で、平等を尊ぶ方です。

土肥先生は、大学紛争の真っ只中、東京大学に入学されますが、紛争に参加する学生の意見には共感しながらも、酒乱の父を見て育った先生は、非暴力主義で、紛争に加わることはなかったそうです。

仲間の中には、そのまま大学を卒業して権力体制の側に取り込まれていくことを拒否し、中退した人もおられるそうです。
「でも、私にはその勇気がありませんでした。東大卒というレッテルを捨て切ることが出来なかった。そんな後ろめたさが、今でもあります。」と先生は言われます。

その後、大手商社に就職された土肥さんは、そこで、所属する課が談合(ヤミカルテル)に参加していることを知り、その不正を上司に訴えられます。しかし、上司には、まったく取り合ってもらえず、「ここは自分がいる場所ではない。」と考え、その会社を去られたのです。

そして、もともと子供が大好きだった土肥さんが目指されたのが教員だったのです。

写真を見ても、とても穏やかそうな土肥さん。正確には、土肥先生と呼ぶことが出来なくなりました。都教委を批判した土肥さんは、定年後の再就職として、非常勤教員に応募しながらも、ほとんどが採用される中で、不採用になり、この3月末で教員を辞めざるを得なくなったからです。(これは、「みせしめ」との意見があります)

では、何故、温厚な土肥さんが都教委を批判されたのか?
それは、教育現場で、次第に言論の自由がなくなってきたと感じられ、危機感を持たれたからです。

段階を追うと、

1998年、都教委は職員会議を校長の補助機関とする通知を出しました。それまでは、職員会議の議決などによって、学校の運営方針が決定されていたのです。しかし、これ以降、職員会議の役割は、教職員への報告、意見聴取などに限定されます。

2003年、、都教委は、入学式や卒業式の「日の丸・君が代」の扱いについて、「国旗は壇上の正面に掲げなければならない、国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならない。」という通達を出しました。
これに対して、都立高校の教職員が通達に従う義務がないことの確認を求めて訴訟を起こします。2006年、その訴訟に対して、東京地裁は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」という判決をくだします。

上の様な判決が出たにもかかわらず、都教委の言論統制は強まります。

私は、日本人であることを誇りに思っています。
しかし、大戦の反省から、「国旗、国歌」の扱い方にいろいろな考え方がある中で、それらに対して、自由な議論が出来なくなることを危惧します。

そして、2006年4月、都教委は「職員会議で、挙手や採決などの方法で教職員の意思を確認してはいけない。」という通知を行ったのです。

それまでは、通知にやむを得ず従っていた土肥さんも退職を目前にしながらも、都教委の締め付けに危機感を抱き、声を上げられた、ということなのです。

土肥さんは、この様な上意下達から教育は生まれないと言われます。

教員は、一方的に生徒に教えるのではなく、生徒からも、多くのことを学ぶ。そして、校長は生徒一人ひとりに直接向き合っている現場の教員からたくさんのことを学ぶ。もちろん、校長も、生徒から学ぶ。この様な相互の協働関係が教育だと思うと言われています。

学校によって、いろいろ特徴があり、生徒も様々だと思います。
職員会議は、生徒達と接する先生方が、生徒の様子を見ながら、教育方針を考え、話し合う場であって、以前はそうだったようです。

しかし、最近は、都教委の通知を校長先生が先生方に対して「通達」する場になっているというのです。
その様な中で、最近は先生方の間に「何を言ってもしかたがない」との空気が広がり、先生方のやる気さえ奪っている、ということです。

東京都国立市では、、校長の独断で日の丸が掲揚されたことに対する抗議の意思を、ぎりぎりの手段で示すものとして「ピースリボン」と呼ばれる青いリボンをつけた先生がたが、「職務専念義務違反」にあたるということで、訓告あるいは戒告処分を受けました。

反対のプラカードやハチマキのような伝統的な抗議のシンボルばかりでなく、こうしたものまでが処分の対象になることは異常だと思います。

こうした流れは、全国にも波及しつつあるようです。

土肥さんは言われます。

『歴史的に見ても、言論の自由を認めない国家や社会、組織は必ず崩壊します。しかも、崩壊の過程で、最もつらい目に遭うのは、社会的な「弱者」なのです。生徒達の将来の幸せにとって、基本的人権の尊重や言論の自由は。絶対に必要な条件なのです。』

土肥さんが、最後の卒業式で生徒たちに話された事は、基本的人権の尊重と平和主義だそうです。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、心の中に平和の砦を築かなければならない、と。

今回の デヴィ夫人や土肥さんの「事件」が「みせしめ」となり、委縮したムードが周りに拡がることを危惧します。

自由にものを言えない、戦前のような言論弾圧の時代を再びたどることがないように、と願います。

22/04/2009(水) 12:12:39


No.5517 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 41  引用
  
 ☆☆ 愛は時空を超えて 41 ☆☆

         ――  霊界の克との対話  ――

飯沼) おーい、クゥ、こんばんは。

克子)はーい、まーたん、こんにちは。
はじめに今回も「先日の定例会における『(地の)岩戸開き』、おめでとうございます」と言わせてくださいね。

飯)はーい、ありがとうね!
皆さんと一緒にそう出来たようで、よかったと思ってる。
自分的には、実感としてはまだよく分からないんだけど、とにかくよかった(笑)
「地の岩戸開き」と「念」エネルギーの使い方が実は深く関連しているということはしっかり分かったしね。
特にさきさんには大きな変化が現れ始めているようだし、これからが楽しみだわ。

克)はい、こちらも楽しみにしています。
今回のことは、あなたが掲示板でも何度も解説を加え、「念」というものについての実地の体験も共有できたでしょうから、ここでは繰り返さずにおきます。
ただ、エーテルエネルギーというものと念のエネルギーはイコールではありません。
エーテルエネルギーは、念のエネルギーとしても使われているということです。
エーテルエネルギーは、いわば未分化の「エネルギー素」として、物質次元のあらゆるところに充満しているのです。
「エネルギー素」という表現をしたのは、それはそのままではただ「在る」だけで動きもなく、情報や目的も備えていないからです。
ですから、霊的エネルギーとは全く異質なエネルギーです。

非常に不十分な表現になりますが、あえて言うならば、霊的エネルギーは質であり、エーテルエネルギーは量としての性質が大きいのです。
使う者の思念や欲求次第で、いかようにでも使うことができるということです。
それは人間だけが使っているのではなく、地上のあらゆる生命体が使っているのです。
生命体以外の物質であっても、エーテルエネルギーを纏(まと)っていますが、この説明は省きます。
その意味では、物質界に存在しているものは全てつながっていると言えるのです。
それは不思議でもなんでもなく、エーテルエネルギーを素にして(使って)物質界が形成されたということです。

私とあなたが受信した「地上人類の歩み」にあるように、かつて、猿類から進化しつつあった「ヒト」とは別に、霊界から直接地上に赴いたムゥの「人」たちは、その初期においてはエーテルエネルギーによって物質化した肉体をまとい、必要な物質を思念によってエーテルエネルギーから合成していたのです。

当時のムゥは(地球霊界を形成した霊たちが織りなす)霊界の写し世(ミニチュア)として作られたので、さまざまな段階や傾向における霊性の違う者たちが住まう島国でした。
当初はやはり霊界と同じように、それぞれの霊性・霊的傾向によって棲み分けていました。
彼らは島の中央の美しい姿の山を中心として、等高線を描くように集落を作り、異なる霊性の者たちが入り混じることなく、霊的秩序による調和のもとに暮らしていたのです。
島の北側は荒地でしたが、それ以外のところに、霊性の高い者たちの集落から順に、同心円状に広がっていたのです。
霊界においては、今でも自分の霊性にふさわしい階層でそれぞれが棲み分けて暮らし、指導や学びのための交流はありますが入り混じって暮らすことはありません。
大いなる神はもちろんのこと、神々や高級霊になれば、必要な場合以外は霊体すらまとわず、意識そのものとして存在しています。
霊性による階層の違いは厳然たるものですが、それは地上で想像するような上下関係などではなく、ある意味もっと絶対的な違いがありながらも、柔和で調和そのものの美しい秩序です。

霊界、(ここでいう霊界とは当然ですが本来の霊界のことであり、幽界や暗黒界は含みません)、においては、霊的エネルギーが全てであり、その精妙さ・輝きの違いはあるにせよ、全ては摂理に沿った使われ方をしています。
エネルギーをより大きく深い愛・より精妙でスケールの大きな摂理に沿って使っていく学びこそが、霊界の住人が生きる意味なのです。
どんなに低い階層であっても、本来の霊界の住人は皆が、他の喜びを自分の喜びとして生きているのです。
ですから、他界した人の気持ちや願いが、地上に生きていたその人の延長上にあるかのように伝える「霊能者」は、「霊能者」自身の霊性の低さが妨げとなって、本来の霊界にはつながっていないということです。

「この地上に富(財産)を蓄えてはいけません。富は天に蓄えなさい。あなたの富(持ち物)のあるところに、あなたの心もあるのです」とイエスが教え、シルバーバーチ霊が「地上で財産を蓄えた者は、死後何らかの責任を問われる」と伝えているように、本来の霊界ではエネルギーを自分だけのために使ったり、集めることなどありえないのです。

本来の霊界のどんな傾向のどんな階層でも、それは同じです。
エネルギーの使い方が摂理に沿っているから、霊界には病もトラブルもないとも言えるのです。

今の地上界は、さまざまな学びの段階やさまざまな傾向の魂が混住しています。
学びの段階が異なるということは、地上でのエネルギーの使い方、つまりどう生きるかという目標が同じではないということです。
ですから、二人の人が同じ不完全な想念を抱き、同じ行為をしたとしても、魂の学びの段階が違えば、一人の人にはそれが病の原因になり、もう一人の人にはさほどの過ちではない場合も少なくありません。
地上の人間の魂の学びの段階の違いは、決して小さいものではないのです。
教師役もいれば校長格の霊もいますし、生徒も大勢いるのです。
今まではあなたもその差異をあえて小さめに認識しすぎていました。

飯)「ひふみ神示」に、「今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。」と伝えられているが、「上中下」というほどの違いがあるんだろうか?
僕は、「同じ物質の肉体に宿れるのだから、地上の人間はみな同じようなものだ」と思ってきたんだけどね。
もともとの違いよりも、地上でどれだけ自らの霊性を発現できているかの違いの方が大きいんじゃないかって。

克)そうですね。
それは「魂の学びの段階(素質)と発現の現状」というべきもので、地上ではそこがなかなか複雑ですからね。
そこに深入りしても、ほとんどの人には分からない話になってしまうので、ここではごく簡単にお伝えしておきますね。

「三段階」というのは、誤解を招きそうですが、ある意味では分かりやすい表現ですね。
魂とは意識であり、その学びの段階は「その魂が総て・全体のどこまでを意識できているか」に表れるのです。
もちろん、大いなる神の意識は「総ての全てを究極の細部に至るまで」であり、同時に「神は全存在」でもあります。
ですから、大から小まで、過去から未来永劫まで、存在の全ては神の中にあり、神の一部なのです。
話を変えましょうね。

まず、第1段階の魂は、相手や周囲の人たちへの共感が非常に薄く、同情心もあくまでも自分の側から抱くしかできない段階です。
相手の状況によってではなく、「自分が可哀想だと思う相手」が可哀想なのです。
自と他を置き換えて考えたり、相互性ということに実感が持てない段階です。
人の痛みや苦しみを感じ取ることができないのですが、それは麻痺しているのでもなく、遮断しているのでもなく、分からないのです。

その段階の人間はあらゆることを自分の側からしか考えられず、自分の側からしか思えず、自分の側からしか感じることができません。
その段階の人間にとっては、「自分が全て」なのです。
その人としてのかげりは当然あるのですが、だからといって、そういう人間がもともと邪悪だというわけではありません。
自分の側からの善意を高めきることによって、その人として十分に輝きを発揮することができるのです。
何かあったときに、「自分が間違っていた。自分が悪かったのだ」と素直に思えるかどうかから始めることになるでしょう。
その段階ですから、それで構わないのです。
もちろん、相手や周囲の人たちとの相互性に意識を広げていくことがその人にとっての魂の成長ですから、地上でのさまざまな経験の中でそれを目指すのです。

第2段階の魂は、「自分や相手や自分の直接的な周囲」が、その人にとっての(具体的・実質的な)意識の全体です。
今の地上ではそういう人が大多数ですね。
その人たちは本来ならば、自分が直接的に関わる相手や周囲の人のことを自分のことのように思いやって、不調和があれば調和に向かわせ、嬉しい関係を築き上げていくのです。
そして、もっと大きな全体にも意識を広げ、自分の周囲の人たちにしているように、手を差し延べ、喜びをもたらしていくのです。

この段階の人でも、心をかげらせ、無意識の内に念のエネルギーを歪めたことによって、人の痛みになどお構いなしに「全てが自分」の状態に陥ってしまう場合もあります。
しかし、その歪みが矯正されれば、すぐに別人のように豊かな思いやりを発揮し始めることになります。
そこが第1段階の魂と違うところです。

第3段階の魂は、文字通り「皆」が全体です。
本来の「全体」とは、マクロもミクロも含んで、しかもそれら全てはつながっています。
それでこそ、「皆」なのです。
そこにおいても、どこまでの「皆」を全体として意識できているか、自分を役立てようとするかによって、その魂の学びの進化度が表れます。

しかし、地上でその魂の全てを表現できる人は皆無でしょう。
学びの段階の浅い魂にもそれなりに制約はあるのですし、学びの進んだ魂ならば大きく意識の次元を下げなければ、地上のありように馴染むことすら難しいのです。
そしてそれぞれが、過去世のカルマや課題に照らして必要な幼少期の設定や、その後の人生に起きる事柄が計らわれていきます。
どんな学びの進んだ魂であっても、肉体を持った人間としての意識の層がありますから、それ相当に傷ついたり、心をかげらせたり、頑なになったりもするものです。
それによって、さらに本来の自分の魂にふさわしい考え方や感じ方や言動ができなくなってしまう場合も珍しくはありません。
それに加えて、幽界や暗黒界からの影響を受け、地上のかげりのエネルギーの影響や関わる人間の想念の影響も受けているのですから、実際にはさらに複雑になっています。

ですから、その人の今や今までを見て、その人の魂の進化の度合いを判断することはできませんし、それは人間がすべきことでもありません。
ですが地上には、大きく分けて3段階の進化の程度の魂が同じ人間として混住していることは事実です。

そして、これは例外も多々あるのですが、概していえば、今の地上では霊性の低い者たちや自らの霊性を閉ざしている者たちの方が、地上的な物的エネルギーに馴染みやすく、大きく使うことができているのです。
地上人類の役割は、物質次元の地球という星を、神の御心(摂理)に沿った秩序に調和していくことです。
凝集の方向性を持った物質を、神に向かって解放された意識によってコントロールし、意識が物質を解放していくこと。
それによって、物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。

これは地球という星が誕生した時からの神のプログラムであり、人間がいかに抵抗しようとも、最終的にはそのプログラムが実行されることになります。
今のように、地上のいたるところで物質や金銭をめぐっての格差が広がり、物質や金銭が人々の心を極めて不自由にしてしまうことも、当初から織り込み済みの計画でした。
そして、今、物質や金銭による支配が最終段階に入りかけたこの時に、あなたがた人間がどうしていくのかが問われているのです。
言うまでもなく、あなた方の魂はその答を知っているのですし、絶えずあなたがたに働きかけているのです。

話を「念」に戻しますが、「何がなんでも自分の思い通りに」という、躊躇のないストレートな念は、大量のエーテルエネルギーを取り込んで使い、欲求を実現させていきます。
今の地上界は、主にそういう霊性の低い者たちによって支配され、「我よし」の秩序が形成されています。
そういう現状ですから、相手や人の痛みを自分の痛みとして感じ、「自分も相手も皆も幸せに」と願える者たちが、今の世を牛耳っている者たちをはるかに凌駕するエーテルエネルギーを取り入れ、使いこなしていかねばなりません。
霊的エネルギーと欲求(念)のエネルギーが融合してこそ、自分にも皆にも嬉しい物質世界が実現するのです。

念のエネルギーは、本人が全く意識できていない使われ方をする場合もよくあります。
ほとんどの人が、幼い頃の境遇や抑制してきた思い(反感)によって、無意識の内に念エネルギーを歪んだ使い方をしてしまっています。
それが実際の病の原因になったり、トラブルや人間関係の軋轢になっている場合が非常に多いのです。
病もそうですし、健やかではない、どこか不自然な表現には、その人の歪んだ念が使われていると考えてよろしいでしょう。
これは直接ヒーリング・カウンセリングや、一定期間の遠隔ヒーリングを受け、アドバイスのメッセージを受けることで、今のうちに是非とも解消していただきたいと思います。
それが無理な人は、自分のエーテルエネルギーの取り入れ量を大幅に増やし、それを自分にも相手や皆にも嬉しいように使おうと、ひたすら念じながら、実際にそうしていくことです。

それでこそ、ひとりひとりの「地の岩戸開き」となるのです。
霊的エネルギーと地上的な欲求(念)のエネルギーが融合すれば、今のあなたがたには想像もできないような地上界が形成され始めるでしょう。
病や物質や金銭をめぐる格差や不安や、人間関係のトラブル、社会の矛盾も全てが喜びに昇華していくのです。
地上界の浄化に伴う激変が、地上の人々にとっては大きな艱難(かんなん)となる可能性が高い現状です。
私どもは、今こそあなたがたが目一杯に自らの霊性を開き、同時に物質や現実に直接作用するエネルギーをどこまでも高めて、喜びの中で新しい地上界を構築していっていただきたいと強く願っています。
あなたがたがその役割を果たすことを強く意志し、それを自らの喜びとして意欲と欲求としていくならば、私ども霊界側は援助を惜しみません。
今の時点ではそう思えない人は、その人なりの歪んだ念が妨げになっているからだと思ってください。
その念こそを本来の使い方に戻していく時期なのです。
どうぞ全ての人が心を響かせあい、手を携えて、新しい地上界を作り上げてくださいますように。

飯)はい、お疲れさま。
掲示板にも書いたけど、先日の定例会の翌日に、さきさんが実際にはそこになかった「地楽」というお酒のビンを確かに見たことの意味はなんなのだろう?
「天楽」というお酒は実際にあったんだけど、「地楽」は5年前にすでに製造休止になっていて、その場になかったことは間違いない。
さきさんの思い違いかと思ったが、話を聞けばそうではなかったことも明らかだ。

克)あれは、さきさんが見ただけではなく、実際にその場にあったのですよ(笑)
残念ながら、物質化が不十分だったので、さきさんにしか見えなかったのも事実ですが、さきさんは見ただけではなく、実際にそのビンに触れています。
以前にお伝えしたように、さきさんは高い次元の霊界にも共鳴できていますし、地上的なエネルギーもとても強い人です。
しかも、地上的にも「喜びの人」ですから。(笑)

そのさきさんには、高千穂で「地の岩戸開き」の神事(かみごと)とを担った(魂の)喜びと、定例会での自分としての喜びが共鳴していました。
そしてその喜びが、定例会の時のエネルギーの取り入れや共鳴等によって、さらに融合して高まり、不完全ではありましたが物質化現象を起したのです。
まあ、今回は「地の岩戸開き」のお祝いに「地楽」のお酒という、霊界側の計らいという面も強かったのですが、さきさんが自信のなさを少し払拭し、物質を求めることへの制限も少し薄くできたことによって成立した現象でした。
さきさんはもともと念のエネルギーの使い方の歪みが少なく、修復も早い人です。
自分としての物質への執着もほとんどありません。
むしろ彼女の場合は、物質への欲求の制限が身に染み付いていることの方が問題でした。
それが多少解消されたことで、エーテルエネルギーを使っての物質化がしやすくなったのです。
緊張は禁物ですが、これからもおおらかに挑んでいってくださいね。
あなたがたの場合は現象を起こすことが目的ではなく、あまねく与えていくことが目的ですから、さきさん自身がもっとおおらかに与える(振舞う・奢る)ことに慣れたほうがよいでしょう。

悠々塾は地上界の雛形ですから、さまざまに得意分野を持つ人たちが配剤されています。
さきさん以外にもこのような現象を起こすことのできる人はすでにいるのです。
霊的エネルギーとエーテルエネルギーの融合による、奇跡のような病の治癒と両輪になっていってくれることを願っています。
それでこそ、実際的に地上界の霊性進化のけん引役の役割を果たしていけるのです。
そのためにも、ひとりひとりの念の歪みを矯正し、健やかな喜びの実現のために、限りなく使っていっていただきたいのです。

飯)はいよ、ありがとうね。
今回は僕の出番がなかったけど、大事なメッセージだったと思う。
なんだか楽しみだ。

克)はーい、まーたん、お疲れさまでした。
(2009・4・15)

15/04/2009(水) 20:07:54


No.5518  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 41  引用
ぬまさん、受信お疲れ様でした。
なるほどなぁと納得しつつ、とても興味深い内容で、この時代にこういう通信が読めるってありがたいなぁとしみじみ思いながら読みました。
今更ですが「ぬまさんありがとうございます」と言いたくなりました。
あらためて悠々塾ってすごいところだと思いました。
この通信もいずれ冊子にしていきたいですね!

この前の定例会を契機に意識にあがった念のエネルギーを、なるべく歪ませずに、しっかり求め取り入れて、自分にもみんなにも嬉しいように、みんなの喜びのために使っていきたいです。
自分のことも話題になってますが、これまでだったら拒否反応と緊張で固まりながら読んでたと思いますが、今回はなんだか人ごとみたいに(客観的に、心を固めたり揺らさずにという意味です)淡々と読みました。
あの時の「地楽」の存在感はどう考えても確かで、どう考えても否定できないからですね。
私って地上的ですね。笑
自分で地上的なエネルギーが強いって思ったことないですが、考えたら確かに理屈(理性)よりも、最終的に言動にする選択のスイッチは自分の実感や直感や感情優位です。自分としての気持ちや実感をともなわないと理性が働きにくい。危ないですね。笑。だから自分の感情で客観的事実が見えなくなる時もよくあるし。。ぬまとは持ち味が違いまーす。まぁだからこそ補完できるところもあるんだと思って、喜びのなかで働いていきたいです。

>物質界である地上を、霊界の写し世としていくのです。
夢みたいだけど、そうなった地上界を見たいです。
どんなに美しいでしょう。それは肉体をまとった地上の霊である私たちにしかできないことですよね。この場の皆さんとともに、この時代この地上に生まれた私たちの魂の意志に沿って、ともにそこに向かって歩んでいきたいです。

16/04/2009(木) 00:01:00


No.5497 のぶよ  
私の心を見て 引用
私はISSINファンです。ゆうき君藍子ちゃんファンです。
その二人に注意を受けたこと、憤ってまでということを認められなかった、起こった事実をそのまま受け入れられなかった、というところから始まったと思いました。
あの時起こったことをそのままきちんと見ていたら、藍子ちゃんの人柄は知ってるし「言われたことはその通りだけど何であんないい方をしたの」と聞いてもいいと思った筈で、そしたら理由がわかって、なんの問題もなく過ぎたことでした。そんな簡単なことにこれだけたくさんのエネルギーを使って、他の人も巻き込んでたんですね。
5451で書いたことを何度も指摘されていたのに、それについてなかなか書けなかったのは、それが問題にされている理由が分からなかったからです。5451の文章は、しんどくて苦し紛れに書いたものなので、問題にされることではない筈なのにと思ってました。でも逆で、そういう時に自分の抱えている問題が表れるから。ということだったんですね。
私が思い違いをしているのかもしれないと思ってから、書いてもらったことや夫の言ってることがそのまま聞けるようになり、分からないところは分からないと言えるようになりました。
現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。
5481で飯沼さんが書いてくださってるとおりです。私の体が悲鳴をあげています。これ以上同じことは続けれません。
イエスの「白く塗りたる墓」の意味を私なりに考えました。本当の現実(自分の本当の心)を見なくて形の整った美しい現実(自分が思っている理想でもある)をそのままにしてお墓に持って入る(今生での問題を来生に持ち越す)。
飯沼さんが定例会でのNさんと私のことを書かれた掲示板を読む前に、私は両親の不調和のことで悩んでいました。その心の状態が今回のことに反映していると思いました。
現実を真正面から見ていたら、すぐに解決したかもしれません。
事実を目をそらさないで見ていけるようになりたいです。その上で自分にできることをしていきたいです。
私は人と仲良く関わっていきたいと思ってきました。病気を治したいと思ってきました。
自分の中の澱を全部出してしまいたいです。

12/04/2009(日) 16:44:11


No.5498  藍子 ホームページ
Re: 私の心を見て 引用
いつもISSINを応援してくれてありがとうございます。

のぶよさん、体調はどうでしょうか。自分を見つめる作業はとてもしんどいですよね、疲れが出ませんように。

今回のことは私にも反省すべき点があり、申し訳ありませんでした。今日までずっと掲示板を読みながらのぶよさんを応援していました。
のぶよさん、よかったです。良かった!!

本来の伸びやかな心がそのまま体に現れて、どんどん病気が治っていきますように。これからもずっと応援してます。

12/04/2009(日) 20:56:41

No.5499  あきこ
Re: 私の心を見て 引用
>現実を真正面から見る。
>事実から目をそらさないように見る。
のぶよさんが体当たりで向かっていく姿にぐっときました。
病気が治りますように☆私も一緒に応援させてください。

12/04/2009(日) 23:08:13

No.5501  さき ホームページ
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん

>私は人と仲良く関わっていきたいと思ってきました。病気を治したいと思ってきました。

のぶよさんのその気持ち、全く疑いません。私もひたすらそれを願っています。今回応援下さった皆さんも見守ってきた皆さんも同じだと思います。その気持ちで思ったこと書きます。のぶよさんと仲良くしたいから。

のぶよさんが現実を受け入れられないのは「自分は悪くない」という念があるからやと思います。
現実を見る以前に、反射的、生理的に「自分は悪くない」という気持ち=念でいっぱいになるのでしょう。だから自分が悪く言われたと思った時に、事実や現実よりもまず「自分は悪くない」ということを、何をおいても言わずにはいられないのでしょう。

>自分が落ち込んでパニックになってしまった時に、外の世界・状況が分からなくなって自分以外何も見えなくなってしまうということが、今回のことで身にしみて見えました。
>現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。

のぶよさんが自分のなかで働いてる「自分は悪くない」という念を意識することが、事実を目をそらさずに見ていくための近道だと思いますよ。

苦し紛れであっても、パニック?でも、だから何をしてもいいことにはなりません。その人としての特殊事情のない人なんていません。世の中、その人の特殊事情を寛容に理解してくれる人ばかりじゃありません。いくらのぶよさんに悪意がなくても、人と仲良く関わっていきたいと思っていても、

>周囲の状況や人との関係を壊してでも「自分は悪くない」と言わずにはいられない。
>過剰な自己防衛で人を攻撃しても傷つけてもなかなかそうとは思えない。

という「自分は悪くない」という過剰な念を働かせていたら、人と仲良く関わっていくのは難しいと思います。逆に嫌われます。

ぬまが書いてたこと↓そのとおりだと思います。
>のぶよさんは「自分は悪くない。相手が悪い・誰々が悪い」という過剰な自己防衛によって、人との関わりを損ねているのです。人との和を壊してでも、「自分は悪くない」という主張を最優先にしているのです。<

最優先にするのは、
「自分は悪くない」ではなくて「自分は人と仲良くしていきたい」です。
のぶよさんはそうできる人だし、「自分は悪くない」という過剰な自己防衛さえやめれば、なんてことなく人と仲良く関わっていける人だと思うから言います。
今回のことでのぶよさんが使っている「自分は悪くない」という念のちからのすごさを思い知りました。
過剰な自己防衛の無駄なエネルギーの使い方やめましょうよ。
その過剰さが、本来の健やかさを求めているのぶよさんの体を傷つけているのだと思います。
そのエネルギー、人と仲良くするために使いましょうよ。
100%の善人、100%間違いのない人なんていません。
バカバカしいことにエネルギー使うのやめましょうよ。
と、声を大にして言いたいです。


どっちでもいいけど「白く塗りたる墓」は聖書の言葉で偽善的なことをさすんだと思いますよ。
私は普通にそんな風に読みましたよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
禍いだ、お前たち律法学者とファリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは石灰で〔白く〕塗られた墓そっくりだ。
外側は美しいが、内側は死者の骨とあらゆる不浄に満ちている。
このようにお前たちも、外側では人々に義人らしく見えてはいるが、内側は偽善と不法で満杯だ。
禍いだ、お前たち律法学者とファリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは預言者たちの墓を建て、義人たちの墓所を飾りたて、そして言う、『もしわれわれが父祖たちの時代にいたならば、預言者たちの血について、父祖たちの共犯者にはならなかったであろうに』。
〔まさに〕こうしてお前たちは、自分が預言者殺しの下手人の子であることを、自らに対して証ししているのだ。
そのようにしてお前たちは、自分の父祖たちの〔悪業の〕升目を満たすがよい。
(マタイ23・27-32岩波翻訳委員会訳)

12/04/2009(日) 23:55:21

No.5502  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
☆のぶよさん

今回の作業は本当に大変でしたね。
お疲れさまでした。

のぶよさんは、昨年だったかの「縄文土器展」以降、本当に嬉しい方向に変化してきたと思っていました。
のぶよさん自身もそう感じていたようで、「自分は病気を使ってきたと思う」ということを実感を込めて語ったりもしていましたね。

だけど、人間ってやつはそう簡単に今までの自分を払拭することはできないものです。
それは誰でもそうだと思いますが、言わば残渣が残っているだけなのか、あるいは根っこが残っているのかで先行きは大きく違ってきますよね。

のぶよさんの場合はどうやら根っこがまだ残っていたようで、それが定例会のエネルギーで浮き上がったのでしょう。
のぶよさんの念エネルギーの歪みの元が、「どうか自分を料理してください」とばかりに、自分からまな板の上に乗かってきたという感じでした(笑)
のぶよさんからのあの投稿を読んだときに、「これではのぶよさんの病気は悪化する一方だろうし、人と仲良く、気持ちよく関わっていくのは難しいだろう」と思いました。
それで、今回は真正面から取り上げることがのぶよさんのためにもなると、意を決してやり取りを始めましたが、ものすごい念エネルギーが炸裂する掲示板になりましたね。
結果的にこの掲示板で、定例会のおさらいと実習を皆さんと共有することができました。
皆さんへの大きな貢献になったと思います。
それもまたのぶよさんのカルマの埋め合わせとしての、魂の意志・エネルギーだったように思います。

どんな人にも、念エネルギーの使い方の歪みはあります。
それを意識できている人もいれば、全く自分では見えていない人も多いものです。
そして、今回はのぶよさんは余すところなく言葉に出して表現してくれたので、念のエネルギーのすごさが皆さんにも分かりやすかったのですが、全部を表に出すことなく腹の中で念エネルギーを歪めて使ってしまっている人も多いのです。

この念エネルギーの歪みが、体や心・精神や人間関係や地上的な事柄の全てに直接作用しているのですから、なかなか状況が変わらない人は、念エネルギーに焦点を絞っての直接ヒーリングは有効だろうと思います。

今回、のぶよさんが気づいてくれて本当によかったです。
一時はのぶよさんが壊れてしまうんじゃないかと心配になりましたよ(笑)
先にも書いたように、人間ですから一足飛びには全てを払拭できないものですし、また同じようなことを繰り返すかもしれません。
本当に分かったのかどうかの「お試し」は、近いうちに必ずあるでしょう。
その時に、「こう言われた。自分は〜なのに。自分は悪くないのに」という執念を思い変えるように全ての力を使うのです。
自分を被害者の聖域に置かないことです。
過剰防衛による攻撃に転じないことです。
実際にはのぶよさんの方が相手を傷つけている場合もあるのだということは分からねばならないし、自分の痛みや苦しさを理由にして主張するならば、同時に相手の痛みや苦しさも分かろうとするのは当然のことなのです。
自分にも事情や理由や気持ちや痛みがあるように、相手にもあるのです。
そのことを腹の底から分かってほしいと思います。
自分の痛みには過敏なのに、人の痛みには鈍感な人間には絶対になってほしくないのです。

誰であっても人間は完全ではなく、それは自分もそうで、知らないうちに、あるいは気づかなかった・そんなつもりじゃなかったという自己正当化の元に人を傷つけていることだってあるのですから。
その意味では、「未熟な人間同士お互い様」の部分が大きいということです。
くれぐれも肝に銘じてもらいたいと思います。

でも、今回のことで根っこは掘り出せたと思うので、これから出てくるとしても、それは残りカスだと思います。
そうであってほしいと、心から願います。
まあ、残り滓から根が生えてくる場合もありますから、普段から自分の念の使い方を意識して、本来の「自分も人も嬉しいように」使っていく習慣をつけていかねばなりませんが。
それはそれでエネルギーの要ることですが、自分の念の使い方を健やかに変えていくことによって、必ず目に見える幸せを手にしていくことができるのですから、やってみる価値は十分にあるでしょう。

とにかく、よかったです。
のぶよさんもひがしクンも、本当にお疲れさまでした!
掲示板の仲間の皆さんも、お疲れさまでした。
応援、ありがとう!

13/04/2009(月) 00:03:48

No.5504  ひろこ
Re: 私の心を見て 引用
ふ〜〜ぬまさん・さきさんお疲れ様でした。

やったね・・のぶよさん。お疲れ様〜(^0^)
少し休んでください。
おためし頑張って・・・私も自分の事がんばるので一緒にね。

横で見守られてるひがしさん大変だったでしょう。
お疲れ様でした。

13/04/2009(月) 00:58:56

No.5505  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
いろいろありがとうございます。
昨日から硬直してるので今日は休みます。
もう少し回復したら書き込みさせていただきます。

13/04/2009(月) 09:55:45

No.5506  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
☆のぶよさん

はーい。
気持ちが硬直しているということはありえないでしょうし、もしもそうだったら大変ですが、そういうのじゃなく、きっと疲れたのでしょうね。
気持ちも体もゆっくり休ませて、今回のことで明らかになったテーマと気づきを、のぶよさん自身に馴染ませていってください。
特に急いで書き込みをする必要があるとも思えないので、とにかくゆっくりとした気持ちになろうね。

13/04/2009(月) 10:32:34

No.5508  ゆうき
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん。お疲れ様でした。
注意をしたもうひとりの僕としては
なんとも言えない気持ちでこの間いました。

のぶよさん。
僕はあの時の事はあれで良かったんだと思っています。
僕がのぶよさんに「もうそろそろ遠慮したほうが・・・」
と言った時、Nさんのほうが「あともう少しやります」と施術を続けられたのでした。

これはNさんの厚意で、Nさんものぶよさんが良くなって欲しいとの思いからそうされたのだと解釈しています。

のぶよさんが帰る間際だったかに、僕は「どうでしたか?」と訊いたと思います。
その時のぶよさんは「普段動かした事のない筋肉を動かしてもらって、良くなりそうな気がする」と言っていたと思います。
僕はそれで良かったんだと思いました。

Nさんは大変だっただろうと思いますが、
のぶよさんが快方に向かうなら、それは治療家としても嬉しい事だろうと思うから。

あの時、のぶよさんに注意をしたのは「遠方から来られたNさんにもっと悠々塾の人たちと交流してもらいたい」との思いから発した言葉でした。
これだけは言わせてください。
僕らは間違っても、「のぶよさんにならどう言ってもいい」との気持ちから言った訳ではありません。←当たり前です。

当たり前過ぎて、文字にするのがバカらしいくらい当たり前の事です。

僕らは本気でのぶよさんの体が治って欲しいと思っています。
僕らはいつでものぶよさんを応援しています。
僕らは時々ぶっ飛び発言をするのぶよさんが大好きです。
そしてISSINのよき理解者であり、ファンであるのぶよさん。

これからもず〜〜っと宜しくお願いします!!


***

それから、これは僕が言うのも変ですが、Nさん。
これに懲りずまた定例会にいらして下さいね〜

13/04/2009(月) 21:00:58

No.5509  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
さっき、みさおさんから電話があって話していたのですが、ストレスは最大の病気の原因です。
このスレッドとはズレるかもしれませんし、みさおさんに話した内容そのままではありませんが、メモしておきます。

僕らはさまざまにストレスが生じる環境に生きています。
もちろん、「何をストレスに感じるか」は人それぞれですが。

こういう仕事をしていてよく思うのですが、自分の考え方や思い方でストレスを作り出したり、増幅させてしまう人がとても多いのです。
それが病気の元ですし、治癒を妨げる最大の要因です。
「喜びや嬉しいこと」との摩擦がストレスなのだと思います。
喜びに馴染んでいれば、ストレスは生じにくいのです。

ストレスとは喜びの逆ですから、できるだけ喜びをベースにしていく。
それには状況や人や自分のことを、まずはありのままに受け入れるところからでしょう。
喜びじゃないところはこれから喜びに変えていけばよいのです。
そのためには、最初から違和感を持つと、余計なストレスを生じて結局は遠回りになるでしょう。

失敗やトラブルは地上生活には付き物です。
ならば、謝るべきところは素直に謝り、埋め合わせをさせてもらえる場合は心からの埋め合わせをして、いつまでも後悔しない。
引きずらない。
失敗を次の喜びにつなげていけばよいのです。

不安や心配がストレスを増産することは言うまでもありません。
適切な心遣いや配慮は喜びですが、不安や心配や緊張こそがストレスです。
場合によれば、「どちらがストレスが少ないか?」という選び方しかできないケースもありますが、大事な時にこれをやるのは「逃げ」でしかありません。

時にはとことんまで自分の課題に向き合う必要もあるけれど、それは自分を否定することではありません。
間違いを修復し、さらなる喜びに向かって進もうとすることなのです。
極めてポジティブなことです。

今までの自分に固執していても、状況や人間関係は変わりません。
つまり、今まで生じていたストレスは生じ続けるのです。
ならば、やはり自分にも人にも嬉しいように、まずは自分が変わっていくことです。
自分だって人の思い通りにはなれないのですから、相手も自分の思い通りになるはずがないのです。
人を思い通りにしようとしたり、自分の思いを押し通そうとすることが大きなストレスを生み出します。
だから、まずは自分の考え方や思い方を点検して、摩擦を生じ、ストレスを生じるところを、「自分も人も」の喜びに沿って修復していくのです。
これは、波風を立てないように迎合していくことでもありません。
自分としての言うべきことを言わずに、自分の気持ちを思い変えようとすれば、自分のエネルギーの発露を押さえ込み、それはやがて人生の大きなストレスになるでしょう。
調和と迎合は違うのですし、言うべきことを言うこと我侭は意味が全然違うのです。。

何度も言いますが、自分を変えるということは今までの自分を否定するということではありません。
むしろ、未熟なりに頑張ってきた今までの自分を十分にねぎらい、次に進むのです。
どんなに未熟で過ち多い自分でも、もしも誰にも認めてもらえていなくても、神に祝福されているからこそ、こうして存在を許されているのですから。
自分が心から人を喜び、人を認めていけば、必ず自分も人からそうしてもらえるのです。

それでも溜まるストレスは、人を傷つけない形でどこかに吐き出すか、楽しいことをして気晴らしすればよいのです。
大事なことは、その後で「あー楽しかった。すっきりした。よかった」と思うことです。

ひたすら喜びの増幅のために、喜びに向けての修復のために念のエネルギーを使えばよいのです。

14/04/2009(火) 00:48:02

No.5511  ひろこ
Re: 私の心を見て 引用
ドネ日記にも書きました。
昨日、会社の帰り歩いていて気がつきました。
今まで私は、一生懸命しんどい事をなんとかこなして来たのは
自分が楽になりたい、安心した日々を過ごしたいと
思っていただけでした。

自分のために頑張って、思いどうりにしようとして、自分も特にまわりの家族もストレスになっていました。

昨日主人が幸せになってほしい、安心して暮らしてほしい
その為に目の前の事に取り組んで行こうの
気持ちがいっぱいになりました。

今までの自分を修復したいと思います。
喜びを広げたいです。

のぶよさん
お身体どうですか?ゆっくり休んでくださいね。

みさおさんが電話くれた時は私もしんどくて寝てたよ。
みさおさん、ランチしようね。

14/04/2009(火) 08:18:43

No.5512  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
暖かい気持ちを向けて下さりありがとうございます。
書き込みたいですが、関節が痛くて眠れなかったので、ちょっと体調悪いです。後で書き込みさせていただきます。

14/04/2009(火) 12:39:08

No.5513  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん、こんにちは。
大丈夫でしょうか?

きっと体が悲鳴を上げているのですね。
返信は気にしないで、体をいたわり、十分に心を休めてください。

>現実→受け入れられない→自分を守る(自己防衛)→自分は悪くない(過剰反応)→他の人が自分を悪く言っていると思ってしまう・他の人が悪い→周囲の状況が見えない、という流れを身につけていたのかなと思いました。
5481で飯沼さんが書いてくださってるとおりです。私の体が悲鳴をあげています。これ以上同じことは続けれません。<

ここにのぶよさんが気づき、納得に至ったことでよいのだと思います。
のぶよさんが思い至った「周囲の状況が見えない」というのは、「自分が人を攻撃している、傷つけている状況が見えていない」ということでもありました。

後はできるだけそれを繰り返さないようにしていくことでしょう。

意見や感想も出尽くしたようですし、一定の結着にいきついたことでもあり、またあまりにもこの問題が掲示板を占め過ぎて来たので、必要があれば直接ヒーリングの場で、ということにしていただけますか?

今回のことはのぶよさんの思い方や投稿から端を発したとはいえ、のぶよさんも大変でしたね。
でも、自分の問題や念の使い方の歪みに気づけてよかったです。
いろんな人から、「のぶよさんの書き込みを読んで、自分の念の使い方を振り返る貴重な機会になった」との感想が届いています。

今回のことが、のぶよさんの確かな「岩戸開き」と治癒につながりますように。

14/04/2009(火) 13:42:19

No.5514  のぶよ
Re: 私の心を見て 引用
飯沼さん、掲示板の仲間のみなさんへ、
今回のことでは暖かいお気持ちやお言葉を向けて下さりありがとうございました。
また掲示板を独占することになってしまい申し訳ありませんでした。
飯沼さん、さきさんには、わかりやすくまとめていただきありがとうございました。
書いていただいたことは、これから人とかかわる時に気をつけていきたいと思います。自分の気持ちを優先させるあまり周囲の状況が見えなくなってしまう結果の恐ろしさを今回気付かせて戴けてありがたかったです。自己防衛のあまり現実を見れなかったことにも思い至りました。
飯沼さんには、私の心の歪みを指摘していただき、何回も分かるまで指摘して下さり、本当にありがとうございました。あまりにもきついと思ったことも、気持ちの持ち方で受け取り方が違ってきますね、実は優しい言葉だったりしました。
私を信じてくださってありがとうございます。

掲示板で関わって下さった皆さんには、
暖かいお気持ちを向けて下さる皆さんの前だから、こんな情けない自分でも気持を出そうと思うことができました。本当にありがとうございました。

定例会で花束を頂いて信じられないほど嬉しかったです。その後で、こんな素敵なことがあった後では何か試練が起きるかもと漠然と思ってました。夫はただただ喜んでましたが。今回の投稿は一か八かの選択でした。終わったことを蒸し返すなんて、平静な時ならしていなかったと思います。心のどこかでは今回のこと分かってまな板の上に乗ったようにも思います。途中ではもう悠々塾を離れないといけないのかと思ったりもしました。何でこんなことを言われるのかと何回も緊張しました、書かれてる言葉が読めませんでした。それでも返信するには読まざる負えず、すぐ緊張し焦る小心な自分に免疫をつけてもらったと思います。

どっちでもいいけど「白く塗りたる墓」の意味は、最初偽善的な虚飾で塗り固めることと思いましたが、その意味だと分からなかったので、私の場合にあてはめて考えてみただけです。聖書の意味は知らなかったので。
子供のころから我慢するのはよいことと思ってきました。体がしんどい時も同じでした。盲腸になった時、おなかが痛くて辛いのを気付かれたらいけないと思って友達とも痛くないふりをして遊んでいました。病院に行った時には破裂寸前で、それまで何も食べてなかったのですぐ手術できてよかったと言われました。痛くて苦しいのにそれを言えないで痛くも苦しくもないふりをして過ごそうとしている。飯沼さんが書いてくださっている意味と違うかもしれませんが、それをいまでも続けているように思いました。

今回のことで、夫は、言いたいことを言うように、と言ってくれてました。私の書いた変な表現を治して、分からないところは一緒に考えてくれてました。自分の気持ちを書いたらいいから、後はフォローするからと。

掲示板の仲間の皆さんに暖かい気持ちを向けていただいて、安心という気持ちを感じることができました。
重ねてお礼申し上げます。
今まで自己防衛に使っていたエネルギーを人と和すために使っていきたいです。
同じことで躓くかもしれませんが、その度にやり直していけたらと思います。
不十分なとこばかりでいろいろご迷惑おかけしましたが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

14/04/2009(火) 21:45:23

No.5515  ひがし
Re: 私の心を見て 引用
今回ののぶよの書き込みのことでは多くの方々に応援していただき、本当にありがとうございました。
のぶよの病のことについて言えば心の持ち方に頑なさが少なくなり、昨日は横にいても何か以前より近くに見えるような不思議な感じがありました。やはり波長が変化してきていることなのだと喜んでいます。心の変化がやがて体の変化へと繋がっていって欲しいと心から願うものです。
掲示板を見て下さった方、応援して下さった方々、励ましのメールやメッセージ、電話をくださった方々、飯沼さんさきさん、本当にありがとうございました。
掲示板を独占して恐縮でした。これからもどうかよろしくお願い致します。

14/04/2009(火) 21:46:19

No.5516  ひらり
Re: 私の心を見て 引用
のぶよさん、お疲れさまでした。

定例会で少しお話したのぶよさんと同じ病の女性は、小さなお子さんがいらして、こどもと遊びたい!!と強く思われて半年で自分の念だけで治されたんです。

私は定例会で、いつもおでんを美味しそうに食べてらっしゃるひがしさん、その横で少女のように満面の笑みでいらっしゃるのぶよさん、お二人の日だまりような雰囲気がとても好きです。

のぶよさん、ひがしさんとあちこち一緒に行きたい!と強く思って下さいね。良くなる事を心から願ってます。

15/04/2009(水) 00:30:31


No.5507 飯沼 ホームページ E-mail
タカさんからのお手紙 引用
☆長年に渡ってさまざまに大変な中で頑張り続けておられるタカさんから、今日お手紙が届きました。
タカさんの今のご心境がしみじみと嬉しく、うるうるしながら読ませていただきました。
この数日、掲示板がちょっと重いので、許可を得て掲載いたします。
掲示板にご投稿いただいた皆さんへの返信もできないままになっています。
僕も返信したいので、おいおいに書いていきます。
せっかくご投稿いただいているのにすみません。
メールの返信も遅れがちになっています。
ごめんなさい。
。。。。。。。。。。

いつもありがとうございます。
久しぶりに軽やかな心で桜の木の下を歩いてきました。
桜の満開の時は短くて、もう緑色の葉がのぞきはじめておりました。

先日は○○と☆☆の直接ヒーリングありがとうございました。
色々と一杯一杯ありましたが、私達兄弟姉妹は同じように子供を傷つけてきたのですね。
小さな時から一緒にいる時はいつも○○を姉の悪口暴言から守ってきたつもりでした。(自分のことは棚に上げてですが…)
何年か前に○○から「小さな頃、“今日は学校から帰ったら本当のお父さんとお母さんがむかえにきてくれている”と思いながら家に帰っていた」と聞いて、そんなに辛かったのかと涙がとまりませんでした。

何とかしなければと、飯沼さんに遠隔ヒーリングをしてもらうように勧め、今回直接ヒーリングをお願いしました。
○○も是非行きたいと思ってくれて、行って良かったと言ってくれました。ありがとうございました。

直接ヒーリングから帰った翌日、とても良い天気だったので久しぶりにお弁当を買って□□も、姉も皆んな一緒に公園に行き楽しく過しました。
お昼前頃から○○が頭が痛いといい吐き気がすると言っていました。☆☆が「私と一緒だ、しんどいじゃろう」とか言っておりました。帰りの汽車が出るまで三十分位ありましたがホームで座っているからと構内に入っていきました。心配していたらメールがきて、ふいに涙が出てきて大泣きしてしまいそれから吐気がおさまったということでした。

帰ってからの電話の声は今までより明るくはずんでいるように感じました。
少しづつでも頑張っていくと言っておりました。ありがとうございました。

私は先月の定例会から帰ってから気がつくと「連鎖はやめる」「連鎖はしない」と心の中で言っている自分がいました。
やっとわかりました。
マイナス、マイナスに使ってきたエネルギー、周りの皆を嫌な思いにさせ、苦しく暗くさせてきた今までの私のエネルギー(だったのですね)を、もう出したり、ため込んだりするのはやめます。
定例会が終わった時と違って、おちついてきました。
今までをふり返って、何をしてきたのかという長い間の後悔と、傷つけてきた人々への懺悔の気持ちとで私は今とても恥かしい気持ちでいます。
こんな私でも、それでもこうして生かされていることに感謝し、飯沼さん、さきさん、悠々塾に出会わせてもらえたことに深く感謝しています。

☆☆が直接ヒーリングから帰ってすぐに「お母さん何か変わった?変わったことがあった?」って聞くので「何もないよ、どうして?」というと、飯沼さんが☆☆を通して私にエネルギーを送って下さったと…、ありがとうございます。
今(最近ずっとです)心がおだやかで軽やかなのは、そのせいですね。
今の私に変わっていきたいです。
私も皆も幸せに生きていけるようにもう一度頑張ります。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。
ありがとうございました。お礼が遅くなりすみません。

13/04/2009(月) 19:33:03


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