[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード


No.1923 のーぶちゃん  
mixiの日記からの転載です 引用
「できること」

私は自分が出来ないことが人より沢山あるだめな人間と思っていた。普通の人なら一人でできることを人に手伝ってもらわないとできなくて、手伝ってくれる人にいつも申し訳なかった。家で、
私のできないを手伝ってくれるのは夫で、私を手伝うことで、夫の時間がなくなってしまうようで、申し訳ないといつも思っていた。二人で一人分のことさえできていないね、と思っていた。昨日、私は夫の仕事を手伝った。私の苦手なことだったけど、夫にとっては私以上に苦手なことで、時間はかかったけど、何とかできて、夫はありがとう、って言ってくれた。ようく考えてみたら、いつもと同じことなのに。昨日は私でも役に立つことがあるのだと思えた。
きっと、二人で一人分さえできないこともあるけど、二人で二人分、もしかしたら二人分以上できることもあるかも。そう思ったら、うれしくなった。

今私は家にいて、関わるのはごく限られた人たちだけど、 
「ドネーションシップわかちあい」は、こんな風なことなのかな、と思った。誰にだって、できることもできないこともどちらもあって、それは量や質や種類や様々あって、多少であっても役立つことができるのだ、と。誰かのために役立ちたい、その気持ちさえあったら、ほんのわずかのできるであっても誰かのために役立つのだな、って。
誰もが持ってる出来ること(本人がまだそう思えていなくても、気づいていなくても、わずかであっても、)を集めたら、きっと集まった人数以上の大きなできるになって、多くの人に役立って、「分かち合い、支えあい」が当たり前になっていくのだなと思った。
「ドネーションシップわかちあい」の心が大きく広がっていきますように、多くの人の心と心がつながっていきますように。

02/04/2007(月) 22:53:34



No.1921 ミュー  
発想 引用
例えば・・自分も様々な苦しい思いを経験してきた人が、自分よりも更に“苦しい状況にある人がいる”という現実を知った時に、そこでどう言動してゆくのか〜を思った。。。

自分も苦しかったのだから、人はそれぞれで仕方がない・・と見ないふり、若しくは今の自分で精一杯・・と自分中心の視野しかもたない。

または共感し、何とかしたいと思いながらも、現実的には何もせずに時だけが過ぎてゆく。

そこまで思った時に、果たして自分はどう選択してゆくだろうか・・・いや、していきたいのだろうかという答えを見つけたような気がする。

決して善良な人では無かったと断言出来る私自身が、今こう思う事に少し戸惑うものもあるのだけれど、辛い思いや苦しい思いをしたのならば、もうそうならないように自分や身の周りの人達だけを守ろうとするのでは無く、その経験は何ひとつ残さずに、純粋に人の笑顔を見る為に壁を作らずに活かしてゆきたいと思う。

実際に、そう出来るのかどうかはやってみなければ分からないし、たくさん躓く事もあると思う。

だけれども、ひとりの人として、その発想までは確かに実感を伴って辿りついた。

だからきっと、そんな誰かとめぐり合いながら、喜びの連鎖を拡げてゆけると思う。

僅かながらであったとしても、ひとりひとりの思いや経験は、それをやさしさとして活かす事で大きな輪になってゆくし、現実にしてゆく力があると思う。

人としての自分が『だからどう選択し、言動してゆくのか』今、同じ時代で生きている全ての人に、その行く末が委ねられているのだなぁと実感している。
だから分かり易いヒントのように、次々と間髪を入れずに、様々な場面で「何かがおかしい」と誰もが思うような事が、世界中で起こっているのだと思う。

自分にある光と闇・・・あなたはどちらを活かして生きてゆくのですか。。。

きっとこの問いは、全ての者に共通のテーマだと思う。
自分が生きる証、生きた証、そのひとつひとつを光でマーキングしていきたい。
同時に、人が放っている光としっかり繋がってゆきたい〜。

「ドネーションシップわかちあい」の輪に参加させていただき、人の光に触れ、繋がり、私は心からそう思った。

02/04/2007(月) 10:25:28



No.1918 のりぴー  
こんにちは! 引用
昨日、弟の引越しが無事に済みました。
良かったです。帰ってきてくれたことも嬉しいです。
居間が狭くなったことが少し苦痛ですが・・・
家族でこたつに入って話が出来るのが幸せです。
私は、とても扱いににくい子みたいです。
でも、これを面白い子だなと思っていただけると嬉しいです。

01/04/2007(日) 11:55:01



No.1910 はる  
国試の結果 引用
合否の結果をメールで知らせてもらえるように手続きしていました。
それで、仕事中でしたがメールを見るとなんと「合格」していました。
嬉しかったですね。今月は通信大学を無事に卒業でき、学位をもらいました。2年半かかっての卒業です。これが3回目の卒業です。
次に何を目指していくかは未定ですが、これまでで得た知識や経験を生かしていくことができたらと思います。
今回合格の「社会福祉士」は、世間では必要とされているが未だ認められていない分野です。地域包括支援センターで初めて社会福祉士が起用されたくらいです。
対象は乳児からお年寄りまで範囲が広いので、まだまだ勉強を続けていく必要があります。ここからが始まりなのです。
今月の定例会で、自分のこうなりたいことを強くイメージすることで、実現につながっていくのだと聞かされました。
今まで「自分なんかが」と引け目で考えることが多かったのですが、これを機会に自分のなりたいイメージを掴んでいきたいと思います。
「健康になりたい」ではなく「健康になる」と強く願っています。
こう考えるだけで、内側からのエネルギーがあふれてくるようです。
病に負けている場合ではありませんね。
頑張ります!!

30/03/2007(金) 20:22:36


No.1911  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 国試の結果 引用

☆はるさん

合格おめでとうございます。
ずいぶんしんどかったようなのに、頑張っていたんですね!

>今まで「自分なんかが」と引け目で考えることが多かったのですが、これを機会に自分のなりたいイメージを掴んでいきたいと思います。
「健康になりたい」ではなく「健康になる」と強く願っています。
こう考えるだけで、内側からのエネルギーがあふれてくるようです。<

健やかなエネルギーに満ちた素晴らしい言葉です。
はるさんとは長いお付き合いですが、これは今まではるさんから聞いた一番嬉しい言葉ですよ!

まさに春の息吹、これから青春ですね。
おめでとう、はるさんさん!

また本格派シャンソンを聴かせてね。

30/03/2007(金) 23:07:58

No.1912  さき
Re: 国試の結果 引用
うわぁ〜、すごい!! よかったですね♪ 
がんばってきたことが、これからいっぱい役に立ちますね。
おめでとうございま〜す。

「健康になりたい」ではなく「健康になる」
うん、そうですね。
願うってそういうことなんですよね。
そうできたらいいなぁ。。じゃなくて、そうする!ですね。
私もそのモードを忘れないようにしよっと。。じゃなくて、
そのモードにつながりたい!つながる!!ですね。
夢を実現するために!
あぁ、春ですね。今日実家に行く途中、桜がほころびかけててすごくきれいでした。美しいものに触れると、無条件に心が動きますね。私もはるさんのシャンソン聴きたいな。

30/03/2007(金) 23:27:35

No.1913  はる
Re: 国試の結果 引用
飯沼さん、さきさんありがとうございます。

今の仕事は充実していて、仕事に乗っていることを実感しています。
以前は2つのことが同時に発生すると混乱していましたが、今は落ち着いて処理することができています。このことから病気が少しでも上向きに良くなっていることを感じています。

シャンソン長く歌っていませんね。職場でカラオケにいこうという話が持ち上がっていて、思いっきり声を出して発散したいと思っています。
悠々塾でカラオケに行く機会あれば誘ってくださいね。

31/03/2007(土) 09:49:40


No.1909 飯沼 ホームページ E-mail
克子備忘録 7 引用

長い40日間が終わってしばらくした頃だった。
私が「悠々塾」から自宅に戻ろうとしたちょうどその時に電話が鳴った。
それは知り合いの女性からで、旦那さんが交通事故を起こして救急車で病院に運び込まれたが、非常に危険な状態だとの知らせだった。

運転免許を取り立てのその人は、運転中にシートベルトをしていないのに気づいて停車せずに装着しようとして、ハンドル操作を誤って電柱に激突したのだった。
病院に運び込まれたものの肺の半分ほどに水が溜まり始め、緊急にステロイドの大量投与をするが今晩がヤマだと言われている状態だった。
それだけではなく意識が錯乱して、目を見開いて暴れるので手足を拘束してベッドに寝かされているのだという。
そういう状態なので人工呼吸器もつけられないとのことだった。

私はすぐに克子に電話をして、悠々塾に来てもらった。
おそらくは子供たちの夕飯の支度をしている時間だったが、そんなことは言っていられない。
克子が来るまで、私はひとりでその人にヒーリングエネルギーを送り続けていた。
大急ぎで克子がやってきて、すぐにふたりでエネルギーを共鳴させて遠隔でのヒーリングを始めた。
「事故の衝撃で強い憑依を受けています」と克子は言った。
「交通事故で即死した女性の霊が憑依しています。その人は事故で車から道路に放り出され、仰向けに倒れたまま即死したんです。肉体から離脱したとたんに無残に倒れている自分の肉体を目の当たりにして狂乱状態になったままです。その女性が事故の瞬間に引き寄せられて憑依しているので、○○さんも錯乱状態に陥っているのでしょう」とのことだった。

私たちはまず憑依しているその女性を休眠状態に移行させた。
その後、肺の水が引くようにヒーリングエネルギーを送って、克子はまた急いで家に戻っていった。
しばらくして知り合いの女性から電話があり、錯乱状態は嘘のように治まって、肺の水も引き始めたと知らせが入った。
人工呼吸器を装着するとのことだった。

夜になってまた電話があった。
その病棟の人工呼吸器が壊れて、他の病棟から別の人工呼吸器を持ってきて装着したのだが、どうしたわけが機械のアラームが鳴りっぱなしで病棟中に鳴り響いて
止まらないのだという。
原因が分からないので、病院側もどうすることもできないようだった。
病棟の公衆電話かららしく、確かに派手なアラームの音が電話越しにも聞こえてきた。

普通ならば機械の故障としか思えないことではあったが、あの40日間のことがあったので、私はもしかすれば幽界の霊の妨害かもしれないと考えた。
それでまた克子に電話をして、今度はふたり離れたままだったが、エネルギーを共鳴させて暗い世界の霊の妨害を遮断した。

すぐにまた電話が入り、アラームが止まったとのことだった。

しかししばらくしてまた鳴り始めて止まらないとの電話が入った。
私たちもまた、今度はさっきよりも念入りにエネルギーを送って、その患者さんの周りにある種の結界を作った。
アラームが止まったという電話があった。
それからはもうそういう現象は起こらなくなった。
人工呼吸器も数日後には必要もなくなった。

生命の危機は乗り越えたが、CT検査の結果、その人は膵臓がほとんどちぎれかけていることが分かった。
電信柱に激突した時にハンドルで腹部を強打して、膵臓がほとんどふたつに引きちぎられて、わずかにつながっている状態だった。
医師からは膵臓を全部摘出する手術が必要だと言われた。
今の医学の常識では膵臓の再生ということは絶対にありえないのだから、当然のことではあった。
ただ、膵臓を全部摘出してしまうとインシュリンの投与を一生続けなくてはならず、それはまだ50歳代のその人にとっても負担の大きいことだった。
医師は当然のことながら「迷う必要などない」という態度で手術の同意を求めていた。
手術に関しては私も克子もコメントする立場にはなく、本人の意志にお任せしていた。
意志に返事をする前に、私たちも何度も病院に呼ばれてヒーリングをし、本人の気持ちの澱の排出に手助けをさせていただいた。

私たちは決して手術をしないように勧めたわけではないのだが、人間の肉体が潜在させている力についてはお話した。
どんな治療を受けるにしても、肉体の回復力を信じることはとても大事なことだからだった。
ところが、その話に心を動かされたからか、本人はしばらくの間手術をせずに様子を見ると言い始め、奥さんも手術に同意しなかったのだ。
医師は「あなたがた夫婦は頭がおかしい」と怒り、すでに成人していたふたりの息子さんを呼んで強行に手術を勧めた。
息子さんたちもたじろがず、「父親の意志を尊重します」と返答したということだった。
それを伝える奥さんの話を聞いて、正直なところ私は「これはえらいことになった」と思った。
私たちはそれまでにも「奇跡」といわれるような成果は挙げてはきたが、全ての人が奇跡のように治るわけではないことも経験していた。
まして、膵臓の再生は「絶対にありえない」と医師に断言されているのだ。
しかし、本人も家族もその意志ならば、私たちもそれに沿って全力を尽くすまでのこと。
私たちも精一杯関わらせていただこうと腹を決めた。
病院側からは手術をしないのなら転院するように言われたが、あいにく動かせる状態ではないし、そんな患者の受け入れ先があるはずもないので、そのままその病院のお世話になった。

膵臓を包む薄い膜の中に水が溜まり始めていた。
そこから感染して高熱が出れば緊急手術をしても手遅れで生命を失う可能性も十分にあるとのことだった。
本人は完全絶食で高カロリーの点滴を受け、私たちも緊張の数週間が始まった。
溜まる水の量は増え続け、腹部ははっきりと膨らみ続けていた。
医師は毎日の回診のたびに強く手術を勧めたが本人も家族も同意しないままだった。

30/03/2007(金) 09:23:57



No.1899 飯沼 ホームページ E-mail
定例会、地震・・・ 引用

☆昨日の定例会に参加してくださった皆さん、悪天候の中お疲れさまでした。
ありがとうございました。
今月は埼玉組がお休みでしたが、思いがけず高知組(?)が駆けつけてくれました。
久しぶりの参加だったりえっぺには、2部でお洒落のことでコケにされて、自分のことをいわれているのに笑い転げてしまいました。

☆地震ですね。
北陸地方の皆様、お見舞い申し上げます。

時が近づいていることを感じます。
『そう遠くない将来、(それは5年以内とか10年、20年とかの幅はあるにしても)地上界は大きな変わり目を迎えるでしょう。
それは今までさまざまな形をとって、霊界側からの警告と導きとして伝え続けてきたことでもあります。
それはすでに始まっているとも言えるのです。』

☆地上界が調和を回復するためには、ひとりひとりの人が自分の損得や思いに執着せず「分かちあい・支えあい」に根ざして、自分を役立てていくことしかありません。

愛や真心は順調に事が運んでいる時の口先だけの綺麗ごとでは断じてありません。
自分にとってそうしにくい時にこそ真価が問われているのです。

☆1896の藍子さんの投稿内容は、その人が発しているエネルギーが引き寄せることについて示されているのだと思います。
自分がどのようなエネルギーを発しているのかと、日々自分を点検してみることは大切です。
藍子さんは喜び・幸せ・祝福・共感というエネルギーを発しているのでしょうね。
「(喜びを)分かちあう」というエネルギーもふんだんに発しているようです。

☆キリコさん、1895の引用、ありがとうございました。
キリコさんの引用の意図は計りかねますが、友情よりも厚い情愛を感じて何だか胸が熱くなりました。
ありがとうございました。

☆カピバットさん、「悠々通信」の原稿ありがとうございました。
読み応えのある内容と分量でした。
来月の定例会、お待ちしていますよ。

26/03/2007(月) 01:42:51


No.1905  まき&ちこ
Re: 定例会、地震・・・ 引用
今月の定例会では、久しぶりに夫婦揃って参加させていただきまして、ありがとうございました。また1部ではみなさんから暖かいエネルギーを送っていただきまして、本当に感謝の気持ちでいっぱいです!
飯沼さんにも定例会前からまたしてもたくさんお世話になりまして、本当にすみませんでした、そしてありがとうございました!

あれからうちの旦那さんは落ち込んでぐずぐず言っていたのですが、昨日久しぶりに2人でただ気晴らしのために山へドライブに行きました。そこでもひともんちゃくあったのですが、やっと旦那さんも本気になれたようでした。そして、旦那さん1人で実家に帰りお母さんに幼い頃の寂しさ、辛さをやっと言葉として伝えることができました。お母さんもどんな思いで育ててきたのかを話してくれて、自分の弱さに気付いた旦那さんを褒めてくれたのだそうです。
そこでやっとお母さんがどれだけの愛情をもって育ててきてくれたのかを感じることができ、心の底から愛されている喜び、幸せを実感できたようです。

この数日旦那さんは、飯沼さんに叱られ、私に叱られ、お母さんと叔母さんに叱られさんざんな思いをしたと言っていましたが(笑)、そこでやっと大きな気付きを得てそれを本当に受け入れることができた喜びに溢れ、頑張っていけるという力強さがでてきたような気がします。そして、今日はお母さんと叔母さんがあり得ないほどの大喧嘩をしたようなのですが、それも必ず調和に向かわせてみせると言っていました。
仕事に復帰するのは6月頃にしようと決めましたが、それまでの間に家族の課題を越えようと努力し、きっとそれを越えていって旦那さんの本来の自信と力を取り戻していってくれるのではないかと私も期待しています。

飯沼さんにはここ数年いつも嫌な役割を引き受けていただきまして、本当に感謝しています。次に夫婦で定例会に参加させていただいたときは、そんなことのないよう頑張っていきたいと思います。本当にもうあと少しなのだと実感しています。
とはいえ、まだまだこれからも山あり谷ありだと思うので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました!

27/03/2007(火) 21:40:13

No.1906  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 定例会、地震・・・ 引用

☆ちこさん

定例会、お疲れさまでした。
久しぶりに会ったちこさんはまだまだ大変な状況なのに、余裕すら感じさせる落ち着きがありました。
この5年間、次々にもたらされてくる大きな試練に向き合い、それらを越えてきたからこその柔らかくて真っ直ぐな輝きの女性になりましたね。

そうでしたか。
定例会の後もおいろいろあったのですね。
何だか私が無理やりに彼を叱りつけているようにも聞こえますね(笑)
読んでいる皆さんにお断りしておきますが、彼のほうが電話してくるのですよ。
本来の彼が力のある人だということを私は知っているので、人生の先輩として叱らねばならないときには遠慮なく叱ることにしています。
曖昧にすることがこれからの彼の人生にとって、決してよくないと思うからでもあります。
たとえ誰から反発されても逆恨みされても、守らねばならない克はもう地上にはいないので、今の私は怖いものなしですしね(笑)
彼の力を信じる者として、彼とちこさんの幸せに役立つと私が思うやり方ですが、それでよければこれからもお付き合いをお願いします。

彼も三歩前進二歩後退を繰り返しながら、確実に前に進んでいると思います。
この5年間の自分を情けなく思うことの連続でしょうが、それも近い将来必ず彼の心の幅と力になるはずです。

男は、という言い方はよくないのかもしれませんが、ここはあえてその言葉を使いますね。
男は自分の情けなさや意気地のなさを自分で嫌というほど知っておいた方がいいのだと、私は思います。
きっと人間は誰もが、どうしようもない弱さや情けない部分を持っているのだと思うのです。
少なくとも私は自分のことをそう思いながら生きてきました。
そう思うしか他に思いようのない、心の逃げ道のない時期が長く続きました。
自分の情けなさや弱さを自分がよく知っているから、そことも付き合いながら進んでいけるのだと思うのです。

いくら強がっても、格好をつけても、情けない自分や弱い自分もこの自分の一部なのですよ。
それをないもののように振舞ったり、そこから自分の目を逸らしたり、強がって見せたり、開き直ったり、怖さのあまり攻撃に転じたり・・・、なんてことをしても、情けなさや弱さを持った自分が変わるわけじゃないですからね。
それは自分の情けなさへの依存でしょう。

自分の情けなさやどうしようもない弱さをありのままに受け入れると、そこから始めることができるのですし、自分でも意外なほど楽になるものです。
自分の輝きとも、自分の情けなさとも対等におおらかに付き合いながら、自分の仕事や働きをしていくのです。
自分の輝きとも、自分の情けなさとも対等におおらかに付き合いながら人との関わりを楽しんでいけばいいのですよ。
自分なんて、所詮は自分以上でも以下でもないのですから。
ありのままの自分を自分が(嫌々でも)全部受け入れるから、自分としての進化向上もできるのです。

世間には、自分の情けなさを意地でも認めたくない人間がたくさんいます。
認めたくないがためにしでかすさまざま格好付けが、まさに情けない醜態を晒していることに、自分では案外気づかないもののようです。
でも、自分の情けなさを知っている者からすれば、その心の動きや言葉の裏にある気持ちなんて手に取るように分かるのですよね。
だって、それっていつかの自分の姿なんだもの(笑)

28/03/2007(水) 23:48:53

No.1907  飯沼 ホームページ E-mail
不必要な補足・・・ 引用
>男は、という言い方はよくないのかもしれませんが、ここはあえてその言葉を使いますね。
男は自分の情けなさや意気地のなさを自分で嫌というほど知っておいた方がいいのだと、私は思います。<

と書いた限りは、「じゃあ、女は」という問いにも答えておかなければいけませんね。
「全く私の個人的な思い方ですよ」と、ここに10回は書いたと思ってください。

その上で、女性の場合、自分の情けなさや弱さをそこまで突き詰めてしまうと、女性としての可愛らしさが薄くなってしまうような気がするのです。
それって、やっぱり、もったいないことだと私は思うのです。

29/03/2007(木) 01:20:09


No.1900 入道 ホームページ E-mail
宇宙の雛型「悠々塾」 引用
逆V字形の編隊を組んで、一糸乱れず飛行する、雁の群れ・・・
数キロ以上飛ぶことのできない雁が、数百キロ以上の旅を・・・
「真の翼」は人間にも生まれつき備わっています。
「ある目的を共有するグループ」による「密集状態」が出来上がると・・・
一人一人では想像もできない、超常的な力・・・
「群れの心」すなわち「全体として融合する心」が芽生え
「我よし」から「我も皆もよし」に常識が変って行くのです。
「すべてを超える翼」   サンマーク出版、ルイス。

26/03/2007(月) 14:35:41


No.1901  かおる
Re: 宇宙の雛型「悠々塾」 引用
1人の力は限られています。
ですが誰かと手を結んだ瞬間、人間の力は未知数になるのかもしれません。
私たちが普通に暮らしている社会でさえそうした「支えあい」、「協力」によってなりたっています。普段はなかなか意識しないことですが…何気無しにその輪の中に個々が存在している。集団化というのは人間、というより生物の本能なのでしょう。

一方で集団化が引き起こす弊害というのも存在します。
集団心理が引き起こす個々の人の思考の停止、受け入れられない他文化の排他、選民思想、…などなど

集団というのは、大きな流れのようなもので、その中のひとりひとりの意見や感情は流されてしまう、おおきな流れであればあるほど、その現象は顕著に見られるのでしょう。
難しいところですね

26/03/2007(月) 21:53:39

No.1902  飯沼 ホームページ E-mail
Re: 宇宙の雛型「悠々塾」 引用

> 一方で集団化が引き起こす弊害というのも存在します。
> 集団心理が引き起こす個々の人の思考の停止、受け入れられない他文化の排他、選民思想、…などなど


そういうことって確かにありますよね。
グループにおいても、組織においても、宗教や宗派においても、国家や民族においても、今の地上界では頻繁に見られることです。
最も大きな問題は、それらの集団の内部にいる人たちがその集団の価値観や考え方をまるで普遍の真理のように思い込んでしまっていることでしょう。

スピリチュアリズムというラベルを重要視すれば、スピリチュアリズムもそういう集団のひとつになってしまいます。
私はそういう狭義のスピリチュアリズムにはさほど関心がありません。

シルバーバーチが伝えるように、地上人類はひとつの意識体であり、だからこそそのスケールで地上人類や地上界の調和の構築をイメージしています。
それは、独善を排し、お互いの違いを認め、違いを尊重する中でしか実現しないものだと思います。
多様性が保障されてこそ、ひとつの意識体である地上人類の調和への道筋が見えてくるのでしょうね。
普遍を軸にした理性が求められるゆえんです。

自分(たち)が属している集団が「常識」としていることが、本当に皆(全体)の常識として通用するものであるのかどうか、理性を以って検証していく事が大切なのだと思います。
そういう視点から考えれば、地上界もひとつの集団を形成しているのですが、今の地上界でまかり通っている価値観や仕組みは普遍の幸せにつながるはずがありません。
自分(たち)により多くの力や物を集めていく事が当たり前の価値観のもとで、皆が幸せになれるはずがないのですし、実際に過去も現在も皆が幸せな地上界にはなっていません。

全ての集団や個人が、自分たちだけでなく、本当の意味での皆が幸せになっていけるような価値観を共有しながら、自分(たち)らしさをおおらかに表現していけるようになっていければよいのですが・・・。

そういう意識に目覚めた者たちが、「我よし」の価値観の人々との対立を避けながら、「分かちあい・支えあい」によって「明日のくに」を広げていき、やがて地上人類全体の常識を「分かちあい・支えあい」にしていくのだと思います。

風が吹けば飛んでしまいそうな本当に小さな「明日のくに」のミニチュアが、地上界全体の「明日のくに」の原型になっていくのでしょう。
。。。。。。。。。。。。。。

入道が紹介してくれた「すべてを超える翼」という本、さっそく取り寄せて読んでみます。
ありがとね。

26/03/2007(月) 23:20:04

No.1904  入道 ホームページ E-mail
Re: 宇宙の雛型「悠々塾」 引用
追伸
逆V字形の編隊は・・・
強い列と弱い列と言う、二つの列からなるのだそうです。
左側の弱い列には、年老いて弱った雁や、また幼い雁が配置され、
一方右側の列には、若くて強い雁たちが集まり旅の途中で出会う、
強風やさまざまな障害に立ち向かいます。
雁たちは、それ自体が一つの翼を持った大きな鳥であるかのように、
本能的に美しい編隊を組むというのです。
自然は人知を超えています。そのような時代になる先駆けになることを
意志します。
「鴎のジョナサン」は食べる事でなく、飛ぶこと、そのことに人生の目的が
あると考え、妥協することなく、自分の限界に挑戦し、危険を冒し、
誰も到達することのできなかった「超越」という究極の目的を達成しま
した。
エデンの園・5次元界・天・・・
個に目覚め、個を追究→分離(我よしと言うエゴの発生の善・悪、美・
醜) 
人類は「分離」の限界点に到達しています。
「融合」へ向かって舵を取らないと、もうどうしようもありません。
「個の働き」は存在し、個の枠(我よし)が消えてなくなることが
「融合」です。
人類全体の「真の翼」。「個」が全体と一つになる秩序ある理想的な
状態は、もう既に人類の遺伝子の中に用意されていて、あとは出てくる
だけの状態にあるのではないでしょうか・・・
そのキーとなるドネーションシップの活躍に期待します。

27/03/2007(火) 13:51:26


No.1903 飯沼 ホームページ E-mail
地震・・・ 引用

☆25日の能登半島地震の2分前(!)に、ニュージーランド付近でM7.3の巨大地震が起きていますね。

気象庁地震火山部 発表
25日09時40分ころ地震がありました。
震源地は、ニュージーランド付近(南緯20.7°、東経169.4°)で
、地震の規模(マグニチュード)は7.3と推定されます。
震源は太平洋津波警報センター(PTWC)による。
詳しい震源の位置はバヌアツです。

27/03/2007(火) 00:30:08



No.1896 藍子 ホームページ 
藍子ミクシー日記より。「おっちゃんのこと」。 引用
警備員のおっちゃんは
雨の日も極寒の日も、八時間ずっと外で立ちっぱなしで

私は花屋で働きながら
窓からおっちゃんを眺めることがよくあった。

彼は少し言語障害があるようで
言葉は聞き取りにくく、声は大きく響く。

挨拶しかしたことがなかったし、
ひまな時間は手帳ばかり見るおっちゃんを
私は少なからず奇妙にも思っていた。

そのおっちゃんがしばらく前に
急に近寄ってきて
「これ、これ、孫の写真なんです」と見せてくれた。

あの黒い手帳だった。お孫さんの写真。

でもその日も
写真をみせてもらって少ししゃべってそれだけで
それ以降も別に今までとなんにも変らなかった。

で、今日。

私を見つけるなり走ってきて
「二人目の孫が生まれたんです。
今日見に行くんです。嬉しくて仕方ないんです」と
一気にしゃべってくれた。

私は わーそれはおめでとうございます、と喜んで
あとになって、急にじーんと感動してしまった。

なんでかわからないけど、
おっちゃんの、喜びがほとばしっていたので、

その喜びを浴びてしまったので。

私も一日なんか嬉しくて、
家に帰ったらすぐ「あのね、警備員のおっちゃんがね」と
うれしい報告をしてしまった。

「また新しい写真見せますわ!」と
おっちゃんは笑ってた。

雨の日も極寒の日も、おっちゃんは
手帳を眺めて、立っている。

25/03/2007(日) 21:13:13


No.1898  かおる
Re: 藍子ミクシー日記より。「おっちゃんのこと」。 引用
良い話ですね!!
誰かの幸せな気持ちに触れたときは、なんとなく心が温かくなります^^

人間はそうして幸せを分け合えて生きていければ凄く幸せなんでしょうね!

ですが、実際は幸せな人がいればそれに準じて不幸な人もいる…というのが辛いところです。全ての人間の願いは同時に叶うことなんて無いのかもしれません(;;

ですがそれ故、思いやる心、歩み寄る気持ち、そういったものを大事にしなければならないんでしょうね

25/03/2007(日) 22:56:02


No.1897 カピバット  
みなさん、ありがとうございました 引用
昨日、定例会が行われましたが、私は参加することは出来ませんでした。しかし、祐造さんから今月の「悠々通信」、「天地悠々」、そして東さんが描いてくださった私の似顔絵の原画を送っていただきました。今回は、「今月の顔」に選んでいただき、光栄に思う反面、「自分で良いのだろうか?」という不安もありましたが、出来るだけ考えすぎないように気を付けました。また、東さんの原画は、実際の私よりも良い男に描いてくださり、感謝しております(笑)。このような機会を作っていただいた悠々塾に携わるみなさんに心から感謝しております。本当にありがとうございました。今のところ、来月の定例会には参加出来ると思います。その時は、また宜しくお願い致します。

25/03/2007(日) 22:24:38


全3961件 [ ページ : << 1 ... 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 ... 397 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

Rocket Board Type-X Rocket BBS