克からのメッセージや私からのメールをコピーして、いきさつの説明に替えます。 。。。。。。。。。。
ひろ&ミューさんへ
こんにちは、克子です。 今回のことについて、私から少しお伝えしておきますね。
まず、この人(飯沼)が腹を立ててしまったことについては、私からもお詫びしなくてはなりません。 この人の気持ちも分かるのですが、導き手としてはやはりもっと冷静に対処するべきでした。 ただ、この人は自分のことについては何を言われてもさほど気にしないでなすべきことをしていけるのですが、立場的に弱い者がその尊厳を傷つけられた時には、お腹の底から憤りがわきあがってくるのです。 私から伝えて、この人に書かせるのもどうかとは思いますが、それはこの人が人間としての本当の優しさを備えているからでもあります。 ミューさんの日記に書かれている男性が、文字通り「影」の存在のように扱われて、そう仕立て上げられていくことに、この人は我慢ならなかったのです。 もちろん、その男性の粗暴な言動には不快感を持ったのですが、それでも彼があのようにまで言われることに黙っていられなかったのです。 それがこの人の正義感に基づいた優しさであると共に、そこには過去世の自分の扱われ方と重なるものを無意識に感じ取って、憤りが増幅したのでした。
2度目の人生で、この人は*の危機を救い、大きな貢献を成したにもかかわらず、その天才性と人柄を妬まれて、「謀反人・**」の汚名を着せられ、追放され********************。 そういう立場に追い込まれる人を見たときに、この人の中ではその人生での自分と重なって、理不尽さや残酷さへの憤りが増幅してしまうのです。 これはもちろんこの人が越えていくべき課題ですが、霊界側はこの人の進歩を評価しています。
もうひとつ、この人が今回腹を立ててしまった理由は、「こんな分かりやすい話がミューさんに判らないはずがない。分かりたくないからこういう態度を取っているだけだ」という腹立たしさでした。 ミューさんの状態をこちらからみていたら、確かにそういう部分が大きかったのも事実ですね。 子育てにおいても、そこで子供に迎合してしまえば、その子はそれで通ると思い、それが重なれば条件反射的に同じことを繰り返します。 そこでは親は全力でその子に、「それは通らない」ことを躾けねばならないのです。 そういう場面で、誰か(たとえば祖母や祖父)が、その子を可愛がるあまり、その子の味方をすれば、大事なしつけの機会が台無しになってしまいます。(大きな目で見れば、そういうときにその子の味方をする人の存在も必要ではあるのですが、どの方向性の中で味方をするかが大切です)
もう一度あの日記をじっくり読み返していただければ誰にでも分かるはずですが、この人の最初のコメントは何ら憤りを含んではいませんでした。 その次の短いコメントによって、席を替わってくれた男性のことに触れ、そこでミューさんに自ら気づく道を示しました。 ゆっくり書く時間がなかったのも事実ですが、そこではミューさんの自主的な気づきを書き込む機会をあえて作ったとも言えるのです。 そこで、ミューさんが昨夜書いたようなコメントを投稿していれば、それでよかったのですし、何のわだかまりも残ることはなかったはずなのです。
ご存知のように、悠々塾は今、新たに実地の働きを強く大きくしていく時期を迎えています。 そこでは、悠々塾につながるそれぞれが、「実際にどうしていくのか」が重要になってくるのです。 そのラインで、それぞれが、今回のことについて、もう一度自分を振り返っていただきたいと思います。
ミューさんはもちろん、ひろさんは自分の全存在をかけるぐらいの意志をもって、彼女を導かねばなりません。 ミューさんも、この時期に強い意志と意欲を持って、自らの癖を直していってくださいね。 脅すわけではなく、純粋な意味での警告をしておきますが、今、ふたりが本気になって変えていこうとしなければ、ひろさんは本当に自分の全存在をかけて(失うことで)彼女に気づきの機会を提供することにもなりかねません。 なぜなら、「彼女を強く導くこと」は、ひろさんの魂の意志であるからです。 最終的にはそれが最優先されるのです。
私からの通信に反発するのも自由です。 しかし、あなた方は厳然たる摂理の中でしか生きてはいけないのです。 たとえ悠々塾を離れても、あなた方が摂理から離れることはありえません。 摂理に沿っていけば幸せに、摂理に反していればそれに見合う試練がもたらされ続けます。 お二人に申し上げておきますが、霊界側は悠々塾のことを「頭数を揃える」という目的で導いてきたのではありません。 あくまでも、地上界浄化の牽引役という位置づけです。 もちろん、そこに心と言動が共鳴する人々が増えていけば、悠々塾に集う人間の数も増えていくでしょう。 しかしながら、心が共鳴できなくなった者たちが、(一旦は)そこから離れていくことを否定的に捉えるのは間違いです。 そのことについては、すでに私が地上にいるときにも伝えられ、霊界の私からも(「愛は時空を超えて」で)はっきりとお伝えしています。
今回の件をこの人(飯沼)の至らなさのせいにするのも自由ですが、霊界側ではこの人はこの人に与えられた役割を果たしていると認識しています。 この人にも反省点はあるかもしれませんが、それは人間は完璧ではありえないというところにおいてのものであり、今回のことの問題点のほとんどはあなた方にあるとお伝えしておきます。 ミューさんはこれまでの自分の言動を振り返り、神の前、私の前で恥ずかしくないのかどうか、向き合ってくださいね。 面従腹背や二面性という要素は、地上にいる間に薄くしておくべき基本的な課題です。 霊界では、心に抱いたものが全て表に表れるのですから、あなた方もこの地上でそれで恥ずかしくない生き方を目指すのです。
長々とお伝えしましたが、ミューさんはこの間、この人や仲間たちの足を引っ張ってきたことを十分に認識し、これからも悠々塾の仲間としての働きを担っていく気持ちになれたときには、何らかの形での埋め合わせすることをお勧めします。 本来ならば先頭に立って皆を引っ張らねばならない立場のミューさんが、この大事な時期に悠々塾のエネルギーを削いだことの痛みを感じてくださいね。
それでは、できるならば皆さんがこの先もずっと悠々塾の仲間として、人も社会も癒すヒーラーとして活躍し、この人のよき友人としていてあげてほしいと、私は心から願っています。 なお、このメッセージの受信をこの人は嫌がったのですが、こちらからの強力な働きかけで受信してもらいました。 (6月14日) 。。。。。。。。。。。。。。。
☆昨日、あきらさんから言われてメール上で公開した、2年前の克からミューさんへの伝言 ↓ 今、他の人へのメッセージを受けていたら、ミューさんが「悠々塾」と離れたところに住んでいることの意味が伝えられました。 仕事中なので、要約して書きますね。
『離れていれば、悠々塾の活動の全てに参加することは無理があります。 そこで、ミューさんが「自分」への囚われを外して、悠々塾の活動の広がり(つまり地上界浄化の働きの進展です)を素直に喜び、そこで癒されたり満たされる人たちのことを素直に喜んでいけるかどうか、です。
自分の存在を否定された、自分の存在を不必要なもののように扱われた、それが事実かどうかは別にして自分ではそう思い込んできた人にとっては、「自分を外されること」「自分が直接関わらない中で何かが行われること」はとても大きな不快感となる場合があります。 自分が中心部分に位置していなければ面白くないのです。 そこで今までの熱意が薄れてしまうのです。 「オール オワ ナッシング」的な反応を示す場合も少なくありません。(**さんの場合がそうでした) しかし、自分ではそれを意識できない場合が多いものです。
ミューさんは自分の心にそういう部分があるかないかを真摯に点検してみてください。
いくら考えても「ない」のであれば、それで構いません。 いずれにしても、ミューさんが今までよりも一回り大きな自我を表現していく時期であるのだと受け止めてください。
そのうえで、自分に授けられた能力・力を人々のために、地上界の浄化のために役立てていきたいと、改めて意志してほしいのです』 。。。。。。。。。。。。。。。
☆昨日、ミューさん(埼玉組の人たち)・さきさんに送った僕からのメールを順番に3通コピーしておきます。 ☆ミューさん 了解しました。 僕はある時期から、「ミューさんは掲示板や僕の前では僕のことを持ち上げてくれてるけど、それは嘘っぱちではないのかもしれないけど、ミューさんには別の思いもあって、僕のいないところではそっちの話をしているのだろう」と感じてきました。面従腹背・二面性というものを感じていました。 誤解しないでください。僕は自分に服従することを求める人間ではありません。唯々諾々とした様子を見せられるよりも、多少反抗的だったり、できれば対等に議論してくれる人間が付き合ってて面白いのです。価値観が掛け離れているのは辛いけど、方向性が同じようならば、考え方や思い方や感覚や表現は違っていても当たり前だと思っています。ただ、裏と表を使い分けてる人とはどう関わればいいのか分かりません。 なので、ミューさんのそういうところは引っ掛かりがありました。 定例会前の掲示板の件は、ミューさんに「信じる」ということについて、自分を点検してほしいという思いから書きました。あからさまに書くわけにもいかず、あからさまに書けばミューさんを攻撃しているかのように受け取られるだろうことも分かっていました。それでああいう表現になってしまったのです。 ミューさんに「人を信じきれないという前に、自分は人に信じてもらえるような言動をしているのか?」「ミューさんにとっての信じられる人間とは、自分の思い通りになってくれることが条件になっているのではないか」等のことについて、しっかりと自分のかげりの部分を見て欲しかったのです。 それが、仲間の肉親の癌という状況のなかで、克が伝えてきた「かげりに向き合い、かげりを光に」ということだと思ったからです。今度こそ、その作業をしてほしいと思うのです。 追い詰められて謝罪し、迷惑をかけてきた分の埋め合わせをして、それで終わりにはならないでしょう。次はミューさんにとって、さらに受け入れにくい計らいがもたらされるでしょう。その時こそ、今回の気づきと学びを総動員してクリアしてほしいです。 。。。。。。。。
☆ミューさん 「人間として最低です」という言葉以外は全部受け入れます。 一昨日も言ったけど、今はミューさんが大きな課題を越えるために、あえてかげりの部分に強烈に焦点を当てているだけのことだよ。 ミューさんの輝きも、ミューさんに癒され救われた人たちが何人もいることを、僕は知っている。知った上で、さらに輝きを大きく確かなものにしていくためのの働きかけですよ。 その目的がなければこんなしんどいことはしないからね。 下手すりゃ、自分が狡猾な権威主義者みたく言われるんだから(笑) (注・「人間として最低」というのは、ミューさんが謝罪・反省のメールに自分のことをそう書いてきたものです) 。。。。。。。。。。。
こんばんは。僕からの疑問・質問はだいたい出しました。 克からのメッセージにひろさんに触れた箇所があったのに、あのままではどうなるのだろうと思ってました。目が覚めてくれてほんとによかったよ。ミューさんも気づいてくれてよかったです。 先日提案した掲示板への投稿は、できれば21日までに皆さんに読んでもらえるように書いた方がいいと思います。装わずにありのままを率直に。自分の側からの説明を多くしないで書いたらどうでしょう。 自分の側からの説明は、ともすれば自己正当化や言い訳になってしまうものです。 事実や本来というか、人として普通になすべきこと・すべきじゃなかったことを軸に据えて書いてみることですね。 どんな間違いや過ちにも、自分の側からの理由・気持ちはあるのだから、そこに軸足を置いたままでは、心からの気づきは得にくいんだよね。 自分の過ちに思い至っても、何かあればすぐに逆戻りしてしまうのです。 明後日は荷物が多いので、僕は明日の夕方に京都に行きます。 では、皆さんお疲れさまでした。 |
20/06/2008(金) 12:20:41
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