今回自分の中で、至らない部分、今まで向きあっていなかった事に沢山の気付きがありましたので 正直に投稿をさせて頂きます。
私は、自分の一番大切な人が落ち込んだり、悲しんだりした時に何も見えなくなりその理由は関係なく相手に攻撃をしてしまう癖がありました。 その人によって大切な人とは親だったり子供だったり、自分自身だったりと色々あるものだと思いますが、今回私の大切な人とは、妻の事でした。
妻が喜ぶ顔を見る事が、自分は幸せだったしそれが生きがいのように思っておりました。 妻に優しくしてくれる人には感謝をして、逆に妻を悲しませる事をした人には深い憤りを感じてしまう自分がおりました。 それが子供であろうと、親であろうと、今まで優しく愛情をかけてくれた人すら裏切ってしまうような感情に流されて気付けば、その相手を攻撃し深く傷つけてしまう事を繰り返してきました。 その結果、自分の大切な人が間違っても、それに気付く事ができませんでした。 本当の愛情とはなにか、本当に大切な人を守ると言う事はなんなのかと考えた場合、私の今までしてきた事はその大切な人を守るのではなく、逆に私の歪んだ愛情によってその成長すら止めてしまう結果となりました。 本当に愛情があるならば、間違いを間違いと指摘し正しい方向へ導かなくてはなりませんでした。
今回自分が指摘できない事を見据えて、沢山の方が自分が悪者になる事を承知で気付かせようと何度と無く言葉をかけて下さいました。 相手に間違いを指摘する事は、勇気がいる事ですし本当に相手を信じて信頼しなくては出来る事ではありません。 殺伐とした社会の中で、どれだけの人がその指摘をできるかと思うと現実的には少ないのかもしれません。 こんな事を言ったら、相手はどう思うのだろう?嫌われないだろうか、自分の前から去ってしまわないだろうか、と思ってしまいがちです。 時には優しく教える事も必要ですが、本当に相手に気付かせたいと思えばそれは厳しい指摘からでないと本当に相手に心から理解してもらう事は難しいのだと思うのです。 優しい言い方や、歪んだ愛情では結果的にその本人にとって、後にただ越えるべき課題のハードルを高くしてしまう結果となってしまいます。 当初私は、その指摘すらも自分や、自分の大切な人を攻撃しているものと勘違いしてその人に陰りを向ける事になりましたが、自分の至らない部分に気付いた時、自分は本当に心から人を信頼できていない部分が有る事に気付きました。 その時、その場面では本心から相手を思う気持ちに嘘はありませんし好きにもなります。 ただ何かあった時、最初に相手に思った気持ちが変わるようであれば、結果、それは信頼していないという事になると思うのです。 信頼している相手であれば、何があっても何を言われても変わる事はないと思うのです。
指摘をしてくださる方は、信頼しているからこそ、信じきれているからこそ、厳しい言い方で自分がどう思われようと向き合ってくれるのに、その言葉だけの「単体の意味」だけしか見る事ができず、その人の愛情すら歪めて受け取ってしまっていたのだと思います。 信じきってさえいたならば、その言葉の「単体の意味」など気にならなかったはずでした。 なぜそんな指摘をしてくれるのか、なぜそこまで手を差し伸べるのか、もっともっと大きな根幹に気付けなかった事。 指摘して頂いた人がどんな気持ちで向き合ってくれたのかを思うと、自分が恥ずかしくなりました。 今まで私は、沢山の人に迷惑をかけ傷つけてしまいましたが気付く事ができました。 気付いた時には、自分に原因があり指摘くださった方がどれだけ自分に愛情をかけてくれていたのか、という大きな愛情を感じざるを得ませんでした。 今回自分は大きな過ちと大きな気付きを同時に感じる事ができました。 人は誰しも間違う事はある、その間違った時に周囲や相手ではなく、まず自分に原因はなかったのかを常に点検して自分の気持ちに正直に向き合って行こうと思います。 それもこれも自分なのだから。
こんな私が言うのも変ですが、もしこの書き込みをみて頂いて自分もそんな経験をした、と思う人がいたとしたら、もう一度その時に、勇気を出して自分が悪者になってでも指摘してくれた方を思い出してほしいのです。 その指摘をしてくれた根幹の意味を考えれば、言葉の「単体の意味」などまったく気にならないはずですし、意地や感情などどうでも良く思えるはずです。 進む方向が一緒なら、それで良いと思えるはずです。
今回、私は沢山の仲間が苦しんでいる中、自分の事ばかりに囚われてその歩みを遅くしてしまいました。 ここに改めてお詫びをさせて頂きます。 遅らせてしまった分穴埋めをして、改めて悠々塾の仲間として学ばせて頂きたいと思います。 こんな私ですがどうぞよろしくお願いいたします。 |
20/06/2008(金) 03:47:03
|