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No.1537 yuka  
返信、有難うございます 引用
カピパットさんの今はいかがですか? カピパットさんより以前返信を頂き、最初のカピパットさんの掲示板を探しましたが・・見つけられずです。ゴメンナサイ。                   特に最近、色々な症状のある方々は、薬を服用しながら頑張ってお仕事に行かれている方が多い様ですが。残念ながら、私には薬は合わない様で・・・色んな薬を飲みましたが・・・。私の場合は気の持ちようだと思い、どうにか過ごしてきましたが。今度は・・鬱?
  *定例会のお誘い、有難うございます。 約5年程前にカウンセリングをして頂きました。その時にもいらして下さいと言っていただきましたが。。。電車も、人と接する事も不安でしたので行けませんでした。。今回もたぶん・・・。*はい、又カウンセリングをお願いしたいとずっと思っていますが・・・。仕事が見つかり、落ち着けば、又一緒に行ってもらえる人と(気の知れた、分かってもらっている人とならと電車に乗れますので。(・o・)/
     本当に、有難うございました。 前向きに、考える事を忘れぬよう。。。がんばります。ありがとう!  

25/01/2007(木) 11:43:03



No.1502 はる  
導きなんでしょうか? 引用
私はいま1月27日28日の国試に向けて、勉強中です。
あと1週間しかないので焦りもあるけど、今日のこと聞いて欲しくて書き込みしました。聞いてくださいね!!

実は来年度(4がつ)からケアマネージャーの仕事に就こうと、転職を希望していました。これから求職活動をしなければいけないなって思って、ある程度事業所を絞ってアタックする予定でした。
しかし、実際のところ体力の自信がなく、病気が完治していない状態で仕事に就くのは心配でした。
現実には、仕事しなければ生活が苦しくなっていくばかりなので、生活できる収入にあるケアマネの仕事は魅力的です。

いまの仕事はパートで、身体はとても楽で楽しい職場です。
家計のマイナスを考えなければずっと続けていきたいと思うくらいです。しかし、1年契約で1年ごとの更新制で将来ずっと続けていまの職があるかは不透明で、立場も不安定です。

今日、課長との面接があり、来年度もいてもらえないかと打診がありました。私は、迷いもなく続けて仕事しますと返答しました。
まったく考えてもいなかったことが、気持ちがすっきりした状態で返事できたことが不思議なくらいです。

同僚とまた1年間また一緒に仕事ができることを喜びあいました。
これは、導きなんでしょうね?

マイナスの家計のこと、いまは考えていません。
これで、良かったと思っています。
こんなことってあるのですね。

今年1年は変化の年だと思うのですが、また不思議な出来事を期待したと思っています.

19/01/2007(金) 18:44:41


No.1507  ひろこ
Re: 導きなんでしょうか? 引用
はるさん
気持ちがすっきりして、喜べる事があって良かった!
28日の試験まで、風邪を引かないで頑張ってくださいね。
仕事と勉強大変ですね。終わったらゆっくり休んでください。
応援しています。
病気のことは気になるなあ。私も体力がなくなってきた事は身に染みてるので、無理しないで下さい。
はるさんが、良かったと喜べる事がエネルギーになって、身体もらくになるよう祈っています。

21/01/2007(日) 01:15:13

No.1508  はる
Re: 導きなんでしょうか? 引用
ひろこさん ありがとうございます!

今回の国試だめだったら、来年までにゆっくり勉強できるなって思うと気分も楽になりました。

実際、大学の履修科目をすべて終了してからの国試対策だったので、約3ヶ月位で勉強するには膨大過ぎて、重荷になっていました。

いまの仕事は、神戸市の外郭団体で、神戸市住宅改修助成制度の事業を委託されているもので、今年度から申込者が少なくなり私達の仕事が減ってきて暇になっています。上司が暇なときは勉強してもいいよと言ってくれていますので、勉強するにはうってつけの環境です。

いずれにしても次のところを捜さなきゃいけないのは変わらないのですが、その時はその時でまた導きがあっていい環境の職場にめぐり合えるような気がします。

先のことを気にすると不安になるので、できるだけ考えないようにしています。まずは身体が元気になることを祈っています。

21/01/2007(日) 12:22:33

No.1509  飯沼 E-mail
Re: 導きなんでしょうか? 引用
☆はるさん

こんにちは。
とりあえずはよかったですね。
もたらされた嬉しいことを喜んでいきましょう。
今回のことはもちろん導きと計らいのなかでしょうが、霊界側の導き・計らいは地上の人間にとって嬉しく思えることばかりとは限りません。
地上の人間にとっては試練や不幸としか思えない計らいもあるようですが、それもいずれは納得できる時が来るもののようです。

もたらされた嬉しいことを喜びながら、試練の時にも人としての道を真摯に進もうとし続けることで次なる嬉しいことにつながっていくのですね。

不安には不安の花が咲きます。
不安の念があれば、霊界側の援助を遮断してしまいます。
どうやら私たちは霊として永遠に生きる存在のようですから、わずかの期間の地上人生をおおらかに受け止めながら学びの旅を続けましょう。

21/01/2007(日) 12:40:32

No.1521  みーじゅ
Re: 導きなんでしょうか? 引用
はるさん、初めまして(ですよね?!)

私と似たような境遇に、とても共感を覚えました^^

私も、ある試験に向けて勉強をしている日々なのですが、
今の職場では暇な時間は勉強をして良いと言ってもらえていたので
思うように勉強させてもらっていたのですが、
職場閉鎖のため転職を余儀なくされてしまいました。

転職したら思うように勉強ができなくなる・・・と思っていたら、
今の職場でご縁を頂いた方から声がかかり、
転職先もすんなり決まったのですが、
働く時間が半分に減り、収入も激減する仕事で、
生活するには少々、厳しい面もあるのですが、
勉強する時間は確保できそうなんです。

はるさんも書かれていらっしゃいますが、
一生懸命頑張っていれば、その時の自分に最適な道に
導いてもらえるものと私も思います。
(飯沼さんも書かれていらっしゃいますが、
最適な道とは、自分が希望している道ではないかもしれませんが・・)

私も、不安を抱かないよう、勉強できる環境に
導いてもらえたことに感謝し、頑張ろうと思っています^^

お互い、不安を抱かないよう頑張りましょう!!

23/01/2007(火) 10:19:16

No.1523  はる
Re: 導きなんでしょうか? 引用
☆みーじゅさんへ

掲示板での投稿、いつも拝見しているので初めてのような気がしません。定例会でお会いしているかもしれませんね。

私はいつも導きのなかで、うまく引かれた線路の上を歩いているように生きてきたように思います。
次もきっとうまく導かれるのにちがいないと確信しているにもかかわらず、やはり不安にとらわれてしまいます。

今まで求職活動をしてきて面接で落ちた経験がなく、挫折の免疫がありません。しかし、次は50歳という年齢で線引きされている分、挫折も覚悟しなければなりません。
臆病者ですから、それが恐怖となって襲ってきます。ケセラセラと人生を楽しめたらどんなにいいだろうといつも考えます。

ライセンスは捨てるほどたくさんあるのに、さらに上へと目指しているのはその恐怖から逃げ出したいからなのでしょう。

子どもが自立し、空の巣症候群に陥るかのように寂しさが襲ってきます。だから、何かを目指しているのが落ち着くのかもしれません。

いつも安全パイの上にのさばっていたいと思うのは、わがままなのでしょうか?まだまだ苦労が足りないのでしょうか?

飯沼さんには、いつも厳しいこと言われているように感じます。きっと誤解だと思いますが、メッセージをもらう度にそう感じるのです。

頑張らなくてもいいのだよって言われてみたいものです。今のままでいいんだよ、そのままで大丈夫って・・・

みーじゅさんに愚痴ってしまってごめんなさい。。。

23/01/2007(火) 19:10:55

No.1525  飯沼 E-mail
こういうのを横レスというのかな・・・? 引用
☆はるさんへ
>
> 掲示板での投稿、いつも拝見しているので初めてのような気がしません。定例会でお会いしているかもしれませんね。


みーじゅさんは定例会に参加されたことはないんですよ。
私もお会いしたことがありません。

> いつも安全パイの上にのさばっていたいと思うのは、わがままなのでしょうか?まだまだ苦労が足りないのでしょうか?

はるさんはそんなことはありませんよ。
ずいぶん苦労して、たくさんの不安や苦労を抱えながらやってきたと思います。
はるさんがどんなに頑張ってきたのか、私もいくらかは知っているつもりです。

> 飯沼さんには、いつも厳しいこと言われているように感じます。きっと誤解だと思いますが、メッセージをもらう度にそう感じるのです。

それは違うと思うけどな(笑)
「喜びを見出していくように」というメッセージははるさんには厳しく思えるのかな?
ちなみに、私もはるさんにはずいぶん厳しいことを言われてきたように感じます。
きっと誤解だと思いますが・・・(笑)

> 頑張らなくてもいいのだよって言われてみたいものです。今のままでいいんだよ、そのままで大丈夫って・・・

分かりました。
今度何かの相談を受けたときにはそう言うから、文句言わないでよ(笑)
「もっと頑張るように」というアドバイスはどなたに対してもなかったと思うのです。
ただ、メッセージというものは、自分も人も幸せになっていく道筋をお伝えするものですから・・・。
でも、はるさんがそう感じるということは、それだけ頑張ってきたということですよ。
それはいつもそういってると思うんだけどな、ぶつぶつ・・・。

> みーじゅさんに愚痴ってしまってごめんなさい。。。

いいえ、どういたしまして。
代返です(笑)

23/01/2007(火) 22:23:42

No.1530  みーじゅ
Re: 導きなんでしょうか? 引用
はるさん、こんにちは〜^^

飯沼さんが、既に答えてくださっているので
定例会での件と、最後の愚痴の件に関しては省略するとして・・・(笑)

> 頑張らなくてもいいのだよって言われてみたいものです。今のままでいいんだよ、そのままで大丈夫って・・・

↑もしかしたら、この言葉は、私が
「不安にならないよう頑張りましょう」
と書いたことが悪かったのかも・・・と思いまして・・・

「頑張ろう」という言葉は、人によっては負担になることがあるので、
使うのに難しい言葉だとは思っていましたが、
やはり、安易に使う言葉ではないと痛感しました。

私の言葉が負担になったとしたら、本当にごめんなさい!!

「不安」は壁(殻?)を作ってしまい、
霊界からの通路を遮断してしまうと聞きます。
なので、「不安」を抱かないようになれると良いな・・・
という思いで書いたのですが、
私の配慮が足りず、本当にごめんなさい。

「不安」というものは、多からず少なからず、
誰にでもあるものだと思います。
この不安といかに上手く付き合って(処理して)いくか・・・

不安を抱かないようにできる良い方法・・・
これも人それぞれで違うと思います。
はるさんにとっての良い方法が見つかることを祈っています。

24/01/2007(水) 11:11:03

No.1532  はる
Re: 導きなんでしょうか? 引用
飯沼さん、みーじゅさんご心配していただいてありがとう!!
不安・・今のところ大丈夫のようです。

ただひとつひっかかっているのが、私が残ることで一人の事務の人が辞めなきゃいけなくなったことです。彼女はこのまま残りたいとずっと言っていて、私は辞めますと言ってたのが逆転してしまいました。
私が「はい」と返事しなければ、彼女は残れたようです。
仲間として一緒に仕事をしてきただけにとてもつらい気持ちで、どう話していけばいいのか言葉がみつかりません。
「ごめんね」と言いたい気持ちがいっぱいなのですが、まだ時期ではないのかな、彼女の気持ちが落ち着いたら自分の気持ちを素直に伝えたいと思っています。

私は人間関係において、受容と共感的理解を心掛けて言葉かけをするようにしています。といっても飯沼さんには別ですが・・・^^
ある講座に参加して、自分が受容される立場の設定でロールプレイをしたとき、包まれるような暖かい気持ちになり、とても癒されました。
うなずきやオウム返しで一生懸命話を聞いてもらえるだけで、癒されるのですね。カウンセリングの手法であっても、スピリチュアヒーリングができなくても人の心を癒すことができるのだと実感しました。

今一番欲しいのは、包み込まれるように受容されることです!!
悠々塾の定例会に参加したときには、ぜひみなさんに声をかけてもらいたいと思っていますのでよろしくね!!

24/01/2007(水) 20:32:43

No.1536  みーじゅ
Re: はるさん 引用
はるさん、おはようございます^^

> ただひとつひっかかっているのが、私が残ることで一人の事務の人が辞めなきゃいけなくなったことです。
> 「ごめんね」と言いたい気持ちがいっぱいなのですが、まだ時期ではないのかな、彼女の気持ちが落ち着いたら自分の気持ちを素直に伝えたいと思っています。


心中、お察し致します・・・

はるさんの心が伝わることを祈っています。



「受容と共感的理解」

本当に大事なことですよね。
はるさんは、いつも心がけていらしゃるとのこと、
とっても素晴らしいと思います。
私も、受容と共感的理解を常に持っていられるような
人間でありたいと思います。

受容と共感的理解・・・

良い言葉ですね。
良い言葉を教えていただいて、ありがとうございます^^

私は遠距離のため、なかなか定例会に参加することはできませんが、
いつかお会いできる日を夢みて^^

25/01/2007(木) 10:34:48


No.1535 CRUSADE ホームページ 
理想としての不食 引用
ノン・ソルト・ヴィーガンを11年間続けているのだが、現在真剣に不食を目指している。
私の場合は、リンク先の山田さんの様に直ぐにというわけにはいかないので、期間を掛けてゆっくりと近づけているところだ。

2年前からゲルソン療法を厳格に実践し始めてからはオーガニックのみに限定するようになっている。
もちろん、ゲルソン療法を行うことは、癌、2型糖尿病を始めとする殆どの変性疾患や脳卒中、心筋梗塞等と一生無縁になることを意味するのだから、健康に良いのは当然としても、私にとって、これには精神的意味が含まれている。
それと関係して、経験的に確認しつつ五葷も避けるようになったので、例えば、医学の祖が考案したとされるヒポクラテス・スープ等は食べる事ができないことになる。

そもそもヴィーガンになった理由は、資本主義嫌いが嵩じての結果で、当初私は、闘うポリティカル・ベジなどと称して悦に入っていた。
一方、世の中には動物を悲惨な環境で飼育して屠CENSOREDるシステムの痛みに耐えかねてベジタリアンになる人もいるわけで、私はそういう人に対して尊敬と憧憬の念を抱いている。自分には無い優しさを持つ人は常に憧れの対象だから当然でもあった。
そんな私にも、ベジタリアンになって数ヶ月経った頃、それまで意識できなかった生物をいとおしむ心が自然に芽生えるのが感じられるようになって、当時、自分もあの人達の様な心が持てるのかと無性に嬉しかった記憶がある。今でもベジタリアンになって何が良かったかと尋ねられれば、やはりそれに尽きるような気がする。後に、全く同じ経験を口にする人に出会って、大いに共感する機会があった。

また、ヴィーガンになり始めの頃、日本の社寺の精進料理も調べていて、ただ豆腐を食べるだけのために醤油や味噌を多量に付けるのに度し難い煩悩を感じたことで、一切味を付けずに素材だけを食べることに決めた。それが結果として、出来た作物を食べるだけで栽培環境の土壌や水質を正確に判断できる味覚と、作る人の心のあり方を洞察できる目を与えてくれたし、同時に、暖かい愛情に対する感謝の念と、他の生物を捕食しながら生きる事の重さを知る心をも可能にしてくれた。また、ノン・ソルトになることで、中枢神経系や循環器官系を含めて生理的にもより健全になり、ゲルソン療法に移行することが自然と可能になった。

何時の頃からか意識している事だが、私は確かに強いが、明らかに優しさに欠ける。ロボトミーの他に基底原理を持たない精神医学の化学療法を拒否して、四半世紀かけて、自然療法だけで重篤な鬱病から回復することによって抗精神病能力を獲得してからは、さらにタチが悪くなった。自分の中に否定し難い無敵感がある。もっとも、鬱病によって絶対的弱者を経験する事で内面の幅は確かに広がったが、子供の時分から偉そうにしているやつにとっては、さらなる武器を与える事になったわけで、能力の正しい生かし方を選択して欲しいと切に願っているような状況だ。


だからやっぱり不食。というわけでもないが、これには途方もない魅力を感じている。新しい人間になれるという前途洋々たる魅力を。精神的にも高いバランスを保ち、さらに頭も冴えるというわけで、これは堪らない。山田さんは、欲望は胃腸から生まれるのではないかとさえ言っているくらいだから。世界の中で自滅的な欲望を際限なく称揚する体制を見続けて、私の中ではそれに対する猛烈な嫌悪が渦巻いている。自分の中に同じ物を少しでも感じるのは我慢ならないのだ。人の弱さを当然とする風潮に僅かでも同調する気は無い。それは私のプライドが許さない。いつしか人間の限界など自分には関係ない。私は揺ぎ無く強いと思うようになっていった。よく親や人に、真理のためなら人を辞めて鬼神になる。と平然と口にするようになった。その結果、まあ不食はノルマかな。と考えるようになったわけだ。だが、それだけなら周知のように既に実践者がいるわけで、大した事ではないのだ。----俺は絶対にやる!(おお、鼻息荒いな。)でも、さすが策士を自認するだけあって、無理はしない。外堀埋めて天守閣を落とすまで確実に戦略的に攻めるのだ。で、ナチュラル・ハイジーンを経て今はゲルソン療法ってわけだ。しめしめ、だがこれからが正念場だ。本丸に手が届くようになってからが、本当の試練なのだ。----とか、嘯きながら少しずつ量を減らしている。サイリュウムで差を埋めながら。決してpiece of cakeてわけにはいかないから数年後が目標よね。

上のリンク先の山田さんちはデフォだけど、これなんか読むと、人は一番神に近い生物ではないかと思えてくる。
http://x51.org/x/05/01/1506.php
それが、現状では神に最も遠い存在になっているわけで、この幅の大きさが人という存在の面白いところ。
さて、君はどちらの選択をするのか?なんて煽る気は無いから。まずは知るところからね。

(付言すると、ここにあるビタミンB12問題やアミノ酸サイクルについては、ナチュラル・ハイジーンの実践では既知の事項に含まれていて、既に私の体もこの状態になりつつある。また、ゲルソン療法では大豆も禁止食品なので、ヴィーガンだからといって大豆食品に依存しているわけではないし、そもそも、たんぱく質は意識して摂る必要はない。農畜産業振興を前提にした近代栄養学は、我々から見ると過去のものになった感が否めない。)

http://x51.org/x/05/12/0222.php と、中の【不食関連】リンクもおもしろいよ。

実を言うと、原理は不思議でも何でもなく、生物学の基礎理論で裏付けは取れている。80年代から本格化した生物の寿命研究によって今から10年前には結論がでていること。私は科学哲学も専門にしている関係で、分野横断的にその時々に発表される科学論文を二十数年間読み続けてきて、その辺りの経緯はリアルタイムに接して良く承知している。そのためベジタリアンになった時点で、ここに目標を置いてきた。したがって不食は当然可能だと考えているのだが、実践するとなると普遍的方法は見つけ難く、個々のケース毎の特殊性があって、それぞれが未知の領域となるわけで、それが意欲を駆り立てる理由にもなっている。それと若い頃、ヨーガを実践している文化人類学者の断食経験を聞いて、13日間の断食の後は体重が増えているのだという話に興味を持ったことも動機になったように思える。また、初学者の頃に触れたアベスタに記されている人類の未来についての記述が、常に心の中にあることも関係している。いずれにしても、不食を人生の当面の目標にするには山ほどの動機があるわけで、さらに先の目的のためにも避けられない過程だと判断している。

25/01/2007(木) 06:44:55



No.1519 祐造&さき ホームページ E-mail
<ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用
   ☆☆☆ プレHPオープンのお知らせ ☆☆☆
ネットワーク構想の発案から約半年。<ドネーションシップ わかちあい>の準備会ホームページが出来上がりました。
ホームページアドレスは http://pre.donationship.org/ です。是非のぞいてくださいね。(右上の家のマークからも行けます)

ドネーションシップ・ウェブサイト(本サイト)が完成するまでの数ヶ月ですが、<ドネーションシップ わかちあい>を広くたくさんの方々に知って頂くために作りました。
準備会ホームページは曜子さんが完全ボランティアで作ってくださいました。曜子さん、ありがとうございます。 

<ドネーションシップ わかちあい>は悠々塾とは別立て別箇のNPO活動です。が、この場につながる多くの方々と<ドネーションシップ わかちあい>のめざす“明日”への夢を共有できたら嬉しいです。

また<ドネーションシップ わかちあい>を紹介する、リーフレットとパンフレットも完成しました。
準備会メンバーひとり一人の思いやアイディアのこもったものになっています。天地悠々1月号に同封されています。
「読んでみたい」「知人に紹介するのに数冊欲しい」という方は、右上のメールマークか、準備会ホームページの「お問い合わせ」からメールでお知らせくださいね。(送料のみ負担をお願いします)
本サイトの出発前ですが先行会員も募っています。入会申込み用紙はパンフレットに付いています。どうぞ皆さん、会員としてご参加ください。

お知り合い・友人の方にもリーフレット・パンフレット・ホームページを紹介して頂き、共感が広がるきっかけにしていきたいと思います。
特別お金も力もない、普通の庶民が始めた活動です。
人と人とがつながっていく、その人の絆が大きな力になります。
心をあわせ、力をあわせて、みんなでドネーションシップを創り上げましょう!
私たち一人ひとりの周囲から、分かちあいと支えあいへの共感と喜びの輪が広がっていくことを願っています。
皆さん、よろしくお願いします!

22/01/2007(月) 23:59:27


No.1520  みーじゅ
Re: <ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用
お疲れさまです!!

HPを見てきました。
素敵なサイトですね!!

天地悠々1月号にリーフレットとパンフレットが
同封されているとのことなので、
届くのを楽しみにしています。

私もできるだけの協力をしたいと思います。
これからも大変だと思いますが、頑張って下さい。

23/01/2007(火) 10:07:57

No.1522  飯沼 E-mail
Re: <ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用

本当に素敵なサイトですね。
準備会のサイトなので、あと数ヶ月しか使わないのがもったいない感じです。
世話人さん、yokoさん、本当にお疲れさま。
ありがとうございます。

シルバーバーチが伝えるように、「スピリチュアリズム」というラベルはどうでもよいのだと思います。
そして、これもまたシルバーバーチの受け売りですが、「スピリチュアリズムとは自然の法則である」と思っています。

「分かちあい、支えあい」による相互扶助こそが、本来の自然の法則なのだと私は信じます。
そんな理屈すらどうでもよくて、「ドネーションシップ」の会費が、今日を生きることさえ困難な状況に置かれている人々の役に立ち、会員はドネーションシップのサイトの中での交流で、そして実際においても善意と良心でつながりさらにそれを大きく確かなものにしていける。
個人個人の思想や信条はそれとして尊重しあいながらもそれを越えて善意と良心でつながり、自分を役立てていけるゆるやかなネットワークって、すばらしいですね!

名も財も持たない庶民が始めることですから、これからも幾つもの難問を越えていかねばならないでしょう。
実際、サイトの制作費(約100万円)の捻出にすら難儀しながらのスタートですからね(笑)

しかし、名も財も持たず、それらを自分に集めようともしない庶民であるからこそ、本当のものを作っていけるのかもしれません。
私もお金の余裕のないなかでヒーリングの働きをさせていただいている身ですが、自分のできるところでできる限りの協力をさせていただきます。
このネットワークの理念と活動が、多様な形で世界中に広がっていくことが私の夢になりました。

昨夜、大きな美しい魚がたくさん獲れた夢を見ました。
私と克が腰まで海に入って魚を獲り、それを運ぶ人、調理する人などもいて、私たちが海から上がった時には大勢の人々がその魚を主材に暖かな陽の差す野外でパーティが始まっていました。

まるで夢のような夢でしたよ(笑)
頑張りましょう!

23/01/2007(火) 12:55:47

No.1524  がびぃ。=曜子
Re: <ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用
祐造さん&さきさん

いろいろとお疲れさまでした。そしてわたしの半ば強引な説得(独自ドメインとか専用サーバとか)を受け入れてくださってありがとうございました。
(ひとりっで突っ走って、ふと後ろを振り返ると誰もついて来ていないことが時々あります(汗;)それでも気にせずぶっちぎったりして・・・。)
その上慣れないことを強要したりもして(メールの設定とか)。おらおら〜って。
きっとお二人で手に手を取り合って子リスのように震えていらっしゃったことと思われます。そしてその結果ご夫婦の絆がより一層深まったことでしょう。^^
「簡単に作りますね」と言いつつもいただいたコンテンツ(中身)のすばらしさにつられて、やる気満々だったのですが、「懲りすぎて疲れてしまわないようにね」とメールをいただいた時にはドキッとしました。「ばれてる!」って。
でも、サイトのデザインの出来ばえは才能の問題なので置いとかさしていただいて(汗)、それでも気合の入ってないものって何にせよぱっと見て伝わってしまうと思うのです。人類皆兄弟ですから。
真剣かそうでないかって。
そして、私が気持ちよくテンポよく作業できるように心を砕いてくださってありがとうございました。見習いどころ満載でした。
それから私は、「仲間」とか「共同作業」とか苦手だったのですが(つっぱしり系なので)、今回はとても楽しかったです。(自分が自分にかけたプレッシャーも含め)
それから、仲間に入れてくださって嬉しかったです。「もう仲間やん」って言ってくださったことも。
皆でひとつのものを作るってすばらしいことなのですね。
学び多き時間でした☆

飯沼さん
なんだか縁起のいい、心躍るような夢を見られたのですね。わたしまでウキウキしました。^^

私事ですが、先日伯父が他界しましてお通夜とお葬式に出席しました。
以前なら、お通夜で疲れ果ててしまって、焼き場には行けずにお留守番だったのですが(朝起きたら、善意のおいてきぼりで、家に人っ子一人いなかったという。)、今回は気を強くもてたので最後まで疲れることなく参加しました。

私はつい最近まで、死ぬことをよく考えていました。
生きるか死ぬかではなく、どんな手段で死のうかと。

骨になった伯父を少しひるみつつも見つめながら、そしてそれをお箸で拾う母の背中を見ながら、「どんなことがあっても、母にわたしの骨を拾わすようなことをしてはならない」と強く意思しました。

これからもいろんなことがあるでしょう。
でもいくら心が弱いったって爆発たまご(=電子レンジでゆで卵を作ろうとすると、電子は物の中核から熱するので、固まる前に爆発する様)にはならないんだからそれを認識するようになっただけでも第一段階クリアとしよう。それで、次、第二段階どうするか。って余裕が見え隠れし出して。(主に‘隠れ’の方多めで。)
いたたまれないほどの失敗をいっぱいして、立ち直れないほどの恥をかいて、消えてしまいたいほどの失言をしてCENSOREDって思うでしょう。
でも、それでもその度に自分は大丈夫だろう。と思えるようになって来たんです。以前は「絶対大丈夫じゃない!自分のプライドが砕ける時は死ぬしかない!(全く自己中心的ですな!)」って決め付けていたから、恐怖ばかりが膨らんで逃げてばかりでした。その結果、一番失いたくなかったはず物を失ってしまうのです。(パターン化してましたな。)自分も人も信じてなかったし、尊敬もしてなかったですし。
でも今なら、失敗するごとに、正面から向き合う勇気が増えていくんだと信じられます。それが生きていくということなのですね。(おおげさ?)
恐怖と不安のみで頭がいっぱいになると、「自分がまねいたって思いたくない!時間よもっと早く過ぎて!早く過去になって!」って念じる以外できなかたけれど、そこに少しでも勇気と自信が加わると、そういった波が来るたびに(人から見るとたいしたことない波だそうですが、私にとっては津波クラス。)、「あっまた同じ波がきた、自分は今度はどうするかな」とまるで映画を観ているような感覚になれたり、「前反省したとおりにするんだぞ、自分よ!」と少し気持ちの余裕をもてたり。失敗しても、「次はこんな風にしてみよう」とか。じっくり時間とも自分とも向き合えるようになったようなないような。
そういうことがお葬式に最後まで参加できる強さをもたらしてくれたのだと思います。

こんな私ですが、今後ともよろしくお願いします。m(__)m

23/01/2007(火) 22:09:26

No.1529  さき ホームページ
Re: <ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用
☆みーじゅさん
応援ありがとうございます。
発送作業をしている時に、今回のパンフレットが同封した「天地悠々」が第111号(しかも1月号)だと知りました。新たなはじまりにふさわしいですよね。
リーフレット、パンフレットも楽しみにしていて下さいね。

☆飯沼さん
夢のような夢!!嬉しいです。頑張りま〜す。

☆がびぃさん
かさねて、ありがとうございました。がびぃさんとの共同作業、楽しかったですよ。「信頼性のあるサイトをつくりたい!」という熱い思いが伝わってきてすごく嬉しかったです。
これからも共同作業していこうね。色んなことがあっても、やっぱり仲間がいたからこそ、仲間がいるからこそ、今の自分があるって思ってます。

24/01/2007(水) 01:50:46

No.1534  飯沼 E-mail
Re: <ドネーションシップ わかちあい>準備会より 引用
☆がびぃ=曜子さん

>それでも気合の入ってないものって何にせよぱっと見て伝わってしまうと思うのです。人類皆兄弟ですから。
真剣かそうでないかって。<

これは本当にそうですよね。
そこを伝えられるかどうかが全てだと思います。
その意味でも準備会のサイト、いいですね。
改めて、ありがとうね。
元気で生きのいい曜子さんが嬉しいです。

25/01/2007(木) 00:09:34


No.1527 鉄ママ  
課題 引用
鉄の前世は、鎌倉時代の武士だそうです。初めてのカウンセリングの時に、堀江さんが教えてくれました。
武士になりたくて転職したらしいです。家族をとても愛していた彼は、戦いで人を斬るとき「この人にも愛する家族がいるだろうに・・・」と苦しんだそうです。
たくさんの人が傷つき、苦しむ戦。おかしい!やめよう!と声をあげるべきだったのに、できなかった。
鉄の課題は、おかしい事はおかしい。間違っている事は間違ってる。と言動していく事だということです。
まさに、、といった出来事にぶつかりました。
彼の中にある 力 に対する執着。私は、何が本当の強さか? と言いつづけてきました。
今日ふと、堀江さんの言葉を思い出し、妙に納得しました。
今週の定例会に鉄と参加させていただきます。よろしくお願いします。

24/01/2007(水) 00:28:42


No.1528  飯沼 E-mail
Re: 課題 引用
☆鉄ママさん、こんばんは。

そうでしたか?
私はすっかり忘れていました。
克が誰かの過去世の情報を伝える時は、その人の過去世での民族や国籍や職業などに重心があるのではなく、その情報を知ることによって今回の人生の目的や課題をクリアしていくためでした。
鉄クンへの過去世の情報も役に立つ機会を迎えたということですね。
鎌倉時代初期には頼朝の奥州征伐が最大の言いがかり的戦いですが、小規模ながら他にも理不尽な戦がかなりあったようです。
鉄クンはその頃の人だったのかな?
もっとも、その後にも地上に生まれていた可能性は十分にあるのですが、鎌倉時代の過去世の情報を伝えたのにも理由はあるのでしょうね。
私には思い当たることがありますが、まあ、これは関係のない話ですから。

定例会の2部で彼と話してみます。

24/01/2007(水) 00:53:05


No.1499 のりぴー  
こんばんは。 引用
去年の年末から今年にかけての出来事です。
よければ読んでください。
飯沼さんに送信したメールを転載させてもらいます。(少しだけ直しています。今年になってすぐに書き、昨日送信したので年始の挨拶が入っていましたすみません。)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ヒーリングしていただいているおかげか、
母は、なんだかすごく元気です。私の思い込みかもしれませんが、こんなにいつも笑っていたのかな?
と思います。母がすごく輝いてみえます。いつもうっとうしく思っていたのに何だか変な感じです。
去年のくれにちょっとした出来事がありました。
ちょうど、飯沼さんにヒーリングを始めていただく予定の日でした。
母は、落ち込んでいたので心配でした。(私は、気がすすまなかったけれど、友達とご飯に行きました。帰りに友達が手袋を貸してくれました。そのことが、なんでこんなにうれしいの?と思えるくらいに変な感じがしました。)
今年に入ってからもなんだか気が付く事がありました。
母と父は、こんなに仲がよかったんだ・・・親も私も歳をとったんだないつか離れるんだな・・・ああ、あんなに馬鹿にしていた弟が・・・
体中が震えそうでどうかなりそうでした。
何の涙か分からないけれど溢れてきてどうしょうもありませんでした。
母の事が、大好きなのだと分かりました。
(小学生1年の時に学校へ行きたくなくて、学校を休みました。母の側に居れる事が嬉しくてたまりませんでした。)
今、前までとは違う感じの自分にとまどっていて、苦しいです。
もっと素直に甘えていればよかった・・・
少しずつ素直になりたいです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

読んでいただいてありがとうございます。

19/01/2007(金) 02:00:39


No.1511  飯沼 E-mail
Re: こんばんは。 引用
☆のりぴーさん

こんにちは。
先日は久しぶりに電話で話せて嬉しかったです。
依然とは比べ物にならないほどにあなたの嬉しい輝きが声にも表れていましたよ。
「人の嬉しいかをを見るのが嬉しい」というあなたの言葉に私も嬉しくなりました。

今年は定例会でお会いできそうですね。
楽しみにしています。

21/01/2007(日) 12:48:59

No.1518  のりぴー
こんばんは。 引用
先日は、お話聞いていただいてありがとうございます。
おしゃべりですいません。恥ずかしいです・・・
つい力が入ってしまって・・・
飯沼さんは、声が穏やかで話しやすかったです。
父もこんな風に話を聞いてくれたらな〜って思ってしまいました。
今日、父にちょっと相談をしたんですが、ポンって返されてどしっときました。息切れしそうでした・・・。
自分で自分を認めてあげることができなくて、誰かに認めてもらいたかったんです。
特に父や祖母にはどうやったら認めてもらえるかな〜って思ってたような気がします。
でも、これは疲れてしまいます。

22/01/2007(月) 22:57:38


No.1513 飯沼  E-mail
愛は時空を越えて 25 引用
  

愛は時空を越えて 25

      ――  霊界の克との対話  ――


飯沼) おぅい、クゥ。
こんにちは。
またまた締め切り前日の受信だけど、今日もよろしく。

克子) はぁい、まーたん、こんにちは。
こちらこそ、よろしく。

飯) 今日は「CENSOREDについて」ということなんだよね?
最近は子供のCENSOREDが頻繁に報道されているからね。
年間3万人以上の人が自ら地上生命を絶つという現状からすれば、CENSOREDは誰にとっても他人事ではなくなってきていると思うんだ。
経済的な理由でCENSOREDする人の数は、交通事故死者数を上回っている。
これは大変なことだろう?

克) そうですね。
確かに大きな問題です。
交通事故の死者が3万人にもなれば、放置できない社会問題になるのでしょうが、CENSOREDに関してはやはり個人の問題に帰結されてしまう傾向が強いようですね。
しかし社会のありようと個人はいつもつながっています。
この問題は、「戦争がなければ戦死者はいない」というほど単純なことではありませんが、それでも全てを個人の問題に帰してしまうのはやはり偏った見方ですね。
社会の閉塞状況やそこからくる希望のなさ、抑圧感などのエネルギーが個人に大きく影響しているのです。
鬱傾向の人が急増していることも同じ理由からです。

話は逸れますが、社会の閉塞感・抑圧感はさまざまなスケールでの「いじめ」の元になっているのですし、過剰な自己存在のアピールや他国・他者に対する無理解や排除、否定につながっているのです。

飯) 全体と個はいつも重なり、つながっているんだから、CENSOREDについても社会の状況と無縁であるはずはないよね。
社会の仕組みや歪みが弱い立場の人たちや、弱さを抱える人たちをさらに追い詰めていくのだと思う。
その意味では社会のありようやどんな社会に向かおうとしていくのかは、きわめて個人的事象のように見える「CENSORED」とも深くつながっているのは間違いないね。
まあ、そうではあるんだけど、ここでは個人のレベルで「CENSORED」について取り上げてくれるかい。
霊的な視点からも、「CENSOREDは絶対にしてはならない」ということを確認しておきたいんだ。

克) そうですね。
分かりました。
その前に、つい最近の件の人のことについてお伝えしておきます。
昨夜、さきさんとあなたとで彼を苦しい状況から抜け出させ、休眠状態に救いあげたことはこちらからの計らいでした。
ここで詳しくは述べませんが、彼は地上を去ってからすぐに激しい後悔の念に襲われ続けました。
もともとは善良で正義感も強く、優しい人柄でしたから、これ以上あの状態においておくことで彼の魂の傷はさらに深くなるという判断で、あなた方に彼の救済を試みていただくことになったのです。
CENSORED後のさまざまな苦しみは、自分が選んだ行為の埋め合わせではありますが、だからといって何も考えられない苦しみの中で、何も分からずにただ苦しみ続けることが全てではありません。
苦しみが鎮まった後に十分な休息をとり(休眠)、目覚めてから自分のしてしまったことについて正面から向き合うことにこそ意味があるのです。
CENSORED後の苦しみと混乱は本人にとっても好ましいものではありませんし、地上界の想念エネルギーにも悪影響を及ぼすものです。

CENSORED者の中には何年、何十年と混乱と苦悶の状況に置かれ続ける人も少なくありませんが、彼らにも救いの手は差し伸べられるべきなのです。
そうは言っても、やはり自分の苦しみに囚われたままで、霊的ヒーラーの呼びかけやエネルギーに反応できない状態の者もいます。
地上の人間でも我を失うほどの狂乱状態にあれば、どんな呼びかけにも反応できない場合があるのと同じです。
それはそれで時期が来るまでは致し方ないのですが、注がれたエネルギーは無駄にはならず、わずかに心が落ち着きかけた隙にすかさずその人の心に届くのです。
その一条の光によって、さらに大きな光につながることができて休眠に移行できる者もいますし、再び混乱に飲み込まれていく者もいます。
それを何度も何度も繰り返さなければ混乱状態から脱することのできない者もいるのです。

幸いにして彼の場合はあなた方の愛念につながることができました。
もちろん休眠から目覚めて再び混乱状態がぶり返す可能性がゼロではありませんが、おそらくは大丈夫でしょう。
あの状況の中でよくやってくれました。
さきさんにとってはまさに初仕事になりました。
迷える死者、混乱のなかでもがき苦しむ死者を救済することは、原理的には誰にでもできるのですが、実際はやはり素質のある者が経験や研鑽を積んでその任にあたる方が効果的です。
それも自称霊能者なら誰でもよいというわけではなく、毅然たる摂理のエネルギーに裏打ちされた深い慈しみのエネルギーが不可欠です。
「これからの働きに期待していますよ。私がついているからね」と伝えてくださいね。

飯) ほい、了解ですよ。
昨夜のさきさんの様子は、お前が自分のオーラに憑依霊を呼び寄せて暗い境涯から救い出す時と全く同じだった。
真夜中に、「自分はなんてことをしたんだ。戻りたい、戻りたい」って泣き叫び出したからちょっと大変だったけどね。
でも、彼はもともと善良な人だったようだし、混乱状態を脱することができたのなら本当によかったと思う。
とにかく今はゆっくり心を休めて、本来の彼の心を取り戻してほしいと願うよ。

克) 本当にそうですね。
次に目覚めた時には家族の方々への申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになるはずです。
その気持ちを抱いて自分のしてしまったことや自分の人生を辿りなおすのですから、それは本人にとっては決して楽なことではありません。
感情の坩堝(るつぼ)の混乱というのも苦しいものではありますが、それは一種の逃げでもあります。
冷静さを取り戻した後で、自分の過ちを振り返り、sの状況の中で本当は自分はどうするべきだったのか、いかに自分が愛されていたかを確認していく作業こそが大切なのです。
その時は自分の感情ではなく、人として、霊としての良心の呵責に苛まれながら、ひとつひとつを辿りなおすことになるでしょう。
それは本当に、実に大変な作業です。
どのような形で地上を離れたとしても、多かれ少なかれ同じ作業を経て、本来の霊界に戻ることになるのですが・・・。

もちろん、CENSOREDの動機によって良心の痛みもずいぶん違ってくるのですよ。
なかには自分を犠牲にして誰かを守りたいという動機での場合もあるでしょうし、愛する者たちに負担をかけないためにとか、自分の過ちの責任を取ってということもありますからね。
それら、相手を思う動機の場合と、自分の責任回避や困難や辛さからの逃げの行為が同じ扱いを受けるはずはありません。
しかし、いずれにしてもCENSOREDには逃げの要素が含まれているのですし、もしもそうではない場合があったとしても生命を自ら絶つという行為は大きな過ちです。

「良心の痛み」「神の子としての道に反した行為への痛み」というものは、地上の人間にはなかなか想像できないかもしれませんが、それは言葉では言い表しようのないほどのものなのです。
全てのCENSORED者は必ずその行為を深く後悔することになるのです。
CENSORED者が本来の霊界に戻るまでにどれほどの良心の痛みを味わうかを知っていれば、どんな状況に置かれても誰も絶対にCENSOREDなどしないでしょう。
今一度、声を大きくしてお伝えいたします。
どんなことがあっても絶対にCENSOREDなどしてはなりません。
これほど無駄で罪深い行為はないのだと知っておいてください。
地上では「死ぬのが恐いからCENSOREDもできない」という人がいますが、「CENSOREDした後のほうがよほど恐いのです」とお伝えしておきます。

愛する人がそうしてしまった人には辛い話ですが、これは事実ですからどうしようもありません。
どうぞ衝撃と悲しみを越えて、幸せに向かって胸を張って進んでいっていただきたく思います。
CENSORED者が死後に辿る道を知っているなら、CENSOREDなどできないはずなのです。
CENSOREDしてしまった人に対しては限りない慈しみの愛念を送り、その人が早く混乱状態を脱することができるように援助してあげていただきたいのです。
どんな人にも必ず救いはもたらされます。
それが救いというものです。
それもまたその人の心の状態次第なのですが、慈しみの念と祈りはその人が真っ当な心を取り戻す手助けになるのです。

たとえ本来の霊界に戻ることができたとしても、CENSOREDはもちろん大きな負のカルマとして残ります。
やがて埋め合わせのために地上に再生した人生では、必ず「もう死んだ方がマシだ」と思うような状況がもたらされることになるのです。
あるいは、自分の愛する人に突然に他界される悲しみを味わうことになるのです。
それらを越えて地上に生きていくことが人生の大きな課題になるのだと心得ておいてください。(もちろん、そういう思いをする人の全てが過去世でCENSOREDをしたという意味ではありませんよ)
逃げようとしたことからは逃げられず、必ず向き合うことになるのですし、それができない間は平安な状態はありえません。
さらに逃げる前よりも大きな負荷を背負うのですから、CENSOREDほど割に合わない行為はないと断言いたします。

飯) ありがとう。
全くその通りだと思う。
個人の意志と共に、ひとりひとりが追い詰められることなく、困難を越えて生きようとする意欲の持てる人間関係や社会を築き上げていくことも不可欠だと思う。

ちょっと質問したいんだけど、霊は人間として地上に赴く前に、今回の自分の人生のプログラムを大枠で決めて生まれるというよね。
自分の死ぬ時期についてもほとんどの人が魂のところでは把握しているって。
CENSOREDの場合はどうなのだろう?
もちろん人間には自由意志が与えられているから、CENSOREDというものは全く以ってその人の誤った自由意志の行使ということになると思うんだけど。

克) その通りですよ。
CENSOREDすることを決めて“個霊が”地上に赴くことはありません。
ただ、「死ぬしかない。死んだほうがマシ。苦しくて生きていけない」という思いを越えて真っ当に生きるということを課題にして生まれる人は少なからずいます。

飯) でも、子供はどんな親のもとに生まれるかも選んだ上で地上に生まれるんだろう?
そうなると、子供が幼い頃に親がCENSOREDしてしまった場合はどう理解すればいいのかな?
親のCENSOREDはその子にとっては突発事態なのに、親が早く他界することも想定してその子は生まれてきたってことになるの?
「偶然はなくて全てが必然」だとしたら、親の誤った自由意志の行使によるCENSOREDも「必然」ということになってしまうだろう?
つまり、「その人はCENSOREDすることになっていた」ということになってしまうんじゃないか?

克) CENSOREDが必然などということはありません。
あくまで本人の誤った自由意志の行使です。
でも、前にも伝えたように、ある次元(この場合は個霊の意識のレベル)においては完全に自由意志の範疇であっても、その自由意志もさらに高次元の意識における摂理・法則に規定されているのです。
摂理・法則は重層的に織り成されているものだからこそ、全ては摂理のなかなのです。
「摂理の奥にもまた摂理がある」とはそういうことです。
その仕組みを地上の言葉で説明することはできません。
たとえ表現できたとしても、ほとんどの地上の人間には理解できないでしょうから、役に立つ情報にはならないでしょう。
あなたもこの質問を「検証者」としての立場から出したまでのことですから、ここではこの説明で収めてくださいね。

飯) はいよ。
僕もそのほうがいいと思いながらの質問だった。
ただ、論理的矛盾とも思える事柄について何も言及しないのはよくないかなと思って聞いたことだから。
ありがとうね。
今日はそろそろこの辺で。

克) はーい、まーたん、またね。
いつもお疲れさま。
そして、いろいろありがとうね。
いつも傍にいて一緒に働いていますよ。
疲れた時こそ私を思ってね。

(2007・1・19)

21/01/2007(日) 12:59:18


No.1517  ひろこ
Re: 愛は時空を越えて 25 引用
今朝、庭で咲いてた花を机に飾り彼女を思い掲示板を開いたら、「愛は時空を越えて」がありました。
飯沼さん、克子さん、さきさん、祐造さんお疲れ様でした。
一気に読みました。
明子とこの事の意味がやっと理解出来たのが一昨日でした。唯々驚き、悲しく、残された方々の顔を思い浮かべて心で抱きしめる事しか今の私にはできません。どうか、どうか皆さんの幸せを毎日祈り続けていますとお伝え下さい。

飯沼さんや、さきさんのような力があればと残念ですが、自分に出来る事を周りの多くの人に伝えていければと思っています。

21/01/2007(日) 16:08:10


No.1505 すみ ホームページ 
スピリティズムによる福音 引用
スピリチュアリズムの大きな流れの中で、18世紀にフランスで生まれ、今日も世界の様々な国で受け継がれているアラン・カルデックの提唱した「スピリティズム」について、日本で勉強会などを行っております。
このたび、「スピリティズムによる福音」という人間のモラルについて霊達の指導をもとに記されたアラン・カルデックの著書を日本語訳いたしました。幻冬舎ルネッサンスより発売されております。
(ISBN4−7790−0102−1)
死後の世界の研究や現象面、霊界の研究ばかりに目をむけるのではなく、本来の人間としてどう生きるべきか、という部分に的を絞り解説しています。イエス・キリストもスピリチュアリズムで同じように、再生(リインカーネイション)について教えた上で、道徳的な教えを説いているという内容のものです。是非、皆様も一度ご一読下さい。

20/01/2007(土) 21:51:06


No.1506  ここ ホームページ
Re: スピリティズムによる福音 引用
すみさん。
ご無沙汰しています。
いづれ近いうちに読ませていただこうと思っています。
すばらしい知識を理解できるように表現していただきまして有り難うございます。

21/01/2007(日) 00:45:46

No.1512  飯沼 E-mail
Re: スピリティズムによる福音 引用
☆すみさん

はじめまして。
ご投稿ありがとうございました。

そちらのサイトは、共感を持って時々訪問させていただいていました。
こうしてつながれたことをとても嬉しく思います。

「スピリティズムによる福音」(幻冬舎ルネッサンス)、早速取り寄せて読ませていただきます。

21/01/2007(日) 12:54:39


No.1503 yuka  
カピパットさん・飯沼さん、有難うございました(・0・)/ 引用
*カピパットさん、<飯沼さんはもう私のパソコンの理解がまだまだ不足している事をご存知ですが(・・;)> すぐに返信をさせていただいたのですが・・・飯沼さんの封筒のマーク?だったでしょうか・・?に返信。掲示板にはありませんでした。まだ、分かりませんが・・初めての返信。感激と何だか一人じゃないという・・・勇気を頂きました。   
I appreciate it.
         

19/01/2007(金) 22:13:25


No.1510  飯沼 E-mail
Re: カピパットさん・飯沼さん、有難うございました(・0・)/ 引用
☆yukaさん

こんにちは。
実はまだyukaさんがどなたなのか分からないのですが、掲示板へのご参加ありがとうございます。
書き込みもはじめは大変ですが、慣れればどうってことないものですから、これからもどうぞご参加くださいね。

21/01/2007(日) 12:43:51


No.1454 飯沼  E-mail
地震・・・ 引用

この2〜3日で、震度2以上の地震が9件ありました。
しかも震源地は北海道から九州まであちこちに散らばっています。
こういうことはさほど珍しくはないのかもしれませんし、これが大地震の予兆というわけではないにしても、どうもこの揺れ方は気になります。
比較的長いスパンでの話ですが、何かが動き始めているような気がしてならないのです。
といっても不安を煽るつもりではありません。

地上界が大きな変化の時期を迎えているのは間違いなさそうですから、自分の気持ちへの囚われを薄くして、地に足をつけて、なすべきことをしていくまでです。

ひとりひとりがもう一段階ずつ霊性を高め、全ての人が喜びのなかで新しい地上界の幕開けを迎えることができますように。
自分も人も、皆が幸せになるように、私たちひとりひとりが霊力の通路となることができますように。

そう祈らずにはいられません。

11/01/2007(木) 01:33:24


No.1460  ここ ホームページ
Re: 地震・・・ 引用
日本は地震が多い国・・私は恥ずかしながら気にしていませんでした^^;
意味があるとすれば・・何でしょう?
地球が活動し表面の部分が活動する事で破片の境目にエネルギーがたまります。
活動自体が盛んになっているのでしょうか?けれど、そういう記事は最近見かけませんでした。
活動は同じだけど、エネルギーを蓄積しすぎないで適度に開放しているのか?そうすれば、地震の被害はとても少なくなるでしょう。
けれど、小さな地震で開放されたエネルギーが開放されにくい歪みに偏って蓄積されることで各地のエネルギーが開放されにくい部分に集中して貯まります。それらは重責すれば大きいエネルギーかも?
私は仕事で医療に携わっていますが、身体の異常は何らかのメッセージの反映のように最近感じて時々考えます。
同じ状態で同じ治療をしても反応が全く違います。意識不明の重篤な方が治療の90分後には普通に会話しているかと思えば、ほんの半日前まで笑っておられた方が亡くなられる・・。
地球の活動にも同じ事がいえるのでしょうか?

12/01/2007(金) 00:31:09

No.1461  飯沼 E-mail
Re: 地震・・・ 引用

☆ここさん、皆さんへ

あ、地震に関しては私が「どうも気になる」ということに過ぎません。
日本は確かに地震の多い国で、震度1とか2の地震は毎日数回は起きているようです。
ただ、2日あまりの間に震度2以上の(余震ではない)地震が9回も起きるという、その偏りはちょっと気になるところです。

地震でも病でも、あらゆる現象は幾つものラインからの意味を持っているのだと思います。
このあたりのことを書き始めるととてつもなく長くなってしまいそうです。

さっき、ふと思い立って、10年位前に書いてその後「天地悠々」に連載した「癒しの講座」を少し読み返してみました。
まだ堀江が霊界からのメッセージをまとまった形では受信していなかった頃の私の文章です。
数年前にもまゆみさんが掲示板に掲載してくれたのですが、もう一度掲示板への掲載を始めようと思いました。
昔の文章なのでかなり荒削りの部分が気になるのですが、基本的なことは表現できていると思います。
読み返してみると、今、私たちがしていること、しようとしていることに改めて納得できました。

「天地悠々」に掲載したのは、その頃に私が書いたものの一部でした。
残りの原稿もどこかにあるはずなので、一度探して読んでみたくなりました。
でも、どこにあるのだろう・・・?

13/01/2007(土) 00:04:38

No.1463  ここ ホームページ
Re: 地震・・・ 引用
先ほど、温暖化と地震という言葉が浮かんで気になり少し調べていました。

大気の温度が上がると、大陸のプレートの移動速度が速くなり、自転も早くなり、地磁気も強くなるそうです。海水の活動にも刺激を与えます。
結果、地球規模で地震が多発するようになるようなのです。

温暖化、何とかしたいですね。
炭酸ガスでエネルギーが作れたらなぁ。

13/01/2007(土) 01:10:13

No.1494  ここ ホームページ
Re: 地震・・・ 引用
飯沼さんこんにちは。
やはりどうも・・地震が気になるのです。
それに、地震と数々の悪いニュースがオーバーラップするのです。
別のものと考えられないのです。
関わりを感じます。
いつも通りの生活を続けていていいのか・・と焦りのような感覚もあるのです。
凡人の戯言かもしれませんが・・。

18/01/2007(木) 02:22:00

No.1495  飯沼 E-mail
Re: 地震・・・ 引用
☆ここさん

こんにちは。
そう言えば、私が地震のことについて書いた後(13日)に、千島列島でM8.2の巨大地震があったそうですね。
日本各地にも津波警報が発令されたそうです。

昨日の夢のなかでの話ですが、私が地震を察知したのは「川の異変と地すべり」からでした。(あくまで夢の話です・笑)

地球という一個の生命体にとっては人類というのは細菌やウイルスのような存在なのかもしれませんね。
数千年の長きにわたって人類が発し続けてきた毒素や情報(想念)は、地球という生命体にも影響を及ぼさずにはいないでしょう。
地球がひとつの生命体であれば、蓄積されたその毒素や情報(想念)に対して、何らかの反応を発現するのは当然だろうと思います。

私にヒーリングの力が出始めた頃から、その地球浄化の時期が近づいているように感じてきました。
というよりも、根拠もないのに確信として感じられてきたのです。

書き込みを通dける時間がなくなったのでまたいずれということにしますが、天変地異を怖れるのではなく、人類が人として真っ当に生きていくことが結果的に人類の大きな厄難を回避して、新しい地球にふさわしい人類としての道を拓くことになるのだと思います。

中途半端な返信ですみません。

18/01/2007(木) 13:29:54

No.1498  ここ ホームページ
Re: 地震・・・ 引用
天変地異を怖れるのではなく、人類が人として真っ当に生きていくこと・・
同感です(^o^)
わたしも、地震そのものに不安を抱いていると言うよりは、それを起こすほど不調和な行為を人類が続けていて、それに歯止めがかかりにくくなっていることについて焦りを感じているのです。
けれど、頻繁に頭に浮かぶ「焦らないで」、「焦ってはいけないんですよ」という言葉でその焦りもあまり強くなりすぎないで抑えられています。

世界中がシーフードブームで人口の多い中国が財力をましてそれに追い打ちをかけている・・といった記事を最近新聞で目にしました。魚の数は限られています。世界中が財力に物を言わせてマグロを取り合い・・おかしな話です。食べようとする人数が増えても限りのある特定の食材の量をおさえようとはしません。それぞれが無限に欲の限り確保し続けようとします。結果、その種が滅びかけてから慌ててルールをつくることになります。確保できない人のことや滅びかけている種の事、他の生態系への影響にはなぜこれほどまでに無関心なのでしょう・・。
動物実験や、毛皮のはぎ取り、食材としての高等動物の大量殺戮の問題・・それらも、動物たちの気持ちを考えるととても辛い。
環境破壊がいやなのに生活のすべてがあまりに環境破壊に繋がるものばかりです。やめようと思えば今の生活は出来ません・・。
世界連邦は当初の計画で2013年に成立するように計画されています。
世界連邦の仕組みでは、地球上のすべてのものは所有者がありません。平等に借りる形になります。
災害が起きても失う家も車も土地も最初からないのです。
天災である国であったところがなくなっても、かつて他の国であった場所に引っ越すだけです。
究極的にはお金自体があまり意味を持たない仕組みなのです。
すべての命が一繋がりだという考えの元、すべてのものは生活に必要な分だけ配分されるのです。
けれど、それには世界規模での人類の意識向上が必要なのです。利己的な意識では実現できない仕組みなのです。
早くそのような世界を実現したいですね・・(^_^)
(わたしも学びが足りません^^;・・自己研鑽に励みます)

19/01/2007(金) 01:44:56

No.1504  ここ ホームページ
訂正<(_ _)> 引用
すみません。
2013年は設立条約に加盟した国で設立連合を結成する予定の年でした。
世界連邦の設立は2020年頃を予定されており、その後世界憲法にに基づいて世界の問題の処理を始めるように計画されています。
訂正します。

20/01/2007(土) 00:27:52

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