「縄文―いにしえの造形と意匠」という展示会が、兵庫県陶芸美術館で開かれています。 陶芸美術館は、篠山から車で20分くらいの、立杭焼で有名な今田町にあります。
私も先日行きましたが、縄文のエネルギーに心地よく圧倒されました。 あの有名な遮光土偶をはじめ、いくつもの火焔土器が信じられない迫力で展示されています。 本当に、「すごい」の一言です。
昨年の大阪での「縄文まほろば展」をはるかに上回る展示品です。 全国から集めているので、三内丸山遺跡の展示室よりも、おそらくはどこの歴史資料館よりもすごいものになっています。 縄文の人々の生きる喜びの心がそのまま、会場に満ち満ちています。
縄文土器展を見に行った日の夜、布団に入ってからも気になっている人へのヒーリングをしていたのですが、私の指から発しているエネルギーが、いつもより数倍の大きさではっきりと見えていました。
縄文の人たちは、厳しい環境にさらされても、無条件の生きる喜びのなかに生きていたのだと思います。 仲間と共に、そして神と共に生きる喜びは、たとえ飢える時も失われることはなく、死者を悼みながらも死を怖れず、ある種の絶対的な喜び(それは生かされている喜びというものだったのかも)に生きたのでしょう。
彼らは全てに神が宿っていることを知り、全ては与えられるものなのだと知っていたのだと思うのです。 (神から)与えられたものを、人間どうしが与え合い、分かち合うことは、彼らには当然のことだった。 だからこそ、1万年もの間、全国的に交流していたにもかかわらず、争い・戦乱の形跡がないのでしょう。 彼らは実際に遠く離れた集落の人々とも与え合っているのです。 北海道の礼文島の縄文遺跡からは、全国の縄文集落の「特産品」が発掘されています。 神が与えてくれたものを人間が奪い合うことなど、彼らには思いもつかなかったに違いありません。
あの見事な装飾を施した火焔土器は、実用にはあまりにも不便ですが、それで煮炊きした形跡があります。 私見ですが、これは神から与えられた食物を煮炊きする土器に、神への賛美と感謝を表現したのではないかと思います。
こんな理屈はどうでもかまいません。 どうか是非、縄文土器展を見に行ってください。 縄文の人々の心に触れてみてください。
6月1日までです。 私もまだ何度も行くつもりです。 しかし、こんなすごい展示会がすぐ近くで長期間あるなんて、大感謝です!
■ 展示作品 265点 /69遺跡(1都9県) ■ 国宝・重要文化財 国 宝 /2点 重 文 /176点 その他 / 13点 兵庫県陶芸美術館のサイトです。 @ttp://mcart.jp/19/exhibition/jomon/19jomon.htm (@)をhに変えてくださいね。 |
18/04/2008(金) 01:04:44
| No.3681 ちぃ |
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こんばんは☆ 紹介して頂きありがとうございます^^ 縄文時代の人々の生きる喜びに触れられるというのは、とても興味深いです。 何度か足を運ばせて頂くことになりました^^ にぃくんとも行って来ます。 |
18/04/2008(金) 23:03:23
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| No.3682 さき |
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行ってきました。 火焔土器の存在感と迫力すごいです!! 生きるエネルギーにあふれています。 現代の私たちには希薄になっている、理屈抜きのいのちの喜びが生々しく迫ってきます。 にんげんってこういうちからがあったんだと思い知らされます。
一万年以上も前につくられた見事な土器が目の前にあって、この造形を作り、文様を刻んだ人たちがここにいたんだと思うと不思議な気がしました。 縄文の人たちは確かにこの地に生きていたんですね。 私たちの生まれるはるかはるか以前に、私たちと同じ姿をした人間として。 魂をゆさぶられるようなパワーに圧倒されながらも、その人たちの存在を身近に感じていることが不思議でした。
火焔土器だけじゃなくて、壷や台付きの土器、水差し、漆塗りの土器、土偶、耳飾り。。いずれも美しく精巧な造形です。これだけ見ても、縄文人=原始人って思い描くことはできません。 縄文の人々が独自の豊かな文化を持った人たちであることは疑い得ません。それが弥生以降とは異質だっただけなのだと思います。
火焔土器の燃え上がるような造形は、生きることへの希求、魂のふるさとである見えない世界とつながること、ひとつになることへの希求のように思えました。 縄文の人たちは、自らが霊的存在であることを知っていて、霊界の心で地上を生きていた、生きようとしていたんじゃないか。
それって、まさにスビリチュアリズムですよね。 (当時スピリチュアリズムなんて言葉はなかったですけどね。笑) この地の奥深くには、縄文の人々が霊界ー魂のふるさととつながりながら、互いに支えあい役立ちあうことを喜びながら生き続けた、そのエネルギーが脈々と息づいているのかもしれません。 と、したら。。そのエネルギーを解放したい、そのエネルギーにつながり直したい。って思います。 ぬま曰く、縄文スピリチュアリズムです。 それってすごいことかもしれないですね。
縄文のビーナスと言われる、女性を表現した土偶に触れて、泣いてしまいました。 何なんだ〜!これは!!って感じです。 とにかく是非多くの方に縄文のエネルギーに触れてほしいです。 こんなに見事な縄文土器が一堂に集まる機会は二度とないかもです。 |
20/04/2008(日) 03:59:23
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