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No.3775 さき ホームページ 
◆フィリピン訪問報告ーその7 引用
◆フィリピン訪問報告―その7
    (ドネサイトに載せた報告をこの場にも転載します。)

※フィリピン訪問の報告が終わっていませんでした。
遅くなってしまいましたが、最後の日とまとめを載せさせてもらいます。あらためて、冨田さんのクリニックを応援し支えたいとの思いをこめて。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3月28日、この日はクリニックの診療でクリニックの始まる9時前くらいにクリニックに行く予定だった。
朝ごはんを食べた後、洗面しようとしてたら、冨田さんから「お産がある」と言われた。
フィリピンに来てすぐに「もしお産があったら一緒に行く?」と聞かれて「はい」と返事した。もちろん、妊婦さんや冨田さんの迷惑にならなかったら、だけど。。
訪問者がいる時はお産が止まるらしい。確かに私たちが訪ねてからお産は止まっていたようだ。おかげで村々の巡回にも行くこともできた。が、最後にお産となった。

そのままさっさとクリニックに向かった冨田さんをあわてて追いかけ私もクリニックに向かう坂道を降りた。お産はいつくるかわからないし待ったなしだ。こうしていつも、いつ呼ばれるかわからないんだろうな。
お産の部屋には妊婦さん、ティナさん、冨田さん。
私が外で待ってたら「入っていいよ」と言われた。
竹のベットの上で寝ている妊婦さんの背中をさすった。初対面で医療職でもない私がこの場にいることが不思議でもあった。この日はかなり暑かったので蒸し暑いお産部屋の空気をうちわであおぐ。
けど初めてのお産で不安や緊張もあったみたい。なかなか赤ちゃんが降りてこないようだった。妊婦さんも落ち着かないようなので私はまた外で待機していた。

そのうち、クリニックの診療を待つ人たちが次々とやってくる。が、お産中ではどうしようもなく、みんな診療の始まるのを待っている。
しばらくして冨田さんに呼ばれてお産部屋に入った。生まれたようだ。へその緒がまいてたので赤ちゃんは自分で加減しながらゆっくり降りてきたんだと聞いてなるほどと感心する。が、感動する間もなく、、冨田さんに「この服を着せてあげて」と言われて、生まれたばかりの赤ちゃんにベビー服を着せる。私がしていいのかなとも思いながら、そんなこと言ってる場合じゃなくて、ドキドキしつつも小さな赤ちゃんに触れた。 あの時のほんとうに小さな手、小さな体。。。その感触が今も残ってる。
その後、赤ちゃんはお母さんの胸に抱かれて、冨田さんはお母さんと赤ちゃんの写真を撮った。(こうやって私たちがいつも見る冨田さんのブログの写真が撮られているんですね)
そしたらもう、あとはティナさんがいるし、特に心配もなかったようで、冨田さんはただちにお産部屋を出てクリニックの診療に入った。息つく暇もないし、感慨にふける間もない、その素早さに私はびっくり。。そっか〜、お産ってここでは本当に普通のことなんだ〜と妙に納得、実感しました。そしてあとはママと赤ちゃんに任せて、私もお産部屋を出ました。


この日は冨田さんが診察するベッドの近くで、診療を終えた患者さんみんなにヒーリングをする形になった。風邪、マラリア、皮膚病、頭痛、めまい。。。様々な症状の患者さんたちの背中をさすったり、エネルギーを通した。冨田さんが近くで通訳してくれるのでその人に必要な助言を伝えることもあった。この日はいったい何人の患者さんを診たのか私もはっきり覚えてない。まさに次々だった。

その途中、外で診療を待ってる人が冨田さんを呼んでいる。
その大きな呼び声に出て行ったら、お産部屋が慌ただしい。開けたらいつの間にかもうひとり妊婦さんが来ていてティナさんが介助して出産!!したところだった。
知らずにお産部屋に入った私はびっくり!!
あわてて冨田さんを呼んだ。お産部屋に出たり入ったりしていたら犬のミルキーも一緒に出たり入ったり。。先に生まれた赤ちゃんとママに、新たな産婦さんと赤ちゃん、家族の人、ティナさん、冨田さん、ミルキー、私。。小さなお産部屋はガヤガヤいっぱい。しかも暑い! が、そんなことは言ってられない。
今度の産婦さんは出血が多く冨田さんが点滴の処置をする。
私は出血が止まるように。妊婦さんのお腹に手を当てて祈った。
お産は普通のこと、だけど何があるかわからないのもお産だった。
緊張の時間だった。(自分の無力さを思いました。)
その後、産婦さんの様子を見ながらも、冨田さんはまた診察を再開。
クリニックの前で待っていた人たちをみんな診終わるまで、この日の診察は続きました。終わった時には正直かなりへとへとでした。
冨田さんの日常のハードさのいくばくかを、身を以て体験した一日でした。(出血していた産婦さんはその後出血も止まったよう。。やれやれよかった。)

その後、クリニックのスタッフのアテマさん、テッシーさん、ティナさんから「自分たちも見てほしい」というリクエスト。どうも「おばけがついてる」とか、そんな話がこちらの人たちの間ではよくあるみたい。どこまで本気かは別にして日本でも狐とか霊がついてるとかいうし、、どこでも似たようなとこがあるんだな〜と可笑しかったです。
そんなので笑いながら「私はついてない?」みたいなノリもあったのですが、(もちろん!ついてません!!)スタッフの3人にひとりひとりエネルギーを通しました。クリニックスタッフの皆さんそれぞれの、人間的なあたたかさや誠実さが伝わってきて、冨田さんと彼女たちの信頼、それぞれのクリニックへの思い、クリニックへの誇り。。そのなかでこのクリニックがあることをしみじみ感じました。彼女たちあってのクリニックなんだと。(素敵な仲間たちですね!冨田さん♪) 
疲れていたのですが、そこに通いあう心に触れて、こちらが癒された心あらわれるようなひとときでした。

その後、クリニックの裏にあるティナさんのお家で遅いお昼ご飯を頂き、クリニックの前で売ってる青いマンゴーに塩からみたいのをつけたおやつを食べながら冨田さんの家に戻りました。すっぱい味が疲れた体に元気をくれました。
部屋に戻って「明日は帰るのか〜」と思いながらベッドに寝転がりました。ひと息ついてから洗たくをして、近くのサリサリストアにビールを買いにいって、シャワーをして。。最後の夜となりました。 
テッシーさんの美味しい夕食を食べて、冨田さんがこっちの離れにやってきて、またまたいろんな話に花が咲きました。この夜はテッシーさんとの約束で体調を崩しているテッシーさんの娘さんの相談も受けました。
家族がお互いを思いあう気持ち、愛する人を思う気持ち。。。辛かったことや頑張ってきたことを誰かにわかってほしいと思う気持ち。。国や言葉、文化や習慣が違っていても、そういうにんげんの気持ちって同じです。すんなりいいことばかり嬉しいことばかりではいかない現実社会のなかで、色んな気持ちを抱えながらも、幸せを願う。。
フィリピンに行って、たくさんの人たちに出会い、たくさんの人たちのそんな心に触れて、、何度も胸があつくなる思いをしました。そんな人の気持ちがとんでもなく尊いものに思えました。
そのひとりひとりの願いが叶いますように。叶えられるような世の中になりますように。。。今、あらためてそう思います。

15/05/2008(木) 12:34:28


No.3777  さき ホームページ
◆フィリピン訪問報告ーその8 引用
◆フィリピン訪問記―その8 最後に

3月29日朝、いつものように朝食をすませ、離れに来た冨田さんと話します。この日は学校が休みで冨田さんの二人のお子さんも来てくれました。元気いっぱいの二人です。団らんタイムを楽しみながら、帰りの打ち合わせです。冨田さんにスービックから少し行ったオロンガポの町まで送ってもらうことになりました。そこからマニラまでの長距離バスが出ています。トライシクルとバスを乗りついで、オロンガポへ。バスチケットの買い方も教えてもらって(結局買ってもらいました)、乗るバスを確かめて、出発するまで見送ってもらいました。照れながら手を振ってくれた冨田さんの姿がかわいらしくて愛しくて抱きしめたいような気持ちになりました。私たちは帰るけど、離れるんじゃなくて、つながっているんだと感じていました。
冨田さんは私たちが出会った患者さんたち、重症の気になる患者さんたちの写真をプリントしてくれました。私たちが患者さんたちの治癒を願えるように。その写真を持って帰りました。

お金がないと病院に行けない、いのちがお金で選別されることが、そのままであっていいわけない。その現実と向き合い、自ら引き受けながら、日々患者さんたちのいのちを預かる緊張のなかで、時には手立てのない苦悩のなかで、めいっぱいの出来ることを思いそれを実行し続ける冨田さんを、私は心から尊敬します。
2007年に生まれた赤ちゃんは250人、診療した患者さんは7000人―。
それだけの人たちが冨田さんのクリニックを支えにしています。病院に行くお金がないからクリニックを頼って来るしかない。。と冨田さんは言います。それは確かにそうですが、そうしてクリニックを頼って来る人たちに冨田さんが注ぐ愛情。。それがあるからこそ、それが来る人たちに伝わっているからこそ、クリニックがこれほど信頼され頼りにされているのだと私は思います。この信頼と絆がクリニックに来る人たちの支えになっているのだと思います。

今年2008年の11月以降、クリニックの存続は不確定です。冨田さんは継続したいけれど、これまであった国際協力団体からの援助が無くなるので資金的に厳しいのです。なんとしてもこのクリニックを閉じさせてしまってはアカン!って思ってます。
クリニックを頼りにしているたくさんの人たちのために。
同時に私たち自身のために。

去年冨田さんのお話会をした時に、日本の若者がみんな途上国で一定期間を過ごす機会をつくったらいいんだ、という提案をされていました。
今回たくさんのフィリピンの人たちとその暮らしに触れてまさにそのことを思いました。
フィリピンの人たちの暮らしはシンプルです。私たちが訪ねた人たちはどの家族もみんな小さな家で暮らしていました。熱帯の気候もあるでしょうが、どの家も簡単なつくりで、外壁と屋根があって、家族が過ごす空間があって、他にあるのは竹や板でつくったベッドくらい。このベッドで家族みんなが(子どもたちがたくさんいる!)寝るんだろうなぁ、どうやって寝るのかなぁと思ってしまうような、そんな家ばかりでした。
物は極端に少ない。人は食べるものがあって、着るものがあって、寝るところがあれば生きていける。しかもそこには家族の絆や、あたりまえに助けあい、支えあう、人と人とのつながりがある。その人とのつながりが、フィリピンの人たちの生きるエネルギーやおおらかな笑顔のみなもとなのだと感じました。
フィリピンの大多数の庶民の暮らしに触れたら、やっぱり日本は豊かです。けどこの国では、人を信じられない。心を開いて人とつきあうことができない。人と人との関係が希薄になってしまって、にんげんの生きるちからが奪われていっているように思います。
強い者勝ちの仕組みが社会や人間関係にも貫徹し、むきだしの競争やいじめが日常化している。そのなかで心を縮めている者たちのなんと多いことか。CENSORED者年間3万人以上。生きることを喜べない。それがこの国の現実です。

生きることさえ困難であるような貧しさがあってはならないと思います。
お金がないために生きるために必要な医療も受けられないなら、その医療って何なのかと思います。
フィリピンにはそんな現実があふれています。
いや、フィリピンだけじゃない。そんな現実におかれているのが世界の多数者なんだと言えるでしょう。
その一方で、世界のなかではやっぱり物が豊かにあって、ほとんどの人が最低限の食べるものや着るもの寝るところに事欠かないような日本で、人の心はすさみ、生きることの希望は失われています。

幸せって何なのか。生きるって何なのか。
人間にとって本当に必要なものは何なのか。

フィリピンの人たちの生きる姿から、私たちはもういちど私たち自身の未来や生きることの希望を紡ぎだしていきたいと思うのです。
世界の現実を知ること、そして人間にとって本当に必要なものに基盤をおいた、新しい価値観と世の中を、世界中の人たちと分かち合い支え合い、心を交わし合って、手を携えあって、ともに生きていくことができるような未来を育んでいきたいと思うのです。
フィリピンの小さな診療所から、私たち自身の生きるちからをとりもどしたい。
そのちからをわかちあって、膨らましあっていきたいと、切に思います。
冨田さんとフィリピンの小さなクリニックへの感謝をこめて、報告を終わります。

15/05/2008(木) 20:31:38

No.3780  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ◆フィリピン訪問報告ーその7 引用
さきさん、ずっと咳が出て、体調が悪かったのに、フィリピン報告ありがとう。
私が補足する余地もないですね。
重箱の隅をつついて、「シャワーではなく、大きな桶に溜めた水での水浴びですね」とでもコメントしておきましょう(笑)

こういう文章が書けるようになれば、さきさんも回復だと思います。
ほんとに、何もかもがさきさんが書いたとおりだと思います。
私が書く余地がない、と2回目ですね。

冨田さんはお産や診療だけではなく、巡回診療もしていて、あれがまたすごいですよね。
クリニックのスタッフにエネルギーを通しながら、いろいろなことを伝えました。
克から伝えることを私が言ったに過ぎないのですが。
それらはやはりほぼ適確だったようでしたが、私は何よりもあのクリニックのスタッフの皆さんの人柄にとても好感を持ちました。
それぞれに役割も個性も異なっているのに、窮屈じゃなく、心が大きなひとつに重なっているのを感じました。
それってやはり嬉しいことですよね。
そして、悠々塾の仲間たちの雰囲気にも似ていて、余計に嬉しくなりました。
「冨田さん、いい仲間がいるね!!」って。

日本は明治維新後は欧米に、戦後はあらゆる面でアメリカに追随してきましたが、そのアメリカでも近代医療は非常にお金がかかるようです。
アメリカでは個人破産者が年間200万人以上いて、その半数以上は高額医療費を払えなくての破産だそうです。

冨田さんのクリニックは、今年の秋以降は経済的な理由で存続が危うい状況です。
「情熱大陸」を観て感動したり、冨田さんの講演会に行って涙を流す人は多くても、実際にお金を出して支援する人は少ないのだそうです。
年間500万円ほどで、クリニックの活動も富田さんたちの生活も維持できるとか聞きました。
しかし、その500万円がなかなか集まらない!
せめて冨田さんが日々のお金のことに心を煩わせることなく、彼女らしい働きができるように、私たちも頑張りましょう。

掲示板の読者の皆さんも、どうかよろしくお願いいたします。
お友達やお知り合いにも、ぜひ呼びかけてくださいね。

16/05/2008(金) 00:15:19


No.3776 鉄ママ  
言葉 引用
二日前、チビ鉄のクラスメートのRのお母さんから電話をもらいました。
Rのお姉ちゃんTちゃんが中学に入ってからずっと下痢をしている。
病院へ行っても原因が分からず薬を飲んでも全く効果がない。医者が心療内科に紹介状を書いてくれるというのだけど、、、、
学校では授業中にもお腹が痛くなりしょっちゅうトイレにたつ。
他の子にそのことでからかわれないだろうか?
Tも学校へ行きたくないと泣くし。
ということでした。
一度みんなで話をしてそれからどうするか考えよう、とその夜うちに来るようにいいました。
鉄に力になってあげてほしいと話をしました。
Rとチビ鉄はチビ鉄の部屋で待たせ鉄、私、Tちゃん、お母さんで話をしました。(Rのところは母子家庭です)
まず鉄がいつから下痢をしているのか?勉強、先輩後輩関係、友達関係、はどうか?と聞きました。
そして、お母さんに「Tちゃんが中学生になって勉強や高校進学、友達関係など心配に思ってる?お母さんの心配や不安を彼女は全部感じてて益々不安に感じてる。お母さんは心配はあるだろうけど、大丈夫!って思ってやってくれ」といいました。
Tちゃんに「お母さんに学校であったこととか全部話ししてる?
お母さんに心配かけさせたらいけない、なんて思う必要ない。友達に話すのもいいけど、お母さんに話をしろ。
お母さんに心配かけさせろ。そのためにお母さんはいるんだぞ。
何も言わずに溜め込んで病気になるほうがお前はいいのか?お母さんだってそのほうがもっと心配だろう。俺も師匠にそう言われた(っていきなり師匠って言ってもわからんだろうと思いながら)
「お母さんはTちゃんのことをとっても大事に思っている。
Tちゃんの辛いこともかなしいことも、うれしいこともみんな受け止めてくれるから。お母さんと二人で泣いたり笑ったりしながら一緒に成長させてもらうんだと思うよ。お母さんもお母さんに成長するんだと思う。お母さんは私が支えていくから心配しないで」と言いました。
鉄が「お前には俺がいるからな」とTちゃんに言いました。
弟のR。彼とのことで思うこともあるのではないか?と前々から感じていたので「Rとはどう?Tちゃんはお姉ちゃんだし、我慢してることはない?」と聞くとお母さんを気にしながら「ある」と答えました。
「思っていることをぐっと心に溜め込んでいくと、もう一杯!と悲鳴をあげてあふれ出すんだと思う。心と身体は繋がっているから今回は下痢という形で心に溜まったものをだしてるのかもよ」と言いました。
鉄が「なんで下痢してるのかもう自分で分かったでしょう」と聞くと「うん、分かった」「じゃあ言ってみて」
お母さんを意識してどうしても言えないTちゃん。

鉄がTちゃんにエネルギーを送りました。
そして「お母さんは口ばっかりって思っているな」と言うのを聞き、私達が以前飯沼さんと堀江さんにヒーリングを受けたときのことを思い出しました。
鉄の心の声を聞かせてもらいました。堀江さんが受け鉄にその言葉を反復させました。
鉄の言葉を聞き私は涙が溢れました。
お母さんにTちゃんの声を聞いてほしいと思い鉄に「反復してもらって」と頼みました。
「お母さんは口ばかり。私の話しをもっと聞いて。(この時点で二人ともしゃくりあげて泣いていました。私ももらい泣きしてしまいました)Rと距離をおかないで。Rと平等にして。私のことも見て。」
私もその時に「もっと甘えていいんだよ」と鉄に対して声をかけるようにうながされました。
Tちゃんにもそう言ってあげてほしいと思い「甘えていいよ、って言ってあげて」とお母さんに言いました。
なかなか言えないお母さんに業を煮やして「俺から言わせないでくれ。俺は親より子供の気持ちをとるからな!」と鉄。
マズイナー、と思いお母さんとTちゃんの手を繋ぎ「言ってあげて」とうながすとようやく言うことができました。
次にお母さんにエネルギーを通しながら「今のTちゃんの言葉を忘れないでくれ。大丈夫だってお母さん!」と言っていました。

たまたまその日の放課後、チビ鉄とRが学校での言動が酷くクラスメートに影響が出てる。と聞き担任二人とRのお母さん、私で話しをする段取りをし話し合いをしたところでした。
その内容はRに集中しました。
「お母さんが思うほどRは幼稚な子ではありません。人が見ていなければ何をしてもいいといったところがあります。都合が悪くなると人のせいにしたり、逃げてしまいます。チビ鉄に対しても仲間はずれにし、チビ鉄がそこまで言わなくてもと思うほどRに謝り 一緒に遊ぼう と言うと、ほら見ろといった態度をみせます。弱い子に対して自分のいうことを聞かせたり・・・。お母さん、相手の気持ちを汲み取れるようになれるよう接してください」と言っていました。

鉄が「TちゃんはいつもRのことしかみてないお母さんに、私のこともみてって甘える為に自分で調子を悪くしたかな」と言っていました。
良い方向にむかえるように私達の課題も本当に山とあり・・・・。
同じくです。

15/05/2008(木) 13:52:35


No.3779  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 言葉 引用
鉄、見事なものですね!
「うん、うん」とうなづきながら読みました。
18歳になった鉄の、自分と周囲の人たちへの最高のプレゼントですね。
私も、「あの鉄が・・・」と思うと、涙が出るほど感慨深いものがあります。
鉄ママも見事なフォローで、とってもいいコンビですね。

鉄ママも感じたように、ヒーリング・カウンセリングをしていると、こちらが自分のことで気づかされることがたくさんあります。
時にはアドバイスをしながら、「実は私もできていないんですが、やっぱり大事なことだから、お互い頑張りましょうね」なんていう話になったり・・・。

私がこの働きを始めたのは40歳の頃からでした。
鉄はまだ18歳になったばかりですよね。
すごいヤツになるんだろうな。
楽しみです。
また鉄ファミリーに会いたくなりましたよ。

15/05/2008(木) 23:44:18


No.3755 飯沼 ホームページ E-mail
フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
飯沼様

ヒーリングしていただいた患者の様子ですが、全て把握は出来ていませんが、いくつか・・。
アレルギーが出ていた綺麗なのに、どうして!という思いを抱えていた女性は、実家にいながらですが、元気です。皮膚病も熱もあれから収まりました。
(他界した)お兄ちゃんが憑いていた心臓病の子は、山に畑仕事に入ってしまい、なかなか会いません=元気になったのだと思います。走っていると聞きましたから。
出血の女性は、元気です。咳が長かったり、急に痩せたり、などという状態が長い間続いていたのですが、あの流産後の出血ですっかり何かが落ちたようです。10年前の彼女に戻った感じです。周囲からも若くなったと言われています。
飯沼さんが「分かりやすいなー」と言われていたおばちゃんは、トンと、クリニックに来なくなりました。元気になった証拠でしょう。

無理やり移住させられたおばちゃんは腰やら痛いとか言っていますが、今日も仕事に出ていました。
アル中のお母さんは週2回ぐらい、働きに出て少しお金を持って帰ってきています。その代わり、父さんが家で酔っていたけど。子供の貧血は相変わらずです。輸血をどんと入れればかなり元気になるのですが(フィリピンは直ぐに輸血します。ある意味とっても怖いです) 下痢が最近頻回ではないので、少しでも予備力が付いてくれればと思っています。お母さんには変化があったのは確かです。
アルツハイマーの博士は、相変わらずの頑固で、全身に30分置き位に痙攣みたいなものが来たり骨盤への前立腺がんの転移が見つかっています。腰痛、下半身痺れなどもあるようで、6月に予定しているアメリカにいる、娘の家を訪問する計画が実行できるか、どうか・・。現代医学のみを信じて抗がん剤治療も受けているので、その副作用もあるんだろうなーと感じます。
乳がんの患者は歩くことが困難で座薬で痛みをコントロールいています。ただ、本人がクリニックに来るのは難しいようでその後の確認は出来ていません。家族からの話だけです。家が分からないのが一番大きいのですが・・。毎日泣いていると聞きました。

白血病の男の子は調子良さそうです。来てはクリニックのおもちゃを荒らしまわっています、熱も出さないでよくご飯も食べるようになってきたということです。
黄疸の男の子、風の噂ですが、良くなったと聞いています。
あの日外来初診の患者は、家が分からないので、確実に後が追えていません。

うちのスタッフは以前にまして、自分の働きに肯定的になったと言うか、生き生きしています。
(中略)

みゆきさんの病院決まりましたか?
妊娠中のことでもし何かあっての疑問とかあるなら、私でよければメールしてきてとお伝えください。そんな必要はない皆さんの力に囲まれているから、心配はしていないのですが・・。また病院わかれば教えてください。知り合いがいれば、もっと話は早いので・・。

08/05/2008(木) 23:34:09


No.3757  キリコ ホームページ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
飯沼さんとさきさんの「実践」が、具体的に、現地の人々の未来を、明るく変えることができたのですね。
本当に良くわかります。

飯沼さんに、インスピレーションを吹き込んだ神様は、飯沼さんを通じ、

具体的に「行動」するということの大切さを、お示しになられたのでしょう。

「また行きたい〜〜」と、
帰国してから、ずっとおもっていませんか?

09/05/2008(金) 05:40:32

No.3758  飯沼 ホームページ E-mail
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
☆キリコさん

>飯沼さんとさきさんの「実践」が、具体的に、現地の人々の未来を、明るく変えることができたのですね。

いえいえ、そんな大層なことではなくて・・・。
多少なりともお役に立てたことは嬉しいのですが、自分たちの課題や力不足も感じてきました。
「実践」という言葉は、実は私はとても馴染みにくく、「自分がさせてもらいたいと思うからさせてもらっている」という感覚です。
本当はもっともっとさせてもらいたいこと(←したいこと)があるのに、まだまだそのほんの一部しかできていないのですよ。

しかし、キリコさんの提案から冨田さんとこんなにつながって、ご縁というものはありがたく、不思議なものですね。

>「また行きたい〜〜」と、
>帰国してから、ずっとおもっていませんか?


もちろん、そう思っていますし、また行くことになると思います。

09/05/2008(金) 16:03:07

No.3759  飯沼 ホームページ E-mail
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
昨日の冨田さんからのメールの続きです。
私たちがお会いしていない患者さんのことです。
掲示板読者の皆さんも、ヒーリングエネルギーを送ってくださいね。
。。。。。。。。。。。

今、63歳?だったと思うのですが、おじさんで排尿障害の患者がいます。昨晩もおしっこが出ず結局カテーテルを留置しました。急におしっこが自分で出せなくなってしまった経過が、なんとも医学的に??です。カテーテルがあるので、膀胱破裂で亡くなることは無いのですが、何が原因なんだろうなー・・と、もし、できれば見て上げてください。
必要な情報は名前と年齢、病気でしたか?

あと32歳だったと・・未婚の女性で最初は虫歯の抜歯が原因のようですが、原因不明の咽の閉塞ほっぺたの内側が腫れてきて、咽をほぼふさいでいます。もう流動しか食べれないし言葉も変な女性がいます。抗生剤と消炎剤で少し隙間が出来て喜んでいるのですが、やはり感染が原因では無い様子です。(感染が原因なら、もっと小さくなるはずでしたから)この方も出来れば見て上げてください。写真がありますので添付します。
私自身も色々考える部分も多く、悠々塾の掲示板を過去に遡ってみていたりします。
いい方向に生きていけるように、・・色々考えています。

09/05/2008(金) 16:09:08

No.3760  みゆき
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
冨田さん。
お忙しいのにお気遣いいただいてありがとうございます!
冨田さんにそういっていただけるだけでも、すごく心強いです。
病院のこと、メールさせていただきます!

09/05/2008(金) 21:25:32

No.3765  ちぃ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
私達もフィリピンの方々の健やかさを願ってエネルギーを送ります!
限られた環境の中で厳しい状況の患者さんと真摯に向き合い心尽くされている富田さん。
人として医療職として頭が下がる思いです。応援しています!
6月にお会い出来るのを楽しみにしています。

09/05/2008(金) 23:36:33

No.3768  冨田江里子 ホームページ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
皆様にエネルギーを送っていただき本当にいい方向へ多くの患者さんが向かっているように感じます。本当にありがとうございます。

今回また新しい患者さんたちのこともお願いします。
ブログにお2人の写真アップしました。
排尿障害のおじさんの写真は撮っていないのでないのですが・・。

みゆきさん
メールお待ちしています。もし、何か妊娠出産に関して資料が必要なら、妊婦雑誌でなく「分娩台よ、さようなら」という本を探してみてください。メヂィカ出版、大野明子著、妊娠、出産の必要な知識が上手く書かれています。

ちぃさん、皆さん、本当によろしくお願いします。また6月お会いできるのを楽しみにしています。

10/05/2008(土) 01:20:29

No.3769  まゆみ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
ブログで写真拝見しました。
エネルギーを送らせていただきます。
早く良くなりますように!

私には知識も何の力もありませんが、自分にできることを精一杯することの大切さを、日々現場で闘っておられる富田さんから学ばせていただきました。

6月お会いできるのを楽しみにしています。

10/05/2008(土) 09:42:02

No.3770  tomoako
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
わたしも エネルギーを 送ります。


夫ですが 今日の検査で 頭の中はとても綺麗な映像で まったく異常なし 

もう毎月来なくても2ヶ月に1回でいいですよとのことです。

これも 飯沼さん、さきさんをはじめとする 悠々塾につどう皆様から送られた エネルギーのお陰だと 深く感謝申し上げます。

10/05/2008(土) 10:43:40

No.3771  みゆき
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
わたしも、エネルギーを送ります。
冨田さん、フィリピンの人たちから、いつも元気をいただき、本当のことは何なのか、一番大切なことって何なのか、ということを考えるきっかけをいただき、学ばせてもらっています。
みなさんとは、遠く離れていますが、忘れたことはありません。
すこしでも、症状がよくなりますように。

本を紹介してくださってありがとうございます!
早速、購入して読ませていただきます。
ほんとにありがとうございます!

11/05/2008(日) 11:34:19

No.3772  あきら&ひとみ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
僕らもエネルギー送ります。
このように冨田さんと繋がり、具体的に沢山の患者さんにエネルギーを送り実践していくことに大いなる意義を感じます。
前から定例会でスピリチュアルの実践というテーマがありましたが、このような場を設けられたことも計らいの妙なのでしょうね。
少しでも多くの患者さんが良くなりますように。

11/05/2008(日) 18:21:11

No.3773  冨田江里子 ホームページ
ほかの患者さんも・・お願いできれば・・ 引用
皆さんからのエネルギー感謝感謝です。
また新しい患者さん(患者は尽きることなく居られるので・・)にも出来ればお願いします。写真をアップ出来る許可を貰った人は載せています。ttp://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko/23190709.htmlのhを頭に入れてください。家のマークからも行けます。取り急ぎですいません。

14/05/2008(水) 10:01:41

No.3774  まゆみ
Re: フィリピンの冨田さんからのメールです 引用
エネルギーを送らせていただきます。

何の手立てもないということはつらいことです。

良くなりますように!!

14/05/2008(水) 21:57:33


No.3761 飯沼 ホームページ 
6月の直接ヒーリングのお知らせ です 引用

☆☆ 2008年6月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
6月7日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
6月8日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
6月9日(月)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
6月10日(火) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
6月11日(水) 午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、5月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

09/05/2008(金) 22:21:39


No.3762  飯沼 ホームページ
お知らせ です 引用
13日の夜までパソコンのメールが読めません。
すみませんが、お知らせです。

09/05/2008(金) 22:32:05

No.3766  ちぃ
Re: 6月の直接ヒーリングのお知らせ です 引用
スレッドを下げてしまってすみません(><)
上げさせて頂きます。

09/05/2008(金) 23:43:20

No.3767  飯沼 ホームページ
勝手に転載 引用
☆ちぃさん

お気づかいありがとうね。
皆さんに読んでほしいので、勝手に転載しておきます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

No.3764  ちぃ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載)

すっかり遅くなってしまったのですが、夜回りに参加された皆さん、お疲れさまでした!
そして感想を聞かせて下さりありがとうございます。
感想を読ませて頂きながらハッとしました。
私は中学・高校をキリスト教系の学校で過ごしていたのですが、その学校ではフィリピンと釜ヶ崎への支援活動を行っていました。
その支援の一環として年1回夜回り活動を行っていたのですが、私は、野宿者の方は「怖い」というイメージを払拭出来なくて6年間、たった1度も参加する事はありませんでした。
その度、「明日はわが身。お前はぬくぬくと生活しているけれど、それは当たり前な事じゃないんだ。」と両親に言われては、その意味を理解できず、「お父さんもお母さんも働いてるやん。」と思っていました。
そして学校では、今回のように参加された方の感想や報告を聞かせてもらう機会もなく、また自ら聞くこともありませんでした。
こうして感想を聞かせて頂いて、自分に出来ることはないか、出来ることをしたい・・・と心が動きました。
知ろうとさえしなかった自分が恥ずかしいし情けないけれど、こうして教えて頂けて本当に良かったです。
藍ちゃんが書いて下さっているように、知ることって本当に大切だと実感しています。
私も是非、次回は参加させて頂きたいです。


09/05/2008(金) 23:58:16


No.3709 飯沼 ホームページ E-mail
夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用

☆今回の夜回りは、「ドネーションシップ わかちあい」の、今年度2度目の分かちあい(寄付)の対象選考のことで、「最底辺」(ちくま新書)の著者であり、野宿者ネットワークの生田武志さんにお会いしたところ、「是非一度、夜回りに参加してみてください」とのお話を受けてのものでした。
体調の都合で参加できなかったメンバーもいましたが、ドネだけで9名が夜回りに同行させていただきました。

☆参加した皆さん、ドネSNSへのコメントをここにも転載してくださいね。
。。。。。。。。。。。。

夜回りに参加された皆さん、お疲れさまでした。
諸々の事情で参加できない仲間もいましたが、心を合わせてくれたその人たちの思いと一緒に1時間半、歩いてきましたよ。

7時半に釜ヶ崎の「ふるさとの家」に集合でした。
生田さんのように夜回りを十年間も続けておられる人たちが数人、そして3人の女子学生をはじめ、初めて夜回りに参加する若い人たちも何人かいました。

僕ら年配組(僕と東クンとさきさん!)は僕よりも年上と思われるAさんと一緒に、心斎橋界隈のコースでした。
なぜそんな地域の夜回りをするかといえば、野宿者は釜ヶ崎だけではなく、周辺地域にもいて、やはり健康不安や襲撃の危険にさらされているからです。

Aさんが時おり立ち止まって、釜ヶ崎のガイドをしてくださってありがたかったです。
そんな感じで、地下鉄の駅まで歩き、地下鉄に乗って3駅目あたりで降りて、夜回りが始まりました。

心斎橋の大きなビルの陰にも、何人かの人が野宿しています。
Aさんはほとんどの人と顔見知りのようで、ごく普通に言葉をかけ、時には少し長く話しをしながら回っていきました。
もうほとんどの商店が閉店しているとはいえ、心斎橋商店街のアーケードはかなりの人通りでした。
その片隅で、ダンボールを箱のように組み立てて、もう眠っている人、眠る準備をしている人の安否を確かめ、言葉を交わしていくのです。
僕らはAさんの陰にいるようにして、「お邪魔しました」という言葉をかける程度でした。

僕は学生時代、東京の南千住の親戚のアパートに住んでいて、南千住は東京の寄せ場である「山谷(さんや)」に近かったので、ホームレスの人に対する違和感はありませんでした。
でも、田舎暮らしが長いので、ホームレスの人と言葉を交わすのは何十年ぶりでした。
学生時代は山谷近くの安い飲み屋で飲んでると、山谷の酔っ払いのおじさんに絡まれることもありました。
そういう時は変にビビらずに、年上の人への礼を一定わきまえた上で、対等に言い返していれば、彼らの誰かが仲裁に入ってくれるのです。
ちょっと意気投合すれば、「お前、しっかり勉強しろよ!」なんて言いながらお酒を注いでくれたり、気に入らなければ「てめーら学生がこんなところに来るな。とっとと返れ、この野郎!」という感じでした(笑)

華やかな商店街をお洒落な服を着て行き交う人たちと同じ空間、同じ視界に、かなりの人数が野宿していました。
そして両者はほとんど全く隔絶されている情景が、なんとも妙でした。
昨夜は野宿者を意識した時間だったので、改めて普段は僕もこの通行人たちと同じ意識で、野宿している人たちとは隔絶した世界に生きていることを感じました。
野宿している人から、「今日は阪神(タイガース)勝ったから気分がええわ」と聞いて、いろんな意味でとても嬉しく思いました。

Aさんが話をしている間、目立たないようにヒーリングエネルギーを送ったりもしましたが、中にはかなり体の状態が悪いと思われる人もいました。
行政の人に、自分たちが人間扱いされない悔しさをぶちまけるおじさんもいました。
Aさんは親身になって、いろいろ話しておられました。
リュックから、新しい下着が2〜3枚入った袋を取り出して渡した後、僕らの視線に気がついて、「あれは先週に回ったときに頼まれていたんです」とちょっと照れくさそうに教えてくれたりもしました。

Aさんと野宿している人たちとの間に流れているものが、フィリピンの貧しい患者さんたちと冨田さんとの間に流れていたものと同じだと感じて、胸にこみ上げてくるものがありました。
野宿している人たちは、毎週夜回りに来て、声を掛けてくれる自分たちの味方がいることで、「自分は完全に見捨てられてはいない」ということを実感できるのではないかと。

野宿者ネットワークの人たちによる夜回りは、地味で、目立つことも少ないのでしょうが、これは本当に必要なことだと感じました。
国家や行政は制度は、生身の人間を平気で切り捨ててしまいます。
もしもそこで野宿者が死んでいても、商店街を歩く人たちが、それに気づかないであろうことと同じように、あるいは「事実」として認識はしても、ほとんど心を動かさないのと同じように、現状の国家や行政や制度の枠の中にいる人たちは、野宿者に心を向けようとしていないのでしょう。
同じ人間だと思っていないから、同じ人間を平気で切り捨てることができる。

でも、同じ生身の人間どうしという感覚で彼らと接し、長年にわたってあの地味な夜回りを続けている人たちがいることに、「本物って、やっぱりいるんだな」と思いました。
それは冨田さんの働きに同行して感じた思いと同じでした。
「自分には何ほどのこともできないかもしれないが、知らん顔をして切り捨てることができないから、自分はこういうことをしつづけているだけです」という人たちの働きが、実は今の世の中を下支えしているのでしょう。
それは見えないところでつながっているのだと思うのです。
やがてその見えないつながりが、あざなわれ、織り成されたネットワークとなって、混迷する世の中に浮上し、多様な姿を現す時が楽しみです。

Aさんは、「夜回りは、野宿者の問題を考える入り口です」と言っておられました。
本当に、僕もそう思いました。
大事なことは、つながろうとしていくこと。
あとは、できることをしていくしかないのですから。

27/04/2008(日) 17:19:18


No.3710  みやっち
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
僕たちは日本橋の裏道を一緒に回って下さった方にいろいろな事を教えていただきながら1時間半程歩きました。
僕の職場が中央区という事もあってリアカーをひいたりしている方はよくみかけていましたが実際に夜に野宿されている姿とか見たことなくて今回、夜回りに参加してはじめて野宿されている方々の現状を目の当たりにしました。

参加してはじめて知ったのですがたくさんの公園が利用できなくなっていました。公園で野宿出来ないようにしてあるそうです。

また幅の広い歩道の中でわざと区切って狭くしてあったりと歩道だけではないのですがあらゆるスペースにいろいろな物を置いて休んだり寝れないようにしていました。

そして最近、中高生だと思うのですが野宿されている方に向かって生卵を投げつけてその後小麦粉を投げつける事件があった現場を見ました。

一緒に夜回りして下さった方が他の夜回りしている人や野宿されている方の事を仲間と呼んでおられました。
そして自分たちは大した事出来てない、ここまでやってきた以上中途半端に止める事は出来ないとおっしゃってました。

27/04/2008(日) 20:13:11

No.3711  藍子 ホームページ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
夜回りに参加しました。
わたしたちはNさんについて日本橋に向け20時から22時まで歩きました。

Nさんは歩きながら、封鎖された公園を指しては
「この公園も仲間たちを追い出し、そのまま進入禁止にしています」と。
(どうせ封鎖するなら彼らに解放して使ってもらえばいいのに)。

フェンスをした高架下を指しては
「わざと誰も寝れないように幅のあるフェンスに作り直しています」と。

ひとつひとつ行政がしたことを教えてくれました。

市営住宅の塀のところは、誰も座れもしないように丁寧に石ころを接着剤で並んでくっつけられてあり、さらに夕方になると細いホースから水がチョロチョロ出て、周辺の道路が濡れて段ボールが敷けないようにしていました。(やることが醜悪!!)
市営住宅がここまで徹底した対策をすることに憤りを感じました。
その税金であろうお金をもっと彼らを追い出すためではなく、彼らをサポートすることに使うことができたはずなのに。

とはいえ、私は本当に恥ずかしい話だけど、ホームレスの方々に恐怖心を持っていました。近づきたくないイメージを今までずっと持っていました。情けないことだけど、ずっとそう思っていたのです。この夜回りも参加するまでずっとドキドキしていました、何より自分がどんな反応を持つか、それに緊張していました。

でもそれは「知らなかった」からなのだと改めてわかりました。お会いした方たちは無言の方もいらっしゃったけど、話てくれた方々はどなたも優しそうでした。ものすごく当たり前だけど、初めて「普通の方々なんやなぁ」とわかったのです。

卵を投げつけられる事件が続いているようで、たくさん投げられた方が
「別に悪いことをしたわけやない、ただ寝るくらいええやろと思ってるのに」
と話されていて、胸にグッときました。

卵は少年たちの仕業だそうだけど、少年たちも夜回りを一度でも経験して「知る」ことを得れれば、また違う対応やまなざしを向けられるのではないかと思います。

ドネとして、個人として、これからもこのまなざしを保ち、個人的にはまた夜回りに参加したいです。お見舞とか、いろいろできることはあるようです。

27/04/2008(日) 20:30:26

No.3712  ゆうき
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
夜回りに参加して

僕は天王寺コースを回りました。天王寺は僕の庭のような街です。
天王寺周辺で新聞配達のバイトもしていたし、ストリートで音楽活動もしていましたから。
ホームレスの人がそこで寝泊りをしている事ももちろん知っていました。

昨日夜回りに参加して気付いた事は、僕がストリートをやっていた10年くらい前より、ホームレスの人たちをあまり見かけなくなった事です。

同行してくださった人に訊くと、排除が進んでいるそうです。

天王寺公園のベンチは、そこで寝れないように鉄製の手すりがついていました。
昔はダンボールを敷いて寝ているのをよく見かけたスペースには花壇が置かれたり、柵が出来たりしていました。

天王寺のタクシー乗り場を回った時
(ここは昔よりも、ホームレスの人が増えてる気がしました。
 行くところがないので、排除されない所にひしめき合っているようでした)
毛布を被って寝ている人の毛布の上に火のついた煙草が捨ててありました。(ほとんど煙草は灰になっていましたが、フィルターの奥で火がくすぶっていました)

通りすがりの誰かが投げ捨てたようです。毛布は他にも焼け焦げた跡がありました。寝ていた人の話では、何度か煙草を投げ捨てられているそうです。

こんな心ない事をするなんて・・ほんとに腹がたちました。

僕がストリートをやっていた頃は、さし入れで缶コーヒーなどをもらうと、ダンボールで寝ているオッちゃんにあげたりしてました。
まだゆずやコブクロが出る前で、僕らは地べたに座って歌っていましたから、親近感に似たものがあったのかもしれません。
ダンボール集めを仕事にしている人と顔見知りになり、どこかで拾ってきたらしいレコードをもらった事もありました。

そんな経験から、僕はホームレスの人たちに悪いイメージは持っていませんでしたが、昨日、改めて野宿の辛さを分かった気がしました。
冬はほんとに厳しいだろうし、雨の時はどうしているんだろうと色々な事を思いました。

何か感じるものがあったので、また夜回りに行くと思います。

27/04/2008(日) 21:54:20

No.3713  東
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
 大阪釜が崎周辺の野宿者の人々の見回りに初めて参加しました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。
 釜が崎にある「ふるさとの家」というところに集まって、参加者は3手に別れ経験者の方の後について回りました。
 私たち(さきさん、ヌマさんとひがし)は経験者のAさんと船場センター街と心斎橋筋を回りました。
元気そうに見える方々もおられましたが、病的な顔の方、話して不調を訴える方もおられました。集めた段ボールを寝床にしている方、又これを集めて金銭を得ている方が殆どです。ひとりひとりに声をかけて30数名の方とあって終わりました。
声をかけて回った人々と殆ど直接は話せませんでしたが、それぞれに異なった事情から野宿に追い込まれた方々なのでしょう。街で普段見かけても野宿者とほとんど分からないと思える人も多かったです。
人柄のよさそうな、又優しそうな笑顔の表情がどこか印象に残りました。
いつのまにかそんな風に思ってない人が野宿するしか手がない所に置かれていたら・・・。やはりどうにかしなければならないと思わせられる体験でした。人々と社会の思いやり温かさがここに行きわたり働いてほしいと思います。  

27/04/2008(日) 23:23:05

No.3722  永田椿
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
ぼくたちは生田さんに案内してもらいながら
日本橋コースを回りました。

ホームレスの方々に淡々と声をかける生田さんの横で、
声をかけたくてもなんと言ったらよいか分からずに、
どんな気持ちで望むのがよいのだろうと、
夜回りのはじめからおわりまで思っていました。

ホームレスの方の話を聞いては憐憫の情が芽生え、
しかし、このような気持ちでいては
ホームレスの方々を助けることはできないし、
かと言って、自分が何かをできるわけでもない現実に、
どのように接し、どのようなことができるだろうかと
考えさせられました。

道々、話してくれた生田さんのことばから、
とにかく夜回りをして役に立つかもしれない情報を伝え、
顔を覚えてもらい、連絡先を渡し、もし頼ってきてくれたら、
出来る限りのことをしようというスタンスが見えてきました。

しかし、ちょっと思ってみれば、
これは人に接する際のごく自然なかたちであるし、
相手を普通に尊重する態度であることに、
今更ながらに気づいて、自分は途中までホームレスの方を
普通の人間として扱っていなかったのだと反省しました。

生田さんとの会話の間に、
なかには初対面のぼくたちに顔を向け、
話しかけてくれる方もいました。

ある方は、飼い猫のおなかにいる子猫の心配をし、
近くで野宿していた顔見知りが孤独死したことを
もしあの人にもう少し近所付き合いがあったらなぁ
と残念がっており、
またある方は、
小さい頃の思い出話を懐かしそうにしてくれ、
自分の8人のこどもたちを思い、仕事を心配していました。

たったひとつ定住する家がないという状態が違うだけで、
ホームレスの方々もわれわれとなんの変わりもないのに、
この普通の人たちがどうしてこんな苦しい生活をしなければ
ならないのだろうと、なにかがおかしいと思いました。

生田さんはメーデーのビラを配りながら、

「橋下知事になってから雲行きがあやしいので、
 一緒にがんばりましょう」

というようなことを必ず言います。

橋下知事が知事になる前の言動を思い出してみると、
低所得者は国民ひとり当たりが本来払うべき金額以上の
税金を払っていないのだから、権利についてとやかく言う
資格がないというようなことを言っていましたし、
また、知事になってからも、大阪府のやっていることに対して、
一般企業だったら考えられないことだとよく言っています。

大阪府を企業とみなして役所内部の効率化を図ることは、
いままでの悪い意味での役人体質を改善する利点があるでしょうが、
しかし、政府を含めた地方自治体は一般企業ではないからこそ、
国民・市民が安全に安心して暮らせる環境を守ることができるのであり、
本来の地方自治体の役割はこちらであろうと思うのです。

そして、橋本知事と府下の市長たちの対立を見るに、
既得利権を守りたい一方で、すべての改革に反対するのも
バツが悪いという政治的感情が見えてきます。

すると、橋下知事の改革のうち既得利権とは関係のない、
特に低所得の市民の権利を縮小するようなものばかりが
どんどん推進されてしまうように思えて心配でなりません。

生田さんの姿を見ていて、自分のなかに印象として残ったのは、
仲間として接し、仲間として支えあおうというような精神です。

またホームレスの方々のなかには差別を受けた経験からでしょうか、
人に対する不信感のようなものや社会制度に対するあきらめが見え、
生活補助や無料で受けられる医療などの市民として当然の権利が
いろいろあることを情報として伝えること重要さを痛感しました。

自分にできることは小さいでしょうが、
生田さんたちのような活動に参加したり支援したり広めたり、
これから何かできることをしてみたいと思います。

29/04/2008(火) 15:52:28

No.3723  キン
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
私は椿と滋賀からきた野宿者について調べにきてる建築科の大学院生、生田さん(チャリで)日本橋を廻りました。
私は今回の夜回りに行くのことを知り合いに話しました。
その人は
『仕事がなくなってどうにかしようとせーへんからホームレスになるねん』って言いました。
やっぱりそう思うのかっていう思いと、なんでか怒りが込み上げてきました。

「やる気がないから」「怠けてるから」っていう短絡的な理由でホームレスになるのではない。
こんな競争社会でもがきながらはたいて何が面白いんだって、私が働きながら思うし。
必死に働いても働いても金持ちはいつまでも金持ちで、一部の富を多くの人が奪い合う、
そんな社会ではやる気なくすし、希望もない。って私は思ったりする。
決して個人の責任の問題ではない。と思う。

夜回り開始。
ホームレスの数は少なくなったといっていたけど、
初めて参加する私にとって、野宿者の人はいろんなところで普通に寝ていた。ここにも、こんなところにも…。
風邪ひかないのか…とか
車にあたったりしないのかとか、雨の日はどうしてるのか…とか思ったりした。

いつも見回る生田さんはいつもいるであろう人達に普通に声をかける。
線路沿いにビニールハウスを作って過ごしてる人とお話をした。
かわいい猫を二匹飼ってた。美人さんだが少し痩せた猫。
ガリガリでふらふらになったその猫を拾って育てたらしい。
生田さんは去勢するように勧めた。
夏に猫が何十匹も餓死するそうだ。

線路沿いで暮らしてる人が言っていた。
ここでは前に、何人か死んだ。となりに住んでいても顔合わさんかったらわからんもんはわからんからなぁ…
いつ死んでおるかわからんわ。と…

生田さんは「最近変わりはないですか?」と必ず聞く。

少し回って、生田さんが話してくれた。
通天閣の商店街にいる80歳のおじいちゃんがいるという。
耳が聞こえなくて、字が読めないおじいちゃんを生田さんが探してた。
そのおじいちゃんは生活保護をうけようと思えば受けれるが、
まだまだ動けるので頑張って段ボールを集めてるらしい、
それに、他の人達もおじいちゃんに差し入れをするらしい。

生田さんは、商店街にいるおじいちゃんを探しながら
寝ている人達にチラシを配っていた。

今日はいないのかな、、なんでかなって話しながら歩いてると
そのおじいちゃんにでくわした。
出会ってすぐに生田さんはビタミンウォーターを差し入れた。
おじいちゃんはとっても嬉しそうにありがとうって笑顔で言って、
商店街のほうに向かっていった。

でんでんタウン近くの高架下を回った。
高架下で以前寝てた人がいたけど地域住民に囲まれて、出て行けと言われて、もうここにはいないな。と…
その近くにいた人は腕をケガして、入院した。連絡するように言ったけど
あれっきり連絡がないらしい。どうしているんだろう。と生田さんが話す。
私もみんなもきっと元気でいてほしいと思った。

高架下近くの古い民家の近くを回った。
最近27歳くらいの人がいたたけど、もういないなぁという。
仕事みつかったのかなぁって生田さんは話す。

近くに寝てた人がいた、そっと声をかけると
その人は一週間くらい前にこの辺に来てて、
以前いたところを役所の人が追い出したらしい。
その人は、「群れると地域の人が嫌がるから、一人でいる」と言ってた。

なんとも言えない気持ちになった。
孤独と貧困。家も仕事もなく、回りには差別される。

このまま、孤独のままいたらどうなるんだろう。と心が苦しくなりました。

役所の人達は撤去したりする意外に何かもっといい方法を思いつかないのかと思った。
立場の弱い人達のために頭を使えと思った。
人間の人生をなんだと思ってるんだと思った。
そんなこと思ってる間に、生田さんはどこで追い出されたのか、
誰が追い出したのか、詳しい情報を聞いている。

生田さんは自分にできることを行動にうつして、
私はただ思うだけで、自分が宙ぶらりんに感じた。

そこから、学校を通りすぎて公園の外にリアカーを置いて塀に座ってるおじいさんがいた。
生田さんはまた同じ質問をする。
すると、4日前に卵を投げてきよった子ども達がおった。
自分はとっさにリアカーに隠れた。って少し得意気に言う。
生田さんは日にち、何歳くらいか、自転車に学校名または氏名は見てないか、詳しく聞いた。

とっさのことでそこまで覚えていないけど、
中高生だと言う。

去年から、ホームレスに生卵を投げる事件は多発してるみたいです。

私はその話しを聞いて、怒りが沸々と湧いてきて「許せん」と心底思った。
だからといって、自分に何ができるのか。張り込みするわけにもいかない、、、
生田さんはここでもできるだけ情報を集める。

そのおじいさんはとっても饒舌で、小さい頃の思いでを楽しそうに、懐かしそうに話した。
笑顔の素敵なおじいさんだった。
おじいさんが昔の話をしてる間に生田さんは自転車に乗って見回りに行っていた。

以前は天王寺にいて、そこでリアカーの段ボールに放火された。
中学生くらいの子らが小学生くらいの子どもに火をつけさせたと言っていた。
それがあって、自分は日本橋に来たんだって言ってました。
その他、電柱みたいな大きな男に殴られたなど…
そのときは犬がおったからすぐにきづいたけど、
今、犬を飼と回りがうるさいから飼わないって。
何かあったら、今はもう逃げるしかないんだって。

時間があっという間にすぎた。

その近くにいた40歳代の人は、体が悪いという。
あばらの奥が痛いんや…って。
それにほんまに仕事がないんだ!って怒ってました。
その人も卵を公園のおじさんの1日前に投げられたらしい。

自転車のかごの中に卵のパックを置いていた。
6個投げられた=6人に投げられたって話してました。

病院に行きたいけど、行けない。

生田さんは病院に行ける方法を教えた。
でも、そのおじさんは「またなんか言われないか」って話してました。
散々な嫌な思いをしてきたんだなってその時感じました。

生田さんはチラシに載ってある連絡先を示して
「なんかあったら連絡してください」って言っていた。

帰りに、このへんでガソリンをかけられ火をつけられた人がいた。
大やけどをおったけど、命だけは助かったと生田さんは話した。

言葉がつまったし、怒りと悲しみが込み上げて来た。

一通り回り繁華街にちかづくと、
豪華なマンションの近くにシャッターの閉まった前で寝てる姿。

貧富の差やいろんなギャップを感じた。
国にも誰にも頼れず孤独で、むしろ排除されて行き場のない心。
孤独と貧困
生田さんとホームレスの人達との関わりを見て、
「なにかあったらここに連絡して下さい」この言葉はほんとうにおっきいと思いました。

自分にできることがなんなのかはわからないけど、またよまわりにいこうと思いました。
今回は傍観的にしか参加できなかったけどほんものの傍観者にはならないように、
またよまわりしたいなと思いました。
本当に、野宿者の問題を考え、野宿者の現実を少し知るきっかけを作ってもらいました。

29/04/2008(火) 16:32:12

No.3725  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
先日の夜回りに参加しなかった人も、野宿者に違和感が強い人も、どうぞコメントしてくださいね。

29/04/2008(火) 19:01:25

No.3726  さいこ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
こんばんは。

私はいっしん兄と一緒に、天王寺のコースを回りました。
初めての事なので、野宿者の方々にどう声をかけたらいいのかわからないし、失礼な事を言ってしまわないだろうか…そんな事を思いながら少し緊張気味でした。

本当は今回の夜回りに参加しようかどうか迷っていたんです。
生田さんの本を読んで、私が野宿者の方々に対して間違った認識をしている事がわかりました。でも、読んでるうちに自分は彼らの立場になって考えて支援できるんだろうか?…読みながら気持ちが重くなっていくのを感じました。
街中で見かける野宿者の方を無意識に避けてしまっている自分が、支援なんて本当にできるん?
そんな思いはあったのですが、何もしないまま結論をだすのや嫌だったので、一度参加してそれから自分の気持ちがどう動くかをみてからにしようと思って参加しました。

今回の夜回りに一緒についてくださった方々は、20年以上もこの活動を地道に続けてこられてます。
私たちが参加した前日も、大阪の梅田で夜回りをされていたそうです。
翌日の日曜日も何らかの活動をされるようでした。
地味な活動をこれだけ長く続けることは、なかなかできない事です。
そんな人たちを前に、自分の気持ちがなおさら中途半端に思えて仕方ありませんでした。

私はドネの活動を通して、自分の気持ちがついていってないように思います。本当に困っている人たちの立場になって考えられていない、どこかで他人事のように思ってしまっています。
この先本当の意味でドネの活動をしていけるのか、そんな気持ちに囚われて、帰りの電車の中で悶々とした気持ちになっていました。
でもそんな気持ちは、自分と向き合わない、逃げる口実に使っているように思えたので「こんなんではあかん気持ちを切り替えよう」と思い直しました。
たいした事はできないけど、自分が出来る事を続けてみよう。
いずれ何かが見えてくるかもしれない…。

夜回りで出会った野宿者のおじさんたちには、思うように声はかけられなかったけど、心の中で「どうぞこのおじさんの心が癒されますように」そう思わずにはいられなったです。
こんな事しかできないけど、また夜回りに参加したいと思いました。
生田さんたちの地道な活動がドネにつながったように、もっと多くの人たちに野宿者の方々の現状を知ってほしいです。

29/04/2008(火) 20:27:41

No.3727  ミュー ホームページ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
夜回りに参加されたみなさん、お疲れ様でした。
これまで、ホームレスの方の実情を知る事のなかった私は、みなさんの生の感想を読ませていただき、改めて、自分自身が持っていた間違った偏見と、同じ時代に生きる人間として人事ではないのだという感想を持ちました。
増加する一方のワーキングプア・・・非人道的使い捨て労働を、表向きには“契約社員”という形で、実際にはワーキングプアを増産するような制度がまかり通っているこの国の在り方に、大きな疑問と憤りを感じます。
本人の努力以外の、どうしようもないシステムに苦しめられる善良な庶民。
もしも自分が、家族が、その中であえいでいるとしたなら・・・今ホームレスと呼ばれる方々と、何ら変わらない現実になるだろう。
個人的に余程の経済的背景が無い限り、そこに、特異な条件はない、誰もが背中合わせなのだと私は思います。
今ある現実をいかに自分の事として思い行動してゆくのか、それとも心に不自由な一線を引いて、自分を自分達だけを守り囲い生きてゆこうとするのか・・・多くの庶民が、人としての二者択一をより選択してゆく時代なのだと思います。

今や日本は、世界の中で貧困層の比率が第二位。
経済大国日本であると同時に、その経済格差が表わす意味を身を以って考えさせていただきました。
生死もままならない厳しい日々、そうならざるを得なかったそれぞれの現実。
これから、益々増えてゆくであろう苦しい隣人に対して、自分はどうしてゆくのか、何かは出来るのではないか。
みなさんの現場の感想をお聞きして、助け合う、思い合うという事を改めて考えさせていただきました。
ありがとうございました。

30/04/2008(水) 14:07:49

No.3728  のぶよ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
夜回りお疲れ様でした。夜回りの報告書いて下さりありがとうございます。
皆さんの書き込みを読ませていただき、野宿者の方のことが少し分かった気がします。
野宿者であるなしではなく、同じ人として、人に対してどう関わっていくかということだと思いました。食べる物、住む所等があるのが当たり前のように生活しているけれど、世の中にはそれが当たり前でない人がいて社会の底辺に追いやられていて大変な思いをしている人がいる。誰でもがいつ病気や怪我をするかわからないように、誰でもいつ野宿者になるかわからない。自分も、自分の身近な人や知り合いがそうなったらどうだろう、という思い方が必要と思います。
私事ですが、足に不自由があると長距離は歩けないけれど思い切って出かけて途中で足が疲れた時、道端の柵でもブロックでも何でもいいから座れるところを見つけて座れた時すごくありがたくてほっとします。野宿者を締め出すために撤去されたベンチや変形された柵、水が撒かれた道路、封鎖された公園、増設された障害物等は、同時に、健康な大人よりも少し弱い人々をも締め出していると思います。中高生による野宿者襲撃問題の一部は、締め出された子供たちの気持ちがより弱い野宿者に向けられたからのように思います。
私は今のところ何もできませんが、思いを共有していきたいと思います。

02/05/2008(金) 00:24:17

No.3729  あきら&ひとみ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
みなさん夜回りお疲れ様でした。
みなさんの感想から、いろいろ考えさせられることが多く有りました。
野宿者の方たちの気持ちは、やはり何らかの形で助けて欲しいと思っていると思います。
自分がその立場であったら、なにかきっかけだけでも欲しいと思います。
大多数の人が、思いやり助け合うことを当たり前に出来ていたとしたら、こんな現状にはならないのでしょう。
この先、原油の高騰、物価の上昇、税率は上がる中でいよいよ大多数の人達がどちらに心を動かすのかが迫られてきているのだと思います。
野宿者の方々を含め、他の国の困っている人達にも目を向けできる事をまず始め、そこから次の広がりを期待したいと思います。
実際、自分に金銭的、物質の困窮が訪れれば、間違いなく不安になるだろうと思います。
すでに、給料のカットなどが始まっていて不安な要素はあります。
気持ちが揺れそうになったときには、信じきれるかどうかが大事なんだと思います。
自分は信じていきます。
変な文章になってしまいました。
とにかく、動き出して行きたいと思います。
思ったことをすぐ行動できるよう努力していきます。

02/05/2008(金) 00:53:13

No.3764  ちぃ
Re: 夜回りに参加して(ドネSNSのコメントを転載) 引用
すっかり遅くなってしまったのですが、夜回りに参加された皆さん、お疲れさまでした!
そして感想を聞かせて下さりありがとうございます。
感想を読ませて頂きながらハッとしました。
私は中学・高校をキリスト教系の学校で過ごしていたのですが、その学校ではフィリピンと釜ヶ崎への支援活動を行っていました。
その支援の一環として年1回夜回り活動を行っていたのですが、私は、野宿者の方は「怖い」というイメージを払拭出来なくて6年間、たった1度も参加する事はありませんでした。
その度、「明日はわが身。お前はぬくぬくと生活しているけれど、それは当たり前な事じゃないんだ。」と両親に言われては、その意味を理解できず、「お父さんもお母さんも働いてるやん。」と思っていました。
そして学校では、今回のように参加された方の感想や報告を聞かせてもらう機会もなく、また自ら聞くこともありませんでした。
こうして感想を聞かせて頂いて、自分に出来ることはないか、出来ることをしたい・・・と心が動きました。
知ろうとさえしなかった自分が恥ずかしいし情けないけれど、こうして教えて頂けて本当に良かったです。
藍ちゃんが書いて下さっているように、知ることって本当に大切だと実感しています。
私も是非、次回は参加させて頂きたいです。

09/05/2008(金) 23:35:21


No.3750 ちぃ  
ありがとうございました! 引用
こんばんは。
今日は母方の祖母のことをご報告させて下さい。

祖母は寝たきりになり2年が過ぎたのですが、一時期、唯一動く右手で暴力を振るうようになっていました。
老健施設でお世話になっているのですが、スタッフの方や入所者の方達に怪我をさせてしまっていると聞き、遠隔ヒーリングをお願いさせて頂きました。
すると、そのすぐ後にピタっと暴力が治まりました!
ほっとひと安心し、喜んでいると、今度は急に祖母以外の家族にも嬉しい心の変化があり、不調和が調和へ一気に加速したりと嬉しいことが続いていました。
そして、祖母の様子もどんどん穏やかになり、近頃では祖母の子供達に「ありがとう」と言ってくれるように。
寝たきりになってからというもの、あたたかい言葉を発することが無くなっていたので、驚きつつもとても嬉しく思っていました。
先日は外泊して私の実家に帰って来ていたのですが、外泊の間中、「ありがとう〜」をたくさん連呼していました!
今までだと、私達が傍におらず寂しくなると「あ〜」もしくは「痛い」と叫んでいたのが今回は「ありがとう」。
そして、祖母のお世話をした時にも「ありがとう」と言ってくれていました!
私は祖母のありがとうを聞いたのは初めてでした。
もう、嬉しくて嬉しくてありのままに祖母へありがとうの気持ちをたくさん伝えました。
そしてもう1つ嬉しい変化が^^

なぜかお経の初めの方を連呼し始めたので、「どうした〜?」と聞くと・・・
13年前に他界した祖父の名前をフルネームで言い、「○○○○さん、ありがとう!」と言ったのでした。
生前の祖父との関係や、感謝していてもしていると言えない祖母の気持ちがあったので、言葉にしてくれるなんてとんでもない事。
驚きつつも、祖母の「ありがとう」に込められた様々な思い、言葉に出来た事に感動でいっぱいになりました。
母は嬉しくてたまらなかったようで、「私を産んでくれてありがとう」と伝えていました。
すると、祖母が「うれしい」と!!
祖母の口から「うれしい」という言葉が出るなんてこれもまたありえない事です。
今…嬉しいって言った…? 言ったよね…? とこれまた驚きつつも更に感動し、皆でうれしい気持ちを伝えたのでした。
その後も、「ありがとう」と「嬉しい」とお経を連呼し、帰宅した父に対しは「○○さん、色々ありがとう。嬉しい。」と。
父はえらく感動したようで、「おばぁさんありがとう!おばぁさんの事が大好きや!これからもおばぁさんに嬉しいことをたくさんプレゼントするからね!」と、おでこにチューをしまくり・・・
祖母はえらく迷惑そうにしていましたが(笑)、父は感動して目を真っ赤にしていました。
たくさんの喜びがつまった嬉しい外泊になりました^^
そしてなんと、生まれて初めて母が私宛にお手紙をくれました!

『 ○○○へ
  いつもいつも手助け本当にありがとう。
  感謝の気持ち、心を、どういう風に伝えていいのか分かりません。
  本当にありがとう。
  やさしい子供でいてくれてありがとう!!
                          母  』

短いお手紙ですが、とってもとっても嬉しくて涙が止まりませんでした。
当たり前なのですが、私は母の子供なんだって思いました。
そしたらたまらなく嬉しくて、母が祖母に言ったように、「私を産んでくれてありがとう。」と思いました。
母の子供で良かったと心からそう思い、今週末の母の日に伝えようと思っています。

本当にありがとうございました!
祖母の変化やこうしてうれしい心の交流が出来ること、家族のみんなの心がより1つになっていることがとても嬉しく幸せに思っています。
これからも喜びが拡がりますように、私も頑張ります!

08/05/2008(木) 03:51:39


No.3752  まゆみ
Re: ありがとうございました! 引用
すごいですね。
うれしいですね。
ここまで大変な思いをされたでしょうが、こんなうれしい変化がおとずれるんですね。
ちぃさんのやさしさが実を結んだんですね。
私もいっぱい喜びを広げていけるよう頑張ります。
ちぃさんありがとう。

08/05/2008(木) 16:54:21

No.3753  ミュー ホームページ
Re: ありがとうございました! 引用
ちぃさんの喜びがストレートに伝わってきて、私も嬉しくなりました。
ちぃさんも、ご家族のみなさんも、ここに到るまでには人知れずたくさんのご苦労があったと思います。
それでも、それでも喜びに向かおうと挑戦し続けられ・・・だからこそ繋がった喜びの連鎖と拡がりは、本当に凄いのですね!!
私まで、嬉しい元気をもらいました。

ちぃさん、ありがとう。。。

みなさんの幸せな笑顔と心が通い合うであろう母の日が、今からとても楽しみですね♪今年はきっと、一味も二味も違う嬉しさだと思います。
そんな“嬉しい”の実感と思い出が、これからもたくさん増えて行きますように、願っています。

08/05/2008(木) 17:12:51

No.3754  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ありがとうございました! 引用
☆ちぃさん

ちぃさんのお祖母さんの暴力の話を聞いて、遠隔ヒーリングをさせてもらったのは2〜3ヶ月前でした。
さきさんと一緒に、憑依を外し、お祖母さんのオーラに必要としている喜びのエネルギーを注ぎ、お祖母さんとつながっている人たちとの心のコード(見えないパイプ)にも健やかな喜びのエネルギーが循環するようにエネルギーを送りました。
遠隔ヒーリングを始めてすぐに暴力も止まり、穏やかさを取り戻したという話でした。

かなり手応えがあったのですが、お祖母さんだけではなく、お祖母さんにつながる人たちも、急に穏やかで調和的になったという報告を受けて、その月の定例会のヒーリングの実習のテーマになりました。
こちらこそ、「ありがとうございます」ですよ。

その後もお祖母さんは順調に健やかな喜びを膨らませておられるようで、私たちもとても嬉しいです。
お母さんからのちぃさんへの手紙の話、うるうるしました。
ちぃさん、本当によかったね。
今年の母の日は、お母さんにとっても最高の日になるのでしょうね。
おおらかに喜びの連鎖を広げていきましょう。

明後日には、大変な状態になっているご家族の依頼があって、東京に出張ヒーリングに出かけます。
何とかお役に立ちたいと思っています。
ちぃさんも応援していてくださいね。

08/05/2008(木) 18:09:58

No.3756  あれく
Re: ありがとうございました! 引用
ご無沙汰してます〜
よかったですね!!ちぃさん、すごく親孝行してますね!!
なんだかわたしもうれしいです☆

わたしもがんばろーって勇気もらえました☆

09/05/2008(金) 01:30:30

No.3763  ちぃ
Re: ありがとうございました! 引用
まゆみさん、みゅーさん、飯沼さん、あれくさん、返信ありがとうございます!
昔の私だったら状況に心を翳らせるばかりで更に状況を悪化させたり、投げ出したりしていただろうな〜と思います。
もちろん状況に心を翳らせたことが何度もありますが、それでも投げ出さず前へ進み続けてこれたことを嬉しく思っています。
こうしてここまで来れたのは飯沼さんや克子さん、さきさん、皆さんのおかげです!!
あ〜もう頑張れないかもしれない。と思う度に飯沼さんにSOSを出し、その度に喜びをプレゼントして頂きました。
その喜びに励まされ、そして皆さんに応援して頂けたからこそ頑張れました!
本当にありがとうございます♪
これからも喜びを拡げていけるように頑張ります!
明日の出張ヒーリング、応援しています!

09/05/2008(金) 23:33:51


No.3751 まゆみ  
喜びの輪を広げましょう!! 引用

8日です。喜びの輪(和・環・話…)を広げましょう。

一月がとても早く感じられます。
このメッセージをここに掲げるとき、新たな気持ちになり、ここからはじめようって強く意志するのですが…
その一月の間に、だんだんに垢にまみれていくように薄れてしまうんですよね。(コラコラ!!)
そして気がつけば8日がめぐってきているのです。

また新たな気持ちでこのメッセージを胸に刻み、進んでいきたいと思います。


今月もエネルギーの共鳴をみなさんと一緒にしたいと思います。
みなさんよろしくお願いいたします。


    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *

08/05/2008(木) 16:30:26



No.3749 飯沼 ホームページ E-mail
冊子の原稿 引用
冊子の原稿、かなり集まりました。
書いてくださった皆さん、ありがとうございます。

最終締切日は5月24日の定例会の日とします。
といっても、これはあくまで最終締切日なので、できるだけ早く書いて送ってくださいね。

それから掲載原稿の選考や編集作業を始めるので、発行は夏以降になってしまいそうです。

冊子というよりはちょっとした本になりそうな感じです。

08/05/2008(木) 01:22:54



No.3730 みゆき  
大切なことがやっとわかりました 引用
みなさん、こんばんは。
私事で恐縮なのですが、嬉しい気持ちの変化がありました。
自分自身にとっては、とても大きいことでした。
お腹の中にいるちびっこのことを喜び、祝福して下さっているみなさんに、ありのままを報告したいと思い、この場をお借りして書き込みさせていただきます。

「赤ちゃんは神様からの授かりもの、自然にまかせよう」と二人で話していた。
まさかこんなに早くちびっこをさずかるとは!
嬉しさ、驚きと同時に、不安、心配でいっぱいになった。
心の準備も、覚悟も、充分にできていないままの妊娠だったから。
ひとりの人間を育てていくという重責感。
わたしにそれができるのかという、自信のなさ。
3?歳での出産、母子ともに大丈夫なのかという、年齢の問題。
生活していけるのだろうか、という現実的な問題。
はては、お産の痛みに耐えられるのか。出産がこわい。
体型は元に戻るのか。
というささいなことまで、不安と心配の種に限りがなかった。
そして、ちびっこを守っていかなくては!というプレッシャーのような気持ち。
家族や仲間は、励ましてくれていたのに。
手放しで、嬉しい!と思える状態ではなかった。
そのうえ、つわりが始まった。
常に気持ちが悪いという、ありえない状態。
世のお母さんたちが同じ思いをしているということ。
お腹の中のちびっこ、赤ちゃんは、お母さんの気持ち、なんでもわかってしまうから、不安や心配な気持ちは、ちびっこにとってよくないこと。
重々わかっている。
でも、ほんとに辛くて、耐えられなくて、泣いたり、叫んだり、彼の前でちびっこにひどい事を言ってしまったりした。
彼は彼で、疲れてもいるし、不安や心配があった。
心身共に不安定なわたしとの生活。
仕事プラス家事という体の負担と、不安定なわたしと接するという精神的な負担。
家族の生活を支えていかなくてはいけない。将来への不安。
そういう中でも、彼はずっと変わらず、わたしを受け止め、励まし、支えてくれる。
彼は、「確かに家族が増えるから、生活の不安はある。生活が苦しくなったとしたら、その時考えればいいし、なんとかなると思う。自分たちには、支え励ましてくれる家族やたくさんの仲間がいる。人との心のつながりは、モノやお金と違って、ずっとあるもので、宝物だ。だから、いろんな不安はあるにせよ、僕たちは、とても恵まれている、その幸せの気持ちの方が大きいんだ」という。
そして、ちびっこの誕生を心から喜んでくれているし、ちびっこのこともわたしのことも大切に思ってくれている。
不安や心配ばかりが思い浮かぶわたしは、自分のことばっかり考えていたのだ。
彼も不安なこと、心配なことがあったのだ。
わたしも、彼とちびっこのことをとても大切に思っている。
だから、少しずつでも彼の不安や心配を取り除いて、助け合って、楽しく幸せにやっていきたい。そして、それはきっとちびっこに伝わる。がんばろう。
どうしていけばいいのか。冨田江里子さんのブログを何度も何度も読み、本当に大切なことは何なのかを確認する。
ちょうど1年前に女の子を出産したAちゃんのこと、今年1月に出産した妹のことを思う。
毎日、育児でいろんなことがあって大変に違いないのだけれど、それぞれのお母さんが赤ちゃんにありったけの愛情を注いでいる。
赤ちゃんのことがかわいくて、大好きなんだな。不安や心配よりも、愛情のほうがおっきいんだ。
お母さんって、こういうことなんだ。
今までの自分のお母さんに対する認識(お母さんは大変、しんどい、責任重大)が一変した。
お母さん、楽しいかもしれない!!
お母さんになるのが怖い、という気持ちがなくなった。
そして、赤ちゃんってほんっとにかわいいな、って心から思えるようになった。
赤ちゃんが安心していられる場所は、お母さん、お父さん、周りの人たちの愛情によって作られるんだ。。。
だから、ちびっこがわたしたちの元へやってきてくれたこと、共に暮らしていけることの喜びや幸せ、愛情を、そのままちびっこに伝えていけばいいんだ。。。
それは、きっと、シンプルなことで、わたしが楽しい=ちびっこも楽しい、彼も楽しい。
そういうことなんだろう。
何かしんどいこと、不安があれば、家族や仲間に相談すればいいんだ。
きっと乗り越えられる。
本当に大切なことが、やっとわかった。

ちびっこの命がお腹に宿ってから、はや4ヶ月。
そのほとんどを不安や心配でいっぱいの気持ちで過ごしてきてしまったこと、とても申し訳なく思っています。
ちびっこにも、そして、ちびっこのことを喜んでくれているみなさんにも。
今は、自分でも不思議なくらい、不安や心配の気持ちが小さくなり、ちびっこと会える日を心待ちにしています。
ふさぎこみ、落ち込んでいた日々も、うそのように、彼や家族、友人とたわいもない話をしては笑いころげています。
気持ちの変化からか、つわりもだんだんと落ち着いてきたように思います。
これからは、今までの4ヶ月を取り戻す勢いで、自分の愛情に自信をもって、絶えることなく、メガマックス、ちびっこに注いでいこうと思います。
心と心がつながった家族や仲間は宝物です。自分は幸せ者です。みなさん、ありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
最後に、ゆうきくん。仕事、音楽と忙しい中でも変わらず、わたしを励まし支えてくれて本当にありがとう。
これから、大変なこと、たくさんあるやろうけど、あなたとやったらちびっこと3人、楽しくやっていけると思います。がんばろうね。
長くなりましたこと、お許し下さい。ありがとうございました。

02/05/2008(金) 01:16:04


No.3731  スーパーじいさん
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆきさん…こんにちは!!
最初読んでて…どうなるのか?と
思ったんですが…最後まで読んで安心しましたよ〜!!
そして「ゆうきくん」の心の大きさにも感服いたしました(笑)

出産まで後6ヶ月ですね〜
イロイロと経験(体験?)されるでしょうが…
今の思いがあれば十分大丈夫ですね〜
笑って進んで下さい〜・・・

ちなみに私は7月に三人目の孫が…(喜)

またお元気な明るいお顔を拝見させて下さい…

   頑張ってね〜!!

02/05/2008(金) 10:03:20

No.3732  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
☆みゆきちゃん

こんにちは。
大事なことに気づけてよかった!

みゆきちゃんの不安は多くの妊婦さんと共通していると思います。
私も同じような相談を受けることがよくあるのです。
今の時代は金銭的にも精神的にも不安定要素が大きく、本当に信頼できる友人や仲間やご近所はおろか、夫婦や家族の間ですら心を交し合いにくくなってしまっている人たちが少なくありません。
孤独の中で、授かった生命を育み、生まれた子供の心と体を育てていくのは、とても難しいことだと思います。
そう思っただけで気が滅入って体調が悪くなってしまう妊婦さんも多いのですよ。

でも、いろんな不安が完全に払拭されてはいなくても、そういうなかでさまざまなことを喜びにつなぎ直せて本当によかったです。

人生にはさまざまな不安がもたらされるものです。
不安を強めたからといってなんら状況の改善に役立つわけではなく、むしろポジティブに考えられなくなる分、状況を悪化させる大きな要因になります。
不安や怖れが霊界側の援助のエネルギーを遮断してしまうのです。不安こそが幸せの最大の敵なのですが、「分かっていてもどうにもならない気持ち」は、誰にでもありますね。
それはもう、良いとか悪いとかではなく、「自分でもどうしようもないものはどうしようもない」という、「とても厄介な事実」以外の何ものでもありません。

人生における不安要素は、神の気まぐれによってもたらされるものではなく、本人がそれを越えて喜びにつながっていくための素材です。
誰もがいつかは、たとえ何十年・何百年かかったとしても、そういう思いを越えることにはなるのですが、越えれば心身ともに健やかさが増していくのですから、早く越えたいものですよね。
なかなか越えられず、長く引きずったとしても、そこで動いた気持ちは無駄になることはないのですが、それでも苦しさの中で心の輝きを取り戻していく準備を続けるよりも、喜びの中でさらに喜びを広げ、深めていくことの方がすっきりしていて嬉しいに決まっています。
まあ、その手助けをさせていただくのがヒーリングであり、私の仕事でもあるのですが。

とにかく、よかったです。
今、苦しさを抱えておられる妊婦さんやお母さんたち皆さんが、みゆきちゃんの喜びのエネルギーに触れて、喜びにつながり喜びに向かっていけることを願います。

しかし、ゆうきくん、なかなかいいヤツだね。
誰に似たんだろう?

02/05/2008(金) 14:39:36

No.3733  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
☆スーパーじいさん

そうですか、もうすぐ3人目のお孫さん誕生ですか。
孫という言葉を聞いただけで、最近の私はわくわくしてしまいます。
よきおじいちゃんの手ほどき、お願いしますね。

02/05/2008(金) 14:42:16

No.3734  スーパーじいさん
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
飯沼さん・・・あのですね〜

その為に、今ね〜イロイロと・・・向上中(笑)

御互いねっ!くすっ!!(微笑)

では、明日は宜しくお願いします〜

02/05/2008(金) 21:49:26

No.3735  ミュー ホームページ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆきちゃんへ

嬉しい気持ちに向かって良かったね!
妊娠すると、ホルモンの急激な変化もあるので、機能的に心のバランスも崩しやすくなるよね。
多かれ少なかれ、誰もが持つ不安だと思います。
だから、どうか謝らないでね^^。
それどころか、しんどい中でも自身の内面に気がついて、切り替えてゆけたみゆきちゃんは、すごいなぁ〜!と思いました(ちなみに・・・私は妊娠中、全然ダメダメでした〜苦笑)。

みゆきちゃんには、頼もしい旦那様がいて、信頼出来るご家族やお友達がいる・・・心通い合い励まし、支えていてくれる。
新たな命を育んでゆく中、こんなに嬉しい事はないよね!

大丈夫!気が付けば、妊娠初期の不安な気持ちが、いつの日かきっと笑い話になるよ!!そして今度は、不安を抱えた妊婦さんと出逢った時には、みゆきちゃんが、先輩ママとして溢れる愛情と共感を注いでゆけるのだと思います。

心配ないからね!喜びがたくさんのこの先に向かって、めいっぱい両手を伸ばして掴んでいってね。
素敵なパパ、温かいママから、この世でたくさん味わうであろう“わくわく”な気持ちを伝えられて誕生してくるちびっこを、私達もとても楽しみにしています。
我儘も、徹底的にさぼる事も!?妊婦さんの特権だと思うから(笑)、今のうち存分に甘えてね。
みゆきママも4ヶ月、たまらない嬉しさも喜びも、これからだよ〜♪。

02/05/2008(金) 22:36:09

No.3736  藍子 ホームページ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みうきちゃん、よかった。
ちびっこも今喜んでるだろうね!!「かあさん、やったね!(ちびっこの心の声)」

赤ちゃんを授かるって最高にハッピーなことだけど、お母さんになる不安も確かにあるんだろうね。赤ちゃんの未来を真剣に考えれば考えるほど、不安も悩みも底を尽きない気がします。

でも今回、気付けて本当によかったね!!兄は変わらず音楽活動もがんばってたし、私は兄もみうきちゃんもどれほどがんばってたか全然気付けずにいたけど、ほんまなかなかかっこいいではないですか。

この投稿、ちびっこにいつか読んでもらいたいなぁー
みうきちゃんがだんだんお母さんになっていく道のりだね。
ちびっこはこんなお母さんとお父さんの間に生まれて、幸せだな。

藍ネェも(おばさんとは一生呼ばせない!)嬉しいです。
11月を心待ちにしています。

02/05/2008(金) 23:02:46

No.3737  あきこ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みうっきい☆
掲示板読みました。みうっきいもたくさんの事を考えているんやな
と改めて思いました。
お母さんになるってすごい事なんやね!!
そしてこんなに変われるってちびっこはすごいね♡
私もまだ結婚もしてないのに考えすぎてました。
「今でこんなにしんどいのに結婚して家事も仕事もやりたいことも
 なんて絶対無理すぎる・・・」とか
考えたら不安やしんどく感じる要素がどんどん出てきて
店長続けるのはしんどいとか、もうぐるぐるしてて
彼氏やお母さんには考えすぎやと言われつつ
時にはけんかもしつつ、余計に疲れてました。。。
良くないですねーみうっきーを見習います!!
必要の無い心配をして余計な労力を使わないように・・・>O<
幸せを体一杯に感じていけますように。
みうっきいが幸せでみんなが幸せで
もっと幸せが広がりますように☆☆☆彡

02/05/2008(金) 23:30:49

No.3738  みゆき
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
スーパーじいさんさん、飯沼さん、ミューさん、藍子ちゃん、あきこちゃん。
あたたかいお言葉、ありがとうございます!
心身共に最悪でちびっこに酷いことをいってしまった時、彼に、
「ちびっこは、未熟な僕たちだけど、親として望んできてくれたんやで。それやのに、そんなこといって。ちびっこは自分を守るものなんか持たず、裸んぼのままで来てるんやから、すごく傷つくよ。わかってるのか!僕も悲しい。」と怒られました。
そんなんわかってる。。。でも、しんどすぎるねん。。。ごめんね、ちびっこ。。。大泣きしました。
こんなあほで、だめだめなわたしをすべて承知の上で、来てくれたちびっこ。
こんなお母さんでごめん、という申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
でも、今は、わたしを選んで来てくれてありがとう!という気持ちに変わりました。
ほんとにしんどくて辛かったですが、この経験がなければ、大切なこと気づかなかっただろうし、こんなに嬉しい気持ちにならなかったと思います。
お母さんとして、人として、今までのことも、これから起こることも、わたしにとって必要な経験なんですね。
しんどいことがあっても、乗り越えたいと思います。
残りの妊婦生活、ちびっこと共にいっぱい楽しみます!

03/05/2008(土) 01:30:22

No.3739  まゆみ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆきちゃ〜ん!!
大切なことがわかってよかったね。
そんなにしんどい思いをしているとは全然知らなかったよ〜
私はほんとに頼りにならないおばあちゃんだけど(ほとんど忘れちゃってる…)楽しみにしています。
これからも大変なこといろいろあると思うけど二人でなら大丈夫だと思っています。
ちびっこと一緒に楽しんでね〜

03/05/2008(土) 10:16:19

No.3740  さき ホームページ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆきちゃんの投稿読んでたらうるうるして。。。
最後によかった〜!って、嬉しくなりました。
みゆきちゃん、ちびっこちゃん、よかったね。
もうすぐ胎動も感じるじゃないかなぁ。。(うわぁ〜ドキドキ♪)
ご対面の時までめいっぱいちびっこちゃんとの嬉しい時間を過ごしてくださいね!
すべての妊婦さんがみんなそんな喜びのなかでプレママ期間を過ごせたらいいな。

(ゆうきくんの言葉)
・・・自分たちには、支え励ましてくれる家族やたくさんの仲間がいる。人との心のつながりは、モノやお金と違って、ずっとあるもので、宝物だ。だから、いろんな不安はあるにせよ、僕たちは、とても恵まれている、その幸せの気持ちの方が大きいんだ。・・・
↑↑
何だか身にしみました。
自分自身へのメッセージのようにも感じました。(ありがとう。)
お父さん、やるやん!
こうやって2人ともお父さん、お母さんになっていくんやね〜。
なんか感動です。ちびっこちゃんに会えるのが楽しみ♪
こんな素敵な宝物を手にしてるんだもの。
私もその喜びのなかで生きていきたいな。

03/05/2008(土) 12:35:29

No.3741  ゆうき ホームページ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
こんにちは。パパです。
みなさん、暖かいお言葉ありがとうございます。
ほんとに僕らはみんながいてくれて幸せものです。
この幸せをカタチを変えて広げていけたら、とも思います。

で、親バカかも知れませんが、早速ちびっこにピアノ曲を作りました。胎教音楽みたいなつもりで作ったのですが、どうかな〜?
こちらのページで聞いていただけます↓
(頭に「h」を入れてくださいね。それか、僕の家マークからいけますよ)

ttp://issin.net/hibiki.mp3

ちびっこは気に入ってくれるかな〜?
ちびっこが生まれてきたら感想を聞きますね。


最後に、みゆきさん。
ちびっこと3人仲良く暮らそうね。これからもヨロシク♪

03/05/2008(土) 16:36:07

No.3743  あきら&ひとみ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆきちゃんへ
ほんとにほんとに良かったね。
何かとってもじ〜んときてしまいました。
いろんな事が全て不安に繋がってしまう・・・。
私も少しばかりその経験をさせてもらったので、よ〜くわかります。
でももう大丈夫だね。
みゆきちゃんの周りには沢山の仲間がいるよ!
遠慮なくどんな些細な事でも、聞いてくれるから安心して喜びに向かっていってね。

>それは、きっと、シンプルなことで、わたしが楽しい=ちびっこも楽しい、彼も楽しい。
そういうことなんだろう。

うんうん!ほんとにそうだなぁって思います。
全ての妊婦さんがそう思えるようになって欲しいなぁって!
みゆきちゃんの笑顔が、赤ちゃんにもパパさんにもパワーになっていくと思います。
みゆきちゃん!無理せずゆ〜〜〜〜ったりこの今を楽しんでくださいね。

                      ひとみ

03/05/2008(土) 21:34:42

No.3744  キン
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
みゆっきぃ、よかった!!!!!

大切なことだねほんと。頭でわかってるのと心からわかるのって
全然ちゃうし、わかったときの感動はすごいやんな!

可愛いちびっこもいる、愛情で包んでくれる兄貴がいる。
そしてみんながいる☆心からそう思えたら、最高に幸せやんね!
みゆっきー☆よかったー☆
なんだか、私も嬉しくなってきた!
あにきとみゆっきに会えたことも嬉しいし、
あにきとみゆっきぃが結ばれたことも嬉しいし、
ちびっこを授かったこともめっちゃ嬉しいし、
これからちびっこに会えるのもワクワクで嬉しいですね。
ちびっこ、もうすでにめっちゃ可愛いし。
みゆっきぃはいつも可愛いけど、
妊婦さんになると輝いてみえるし、ほんと神秘的で美しいです☆☆

これから、楽しみが増えるね!わーい☆!
それと、あにきのうた、めっちゃいいねー☆
歌詞もつくんかなぁ? なんしか、いい!

03/05/2008(土) 22:59:30

No.3745  tomoako
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
☆みゆきさん 体調のほうが 落ち着いてきたみたいで 安心しました。

私の場合は つわりは軽かったかもしれませんが 何を食べても 

オブラートに包んだ感じで おいしくなくて おまけに妊娠初期から、

押しつぶされそうなくらい 息苦しくって 寝返りもうてずと大変でした。  

10ヶ月もの間 こんなことが毎日続くと思うと 不安で つらくってどうしようもなかった日々を思い出しました。

これから 暑くなりますが 無理をせず お体 ご自愛してくださいね(~o~)

☆ゆうきさん ピアノ曲 何回も繰り返し聴かせていただきました。

数回聞いているうちに 涙が出てきました。。。

ゆうきさんの鍵盤を打つ指からは 愛情と喜びのエネルギーが 

そして ピアノの音色からは

赤ちゃんや 奥さんへ向けての 純粋な 思いが ひしひしと伝わってきました。     

05/05/2008(月) 20:43:07

No.3746  あきこ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
ゆうきくん・みゆっきい
ゆうきくんめちゃめちゃいい曲じゃないですか♪♪♪
素敵なパパさんですねー☆
感動しました。。。

05/05/2008(月) 22:20:21

No.3748  ゆうき ホームページ
Re: 大切なことがやっとわかりました 引用
僕が作った曲気に入ってもらえて光栄です。
片手で10度(ドから高いミまで)を押さえるコードが頻繁に出てきます。
相当手が大きくないと、この曲は弾けないでしょう。

僕はこの手があまり好きではありませんでした。
ほとんどのピアノ弾きの悩みは手が小さい事なのです。
ピアノを弾く人は僕の手をよく羨みます。
僕にはそれがたまらなく苦手でした。なんだかフェアじゃない気がしていました。
せっかくの長所なのに、僕は全然好きではありませんでした。

でも、授かったちびっこに曲を作ろうと思った時、僕は絶対にこの手を最大限使おうと思いました。
僕の体も与えられたものだからです。
誰に気兼ねするでもなく、大いに僕が出来る最高の音を作ろう、と。

これは僕からちびっこへのメッセージでもあります。
与えられた肉体を精一杯使って、大きく伸び伸び育って欲しい。
これが、この曲にこめた僕の願いです。

そして、この曲が出来たのは、僕の両親のおかげです。
ありがとう。

07/05/2008(水) 19:24:31


No.3673 飯沼 ホームページ E-mail
冊子の原稿・・・ 引用

冊子の原稿の締め切りはまだ設定いたしませんが、5月半ば頃をメドにお願いします。
その時点で、改めて締め切りを設定したいと思います。

「原稿、書くよ」と言ってくださっている皆さん、「書いてみようかな」と思ってくれてる皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

16/04/2008(水) 12:41:16


No.3680  キリコ ホームページ
Re: 冊子の原稿・・・ 引用
はい。

18/04/2008(金) 22:54:11

No.3715  キリコ ホームページ
Re: 冊子の原稿・・・ 引用
今日、送ります。よろしくおねがいします。
9枚分となりました。

28/04/2008(月) 17:55:27

No.3717  キリコ ホームページ
Re: 冊子の原稿・・・ 引用
自分が出したので、心置きなくいえますが(笑)、

スピリチュアリズムの精髄「実践」について、
原稿を作成していると、

自分なりに整理ができて、大変よろしいと思います。

頭の中で、漠然と信念のようなものはできていても、文字にして、文章にしてみると、自分自身、整理することができます。

原稿作成、けっこう、お勧めです。

28/04/2008(月) 21:42:41

No.3718  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 冊子の原稿・・・ 引用
☆キリコさん

原稿、ありがとうございました。
まだ読ませてもらっていませんが、ファイルは開けます。

☆みなさんへ

冊子の原稿、連休明けぐらいをメドにお願いします。
連休明けの時点での原稿の集まり具合をみて、締め切りを設定します。
冊子の載せる原稿の選考はこちらにお任せください。
内容の一部変更や編集の場合は、ご相談いたします。

冊子のタイトル案もお寄せくださいね。

28/04/2008(月) 23:03:08

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