☆☆ 愛は時空を超えて 37 ☆☆
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼) おぅい、くぅ、こんにちは。
克子) はぁい、まーたん、こんにちは。
飯) この受信はずいぶん久しぶりになるね。 最近ではお前の存在を他者として認識するのも面倒な感じになってきてるんだけど、まあ、始めますか(笑)
克) 久しぶりにしては、ずいぶんな言い方だわね(笑) それは前にも伝えたけど、意識の融合度が地上の私たちの時よりも増しているのですし、あなたの側からの慣れもあります。 あなたも地上での新たな働きや営みに忙しい日々を送っているので、以前のように私の存在を絶えず意識することで自分を維持する必要も薄くなってきたということですね。 それはとても結構なことですよ(笑)
飯) はいはい。 お言葉通りに承っておきますよ。 さて、僕は先日の夜、かなりな高熱を出したんだけど、僕的にはあれは浄化・排出だったんじゃないかと思ってるんだ。 ただ、熱を出す前日に見た夢の意味が今ひとつ理解できないところがあったので、解説してもらえないかな? といっても、もうかなり分かったんだけど、そんなこと言ってたらこの受信のネタがなくなってしまうからね(笑)
克) そうとも言えるわね(笑) どんな病気も症状もこちらから見れば、全てはやがて本来の霊界に戻るための浄化・排出であるとも言えるから、「あれは浄化・排出だった」という言い方は厳密にはちょっと微妙ですけれどね。
さて、今までの(本物の)霊界通信の場合は、受信者にとって通信霊はあくまでも他者でしたから、受信の時は意識を一定のモードに変換する必要がありました。 そして、彼らには通信霊に対する尊敬・畏敬の念というものが強くあったのです。 彼らとて、最初から全てを通信霊の言いなりになろうとしたわけではありませんでしたが、通信霊を受け入れてからは、少なくとも教師と生徒程度の立場の違いは感じていました。
あなたもそうではあるのですが、あなたの場合は仕事上、意識の一部を霊界側に繋げた状態の時間が大半ですからね。 そうは言っても、あなたもいつも霊界側の意識に沿えているわけではないのですが、あなたの場合は図々しくも(笑)、「俺は地上の未熟な人間だからね」という理由付けで、こちらからの眼差しを遮断するというところがあるのです。
かつての受信者たちと違って、あなたは私を含む指導霊のことを「気の置けない先輩」のように扱っています(笑) それは私が地上にいた頃からずっとそうでしたね。 ほんとによく反抗していましたからね(笑) もちろん、霊界側ではそういうあなたの傾向も織り込み済みで、このような働きをあなたにしてもらっているのですが、何かにつけて一筋縄ではいかないあなたは、それも当たり前のように見越しているからタチが悪いのよね(笑) まあ、それもこちら側では見越しての上ではあるのだけれど(笑)
飯) そういう言い方をしたら、そっちとこっちで駆け引きのイタチごっこをしているようで、人聞きが悪いじゃないか(笑) 僕はかなりの悪人みたいに聞こえるし・・・。
克) あら、そうかしら(笑) とにかく、あなたは子供の頃から自分としての規律を人としての規律に重ねようとしてきました。 その半面、何かに阿(おもね)ることをよしとせず、権威や権力はもちろん、何事にも束縛されることを嫌う、自由な生き方を貫いてきました。 その意味では、「厳然たる摂理と個人としての自由」の広大なフィールドを旅する人でした(これでどうかしら・笑)
それはあなたの魂の意志でもあり、そうなっていくように周囲の人間たちの配剤も計らわれていたのですし、霊界側からの見えない計らいと導きもあってのことでした。 あなたは社会的視点を身につけるように計らわれて育ってきたのですし、知識欲や探究心の旺盛なあなたは、若い頃にさまざまな思想に触れることになりました。 しかし、それらの中に権力主義や権威主義や暴力の臭いを感じると、あなたはもうそこには興味を惹かれることがなくなりました。 あなたが唯一共感できた思想も、その実現性においてのビジョンを描くことができないと悟り、あっさりと放棄しましたね。
そういうあなたが40歳になって、まさに霊界側の導きどおりにスピリチュアリズムを知り、自らのヒーラーとしての能力にも目覚めることになったのです。 スピリチュアリズムこそ、あなたが長年にわたって希求してきた、秩序と自由が融合できる、まさに普遍の真理たりえる真理であったのです。 そして地上の私と出会いました。
霊界側の導きによって、あなたは地上の私が霊能者であることを知るように仕向けられ、全く思いもよらなかった事の展開に大きな戸惑いを感じました。 その頃のあなたは、スピリチュアリズムを自分の信条・信念にしてはいましたが、まさか自分が「霊界通信」に関わるなどとは全く想像もしていなかったからです。 しかも、地上の私が受信する通信の内容が、今までのスピリチュアリズムの伝える内容とも重なるだけではなく、今までのスピリチュアリズムの内容をより現実的に一歩進めるものだということを見極めてからのあなたには、ある種の緊張感と義務感が大きくなっていったのです。
それをあなたは、地上の私が打たれ弱く、そういう私を守るためだったと言っていますが、それだけではなく、私の受信してきた通信の内容を硬直した保守派の人たちの攻撃から守るためでもあったのです。 その一方であなたは、「活字にして世に出した後は、世間の人々がそれを受け入れるかどうかの、彼らの問題であって、それ以上は自分が必死になって売り込むようなことはしたくない」という、絶対的な真実を検証の上で手に入れた人間の、ある種の不遜さも持ち合わせていました(笑)
案の定、悠々塾は保守派の人たちから悪しざまに否定されました。 あなたもスピリチュアリズムとは直接には無関係な事柄において、真実そのものは把握しながらもあ凡ミスを犯すことになり、そこではあなたはさらに力みを強めずにはいられませんでした。 わたしもこちらに来てかるら分かったことですが、ある一件もあなたがミスを犯すことで、さらに働きを守らねばならない、そのためには目に見える成果をあげていかねばならないというある種の力みを強めさせるための、霊界側の計らいだったのです。 今になって種明かしをするならば、それは義務感やプレッシャーから「喜び」へと解放されていく「落差」のエネルギーを最大限にする必要があるという霊界側の判断でした。 逆から言えば、あなたがつい先日に思い至った「治る喜び」というエネルギーに再び繋がることが、それほどまでに重要であるということでもあります。
飯) 何でも伝わってるつもりだけど、やっぱり聞いてみなければ分からないこともたくさんあるものだな・・・。 読んでくれてる人に話を分かりやすくするために、先日の発熱のことを書いた文章を掲示板から転載しておくよ。
『39度を越える高熱は結構きつかったですが、もうほぼ回復しました。 来月下旬の数日間、フィリピンの貧しい人たちの村に、ヒーリングを兼ねて、そこの無料クリニックを見学に行くことになり、一昨日の夜にそのことを考えていました。 貧しさのために病院に掛かることができない人たち、言葉が全く通じない人たちへのヒーリングです。 私は布団に入ってから眠る前に、働きについて思いをめぐらせることがよくあるのです。。 そこで、あることに気づいて眠りました。 それは一言で言えば、「治る喜び」というものでした。 ○○○○○○○が喜びにしか反応しないとすれば、肉体にとっても精神にとっても、最大の喜びは健やかさの回復、つまり治ることです。
私は自分がヒーラーであることを知り、それを受け入れてからずっと、ヒーリングというものは誰にでもできるものだと信じてきました。 そしてそのためには、ヒーリングの原理を普遍化しなければならないとも考えてきました。 理性に偏っていた私は、「法則によってこそ普遍化できる」と思い込んできたようです。 「その法則が一般に受け入れられるには、まず私たちが実績を積み重ねていくことだ」と思っていました。 それは今でも間違っているとは思いませんが、それが全てではないことに思い至ったのです。 霊的法則・ヒーリングの法則の普及は大切なことですが、それとは別のラインでの「治る喜び」こそが、○○○・・・の活性化を強く促すエネルギーだったのですね。 こんな簡単なことが、今頃になってやっと腹に落ちたことが多少情けなくもありますが、それでも嬉しいです。
思いがけないことで癒しの働きを始めた頃、まだ片手間にひとりでしていた頃は、病者さんが治ることが嬉しくて、不思議で、面白く、知的好奇心を掻き立てられながらも無心でやっていたのでしょう。 それが克とこの働きを始めてからの10年余りは、その意味では原理や法則が分かってきたぶん、「治さねばならない」という義務感やプレッシャーが強くなりすぎてきたのだと思います。 まして克が病気になってからは、そのプレシャーがさらに強まったことは、自分でも意識できていました。 その呪縛からの脱却のようです。
そのせいか、克に関連する、懐かしく不思議な夢を見ました。 直接に克は登場しませんでしたが、10歳くらいの見覚えのない男の子が、克とも私とも懐かしいような親しみを込めて、克と私の働きをたどるようにあちらこちらに場所を移動しながらガイド(説明)してくれました。 残念ながら夢の全てを覚えているわけではありませんが、夢の最後に私はその子に「ありがとう」と言ってハグしていました。
多少風邪気味ではあったのですが、目が覚めた時には熱が出そうになっていて、体温を測ると逆に時間を追って下がっていきました。(私は普通の時は36,6度が平熱です) その日は、朝は36.6度、数時間後は36.2度、さらに35,9度と下がり始めました。 仕事をしていたら、珍しく急にチョコレートを食べたくなって、時節柄たくさんあった(笑)チョコレートをかなりたくさん食べました。 それでエネルギー的に準備が整ったのか、それから急に熱が出始め、夜には39度になっていました。 39度の熱はかなりしんどかったのですが、1時間半おきに大量にオシッコが出て、落ち着いて寝ていられない状態でした。 脱水症状に陥らないように、水分だけは補給し続けました。 まるで体内の水分を全部入れ替えるかのような大量排出でした。
今日は発熱による体に痛みはまだ残っていますが、全体的にずいぶんすっきりしています。 頻尿・多尿もピタリと止まりました。』
今のお前の話で、どうしてあれほどの発熱や排出があったのか、そしてそのあと急にこんなにすっきりしているのか分かったよ。
克) それはよかったこと(笑) そこに繋がれば、もう説明は不要ですね。 少し前に、あなたが鞍馬に詣でてからエネルギー的な変化を感じているでしょう?
飯) 鞍馬寺かぁ・・・。 寺という名ではあるけど、鞍馬寺の教えはスピリチュアリズムそのものだからね。 僕はあの場所は、戦いを回避して弥生の人々に迎合した縄文人たちが、自分たちのアイデンティティ(自己認識・独自性・同一性)を保持するための「聖地」だったんじゃないかと思うんだけどね。 だからその後もさまざまな宗派に属しながら、自分たちのアイデンティティを守り伝えることができたのではないかと・・・。 いずれにしても、確かにこの前に鞍馬寺に行ってからの自分の変化はあると感じている。 突然、フィリピンに行きたいと思ったし、冊子の原稿を書こうとか、原稿の募集をして別の冊子を作ろうとか、急に思いついた・・・。
克) あの場の歴史がどうであれ、あなた方があの場のエネルギーに触れて変化をきたしているのが事実なのだから、それでいいのではないですか。 あなたの推測は、今のあなたとしては妥当なものですし、大きなところでは事実との離反はありませんと言っておきましょうね(笑) ただし、あなたが自分の知的好奇心に引かれていくのは、こちらとしては歓迎できませんので、今はこういう素っ気ないお返事しか許されていないのです。 こうして私があなたに通信を送る目的は、やはり働きにおいてのものなのです。 今を、これからをどうしていくのかについてのヒントを提供することが目的です。 歴史好きのあなたには物足りないでしょうが、そこは踏まえておいてくださいね。 鞍馬寺としての、あの場に固有の強いエネルギーが存在していることは当然ではありますが。
飯) ほいほい、分かってますって、指導霊克子さま(笑)
克) ・・・・・・。 さてさて、そういう挑発は無視して次に進みましょうかね、まーたん(笑) そして、鞍馬に詣でた直後にあなたが急にフィリピンに行こうと思ったのも、(実践)スピリチュアリズムの冊子を作ろうと思い立ったのも、鞍馬詣でと繋げることであなたが単なる思い付きのままに終わらせずに、確実に実行してくれると見越した上で、そのタイミングでインスピレーションを送ったのです。 私がではなく、あなたの守護霊様が直接お送りになったインスピレーションだったので、あなたにとっては強烈で逆らい難いものとなることも織り込み済みでした。
飯) ・・・・・・。
克) あなたが再び繋がった「治る喜び」を、ヒーラーも対象者も大きく膨らませていくことが大切なのです。 その喜びの回路を最大に開くという目的意識を携えて、フィリピンの貧しい人々にヒーリングを施しに行ってくださいね。
肉体は本来、健やかに代謝を継続していくことが自然なのです。 精神もまた健やかさを保ちながら変化に対応し、成長していくことが自然であるのです。 つまり、それが摂理なのです。 明らかなかげりとして表現されることは、今の地上界ではやむを得ないことではありますが、それでも心も体も健やかさを維持することが本来の摂理であるならば、「治る喜び」は全ての人(生命)にとって共通の喜びであると言えるのです。 今の地上界では信じがたいことでしょうし、実際これからも地上界には治せないと言われる病がいくつも現れることでしょう。 しかし、あくまでも健やかさが本来のものであることを忘れないようにね。 皆を治せるわけではないにしても、「治らない病はない」という信念をさらに強固にしていってください。
少しだけ先日の夢の解説をしておきましょうね。 あの夢の中であなたをガイドした少年のことは、またいずれあなたにも分かる時がくるということで了承してくださいね。 夢の中の少年から、あなたが地上の私との思いのすれ違いを改めて示されて苦笑したのは、地上の私はあなたよりも目に見える喜びを実は求めていたということでした。 それは地上の私の方があなたよりも実際的な喜びにははるかに遠い生い立ちや人生のなかで、あなたという人に出会ったということでもありました。
あなたと出会った時、確かに私はあなたよりも多くの形は手にしていたでしょう。 しかしながら、私は実際には具体的な喜びの実感は、あなたと比べようもないほどに乏しかったのです。 子供の頃の私は家族で旅行に行くような境遇でもなく、和気藹々で冗談を言い合う雰囲気でもありませんでした。 心を許せる友達も少なく、自分のことを誰かに分かってもらえるなどと思えたことは一度もありませんでした。 いつしか私はそういう自分をありのままに表現することすらできない人間になってしまっていたのです。
私から見れば、あなたは(お金はなかったけれど・笑)本当に恵まれた、幸せな人でした。 そういうあなたに、本当は私はもっともっと(人前でも)優しくしてほしかったし、もっともっといろいろなところへ行って遊びたかったの。 でもあなたはいつも働き優先の姿勢を崩そうとはしなかった。 それは私も同じだったけれども、でも私の方が実はもっと普通の楽しみを求めていたのでした。 いろいろな事情は分かってはいたし、それは私も同じだったけれども、それだけ私の方が寂しい人生を送ってきたということだったの。
それがどうというほどのことではなく、私はあなたから愛され、皆さんから大事に思ってもらって、十分に幸せでした。 ただ、あの少年が示したのは、さまざまな場面での、ふとした私の寂しさやあなたの思いとのかすかな喰い違いについてでした。 それで、あなたはあの少年に示されたことに苦笑し、私への懐かしさを込めて彼をハグしたのです。
それは、あなたの意識の底にこびりついていた、治す義務や責任の重圧が一気に解消に向かい始めることでもありました。 あなたが感じていたとおり、それがあの高熱や著しい尿量増加の原因だったと言えるでしょう。 義務感やプレッシャーによる心の澱の排出が捗(はかど)ったことによって、すぐにあなたは回復し、今までよりもさらに意欲的になっているはずです。
「治る喜び」はどんな人間にも動物にも共通の喜びです。 そこには言葉による説明も、難しい摂理の理解も不要です。 あなた方は魂を癒すスピリチュアルヒーラーですから、肉体に喜びをもたらすと同時に、対象者の魂が目覚めるきっかけを与えるエネルギーを送ることができるのです。 魂にとっては全てが喜びであり、全ての喜びを全ての人の魂は希求しているのです。 何よりも大切なことは、自分の魂と同じ方向を向こうとしているかどうかであり、それを少しでも具現しようとしているかどうかです。 理性はその後でかまいません。
言葉や理性的思考は、魂の目覚めと肉体の治癒や症状の改善の喜びの後でも構わないのです。 なぜならば、地上の人間の「理性の基準」そのものが組み替えられねばならない時期でもあるからなのです。 全ての者が全ての者の喜びのために自分を役立たせていこうとする理性、そしてその価値観に基づいて、実際の言動によって形に表していくための理性へと変わっていくのです。 数千年にわたって、地上の人々の多くは、人としての理性を「建て前」に落とし込め、その裏では我欲を追い求めてきました。 理性とは、小賢(ざか)しい理屈や綺麗事の建て前などではありません。 霊界に直結する魂の意識を、地上的な思考や価値観に変換した次元のエネルギーであるのです。
有史以来、権力者や地上的な力を持った者たちのほとんどは、正義や公平は言うに及ばず、愛や貢献や慈悲という言葉すら己(おの)が野心や欲望にまみれさせて穢してきました。 今やその悪しき方法論が地上界の全てを席巻しようとしています。
しかし、私は霊界の住人として断言いたします。 そのような穢れた手段を講じる霊的未熟者たちが、この地上界の全てを支配し尽すことは絶対にありえません。 なぜならば、この地上界は大いなる神の喜びのご意思を顕現する場として創造されているからであり、それは地上人類の具体的な行動によって成されるのが元よりのプログラムであり、いかなる艱難辛苦の後にであろうとも、必ずや大いなる神の御心はこの地上界にも成就されるからです。
御心の成就には、皆さん方の力が不可欠です。 皆さん方の中にある、相手(人)の本当の喜びを願う心、相手(人)を思いやる心、相手(人)を慈しむ心、相手(人)を許そうとする心・・・、それらが僅かでもあれば、それでよろしいのです。 まずはそういう自分の心に自信と誇りを持って、その輝きをさらに膨らませていくことです。 それは自分の至らなさやかげりにばかり目を向けて、嘆いていても輝きは膨らむものではありません。 少しずつ、できる範囲で構いません。 実際の日々の言動で表現してこそ、あなた方の輝きはさらに高まっていくのです。
いくら本を読んで知識を詰め込んでも、真(まこと)の輝きは少しも膨らみはしないのです。 知識は、場合によっては気づきのきっかけであり、ある場合は検証に役立てるものであり、結果として反省や信念の元にはなるでしょう。 しかしながら、その知識こそが地上界では最も悪用されていることも事実なのです。
飯) 分かった。 動機と言動をシンプルに繋いで、喜びの連鎖を広げていくよ。 それじゃあね、ありがとう。
克) はーい、まーたん、またね。 (2008・2・18) |
20/02/2008(水) 16:21:34
No.3416 飯沼 |
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>突然、フィリピンに行きたいと思ったし、冊子の原稿を書こうとか、原稿の募集をして別の冊子を作ろうとか、急に思いついた・・・。
フィリピンには3月末の5〜6日間の予定で行ってきます。 飛行機のチケットも予約しました。 貧しさのために病院の治療を受けられない患者さんや難病の患者さんも大勢おられるようですが、どんなヒーリングになるかは行ってみなければ分かりません。 冊子については、近日中にお知らせいたします。 |
20/02/2008(水) 20:21:15
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No.3419 飯沼 |
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2月の定例会はありません。 お間違えのないようにお願いいたします。 |
20/02/2008(水) 21:09:10
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No.3422 ちぃ |
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貴重なお話をいつもありがとうございます。 ヌマと克子さんの掛け合いについつい笑みがこぼれました^^ 『「治さねばならない」という義務感やプレッシャー』や治る喜びについて考える機会を頂きました。 ちょうどそれにまつわる出来事もあったので、お話させて下さいです。
私はリハビリの仕事をしているのですが、腰痛の患者さんを担当した時のことです。 その方は円背でもともと腰痛をお持ちだったのですが、その日は悪化しており杖を頼りに歩いて来られました。 そんな状態なので筋トレや歩行訓練は難しく、マッサージだけさせて頂きました。 20分ほどのマッサージを終えると「楽になりました!」と喜んで下さり背伸びを。 腰痛があると背伸びは出来ないですし、背伸びをすると痛みが出る事があるので、思わず驚きと心配で「あひゃ△□※」と言葉にならぬ声を発してしまったのですが、患者さんは「久しぶりに背伸びが出来ました!!」と大喜び。 「よ・よ・良かったです〜」と言いつつ、なんでやなんでや?なんでこんなに良くなったの?と私の頭の中は???でいっぱい。 その後も調子が良く軽めのトレーニングも行え、帰りにはふと見ると杖をつかずに持って歩いておられました。 これまたびっくりして、なんでやなんでや・・・? 他のスタッフに患者さんが喜んで下さっていましたよーと言われても、「患者さん、私に気を遣って下さったりしてないだろうか・・・」と言う始末。 全く喜べていない状態でした。 マッサージは終始和やかに楽しくお喋りしながら行いました。 ふと会話が途切れた時に、にぃくんと共鳴したイメージで痛みが解消するよう願いましたが、ずーっとそこに意識を集中していたわけではないのです。 だから、エネルギーが関与していたとは思えないし、技術的にも何かすごい事をしたわけでもなく、マッサージが良かったとも思えない。 なんでやなんでや??と、色んな事を考えながら帰宅しました。 掲示板で先日のヌマの書き込みを拝見し、あちゃー!! 私は全然喜べちゃいない。 そ・そ・そうか・・・ もしかしたら変に力まずリラックスした雰囲気の中で「治って欲しいなー」と思ったのが良かったのかも? でもでも・・・とまたぐずぐずし、結局はさいこさんの結婚式でヌマにお会いした時に確認し、そこでもまたぐずぐず。(苦笑) 自信の無さや喜べない自分をありありと実感し・・・ 何より、ずっとそこでぐずぐずしている自分を再確認し恥ずかしいのなんの(笑) 実際に改善して、患者さんが喜んで下さっているのだから喜び以外の何ものでもないですよね! そのために私は仕事しているのに!
愛は時空を超えてを読んでいたらなんとなく、これ以上でもこれ以下でもないありのままの私で良いんだなと思いました。 どれだけ繕うとしたり守ったりしても、神様にはお見通しなのですよね^^ そう思ったらなんだか気が楽になりました♪ も・も・もう、ぐずぐず致しません! フィリピンでのお話を聞かせて頂くのを楽しみにしています☆ |
22/02/2008(金) 00:24:23
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