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No.1501 すなめり  
言葉の受け取り方について 引用
以前、飯沼さん、川口さん、みぃさん、私で、教育基本法改正の話しが箇々の掲示板で有りました。

その中の話しで、少し言葉の捉え方の行き違いが有ったのでは?と思っていました。うまく説明できなかったのですが、中日新聞の社説に良いヒントが有りました。一応、紹介まで。

○「公共」は国境を超える 週のはじめに考える「コモンズ」の悲劇とは(中日新聞社説)
 http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20070114/col_____sha_____000.shtml

19/01/2007(金) 16:20:39



No.1448 のりぴー  
明けましておめでとうございます! 引用
今年もここへこさせてください。
どうぞよろしくお願いします。

09/01/2007(火) 22:47:02


No.1450  飯沼 E-mail
Re: 明けましておめでとうございます! 引用

☆のりぴーさん、KIKUCHIさん、すなめりさん、カピさん、みなさまへ

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますね。
今年は定例会にも来れるといいですね。
でも、焦らずにやっていきましょう。

「ドネーションシィップ」のサイトももうすぐできるのでそちらにも来てみてくださいね。

ここさんも書いておられるように、「私自身や周囲の人間性などが別に急に変わったわけでもないのに視点が変わっただけでとても楽になるという事に気がついたのです」というようなことは実際にあるのです。

私はこのお正月に皆さんとバスで出雲に行きました。
出雲へは堀江と何十回も車で行ったので、風景のいたるところに思い出が残っています。
本当になんでもない建物や高速道路の標識を見ても、そのときに交わした言葉やふたりの雰囲気が甦ってくるのです。
昨年のお正月や夏に出雲に行ったときには、車のなかで何度も涙が流れました。
ところがバスで行くと、車とは目の高さがかなり違うのですよね。
それだけのことで、目に入る風景はずいぶん違っていました。
同じ道を走っているのに、感情を刺激しないのです。

そんなふうに、状況や環境は同じでも、視点の違い・視座の違いによって受け止め方や思い方も大きく変わる場合もあるのですよ。
今まで地を這うようにひとつひとつに引っ掛かっていた自分の気持ちが、なんだかウソのようになることだってあるのです。

克は『自分が本当に幸せになりたいと願うのならば、自分の思いに囚われすぎず、好き嫌いにこだわりすぎず、自分よりも貧しい人たちの幸せを願い、実際に自分にできることをしていくことです。この場合の“貧しい”とは金銭・物質も心の貧しさも含みます。自分よりも寂しい人、苦しい人、病や不安を抱えている人、過ちやかげりを抱えている人・・・のことです。その人たちの幸せを願い、実際に何かしていくなかで、自分の幸せは後からついてくるのです。それでよいのです。霊的法則・真理とはそういうことなのです』と伝えてきています。

最初はそれほど乗り気にはなれなくても、自分のことを少し離れて、自分よりも困難な状況に置かれている人のために自分にできる何かをしていくことで、自分の思いからも解放されていくという道筋もあるのです。

もちろん強制するものではありませんが、あまり深く考えすぎずに「ドネーションシップ」にも参加してみませんか?
「自分の状態がもっと改善されてから」ではなく、「自分も苦しいけれど、もっと苦しい状況に置かれている人たちがいるのだから」という考え方は、自分の視点を変えていくことにもつながっていくのだと思いますよ。

☆すなめりさん

メールありがとうございます。
「自分の柄じゃないよ」と見せながら、でも温かい眼差しで勉強を教えているあなたの姿が目に浮かぶようです。
将来はまた別の道があるのかもしれないけど、今のすなめりさんには適職だと思うのですが、どうでしょうか?
定例会で会えるのを楽しみにしていますよ。

10/01/2007(水) 01:03:45

No.1491  すなめり
Re: 明けましておめでとうございます! 引用
お世話になっております。
せっかくのご好意の記なのに、返事が遅れて申し訳ありません。
どうも、最近、気持ちの整理がつかずでして・・・。
どう返事をお返し仕様かと・・・。

子供達には感謝しております。何より新鮮な気持ちにさせてくれるのですよね。「自分の柄じゃないよ」という態度は見せてないつもりですよ。しかし、私は塾の講師としては失格かも。

淡々と授業を行えば良いの筈なのに、どうしてもやっちゃう癖。
それは、生徒の疲れなどを感じた時の余談。多分、今の職場の中で、私が一番、余談を多くしています。

この子に関して言えば勉強なんてしない方が幸せに生きられるのじゃないか?
なんて、思ってしまう悪い癖を抑えながらの授業も有ったりです。

そして、私は思うのです。コレは単なるお節介であり、独り相撲じゃないかと。

その繋がりから、自分の過去を振り返るのです。

自分は今まで何をして生きてきたのか?。
その時、その時、人に気を配ったつもりだが、結果、自分の回りの人も、自分も不幸にしてしまった。
結局、私の生き方は、自分の一人よがりで、結果として人を不幸に陥れてきたじゃないか。
その時、その時は、精一杯の誠意で人に接したきたつもりでも、そんなの続きやしないし、実際、続かなかった。
実は、相手は、自分の誠意など望んでいなくて、完全に自己満足の世界で生きてきたのでは?。
もしかしたら、自分が自分に望む態度を誰かに押しつけがましく要求していて、その様子に誰かが仕方なく付き合ってくれて居ただけかも?。
もしかしたら、自分の様なヤツが一番に質が悪いヤツかも・・・?。
なんて心が痛んだりもするわけです。まぁ、私は相変わらずです。

話しは変わりますが、経済的事情で、定例会参加は、いつになることやら・・・。でも、人は会わなきゃ駄目ですよね。インターネットの世界の怖さは、どれだけ連絡を密にしても、その人の10%も分かり得れない筈なのに、どんどん、その人のイメージを自分でつくりあげて、その人を分かった気に成ってしまう事と聞きました。

本当にご迷惑ばかりかけて申し訳ありません。反省の毎日です。

17/01/2007(水) 14:31:13

No.1492  すなめり
追記です。 引用
場の空気を暗くして申し訳ありません。
子供たちが、どれだけの可能性を持っているか?。塾の講師というのは、そういう発見や、その時の喜びもあるのだと分かりました。

英語がサッパリだった子に、筆記体でスラスラっと書いてみせたのですね。「格好いい!」と目を輝かせました。「先生、宿題の場所、それで書いてぇ」と自分から宿題を希望したのです。この子のやる気を出させる方法は、こんな些細の事だったのか・・。と発見、感心したり、

受験目前の子に「親にも学校の先生にも言えない悩みとか不安とかある?。あったら俺に言って」と聞いたら、「面接でイジメ問題とか。学園生活のこととか・・・と色々と聞かれるみたいで・・・」と自信なさげな不安な様子。「へーそーなんだ。他に聞かれそうな事は?。考えてみて」と、生徒から出てくる言葉を全て私が箇条書きにメモしていたら、そのメモを「先生それ欲しい」って言うのです。「なら、もっと綺麗に書いたのに、こんなんでいいの?」と聞いても、「うん」って持って帰ったのですね。その箇条書きに対して、返答を自分で作文してみることで問題解決だそうです。

そんな瞬間は、やはり嬉しいものです。

17/01/2007(水) 23:26:32

No.1493  飯沼 E-mail
Re: 明けましておめでとうございます! 引用
☆すなめりさん

>(削除) でも温かい眼差しで勉強を教えているあなたの姿が目に浮かぶようです。
将来はまた別の道があるのかもしれないけど、今のすなめりさんには適職だと思うのですが、どうでしょうか?<

きっとそうだと思っていましたよ。
うちのねねもお世話になりたいですよ、ほんとに(笑)

実は昨夜、地震と騒乱(戦乱)の夢をみていました。(阪神大震災のことはほとんど意識になくて、今日のニュースで思い出した程度だったのですが。)
何度も目が覚めたのに、眠るとまたその夢の続きが始まるのです。
予兆を感じた私たちが避難を勧めたのに間に合わず、地震に破壊された街で人々は争い続けていました。
そういう状況の中で私たちは必死に何かしているのですが、なかなか思うようにいかず、夢なのに重い疲れが残った一日でした。

18/01/2007(木) 01:33:02

No.1496  ミュー
すなめりさんへ 引用
のりぴーさんの、スレッドに失礼いたします(#^.^#)。
すなめりさんが塾で子供達に信頼され、そこで導く嬉しさを実感されているご様子が伝わり、私も嬉しく思いました。
と言うのも、私達はこちらでもとても助けられ感謝しているのですが、昨年娘がいじめの事で深く傷つき悩んでいた時に、娘が通う塾の先生方達にも全てをお話しに行きました。
その時の利益を越えた温かい対応と励ましが、とても心に響いた事がありました。
その先生の中でも、いじめられた辛い経験のある方や、いじめを受け続け、成人した今でも心の傷で通院されている姉を想う先生のお話には涙が出ました。
あやかの望む夢を叶えるには、今の塾の科目やテストが出来ていても難しいので、塾の科目を減らすかこちらは辞めて、これからは、必要科目に専念した方が近道だと言う進路のアドバイスを真剣にしてくださいました。
それは、塾としての対応というよりは、ひとりの人としてこれからのあやかに沿ったアドバイスでした。
「音楽を支えにがんばっているあやかさんの夢を、是非叶えてあげてください。希望進学出来た時には、是非教えてください・・・待っています」という言葉がとても心に響きました。

こうした考えの先生の下で教わるから、子供達はそれぞれ目標達成の意志を固め、がんばってゆけるのだと思いました。
きっと、すなめりさんのこれまでの経験、考え方、感性は揺れ動く時代の多くの子供達にとって光になるのだと思います。
他の先生では伸び悩む個性の強い!?子供さん程、すなめり先生なら伸びていけるのではないでしょうか。
人との出会いは、本当にありがたい・・・すなめり先生から、違う角度で学ぶ楽しさや意欲を引き出してもらっている子供さんがいらっしゃるという事に、とてもそう思いました。
何だか嬉しいです。
すなめりさん、ありがとうございます。

18/01/2007(木) 20:36:18

No.1497  飯沼 E-mail
Re: 明けましておめでとうございます! 引用
☆のりぴーさん、yukaさん、他の皆さんも

メール、ありがとうございます。
よければ掲示板にも転載してくださいね。

18/01/2007(木) 20:49:08

No.1500  すなめり
ミューさん江 引用
あのー、本当に、本当に、私は、そんなたいそうな人間ではないのですよ。

私は、愛情に恵まれなかった人間です。そんな人間が子に教える資格など無いと思うのですよ。

無い袖は振れないといいます。私は、無い袖を振らざるを得ない宿命の元に生まれました。それでも、無い袖を振ろうとして、しなければならないとして、したいとして生きてきた。結果、自分も、回りの人も不幸にしてしまった。

そして、今、再び無い袖を振って居るわけです。どっと疲れますよ。このまま私が続けることは、結果として、愛情の搾取に繋がると思うのです。だから、この仕事は、続けたくないと思っているのですよ。

子供達から新鮮な気持ちを頂いて、それに慣れてしまったら、さようならの詐欺師みたいなものかも・・・です。だから、先生と呼ばれることにすら違和感を覚えちゃうのですよ。愛情を搾取をしていないか?。身勝手な押し売りをしていないか?。・・・と、私の場合は、得に自己点検が必要なのです。

でもでも、ミューさん、お返事ありがとう。
ミューさんのお子さんは、幸せモノだなーっと思いました。

19/01/2007(金) 15:52:54


No.1487 yuka  
初めまして ・・・ 引用



    どう・・・話して・・?打ち込んでいけばいいのか・・ 
   どんな事でもいいのでしょうか・・・?

16/01/2007(火) 10:59:59


No.1488  カピバット
Re: 初めまして ・・・ 引用
はじめまして、yukaさん。私は、2003年の秋頃からこちらの掲示板に参加させていただいているカピバットです。私の過去の投稿を見ていただければ分かるかと思いますが、私の投稿は、私、あるいは私の身近に起こったことを書き込んでいます。どんな事を書き込んでも問題はないと思います。ただ、人に知られたくない悩みなどは、直接、飯沼さんのメールアドレスに書き込まれた方が良いかと思います。私も最初は緊張しましたが、ここに書き込む方々は、みなさん良い人ばかりです。気楽に書き込んで良いのではないでしょうか。

16/01/2007(火) 13:56:39

No.1490  飯沼 E-mail
Re: 初めまして ・・・ 引用

☆yukaさん、
カピバットさんの返信の通りですが少し補足しておきますね。
掲示板ではプライベートなご質問に私がお答えするのはちょっと無理な状態です。
でも、皆さんからのアドバイスは期待できると思いますよ。
実は、個人的なメールにも返信できないことがほとんどです。
申し訳ないのですが、ヒーリング・カウンセリングをご依頼の方への対応で精一杯の状態なのです。
プライベートなことでのご相談の場合は、遠隔ヒーリング・カウンセリングをお申し込みください。

ヒーリングはすぐに始められますが、アドバイスのメッセージの順番は1ヶ月くらい先になってしまいます。
状況によって順番を早めることはいたします。
経済的に切迫していらっしゃる場合は料金は頂きませんので、ご依頼のときに遠慮なくお申し出ください。

まずはどこからでも、口にするか文字にしてみれば楽になるものですよ。

☆カピさん
こんばんは。
代返、ありがとうございます(笑)
突発的なことでこの数日、バタバタしていたので助かりました。
コーチ陣の対抗試合ですか。
楽しそうですね。
でも、子供たちが応援に来てたりしたら、やっぱり緊張するでしょうね。

16/01/2007(火) 22:22:39


No.1475 ミュー  
気がつけば・・・ 引用
年が明けてからもう!半月ですね・・・様々な場面に心動きながらも、私は自分のキャパの狭さにトホホ気味に過ごしていました(苦笑)。
いつも、この掲示板で読ませていただいているみなさんのがんばりに勇気が湧き、お顔が浮かびジーンと嬉しくなりました。
来週は今年初めての定例会、みなさんとお会い出来るのを今から楽しみにしています!。

私事なのですが、先日、あやかにとっての大きな挑戦「ソロコンテスト」がありました。
当日あやかはこれまでに無い緊張で、始まりのお辞儀をするのも忘れてしまう程でした(それを見ている私達も、益々ガチガチ・・・笑)。
そして、演奏が始まってからは、少しずつ緊張が解れてくれる事を祈りました・・・がっ!練習時から難関だった最後の1音を“派手に”失敗してしまいました。
演奏が終わり、廊下で待っていた私の顔を見るなり涙を浮かべ「ママどうしよ〜やっちゃったよ・・・」と(普段かなり生意気なあやかもさすがに・笑)これ以上無いほどの不安な(可愛い)表情で落胆していました。
結果は、大きなミスがあったので、審査員の総評は銀賞、中には高く評価してくださった審査員の温かな講評もいただきましたが、あやかが目指していた「特別賞」には手が届きませんでした。

会場には応援にきてくださった方々が、労いと温かい言葉を掛けてくださり、あやかは精一杯無理をして、明るく応えていましたが、会場を出るなり堪えていた涙が堰を切り、家に着くまでの車中、「こんなに悔しかった事は今まで無かった、もっともっと練習して、来年は絶対に貰う・・・悔しいぃ」と号泣でした。
私達も、これまで本番で失敗した事がなかったあやかが、屈辱感を味わったであろう場面では、見ていられない程に可哀想で残念ではありましたが、あやかがこうして悔しさだけでなく、その中からこれからの先を目指そうとする姿を見て、あーこれで良かったのだなぁと強く思いました。

大会の翌日から、「今年はまた基礎からやる!!!」と、もう一度基礎練習を丁寧に励みだし、「もう舞台のソロで緊張しないように、大会にどんどん出たいから」とソロコンテストを探している今のあやかにとって、これはとても大きな意味のある失敗でした。
どうやら自分が納得する演奏が出来るようになるまで、あやかの熱い挑戦は続くようです。

改めて、あやかを応援してくださった方々に、心よりお礼申し上げます。

15/01/2007(月) 02:26:11


No.1479  みーじゅ
Re: 気がつけば・・・ 引用
ミューさん、こんにちは^^

あやかちゃんの大会、終わったのですね!
目指していた賞は取れなくて残念だったみたいですが、
銀賞受賞、良かったですね!!!

今回のことで、意欲を新たにすることができたみたいですし、
生活に張り?が出来て良いですね^^
来年に向けて頑張ってもらって下さいね!!

目標があるということは、とっても素敵ですよね!!
これからも応援しています〜!!!

15/01/2007(月) 12:21:21

No.1486  オレンジ
Re: 気がつけば・・・ 引用
ミューさんへ

綾歌ちゃん、残念だったけどいい経験でしたね。銀賞もらえてよかったですね。光景が目に浮かぶようで楽しく読ませて頂きました。
私はコンクールに出たり、人前で演奏することには音楽以外に図太さと強さがどうしても必要だと思います。それと向上するための負けん気の強さ。それが自分自身をより鍛えてくれるのだと思います。綾歌ちゃんはその要素を充分もっておられるみたいですね。
12月に始めてお会いした時に「私はトロンボーンを愛しています。トロンボーンなしでは生きていけない」と言っておられましたよ。今の綾歌ちゃんには生きていく支えなのだと思いました。
コンクール以外に公開レッスンというのもありますよ。
トロンボーンの公開レッスンは他の楽器に比べると数少ないかもわからないので、いろんな楽器店に問い合わせるのもいいかも。
公開レッスンはプロの奏者が皆のまえで教えてくれるのですが、コンクールに出る子達もなるべく上がらないようにという目的で申し込むみたいです。トロンボーン協会も調べてみたらどうでしょうか?
これから楽しみですね。今までの辛い経験がきっと綾歌ちゃんの音楽を豊かにしてくれるのでしょうね。
頑張って下さいね。

16/01/2007(火) 08:07:14

No.1489  ミュー
Re: 気がつけば・・・ 引用
☆みーじゅさん ☆オレンジさんへ

温かい返信をありがとうございました。
私は昔からジャンルを問わず音楽が大好きですが、なにせひたすら聴くしか能がないので、あやかの音楽を演奏する側の情熱や拘りを、十分に理解してあげられない時があります(苦笑)。
なので、みーじゅさん・オレンジさんは演奏する側の心理を理解してくださるので、応援やアドバイスがとてもありがたく参考になります。

次はコンテストではないのですが、ステージでソロ演奏をするのが3月なので、本人曰く「あの失敗を挽回するから見てて!次は絶対に外さない!」と、強気の発言をしていました(ひぃ〜っ!願わくば・・・次は安心して観ていたいものです・笑)。
こうしてあやかが希望や目標を持ち情熱がある限り、私に出来そうな“情報集め”をしていきます(知らない事だらけなので・・苦笑)。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします(*^_^*)。

16/01/2007(火) 16:08:07


No.1473 飯沼  E-mail
mixiに・・・ 引用

昨日は大変な日でした。
ちょっとここには書けないので、mixiの日記に書きました。

15/01/2007(月) 01:23:15


No.1474  飯沼 E-mail
Re: mixiに・・・ 引用
☆差し障りのない部分をここにあげておきます。

(略)

スピリチュアリズムでもCENSOREDを厳しく戒めている。

日本では金銭問題でCENSOREDする人が激増しているという。
その数は交通事故死者数をはるかに上回っている。
金銭問題といっても、中身はさまざまだろう。
心の逃げ場としてのギャンブルにはまって、消費者金融から金を借りて利子がかさみ、追い詰められてのCENSOREDも多いと聞く。
最も同情されないCENSOREDだ。
実際、消費者金融から金を借りている人のCENSORED率は、一般に比べて非常に高い。
もちろん、事業を維持するため、家族の生活を支えるために消費者金融から金を借りて深みにはまり込んでいく人も少なくないはずだ。
いずれにしても、CENSOREDは絶対にしてはならない。

しかし、別の視点から見てみれば、きわめて安易に金を貸し、高い利息で大儲けする会社がたくさんある。
もともと金が足りないから借りるのに、20%を越えるような利息がつけば、普通に考えれば返せなくなる人が大半ではないのだろうか?
安易に借りる方にも問題があるのは当然だ。
しかし、ここまで大きな社会問題になるのは、借り手の責任だけではない。
仕組みや制度の問題があるのだ。

消費者金融業者はどこから貸し出し資金を調達しているのか。
一般の銀行からの融資によるところが大きいという。
銀行は預金者からの金を消費者金融に貸して利子を稼いでいるのだ。
消費者金融はさらに高い利子をつけて、銀行から金を借りられない人に金を貸す。
その結果、追い詰められた浅はかな庶民は家族や親族に泣きついて穴埋めしてもらう。
そこには家族や親族の不和が生じるだろう。
さらにそれで追いつかなければ自己破産、CENSOREDにまで追い込まれていく。
消費者金融は生命保険に加入させているので、借り手が死んだら丸儲けだ。
銀行にもしっかりと利子が入る。
こんなバカな話があるのだろうか?
浅はかな庶民はまるで彼らの餌食にされているかのようだ。

しかも、消費者金融業者には、日本銀行をはじめとする金融機関からの天下りが公然と行われている。

彼らの繁栄の陰で、浅はかな庶民が自ら生命を絶ち、遺された家族は金ならぬ鉛を飲まされている。

ずる賢いセレブたちよ。
自分の利益のためには人のことなど顧みもしない特権階級の人たちよ。
勝ち組を自認する人たちよ。

僕らは名もない庶民として、庶民の、庶民による、庶民のためのネットワーク社会を構築してみせる。
ごく普通の人間の思いやりと分かちあいを軸にして、皆が普通に幸せになれるような社会を必ず作り上げるのだ。

ずる賢いセレブたちよ。
自分の利益のためには人のことなど顧みもしない特権階級の人たちよ。
勝ち組を自認する人たちよ。

ごく普通の人間の思いやりと分かちあいに目覚めなければ、あなたがたこそが地上人生の負け組みなのだ。

浅はかな庶民たちよ。

頼むからもう少し賢く、素直になってくれないか。
太古の昔から、僕ら庶民は金のみによって生きるものではなかったじゃないか。
分かち合い、支え合い、補い合って生きてきたじゃないか。
語り合い、信じ合い、知恵を出し合ってきたじゃないか。
「自分はひとりじゃないこと」
それが僕らの財産だったじゃないか。
それを元手に、皆が普通に幸せになれる社会を作ろうよ。

全ての庶民よ。
人生の苦難に負けて自ら生命を絶った者たちの霊よ。
一緒に新しい社会を構築しようよ。
力を貸してくれ!

15/01/2007(月) 01:28:23

No.1482  飯沼 E-mail
Re: mixiに・・・ 引用

■日銀の元役職員5人、消費者金融大手4社に「天下り」

日本銀行の水野創理事は(06年12月)7日の参院財政金融委員会で、大手消費者金融4社に日銀の元役職員5人が、再就職していたことを明らかにした。


■大手消費者金融5社に、業界を監督していた旧大蔵省と財務省の官僚OB23人が役員や顧問として天下り、うち4社に5人が現在も在籍していることがわかった。旧大蔵省銀行局長や印刷局長など本省の幹部経験者のほか、業界を監督する全国の財務局の元幹部も含まれている。大手消費者金融の関係者は「監督官庁の天下りを受け入れることでパイプをつなぎ、銀行から安定的に融資を引き出せた」と話している。

 有価証券報告書や各社への取材をもとに朝日新聞社がまとめた。天下り官僚を最も多く受け入れているのは武富士で、80年からこれまでに計9人。84年には大蔵省官房審議官を経験した秋吉良雄・元北海道開発事務次官が社長に就くなど3人が社長、副会長、副社長の各ポストに就いた。

 プロミスは83年から6人で、うち2人が会長、1人が副会長に就任した。アコムは85年から4人、アイフルは83年から3人(うち会長1人)、三洋信販は84年に1人を受け入れ、現在も三洋信販を除く4社に計5人が在籍している。90年代半ばには5社に十数人が在籍した時期もあったが、00年代は数人で推移している。

 旧大蔵省のOBには、銀行局長や印刷局長、税務大学校長ら幹部のほか、金融機関の検査業務にあたる金融検査官や上席金融検査官、国税庁幹部が含まれる。

■国家公務員法は、離職後2年間は退職前のポストと密接な関係にある営利企業への再就職を原則禁じている。OBらの大半は、この期間が過ぎてから天下りしていた。ある社の顧問に入った元幹部は「退職後、数年たって役所から紹介を受けた」と話す。

■大手消費者金融の元幹部は大蔵OBを受け入れた効果について「『銀行向けの看板』の威力が大きかった。銀行の融資が増えるとともに、銀行の役員が派遣されるようになり、資本面の不安が消えた」と話した。最高幹部として天下った大蔵OBは「会社からは、『(行政処分など)何か問題があった時にちゃんと相手(役所)を説得してくれ』と頼まれた」と証言している。

15/01/2007(月) 14:37:31


No.1466 飯沼  E-mail
癒しの講座(18)・・・順番を変えて掲載します 引用

「天地悠々」第27号(2000年1月発行)より

癒しの講座(18)  飯沼 正晴

地上界の浄化を視野に(8)

<全的健やかさを求めて>

今の地上界の不調和を、摂理に沿って調和の世に戻していく道のりを思うと、気が遠くなりそうです。
しかし私は、「悠々塾」での癒しの活動を通じて、病者さんたちの多くが、その内面に、人としての優しさ温かさ、清さ正しさなどを湛えておられることを知りました。と同時に、今の世を勝ち進むためにはむしろ邪魔にさえなる、そのような心を、自分でも持て余している方の多いことも知りました。

それゆえに抱え込む、秘めたる孤独や戸惑い、あるいはその裏返しとしての反発心が、自分や周囲の人の心を傷つけていることを知りました。
その方たちも競争社会のなかで、人並みやそれ以上の席を確保するために、同じ動力で動かされる歯車のように、頑張らねばならなかったのです。そうするのが有利だという世の仕組みになびく打算と、ふとした折に頭をもたげようとする掛け値なしの優しさ。
自分の思いを通そうとする狭量さと、すべてを受け入れて包み込んであげたいという寛容さ、それらの間で、多少軋みながら人の心は揺れるもののようです。

もしも今の世の仕組みの重しが取り除かれるならば、守らねばならない社会規範や過剰な物質がなくなった時、ほとんどの人は、人本来の優しさを取り戻すだろうと確信することができました。

そのことは、阪神淡路大地震の被災地でも実証されています。「魂を揺さぶる地震」とも言われるように、あの厳しい状況のなかで、利害を越えた良心の声に従って行動した人々が、何と多かったことでしょう。

私は阪神淡路大震災は、これから起るであろう地上世界の大浄化の雛型だったと感じています。
1995年の年明けから、私も堀江さんも「何が起こるかは分からないが、何か起こる。」という強い予感があり、緊張が解けませんでした。1月17日も、その前日深夜まで「一体何が起こるんだろう。」と電話で話し、眠りについた数時間後に、大地は激しく動きました。

6千名を越える方々の死と、崩壊した街の記憶、重い現実と数多くの課題、それとわずかな可能性を残して、時は過ぎていきます。あまりにも重く苦しい犠牲にもかかわらず、また、多くの人々の支援と努力のなかにあっても、いまだあの震災を、魂の目醒めの雛型として成就させることはできていません。
霊的覚醒のための試練は、次に持ち越されたと言わねばならないのでしょうか。

「悠々塾」でのさまざまな方との出会いから、私はある確信を持つに至りました。それは、今の大浄化の時代に、ある種の使命に近い役割を帯びて地上に生まれている魂の人たちが、かなりの割合でいることです。

地上の競争社会に適応しきれない魂の持ち主たちで、その人たちは、今の世の仕組みに対して戸惑いや違和感を拭いきれない場合が多いようです。損得づくで行動することを好まず、いきおい、さまざまなところで損をさせられたり、妙に正義感が強かったりで、トップ集団を快調に走るのは苦手なようです。
それどころか、学校や職場の競争意識や駆け引きに心を傷つけ、実現させるべき使命や夢を見失っている人も少なくありません。学業や労働よりもむしろ、強い者勝ちの仕組みに嫌気がさして、横道にそれていく若者たちも多いのだと思います。

今の世の仕組みや規範の方が、魂を宿す人としての道に反していることが多いのです。それになじめないからといって、ふてくされたり、自分の心や身体を粗末に扱わないでほしい。
学業優秀で、学校でも職場でも勝ち抜いてきた人たちが作った社会が、この張りぼての世なのです。身を飾りたてるばかりで、魂を磨こうとはしない。その真似をして外見ばかりにとらわれず、身も心もある、人としての誇りを持って、堂々と生きてほしい。
掛け替えのない若い日々を、安易さのなかにやり過ごすような生き方だけはやめてほしい。
そして、今の世の基準からは評価されることは少なくても、全てが変わる地上界の大浄化の時には、必ず多くの人々の役に立ってほしい。そのための準備をすぐにでも始めてほしいと思うのです。

教職にある方々にもお願いがあります。何より、生徒たちの心を育んであげてほしいと思うのです。時代につれて世の価値観は変わります。変わらぬもの、それは人としての正しさに裏打ちされた心の優しさ、温かさです。

かつてこの国では、多くの教師たちが教え子を戦場に送ったことを後悔しました。戦時社会で役立つ人間になるように教育したことで、それが崩壊し否定されてから、苦しみと悲哀を味わわねばなりませんでした。

今の学校教育は、目に見える数値で成果を競う、経済至上社会で役立つ人間を育てようとしすぎてはいないでしょうか。
私の言う霊的なことを受け入れて頂けるかどうかは別にして、競争と選別の制度のなかで、心を寂しくしている生徒が増えているのは事実です。
競争に勝つよりも、生命の側に立てる若い人たちを育てなければならないでしょう。体制は、いつも教育に干渉するものです。だからこそ、教える人の柔らかな知恵と勇気が必要なのだと思います。

子育て中の方にも、同じことが言えます。新しい時代に生きる子供の可能性を、摘んではなりません。
近い将来、分け与える心、分かち合う心、扶け合う心、あらゆるものを慈しみ、こよなく愛する心しか役に立たない時代になります。そのような心の者しか、地上に存在できなくなるのです。たとえ私の言うようなことが起こらなくても、我が子がそんなふうに育ってくれれば幸せではないですか。
子供は皆、光に向かって魂を大きく成長させる可能性を内在させています。子育てをする人の光のエネルギーに抱かれて、スクスク育つのです。

また乳幼児期は、肉体の意識や感情体の意識を、喜びで満たす大切な時期でもあります。豊かな愛情を注いでくれる人に、実際に身体を抱かれることによって、乳幼児の肉体の意識は喜びを体得していきます。
もう少し成長すると、育てる人の正流の理性に裏打ちされた愛情を受けて、子供の感情体も豊かに育まれていきます。そして子供は、自分や他人の身体や感情を大切にすることを、喜びのなかで学んでいくのです。愛情があれば、粗暴や無関心にはなりようがないからです。

カルマとも絡んださまざまな理由で、十分にそうしてもらえなかった子供は、その後の人生で多少苦しい思いをしながら、肉体意識や感情体を育てていかねばなりません。
平安な喜びに満たされて、それらの<からだ>の意識は完成され、その後年齢とともに成熟していくのです。

大人になっても、それらの<からだ>が十分に成長していない人は意外と多いものです。その人たちはどこかバランスを欠いていて、人との関わりに、問題を生じることが多いかもしれません。
結果を見て非難したり、排除したりしても、自分の気が済むだけで、その人たちの役には立ちません。どう接すれば、その人たちが喜びに満たされて成長していけるのか、理性と愛情で考えねばなりません。
そして、平安な喜びを必要としている<からだ>に伝わるように、波長を合わせて行動で示すのです。手を握るとか、肩を揉むとか抱くとか、情愛のこもった言葉をかけるとか…。
長年傷ついてきたその人の意識は、そう簡単には癒されないかもしれません。そうしようとする自分自身が完全でないことにも気づくはずです。
うまく伝わらなくて無力感を持ったり、失敗もあるでしょう。しかし、動機が光の喜びに向かうものであれば、お詫びは必要ですが、悔いることはありません。その経験を次に生かせるように、失敗をしっかりと受け止めればよいのです。
響き合う仲間と共に行動すれば、自分の不完全さはいくらかカバーしてもらえます。

人は、エネルギーを必要としている人の役に立とうとすることによってのみ、自らの魂も磨いていけるのです。物的エネルギーを必要としている人には物質を。身体的エネルギーを必要としている人には、介護や手助けや触れ合いを。感情のエネルギーを必要としている人には、惜しみない愛情を。理性のエネルギーを必要としている人には知識や論理を。
必要に応じて融通し合えばよいのです。満たされていない人に、不足している種類のエネルギーを届ける。つまり、曇りを光に変えていく。これが自らの曇りを光に変え、さらに輝かせていく唯一の方法なのです。

癒すことは癒されること、これは真実を語る言葉です。そう考えると、誰にでも何かできることがあるでしょう。慣れてくると段々に、もっと精妙で大きなエネルギーを届けられるようになります。
ひとりの人が、今、そうすることから始まって、響き合う仲間が集い、至る所が光のサークルになり、やがて地上界は輝く界層へと変容していきます。
物質も、身体も感情も理性も魂も輝き、それらを蝕んでいた傷さえも癒され、輝き始めます。全的健やかさの喜びに輝きます。

14/01/2007(日) 15:50:40


No.1469  ここ ホームページ
Re: 癒しの講座(18)・・・順番を変えて掲載します 引用
とても強く共感します。
すばらしい言葉です(^o^)!!

14/01/2007(日) 23:11:04

No.1472  飯沼 E-mail
Re: 癒しの講座(18)・・・順番を変えて掲載します 引用
☆ここさん

ありがとうございます。
返信できないですみません。

15/01/2007(月) 01:22:04

No.1481  飯沼 E-mail
Re: 癒しの講座(18)・・・順番を変えて掲載します 引用
あれ?
金太郎、返信消しちゃった?

15/01/2007(月) 14:16:50


No.1467 とび&けり  
謝罪と反省 引用
お久しぶりです。

書込みはかなりのご無沙汰になりますが、時々掲示板は読んでいました。

昨年5月から、とある資格取得を目指して、予備校に通いだしました。

教室に座席の指定はありませんが、半年以上も通いますと自分のお気に入りの席ができてくるもので、皆さんだいたい「指定席」をお持ちになっています。
自分のお気に入りの席に先に誰かが座っていると、「やられた。ちきしょー」と思ったことが、弱い私には何度もあります。(情けない…)

というわけで、休みの日などは早めに学校へ行って、席の確保に躍起になっている自分がいます。(我ながら何やってるんだろうと思いますが…)

今日の教室は、私たちの講座の前に他の資格の模擬試験を行っていました。

ところが、「あと10分くらいで終了時間だからいいや」と思って、なんとまだ頑張っている女子学生が一人がいるのに、教室へ入ってしまったのです。
しかも、その学生さんの前の席が「指定席」だったので、ためらいなく、座ってしまいました。

私の他にも数人勇み足(?)をした受講生がいて、終了時に答案用紙を集めにきた係の人から注意を受けました。(当たり前ですが…)

係の人は、その学生さんに謝っていましたが、私はただうつむくだけでした。


行為の後で自らの至らなさに気づくのではなく、なぜ自制ができないのか。何て弱い自分なんだろう。

本当にすみませんでした。

この場を借りてお詫びします。

14/01/2007(日) 21:51:55


No.1468  とび&けり
すみません訂正です 引用
下記のとおり、訂正させていただきます。

>本当にすみませんでした。

>この場を借りてお詫びします。

謝罪の場として、こちらの掲示板をお借りします。

本当にすみませんでした。

14/01/2007(日) 22:02:41

No.1477  ひろこ
Re: 謝罪と反省 引用
とび&けりさん
はじめまして。すてきな気付きですね。日々反省ですが、それは前に進めてるから成長でよ〜。私も失敗、反省を繰り返して、成長していきたいと思っています。

15/01/2007(月) 11:12:17

No.1478  飯沼 E-mail
Re: 謝罪と反省 引用

とび&けりさん、お久しぶりです。
いかにもとび&けりさんらしい、ほのぼのとした書き込みです。

もちろんこの場であなたの気持ちを表明することにも意味はあるのですが、でもあなたがお詫びしたいのはその学生さんに、ですよね。

予備校の教室でそれぞれが「指定席」を決めているのなら、その学生さんもそうかもしれませんね。
だとすれば、何の模擬テストだったかを調べれば、その学生さんに直接謝る機会を作れる可能性はあるのではないでしょうか?

実際に会えるかどうかは分かりませんが、そういう努力もしてこそ、あなたのこの書き込みも生きるのだと思います。
その学生さんに会えて、とび&けりさんの気持ちを伝えられるといいですね。
案外相手は何とも思ってないのかもしれませんが、やはりこちらの気持ちは気持ちですから、伝えてこそですよね。

15/01/2007(月) 12:14:01


No.1476 カピバット  
やっと終わった・・・ 引用
おはようございます。最近は、朝晩は寒い日々が続いており、手足が冷えてしまっています。やはり数年前までのように体が強くないようです(苦笑)。
さて昨日、1月8日の成人の日に予定されていました2つの少年野球チームのコーチ対決が行われました。一昨日は、練習中に転んでしまい、両ひざ、右外太ももをケガしてしまいましたが、昨日の試合には支障はなく、プレイを出来ました。結果は、4−6で敗れてしまいました。特に、チームが3点失った初回には私がしっかりと捕球をしていれば、防げた3点だっただけに悔やまれます。やはり、試合前に極度な緊張感に見舞われ、それが平常心を失わせていたのかもしれません。打撃は、3打数1安打、1打点、1盗塁でしたから、上出来だったと思います。もし次の機会があれば、もう少し心を落ち着かせた上でプレイ出来ると思います。ただ、「もう、次はなくても良いかな」という気持ちもあります(苦笑)。今は、1つの区切りを終えることが出来、ホッとしています。
それでは、まだまだ寒い日々が続きますが、どうかお体にはお気をつけ下さい。

15/01/2007(月) 09:31:43



No.1462 飯沼  E-mail
癒しの講座(1) 引用

☆「天地悠々」第10号(1998年8月発行)より

癒しの講座(1)  飯沼 正晴  

各層の<からだ>について

<からだ>というとき、普通私たちは肉の身体、つまり肉体のことを指しています。ところが、人間の<からだ>は肉体だけで成り立っているわけではなさそうです。肉眼では見えませんが、精神の<からだ>や霊魂の<からだ>があるようです。精神の<からだ>は肉体よりかなり大きく、肉体を取り巻くようにして、あります。

精神の<からだ>は感情と理性の二層から成り立ち、肉体に近い方から感情の<からだ>、理性の<からだ>の順になっています。その外側には、さらに大きな霊魂の<からだ>があります。それぞれの<からだ>にはそれ相応の意識があります。というよりは、意識の層そのものです。そして、はっきりと仕切られているのではなく、境界の部分は重なり会って、エネルギー(情報)の変換が行われています。

この部分は<ダブル>と呼ばれています。肉体と感情の<からだ>の境界には、数センチの厚みの見えない膜のような<ダブル>があり、これが本当の意味での肉体の表面です。肉体の外側にひろがる、これらの見えない<からだ>のことを、オーラと呼ぶことが多いようです。肉眼を越える視覚の開発された人には、実際に見える場合もあります。かつての宗教家たちはちゃんと見えていたようです。おもしろいことに、各層の<からだ>にその宗派なりの名称がついているようです。

もちろん肉体が一番粒子が粗く、鈍重で、感情体、理性体、霊体と、より精妙になっていきます。それ以上のことは私には解りませんが、おそらくもっと精妙で大きな<からだ>が幾重にも広がっているはずです。たぶんそれは人類全体を包む、巨大な<からだ>につながります。巨視的にみると、ひとりひとりの人間は人類という巨大な<からだ>の一細胞だとも言えると思います。

肉体の状態は目の見える人にとっては簡単に識別することができます。肉眼には映らなくても、同じように各層の<からだ>はそれぞれの意識の状態を表現しているのです。各層の<からだ>の知覚機能によって認識できる原理です。黙っていても、何となくその人の雰囲気が伝わってくるのはそのためです。無意識のうちに見えない<からだ>の情報を感じ取っているのです。

<からだ>は総体としてひとつですから、各層は順につながっています。地上界では一般的に、それぞれのはたらきが、肉体に表現された時に意味を与えられます。霊体の意識の輝きも曇りも、最終的に肉体によって言葉や行為として表現されて初めて、地上的な意味をもつのです。

しかし実際は、それぞれの<からだ>は関連し合いながらも独自に意識し、活動しています。それぞれの界層の波長に応じたエネルギー(波動)を発しています。無理に歪ませなければ、より精妙な界層のエネルギーが優位を占めてます。その人の属している霊的界層の意識がその人の理性を規定し、最後に行動として表れます。霊体の意識はその人の魂の所属界層の範囲内で、時空を越えて自在に広がります。理性は、その情報を人間の脳がイメージできるように、変換、翻訳します。感情体は、自分がどう思うか感じるかと、自分に重心を移します。そして、肉体は、動きます。

問題は、その人がどの段階の<からだ>の意識にピントを合わせて生きているかです。どの<からだ>の意識の活動が一番活発か、言い替えれば、どの界層の意識を自分の心として生きているかということです。それは時代や社会環境によっても違ってきます。今のこの国では、大部分の人が感情体の意識を基準に生きているように思えます。好きだ、嫌いだ、楽しい、つまらない、腹が立つ、そうしたい、したくない、自分がこう思う、こう思われたい、などの小さな自分を通しての感情が行動の動機になる場合が多いようです。

食欲や性欲などの肉体的な欲求が意識のほとんどを占めている人は、そう多くないと思います。(もっとも、最近はそんな人が増えてきているようではありますが。)逆に「人としてこうあるべきだ」という理性に基いて行動する人は、まだまだ少ないと言わねばなりません。まして、物質や社会的形式や、時空を越えた霊魂の意識を活性化させている人はもっと少なく、それを日々の暮らしの規範にしている人は極めて稀でしょう。

<からだ>の各層は、(ダブル)によって境界が重なり合っているので、互いに接する<からだ>の意識については認識することができます。肉体の意識で生きている人は、感情的な心を持つことはできます。しかし、理性の意識がその人の行動に影響することはほとんどありません。感情体の意識で生活している人は、肉体的なことも近しく感じるし、理性にもかなり行動を制約されます。理性体を軸に生きる人は、感情のことも、霊魂の意識についてもある程度は認識できます。肉体は地上人生での現場ですから、切り離されることはありませんが、かなり遠く感じられます。高層住宅の二階に住んでいる人は、三階のことも一階のこともある程度は分かるのと似ています。四階の人も一階の出入口は使うのです。暗い地下もあるのですが、ここでは触れません。

多くの人は感情の<からだ>を心として、つまり動機として行動しています。
混雑している電車で自分は座っているとします。自分の前に不自由なお年寄りが立っています。この時に、「自分が楽な方がいいのだから席を替わる必要はない。」と思う人は、理性から曇っているので今は問題にしません。
また、弱そうな人を強引に立たせて自分が座る人、善意の人が空けた席に横から割り込んで座って平然としている人についても触れずにおきます。

ほとんどの人は、「席を替わるべきだ。」とは思うのでしょう。理性ではそう考えているのです。しかし実際は「声を掛けるのは恥ずかしくて嫌だし、できれば自分も座っていたい。」というように、自分の感情に流され、肉体的な欲求もあって、理性の意識のままに行動しないことが多いのではないでしょうか。

あるいは、こんな人もいるかもしれません。「自分は親切な人だと思われたいから席を替わろう」。行動は違っていても、いずれの場合も「はずかしい。」とか「自分がそう思われたい。」という感情が行動を規定しています。これが、理性を行動の規範としている人なら、「ちょっと恥ずかしいけど声を掛けて席を替わろう。」「替わってあげるべきだし、自分もその方が気持ちがいいから。」ということになるのです。

理性では分かっているけれども感情が邪魔をして行動に移せない、あるいは理性とは反対の行動をとってしまう。今はそんな人が多いのだと思います。

前章で、私は死後のさまざまな界層についてのべました。肉体や物質に執着をもったままの界層、感情にとらわれた界層、地上人生の全てをありのまま受け入れ、反省し終えた人たちの安らぎのターミナルパーク、それぞれの霊格に応じた生活と学びの霊界の各層・・・のことです。

私たちは死後、地上に生きていた時の心のままの世界に行きます。その心とは、地上で自分のどの<からだ>の意識を軸としていたのかということのようです。肉体の<からだ>も感情の<からだ>も、やがて脱ぎ去る日が来ます。そこにこだわって、死後も長い間その世界にとどまったとしても、いつかは狭くて暗い牢獄から自らを解き放つのです。

肉体意識や感情に拘泥することは、理性や霊魂を曇らせ、健やかな歩みの妨げになります。皮肉なことに、それが病の原因となったり、治癒を遅らせたりもします。さらには、不調和に深く病んだ地上世界の混迷を深めます。

私たち地上人類は今、ともすれば澱みがちになる狭い感情の<からだ>から、理性の<からだ>へと意識を脱皮させる、大きな節目を迎えているのです。

自分の欲望や感情のままに意思し、言葉を発し、行動していく段階を卒業し、「人として」という大きな生命のつながりのなかで生きはじめるのです。

13/01/2007(土) 00:27:21


No.1464  ここ ホームページ
Re: 癒しの講座(1) 引用
霊体と肉体の間に感情体と理性体があるのですか。
それが、幽体と呼ばれるものなのでしょうか?
それは、霊達からはどのように映るのでしょうか?
その部分が、私はうまく理解できませんでした。

私は女房の病状に対して、日常的にマッサージを行って心身の緊張をほぐしています。
心地よく感じる人に共通の位置の部分(ツボ)は、私が幼少からひどい肩こりだった事から、結婚した11年前の時点で予め感覚的に知っていましたが、毎日行う中でその感覚はより実体験的に身に付きました。それ以外にあまり意識しないで行っていたことは光のイメージでした。
20年近く前の看護学校の心理学の実習で、心理学の先生に教えられたことは、呼吸に同期させてマッサージすると言うことと、吸うときに周囲の光のエネルギーを全身で吸い込み、吐くときに掌・指から光が相手に流れ込むことをイメージするのです・・。ということでした。それが、自然に身に付いて毎日のマッサージに生かされています。
東洋医学では、人の身体はエネルギーの塊が肉を着た状態だと考えられているようですね。そのつなぎ目(秘孔)が全身にあり、そこからエネルギーが肉にとって必要な形のエネルギーに変換されて送り込まれ続けている・・。
西洋医学で効率よく解決できる病状もたくさんありますが、西洋医学が解決を困難にしているような疾患では東洋医学のそれを応用する方が解決できることも多いのではないかと最近思います。
陽明学思想的な韓国の感動ドラマ「チャングム」を通してよりそのかんがえが強くなりました。
私が力を入れて関わっている治療(分野的にはとてもマイナーな治療方法)は、本人の治ろうとする力を補助する治療。やってみないと反応がわかりません。その業務を通しても最近考えさせられることが多い毎日です。

ところで、私がマッサージ・指圧をするとき、集中するほどあくびが頻発します。
また、自分の身体の部分が刺激されるのを感じます。頭のある部分のツボあたりが痛くなったり・・。その部分について尋ねると、相手はそこが痛いと言います。それがガイドのような役割になり、マッサージや指圧の手順に生かされます。
自分の刺激されていた部分が消えると、相手も痛みが軽減しているようなのです。
何故でしょうか?
理由がわからず、思い過ごしなのか?とも考えるのですが、あまり深く考えず、ガイドに役立てています。

14/01/2007(日) 00:23:16

No.1465  ひろこ
Re: ここさん 引用
いつも、興味深く読ませていただいています。
そして、お部屋も拝見しました。ここさんが、その若さでご自分の体験を通して頑張っていらっしゃる姿に感銘を受けています。私も、幼少の頃からひどい肩こりに悩まされて、今も肩こりと頭痛でフウフウ言っていますが、人の身体を癒せる事はなかなか出来ません。ただ私の魂が意思した、困難や試練を乗り越えて共感し、困っている人達に伝えたいという事は出来る限りしていきたいと思います。ここさんが、沢山の人を癒し、これからも私たちに伝えてくださる事を祈っています。

14/01/2007(日) 13:23:26

No.1470  ここ ホームページ
Re: ひろこさん 引用
はじめまして<(_ _)>
少しひろこさんの記事を読ませていただきました。
皆さんからとても親しまれておられるすばらしい方・・という印象を受けました。
とても多くの方を癒していらっしゃるのですね(^o^)
私もひろこさんの強さ、行動力を見習わねばと思いました!
これからもよろしくお願いします!!
ちなみに・・わたしは職場ではとても若い方には属しません・・^^;

14/01/2007(日) 23:20:53


No.1457 ちぃ  
こんにちは☆ 引用
寒い日が続いていますが皆さんお変わりありませんか?

私も最近、ちこさんに招待状を頂いてmixiで日記を書いています。
そこに記載した内容を、家族の話な上、つたない文章でお恥ずかしいのですが、飯沼さんとちこさんに背中を押して頂いたので、こちらにもその内容を書き込ませて頂こうと思います。
長い文章ですが、読んで頂けると嬉しいです♪

*****************

昨日、祖母のお見舞いの後に私の両親と私&旦那様の4人で食事に行きました。
その時、どこからどうなったのか、私の母が「そろそろ親御さんにNOを言ってみ♪」と旦那様に言い始め・・・
そしたら父が「なんやお前、親に反抗した事ないんか?」と。
旦那様は素直に「はい。」と答えてました。

母とはそんな話をしていましたが父とはそんな話をした事がなかったので、内心ハラハラ・ドキドキヾ(≧∇≦)〃

が、私の心配をよそに、両親のスイッチがON!!

まずは母。
旦那様と旦那様の両親の関係性や、旦那様自身の事をよく知っているので、速攻アドバイスに入りました。
両親にNOを言うのは、決して親不幸な事ではないし、旦那様が自分の意見を言えるようになれば、両親は逆に「息子も成長したんだな」と安心するだろう。
もしNOの伝え方がうまくいかなくて、不調和が起きたとしても大丈夫!
ご両親も○○(旦那様)も互いに大切に思ってるんやから、少々不調和が起きたとしても、なんとかなるわ! 愛情ってそんな軟なもんじゃない。
万が一、NOと言った○○の事を受け入れられなかったとしても、この子(私)がおるから、「嫁が悪いからや!」なんて一時避難も出来るしね。
と言っていました。

そしたら父は、旦那様が幼少期の頃、旦那様の両親がどのような親だったのかというところに興味を示し・・・
旦那様は幼少期の記憶がないので答えられず・・・ 私が旦那様の両親から聞いた事、見て感じている事を話しました。
すると父は・・・
自分と旦那様の両親が全く同じである事を話し、旦那様のご両親の気持ちが痛いほどよく分かると。
旦那様の両親の厳しさは、決して、至らない息子だからこそ厳しくしていたのではなく、愛情こその厳しさだったはずだと。
それを受ける子供も苦しいだろうけど、そのような親自身も心の奥では苦しいのだと言い・・・
父の実体験を語り始めました。


私には年の離れた兄が居るのですが、兄はずっと父に押さえつけられて育ちました。
それはもう尋常じゃない厳しさだったそうです。
父としては「世間に出して恥ずかしくないように」という父なりの愛情がゆえの厳しさだったそうですが、それは周囲が虐待じゃないか?と心配する程だったそうです。
父と話す時は常に敬語。ちょっとでも父の意に反するような事をすると、竹刀で殴られ・・・
習い事も進学も部活も就職先も、全部父の指示通り。
母はずっと、そんな育て方に反論をしていたようですが、どうする事も出来ず、兄が20才になった時に、今まで守ってあげれなかった事を詫び、母が必ず守るから、父を殴ってでも良いから反抗しなさい!と言ったそうです。
そんな事を言われても、そう簡単には反抗出来るはずもなく、5年が経過。
父は自分の仕事を継がせると兄を呼び戻して父の元で働かせ始めました。
数ヵ月後に兄は仕事の事で我慢出来なくなり、生まれて初めて父に反論を述べました。
そしたら父は「親に向かって反抗するとはどういう事や!」と激怒。
兄は一瞬黙り「俺は子供の時から今までずっと我慢してたんや!」と父を殴りました。
口答えだけでも許せない父が、親を殴るなんて理解出来るはずもなく、「出て行け!」と言い、兄は家を出て行きました。

父はずっと息子に殴られた事を受け入れられず、怒りが収まるまで数年要しました。
怒りが収まると今度は「どうして息子はあんな事をしたのか」と、言い様のない寂しさが募ったようで・・・
兄と会うようになっても、互いにその件については触れた事がなく、兄の真意が分からぬまま、いつも当たり障りのない会話をしていたそうです。
それから数年後の昨年、奈良県の医師宅放火殺人事件を知った時に、父は犯人である息子さんの気持ちが痛い程分かったそうです。
そして、自分がいかに息子を押さえつけていたか、いかに息子に苦しい思いをさせていたかを感じたそうで、ようやく殴られた事を”あれで良かった”と思えたそうです。
それからは自分でも驚く程、息子がいかに頑張ってきたか・今も頑張っているのか感じられるようになったと。
息子のすばらしいところ、息子だからこその輝きが痛い程分かり、自然と褒めたり労ったりが出来るようになったと。
そしたら兄も、父を労うようになり、しょっちゅう仕事の相談をしてくれるようになり、ようやく敬語も使わなくなったと。
そして先日は兄が「お父さん、殴ってごめんな。でも俺は後悔してないねん。あれがなかったら、俺はお父さんを今みたいに心から尊敬出来なかったと思うから。」と言ったそうです。
父は嬉しくて嬉しくて、父も今まで厳しくしてきた事を謝ったそうです。
今ようやく親子になれたし、ようやく息子自身の人生が始まったんだと、半ベソで話していました。

なので、万が一、旦那様と旦那様の両親が不調和になったとしても、自分達は出来る限り協力する。
と言ってくれました。

そしたら母が・・・
でも、○○はもう準備が出来てるんじゃない?
あんたほんまに力強くなってきたし、父と息子の不調和経験者のこの子(私)も傍に居るんやし、準備万端やで!と。
そしたら父が「○○はどう思う?」と聞きました・・・
「現実的にどうしたら良いのかがやっぱりイメージ出来ない」と旦那様。
「思った事があったらな、それをそのまま言葉にするだけや。でも○○は多分、自分の思った事すら封印してしまうと思うから、親が言った事に対し、まずは自分がどう思うのか素直な気持ちを自分の頭の中で意識するようにしてみ。それが出来るようになったら、気持ちを言葉で出したくなるやろから、その時は抑えんとそのまま伝え!後の事はそれからまた考えたらえ〜わ。」と母。

旦那様は「頑張ってみます。頑張ります!」と答えていました。

両親のアドバイス、とても嬉しかった・・・
我が親ながら、なかなかすごぃぞ!!と思いました。
でも、それと同時に、「どうして私の気持ちはちゃんと理解してくれないのよ(*≧m≦*)」とちょっぴり憤りの感情が!
う〜ん、私と両親というラインも、まだまだクリアしていかなければいけない事がたくさんある・・・

昨日は『家族』について色々考えた1日でした。
家族って愛情という歯車がうまく咬み合えば大きな幸せを実感出来・・・
でもちょっぴり歯車の傾向が違ったりするとうまく咬み合えなかったり・・・
しかも生じたズレを修正するのはなかなか根気が要る!
でもまたうまく咬み合い始めた時はとてつもない喜び・・・

さぁ、どうしていくか?の答えは1つですが、なかなか難しいね。(笑)


*****************

出雲に行く際、お見送りに来ていたにぃくんを見て、何人かの方から「にぃくん変わったね!」と嬉しいお言葉を頂戴し、にぃくんに伝えたところ、とても喜んでいました。 ありがとうございました!
本当に、どんどん力強さが増してきています(*^▽^*)
にぃくんらしさ♪を感じれるようになってきて、私もとても嬉しいです!
これからもどうぞ宜しくお願い致します☆

11/01/2007(木) 17:18:21


No.1458  飯沼 E-mail
Re: こんにちは☆ 引用


こんばんは。
mixiの日記、昨日も今日も嬉しく読ませてもらいました。

お祖母さんのことは、彼女の攻撃的自己防衛の壁を溶かして、お祖母さんがずっと出せずにきた本当の気持ちを引き出して満たしてあげられたこと、お見事でした!
色々と大変だったと思いますが、これでお祖母さんの人生は幸せ・喜びが基本モードになりましたね。
本当にお疲れさまでした。
お祖母さんはある意味「準備完了」なのでしょうが、残された地上での日々でたくさんの喜びを味わってくださいますようにと祈ります。

にぃくんも次へ進む時期なのでしょうね。
それにしても、ご両親の愛情深さとアドバイスの的確さに胸を打たれます。
弟子入りしようかな?

11/01/2007(木) 22:39:26

No.1459  ちぃ
もう1つの日記も♪ 引用
またまたちぃです。
先ほど書き込ませて頂いた日記の前に、祖母についての日記を書いていました。
前後してしまいましたが、そちらの日記もUPさせて頂きます。
これもまた長いのですが、宜しければ読んでやって下さい。

*****************

今日は3週間ぶりに祖母に会いに行きました(*^▽^*)

祖母は昨年3月に脳卒中を発症し寝たきりとなり、
現在、老人保健施設に入所中なのですが、その老健でノロウィルスが伝染し、
先月半ばから面会禁止になっていました。
スタッフの方が祖母にはその旨を伝えて下さっていましたが、
祖母の心の状態を考えると、規則上面会禁止と頭では分かっていても
きっと不安で仕方ないだろうと思っていました。

ようやく今日から面会がOKになり、今日はちょうど旦那様の お仕事がお休みだったので、早速2人でGO!!
祖母はどんな顔をするだろうか・・・ 何て言うだろうか・・・
向かう道中、ずっとそんな話をしていました。
私も旦那様も答えは、「きっと怒るだろう・・・」でした。

祖母は寝たきりになってから長い間、怒りを爆発させてばかりでした。
それはもう尋常じゃなく、起きてる間中ずっと怒っている状態。
大声で暴言を吐き、手当たり次第に物を投げ、暴力も有りです。
でも、飯沼さんをはじめ、色々な方のおかげで祖母が怒りを爆発させる事は無くなりました。
ずっと鬼のような形相をしていたのが、最近では笑顔も見せてくれるようになり、冗談も言い始めているようでした。
でも、それは家族以外の人だけにであって、祖母の心はまだまだ頑なな部分があり、家族に対しては、無表情・無口の状態でした。
特に”ありのままに素直に思いを伝える”というのがとても難しい状態でした。
家族以外には優しい言葉や温かい言葉を言えても、家族には素直になれず・・・
毎週、面会に行っていますが、喜んでもらった事は1度もありません。
でも、私の旦那様が行くと祖母は大喜びし、心から「いつもありがとう」と言ってくれていました。
それを聞く度、私は寂しく・・・。
私にはそういう温かい言葉を掛けてくれないこと事態が寂しいのではなく、そういう思いを祖母が家族には表現出来ない・家族と祖母の関係が寂しくて。。。

祖母は幼少期に両親の愛情を受けて育っておらず、
”自分は誰からも愛されていない・必要とされていない”という傷があるようです。
(詳しくは書きませんが、一般論ではなく、”祖母に関しては”です。)
そして結婚しても、夫や子供達に愛情を注ぐ事が出来ずにいたので、そんな母親だったのだから子供達から愛されるはずがないと思っているようで、子供達からの愛情を喜ぶ事が出来ないようでした。

でも、祖母はうまく表現出来なかっただけで、本当は子供達を愛していたと思います。
だからこそ子供達は、複雑な思いがありながらも、今、祖母に出来る限りの協力をし愛情を注いでいます。

祖母も子供達も互いを思い合っている。
いつか、祖母が少しでもありのままに気持ちを表現出来るようになったら・・・
祖母自身も子供達もどれだけ幸せだろう・・・と、私はそんな日が来るのを願い続けていました。

今日、ようやくその日がやって来ました\(*^▽^*)/

今までですと、祖母は寂しさや辛さを表現するのが一番苦手だったので、いくら精神的に安定したとはいえ、寂しさや辛さを感じた時だけは”怒り”で表現していました。
「そろそろ帰るよ〜」と言うと激怒。「寂しい?」なんて聞いた日にゃ〜「お前はアホか!さっさと帰れ!」と大激怒でした。
なので、今回は3週間も会えなかったので、寂しさだけでなく不安もあったと思うので、大激怒するはず!と私も旦那様も思い込んでいました。

が、予想に反して、祖母は私達の顔を見るなり、大声を出しながら大粒の涙を流しました。
あまりの予想外の出来事に思わず「おばぁちゃんどうしたん??」と聞くと・・・
「辛かった。会えないのは知ってたけど本当に辛かった。」と言いました。

今・・・辛かったって・・・言った・・・
祖母が・・・辛かったって・・・言った・・・

と一瞬、事態が飲み込めなかったのですが、祖母が素直に「辛かった」と言えた事が私は嬉しくて嬉しくて・・・
思わず祖母を抱きしめました。

「おばぁちゃん、寂しかったよね。辛かったよね。
でもみんなもおばぁちゃんに会えなくて辛かったんよ。
みんなでいつも、おばぁちゃんどうしてるやろ?って話してたんよ。
毎日おばぁちゃんの事思ってたんよ。
みんな、おばぁちゃんの事大好きやからね!!
これからもずっと大好きやからね!!」
と、私もありのままの思いを伝える事が出来ました。

大声を出して泣いている祖母はまるで子供のようでした。
そんな祖母が愛しくて愛しくて仕方なく、私は孫でありながら、祖母の母親で居るような気持ちでした。

私はかなりの泣き虫なので、旦那様は、祖母と一緒に私も大号泣すると予想したらしく、”俺はど〜すりゃ良いんや!!”とかなり焦ったようですが(笑)、もちろん私は感動しましたが、それよりも愛しさが勝り、涙は出ませんでした。
こんな私にも母性があったようです。(笑)
それは私にとっても大発見の嬉しい気付きでした。

そして、ありのままに祖母に思いを伝えれた事もとても嬉しい出来事でした。
頑なな祖母に対し、愛情表現をする事が大切だとアドバイスを頂いていたので意識していた部分もあり、そう出来ていると思っていました。
でも、愛情を伝えても頑なな祖母を見る度、”私なんかが愛情表現したって祖母は嬉しくないんだ”と思って、どこかでセーブしていたように思いました。

私達より一足早く、私の母が面会に行っていたのですが、
その時も祖母はずっと泣き続けたようです。
そして、母にも何度も辛かった気持ち・寂しかった気持ちを伝え、会えた喜びや今までの感謝の気持ちを何度も伝えてくれたそうです。
母もありのままに気持ちを伝え、抱きしめたそうです。

やっと、祖母と家族の気持ちが通じ合い始めた。そんな気がしました。
それは祖母も、祖母の子供達も、もちろん私もずっと願い続けてきた事だと思います。
ようやく幕が明けました!
この喜びは一生忘れない!!
そしてこれからも楽しみです(*^ー^*)

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11/01/2007(木) 23:15:16

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