☆今日、ある癌患者さんに返信したメールを転載しておきます。(みさおさんではありません)
こんにちは。 癌の診断を受けた人の多くはそういうお気持ちになるのだと思います。 人間は誰もがそうですが、我々の年齢になれば、ほんとにいつ何があっても不思議ではありません。
「人間はCENSOREDば終わりではなく、死後の生もある。死とは生きる世界・次元の移行に過ぎない」と、私は確信しています。 40歳前まではそんなことは全く思ってもいない唯物論者だったのですが、この15年あまりの間に私自身が目の当たりにしてきた経験があるので、今では死後の生を確信しています。 まあ別にそういうことを信じていなくても、人間は誰もがいつかは死ぬのですし、それがいつくるのかは誰にも分からず、人間にはどうしようもないことです。 階段から落ちて亡くなる人もいれば、末期の癌が治った人も少なからずいるのですから、先のことは分からないものです。 考えてもどうしようもないことに心を煩わされていては楽しくありませんね。 先のことは分からないのですから、今、この地上に生きていることを喜び、自分を誰かの役に立てながら、自分も人も幸せにと願って楽しく生きればよいのだと思っています。 実際、進行癌の宣告を受けた後、残された人生をそんなふうに生きようとした人の癌が自然治癒した例は幾つもあります。 これは、治らなかった人がそうできていなかったという意味ではありません。 いずれにしても、生命に関わる病を治す秘訣は、「心機一転、生まれ変わったような気持ちで生き直すこと(肩の力を抜いて)」のようです。 その意味では、病は神から届けられた白紙の手紙のようなものなのかもしれません。 白紙の手紙に自分が、日々の思いや言葉や行為・行動・醸し出す雰囲気などで返事を書いていくのです。 神は愛であり、喜びであり、全き調和です。 人間からの返事の手紙が神の御心に叶うならば、その人の人生のシナリオに沿った幸せと喜びがもたらされるのでしょう。 それは病の治癒の場合もあるでしょうし、生きる次元を移行した後の幸せかもしれません。 それがどちらなのかは人間には分からないことですし、それがどちらなのかと心を煩わせるならば、喜びではない返事を書いているということになってしまいます。 「自分が頑張って〜したのだから、きっと自分の思い通りの結果になるだろう」とか、「自分の思い通りの結果を手にするために〜する」というのでは、人間が神に条件をつけることになります。(もちろん、治ること=調和の回復を願わなければ何も始まりません) 人間にはどうしても分からないことや、どうしようもないことの結果は神にお任せして、人間は今、この地上に生きていることを喜び、自分を誰かの役に立てながら、自分も人も楽しく生きればよいのだと思っています。 必ずふさわしく導かれるのです。 お孫さんが自分の気持ちを言葉にできるといいですね。 そうできれば、きっと喘息の症状も緩和されていくと思います。 (*以下略します) |
26/11/2008(水) 16:13:49
No.4898 ひらり |
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ちぃさん、こちらこそ楽しい時間でした。 ありがとうございます。 次回はにぃさんにも是非お会いしたいです。
初参加の定例会でしたが、普通の方達が自分を役立てたいと思い真剣に学ばれてる姿は、私達にとって感動でした。
お仲間のみさおさんに全身全霊でエネルギーを送る皆さんの姿には、唯々肉体を超えた本来の魂を感じました。 そして皆さんからのエネルギーを受けるみさおさんはとても神々しく思えました。絶対完治する、そんな思いが心の中に静かに涌き上がって来ました。
これからも一緒に学んでいきたいと思います。皆さん宜しくお願い致します。 |
26/11/2008(水) 17:01:07
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No.4899 ひらり |
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間違って定例会の返信をこちらに書いてしまいました。 すみません。 |
26/11/2008(水) 17:06:11
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