飯沼さん、ご無沙汰しています。 父の緊急手術のときは、ヒーリングで本当にお世話になりました。 昨年の退院の日は、病院の桜並木が満開でした。 あれからまた桜の季節が巡り、ちょうど一年になります。 大変な一年ではありましたが、おかげ様で家族各々が本来の在り方や生き方・心と向き合い、 それぞれに新たに生き直すためのきっかけとなりました。
先日は家族で山中のちょっとしたレストランへ出かけ、食事をしながら 快気一年後のお祝いをしました。もう決して、父が目を開けることはないかもしれないと覚悟したあの日のことを思うと、奇跡のようでした。 小脳の手術だったので、頭のフラツキはまだ残っており、歩くときには杖を使いますが、それでも当初危惧していた手足の麻痺や記憶・言語障害も殆どなく、ここまで回復できたことは今もって驚きです。 定期健診では担当主治医からも、あれだけ出血していたことを考えると、信じられないくらいだといまだに言われます。
仕事人間で、いつもイライラして落ち着かない性格だった父が、倒れてからは随分おっとりとなって、「ありがとう」「悪いな」などと、人を気遣う言葉をよく用いるようになりました。 こんな言葉は、以前の父からはとても想像できなかったので戸惑いましたが、大病を経たことで、はじめて父も、私たち自身も「それまでの気持ち」と向き合った気がします。 人というものは(分かってはいても)お互いになかなか言葉で思いやることができず、心を縮め、抑えつけ、たくさんの気持ちを出せずにいるものだとつくづく思いました。
偶然、父の退院の日に、同じく若くして小脳出血で倒れた友人もやはり緊急手術となり、気の抜けない状態でしたが、遠隔でヒーリングをしていただいてから意識が戻り、当初覚悟していた後遺症もまったく残らず元気になり、何ともう一度、持病の手術も受けてから3ヶ月あまりで退院したので驚きました。
本当に人生は何が起きるかわかりませんね。この1、2年は特にそう思います。渦中にあるときはなかなか大変なことですが、それを乗り越え、再び喜びを心に満たして生きようと意思することが、本来在るべき方向へと導いてくれると信じています。 (まだまだ私自身、課題は山積なのですが・・) 長々と書いてしまいましたが、飯沼さん、ありがとうございました。 |
20/04/2008(日) 12:21:46
No.3684 飯沼 |
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☆すわロマンさん
こんばんは。 嬉しいご投稿、ありがとうございます。 お父様もお友達もお元気に回復なさって、本当によかったです。
お父様やお友達の回復の事実は、この掲示板の読んでおられる病者さんやそのご家族の力になることでしょう。
大きな病を経験して、ご家族が今まで以上に心を通わせあいながら暮らせるようになるのは、本当に嬉しくありがたいことですね。 すわロマンさんのご家族の穏やかな様子が目に浮かぶようです。
誰に対してもそういうことはあるのでしょうが、家族ともなればなおさら、一番大事な気持ちを素直に出し合いにくい雰囲気ができてしまうことが多いものですよね。 お互いが心を開いて語り合うことをいつの間にか避けるようになってしまって、通り一遍の会話しかしなくなっていたり・・・。
本当に人生は何が起きるか分からないものです。 私も時々、「なぜ自分がこんなことをしているのか?」と何ともいえない不思議な気持ちになることがあります。 別に後悔しているわけではないのですが、なにか計り知れない力によってあらかじめ定められいた道を、背中を押されながら辿ってきたような気がするのです。 「自分が勝手に我がままを通してきただけなんじゃないのか・・・?」なんて思うこともあるのですよ(笑) まあ、多分そうじゃないとは思うのですが、新たなテーマを前にして、少し尻込みしているのかもしれません。 誰か背中を押してくれないかな(笑) とかなんとか言いながら、霊界から「もういいから戻っておいで」と言ってもらえるまでやっていくのでしょうね。
あれ、すわロマンさんの穏やかさに甘えて、なんだか愚痴っぽくなってるのかな? すみません(笑)
メールも読ませていただきました。 畑で縄文土器の欠片や黒曜石を見つけて遊んだなんて、すごいですね。 私は神戸市出身なのですが、私が住んでいたすぐ近くがかなり大規模な縄文遺跡だったことが分かったようです。 街中なので発掘とかはほとんどできないようですが。
すわロマンさん、また、お会いしましょうね。 |
22/04/2008(火) 01:17:34
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