「地上人類の歩み」から
■これから目指すべき地上界について
今の地上界のいちばんの問題点は、物・金銭・力・エネルギーといったものの集中、である。本来動きながら、使われながら、人々を満たしていくべきものでありながら、ひとところにとどまっている。その均一でないことが生み出すひずみが、人々の生きる環境に、生きる意欲に、大きく影を落としている。
人が生きるにあたっては、最低限必要なものが必ずある。物質的に見れば食料であり、水であり(身を養うもの)、加えて身を休ませる所である。そうであるはずの物質が今はいきわたってはいない。豊かさの享受と貧しさの苦しみとが同時に存在している。
これらの現状は支援という形だけではどうにもならない。豊かなところから乏しいところへ回そうとしても、それはかなわない。全体からみれば焼石に水の状況である。その不均一な状態を解消していくこと(たとえば食料ひとつを取り上げてみても)は、本当は決して難しいことではない。物質的な偏りを解消していくのはたやすいのである。難しいのは、そうしていこうとする意識を皆が(大部分の者が)持つに至るということである。
「必要とする者が必要な分だけを得ればよい。過分に得ることはない。蓄えておく必要もない。なぜなら、必要な時には与えられる(受け取ることができる)のだから。」これが当たり前のこととして人々の共通認識となれば、少しでも多く得るために、少しでも優位に立つために、といったことのために必死になることはなくなる。必要な時に必要なだけ与えられるということは、人々に安心をもたらすことであり、競争をなくしていくことであり、心の余裕を広げていくことである。得るために追い立てられているからこそ、自分しか見えないのであり、自分を優先させようとするのである。
物に限らず、「何かをする」という行為行動のエネルギーも偏ることがなくなるはずである。手助けを必要とする者に対しては、その人が求めていることを与えられる者(それにふさわしい者)が役に立っていけばよい。それぞれの人の持つ能力や特性が、求められているところ(人)でいかされることが、求める者にも応える者にも嬉しいのであり、その能力・特性そのものの存在意義なのである。
人々が本来持っている心の輝きは、今の時代のなかで失われてしまっているのではない。不安や恐れによってくもらされているだけである。自分の心の輝きを誰もが発揮したいと本当は思っている。恥ずかしさや抵抗感、周囲の目というものに阻まれて出しにくくなっているだけである。また、目に見える形や物質、力というものから成り立っている社会においては、心の輝きは邪魔なもの、役に立たないものとして扱われているのである。
物や形や金銭によって成り立ち、動かされてきた社会が、今やその回復方法を見失った、病んだ状態にあることは誰もが知っている。これは物や形、金銭のみによっては癒されない。人々が生きる社会というものを健やかな状態へと向かわせていくのは、人の心以外にはないのである。人の心(意識)が全体の健やかさを求める方向へと変わっていくこと、つまり、自分優先の意識・行為行動から、全体のバランスのなかでの意識・行為行動、人のために、人とともに、という意識へと変わっていくことが必要なのだ。
それは自分という個人をないがしろにすることでも、犠牲を強いるものでもない。(社会)全体は個人から成り立っているのであるし、個人もまた全体のなかに生きているからである。自分のみの喜びを求めて自分に集めるのではない。他の者の喜びも自分の喜びとすることができること、それが個の喜びと全体の喜びとが調和していくための鍵なのだ。そこでは、自と他との区別はない(違いは当然あったとしても)。自分という囲いを作らないことは、自分を守るための言動も、自分の優位を保とうと(得ようと)するための競争も、自分のみに集めるということもなくなるということ、必要がないということなのだ。それは、人と人とが偽り合ったり、反目し合ったり、争ったりということからの解放を意味する。
あなた方がこれから目指し、形づくっていく社会は、人が自分の心を素直に表現して生きられる社会であり、自分の心とは、その人本来の輝く心である。優しさも愛情深さも、親切心も、そして正しさや厳しさも、人と共に歩み、助け合い、慈しみ合うなかで何の躊躇もなく表現されるべき心である。それは人と人との間に喜びを生み出す。生み出される喜びの共鳴が、人と人との間を滑らかに満たしていくだけでなく、社会全体に及ぶ時、あなた方は地上人類として第二段階を卒業するのだ。
そこに至るまでには何事もない静かな時間が流れるのではない。むしろ困難な状況や厳しい事態が起こり得るのだと思っていた方がよろしい。自分という囲いをはずすことのできない者が多ければ多いほど、それが無意味だということ、力を持たないのだということを知らなければならないような設定がなされているか らである。
しかしながら、自分というものを越えて、人と共に歩み、人のために自分を役立てていこうと努め、人の喜びを自分の喜びとして生きる者たちが増えていくことが、また、そういった者たちの心のエネルギーや喜びのエネルギーが共鳴し、高まっていくことが、自分を手放せずにいる人たちの心をも救っていく可能性はある。ひとりでも多くの者が、手を携えて新たな地上人類の歩みのなかに生きられるように。気づいた者から、意志した者から、積極的に人として生きることを始めて頂きたい。
ひとりの者の気づきが、ひとりの者の行動の変化が、やがてつながっている人々へ、そして全体へと広がっていく。人と人とのつながり、生命と生命とのつながりは決して失われることがない。ならば、そのつながりを信じ、それを希望として、やがて迎えることのできる全体の喜びのことを思うのだ。
力は心から生み出される。それはかつて喜びの心を軸に暮らしを営んでいたムゥの者たちの、力の役立て方に重なるものである。人を癒すこと(ムゥの頃には病はなかったが)、作物を豊かに実らせること、人を導いていくこと、それだけでなく、物を作る時に込める心、作物を育てる時に向ける心、人との関わりのなかで抱く心・・・。それらのいずれもが、その人(相手)の喜びを求める気持ちや健やかさを願う気持ちを動機として発せられる限り、人に役立つ大きな力となる。
心の力は誰にでも与えられているものである。それ故に、何のために使うのか、どう使うのかといった目的と動機が大事なこととなる。備わった心の力を全体への貢献のために使っていくこと、それこそが心の力が与えられている意味なのである。自分のために、自分の満足のために、自分が得るために使うのであれば、それは過ちの繰り返しである。
誰もが持っているということは、心の力が決して特別なものではないということだ。それをいかすべき時に、いかすべきところで使うかどうかはその人次第であるが。人のために、全体のために自分の力をいかしていくこと、貢献していくことがあなた方が地上で生きる目的である。しかし実際にそうしていくかどうかは、今、地上にいるあなた方のそれぞれが選び決断していくことである。
あなた方に共通の目的、全体への貢献(しかしそれはいわゆる全体主義ということではない)ということがごく当たり前のこととして成され始めること、そのこと自体は、地上人類の歩みのプログラムのひとつなのであり、地上に人が、そしてヒトが現れた時からそこへ向けて動いてきたのである。物質的な世界である地上界においても、霊界同様に、貢献を目的として愛に生きることを実現させること、それが地上人類の霊性進化のプログラムの最終章なのである。
そこでは、かつて分かれた、心の国と物質の国との融合がなされるのだ。どちらか一方に偏るのではなく、いずれの喜びをも実感していく世界なのだ。輝く心で生きる人々が、作る物に、育てるもの(者・物)に、動かしていく物に、人と人との間で交わされている物に、自分たちのその心の輝きを込めていくのだ。単なる物質ではなく、心が込められた物として、心を表現する物として、そして心を伝えるための物として物質は扱われるのだ。そこには物をめぐって喜びのエネルギーが生まれる。心と心の間に喜びのエネルギーが交わされるのと同じように。物質を介して人の心の喜びも共鳴・増幅するのだ。
かつてアトランティスの者たちが物質的な喜びを追求したのも、自分たちの働きによって、物質と心との距離をさらに近づけるためだったのである。
あなた方が、物質的世界のなかで心の喜びと物質的な喜びを融合させていくことは、物質的次元の世界にも、霊的エネルギーが完全にいきわたることを意味する。そこで初めて「地上天国」が実現するのだといえる。
それは、人の心にかげりが生ずる以前の時代よりも、さらに輝いた心で人が生きる世のことである。地上という限定的な世界でありながら、あなた方が生きるのは限りない喜びの世界であるのだ。あなた方が今こうしてここで生きているのは、それを目指し、実現させていくためなのである。
長い人類の歩みのなかで、今こそが最も大きな転換期なのだ。すでに定められたプログラムという大きな意志の流れに自らも入っていくのか、それとも、その流れに逆らい、あくまでも自分というところにとどまろうとするのか、選んでいくのはその人である。しかし、地上人類の霊性進化のプログラムという大きな流れは、それらの小さな自分を押し流して進み、とどまることを知らない。
それはさらに大いなる意志の流れのなかのひとつなのである。その流れは誰にも何ものにも阻むことはできない。それこそが神の意志であり、全てはその意志によって動いているのであるから。
あなた方はこの通信を手にし、地上人類の歩みを、歩むべき道筋を目にしました。
ここから何を得るのかは、まさにあなた方次第であり、さらに意志すること、行動することにまでつなげて頂けるかどうかもまた、あなた次第です。
けれども、自分のまわりを見回した時、刻々と進行しているプログラムをそこに見る人は多いはずです。私どもはあなた方の恐怖心を煽るためにこの通信を送ったのではありません。動いていく事態のなかで、あなた方に自分たちの目指すところを見定めて頂くためにお伝えしたのです。それによって多くの人が心を動かしていってくださることを祈らずにいられません。
なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。 変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。
ひとりでも多くの人と手を携えて、と伝えました。輝く心で輝く物の世界に生きられるよう、それがひとりでも多くなるために、私どもはあなた方のお役に立ちたいのです。
心と心とでつながって共に生きることこそ、本当に幸せなのだということを、本当は皆、知っているのです。勇気をもって自らの心を表現していってください。多くの人が知りながらそうできずにいるからこそ、さきがけとなる者が必要なのです。あなたが、その一人となってくださることを私どもは希望します。そして、そう意志し、そう行動し始めてくれた者たちに対して、霊界側は導きと援助を惜しみません。いついかなる時も共にあって、地上で働く者と共に、共通の目的(地上人類の霊性進化)のために力を尽くします。なぜならそれが私どもの喜びであり、生きる目的だからなのです。
新たな気づきを得、歩みを進めようとしているあなたが、常に希望を胸にしながら生きてくださるように、その心とからだと魂とで希望に向かって進んでくださいますように。その力の源は、あなた方自身の心にあるのだと重ねて伝え、この通信を終わるものとします。 |
23/10/2008(木) 09:01:26
| No.4664 飯沼 |
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NO.4573の、「地上人類の歩み」から転載します、も合わせてお読みください。 |
23/10/2008(木) 12:59:10
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| No.4667 飯沼 |
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「来たるべき地上界のために」より
■このままいくと地上界はどうなるのか(概論)
今の地上界が「皆が喜べるところではない」ことも「心から幸せだと思える者がほとんどいない」ことも、あなた方は分かっています。けれども「それはそれでどうしようもないじゃないか。」と半ば他人事のような思いで見ています。自分たちのことでありながら、自分たちのこととして正面から向き合おうとしないのは、あなた方人類の歩み続け、“発展”し続けた(と思っている)結果がこの状態なのだという認識があるからです。
あなた方が思うように、確かに“人類”はさまざまなところで“発展”してきました。“進歩・向上”もありました。しかしそれのみかと言うと、そうではありません。自分たちの力では解決が難しい問題が時代を経るにつれて、次々と出てくることに、気づいている者、知らされている者はむしろ少ないでしょう。あえて問題を見ていこうという姿勢を持つ者も少数です。それは“人類”が自分たちの“快”や“喜び”に焦点を当てて進化しようとしてきたからなのです。見る目を持って自分たちのまわりに目をやれば、たくさんのことが飛び込んでくるというのに。
あなた方はそれぞれに、今回の人生で目的を持って生まれてきます。その“目的”とは大きくふたつに分かれます。ひとつは「与えられた力・能力によって全体に貢献していくこと」であり、もうひとつは「それまでの人生で積み重ねてしまった心のかげり(カルマと言います)を清算し、さらに喜ぶ心を広げていくこと」です。この、カルマとは、個人のなかにあるだけではなく、個人間、家族どうし、地域、民族、国どうし、そして人類全体にもあります。本来ならば、ある人生で作ってしまったカルマは次の人生で解消されていくべきもの、それを乗り越えてさらに心を広げるためのもののはずなのです。あなた方の心が次第に「愛情」を広げ、深めていくことこそが「進化」なのです。
しかし、あなた方が人類として歩み始めてから今日に至るまで、前の人生で作ったカルマを解消し、進歩していくことのできる者はそう多くはなかったのです。むしろ、また同じ過ちを繰り返し、カルマを深めてしまう結果となったのです。もちろんそれも、個人のレベルのみのことではなく、さらに大きなレベルにおいても同様でした。ですから今の地上界には、清算しなければならないものが渦巻き、絡み合い、層を成していると言えるのです。もちろんそれは見えません。しかし起こってくるさまざまな問題・トラブル・現象はそういったものが形を成したものだと言えます。そのひとつひとつについて、ここで解説を交えるわけにはいきませんが、何の理由もなく“現象”は起こらない、ということです。
あなた方それぞれに何か問題が起こった時、あなた方はそれを何とかして解決しようとします。そこでは、どうしてそうなったのか、だからどうしていけばいいのか、という思考をします。しかしそこで忘れてならないのは、「自分だけでなく、皆が(またはその人と自分が)、どうすれば嬉しいか」、「どうすればその人のためになるか」という視点で考えるということです。 解決の糸口は「喜びに向けて」というところにあるのです。
これを踏まえて、改めて地上界を見てみれば、皆が喜べる状況にないことはすぐ分かります。それをどうしていくか、どう考えていくかはこの通信によってこれから綴られます。 しかしこの通信を貫いている視点は「喜びに向けて」というところですから、それを現実のもの、実現可能のものとしてとらえにくい人もたくさんいるでしょう。どうすれば健康になるかを聞いてもなかなかそうはできず、しかし自分が病を得て初めて、「ああそうだったのか、ならばそうしていこう」と思えるのと同じです。
今の地上界において最も問題となっているのは、「さまざまなものの偏り・集中・独占」です。それがある限りは、決して「皆が喜べること」にはなりませんし、「誰もが安心すること」にはつながりません。とどこおることなく、物やエネルギーや情報が全体にいきわたるようにと人々が思っても、なかなかその動きは始まらないでしょう。しかしだからと言って、そのままでいいはずがないのです。この、偏り・集中・独占がそのまま手つかずであればそれをもとにして次々と派生してくる“かげり”が実に多いのです。少しでも多くを手にしようとすること、他を出し抜こうとすること、偽りや欺き、さらには支配に至るまで。
地上に生きるあなた方全体が、本当の「進化」を遂げていくプログラムは、地球という星が形づくられる前からありました。その流れのなかには、もちろん「かげり」の発生も含まれます。「かげり」を乗り越えることにより、それよりさらに大きな「光」の心を獲得していけるからです。その意味では、人類がさまざまな問題を抱えるのは“予定通り”だとも言えます。
しかしそれはそれを乗り越えることが前提だからこそです。 乗り越えることがなければ、その先にあるのは崩壊と「やり直し」なのです。重なり合ったかげり(カルマ)が極限に達しようとしている今の時期こそ、その分かれ目だと言えるのです。それを乗り越えて新たな地上界へと再生できるのか、それとも一旦全部壊してゼロからやり直すのか。
ある時期から、霊界側からの働きかけが強まったのは、あなた方人類に“前者”であってほしいからです。地上に生きる者たちが、できれば喜びのなかで新しい地上界へと移行してほしいからです。崩壊に伴う苦しさを味わわせることを、こちら側の者たちも避けたいのです。
しかしながら、先にも述べたように、「病となって初めて自らの肉体や心を見つめ直すことができる」のと同様、厳しい事態が発生して初めて、あなた方は気づいていくことが多いようです。
最も問題となる「偏り・集中・独占」については特にそうです。それが解消されないのであるならば、改めて、「そうはできない状況」がもたらされます。それは、「独占しようとしても、しようと思う“物”自体がない」という状況です。そこからたくさんのかげりを次々と生み出す“もと”であるならば、そしてそれを改められないのであれば、「無い状態」にするしかあるまいということなのです。それは、天候異変で農作物が採れなくなることであったり、家畜や捕獲されるものの病や激減であったり、エネルギー源の枯渇・事故による生産の停止であったりします。
これらのなかの、どれかひとつをとってみても今のあなた方にとっては大問題です。ダメージが少なくてすむものなどありません。それに加えて、“コントロールされていた情報”は“コントロールできない状態”へと陥り、それがさらにあなた方の不安や恐怖をかき立てていくことになるでしょう。
そういったなかにおいては、どうしても「自分が手にする」ということをやめさせることができずに、いかなる手段に訴えても物を得ようとする人の“かげり”は増します。しかしそれも時間の経過とともに手放さざるを得ないでしょう。そしてあなた方は、ようやく「分かち合うこと」や「与えてもらうこと」の喜びに気づき始めるのです。「助け合う」ことの必要性から「助け合う喜び」を知っていくのです。
もたらされた、どうしようもない状況を喜べるものにしていくためには、それぞれの力を集め、また、ふさわしいところでいかすことが望ましいのだ、とも分かります。それまで力をふるっていた“金銭”は何の役にも立たず、「人の心」こそが、多くを救い、最も役に立ち、力になり、希望や喜びをもたらしてくれるのだとやっと実感できるのです。
そのことにめざめれば、与えられた「心の力」をさまざまにいかすことが可能となるでしょう。可能性と力を秘めた見えないエネルギー、心の力に対して、それを“希望”としてあなた方は歩み直すことができるでしょう。
しかしこれもまた、“希望”を糸口とした見方であるとも言えます。次々と発生する事態のどの時点で、あなた方が気づいてくれるのかが、その先の全てを決めていくのです。繰り返し起こっていく「どうしようもないこと」「手の打ちようのないこと」のなかで学ぶことができなければ、その時は、あなた方は「やり直し」を選択した、ということになるのです。
それは地上の全てのものを失い、崩壊した状況のなかではもう生きられる人はいないということです。つまり一旦、全ての者が地上を離れ、再び「ふさわしい時期」を選んで(それはあなた方の時間では、何万年という単位以上のものです。)地上界を再び形成していく者と、別の星に別の形で生まれていく者と、そして、その魂をエネルギーとして宇宙全体に役立てることになる者(魂そのもので存在できなくなるということ)とに分かれます。
これはあなた方をおどかすために伝えているのでないことをぜひ分かって頂きたい。「このままではいけない」「このままでいいはずがない」と分かっている人には、変えていきたいという意志を、まだ気づかずにいる人には「このままではいけないということなのか」という気づきのきっかけを、それぞれ持って頂くためのものです。
それでも、実際に「そうしていくのだ」と踏み出せる人は少ないかもしれません。けれども、皆が、誰かが、ひとりが動き出すことなしには、「人類の歩みのプログラム」は、「そうせざるを得ない状況」を作っていくように作用します。それは誰にも止めること、阻むことができないのです。たとえ霊界側であっても、です。私どもにできることは、あなた方があなた方の意志に基づいて、“変化”を迎えられるよう、援助していくことのみなのですから。 |
24/10/2008(金) 01:42:42
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