今年もここへこさせてください。 どうぞよろしくお願いします。 |
09/01/2007(火) 22:47:02
No.1450 飯沼 |
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☆のりぴーさん、KIKUCHIさん、すなめりさん、カピさん、みなさまへ
おめでとうございます。 今年もよろしくお願いしますね。 今年は定例会にも来れるといいですね。 でも、焦らずにやっていきましょう。
「ドネーションシィップ」のサイトももうすぐできるのでそちらにも来てみてくださいね。
ここさんも書いておられるように、「私自身や周囲の人間性などが別に急に変わったわけでもないのに視点が変わっただけでとても楽になるという事に気がついたのです」というようなことは実際にあるのです。
私はこのお正月に皆さんとバスで出雲に行きました。 出雲へは堀江と何十回も車で行ったので、風景のいたるところに思い出が残っています。 本当になんでもない建物や高速道路の標識を見ても、そのときに交わした言葉やふたりの雰囲気が甦ってくるのです。 昨年のお正月や夏に出雲に行ったときには、車のなかで何度も涙が流れました。 ところがバスで行くと、車とは目の高さがかなり違うのですよね。 それだけのことで、目に入る風景はずいぶん違っていました。 同じ道を走っているのに、感情を刺激しないのです。
そんなふうに、状況や環境は同じでも、視点の違い・視座の違いによって受け止め方や思い方も大きく変わる場合もあるのですよ。 今まで地を這うようにひとつひとつに引っ掛かっていた自分の気持ちが、なんだかウソのようになることだってあるのです。
克は『自分が本当に幸せになりたいと願うのならば、自分の思いに囚われすぎず、好き嫌いにこだわりすぎず、自分よりも貧しい人たちの幸せを願い、実際に自分にできることをしていくことです。この場合の“貧しい”とは金銭・物質も心の貧しさも含みます。自分よりも寂しい人、苦しい人、病や不安を抱えている人、過ちやかげりを抱えている人・・・のことです。その人たちの幸せを願い、実際に何かしていくなかで、自分の幸せは後からついてくるのです。それでよいのです。霊的法則・真理とはそういうことなのです』と伝えてきています。
最初はそれほど乗り気にはなれなくても、自分のことを少し離れて、自分よりも困難な状況に置かれている人のために自分にできる何かをしていくことで、自分の思いからも解放されていくという道筋もあるのです。
もちろん強制するものではありませんが、あまり深く考えすぎずに「ドネーションシップ」にも参加してみませんか? 「自分の状態がもっと改善されてから」ではなく、「自分も苦しいけれど、もっと苦しい状況に置かれている人たちがいるのだから」という考え方は、自分の視点を変えていくことにもつながっていくのだと思いますよ。
☆すなめりさん
メールありがとうございます。 「自分の柄じゃないよ」と見せながら、でも温かい眼差しで勉強を教えているあなたの姿が目に浮かぶようです。 将来はまた別の道があるのかもしれないけど、今のすなめりさんには適職だと思うのですが、どうでしょうか? 定例会で会えるのを楽しみにしていますよ。 |
10/01/2007(水) 01:03:45
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No.1491 すなめり |
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お世話になっております。 せっかくのご好意の記なのに、返事が遅れて申し訳ありません。 どうも、最近、気持ちの整理がつかずでして・・・。 どう返事をお返し仕様かと・・・。
子供達には感謝しております。何より新鮮な気持ちにさせてくれるのですよね。「自分の柄じゃないよ」という態度は見せてないつもりですよ。しかし、私は塾の講師としては失格かも。
淡々と授業を行えば良いの筈なのに、どうしてもやっちゃう癖。 それは、生徒の疲れなどを感じた時の余談。多分、今の職場の中で、私が一番、余談を多くしています。
この子に関して言えば勉強なんてしない方が幸せに生きられるのじゃないか? なんて、思ってしまう悪い癖を抑えながらの授業も有ったりです。
そして、私は思うのです。コレは単なるお節介であり、独り相撲じゃないかと。
その繋がりから、自分の過去を振り返るのです。
自分は今まで何をして生きてきたのか?。 その時、その時、人に気を配ったつもりだが、結果、自分の回りの人も、自分も不幸にしてしまった。 結局、私の生き方は、自分の一人よがりで、結果として人を不幸に陥れてきたじゃないか。 その時、その時は、精一杯の誠意で人に接したきたつもりでも、そんなの続きやしないし、実際、続かなかった。 実は、相手は、自分の誠意など望んでいなくて、完全に自己満足の世界で生きてきたのでは?。 もしかしたら、自分が自分に望む態度を誰かに押しつけがましく要求していて、その様子に誰かが仕方なく付き合ってくれて居ただけかも?。 もしかしたら、自分の様なヤツが一番に質が悪いヤツかも・・・?。 なんて心が痛んだりもするわけです。まぁ、私は相変わらずです。
話しは変わりますが、経済的事情で、定例会参加は、いつになることやら・・・。でも、人は会わなきゃ駄目ですよね。インターネットの世界の怖さは、どれだけ連絡を密にしても、その人の10%も分かり得れない筈なのに、どんどん、その人のイメージを自分でつくりあげて、その人を分かった気に成ってしまう事と聞きました。
本当にご迷惑ばかりかけて申し訳ありません。反省の毎日です。 |
17/01/2007(水) 14:31:13
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No.1492 すなめり |
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場の空気を暗くして申し訳ありません。 子供たちが、どれだけの可能性を持っているか?。塾の講師というのは、そういう発見や、その時の喜びもあるのだと分かりました。
英語がサッパリだった子に、筆記体でスラスラっと書いてみせたのですね。「格好いい!」と目を輝かせました。「先生、宿題の場所、それで書いてぇ」と自分から宿題を希望したのです。この子のやる気を出させる方法は、こんな些細の事だったのか・・。と発見、感心したり、
受験目前の子に「親にも学校の先生にも言えない悩みとか不安とかある?。あったら俺に言って」と聞いたら、「面接でイジメ問題とか。学園生活のこととか・・・と色々と聞かれるみたいで・・・」と自信なさげな不安な様子。「へーそーなんだ。他に聞かれそうな事は?。考えてみて」と、生徒から出てくる言葉を全て私が箇条書きにメモしていたら、そのメモを「先生それ欲しい」って言うのです。「なら、もっと綺麗に書いたのに、こんなんでいいの?」と聞いても、「うん」って持って帰ったのですね。その箇条書きに対して、返答を自分で作文してみることで問題解決だそうです。
そんな瞬間は、やはり嬉しいものです。 |
17/01/2007(水) 23:26:32
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No.1493 飯沼 |
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☆すなめりさん
>(削除) でも温かい眼差しで勉強を教えているあなたの姿が目に浮かぶようです。 将来はまた別の道があるのかもしれないけど、今のすなめりさんには適職だと思うのですが、どうでしょうか?<
きっとそうだと思っていましたよ。 うちのねねもお世話になりたいですよ、ほんとに(笑)
実は昨夜、地震と騒乱(戦乱)の夢をみていました。(阪神大震災のことはほとんど意識になくて、今日のニュースで思い出した程度だったのですが。) 何度も目が覚めたのに、眠るとまたその夢の続きが始まるのです。 予兆を感じた私たちが避難を勧めたのに間に合わず、地震に破壊された街で人々は争い続けていました。 そういう状況の中で私たちは必死に何かしているのですが、なかなか思うようにいかず、夢なのに重い疲れが残った一日でした。 |
18/01/2007(木) 01:33:02
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No.1496 ミュー |
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のりぴーさんの、スレッドに失礼いたします(#^.^#)。 すなめりさんが塾で子供達に信頼され、そこで導く嬉しさを実感されているご様子が伝わり、私も嬉しく思いました。 と言うのも、私達はこちらでもとても助けられ感謝しているのですが、昨年娘がいじめの事で深く傷つき悩んでいた時に、娘が通う塾の先生方達にも全てをお話しに行きました。 その時の利益を越えた温かい対応と励ましが、とても心に響いた事がありました。 その先生の中でも、いじめられた辛い経験のある方や、いじめを受け続け、成人した今でも心の傷で通院されている姉を想う先生のお話には涙が出ました。 あやかの望む夢を叶えるには、今の塾の科目やテストが出来ていても難しいので、塾の科目を減らすかこちらは辞めて、これからは、必要科目に専念した方が近道だと言う進路のアドバイスを真剣にしてくださいました。 それは、塾としての対応というよりは、ひとりの人としてこれからのあやかに沿ったアドバイスでした。 「音楽を支えにがんばっているあやかさんの夢を、是非叶えてあげてください。希望進学出来た時には、是非教えてください・・・待っています」という言葉がとても心に響きました。
こうした考えの先生の下で教わるから、子供達はそれぞれ目標達成の意志を固め、がんばってゆけるのだと思いました。 きっと、すなめりさんのこれまでの経験、考え方、感性は揺れ動く時代の多くの子供達にとって光になるのだと思います。 他の先生では伸び悩む個性の強い!?子供さん程、すなめり先生なら伸びていけるのではないでしょうか。 人との出会いは、本当にありがたい・・・すなめり先生から、違う角度で学ぶ楽しさや意欲を引き出してもらっている子供さんがいらっしゃるという事に、とてもそう思いました。 何だか嬉しいです。 すなめりさん、ありがとうございます。 |
18/01/2007(木) 20:36:18
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No.1497 飯沼 |
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☆のりぴーさん、yukaさん、他の皆さんも
メール、ありがとうございます。 よければ掲示板にも転載してくださいね。 |
18/01/2007(木) 20:49:08
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No.1500 すなめり |
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あのー、本当に、本当に、私は、そんなたいそうな人間ではないのですよ。
私は、愛情に恵まれなかった人間です。そんな人間が子に教える資格など無いと思うのですよ。
無い袖は振れないといいます。私は、無い袖を振らざるを得ない宿命の元に生まれました。それでも、無い袖を振ろうとして、しなければならないとして、したいとして生きてきた。結果、自分も、回りの人も不幸にしてしまった。
そして、今、再び無い袖を振って居るわけです。どっと疲れますよ。このまま私が続けることは、結果として、愛情の搾取に繋がると思うのです。だから、この仕事は、続けたくないと思っているのですよ。
子供達から新鮮な気持ちを頂いて、それに慣れてしまったら、さようならの詐欺師みたいなものかも・・・です。だから、先生と呼ばれることにすら違和感を覚えちゃうのですよ。愛情を搾取をしていないか?。身勝手な押し売りをしていないか?。・・・と、私の場合は、得に自己点検が必要なのです。
でもでも、ミューさん、お返事ありがとう。 ミューさんのお子さんは、幸せモノだなーっと思いました。 |
19/01/2007(金) 15:52:54
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