☆これは「癒しに向けてのメッセージ」として、克が7年ほど前に受信し、「天地悠々」に連載したものです。 この8月以降、定例会ではこの「癒しに向けてのメッセージ」を使用して、分かりやすく学びを進めています。
今、私と一緒に直接ヒーリングをしているさきさんは、克のようにひとつひとつ言葉で伝えることはしませんが、その人の子どもの頃からの傷からくるかげりやそこへの憑依につながって、エネルギー的に解消し、心の方向性を喜びに向け直していくことに関して素晴らしい力を発揮しています。 心身の病や症状を抱える方にも非常に有効です。 もちろん、ご本人が来られなくても、ご家族などが代理で来て、その人を通じてご本人の深いかげりや憑依霊にエネルギーを送ることもできます。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
<胎児期・乳幼児期の傷と憑依について>
同じように憑依を受けても、胎児期・乳幼児期の場合は、さらに憑依からの影響は強くなります。
人は成長とともに、肉体が育ち、心が育ち、理性が育ちます。“理性”は最もあとに成長を始める“からだ”です。理性がまだ十分に育っていない時期は、その意味で心がとても傷つきやすいのです。理解したり納得したり、判断したりする理性のエネルギーに守られていないからです。(注・人の肉体、感情のからだ、理性のからだ、魂のからだ、と何層もの“からだ”によってできています)
この時期に心に受けた傷、抱いたかげりは、むき出しのままですから、そこに憑依を受けやすいのです。受けた憑依がはずれることのないままに、その心のうえに理性が育っていけば、受けた傷や(かげり)と憑依を覆うようにして理性のからだができあがります。
これが、その人の“特徴的な性格”とされる場合が多いのです。そして、その人自身、こういう自分を変えたいと思っても、(分かっているのに)どうしようもないもの、となっていくのです。いつも繰り返してしまう自分なりの行動パターンも、これに起因していることが多いのです。
もちろん、そうなってしまうのには理由があります。「設定」です。今回の人生でその人が越えなければならない「課題」が、カルマとして魂の記憶にあります。そのカルマが今回の人生に影を落とし、そこに向き合いつつ越えていくためには、「状況」が作られねばなりません。「心をかげらせてしまう状況」「それによって表現される心の傾向や癖」「憑依による影響によってかげりが増幅され、問題化すること」それら全てが「設定」のための要件なのです。その人が自らの課題を乗り越えて、カルマを解消し、さらに学んでいくための。
自分のなかにある、どうしようもないと思っている部分、かげりと指摘され、変えたいと思ってもそうしていけないところ、それらのもとは、胎児期、乳児期における心の傷(かげり)とそこへの憑依にあるのだということを、ぜひ認識して頂きたい。
そしてそれを解消する方法があるのだということも。
この人たち(飯沼・堀江)に今、行(おこな)ってもらっている方法は誰にでもできるわけではありません。しかし、幼児期の心の傷(かげり)と憑依について、その仕組みを理解するうえで、道筋は分かりやすいもののはずです。
まず、対象となる者の“心のからだ(オーラとも呼ばれます)”に共鳴しつつエネルギーを注ぎます。これは、感情が引き出されやすくなるために必要なことです。この人たちは意識していませんが、ここでは、対象者のオーラに不足しているエネルギーの要素(たとえば、安心であったり、意欲であったり、楽しさであったり、いずれも喜びにつながるエネルギー)がこの人たちを通じて注がれます。本人が意識できている、できていないにかかわらず、“心のからだ”は足りないものを求める信号を発しているのです。その信号に応えて、エネルギーが充てんされるのです。
次に、この人(堀江)は、対象者の心の傷に同調しつつ、それを意識化する手だてとして、質問や言葉をその人に向けます。こちら側(霊団)からの指示によって、その人の「心の揺れ」の大きかった事柄を思い返してもらいます。たとえば、「今までで嬉しかったことは?」「今までで後悔していることは?」「今の自分からみて、母親はどんな母親だったと思いますか」などというように。決まった質問はなく、その人それぞれの傷(かげり)の糸口となるところから、さらにその奥へとたどっていくのです。
質問への答えのなかに、「鍵」となる言葉や思いは含まれていることが多いのです。その点については、こちら側から指示を送り、さらにそこに深くエネルギーを注ぎます。硬くなり、しまい込まれた感情や傷につながるためです。
その時から、心を時間とともにさかのぼります。学生時代、小学校、幼稚園、乳児期、胎児期と。途中、注いでいるエネルギーが“ひっかかり”“とどこおってしまうところ”で、“その時期の傷”について、意識を合わせます。その時の気持ちをこの人が口にするなかで、本人もまたそこに心の焦点が合ってきます。しっかりとつながれば、忘れていた記憶が蘇えったり、自然に言葉が口をついて出てきたり、泣いたりしてしまいます。抑え難い感情があふれて、しばらくはその感情を実感し、そのなかにいることになります。ひと通り吐き出してしまうと、心は落ち着きます。しかし、その時の傷(かげり)に共鳴して引き寄せられ、長い間一緒にいた憑依霊は、依然としてそのままですから、この人たちがエネルギーをさらに高めて、その憑依霊を本来の霊界へ送ります。強くしっかりとその人に重なっていた場合は、その憑依霊の感情を吐き出してもらい、その傷を癒すために、この人(堀江)のオーラに一時的に憑依させ、この人の口をかりて、言葉を発することにもなります。
対象となる人が抱える傷(かげり)が、決してひとつではありませんから、年齢を行きつ戻りつしながら、傷(かげり)を引き出し、そこにある憑依を解いていきます。
胎児期の傷は、大抵は両親が本人に向けた思いや、妊娠を知った時の“瞬間的な反応(どういう気持ちになったか)”について傷ついたり、それに基づいて「自分はこうするのだ」と意志してしまうことが、やがてはその人の特徴的な性格と言われているものへとつながります。これについては、「誰のせいでもない。まして親のせいではない」ということを忘れずにいて頂きたい。
前述したように、その人の“カルマ”“課題”が、今回の人生に反映され、設定するためには、「向けられる気持ちと、それに対する思い、意志」がどうしても必要だからなのです。強く刻み込まれる傷や意志が、その後の人生に影響を与えていく必要があるのです。その点を理解せねばなりません。どういう両親のもとに生まれるかの選択は、「どう迎え入れられ、どう育てられるか」によるのです。その人のカルマと課題の解消のための最初の協力者が両親だと言えるのです。
このようにして、幼少時・胎児期の傷(かげり)とそこにあった憑依をはずせば、その人本来の心を取り戻し、自らの魂の意識に従って、輝く心で生きられる。それはあくまでも「原理的には」です。ここでどうしても不可欠なのが「本人が意志すること」なのです。受けていた影響がなくなったのは、言ってみればマイナスをゼロにしたにすぎないのです。そこにプラスを重ねていくのが本人の意志です。「どうしていくのか」「どういう自分になろうとするのか」「何を求めていくのか」…。
ただじっとしていて事が運ぶのではありません。自分の意志で動いていくのです。これは誰にも代わってはもらえません。「意志することが生きること」だからです。
<癒しのエネルギーを注ごうとする人たちへ>
以上のような作業をすることが、どうして癒しに向けて必要なのか。癒そうとしてエネルギーを通す時、“人間”には神から注がれているエネルギーをそのまま通すことはできません。不完全な存在が、完全なる存在からのエネルギーをそのまま通すのはどうしてもできません。
しかし、癒しをもたらすために、より精妙なエネルギーを、より力強いエネルギーを、と癒し手は求めるはずです。少しでも役に立ちたいと思うならば。
実際にエネルギーを注ぐ時に、自分のなかに残る「かげりや傷」があれば、その部分は、癒しのエネルギーは通りません。それだけでなく(注ぐことができないだけでなく)、対象者が同様の「かげりや傷」を持っているならば、かげりどうしが共鳴し、それが増幅されてしまいます。病や苦しみの原因となる“かげり”があるからそれを癒したいのに、逆に、それを深めてしまう。それは絶対に避けねばなりません。
癒し手として人に関わろうとする者に対しては、自らの課題に向き合い、かげりを解消していくことを求めるのはこのためです。今回提示したことも、ぜひとも自らに当てはめ、解消することを選んで頂きたい。自分だけでできる作業ではなく、この人たち(飯沼・堀江)の手助けが必要ではありますが。
細かな情報を受け取り、あるいは憑依霊の依り代となることは全ての人にできることではありません。しかし、自らの内に抱えたままの深い傷やかげり、そこへの憑依を解き、そこに光(癒し)のエネルギーの通路が開かれれば、今までよりさらに癒し手としてふさわしいエネルギーを通していくことは可能です。全てを認識できなくとも、エネルギーが自分のところでとどこおらず、注ぐことができれば、対象となる人の、深い傷やかげりにも届くエネルギーが通せるようになるのです。
<病・悩み・苦しさのなかにある人に>
これらの作業(「癒し」)は、もちろん、癒し手を目指す人のためだけにあるのではありません。
病の原因は、“心のかげりや傷”にあるのですし、悩みの理由はカルマとの関連が大きく、今ある苦しさは自らの課題と向き合う機会です。
「どうして自分はこんなんだろう」「こうしたいと思っているのに、なかなか自分を変えていけない」「この性格はどうなっているのか」…どうしようもない自分を抱えている人にとっても、それを変えていく大きなきっかけとなるはずです。
全ては人生における「設定」です。しかし、それを解消していく手立ては必ずあるのです。
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12/10/2007(金) 13:38:15
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