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No.4262 飯沼 ホームページ E-mail
9月の直接ヒーリングのお知らせ です 引用

☆☆ 2008年9月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
9月6日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
9月7日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
9月8日(月)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
9月9日(火)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
9月10日(水)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆掲示板でお伝えした「副(反)守護霊」に関するヒーリングも、この期間にさせていただきます。

☆NO.4258「愛は時空を超えて」のテーマの「家系・ご先祖」のヒーリングもいたします。

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、8月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)


13/08/2008(水) 10:01:26



No.4252 飯沼 ホームページ E-mail
みさおさんの代理投稿です 引用

皆さん こんにちは
父が 8月5日に 手術しました
手術前の 説明で
今回の手術をきっかけに 透析を定期的に行う事になるかもしれない
(透析治療は、一度、検査の際に、しただけです)腎不全(糖尿に、なって30年近くです)があるので、(糖尿から腎臓へ)透析の事、頭に、おいてて下さい
肝臓の後ろの方に腫瘍があるので 肝臓を引っ張り出して切除しないといけない が しかし それでも 引っ張り出しにくければ開胸 、胸の下も切る
痛みで血圧が上がり 高血圧により出血が止まらず 即 再手術に なる可能性もある
など 色んな 不安を 聞いてましたが
飯沼さん さきさん
皆様の お陰で 無事に 手術できました
術中の事故など
心配すれば きりがありませんが 無事に済んだのはほんとに 有難いです
私の心配していた事は、全て、クリアできました

ここまで くるのは
長かった様な 早かった様な…
2度 私には 父を 治すのは 無理だと
思った時も ありましたが
ほんとに こんな 人間(私です)を応援してもらい 治癒を願って下さった皆様の 気持ちで ここまで これました
今だから書きますが 6月 父の最初の診断が下る日
私は悪性だとわかっていましたが
前向きに考える父を目の当たりにして 父の運転する車に二人で乗っていて
(診断に向かう途中)このまま 何も聞かずに 二人 死んでしまいたい
今 苦しくない時に
まで 思っていました
それも 今 思えば 私の身勝手な思いだと 思います

父は食欲はありませんが 体液を出す管も 排尿の管も 昨日に 不要になり
医師には 順調と 言われてます
皆さん ほんとに
ありがとう ございます

明日も 父と 二人
歩行訓練を して
オリンピックの 話を します
ほんとに 皆さん ありがとう
ここまで これたのは 皆さんの 思ってくれた 気持ちです
すぐ 動揺してしまう私ですが 明日も 頑張ります
ちぃさんの お父さん 全ての 病の方が 良くなります様に

その為にも 私自身 あまり 動揺したら 駄目ですね
。。。。。。。。。。。

私の携帯に送られてきたメールをコピーしました。

10/08/2008(日) 22:00:27


No.4253  さき ホームページ
Re: みさおさんの代理投稿です 引用
みさおさん、お父さんの手術が無事に終わってよかったですね。
色々心配だったこともクリアできて、みさおさんもほっとひと安心ですね。
心配が膨らむのも動揺するのもその人を思うからこそ。
みさおさんの深い愛情を感じます。

術後の回復も順調のようでなによりです。
お父さんと歩行訓練して、テレビを見て、一緒に過ごす時間は宝ものですね。
お父さん嬉しいだろうなあと思います。
これからもお父さんと一緒にいっぱいいい時間を過ごしてね。
(自分が父とそんな時間を過ごせなかったので余計にそう思うのかな)
お父さんの健やかな喜びと治癒を願ってます。

10/08/2008(日) 23:43:32

No.4254  あきら&ひとみ
Re: みさおさんの代理投稿です 引用
みさおさん、よかったですね。
ずっと僕らも気になっていましたが、手術無事が終わったようで良かったです。
みさおさんにはこれまで沢山辛い事があったと思います。
それはそれで意味があったと思いますが・・・。
だからこそ、強くお父さんの治癒を願いました。
術後の経過としてこれからの部分もあるのでしょうが、
これからも、お父さんが順調に回復するよう祈っています。
みさおさん、よかったね。

11/08/2008(月) 07:52:45

No.4255  飯沼 ホームページ E-mail
Re: みさおさんの代理投稿です 引用
☆みさおさん

手術が無事に済んでよかったです。
手術の前に腫瘍マーカーの値が激減したり、食養生もしていないのに腎機能が大きく改善したりしていたので、すぐに手術を受けずに経過を見ていくという方法もあるのではないかと、実は思っていました。
でも、お父さんが手術を希望しておられるようだったので、こちらからは何も言いませんでした。

みさおさんのお父さんの場合は、肝癌原発ではありますが、肝炎ウイルス感染もなく、肝機能そのものも正常だったので、手術で切除してしまえばおそらくは大丈夫だろうと思ったので。
とてもお元気でしたからね。
まあ、だから手術を先延ばしにしてヒーリングやみさおさんたちの関わりの中で治していくという方法もリスクが少なかったとも言えるのですが、とにかくご本人の意向に沿うのが一番だったと思います。
みさおさんが手術のことでいろいろ思って電話をしてきた時も、そういうことが喉から出そうになっていたのですが、みさおさんの気持ちを揺らさないことが大事だと思って、あえて言いませんでした。
手術もうまくいって、結果的にもこれでよかったのだと思います。
お父さんもかなりのご高齢なので、そこが気になっていました。

お父さんの病が分かってから、いえ、そのずっと前から、みさおさんはとても大変な思いをしてきましたね。
気持ちの乱れることも少なくありませんでした。
でも、そういうなかでも気持を立て直して、お父さんの治癒のために頑張ってきたみさおさんの愛情は痛いほど伝わってきていましたよ。
みさおさんも、ちぃさんも、本当に健気によく頑張っていると思います。
そういう自分を褒めて、ねぎらってくださいね。
辛くなったらいつでも連絡しておいでよ!

11/08/2008(月) 12:30:43

No.4256  ミュー ホームページ
Re: みさおさんの代理投稿です 引用
お父さんの手術が無事に済んで本当に良かった!!!
いろんな不安やしんどさを越えながら、みさおさんの愛情がしっかりとお父さんの力になっていますね!!
これから、お父さんとの何気ない親子の嬉しい時間が益々増えてゆきますように願い、引き続き応援してゆきます。
今日のオリンピックの話題は、きっと北島選手の快挙でお父さんも笑顔!ですね。
術後の痛みが和らぎ、1日でも早く回復しますように。。。

11/08/2008(月) 18:50:24

No.4257  にぃ&ちぃ
Re: みさおさんの代理投稿です 引用
みさおさん、お父さんの手術が無事に終わって良かったぁ!!
私達もとても嬉しくほっとしました^^
大好きだからこそ色んな気持ちが込み上げて、大好きだからこそ越えていける・・・
けれど、その渦中はとても辛く苦しいと思います。
それでもお父さんを思い、頑張ってこられたみさおさんの大きな愛情に支えられ、お父さんはとてもとても幸せだと思います。
みさおさん、これからも一緒に頑張ろうね。
お父さんの回復を願い応援しています。

12/08/2008(火) 01:06:20


No.4235 キン  
愛は時空を超えて-43を読んで 引用
愛は時空を超えて43は、私にとってもとても大切で重要な意味を持ってると思いました。
何度読んでも涙が込み上げてきます。

私はいつも思ってました、
徴用で日本に連れてこられた朝鮮の人は、同じ民族をCENSOREDための武器を作らざるを得なかったこと、
徴兵などで同じ民族同士戦わなければいけなかったこと。
その人達は悪いの?それでも戦うべきだったのか?それだけじゃない、
何も知らずに、人をCENSOREDことに加担させられた人達は一体どうなるのか。
国を愛し、国を信じて殺し合いの末なくなった人達はどうなるのか?
誰かの思想理念を信じ、その人の政策こそが真の秩序で、政策を実行させることに迷いなく命を亡くした者たちはどうなるのか?

一部の人間の利益や栄達のために、コマとして利用され死んでいった人達がさらにその人達の罪をかぶさって二重に罪を背負ってしまうの?とどっかで疑問に思ってたので、『戦闘で死亡したり、飢えや病気で死んだ兵士たちの死後』についての、メッセージ内容を読むことができて少し、わかったような気がしました。少し、安心もしました。
ずっと疑問に思ってました。

後、なによりも亡くなった人達に愛念を注ぐことで、その魂達が癒され、
『平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのこと。』
当たり前のようだけど、メッセージを読んで、
すごいことを書いてると思いましたし、
実感として、そういうことなんだと思えました。

戦争は終ってもなお、憎しみや悲しみ、意識的、無意識的に潜む差別や偏見によるいろんな悲劇を今でも繰り返してます。
戦争の足跡は血と涙、悲しみと憎しみ、恨み、負の念以外なにも残さないんです。私のおばあちゃんは戦争の時の話しをすると、いつも悔しそうに涙を流します。
どれだけのものを奪い、奪われてきたか。言葉では到底表現することができない思いだと思います。
その上、事実すら認める認めない関係なしに、開き直って忘却する意識もまたあると思います。
忘れてしまうと、今までの人達の魂は?どうなるの?
本当の犬死にさせるつもりか!!と強く思ってしまいます。

こんなこと思ってると、
人間は一体なんのために存在してるのか。
こんな、無意味なことを行うために産まれてきたのか、
消費感覚で情報も交差し、操作され一体何が真実でなにが間違ってるのか、何が事実だったのか。
頭がかき乱されて、空虚な上、世の中はカオスで、私もそのカオスの一部と化してました。


でも、飯沼さん克子さんのメッセージを読んで、
複雑で濁ったグレーの中に渦を巻いてるような世界で、
力もなく、こんな身も心もちっぽけな自分だからこそ、
『人として優しく、正しく、皆も自分も幸せに』自分にできることをしなければと思わせてくれました。

ありがとうございます。

08/08/2008(金) 11:21:43


No.4237  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
キンちゃん、皆さん、返信ありがとう。

今回の「愛は時空を超えて」は、他の方からもメールをいただいたり、直接に感想を聞かせてもらったりで、受信した手応えがありました。

戦争を体験した人たちがご高齢になっていくなかで、やはり私たちの世代があの戦争のことを風化させてはならないと思っています。

アジアや南の島に放置されたままのご遺骨のことも、このままでいいはずがありません。

放置されたままの遺骨は、日本兵のものだけではありません。
たとえば、「泰緬鉄道」はタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ、415キロの鉄道ですが、険しい地形で工事には5年はかかると言われていたところを、人海戦術による大突貫工事で、測量開始からわずか1年3ヶ月で完成させてしまいました。
昭和18年10月完成です。

泰緬鉄道の工事には、連合国軍捕虜約6万人の他に、アジア各地から募集・強制連行してきた約10万人(推計)の労働者が過酷を極める労働に従事させられました。
猛暑の中での重労働や日本軍による虐待、食料不足、伝染病等で、16,000人の捕虜と数万人のアジア人労働者が死亡しています。(1年3ヶ月の工事で、です!)
死亡したアジア人労働者の遺骨のほとんどは、まだその地のジャングルに放置されたままです。
。。。。。。。。。。。。。。。。

靖国神社に併設されている「遊就館」のホームページから転載します。
あの戦争に対する、靖国神社の姿勢が分かると思います。
それがあの戦争の現実や真実といかに乖離しているかも明らかだと、私は思います。

☆明治15年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿を変えながらも一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。
近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館のもつ使命であります。☆

09/08/2008(土) 14:53:05

No.4238  キリコ ホームページ
いくらなんでも、一方的です。 引用
さまざまな見解があるのは、わたしも理解できます。
戦争というのは、想像を絶する狂気です。日本だけが、悪かったのですか?欧米列強は?
中国侵略は、絶対的に非があるといえるでしょう。

よそ様の国を侵略したのは日本であって、中国ではありません。


が、アジアでの戦争は、明らかに、欧米列強の、老練な植民地主義と、それを猿真似してしまった、浅はかな日本の植民地主義との、帝国主義同士の利権争い、資源争いだったのだと、私は思います。

フィリピンにおいても、アメリカは植民地の宗主国として君臨していました。
開戦時点では、力で押さえつけることをやめ、懐柔戦略で、いろいろと、学校を作ったり、大地主制度や特権階級制度を確立して、間接的な支配を確立し、慰撫していたおかげで、
フィリピン国民はアメリカを支持したまでのこと。

そうなるまえは、大量殺戮を、アメリカだって行っていたのです。

で、当時の戦争犯罪は、日本だけではありません。
アメリカだって、ソビエトだって、おなじです。

それが戦争なのです。

戦争を二度と起こしてはならない、という議論なら結構。

日本だけを悪者にする姿勢が、絶対的に正しい姿勢かどうか、再考を願います。

植民地主義は、「悪」だと思います。
たとえ、橋を作ろうと、学校を作ろうと、「悪」だと思います。

「日本」の戦争は、植民地主義の「悪」であったと、わたしは考えています。
が、しかし、欧米列強も、
「植民地主義」「白色人種優越主義」の、
日本に勝るとも劣らぬ、「悪」だったのです。

当事の、アメリカ軍の残虐行為については、右上リンクををご覧下さい。

じゃあ、アメリカに謝罪させるべきだ!とか、広島長崎のツグナイヲサセルベキダ!
ではなく、戦争の実態ということを示したかった。

わかっているとは思いますが、日本だけでなく、戦争をすると、こうなる危険が、常にあるのです。

東京大空襲やドレスデン爆撃だって、とんでもない重大犯罪です。

どこの戦勝国も、自分は絶対的な正義であったと、高らかに主張しています。

アーリントン墓地は、英雄の眠る場所として扱われています。

09/08/2008(土) 21:48:24

No.4239  キリコ ホームページ
追記 引用
リンク先を読むと、気分が悪くなります。
でも、敵味方関係なく、これが戦争なのだと、わかったほしいと思います。読んでください。

でも、勘違いしないでほしいのは、だからといってアメリカを非難すべきということではないということです。
日本はそうされても仕方がないなどという自虐的な愚かなコメントも止めてください。

戦争というのは、狂気なんです。

その狂気の犠牲になった自国の兵士たちの遺骨を他国に放置して、野ざらしにしておいて、

なにか、語る資格があるのですか?と、わたしは言いたいです。

アメリカも、ベトナム戦争や朝鮮戦争で犠牲になった兵士たちの遺骨の収集には、全力で取り組んでいます。


貧しい国ならいざ知らず、世界第2位の経済超大国が、フィリピンに40万近くも残された遺骨のうち、零細NPOの、しかも自腹を切って活動している個人の方の活動に頼って、しかも、年間、せいぜい、200柱にも満たない。

「空援隊」が、右だろうと左だろうと、どちらでも良いではないですか。
年間1000万円近い活動費を、事実上、数名の理事の方々の自腹で活動されている方々の信念と活動と実行を、少々、右寄りに見えるからといって、
誰に批判できる資格など、ありはしません。

しかも、実際に、隔月で、実際に、理事の方がた、みなさん、行かれているんですよ。
自腹で!仕事無理に休んで!

遺骨じゃなくても結構です。

どなたか、そこまで利他の実践のために、そこまで、実行・実践できる方はいますか?

09/08/2008(土) 22:03:48

No.4240  永田椿
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
キリコさんへ

どこか誤解をしていらっしゃるようなので、
ちょっと書かせてもらいます。

キンの言っていることを、ぼくなりに要約すると

・戦争は残酷で悲惨だ
・戦争に巻き込まれた人がいたたまれない

ということです。

どこか特定の国を責めているのではなく、それが時代だったとはいえ、
否応なしに戦争という状況に巻き込まれた人々のことを思うと
どうしようもない気分に陥るということだと思います。

これは、キリコさんの意見と同じ方向を持っていると
感じるのですが、いかがでしょうか?

09/08/2008(土) 23:28:06

No.4241  キン
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
一方的な立場で書いたつもりはまったくなかったのですが言葉足らずで、誤解させてしまったと思います。
私は、おばあちゃんが戦争時代の時を思い出して泣いてくやしがってるように、
みんな悔し涙を流してるんだと思います。人種など関係なく、闘争や戦争を経験した人、亡くなった人の家族やみんなが同じように苦しんできたんだと思ってます、戦争というものになんの関係もない庶民が、犠牲になるんだと思ったのです。二度と戦争などをおこしてはいけないと心からそう思います。

09/08/2008(土) 23:31:04

No.4242  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
☆キリコさん

烈火のごとき返信に驚いています(笑)

私は、あの戦争は日本だけが悪くて、連合国側に正義があるなどとは全く思ってもいません。
ほとんどの戦争は、成り行きによって自然発生的に始まるものではなく、突発的に起きてしまうのでもなく、軍需産業や大企業を含む、その国の支配層によって企画されるものだと思っています。
日本の場合は、天皇の威信を借りた当時の軍部の独走という面も強かったとは思いますが、決して軍部の独走だけであのような戦争ができるものではないでしょう。
さらに言えば、それぞれの国家を超えた「勢力」によって、戦争にならざるを得ない状況が作り出されているのかもしれません。
戦争によって莫大な利益を得る立場の人々が存在するのですし、その人たちは直接的に政府に影響を与えることのできる立場なのですから、おそらくは戦争はその人たちの意図が強く作用して始まるのでしょう。

アメリカ合衆国という国が、先住民に何をしてきたか、建国以来どういうことをしてきたのかは十分に承知しています。
当初は東部の13州がイギリスから独立し、その後どのようにして領土を増やしてきたのか。
アメリカ合衆国が自国の企業の利益のために南米で何をしてきたのか、オランダから統治権を奪った後でアメリカがフィリピンで何十万人もを虐殺したということも知っています。

非戦闘員を殺戮することが国際法違反であるのに、焼夷弾を開発して50万人を超える人々を焼き殺し、実験とソ連への威嚇の意味で広島と長崎に種類の違う原爆を落としたことも知っています。

ベトナム戦争でアメリカがしたことも知っていますし、それを黙ってみていることができずに、中学生だった私はベトナム反戦の運動に参加しました。
湾岸戦争の時も戦争反対の座り込みをして、右翼の殴り込みを受けました。
でっち上げの理由で強引に開戦したイラク戦争にも反対してきました。
でも、私はいわゆる左翼ではありません。
「労働者の(資本家への)独裁」という謳い文句の実情はいつも党幹部の庶民への独裁ですし、そんな社会はまっぴらです。
権力主義や権威主義が、私には全く馴染まないのです。
私が目指すのは、自由で平和な相互扶助の社会です。

私は高校生の時に、一庶民として生きると決めました(元々、庶民でしたが)
戦争で犠牲になるのはいつも庶民です。
庶民の立場から、私は全ての戦争に反対です。
そして、自律した庶民でありたいと思う私は、それが祖国であったとしても、国家の都合や思惑に絡めとられずに生きていきます。
かなりの年齢になるまでは、私は日本という国が好きにはなれませんでした。
でも、今はこの国が好きです。
だからこそ、日本がこの国に棲む人々の本当の幸せのために機能し、世界の人々の本当の幸せのために貢献できる国になってほしいと願っています。
それ以前に、この国に住む人々の普通の人間としての幸せを奪うことなく、そして世界の人々に対して恥ずかしくない国になってほしいのです。
そのために自分にできることを精一杯していきたいと思います。

私はあの戦争での最大の犠牲者は「庶民」だと思っています。
「庶民には国境はない」と、私は思っています。
なぜなら、庶民とは「ごく普通に幸せに生きていきたい」と願っている人々ですし、国家が成立するはるか以前から「庶民の暮らし」はあったのです。
その庶民を暴力と権力で支配して、国家ができてきたのです。

「庶民には国境はない」という考えは、決して過激なものではありません。
なぜならば、今や多国籍企業が世界を支配しているのですから、企業の金儲けに国境がないのと同じように、庶民の求める幸せも世界共通なのだと思います。

あの戦争は「日本だけが悪い」というものではなく、当時の列強諸国による侵略主義・植民地主義・膨張主義の結果、世界中の数えきれない庶民が犠牲になったのだと思います。
日本はもとより、それぞれの国の庶民が、「正義のために・お国のために」と教育され、煽られて、マインドコントロールにかかってしまったのでしょう。

先進国と名を変えて、今も同じことが継続されているのだと思います。
アメリカのように露骨にやる国もあれば、もう少し巧妙にやる国もあるのでしょう。
国家による庶民へのプロパガンダも同じ手法で続けられています。
それに影響されている「庶民」も少なからず現れています。
こういう流れを変えなければ、またしても庶民のささやかな幸せは国家に踏みにじられるでしょう。
いえ、日本でもすでに十分に踏みにじられてきています。

私は庶民の連携と工夫による「地産地消」を軸とした相互扶助社会への組み換えが進むことを願っています。
それは利益至上主義の多国籍企業の逆をいくということです。
自分たちだけが突出した何かを得るのではなく、地域も道府県も世界もが重層多様なコミュニティとして機能していくという社会です。

おっと、話がずれていますね。
繰り返しますが、私は「あの戦争は日本だけが悪い」などと主張しているのではありません。(それは今までの私の書き込みからして、分かっていただけると思っていたのですが・・・)
遺骨がジャングルに放置されたままになっているのは、日本兵だけではなく、日本軍が徴用したアジアの庶民の遺骨も放置されたままになっているという事実を知っていただきたかったのです。
これも何度も書きましたが、日本兵の遺骨を回収することに反対してもいません。

私が言いたいことは、全ての庶民が戦争の犠牲者であるが、中でも忘れることなく心を向けるべきなのは、「戦争の巻き添えになって殺戮された人々のことではないでしょうか?」ということです。
いかに徴兵によって戦地に送られたといっても、日本兵は戦争の当事者です。
しかし、アジアや南の島の人々の多くは、ごく普通に暮らしていたのに、他国に支配され、戦争に巻き込まれ、あるいは徴用され、あるいは意図的に殺害されたのです。
もちろん日本兵のほとんども国家が始めた戦争の犠牲者なのですが、現地の人々もまた犠牲者なのです。
その人たちのことを意識に入れない理由は何なのでしょう?

キリコさんは、放置されたままのその人たちの遺骨はどうすればよいとお考えでしょうか?
日本という国家の責任はないのでしょうか?

戦争は支配層のさらに上層部によって冷徹に企画されたものだと思いますが、現場である戦場ではまさに狂気が日常になるのでしょう。
その犠牲になった人たちのことを思うのであれば、戦争そのものを反省し、不戦の誓いを固くしてこそ、犠牲になった人たちに顔向けができるのではないでしょうか?

それと、私はキリコさんが挙げておられる団体の名前もつい先日知ったばかりです。
その団体の遺骨回収の活動を批判した覚えはありません。
ここは誤解なきようにお願いします。
もうひとつ言えば、右翼とか左翼とかの言葉は、私の中ではすでに死語になっています。
ウヨクでもサヨクでも、そんなことはどうでもいいのです。
大事なことは、普遍につながる愛と真実だと思っています。

10/08/2008(日) 00:04:51

No.4243  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
>一方的な立場で書いたつもりはまったくなかったのですが言葉足らずで、誤解させてしまったと思います。

私はキンちゃんが、一方的な立場で書いているとは思いません。
キンちゃんは、キンちゃんの立場や考えや気持ちで書いたのであって、それでいいのです。
そういう思いをした人たちが大勢いたということなのです。

かつての日本という国は、大勢の人たちにそういう思いをさせたという事実を踏まえて、今のこの国や私たちがどうであるのかを考えたうえで、私たちは新しい国、「明日のくに」を作っていくのです。
過去の過ちや至らなさを正当化しても、真っ当な未来が開けるはずもなく、皆が当たり前の幸せに生きられる現在もそこにはないでしょう。
本当の意味で実際に国家が「庶民の暮らしを大切にする政治」にシフトしていれば、今の日本の現状とはずいぶん違っていたでしょう。
今もなお、庶民を使い捨ての駒として扱っているから、今のような社会になっているのです。

過去を反省することは自虐的などではなく、皆が普通に幸せに生きられる国や世界を作ろうとすることは「机上の空論」などではありません。
どちらも、地上人類にとって必要不可欠なことだと私は思っています。

10/08/2008(日) 00:23:34

No.4244  キリコ ホームページ
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
>>アジアや南の島の人々の多くは、ごく普通に暮らしていたのに、他国に支配され、戦争に巻き込まれ、あるいは徴用され、あるいは意図的に殺害されたのです。

この、「他国に支配され、」の、「他国」は、欧米も含まれるということでよろしいですね。

>>キリコさんは、放置されたままのその人たちの遺骨はどうすればよいとお考えでしょうか?

飯沼さんは、どのようにすればよいとお考えですか?

自腹で活動する零細NPO,「空援隊」が、その仕事をすべきとお考えなのですか?
「空援隊」が、そのような国家の責任に報じるべきだと、お考えなのですか?
「空援隊」の寄付金収入は、19年度、年間85万円でした。

ドネよりも、遥かに収入のない団体です。

「空援隊」は、先の大戦についての是非については、なにも言明していません。
ただ、「できることから始める」と、言っているだけで、実際に、活動しているのです。

克子さんの霊界通信は、確かに霊的真実です。

しかし、「空援隊」の理事である、アルピニストの「野口健」さんが現地に行かれたとき、
現地の遺骨調査を終え、帰ろうとしたときに、

はっきりと、
「私たちは60年も待ちました。どうして連れて帰ってくださらないのですか?」と訴える声を、多数の姿を、実際に聞かれ、見られたそうです。

これも、霊的事実です。

現地の人々の遺骨が放置されたままであるなら、現地の方々が回収するのならば、日本政府は資金援助すべきです。

ただ、空援隊の活動とは、別です。

先のDVDの内容ですが、
改めてみると、それほど極端に右翼的ではありません。

国旗も、日本国旗とフィリピン国旗が並んで写っていて、「遺骨放置」は、
「日本の戦後処理」そのものの問題の象徴だ、というようなことを仰っているに過ぎません。

わたしも、そう思います。

10/08/2008(日) 08:47:41

No.4245  キリコ ホームページ
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
>>遺骨のことは実際問題として、戦争の犠牲になった全ての人の遺骨を回収することは不可能だろう、と思うのです。

いまのペースで回収を続け、順調にいっても、2000年かかります。

だからこそ、「空援隊」のモットーである「できることから始める」なんです。
現地の方がたの遺骨の問題があるのなら、
できることから始めればよいのです。

ただ、実際にできる方がいるかどうか、という、根本的な問題があります。
「空援隊」さんの活動は、非常に崇高なことです。
神様と通じている神仙道の方も仰っていました。

しかし、手一杯です。

では、ほかの団体也が、日本兵ではなく、現地の方々の遺骨を回収したり、慰霊碑を立てるのは、素晴らしいと思います。

だれもが、「できることから始める」、これが一番です。

遺骨問題に限らず、現地で活動する冨田江里子さんの活動に寄付をするということでも良いし、

やり方はいろいろですが、

各自が「できることから始める」というのが、わたしは一番だと思います。

10/08/2008(日) 09:10:35

No.4248  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
☆キリコさん、皆さんへ

遺骨のことに関してどうしていくのが望ましいと(私が)思うのか、私はすでに私見を述べています。

「空援隊」という団体のことは、私はほとんど知りません。
冨田さんのクリニックの活動と、「空援隊」の活動を一枚のDVDで紹介した製作会社の人がその団体の関係者であることは知っていますが、私はそのDVDを観ていません。
ですから、その団体のことを批判するつもりもありません。
遺骨に関しては、DVDを観た人の感想を受けたものであったとしても、あくまで一般論です。

キリコさんのお話では、その団体はあの戦争に関しての是非を明らかにしていないそうですが、私は戦争にははっきりと反対です。
あの戦争の是非を明らかにしないこと自体が、その団体の立場を明確にしていると思いますが、そういう考えの人がいることも知っていますし、そういう考えに基づいて日本兵の遺骨の回収をなさる団体があっても、個別にそれを批判するつもりはありません。
同調もしませんし、格別に関心を向けることもありません。

私は「日本兵」という枠ではなく、「国籍の枠を超えた戦争の犠牲者」という見方に立っています。
キリコさんと話が噛みあわないのは、そこの認識が同じではないからですね。

ですから私の認識に立って、「放置されたままの遺骨は、日本兵のものだけではない」という事実を読者にもお伝えしたいのです。
これは批判ではなく、むしろ、抜け落ちているところを補うことだと思うのです。
ご存じなかった読者が多いのではないかと思ったからです。
それらの事実を知ったうえで、読者がどう思い、どうしていくかはそれぞれでよいのだと思います。

地上の人間の私でも「国籍よりも“同じ人間として”」と思うのですから、すでに国籍などには無関係の克が、あのように伝えてくるのは当然だと思います。
霊界から見れば、地上人類は「同胞」なのですから。

私も、スピリチュアリズムに学ぶ者として、あるいは地上人類の一員として(つまり人間として)、「地上人類は同胞」という意識に立って、考え、思い、行動していきたいと思っています。

議論が瑣末になるのは嫌なので、ここらあたりでやめましょうか?
私の意見に代えて、克からのメッセージをまたまたコピーしておきます。
これも繰り返しになりますが、私は克からのメッセージを絶対化しているのではありません。
それをどう受け止めるかはぞれぞれの方次第でよいのです。
私は自分の意志と感性で、克のメッセージに全面的に沿えているということです。

『戦争の犠牲になった人たちの遺骨が、今の世界の各地に放置されたままであるのは哀しいことです。
それはこの国が、国民の生命を使い捨てにしてきたことの証でもあるでしょう。
しかしながら、このような悲惨な状況においても、「死者の魂は遺骨に宿っているのではない」という霊的事実は揺るぎません。
彼らの遺骨が今も放置されているという事実・現実を多くの人々に伝えていくことは必要です。
しかし、そこに「戦争への反省と不戦の誓い」がなければ、戦争という国策の犠牲になった人々の魂を癒すことなどできるはずがありません。
そして何よりも申し上げたいのは、すでにこの世の存在ではない彼らとは、心でつながっていくしかないということです。
もしも、全ての遺骨を祖国に戻したからといって、未だに迷っている戦争の犠牲者たちが救われるわけではありません。』

『繰り返しますが、平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのです。』
戦闘で死亡したか飢えや病で死亡したかに関わらず、本来の霊界に戻っている霊にとれば、自分の遺骨がどういう状態であろうとも、それで心をかげらせたりすることはありえません。
彼らは、放置された自分の遺骨を祖国に戻そうとしてくれている人たちの思いに深く感謝しながらも、「そういうことに使う金銭や労力を、今、地上で戦争の被害にあったり、生きることも困難な状態におかれている人々のために役立てていただきたい」と、切に願っているのです。
なぜならば、「自分はすでに肉体を脱ぎ去り、本来の霊界に戻って喜びのなかで何不自由なく、学びと貢献の日々を生きている。しかし、今の地上世界には、かつての自分たちと同じような境遇に置かれ、非常に苦しい状況のなかでその日その日を生きている人々が大勢いるのだから」と、彼らは思っているのです。
地上で使っていた肉体がどこの土に還っても、霊は全く気にしないのです。(これは墓に関しても同じです)』

『あの戦争による死者は、日本兵だけではありません。
現地の一般の人々も非常に大勢が殺戮されました。
彼らのなかには、自分がなぜこんな目にあわねばならないのか、全く分からないままに殺された者も少なくありません。
彼らは戦闘員ではなく、ごくふつうの庶民として、そこに暮らしていただけなのですから。
彼らの多くも、すでに本来の霊界に戻ってはいますが、やはりまだ迷っている者たちもいます。
なかには、日本人や「日の丸」の旗への恨みを募らせたままの者もいるのです。
そういう彼らのなかには、日本兵を英雄扱いしたり、日本兵の遺骨にしか意識を向けずに、不条理に殺された自分たちのことには知らぬ顔をする人々に、さらにまた恨みを募らせる者がいることは、少し考えれば分かるはずです。
彼らの思いは、「良い・悪い」ではなく、「正しいかどうか」でもなく、そういう殺され方をした彼らとしての「思い」なのです。
「彼らに対して思いを向けずに、戦争を正当化したり、日本兵のことだけを取り上げることそのものが“偏向“ではないでしょうか」と、あえて私は申し上げます。
そのことについて、今一度考えていただきたいのです。』
。。。。。。。。。

今年フィリピンに行った時に、冨田さんの活動やお話を聞いてとても感銘を受けました。
そのなかのひとつをご紹介します。

「クリニックに来る日本人のなかには、現地の人たちを“可愛そうな人”として、相手のことをよく考えずに何かを与えようとすることがある。現地の子供たちを集めてのイベントなどでは、貧しい中でも比較において優位な家の子供が目立つ位置に立つことが多い。一番厳しい状況の子供たちは、どうしても後ろに下がってしまう。声も出せない・・・。
そういうことを知らない日本人が、目立つ子供を中心にプレゼントをあげるとどうなるか? 
一番厳しい状況の子供たちはさらに惨めな思いをすることになる。与えた方はそういうことに無神経に、いい気になってしまうこともある。
“外された・してもらえなかった者”のことを考えなくては、してあげる側の自己満足でしかないと思う。こういうところは私(冨田さん)は厳しいですよ。
だから、私は、イベントの時などでも、必ず皆にプレゼントがいき渡るように配慮している。与える側・してあげる側から相手を見るのではなく、本当に相手の側に立って、相手の気持ちをも考えに入れてしていかなければ、格差や差別を助長することになりかねない」という意味のお話でした。

言葉の使い方などは違っているかもしれませんが、お話の内容は大筋においてこういうものでした。
冨田さんの言葉は、もっといきいきした迫力と現実味があったのですが、再現できないのですみせん。

冨田さんはもちろん、遺骨のことと絡めておっしゃったのではありませんが、なぜか今そのお話を思い出し、改めて噛み締めています。

10/08/2008(日) 12:06:46

No.4249  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
同じ文章を読んでも、読み方・受け取りかたはそれぞれにあるものですね。
克子さんのメッセージを含めて誰も日本だけを悪者にしているとか、遺骨の収集を否定しているとは思いませんでした。

戦争はいけない――。
ほとんどの人がそう思っているでしょう。
けど第二次世界戦争以降も地上で戦争戦乱の絶えたことはありません。
植民地主義は自国の利益のために他国・他国民を支配するものでした。
それはいわゆる「戦後」もより巧妙に形をかえて続いてきたのだと思います。
利益さえあげればいい、自分さえよければいい、そのためには人が人を差別すること、抑圧することも容認する。
そんな社会やシステムのいきつく先が戦争だと思ってます。
そこにメスをいれなければ戦争はなくならないと思います。
そして年間3万人が自死するこの国がはたして「平和」だと言えるのだろうかと私は思います。

〜〜誰かを殺した時、毎回、自分の一部分をCENSOREDいるように感じました。何かが、私のなかで死んでいくようでした。軍隊では、人間を多く殺せばCENSOREDほど気持ちよくなると教えられます。つまり、人をCENSOREDことに慣れてくるというのです。しかし慣れてしまうことは決してありません。非常に、とてつもなく悪い事をしてしまったという物凄い感覚があります。〜〜

貧しさ故に米海兵隊に入り、ベトナム戦争の経験を語り続けているアレンネルソンさんの言葉です。それが人間の良心だと思います。
他者他民族を「CENSORED」ことが正しいこと、正義であるはずないのです。
そこに立ちきってこそ、私たちは新しい世界、戦争のない世界をつくっていけるのだと思っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あなた方は意外に思うかもしれませんが、実際には自分の骨にこだわっている迷える死者よりも、現地の人々に自分たちがしてしまったことや、先に倒れた戦友に自分が十分なことをしてやれなかったことに苦しんでいる者たちの方がはるかに多いのです。
それが人間としての限界を越えたところで生き、そして死んでいった人間の良心というものなのです。
人としての良心の発露を押さえ込むしかなかった分だけ、肉体から解放され、さまざまな命令や制約から解放された時に、人間としての良心が一気に甦るのです。
彼らは、自分の遺体や遺骨のことなどよりも、もっと辛く苦しく意識に刻み込まねばならないことを数多く経験してから息絶えたのです。
彼らの遺骨のことを気に掛けるのであれば、どうぞそんな彼らの苦しさと彼らの人間としての良心を思っていただきたいのです。

↑↑
克子さんのメッセージ、また引用させもらいました。
彼らの苦しさを思います。その思いにこたえていきたいのです。

今回の「愛は時空を超えて」のメッセージや皆さんのコメントから、いろんなことを考えさせられました。

ぬまが書いてて思ったけど、国という枠をこえて、ひとりの人間として、同じ庶民として、人間同士がつながっていくことが求められてる時代なんだとあらためて思います。

10/08/2008(日) 14:35:29

No.4251  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて-43を読んで 引用
>国という枠をこえて、ひとりの人間として、同じ庶民として、人間同士がつながっていくことが求められてる時代なんだとあらためて思います。

ほんとにそう思います。
世界の現状を打開するには、それしかないと思うよね。

話は飛ぶけど、縄文といわれる時代はそういう社会だったんだろうね。
集落ごとの交流や遠く離れた各地の集落も交流しあっていたのに、戦乱の痕跡は見つかっていない。
天候不良や飢餓はあったはずなのに、それでも彼らは分かち合った。
それは、自分(たち)だけに物資を集めようとはせず、分かち合うことが当たり前の社会だったからだろう。
もちろん国家と呼べるような権力機構はなく、集落・地域単位の共生ネットワーク社会だったようだ。

そして彼らは、おそらくは地上的な死の意味や、死後に赴く霊界の存在を知っていた。

そういう社会が、約1万年間も続いた。
僕らは、縄文人たちが1万年の長きにわたって暮らし続け、かれらの価値観や想念エネルギーがたっぷりと染み込んだ大地に生きている。
そこにつながろうとすれば、誰でもがそのエネルギーと共鳴できる。

「我よし」の価値観がはびこる中で、「分かちあい・支えあい」の心で日々を生きていくことは決して容易くはない。
「自分だけが損をした」と思うこともあるだろう。
だけど、「人間は地上の人生が全てではなく、地上で生きた心のままの霊界に移行する。そこで地上人生の報いが与えられ、さらなる学びの中で生き続ける」という、スピリチュアリズムの基本を知っていれば、自分の中の「我よし」を克服していけるはず。
それが地上での学びと実践でもあるのだと思う。

僕らは今、古くて新しい縄文のエネルギーにつながり、分かちあいの価値観に基づく「明日のくに」を作っていこうとしているんだよね。

祖霊信仰も縄文から始まったといわれている。
産土様も、縄文の祖霊信仰が引き継がれているそうだ。
神道は元々は、縄文から引き継がれてきたといわれている。
国家神道は、本来の神道とは異質なものだ。

この国に住む人々が神社に参拝する時、「皆も自分も幸せに」と祈ることで、縄文の人たちの心につながってほしいと思う。
お盆で先祖の霊に手を合わせる時も、そういう気持で感謝を捧げてほしいと思う。

今は本当に、国という枠をこえて、ひとりの人間として、同じ庶民として、人間同士がつながっていくことが求められてる時代なんだとあらためて思います。

10/08/2008(日) 17:22:14


No.4246 春が来る  
(No Subject) 引用


キンさんがおばあちゃんの無念を思い、二度と戦争を起こしてはいけない、という思いから勇気を持って投稿された内容は胸を打ちました。

かんさんじゅん氏(すみません。漢字に変換出来ませんでした。日本名、永野鉄男氏)は、著書「在日」の中で、二つの祖国の狭間で苦悩する様子や未だに残っている朝鮮民族などに対する偏見、差別が日本社会に根強く残っている事を書かれています。

戦争による落命や負傷はもちろんの事、目には見えなくても心の傷も深いものだと思います。
今もなお抑圧に耐えかねて、自らの誇りと尊厳を守ろうとして、いわゆる「自爆テロ」という行為に走る人々の存在もあるのですから。

キリコさん

>戦争を二度と起こしてはならない、という議論なら結構。

私は、この間の議論は、まさしく「二度と戦争を起こさない為にはどうするべきか」という議論だと思います。

>東京大空襲やドレスデン爆撃だって、とんでもない重大犯罪です。

もちろん、そう思います。私が日本とドイツを挙げたのは、同じ敗戦国として、その戦後処理のあり方の違いを示したかっただけです。

>その狂気の犠牲になった自国の兵士たちの遺骨を他国に放置して、野ざらしにしておいて、

なにか、語る資格があるのですか?と、わたしは言いたいです。

アメリカも、ベトナム戦争や朝鮮戦争で犠牲になった兵士たちの遺骨の収集には、全力で取り組んでいます。

この場で、遺骨が野ざらしのままでいい、と言っている人はいないと思うのですが、、、。
アメリカが全力でベトナム戦争や朝鮮戦争で犠牲になった方達の遺骨収集をしている事は知りませんでしたが、そうだとすれば、私には偽善に思えます。アメリカは、「全力」で遺骨収集をしながら、一方ではイラクにおいて、今も尚、遺骨を出し続けている事になります。

>「空援隊」が、右だろうと左だろうと、どちらでも良いではないですか。

私も「空援隊」が右か左か、どちらでも構いません。
そもそも、その様な事に関心がありません。
私が「空援隊」について問題視したのは、その「伝え方」です。

東京裁判が公平であったか、というとそうではないと思います。
それは、戦勝国に拠るもので、その裁判の判決の理不尽さをも含めて、それが「戦争」というものだと思います。

その「戦争」を二度と起こさない為には、まずそこで起こった悲惨な出来事を直視し、反省する事が(連合国側も含めて)必要ではないか、と思うのです。

今朝、ロシアとグルジアで戦闘が始まった事を知りました。
戦争を起こそう、という人達がいる以上、ひとりひとりがしっかりと平和を願う意識を持つ事が求められる、と改めて思いました。

10/08/2008(日) 10:07:31


No.4247  春が来る
Re: 引用
私の送信ミスで、返信欄に送信出来ませんでした。すみません。
それから、今朝のキリコさんの投稿を読まないままの投稿となった事、ご了解ください。

10/08/2008(日) 10:18:05

No.4250  キリコ ホームページ
(No Subject) 引用
グルジアとロシアが、全面戦争に突入する可能性が出てきました。

ロシアは、伝統的に、欧米以上に無慈悲な軍事組織・軍事行動を取ります。

よりによって、オリンピックの開催日に、グルジアが戦端を開いたのは、なぜだろう・・・

10/08/2008(日) 15:53:18


No.4236 まゆみ  
喜びの輪を広げましょう!! 引用
08年8月8日です。喜びの輪(和・環・話…)を広げましょう。


今月もこのメッセージをみなさんに届けたいと思います。

そして改めてこのメッセージを胸に刻み、意志していこうと思います。


8日です。

今日もみなさんと一緒にエネルギーの共鳴をしたいと思います。
よろしくお願いいたします。



    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *

08/08/2008(金) 20:10:45



No.4214 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 43  引用
        ☆☆ 愛は時空を超えて 43 ☆☆

               ――  霊界の克との対話  ――

飯沼)おーい、くぅ。
こんにちは。

克子)はーい。まーたん、こんにちは。

飯)お前がそちらに戻って、3年が過ぎたよ。
今月の定例会でも話したんだけど、この3年間はあっという間だったようにも思うし、地上のお前と一緒に働いた日々が遠い昔の夢の中のことのようにも感じてしまう。
でもそこには、全ての感情の要素を含んだ絶対的な思いが、褪せることなく今もそのまま在るんだ。
喜びも悲しみも希望も不安も失望も・・・、全ての感情の要素がね。
その琴線に触れると、それらの思いが一気に吹き上がってきて、僕は自分の感情の海の大波小波に翻弄されてしまう。
こうして毎日お前と一緒に働いて、お前の存在は十分に実感できているというのにね(笑)

克)そのようですね(笑)
そんなふうに思ってもらえることは、地上を去った者にとっても嬉しいことなのです。
そういう思いを風化させることなく抱きながら、今、お互いが生きている世界での学びを進めていけていることも、とっても嬉しいことなのですよ。
もう言うまでもないことですが、地上を去った者にとって、地上的な死は決して悲しみでも苦しみでもありません。
重い肉体や物質の世界から解放されて、本当の意味で自分の魂を表現しながら生きることがどんなに嬉しく幸せなことか、それはあなたにも全部は実感できないでしょうね。

こちらに戻れば、地上にいた頃の自分がいかに不自由な心でしか生きていなかったのか、自分だけでなく、地上で関わった人たちもまたどれほど不自由な思いに囚われているのか、全ての人(霊)が実感することです。
それほどまで地上という世界は酷く偏っているのです。

物質についてもそうですが、心のエネルギーに関しても、ほとんどの人が本来の健やかさとは逆の方向に使いすぎています。
「人として優しく、正しく。皆も自分も幸せに」という方向に、物もお金も心も使っていくのが本来なのですし、人間は喜びのなかでそうしていけるようになることが地上での最大の学びです。
ですから、その人の個別の課題に見合ったさまざまな事柄がもたらされたとしても、その時こそ本来の方向に心を動かして、それを物質や言葉や行為で表していけば(つまりは実行していけば)よいだけのことなのです。
ところが、そういう時に自分の損得や自分の気持ちに囚われてしまって、本来の方向とは逆にエネルギーを使ってしまう人がほとんどですね。
そうはできない、そうしないから試練が打ち続くことになるのですが、それがなかなか分かっていただけないようです。

人間は誰もが必ず地上を去る時がきます。
呼吸が止まり、自分の意識(魂・心)が肉体から抜け出て地上を離れ、自分の人生の全てを振り返らせていただいた後、霊界に戻ります。
霊界には時間はなく、時間の感覚もないのですから、本来の霊界に戻るまでの過程はあくまでその人の意識の状態次第です。
しかし、地上側からすれば、「他界した人が本来の霊界に戻るには、その人の意識に応じた時間(期間)を要する」ということになりますね。
残念なことですが、なかには何百年・何十年という長期にわたって暗い世界を彷徨ったり、自ら意志してそこに留まってしまっている気の毒な死者もいるのです。
これは前にもお伝えしましたが、私たちがヒーリングエネルギーを注がせていただいた人は、皆さん本来の霊界に戻ってくださっています。
なかには地上におられる間は、私たちの送るエネルギーに精神が反応できなかった人もいますが、死後改めて、注がれていた「全的癒し」のエネルギーが甦り、本来の方向に向かっていけるのです。
注がれたエネルギーは決して無駄になることはありません。

ただ、神の道具として働く者に対して、悪意に基づいた行為をしてしまった者は、地上にいる間にその埋め合わせをしない限りはお気の毒なことになるでしょうと、申し添えておかねばなりません。
それは神の道具として働く者が、悪意に基づく妨害行為をした人間を許すとか慈悲の念を送るとかとは全く別のことです。

「本来の霊界」といっても、そこには学びや傾向の違いによる数えきれないほどの境涯があります。
ですから、霊界とは決して一様な世界ではありません。
地上よりも暗い幽界や暗黒界については、地上のかげりの副産物であり、私どもは「(本来の)霊界」とは認識していませんが、そういう死者の世界があることは事実ですし、今の地上界はそれらの暗い世界の影響下に置かれていることは何度もお伝えしています。

基本的な説明が長くなってしまいましたが、本来の霊界はさまざまな境涯があるにしても、そこでは全ての人(霊)が、「神の分け御魂として、優しく、正しく。皆も自分も幸せに」を当たり前のこととして、さらなる貢献や学びに勤(いそ)しんでいるのです。
不安など一切なく、諍(いさか)いもなければ不信感を抱くこともありません。
皆が真(まこと)の愛を当たり前として生きているのですし、思っていること・考えていることは全てオーラに表れているのですから、お互いの気持ちを探る必要もなければ、自分の本音を包み隠すこともできません。

地上に残してきた愛する者たちに対しては、全てを受け入れた上で、その人が本来の方向に進んでくれるように愛念を送り続けるのです。
死者のほとんどは、地上の人間が想像する「天国」よりも、はるかに真の喜びに満ちた世界に生きているのです。
地上的な死を怖れたり、忌まわしいものと思う必要は全くないのです。

自分が死ぬかもしれないという状況になった時や、自分の周囲の人がそうなった時に、どういう心でそれに向き合うのかも、地上の人間の大きな学びの機会であるのです。
しかし、だからといって闇雲に死後の生を知識として押し付けるのは感心しません。
多くの場合は地上で自分が愛されていると実感できてこそ、次の段階への準備もスムーズに進むのですし、地上で生きようとする意欲がなければ病も治りようがないからです。
そして全ての人が、今回の人生で自分が地上でなすべきことをなし終えて、到達すべき学びの段階に到達してから、この素晴らしい霊界に戻ってきていただきたいのです。

死への怖れを薄くし、死後の生や霊界の存在を受け入れ、自らも地上において本来の方向に生きようとすることは、霊界との共鳴度を高めます。
それによって、スピリチュアルヒーラーとしての力量も高まるのは当然です。
それだけでなく、地上で強い愛念でつながっていた人(霊)の存在を実感したり、思念のやり取りができるようになる人も増えていくはずです。

あなたも私とだけでなく、お父様とも思念のやり取りができるはずですよ。
お父様は何度もあなたに思念を送ってらっしゃるのはあなたも分かっていると思うけど、「あいつの方が意識の波長をずらしてしまう。いつまでたってもあいつらしい・・・」と、苦笑いしておられますよ(笑)

飯)お、そうでしたか。
それはそれは失礼いたしました(笑)
いちいち思念のやり取りとかをしなくても、つながった瞬間に親父の言いたいことは全部伝わってると思うよ。
「来たーっ!」と感じて、意識の波長をずらしても手遅れってことが多いよね(笑)

克)あらあら、全くあなたって人は・・・(笑)

飯)というところで、次にいくね。
少し前に、読者から「靖国神社について教えてほしい」とメールがきてたんだけど、どうかな?

克)そうですね。
それについてのコメントは今は控えておきますね。
いろいろな角度からお伝えしなければならず、とても複雑で長くなってしまうので。
ただ、「英霊とはどの立場から見てのものなのか」「戦乱や戦争で地上を去った人たちを祀ることの動機はどうなのか」ということや、「参拝することの動機」についてはしっかりと点検しなければなりません。
国家がその政策によって戦争を始めたことによって、地上人生を奪われた人たちを再び国家の思惑によって利用してはならないことは言うまでもありません。

飯)元は山口県で、明治維新の戦乱で戦死した長州藩の人たちを「招魂社」として祀っていた。
明治2年に明治新政府の大村益次郎が明治天皇の勅命で、維新殉難者や戊辰戦争での朝廷側の戦没者も含めて、「東京招魂社」として祀ったのが、靖国神社の始まり。(長州藩の奇兵隊の一部の死者は身分制度の関係で含まれていない)
一説によれば、大村益次郎が幕府側の彰義隊の死者の霊を嫌って、討幕派の戦死者の霊を集める意味で「東京招魂社」を建てたとも言われている。
当初はかなり粗末な社だったという。

西南戦争後の明治12年に、山県有朋の主導によって「靖国神社」と改称され、実質的には陸軍直轄の神社として特殊な地位を有するようになった。
その後の戦争による戦死者も祀られ、日中戦争や太平洋戦争など昭和に祀られた霊は230万柱を越えている。
靖国神社に祭られている霊の総数は260万柱あまりで、その大部分を昭和の戦争の殉難者が占めている。
そのほとんどは、徴兵によって戦地に送られた人々だ。
徴兵されるまでは、農民だったり、商人だったり、職人だったり、勤め人だったりで、ごく普通に家族との生活を営んでいた人々だった。
当時は日本の植民地だった朝鮮や台湾から徴兵された人たちも合祀されている。
植民地支配下であったとはいえ、彼らもまた普通の庶民であったのだろう。

圧倒的大多数の徴兵による戦没者とは意味合いの違う、あの戦争を主導した軍部の幹部たちも合祀されている。

戦争による死者は、軍隊に属していた人々だけではない。
空襲や原爆によって、数十万人(50万人以上ともいわれているが、その人数さえ不明)もの非戦闘員が死亡している。
彼らの霊は、靖国神社には祀られていない。

これらを考え合わせれば、靖国神社は「天皇に生命を捧げた人」が祀られているといえる。
太平洋戦争後の靖国神社は東京都知事の管轄する宗教法人だが、自民党などには靖国神社を国家の管理に移行させようとの動きがあり、1973年には衆議院で可決(参議院では否決)されている。

靖国神社に祀られている太平洋戦争等での戦死者は230万柱を越えるが、それらの人々の大部分は、餓死や病死であるといわれている。
武器弾薬はもとより、兵士への食料の補給ルートの確保すらまともに考えていない無謀な作戦の犠牲になったとしか思えない。
戦後に明らかになったさまざまな「作戦」はあまりにも杜撰で、徴兵によって戦地に送った兵士の生命を使い捨てにした。
あの戦争を主導した人々は、「日本国民」の生命を使い捨てにして、当時の国体(国家体制・国家のありよう)を守ろうとしたとしか思えない。

いかに作戦が無謀で浅はかだったかは、戦地に送られてかろうじて生き残った元兵士たちの証言でも明らかだ。
国家に見捨てられたことを恨み、悔しがりながら死んでいった兵士たちも少なくないという。
アジアや南方の島に送られた何万人もの兵士たちのほとんどが飢えと病で死につつある時でも、政府は「大本営発表」として真っ赤の嘘の情報を流し続け、マスコミも従順にその情報を伝え、国民を騙し続けた。

無謀な戦争と作戦の犠牲となり、現地をさまよった挙句に飢えや病で死んでいった兵士たちの遺骨はまだほとんど現地に放置されたままだという。

多大な犠牲を強いられたのは、「日本人」だけではない。
戦闘が行なわれた国や地域では、数えきれないほどの現地住民が殺戮されている。
それは戦闘に巻き込まれての場合もあるが、日本兵が上官の命令によって多数の現地人を殺したのも事実だ。
多数の元日本兵が80歳を過ぎて、涙ながらにそういう事実を証言している。
たとえばフィリピンのマニラでの現地人の犠牲者は10万人だといわれている。
当時のマニラの人口が約60万人だから、現地人の被害の大きさは凄まじい。
マニラでも、日本兵が上官の命令によって、現地人を大量殺戮した。
男性はもちろんのこと、婦女子も同じように殺されたという。

克) はい。
本当に痛ましいことです。
戦争はいかなる理由をつけたとしても、正当化することはできません。
国民のまともな生活を保障することが近代国家の義務なのですし、国民はそのために税金を払って政府や自治体に「委託」しているのです。
その当時はまだそういう概念が確立してはいなかったとしても、第2次大戦・日中戦争・太平洋戦争などに関わった国やその国民は、人々の非常に大きな犠牲によって、肝に銘じて学ばねばなりません。
戦争で幸せを得られるなどというはずがないのです。
いかなる大義名分を掲げようとも、他国に侵攻し、人の生命を奪うことが、本当の幸せや平和であろうはずがないのです。
戦争は、「人として優しく、正しく。皆も自分も幸せに」という人としての道に、最も反する行為です。

私は断言いたしますが、本来の霊界に戻っているならば、あの戦争で地上を去った人々の誰一人として、自分が「英霊」として祀られることを喜んでなどいません。

もちろん、戦後60年余りが過ぎた今でも「お国のために」と信じ切って、鉄砲を撃ち合っている「兵士(すでに死者ですが)」はいます。
しかし彼らこそ、英雄扱いするのではなく、普通の人間としての愛念を送ることによって、救って差し上げねばならない「迷える霊」なのです。
「戦争という行為そのものが間違っていたのだ。あなた方は間違った政策の犠牲者なのだ」ということを、分からせてあげねばなりません。

戦場に送られた兵士たちも、戦争に行くことへの積極性・消極性はそれぞれでした。
しかし、たとえ積極的な意識で戦場に行った兵士であっても、実は政府や報道機関によって「そう仕向けられた」のです。
その意味では、上層部の人間たちによる「マインドコントロール」に支配されていたとも言えるでしょう。(内容は同じではなくても、今の時代もまたそうなのですが・・・)

飯) 日本の兵士たちは、被害者でありながら加害者の側面も持っていると思う。
アジアや南方諸国の現地の人たちに多大な迷惑をかけたことは紛れもない事実だから。
戦闘で死亡したり、飢えや病気で死んだ兵士たちは死後どうなったんだろう?

克) まず、ほとんど全ての人は、死と同時に意識(魂)が肉体から離脱します。
そのまますぐに「休眠状態」に入る者もいますし、意識を維持する者もいます。
意識を維持している者が非常に強い望郷の念を抱いていれば、その霊は故郷の家族の元に引き寄せられます。
200万人を越える戦死者のほとんどは自分の意志ではなく戦地に送られたのですから、強い望郷の念を抱いていた者は非常に多かったのです。
まして戦死者の大部分は、飢えや病で死亡しています。
彼らの意識のほとんどは望郷の念で占められていたと言っても過言ではありません。
その意味では、死者の魂の大半はすでに早い時期に「帰郷」していたのです。
それは通常の状況で息を引き取った死者の霊が、一定期間は家族や知人の近くにいることが多いのと同じ原理です。
戦死者も、その後に「サマーランド」で地上的な願望を満たしたり、自分の人生を振り返る道筋をたどるのです。
もちろん、自分の行為についての責任と向き合うことになります。

責任については、その個人に判断の余地があり、何らかの決定権や影響力があったことに関しては、死後も責任が問われます。
死後にこそ責任が問われると言った方が正確でしょう。
地上でのその人の立場によっては、責任が問われるわけではなくても、考えの稚拙さや勇気のなさについては、厳しく向き合うように強く促されることも少なくありません。
あの時代にあっても、まさに命懸けで戦争に反対していた人たちはいたのですから。

しかし、徴兵によって戦場に送られ、当時は絶対であった上官の命令によってした行為に関しては、責任として問われることはありません。
戦争を積極的に肯定していたとしても、それが本当に「国のため、愛する家族を守るため」だと心から思っていたのであれば、それについては責任として問われることはないのです。
「本当に戦争が国や家族を守ることだったのかどうか?」については、本当の情報を与えられて、考え直す機会がもたらされます。
「誰かの利益や栄達のために、戦争が画策されていたのではないか」などについても、適確な情報が提供されるのです。
戦争推進について、「お上(かみ)」の顔色を伺っての“虎の意を借る狐”的な要素が混じっていれば、それも自分の問題として振り返ることになるのです。

もちろん、上官の命令であっても、戦場でのさまざまな行為についての自分の思いは、振り返ることになります。
戦場でのさまざまなことも、「人として」という基準で、褒めていただけることもあり、反省を求められることもあります。

戦闘で死亡した兵士のなかには、未だに戦闘行為を続けている者もいます。
自分がすでに死んでいることにも気づいていない状態の段階ですが、そういう者はそう多くはありません。
すでに長い年月が経っているのですから、前述したような経過をたどって、すでに本来の霊界に戻っている霊が多いのです。
しかしながら、「本当は死にたくなんかなかった」という思いに囚われて、さまざまなかげりに身を焦がしている気の毒な死者もいるのです。
彼らに対しては、先ほど伝えたように、ひたすらの愛念を注ぐ必要があります。
お国のために死んだ英雄として扱うことが、彼らの救いにつながるのではないのです。

平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのです。

戦闘中ではなく、飢えや病で死亡した兵士たちのほとんどは、自らの死期を知っていました。
むしろ、仲間が次々と死んでいく様を目の当たりにし、自分にも死が迫っているのを感じながらの日々でした。
彼らのほとんどは、見捨てられた悔しさに胸かきむしられる思いを抱きながら、家族や故郷のことを思いながら息絶えていったのです。
それは、彼らの置かれた状況に自分の身を置き換えて想像すれば多少なりとも想像がつくでしょう。

彼らの大多数の人たちは、すでに本来の霊界に戻っています。
しかし、今の日本の状況のなかで地上を去っても本来の霊界への道筋をたどれない者が少なからずいるのですから、異国のジャングルで飢えや病に苦しんだ末に息絶えた人たちの中にも、まだ迷っている霊がいるのは当然です。
だからといって、迷っている霊が非常に多いということではありません。
彼らは確かに自分を戦場に送った国家や軍部からは見捨てられました。
でも、その一方で、彼らのことを思い続ける家族からの格別の愛念や、生還した戦友たちから向けられる涙ながらの思いによって、すでに多くの者たちが癒されています。

戦闘で死亡したか飢えや病で死亡したかに関わらず、本来の霊界に戻っている霊にとれば、自分の遺骨がどういう状態であろうとも、それで心をかげらせたりすることはありえません。
彼らは、放置された自分の遺骨を祖国に戻そうとしてくれている人たちの思いに深く感謝しながらも、「そういうことに使う金銭や労力を、今、地上で戦争の被害にあったり、生きることも困難な状態におかれている人々のために役立てていただきたい」と、切に願っているのです。
なぜならば、「自分はすでに肉体を脱ぎ去り、本来の霊界に戻って喜びのなかで何不自由なく、学びと貢献の日々を生きている。しかし、今の地上世界には、かつての自分たちと同じような境遇に置かれ、非常に苦しい状況のなかでその日その日を生きている人々が大勢いるのだから」と、彼らは思っているのです。
地上で使っていた肉体がどこの土に還っても、霊は全く気にしないのです。(これは墓に関しても同じです)

まだ迷っている死者のなかには、ジャングルに放置されたままの自分の骨にこだわっている者も、非常に少数ながらいるのは事実です。
そういう迷える霊の遺骨を祖国に戻したり、現地で埋葬しなおすことは確かに意味はあるでしょう。
けれども、それら迷える霊に心からのねぎらいと慰撫の念を送ることで、彼らが迷いから覚めれば、それでよろしいのです。
大事なことは遺骨をどう扱うかではなく、彼らに愛念を送り、世界に真(まこと)の平和を実現していこうとすることです。

あなた方は意外に思うかもしれませんが、実際には自分の骨にこだわっている迷える死者よりも、現地の人々に自分たちがしてしまったことや、先に倒れた戦友に自分が十分なことをしてやれなかったことに苦しんでいる者たちの方がはるかに多いのです。
それが人間としての限界を越えたところで生き、そして死んでいった人間の良心というものなのです。
人としての良心の発露を押さえ込むしかなかった分だけ、肉体から解放され、さまざまな命令や制約から解放された時に、人間としての良心が一気に甦るのです。
彼らは、自分の遺体や遺骨のことなどよりも、もっと辛く苦しく意識に刻み込まねばならないことを数多く経験してから息絶えたのです。
彼らの遺骨のことを気に掛けるのであれば、どうぞそんな彼らの苦しさと彼らの人間としての良心を思っていただきたいのです。
幸いに、そういう者たちのほとんどは、すでに本来の霊界に戻っているかその途中段階にあるとお伝えしておきます。

なかには、生きている間は上官や戦友の手前、押さえ込むしかなかった激しい憤りが噴出したままで、狂乱状態の者もいます。
その状態の者は、自分の遺骨がどうなっていようが、そんなことに意識を向ける余裕すらありません。

あの戦争による死者は、日本兵だけではありません。
現地の一般の人々も非常に大勢が殺戮されました。
彼らのなかには、自分がなぜこんな目にあわねばならないのか、全く分からないままに殺された者も少なくありません。
彼らは戦闘員ではなく、ごくふつうの庶民として、そこに暮らしていただけなのですから。
彼らの多くも、すでに本来の霊界に戻ってはいますが、やはりまだ迷っている者たちもいます。
なかには、日本人や「日の丸」の旗への恨みを募らせたままの者もいるのです。
そういう彼らのなかには、日本兵を英雄扱いしたり、日本兵の遺骨にしか意識を向けずに、不条理に殺された自分たちのことには知らぬ顔をする人々に、さらにまた恨みを募らせる者がいることは、少し考えれば分かるはずです。
彼らの思いは、「良い・悪い」ではなく、「正しいかどうか」でもなく、そういう殺され方をした彼らとしての「思い」なのです。
「彼らに対して思いを向けずに、戦争を正当化したり、日本兵のことだけを取り上げることそのものが“偏向“ではないでしょうか」と、あえて私は申し上げます。
そのことについて、今一度考えていただきたいのです。

戦争の犠牲になった人たちの遺骨が、今の世界の各地に放置されたままであるのは哀しいことです。
それはこの国が、国民の生命を使い捨てにしてきたことの証でもあるでしょう。
しかしながら、このような悲惨な状況においても、「死者の魂は遺骨に宿っているのではない」という霊的事実は揺るぎません。
彼らの遺骨が今も放置されているという事実・現実を多くの人々に伝えていくことは必要です。
しかし、そこに「戦争への反省と不戦の誓い」がなければ、戦争という国策の犠牲になった人々の魂を癒すことなどできるはずがありません。
そして何よりも申し上げたいのは、すでにこの世の存在ではない彼らとは、心でつながっていくしかないということです。
もしも、全ての遺骨を祖国に戻したからといって、未だに迷っている戦争の犠牲者たちが救われるわけではありません。

繰り返しますが、平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのです。

飯) はい、ありがとう。
あれだけ大きな被害を出したのに、国家として心からの反省もせず、「我よし」で強権的な国家主義が台頭してきているように感じる。
戦争で幸せになる庶民などいないのだし、もしもそれで何らかの利益を得るとしても、それは人の生命を奪ってのことなのだから、決してしてはならないことのはず。
当時のアメリカから押し付けられた憲法であったとしても、そこに謳われている理想は人類全ての理想とするにふさわしく、全ての国に先駆けて日本がその理想を実現し、真の平和国家として身をもって世界に提言していくこともできたはずだと思う。
今のこの国の現状は、あの戦争の犠牲になった全ての人に顔向けのできないものだ。
政府は相変わらず庶民の暮らしや人生や生命をないがしろにし、報道機関はかなりの情報操作をしているようだ。
彼らは日本をこんな国になることを願って死んでいったのか?

「お国のために」ではなく、国家(政府)こそが庶民・国民のために機能しなければならないのに、現状は全くそうではない。
政府の役割とは、国民の幸せにつながる環境や制度を構築し、状況に応じてそのための政策を臨機応変に講じていくだけでなく、世界中が相互扶助の理念に基づいて協力し合っていくことだと思うが、そんなことは夢物語のような現状だ。
しかし、その気になれば、それは決して難しいことではないとも思う。
なぜならば、それこそが圧倒的多数の人々の幸せにつながることなのだから。
それがあの戦争で死んでいった人々への唯一の報いになるのだと思う。
僕らも庶民のひとりとして、もっと頑張らなければと思っている。

克) そうですよ。
本当に頑張っていただきたいと願っています。
こちらからも応援していますよ。
あなたのお父様も、私と同じように応援なさっていますからね(笑)

飯) おっと、またそこに戻りますか(笑)
まあ、よろしくお伝えください。
親父に身をもって教えてもらったことが、今の僕にはずいぶん役に立っているって。
それじゃ、またね。
ありがとう。

克) はい、まーたん、お疲れさまでした。
(2008・8・3)

02/08/2008(土) 22:36:26


No.4217  鉄ママ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
先日母から電話がありました。「リンパ節に腫瘍があるらしい」と。
母は身体が弱く、私が小さい頃からいつもいつも「ここが痛い。あそこが痛い。」と言っていました。
その度に私は母のことを心配してきました。
前回飯沼さん、さきさんのヒーリングにおいても母の固くなさに「なんで素直に受け入れてくれないの。」と苛立ちました。
母からの電話に「ほら!だから!」と私はパニックになりました。
「もう聞きたくない!」と思いました。
飯沼さんに電話で「鉄ママ相当動揺してるよ。」と言われてようやく自分のパニックに気がつきました。
それから直ぐに実家へ行き母と話をしました。
母は、子育てのやり直しはできない。お前とお兄ちゃんには辛い思いをさせてしまった。お前は女だし、かわいそうなことをしたと思っている。お兄ちゃんにも、お父さんに頼れない分小さな頃から寄りかかってしまって、辛かったと思う。
お母さんは、お前達になんの財産も残してやれなかった。(金銭ではなく、心の)
愛情表現が下手だからうまく伝えることができなかった。悪かったと思ってる。
お父さんとお母さんは気がつくのが遅かった。
お母さんは死ぬことは恐くない。あっちで父ちゃんも母ちゃんもあんちゃんも待っててくれる。
与えられた命、寿命だと思っている。
と。
私はどの言葉にもまともな返事が出来ず、かえってきつい口調になってしまいました。
とっても大変な家庭だった。でも、過去を消すことは出来ない。
それらがあって今ではないか。気がついたとこらから始めればいい。
なにか言わなくちゃ、なにか言わなくちゃ。と思いながら空回りしました。

みじめで、辛い事はたくさんあったけど、その中にも楽しいことやうれしいこともあって。
涙がでて仕方がありません。

30代の頃はその怒りを父や母にぶつけ「謝ってよ!」「自分達がしてきた事を悔いてよ!」と思っていました。
「一生許さない」、と思っていました。
でも勝手なもので「なんで謝るの。」「謝らなくていいから。」と思う私がいます。

私はいろいろな状況、状態の中ではありましたが母の母性を感じていたと思います。
その母性を感じていたから愚れることもなかったのだと思います。
母からもらった財産かもしれません。

いつまでも当たり前のように居てくれる人。
お母さん。悲しいこと、淋しい事言っちゃ嫌だ!

愛は時空を越えて 43 前半部分
母が癒され喜びで満たされるように、また7月の定例会での 癒しに向けてのメッセージ「表現する」「伝える」「分かってもらう」
を実践します。

飯沼さん、さきさん、遠隔ヒーリングよろしくお願いします。

03/08/2008(日) 02:10:20

No.4218  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
>あなた方は意外に思うかもしれませんが、実際には自分の骨にこだわっている迷える死者よりも、現地の人々に自分たちがしてしまったことや、先に倒れた戦友に自分が十分なことをしてやれなかったことに苦しんでいる者たちの方がはるかに多いのです。
それが人間としての限界を越えたところで生き、そして死んでいった人間の良心というものなのです。<
↑↑
涙がでました。
今まで、スピリチュアリズムの立場から先の戦争に徴兵され戦地で亡くなった人たちのことをこんな風に正面からとりあげたものを私は読んだことありません。納得です。
家族や愛する人たちへの思いが彼らを「帰郷」させたということも。

戦争をはじめるのはいつも力を持つ人たちです。
その人たちにとって一兵士や庶民のいのちは虫けらより軽いのです。
人のいのちを軽んじないがしろにし奪い蹂躙する。
それが正義であるとされるのが戦争です。
犠牲になるのはいつも力のない人たちであり庶民です。
他者を傷つけいのちを奪うことによって、その上に成り立つ平和なんてありえません。それを平和とは呼びません。
正しい戦争なんてないのだと思います。

ぬまさん、克子さん、この8月にふさわしいテーマをありがとう!

03/08/2008(日) 02:11:18

No.4219  冨田江里子 E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
多くの魂が既に霊界に戻られている・その途中にあられることに心から良かったと思って読ませていただきました。

少ない人数であろうと今だ彷徨っておられる方がいるのは私の中では事実です。日本人が入ればかなりの率で事故にあう場所など、実際事故に遭っている当事者ですから。毎日手を合わせていますがなかなか効果が実感しがたく、皆様方のお力をお借りできればと思います。

又、戦時中日本に散々苦しめられてきたフィリピンの方々が日本人の遺骨と知ってもなお、お水をあげ、蝋燭を灯し手をあわせてくださっている事実があります。現地からは「どうして日本人はこの骨を放置しておくのだ?」という声が上がっています。誰かがやはり、見つかっている御遺骨を何とかしなければならないと思うのですが・・・どうなんでしょうか?

04/08/2008(月) 03:02:52

No.4220  キリコ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
おはようございます。
わたしは、ウヨクとかサヨクとかアイコクとか、関係なく、ご遺骨は、回収するべきと考えます。
本当に、ウヨクとかサヨクとか、ラベルは関係ありません。
60年も・・・。
断交状態で、日本人が立ち入れないエリアにあるならいざ知らず、隣国で、友好国です、フィリピンは。
放置されているご遺骨の方々は、職業軍人などではなく、政治家でもなく、財閥でもなく、招集されたお百姓さんが、しかも、最前線に送り込まれたのですから、小作の方々が多かったのでは。

参謀本部や財閥、政治家の子息は、最前線ではなく、国内師団に配属されたことが多いそうですし。

ご遺骨は、回収しなくては。で、実質的に動いている団体は、本当に少ないのですよね。動いている方々も、実質、活動費の大半がを自腹です。会員は、50人にも満たないようですし。

私は、個人的に、ですが、新しい目標として、従来の活動を継続しつつ、「遺骨」の活動にも、関わって生きたいと思います。

04/08/2008(月) 05:44:06

No.4221  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
☆補足・返信です

まず、克は「霊界から」のメッセージとして伝えてきています。
霊的法則に基づいて、霊的事実を伝えてきているのだと思います。
霊的な学びが進めば、人間も同じように理解したり、思うことができるのでしょうが、全ての人が今の段階でそうではないことは織り込み済みです。
ですから、克からのメッセージを人間がどう受け止めるかも、人によってそれぞれでよいのだと思います。

ご遺骨に関しては、さまざまな考えや立場があるのは当然だと思います。
克も、
『まだ迷っている死者のなかには、ジャングルに放置されたままの自分の骨にこだわっている者も、非常に少数ながらいるのは事実です。
そういう迷える霊の遺骨を祖国に戻したり、現地で埋葬しなおすことは確かに意味はあるでしょう。
けれども、それら迷える霊に心からのねぎらいと慰撫の念を送ることで、彼らが迷いから覚めれば、それでよろしいのです。
大事なことは遺骨をどう扱うかではなく、彼らに愛念を送り、世界に真(まこと)の平和を実現していこうとすることです。』
と伝えてきています。

克は、
『戦争の犠牲になった人たちの遺骨が、今の世界の各地に放置されたままであるのは哀しいことです。
それはこの国が、国民の生命を使い捨てにしてきたことの証でもあるでしょう。
しかしながら、このような悲惨な状況においても、「死者の魂は遺骨に宿っているのではない」という霊的事実は揺るぎません。
彼らの遺骨が今も放置されているという事実・現実を多くの人々に伝えていくことは必要です。
しかし、そこに「戦争への反省と不戦の誓い」がなければ、戦争という国策の犠牲になった人々の魂を癒すことなどできるはずがありません。
そして何よりも申し上げたいのは、すでにこの世の存在ではない彼らとは、心でつながっていくしかないということです。
もしも、全ての遺骨を祖国に戻したからといって、未だに迷っている戦争の犠牲者たちが救われるわけではありません。

繰り返しますが、平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのです。』
とも伝えてきています。

>少ない人数であろうと今だ彷徨っておられる方がいるのは私の中では事実です。日本人が入ればかなりの率で事故にあう場所など、実際事故に遭っている当事者ですから。毎日手を合わせていますがなかなか効果が実感しがたく、皆様方のお力をお借りできればと思います。

私たちがお役に立てそうなことがあれば、何でもさせていただきます。
ただ、客観的に考えれば、それらの事故の{原因」が、元日本兵の迷える霊であるのかどうかは分かりません。
日本兵に殺されたフィリピン人かもしれませんし、フィリピン人の抗日ゲリラの霊かもしれませんし、もしかしたらアメリカ兵の霊かもしれないと思うのです。

もしも日本兵の霊だとしても、その日本兵の迷える霊の遺骨がどこにあるのかも分からないでしょうし、たとえ遺骨を日本に戻したとしても、その霊が迷いから覚めるかどうかも分かりません。
「死者の魂は遺体や遺骨に宿っているのではない」からです。
だからこそ、この投稿の冒頭に引用した、克からのメッセージが重要なのだと思います。

私は(克も)、遺骨を回収することや日本に戻すことに、何ら反対しているのではありません。
むしろ60年間も放置してきた政府の冷たさに憤りを感じます。
沖縄でも、未だに遺骨が出てくるのですから、世界中にはものすごい数の日本兵の遺骨が放置されているのでしょう。

たとえばフィリピンでの日本兵の犠牲者は50万人といわれ、そのうち40万人が餓死・病死だといわれています。
フィリピン全土でのフィリピン人の死者は、100万人を超えると推計されています。
当時のフィリピンの人口は1600万人です。
当時のフィリピンには軍隊もなく、直接戦争に参加していたのではないのですから、この犠牲者の数はものすごいものだと思います。
日米のマニラ市街戦でも、日本兵の犠牲者は1万人余りに対して、フィリピン人は10万以上が死亡したといわれています。(アメリカ兵戦死者は1080名)

フィリピンでの50万人の日本兵犠牲者の遺骨のほとんどは回収されていないのではないでしょうか?
マニラ市街では日本兵とフィリピン人を合わて11万人以上の犠牲者です。
瓦礫に埋まったままの遺体も数多くあったでしょうし、マニラの建物や道路の下には、数えきれない遺骨が今も埋まっているのではないでしょうか?

フィリピンの山間部には、まだ数十万人の遺骨が放置されているのでしょう。
しかし、60年が過ぎて、そのほとんどは土に埋まっているのではないでしょうか?
地面から露出している遺骨を日本に返したり、フィリピン政府の許可を得て「納骨堂」のような施設に埋葬しなおすことは当然だと思います。
それは、「霊は遺骨に宿るのではない」ということを知っていても、人間として当然の気持ちであり、行為です。
でも、実際には多くの遺骨はフィリピンの山間部の土に埋まっているとしたら、それをどうすればよいのでしょう?

洞窟や壕に残された遺骨や、何かの作業で地面を掘ったときに発見できた遺骨は、再埋葬できます。
しかし、どこに埋まっているか分からない遺骨を捜すために、フィリピンの山を掘って回ることは、現実的には不可能なのではないでしょうか?
もしも膨大な費用と労力をかけてその作業をしたとしても、遺骨の何割を回収できるでしょうか?

そういう現実を踏まえて、克からのメッセージを、もう一度皆さんにじっくり読んでいただきたいのです。

それとは別に、私もテレビで観たことがありますが、日本に生還した元日本兵が、現地に置き去りにするしかなかった戦友の遺骨を探しに行くことには、胸を打たれました。
それはフィリピンではなく、南の島でしたが、85歳を過ぎた老人が、すっかり様子の変わってしまった島に行き、「確かこのあたりに・・・」と言いながら、弱々しい足取りで戦友の遺骨を探して歩くのです。
結局、その番組の場合は遺骨を発見することはできませんでしたが、そういう戦友や遺族の思いを注がれて、多くの犠牲者たちは本来の霊界に戻っていったのでしょう。

04/08/2008(月) 10:35:22

No.4222  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
まず、フィリピンに於ける富田さんの活動に深い敬意を表したいと思います。

この掲示板を御覧になっている方の中には、事の経緯を掴み難い方もいらっしゃると思いますので、大まかではありますが、経緯を伝えさせて頂きたいと思います。

フィリピンに於いて、現地の貧しい方達の為に無料でクリニックを開いて活動されている富田さんを紹介するDVDに、後半、遺骨収集の事も紹介されていました。

未だ、多くの遺骨がそのままの状態である事は、痛ましい事です。私は、それらの遺骨を収集しようとされている活動自体に何ら口を挟むものではありません。
私が疑問に思うのは、その「伝え方」です。
私は、正直に申し上げて、その「伝え方」には疑問を持ちました。

初めて海外旅行をした女の子が、遺骨を前にして「日の丸」や「君が代」を一人で自主的に歌っています。そして、その横では「靖国」と書いた箱からお酒を出して、頭蓋骨にかけている人がいます。その時のカメラの映し方は、私には、「靖国」をアピールしているように見えました。
NPOのメンバーのひとりは、遺骨に対して「ナショナルヒーロー」と呼んでいます。
私は、その方達を「ヒーロー」ではない、と言いたいのではありません。正確に言おうとすれば「ヒーロー」の「定義」から議論しなければいけませんが、少なくとも、特に南方の戦場では、兵士の方々の多くが餓死や病死だった現実を思うと、一般的に想像される「ヒーロー」の「最後」の様子ではなかったように思うのです。
NPOの人に話しを聞いたフィリピンの人も「日本の英雄」と言っていますが、当時のフィリピンの人々は、日本に占領されて悲惨な体験をしているはずです。
このDVDには、当時日本軍が現地で行った残虐行為などは、一切映像でも、ナレーションでも表現される事はありませんでした。
私は、その伝え方をとても一面的に感じるのです。

私は、この方達の事をDVDでしか知りませんが、戦争を美化する熱狂的な「靖国」信奉者と通じるものを感じます。そして一部の「靖国」信奉者にありがちな偏狭なナショナリズムは危険だ、と私は思っています。
戦争を二度と起こさない為には、起こった事をありのままに認めた上で、反省し、被害を及ぼした人々に謝罪する事が先ず必要だと思います。その反省に立った上で、本当に平和な世の中を作る事が出来る、と思うのです。

例えば、ドイツと日本の戦後処理のあり方ですが、ドイツでは、ヒットラーはCENSOREDし、国旗も国歌も敗戦を機に一新されました。戦争に協力した新聞や雑誌も全て廃刊になりました。そして、今もまだ戦争犯罪者を追及しています。一方、日本では、アメリカの占領政策により昭和天皇は戦後も天皇であり続け、本島元長崎市長が「天皇の戦争責任はある。」と発言しただけで右翼に銃撃される状況です。そして、戦争推進に協力したマスメディアもほとんどそのまま残り、国旗も国歌も戦前と変わっていません。
戦後、国家体制を変え、はっきりと反省の態度を表したドイツと違い、日本はまだまだ他国の信頼を得る事が出来ていない、と思います。
事実をありのままに見つめる事は、まず最初にしなければいけない事なのに、戦争を美化する「靖国」信奉者の中には、事実をありのまま見つめようとする人々を自虐的、あるいは非国民のように言う人々もいます。最近ではそれらの人々を恐れ、映画「靖国神社」を上映中止にした映画館もありました。
民主的で平和な国の基本的に必要な要素として、「自由に発言出来る」という事があると思います。
ですから、自由な発言さえし難くさせている「靖国」信奉者の人達に危うさを感じるのです。

身内を亡くされて、深い弔いの気持ちから靖国神社を参拝される方々も、もちろん多くいらっしゃると思います。でも、一方では戦争を美化し偏ったナショナリズムの高揚に靖国神社を利用しようとしている人々の存在もある、と思います。
そのどちらも「弔いの形」が同じであるが為に、事の本質を見え難くさせている、と思うのです。

04/08/2008(月) 13:58:35

No.4223  さいこ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
靖国神社についてのメッセージありがとうございました。

私は靖国神社についての知識あまりなかったので、今回のメッセージは分かり易く理解できました。
靖国神社に参拝することが問題になるのか…スピリチュアリズムを通してどう解釈したらいいのか迷っていました。
うちのKちゃんは絶対に靖国神社には行きたくないと言います。
戦争経験者の私の伯父(シベリアで数年にわたり抑留されていました)も、総理大臣、国会議員が参拝することには強い憤りを感じるようです。

克子さんのメッセージにもあるように
「英霊とはどの立場から見てのものなのか」「戦乱や戦争で地上を去った人たちを祀ることの動機はどうなのか」ということや、「参拝することの動機」についてはしっかりと点検しなければなりません。
国家がその政策によって戦争を始めたことによって、地上人生を奪われた人たちを再び国家の思惑によって利用してはならないことは言うまでもありません。

Kちゃんも伯父も二度と同じ過ち(戦争)を繰り返してはいけないと強く思う気持ちがあると思うのです。
再び国家の思惑で利用されることは絶対にしてはならない。
ただ、私は参拝することによって愛念を送り、亡くなられた方たちの魂が安らかに霊界に戻れるのでは…。
戦争を主導した幹部の人たちも、地上では大きな過ちを犯してはいますが、地上からの愛念を送ることによって、幽界からのエネルギーに引っ張られることなく、本来の魂を取り戻して安らかな気持ちで霊界に戻れるのではと…考えていました。
メッセージを読んで納得しました。

もう二度と戦争を起こしてはならないという思いと戦争で犠牲になって亡くなられた人たち、残されたご家族へ新たな気持ちで愛念を送りたいと思います。
そして今なお無意味な戦争をしている国の人たちにも愛念を送りたいと思います。

04/08/2008(月) 14:27:10

No.4224  冨田江里子 E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
DVDの製作は日本映像通信社です。そして、営利目的で作成されたのでなく、またテレビのようにスポンサーがあって作られたものでもありません。全くのボランティアでかなりの持ち出しをして作成していただいています。クリニックの部分は事前に見せていただきましたが、全体に関しては私が意見できる立場ではありません。

出来上がったもので支援にと購入してくださった方々に不愉快な思いをさせてしまっているのは本当に申し訳なく、残念です。

今後皆様に愛念をお送りいただければ本当にありがたいと思います。ありがとうございました。

04/08/2008(月) 16:37:11

No.4225  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
☆さいこさん

>ただ、私は参拝することによって愛念を送り、亡くなられた方たちの魂が安らかに霊界に戻れるのでは…。

確かにそうとも言えるのですが、陸軍直轄の「靖国神社」は国家神道の頂点にあっただけに、いろいろな意見があるのだと思います。

靖国神社は独立した宗教法人ですが、神社側の資料に、「太平洋戦争」のことを、当時の陸軍主導で使われていた「大東亜戦争」と呼んでいたり、A級戦犯をはじめとする戦争責任者も「神」として祀っているので、戦争への反省がみられないという意見が強いのでしょう。

04/08/2008(月) 17:47:21

No.4226  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
富田さんへ

私は、DVDによって不愉快な思いをしたという個人的な感情からこの様な事を言っているのではありません。

例えば、沖縄戦では、多くの民間人が「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という戦前教育の影響によって、捕虜になるより自決を選ぶという悲惨な出来事がありました。
教育、とりわけ子供達を導く教育の影響は、とても大きいと思います。

ドイツの学校の歴史教育において、古代、中世と近代、現代の比率をほぼ1:1:1にするなど現代史に重点を置くものとなっているそうですが、日本の歴史教育では、現代に関する記述が他の時代に比べ、極めて少ないものとなっており、その内容も日本人の被害を中心に取り上げられています。
戦後処理のあり方で、ドイツと日本の最も大きい違いは、先の大戦に関する事実を教育の場で次世代に伝える努力の仕方の違いだと思います。最近の歴史教科書問題を考えると、子供達に真実を教える、というよりも真実から目を逸らせる教育のようにさえ感じる事があります。

私は、一面的な伝え方だと感じるDVDの与える影響を憂慮しているのです。


補足ですが、靖国神社にある遊就館には、零戦、大砲、戦車など、兵器や戦争がらみの器材、資料などが展示してあるそうですが、その展示の仕方は、戦争を美化しているのではないか、と論議を呼んでいます。

A級戦犯の中で、ただひとりの文官だった元総理、外相広田弘毅は、命がけで戦争回避に努力した人ですが、軍部の力が強まると時代の波に翻弄され、最後にはその努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されました。その広田弘毅のご遺族は靖国神社に参拝されたことがないと、以前新聞で読んだことがあります。

04/08/2008(月) 21:59:06

No.4227  さいこ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
皆さんの投稿を読ませて頂いて、自分がいままでいかに無関心であったか…、恥ずかしいです。
自分の国で過去に起こった事、また残虐なことをしてきた事実をしっかりと真正面から受け止め、事実を曲げることなく、伝えていく必要があると思いました。

機会を与えて頂き、ありがとうございました。

04/08/2008(月) 22:53:17

No.4228  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
☆春が来るさん

こんばんは。
貴重な情報、ありがとうございます。

>私は、DVDによって不愉快な思いをしたという個人的な感情からこの様な事を言っているのではありません。

そのことは冨田さんも十分に理解してくださっていると思います。
クリニックの活動と元日本兵の遺骨回収の活動が、あのDVDで抱き合わせになっているということを、冨田さんご自身が「(製作会社から)聞かされていなかった」という事実を踏まえての、「出来上がったもので支援にと購入してくださった方々に不愉快な思いをさせてしまっているのは本当に申し訳なく、残念です。」というコメントだろうと思います。
DVDについては、あちらこちらから意見が出ているそうですから。

冨田さんのブログにさきさんが投稿しているので、許可を得て以下にも転載しておきますね。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ドネーションシップでも今回のDVDを冨田さんの活動紹介、クリニックの支援になると私たちのサイトで紹介しました。それを受けて報告会でDVDを買ってもらった会員さんから感想とご意見を頂きました。
その方は知人にクリニック支援を呼びかけようとDVDを10枚購入されたのですが、内容を見て知人にDVDを紹介するのはやめたとおっしゃっていました。そんな経過があり意見を述べさせてもらいました。私は先日までDVDを見ていなかったのですが、実際に見て疑問や違和感を感じる方があって当然かと思いました。
冨田さんからDVDが完成するまで後半に遺骨の部分が入ることも知らなかったということを聞いて、びっくりしつつもそうだったのかと納得しました。
会員限定ページでもそのことをお伝えし、当の会員さんも事情を理解して下さいました。DVDのクリニックの部分は冨田さんの日常や活動がよくわかってよかったと言っておられましたよ。





04/08/2008(月) 23:14:55

No.4229  キリコ ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
お二人のご意見は、参考になります。
ただ、わたしは、それでも、ご遺骨は日本に返してあげるべきと思います。
国の命令により、異国に出征し、現地で戦死されたわけです。

なので、国の責任で、帰国させてあげるべきです。

遺骨収集には、別に現地の山をひっくり返すようなことは必要ありません。
遺骨は、フィリピンのアルカリ土壌のおかげで、崩壊しておらず、山野や洞窟に、野ざらしで放置されています。

で、どこに放置されているかは、現地の方々が、一番良く知っているそうです。

なので、手順としては、
○現地の方から情報収集
   ↓
○現地調査
   ↓
○現地の状況や証拠、DNA鑑定を実施
   ↓
○政府の遺骨収集団を誘致
   ↓
○遺骨収集(焼骨等も)
   ↓
○千鳥が淵へ納骨

という、手順です。沖縄における金光教さんの遺骨収集がありましたので、貼っておきましたので、興味があれば、どうぞ。

先の大戦についての戦後処理の問題や是非は、いろいろあり、それは、確かに、そのとおりですが、
戦死された方々の遺骨は、それ以前に、回収すべきと感じています。
これは、知り合いの霊能者の方や、近在の、何十代も続く宮司さんや、神仙道の先生のご意見や、偶然過ぎる出会い等もありまして、そう感じております。
日本には先祖供養の美徳が古来よりあり、やはり、ご遺骨は、宗派や主義・主張に関係なく、やはり、日本に帰国させてあげるべきです。

ただ、これについては、わたしが個人的に動くことであり、実際、動き始めていますが、
悠々塾さんやドネが、取り組む件ではないかな?とも、感じています。

DVDについては、出ておられた方々が、右寄りだということであり、表現方法に、違和感を感じた方がいるのも、大変よくわかります。しかしながら、あのNPO(零細NPOです)の国会議員連盟
(未発足ですが)には、自民党だけでなく、民主党、公明党、社会党の議員さんが名を連ねています。
共産党さんは、やはりいらっしゃらないようですが、議員さん方個人個人としては、好意的だそうです。
男性も女性も、いらっしゃいます。

右寄りとか、左寄りとか、宗派とか、いろいろありますが、
社会党さんは、戦後処理については、非常に厳しい意見をお持ちの政党です。
でも、参加されているということは、
やはり、超党派、超宗派でとりくんでもしかるべき、活動であると、個人的に、感じています。

05/08/2008(火) 00:16:29

No.4230  キリコ ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
もし、わたしが現地の調査に参加することがあれば、金光教さんのように、「ふるさと」や「赤とんぼ」を、歌ってみたいと思います。

05/08/2008(火) 00:28:39

No.4231  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
ぬまさん

私も別のサイトで、「DVDに関する事情が分かって安心しました。」そして「1部の富田さんのクリニックに関する部分はクリニックの様子がとてもよく分かっていい、と思いました。」と書いています。

ただ、ご事情に関しては、私の立場で、この掲示板上にどの様に書けばいいのか難しさがありました。

確かに、フィリピンに住んでおられる富田さんの立場になれば、遺骨がそのままの状態である事は耐え難い事だと思います。
まだまだ地中に埋もれたままの多くの遺骨があるのでしょうが、私としては、いつの日か、少なくとも見つかった遺骨に関しては、身元が分からない以上、それがアメリカ兵のものであれ、日本兵のものであれ、フィリピンの人のものであれ、国境を越え、戦争の悲惨さと不戦の誓いを表す合同慰霊碑の様な形で弔われれる事を願っています。

純粋にフィリピンの人々の為に力を尽くされている富田さんの活動を心より応援させていただきます。

05/08/2008(火) 00:54:25

No.4232  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
☆キリコさん

僕も、遺骨の回収に反対しているのではありません。
もちろん、ドネや悠々塾が具体的に関わらせていただく案件ではありません。
私は実はあのDVDは拝見していないのですが、DVDの内容や、遺骨収集活動をなさっている団体を批判するつもりもありません。

ただ、「クリニックの活動の紹介と遺骨収集活動が同じ1枚のDVDに収録されることを、冨田さん側に知らされていなかった」という事実には、少なからず驚きました。

DVDに紹介された遺骨収集活動は、キリコさんから見ても「右より」とのことですから、クリニックを支援しようとしてDVDを購入された方々からいろいろなご意見が出るのは自然なことでしょう。
そのDVDがクリニック支援にマイナスにならないことを願うばかりですし、日々のお産や診療活動でお忙しい冨田さんがもしも対応に苦慮されているとすれば・・・と思うと冨田さんの負担が気がかりです。

遺骨のことは実際問題として、戦争の犠牲になった全ての人の遺骨を回収することは不可能だろう、と思うのです。
遺骨が放置されているのはフィリピンだけではありませんし、フィリピンでも60年も経てば、土砂に埋もれている遺骨も少なくないはずです。
市街地では道路や建物の下に埋まっているのでしょう。
いずれにしても、全ての遺骨を回収するのが不可能であれば、「何らかの線引き」は必要になるのではないでしょうか?
もちろん、「見つけられるだけは見つけて回収させていただく」ということに反対もしませんし、むしろ、もっと早く政府の責任ですべきことだったと思います。

ということを繰り返した上で、
克が伝えてきた、ことを再び繰り返します。

『戦争の犠牲になった人たちの遺骨が、今の世界の各地に放置されたままであるのは哀しいことです。
それはこの国が、国民の生命を使い捨てにしてきたことの証でもあるでしょう。
しかしながら、このような悲惨な状況においても、「死者の魂は遺骨に宿っているのではない」という霊的事実は揺るぎません。
彼らの遺骨が今も放置されているという事実・現実を多くの人々に伝えていくことは必要です。
しかし、そこに「戦争への反省と不戦の誓い」がなければ、戦争という国策の犠牲になった人々の魂を癒すことなどできるはずがありません。
そして何よりも申し上げたいのは、すでにこの世の存在ではない彼らとは、心でつながっていくしかないということです。
もしも、全ての遺骨を祖国に戻したからといって、未だに迷っている戦争の犠牲者たちが救われるわけではありません。』

『繰り返しますが、平和で思いやりに満ちた世界・国・社会・家族が醸し出すエネルギーが、本当の意味で彼らを目覚めさせ、平安に導くのです。』
戦闘で死亡したか飢えや病で死亡したかに関わらず、本来の霊界に戻っている霊にとれば、自分の遺骨がどういう状態であろうとも、それで心をかげらせたりすることはありえません。
彼らは、放置された自分の遺骨を祖国に戻そうとしてくれている人たちの思いに深く感謝しながらも、「そういうことに使う金銭や労力を、今、地上で戦争の被害にあったり、生きることも困難な状態におかれている人々のために役立てていただきたい」と、切に願っているのです。
なぜならば、「自分はすでに肉体を脱ぎ去り、本来の霊界に戻って喜びのなかで何不自由なく、学びと貢献の日々を生きている。しかし、今の地上世界には、かつての自分たちと同じような境遇に置かれ、非常に苦しい状況のなかでその日その日を生きている人々が大勢いるのだから」と、彼らは思っているのです。
地上で使っていた肉体がどこの土に還っても、霊は全く気にしないのです。(これは墓に関しても同じです)』

『あの戦争による死者は、日本兵だけではありません。
現地の一般の人々も非常に大勢が殺戮されました。
彼らのなかには、自分がなぜこんな目にあわねばならないのか、全く分からないままに殺された者も少なくありません。
彼らは戦闘員ではなく、ごくふつうの庶民として、そこに暮らしていただけなのですから。
彼らの多くも、すでに本来の霊界に戻ってはいますが、やはりまだ迷っている者たちもいます。
なかには、日本人や「日の丸」の旗への恨みを募らせたままの者もいるのです。
そういう彼らのなかには、日本兵を英雄扱いしたり、日本兵の遺骨にしか意識を向けずに、不条理に殺された自分たちのことには知らぬ顔をする人々に、さらにまた恨みを募らせる者がいることは、少し考えれば分かるはずです。
彼らの思いは、「良い・悪い」ではなく、「正しいかどうか」でもなく、そういう殺され方をした彼らとしての「思い」なのです。
「彼らに対して思いを向けずに、戦争を正当化したり、日本兵のことだけを取り上げることそのものが“偏向“ではないでしょうか」と、あえて私は申し上げます。
そのことについて、今一度考えていただきたいのです。』

05/08/2008(火) 01:20:17

No.4233  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
☆春が来るさん

>いつの日か、少なくとも見つかった遺骨に関しては、身元が分からない以上、それがアメリカ兵のものであれ、日本兵のものであれ、フィリピンの人のものであれ、国境を越え、戦争の悲惨さと不戦の誓いを表す合同慰霊碑の様な形で弔われれる事を願っています。
>純粋にフィリピンの人々の為に力を尽くされている富田さんの活動を心より応援させていただきます。



私も全く同感です。

『「彼らに対して思いを向けずに、戦争を正当化したり、日本兵のことだけを取り上げることそのものが“偏向“ではないでしょうか」と、あえて私は申し上げます。
そのことについて、今一度考えていただきたいのです。』

私も、ここを抜きにして考えてはいけないと思います。

05/08/2008(火) 01:39:07

No.4234  春が来る
Re: 愛は時空を超えて 43  引用
広島に原爆の落とされた日に、広島と長崎で犠牲になられた方々への哀悼の気持ちを込めて、もう少し書かせてください。

前に少しドイツの戦後のあり方について書かせて頂きましたが、補足させてください。

ドイツにおける公立の記念館には、ナチ収容所跡をはじめ、抵抗運動を闘った人々の顕彰施設なども数多く存在するそうです。

日本では、近現代で平和の為に闘い殺された人々の数は2000人を超すと言われながら、それらの人々を顕彰する公立の施設は皆無です。現状がそうである以上、私は、出来るだけ真実に近い戦争の実態を知る努力をしていこう、と思いました。そして、それを、子供達や、機会があれば周りの人達に伝えていければ、と思います。

最後に、久し振りに開いた本から、ガンディーの言葉を紹介させてください。

「原始爆弾がもたらした最大の悲劇から正しく引き出された教訓は
ちょうど暴力が対抗的な暴力によって一掃されないように、
原子爆弾も原子爆弾の対抗をもってしては
滅ぼすことはできないということである。
人類は、非暴力によってのみ暴力から脱出しなければならない。
憎悪は愛によってのみ克服される。
憎悪に対するに憎しみをもってすることは、
ただ憎悪を深め、その範囲をひろげるだけである。」

            マハートマ・ガンディー

06/08/2008(水) 11:37:54


No.4208 飯沼 ホームページ E-mail
「天地悠々」後記・雑記を転載します 引用

◆「天地悠々」一二九号、お届け致します。

◆世界のあちらこちらで、日本の各地で、地震や異常気象が頻発しています。「時が迫っている」と感じる人たちも増えているようです。生命の永遠性を知る者ならば焦りはしませんが、それでも「今の間に何とかしなければ」という思いは強くなります。問題は、「一定数以上の人々の意識が、いつ目覚めるのか」ということでしょう。

地球レベルでも、世界情勢や日本の状況からも、「今までと同じことの延長線上に、平穏な将来があるはずがない」と思うのですが、「何が何でも、自分の今が最優先」という人々が多いのも事実です。それで何とかやっていられる間はいいのですが、どう考えてもそうはいかないとしか思えません。地球レベルでも地磁気の減少が観測されています。地球の極移動の可能性について、科学者の中にも発言する人たちが出始めているとか。

◆話はがらりと変わって、星野仙一さんのことを少し書きます。私は星野仙一さんが嫌いではありません。むしろ、あの熱い一本気は大好きです。オリンピックのアジア予選では、久しぶりに星野監督の勇姿が見れて嬉しかったし、采配ぶりも見事なものだったと思います。ところが、その星野監督が最近、関西電力の原発のコマーシャルに出ているのです。

◆それを観て、星野ジャパンへの熱が一気に冷めてしまったのは、私だけでしょうか。
原発は、まるで石油を使わない発電であるかのように宣伝されていますが、それは真っ赤な嘘。ウランの採掘にも精製にも、もちろん運搬にも大量の石油が使われるのですし、原発の廃棄物の処理や半永久的な保管に、一体どれだけの石油が使われるのか正確に計算すらできないでしょう。

◆何よりも、原発の廃棄物の最終処理場は、まだどこにも見つかっていないのです。原発はクリーンエネルギーのように宣伝されているのですが、二酸化炭素よりも放射能の方が危険・有害に決まっています。自分たちの世代がわずか30年間使った電力の後始末を、未来永劫、子孫の世代にさせるなんて、最大の「我よし」でありモラルハザードだと思います。

◆しかし、僕は星野さんに原発に反対してほしいなどと言っているのではありません。
少なくとも、星野さんが自らを「野球人」と称し、「星野ジャパン」を率いるのならば、国民の賛否が大きく分かれる原発のようなものに関しての宣伝に出演するべきではないと思うのです。これは星野さん自身の原発への賛否や、「原発がどういうものであるのか」という議論とも無関係に、星野さんの「分別」の問題だと思います。

◆たとえばAというものに人々の気持ちを集めたいと思う時に、明らかに賛否や意見の分かれているBというものを抱き合わせにしたらどうなるか、です。Bにも賛成の考えの人たちはAにも気持ちを集めやすくなるかもしれません。しかし、Bに関してはとてもじゃないが賛成はできないと思っている人たちは、Aについても共感が持ちにくくなるのではないでしょうか。

◆全ての人がそうなるわけではなくても、そういう違和感を抱く人が少なからずいることは簡単に予測できるはずです。本気でAというものに人々の気持ちを集めようとしている者は、Aにとっての大事な時期にBと抱き合わせにしたりはしないと思うのです。そうしてしまうとすれば、その人に何らかの問題があるということです。

◆星野さんの場合は、原発への無知か、関西電力が提示した出演料か、断りにくい何かの理由があったのか、あるいは知らず知らずの間に傲慢になってしまっているのか・・・。いずれにしても、野球ファンが皆気持ちよく「星野ジャパン」を応援できるような環境作りは心掛けるべきだったと思います。

◆最近、他のことでも同じように感じることがあったので、つい、書きたくなってしまいました。

◆100坪の畑を借りて、2ヶ月が経ちました。収穫も始まり、久しぶりに本物の野菜の味に感激しています。

31/07/2008(木) 11:21:23


No.4211  春が来る
Re: 「天地悠々」後記・雑記を転載します 引用
私も、ぬまさんの仰るように、名前が知られている人ほど、自分が世間に与える影響を考え、責任のある行動をしなくてはならない、と思います。

私も原発に反対です。

そもそも、原子炉が最初に作られた理由は、プルトニウム原爆を製造する為だったそうです。
アメリカは、広島にウラン原爆を落とした結果、(被害に遭われた方々には申し訳ない言い方ですが)エネルギー効率が悪く、量産するには不向きだ、と気付いたそうです。
そして、考え出されたのが、原子炉によるプルトニウムの生産で、長崎で落とされた原爆はプルトニウム原爆ということです。

プルトニウム蓄積という最大の問題の他にも、様々な問題を抱える原発がなくならない理由が、7万人近い人々が働き、「原子力産業は三兆円産業だ」と言われるような利権がらみであるならば、なんとも空しい思いがします。

01/08/2008(金) 00:04:46

No.4216  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 「天地悠々」後記・雑記を転載します 引用

☆あまり報道されていないようなので、転載しておきます。

サクラ記者会見・お知らせ 新潟・原発周辺でサクラの大異常・発見 
日 時:7月29日(火) 午後3時〜4時  説明4人×10分、質問20分位
会 場:参議院議員会館第6会議室(開場2時30分) (50人室)

             内 容
 1.柏崎刈羽のサクラの異常・地図と写真・・現地(新潟県)から  近藤ゆき子(刈羽村生命を守る女性の会)
 2.全国のサクラの状況・数字 司会 柳田 真(サクラ調査ネットワーク)
    奥田智子(     〃    )
 3.柏崎刈羽原発の事故時の放射能 槌田 敦(元理化学研究所、元名城大学教授)
 4.米国スリーマイル島原発事故での植物の異常 菅井益郎(國學院大教授、市民エネルギー研究所)
  ※資料を用意します(サクラパンフ5集)カラー含む40頁の小冊子。

            趣 旨

1.私たちは「サクラと環境汚染・放射能汚染」を調べ発表している市民団体です。相談役は市川定夫(埼玉大名誉教授、遺伝学、ムラサキツユクサ研究)、事務所はたんぽぽ舎(環境市民 団体)内にあります。

2.5年間、全国各地で「サクラと環境、原発」を調査してきましたところ、今年、新潟柏崎刈羽原発周辺で「サクラの大異常」が発見されました。サクラの正常形は花ビラ5枚、ガク5枚ですが、そうでないものが多数みつかったのです。
それは、花ビラの変形、重なり、矮小化、花ビラ4枚や6枚、ガクの異常などなど・・・。変形の数量は、昨年は5本の木、4609花を調べて異常は143、異常花率は3.1%でしたが、今年は4本の木、4000花を調べて、異常は912、異常花率は22.8%とグーンとはね上がりました。全国平均は2.89%です。

3.5年間、全国を調べて、今年、新潟柏崎刈羽のみが異常に高い異変サクラを検出した原因は何でしょうか。サクラの芽が育つといわれている昨年の6月〜8月頃のできごととしては、新潟県中越沖地震と柏崎刈羽原発の重大事故(火災、放射能放出)があります。東京電力の発表でも通常時を上まわる、かなり大量の放射能(ヨウ素など)を出しました。サクラの大異変と原発事故との関連を考えざるをえません。

4.記者会見では、柏崎刈羽から、調査された方が写真をもって上京され、発言されます。私どもサクラ調査ネットワークが、全国の数字と市民調査の意義を述べ、2人の学者が柏崎刈羽原発の放射能の放出と米国スリーマイル原発事故の時の植物の異常発生(写真あり)を述べます。

5.詳細は記者会見でご説明します。そのさい、写真、地図、資料集を用意します。

6.日本を代表するサクラの大異常と地震で傷ついた原発の放射能との関連、という重大な発表になると思います。 ぜひとも取材していただけるよう、お願いいたします。

主催:「サクラ調査ネットワーク」 連絡先:たんぽぽ舎

03/08/2008(日) 01:07:14


No.4183 ちぃ  
父の手術が無事に終わりました! 引用
こんにちは。父のこと応援して頂きありがとうございます。
父は昨日、無事に手術を終え元気にしています!
ご心配をお掛けしました。応援して頂き本当にありがとうございます!!
手術は6時間の予定が9時間も掛かったので心配していたのですが、とてもとても嬉しい結果になりました!
癌の状態が思っていたよりも良かったらしく、一番気になっていた摘出部位が予定よりも少なくすみ、膵臓の一部・胆管・胆嚢・十二指腸・周辺リンパ節の摘出のみで、肝臓と胃は摘出せずにすみました!!
ただ、癌細胞が太い血管に絡んでおり、それを摘出し血管を繋ぎ直すのに時間を要したようです。
ですが術中の出血も少なく、用意していた輸血もする必要がなく手術は順調だったそうです。
何より、前の病院では「太い血管に癌細胞が絡んでいたら手術は出来ない。開腹しても閉じるだけになる」と言われていたので、今回手術して頂けて本当に良かったです!!
先生からも「摘出部位が思っていたより少なくすみ、最高の結果になりました。」とお話がありました。
麻酔が覚めた父の第一声は「生きてる・生きてる」で、その後、みんなに「ありがとう」を連呼していました。
昨日は少ししか会えなかったのでたくさん話は出来ませんでしたが、今日、朝の面会時間に行くと・・・
「生きれることがとても嬉しい。」
「麻酔から覚めた時にみんなの顔を見て家族が居てくれる喜びと幸せを実感した。」
「これからは仕事も無理をしない。家族と楽しい時間や嬉しい時間をたくさん過ごしたい。」
と手を握りながら「ありがとう」を連呼してくれていました。
そして、「こんなに摘出部位が少なくすんだのはヌマさんや皆さんのエネルギーのおかげ。○○先生(富田さんのお兄さん)まで紹介して下さって・・・ヌマは命の恩人だ!本当に感謝しているとヌマや皆さんに伝えてほしい」と。
一時期、自分自身の不安や憤りなどを全く関係の無い誰かのせいにしては怒りとして爆発させており、その際はヌマにまで怒りの矛先を向けてしまったことがあるのです。
エネルギーの存在を否定し、ヌマと絶縁しろ!一生ヒーリングなんてするな!と。
それでもヌマは変わらず父を信じ、父の治癒のためずっとお力を貸して下さいました。
感情を大爆発させる父と向き合い四苦八苦している私をずっと支え励まし続けて下さいました。
ヌマや皆さんの支えや励ましがなければ私もここまで頑張れなかったし、このような父の嬉しい結果は得られませんでした。
ヌマ、色々と本当にすみません。そして本当にありがとうございます!!皆さん、本当にありがとう!!
そして、冨田さん、冨田さんのお兄さん、本当にありがとうございました!!
冨田さんのお兄さんが父の主治医とお話して下さったおかげで、先生方が父が繊細な人であることをご理解下さり、父が安心出来るようサポートして下さっています。
お力を貸して下さった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
父は今日から早速、歩行訓練が始まります。
ここからセカンドステージです。父の治癒や皆の幸せに向けて頑張っていきます。
本当に本当にありがとうございました!!

29/07/2008(火) 14:54:30


No.4187  とび&けり
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちいさん

よかった!よかった!!よかったですね!!!

>「これからは仕事も無理をしない。家族と楽しい時間や嬉しい時間をたくさん過ごしたい。」

いい言葉ですね。(グスン)

セカンドステージはこの言葉でスタートですね。

(とびけり父も治癒に向け頑張っております。)

29/07/2008(火) 20:00:58

No.4189  さき ホームページ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちいさん、手術が無事終わってよかったよ!
ちいさんのお父さんを思う愛情が「最高の結果」につながったのだと思います。

ここから治癒へ、健やかな愛情の交流へ、向かっていこうね!

29/07/2008(火) 20:51:34

No.4190  えみこ ホームページ E-mail
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、にぃくんよかった!よかった!

どんな時も決して手放さなかった愛情が実を結んだんですね。

嬉しいです。

大きな喜びの中で、治癒へ向かいますように!

29/07/2008(火) 21:12:33

No.4191  tomoako
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
よかったぁ〜安心しました!

ドネの日記では 明日手術ですか?なんて書いてしまい・・・

今日だったのですね☆

ヌマさん、さきさん、そして 悠々塾につながる 皆様の エネルギーに

驚きと 感謝の気持ちでいっぱいです☆(夫も 元気で頑張っています♪)

29/07/2008(火) 21:34:13

No.4195  キン
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、お父さんの手術が無事終ってよかった!
ほんとよかった!
家が近いだけに、行こうかどうしようか迷ってました。
これからのセカンドステージとちぃさんのお父さんの完全治癒に向けて
私も祈りたいと思います!
応援してます!

29/07/2008(火) 23:10:53

No.4196  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
☆ちぃさん

昨日は長時間、病院で待機して疲れたでしょう。
にぃくんも、仕事で疲れているのに、朝から夕方まで、手術が終わるのをずっと病院で待っていたのですね。

とにかく無事に終わってよかったです。
本当は手術までに治してしまいたかったのですが、途中から予想外の展開になってしまって、それどころではなくなっていました。
当初の医師の予想よりもはるかに良い状態を維持できたとのことで、ホッとしています。

ちぃさんやにぃくんの頑張りで、お父さんも手術までに大きく前進することができて本当によかったです。
ちぃさんは本当に大変でしたが、この間に大きく成長したのは間違いありません。
苦しいなかで、本当によく頑張りましたね。
見方を変えれば、お父さんからの最大のプレゼントであったと言えるでしょう。
それくらい、ちぃさんは成長しましたよ。

お父さんの混乱は、死への恐怖からのものだったのでしょう。
出掛けた先で急に症状が出て、一人で駆け込んだ病院でCT検査を受けて、いきなり「余命2ヶ月」と何度も宣告されたのですから無理もありません。

「地上的な死は少なくとも本人にとっては解放であり、人は地上を離れてからもその心を進化向上させながら生き続ける。本来の霊界は地上とは比べ物にならない、美しく幸せな世界なのだ」ということを、全ての人が当たり前に受け入れていれば、病も激減するでしょうし、回復も早まるでしょう。
それを地上の人たちが受け入れることのできる実感と説得力を持って、さらに伝え続けていく必要性を痛感しました。

死後の生への確信があればこそ心を揺るがさず、自分として地上の今を生きることを喜べるのかもしれません。

私自身はお父さんから直接何か言われたわけでもありませんし、全く気にしていませんよ。
それよりも、ちぃさんはさまざまな感情の捌け口にされて、本当に辛かったと思います。
それでも、ひたすらにお父さんのことを思い続け、その一方ではお父さんの気づきを促すために毅然たる対応をとった、ちぃさんの愛情が伝わったんですね。
本当に、(手術に)間に合ってよかった。

完治に向けて、頑張りましょう!

29/07/2008(火) 23:24:33

No.4199  あきら&ひとみ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、にぃさん無事手術が終わってよかったです。
お父さんが麻酔から醒めてからの言葉は嬉しいですね。
手術の数日前のミラクルがあってのこの展開には、心から喜びを感じます。
手術も最高の結果だったようで、本当によかったです。
      あきら

ちぃさん、そしてにぃくんお疲れ様でした。
もう、お父さんの手術時間は私も、時計を見ながら祈ってました。
ちぃさんから、無事に終わり手術も摘出部位も少なくてすみ、最高の結果だと報告があり、私もあきらもよかった〜と嬉しい気持ちでいっぱいでした。
お父さんの言葉も自分に言われたみたいで、嬉しくなっちゃいました。
ちぃさん、ほんとによく頑張ったね。
そのちぃさんの頑張りは、私達みんなにたくさんの事を教えてくれました。
ありがとう〜。
さぁ、お父さんが回復に向かうためにみんなでもうひと頑張りするぞ〜!!
あっ、でもちぃさんもしっかり休んでからね!

                  ひとみ

30/07/2008(水) 00:26:17

No.4201  永田椿
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、にぃさん、お疲れ様でした。

お父さまの手術が、摘出部位が少なく無事に終わって良かったです。

また信頼できる医師が担当であるのは、
お父さま自身にも、ちぃさんたちご家族にも心強いことだと思います。

お父さまの「生きてる生きてる」ということばは、
いろいろな思いの混ざった心の底からのうれしさが伝わってくるようです。

お父さまが一日も早く快復しますように。

30/07/2008(水) 02:17:55

No.4203  ミュー ホームページ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、にぃさん、お疲れ様でした。
お父さんの手術が最高の結果になって、本当に良かったね!!!
ちぃさんの揺るがぬ愛情が、お父さんの喜びへと繋がったのだと思います。
お父さんの言葉には、私までうれし泣きです。。。
ここまで、ちぃさんが葛藤しながらも愛情を膨らませがんばる姿には、本当に多くを教わっています。
お父さんの治癒に向かって、これからも一緒に進もうね。
ちぃさん、嬉しくない気持ちで苦しい時には、どうか無理せずに吐き出していってね。
みんながついているからね!!

30/07/2008(水) 12:05:38

No.4206  和也&久美
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ちぃさん、嬉しくて嬉しくて、涙ボロボロです。
「うぉーーーっ、良かったーー!!」って叫びたい心境です。
ちぃさん、本当によく頑張ってきましたもんね。
ちぃさんから私たちもたくさんの事を教えてもらいました。
ちぃさんとにぃさんの大きくて深い愛情が今回の大きな喜びに繋がったんですね。

私たちも、手術後にはお父さんの喜びの言葉を絶対に聞きたいと思っていました。
ただ、「生きてる・生きてる。ありがとう。」という私たちの想像を越えた喜びを爆発させた表現で、思わず微笑ましい気持ちになりました。
それと同時に、それだけお父さんは本当に辛く不安な思いをずっと溜め込んでおられたんだなぁと、改めて本当によかった!!と思いました。

セカンドステージも応援しています!!

30/07/2008(水) 21:07:39

No.4207  ツインズ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
ホントにホントによかったです。
ちぃさん、大切なことをたくさん教えてくれてありがとう!!
セカンドステージ!私も応援してます!!

30/07/2008(水) 23:11:13

No.4213  ちぃ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
こんばんは。お返事が遅くなりすみません。
皆さんありがとうございます^^
手術が無事に終わり、本当に嬉しかったです!
何より、これまで見たことのないような幸せそうな笑顔を父が見せてくれたのがとても嬉しくて^^
今は痛みが強くイライラモードで笑顔は時折ではありますが、またあの最高の笑顔を見れるように父や母と一緒に頑張っています。
順調にいけば3週間から1か月で退院のようです。
今は膵臓から膵液が漏れており炎症が起きているらしく(父のように膵臓が元気な場合起きやすいそうです)、腸の腫れもあって痛みが強い状態ですが、毎日歩行訓練も頑張っています。
今が一番辛くしんどい時だと思います。
父の傍でこうして支えられることがとても嬉しいです。
これからも頑張ります!!
個別にお返事できず取り急ぎですみません。
いつも本当にありがとうございます。

02/08/2008(土) 22:01:30

No.4215  あきこ
Re: 父の手術が無事に終わりました! 引用
手術、無事終わられて本当に良かったです!!
お父様のお身体が早く良くなられますように☆彡
お祈りしています。

03/08/2008(日) 00:36:56


No.4209 Beagle  
遠隔ヒーリング 引用
飯沼さんへ

こんばんは。
昨日、メールにて家族のことについて遠隔ヒーリングのお願いを致しました。

いつものアドレスからではなく、携帯電話のメールからお送りしたのですが、届いておりましたでしょうか。

なにせ、こちらは入院中の身でなかなかきちんと連絡を致すことができませんで、恐縮ですが、携帯による掲示板の書き込みにて、確認させていただければと思った次第です。

ヒーリングをお願いできますでしょうか?

メールが届いていないようでしたら、また改めます。

31/07/2008(木) 19:59:40


No.4210  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 遠隔ヒーリング 引用
☆Beagleさん

こんばんは。
メールの返信が遅くなったうえに、先ほどは電話に出られず、ごめんなさい。
ご依頼の遠隔ヒーリング、今日から始めています。
形態でもメールは届きますので、何かあればいつでもお知らせください。

31/07/2008(木) 20:50:42


No.4185 鉄ママ  
てんさい 引用
先日(定例会の翌日)はチビ鉄のヒーリングをありがとうございました。
最近のチビ鉄はちょっとしたことでわーわー、きーきー、泣き叫び暴言を吐き、ずれを正そうとする私や主人の言葉にいっさい耳を傾けようとしませんでした。
私はそんなチビ鉄が許せずに(主人が言うには)同じレベルでケンカになってしまいヘトヘトでした。
「お前がそんなだから」「こんなふうだから」「だから、だから」
私とチビ鉄のバトルは凄まじく虐待をうけているかのように近所中に響きわたっていたと思います。

鉄が7歳の時にチビ鉄がやってきました。
私は「この子は鉄のようにやんちゃじゃないように」と願ったそうです。
その声をチビ鉄はお腹の中で聞いていました。
「僕は僕であってはいけないのか?」

チビ鉄は軽度の難聴があります。普通学級で生活するには厳しい状況でもあります。
普通を強く願う私は、ある意味普通ではない鉄やチビ鉄に対して普通であることを求めてしまうようです。
飯沼さんには以前から「子供たちに対する枠を外すように、世間のものさしではからないように」「枠が外れた時、子供たちの力が発揮する。天才を育てるつもりでね。」と言われていました。
でも、鉄はさて置きチビ鉄には「鉄とは違う、鉄とは違う。」
と思ってきたことに今回気がつきました。
「だから、普通に・・・」と。
ヒーリング中でも言いましたがチビ鉄が鉄のようなら、多分対応できていたと思います。
これが、違ったパターンで与えられ枠外しが求められました。
飯沼さん、さきさんに「だから、鉄パパ、鉄ママなんよ」とこれもまた何度も言われてきましたが、私は自信がない・・・。と小さな声で「はい」と頷くしかありませんでした。

途中堀江さんからのメッセージを飯沼さんが伝えてくれました。
「必ず大きな喜びをこの二人がもたらしてくれる」
大きな輝きと力を持つ我が子、それは喜びであるはずなのですが「何で私なんだって」という不安からか何なのか・・・号泣してしまいました。すみませんでした。

チビ鉄に憑依がありました。
「どうせ俺はバカだ。」といった気持ちに共鳴したようです。
さきさんを通してシクシクと泣いている姿を見て「こんな思いにさせてはいけない!」と思いました。

飯沼さんが何度も何度も「チビ鉄を信じよう!」と言ってくれました。
信じます。
チビ鉄がチビ鉄であることを喜んであげたい。
‘天才‘という言葉に抵抗がものすごくあったのですが、腹を決めて‘天才‘を育てます。

一昨日、昨日とチビ鉄はとても穏やかで訳のわからないことで泣き叫ぶことはありません。
飯沼さん、さきさん、堀江さん、ヒーリングありがとうございました。

29/07/2008(火) 18:36:14


No.4186  カピバット
Re: てんさい 引用
鉄ママさん、

こんばんは。先週の土曜日にチビ鉄君からもらった絵、本当に嬉しかったです。チビ鉄君が僕の方を笑いながら見ていたので、「何だろう?」と思っていました。そうしたら、部屋に入ってきたチビ鉄君が僕を見るなり、1枚の折りたたんであった用紙をくれました。

「何が描いて(あるいは書いて)あるんだろう」と思い、紙を広げたら「森の中の温泉に浸かっている僕とカピバラ」の絵を渡してくれました。わざわざ、僕の為に描いてくれたチビ鉄君の絵、すでにアパートの壁に貼っています。

先週の土曜日、ヒーリング前日にチビ鉄君は僕に大きな喜びをもたらしてくれました。僕にとって、今までもチビ鉄君の存在は「楽しい、幸せ」な存在でしたが、その思いがさらに強くなりました。

絵をもらった時、嬉しすぎてチビ鉄君には「絵を描いてくれてありがとう」としか言えませんでしたが、次にチビ鉄君に会った時には「僕の嬉しかった気持ち、感激した気持ち」を伝えたいと思います。

鉄ママさん、鉄君、チビ鉄君と接する事が出来る自分はとても幸せ者です。これからも宜しくお願いします。

29/07/2008(火) 18:58:24

No.4188  さき ホームページ
Re: てんさい 引用
鉄ママさん

定例会、ヒーリングお疲れ様でした。

「自分にはなんで“普通”があたえられないのだろう」
鉄ママの心がそのまま伝わってくるようで心が痛かったです。
娘がたくさんの“障害”を抱えていることを知って、少しでも“普通に”近づけてあげなくちゃと必死になった私がいます。
微々たる経験だけど、その時の気持ちと重なりました。

こんな高いハードル鉄ママにしか越えられない、鉄ママ鉄パパだからこそ与えられたんだと、思ったよ。
鉄ママさん、応援するからね!!
ひとりで抱えきれない時は言ってよね。(鉄パパがいてくれるけどね)

チビ鉄くんの「どうせ俺は。。」って思いは痛々しかった。
そこがママに受け入れられてるって安心できたら、絶対変わると思いました。
克子さんが伝えてくれた“大きな喜び”は思ったより近いのかもですよ!

29/07/2008(火) 20:41:34

No.4192  鉄ママ
Re: てんさい 引用
カピさん
ありがとう、カピさん。カピさんの優しさがとてもうれしいです。
そんなカピさんだからチビ鉄をはじめたくさんの子供たちから慕われるのだと思います。子供は正直ですから。
定例会でも「カピパラさんがいない。来る?」とカピさんが来るまで私に聞いてきました。
‘森の温泉にカピパラと一緒に入っているカピさん‘の絵。
かわいかったですよね。
チビ鉄の「カピさん大好き」って気持ちが伝わってきました。
チビ鉄も鉄も私も会ったことはないですが、私が事細かにカピさんのことを伝えているのでカピさんのことよく知っている鉄パパも
カピさんに出会えたことに感謝です。

さきさん
ヒーリングありがとうございました。
そうですね。「なんで、普通があたえられないのか」って感じです。
もうずーっとずっと。
でも、我が家に普通な人が一人いるんです。鉄パパが(笑)
だから、大丈夫です。
いつもありがとうございます。
チビ鉄に対して「この子普通じゃないんだ」と思えたら気持ちが逆に軽くなったような感じです。
もがいていたんですねー。
ありのままを受け入れていきたいと思います。

29/07/2008(火) 21:34:44

No.4193  飯沼 ホームページ E-mail
Re: てんさい 引用
☆鉄ママさん

先日は定例会と翌日のヒーリング・カウンセリング、お疲れさまでした。

チビ鉄と鉄ママのやり取りは、母子というよりも兄弟喧嘩という感じでした(笑)
鉄とは傾向は違っているのでしょうが、チビ鉄も大きな輝きと可能性を秘めているのは間違いありません。
能力的な分野ではこれから発揮していくのでしょうね。
でも、それ以前にあの子の心そのものが大きな輝きだと思います。
鉄もそうですが、チビ鉄も心のちからが大きく強いので、抑えつけられると摩擦や反発ばかりが目立ってしまうのでしょう。
健やかに伸ばしてもらえる環境の中でこそ、彼らのちからは発揮されるのですし、新しい時代の人としての規範を彼らは身につけているのだと思うのです。
健やかさは、自由や喜びと切り離せないものだと私は感じています。

鉄はとっても感覚的で、チビ鉄はとても論理的な傾向が強いように思います。
鉄の時にも何度も言いましたが、天才を育てるつもりでいてくださいね。
鉄ママと鉄パパになら、きっとできると思っています。
鉄ファミリーの素晴らしさを見てきた者として、そう確信することができるのです。
ちっちゃなことにはこだわらずに泰然と構えて、自分として在ることへの自信をつけさせてやってくださいね。
必ず、見違えるように変化していくはずです。

29/07/2008(火) 22:51:56

No.4194  キン
Re: てんさい 引用
鉄ママへ

鉄ママ、鉄君、T君、定例会と、その次の日ありがとう。
めっちゃ楽しかったね! また、あのサティに行こうね!

T君がくれた絵、額にはいれてないけどさっそく部屋に飾りました。
(当たり前、額にいれて横浜に持っていきます。)
みんなとの話しの場が終った頃に、すごいタイミングでT君が持ってきてくれて、
絵の中の椿と私は青空のもとで仲良く手を繋いで、
めっちゃ笑顔で。絵を見ていると自然と笑顔が出ます。

なんか『幸せな家族を築いていってね』言われてるようで、
今、その絵をみてると泣けてきそうです。

ドアの二つある家も途中で付け加えてくれてくれましたたしね!
ありがとう!

鉄ママは、今まで家族の事や周りの人、T君に関わるお子さんやご両親のことなど
色んなことがあって、頑張って頑張って、止まらない歯車のような人生だなと
私は思ってて、それでも葛藤しながらも、思うこと願うことをはっきりといって、正々堂々と向き合っていく、鉄ママを尊敬してます、それに
定例会で、見るたびに綺麗になっていく鉄ママを感じます。

そんな鉄ママや、深い絆を培って来た鉄パパに育てられたT君も小学生なのに、
男らしく私を優しい心で接してくれたり、素晴らしい絵を描いてくれたり、
作ってくれたりで、恥ずかしがったり、怒ったり、私はT君をめっちゃ可愛いし男前と思いながらも心に秘める男らしさというか、強さをまだまだいっぱい秘めてると思います。
私も信じてます。

鉄パパ、鉄ママ、鉄君、T君に出会えた私は幸せです。
いつもありがとう!
鉄ママファミリーを応援します!

29/07/2008(火) 23:02:25

No.4198  あきら
Re: てんさい 引用
鉄ママ、こんばんは。
定例会お疲れ様でした。
久しぶりに鉄ママを見て、かっこよくなったなぁと思いましたよ。
女性にかっこよくなったは失礼ですが、磨かれた強さのようなものを感じました。
鉄、チビ鉄に会えたのも嬉しかったです。
鉄パパ、鉄ママをこれからも応援しています。

29/07/2008(火) 23:52:35

No.4202  永田椿
Re: てんさい 引用
鉄ママ、ぼくもチビ鉄は天才に育つと思います。

定例会のときにぼくたちにくれた絵、そしてあのタイミング、普通の感覚ではなかなかああはできませんよ。

天才というとなにか偉大な鋭い人物像をイメージしてしまいますが、チビ鉄は繊細で寛大な暖かな天才になるだろうと思っています。

それからね、何度か金太郎と話したんですけど、
ぼくたちはチビ鉄の耳が悪いと感じたことはないんです。

それで、もしかしたらチビ鉄の耳は機能的には正常で、
相手やチビ鉄自身の心の状態で、意識的・無意識的に聞こえにくくなったりしてるんじゃないかって思っています。

チビ鉄にだんだんと自信がついて、奥底で眠る天才が動き出したら、自然と難聴もなくなるんじゃないかと期待しています。

ぼくも鉄ママファミリーを応援してます!
また今度ぼくたちと遊んでくださいね。

30/07/2008(水) 02:38:14

No.4204  ミュー ホームページ
Re: てんさい 引用
鉄ママ、ヒーリングを受けて良かったね!!
鉄ママの「普通に」と思う気持ち、とても分かる気がします。
私も親になって子育てをしてゆく中で、いつの間にか我が子に“普通に”と枠をはめようとしていた時期があり、幼い頃から多くの子とは違う言動をする娘に、「頼むから普通に過ごして!」と、随分圧迫をかけていた時期がありました。
私の場合は、その元にある自分の中の自信の無さや“普通”への歪んだコンプレックスもありました。
人からの娘への指摘や問題は、自分への否定だと思い込み、健やかに向かうことが出来ずに、その姿はそのまま娘へと反映していました。
そこに気付かせてもらってから、子育てのやり直しをするチャンスをいただいたつもりで、トライしてみました。
それでも、私の(強烈な)思い癖やキャパの狭さが出そうになる時には、娘が伸び伸びとありのままの自分として生きてゆく嬉しい姿を想像しながら、振り返り点検しています。
だから鉄ファミリーの温かさには、私自身たくさん教わりました。
鉄ママの愛情深さも知っています。
鉄パパの大きな視点からの愛情も感じます。
おふたりだからこそ、天才は育つのだと確信しています。
どうか自信を持って、鉄とチビ鉄の成長を大きく喜んでね。
私も鉄とチビ鉄が逞しく育つのを、とてもとても!楽しみにしているひとりです。
子供達が成長して、お互いにおばあさん!?(笑)になった時、いっぱい悩んで辛い時もあったけど、がんばってきたよね〜!と、泣き笑いする日を楽しみにしようね!!

30/07/2008(水) 12:59:37

No.4205  飯沼 ホームページ E-mail
Re: てんさい 引用
>子供達が成長して、お互いにおばあさん!?(笑)になった時、いっぱい悩んで辛い時もあったけど、がんばってきたよね〜!と、泣き笑いする日を楽しみにしようね!!

そうですね。
きっと、遠からずおばあさんになるでしょう(じゃなくて喜び合う日が来るでしょうという意味ですよ・笑)

30/07/2008(水) 14:44:06

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