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No.3683 すわロマン  
ご無沙汰しています。 引用
飯沼さん、ご無沙汰しています。
父の緊急手術のときは、ヒーリングで本当にお世話になりました。
昨年の退院の日は、病院の桜並木が満開でした。
あれからまた桜の季節が巡り、ちょうど一年になります。
大変な一年ではありましたが、おかげ様で家族各々が本来の在り方や生き方・心と向き合い、 それぞれに新たに生き直すためのきっかけとなりました。

先日は家族で山中のちょっとしたレストランへ出かけ、食事をしながら
快気一年後のお祝いをしました。もう決して、父が目を開けることはないかもしれないと覚悟したあの日のことを思うと、奇跡のようでした。
小脳の手術だったので、頭のフラツキはまだ残っており、歩くときには杖を使いますが、それでも当初危惧していた手足の麻痺や記憶・言語障害も殆どなく、ここまで回復できたことは今もって驚きです。
定期健診では担当主治医からも、あれだけ出血していたことを考えると、信じられないくらいだといまだに言われます。

仕事人間で、いつもイライラして落ち着かない性格だった父が、倒れてからは随分おっとりとなって、「ありがとう」「悪いな」などと、人を気遣う言葉をよく用いるようになりました。
こんな言葉は、以前の父からはとても想像できなかったので戸惑いましたが、大病を経たことで、はじめて父も、私たち自身も「それまでの気持ち」と向き合った気がします。
人というものは(分かってはいても)お互いになかなか言葉で思いやることができず、心を縮め、抑えつけ、たくさんの気持ちを出せずにいるものだとつくづく思いました。

偶然、父の退院の日に、同じく若くして小脳出血で倒れた友人もやはり緊急手術となり、気の抜けない状態でしたが、遠隔でヒーリングをしていただいてから意識が戻り、当初覚悟していた後遺症もまったく残らず元気になり、何ともう一度、持病の手術も受けてから3ヶ月あまりで退院したので驚きました。

本当に人生は何が起きるかわかりませんね。この1、2年は特にそう思います。渦中にあるときはなかなか大変なことですが、それを乗り越え、再び喜びを心に満たして生きようと意思することが、本来在るべき方向へと導いてくれると信じています。
(まだまだ私自身、課題は山積なのですが・・)
長々と書いてしまいましたが、飯沼さん、ありがとうございました。

20/04/2008(日) 12:21:46


No.3684  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ご無沙汰しています。 引用
☆すわロマンさん

こんばんは。
嬉しいご投稿、ありがとうございます。
お父様もお友達もお元気に回復なさって、本当によかったです。

お父様やお友達の回復の事実は、この掲示板の読んでおられる病者さんやそのご家族の力になることでしょう。

大きな病を経験して、ご家族が今まで以上に心を通わせあいながら暮らせるようになるのは、本当に嬉しくありがたいことですね。
すわロマンさんのご家族の穏やかな様子が目に浮かぶようです。

誰に対してもそういうことはあるのでしょうが、家族ともなればなおさら、一番大事な気持ちを素直に出し合いにくい雰囲気ができてしまうことが多いものですよね。
お互いが心を開いて語り合うことをいつの間にか避けるようになってしまって、通り一遍の会話しかしなくなっていたり・・・。

本当に人生は何が起きるか分からないものです。
私も時々、「なぜ自分がこんなことをしているのか?」と何ともいえない不思議な気持ちになることがあります。
別に後悔しているわけではないのですが、なにか計り知れない力によってあらかじめ定められいた道を、背中を押されながら辿ってきたような気がするのです。
「自分が勝手に我がままを通してきただけなんじゃないのか・・・?」なんて思うこともあるのですよ(笑)
まあ、多分そうじゃないとは思うのですが、新たなテーマを前にして、少し尻込みしているのかもしれません。
誰か背中を押してくれないかな(笑)
とかなんとか言いながら、霊界から「もういいから戻っておいで」と言ってもらえるまでやっていくのでしょうね。

あれ、すわロマンさんの穏やかさに甘えて、なんだか愚痴っぽくなってるのかな?
すみません(笑)

メールも読ませていただきました。
畑で縄文土器の欠片や黒曜石を見つけて遊んだなんて、すごいですね。
私は神戸市出身なのですが、私が住んでいたすぐ近くがかなり大規模な縄文遺跡だったことが分かったようです。
街中なので発掘とかはほとんどできないようですが。

すわロマンさん、また、お会いしましょうね。

22/04/2008(火) 01:17:34


No.3674 飯沼 ホームページ E-mail
「縄文―いにしえの造形と意匠」 引用

「縄文―いにしえの造形と意匠」という展示会が、兵庫県陶芸美術館で開かれています。
陶芸美術館は、篠山から車で20分くらいの、立杭焼で有名な今田町にあります。

私も先日行きましたが、縄文のエネルギーに心地よく圧倒されました。
あの有名な遮光土偶をはじめ、いくつもの火焔土器が信じられない迫力で展示されています。
本当に、「すごい」の一言です。

昨年の大阪での「縄文まほろば展」をはるかに上回る展示品です。
全国から集めているので、三内丸山遺跡の展示室よりも、おそらくはどこの歴史資料館よりもすごいものになっています。
縄文の人々の生きる喜びの心がそのまま、会場に満ち満ちています。

縄文土器展を見に行った日の夜、布団に入ってからも気になっている人へのヒーリングをしていたのですが、私の指から発しているエネルギーが、いつもより数倍の大きさではっきりと見えていました。

縄文の人たちは、厳しい環境にさらされても、無条件の生きる喜びのなかに生きていたのだと思います。
仲間と共に、そして神と共に生きる喜びは、たとえ飢える時も失われることはなく、死者を悼みながらも死を怖れず、ある種の絶対的な喜び(それは生かされている喜びというものだったのかも)に生きたのでしょう。

彼らは全てに神が宿っていることを知り、全ては与えられるものなのだと知っていたのだと思うのです。
(神から)与えられたものを、人間どうしが与え合い、分かち合うことは、彼らには当然のことだった。
だからこそ、1万年もの間、全国的に交流していたにもかかわらず、争い・戦乱の形跡がないのでしょう。
彼らは実際に遠く離れた集落の人々とも与え合っているのです。
北海道の礼文島の縄文遺跡からは、全国の縄文集落の「特産品」が発掘されています。
神が与えてくれたものを人間が奪い合うことなど、彼らには思いもつかなかったに違いありません。

あの見事な装飾を施した火焔土器は、実用にはあまりにも不便ですが、それで煮炊きした形跡があります。
私見ですが、これは神から与えられた食物を煮炊きする土器に、神への賛美と感謝を表現したのではないかと思います。

こんな理屈はどうでもかまいません。
どうか是非、縄文土器展を見に行ってください。
縄文の人々の心に触れてみてください。

6月1日までです。
私もまだ何度も行くつもりです。
しかし、こんなすごい展示会がすぐ近くで長期間あるなんて、大感謝です!

 ■ 展示作品
265点 /69遺跡(1都9県)
■ 国宝・重要文化財
国 宝 /2点
 重 文 /176点
その他 / 13点

兵庫県陶芸美術館のサイトです。
@ttp://mcart.jp/19/exhibition/jomon/19jomon.htm
(@)をhに変えてくださいね。

18/04/2008(金) 01:04:44


No.3681  ちぃ
Re: 「縄文―いにしえの造形と意匠」 引用
こんばんは☆
紹介して頂きありがとうございます^^
縄文時代の人々の生きる喜びに触れられるというのは、とても興味深いです。
何度か足を運ばせて頂くことになりました^^
にぃくんとも行って来ます。

18/04/2008(金) 23:03:23

No.3682  さき ホームページ
Re: 「縄文―いにしえの造形と意匠」 引用
行ってきました。
火焔土器の存在感と迫力すごいです!!
生きるエネルギーにあふれています。
現代の私たちには希薄になっている、理屈抜きのいのちの喜びが生々しく迫ってきます。
にんげんってこういうちからがあったんだと思い知らされます。

一万年以上も前につくられた見事な土器が目の前にあって、この造形を作り、文様を刻んだ人たちがここにいたんだと思うと不思議な気がしました。
縄文の人たちは確かにこの地に生きていたんですね。
私たちの生まれるはるかはるか以前に、私たちと同じ姿をした人間として。
魂をゆさぶられるようなパワーに圧倒されながらも、その人たちの存在を身近に感じていることが不思議でした。

火焔土器だけじゃなくて、壷や台付きの土器、水差し、漆塗りの土器、土偶、耳飾り。。いずれも美しく精巧な造形です。これだけ見ても、縄文人=原始人って思い描くことはできません。
縄文の人々が独自の豊かな文化を持った人たちであることは疑い得ません。それが弥生以降とは異質だっただけなのだと思います。

火焔土器の燃え上がるような造形は、生きることへの希求、魂のふるさとである見えない世界とつながること、ひとつになることへの希求のように思えました。
縄文の人たちは、自らが霊的存在であることを知っていて、霊界の心で地上を生きていた、生きようとしていたんじゃないか。

それって、まさにスビリチュアリズムですよね。
(当時スピリチュアリズムなんて言葉はなかったですけどね。笑)
この地の奥深くには、縄文の人々が霊界ー魂のふるさととつながりながら、互いに支えあい役立ちあうことを喜びながら生き続けた、そのエネルギーが脈々と息づいているのかもしれません。
と、したら。。そのエネルギーを解放したい、そのエネルギーにつながり直したい。って思います。
ぬま曰く、縄文スピリチュアリズムです。
それってすごいことかもしれないですね。

縄文のビーナスと言われる、女性を表現した土偶に触れて、泣いてしまいました。
何なんだ〜!これは!!って感じです。
とにかく是非多くの方に縄文のエネルギーに触れてほしいです。
こんなに見事な縄文土器が一堂に集まる機会は二度とないかもです。

20/04/2008(日) 03:59:23


No.3666 あきこ  
(No Subject) 引用
私も鉄ママさんのことが大好きです。
鉄ママさんを見習いたいです!!

14/04/2008(月) 01:17:11


No.3667  鉄ママ
Re: 引用
あきこちゃん、ひろこさん、あきら&ひとみちゃん、ありがとうございます。
ドネの日記に書いたものを、こちらに転載させてもらいました。
ドネのほうでも皆さんから暖かいコメントをたくさんたくさんいただきました。ありがとうございます。

私の周りには、母親からの虐待、父親は家庭放棄。心の病で入退院を繰り返した友人がいます。「ヌクヌクと生きてきたヤツに私の苦しみなんてわかるか!」と言われました。
父親から高校生のころ、性的虐待を受けていた友人がいます。父親の暴力におびえ弟と慰めあっていたそうです。
父親がアルコール中毒で働けずその事で辛い思いをし今精神科に通院している友人がいます。
辛く悲しい思い、苦労をかかえながら生きている人がたくさんおられると思います。
私は私の経験ぐらいで「弱音なんて吐けない、愚痴ってはいけない」と思ってきました。
でも、どうにも処理出来ず結局どこかでとんがって喜びとは程遠いところで留まるばかりです。
皆さんに少しづつ心をほぐしていただいてきました。
まだまだ些細なことで怒りを爆発させる私がいます。でも、これからもここに繋がり集う皆さんと共にもっともっと、心をほぐしていきたいと思います。
そして、私が感じる「分かち合い、支えあう心」を私の出来るところで実践できたら、と思います。
皆さんからいただいた言葉の数々は私の宝物です。

14/04/2008(月) 09:40:59

No.3668  さいこ
Re: 引用
書き込みしながら、幼かった頃の鉄ママ、今の鉄ママを思い浮かべてぎゅーっと抱きしめてます。

今度会った時も、骨が折れない程度にぎゅーっと抱きしめるからね。
私も鉄ママが大好き!!

14/04/2008(月) 14:27:52

No.3669  ミュー ホームページ
鉄ママへ 引用
こうして鉄ママが、辛い気持ちを出すのはとても勇気がいったと思います。
読ませていただいて、幼い鉄ママのどうしようもなかった寂しさと、負けるもんか!という痛い気持ちが伝わり、同じような気持ちを持っていた私には、直ぐには言葉が見つからなかったです。
鉄ママの所に飛んでいって、思い切りハグしたくなりました。

辛さやしんどさは、人とは比べられないと私は思います。
その時、その人にとってどうだったのかを思う事が、一番大切だと思っています。
しんどさの塊を抱えながら、もっと、辛い人がいるのだから、そう思ってはいけない・・・という思い方をしてしまうと、益々辛いと思ってしまう自分に対しての自己否定や規制になってしまいがちだと思うので、辛い思いや寂しさを解消してゆくまでは、その思いを少しでも分かち合って慰め合ってゆけたら・・・と思います。
その思いが解消に向かえば心も言動も自然に、より苦しい人へや、その時に関わった相手への気持ちへと向かう“喜び”として実感する日がやって来るのだと思います。

私自身、今も解消しきれていない思いに囚われる時もあり、そんな時には無理をしない自分を許し受け入れていこうと試みています。
「〜HEART〜」で出会う方々との心の交流が、そんな私にとって追い風のように励みと勇気をくれています。
こうして鉄ママが自身の全部を喜ぶ道筋で培う輝きは、これからも益々、どうしようもない苦しさを抱えた人の力になり、癒し癒されてゆくのだなぁと思います。
鉄ママ、話してくれて本当にありがとう・・・だから私もがんばろう!と思いました。
その時、その人が辛いと思う気持ちにもっともっと沿って、そこから解消への道を一緒に探してゆきたいと思います。

鉄ママ、これからも大好きだよ!!!

14/04/2008(月) 15:10:28

No.3670  鉄ママ
Re: 引用
ありがとう、さいこさん、ミューさん。
もう涙が出てきて、うれしくて言葉がみつからないです。
ありがとう、本当にありがとう。
私、今まで溜めてた涙を流しているのだと思います。
あらゆる場面において「負けるもんか!」でした。「絶対泣くもんか!」でした。
もう手放します。
今度定例会で会った時、さいこさんにハグしてもらって「うえーーん」って泣いても笑わないでくださいね。

14/04/2008(月) 16:19:01

No.3671  キン
Re: 引用
再び鉄ママへ

鉄ママを愛情いっぱい抱きしめたいきもちでいっぱいになります。
鉄ママ、ほんとにほんとに辛かったね。
寂しかったね。

いっぱい、泣いてね。
うちの貧弱な胸でよければ…でも心は鉄ママ愛情一筋やからね!

1年前、鉄ママのところに遊びに行ったとき
鉄ママの心が癒されなければいけないって思いました。
自分になんもできない、自分に何ができるんか…あたふたしてた。
自分の身におきた大変なことを、なんてことないようにすらすらっと話す鉄ママでした。

ほんとはほんとはいっぱいいっぱい傷ついて、
思い出すたびにもその時以上に傷ついてきたと思う。
鉄ママは悲しみに押しつぶされまいと、歯をくしばって自分を保ってたんだなって
思う。家族の中で誰も味方がいなかったと思う。
(うちは鉄ママの味方やで!)
そんな中で鉄ママはほんとうに頑張ってきたんだなって思います。
言葉ではきっと表現できないような思いだったと思う。

それでも鉄ママは、鉄ママ家族の中で色々あっても、
鉄ママのご両親のために温泉やご飯など一緒にいったり、
親孝行もしていて…。
大変な思いを抱きつつも、それでも
自分の家族を大切にする鉄ママの深い愛情に
私は本当にびっくりしました。

鉄ママは本当に美しい人だと思う。
そんな美しく淡くて深い愛情を持った人はいないと思うよ。

その鉄ママの心を私は癒されるまで愛情いっぱいに抱きしめたいと思います。
それに、ずっと鉄ママファミリーを応援しつづけます!

鉄ママ、大丈夫!!!

14/04/2008(月) 20:20:03

No.3672  鉄ママ
Re: 引用
そうだよね、キンちゃんは私に「もっと癒されないといけない」とずっと言ってくれてたよね。
私の頭の中では???だったと思います。
チビ鉄を通し、いろんな事をいつもいつも投げかけてきてくれた。
自分自身、気がついていない事、蓋をして無いものにしようとしてた事、掘り起こしてくれました。
今日、チビ鉄に「ママ親友って何?」と聞かれました。
私は「住む場所が遠く離れていても、歳が違っていても、いいとこも、いけないとこが分かっていても、ぜーんぶひっくるめて大好きって言ってくれる人」と答えました。
鉄が横で「分かったのか、お前」と言っていました。
ありがとう、キンちゃん!
大丈夫!
(泣く時にはその胸をかしてね)

14/04/2008(月) 23:42:15


No.3660 鉄ママ  
大丈夫 引用
先日、母のヒーリングをヌマさんとさきさんにお願いした。
リュウマチで両膝に人工関節を入れている。心臓が悪くペースメーカーを入れている。血圧も高い。糖尿もあり、先日も白内障で手術をした。
いつも「頭が痛い、手が痛い、膝が痛い、胸が苦しい」と言っている。
父との関係も決していいわけではなく会うたび「お父さんは・・・」と愚痴っている。
小さいころから父、父の実家、近所の人達の愚痴を聞き続けてきた。そして、私の友人に対してもケチョンケチョンだった。
ヌマさんが母に「お母さんの苦しみを同じように彼女は感じてきた」と言っているのを聞いて私の父に対する怒りの原因が分かったように思った。
そうだ、私は父が大好きだった。小さいころ「私はお父さんのことが好きなのに何でお母さんはお父さんのことをあんなに悪く言うのだろう?」と思っていた。
「じいちゃんのことも、近所のおばちゃん達のことも・・・・」

父の生い立ちも悲しく淋しいものだった。
若い頃、職場で苦しい状況があったらしい。父は母からのねぎらいの言葉を求めていた。ヌマさんが言っていた。
「ああ、そうしてお父さんは家庭をかえりみることなく突っ走ったのだ」と私は感じた。「お父さん、もう分かったよ」と思った。

母はいつも私と兄を比較した。「同じように育てているのに、お前はお兄ちゃんと違って反抗的だ。私が早くCENSOREDばいいと思っているだろう。冷たい子だ。」
「私の育て方が悪かった。だから、こんな子になった。」
父が生活費を入れないため必死で働く母を見てなんとか母の役にたちたい。気持ちに応えたい。と思っていた。
でも、母から私に発せられるものは悲しいものだった。
初潮をむかえた時などは「お前がませてるからだ、はずかしい!」と言われた。生理用品すら買ってもらえなかった。
女の子の下着等も1枚きりで洗い替えのものはなかった。
小学3年生の冬、私はおねしょをした。母に叱られた。当時は今より雪も深くとても寒かった。しかし、母は布団を乾かしてはくれない。次の日も次の日もおねしょをした。布団を裏返し、隅っこで寝た。でもまたおねしょをしてしまう。座布団をひいて寝た。下着もすぐに乾かず着けるものがない。母は何もしてくれなかった。
頑張っても頑張っても、母から発せられるものは悲しいものだった。



兄は私に対して専制君主のように接した。絶対服従。
「何故家にこんな恐い人がいるのだろう?」と幼い頃思った記憶がある。
私のものは兄のものだった。全て。思春期になると何度かお風呂を覗かれた。
脱衣所のない風呂場。私は母に何度も「つい立でもいいから備え付けて欲しい」と頼んだが無駄だった。

うちにはお金がなかった。父だけが豊かだった。家の中はいつも怒鳴り声が響いていた。
私はみじめだったんだろう。はずかしかったんだろう。
なんだか書いてて涙がでてきた。
でも、書こう。

父と母、父と兄、父と私、母と兄、母と私、兄と私。小さな家の中で複雑に絡み合っていた。
絶対に許せない、と思っていた。何かあるとフラッシュバックし「親が死ぬまで私は救われない」と思っていた。

私は悠々塾と出会った。すこしづつ私は変わって来られたと感じている。
ヒーリングの時も、一昔前の私だったら怒りたおしヌマさんとさきさんの前で母とバトルを繰り広げていたと思う。
私を私として認め受け入れてくれた場所。理屈ではなく、確かにそこに安心があった。自分でもびっくりするほど。
私は幸せなんだと感じる。
大丈夫、父との事も母との事も。

11/04/2008(金) 23:09:41


No.3661  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 大丈夫 引用
☆鉄ママさん

親は(特に母親は)娘のことを自分の分身のように思い込んで疑いもせず、娘の心を尊重するどころか、なんの気遣いもないままに愚痴やかげりを垂れ流しにしてしまう場合が少なくありません。

親は子供の前ではいつも親であるべきなのですが、実際にはそうできている親は皆無といえるでしょう。
人間として、あるいは女性としての寂しさを顕わにして、そのまま幼い子供に接してしまう親が多いのです。
自分の分身だと思い込んでいた子供が、自分の思い通りにならないばかりか、自分に反発してくることに戸惑い、さらに自分の気持ちを子供にぶつけ、押し付けていってしまうのですね。

いつかどこかで自分の至らなさに気づいたとしても、素直に詫びることのできる親は非常に少ないようです。
それはその親が実は子供を強く愛しているから、今さら取り返しのつかない自分の非を認められないからという場合が多いと思います。
我が子に重大なことで詫びることのできる親は、よほど勇気のある人なのです。

鉄ママさんのお母さんのヒーリングをさせていただいて、お母さんの気持ちが動いていくのがよく分かりました。
人間ですから、そこからさらにどう動いていくかは分かりませんが、少しずつでも変化が出てくると思います。

しかし、幼い頃も思春期の頃も、言葉には言い表せないような思いを重ねてきた鉄ママが、純粋でやさしい心を失わずに大人になったことはすごいことですね。
それは、K君やR君たちに、豊かな母性で接してあげてきたことにも表れています。
しかも、教師や親も手がつけられなかったK君が見違えるように落ち着いているということですし、これは本当にすごいことですよ。

夫婦や親子・家族というものは、「分かってもらえないことへの不満の共鳴・増幅」が起きてしまうものです。
安らぎやくつろぎを期待するあまり、ついつい自分の気持ち中心になってしまうのでしょうね。
その積み重ねで、くつろぎや安らぎとは程遠い家庭になってしまうのです。
そういう家庭で育てば、自分が家庭を持ったときに、知らず知らずの間に同じことをしてしまうということもよくあるようです。

鉄ママのところは、分かってもらえない不満の連鎖を、分かってもらえる喜びの連鎖に変えていくのでしょうし、その作業はすでにかなり進んでいると思います。
鉄パパという、心の広い人がいてくれたお陰でもありますね。

今度、定例会に来た時には、悠々塾の仲間たちみんなに抱きしめてもらってくださいね。
私も、鉄ママを初め、鉄ファミリーと出会えたことがとても嬉しいのです。

12/04/2008(土) 01:23:48

No.3663  鉄ママ
Re: 大丈夫 引用
先日の母のヒーリング、ありがとうございました。
ヒーリングの途中に「胸が苦しい、私もういいです」と言った時は「出たナー」と思いました。(飯沼さん、さきさんに申し訳なくて仕方がありませんでした)
母は昔からそうでした。
「お前は私の批判ばかりして私の寿命を縮めるつもりだろう」とよく言われました。「調子が悪くなってきたから、あっちへ行って」と。。。
母が「この子を抱きしめたことがない、頭の一つもなでてやったことがない」と語り、飯沼さんが「言葉にして彼女に伝えてみませんか?」と促がしてくれましたが、母はそれを拒否しました。
そんな母ですが、ここ2.3年変わってきました。
2年ほど前母から電話があり「チビ鉄のこと良くやってる、本当に頑張ってる。私には真似できないよ。」と言われました。
生まれて初めての母からのねぎらいの言葉でした。
涙が出てとまらなくなりそうでした。
私はあの言葉だけでもう十分です。
ただただ父と母が老後を二人いたわりあいながら過ごしてくれれば、兄も私もうれしいです。
これから、私にできることをやって行きたいと思っています。

私も自分の気持ちを子供たちに垂れ流してしまいます。
特に鉄に対しては私と両親の確執等目の当たりにしています。
小さいころの私と重なり「この子に私のような思いはさせられない」とガチガチに枠にはめようとしました。
それは世間の評価に対してでした。
今思えば私の無駄な抵抗でしたが、逆に鉄にはずいぶん辛い思いをさせてしまったと感じています。
チビ鉄に対しても然りです。私の基準で物事を計り押し付けようとしてしまいます。
将来子供たちに指摘されたら私は素直に謝ろうと心に決めています。
私がそう願ったように。
鉄は高校をやめましたが、15日から調理の専門学校に通うことになりました。新しい出発です。
夢にむかって。
(この夢もどうやら堀江さんとの約束、と思っているようです(笑))

今日本当に久しぶりにKがうちへ来ました。
鉄のところに遊びに来ていた元野球部の友達と野球がすきなKとでキャッチボールをしていました。
少年野球に入りたいそうですが、お母さんの反対にあってるみたいです。
「Kが本当に野球が好きでやりたいなら一生懸命お母さんに頼んでみなさい。厳しい練習にもついて行くんだよ」と言ったら「うん」と答えていました。

>分かってもらえない不満の連鎖を、分かってもらえる喜びの連鎖に変えていくのでしょうし、その作業はすでにかなり進んでいると思います。
そうなんですか。私達には実感がありませんが、そうならとてもうれしいです。
鉄パパはいつも「俺はママと結婚して修行の日々」と言っています。
私は彼と一緒に歩くことが出来て幸せです。

そして、飯沼さん、悠々塾に繋がる皆さん、本当にありがとうございなす。
私はこうして皆さんと繋がることができて本当に幸せです。

12/04/2008(土) 20:44:36

No.3664  ひろこ
Re: 大丈夫 引用
鉄ママ、大好きだよ。そしてありがとう。
見えない鉄ママを抱きしめてる。

今、一人でいて先の不安を思いどうしようもなくなって掲示板を開きました。私は自己中心だと思った。
鉄ママよく頑張ってきたよね。
あきこといつも鉄ママの事話しています。
鉄パパ、鉄ママ家族フレ〜フレ〜です(^0^)

12/04/2008(土) 22:35:58

No.3665  あきら&ひとみ
Re: 大丈夫 引用
何事にも一生懸命で、いつも私達に優しさと元気をくれる鉄ママ!
私はそんな鉄ママが大好きです。
辛かった事をこうやってお話することは、とても勇気のいることだったと思います。
鉄ママ、ありがとうね。私はもっともっと鉄ママが好きになりました。きっとこれを読んだみんなもそうだと思うよ。
いつもいつも応援してます!!
                  ひとみ

13/04/2008(日) 16:48:01


No.3662 飯沼 ホームページ E-mail
5月の直接ヒーリングのお知らせです 引用

☆京都
5月3日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月4日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月5日(月)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月6日(火)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
5月7日(水)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、4月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

☆4月は悠々塾定例会はありません。
次回定例会は、5月24日(土曜日)です。


12/04/2008(土) 01:27:22



No.3655 さき ホームページ 
フィリピン訪問報告ーその6 引用
◆フィリピン訪問報告―その6
    (ドネサイトに載せた報告をこの場にも転載します。)

3月27日、ニワトリの声と朝のひんやりした空気で目が覚めました。
冨田さんとスービックの市場へ。
この日は普段の市場に加えて地元の人が野菜や魚など色々持ってきての市も立つとのことでついて行きました。
トライシクルに3人乗りです。冨田さんは地元の野菜を買うとのことで、私たちは帰り方を教えてもらい市場をウロウロしました。

なべ、ザル、服、雑貨、おもちゃ、お菓子、米などが売っている場所を抜けると肉、魚などの売っている場所へ。
お肉がつるしてあってブロックで売ってます。
魚はもうとれとれピチピチ!台の上でピクピク動いていました。
ティラピア、いか、かつお、いわしみたいなの、大きめのしらすみたいなの、貝もいろいろ。海ぶどうみたいな海藻。。
わ〜こんなのもある!と見ているだけで興奮。スービックは海の街だと再認識。

おばさんたちの手造りのちまきや蒸しパン、もちのようなお菓子も売っていました。
ぬまさんがタガログ語で「いくら?」を覚えて聞いて歩きます(すみませ〜ん)。
お肉も魚も重さで量り売りです。
鶏肉が一キロ120ペソ。豚肉がもう少し高くて牛肉になると160ペソ。
魚も種類によって一キロ100ペソとか、65ペソとか。そんな感じでした。私は気になるスイーツを購入。蒸しパン一片10ペソ、紫芋のもちみたいなのが5ペソでした。米は一キロ30ペソくらい。

野菜も豊富で色々ありました。三度豆、とうもろこし、かぼちゃ、なす、玉ねぎ、いも類、青菜、キャベツ。。それに南国の果物たち。。そうした果物や野菜は巡回でまわった村々でもあちこちで見かけました。
年に三回米が収穫できるというフィリピンの大地の豊かさ海の豊かさを実感したスービックの市場でした。(お金が入ってくるまで、経済的な貧しさなんてなかった時には誰もがこの豊かさのなかで生きていたのでしょうね。)


この日は午前中から巡回に出ました。産後訪問とこの機会に車で少し遠方の地域もまわりました。

巡回で冨田さんとティナさんと一緒に村々を回りながら、たくさんの方々に出会い、その暮らしぶりに触れました。そこで出会った人たちを思い浮かべます。

☆心臓の悪い少年。。兄が昨年心臓で亡くなっている
☆結核のこども
☆けがをしたこども
☆流産した女性
☆腰を痛めたおばあさん
☆脳性マヒの子ども
☆高血圧の女性
☆死産した女性。。。

出会った皆さん、お一人お一人の痛みや症状が軽くなり、治りますように―。 祈ります。
出会った方々が皆さんとも、冨田さんとクリニックを本当に頼りにされていることが伝わってきました。
貧しくて病院に行けないということのなかでのクリニックの存在の大きさを思います。

この日行った地域のひとつは、スービック湾をつくる半島の先の方で、街からかなり離されたとても不便な場所でした。
外国企業の誘致で強制立ち退きさせられた人たちの立ち退き先だそうです。立ち退きの話が出た当初、住民の家の大きさなどを調べに来てきちんと保障するかのようなポーズがあったそうですが、ある日突然重機が入ってきて家はみんな壊されてしまった。というむちゃくちゃな強制立ち退きだったとのことです。
木もないむき出しの山の斜面に、自然にある竹などと廃材を利用したような家がいくつも建っています。海で漁をしたり畑を作ったりして暮らしていた人たちが、ガラガラの石だらけの荒地の山の中に追いやられて、どうやって暮らしていくのでしょう。そこで病気になったら、どんなに不安でしょう。
その地域に産後訪問で行ったのですが、冨田さんが来ていること知って駆け付けてきた年配の女性がいました。体調が悪く薬も必要でどうしても診てもらいたかったようでした。
冨田さんは話を聞いて薬を渡します。私たちもヒーリングエネルギーを通しました。生きるために、暮らしていくために離れた島からルソン島に来てスービックに来て頑張ってきた。彼女の人生にねぎらいの気持ちを向けずにはいられませんでした。
荒地の斜面を降りながら、行き場のない思いが脳裏をめぐっていました。

その後、街中に戻って、遅い昼食を食べました。
そしてまた巡回。この日訪れたもう一つの地域を紹介します。

街中で貧しい人たちの暮らす地域でした。
フィリピンスタイルの家が密集して道には生活排水が流れています。
そのぐちゃぐちゃした泥と水たまりをよけて歩きながらその地域に入って行きました。家の前や道ではたくさんの子どもたちが遊んでいます。車の排気ガスや土埃で空気がよどんでいるのか、それまで巡回で回った村のすがすがしい空気とは全く違いました。

訪ねたのは冨田さんがずっと関わっているある家族でした。
お母さんがアルコール依存症、子どもたちは育児放棄状態。
私たちが行った時お母さんがいなくて誰かが呼びに行きました。
戻ってきたお母さんからはお酒の匂いがプンプンしました。
3才、4才、5才のお子さんがいるのですが、お母さんの抱いている子は1才ちょっとくらいの赤ちゃんに見えました。その小ささに胸が痛みました。衛生状態が悪くて下痢などを繰り返しているようです。
上の子どもの瞼の裏は真っ白でひどい貧血状態。
6歳の子が昨年亡くなったそうです。
みんな冨田さんのクリニックで生まれた子どもたちです。言葉を失いました。

貧困は人の心も荒廃させてしまう。。
緊急避難で子どもたちを施設に預けるという手段もとったけれど、親が連れ戻してしまったそうです。
冨田さんはお母さんに説明しながら子どもたちのための薬を渡します。
近所のこどもたちや大人たちも細い通路にいっぱい出てきて心配そうにその家族を見守っています。
この子たちを死なせない。
祈る思いで、ヒーリングしました。ぬまさんがお母さんへの言葉を伝えました。昨年亡くなったお子さんのことに触れた時、お母さんの目が赤くなっていました。(彼女の心が愛情に動きますように!)

なんとも言えない思いでそのお宅を後にしました。帰る道で「うちの子も診て」という声がかかります。
貧困を生みだす社会がつくり出す矛盾や痛みを目の当たりにし、そのなかで生きる人たちと出会い、その人たちとともに生きる冨田さんと過ごした1日。たくさんの宿題をもらった巡回の1日でした。

10/04/2008(木) 09:27:14


No.3656  飯沼 ホームページ E-mail
Re: フィリピン訪問報告ーその6 引用
前日のトライシクルでの巡回診療はかなりハードでした。
私はバイクの後部座席に横座りでの移動でした。
片足分しか足を乗せるところもないので、サンダル履きの私としては不安定この上ない格好でした。
小さなバイクなので、地面に足が着きそうになるのです。
しかも運転はかなり荒っぽい。
私が横座りすると、膝が大きくはみ出してしまいます。
フィリピンの人は小柄なので、私の膝が大きく出っ張っていることは運転者の意識には全く入っていない様子がありありと分かります。
対向車とギリギリですれ違う時や、木や塀のすぐそばをすり抜けるときなどは膝が当たりそうになるので、ヒヤヒヤものでした。
海外旅行保険に入っておくべきだったと思いました。
トライシクルが入らない集落もあるので、坂道をかなり歩きましたし。

その日の夜、夕食を済ませて水浴びをしていたら、しばらく前に流産した女性がかなり大量に出血して止まらないとのことで、冨田さんの家に駆け込んできました。
私たちも呼ばれましたが、すぐには止まりません。
それで、冨田さんに患者さんの下腹部に手を当ててもらって、私たちが冨田さんの頭頂からエネルギーを通すことにしました。
これは冨田さんのヒーラーとしての回路を開くための計らいであるという直感があったからです。
冨田さんにはずいぶんと抵抗感があったようですが、そうも言ってられない状況でした。
結局はそれで出血はピタリと止まったようです。
前日の夜に、「せっかくだから冨田さんのヒーリングエネルギーの回路を開かせてもらいたいね」という話をさきさんとふたりでしていたので、まさにまさにの機会が計らわれたのです。

二日目は買い物でスービックに行くとのことだったので、私はオフ日なのかと思ってしまいました。
ところが朝食をすませて7時半に出発、9時半から巡回に出るとのことでした。

市場は活気があって楽しかったです。
魚は本当に新鮮で、まだはねているものもいました。
巨大なサヨリなんかも並んでいました。
野菜はいわゆる夏野菜が中心でしたが、トマトなどはもう日本では作っていないような古い品種に思われました。
キャベツや白菜を売っている店もあって、ちょっと驚きました。

市場からの帰りは自分たちでトライシクルの乗るのですが、行き先を言う前に運転者が「江里子のクリニックまでか?」と聞いてきました。
冨田さんのクリニックはスービックの人にすっかり知れ渡っていることが分かりました。

その日の巡回はマニラまで迎えに来てくれたドライバーの運転の車で移動しました。
途中、ピナツボ火山の噴火の時に真っ白な火山灰で埋め尽くされた大きな川や広大荒地を見せてもらいました。

強制立ち退きさせられた人たちの集落は、岩や石だらけの山に貧しい家が建っているのです。
道は急坂でそれもまた角張った大小の石が露出していて、歩くのが大変です。
その一番上の辺りに住んでいる19歳の若いお母さんは、陣痛が始まった時に、この坂を歩いて降りて冨田さんのクリニックに行ったそうです。
乳児を抱えて、こんなところで生活できるのだろうかと思わずにはいられないのですが、それでも赤ちゃんを授かったことへの喜びに満たされた笑顔がとても印象的でした。

もうひとつの貧しい集落は、貧しいだけでなくやはり澱んだ雰囲気でした。
アルコール依存症のお母さんに抱かれた男の子はどう見ても1歳くらいにしか見えないのに、実際は3歳だと聞いて絶句してしまいました。
自分の子供たちに食べるものも食べさせずに、酒に溺れている母親。
子供たちの下瞼の裏が真っ白で、ショックでした。
近所の人たちもどうしてあげることもできない状況です。
「この子達の先は見えているのに、自分がこうして係わることはこの子達の辛い人生を引き伸ばしているだけなのかもしれない・・・」と独り言のように語る冨田さん。
でも、「もしもあの子達が大人になるまで育つことができなくても、ERIKOという日本人の看護師が向けた心が無駄になることは決してない・・・」という、ありきたりの言葉を冨田さんに言うことはできませんでした。

(克が伝えてきた)昨年に他界した男の子からの言葉をそのお母さんに伝えた時、彼女の目に涙が溜まったのを見ました。
私たちは、たとえ一瞬でもそんな気持ちになってくれた彼女の心を信じて、日本に帰ってからもヒーリングを続けています。
3人の子供たちにも、人間の肉体を養うものは食物だけではないと信じて、健やかに生きるエネルギーを注いでいます。

その日、クリニックの車は他の用があって、途中からは乗り合いジープとトライシクルを乗り継いでクリニックに帰りました。
どの店もそうなのですが、鉄格子と金網でガードされて、小さな窓口からやり取りする店で、「レッドホース」という1リットル50ペソ(約75円)のビールを買って、夕食時にさきさんと一緒に飲みました。
冨田さんはすぐに家族の夕食を作り始めたようです。
まさに、本物でなければできない働きぶりに頭が下がる思いで、ビールを飲みながら美味しい夕食をいただいていると、もう食事を済ませた冨田さんが来て、深夜まで話し込んでしまいました。

11/04/2008(金) 00:18:07

No.3657  冨田江里子
Re: フィリピン訪問報告ーその6 引用
子供が皆貧血の家のお母さん。お酒を覚えて彼女の暮らしは一変しました。最初のお産のときに訪ねた家は拾ってきたブルーシートやダンボールで作られた質素極めた家でした。それでも訪ねていった私たちに海で取れたイカの干物をお土産に持たせてくれました。正に何も無い生活、何とか海で生きている状態でした。そこから、何かの拍子で彼らはお金を得たようです。多分その時お酒を覚えたのでしょう。
貧困が人の心を荒廃させたというより、今までの苦労がお酒で忘れられ、お酒の力に取り付かれてしまった、お酒に逃げれば楽と思い込んでいるのかもしれません。貧困でもつつましく、助け合って生きる人々は沢山いますから・・。
彼女以外も子育てに関与して良い状況なら、子供たちはもう少し健康に暮らせるはず、育児能力の無い親から誰かが善意で引き取り面倒を見ることはフィリピンでは珍しくありません。
人に頼るタイミングを逃してしまい、結果6歳の子の死につながり、今まで心配していた人も冷たい目でしか見ていない、そういう四面楚歌の状態ではと思います、人同士がつながり、もう1度暖かい人間関係を持てる状態に彼女の心が変わるように、お祈りください。壁は高いですが、母親の心を救済できれば子供は助かるようにも思います。

11/04/2008(金) 00:21:20

No.3659  飯沼 ホームページ E-mail
Re: フィリピン訪問報告ーその6 引用
☆冨田さん

はい。
ヒーリングを継続します。
この掲示板の読者も祈ってくれると思います。

お産の介助をした赤ちゃんの、その後の様子を目の当たりにしている冨田さんのお気持ち、お察しいたします。
私たちもフィリピンに行き、冨田さんに同行させてもらったことで、その後さまざまな変化の渦中にあります。
私たちの場合、さらに自分たちらしく働いていけるような気がしています。

11/04/2008(金) 01:06:08


No.3654 さき ホームページ 
フィリピン訪問報告ーその5 引用
◆フィリピン訪問報告―その5
    (ドネサイトに載せた報告をこの場にも転載します。)

3月26日、午後。
もうすっ〜かりお昼もまわった頃、朝から並んでいた人たちの診療がやっと終了。
それでもクリニックの前では近所の子どもたちが遊んでいて、野菜や果物なんかも売ってたりして、ハロハロってフィリピンのかき氷の店もあって、もちろん犬のミルキーや近所の犬もウロウロしてて。。にぎやかでしたが。

冨田さんはいつも朝から診療が終わるまで何も食べないそうです。
でないと診療時の集中力が維持できない。。
すぐに検査できる病院でもない、ほとんどなにもないなかで看護師、助産師として、人のいのちを預かるわけです。クリニックを頼ってやって来る人がいる限り。。
生まれた赤ちゃんが亡くなっていた時に、思わずこれでもうクリニックは終わりかと思ったって言ってました。(その時は出産時の事故ではなかったそうですが。。)
そんななかで彼女のクリニックの活動があります。 

<貧しい人たちには他に選択肢がないから> 
何度か耳にした彼女の言葉が私の脳裏に深く刻まれています。


クリニックの裏にティナさん(江里子さんがお産をする時のパートナーです)の家があります。遅い昼ご飯をティナさんのおうちで頂いて、午後からは巡回に出かけました。
トライシクルというバイクにサイドカーをつけた庶民の足があります。
それに江里子さん、ティナさん、私が乗って、バイクの後ろにぬまが横乗りする。。バイクの運転手とあわせて5人乗りです。
想像したら可笑しいですね。もうひとうの庶民の足、ジプニーでもこれでもかってくらい詰めて人が乗るし、バスでも日本では二人で座る席に3人で座るのがスタンダードのようでした。
人と人の距離が近いって書いたけど実際の距離も近いんです。(笑)

そのトライシクルに乗って4人で巡回に行きました。
出産後の妊婦さんの訪問です。
最初に行ったのは少数民族のお母さん。ちょっと高床になっているおうちにあがらせもらったら、小さな赤ちゃんが大切に寝かされていました。
江里子さんが血圧を測ってやりとりしながら産後のアドバイスします。若いお母さんで、いざという時には江里子さんがいてくれること、頼れる場所があることが、彼女の安心になっているようでした。
赤ちゃん抱かせてもらいました。宝物のようないのち。。
その輝きに触れさせてもらって、涙がでそうでした。

続いてまたトライシクルに乗って別のお母さんの産後訪問。
ガタガタの山道や細い道もどんどん行きます。
今度のお家は兄弟姉妹の子どもたちがいっぱい。
咳がずっと止まらないという女の子がいて、ヒーリングをさせてもらいました。
その子はママに「いい子にしてるから、愛しているって言ってほしい」って、ちょっと切ない思いを抱えていたようです。
巡回診療で村に行くと、それを知って近くの人が「私も診てほしい」「私も診て欲しい」ってなるようです。
この日も近くに気管支炎で具合の悪いおばあさんがいるってことでおじゃまして、冨田さんが話を聞いて薬を出したりして、その間私たちはヒーリングということになりました。

そしてまたトライシクルで移動。
テンカン発作がある女性を訪ねました。発作が起こると倒れて怪我ということを繰り返しているとのこと。
タガログ語のわかる冨田さんに間にはいってもらって、生理の時に発作が起こりやすいといった話を聞きながら、こちらからも彼女に必要な言葉を伝えながらのヒーリングになりました。
その後、もう一軒お宅をたずねました。
こっちこっちって感じでついていったら、バナナの林?の山を上がっていきます。
え〜、まだ行くの?って感じで登りきったら上におうちがありました。
眺めがよかったですねっ☆ぬまさん。
こちらはお薬の処方でよかったようです。
子どもたちがついてきて一緒に写真を撮りました。
素敵な笑顔でした。

ってところで、再度山を下りて、トライシクルでクリニックに戻りました。
朝からのひっきりなしの診察に、巡回。。
冨田さんの1日の密度の濃さを同行して体感しました。
それでもね。。
ものすごくさりげな〜く、私はただ自分にできることをしてるだけ、できないこともあるし、大したことないですって感じで淡々としてる彼女です。(もうちょっとありのままに自己評価をしてもいいよね〜)
そんな彼女に親近感をいだきつつ、ここの人たちを思う気持ち、愛情の深さと、少しでも自分を役立てようとする行動はとても足元にもおよばないと、あらためて尊敬しました。すごい人です!!

こんな人とつながれて、いっしょに行動させてもらえて、本当によかったと、心から思いました。
冨田さんはその後帰ってからまた家族のためにご飯を作って(娘さんが二人おられます)、私たちの夕食が終わった頃にこっちの別棟に来て、話し出したらお互いに面白くて、あれやこれやと深夜までしゃべっていました。
一緒に過ごせた時間、今思いだしても楽しかったな〜。

09/04/2008(水) 22:16:28


No.3658  冨田江里子
Re: フィリピン訪問報告ーその5 引用
人と人の距離が近い、実際の距離も近い・・びっちり座らせられても、べちゃと肌がくっついても日本ほどいや!と感じないのがフィリピンです。人がそのままの自分でいて良い国だからといつも思います。日本は個人の領域を尊重し、気を使いすぎた結果、半径1メートル?ぐらいに誰かがいると神経が苛立つような感覚を覚えます。そう自分の周りにカプセルを張っているような感じです。

フィリピンはそれが無いので人は誰でも簡単に声を掛けるし、関われます。一人で生きてけるなんて絶対考えていないここの国だから、常に誰かと交わりながら生きているのです。こういう感覚を取り戻したほうが生き易いのでは・・といつも日本に帰るたびに感じます。悠々塾の定例会?がおそらくフィリピンの感覚に近いです。
ただフィリピンのほうがもっと自分に正直。とことん甘えて生きてやると思っている人は素直に甘えるし、常に面倒を見ている人は面倒を見ている、世間様やこうあるべきが希薄だから・・。そしてそれでいいとお互いが受け入れているので。

こういうお互いを必要とする生き方もありなんだー・・面白い国です。

11/04/2008(金) 00:46:05


No.3653 飯沼 ホームページ E-mail
留守にしていました 引用

昨日から出張で留守にしていました。
一昨日は緊急で深夜まで直接ヒーリングが入り、掲示板やパソコンのメールに返信できずにすみませんでした。
今から急ぎの電話が入るので返信できそうにありません。
明日はまた直接ヒーリング・カウンセリングなので・・・。

08/04/2008(火) 22:37:55



No.3650 まゆみ  
喜びの輪を広げましょう! 引用

8日です。喜びの輪(和・環・話…)を広げましょう。

分かちあうということ…それはお金や物だけではないんだと今回の飯沼さんとさきさんのフィリピン行きで気づかせてもらいました。
自分の持っているもの全部なんだと。
それは自分を縮めていてはできないことなんだと思いました。
誰かの役に立とうと思うこと。何かの役に立つこと。

自分は何もない…何も持ってない…
と思うのではなく…

お金や物と同じように自分の持っている能力?(ということではなくても…気持ちや心?)は自分のところに集めるのではなく分かちあうものなのだと…

すごいことに気づいたように思ったのですが…書いてみると当たり前のことでした。
でもすぐ(何も持ってないと)自分を縮めてしまう自分にとっては何か新鮮に思えました。
できることをしていきます。


今月もエネルギーの共鳴をみなさんと一緒にしたいと思います。
みなさんよろしくお願いいたします。



    * * *

共鳴させるエネルギー
「不調和から調和へ」

・この人の病が治りますように(全ての人の病が治りますように)
・この人の魂の意志が精神・肉体にまで行き渡りますように
・自らのかげりや闇を光に変えていこう
・自らの魂の意志が、精神・言動にまで行き渡りますように
・全ての人が魂の意志に従って生きられますように


      * * *

『 私たちひとりひとりは、この地上界を変えていこうと意志します。

それは自分の心の闇に光を通すことです。

目の前の人に手を差しのべることです。

遠く離れた人に祈りの心を向けることです。


この地上にある一切の「偏り・不調和」が一掃されることを願います。

そのために、ひとりひとりが今、自分にできることをしていきます。

人として正しく、人として優しく生きます。

自分も人も、皆が幸せになるように、

私たちひとりひとりが霊力の通路となります。 』



『 神の前に進み出で

 深く頭(こうべ)を垂れ 聖なる杯を受けなさい

 いついかなる時も 神の懐深く抱かれていることを
 
堅く堅く信じなさい

 それが不動の柱(霊力の通路)となる 』

      *




08/04/2008(火) 10:50:50


No.3651  えみこ ホームページ E-mail
Re: 喜びの輪を広げましょう! 引用
まゆみさん、喜びの輪ひろげますね。

>分かち合うこと、、、、、自分を縮めていてはできないこと、、
本当にそうですね。

飯沼さん、さきさんのフィリピンの報告を読みながら、
沢山のことに気づかされたし、支えあうことの実践にこころ動かされました。今、できることから、微力ながらもエネルギー送っています。

ふっと、自分は??やればできるのに何にもしてない!
そんな思いがよぎるんです。
だから、まゆみさんの言葉、とても心強かったんですよ。
ありがとう。

> すごいことに気づいたように思ったのですが、書いてみると当たり前のことでした。

当たり前のことが難しいんですよ。
こころ縮めないで、できることしていきます!!!

08/04/2008(火) 14:08:18

No.3652  あきどん
Re: 喜びの輪を広げましょう! 引用
>お金や物と同じように自分の持っている能力?(ということではなくても…気持ちや心?)は自分のところに集めるのではなく分かちあうものなのだと…

>すごいことに気づいたように思ったのですが…書いてみると当たり前のことでした。

いえいえ、当たり前のようでいて、私もこのまゆみさんの、気ずきに、はっとさせられました。

8のつく日の喜びの輪の祈りいつもありがとうございます!

08/04/2008(火) 16:01:44


No.3649 カピバット  
ありがとうございました 引用
昨日は、飯沼さん、さきさんに直接ヒーリングをしていただき、ありがとうございました。
これまでに自分の奥に溜めてしまった感情など、自分にとって辛かった、あるいは辛い思いを癒していただき、感謝しております。来月の悠々通信で上手く表現できるか不安ではありますが、宜しくお願い致します。
また、もうひとつの話に関しても、今の自分の現実を受け入れて過ごしていこうと思います。
なぜか、昨夜から急に体がだるく、今もキツイので今日は家でゆっくりしようと思います。
今回のヒーリングをきっかけに、今の自分から脱却したい、さらに良い方向に向かっていきたい、という気持ちが強くなりました。本当にありがとうございます。

06/04/2008(日) 07:55:55


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