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No.3720 のぶよ  
縄文展に行ってきました。 引用
縄文展に行ってきました。
縄文の人々の自由を感じました。その場では分からなかったのだけど帰ってから夫と話しながら、縄文展で感じてたのは自由なのだと思いました。闇雲な自由ではない本来の自由、おのずからなる秩序に裏打ちされた真の自由。縄文の人たちの、何の壁も制約もきめつけも圧迫もない、自由なおおらかな喜びや感謝、躍動が伝わってくるようでした。
火焔型土器の複雑な緻密なアンバランスな難解な模様、一面からみると右が低いようなのに反対からみると左が上がっているようで、一周してみると絶妙な安定感さえ感じれる。
炎の跡がある、この土器で実際に縄文の人々は食べ物の煮炊きをしていたらしい。この土器をどんなふうに縄文の人たちは使っていたのだろう、家の中で家族で囲んでいたのだろうか。神への感謝、食べ物をいただけることへの感謝の気持ちを表したくて、こんなにもきれいな器を作り、何の惜し気も躊躇いもなく火にかけ食べ物の煮炊きに使ったのだろうか。感謝の気持ちをもつことさえも自由なのだとおもった。
 今の私の心の貧しさ不自由さを思いました。日常の些細なことを決めることさえもどうでもいいたくさんのことを思い悩んでしまいなかなか動けない。食事のときに「いただきます」「ごちそうさま」と言ってるけど、心からの自由な感謝の気持ちで言ってはいなかった、と思った。
心が自由でないと、心から感謝の気持ちを持つことも、心から喜ぶことも、心から・・・、どんな気持ちも本当には思えないのだと思った。心が不自由だと喜びさえも心からのものでなく形だけの頭でわかっているだけの喜びになってしまっている、そう思った。
縄文の人たちは、何の衒いも壁も迷いも躊躇いも疑いもなく、自由におおらかに心を表現していたのだと思った。その縄文の人たちの心がこの土器に残光となって表れていると思った。
 私の心の不自由さ囚われの源はどこにあるのだろうと思った。そこから外れて本当の自由な心になりたいと思いました。何物にもとらわれない本来の自由な心、私が私でありたい、私らしくありたいと思いました。
私だって幸せに違いないと思いました。食べる物があり、住むところがあり、着る物があり、愛する人と一緒にいられる、感謝することが一日に何度もある、これを幸せと心から思えていなかった、これまでの心の不自由さを思いました。
 縄文の人たちの自由に触れられて、嬉しくてしかたありません。
飯沼さん、縄文展のお知らせをして下さり、ありがとうございました。
夫は縄文展で力強さを感じたそうです。人それぞれに感じ方はあるのでしょうね。それぞれの感じ方を楽しめばいいのだと思いました。
とても良かったので皆さんぜひ見に行ってみてください。

29/04/2008(火) 00:16:33


No.3721  まゆみ
Re: 縄文展に行ってきました。 引用
のぶよさんの書き込みを読んで本当にそうだなぁって思いました。
おおらかな喜びの自由がそこにあったのでしょうね。
縄文の人達のような心でいたいものです。


>縄文の人たちの自由に触れられて、嬉しくてしかたありません。

のぶよさんのにこにこ顔が浮かんできて私もうれしくなりました。

(もう一度縄文展行ってみたくなりました。)

29/04/2008(火) 07:45:00


No.3716 藍子 ホームページ 
夜回りを終えて。 引用
まだ夜回りをしたことが胸の中でチカチカしています。

私が住んでいた丹波にも京都にも
彼らの姿はありませんでした。

大阪に兄と住むかもしれない、となったとき
私は初めものすごくものすごく嫌で、

「だって大阪は汚いんだもん。臭いんだもん」と

平気な顔で言っていました。
それでも住むことになって
私たちの住んでいる地域は野宿者の方々が少ないこともあって
ほっとしていたのを覚えています。

ビッグイシューという野宿者の方々が販売している雑誌があって
それは見かけるたびに買うようにしていました。

でも、野宿者の方々への拒否感というのは根強く
夜回りに参加することになった時も
大変なことになってしまった・・と胸の内でドキドキしていました。

でも実際夜回りをすると、汚いとか臭いとかそんな感覚はどこかへいき、

出会う野宿者の方々が元気でいてほしいと願ったり、
悲惨な事件がもう起こらないように願ったり、
行政のやり方に腹をたてたり・・・

まったく見方が変わってしまったのです。

これは不思議な体験でした。
「知り合う」ってこういうことなのか、と気づきました。

自分の世界の境界線、その中と外。
今まで私の世界(小さな世界)の中に野宿者の方々はいなかったです。

彼らがどんな生活をしようが私にはなんら関係がなかった。

それが知りあうことによって一気に
自分の世界の出来事、自分の問題として浮かび上がったのです。

私にできることをやっていきます。
あの日は何にも役にたたなかったけど、
参加させてもらったことに感謝しています。ありがとう。

28/04/2008(月) 21:41:20



No.3708 齋藤茂男  E-mail
ボランティア活動をしています 引用
もうゴールデンウィークに入り
休み中読書ばかりしているのもつまりませんし、
勉強も程ほどにして明日にでも少しいつもより
毎週水曜に行くと決めた日のボランティアだけでは
物足りないと感じましたのでで、ある教会の外を掃き掃除でもしに行こうとおもいました。
こおいう活動は精神衛生上良いと感じているので
精神障害者さんにはうってつけの活動だと思います。

連休中ひとりで孤独にランニング、
なんて格好良く見られるかもしれないけれど、
実態はそれだけの生活では笑えないほどつまりません。

何かに取り組んで薬を飲んで決まった時間に寝ると言う、
生活はどの病者さんにも大切なライフワークだと思います

団体でそおいう活動のできる有志の集いがあれば
障害者の自発性を促しとても良いと思いますので
家族会などで企画が出ればとても良いと考えています。

26/04/2008(土) 17:05:23


No.3714  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ボランティア活動をしています 引用
☆齋藤茂男

こんにちは。
教会の掃き掃除、行かれたのでしょうか?
そういう気持ちになるところが偉いですよね。
私などは仕事部屋を片付けるようにずっと言われながら、なかなかその気になりません。
運動不足の解消もなかなか進まないのですよ。
情けないです・・・。

人間どうしのつながりの中で、何か有意義なことを楽しく一緒にしていくことが、精神の健やかさには不可欠なように思います。
家族会で楽しく有意義な企画ができればいいですね。

そういえば、精神疾患を抱えている知り合いから、この連休中に守山直太朗さんのコンサートに行くつもりだというメールをもらいました。
彼が楽しい方に向いてくれたことが、なんだかとっても嬉しかったです。

28/04/2008(月) 15:05:27


No.3707 飯沼 ホームページ E-mail
ちょっと、お知らせ 引用
「天地悠々・悠々通信」は昨日、発送いたしました。

今回は、6月21日の、冨田さんの帰国報告会のご案内のチラシと、兵庫県立陶芸美術館で開催中の「縄文―いにしえの造形と意匠」のチラシを同封しています。

「縄文土器展」のチラシは、1枚あったのをコピーして印刷しようと思って、陶芸美術館に許可を得る電話をしました。
そしたら、「チラシはまだたくさんあるから、お渡ししますよ」と言ってもらい、もらいに行ってきました。
チラシの入った袋を開けてみると、入場割引券もたくさん入っていたので、それも同封しました。
900円が700円になります。(割引券は、兵庫県立陶芸美術館のサイトからもプリントできます)

それと、なんと、「招待券」も10枚ぐらい入っていました!
招待券は、今晩の釜ヶ崎の野宿者支援の夜回りに持って行きます。
今日の夜回りに参加する人で、「縄文土器展」に必ず行くつもりの人は声を掛けてください。
先着順で差し上げますよ。

26/04/2008(土) 13:46:02



No.3704 齋藤茂男  E-mail
間違えてエンターキーに触れてしまいました。 引用
統合失調症と差別と書こうとしました。
続きを書きます。

ただ、薬がないと皆大抵体調を崩し再発します。

欝で悩んでいた人が障害者年金をもらえず、手帳も申請できず、
働ける能力が落ちてて悩んでるのに、医者に「あなたは働いたほうが良いんじゃないですか?」と言われ、思い悩んでCENSOREDした女の子がいました。

かわいそうです。

統合失調症の僕は簡単に国に保護され、その子は国に捨てられたとかんじてしまいました。

くににうったえかけたいです。

それっておかしくありません?

25/04/2008(金) 22:43:30


No.3705  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 間違えてエンターキーに触れてしまいました。 引用
☆齋藤茂男さま

はじめまして。
ご投稿、ありがとうございます。
今日は時間が遅くなってしまったので、また明日にでも返信しますね。
明日は午後から出かける用事があるので、もしかしたら返信が明後日になるかもしれませんが。

26/04/2008(土) 01:23:33

No.3706  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 間違えてエンターキーに触れてしまいました。 引用
☆齋藤茂男さま

改めまして、こんにちは。
重い内容も含んでいるのに、とっても好感の持てる爽やかな雰囲気の文章ですね。
齋藤さんのお人柄が表れているのでしょうね。

精神疾患の傾向や発現の様子は、時代によって移り変わりがあると読んだことがあります。
ひとりひとりの人間の精神も肉体も、社会のありように強く影響されてしまうのでしょう。
残念ながら、今のこの国は、ひとりひとりの心を大切にしてはいません。
いえいえ、心どころか肉体や人生そのものすら使い捨てのように扱っています。
そういう風潮の強い社会にあれば、多くの人たちが精神的疾患を抱えてしまうのも無理はありませんね。

もう少し、根本的なところで国や社会が個々の人間を尊重し優しくなれば、そういうシステムや風潮が根付けば、肉体や精神の病を発病する人は激減するのではないかと思うのですが。

今のような社会のなかで、精神疾患を抱えながら、日々をナチュラルに生き生き生きようとしている齋藤さんに、心地よい共感を持ちました。
またこの掲示板にお越しくださいね。

26/04/2008(土) 13:23:00


No.3703 齋藤茂男  E-mail
統合失調症とs 引用
僕の場合、十五歳で統合失調症になり、回復する十五年くらい
かかり、今は小規模授産施設の作業所に通っています。
障害を持つと言うことは社会的にかなりハンディーを感じますが
今のところ、禁煙も成功しランニングを週3.4回やり読書をしながら勉強するという、まるで貴族だねと言われるような生活を送っています。
障害者は働けなくて、お金が無くて、病気のせいで何もできないのじゃないか?と思ったら大間違いで、僕の周りには健常者より健康で頭のいい人を沢山見かけます。
そういう人でも季節によって心のバランスを、人それぞれですが、
くずしやすいのです。
しかし薬さえ飲んでいれば、周りの人とのコミュニティーがあるため僕を含めて皆元気で、国家試験を受けて見事行政書士の資格を取った人もいます。

健常者じゃなければ何も勉強しても試験なんかうからないって思って欲しくなく、僕もピアカウンセラーになりたいと人並みに夢を持っているし、人間なので当たり前のように恋をします。
勉強も好きだし、市民マラソンの大会にだって出たいと思ってランニングで汗を流すのも好きです。

ただ、

25/04/2008(金) 22:28:00



No.3692 あきどん  
こんにちは 引用
飯沼さん、克子さんとの対話の「愛は時空を超えて」の通信をいつも楽しみにしています。
そろそろ、また通信が読めるかなと思っていたところでした。
いつも、とても考えさせられ、また元気をいただいたり、感銘してします。ありがとうございます。
それだというのに、その思いをコメントしなくてすみませんでした。
「地上人類の歩み」は、最近、再び読み直して、(どうも思いを上手く表現できませんが)この物質世界で喜びを表現するということを改めて意識し、元気を得ていたところでした。
自分の今に喜びを見出し、いかにして皆や自分にとっての喜びを広げていくのかということを肝に銘じたいと思います。

23/04/2008(水) 11:42:36


No.3693  あきら&ひとみ
Re: こんにちは 引用
愛は時空を越えてはいつもタイムリーな話題が出てくるので、いつも楽しみにしています。

コメントがちょっと少なくても、これからもよろしくお願いしますね。

23/04/2008(水) 18:54:59

No.3695  キリコ ホームページ
え? 引用
いつも素晴らしい内容で、なかなか心暖まる内容で、わたしが普段考えていることと
共鳴する部分も多く、二人のやり取りも、突っ込みをいれたかったのですが、あまりコメントが付かないので、
付けてはいけない流儀でもあるのかと、深読みしていましたが(笑)。

24/04/2008(木) 05:37:30

No.3696  ちこ
Re: こんにちは 引用
私もいつも『愛は時空を超えて』を楽しみに読ませて頂いています。でも、内容が難しくて自分の中になかなか馴染んでこないのでコメントできずにいましたが、今回長年の願いと疑問に答えをいただけたようで、とても嬉しくなりコメントさせていただきます。

私も近代医療を否定する訳ではないのですが、それだけでは不十分だとずっと思ってきました。どうにかして近代医療と代替医療が融合されないものかと思っていたのですが(私は医療関係者ではありませんが)、最近日本でもそういう動きがでてきていることを知り、早くそれが実現しないかと願っています。
精神科・心療内科や末期がんの緩和ケアの施設でアロマセラピー・リフレクソロジー・レイキや気功などの代替医療をする人が患者さんにボランティアや有料で施術するというところがあります。そこの院長先生や関係者はアロマセラピストを国家資格として実際に医療現場に入れるようになれればと願って活動されているようです。
悠々塾の仲間にも西洋医学と東洋医学の融合を願って活動されている方がいますよね(感激してしまいました)。
そういった活動がもっと広まっていけば、日本でも近代医療だけでなく様々な手段を使って患者さんの身体に負担もなく速やかに治癒できる日が来るのではないかと思い嬉しくなってしまいました。

また「日本は重要な国だ」といったことを良く見かけていたのですが、なぜ重要なのかということに答えているものがありませんでした(私の乏しい情報量の中ではですが)。
けれどそれは縄文人の想念エネルギーが染み付いているからなんですね。

>今が決して楽ではないにしても、もしかすればもっと厳しい状況に陥っていたかもしれないのです。
>今を喜べないならば、今、与えられているものを失うことで、そのありがたさに気づくことになるかもしれないのです。

これまで「楽しい」や「嬉しい」と思うことはできても、「今を喜ぶ」ということはなかなかできませんでした。というかどう喜べば良いのか分かりませんでした。これにはまだ身体に馴染むまで相当かかると思いますが、少しずつ今を喜んでいきたいと思います。そして物質的にも豊かであり地球のエネルギースポットでもある日本に生きている今の自分をいろんな意味で喜んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

24/04/2008(木) 12:33:35

No.3697  tomoako
Re: こんにちは 引用
わたしも いつも見させていただき そして勉強させていただいています。 

お疲れであろう長時間にわたる 霊界からの受信をして 書き込んでくださり ほんとうに 感謝です☆

ありがとうございます(^o^)丿

24/04/2008(木) 17:39:45

No.3698  エーチャン
Re: こんにちは 引用
わたしもいつも繰り返し読んでいます。今回も掲載される数日前から、もうそろそろではとわくわくしながら待っていました。

私が今特に自分自身の課題として考えているのが「よろこび」です。私自身、今までありとあらゆるかげりを囲い込んできたようなところがあり、これをどう克服するのか悪戦苦闘しているのですが、何となくほんとうのよろこびというものが見えてきた気がします。克子さんの言葉をかりると「魂の希求するものに向かう」ということだと思います。こんなことが今頃分かったのかといわれそうですね。分かってみれば簡単なことなのに自分一人ではなかなか分からないのです。

ほんとうに感謝しています。わたしの場合、ようやく転換点にたったところだと思います。今後ともメッセージを通して、励ましと導きを与えられればと願っています。

24/04/2008(木) 21:55:06

No.3700  飯沼 ホームページ E-mail
Re: こんにちは 引用

皆さん、コメントありがとうございます。
ほんとに嬉しいです!

コメントがないと、自分はドンキホーテのように独りよがりの独り相撲を取っているのではないかと、ふと孤独感というか、なんともいえない寂寥感に気持ちが縮んでしまうことがあるのです。

読んでもらっていて、何かを考えるきっかけになったり、何かを感じてもらえていることが分かれば、元気百倍です(笑)

私の投稿にコメントを付けてはいけない流儀はありませんので(笑)、皆さんお気軽に書いてくださいますように。
最近は皆さんそれぞれに、ドネのSNSでの日記やそれへのコメントに流れていっているようですが、それはそれとしてこの掲示板もよろしくお願いいたします。

ついでに連絡ですが、「天地悠々・悠々通信」は今日印刷を済ませたので、明日には発送いたします。

25/04/2008(金) 00:18:50

No.3702  あきこ
Re: こんにちは 引用
私も毎回楽しみにしています。(こんな私でもですが。。。)
これからもよろしくお願いします☆

25/04/2008(金) 01:24:30


No.3694 みゆき  
縄文〜いにしえの造形と意匠〜を観に行きました 引用
今日、まゆみさんと縄文〜いにしえの造形と意匠〜を観に行きました。
縄文の人たち、すごいです!
展示品すべてが「芸術」でした。
どうみても、「こんなん重たくて使われへんやろう」っていうような、すごい模様と飾りのついてる土器も、縄文の人々の間で使われていたんです。生活の中にあったんです。
器ひとつにも、人の気持ちがたくさん込められているんだ。。。
感動です。
縄文の人たちのくらしと心に少し触れることができた時間でした。
最初の展示室の入り口近くにあった火焔型土器には、心奪われました。そこだけ光っているような、違った雰囲気がありました。
まゆみさんとふたり、土器の中がどうなっているのか気になって気になってしょうがなかったのですが、背が足りずみることができませんでした。残念です。
今度は、背の高い人と一緒に、あと鏡を持って行こうと思います。
館内では、ボールペン禁止ですので、えんぴつを使って下さい。

23/04/2008(水) 23:49:51


No.3699  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 縄文〜いにしえの造形と意匠〜を観に行きました 引用
はーい、みゆきちゃん、背の高い人ですよ(笑)
昨日はパソコンとプリンターの設定、ありがとうね!
つわり中で体調不安定だと聞いていたけど、思ったよりも元気そうで安心しました。
縄文の人々の心とエネルギーに共感できたようで、お父さんもとっても嬉しいです!!

縄文人にとって、土器にする粘土はとても貴重なものだったはずです。
金属製のスコップもない時代に粘土を掘り、集落まで運搬してくるだけでも重労働だった。
その粘土を1年間もかけて完全に乾かして、細かく砕いて、「ふるい(?)」にかけて粘土粉にして、水でよく練って、やっと土器を作る粘土になります。
それを土器に成型して、またよく乾かしてから野焼きするのです。
粘土を掘ってから土器を焼くまで、1年半〜2年は要したといわれています。

そんな貴重な粘土を惜しげもなく使って、彼らは自分たちの心を表現せずにはおれなかったのでしょう。
彼らの心のエネルギーが力強く、今もそれらの土器から放射されているように感じました。
火焔土器は、力強く立ちのぼるオーラのように感じました。
権威ある者たちが頭につけた王冠(クラウン)も、そういう立場に立つ者たちのオーラを表現したのだと、私は思っています。

みゆきちゃんもまた観にいくそうだけど、皆さんにもぜひ「縄文スピリチュアリズム」の息吹きを直に感じていただきたいと思っています。

24/04/2008(木) 23:02:56


No.3688 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 39 引用

      ☆☆ 愛は時空を超えて 39 ☆☆

            ――  霊界の克との対話  ――

飯沼)おーい、くぅ、こんにちは。

克子) はーい、まーたん、こんにちは。

飯)今回はまず、先日のフィリピン行きのことから始めたいんだけどいいよね?

克)はい、もちろんですよ。
ただ、こちらとしては今回は、あなた方が現地に行っての反応や変化の兆しを見せていただいた上で、今後の導き方に取り入れていくつもりでいました。
あなた方自身が、フィリピンに行ったことで自分たちの役割を強く意識することができたのですし、同時に自分たちの課題にも目を向けて、それを越えていこうとする意欲を高めつつあるのですから、こちらからは特に申し上げることはありません。
今回のフィリピン行きは十分に意味があったのです。
大切なことは、あなた方がこれから大きなスケールでの役割を認識した上で、ヒーリングエネルギーの回路をさらに大きく開いていけるかどうかです。
こちらから指摘するまでもなく、あなた方自身がそこに意識を集めることができているのは、こちら側でも大いに評価し、さらに今後に期待しています。

飯)それはそれは、どうもありがとうございます(笑)
今回、日本のような「先進国」では当たり前の、近代医療による治療は世界の多くの国の人々にはかなり特殊なことなのだと、改めて思った。
近代医療がどんなに進歩しても、貧しい国の大多数の貧しい人々には高嶺の花でしかなく、そこに病院があって優秀な医師がいても、お金のない人たちはその治療を受けることはできない。
そして、その人たちが病院の治療を受けられるようになる見通しは、全く立っていない。
現地に行く前におまえとの対話で少し書いた、「格差」を実感してきた。

克)そうですね。
あなたが改めて気づいたように、近代医療の恩恵を十分に受けることのできる人たちは、今の世界では非常に少ないのです。
日本では、病気になれば病院に行って近代医療の治療を受けることが当たり前になっています。
実際には病院に行けない人や、金銭的な理由で十分な治療を受けられない人も少なくはないのですが、「病院に」ということが基本ではあります。
しかし、今の日本の当たり前が世界中では当たり前ではないということです。
日本でも、近代医療が効果を発揮できない病はたくさんありますし、これからも増えていくでしょう。

飯)そうなんだよね。
たとえば、アメリカでは癌患者の死亡率が減少しているが、それらの多くの癌患者が病院の治療だけではなく、代替医療といわれている民間療法などを併用しているそうだ。
代替医療が癌死亡率の低下に寄与していることは確かだと思う。
アメリカの調査では、病院に行った回数よりも代替医療の治療を受ける回数の方が多いということが判明したそうだ。
健康保険に加入していない低所得者層だけでなく、健康保険に加入している高所得者層にも、代替医療は普及しているとのことだ。
アメリカの医師は癌告知の時に、体に負担をかけない代替医療があることを患者に伝える場合が多いという話もある。
先進国でも、「近代医療が全てで、それ以外はまがい物」という時代ではなくなってきている。

いわゆる先進国においても、近代医療(西洋医学)一辺倒ではなくなっているというのが事実だ。
近代医療の本場であるはずの欧米でも、すでに近代医療の独壇場ではなくなっている。
僕らのヒーリングは、近代医療の常識ではありえない治癒をもたらしたり、さまざまな実績をあげてきている。
もちろんというか残念なことに、全ての人に効果が出るとは限らないが、それは近代医療でも同じだ。

僕らは対象者の魂の目覚めのエネルギーを通すことが基本ではあるが、それをベースにしながらもさまざまなライン(種類)のヒーリングエネルギーを注ぐことができる。
人間の「からだ」が物質的な肉体のみで成り立っているのではなく、さまざまな次元のオーラも含めて構成されているのだから、対象者の治癒に最も有効なヒーリングエネルギーもたったひとつではない。
肉体や言動に表れた不調和を病と言うのだが、その病の元は肉体・オーラを含めた「からだ」のどの層、どの部分にあるのかは人によってさまざまなのだから。

物質も原子レベル、分子レベルで振動して波動(振動の伝播)を発している。
オーラは原子よりもさらに微細な粒子によって構成されているのだし、それぞれの波動というものがあるはずだ。
それらの乱れ(不調和)が、病として肉体や精神や行動に表現されていくのだと考えてよいのだと思う。
それらを調和していくことによって病は治癒していくはずだし、そういう原理の僕らのヒーリングで、病の治癒や改善はごく普通に起きている。
おっと、話がそれてごめん。

フィリピンでヒーリングをさせていただいた患者さんたちのかなりの人たちが、改善・回復しているとのお知らせをいただいた。
自分的には、今回は不十分なヒーリングだったと思っているけど、何がしかのお役に立てたようで嬉しいよ。

僕は近代医療を否定しないけど、普遍への道筋を持っていないものは真理ではないとも思っている。
見えない(心・意識の)エネルギーによるヒーリングに自信を持って、その一般化・普及のためにも頑張っていこうと思っている。

克)そうよ、その調子よ、まーたん。
日本の病者さんは、病の元がかなり複雑な場合が多いのです。
それはこの国に生きる人々が複雑に心を遣わなければならないような状況に置かれているからでもあります。
ですからヒーラーがそれに対応するためには、いくつものラインのエネルギーを注ぐ必要があるといえるでしょう。
あるいは、患者さんの中に「動くこと、変わっていくことへの怖れや抵抗感」が根強い場合には、かなりの期間にわたってヒーリングを継続しなければ、目に見える効果が表れにくいことも少なくありません。
そういう中で、あなた方(地上の私もですが)のあげてきた成果は立派なものですよ。
でも、さらにヒーリングの効果をあげていくために、昨年の「喜びによって活性化し、肉体にも精神にも健やかさをもたらす小器官」のことがありました。

言葉の通じない人々にヒーリングさせていただくことによって、そこへの働きかけのエネルギーをさらに強めることができたはずです。
あなたも分かっているように、今回はまだまだ不十分な面があったのですから、なるべく早く次の機会を作ってくださいね。
それは、あなた方のヒーリングの力を高めるためだけではなく、近代医療の恩恵を受けられない人々への大きな貢献になるのですし、もっと大きなスケールでの働きの始まりでもあります。
その働きのなかで、あなた方のヒーリングエネルギーの通路はさらに広く大きくなり、瞬時に治る病者さんたちがさらに増えていくことになるでしょう。

飯)僕もそんな気がしているよ。
ちょっとした悩みも、難病といわれているものまで、どんどん治していきたいと思っているよ。

克)お金や物質が支配している地上界にあって、人々のほとんどが日々の暮らしを支える物質にすら困窮し、さらに心をかげらせ、縮めてしまっています。
お金や物質を基準とし、それを偏重する価値観の世界で、人々の本来の心はますます病んでいっています。
それは地上の人々が、魂を封じ込めたままの人生を送るということでもあります。
人間にとって、魂を封じ込めたまま生きるほど不幸なことはないのです。

魂や愛という言葉を好んで使う人物でも、本音のところでは自分に金銭を集め、名声や尊敬や評価を得ることが動機の人も少なくありません。
そういう人はいかに地上で成功しても魂の喜びとは程遠く、未熟すぎる無知の不幸か、コンプレックスの歪んだ表れか、あるいは意識しながら罪を犯しているのです。
いずれにしても、今の地上では魂の希求するものに向かって日々を生きている人間は、非常に少数になってしまっています。

私はそのことで地上の皆さんの至らなさを指摘しようとは思いません。
地上の私もまた、魂の希求するものに向かうエネルギーが不足していたのです。
その意味では地上の私も、(内面のところでは特に)自分の思いへの囚われから解放された人間ではありませんでした。
しかし、不十分ではあったにしても、魂の希求するものに向かおうと、そこに挑むことを喜びとしていたことは間違いありませんでした。

地上は、さまざまな学びの段階の魂が肉体に宿っている世界です。
その魂が何を課題として、何を希求するかは、その魂の学びの段階によっても異なってくるのは当然です。
しかしながら、一言で言えば、いかなる時も愛を動機とし、いかなる時も愛を行うことが、全ての魂に共通した喜びであり希いであるのです。
それは「スピリチュアリズム・霊的真理・愛」などという言葉を使うかどうかには無関係ですし、知識や霊能力の有無とも関係ないのです。

地上の人間としての真(まこと)の愛については、かのイエスが語り、実際に行いました。
「隣人を自分自身のように愛しなさい」ということです。
隣人とは、自分の意識の視野に入った全ての人のことです。
ヒーリングはもちろん、本来は全ての働き・仕事がそういう動機に基づいて行われるべきなのです。

こう言えば、ほとんどの皆さんは、「そんなことが人間にできるはずがない」と思うのでしょうね。

飯) 多分、そう思うだろうね。

克)もちろん、人間は完璧ではありませんし、物質という次元の世界で、肉体という重い器に魂を宿らせているのですから、私たちが生きる霊界のようにいかないことは承知しています。
しかし、繰り返しますが、全ての人間の魂の故郷は光の霊界であり、全ての魂はそういう生き方を希求しているのです。
それは、与える(提供する)ことを喜びとしていく生き方です。

あなた方の暮らす列島の大地には、そういう想念エネルギーがしっかりと染みついているのです。
縄文人と呼ばれる人々のことです。

飯)この前、篠山市の県立陶芸美術館の「縄文土器展」に行ったけど、すごい迫力に圧倒された。
縄文人を原始時代人などと見るのは完全に間違っていると思う。
彼らの文化や精神性は、今の時代よりもはるかに深く、優れていると思う。
何よりも生きる力や喜びに満ち溢れているんだから。

克)そうですね。
彼らが1万年もの間、戦乱や抗争とは無縁の暮らしを営んできたのは、それ以後の時代とは全く違う価値観によるものでした。
なぜ彼らがそのような価値観を確立することができたのは、あなたと地上の私が受信して、「地上人類の歩み」で明らかにしたとおりです。
彼らは、与え合い・分かち合い・支え合いを喜びとする価値観に生きていました。

彼らは霊界の存在を当たり前のこととして受け入れていましたし、霊人(祖霊・指導霊)の姿を見たり、霊界からのメッセージを受けることのできる者もいたのです。

飯)縄文土器を見て感じたことは、彼らは食物を与えてくれた神への感謝や賛美を、食物を煮炊きする土器に表現したのではないかということだった。
全ては神から与えられるのだから、自分たちもそれに習って与え合うことが当たり前だったのではないかと。
「縄文人は霊界の存在を知っていて、そこへの強い希求が土器(特に火焔土器)に表れているように感じる」と、さきさんは言っていた。
「祭祀に使われたと思われる縄文土器の上部に4つのポイント(突起)があるのは、人間はすべて父母のまた父母、つまり2組の祖父母(2対・4人の男女)につながっていて、そしてその2組の祖父母は祖霊・霊界につながっているということを表しているんじゃないか」と感じたそうだ。
確かに、祖霊信仰は縄文の頃からあったもののようだし、祖霊とは単なる先祖霊というよりも、産土(うぶすな)神につながる霊人のようだ。

いずれにしても、不漁や木の実の不作などで飢えることもあったはずなのに、1万年もの間、戦乱や抗争がなかったのは、そういう価値観が根付いていたからだと思う。

克)さきさんの感覚はとっても鋭いというよりも、縄文の彼らとしっかりつながっていますね。
彼らは素朴ではありましたが決して原始的な信仰ではなく、霊的法則に沿った知識を持ち、それに沿って暮らすことが当然でしたし、もっと霊界に寄り添いたいと強く希求していたのです。
彼らは魂の故郷が霊界にあることを知っていました。
当然のことですが、そこは与え合う喜びの世界です。
地上でも与え合う喜びに生きて、やがて皆が魂の故郷に戻っていくことを知っていたのです。

彼らにももちろん苦しいことはもたらされました。
それでも彼らのほとんどは心をかげらせることなく、苦しい時こそ霊界に寄り添うことを希求して生きたのです。
それは、今で言うスピリチュアリズムの実践そのものでした。
あるいは、かげりが蔓延する前のムゥの人々の暮らしとも共通していました。
ムゥと違っていたのは、彼らは物質的な条件に制約される暮らしを強いられていたというところです。
それでも物質に心を支配されることなく、彼らは霊界さながらの心で地上人生を喜びに生きたのです。

食物が得られれば感謝して祈り、不漁や不作の時は、飢えの中で分かち合いながら祈ったのです。
彼らは生きる喜びに生きましたが、死んで肉体から離れた魂が、地上よりも大きな喜びに満ちた霊界で生き続けることを知っていました。
ですから、苦しい時こそ仲間や霊界とのさらなるつながりを大切にしたのです。
彼らはしばしば遠く離れた地域の集落にもお土産を持って訪ねていき、共に唄い語らい、祈りました。
それはいつしか多様なネットワークによる、相互扶助社会を形成していったのです。

やがて弥生人たちによって、縄文人の社会も価値観も打ち砕かれていくのですが、それでもこの列島には彼らの想念エネルギーが染みついていて、与え合い・支え合いの喜びの価値観と、生かされていることの喜びを謳歌して生きる喜びが、再び地上に満ち溢れるのを待っているのです。

飯)まさに、「縄文スピリチュアリズム」なんだね。

克)はい。
まさに「縄文スピリチュアリズム」なのですよ(笑)
これだけ豊かにそのエネルギーが貯えられているところは、地球上でもこの列島が一番です。
そこに暮らしている人々の心がそのエネルギーにつながれば、この列島は地上界浄化の大きな拠点となるでしょう。

飯) ずっと前からそうだったけど、去年の春からは特に縄文に惹かれ、青森や能登の縄文遺跡に行くことになった意味が分かったような気がするよ。
特急「日本海」が運休になってすぐに青森に行けなかったり、大阪での「縄文まほろば展」で言葉を交わしたスタッフの女性が、悠々塾の仲間の親友だったということが後で分かったり、なんかよほどの意味があるんだろうとは思っていたけどね。

克)そうですね。
そういうことだったのですよ。
これで今回の「縄文土器展」が、あなたの住んでいる市で開催されたことも納得でしょう?(笑)
今回の展示会は考古学的にではなく、「縄文―いにしえの造形と意匠」がテーマでした。
まして「陶芸美術館」で開催されるのですから、縄文土器の製作の動機が感じ取れる「作品」が多数集められました。

縄文人が無意識にではなく、素朴ではあっても意識的に「霊的真理(スピリチュアリズム)」につながっていて、それを当たり前に実践していたことを、あなた方に実感していただきたかったのです。
あなたが、「こんなに近いところでこんなすごい展示会が開かれるなんて、凄すぎる!」と驚いたのも無理はありませんが、こちらからの計らいであれば納得でしょう?

飯)もう2度行ったけど、ほんとにすごい展示品ばかりなのに、会場は閑散としていて、ほとんど貸し切り状態だった(笑)
展示品のほとんどが国宝や重要文化財だし、レプリカじゃなくて本物だというのに、あの入場者の少なさは全く信じられないよ。
いずれにしても、僕らには大きな意味のある、ありがたいイベントだよ。
東京でやってても行ったと思うからね。

克) さて、長くなりましたが、最後にこれを読んでくださる皆さんにお伝えしたいことがあります。
皆さん方のほとんどは、今の世の中がこのままではいけないと感じておられるでしょう。
あるいは、世の中の先行きに不安を抱いているでしょう。
皆さん方が感じてらっしゃるとおり、地上界は大きな節目を迎えているのです。

新しい地上界の構築に先立って、本来のあるべき姿から掛け離れた価値観に基づいた世の中は破壊されていき、人々や皆さん方の生活も混乱していくでしょう。
今までの「当たり前が」通用しなくなる混乱のなかで、皆さん方自身がどのような社会や生き方を希求し、実際にそうしていけるかどうかが問われてくるのです。
それは分かっていても、ほとんどの人は大きなスケールで物事を考えることがしにくいのも事実でしょう。

本来はそうするべきなのではあっても、実際には、自分も大きく不足しているなかで与え合うことや分かち合うことは、皆さん方にとっては容易ではありませんね。
しかし、この先の皆さん方次第では、そうせざるを得ない状況はもたらされます。
最悪の場合は、皆さん方も奪い合いや我よしの生き方を選択してしまうかもしれないのですが、それでは誰もが幸せになることはできず、混乱とかげりの想念に傷つきながら地上を離れることになるでしょう。
もう二度とそういう過ちを繰り返してはなりません。

皆さん方をはじめ、地上の誰一人として完璧に満たされ、完璧な輝きを放っている人はいないでしょう。
誰もが何らかの満たされなさやかげりを抱いているのです。
満たされなさやかげりを意識するのは結構ですが、そこに拘泥して沈み込んでしまってはいけません。
それを「かげりの自己増幅・かげりの連鎖」というのです。
それでは何のために霊的真理を知ったのか、意味がなくなってしまいます。
大切なことは、自分の今に喜びを見出し、いかにして皆や自分にとっての喜びを広げていくのか、です。
地上にはさまざまな苦難があるものです。
だからこそ縄文の人々は人とのつながりを大事にし、祖霊や霊界につながろうと希い、求め続けたのです。

もうひとつ、お伝えしておきますね。
彼らは、自分たちに嬉しい何かがもたらされた時、感謝して祈り、実際にその喜びを分かち合うことが当たり前でした。

今が決して楽ではないにしても、もしかすればもっと厳しい状況に陥っていたかもしれないのです。
今を喜べないならば、今、与えられているものを失うことで、そのありがたさに気づくことになるかもしれないのです。
これから先の確かな保障はどこにもありません。
ならば、今、何がしかの物を与えられて、こうして生かされていることを喜び、自分も誰かに喜びをもたらすために、相手が必要としている物、相手に喜んでもらえる物を、実際に与えていくことです。
与えられた喜びや成果を独り占めしたり、自分のところにそのまま留めておくことは、やがて自分が同じ物や、もっと大切なものを失うことになるのだと分かっていただきたいのです。

これからは、地上界の浄化に向けた変化や混乱が段々と顕著になっていくのだと思っていてください。
新しい地上界、すなわち、(本来の)霊界との健やかな共鳴状態にある地上界に変えていくのは、皆さん方ひとりひとりの想念と言葉と実際の行為・行動によってなのだと、重ねてお伝えしておきます。

飯) はいよ。
お疲れさまでした。
ありがとうね。
福井県の三方町に、「分かちあいの縄文」をテーマにした縄文博物館があるから、近いうちに行ってみようと思っている。
また秋にでも、皆さんに呼びかけて、有志の人たちと一緒に行こうかとも思ってるんだ。

克) そうですね。
まずは縄文の人たちのエネルギーに触れていくことが大切ですからね。
喜びのなかでたくさんの気づきがありますように。
じゃあね、まーたん。
苦しい時こそ、見守りながら応援しているからね。

(2008・4・22)

22/04/2008(火) 15:24:07


No.3690  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 愛は時空を超えて 39 引用
改めて読み返してみて、いかにも長いと思いました。
すみません。
でも、大事なことのように思うので、読んでくださいますように。

「愛は時空を超えて」もそうですし、私が少し気合を入れて投稿したら、何の反応もないのがいつものことですが、もしもコメントしてあげようという奇特な方がおられましたら、新しいスレッドに書いてくださいね。
まあ、どうせ、何もないのでしょうが・・・(フン)。

23/04/2008(水) 00:51:00

No.3691  さき ホームページ
Re: 愛は時空を超えて 39 引用
ぬまさん、いじけないで〜。
愛は時空を超えては毎月楽しみにしてます。
長いほど克子さんの話を聞けるみたいで嬉しいんですよ。

今回、克子さんが最後に皆さんに。。って書いてあること。
これまでにも伝えられてきた内容と重なるんだと思うけど、
あらためてその言葉の重みを感じました。
これまでよりもっと身近で具体的なこととして感じたってことです。
人間が自らの霊性をめざめさすしかない時代なんでしょうね。
同じことなら喜びのなかで進んでいきたいものです。
スケールの大きい話なのでどこから書いたらいいかわからんけど、また思ったことあったら書きます。
奇特な方1号かな?

母は金曜日に手術をすることになりました。元気にしてます。
応援メッセージ頂いた皆さん、ありがとうございます!!

23/04/2008(水) 02:29:56


No.3685 さき ホームページ 
折れてました。。 引用
先々週の金曜日の夜、母が転倒しました。
誰も見てなかったので状況はよくわからなかったのですが、
本人談。。椅子に座ろうと思ってあやまって転んだということでした。
ひとりで立てないので、おむつをしてベットに寝かしてもらっていました。
どこが痛いって聞いてもはっきりわからない、左の膝が少しはれてたので、膝を打ったのかな?ってことでシップして、翌日整形に連れて行ってもらいました。
骨は大丈夫やから、なるべく動かした方がいいよ。
ということだったので安心しました。
立てないのは打撲と筋肉痛やし、日にち薬だから頑張ろうねって、励ましてきました。左足の裏側が紫色になってきてて、いったいどうやって転んだらこんなんなるねんって感じ。。
その後、新たにヘルパーさんに入ってもらったり、周囲の人たちに介助してもらいながらなんとかやって来ました。
介護保険の区分変更を申請することになって、転倒から一週間たった先週の土曜日に主治医の先生に往診してもらいました。
その時にやっぱりまだ痛みがあるので、もう一回整形を受診するように言われました。
でね、昨日再度整形行ったんです。
そしたら。。折れてました。

大腿骨転子部骨折(不安定型)だって。
手術して金属で止めるしかないそうです。
そのまますぐに入院になりました。

あぜんとしてエックス線写真を見ました。
で、何でわからんかったん!!って思わず先生に言ってしまいました。
最初に受診した時に、母が膝とか胸の痛みを訴えたのでそこ中心にレントゲン撮ったのでした。
治療が遅れたのがショックです。

それまで介助しながらトイレも行ってたのに、折れてるってわかったら介助も怖くなりました。
母は現在、ベッドで足の筋肉の牽引中。
近日中に手術になると思います。
頑張れ、母!!
(そんなにショックを受けた様子もなく、痛みを訴えてるわけでもなく、気持も安定してるので救われてます)

誰かに聞いてほしかったので書きました。
オペするしかないと思いつつ、昨夜は折れてる骨がくっついてくれんかなあと祈りました。

22/04/2008(火) 08:53:50


No.3686  ミュー ホームページ
Re: 折れてました。。 引用
さきさんの温かい気持ちがしっかり伝わっているから、お母様も安定されているのでしょうね。
お母様がどうか早く治癒しますように、痛みが和らぎますようにエネルギーをおくります。
さきさん、一人何役もこなしている中、とてもお忙しいとは思うのですが、どうか無理はせずに休める時にはしっかりと休息をとれますようにと願っています。

22/04/2008(火) 09:42:57

No.3687  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 折れてました。。 引用
回復が遅いと思ったら、折れてたとは。
でも、これって医療ミスだよね・・・。
ひどいことにならなくてよかったけど、手術が遅れる分、骨の接合にも日にちがかかるということだから、お母さんもさきさんも大変ですね。

「天地悠々・悠々通信」や冨田さんの帰国報告会のチラシの印刷は任せてください。
さきさんもちゃんと食べるようにね。

22/04/2008(火) 14:51:33

No.3689  あきこ
Re: 折れてました。。 引用
さきさんのお母さんの具合が早く良くなられますように。
さきさんもお身体無理しないでくださいね。

22/04/2008(火) 22:31:06

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