愛は時空を越えて 25
―― 霊界の克との対話 ――
飯沼) おぅい、クゥ。 こんにちは。 またまた締め切り前日の受信だけど、今日もよろしく。
克子) はぁい、まーたん、こんにちは。 こちらこそ、よろしく。
飯) 今日は「CENSOREDについて」ということなんだよね? 最近は子供のCENSOREDが頻繁に報道されているからね。 年間3万人以上の人が自ら地上生命を絶つという現状からすれば、CENSOREDは誰にとっても他人事ではなくなってきていると思うんだ。 経済的な理由でCENSOREDする人の数は、交通事故死者数を上回っている。 これは大変なことだろう?
克) そうですね。 確かに大きな問題です。 交通事故の死者が3万人にもなれば、放置できない社会問題になるのでしょうが、CENSOREDに関してはやはり個人の問題に帰結されてしまう傾向が強いようですね。 しかし社会のありようと個人はいつもつながっています。 この問題は、「戦争がなければ戦死者はいない」というほど単純なことではありませんが、それでも全てを個人の問題に帰してしまうのはやはり偏った見方ですね。 社会の閉塞状況やそこからくる希望のなさ、抑圧感などのエネルギーが個人に大きく影響しているのです。 鬱傾向の人が急増していることも同じ理由からです。
話は逸れますが、社会の閉塞感・抑圧感はさまざまなスケールでの「いじめ」の元になっているのですし、過剰な自己存在のアピールや他国・他者に対する無理解や排除、否定につながっているのです。
飯) 全体と個はいつも重なり、つながっているんだから、CENSOREDについても社会の状況と無縁であるはずはないよね。 社会の仕組みや歪みが弱い立場の人たちや、弱さを抱える人たちをさらに追い詰めていくのだと思う。 その意味では社会のありようやどんな社会に向かおうとしていくのかは、きわめて個人的事象のように見える「CENSORED」とも深くつながっているのは間違いないね。 まあ、そうではあるんだけど、ここでは個人のレベルで「CENSORED」について取り上げてくれるかい。 霊的な視点からも、「CENSOREDは絶対にしてはならない」ということを確認しておきたいんだ。
克) そうですね。 分かりました。 その前に、つい最近の件の人のことについてお伝えしておきます。 昨夜、さきさんとあなたとで彼を苦しい状況から抜け出させ、休眠状態に救いあげたことはこちらからの計らいでした。 ここで詳しくは述べませんが、彼は地上を去ってからすぐに激しい後悔の念に襲われ続けました。 もともとは善良で正義感も強く、優しい人柄でしたから、これ以上あの状態においておくことで彼の魂の傷はさらに深くなるという判断で、あなた方に彼の救済を試みていただくことになったのです。 CENSORED後のさまざまな苦しみは、自分が選んだ行為の埋め合わせではありますが、だからといって何も考えられない苦しみの中で、何も分からずにただ苦しみ続けることが全てではありません。 苦しみが鎮まった後に十分な休息をとり(休眠)、目覚めてから自分のしてしまったことについて正面から向き合うことにこそ意味があるのです。 CENSORED後の苦しみと混乱は本人にとっても好ましいものではありませんし、地上界の想念エネルギーにも悪影響を及ぼすものです。
CENSORED者の中には何年、何十年と混乱と苦悶の状況に置かれ続ける人も少なくありませんが、彼らにも救いの手は差し伸べられるべきなのです。 そうは言っても、やはり自分の苦しみに囚われたままで、霊的ヒーラーの呼びかけやエネルギーに反応できない状態の者もいます。 地上の人間でも我を失うほどの狂乱状態にあれば、どんな呼びかけにも反応できない場合があるのと同じです。 それはそれで時期が来るまでは致し方ないのですが、注がれたエネルギーは無駄にはならず、わずかに心が落ち着きかけた隙にすかさずその人の心に届くのです。 その一条の光によって、さらに大きな光につながることができて休眠に移行できる者もいますし、再び混乱に飲み込まれていく者もいます。 それを何度も何度も繰り返さなければ混乱状態から脱することのできない者もいるのです。
幸いにして彼の場合はあなた方の愛念につながることができました。 もちろん休眠から目覚めて再び混乱状態がぶり返す可能性がゼロではありませんが、おそらくは大丈夫でしょう。 あの状況の中でよくやってくれました。 さきさんにとってはまさに初仕事になりました。 迷える死者、混乱のなかでもがき苦しむ死者を救済することは、原理的には誰にでもできるのですが、実際はやはり素質のある者が経験や研鑽を積んでその任にあたる方が効果的です。 それも自称霊能者なら誰でもよいというわけではなく、毅然たる摂理のエネルギーに裏打ちされた深い慈しみのエネルギーが不可欠です。 「これからの働きに期待していますよ。私がついているからね」と伝えてくださいね。
飯) ほい、了解ですよ。 昨夜のさきさんの様子は、お前が自分のオーラに憑依霊を呼び寄せて暗い境涯から救い出す時と全く同じだった。 真夜中に、「自分はなんてことをしたんだ。戻りたい、戻りたい」って泣き叫び出したからちょっと大変だったけどね。 でも、彼はもともと善良な人だったようだし、混乱状態を脱することができたのなら本当によかったと思う。 とにかく今はゆっくり心を休めて、本来の彼の心を取り戻してほしいと願うよ。
克) 本当にそうですね。 次に目覚めた時には家族の方々への申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになるはずです。 その気持ちを抱いて自分のしてしまったことや自分の人生を辿りなおすのですから、それは本人にとっては決して楽なことではありません。 感情の坩堝(るつぼ)の混乱というのも苦しいものではありますが、それは一種の逃げでもあります。 冷静さを取り戻した後で、自分の過ちを振り返り、sの状況の中で本当は自分はどうするべきだったのか、いかに自分が愛されていたかを確認していく作業こそが大切なのです。 その時は自分の感情ではなく、人として、霊としての良心の呵責に苛まれながら、ひとつひとつを辿りなおすことになるでしょう。 それは本当に、実に大変な作業です。 どのような形で地上を離れたとしても、多かれ少なかれ同じ作業を経て、本来の霊界に戻ることになるのですが・・・。
もちろん、CENSOREDの動機によって良心の痛みもずいぶん違ってくるのですよ。 なかには自分を犠牲にして誰かを守りたいという動機での場合もあるでしょうし、愛する者たちに負担をかけないためにとか、自分の過ちの責任を取ってということもありますからね。 それら、相手を思う動機の場合と、自分の責任回避や困難や辛さからの逃げの行為が同じ扱いを受けるはずはありません。 しかし、いずれにしてもCENSOREDには逃げの要素が含まれているのですし、もしもそうではない場合があったとしても生命を自ら絶つという行為は大きな過ちです。
「良心の痛み」「神の子としての道に反した行為への痛み」というものは、地上の人間にはなかなか想像できないかもしれませんが、それは言葉では言い表しようのないほどのものなのです。 全てのCENSORED者は必ずその行為を深く後悔することになるのです。 CENSORED者が本来の霊界に戻るまでにどれほどの良心の痛みを味わうかを知っていれば、どんな状況に置かれても誰も絶対にCENSOREDなどしないでしょう。 今一度、声を大きくしてお伝えいたします。 どんなことがあっても絶対にCENSOREDなどしてはなりません。 これほど無駄で罪深い行為はないのだと知っておいてください。 地上では「死ぬのが恐いからCENSOREDもできない」という人がいますが、「CENSOREDした後のほうがよほど恐いのです」とお伝えしておきます。
愛する人がそうしてしまった人には辛い話ですが、これは事実ですからどうしようもありません。 どうぞ衝撃と悲しみを越えて、幸せに向かって胸を張って進んでいっていただきたく思います。 CENSORED者が死後に辿る道を知っているなら、CENSOREDなどできないはずなのです。 CENSOREDしてしまった人に対しては限りない慈しみの愛念を送り、その人が早く混乱状態を脱することができるように援助してあげていただきたいのです。 どんな人にも必ず救いはもたらされます。 それが救いというものです。 それもまたその人の心の状態次第なのですが、慈しみの念と祈りはその人が真っ当な心を取り戻す手助けになるのです。
たとえ本来の霊界に戻ることができたとしても、CENSOREDはもちろん大きな負のカルマとして残ります。 やがて埋め合わせのために地上に再生した人生では、必ず「もう死んだ方がマシだ」と思うような状況がもたらされることになるのです。 あるいは、自分の愛する人に突然に他界される悲しみを味わうことになるのです。 それらを越えて地上に生きていくことが人生の大きな課題になるのだと心得ておいてください。(もちろん、そういう思いをする人の全てが過去世でCENSOREDをしたという意味ではありませんよ) 逃げようとしたことからは逃げられず、必ず向き合うことになるのですし、それができない間は平安な状態はありえません。 さらに逃げる前よりも大きな負荷を背負うのですから、CENSOREDほど割に合わない行為はないと断言いたします。
飯) ありがとう。 全くその通りだと思う。 個人の意志と共に、ひとりひとりが追い詰められることなく、困難を越えて生きようとする意欲の持てる人間関係や社会を築き上げていくことも不可欠だと思う。
ちょっと質問したいんだけど、霊は人間として地上に赴く前に、今回の自分の人生のプログラムを大枠で決めて生まれるというよね。 自分の死ぬ時期についてもほとんどの人が魂のところでは把握しているって。 CENSOREDの場合はどうなのだろう? もちろん人間には自由意志が与えられているから、CENSOREDというものは全く以ってその人の誤った自由意志の行使ということになると思うんだけど。
克) その通りですよ。 CENSOREDすることを決めて“個霊が”地上に赴くことはありません。 ただ、「死ぬしかない。死んだほうがマシ。苦しくて生きていけない」という思いを越えて真っ当に生きるということを課題にして生まれる人は少なからずいます。
飯) でも、子供はどんな親のもとに生まれるかも選んだ上で地上に生まれるんだろう? そうなると、子供が幼い頃に親がCENSOREDしてしまった場合はどう理解すればいいのかな? 親のCENSOREDはその子にとっては突発事態なのに、親が早く他界することも想定してその子は生まれてきたってことになるの? 「偶然はなくて全てが必然」だとしたら、親の誤った自由意志の行使によるCENSOREDも「必然」ということになってしまうだろう? つまり、「その人はCENSOREDすることになっていた」ということになってしまうんじゃないか?
克) CENSOREDが必然などということはありません。 あくまで本人の誤った自由意志の行使です。 でも、前にも伝えたように、ある次元(この場合は個霊の意識のレベル)においては完全に自由意志の範疇であっても、その自由意志もさらに高次元の意識における摂理・法則に規定されているのです。 摂理・法則は重層的に織り成されているものだからこそ、全ては摂理のなかなのです。 「摂理の奥にもまた摂理がある」とはそういうことです。 その仕組みを地上の言葉で説明することはできません。 たとえ表現できたとしても、ほとんどの地上の人間には理解できないでしょうから、役に立つ情報にはならないでしょう。 あなたもこの質問を「検証者」としての立場から出したまでのことですから、ここではこの説明で収めてくださいね。
飯) はいよ。 僕もそのほうがいいと思いながらの質問だった。 ただ、論理的矛盾とも思える事柄について何も言及しないのはよくないかなと思って聞いたことだから。 ありがとうね。 今日はそろそろこの辺で。
克) はーい、まーたん、またね。 いつもお疲れさま。 そして、いろいろありがとうね。 いつも傍にいて一緒に働いていますよ。 疲れた時こそ私を思ってね。
(2007・1・19) |
21/01/2007(日) 12:59:18
| No.1517 ひろこ |
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今朝、庭で咲いてた花を机に飾り彼女を思い掲示板を開いたら、「愛は時空を越えて」がありました。 飯沼さん、克子さん、さきさん、祐造さんお疲れ様でした。 一気に読みました。 明子とこの事の意味がやっと理解出来たのが一昨日でした。唯々驚き、悲しく、残された方々の顔を思い浮かべて心で抱きしめる事しか今の私にはできません。どうか、どうか皆さんの幸せを毎日祈り続けていますとお伝え下さい。
飯沼さんや、さきさんのような力があればと残念ですが、自分に出来る事を周りの多くの人に伝えていければと思っています。 |
21/01/2007(日) 16:08:10
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