とんでもない事件が、また起きてしまいました。 何の落ち度もないどころか、犯人と何の関係すらない人たちが無差別に殺害され、傷害されたことに言葉にならない憤りを感じます。
昨日、たまたま観ていたテレビのニュースで、解説者が「原因を徹底的に究明して、同じような事件の発生を防がなければなりません」と語っていたことに、思わず、「上っ面なことを言うな!」と腹が立ってしまいました。
計画的ではあれ、半ば衝動的な通り魔事件の「原因」を、どう徹底的に究明するというのでしょう? これは個人としての加害者の心の問題であり、しかし、個人の心のありようはいつも、社会のありようとも密接につながっているものです。
加害者は普段は真面目でおとなしい人柄だったそうです。 派遣で働き、勤務態度も良好だったそうです。 派遣で働く人たちの一部解雇があっても、彼は雇用を継続される側に残って、来年3月まで雇用延長になったとか。
今回の事件の原因となるキーワードは、おそらくは「疎外感と希望のなさ」でしょう。 さらに言えば、「自分の存在を軽んじる社会に対する復讐」であろうと思います。 福田総理は、「こういった事件が起きる社会的背景の究明を」と語ったそうですが、是非とも「社会的背景」を徹底的に究明し、こういう心を抱いてしまう人が限りなく少なくなり、このような犯罪を起こす人間が二度と現れないように、緊急かつ根本的に「社会的背景の整備」に取り掛かっていただきたい。 「無いものねだり」を承知で言えば、いかなる事象をも社会的視点で究明し、その善後策を提示するのが政治家の役割なのですから。
別の視点から見れば、この犯人は明らかに憑依を受けていたと思われます。 5日の朝6時に、自分の作業着がなかったことで、「辞めろってか!」と急に大騒ぎをしたことからも、そう捉えることができるでしょう。 憑依霊とつながった想念は「疎外感・希望のなさ」でしょう。
問題は、その憑依霊がどういう人物であったのか、です。 奇しくも昨日は池田小学校で無差別殺傷事件が起きた日でした。 昨日の事件を起こした犯人がそのことを意識していた形跡は今のところ報道されていませんが、同じ日に同じような残虐な事件が起きたことが偶然であるとは思えないのです。
池田小学校事件の犯人はすでに死刑執行をされて、この世の人間ではありません。 彼は自ら死刑を望み、おそらくは自分の犯した罪を悔いることなく、社会や人間に対する復讐心を強く抱いたまま、死刑によって肉体から「解放」されたのでしょう。 その彼が、同じ憤りを強く抱いた大人しい男に憑依して、この犯行を起こさせたとも考えられるのではないでしょうか?
霊的な法則が受け入れられていない今の社会ではやむを得ないことではありますが、反省すらしていない犯人を死刑にすることは、新たな残虐な犯罪の「原因」になると、スピリチュアリズムは伝えています。 |
09/06/2008(月) 18:21:18
| No.4008 飯沼 |
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補足します。
高校時代の教師や職場の上司のコメントからも、この事件の加害者は、ごく普通の人だったと思われます。
私たちが見なければならないことは、こういうごく普通の人間が、このような事件を起こす社会になってしまっているということです。
個人の心の問題に目を向けるのは当然ですが、社会が病んでいるのだという事実への視点を抜きにして、この事件は語れないように思うのです。
弱い者たちの生命や人生が軽んじられ、傷つき傷つけられ、殺し殺される悲しい出来事の連鎖が起きているということです。 |
09/06/2008(月) 22:05:10
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| No.4009 きんもくせい |
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難しい事は良く解りませんが、池田の事件であっという間に犯人が死刑になった事には、正直驚きでした。 遺族の方々のお気持ちを思えば当然、それで良かったのかとも思いながら、彼は本当に反省したのか?むしろ望み通りの結果になって喜んで逝ったのではないかと、ちょっと不気味な感じがしました。
今の社会がどこかおかしい。そんな風に感じている人は少なくないと思います。 誰もが絶対に持っている光の部分を翳らせること無く生きられる社会。 疎外感、寂しさ、希望を持てないような、そんな社会は悲しすぎます。 人として当たり前の優しさ正しさに基づいて、社会の一員として、個人的にも周りの人達にも社会的にも喜びに満ちた世界になる事を祈ります。 |
09/06/2008(月) 23:29:30
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| No.4010 キン |
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このような事件がまた起きて本当にびっくりしました。
今、私は派遣社員として働いていて 派遣社員はほとんど解雇され、 私の代わりの新しいパートさんが来、ひきつぎをするため三ヶ月雇用延長になりました。犯人の状況とほとんど変わりありません。 なので他人事ではないと思いました。
会社から、(色んな理由をこじつけて、会社の方針がどうだこうだと回り諄いこと説明され結果的に)クビだということを言われた時には、 自分が使い捨ての物のようで、情けなく思い同時に怒りが込み上げてきました。 そして悲しかったです。
社員の人は会社の意に従うままで、誰も抗議もしない。(するわけないんですけど) 誰もかばってくれない。 それでも、普通に接してくる神経を信じることが できずに人間不信に陥ったりもしたり…。 仕事してて喜びはないものの、みんなに迷惑かけないように自分なりながらですが一生懸命働いてきたのに…。と思ってました。
今はひきつぎも終ったので雑用してます。
家族や、まわりに支えてくれる人達や おもいやりのある職場の人達に助けられて なんとか頑張ってこれました。
もし、自分が孤独だったらどうなってたかと考えると、 誰にも頼ることもできず、信用もできずに ただお金のためだけに身を売ってたかもしれません。
孤独になると、心が固まってしまって 孤独という鎖に絞め殺されそうになると思います。 自分らしさや心を忘れてしまいそうです。
今回の、犯人はこうした形で行動しましたが、 派遣労働者はほとんど同じような状況であると思います。 野宿者問題にも通じると思います。
報道機関は個人の短絡的な問題として、とりあげないでほしいです。
********************************* 人間はなんでもないどうでもいい、お金さえ払えばそれでいい人間なのか? と思えて、悲しい気持ちになった出来事(愚痴)を書かせてください。 ごめんなさい
何日か前、眼科に行ってきました。 あっという間に診察「目が充血してるだけでしょう」と一言。 形式的にやってるとしか思えなかったし、 なんかの儀式をしてるようにしか見えなかったので ちゃんとみてくださいと言ったら 診てくれました。すると 「あ(まずいってな感じで)、両目とも結膜炎ですねー」 「2種類の目薬出しときます。」 なんかもう、嫌になってきて。 なんでこんなに真剣に見てくれないのか、 なんでこんなにも軽んじられるのか、、、 彼らからしたらある意味ベルトコンベアーに乗っかってる商品を検品してる ようなもんとしか思えなくって、 空虚で寂しい気持ちになりました。 (もちろん、忙しい中丁寧に説明しくれるいい病院も医者もいることは知ってます。) |
10/06/2008(火) 00:22:10
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| No.4011 飯沼 |
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今の時代、正規雇用で働く人たちは、サービス残業等を伴う「会社人間」であることを強いられているのでしょう。 それは多くの場合、個人としての自由を抑圧しています。 仕事が自己表現でもある人は幸せですが、実際にはそういう人はやはり少数派でしょう。
フリーターや派遣等の非正規雇用は、「多少の低収入を受け入れた上での自由」を獲得しているではなく、もはや低収入と不安定という二重の頸木(くびき)につながれています。
そういう階層が激増している状況の中で、正規雇用の人々は、今、確保している椅子を失わないために、さらに身も心も削って雇用者の意向に沿っていくしかなくなってきているように思えます。
「君の代わりはいつでも準備できるのだよ」という雰囲気が、生身の人間にとっていかに侮辱的で恐怖で、自分の存在を軽んじたものなのか・・・。
中小の商店や企業も、大企業の横暴に翻弄され、そこでは経営者も従業員も辛酸を舐めさせられているのです。
そういう中で、心のバランスを崩してしまう人間は、確かに「弱い」のかもしれない。 地上人生に試練や困難は付きものではありますが、しかし、地上人生とは自分らしく生きることを諦め、忍従に耐える我慢比べのためにあるのではないと思うのです。 厳しい状況に置かれていても、自分らしく生きようとする意欲を完全に萎えさせることのない人も大勢います。 しかし、孤立や孤独、希望のなさに置き去りにされて、そこから立ち上がっていくことのできない人たちも少なくないのでしょう。
自分らしく生きる喜びを求めることに絶望してしまえば、ただただ味気ない人生を生きるか、歪んではいてもせめて自分らしく死のうとするのでしょう。 そういう彼らの最後のパフォーマンスを、「自己顕示欲」の一言で片付けてしまうような評論家がはびこっているから、彼らはこの世界で生きることから脱落し、自分や人をCENSOREDしまうのではないのかと思うのです。
普通の真面目な人たちが、試練の中にあっても、自分らしく生きられる希望を完全に失ってしまわないような社会にしていかねばと、切に思います。 それは、ひとりひとりの人間のありようや個性を踏みにじりさえしなければ、そう難しいことではないはずなのに・・・。 巨大な者が、さらに己の利益を膨らませるために、同じ巨大な者たちとの競争に負けないために、生身の人間が生の心を表現することを認めまいとする。 心を持った人間を利益追求の歯車のように扱うことをやめれば、この社会はたちまちにしてみずみずしい活気を取り戻すはずなのに。 |
10/06/2008(火) 01:44:44
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| No.4018 かわぐちまさこ |
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飯沼さんの書き込みにまたまた納得してしまいました。 以前から死刑制度には疑問を持っていました。残虐な事件が起きれば当然世論は死刑肯定に動くことは当然かもしれませんが、やはり死刑制度は見直すべきだと思っていました。 私も今回、池田の事件と無関係な気がしていませんでした。 スピリチュアルな観点から見てもやはり死刑制度はよくないということが、はっきりわかりました。 |
11/06/2008(水) 21:46:02
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| No.4020 ひろこ |
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そういう人達が喜びを持って働いて生きて行く場所を、少しでもいいから作る側にならなければと思いますがとても難しい事です。 今自分に出来る事を一生懸命していくしかないと思っています。 喜びで生きていける世の中になりますように祈ります。 |
12/06/2008(木) 01:33:43
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| No.4022 飯沼 |
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秋葉原の事件を起こした犯人は、池田小学校事件を起こした犯人(すでに死刑執行)の「霊」の憑依を受けていたのではないかと書きました。 その後、池田小学校事件の犯人が、大阪・ミナミの商店街にダンプカーで突っ込むことも考えていたことを知りました。 以下はそれに関する抜粋引用です。 。。。。。。。。。。。。。。。
ダンプカーで大阪・ミナミの商店街に突っ込もうと思った 「仕事を失うなどしたら、むちゃくちゃやってやろうと思っていた」と述べ、大量殺人に飛躍する理由を「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかったから」 (ダンプカーで)大阪・ミナミの商店街に突っ込もうと思ってたが、行動には移さなかった」 |
12/06/2008(木) 23:30:55
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