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No.2809 匿名  
ほんと、びっくり! 引用
決して若くない女性です。

急に仕事が忙しくなり、疲労とストレスで体調をくずしてから生理が初めて止まってしまいました。(年齢のせいかと内心ひやひやでした)それからなんとなく3〜4ヶ月過ぎましたが最近お腹がちょくちょく痛くなり放っておけなくなりました。

何年か前に1ヶ月間生理が止まらなくなり産婦人科にやっとの思いで行った時は貧血状態でした。「ストレスなどが原因で脳からの命令がスムーズに行かなくなるんですよ」ということでした。
脳→子宮は直結していることをその時知りました。
薬を2〜3習慣飲んだだけでその後なぜか下腹部が太ってきました。
生理不順で薬を飲むと副作用で太るからなるべく飲まない方がいいとよく聞きますがなるほどそのようです。
同じ職場の女性も初めて薬を飲んだ時は妊娠時のように太ってしまったので二度と飲みたくないと言っていました。
病院には行きたくないし、薬は飲みたくないし切羽つまっていたので言いにくい内容ではありますが遠隔ヒーリングをお願いしました。

その翌日からなんと、生理が始まったのです。と同時にお腹の痛みもすっかり無くなりました。嬉しくてすごい!!と思いました。
こんなことならもっと早く言えばよかったと。
女性なら不順になっただけでも大変なストレスになります。20代でも仕事疲れから止まってしまう人もいるし、ちょっとしたストレスで簡単に不順になってしまいます。
もし同じことで病院に行けなくて悩んでいる人がいたら遠隔ヒーリングをお願いしてみてはどうかと思います。
実際に私は変化があったのですから。効果があれば一安心ですからね。
ありがとうございました。またお願いすることがあるかもわかりませんが。

20/10/2007(土) 21:46:30


No.2814  さき ホームページ
Re: ほんと、びっくり! 引用
匿名さま

投稿ありがとうございました。
投稿下さったように疲労やストレスと生理は直結しているようですね。
遠隔ヒーリングの依頼でその話をお聞きして、ぬまと遠隔でエネルギーを送りました。
後で報告をお聞きして、私も嬉しい驚きでした。
身体はいつも健やかな方、喜びの方へと動くことを欲しているのでしょうね。
遠隔ヒーリングがそのきっかけと後押しになったということなのでしょうね。
嬉しい報告をありがとうございます。

22/10/2007(月) 22:51:06


No.2812 ろでぃ  
出会えてありがとう! 引用
ろでぃです。
ベジフェスお邪魔させていただきました。
気持ちよく澄み切った青空の下
皆さんに久しぶりに会えたこと
とても嬉しかったです。

ほんとはドネに掲示板に書き込みすべきなんですが
さきさんごめんなさ〜い。
はやく会員になってドネの掲示板に
お邪魔できるようになりたいと思います。

皆さんに直接お会いしたのは
本当に久しぶりで
(大阪勉強会以来かも?!)
それでもみなさんが覚えていただいて嬉しかったです。

不思議なもので
以前お会いしたときと皆さん印象が違ったように思います。
皆さん柔らかく優しい印象を受けました。
いい感じでした。

飯沼さんは私のなかでの前の印象が「つかみ所のない不思議なおっちゃん」(すいません・・・)だったのに、今日は「穏やかないい感じのおっちゃん」でしたし
東ご夫妻は,ほんとうにほんとうに暖かくて優しい感じに磨きがかかったように思いました。絵本の紹介が出来なくてごめんなさい。今度もし今日のようなイベントがあったときには、絵本の読み聞かせをしたいなあ、と思いました。おふたりの絵本に詰まった命の輝きを、声に乗せて届けて見たいです。
それから、ISSINの歌声を秋風にふうわりのせて聴けたこと、とっても幸せでした。藍子さんの女っぷりがぐぐっとあがっていて思わず見とれてました。やっぱりとても素敵なおふたりです。

今日ベジフェスに参加されていた皆さんありがとうございました。
子どもたちもとても楽しんでいました。
あつかましく呼び込みの真似事までしてしまいましたが
こんな私でよければいつでもご協力いたしますので、ご用命くださいませ。

さいごにさきさん
花柄の洋服素敵に似合ってましたよ。
今度押しかけますので
美味しいお茶でもいたしましょう。

楽しい秋の一日を
ありがとうございました。

21/10/2007(日) 22:49:39


No.2813  さき ホームページ
Re: 出会えてありがとう! 引用
ろでぃさん、昨日はお久しぶりでした。
お会いできて嬉しかったです。お子様も大きくなられていてびっくりでした。
それはそうと。。いちばん変わっていたのはろでぃさんだったかもですよ。
ろでぃさんの女性的な雰囲気がぐっと前にでてましたよ〜。
元気な呼び込みもありがとうね。
おかげでお箸はほぼ完売しました!!

ドネーションシップのサイト(右上の家マークから行けます)の交流掲示板は会員登録をしなくても投稿できるオープンな掲示板です。またのぞいてね。ベジフェスの感想なども投稿して下さい。
でもって今度押しかけた時には会員になってね。(笑)

22/10/2007(月) 22:32:44


No.2810 あれく  
お久しぶりです☆ 引用
携帯からなので、読みにくくなってたらすみません。
せっかく京都にきたのに、明日は仕事で行けません…残念です。

今はPCがなくて、携帯からなので、ドネのほうにはなかなかアクセスできず、この掲示板が1番見やすいので、カキコミしてみました。

猫アレクもおかげさまで元気に過ごさせてもらってます。ありがとうございます。

明日はみなさんがんばって下さい!楽しんでくださいね〜☆

21/10/2007(日) 02:52:36


No.2811  さき ホームページ
Re: お久しぶりです☆ 引用
あれくさん♪
お久しぶりです。お元気そうですね。
投稿ありがとう。残念ながら今日は仕事なんですね。
今度機会が連絡してね。再会しましょうね!

本日は晴天!ベジフェスに行ってきま〜す。

21/10/2007(日) 07:16:18


No.2802 さき ホームページ 
10月21日はベジタリアンフェスティバルへ! 引用
ドネーションシップわかちあいから、お知らせをさせて下さい。
ドネーションシップわかちあいはこの9月、正式にNPO法人になりました。
わかちあいに共感して下さった皆様の心をあつめて、冨田江里子さんの、フィリピンの貧しい母子のクリニックの活動に最初のドネーションをすることもできました。(感謝!)

これからさらに、誰もがあたりまえに、わかちあい、ささえあって生きることができる関係、そんな安心と喜びを広げていきたいと願っています。
是非ドネーションシップわかちあいのサイトをご覧下さい。→ //donationship.org/)

さてさて、そこでイベントのお知らせです。
*******************************************
10月21日(日)午前10時〜17時
京都・岡崎公園でおこなわれるベジタリアンフェスティバルに、ドネーションシップのブースを出します。

ベジタリアン・フェスティバルは↓こちら。右上の家マークからいけます。
 ://www.vegetarianfestival.jp/

 ※上記サイトに岡崎公園へのアクセスも載っています。
********************************************

ドネーションシップわかちあいをたくさんの方々に知っていただく機会にしたいと思っています。
リーフレットを配ったり、ドネのポストカードを販売します。
ウェブサイトのイラストを描いて下さった東さん、きんちゃんの素敵な絵をカードにしました。
冨田さんのクリニック支援のお箸やスプーンも販売します。
フィリピンの職人さんが黒檀を使ってひとつひとつ手彫りされたお箸です。
お箸の収益はクリニックの支援になります。
音楽ユニットISSINの生演奏もあります。
お天気もよさそうですので、野外でさわやかな秋の空気を感じながら思う存分ISSINの音楽にひたることもできます。
会場には様々な屋台や物販のお店が出店され、環境問題等のNPOのブースもあります。

ウェブサイト上のつながりではなくドネーションシップにつがなる皆さんと直接出会う機会、お話できる機会になります!!
ドネの会員同士が直接出会える場所にもなります。
たくさんの新しい出会いを求めてスタッフ一同頑張ります。
関西圏の皆様、是非ベジフェスへお越し下さ〜い♪
10月21日、京都・岡崎公園で会いましょう!

18/10/2007(木) 11:31:12


No.2804  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 10月21日はベジタリアンフェスティバルへ! 引用
当日ISSINは持ち歌の全てを歌う意気込みです。
ドネがベジフェスに参加申し込みをしたときは、すでにメインステージのプログラムが決まっていたので、ISSINは発電機を持ち込んで、公園内で自由に歌います。

私はドネのブースかISSINが歌っているところにいると思います。
来られた方はお声を掛けてくださいね!

18/10/2007(木) 23:13:33

No.2808  藍子 ホームページ
Re: 10月21日はベジタリアンフェスティバルへ! 引用
ISSINの藍子です。

明日は晴れるようでうれしいですね。でも気温は低いかもなので参加される方は上着もってきてください!

明日は歌うぞー!!

青空の下で歌うのが一番気持ち良い!!秋の京都、最高のシュチュエーションです。
楽しんで思い切り歌います!張り切りすぎて午前中でバテないように気をつけなきゃな。

ドネもガンガン宣伝して、たくさんの方の目にとまってもらえるようにしたいですね。ISSINもたくさんの方に聴いてもらえるように、がんばります。
今日は明日に備えて早く寝まーす。

20/10/2007(土) 21:17:01


No.2792 ちこ  
ありがとうございました! 引用
遅くなりましたが、先日は母のヒーリング・カウンセリング、本当にありがとうございました。

母に何度も「あんたたちの為に離婚できない」と言われてくる中で、いつしか「そんなに嫌なら離婚すればいいのに。離婚できないのは自分の保身のためだろう。」と思うようになり、母のような人にはなりたくないなんて思っていました。
けれど、相談できる人や頼れる人もおらず、父とも不仲という状況でいかに辛い思いをしながらも我慢して私たち子供を育ててきてくれたのか改めて気付かせていただきました。
母には感謝の気持ちはあったものの、さらに感謝と母の存在の大きさを感じさせていただきとても幸せな気分になりました。
これまであんなに大っぴらに母に対して感謝の気持ちや労いを言うことができなかったので、そんな機会をいただけて本当に嬉しかったです(私がそれを言いたかったがためのカウンセリングなのかもと思うぐらいでした)。

また、弟に対しても私は随分腹を立てていましたが、さきさんが弟の憑依霊と繋がって弟がどれほど不安や恐怖に押しつぶされているかというのが分かり、私自身の経験と重なって少しは弟を思いやれるような気がしました。
母も弟に責められたことで、弟に嫌われているのではないかという不安があったようですが、最後にようやく安心できたようでした。
帰りには父と弟に対して「どんな風に言葉をかけようか?」と思案して、上の空でした(笑)

母から「色々と考えさせられることがたくさんあり、カウンセリングのことを思い返しています。これからはもっと前向きになるように頑張ります。飯沼さんとさきさんによろしくお伝えください。」とのメールがありました。
本当に良い時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

それからカウンセリングのときに言いそびれたのですが、伯母さんは退院して2ヶ月ほどになりますが、とても元気に庭の草取りなどをしているそうです(笑)
ただ便秘が続いていて下剤を飲んでの排泄なので体重は落ちているそうなのですが、元気にしているそうです。
血液検査の数値もだいぶ良くなっていて、みんな一安心しているそうです。本当にありがとうございました。

15/10/2007(月) 17:24:04


No.2796  さき ホームページ
Re: ありがとうございました! 引用
ちこさん、メッセージありがとうございます。
お母さまにお会いして、ひたすらちこさんやお兄さまのことを思って、苦しさをかかえながらも頑張ってこられたお母さまの愛情を実感しました。文字通り、子どもたちのために一生懸命に生きてこられたのだと思いました。それはどれ程尊いことか。。思い出したらウルウルします。
そのお母さまに注がれた愛情がちこさんにもつながりひきつがれていることにも感動でした。お母さまにとっても、ちこさんにとっても愛情を確認しあう機会になりましたね。そこから動いていけそうですね。
帰り道でさっそく「どんな言葉をかけようか」と思案されているお母さまはやっぱりすごい!!お父様、弟さん、ご家族への思いは絶対ですね。
愛情の確認・交流。。自分の愛情をわかってもらえること、相手の愛情を実感すること。。それがどれ程大きなことなのかをあらためて実感します。それさえあればどんな困難も越えていける。愛情を広げていく方に動いていける。人間ってすごいですね。そのお手伝いをさせてもらえるのだとしたら、これほど嬉しくありがたいことはありません。これからも応援してます!!

叔母さんの報告、嬉しいです。 ありがとうございます。
めざせスーパーヒーラー!頑張るぞ〜!!

16/10/2007(火) 09:50:09

No.2799  ちこ
Re: ありがとうございました! 引用
さきさん♪

先日は本当にありがとうございました。
母親って本当に偉大だなぁと思います。小さい頃、母と買い物に行って手を繋いで歩いたことがあったのですが、そのときの母の柔らかく温かい手から無償の愛を感じたのを思い出します。
母とも色々あったけれどそのときの思いがずっと強く残っていて、何かあっても母がいるから大丈夫って思ってこれまで頑張ってこれたように思います。
けれど、私は母のような無償の愛は注げないって自己否定が強まった瞬間でもありました(笑)

>そのお母さまに注がれた愛情がちこさんにもつながりひきつがれいることにも感動でした。

これまでそんな風には思えていなかったのですが、私にもちゃんと引き継がれているんだと確認でき、1つ自己否定を脱ぎ捨てられたような感じです。
これからはそれを自信にかえて、母に恩返しのつもりで協力して支えてあげたいと思います。

>愛情の確認・交流

言葉に出さなくても伝わっているはずなのですが、やっぱりああして言葉に出して確認することの大切さを感じ、そして交流できたときの喜びの大きさは計り知れないし、人はその喜びを求めて生きているのだなぁと実感しました。

また弟の言葉に出せない本心を言葉としてあらわしてくれたり、伯母さんに喜びに生きる力を与えてくれたり、さきさんはすでにスーパーヒーラーですよ!!
そんなさきさんから応援されたら怖いものなしです!!
どうぞこれからもよろしくお願いします!

16/10/2007(火) 13:41:47

No.2800  さき ホームページ
ちこさん 引用
>けれど、私は母のような無償の愛は注げないって自己否定が強まった瞬間でもありました(笑)
↑↑
あれあれ〜。。と思ったけど大丈夫そうだよね。
そうだよ、そうだよ、ちゃんとその愛情はひきつがれているんだよ。
自己否定を越えて、自分の囚われを越えて、喜びを与えられる人になっていけたら嬉しいよね。自分も相手もね。
一緒に頑張りましょうね!!
私も、私なんかが。。という悠々塾症候群を越えるよ。
その方がお互いに喜びが広がるなら、その方がいいに決まってるよね。
スーパーヒーラーへの道はその先にある!って思うのよ。
うん、頑張って意志します。
ちこさん、ありがとう。
役立つことがあるなら、役立てたらいいんだもの。
普通にそう思ったらいいだけだもの。
みんな一緒に「私なんかが。。」を越えようね!

16/10/2007(火) 18:54:38

No.2803  飯沼 ホームページ E-mail
Re: ありがとうございました! 引用
☆ちこさん

こんばんは。
ちこさんのお母さんがこられるということで、最初はちょっと緊張しましたが(あ、さきさんがね・笑)、いい時間になって嬉しかったです。
お母さんがお気持ちを絞り出すように言葉にされ、涙に震えるその背中を抱きかかえるちこさんが印象的でした。
ちょっと照れながらも、優しくお母さんをいたわるちこさん、可愛かったな。
お母さんにもよろしくお伝えくださいね。

伯母さんのことも嬉しいですね。
伯母さんは今、改めて「生きる喜び、生かされている喜び」を味わっておられるのでしょう。
「穏やかにしみじみとその喜びを実感することが、伯母さんの今回の人生の目的のひとつです」と、今、克が伝えてきました。

18/10/2007(木) 23:08:37

No.2807  ちこ
Re: ありがとうございました! 引用
さきさん♪

カウンセリングの当日は緊張されてたんですね。
それでも、本当にさきさんの喜びへのパワーはすごいです。
克子さんのメッセージでは「もうすぐパワーを全開にしてくれるでしょう」とありましたが、もうすでに全開なのかと思っていました(笑)
これからまだまだすごいパワーを発揮されるのかと思うと、私の方までわくわくです!

>私も、私なんかが。。という悠々塾症候群を越えるよ。
>その方がお互いに喜びが広がるなら、その方がいいに決まってるよね。

本当にそうですよね!
私ももういい加減「私なんかが・・・」は止めようと思います。
これまで「私なんかが・・・」と固く自分を守ってきてしまっていましたが、周囲の人が私が楽しそうにしている姿を見て喜んでくれるならそうしていこうと思えるようになってきました。そうして言動に移していくうちに周りの人も楽しそうにしてくれるし、そんな人たちの姿を見て私も嬉しくなっていて、どんどん喜びが広がって・・・
意志して言動に移していくことで、こんなにも自分も周囲も変わるものなのかとこの1ヶ月ほどひしひしと感じています。
私ももっともっと喜びを求めて、さらに広げられるように、さきさんの後を追っかけます!!
一緒に頑張りましょうね!よろしくお願いしま〜す!!

飯沼さん♪

克子さんが霊界に戻られてから、はじめてのカウンセリングで、しかも私の母のだったので、私も最初少し緊張していましたが、飯沼さんとさきさんの優しく柔らかいオーラですぐに安心しました。
そして久しぶりにカウンセリングを受けさせていただいて、本当に嬉しかったです。以前は霊的法則などほとんどしらないままで受けさせていただいていたのですが、悠々塾で色々と勉強させて頂いてからは、また感慨深いものがありました。
こんな素晴らしいカウンセリングは是非ともたくさんの人に受けていただきたいと思います!
本当にありがとうございました!!

伯母さんはガンになって入院したことで、たくさんの人がお見舞いにきてくれたり、労いの言葉をかけてくれるようになって、そのことをとても喜んでいました。克子さんからの「穏やかにしみじみとその喜びを実感すること」という人生の目的が1つ達成できたのかと思うととてもうれしく思います。辛く苦しい人生だった伯母さんがやっとみんなから労われ大事にされて、「いろいろあったけれど幸せだ」と思ってもらえると私も本当に嬉しいです!!


スレ違いで申し訳ないですが、『愛は時空を超えて 34』はとても心に響きました。
ここ1ヶ月読んでいた本やブログで、素直に喜びや幸せや楽しみを求めていけばいいんだという、大きな気付きがありました。
そして克子さんのメッセージで違う角度からその気付きを補完していただいたようで、本当に幸せな気分です。

>楽しむために労働し、その労働にも楽しみを見出していたのですよ。

このお言葉がとても実感として分かりました。
仕事に復帰するにあたって、あれだけ不安と恐怖を抱えていたのに、今は家庭内も仕事もほとんどイヤなことがないのです。それどころか、なんとかなったり、さらに喜んだり。。。こうして実感して、少しずつ少しずつ身体に染み込ませていっているのだなぁと感じるのです。
改めて、私に「大丈夫、できるよ」と励ましてくださった飯沼さん、さきさん、悠々塾のみなさん、ありがとうございました!!
退行することなく、さらに喜びを大きく広げていきたいと思います!!

20/10/2007(土) 02:35:14


No.2806 飯沼 ホームページ 
メールのことで 引用
ここのところ、またメールの返信が遅れてしまっています。
いつもすみません。
遠隔ヒーリングご依頼の方はヒーリングを始めています。

2〜3日はメールを読めず、返信もできませんがご了承ください。
今日の午後2時ごろまでのメールは読ませていただきました。
お急ぎの方は21日以外は電話連絡がつきますので、悠々塾におかけください。

19/10/2007(金) 20:45:03



No.2805 飯沼 ホームページ E-mail
愛は時空を超えて 34 引用
      
 愛は時空を超えて 34

             ――  霊界の克との対話  ――

飯沼)おぅい、クゥ。
こんばんは。
先日、能登半島の縄文真脇遺跡に行ってきたよ。
Sさんと一緒にね。
焼きもちやきだった地上のお前がいたら考えられないことだけどね(笑)

克子)はーい、まーたん、こんばんは。
真脇遺跡に行ったことはもちろん知っていますよ。
私も一部ご一緒しましたからね。
今はもう焼きもちなんていう気持ちとは無縁の私に向かって失礼ですね(笑)
いつも言ってるけど、地上の人間には分からないことでも、こちらに来れば「なぜそうなるのか」「どうしてそうなることになっていたのか」ということがよく分かるのですよ。
人間にはそれぞれの地上人生でのプログラムが設定されているのですから、それを知ることのできる立場になれば当然のこととして納得できるのです。
もちろん、地上の人間のその時々でのそれぞれの自由意志によって大きく変わることもあるのですが、あなたぐらいになれば霊界側のシナリオに添って自由意志を行使する場合がほとんどですね。
そうは言っても、あなたの魂がしっかりと意志してきたことについてだけの話ですからね(笑)

Sさんのエネルギーについては以前お伝えしましたね。
あなた方の働きにとって、彼女のエネルギーが必要な時期なのです。
このためにあなたとSさんはあなたと私が出会う以前にあの場所で出会い、今となれば極めて初歩的な癒しの働きと世直しのテーマを共有することになっていたのです。
しかも、あの場所は心において縄文の人々の末裔たちの牙城だったところです。
時期がくればあなた方は旧知の同志として、一緒に働くことになっていたのです。
私があなたの妻だった私たちの最初の人生で、Sさんはあなたの可愛い姪(めい)だったことは何年も前に受信していますね。
全ては良きに計らわれているということです。
Sさんには霊界の私ともあなたとも対等につながっているという意識をしっかりと持ってほしいのですが、これには多少の時間が掛かっても仕方ないでしょうね。
しかし彼女も段々に霊界側のシナリオを理解してきていますから、(もちろんその作成には地上に赴く前の彼女も参画していたのですから理解できて当然なのですが)、もうすぐ携えてきたパワーを全開にしてくれるでしょう。
なんて言ったら、かえってプレッシャーかな(笑)

飯)了解したよ。
春に青森の三内丸山遺跡に行って、自分的にはかなりいい感じだったと思ってはいたが、まだどこか足りないところがあるのも分かっていて、帰りに真脇遺跡にも寄ろうかと思った。
特急日本海は、朝の6時ごろに金沢駅に着くから、そこで降りたら行けるんだしね。
宿泊施設の連絡先もメモしていたし、金沢駅に着いたときには目も覚めていた。
でも、なんだかもうひとりで行っても大きな気づきは得られないような気もして、結局そのまま帰ったんだ。
あの時に真脇まで足を延ばしていてもあれ以上のものは得られなかったと思う。
その後はいろんなことがあって、自分のなかで新たなテーマが不完全燃焼している気がしていた。
それで、先月のお前からのメッセージを受けて、真脇遺跡にSさんと一緒に行くことになった。
「全ては良きに計らわれている」というのか、やっと分かったように思えたけど、まだまだしっかりと身にしみこんでいないことも分かっているよ。

真脇遺跡に近づいた時に、Sさんが
『縄文と弥生は非連続なんだよね。
縄文は遅れた原始生活で、そこから稲作が入ってきて原始生活から進歩して弥生時代になったのだという刷り込みがある。けど、その考え方自体が違うんじゃないのか。
縄文には、今の私たちの知ってることの範疇で考えていては捉えられないような、全く違う世界があったんじゃないのか。縄文→弥生→段々進歩→今 という連続性ではとらえることのできない、別の文化、別の価値観、別の暮らしがあったんじゃないのか。
心や愛情を形にして日々生きること。
誰もがそんな心で生きている世界。
それは物質的に大変なことがあったとしても、実はとても豊かな世界なんだと思う。
それに縄文の人たちが魂の永遠性をあたりまえに知っていたなら、死は恐れるものではなくなる。
地上で生きること、地上で心を交わしあうことは喜び―。
縄文の人たちは、その喜びを生きていた人たちではなかったのだろうか。
もちろん心をかげらすこともあったかもしれない。けど今のようなかげり深い世の中ではなかったら、かげりを深めることも、かげりに囚われることもない。誰もが互いを思いあい、分かちあうことも、支えあうこともあたりまえだったら、かげりは深まりようもないと思うのだ。そして全ては喜びにつながることを知っていた』と言った。

『縄文の人々は、ムゥから脱出してきた人たちによって、魂の永遠性を教えられた。彼らは素直にそれを受け入れ、信じていたから、死は恐怖ではなかった。食糧事情や生活は厳しいものがあったにしても、彼らには分かちあうことが常識だったから、厳しいなかでも地上に生きる日々を喜び、楽しもうとしていたんだと思うんよ』と、涙を流しながらSさんが言った時に、僕の縄文に対する感覚が変わった。

「そうなんだ。縄文の人々のベースは“喜び(楽しさに近い)”だったんだ!」と、なんだか全部解き明かされたような感覚になった。
今までも僕は、縄文と呼ばれる時代は分かちあい・支えあいを常識として1万年あまり続いたと思っていたし、そう考えなければ1万年にわたって大きな戦乱もない社会はありえない。
しかし、その常識は言わばある種の理性や信仰によって成り立っていたのだろうという感覚でしか見ることができていなかったんだと思う。
でも、そうじゃないんだよね、きっと。
むしろ、理性以前の感覚のところからの喜びに基づいた「分かちあい・支えあい」の社会だったんじゃないかと気づいたんだ。

克) そうですね。
あまり具体的な情報をお伝えすることは許されていないのですが、そういう思い方で間違ってはいないと思いますよ。
ムゥの人々と縄文の関係性は、地上の私が受信した「地上人類の歩み」で触れています。

飯) ムゥは太平洋の西域、赤道のやや北にあった北海道の2倍程度の広さの島で、進化の途中の「ヒト」とは接触のない暮らしをしていた人々の「くに」として伝えられているね。
最初は霊界から降り立った人々が、霊界の暮らしをそのまま地上生活で表現していた。
やがて物質を操ることに長けた人々がアメリカ大陸の近くに人工浮島を作って移住し、豊かではあるが心をないがしろにしたエリートによる管理主義的な物質文明を構築する。
それがアトランティス。

約20万年という長い年月の間に、ムゥでも喜びだけの暮らしではなく、特に人との比較においてのかげり(妬みなど)が生じ、かげりを深めた者たちがムゥの社会から離れ、支配をもくろんで攻撃を始め、戦乱に発展する。
戦乱の中でムゥの大地は崩壊し、海に沈み、ごく一部の人々がムゥから避難した。
かげりを深めていた人々は主にアジアの大陸部に避難し、先住の人々を支配していく。
かげりの者たちの攻撃に抗しようとした人々の多くは、今の日本列島にたどり着き、やはり先住の人々と交流・同化していく。
ムゥの本来の心を先住の人々に伝えたことによって、縄文といわれる社会が始まることになった。
アトランティスもムゥが滅んだ1000年ほど後に不安の心がひろがって病が蔓延し、ついに島を沈め、南部ヨーロッパに移住し、主にクロマニヨン人と交配しながら優越意識に基づいた権力的な社会を形成していく。
そして今は、かげりを越えて心と物を融合させる時代。
というように伝えられているよね。

ムゥの存在はもちろん実証されてはいないけど、日本の代表的な地球物理学者だった竹内均さんも「ムゥ大陸の存在は実証されていないが、環太平洋地域に共通の“ムゥ文明の痕跡”はある」という意味のことを著書に書いている。
実際、旧石器時代のヒトが1万数千年前に、新しい文化(技術)の影響を受けたことは間違いないと思う。
新しい文化との出会いがなかった地域の人々はその後もいわゆる旧石器時代的な暮らしを続けていたのだしね。

克) そうですよ。
ムゥは確かにあったのです。
あなた方はそこで生きていたのです。
ムゥの者たちにとっては、分かちあい・支えあいが当たり前でした。
ムゥの末期にかげりの人々が出現するまではですが・・・。
奪い合うことなど知らなかったのです。
それは霊界がそういう世界ですから、「霊界の写し世」であったムゥもそういう「くに」だったのは当然のことでした。
彼らは避難先の人々との交流の中で、彼らが当たり前としていた分かちあい・支えあいの社会を作っていきました。
それだけではなく、彼らがやはり当たり前としていた死の意味や死後のことも伝えていったのです。
アトランティスとは違って、ムゥの人々はもともと自然にあるものを工夫・加工しながら心に重心を置いた暮らしでしたから、彼らが伝えた生活技術も生き方も人との関わり方も先住の人々に大きな驚きと喜びと共感を以って受け入れられていきました。
未発達ではあってもかげりの薄い先住の人々の心に、大きな光と喜びが広がっていったのです。

飯) そうであれば、Sさんが言ったように、縄文の人々は喜びをベースに生きるのが当然だったんだろうね。
死の意味を知り、死後のことも知っていたうえに、分かちあい・支えあいが当たり前の社会ならば、誰もが喜びをベースにして日々を生きる楽しさをおおらかに求めることになるだろう。
分かちあいや支えあいが当たり前で、死の意味を知っている人々の暮らしは、今の社会に暮らす僕らがなかなか想像できないようなものだったんだろうね。

Sさんが言ったことを聞いて、今までどう解釈すればよいのか分からなかった縄文のさまざまな謎が一気に解けたように思えた。
「楽しさ・喜び」をキーにして考えれば、縄文の謎がすんなり解けてしまう。
縄文の人々がなぜ実生活にそれほど必要でもない物をあんなにも作っていたのか?
使うだけならば全く必要もない手の込んだ装飾を土器に施したのか?
土器ひとつを作るにしても、粘土を掘り、乾かし、砕き、さらに細かく(ふるい?)、水でこねて使える粘土にして、形を作り、さらに乾かし、薪を集めて焼くというたいそうな手間が掛かる。
それはおそらくは日々の食物を得ることに追われていたはずの彼らにとって、想像以上の手間と労力を裂くことだったはずなのに。
土器にしてもまさに芸術作品のようなものから、今で言うおもちゃのようなものまで作っている。
それらのことも彼らが楽しみや喜びを軸にして生きていたとすれば、すんなりと納得できるんだ。
縄文人はどうやら酒も飲んでいたようだし、燻製の技術も知っていたし、漆塗りの技術も持っていたんだからね。
事故や病気で体に障害を持った人を大切に養い、犬も飼っていたそうだし。

克) そうですね。
今の人々からは想像しにくい楽しさや喜びの中で彼らが生きていたと言えるでしょう。
もちろん、時には食料が手に入らなかったりという苦しさもあったのですが、それでも彼らのベースには生きる喜びが漲っていたのです。
身近な者と死別する悲しさや寂しさは感じたとしても、死そのものは怖れでも不安でもなく、嬉しい時も苦しい時も全てを皆と分かちあうことが常識でした。
喜びにおいて自分と人を分けることはしませんでした。
生きている自分をおおらかに喜び、人にも同じ喜びを与えていくことが当たり前だったのです。
「あえてそうする、意志してそうする」というのではなく、それしか知らなかったのです。
もちろん道を示すリーダーも、死後の世界を伝える霊媒もいました。
彼らは一般の人々から尊敬を集めてはいましたが、それは権力や支配とは異質のものでした。

皆が、それぞれの役割を果たしながら、分かちあい支えあって集落での暮らしを営み、集落どうしのつながりも分かち合う喜びをベースとして調和的に形成されていたのです。
こういう言い方をすれば、なんだか難しく聞こえるかもしれませんが、彼らの暮らしは極めてシンプルで分かりやすい原理に基づいていました。
お互いに喜びをもたらそうとし、自分の何かが相手に喜んでもらえることが嬉しく、皆がそれを喜んでいたのです。
能力や得意分野が違っていても、自分には特別な何かが備わっていなくても、そんなことを気にすることなく人の素晴らしさを喜び、自分も何らかの喜びを人にもたらしていることを喜びながら、厳しい自然条件の中でも日々を楽しんでいたのです。
楽しむために労働し、その労働にも楽しみを見出していたのですよ。
そういう暮らしを何千年、何十代も重ねていれば、彼らの肉体にも変化が現れてくるのはむしろ当然だったでしょう。

環境や個人の資質の影響はあるのですから、病がなかったというわけではありません。
しかし、心の健やかさが今の人間とは全くといってよいほどに異なっているのですから、それは肉体の健やかさにも反映したのです。
これ以上のことは私からは言えませんが、そのエネルギーこそが個も全体も癒していくヒーラーの核心になるのです。
しかし、それは知識や理性としてだけのものではなく、オーラの感覚の層や肉体のダブルにまで浸透して、はじめてヒーリングに役立つエネルギーとなるのです。
喜びは喜ぶことによってさらに大きな喜びに膨らむものです。
喜びに向かい、さらに喜びを広げていこうとする「意欲」です。
それは摂理に沿って生きようとする「意志」とはまた別のエネルギーです。

私たちが暮らす霊界は喜びのみの世界です。
しかし、もちろん個人としてもさまざまな集団としても、課題や試練はあるのです。
ただ喜んだり楽しんだりしているわけではありません。
そういう境涯はあなた方が「サマーランド・天国」と呼んでいるところです。
そこは地上で満たされなかった願いを実現し、喜びを満喫して、本来の霊界に向かう準備をする段階の世界です。
私たちが暮らす霊界も何不自由ない暮らしであることは事実ですが、それはこの世界の住人の全てが分かちあい、与えあうことを常識としているからでもあるのです。

同じ死後の世界でも、幽界といわれる未熟な世界では食べ物を奪いあい、自分だけに物を集めようとして争ったり、人の足を引っ張ったり、陰謀をめぐらせたりすることに明け暮れている世界もあるのです。
そこにある物は地上と同じ食物や物質ではありませんが、彼らの意識においてはやはり食物であり、金銭であり、物質なのです。
人がどうなっても自分には関係ない、自分さえよければそれでよい、自分が得をしたい、自分は損をしたくない、分かちあうなどということは偽善者か愚か者のすることで、自分はそんな馬鹿げたことはしない、なぜなら自分が損をするのだから・・・。
そういう者たちの世界が確かにあるのです。
そこでは誰ひとりとして、本当の幸せや喜びを味わうことがありません。
たくさん持っている者はさらに増やそうとし、そのためにさらに支配力を強めようとします。
持たざる者はわずかでも自分のものを減らすまいとして必死なのです。
今の地上界がそういう幽界・暗黒界の影響下におかれていることは何度もお伝えしている通りです。
少し大胆に言ってしまえば、心や体の病が蔓延するのはそういう地上界であるからなのです。(といっても、それは病を得た個人の心がけが悪いなどいう意味ではありません)
地上界ならではのあらゆる病を治し、今の地上界を全ての人が喜びを実感しながら生きていけるように変えていくには、あなた方にどうしても縄文の人々のような喜びの心と感覚を取り戻していただかねばならなかったのです。
それはあのムゥの人々とも共通する喜びなのです。

あなたの理性の枠を一度は打ち壊し、縄文やムゥの人々の喜びのみのエネルギーを身にしみこませて、さらにそれを含めて上位の理性を組み替えていく作業が必要なのです。
喜びは与えられたものを自分が喜ぶだけでは停滞のエネルギーを含んでしまいます。
自分の喜びをさらに求め、その喜びを人々に広げていこうとするからこそ、そこに喜びの連鎖が生まれるのです。
私はすでにこちらの世界でそういう心で生きています。
あなたやSさんには地上の人間として言うならば「絶対的な喜び」につながっていただき、それを仲間の皆さんに、そして世界中の人々に広げていく役割を進めていただきたいのです。
あなた方の共通の弱点は、「こんな自分の感覚が社会や人々に通用するはずがない」という思いです。
それを越えるために、そして自分の感覚に自信を持って、喜びとして人々に広げていくために今までの人生での厳しさがあったのです。
そのためにこそ、さまざまな思いを味わってくることになっていたのです。

「絶対的な喜び」にしっかりとつながり、それが定着したならば、生命の情報である遺伝子にも変化をもたらします。
ひとりひとりを司る遺伝子があるように,共鳴しあう個人と個人や集団やグループにもその構成員に影響を及ぼす巨大なエネルギーとしての情報センターのようなものがあるのです。
ひとりひとりの、あるいはグループや集団における意識や肉体や言動に嬉しい変化が連鎖的に起きていくのです。
そこに弥生から現代とは不連続の喜び、すなわち奇跡のような現象が形となっていくのです。
それに向けて、あなた方が言っている「ダウンロード」が始まるのですよ!

今回、あなた方が縄文真脇遺跡に行き、彼らの心と感覚につながったことによって、その端緒が開けたと言ってよろしいでしょう。
あなた方ふたりともがそれぞれに苦手としていた部分の変化が促されています。
そのエネルギー的変化の状態は、あなた方にもあなた方と強くつながっている人たちの状態にも多少の影響を及ぼしたのです。
いわゆる浄化の症状を呈した人たちもあり、やや不安定になった人たちもいたはずです。

あなた方は後退することなく、さらに喜びを膨らませていくように心掛けてください。
あなたは理性の枠を喜びの実現というテーマに組み替えることを意識し、Sさんは与えられたものを喜ぶだけではなく、自分も大きく喜びを求め、人々にもさらに大きな喜びをもたらしていこうとしてくださいね。
まーたんはもっともっと運動して、自分としての楽しみを見つけてくださいね。
ダブルの活性化と流動性を高めることは基本なのですから。
これを伝えるのは何度目かしらね(笑)
それと、いろいろなことをシヴィアに見極めて明らかにしていくことが必要な場合もあるけれど、それは暴いていくという印象を与えることと諸刃の剣でもあります。
あなた自身はそういう意識はなくても、あなたの精妙で力強い理性のエネルギーに共鳴できない人もいるのです。
人との関わりにおいては、輝きもかげりも併せ持つその人の全体を喜びの感覚で照らしてあげるということを心掛けてくださいね。
何を喜びと感じるかはその人の魂の傾向と学びの度合いとの絡みで決まっていきます。
摂理に沿った理性の輝きを喜びとして受け止めることのできる人はそう多くはないのです。
あなた自身の喜びの次元をもっと下げて、ほとんどの人間に共通の喜びの感覚を重視していってください。
そのためにも、あなたとして楽しめる趣味を持つようにしてね。

飯) うーん・・・・・・、ありがとう。
ところで古人骨の死亡年齢は歯の磨り減り具合などを参考にして推定するそうだけど、縄文人の歯は著しく磨り減っているそうなんだ。
縄文に続く弥生人の歯はそんなにも磨り減っていない。
縄文人は歯を使って皮をなめしたり、植物の繊維をしごいたりしたからだけじゃなく、砂の混じった食物を噛んでいたからだと言われている。
でも、実用したかどうかは別にして、蓋つきの土器まで作った彼らが、弥生人と比べてそこまで砂混じりの食物を食べていたのだろうか。
もしも砂が混じっていたとして、歯がそこまで磨り減るほどに砂も一緒に噛んでいたのか。
縄文人の寿命は30歳程度だったと言われているが、本当にそうだったのだろうか?

縄文時代は乳児死亡率が高く、栄養状態も悪かったので、縄文人の6割は15歳までに死亡し、残りのほとんども30歳前後で死亡したとされているんだけど、そうだとしたら女性は一人当たり8人くらいの子どもを産まなくては人口が維持できないという計算がある。
あるいは、子どもと大人の墓の数から、6人中5人は大人になるまでに死んでいたという説もある。
そうなれば、1人の女性が12〜18人の子どもを産まなければ人口は維持できない計算になってしまう。
ほとんどの成人が30歳までで死ぬという説と、このような子どもの死亡率の高さは両立しない。
成人のほとんどが30歳程度の寿命で、女性が8人もの子どもを産み、日常的な飢えとの戦いにもかかわらずあれだけの土器や装飾品を作っていた・・・?
どうもリアリティがないように思うんだ。
これって本当にそうだったんだろうかというか、本当はどうだったんだろう?

僕はここにも弥生以降と同じ基準では推測できない何かがあるような気がしてならないんだ。
要するに、喜びに生きた縄文人の心の健やかさは、弥生から現代に至る人間の肉体年齢とは違っているんじゃないかという気がしている。
もしかしたらかなり長寿でありながら、肉体年齢は老化が極めて遅かったということは考えられないんだろうか?
つまり、歯が磨り減るぐらいの年齢まで生きたのに、骨の年齢は弥生以降の人間よりもはるかに若々しく30歳程度のままだったとか?

克) そうですね。
それには直接は答えられないから、あなたの探究心のお楽しみということにしておくわね(笑)
Sさんの言う、「縄文と弥生以降は不連続」という言葉がキーであることは間違いないわ。

悠々塾につながる皆さんは、「悠々塾症候群」といわれる自己否定を抱えている人が非常に多いのが特徴です。
何かにつけて「自分なんて・・・」「自分が悪い・・・」と思い込んでいく傾向が強いのです。
それはある意味においては謙虚さの表れではありますが、やはり喜びのエネルギーをベースにできるかどうかが大きな課題です。
自分を縮めることなく、ありのままの自分をまずは喜んでください。
本当は人として喜べるところをたくさん持っているのに、逆に自分を否定的に見てしまう傾向の強い人たちが、自分を喜びながら人にも喜びをもたらしていこうとすれば、そのエネルギー的落差はとても大きいと言えます。
ベクトルが劇的に変化するのです。

皆さん方の多くが幼い頃から、あるいは社会に出てから、さまざまなところで人や社会の圧力に晒されて傷つき、自分を縮めることになったのは、ある時期に自分のエネルギーを反転させておおらかな喜びに向かって自分を開いていくという劇的変化を遂げるためでもありました。
今がその時期だと思ってくださいね。
本当は実体のないかげりに心を占領させているだけで、笑い飛ばしてしまえばいいことがほとんどじゃないですか?
皆さんが「最も苦しい。大変だ。苦手だ」と感じていることのなかに喜びの種を見出し、それを目一杯膨らませて楽しんでしまいましょう。
実は些細なことにこだわって、自分や人を喜べなくなっているならば、そしてそれをどうすればよいのかも分からなくなっていれば、いっそのことそういう情けない自分を笑ってしまいましょう。
最も重たいところに単純な楽しさや笑いを吹き込むことで、エネルギーが反転するきっかけがつかめることもあるものです。
地上の私はなかなかそうできなかったのに、皆さんにこんなことを言うのは気が引けるのですが、こちらに戻って思い返せば「そうできていればよかったのに」と思うのですよ(笑)

喜びに向かって反転するエネルギーの爆発が、想像すらできなかった根底的な変化をあなた自身にもたらし、今、同じように心を縮めている人たちや病に苦しむ人たちを実際に治していくのです。
喜びをもたらしていくのです。
縄文は健やかで楽しい、喜びの時代でした。
悠々塾につながる皆さんの意志と意欲がスパークして人々の潜在意識に連鎖反応を起こし、健やかで楽しい喜びの世界を再構築していくのです。
(そのエネルギーが不足していると思う人は、是非ヒーリングを受けてみてください。直接ヒーリングが実感があるでしょうが、遠隔ヒーリングでも構いません。受ける側も喜びを求めようとしてくださいね)

飯) ありがとう。
なんだか嬉しくなってきたよ。
地上はますます闇に覆われてきているけど、もうほとんど闇の仕組みが完成しているかのようだけど、必ず切り開いて、光に満ちた世界にしてみせるからね。
これからも一緒に働いていこう!

克) もちろんですよ。
まーたん、またね。
(2007・10.17)

18/10/2007(木) 23:14:27



No.2793 飯沼 ホームページ E-mail
9・11はテロではなかった・・・? 引用

先ほどテレビの「世界丸見え」で、6年前の9・11事件の疑惑について放送していました。
2機の飛行機が激突し、崩壊した2棟の高層ビルのことについてです。
言うまでもなく、「テロとの戦い」が始まり、アフガンを攻め、イラク戦争の口実となった事件です。

皆さんの記憶にもあると思いますが、あの2棟のビルの崩壊の様子は、ビルを爆破解体する時の崩れ方そのままでした。
元々あのビルは非常に頑丈で、大型機飛行機が激突しても耐えられるように設計されていたとのことです。
メディアはほとんど取り上げませんが、アメリカでは学者をはじめ、あの日救助活動をしていた消防士たちやさまざまな人たちが、説得力のある証拠を挙げて、あの事件に疑念を提示しています。
「あれはテロではなく、アメリカ政府上層部やアメリカ軍の自作自演だ」という主張が展開されています。

飛行機の激突による火災ではあのような崩壊の仕方はありえない。
しかも当日、飛行機の激突とは別に、ビルの下層階でいくつもの爆発音を聞いた人たちが大勢います。
ビルの崩壊ビデオには、飛行機の激突とは別に、それよりも下の階で爆発が起きたような破壊や煙が映っています。
疑問点を書けばきりがないほどの物的証拠が明らかにされているのです。

あのビルは事件の数ヶ月前にある実業家が買い取り、「テロ保険」をかけて、結果的に莫大な利益を得ています。
ほとんど報道されていませんが、あの2棟のビルのに隣接していない47階建てのビルも同じ日に「事件の火災」が原因で崩壊しましたが、その崩れ方も全く同じでした。
ちなみに、そのビルもあの2棟のビルと同じ所有者です。

そもそもあの事件の第一報を聞かされたブッシュ大統領は、ほとんど顔色も変えずに、その後も子どもたちに絵本を読んでいました。
そして、あのビルの警備を請け負っていたのはブッシュ代横領の親族(弟だったか)でした。

あのビルだけではなく、ペンタゴンに飛行機が突入した事件に関しても、いくつもの物的証拠を挙げた疑念が提示されているのです。
とてつもなく恐ろしい陰謀によって、世界は動かされているのかもしれません。
政府やマスコミがあえて報道しないところに、隠された真実が厳然と存在しているのかもしれません。

あの事件への疑問は、ここではとても書ききれません。
以下にサイトをご紹介しますので、「もっと知りたい」と思われた方は読んでみてください。
hをttpの前につけてくださいね。

ttp://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/muck_raker.html
ttp://rose.eek.jp/911/

15/10/2007(月) 22:13:37


No.2794  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 9・11はテロではなかった・・・? 引用
 疑惑 : WTCは爆破された可能性

1.一機目が北棟に衝突する6秒前に地下で爆発音があった。元WTC管理人の証言(きくちゆみさんによるインタビュー)

2.WTC保全責任者であったウィリアム・ロドリゲスは、強い衝撃を受けたと思ったら館内放送で「65階がやられた」と告げられ、この爆発で65階から44階までが崩れ落ちたと証言。航空機は100階付近に激突。

3.救助に駆け付けた消防士たちは、ビル解体時のような数回の爆発音をビルの内外で聞いている。ウィリアム・ロドリゲスによると22人の消防士が救助作業中に爆発音を聞いている。

4.当初、ニューヨーク消防署の主任放火調査官は、9月12日のテレビのインタビューにおいて、内部からの爆発がWTCを倒壊させたと証言。

5.WTC北棟から脱出した人や消防士など、多くの人が何度も爆発音がしているのを聞いている。

6.1機目のWTC激突映像を撮影した3人のフランス人カメラマンは、事件直後にWTC北棟に入ると、右手奥に大きな炎が上がっていたと証言している。

7.1機目の航空機は7:45ボストン発のアメリカン航空11便(B767)と言われているが、最初に目撃した女性によると、小さなプライベート・ジェットだったと言う。

8.二機目の航空機がWTCビル突入するよりわずかに早く、同じビルの反対側が爆発を起こしている。

9.南棟に突っ込んだ航空機はユナイテッド157便と言われているが民間航空機なのに窓がなく、他の航空機と入れ替わっていると、米空軍に30年いた軍人や民間航空機のパイロットが証言している。→専門家の証言(英語)

10.南棟に衝突した航空機の胴体下部に部品が不審な物体が取り付けられている(2004年10月23日、ロスで開かれた「911市民陪審法廷」のレポートに、劣化(DU)ウラン弾のミサイルであることが示唆されている)。写真

11.衝突寸前、スローモーションで見ると謎の閃光が見られるが、ミサイルが打ち込まれたとする説がある。YouTubeの画像→9/11 - Mysterious Flash Occuring During Plane Impact(飛行機衝突中の不可解な閃光)

12.近くの大学の地震計が、それぞれのビルの崩壊の8秒から10秒前に揺れを観測している。つまり本来なら残骸が地面に落下した瞬間に最大値を記録するはずなのに、倒壊が始まる瞬間に記録された衝撃のほうが、崩壊したときの20倍以上あった。

13.飛行機が建物にぶつかったとしても破片が溶けて消えることはない。

14.鉄が溶解するには1600℃が必要だが、ジェット燃料ではせいぜい800℃にしかならない。過去に鉄骨高層ビルが火災で崩壊した例はない。

15.ビルの鋼材の中から、通常の火災ではありえない火薬の反応が検出された。ジャーナリスト:アレックス・ジョーンズによると、ビルの瓦礫を調査分析した結果、フッ素マンガンなどが検出され、溶接や焼夷弾に使われるテルミットの反応もあった。

16.コントロールド・デモリション社の社長マーク・ロイゾーはビル破壊の専門家だが、事件2日後「地下7階に相当する、メイン・タワーのエレベーター・シャフトの底部に、鉄骨を溶解させた高温のスポットがあった」と証言。

17.最初に航空機が激突した北タワーよりも、南タワーが先に崩壊したのはなぜか。

18.WTCビル崩壊のとき、一瞬早くビルの真ん中の高さで爆発が起きている。

19.WTC設計の建築家の一人であるアーロン・スワースキ氏は、「ボーイング707が激突しても耐えうるように設計した」と語っている。そのため、WTCの倒壊は、彼にとって大変ショックなことであったという。

20.47階建てWTCの第7ビルが飛行機の突っ込みがないにもかかわらず8時間後に崩壊。このビルから飛行機をコントロールしていた疑いがある。映像 実際、23階には市長の「緊急事態指令センター」があった。このビルの崩壊については公式発表で無視され、マスコミも報道しようとしない。

21.3つのビルは通常のビル解体時に見られるような現象を示している。まっすぐ下に自由落下している。

上にアドレスをご紹介した「911 の真相は?」のサイトからの無断転載なので、数日後に削除します。

15/10/2007(月) 22:28:14

No.2795  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 9・11はテロではなかった・・・? 引用
ポール・ジョセフ・ワトソンの「プリズン・プラネット」2007・1・29の記事の翻訳されたものがありますので、転載させていただきます。

以下引用

ハリウッドの映画監督ルッソが初めて掘り下げる、911の予告とテロとの戦争の捏造をふくむニック・ロックフェラーの驚くべき告白。ロックフェラーの生み出した女性解放、エリートの最終目標としての世界人口削減と電子チップを埋め込まれた群衆。

ハリウッドの映画監督でドキュメンタリー映画作家アーロン・ルッソは、エリートの終局目標は電子チップを埋め込まれた民衆を作りだすこと、テロとの戦争は捏造であるという驚くべき告白を、ニック・ロックフェラーが彼に個人的に語ったことについて、掘り下げている。ロックフェラーは、911発生の11ヶ月前に、イラクとアフガニスタンに侵攻するきっかけとなる”事件“についても予言していた。

ロックフェラーはまた、彼の一族が、家庭を破壊し人口を削減するという、グローバル・エリートの根本的な目標のために、女性解放運動を創出し資金を供給したと語っていた。ルッソは、おそらくエディ・マーフィ主演の「大逆転」の製作者としてもっともよく知られているが、先頃では、連邦準備制度(FRS=米国の中央銀行システム)の、利益のための犯罪的運用を暴露したドキュメンタリー、『アメリカ 自由からファシズムへ』で注目を集めた。

現在、彼は癌と闘っており追加治療を受けているが、ルッソはラジオ司会者と、ドキュメンタリー作家仲間のアレックス・ジョーンズとの着座インタビューの時間を設けて、ロックフェラーが彼に語った、世界がグローバル・エリートによって操られ、演出されていることについての、爆弾発言を立て続けに行った。(アーロン・ルッソ氏は今年8月24日に他界されました)

有名なビデオ作品「Mad as Hell」の発表後、ネバダ州知事選の遊説を開始したルッソは、ロックフェラーに注目され、女性の弁護士を通じて紹介された。ルッソの、変革を求める情熱と能力に着目したロックフェラーは、ルッソをエリート集団に勧誘するため、巧妙な働きかけを行った。

ある会話で、ロックフェラーはルッソに、外交問題評議会(CFR)に加入することに関心はないかと訊ねたが、奴隷どものことなどなぜ気にかけるのかと冷たく問いかけるロックフェラーに、「人々を奴隷化することに関心はない」といって断ったという。

「私は彼に、要はどういうことなのかと訊ねた」とルッソは述べる。「あなたがたは世界中の金を持ち、すべての権力を握り、それが何なのだ、最終目的は何なのだ」、対するロックフェラーの答えは、「最終目的は、社会全体を管理し、銀行家とエリートたちが世界を支配するために、すべての人間に電子チップを埋め込むことだ」というものだった。

ロックフェラーはさらに、ルッソに、もしエリートに加わるならば、当局による過度の監査を免れるべく、彼のチップは特別に配慮されるであろうと確言した。

ルッソは、「9/11発生の11カ月前に、『ある出来事が起こり、その出来事によって、われわれはカスピ海を通してパイプラインを敷設するためにアフガニスタンに侵攻する。石油地帯を奪い、中東に拠点を築くためにイラクに侵攻する。そのあとはベネズエラのチャべスだ』」と語ったと言明している。

ロックフェラーはまたルッソに、彼がオサマ・ビンラディンの兵士たちを、アフガニスタンやパキスタンの洞窟に見るであろうこと、また、「真の敵が存在しない、終わりなき対テロ戦争が起こるが、このすべては巨大な捏造なのだ」そして、「政府はアメリカ民衆の支配権を握ることができる」と語った。ルッソによると、語り手のロックフェラーは、冷笑的な冗談のように、驚くべき予言をなしたという。

さらに後の会話で、ロックフェラーはルッソに、女性解放運動をどう思うかと訊ねた。女性たちが参政権を勝ち取ったように、働いて男性と同等の報酬を得る権利に関することだとルッソが答えると、ロックフェラーは笑いながら言い返した。「君はバカだ! あれが何だったのか教えてやろう。われわれロックフェラー一族が、あの運動に資金を出したのだ。われわれが、ウーマン・リブに出資したのだ。すべての新聞とテレビを所有する、われわれロックフェラー財団がだ」

ロックフェラーはルッソに、エリートがウーマン・リブに資金援助した、二つの主な理由を話した。一つは、ウーマン・リブ以前には、銀行家は人口の半数に課税ができなかったこと、二つ目に、彼女らの子供たちを早期から学校に通わせ、核家族の状況を受け入れるよう吹き込み、伝統的な家族形式を崩壊させることができるようになったことだと。

この暴露話は、フェミニストの先駆者の代表で、CIAに資金援助された「ミズ」誌のグロリア・スタイネムが、伝統的な家族形式を破壊するという同じ計画の一部を担っているという、先立っての論考と一致する。

ロックフェラーはしばしば、エリートによって「民衆は統治されるべきだ」、また、「世界の人口は多すぎる」といい、世界人口は少なくとも半分に減らさなくてはならない、とし、権力の手法の一つとしての人口削減という、彼の考えを熱を込めて強調した。

ロックフェラーのルッソとの会話によると、イスラエル―パレスチナ闘争はエリートの支配の手に負えなくなった問題のひとつであり、いずれかの時期にイスラエル市民に、一人百万ドルづつ与えて、アリゾナへ移住させようかという奇抜な考えが真剣に考慮されたという。

16/10/2007(火) 01:13:12

No.2797  さき ホームページ
Re: 9・11はテロではなかった・・・? 引用
9・11がテロではなかったとしたら。。
にわかには信じがたいことですが、さまざまな情報をつきあわせると、あまりにおかしすぎます。とても公式発表どおりだとは思えない。
大変なことです。
アメリカ国民の半分が疑問をもっている、という政府公式見解がまかりとおっているのですから。
なんという世界なんでしょう。
小説1984年に“偉大な兄弟”が支配する未来国家が出てきます。その国の「戦争は平和である 屈従は自由である 無知は力である」というスローガンを思い出します。支配する者にとっては人間なんて、真実とか事実なんてどうでもいいんでしょう。これは小説ではなくて現実なのですが。。

16/10/2007(火) 10:17:50

No.2801  かわぐちまさこ
Re: 9・11はテロではなかった・・・? 引用
飯沼さんがおっしゃるように、私も以前から9.11は テロではなく、自作自演だったのではという疑惑を持ってました。十分ありうる話です。マイケルムーア監督の「華氏911」とゆう映画も話題になりましたよね。
罪もない多くの方々が石油マネー 石油ビジネス の犠牲になったのです。
ビル崩壊で犠牲になった方、そしてアフガニスタン、イラクでどれだけの多くの命がうばわれたかと思うと、あまりの理不尽さに、怒りと悲しみでいっぱいになります。

16/10/2007(火) 23:30:17


No.2798 さき ホームページ 
縄文・真脇遺跡 引用
縄文の真脇遺跡。。
能登半島にあるイルカの来るおだやかな入り江。
そこに4千年にわたって続いた縄文の人々の暮らしがあったという。。
ひとことで4千年と言っても、その時間を思うとめまいがしそう。。
縄文の人々はその地でどんな暮らしを営み、何を思い、どんな日々を生きていたのだろう。

真脇遺跡に向かう道中、うっそうと茂った森の中を行くような単線の能登電鉄にゆられ、バスから窓に広がる日本海を見ながら、ぬまとそんな話をしていた。(以下は根拠なし、ただその時に思ったことです。)

縄文と弥生は非連続なんだよね。
縄文は遅れた原始生活で、そこから稲作が入ってきて原始生活から進歩して弥生時代になったのだという刷り込みがある。けど、その考え方自体が違うんじゃないのか。
縄文には、今の私たちの知ってることの範疇で考えていては捉えられないような、全く違う世界があったんじゃないのか。縄文→弥生→段々進歩→今 という連続性ではとらえることのできない、別の文化、別の価値観、別の暮らしがあったんじゃないのか。

心や愛情を形にして日々生きること。。
誰もがそんな心で生きている世界。。
それは物質的に大変なことがあったとしても、実はとても豊かな世界なんだと思う。
それに縄文の人たちが魂の永遠性をあたりまえに知っていたなら、死は恐れるものではなくなる。
地上で生きること、地上で心を交わしあうことは喜び―。
縄文の人たちは、その喜びを生きていた人たちではなかったのだろうか。
もちろん心をかげらすこともあったかもしれない。けど今のようなかげり深い世の中ではなかったら、かげりを深めることも、かげりに囚われることもない。誰もが互いを思いあい、分かちあうことも、支えあうこともあたりまえだったら、かげりは深まりようもないと思うのだ。そして全ては喜びにつながることを知っていた。
そんな世界をイメージした。

縄文・真脇式土器はとても手の込んだものだった。儀礼的というようり、ただ楽しんで遊び心で、それを「わ〜い」と面白がってつくっているような気がした。またそれを見た人が「わ〜、面白いね〜!」と喜んでくれたら、それが嬉しくて、また調子に乗って造ってみたくなる。
縄文人たちはそんな喜びのなかで日々を生きていたんじゃないかな。
<喜ばれることが嬉しい>それが縄文の価値観だったんじゃないかな。自分もみんなも喜べる世界。。

バスが真脇に近づいてきたら、ふと「還ってきた」という思いがよぎった。そこにつながったら涙ボロボロ。。
<喜ばれることが嬉しい>というのは、特別なことじゃない。
実は誰の中にもそんな気持ちが宿っているんだと思う。
ただ私たち人間はそれを素直にありのままに表現することができにくい世界をつくってきてしまった。あまりにそれを積み重ねてしまったんだと思う。

9・11が謀略なら、それをやった人たちがこの世界を牛耳っている。
その力が今の世界をつくっている。動かしている。。
これってどうよ。その力と対峙するってどういうこと?
これまでの連続性とは、別の価値観、別の世界を形にすることなんだと思う。
まだ間に合うかもしれない。
結果はわからない、けれども考えているだけでは何も始まらない。自分から求めて、自分から動いていかなければ。
地上でやるべきことがあるなら、チャレンジしないとね。
そのために生まれてきたのだから。
意志と意欲を高めて挑みます。
自分もみんなも喜べる世界を、あたりまえにしたい。
この列島に生きる人たちに宿っている縄文の心、その種をよびさましたい、と思ったのでした。

16/10/2007(火) 12:35:25



No.2790 しのしの  
またケンカをしてしまいました。 引用
こんにちは。しのしのです。

またまた今日姉を大ゲンカをしてしまいました。
数日前、前々から嫌いだった客に思いっきり嫌味を言われ、ここ数日いらいらしているところに、この土、日の姉のわがままな行動にとうとう今まで抑えていた気持ちが爆発し、姪っ子や甥っ子の前で、怒鳴ってしまいました。一番やってはいけないことです。
私の心の中に、早く姉に落ち着いてほしいという気持ちと、今までみんなに迷惑をかけた結果、今の姉の状況があるから、ざまあみろっと言う気持ちもあるのかもしれない。今の私は、姉の気持ちに突っ込んで、癒してあげようという気持ちは全くないです。
飯沼さんに、姉のヒーリングをお願いしようと思っていましたが、ちゃんと説明もせず、カウンセリングを受けるよう言ってしまったため、悠々塾のことも誤解を与えたままになってしまいました。ホームページを見てもらおうと思っていましたが、私に家に来ても忙しく動き回っていたので、結局見てもらえませんでした。
多分、もう姉が飯沼さんに連絡することもないと思います。
せっかく、アドバイスいただいたのに、ちゃんとできませんでした。すみません。

14/10/2007(日) 22:22:31


No.2791  飯沼 ホームページ E-mail
Re: またケンカをしてしまいました。 引用
☆しのしのさん

こんにちは。
兄弟姉妹間のトラブルや喧嘩はよくあります。
もちろん、お互いが支えあったり、協力しあって何かを成し遂げていくことも珍しくはありませんが、やはり不調和を抱えている兄弟姉妹のほうが多いでしょうね。

しのしのさんも生身の人間ですから、さまざまな気持ちを抱えながら生活することになります。
いつも喜びだけを感じながら生きていくことは誰にとっても難しいものですね。
どんなに嫌な気持ちになったとしても、すぐにそれを凌駕するだけの喜びのエネルギーをベースに生きていくことができれば、それが最善なのですが、実際にはそうもいかないものです。

でも、できれば他の事柄での不愉快を別の人との関わりに絡めてしまわないように心掛けていく必要はあるでしょう。
まあ、それでも人間どうし、トラブってしまうものではあります。
自分にも落ち度があったと思えたならば、まずそのことについて素直に謝るところから修復は始まります。
もちろん相手の問題もあるのでしょうが、お互いにそれを言い合っていても修復にはつながりません。
起きてしまったトラブルをどう修復していくかも、地上に生きる重要な学びのひとつだと思います。
激しい波風が立っても主張し続けねばならない場合もありますが、これはかなり特殊な場合に限られるでしょう。

お姉さんから一度お電話をいただきましたが、「妹から紹介されたのですが、日にちが取れません」というような内容でしたので、「では非にとが取れそうなときにまたお電話してください」という話になりました。
いつかまたご縁がつながればいいですね。

15/10/2007(月) 13:09:00

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