「できること」
私は自分が出来ないことが人より沢山あるだめな人間と思っていた。普通の人なら一人でできることを人に手伝ってもらわないとできなくて、手伝ってくれる人にいつも申し訳なかった。家で、 私のできないを手伝ってくれるのは夫で、私を手伝うことで、夫の時間がなくなってしまうようで、申し訳ないといつも思っていた。二人で一人分のことさえできていないね、と思っていた。昨日、私は夫の仕事を手伝った。私の苦手なことだったけど、夫にとっては私以上に苦手なことで、時間はかかったけど、何とかできて、夫はありがとう、って言ってくれた。ようく考えてみたら、いつもと同じことなのに。昨日は私でも役に立つことがあるのだと思えた。 きっと、二人で一人分さえできないこともあるけど、二人で二人分、もしかしたら二人分以上できることもあるかも。そう思ったら、うれしくなった。
今私は家にいて、関わるのはごく限られた人たちだけど、 「ドネーションシップわかちあい」は、こんな風なことなのかな、と思った。誰にだって、できることもできないこともどちらもあって、それは量や質や種類や様々あって、多少であっても役立つことができるのだ、と。誰かのために役立ちたい、その気持ちさえあったら、ほんのわずかのできるであっても誰かのために役立つのだな、って。 誰もが持ってる出来ること(本人がまだそう思えていなくても、気づいていなくても、わずかであっても、)を集めたら、きっと集まった人数以上の大きなできるになって、多くの人に役立って、「分かち合い、支えあい」が当たり前になっていくのだなと思った。 「ドネーションシップわかちあい」の心が大きく広がっていきますように、多くの人の心と心がつながっていきますように。 |
02/04/2007(月) 22:53:34
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